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関西の主な巡礼地 https://echo2019-06-11st.blog.jp/

西国観音霊場、新西国霊場、薬師霊場、近畿不動尊、神仏霊場など関西の巡礼地及び洛陽観音霊場、京都十二薬師、都七福神などの京都市内の霊場を紹介します。

FULAFURAJUNREI
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2019/08/14

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  • 長光寺と八幡十二神社

    御澤神社から北の長光寺山を越えた所に長光寺があります。長光寺山の東側の麓をバイクで5分余り進んだ先に「八幡十二神社」の鳥居が建ち、鳥居をくぐった先に長光寺の駐車場があります。駐車場の先に長光寺の山門があります。山号を「補陀洛山」、院号を「誕生院」と号する高

  • 石塔寺

    瓦屋禅寺から南へバイクで約30分の距離に石塔寺(いしどうじ)があります。寺号標から石段を登った左側に拝観受付(400円)、右側に山門、正面の石段上に石塔があります。山門は旧大森陣屋から移築された陣屋門です。石塔寺は山号を「阿育王山(あしょかおうざん)」と号する天

  • 太郎坊宮(阿賀神社)と瓦屋禅寺

    太郎坊宮(阿賀神社)の記事を更新しました。太郎坊宮の山上駐車場からバイクで5分弱登った所に瓦屋禅寺の寺号標が建っています。山号を「石崎山(しゃっきざん)」と号する臨済宗妙心寺派の寺院で、聖徳太子霊跡・第30番、近江西国三十三ヶ所観音霊場・18番などの札所です。

  • 信長の館~桑實寺~教林坊

    安土城跡から下り、東へ進んだ先を右折し、JRの高架をくぐった先に安土文芸の郷公園があります。公園の駐車場から東へ進んだ先に信長の館があります。自販機で入館券を購入し(610円)、入館した正面の中央に織田信長(1534~1582)、右に豊臣秀吉(1537~1598)、左に徳川家康(154

  • 安土城跡

    安土城跡の入山受付(700円)を入ると「大手道」と呼ばれる石段が続き、直ぐ右側に前田利家邸跡と伝わる虎口があります。近世城郭を思わせる防御性の高い虎口の形態が取り入れられています。屋敷地は急な傾斜地を造成して造られ、数段の郭(くるわ)に分かれた複雑な構成となり

  • 観音正寺~安土城跡の周辺

    石馬寺から観音正寺への駐車場まではバイクで南へ5分余りの距離ですが、駐車場から本堂までは徒歩で約10分を要します。観音正寺の詳細はこちらをご覧ください。観音正寺から下り、安土城跡へ向かう「きぬがさ街道」のトンネル手前に六角定頼像が造立されています。六角定頼(1

  • 石馬寺

    伊崎寺から南東方向、バイクで20分弱の距離に石馬寺(いしばじ)の大門址があります。昭和9年(1934)9月の室戸台風で倒壊し、礎石が残されています。石馬寺は、山号を「御都繖山(ぎょとさんざん)」と号する臨済宗妙心寺派の寺院で第33代・推古天皇2年(594)に聖徳太子(574~6

  • 伊崎寺

    長命寺から湖岸沿いを北へ進んだ先に伊崎寺の無料駐車場があります。伊崎寺は山号を長命寺と同じ「姨倚耶山(いきやさん)」と号する天台宗の寺院で、延暦寺の支院の一つであり、無動寺・葛川明王院(かつらがわみょうおういん)と並び、天台修験の三大聖地とされています。

  • 令和6年(2024)8月9日 神奈川県西部地震

    令和6年(2024)8月9日午後7時57分頃、神奈川県西部の深さ10kmを震源とするM5.3の地震が発生し、神奈川県の厚木市で震度5弱が観測されました。昨日の日向灘地震で、気象庁は南海トラフ地震の想定震源域で大規模地震が発生する可能性がふだんと比べて高まっているとして「南海ト

  • 長命寺

    虫生神社から北東方向へバイクで20分余りの距離に長命寺港があります。現在は長命寺山の東側は大中之湖干拓地が広がっていますが、干拓以前の長命寺は島の中にあったそうです。かつての巡礼者は、三十番札所の竹生島・宝厳寺から船で長命寺に参詣したそうです。また、安土の

  • 令和6年(2024)8月8日、日向灘地震

    令和6年(2024)8月8日午後4時43分頃、日向灘の深さ30kmを震源とするM7.1の地震が発生し、宮崎県の日南市で震度6弱、宮崎県の宮崎市・串間市・都城市及び鹿児島県の大崎町で震度5強を観測した他、宮崎県と鹿児島県の町村で震度5弱、愛媛県や福岡県、佐賀県、熊本県、大分県など

  • 虫生神社~技王屋敷跡・技王寺

    錦織寺の東、バイクで2~3分の距離に虫生神社(むしゅうじんじゃ)があります。創建やその後の変遷に関する詳細は不明ですが、大陸から渡来した錦を織る「錦織部(にしごりべ)」の人々が当地に居住し、虫生社を勧請したと伝えられています。神門には「正一位虫生大明神」の

  • 錦織寺

    兵主大社から県道32号線を南東方向へ向かって進むと右側に「藤塚 親鸞聖人御旧跡」の碑が建っています。嘉禎元年(1235)に親鸞聖人(1173~1263)が関東から帰洛の途次、しばらく木辺の毘沙門堂に逗留されていました。早乙女たちが歌う田植え歌を聴きながら、他力本願による往

  • 兵主大社

    堅田の出島の灯台から琵琶湖大橋を渡り、国道477号線を進んだ先、旧中主町のほぼ中央に兵主大社(ひょうずたいしゃ)があり、その南側に大鳥居が建っています。兵主大社と八ヶ岬神事は「琵琶湖とその水辺景観」の構成資産として、日本遺産に認定されています。兵主神とは中国

  • 志賀の大仏から崇福寺跡

    高穴穂神社から南西方向へ、山中へ入った先に志賀の大仏(おおぼとけ)が鎮座しています。高さ約3.5m、幅約2.7mの花崗岩に厚肉彫に掘出した鎌倉時代(1185~1333)作の像高3.1mの阿弥陀如来坐像で、市の文化財に指定されています。京都・北白川と大津を結ぶ山中越の旧道にあっ

  • 高穴穂宮跡と高穴穂神社

    県道47号線の京阪「穴太(あのう)」駅北側の踏切を渡った先の木立の中に高穴穂宮址碑があります。『日本書紀』には第12代・景行天皇(在位:71~130)が景行天皇58年(128)にこの地へ宮を遷したと記されています。第13代・成務天皇(せいむてんのう/在位:131~850)についての

  • 滋賀院門跡

    日吉東照宮への登り口付近にある無料駐車場の南を下ると天台宗務庁があり、そこを入った奥に滋賀院門跡があります。滋賀院門跡は、元和元年(1615)に天海大僧正(1536?~1643)が第107代・後陽成天皇(在位:1586~1611)から法勝寺の建物を下賜され、この地で建立しました。江戸

  • 旧竹林院

    律院から日吉大社の方へ向かった北側に旧竹林院の無料駐車場があり、その奥に入口があります。東側には山門があります。竹林院は延暦寺の里坊の一つで、天正20年(1592)に創建されましたが、明治時代の初期に民間の手にわたり、以後は個人の別邸として利用されてきましたが、

  • 律院

    日吉大社の二の鳥居をくぐり、日吉大社へ向かった先を右折すると律院の無料駐車場があります。駐車場の北側を下ると律院があり、境内へ入ると左側に鐘楼があります。かって、この地には横川の総里坊であった松禅院がありました。鐘楼の先、南側には庫裏があります。北へ進む

  • 浮御堂(満月寺)

    安楽律院から北東方向へバイクで約20分の距離に満月寺があります。山号を「海門山(かいもんさん)」と号する臨済宗大徳寺派の寺院で、長徳年間(995~999)に恵心僧都・源信(942~1017)により創建されたと伝えられ、「琵琶湖とその水辺景観」の構成資産として、日本遺産に認定

  • 飯室谷不動堂~恵心僧都墓所~安楽律院

    西教寺から北の信号を左折して伊香立浜大津線をバイクで5分余り進んだ先に飯室谷不動堂があります。詳細はこちらをご覧ください。その奥に元三大師堂への登り口があります。約1時間ほど登ると横川から三石岳を経て八王子山への縦走路と合流します。縦走路へ左折して三石岳の

  • 西教寺

    日吉大社の大政所から伊香立浜大津線を北へ直ぐの西側に西教寺の総門があります。高さ6.4m、幅5.6mの門で、明智光秀(1516~1582)によって築かれた坂本城の城門が天正年間(1573~93)に移築されたと伝わります。昭和59年(1984)に修理が施されましたが、形はそのままの姿で復元

  • 日吉大社-その2(西本宮)

    八王子山から下り、西へと進むと神輿収蔵庫があります。延暦10年(791)に第50代・桓武天皇(在位:781~806)の詔により二基の神輿が奉納され、延暦寺の面目がつぶされたり、何か不利なことが起こると日吉神社の神輿を担ぎ出し、京へと繰り出し強訴しました。「神輿振り」と呼ば

  • 日吉大社-その1(東本宮)

    坂本城跡公園から北西方向、京阪電車石山坂本線の「坂本比叡山口」駅の直ぐ西側に生源寺があります。山号を「比叡山」と号する天台宗の寺院で、「伝教大師生誕の地」です。父・三津首浄足(みつのおびときよあし)の居館跡であり、最澄(766or767~822)はここで誕生し、境内に

  • 坂本城跡

    七本柳鳥居の直ぐ北側に坂本城跡公園があります。本丸跡は企業の所有地、二の丸・三の丸跡地は市街地となり、この公園は城外の当時は琵琶湖中で後世に埋め立てられた場所にあります。公園には明智光秀(1516~1582)の像が造立されています。坂本城は元亀2年(1571)の織田信長(1

  • 唐崎神社

    近江神宮から北東方向へ、バイクで10分弱の琵琶湖岸に唐崎神社があります。日吉大社で代々神職を務められた家の先祖である琴御館宇志丸宿禰(ことのみたちうしまるのすくね)がこの地に居住して「唐崎」と名付けました。第38代・天智天皇6年(667)に大津京へ都を遷した天皇は

  • 近江神宮

    弘文天皇陵から北へバイクで約5分の距離に近江神宮の一の鳥居が建っています。社号標は近江神宮奉賛会の初代会長で、第34・38・39代内閣総理大臣などを歴任した近衛文麿(このえ ふみまろ:1891~1945)の筆によるものです。一の鳥居は、第二期工事の昭和19年(1944)に建立さ

  • 白髭神社

    近江今津港から南へ、バイクで20分弱の距離に白髭神社があります。国道161号線に面し、全国に約300社に及ぶ白鬚神社の総本社で、「琵琶湖とその水辺景観」の構成資産として、日本遺産に認定されています。社伝では第11代・垂仁天皇25年(BC5年)に倭姫命(やまとひめのみこと)

  • 石山寺-その2

    本堂から石段を登ると三十八所権現社本殿があります。慶長年間(1596~1615)に淀殿(1569~1615)により、石山寺の復興が行われた際に石山寺の鎮守社として「石山寺硅灰石(けいかいせき)」の上に建立され、国の重要文化財に指定されています。初代・神武天皇(在位:BC660~BC5

  • 石山寺-その1

    建部大社から瀬田の唐橋を渡り、瀬田川右岸を南下した先、バイクで5分余りの距離に石山寺があります。画像は平成30年(2018)11月参拝時のものを使用しています。石山寺は山号を「石光山」と号する東寺真言宗の大本山で、西国三十三所観音霊場・第13番、神仏霊場・第146番など

  • 建部大社

    瀬田の唐橋から東へバイクで5分弱の距離に建部大社があります。社伝では、第12代・景行天皇46年(116)に日本武尊(やまとたけるのみこと:82~111)の妃・布多遅比売命(ふたじひめのみこと:生没年不詳)が神勅により、日本武尊を祀ったのが始まりとされています。当初は御子

  • 瀬田の唐橋

    水のめぐみ館アクア琵琶から瀬田川左岸をバイクで約5分北上すると右側に「瀬田城跡」の碑と「勢多古城地碑」が建っています。瀬田城(勢多城)は、「山岡城」とも呼ばれ、永享元年(1429)に山岡資広(すけひろ)が南の大日山に城を築き居城としました。第9代城主・山岡景隆(15

  • 瀬田川洗堰

    立木観音の駐車場から瀬田川沿いに、バイクで5分弱北上した左側に南郷公園の駐車場があります。駐車場から道路を横断すると「皇后陛下行啓記念碑」が建立されています。第123代・大正天皇(在位:1912~1926)の貞明皇后(ていめいこうごう:1884~1951)が大正11年(1922)11月1

  • 安養寺(立木観音)

    佐久奈度神社から鹿跳橋まで戻り、瀬田川右岸を北上した直ぐ先の右側に安養寺の駐車場があり、駐車場から道路を横断すると「立木観音参道」の碑が建ち、810段の石段が連続して続きます。かっては南郷から2kmの登山道が参道となっていましたが、約150年前に京都の町衆により、

  • 佐久奈度神社

    東笠取から南へ下り、瀬田川沿いに東へ進み、鹿跳橋を渡って進んだ先に佐久奈度神社があります。東笠取からはバイクで20分弱の距離です。佐久奈度神社は第38代・天智天皇(在位:668~672)が大津京へ遷都したのを機に、天智天皇8年(669)に勅願により中臣金(なかとみ の かね

  • 正法寺(岩間寺)

    奥宮神社から南へ進み、山道へ入って正法寺へ向かいます。奥宮神社の標高は400m、正法寺は標高443mの岩間山の南麓、標高390m辺りに立地し、標高差は僅かで、所要時間は約10分です。正法寺の手前に動物の防護柵があり、それを入ると正法寺の境内と思われます。防護柵から入り

  • 奥宮神社

    東笠取清瀧宮から下ると電柱に「宇治市 東笠取」と表記されています。その先に奥宮神社・岩間寺(正法寺)への道標が立っています。電柱に張られてた岩間寺徒歩参拝道路図。バイクを路肩に置き、集落の最上部まで登ると、奥宮神社と岩間寺への登山道が左右に分かれ、奥宮神

  • 西笠取清瀧宮と東笠取清瀧宮

    瀬田川を宇治から上流へ向かって進むと、道路が左岸から曽束大橋(そつかおおはし)を渡って右岸を走ることになりますが、直進して府道242号線へ入り、その先で京滋バイパスの笠取インターの方へ進み、その先を右折して西笠取川沿いに北上して西笠取清瀧宮へ向かいました。曽

  • 都久夫須麻神社

    宝巌寺から舟廊下を渡った所に都久夫須麻神社の本殿が鎮座しています。永禄元年(1558)の大火で焼失し、永禄10年(1567)に再建されました。これが現存する庇(ひさし)と向拝の部分にあたります。庇の部分は素木仕上げで彫刻が施されています。撮影は禁止されていましたが、こ

  • 竹生島宝巌寺

    近江今津港発9:30発の船に乗り竹生島へ向かいました。現在では竹生島往復の料金が3,000円となっています。今津と長浜からは琵琶湖汽船が運行し、今津港からは約25分で往復の料金は3,000円、長浜港からは乗船時間が約35分で、往復の料金は3,400円です。彦根港からはオーミマリ

  • 明通寺

    明通寺は鵜の瀬の東の山中に立地していますが、県道を戻って「コ」の字形に進むため、バイクで10分を要します。明通寺は山号を「棡山(ゆずりさん)」と号する真言宗御室派の寺院で、若狭観音霊場・第14番及び小浜八ヶ寺巡りの札所で、「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群

  • 鵜の瀬

    神宮寺から県道35号線を南へバイクで5分弱進んだ所に鵜の瀬があります。少し下ると小さな祠が鎮座し、巨巌を御神体とする社殿のようにも見えますが、詳細は不明です。その社殿の対岸側の巨巌に注連縄が張られ、先ず若狭彦神、次いで若狭姫神が降臨されたと伝わり、若狭彦神社

  • 若狭神宮寺

    若狭彦神社から南へ、バイクで2~3分の距離に神宮寺の仁王門があります。鎌倉時代(1185~1333)末期に再建された間口6.37m、奥行3.64m、棟高5.5m、単層屋根、切妻造り、柿葺の八脚門で、国の重要文化財に指定されています。神宮寺は山号を「霊応山」と号する天台宗の寺院で、

  • 若狭彦神社

    若狭姫神社から県道35号線を、バイクで5分弱進んだ先を左折した先に若狭彦神社があります。若狭彦神社と若狭姫神社は、「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群」の構成文化財として日本遺産に認定されています。参道を進むと、参道を挟んで二本の大杉がそそり立ち、二の鳥居と

  • 若狭姫神社

    若狭国分寺から国道27号線へ戻り、右折して舞鶴方向へ進み、その先を県道35号線へ左折した先、若狭国分寺からバイクで5分弱の距離に若狭姫神社があり、東側に石の鳥居と、「若狭姫神社」と「若狭彦神社」の社号標が建っています。この通りは鳥居手前で県道から分岐し、先で県

  • 若狭国分寺

    多田神社から東へ、バイクで5分の距離に若狭国分寺跡があり、国の史跡に指定されています。天平13年(741)に第45代・聖武天皇(在位:724~749)が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の60余州に建立を命じた寺院で、国分僧寺と国分尼寺があり、若狭国分寺は国分僧寺でしたが

  • 多田寺と多田神社

    羽賀寺から南へ、バイクで約10分の距離に多田寺があります。山号を「石照山(せきしょうざん)」と号する高野山真言宗の寺院で若狭観音霊場・第17番、及び小浜八ヶ寺巡りの札所です。また、「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群」の構成文化財として日本遺産に認定されてい

  • 羽賀姫神社と羽賀寺

    小浜城跡の北東方向、バイクで10分足らずの距離に羽賀姫神社があります。天暦3年(949)に羽賀寺の鎮守として時の院主によって勧請され、「羽賀姫明神」と称されていましたが、明治の神仏分離令により独立し、村社に列せられました。現在では下照姫命(したてるひめのみこと)

  • 小浜城跡

    海岸の人魚像から海岸沿いを北へ、バイクで5分余りの距離に小浜城跡があります。慶長5年(1600)9月の関ヶ原の戦いで功績を高く評価された京極高次(1563~1609)は、若狭一国を与えられ、翌年築城が開始されました。西側は海で、両側を河川と湿地に囲まれた地で着工され、京極家

  • 空印寺

    八幡神社の大鳥居前を西へ進んだ直ぐ近くに空印寺があります。山号を「建康山(けんこうさん)」と号する曹洞宗の寺院で、大永2年(1522)に若狭国守護・武田元光(1494~1551)が後瀬山城(のちせやまじょう)を築いた際に、当時長源寺があったこの地に守護館を置き、その跡地が

  • 八幡神社

    妙楽寺の北、バイクで10分足らずの距離に八幡神社があります。創建年代は不詳としながらも、『続日本紀』に神護景雲4年(770)に勅使が参向し、鹿毛の馬を奉納されたとの記述があり、この年か前年に創建されたと考えられています。だとすると貞観元年(859)に創建された石清水八

  • 妙楽寺

    馬居寺から若狭西街道を東へ進んだ先、馬居寺からバイクで約30分の距離に妙楽寺があります。山号を「岩屋山」と号する高野山真言宗の寺院で、若狭観音霊場・第18番札所、北陸三十三ヵ所観音霊場・第3番札所、及び小浜八ヶ寺巡りの札所です。現在の仁王門は安永6年(1777)に再

  • 馬居寺

    城山公園から国道27号線へ戻って東へ進み、「和田駅」の信号を右折して南へ進んだ先に馬居寺(まごじ)があります。山号を「本光山」と号する高野山真言宗の寺院で、若狭観音霊場の第30番札所及び北陸三十三ヵ所観音霊場の第2番札所です。駐車場から石段を登ると山門、その先

  • 佐伎治神社と明鏡洞

    中山寺から国道27号線へ戻り、27号線を東へ進んで「宮崎」の信号を右折した先、中山寺からバイクで10分の距離に佐伎治神社(さきちじんじゃ)があります。第12代・景行天皇(在位:71~130)に仕えていた磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)が若狭国造を授けられた時には既に

  • 杉森神社と中山寺

    舞鶴市の「赤レンガ博物館」、「舞鶴引揚祈念館」、「多禰寺(たねじ)」、「松尾寺(まつのおでら)」の記事は既に掲載していますので、カテゴリーは福井県若狭地方に変更します。松尾寺から国道27号線へ戻って小浜方向へ進み、青葉トンネルを超えた左側に杉森神社がありま

  • 成相寺

    平成29年(2017)の成相寺への参拝は傘松公園へリフトに乗って向かいました。ケーブルカーとリフトのどちらの乗車も可能で、当時の運賃は往復660円でしたが、現在では往復800円に値上がりしています。傘松公園からの天橋立の眺めは、龍が天へと昇って行くかのように望まれ、「

  • 天橋立

    天橋立へはまず文珠水道(天橋立運河)と呼ばれる水路に架かる長さ約36mの「小天橋」と呼ばれる廻旋橋を渡ります。大正12年(1923)に手動の廻旋橋ができ、昭和35年(1960)からは電動式になりました。廻旋時にはこのようになります。続いて大天橋を渡ります。天橋立は、『丹後風

  • 智恩寺(文殊堂)

    鬼の足跡への駐車場から府道9号線をバイクで約30分北上した先に智恩寺があります。山門は、江戸時代に足掛け7年の工事期間を経て明和4年(1767)に上棟されました。再建にあたって第117代・後桜町天皇(在位:1762~1771)から黄金を下賜されたことにより「黄金閣」と称され、掲

  • 元伊勢内宮・皇大神社と天岩戸神社~二瀬川渓谷

    元伊勢外宮・豊受大神社から府道9号線を北へ、バイクで10分弱の距離に元伊勢内宮・皇大神社がありますが、こちらには民間の有料駐車場しか無く、天岩戸神社の方に無料の駐車場があります。有料駐車場からの表参道は約300m、220段の石段が続きます。鳥居をくぐった先に天皇神

  • 元伊勢外宮・豊受大神社

    天寧寺から東へ進み、その先の国道175号線へと左折して北上すると宮川橋があり、その手前を左折して川沿いに北上すると、鎮守の森の中に豊受大神社があり、川は伊勢神宮の外宮近くを流れる川に因み「宮川」と称されています。駐車場先の石段かって、天照大御神は宮中で祀られ

  • 天寧寺

    長安寺から北へ、バイクで約15分の距離に天寧寺(てんねいじ)の駐車場があり、西へ進むと山門があります。山号を「紫金山」と号する臨済宗妙心寺派の寺院で、西国薬師四十九霊場の第27番札所です。貞治4年(1365)に愚中周及(ぐちゅう しゅうきゅう:1323~1409)が丹波の地

  • 長安寺

    長安寺は京都府福知山市奥野部にあって最寄駅である京都丹後鉄道・宮福線の「福知山市民病院口」駅からは徒歩約40分ほどの距離なので、当日は自宅からバイクで約2時間半を要して、丹波大文字・標高406mの姫髪山の麓にある長安寺へ参拝しました。駐車場から山門まで西国三十三

  • 旭神社と正覚寺

    杭全神社からJR大和路線を超え、北東方向へ10分足らず歩いた先に旭神社があります。天平5年(733)頃に、現在地から東の加美小学校付近で牛頭天皇を祀ったのが始まりで、元禄12年(1699)に現在地へ遷座されたと伝えられています。南向きに建つ注連柱から入り、参道を西へ進むと

  • 敷地神社(わら天神宮)

    平野神社から西大路通りを北へ、約5分ほど歩いた西側に敷地神社があります。かって、現在の鹿苑寺(金閣寺)がある山麓に天神地祇(てんしんちぎ)が降臨したと伝わり、それを祀ったのが敷地神社の始まりとされています。一方で、忌部氏(いんべうじ)の祖人である天日鷲神(あめ

  • 平野神社

    花山天皇陵から西へ進み、丁字路を左折して南へ進んだ所に平野神社の駐車場があります。平野神社は西大路通りに面しても鳥居が建っていますが、こちらの方が鳥居から神門、拝殿、本殿が一直線上に並ぶ表参道となります。かって、現在地には鳥居の代わりに門がありましたが、

  • 花山天皇陵

    上品蓮台寺から北大路通まで北進し、北大路通を西へ進んで西大路通の一つ手前を左折して南へ進み突き当りを右へ曲がった先に花山天皇陵の駐車場があります。「花山天皇 紙屋川上陵(かみやがわのほとりのみささぎ)」と記されています。花山天皇は安和元年10月26日(968年11

  • 上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)

    船岡山の西側に千本通りに面して上品蓮台寺があります。山号を蓮華金宝山、院号を九品三昧院(くぼんさんまいいん)と号する真言宗智山派の寺院です。寺伝によれば、飛鳥時代に聖徳太子が母の菩提寺として創建され、平安時代に宇多法皇により中興されたと伝わります。一方で

  • 引接寺(千本ゑんま堂)

    千本通りを北上して、「千本寺之内」の信号の次にある信号の左側に、引接寺(いんじょうじ)があります。引接寺は、山号を「光明山」、正式な寺号を「歓喜院引接寺」と号する高野山真言宗の寺院です。かって、引接寺の北、船岡山の北西から紙屋川にかけての地区は「蓮台野(

  • 石像寺(釘抜地蔵)

    千本通りを南下し、「千本寺之内」の信号の先、左側に石像寺があります。石像寺は山号を「家隆山(かりゅうざん)」、正式には「光明遍照院石像寺」と号する浄土宗の寺院で、洛中四十八願寺及び地蔵尊の洛陽四十八願所霊場の札所です。山門をくぐった左側に大師堂があり、弘

  • 大徳寺-その5(塔頭・聚光院、総見院、三玄院、雲林院)

    本坊前の東西の参道と、芳春院への北の参道が交わる角の西側に聚光院(じゅこういん)がありますが、非公開です。永禄9年(1566)に三好長慶(みよし ながよし)の養子となった義継が、養父・長慶の菩提を弔うため、笑嶺宗訢(しょうれい そうきん)を開山として創建されました

  • 大徳寺-その4(塔頭・大仙院、真珠庵、芳春院他)

    本坊の西側を北へ進むと、芳春院と如意庵の門があります。門をくぐると、左側に如意庵の表門がありますが、如意庵は非公開です。如意庵は大徳寺の最初の塔頭とされ、応安年間(1368~1375)に大徳寺7世・言外宗忠(ごんがい そうちゅう)によって創建されました。応仁・文明の

  • 大徳寺-その3(中心伽藍)

    龍源院の先で駐車場からの総門の参道と合流し、西へ曲がった所に国の重要文化財に指定されている勅使門があります。勅使門は、慶長年間(1596~1614)に建立された御所の陽明門が第108代・後水尾天皇から下賜され、寛永17年(1640)に移築されました。大徳寺は宗峰妙超(しゅうほ

  • 大徳寺-その2(塔頭・龍源院、徳禅寺)

    龍源院(りょうげんいん)は、黄梅院の北隣にあります。現在大徳寺山内には24の塔頭がありますが、殆どは非公開で、通年公開されているのは龍源院、瑞峯院、大仙院、高桐院の4か院のみです。現在の表門は創建当初のもので、切妻造・桧皮葺の四脚門で、国の重要文化財に指定さ

  • 大徳寺-その1(塔頭・黄梅院)

    堀川通りを北上し、北大路通りへ左折して西へ進み、「大徳寺前」の信号を右折した先に大徳寺の駐車場があります。バイクは総門脇の案内書前に無料で置かせてもらえます。しかし、南門から入るのが正式と思い、北大路通りの方へ戻りました。南門大徳寺は山号を龍宝山と号する

  • 常盤井跡・玄武神社・小野篁と紫式部の墓

    建勲神社の大鳥居前を東へ進み、智恵光院通りを北へ進んだ一筋目の東側に常盤井があります。京都の名水の一つで、碑文には霊泉の功徳が記されています。しかし、現在、水は枯れています。かって、この辺りに源義朝の邸宅があり、その側室で源義経の母である常盤御前(ときわ

  • 船岡山

    建勲神社の西側に標高111.89mの船岡山の三等三角点があります。背後は旧サイレン塔です。山頂の南側が開け、京都市内が一望できます。双ヶ岡から西山連山が近くに見えるのに対し、東山連峰は遠く、現在の京都の中心部から平安京の中心部が離れていることが見て取れます。船岡

  • 建勲神社(たけいさおじんじゃ)

    今宮神社から南へ進み、北大路通を横断した先に建勲神社の北参道があります。船岡山の中腹までバイクで登れ、その先に建勲神社の駐車場があります。しかし、北大路通を左折して、その先の「建勲神社前」の信号を右折して建勲神社へ向かいます。こちらは駐車場が無いので、建

  • 紫野 今宮神社

    鷹峯から下って北大路通を左折して東へ進み、「今宮門前」の信号を左折した先に今宮神社があります。時短するなら鷹峯から下ってきた変則的な四差路を、右折して北大路通りの方へ向かわず、東へ進めば今宮神社の楼門間に出ます。北大路通から左折すると、本来は大鳥居が建っ

  • 京都市北区鷹峯-その4(圓成寺)

    光悦寺の北向かいに圓成寺があります。圓成寺は山号を清雲山と号する日蓮宗の寺院で、洛陽十二支妙見めぐり・亥(北北西)の札所です。延暦13年(794)に平安京に遷都された第50代・桓武天皇は、都の四方に妙見大菩薩を、四隅に法華経を納め、建都されたと伝わります。天皇は正月

  • 京都市北区鷹峯-その3(光悦寺)

    常照寺から「鷹峯」の信号を超えて、更に西へ進んだ南側に光悦寺があります。光悦寺は山号を大虚山と号する日蓮宗の寺院です。元和元年(1615)に本阿弥光悦は、徳川家康からこの地を与えられました。この地には、「京の七口」の一つ、長坂口があり、長坂を経て杉坂に至る丹波

  • 京都市北区鷹峯-その2(常照寺)

    「鷹峯」の信号から東へ進んだ北側に常照寺があります。常照寺は山号を寂光山と号する日蓮宗の寺院で、本阿弥光悦の養子・光嵯がこの地に建立した四ヶ寺の一寺です。元和2年(1616)に光嵯が、身延山久遠寺の21世・日乾上人(にっけんしょうにん)を招き、「法華の鎮所」として

  • 京都市北区鷹峯-その1(後冷泉天皇火葬塚~源光庵)

    千本北大路の交差点の北東角に第70代・後冷泉天皇の火葬塚があります。後冷泉天皇は第69代・後朱雀天皇の第一皇子で、諱(いみな)を親仁(ちかひと)と称しました。万寿2年(1025)に誕生し、その2日後に生母の東宮妃・嬉子(きし/よしこ)が薨去しました。藤原嬉子は摂政・藤

  • 金閣寺

    龍安寺から「きぬかけの路」を北上した所に金閣寺があります。現在、金閣寺では令和2年(2020)12月までの予定で、舎利殿(金閣)の屋根の葺き替え工事が行われています。また、平成28年(2016)に金閣寺が行った通路の設置工事の場所に、七重の塔の土台部分があったと指摘され、

  • 龍安寺背後の朱山

    再び龍安寺の参道を北へ進み、「石庭」への順路を示す立札の右側に車椅子などの順路が示され、その方向へ進みます。梅枝庵は湯豆腐料理の茶屋だそうですが、門は閉じられ、詳細は不明です。更に参道を進んだ右側に第69代・後朱雀天皇の皇后・偵子(ていし)内親王の圓乗寺東

  • 龍安寺

    等持院の山門前から西へ進み、その先で北に向きを変え、立命館大学の横を通り抜けて「きぬかけの路」へ入り、少し西に進んだ先に龍安寺の駐車場があります。一旦、駐車場を出て、「きぬかけの路」を西へ進み、押しボタン式信号が付いた横断歩道を渡って南へ進んだ所に、延宝8

  • 等持院

    六請神社から西へ進んだ所に、等持院の山門があります。江戸時代に建立された一間一戸の薬医門で、切妻造りの本瓦葺です。かって、この地には仁和寺の一子院があったと伝わり、東には無学祖元の遺爪髪を祀る正脈庵がありました。興国3年/暦応5年(1342)に、足利貞氏の子で足利

  • 萬年山 眞如寺

    六請神社の北に、隣接して眞如寺への参道がありますが、通常非公開のため、門は閉じられています。眞如寺は山号を萬年山と号する臨済宗相国寺派の寺院で、鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)とともに相国寺の3つの山外塔頭を構成する寺院の1つです。眞如寺は、無着如大尼(

  • 六請神社

    妙心寺の北総門から京福北野線の踏切を超えた北東方向に六請神社(ろくしょうじんじゃ)があります。六請神社は標高201mの衣笠山の麓にあって、かって衣笠山は葬送地でした。風葬が行われ、この地を開拓した人々が、その祖神とされる天照御魂神(あまてるみたまのかみ)や大

  • 妙心寺-その5(小方丈・微妙殿~桂春院)

    大心院を出て北の方を見ると、東海庵の先から白壁が続いています。白壁の間に妙心寺の小方丈の門がありますが、小方丈は非公開です。慶長8年(1603)に玉鳳院御殿として建立されましたが、明暦2年(1656)に現在地に移築・改築されました。桁行15.9m、梁間10.0m、一重、入母屋造

  • 妙心寺-その4(塔頭・東海庵~大心院)

    玉鳳院の西側を北へ進んだ左側に東海派の東海庵があります。文明16年(1484)に妙心寺11世・悟渓宗頓(ごけいそうとん:1416~1500)により、二祖・授翁宗弼(じゅおうそうひつ)の塔所として創建されました。悟渓宗頓は六祖・雪江宗深(せっこうそうしん:1408~1486)の4人の

  • 妙心寺-その3(塔頭・天授院~開山堂)

    塔頭・退蔵院の北側に塔頭・天授院があります。天授院は康暦2年/延元4年(1340)に妙心寺二祖・授翁宗弼(じゅおうそうひつ)により、現在の東海庵の北側に創建されました。その後、応仁・文明の乱(1467~1477)で焼失し、妙心寺六祖・雪江宗深(せっこうそうしん)により再建さ

  • 妙心寺-その2(塔頭・退蔵院)

    妙心寺は日本最大の禅寺で、東西約500m、南北約620mの広大な境内地を有し、山内に40余りの塔頭が建ち並んでいます。殆どの塔頭は非公開ですが、退蔵院・大心院・桂春院のみが通年公開されています。南総門をくぐった右側に塔頭の龍泉庵があります。妙心寺は応仁・文明の乱(14

  • 妙心寺(その1-伽藍)

    今宮神社から丸太町通りまで戻り、丸太町通りを東へ進んで「妙心寺前」の信号を左折して北へ進んだ先に妙心寺の南総門があります。現在の南総門は慶長15年(1610)に建立された切妻造、本瓦葺きの薬医門で、国の重要文化財に指定されています。妙心寺は山号を正法山(しょうぼ

  • 今宮神社(右京区花園)

    法金剛院から丸太町通りを東へ進み、JR花園駅前を通りぎた「花園駅前」の信号を左折して北へ進んだ先に今宮神社があります。長和4年(1015)、都に疫病が流行した際、第67代・三条天皇(在位:1011~1016)の託宣により神殿が建立され、厄除け神である素戔嗚尊を祀ったのが始ま

  • 法金剛院

    花園西陵から西へ進むとカーブして南北の通りとなり、南へ進んだ東側に地蔵院があります。待賢門院が法金剛院を再興された際に地蔵院が建立されました。応仁・文明の乱(1467~1477)で焼失後、地蔵院は法金剛院の塔頭となりましたが、享保18年(1733)に焼失し、安永8年(1779)に

  • 宇多天皇陵~花園西陵

    蓮花寺と仁和寺東門との間の車道を北へ進むと、第59代・宇多天皇の大内山陵への入口があります。大内山陵への参道は仁和寺の西門を出た、御室八十八ヶ所霊場・結願の第88番・大窪寺から南へ進んだ所に入口があり、この場所は参道の中間点辺りになります。参道は整備が行き届

  • 五智山 蓮花寺

    蓮花寺は山号を五智山と号する真言宗御室派の別格本山で、近畿三十六不動尊霊場の第15番札所です。大同4年(809)、唐から帰国して入京を許された空海は、広沢池の北西(現在の第91代・後宇多天皇の蓮華峰寺陵地内)の岩屋の中で不動明王を感得し、石に刻んできゅうり封じの秘

  • 仁和寺-その3(御殿)

    仁和寺の二王門をくぐった左側に「御殿」と呼ばれる一画があり、かってこの辺りに宇多法皇の御所があったと伝わります。法皇が住した僧坊は「御室」と呼ばれ、仙洞御所(せんとうごしょ)の役割を果たし、御室に入った上皇の尊称ともなりました。また、付近の地名の由来にも

  • 仁和寺-その2(伽藍)

    御室八十八ヶ所霊場から下ってきた所に仁和寺の西門があります。境内の立ち入りは無料ですが、桜の季節は有料となります。門を入った北側に御影堂の門があります。御影堂は鎌倉時代の建暦元年(1211)に創建されましたが、応仁・文明の乱(1467~1477)で焼失し、寛永年間(1624~

  • 仁和寺-その1(御室八十八ヶ所霊場)

    福王子神社から東へ進んだ先に仁和寺があります。仁王門前の日時計は午前7時を指し、開門まではまだ時間がありそうなので、御室八十八ヶ所霊場を巡ることにしました。仁和寺から西へ進み、ガソリンスタンドの角を北へ進んだ先に霊場1番の霊山寺があります。御室八十八ヶ所霊

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