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ブログタイトル
関西の主な巡礼地
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http://echo2019-06-11st.blog.jp/
ブログ紹介文
西国観音霊場、新西国霊場、薬師霊場、近畿不動尊、神仏霊場など関西の巡礼地及び洛陽観音霊場、京都十二薬師、都七福神などの京都市内の霊場を紹介します。
更新頻度(1年)

227回 / 359日(平均4.4回/週)

ブログ村参加:2019/08/14

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FULAFURAJUNREIさん
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関西の主な巡礼地

FULAFURAJUNREIさんの新着記事

1件〜30件

  • 法金剛院

    花園西陵から西へ進むとカーブして南北の通りとなり、南へ進んだ東側に地蔵院があります。待賢門院が法金剛院を再興された際に地蔵院が建立されました。応仁・文明の乱(1467~1477)で焼失後、地蔵院は法金剛院の塔頭となりましたが、享保18年(1733)に焼失し、安永8年(1779)に

  • 宇多天皇陵~花園西陵

    蓮花寺と仁和寺東門との間の車道を北へ進むと、第59代・宇多天皇の大内山陵への入口があります。大内山陵への参道は仁和寺の西門を出た、御室八十八ヶ所霊場・結願の第88番・大窪寺から南へ進んだ所に入口があり、この場所は参道の中間点辺りになります。参道は整備が行き届

  • 五智山 蓮花寺

    蓮花寺は山号を五智山と号する真言宗御室派の別格本山で、近畿三十六不動尊霊場の第15番札所です。大同4年(809)、唐から帰国して入京を許された空海は、広沢池の北西(現在の第91代・後宇多天皇の蓮華峰寺陵地内)の岩屋の中で不動明王を感得し、石に刻んできゅうり封じの秘

  • 仁和寺-その3(御殿)

    仁和寺の二王門をくぐった左側に「御殿」と呼ばれる一画があり、かってこの辺りに宇多法皇の御所があったと伝わります。法皇が住した僧坊は「御室」と呼ばれ、仙洞御所(せんとうごしょ)の役割を果たし、御室に入った上皇の尊称ともなりました。また、付近の地名の由来にも

  • 仁和寺-その2(伽藍)

    御室八十八ヶ所霊場から下ってきた所に仁和寺の西門があります。境内の立ち入りは無料ですが、桜の季節は有料となります。門を入った北側に御影堂の門があります。御影堂は鎌倉時代の建暦元年(1211)に創建されましたが、応仁・文明の乱(1467~1477)で焼失し、寛永年間(1624~

  • 仁和寺-その1(御室八十八ヶ所霊場)

    福王子神社から東へ進んだ先に仁和寺があります。仁王門前の日時計は午前7時を指し、開門まではまだ時間がありそうなので、御室八十八ヶ所霊場を巡ることにしました。仁和寺から西へ進み、ガソリンスタンドの角を北へ進んだ先に霊場1番の霊山寺があります。御室八十八ヶ所霊

  • 福王子神社

    三寶寺から国道162号線まで戻り、国道を市内方面へと走った五差路の角に福王子神社があります。かって、この地には延喜式に名前が見える深川神社がありました。仁和2年(886)に第58代・光孝天皇の勅願により、福王子神社の東方に仁和寺の建立が着手されました。しかし、光孝天

  • 三寶寺(さんぽうじ)

    平岡八幡宮から国道162号線を市内方面へ進み、JRバス「三宝寺」バス停付近で左折して北へと進んだ突き当りに三寶寺があります。三寶寺は山号を金映山、院号を妙護国院と号する日蓮宗の寺院で、洛陽十二支妙見めぐりの戌(西北西)の札所です。冠木門(かぶきもん)をくぐる

  • 平岡八幡宮

    国道162号線を高雄から市内方面へと走った左側(東側)に平岡八幡宮があります。明治の神仏分離令で神護寺から独立しました。旧社格は村社で、梅ヶ畑一帯の産土神として祀られ、「梅ヶ畑八幡宮」とも呼ばれています。拝殿文政9年(1826)に第120代・仁孝天皇の命により現在の社殿

  • 愛宕神社

    西教寺の裏側から出た所にある橋まで戻り、清滝川支流の谷川沿いの林道を登って行くと、谷川に橋が架かっています。橋を渡ると波切不動尊が祀られていますが、山主の方が建立されたようです。林道は簡易舗装され、バイクでは快調に走れますが、乗用車だと離合が困難で、退避

  • 神護寺

    西明寺から下り、清滝川に沿って下流側へ進むと高雄橋が架かっています。橋を渡ると右側に神護寺への石段の参道があります。参道の石段は続き、ちょっと一休みしたくなるように、「もみじ餅」の甘い言葉がささやきます。更に「みたらし団子」は?と投げかけられますが、新型

  • 槇尾山 西明寺

    高山寺から国道162号線を南下し、「高雄神護寺前」から西側へ下って行った先に西明寺への朱塗りの指月橋が架かっています。橋の手前には「槙尾山聖天堂」の石標が建っています。橋を渡った参道には石灯籠が建っています。左側には苔むした宝篋印塔も建っています。表門は元禄

  • 高山寺

    国道162号線を北上すると清滝川に架かる白雲橋があります。その橋の手前右側(東側)に「茶山 栂尾(とがのお)」の碑が建っています。橋を渡って少し進んだ先に高山寺の表参道があります。新型コロナによる緊急事態宣言で、裏参道の先にある無料駐車場は閉鎖されていますので

  • 木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ=蚕の社)

    大酒神社から三条通りまで戻って東へ進み、三条通りが南東方向へとカーブする手前で直進方向へ進んだ先に木嶋坐天照御魂神社があります。創建に関する詳細は不明ですが、一説では推古天皇12年(604)の広隆寺創建に伴い、秦氏によって勧請されたと伝わり、「木嶋神社(このしま

  • 大酒神社

    広隆寺の東側の通りを北へ進むと右側にカーブし、次の信号の手前に大酒神社があります。かって、広隆寺の桂宮院(けいぐういん)内にあって鎮守社として祀られ、「大辟神社(おおさけじんじゃ)」と称されていました。「辟」には君主の意味があります。大辟神社は、仲哀天皇8

  • 広隆寺

    車折神社から三条通りを東へ進むと通りに面して広隆寺の駐車場があり、駐車券に参拝受付で印を押してもらうと、駐車料金は無料となります。広大な駐車場にかっては大型バスが並んで止まり、大勢の団体客が境内へと入って行くのを見て、長らく参拝を断念していましたが、新型

  • 車折神社(くるまざきじんじゃ)

    鹿王院から三条通りまで戻り、三条通りを東へ進んだ北側に車折神社があります。車折神社の旧社格は村社で、現在は神社本庁に属さない単立神社です。また、神仏霊場の第91番札所となっています社号標は富岡鉄斎の筆によるもので、鉄斎は明治21年(1888)に宮司に就き、復興に尽

  • 鹿王院(ろくおういん)

    桂川の北岸を嵐山方面から三条通りに入り、その先で左折して北へ進んだ先に鹿王院があります。総門前に無料駐車場があります。鹿王院は正式には「覚雄山・大福田宝幢禅寺・鹿王院」と号する臨済宗系の単立寺院です。室町幕府第3代将軍・足利義満はある夜、夢の中で「今年必ず

  • 広沢池(ひろさわのいけ)

    「大覚寺門前」の信号まで戻り、府道29号線を東へ進んだ所に広沢池があり、その手前に兒神社(ちごじんじゃ)があります。兒神社の創建やその後の変遷は不詳ですが、寛朝大僧正の侍童が祀られています。寛朝は延喜16年(916)に宇多天皇の皇子・敦実親王(あつみしんのう)の子

  • 大覚寺-その2(大沢池エリア)

    五大堂から下ると大沢池エリアへの入口があります。ここから再び土足となりますので、式台玄関の方から入った場合は靴を取りに戻るか、門を出て駐車場前の車道を東へ進み、もう一つの大沢池エリアへの入口から入り直す必要があります。車道を進むと木々の間に勅使門を見るこ

  • 大覚寺-その1

    大覚寺は正式には「旧嵯峨御所大覚寺門跡」と称し、山号を嵯峨山と号する真言宗大覚寺派の大本山で、近畿三十六不動尊霊場の第13番、神仏霊場の第89番及び真言宗十八本山の第5番札所です。駐車場からの正面に江戸時代初期に建立された玄関門があります。玄関門の手前には歌碑

  • 福生寺跡

    試峠を通って戻り、清涼寺(嵯峨釈迦堂)の駐車場前の信号を左折して、東へ進んだ先に「大覚寺門前」の信号があります。その信号脇に福生寺跡があります。当地の地名は「嵯峨大覚寺門前六道町」で、「六道の辻」があった場所とされています。化野(あだしの)もまた、東山の

  • 愛宕山登山口~空也の滝

    愛宕念仏寺の先に清滝トンネルがあります。このトンネルは昭和4年(1929)に開業した愛宕山鉄道(あたごさんてつどう)のために掘られたトンネルで、嵐山駅(現在の京福・嵐山駅と共同使用)から清滝駅間3.39kmで運行されていました。同時に鋼索鉄道(ケーブルカー)として清滝

  • 愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)

    化野念仏寺から府道を北西へと進むと愛宕神社の一の鳥居が建っています。一帯の町名が「鳥居本」なのはこの一の鳥居か、曼荼羅山の五山送り火・鳥居形松明に起因するものと思われますが、時代的には一の鳥居の方が古くから建てられていたようです。鳥居をくぐると茶屋・平野

  • 化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)

    檀林寺から府道50号線へ戻り、北へ進むと「後亀山天皇 嵯峨小倉陵参道」の碑が建っています。参道の先、約100mの所に陵があります。南朝第4代・後亀山天皇は、兄の長慶天皇から譲位され、弘和3年/永徳3年(1383)に即位しました。当時の南朝勢力は、既に衰退期にあり、室町幕

  • 檀林寺

    檀林寺は平安時代の承和2年(835)に、第52代・嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(たちばな の かちこ:786~850)により、現在の天龍寺の地に創建されました。唐から禅僧・義空を招いて開山とした尼寺で、我が国初の禅を講じた寺でした。広大な境内に12坊を数えたと伝わり、皇后の崩御

  • 祇王寺

    二尊院から北へ進み、その先で左折して西へ進んだ先に祇王寺があります。受付から入ると苔庭を周遊するように順路が設定されています。祇王寺は山号を高松山、院号を往生院と号する真言宗大覚寺派の寺院です。平安時代の末期、平清盛が盤石な地盤を築き上げた頃、都で白拍子

  • 滝口寺

    二尊院から北へ進み、その先で左折して西へ進んだ突き当たりに祇王寺への参道があります。祇王寺本堂の模型でしょうか?参道を登ると右側に祇王寺の入口あり、その左側を進んだ先に滝口寺の拝観受付があります。滝口寺は山号を小倉山と号する浄土宗の寺院です。かって、この

  • 二尊院

    小倉百人一首文芸苑の右隣りに二尊院があります。二尊院は正式には山号を小倉山、院号を二尊教院、寺号を華台寺と号する天台宗の寺院です。承和年間(834~847)に第52代・嵯峨天皇の勅願により、慈覚大師・円仁が開山したと伝わります。但し、円仁は承和2年(836)から遣唐使と

  • 落柿舎(らくししゃ)

    常寂光寺から戻って東に進み、元来た四つ角を左折して北に進むと、「小倉餡発祥の由来」の駒札が立っています。日本で初めて小豆と砂糖で餡が炊かれたのは、弘仁11年(820)とされています。当時、小倉の里に和三郎という菓子職人がいて「亀の子せんべい」を作っていました。大

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