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2021/04/19

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  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 55

    しばらくして氏康が上段に立ち出でて勘助に対面したその表情には傲りが現れている。勘助は平伏して拝し、仰いで傍らを見ると、御簾(みす)をかけた一間があった、中には夜の香鼻を奪うばかりであるそこには数百の女たちが御簾の間、あるいは几帳の間より、勘助と氏康の体面を見んと押しかけていて、のぞいては密かに囁き合っている対面が終わり、勘助が退く姿は猿が飛ぶ如くに見えて、氏康はつい「クっ」と笑いを漏らした、すると左右の小姓数人も我慢の限界か氏康につられて笑い声をあげた、それを境に同席の士も爆笑し、当然ながら後ろに控えた女たちも一斉に笑い声に包まれた。さすがに嘲笑に慣れた勘助も、この場のありように赤面して退出した。氏康は左右を見て「七郎左衛門があまりにも推挙を申す故、会ってみたがこれほどの見にくき姿とは思わなかった、いかに...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家55

  • 現役高齢者

    人生の大半を商売に携わってきたので友達はやはり経営者や商売人が多いサラリーマンの友達と言うと、大半は同級生か女性だ。昭和の時代はサラリーマンは55歳か60歳前で定年を迎えた、私たちが60歳の時は既に平成の半ばであったから、55,60で定年が来ても再雇用が定着していて一時定年後65歳までは短時間、低賃金で働き、更に70まで伸びること少なくなかった。町工場や、従業員10名程度の商売だと70になっても人手不足もあって嘱託という名前で再々雇用もあった。私も同級生を数人雇用したが、一番長かった人は、わが店に45年勤務して店を畳む71歳までいた、まさに「相棒」であり「弥次喜多道中」と言える男だった。今も介護老人施設で働いている。今は73~74歳だが、同級生は従業員数名の個人経営の場合、未だに経営者として働いている人が...現役高齢者

  • またまた外を歩けば

    またまた外を歩けば

    27日は久しぶりに午前から晴れ間が出て温かくなった。昨日の昼はスパゲッティを作って食べ、その前の昼はラーメンを作って食べ、今日は鍋焼きうどんか、カツ定食か?たまには外で食べたい気分になった、もう外食は2か月くらいやっていないので散歩も兼ねて外で食べようと思った。外と言うと、やっぱりラーメンを食べてくなってしまうんだよな食べる回数は三分の一くらいに減ったけど、やっぱりラーメンはうまい市内のラーメン店は以前の半分以下になった、そのかわり今風の脂こってりラーメン店が増えて来た。私のお気に入りは「野菜坦々麺」辛いのが好みだ、そこへ行ってみようかところが駐車場は満杯、もう一軒の人気店も同じく並ばないとダメいくらうまくても並んでまで食べようとは思わない頑固者だから、結局同級生の食堂に三か月ぶりくらいで行ってみた駐車場...またまた外を歩けば

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 55

    「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 55

    しばらくして氏康が上段に立ち出でて勘助に対面したその表情には傲りが現れている。勘助は平伏して拝し、仰いで傍らを見ると、御簾(みす)をかけた一間があった、中には夜の香鼻を奪うばかりであるそこには数百の女たちが御簾の間、あるいは几帳の間より、勘助と氏康の体面を見んと押しかけていて、のぞいては密かに囁き合っている対面が終わり、勘助が退く姿は猿が飛ぶ如くに見えて、氏康はつい「クっ」と笑いを漏らした、すると左右の小姓数人も我慢の限界か氏康につられて笑い声をあげた、それを境に同席の士も爆笑し、当然ながら後ろに控えた女たちも一斉に笑い声に包まれた。さすがに嘲笑に慣れた勘助も、この場のありように赤面して退出した。氏康は左右を見て「七郎左衛門があまりにも推挙を申す故、会ってみたがこれほどの見にくき姿とは思わなかった、いかに...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家55

  • 現役高齢者

    現役高齢者

    人生の大半を商売に携わってきたので友達はやはり経営者や商売人が多いサラリーマンの友達と言うと、大半は同級生か女性だ。昭和の時代はサラリーマンは55歳か60歳前で定年を迎えた、私たちが60歳の時は既に平成の半ばであったから、55,60で定年が来ても再雇用が定着していて一時定年後65歳までは短時間、低賃金で働き、更に70まで伸びること少なくなかった。町工場や、従業員10名程度の商売だと70になっても人手不足もあって嘱託という名前で再々雇用もあった。私も同級生を数人雇用したが、一番長かった人は、わが店に45年勤務して店を畳む71歳までいた、まさに「相棒」であり「弥次喜多道中」と言える男だった。今も介護老人施設で働いている。今は73~74歳だが、同級生は従業員数名の個人経営の場合、未だに経営者として働いている人が...現役高齢者

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 54

    「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 54

    勘介は「われは試合を好まず、凡人の性として勝てば歓び、負ければ憤るものなり、これ古今の通例である、某、壮年の頃より諸国を歩き幾度も試合に勝ち、そのたびに門弟の仕返し、闇討ちに遭い、このような不具者となってしまった、某が勝ったのは相手の未熟によるもので、それを逆恨みされるのは道理に合わず、今日のことも同じで、そなたの未熟が原因で某に負けて逆恨みいたすようなら、このまま某を返したまえ、潔く試合をするというなら此処で誓詞を交わそうではないか、なればあえて試合にのぞまぬものではない某が諸国を巡り試合を行ってきたのは、禄を求めて徘徊したわけではない、優れた君子に会って己の修業を成さんがためである」と言った門人たちは口々に「勘介の申す事、もっともだ、試合はやめた方が良い」という者あれば、大多数は「口先はうまく申すが、...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家54

  • 自然と生きる漁業者

    自然と生きる漁業者

    漁師が漁をするのも、私が干物を作るのも風と天気に左右される。漁師などは「船板の下一枚地獄」というように嵐に出会えば、命さえ左右されるから、今の時間の天候もさることながら、この先何時間後の天気にも気を配る。カレイを捌いて、塩水につけ夕方から2時間干したけど、雨模様で湿度が高い上に風もさほどなく失敗。朝は5時半から、もう一度干した、風は結構あるが湿度高く、8時には雨の予想なので7時までが勝負。干物失敗ので、から揚げ用にして冷凍と相成る。北海道では昨年来イワシの大群が押し寄せる現象が起きている記憶が確かなら年末にも海岸に上がったとか・・・そして大地震富山定置網にもイワシが大量だった、けっこう大きめでそれなりに脂がある、5~6匹おすそわけいただいて食べてみる。縁あって漁師の手伝いをすることになったが、長年の私は魚...自然と生きる漁業者

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 53

    「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 53

    松田は、勘介の兵法の理を否定しようとさらに続ける「そなたは三州牛窪に生まれ、兵の五十人も率いたことなく、村の長にもなったことはなく、まして小城の一つも任されたことはあるまい畳の上に人形を並べ、粘土をこねて小さな城型を作って『こう攻め寄せれば云々』などと僅かに二十分の一の小形をもって胸算用を兵法と称するが、これは太平の時にこそ通用するだけの事、いざ戦が始まり戦場に出れば、たちまち胸算用は崩れ去り、ただただ右往左往するばかりとなり、心胆取り乱して逃げ惑であろう論ばかりを高くして、戦場にて役に立たなければ、それは虚論と申すもの、何の益があろうや、舌先三寸弁が立つものが勝つ道理であろう」これをじっと聞いていた勘介は、やや笑みを含んで「そなたを高名の師範者と聞き、そのようなお人であれば格別の高論もあるかと訪ねてみた...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家53

  • 人も歩けば 人に当たる

    人も歩けば 人に当たる

    一日の生活パターンがあるのと、気分で一日を過ごすのはどっちが正しいのだろうか?どっちが正しいなんて、あるわけないけど「現役の時」というと、ほぼ一生なんだけど、それはとうぜん生活パターンにハマっているわけで、それだからこそ自由になれる休日が待ち遠しい今のように、毎日が自由に暮らせる日々に変わってしまうと、ほんとに油断していると一日中寝てばかりになるかもしれない。幸い、私はわりと規則正しい生活をしている朝起きるとすぐに「3月26日火曜日、午前6時31分」と声を出して言うこれは時間の認識と、ボケ防止のつもりだけど、これをやると今日の一日が存在感ある意味ある一日に思えてくる。夜はベッドに入った瞬間、「あああ寝るは楽なりおやすみなさい」と言ってから寝る、部屋には一人だから「おやすみなさい」は多分、自分自身に向かって...人も歩けば人に当たる

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 52

    「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 52

    山本勘助の諸国見聞山本勘助は昔、晴信がまだ勝千代と言った頃に出会い、密かに主従の内約を固めたのであったが、心に思うことあって天文三年より、兵法修行と言いつつ関八州(関東地方一帯)を巡り、遠くは奥州までも足を延ばした。半年、三か月とあちこちに逗留して兵術を試み、軍法を討論して、その国の陣立てや戦術を探り、諸士の強弱も見定めた。その頃は英雄の諸侯が全国に現れて、武芸者は、それらの家々に仕官を求めて集まった、中でも相州(神奈川)小田原の北条相模守氏康は伊豆、相模の二か国に領分を持ち、勢いは隣国に鳴り響いた。勘助は、北条家の戦術、兵法を学ぼうと北条家武術指南の松田七郎左衛門を訪ねた。松田は十文字槍を鍛錬して隣国に並ぶものなしと言われている。勘助が松田の道場に訪ねていくと、松田は門弟相手に槍を教えていたが、人を使わ...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家52

  • 今日の事

    今日の事

    今日は約3週間ぶりに船長に頼まれて手伝いに行って来た昨日の夕方、急にメールが入ってちょっと考えたが、魚との対面はやはり削りがたい、すぐにOKを出したが、入船が朝5時と言うので、急にせわしくなった。5時だと3時半には起きるから、逆算して21時には寝なければ寝不足になる。まあ、その時間でベッドに入ったのだが、最近の花粉症気味なのは大きな痛手起きていると、くしゃみ鼻水、横になると鼻づまりで寝苦しく、なかなか寝付けない、そんなうちに22時を過ぎ、なんか寝ているのか起きているのかわからない。結局、一番寝られたのは午前1時頃からで、それでも深い眠りに入ったので3時半起きでもすっきりしていた。台所へ行って、粥を作りながら、洗面してそれから食べて身支度をして4時半には港に着いた。昨日までは、ごろごろしている時間が長くて体...今日の事

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 51

    「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 51

    小幡日浄のこと日々多少の書籍に目を通すが博識というわけではない、されどもその見識眼は確かであった。もとは遠州(静岡県西部)の国人の生まれで、18歳の時、甲州にやって来て、武田信綱、信虎、晴信の三代に仕えた、忠義は怠りなく武辺は人を超え、戦功数回に及ぶ、今、死の床にあって晴信に「任」の一言を残したのは、彼に一抹の不安あったからである。晴信は稀代稀なる英雄豪傑であるが、人を見て任ずることが無く、例えば一郡、一村の小城一つ攻めとるにも、自ら采配を振って人に任せず、それゆえ一代休まることなく、村上がごとき人と戦い、また長尾謙信と長き年月を戦い無為に年月を過ごしてしまった、ついには天下を手にする思いにすら届かなかった。晴信の才知には織田信長と言えども遠く及ばなかった、しかし織田信長公は生まれつきの大器であり、人を選...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家51

  • 散歩は気分良いが

    散歩は気分良いが

    尊富士のド根性と執念には恐れ入った大の里に優勝してもらいたかったが、気力が違いすぎた、細かかな論評は明日にまわして「尊富士おめでとう!」もうコロナの心配はしていないが、今度は花粉症に悩まされているとにかく我が家の周囲は杉林が多いし、散歩となればいやでも杉林近くを歩くことになる、だからマスクは離せないどころか薄いのと厚いのを二重にしての散歩だ。さすがに上り坂では苦しいから、下の方を開けて新鮮な空気を吸うようにしている。歩いていても、好きなコースと、飽きてしまうコースがあって毎回コースを変えている、遠くへ車で行って全く違う町を歩くことも多々ある。今は歩きながら鳥の写真を撮るのが楽しみだが、レンズは250ミリしかないのであまり遠いものや、高いところのものは撮れないしかも手持ちだから、ブレも多いし、されど三脚を使...散歩は気分良いが

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 50

    「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 50

    小幡入道の死時の流れは速く、武田晴信は二十歳になった。正月十三日には恒例の軍議もとどこおりなく済んだ。小幡日浄は晴信が幼い時から守役として仕え、片時も傍を離れず養育したのであった。小幡の嫡子、織部正虎盛は武辺において武田家の三本の指に入る武者で、韮崎の戦の折も抜群の功を挙げたので、皆「さすがは小幡父子である」と称賛した。ところが日浄は、この三年ほどの間、中風の病を患い床に伏している。しかも日ごとに病は重くなり、晴信もこれを気にして近習に様子を探らせ、医師を送って看病させていたが、いよいよ最後も近いと思われるようになってきた。晴信は、これを知って存命の間に対面して、せめて末期の一言も聞かんと僅かな供回りを連れて、小幡の屋敷に向かった。早々に小幡虎盛が門外で平伏して待ち受け「愚老父、今や床から出ることもできず...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家50

  • 大荒れの大阪場所 記録づくめ

    大荒れの大阪場所 記録づくめ

    「もし」尊富士が明日休場なら、明日大の里(たぶん対戦相手は豊昇龍)が勝てば、大の里の優勝、負ければ休場でも尊富士の優勝となる。いずれにしても優勝するのは入門1年半初入幕の幕尻力士か、入門1年入幕二場所目の平幕力士ということになる、おそらく相撲史上こんなことは無かっただろう。「もし」尊富士が入院したまま、優勝となれば表彰式はどうなるのだろうか?親方が代理となるのだろうか?これも起れば珍事だ。尊富士の新入幕初日からの連勝11は、大鵬と並ぶタイ記録新入幕優勝となれば110年ぶりの記録だと言う。大の里の新入幕から二場所連続11勝以上は白鵬に続き3人しかいない記録だと言う、すなわち尊富士と大の里は怪物と言っても過言が無い大力士と言うことができる。そんな怪物相手に一矢を報いた琴ノ若、豊昇龍、朝乃山も立派だこのような大...大荒れの大阪場所記録づくめ

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 49

    「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 49

    「まだありますぞ、古今より女色に溺れ国家を失い、後世に悪名を残した者多し源義経のような豪傑でも静と云う芸妓を愛し、平時忠の息女の色に迷って身を滅ぼし、新田義貞ごとき英雄も勾当内侍(義貞の妻)の愛に迷い、足利尊氏卿を滅ぼすべき大事な時節を逃し、越前の雪と消え去ってしまった。このような話は某などが言わずとも君が充分知るところ也いますぐに御心を翻せば、某一人ではなく一国の大慶であります、さもなくば一座の皆々、一人もこの場を去ることなく信形の腹切り、腸を掴みだすさまをとくとご覧あれ」と大音声で言えば、一座の禅僧も諸士もみなうつむき声も上げない晴信は涙で袖を濡らし、「信形の諫言、心魂に響いた、しかしながらこれは信形の言葉にあらず、正しくは武田家代々の先君が、汝に命じて言わせたのであろう今日より心改め、ひたすらに武を...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家49

  • なんかいろいろあった昨日

    なんかいろいろあった昨日

    昨日は、朝5時に目が覚めてトイレに行って寝なおしたら目が覚めたのが7時45分、8時45分発で長野へ行く日だったので昼食のお弁当(2人分)を作るのに大慌て、朝食も食べなければならないしでも慣れたもので、息子用の肉、野菜入りの焼きそば二人前と、自分の三食おにぎりを25分で完成させた。この日の長野県北部は大雪予報で、身構えていったのに国道8号から海岸沿いはずっと青空、上越市直江津地区へ行ったら急に道路にも屋根にも雪が多くてびっくり18号も新井道の駅くらいまでは晴れていたが、中郷あたりから急に雪が降ってきて、その先は晴れたり、降ったり滅茶苦茶な一日になった。そんな時、関東でM5くらいの地震発生の情報が入り、上越、北陸、長野新幹線が運行停止になったとのニュース信州は深夜から降ったようで、諏訪から北の方では35~40...なんかいろいろあった昨日

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 48

    「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 48

    このような有様であったが、なぜか板垣駿河守信形は音を沈めて、いかなる行動も起こさない。甲斐国西郡に友夢居士という者が在り、詩の名人と聞き、信形は友夢に師事して同年九月下旬より病気と称して三十日ほど引き籠り、その間に起承転合など詩の稽古に励み、五言七言絶句などを作るようになったので、十一月朔日に行われる例の詩会、詩を旨とする禅僧十余人、そのほか近士の輩集まり、各々御前に出て詩を披露するが、その多くは晴信に取り入ろうとする者たちであった。そこに板垣信形がまかり出て申すには「近頃、御屋形様は詩を好まれると聞き、某も御家人として、それを学ばぬのは不忠と思い、早速に師を得て詩づくりを学び、ようやく絶句の一編くらいは曲がりなりにも作れるようになりましたお許しくだされば、某も隣席いたし一句作ってご披露いたしたく存ずるし...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家48

  • あんこうを食する会に行って来た

    あんこうを食する会に行って来た

    *「甲越軍記」は、朝の掲載に変更します。冬の味覚、富山湾の「アンコウ料理」広い意味で言えば、能登半島の内海(七尾、氷見)から富山県全域と新潟県の上越地域の海岸と佐渡島の西側までが富山湾と言える。これは正月からの地震の発生地域にかぶっている、そもそも富山湾がどうしてできたのかわからない?狭い範囲に深さ1000mを超えるすり鉢状の海溝だ。ともあれ、「アンコウの会」に招かれて、行って来た新潟県、富山県からボランティア仲間が30数名集まって、交流を深めたアンコウの刺身、水袋(胃)の小鉢、アンコウの焼き物、アンコウ鍋、ホタルイカの天ぷらなど9品の料理二年ぶりに熱燗を飲んだ、三次会、四次会まで歩いてしょっちゅう御前様だった私が、二年前から急に酒に関心が無くなった。家でも一か月に二回くらい水割りを一杯飲むくらいで、台所...あんこうを食する会に行って来た

  • 新時代 令和大相撲「三国志」到来の予感

    新時代 令和大相撲「三国志」到来の予感

    その前に、朝一で「大谷の水谷通訳、賭博で逮捕」のニュースが入って来たビックリ!第一世代は、稀勢の里がようやく横綱になったが、短命に終わり、大関の琴奨菊、豪栄道、高安、栃ノ心は陥落第二世代、貴景勝足踏み、朝乃山、正代、御嶽海も陥落、横綱が出ず第三世代、霧島、豊昇龍、琴ノ若が今大関として競っている、だがここに大の里、尊富士が加わりそうな今場所の二人の活躍。尊富士は大の里に勝ち、今日は大関琴ノ若をも寄り切って11戦全勝、これで残り4日で大の里に2差、大関陣には3差で尊富士の優勝確率は90%くらいになったであろう、新入幕優勝なら110年ぶりとのことだ。新入幕初日から連勝記録11は大横綱大鵬に並ぶ史上一位、明日の大関豊昇龍に勝てば新記録達成となる、もし全勝優勝をすれば来場所は小結昇進間違いないだろう、豊昇龍に勝機が...新時代令和大相撲「三国志」到来の予感

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 47

    「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 47

    武田大膳大夫兼信濃守晴信、未だ若きと言えども先に韮崎において、小笠原、諏訪の大軍と戦い、これを粉々に粉砕した。その後、天文八年閏六月に両家は再び、甲州に押し寄せたが、撚場、野辺山、蔦木の合戦でまたも敗れて、それ以後は信濃に籠ったまま静かになった。是より、武田の武威は日々高まり、天文八年には晴信十九歳となった。若気の至りと言うか、自分の才気に自信を得て、信州の者どもなど恐れるに足らずと言って、次第に奢りの心が現れて来た。近頃では華美、風流に心を奪われ、甲州の地は住人田舎臭くて卑しいと言い特に女性の姿かたち、物言いが鼻につく都人は婦人の風情が端正で美しく、且つ情深いと聞くと、都の婦人の何もかもが美しく思えて「都より容儀正しい者を呼び寄せて、甲府の婦人の卑しいしぐさを改めさせるように」と命じた。都から朧(おぼろ...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家47

  • 「さよならマエストロ」終わる

    「さよならマエストロ」終わる

    最近は記事ネタが多くて、日が過ぎてからの掲載が増えて来た今でも1日に2記事書いているので、これ以上掲載しても分母が増えるだけで分子は変わらないので、無駄ってことになるから・・・「さよならマエストロ」は日曜日に終わって、掲載が今日になってしまったでも、なかなか良いドラマだった、普通オーケストラが題材のドラマは私にとっては退屈なんですが、このドラマも毎回、録画再生ボタンを押すまではなんか「見なくてもいいわ」と思ってしまうんだけど、見始めると1分で入り込んでしまう。以前も、オーケストラが偉い人の陰謀で解散させられそうになるのがあったけど、あのドラマの何倍も、こちらの方がストーリーも、視点の広さも、キャストも全てにおいて素晴らしい。なにか淡々と進行して行って、一人一人の悩みや苦しみが、感情の一つが完全に欠如してい...「さよならマエストロ」終わる

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