最後の職場にケツをまくって退職届を叩きつけて、隠居生活に入り、早1年が経とうとしている。退職して数カ月ほどは、家に引きこもって「引きこもりの愉悦」みたいなものを味わっていたのだが、その後(前年の暮ごろ)人恋しさを急に感じ始めて、社交ダンス教室などに通い始
60歳で定年、その後4年程再雇用で働きましたが無念の中途退職。40年間働いてきた独居老人が仕事を辞めるとどういう境遇、心境になるのか等を中心に語りたいと思います。生活の基本は読書なので、忘備的にその簡単な感想も書いていきたいと思います。
仕事を辞めてまで「やりたいこと」はあっただろうか?リタイア後それは見つかるのだろうか?
60歳で定年を迎え、その後短時間再任用として働き、3年半が過ぎようとしている。再任用の半ば約束された雇用期間は5年。つまり残りあと19か月ほど。いろいろと紆余曲折があったが、私もいよいよ完全リタイア=隠居生活にはいるのだ。しかし我ながら不思議に思うのは、
松屋のウナギが早くも終わってがっかり/系列のマイカリーのお味は
前年度、松屋の株主優待券をギリギリで何とか使い切って、その有効期限(毎年6月末)ま近に駆け込んだ松屋で、思いもかけず季節限定のウナギを食べられたことは以前書いた。おそらく夏の季節いっぱいは松屋のウナギは食べられるだろう・・それまで少なくとも2回は食べるつ
オーストリアの作家ゼーターラーには、以前読んだ小説『ある一生』でとても感銘を受けた。ニューヨーク、パリ、ロンドンなどの大都会を舞台にした小説では味わえない、素朴な人々を素朴な筆致で描いたその作品にとても懐かしいものを憶えたものだ。この『野原』は、その作品
私の家には、生まれたての子猫の額ほどの小さな裏庭がある。家を建てて30年以上が経過したが、ほんの数年前までは倉庫を置いていただけで、何の活用もしていなかった。当然雑草は生え放題。春になるとドクダミ畑。(笑)ところで2年度ほど前に、立て続けに3回に行った京
私の職場は定年後、希望すれば65歳の年度末までは、ほぼ再雇用が保証されている。もうすぐ64歳になる私の場合、その残りは1年と7か月ほど。定年後、ズルズルと半ば惰性でここまで(3年半ほど)働いてきたのだ。(約3年半前、再雇用先で初出勤したことを祝う)それ以
ほとんど短編小説だけを書き続けてノーベル文学賞を受賞した作家というのは少ないのではないか。カナダ人作家アリス・マンローはその数少ない例と思われる。(2013年ノーベル文学賞受賞)この本には8編の短編が収められているやはり圧巻なのは、本のタイトルでもある『
山登りは、昔の私の趣味の一つであった。今は足腰に自信がなく、登山靴をはかなくなってもう何年経ったことだろう。登山と言っても、さほど本格的なものでもなく、せいぜい九州内の標高2000mもない山である。そんな「低山徘徊」主義の私であるが、中国では有名な山、絶
64歳の誕生日まであとわずか。最近目に見えて、食事の量が減ったように思う。それは、いくつかの現象として実際に現れている。1)毎日の炊飯量数カ月前までは、毎日1.4号のご飯を炊いていた。(一人暮らし老人である)夜にタイマーをセットして朝7時ぐらいに炊き上が
とても簡潔な文章、そしてとても分かりやすい筋立てである。それには理由があって、この小説は作者の母(アルメニアからの移住者で英語が得意でない)に読んでもらうために書かれたものなのだ。しばらく現代文学を読んでいて、ずいぶん読むのに骨を折った小説にも出くわした
(バイエル程度で弾ける小曲集をいったい何冊買ったことか・・。)コロナ後ずっと続いていた、耐えられないほどの倦怠感の原因が、おそらく酒の飲みすぎが原因ではないのか。そう考え、その後節酒に心がけるようになったことは以前書いた。おかげで体調が目に見えて回復した
コロナに感染し、足の痛みに襲われ大変な思いをしたことは以前書いた。そして、それが収まったかと思えたその後、とてつもない「倦怠感」「疲労感」に襲われたことも書いた。カウントナインで立ち上がったフラフラのボクサーみたいに、朝ベッドから立ち上がり、鉛のように重
物語の出だしは極めて普通の家庭の情景である。メキシコと国境を接するアメリカ・ニューメキシコ州で牧畜を営むビリー一家。両親とビリー、それに弟のボイドの4人家族の平和な生活である。ところが、最近付近の牧場に狼が出没し、牛が襲われる事件が発生する。狼はメキシコか
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最後の職場にケツをまくって退職届を叩きつけて、隠居生活に入り、早1年が経とうとしている。退職して数カ月ほどは、家に引きこもって「引きこもりの愉悦」みたいなものを味わっていたのだが、その後(前年の暮ごろ)人恋しさを急に感じ始めて、社交ダンス教室などに通い始
歳を取れば、だれでも体力が衰えるし、体のあちこちに異常をきたすものである。それは、徐々にやってくるものもあるのだろうが、ある時を境に明確な「節目」という形をとって顕現する時を迎えるのではないか。そしてそれはいわゆる「ガタが来た」と言う言葉で言い表せるもの
長年愛用してきたスマホを不注意から落としてしまって、ガラスが割れてしまった。とても愛用してきたスマホなので、大ショック。(涙)買ってからおそらく5年は経っていると思うので、どっちみち買替を検討する時期に来ていたのだろうが。私が愛用してきたスマホは中国のフ
サラリーマン人生最後の出勤日から間もなく1年が経とうとしている。最近・・1カ月ほど前から、心境の変化を感じている。それまでの10か月ほどの間、朝起きて必ず心に感じたのは・・「仕事に行かなくていい」という不思議で愉快な感覚であった。それが、1カ月ほど前から、
リタイア老人にとっては、ぼったくりと喧噪の時期にしかすぎないGWも過ぎ去った。家に籠るのが最善の策と思える「過ぎ越しの祭り」も、やっと終わったのだ。さあ、これから旅に出るぞ!・・しかし、残念ながら体調があまり芳しくない。体が異常にだるい。この季節の変わり目
ゴールデンウィークというもの、日ごろ長期間の休みがとれないサラリーマンにとって、とても貴重な正に黄金の価値を持つ期間であった。現役時代の私もこの期間、まさか家にじっとしているわけにもいかず、なんとかこの貴重な連休を最大限有効に使おうと焦りに焦ったものだっ
ほんの一昔前はコメ5㎏は、概ね2000円であった。私は少し贅沢して2400円ぐらいのコメを食べていた。一人暮らしだし、加齢とともに食が細り、コメぐらい少し贅沢してもいいかな・・と思っていたのだ。次はどの銘柄を買おうかな~♪と、むしろ米櫃が空になるのを楽し
リタイアして半年ほど経過したころ人恋しくなったこともあり、昨年暮あたりからいくつかのサークル・講座に参加している。いろいろな人と出会いがあり、中には親しく交友させていただいている方もできたのだが、その中で最も強烈ともいえる出会いは、それはS氏との出会いであ
【旅5日目】丸1日を使える実質旅行最終日のこの日をどう使うか、とても迷う。本当は船釣りでもしたかったのだが、システムがよく分からない。それに昔沖縄本島で船釣りをしてボウズだった苦い経験もあるのだ。この旅で毎日のように何時間も海を見てきたが、そういえば海を
私はこのブログで度々「投資とはバクチに他ならない」という趣旨の記事を書いてきた。「資産運用」という言葉も、穏やかながらも同様にバクチであると私は思っている。仮に投資で儲かったとしても、今度は額に汗して働くことも、質素倹約に努めることもばからしく思えてくる
(吸い込まれるように美しい石垣島・川平湾の海)【旅4日目】昨日、疲れから電気つけっぱなしで寝入ってしまったので、眠りが浅かったのか、目覚めが良くない。体がだるいし、頭もカスミがかかっている様な感じだ。普通の人なら、「今日は休養日」と、ホテルでゆっくり静養
(チャリで博多駅に向かう途中で見た桜)前にも書いたが、リタイア後10カ月も経とうというのに、いまだにこのリタイア生活という異世界とも言うべき時空間にたゆたよっている感覚が不思議に思えてならない。ほとんど毎日、「今日も自由」、「今日も仕事しないでで済む」と
(由布島から西表島へ牛車で戻る。島唄がとても心地よい。)【旅3日目】今日は西表(イリオモテ)島に行こう。数年前にネコ好きになった私が、まさかイリオモテヤマネコが生息するこの「東洋のガラパゴス」を外すわけにはいかない。竹富島に比べたら面積も広大で、起伏のあ
(竹富島・西桟橋にて)仕事を完全に辞め、リタイア生活に入ったからには、どこに何日旅しようと全く自由な人生が手に入る。思いっきり世界を彷徨できる!・・と若いころは思っていた。少なくとも、58歳の時点ではそう思っていた。しかし、リタイアの時期が遅きに失したと
60歳で定年を迎え、その後再雇用となり、その(保証されていた)5年の雇用期限が今月(3月末日)である。何とか再雇用4年間を無事勤め上げ、最後の1年もその手慣れた仕事、悪くない職場環境で勤め上げ、何の心残しもないまま、この3月で「有終の美」を飾るはずであった
私は大学を卒業すると同時に就職し、その後職を変えることもなく定年後もしばらく再雇用として働き続け、延べ40年余りサラリーマンとして生計をたててきた。転職も副業もしたことはないので、確定申告などは全く無縁であった。32年ほど前に家を建てた時「住宅ローン控除
前の記事でタブレットが紛失したことを書いた。そのタブレットが思いもかけず無事戻ってきた。落としたと思える心当たりの施設、バス車内にはそれぞれ間をおいて2回ずつ確認したのだが、いずれも届はなかったという。一縷の望みを託して、気休めまでに警察に届を出していた
①テニスラケットのガットが切れる先週久しぶりにオートテニスに行った。私はそこの回数券を買っていて、その利用期限が迫っていたのだ。体調も比較的良好で、これならコイン5枚分(400球)何とか打てそうだ。しかし、いざボールを打ち初めて見ると調子が良くない。ブラ
ダンス教室で知り合ったAさん。私より10歳ほど年上であろうか。まだとてもお元気で、少なくとも私よりははるかに闊達にダンスを楽しんでいらっしゃる。ひとダンス踊った後、私なんか疲れて椅子に倒れ込むようにして休憩するのだが、Aさんは余裕綽々。休憩中にも立ちっぱな
ガス工事(13万ほどの出費)が終わったら、来る3月は2年に一度の車検である。年金生活に入り、その支給金額も徐々に確定しつつあり、通常の生活費は年金で賄える自信はついたのだが、こうしたイレギュラーな出費、忘れたころにやってくる大きな出費は、年金生活者にはと
6月まで私は在職扱いなのであるが、有給休暇を使えばもう仕事する義務は全くない。実際、最後の勤務日(5月2日)以降、6月に最後の半日職場に顔を出した以外は、全く出勤していないし、実質リタイア生活に入って1か月半ほどが過ぎてしまった。リタイア後はとても「ハッ
定年後再雇用の最後の1年、まさかの驚愕の人事異動。その精神的動揺、そしておそらくその影響もあったはずの体調不良。5月、6月の両月で出勤したのは、わずか2日間。(いずれも午前中だけ)それ以外は、ほとんど家に籠り、「寝たきり老人」状態であった。外出と言えば、
いまから40年前大学を卒業して以来、途切れることなくサラリーマンとして働いてきた。長期間の休職などもしたことはないので、この間1回の例外もなく毎月もらい続けてきた給料・・これが仕事を辞めるともらえなくなる・・当然ながら。今後一時的に短期アルバイトをするこ
5月上旬に出勤して以来、約1か月ぶりの出勤。膝の痛みが尋常でなく、歩行困難なため、途中から「病休」に切り替えた。私が想定している退職日は6月末日で、その結果、その日まで年休を消化したら実は出勤する必要は全くないのだ。しかし、私が提出した退職届が、今どうい
40年間のサラリーマン生活で、辛いことはたくさんあった。仕事を辞めればどれだけ楽になることかといったい何十回思ったことであろう。しかし、あらゆる仕事上(主に人間関係)の艱難苦難に直面し、「もう無理」という思いを何十回となくギリギリ耐え忍び、今に至るまで4
職場からメールで退職に伴う諸手続に必要なフォームが送られてきた。いよいよサラリーマン人生も終わりを告げる・・という実感が増してきた。「リタイア後の闇」・・について前回記事を書いた。私は人一倍多趣味であるという自負がある。よく「リタイア後に備えて趣味を持ち
私ほど「リタイア後」の生活に、「闇」みたいな予感を感じていた人はそんなにいないのではないか。できれば早めにリタイアして、多忙でストレスマックスな仕事から解放され、「自由な」生活ができたらどんなに気持ちがいいだろう・・と思いつつ、必死に仕事に耐えている人も
本来私は今年度末(2025年3月末)で退職する予定であった。それまで再雇用職員として4年間勤めてきた職場で、雇用期間(5年が限度)最後の1年を、もてる力を出し切って「完全燃焼」しつくしてリタイアすること・・これが約束されているものと何の疑いもなく思っていた
先週土曜日に突然襲った右ひざの痛み。「魔法の注射」の効果もほとんどなく、日常生活がギリギリできるぐらいの生活が続いている。いったん膝を曲げ、それを延ばそうとするとき、激痛が走る。これもワニの祟りか、人をワニ呼ばわりした祟りなのか。膝を曲げる行為すべてで、
驚愕の人事異動のころから痛み出した足と右ひざの痛み。タイミングから考えて、もしかしたらストレス性のものかも知れない。その後GWからの有給休暇消化に入り実質リタイア生活。時間のほとんどを読書に費やすなど、安静にしていたのだが、この日は右ひざの痛みで目が覚める
退職届提出、退職面談も4月中に終わった。GW半ばの5/2は久しぶりの出勤日。この日はワニ上司が休みで、いわば留守番としての出勤。何と伸び伸びとした職場環境だろう。改めて私の大きな退職動機がワニ恐怖症によるものであることを実感する。さて、今後の事であるが・・
退職届を出した翌週明け、所属する部所のボスとの面談があった。直属の上司であるワニのN氏は、その爬虫類性を遺憾なく発揮して、感情をほとんど表さず淡々と私が手渡した「退職届」を受け取り、それをさりげなくボスであるM氏に手渡したのであった。N氏がワニなら、その上に
前の記事に書いたとおり、4/28(金)の昼前11時半頃「退職届」を直接の上司であるワニのN氏に手渡した。そして、その日は午後は半休を取り、職場近くの福岡市の中心街を彷徨する。正に彷徨(もしくは徘徊)であった。何を目的とするわけでもない「うろつき回り」。その
昨日4/26(金)、朝起きたらとても体がだるい。しかし今日午前中は外せない仕事があるのだ。例によってカウントナインで立ち上がるボクサーのようにベッドから立ち上がり、仕事に向かう。与えられた仕事を何とかこなした後、また仕事の方向性が掴めない虚無感が襲う。「
再雇用最終年で夢にも思わぬ驚天動地の人事異動。何とか自分をごまかしごまかし、爬虫類上司N氏のワニ・スペシウム光線攻撃をのらりくらりとかわしながら、4月分の異動後初の給料をもらった。この間、途中退職や高齢者雇用に関するYOUTUBEなどを随分見てきたが、(本当かどう
来年3月下旬までの再雇用期間最後の1年を迎えようとしている64歳のジイサンに対しての、明らかに異例な理不尽極まりない人事異動の言い渡し。その言い渡し直前まで、私のリタイアまでの道筋は何と見通しがよく、なんと平坦な道が連なっていたことであろう!残り1年、4年
発作的に「退職願」は書いたものの、これを何時提出したらいいかなかなかタイミングが掴みにくい。法律的には2週間前までとか、1か月間前とか、出来れば3か月間前とかいう情報もある。私の理想は9月5日で退職することだが、だとすれば3か月前の6月上旬に同日付けの退職願を
この新しい呪いのような職場に来て約1週間が経過した。時がたてば経つほど、早期退職の決意は固まる一方だ。この決断に至った要因は複合的なものである。しかし、たった一つの要因さえなければ、その他の理由を昇華して目をつぶって、もしかしたらあと1年頑張って、晴れて5
(ドナル・ライアン『軋む心』)4/1に新しい職場に初出勤。職場の近くに桜が咲いている。しかし、今年の桜ほど心ときめかないサクラは見たことがない。サクラの花は見ようによっては、寂しいものだ。それは、まもなく散ってしまうことを予感させる寂しさを裡に内包してい
(4年間、通勤で苦楽を共にしてきた自転車)私の理不尽極まりない人事異動の原因らしきものは分かった。もうこうなったら、転勤先で1年頑張りとおすしかない。何しろ私に与えられている雇用期限は、あと1年なのである。木曜日に転勤先の前任者から電話があった。最低限のすぐ