「かにママABA療育日記」第15作です。 妻の療育マンガは1年4カ月ぶりです。昨年は、妻はPTA役員としての活動や商業団体、町内会の用務が重なって多忙でしたし、ぼくも資格試験があったりと、慌ただしい一年でしたが、今年度に入ってからは夫婦ともちょっと心身に余裕が出てきました。 このマンガは「つみきの会」に入ったばかりですので、息子が2歳、今から10年前の頃の話です。見ていると、妻が一番苦しんでいた時期を思い出しま
「重度自閉症」「重度知的障害」と診断された息子の子育てや日常生活などをつづっています。息子は現在、特別支援学校中等部1年。2歳で診断を受け、ABA(応用行動分析)に基づく家庭療育を続けています。新潟県在住。「つみきの会」メンバー。
「重度自閉症」「重度知的障害」と診断された息子(2011年生まれ)との日常生活や療育などについて、夫婦で書いていきます。息子は非常にゆっくりと、しかし着実に「できること」が増えてきていて、将来のことを悩み始めたらきりがありませんが、いまは夫婦共々、たぶん息子も「幸せ」です。
2年5カ月後に控えた支援校中等部への入学に備え、コミュニティバスに乗る練習を始めた
息子を市内の支援校(新潟県立新発田竹俣特別支援学校)の中等部に通わせるため、バスに乗る練習をしなきゃいけないという話を2カ月前に書きました。https://lovebeer-loveshibata.com/rehabilitation/to-the-suburbs/ ようやく初練習をすることができました。 生徒が通学に使っているのは、 新発田市が運営(バス事業者に運行委託)しているコミュニティバス(川東コミュニティバス)で、市のサイトに載っている
入所者家族が事件後に強めた社会への不信〜やまゆり園障害者殺傷事件より003
この事件を起こした死刑囚は19人の障害者を殺害し、27人が負傷させました。結句、公判では大半の犠牲者、被害者が甲さん乙さんと、年齢も性別も伏せられて紹介された。その異様さが、この社会における障害者差別の深刻さを示していた。「パンドラの箱は閉じられたのか〜相模原障害者殺傷事件は終わっていない」(月刊「創」編集部編、創出版)P24より 警察が事件についてマスコミに広報する際は被害者、加害者といった当事者を実名で発表するのが通例とされているそうですが、この事件につ
事件により社会が後退し、当事者が身の危険を感じる場面が増えてきた〜やまゆり園障害者殺傷事件より002
当たり前ですが、この事件は障害当事者に計り知れないショックを与えました。 事件を扱った本から抜粋・引用します(改行、太字、蛍光マーカーは筆者)。 でも、そのまま日常生活を送っているうちに、どんどん具合が悪くなってきて。最初は「風邪でも引いたのかな」と思っていました。 いつもの通勤ルートを、車椅子で向かうのですが、向こうから歩いてくる知らない人に、すれ違いざまに殴られるんじゃないかという恐怖心が突然わいてきたんです。「この国の不寛容の果てに〜相模原事件と私たち
ずっと憐れみの対象だった「障害者」が皇族と並べられ、うらやましがられ嫉妬され八つ当たりされる存在になってしまった〜やまゆり園障害者殺傷事件より001
相模原市のやまゆり園障害者殺傷事件に関する本を先月(2021年9月)末から読み始め、もう少しで9冊目が終わるところです。 事件関連の本に出てきた支援団体や当事者、専門家の方が書いたものも何冊か手元に揃えましたので、これからは事件に直接関係ない本も読んでいく予定です。 これだけ大きな事件でもあり、障害当事者や当事者家族、支援者をはじめジャーナリスト、有識者、学者・専門家といったさまざまな属性の方々が多くの側面から分析や解釈をされています。 一方で、これらの本で
トイレトレーニングがほぼ終わり、6年半に渡って苦楽をともにしてきたウォシュレット便座を取り替えた
先月、「息子のトイレトレーニングが終盤にさしかかっている」という話を書きました。https://lovebeer-loveshibata.com/rehabilitation/almost-over/ わが家のトイレは、息子のトイレトレーニングとともに歩んできました。 樹脂部分の全体に広がった宿命的な変色と、月に1回ぐらいのペースで突然漂う「謎のアンモニア臭」は、これまで繰り広げられてきた数々の激闘を伝えるレガシーとして存在し続けてきました。
新型コロナウイルス感染症の自宅療養でも医療保険の入院給付金は出るようです
息子の療育とは直接関係がありませんが、また新型コロナウイルスの話です。感染者の体験談は需要が高いようですので、今回も。 ぼくがコロナで入院した際の入院給付金は、保険会社からスムーズに支払われました。なのですが、自宅療養だった妻の場合はどういう扱いになるのだろうか。 ぼくが既にコロナで入院しているため、陽性が出た妻としては、濃厚接触者(のちに感染者)の息子の面倒を見なきゃいけないため、自宅療養しか選択肢がありませんでした。 また、この頃は第5波のピーク
親や教師が近くにいなくて一人でいる時の方がちゃんと課題に取り組むことが分かった
息子の学校は休みだけど、妻は日中にパート勤務があり、ぼくは夜勤明けで起きるのが遅いーという生活パターンになることが月に1回ぐらいあります。 妻が家を出る午前8時半ごろからぼくが起きる午前10時すぎまでの間は実質的に、息子が一人になります。 以前はこの1時間半〜2時間の留守番タイムに実家から親に来てもらっていました。 最近では、妻が出掛ける前に「ととは11時に起きる」と伝え、「漢字の書き取り」「算数ドリル」「教科書の音読」「塗り絵」「パズル」といった課
泣かないで「イスに座る」ことができるようになるまでに5日間、これでやっと療育のスタートラインに立てた〜自閉症子育てマンガ「かにママのABA療育日記」009
「かにママABA療育日記」第9作です。前回の続きで、ABA(応用行動分析)に基づく家庭療育を始めたばかり2歳半の頃、「イスに座る」という行為が日常的にできるようになるまでの道のりを描いています。https://lovebeer-loveshibata.com/rehabilitation/manga008/ 息子はもうすぐで9歳10カ月です。泣かずにイスに座ることができるようになったこの日が、現在まで7年以上続けているAB
相模原市「やまゆり園障害者殺傷事件」の発生から5年が過ぎ、ようやく事件に関する本を読もうという気になった
神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に元職員の男が押し入り、障害者19人が殺害し27人が負傷させた事件の発生から5年と2カ月と数日が経過しました。 もうそんなに経ったのか。 障害児の親としては人ごとではない、極めて恐ろしい事件でしたが、あまりにも衝撃が強かっため、事件についてできる限り考えないように過ごしてきました。 新聞は斜め読みで、テレビは意識的に観ないようにしていました。もともとテレビを観る習慣が薄かったのですが、この事件を機にほと
相模原市「やまゆり園障害者殺傷事件」の発生から5年が過ぎ、ようやく事件に関する本を読もうという気になった
神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に元職員の男が押し入り、障害者19人が殺害し27人が負傷させた事件の発生から5年と2カ月と数日が経過しました。 もうそんなに経ったのか。 障害児の親としては人ごとではない、極めて恐ろしい事件でしたが、あまりにも衝撃が強かっため、事件についてできる限り考えないように過ごしてきました。 新聞は斜め読みで、テレビは意識的に観ないようにしていました。もともとテレビを観る習慣が薄かったのですが、この事件を機にほと
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「かにママABA療育日記」第15作です。 妻の療育マンガは1年4カ月ぶりです。昨年は、妻はPTA役員としての活動や商業団体、町内会の用務が重なって多忙でしたし、ぼくも資格試験があったりと、慌ただしい一年でしたが、今年度に入ってからは夫婦ともちょっと心身に余裕が出てきました。 このマンガは「つみきの会」に入ったばかりですので、息子が2歳、今から10年前の頃の話です。見ていると、妻が一番苦しんでいた時期を思い出しま
支援校中等部への登下校はバスのため(しつこい)、4月上旬の入学式以来、一度も学校に行っておりません。妻は先日、保護者面談で行ってきましたが、近所の小学校に通っていた6年間はずっと妻かぼくが一緒に登下校していたので、いまだに不思議な感覚です。 小学生の頃は、妻が5年間ずっとPTA役員をやり、図書館ボランティアを続けていたことから、学校とは極めて濃密な付き合いで、ぼくもそれなりに顔が知られていたようです。 ぼくは夜勤を含むローテ勤務のため、平日休みのことも多く
もういなくなってしまいましたが、先月の上中旬にかけ、家の近所にずいぶんと鳴くのが上手なウグイスが居ついて、楽しませてくれました。田舎とはいえこんな住宅街には珍しい。 今回は、息子の「鳴き声」について。「泣く」ではなく、「鳴く」。 こちらは昨日サイクリングに出かけた際に録音したものです。 この「鳴き声」を発するようになったのは半年ぐらい前からで、それほど声が甲高くない息子が、裏声?を使って「ぴよ~ん」と発声しています。ぼくも、真似しようとずっ
いよいよゴールデンウイークも後半!というか、ぼくの場合はローテーション勤務でカレンダー関係ないのですが、ようやく休みに入りました。市内のホームセンターには野菜苗が大量に出回り、そろそろ買ってきて庭の家庭菜園に植えないと出遅れてしまいます。 ことし何を植えるか、ラインナップをまだ決めていませんが、「これだけは二度育てない!」という野菜ははっきりしています。備忘録も兼ねてそれらを挙げていきます。イラストは、AI(Microsoft Copilot)に描いていただきまし
息子が支援学校中等部に入って3週間が過ぎました。それなのに、親はというと、まだ飽きずにバス通学の話をしています。この世は美しい。なぜなら、バス通学があるからバス通学はリリンが生んだ文化の極みだね 下の言葉は、エヴァオタじゃないと意味不明かと思われますが、説明は省略いたします。バス通学がうれしすぎて夫婦ともども「頭がいかれている」ことさえ伝われば十分ですので。 サイトを整理していたら、2年半前に書いた記事を見つけました。ht
われわれ家族が住んでいる市の祭りは毎年、8月末に3日間の日程で行われます。で、小規模ですが町内会の神輿渡御が祭り初日に合わせる形で催されます。そうなのです、社労士試験ともろにバッティングするんです。 初めて受験した一昨年(2022年)、祭り担当の町内会役員の方に電話しました。神輿の日の前後にちょうど県外で用事がありまして、地元を離れますので、ことしは参加できません。申し訳ないです m(__)m この年は不合格で、「早く受からないと、いつまでたっ
新卒で今の会社に入って20年間ずっと外勤でした。交換した名刺はすべて、もらった順にナンバリングしてJpeg画像に変換して保管してあります。 6000枚超あります。このうち、社労士の肩書が入っている名刺は、20世紀末に仕事でお世話になった方の1枚だけです。調べ直しておりませんが、はっきり記憶していて間違いありません。 この方はもうお亡くなりになっていますが、当時は市会議員でその関係でやり取りしただけで、社労士の業務について話題にしたことはありません。身内にも
新卒から現在まで続けている仕事に関連した業種でフリーランスor起業というのを将来の選択肢から消して、「障害者福祉系」という方針を定めたのはいいんだけれど、今までの職歴を捨てたアラフィフの全裸中年男性に今さら何ができるのか? いま流行っているみたいだし、放課後等デイサービスの経営とかはどうか? グループホームみたいな福祉系アパートはどうか? でも経営とかの知識はないし資格もないし、そもそもカネがないからなぁ。宝くじが当たるか大地主に転生すれば可能か。だけど
「アムステルダムの朝は早い」なんてコピーを使ったインスタントコーヒーのテレビCMが昔ありましたが、どこの国だろうと都市だろうと朝は早いわけで、これは今で言うところの「進次郎構文」(小泉進次郎さんがいかにも使いそうな言い回し)の「走り」だったという位置づけになるかもしれません。 「アムステルダムの朝は早い」に匹敵する「当たり前のことだから言われなくて分かっているわ!😤」ってのに、「障害児の親にリタイヤはない」があります。ええ、ぼくは死ぬまで息子の面倒をみますし、死ぬ
前回の⓪とは別の観点から書いてみます。 障害者、とりわけ知的障害者は「流動性に乏しい」と言われることがあります。 生まれた街で親とずっと暮らし、親が転勤族(死語か?)で一緒に引っ越しを繰り返す方もおられるでしょうが、多くは生まれたまちでそのまま年を重ね、「ついのすみか」として決めた施設が遠方にあれば引っ越してそこで生涯を終えるーというケースが一般的なのではないでしょうか。 わが息子に引き付けて考えてみても、自動車の運転免許を取る可能性はないでしょう
以前も書いたような気がしますが、社労士試験に向けた学習を始めた2年以上前からこのブログはほったらかしにしていました。その間は旧Twitterがオンライン上の主な居場所となり、息子の子育てのことなども、そちらに書いてきました。 合格して少し時間に余裕ができてブログを再びいじり始め、リニューアルして「労働・社会保険、福祉」「資格・学習」と新たなカテゴリーも新設したため、それに合わせた記事も書こうと思います。これがその1本目です。 このブログを以前からご覧になっ
息子が市内の特別支援学校中等部に通い始めて4日が経ちました。 これまでは自宅から歩いてすぐの小学校で、同じ顔ぶれの同級生と6年間過ごしてきました。それゆえ、学校が遠いわ知らない人ばかりだわでストレスをため込み、不安定になるかもと覚悟していましたが、全くそんな様子はありません。さすがサイクリングで鍛えているだけあるわ。 またバスの話です。 妻はといえば、バス通学が許可されたことがうれしすぎて、家で5分おきぐらいに「バスに乗って学校に向かっているんだね
息子は無事に市内の支援学校中等部に入学することができました。 「地域の子どもたちと同じ場所で過ごす経験を」ということで、小学校は自宅から歩いて3分の小学校(支援学級)に通わせました。これまでの6年間は大勢の健常児に交じる形でしたが、これからは生徒みんなが何らかの障害があって、先生方やスタッフも「障害児・者と関わるプロ」ですので、いろいろと安心です。 近所の小学校(支援級)から市内の支援校中等部というコースは息子を小学校に入ったことから決めていましたが、妻と
1月に受けた発達検査の結果を聞きに、自宅から100キロほど離れた医療機関(療育園)へ家族3人で行ってきました。帰りに職場に寄ってそこから夜勤でしたので、なかなかハードな1日でした。 結果としては、知的障害は重度ということで、評価は変わっていませんでした。この医療機関で5年前に受けた時より発達年齢が1歳ちょっと上がっていたので、息子はこの5年間で健常児換算すると1年分の成長をしたことになります。 結果自体は、親として常に接している中で「実感通り」といったところ
数日前、息子とサイクリングロードを走っていたら、聞いたことがない呪文のような言葉を繰り返していました。うっすらとメロディーも付いていました。 「君が代」でした。そうか、卒業式の練習で覚えたのか。「苔のむすまで」の部分だけヘビーローテーションしていましたので、全体を通して歌えるようになったのかは分かりませんが… 早いもので、息子が近所の小学校(支援級)に通ってもう6年となりました。 障害の種類も傾向もいろいろですので、比べても意味はないのですが、この
先日コメントをいただいたのを機に、5カ月ぶりぐらいにWordPressを開いてみました。 このブログを立ち上げてから数年が経ち、息子も再来週には小学校(支援学級)を卒業し、来月からは支援学校中等部に進みます。親の加齢と比較して、子どもの成長は早いものです。 ブログを立ち上げ、定期的に記事を書いていた当時とは、取り巻く状況が大きく変わってきています。 息子はもう12歳で、「早期療育」という年齢はとっくに過ぎております。とはいえ、妻は療育的アプローチは続
先日コメントをいただいたのを機に、5カ月ぶりぐらいにWordPressを開いてみました。 このブログを立ち上げてから数年が経ち、息子も再来週には小学校(支援学級)を卒業し、来月からは支援学校中等部に進みます。親の加齢と比較して、子どもの成長は早いものです。 ブログを立ち上げ、定期的に記事を書いていた当時とは、取り巻く状況が大きく変わってきています。 息子はもう12歳で、「早期療育」という年齢はとっくに過ぎております。とはいえ、妻は療育的アプローチは続
サイトのメンテナンスをしたついでに、もう1本書いてみます。 ことしの春、息子は初めて美容院で髪を切ることができました。2歳から家庭療育を始めて9年余、偏食はほぼなくなりトイトレも完全終了しましたが、「髪を切る」はずっと進展がありませんでした。 偏食ややトイレに比べ、それほど切羽詰まっていなかったため、「是が非でも」という気持ちが薄かったということもあります。 息子の散髪については、過去にも書いたことがあります。https://lovebee
前回の投稿から約半年ぶりになりました。ことしの8月下旬に社会保険労務士(社労士)試験を受け、今月上旬に合格が発表され、ようやく落ち着いてきました。 試験勉強を始めた2021年末から常に「心ここにあらず」といった状態が続いていて、子育てブログを書く心理的余裕がなく、ほかにもいろんなことをほったらかしにしていました。ようやく日常が再開され始めた感じです。 社労士に関しては、身近に資格を持っている人もおらず、全くなじみのない分野だったのですが、「息子が20歳になっ
前回の投稿から約半年ぶりになりました。ことしの8月下旬に社会保険労務士(社労士)試験を受け、今月上旬に合格が発表され、ようやく落ち着いてきました。 試験勉強を始めた2021年末から常に「心ここにあらず」といった状態が続いていて、子育てブログを書く心理的余裕がなく、ほかにもいろんなことをほったらかしにしていました。ようやく日常が再開され始めた感じです。 社労士に関しては、身近に資格を持っている人もおらず、全くなじみのない分野だったのですが、「息子が20歳になっ
支援校中等部への登下校はバスのため(しつこい)、4月上旬の入学式以来、一度も学校に行っておりません。妻は先日、保護者面談で行ってきましたが、近所の小学校に通っていた6年間はずっと妻かぼくが一緒に登下校していたので、いまだに不思議な感覚です。 小学生の頃は、妻が5年間ずっとPTA役員をやり、図書館ボランティアを続けていたことから、学校とは極めて濃密な付き合いで、ぼくもそれなりに顔が知られていたようです。 ぼくは夜勤を含むローテ勤務のため、平日休みのことも多く
もういなくなってしまいましたが、先月の上中旬にかけ、家の近所にずいぶんと鳴くのが上手なウグイスが居ついて、楽しませてくれました。田舎とはいえこんな住宅街には珍しい。 今回は、息子の「鳴き声」について。「泣く」ではなく、「鳴く」。 こちらは昨日サイクリングに出かけた際に録音したものです。 この「鳴き声」を発するようになったのは半年ぐらい前からで、それほど声が甲高くない息子が、裏声?を使って「ぴよ~ん」と発声しています。ぼくも、真似しようとずっ
いよいよゴールデンウイークも後半!というか、ぼくの場合はローテーション勤務でカレンダー関係ないのですが、ようやく休みに入りました。市内のホームセンターには野菜苗が大量に出回り、そろそろ買ってきて庭の家庭菜園に植えないと出遅れてしまいます。 ことし何を植えるか、ラインナップをまだ決めていませんが、「これだけは二度育てない!」という野菜ははっきりしています。備忘録も兼ねてそれらを挙げていきます。イラストは、AI(Microsoft Copilot)に描いていただきまし
息子が支援学校中等部に入って3週間が過ぎました。それなのに、親はというと、まだ飽きずにバス通学の話をしています。この世は美しい。なぜなら、バス通学があるからバス通学はリリンが生んだ文化の極みだね 下の言葉は、エヴァオタじゃないと意味不明かと思われますが、説明は省略いたします。バス通学がうれしすぎて夫婦ともども「頭がいかれている」ことさえ伝われば十分ですので。 サイトを整理していたら、2年半前に書いた記事を見つけました。ht
われわれ家族が住んでいる市の祭りは毎年、8月末に3日間の日程で行われます。で、小規模ですが町内会の神輿渡御が祭り初日に合わせる形で催されます。そうなのです、社労士試験ともろにバッティングするんです。 初めて受験した一昨年(2022年)、祭り担当の町内会役員の方に電話しました。神輿の日の前後にちょうど県外で用事がありまして、地元を離れますので、ことしは参加できません。申し訳ないです m(__)m この年は不合格で、「早く受からないと、いつまでたっ
新卒で今の会社に入って20年間ずっと外勤でした。交換した名刺はすべて、もらった順にナンバリングしてJpeg画像に変換して保管してあります。 6000枚超あります。このうち、社労士の肩書が入っている名刺は、20世紀末に仕事でお世話になった方の1枚だけです。調べ直しておりませんが、はっきり記憶していて間違いありません。 この方はもうお亡くなりになっていますが、当時は市会議員でその関係でやり取りしただけで、社労士の業務について話題にしたことはありません。身内にも
新卒から現在まで続けている仕事に関連した業種でフリーランスor起業というのを将来の選択肢から消して、「障害者福祉系」という方針を定めたのはいいんだけれど、今までの職歴を捨てたアラフィフの全裸中年男性に今さら何ができるのか? いま流行っているみたいだし、放課後等デイサービスの経営とかはどうか? グループホームみたいな福祉系アパートはどうか? でも経営とかの知識はないし資格もないし、そもそもカネがないからなぁ。宝くじが当たるか大地主に転生すれば可能か。だけど
「アムステルダムの朝は早い」なんてコピーを使ったインスタントコーヒーのテレビCMが昔ありましたが、どこの国だろうと都市だろうと朝は早いわけで、これは今で言うところの「進次郎構文」(小泉進次郎さんがいかにも使いそうな言い回し)の「走り」だったという位置づけになるかもしれません。 「アムステルダムの朝は早い」に匹敵する「当たり前のことだから言われなくて分かっているわ!😤」ってのに、「障害児の親にリタイヤはない」があります。ええ、ぼくは死ぬまで息子の面倒をみますし、死ぬ
前回の⓪とは別の観点から書いてみます。 障害者、とりわけ知的障害者は「流動性に乏しい」と言われることがあります。 生まれた街で親とずっと暮らし、親が転勤族(死語か?)で一緒に引っ越しを繰り返す方もおられるでしょうが、多くは生まれたまちでそのまま年を重ね、「ついのすみか」として決めた施設が遠方にあれば引っ越してそこで生涯を終えるーというケースが一般的なのではないでしょうか。 わが息子に引き付けて考えてみても、自動車の運転免許を取る可能性はないでしょう
以前も書いたような気がしますが、社労士試験に向けた学習を始めた2年以上前からこのブログはほったらかしにしていました。その間は旧Twitterがオンライン上の主な居場所となり、息子の子育てのことなども、そちらに書いてきました。 合格して少し時間に余裕ができてブログを再びいじり始め、リニューアルして「労働・社会保険、福祉」「資格・学習」と新たなカテゴリーも新設したため、それに合わせた記事も書こうと思います。これがその1本目です。 このブログを以前からご覧になっ
息子が市内の特別支援学校中等部に通い始めて4日が経ちました。 これまでは自宅から歩いてすぐの小学校で、同じ顔ぶれの同級生と6年間過ごしてきました。それゆえ、学校が遠いわ知らない人ばかりだわでストレスをため込み、不安定になるかもと覚悟していましたが、全くそんな様子はありません。さすがサイクリングで鍛えているだけあるわ。 またバスの話です。 妻はといえば、バス通学が許可されたことがうれしすぎて、家で5分おきぐらいに「バスに乗って学校に向かっているんだね
息子は無事に市内の支援学校中等部に入学することができました。 「地域の子どもたちと同じ場所で過ごす経験を」ということで、小学校は自宅から歩いて3分の小学校(支援学級)に通わせました。これまでの6年間は大勢の健常児に交じる形でしたが、これからは生徒みんなが何らかの障害があって、先生方やスタッフも「障害児・者と関わるプロ」ですので、いろいろと安心です。 近所の小学校(支援級)から市内の支援校中等部というコースは息子を小学校に入ったことから決めていましたが、妻と
1月に受けた発達検査の結果を聞きに、自宅から100キロほど離れた医療機関(療育園)へ家族3人で行ってきました。帰りに職場に寄ってそこから夜勤でしたので、なかなかハードな1日でした。 結果としては、知的障害は重度ということで、評価は変わっていませんでした。この医療機関で5年前に受けた時より発達年齢が1歳ちょっと上がっていたので、息子はこの5年間で健常児換算すると1年分の成長をしたことになります。 結果自体は、親として常に接している中で「実感通り」といったところ
数日前、息子とサイクリングロードを走っていたら、聞いたことがない呪文のような言葉を繰り返していました。うっすらとメロディーも付いていました。 「君が代」でした。そうか、卒業式の練習で覚えたのか。「苔のむすまで」の部分だけヘビーローテーションしていましたので、全体を通して歌えるようになったのかは分かりませんが… 早いもので、息子が近所の小学校(支援級)に通ってもう6年となりました。 障害の種類も傾向もいろいろですので、比べても意味はないのですが、この
先日コメントをいただいたのを機に、5カ月ぶりぐらいにWordPressを開いてみました。 このブログを立ち上げてから数年が経ち、息子も再来週には小学校(支援学級)を卒業し、来月からは支援学校中等部に進みます。親の加齢と比較して、子どもの成長は早いものです。 ブログを立ち上げ、定期的に記事を書いていた当時とは、取り巻く状況が大きく変わってきています。 息子はもう12歳で、「早期療育」という年齢はとっくに過ぎております。とはいえ、妻は療育的アプローチは続
先日コメントをいただいたのを機に、5カ月ぶりぐらいにWordPressを開いてみました。 このブログを立ち上げてから数年が経ち、息子も再来週には小学校(支援学級)を卒業し、来月からは支援学校中等部に進みます。親の加齢と比較して、子どもの成長は早いものです。 ブログを立ち上げ、定期的に記事を書いていた当時とは、取り巻く状況が大きく変わってきています。 息子はもう12歳で、「早期療育」という年齢はとっくに過ぎております。とはいえ、妻は療育的アプローチは続