最近(ここ一年)唄うようになって、どうも頭の具合が変化したように思えます、だからこんな不可思議な夢を見たのだろうと思う、ぼちぼちやっていきます。
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カラスに突かれて血を流していたフクロウの話を聞いて描いたアクリル絵画。
愛に燃える紅い骨を表現してみました。
股関節痛をアクリル絵画で表現してみました。
雪の森をイメージしたアクリル絵画
でも、俺にとってのバイキンマンであるところのあの癇癪親父が母親にとってのアンパンマンだったってんだから、全く、世の中うまくできてるなと子供ながらに感心したもんだよ…散文詩【アンパンマンとバイキンマン】
1996年7月17日トランスワールド800が空中分解したその時に俺も夜空に居た、夜空の向こうでひとつの飛行機が墜落し、俺は無事に着陸したが…天国や魂についての回想的独白。
江戸末期の疫病を語る謎の老人の霊魂…散文詩【コレラ時代の亡霊】
ロザリオの祈りを一緒にしていた彼女に振られたなんていう話をしたら、人は僕を間の抜けた夢見がちな男だと思うだろう。否定はしない。事は唐突に起こった。彼女は言った…。散文詩【白蝶貝のロザリオ】
散文詩【全体全部の利益の為に】
散文詩【小さな神社が撤去されて更地になっていた】
獄中賛歌、獄中賛歌、獄中賛歌をさあ歌え…散文詩【獄中賛歌】
たったひとつの呪文のような言葉が俺にとって日常から非日常への鍵となっている…散文詩【オルハ】
散文詩【火の輪くぐり】
散文詩【薔薇色の午後】
中世…塔に籠る聖者が居た、聖者の見ている聖なる幻はいつしか隣の塔に住む若い娘にも見えるようになり…【登塔者(とうとうしゃ)の炎】ロシア正教では塔に登って修行するという修道スタイルがかつて実在したようです。
寒漁村…船貸しに嫁いだ嫁の逢瀬の相手とは?江戸時代イメージ小説【船幽霊】をお楽しみください。
短編小説【ほら吹きお銀】AyaOgata作 感動度☆☆☆☆☆
生きるために強奪の片棒を担ぐうち、いつしかお銀は、自らのうちに神をおろした『生き神』を騙るようになり…江戸時代イメージ小説【ほら吹きお銀】業に業を重ねるお銀の魂はどうやって救われてゆくのか?感動のラスト!
短編小説【乳子と善吉】AyaOgata作 おすすめ度☆☆☆☆☆ ※R15指定
障碍者、売春、自分自身の歩行困難…タブーそのものである障碍者の性を描く【乳子と善吉】衝撃の買春小説。R15指定『感動』小説。
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最近(ここ一年)唄うようになって、どうも頭の具合が変化したように思えます、だからこんな不可思議な夢を見たのだろうと思う、ぼちぼちやっていきます。
『玉藻の前』のすべての録音編集を終えたとき、登場人物たちが…まるで映画のロケが終わった時のように、内輪で歓声をあげて、それから一人ひとりが素の顔に戻って、そしてどこかへ帰ってしまう…そんな感じがして、今となっては少し寂しいような気もします。
全く個人的に、男の人って挫折した経験のある人特有の色気みたいなものがあるなあと感じたりもする…
色で例えるなら千枝松(主人公)の声は枯草色、みくずの声は珊瑚の明度をさらに上げたような色、陶物のおばあはスグリの実の色みたいな感じ、全員一応、和の色でまとまって一枚の絵になるようなイメージ。
ただ、私は思うのですよ、日本の古来からの『おはなし』というのは、元来かなり音域幅の広いものなのではないか?
この『玉藻の前』を制作するにあたって一番感じたのは…プロの声優の方とかも確かに凄いが、沢山の声をひとつの作品に仕上げているプロの編集の方って、本当に凄腕!という事です。
以上、春先の怪談?でした。
まりもちゃん(キラキラネーム庶民)→みくずさん(中産階級へ)→玉藻さん(クズと付くので改名、上流階級)→玉藻女史(玉藻の前、特権階級)
恋と暴力だけは無くならないような気がしますね。
それにしても人間って色んな声が出るもんだな~と、我ながら面白く思って編集してます。
妲己についても、これ見よがしな悪女なところが却って、ビミョーな良妻賢母キャラよりも好感を抱いてしまう。
この朗読音源はデジタル呪物に該当するのではないか?と危ぶまれる気持ちもあるが…
唄を歌うという行為自体が40年生きてて人生初。
手術中は七転八倒した
有り余るほどの時間を悩んで過ごして、よくよく考えると自分の保身(善悪、善人でありたい、被害者気質)の為如きにしか時間を使ってこなかった
となるとひと針ひと針の重要性は否応にも増す…ので、そのひと針の間に、職人の胸中に種々の想いが逡巡する場合も多々あろう…。
次の一着は、私を何処へ連れて行ってくれるのだろうか…。
この歳で言うのもなんだけど、時間が長い!
地図でいうと若洲、駅名で言えば新木場近辺である。
無論、袖や裾は小さめになるけど横幅は同じであるので、いわゆるSサイズ…ではない。
「宇宙は試してくるなあ」とぼやいたら、『誰でもいつでも試されているよ』と知人に言われてなんとなくハッとする。
ホントは世界の全部の聖典読みたいんですけどね、言語的にもさすがにそれは無理というものなので、和訳されている聖典に着手しているわけです。
ミシンをかけている時なんかも独特の疾走感があって心地よい、国道でも突っ走っているみたいだ。(まだ高速には乗れない感覚が洋裁にはある)
これほど美しいものが漫然と存在していることにただ感動する。
たまに、首都高が見たくてその近辺に連れて行ってもらう
1984年生まれの(しかも足の弱い)39歳でこの作品を朗読出来て、とても嬉しく思う。
『青少年反セックス連盟』の緋色の帯は、みんな身に着けているのです。
帰りの小型飛行機で本土、もとい我が関東平野が見えたとき、江の島が見えたとき、横浜が見えたとき、首都高やら都内のビル群が見えたとき、遠く千葉までもが手の上に収まるように見えたとき、私は思いましたよ。
『1984年』の第二部を処理していたらPCがぶっ壊れた。
つまり私は、ある程度、この作品を本当の事として読んだわけです。
1984年生まれの日本人に宛てた皮肉とも応援ともつかないメッセージを感じずにはいられないのですよ。
つまり、個人が幸福になるには、全体が各々幸福で居た方がいいのだ。
だから声劇の雰囲気もちょっと付け加えて、これは一人芝居なのだという感覚で聴いていただければ幸いです。
やりたいことの優先順位を…難易度が高くても…『自分が感動する要素の大きい順』(他人ではなく自分が感動するかどうか)でやっていかないとならないわけです。
当時の柳田國男と同年代のうちに朗読出来て、良い経験になった。
『パッケージや表題=真実』と仮定(妄信)することへの疑問を強く感じる。