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2020/05/22

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  • 鈍感とは『強さ』ではなく、『感受性の劣化』である

    人間は精神的に強くダメージを与えるものが現れると半ば無意識にそれを小分けにして心の奥に仕舞おうとします。顕在意識からの記憶を薄めることで出来るだけダメージを分散してショックに耐えようとするのです。例えば生まれてから今までの『苦しみ』のすべてが一つの大きな塊のようになっていたりしたら、あまりにもダメージが大きくて耐えられないでしょう…そのため分割して隠してしまうのです。 ここでいう「隠してしまう」とは「自分自身の顕在意識からは認識しにくいようにする」という意味です。 心の在り方としては潜在意識の奥に押し込んでしまうのですが、現実問題として身体のあちこちに地雷のように埋め込まれていたりします。何ら…

  • 「人は自分が強く深く意識を向けたモノになる」という話

    以前「自分にとって良いことばかり引き寄せられる所謂『引き寄せの法則』というのはない」って話を書きました。 それは今でも変わっていません。 でも、人は自分の意識を向けているモノを引き寄せるということはあります。 意識を強く長く向ければ向けるほどそのモノを引き寄せるのです。 ただ、これは所謂引き寄せの法則みたいに、自分に都合の良いモノだけを引き寄せられるわけじゃありません。 意識が向いたのが自分にとって良からぬモノであっても引き寄せられるってことです。 それに、意識を向けるといっても人間はその時の自分のレベルに見合ったカタチでしか意識を向けられないものです。 だから、自ずとその時の自分の波動のレベ…

  • スタルジー濃度と認知のゆがみ

    とにかく「昔は良かった!」っていう人がいらっしゃいます。 堕落した『現在』と理想郷であった『過去』を対比させるような心の在り方です。 まぁ、そもそも過去が理想郷であるのかどうかってのが分かりませんけどね…そして、もし万が一過去が理想郷であったとしても今となっては『失われた楽園』でしかないのです。 儒教のように「理想は全て太古の昔にあり、人はその時代に戻ることで賢者としての知恵を手に入れることが出来る!」なんて考え方は個人的には全くのマヤカシだと思います。そもそも「完璧な答えが過去の叡智としてすでに存在している」という思考のベクトルが見当違いな気がするのです。 ただ、仏教の末法思想やユダヤ・キリ…

  • 人間の小ささと世界の巨大さ

    一人の人間に見えてる世界なんて本当に小さなモノです。ていうか人類という種の見ている世界ってのは人間が思ってるほど大きくはありません。 人間基準では大きいかも知れませんが、それはあくまで人間基準です。人間を超越したもっと大きな世界の『モノの道理』が、人間のいうところの『世界の動き』といつでもどこでも一致しているとは限らないのです。 仮に蟻が人間並みの知能があったとしたら、蟻の見ている世界のスケールはせいぜい自分の住んでいる蟻の巣周辺くらいでしょう。人間の単位でいう隣りの町内くらいのスケールでも、それを自分たちの世界として認識することは困難であると思われます。 で、例えばそこへ人間の子どもが来て、…

  • 『チカラ尽く』ってのは修羅の道

    例によって例のごとく独断と偏見で申し上げれば、除霊とは自分と見えない何かとのチカラ比べです。 チカラ比べには終わりがありません。いつまで経っても何処まで行っても「上には上がいる」ものです。別にそれは眼に見えないチカラの話に限りませんけどね… よって、除霊を行うならば、いつでも相手をねじ伏せられるだけの『より強くより大きなチカラ』を求め続けなくちゃなりません。そうしなければ、いつの日か相手に自分をねじ伏せられてしまう日が来るかも知れないからです。そうでなくても不特定多数を相手にしていれば、いつも一方的なやりたい放題が出来る保証はないのです。常に『返り討ちにあう可能性』は存在します。返り討ちにまで…

  • 魔境とは何か?

    主によく語られる魔境の意味は『神秘体験などに囚われ、意識の拡張により自分のエゴが肥大し、精神のバランスを崩した状態である』といわれている。簡単に説明すると現実世界では通常体験出来ない現象や思想を感じた時「特別な何かを得た、感じた」と思い、その出来事・物事にとらわれてしまう、のめり込んでしまうといった状態になることではないだろうか。しかも、本人はその事に気付いていないという部分が何より大きいと思われる。 魔境に入った人というのは十中八九浮かれています。ここでいう「浮かれている」というのは高揚感に支配された状態のことです。 魔境に入る人は「神秘体験をする→価値観のコペルニクス的転回が起こる→高揚感…

  • 『乱暴な単純明快さ』に魅せられる人々

    今の世の中にはテクニカルにチョチョイのチョイで心や身体を支配出来ると信じている人々が大勢いらっしゃいます。 『インスタント』大好きと申しますか… ここでいう『インスタント』とは何時でも何処でも何にでも単純明快な答えを求めようとする心の持ちようのことです。テレビのお笑い番組で例えればシチュエーションなんて関係なく「とにかく出てきて3秒でドカンと笑わせなくちゃダメなんだよ!」みたいな感じのね… 一言でいえば何よりも『手っ取り早いこと』を最優先させる思想です。 スピード感と臨機応変さが命みたいなね… で、そうなると『あやふやさ』や『回りくどさ』をヒドく嫌うようになります。単純明快さが命なんですよね。…

  • 正義(仮)が生み出す『殲滅戦』は人を不幸にする

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、それを他に対して行使し続けるなら波動的に荒々しく尖っていきます。 つまり、『正しいの比べっこ』というものをやればやるほど必然として荒々しい波動に染まっていくということです。 自分の「正しい!」を他者に押し付ければ心の許容量は必然的に減少し…

  • 曖昧な世界と分かりやすい答えを求めるココロ

    このブログではこれまでにスピリチュアルな『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方です。 この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。 で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。 ここでいう『自己責任論』と…

  • 憑依は最初はゆっくりジワジワと

    『憑かれる』といっても通常オカルト映画か何かみたいに異常でド派手な怪異が目の前で繰り広げられるなんてことはありません。所謂『超常現象』的なことがもし起こったとしても気のせいに出来る程度のことが多いんじゃないでしょうか? 憑かれるって現象は、大抵その人の内側からジワジワとゆっくり浸食されていくというカタチで進行していきます。水がめの中に一滴ずつポタリポタリと墨汁を垂らしていくようにね… 透明な水の色は墨汁の闇の色に少しずつ少しずつ染まっていきます。黒く染まった部分は自分では無いモノに差し替えられていくのです。 差し替えられた部分は最初元からある部分と比べてもよくよく観察しないと分からない程度しか…

  • 荒々しさの快楽と堕ちていく心

    どんな人の心にも『穏やかさ』とともに『荒々しさ』があります。それはコインの表と裏のようにニコイチのモノです。荒々しさの火をココロにつければ、手っ取り早く『前向なココロ』を得られます。例えば心が折れそうなことがあっても「何くそ! こんなことで負けてたまるか!」と怒りの炎を燃やすことで、へこたれずに済むこともあるかもしれません。 だから、荒々しさの持つある種の力強さに魅せられる人が後を絶たないのでしょう。荒々しい心というものは良くも悪くも『分かりやすい生命力の噴出』を促すからです。 でも、荒々しさを生きるための推進力として継続して使い続ければ無理が出てきます。荒々しさを推進力にするためには絶えず心…

  • いわゆる成仏と宗教的儀式の関係性

    「お坊さんが法要などで作法に則って読経をしたりマントラを唱えたりすれば亡くなられた方は『成仏』をするものだ」と一般的には考えられています。本当にそれで成仏出来るのでしょうか?多分多くの場合それは難しいんじゃないかと思います。 どうしてそう思うのかといえば先ず第一にヒーリングなどしておりますと所謂成仏していないヒトに出会うことは決して珍しいことではないからです。珍しくないというのも随分控えめな言い方なんですけどね… その多くは別に卒塔婆一つも立てられない行き倒れの無縁仏ってわけではない気がします。江戸時代以前の無宿者みたいな人たちならいざ知らずね。 現代においては、亡くなられた後、読経も法要も一…

  • 『無知』と『危険』は仲良しです

    ヒーリングなどしておりますと否応なく『様々なエネルギー』に出会います。 そういう意味で毎日が新しい発見の連続です。その全てのコトワリが分かるようになることなど一生ないのだと思います。眼に見えない世界に真摯に向き合えば向き合うほど、アマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるものです。『発見』が当たり前に転がっているからです。多分この世界には人類の知らない生き物がそこら中に当たり前に存在するのだと思います。我々のいるのは元々そういう世界なのです。 そういうっていうのは「人間の無知に基づく新発見が溢れる世界だ」ってことです。 要は、人間の中身は『膨大な無知』で出来ているのです。 誰かが眼に…

  • コダワリが強いほど心に無理が出る

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ〜ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルを上げる方法は言葉にすれば簡単です。 現在の自分より波動のレベルが高いと感じられる人・物・場所を日頃からコツコツ選んで親しむように心掛けるのです。 波動のレベルの高いモノを見極めるためのコツは、出来るだけ心をクリアーにして己が『体感』を大切にすることです。 まあ、「言うは易し行うは難し」ですがね… 具体的には、フワッと軽くてスカッと明るく感じるモノや人に親しみ、ド…

  • 無生物に入っているエネルギーに良いモノは少ない

    スピリチュアルな人々の多くがお好きなモノに所謂『パワーストーン』ってのがあります。所謂『パワーストーン』ってのに価値を見出すのは「特定の鉱物には他の物質にはない特別で強力な眼に見えないチカラが宿っているに違いない」という考え方が根底にあるからでしょう。 ただ、生物と無生物ではエネルギーの強さも量も全然違うのです。無生物のエネルギーは生物のエネルギーに比べて圧倒的に微弱です。良いとか悪いとか以前にエネルギーの強さが圧倒的に違うのです。 例えば人間の想念エネルギーの値を仮に100とした場合所謂パワーストーンと呼ばれる鉱物の値は1~2くらいです。 要は「100対1」ってことです。生き物と生き物でない…

  • 煌びやかな饒舌と体感のある言葉

    散々繰り返し痛い目にあってやっと少しだけ骨身に染みて『分かる』のが人間というものです。頭の中で考えただけでスルスル何でもピンと来るほど人間という生き物は出来が良くないんじゃないでしょうかね〜。 ただ、世の中には「ぼぼノーリスク・ハイリターン」みたいなの棚ぼたな思考をしている人が結構いらっしゃいます。 そういうほど『人間』という存在を過信している気がします。「頭で考えて知識や経験を積み上げさえすればそのうち何でもスルスルと出来るようになるはずだ」と考えがちなのです。 繰り返し申し上げますが、人間は本来そんなに『出来のいい生き物』ではないんじゃないでしょうか? あっちでぶつかり、こっちでつまづきな…

  • 現世利益と「リスクのないリターンはない」って話

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。世の中の多くの人々が想定するいわゆる神さまってのは人間に何らかの御利益を与える存在として認識されています。ぶっちゃけた話「自分に何か得になることをしてくれるのが…

  • 心霊スポット巡りと運命のロシアンルーレット

    所謂『心霊スポット』と呼ばれるような場所があります。 その中には明らかに曰く因縁がガッツリある場所もあるでしょうが、それらしく見える「ただの廃屋」みたいな場合もあるでしょう。 ただ、そういう「ただの廃屋」でも長い間使われないまま放置され、荒れ放題になっていれば波動は下がりエネルギーは澱みます。そうすればやがてそこの波動に見あったモノたちがやって来ることもあるかも知れません。 絶対じゃないですが、ガランと空いてる空間がそこにあり、波動のレベルが低い場所なら、そうなる可能性は決して低くないです。そうなる可能性ってのは、いわゆる霊的なモノと呼ばれる様々なエネルギーが寄ってくる可能性のことです。 あと…

  • どれくらい「自然で無理がないか?」が物事を見る基準となる

    西洋的なものの見方の根っこには「自然を超越した唯一絶対の神の命により人間が自然を征服する」という考え方があるように感じます。一々言及しなくてもそういう考え方がベースにはあるということです。 で、所謂スピリチュアルっていうものにもそういった西洋的なものの見方がベースにあるんだろうなと感じています。お見受けする限り大抵「何かをコントロールしようとする方法」のオンパレードだからです。 心をコントロールする「心のブロックみたいなのを解除すればそれだけでみるみるハッピーになる!」みたいな… 運命をコントロールする「ワクワクすればそれだけで良いことが何でも際限なく引き寄せられる!」みたいな… 他人をコント…

  • 人を見る目と「天狗になる」ということ

    以前『霊能者を見極める一番簡単な方法』ってタイトルて記事を書いたことがあります。まあ、霊能者に限らず、例によって例のごとく独断と偏見による『人の見方』みたいなモノですけどね。 その方法は、霊能者にありがちな特徴の有無を観察するってことです。その特徴が何かというと、所謂『万能感』についてです。 例えば「自分は霊界の真実を全てまるっと知っている! 」とか「自分は他に類を見ない超絶的な霊能力を持っているから、どんな強力な悪霊でも完璧に消し去ってみせる!」とか「〇〇神社の神様とはマブダチみたいな対等な立場で親しくしている!」とか「金色の巨大な龍がオレのバックにはついている!」とかそんな感じの『万能感』…

  • 人間には『不純物』は憑きものである

    生き物というものはエネルギーの出し入れを行うことで生きるチカラを得ています。分かりやすい例で言えば『呼吸』です。吸っては吐いてを死ぬまで繰り返しています。 でも、呼吸というのはそこら辺にある空気をざっくり吸い込むことしか出来ません。身体に良い成分のみを前もって選別して吸い込むなんて芸当は出来ないのです。 呼吸に限らずエネルギーの出し入れというのは全てそういう仕組みになっています。まとめて全部取り込んでから必要なものだけ吸収して不要なものは排泄してしまうという構造です。 どんな人であれエネルギー源として様々なモノをまとめて自分の中に取り込むという作業をずっと続けています。生まれてから死ぬまで絶え…

  • いわゆる言霊と「言葉のチカラは千差万別」ってこと

    言霊(ことだま)とは、日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。 声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。 森羅万象全てのものには波動があります。その波動はそれぞれに特有のエネルギーを生みます。 それが言葉であれば言葉としての波動エネルギーが存在します。そういう意味でいえば『言霊』というのは確かに存在するでしょう。 ただ、言葉というのは人がそれを発することによって初めて強いチカラを持ち得るものです。要は「人間の想念エネルギーが言葉にチカラを与える」ということです。例えばどんな強力な呪文…

  • 何にでも分かりやすい答えが用意されてるわけじゃない

    このブログではこれまで『根性論』というものについて度々言及してきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。 で、この根性論の仲間に『自己責任論』というのがあります。 ここでいう『自己責任論』というのは「やると心に誓って物事に当たれば、どんなことでも出来ないことはない。」という前提からの「出来ないのは出来ない奴が悪いのだ!」という考え方のことです。 つまり、「やり方さえ間違わずに努力すれば何でも出来るのが当たり前!」という発想なのです。 この「何でも出来て当たり前」という発想は「こ…

  • 言葉と呪い

    ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 一般的に使われる呪詛という言葉の意味より随分範囲が広くなっていますが、他にピッタリ当てはまる言葉も中々無いのでそんな風に使わせてもらっておりますm(_ _)m 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されている気がします。丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。 っていうかそういう『儀式…

  • 悪魔の契約と心を健やかにするクセ

    ここでいう所謂『悪魔の契約』というモノについて説明しておきます。 人外のモノに誘導され操られて何らかの現世利益(金儲けや立身出世、超自然的なチカラの取得など)と引き換えに物の怪とギブアンドテイクの関係になることです。 念のため申し上げれば、本当に『悪魔』なるモノと契約書を交わしてたりしているわけではありません。ていうかキリスト教などで偶像化されている所謂『サタン』と呼ばれるモノが実在しているとは個人的には思っていないのです。 亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生き霊などのエネルギー体、それらエネルギー体の合体した得体の知れないモノなどなどの『人外のモノ』が悪魔の契約の相手です。『悪魔の契…

  • 想像力と欠如と傲慢さの関係

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが『想像力』を養う第一歩です。逆に知ったつもりになればなるほど『想像力』を失っていきます。 『想像力』とは自分の無知を知ることから始まるからです。 「オレは何でも知ってるんだぜ!」みたいな感じの人は幾ら博識であっても『想像力』が乏しいと考えて先ずハズレはありません。 で…

  • 運命と操れる系

    森羅万象すべてのモノには波動があります。波動があるというのは常に動いているということです。 動物も植物も、地球も宇宙もずっと動いています。 人間にとっても生きるとは様々な意味で動いてるということなのです。 だから、運命ってのは相対的なモノです。 すべてのモノが各自動いてるのですから、そうならざるを得ません。 それは、世の中のモノはすべて相対的に出来ているってことでもあります。 それぞれの運命は常に絡み合い、影響を与え合いながら存在してるってことなのです。 だから、人と交わり、この世と交わることなくして運命は切り拓けないのです。 運命とはある意味『交わり』とも申せましょう。昔の人が言った『吉凶禍…

  • 霊能力と思い上がり

    世の中には霊能力と呼ばれるような類いのモノがあります。そういったチカラには大体二通りのパターンがあるように感じられます。 一つには人間が生き物として生まれながらに持っている所謂『第六感』です。 一般的には勘とか呼ばれるモノです。 個人的には勘は他の五感と並列的にごく普通に在るものだと思っています。特別な人間に与えられた特殊なチカラなどではなくね。ここで五感というのは誰もが日々当たり前に感じている感覚のアレヤコレヤのことです。それぞれに個体差はあっても人が生まれた時から持っている『感じるチカラ』全般を指しています。 第六感を含んだ人間の感覚は身体の衰えとともに劣化していきます。しかし、その100…

  • 啓蒙する人とリアルジャイアン主義

    世の中には『啓蒙したがる人』ってのが少なからずいらっしゃいます。ここでいう『啓蒙したがる人』とは他人に対して「自分が『正しい道』に教え導かねばならない!」という暑苦しい使命感を持った人のことです。 個人的には余計なお世話って風に見えますが、ご本人たちは至って真剣です。またその真剣さゆえに暑苦しいのですけどね…人は「周りの人間より自分の方が物事の在り方をよく分かっている!」という根拠のない信念を持ってしまいがちな生き物です。 そして、そうなると「無知蒙昧な人間たちを自分こそが啓蒙すべきである!」というアグレッシブな義務感が心に湧き上がってくるのです。 「自分と同じココロの色に周りの人たちも染め上…

  • ナニカを貰えばナニカを持っていかれる悪魔の契約

    ここでいう所謂『悪魔の契約』というモノについて説明しておきます。人外のモノに誘導され操られて何らかの現世利益(金儲けや立身出世、超自然的なチカラの取得など)と引き換えに人外のモノとギブアンドテイクの関係になることです。念のため申し上げれば、本当に一般に言われるような『悪魔』なるモノと契約書を交わしてたりしているわけではありません。ていうかキリスト教などで偶像化されている所謂『サタン』と呼ばれるモノが実在しているとは個人的に思っていないです。 亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生き霊などのエネルギー体、それらエネルギー体の合体した得体の知れないモノなどなどの『人外のモノ』が悪魔の契約の相手…

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