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ブログタイトル
関西の主な巡礼地
ブログURL
http://echo2019-06-11st.blog.jp/
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西国観音霊場、新西国霊場、薬師霊場、近畿不動尊、神仏霊場など関西の巡礼地及び洛陽観音霊場、京都十二薬師、都七福神などの京都市内の霊場を紹介します。
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33回 / 365日(平均0.6回/週)

ブログ村参加:2019/08/14

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FULAFURAJUNREIさん
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関西の主な巡礼地

FULAFURAJUNREIさんの新着記事

1件〜30件

  • 敷地神社(わら天神宮)

    平野神社から西大路通りを北へ、約5分ほど歩いた西側に敷地神社があります。かって、現在の鹿苑寺(金閣寺)がある山麓に天神地祇(てんしんちぎ)が降臨したと伝わり、それを祀ったのが敷地神社の始まりとされています。一方で、忌部氏(いんべうじ)の祖人である天日鷲神(あめ

  • 平野神社

    花山天皇陵から西へ進み、丁字路を左折して南へ進んだ所に平野神社の駐車場があります。平野神社は西大路通りに面しても鳥居が建っていますが、こちらの方が鳥居から神門、拝殿、本殿が一直線上に並ぶ表参道となります。かって、現在地には鳥居の代わりに門がありましたが、

  • 花山天皇陵

    上品蓮台寺から北大路通まで北進し、北大路通を西へ進んで西大路通の一つ手前を左折して南へ進み突き当りを右へ曲がった先に花山天皇陵の駐車場があります。「花山天皇 紙屋川上陵(かみやがわのほとりのみささぎ)」と記されています。花山天皇は安和元年10月26日(968年11

  • 上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)

    船岡山の西側に千本通りに面して上品蓮台寺があります。山号を蓮華金宝山、院号を九品三昧院(くぼんさんまいいん)と号する真言宗智山派の寺院です。寺伝によれば、飛鳥時代に聖徳太子が母の菩提寺として創建され、平安時代に宇多法皇により中興されたと伝わります。一方で

  • 引接寺(千本ゑんま堂)

    千本通りを北上して、「千本寺之内」の信号の次にある信号の左側に、引接寺(いんじょうじ)があります。引接寺は、山号を「光明山」、正式な寺号を「歓喜院引接寺」と号する高野山真言宗の寺院です。かって、引接寺の北、船岡山の北西から紙屋川にかけての地区は「蓮台野(

  • 石像寺(釘抜地蔵)

    千本通りを南下し、「千本寺之内」の信号の先、左側に石像寺があります。石像寺は山号を「家隆山(かりゅうざん)」、正式には「光明遍照院石像寺」と号する浄土宗の寺院で、洛中四十八願寺及び地蔵尊の洛陽四十八願所霊場の札所です。山門をくぐった左側に大師堂があり、弘

  • 大徳寺-その5(塔頭・聚光院、総見院、三玄院、雲林院)

    本坊前の東西の参道と、芳春院への北の参道が交わる角の西側に聚光院(じゅこういん)がありますが、非公開です。永禄9年(1566)に三好長慶(みよし ながよし)の養子となった義継が、養父・長慶の菩提を弔うため、笑嶺宗訢(しょうれい そうきん)を開山として創建されました

  • 大徳寺-その4(塔頭・大仙院、真珠庵、芳春院他)

    本坊の西側を北へ進むと、芳春院と如意庵の門があります。門をくぐると、左側に如意庵の表門がありますが、如意庵は非公開です。如意庵は大徳寺の最初の塔頭とされ、応安年間(1368~1375)に大徳寺7世・言外宗忠(ごんがい そうちゅう)によって創建されました。応仁・文明の

  • 大徳寺-その3(中心伽藍)

    龍源院の先で駐車場からの総門の参道と合流し、西へ曲がった所に国の重要文化財に指定されている勅使門があります。勅使門は、慶長年間(1596~1614)に建立された御所の陽明門が第108代・後水尾天皇から下賜され、寛永17年(1640)に移築されました。大徳寺は宗峰妙超(しゅうほ

  • 大徳寺-その2(塔頭・龍源院、徳禅寺)

    龍源院(りょうげんいん)は、黄梅院の北隣にあります。現在大徳寺山内には24の塔頭がありますが、殆どは非公開で、通年公開されているのは龍源院、瑞峯院、大仙院、高桐院の4か院のみです。現在の表門は創建当初のもので、切妻造・桧皮葺の四脚門で、国の重要文化財に指定さ

  • 大徳寺-その1(塔頭・黄梅院)

    堀川通りを北上し、北大路通りへ左折して西へ進み、「大徳寺前」の信号を右折した先に大徳寺の駐車場があります。バイクは総門脇の案内書前に無料で置かせてもらえます。しかし、南門から入るのが正式と思い、北大路通りの方へ戻りました。南門大徳寺は山号を龍宝山と号する

  • 常盤井跡・玄武神社・小野篁と紫式部の墓

    建勲神社の大鳥居前を東へ進み、智恵光院通りを北へ進んだ一筋目の東側に常盤井があります。京都の名水の一つで、碑文には霊泉の功徳が記されています。しかし、現在、水は枯れています。かって、この辺りに源義朝の邸宅があり、その側室で源義経の母である常盤御前(ときわ

  • 船岡山

    建勲神社の西側に標高111.89mの船岡山の三等三角点があります。背後は旧サイレン塔です。山頂の南側が開け、京都市内が一望できます。双ヶ岡から西山連山が近くに見えるのに対し、東山連峰は遠く、現在の京都の中心部から平安京の中心部が離れていることが見て取れます。船岡

  • 建勲神社(たけいさおじんじゃ)

    今宮神社から南へ進み、北大路通を横断した先に建勲神社の北参道があります。船岡山の中腹までバイクで登れ、その先に建勲神社の駐車場があります。しかし、北大路通を左折して、その先の「建勲神社前」の信号を右折して建勲神社へ向かいます。こちらは駐車場が無いので、建

  • 紫野 今宮神社

    鷹峯から下って北大路通を左折して東へ進み、「今宮門前」の信号を左折した先に今宮神社があります。時短するなら鷹峯から下ってきた変則的な四差路を、右折して北大路通りの方へ向かわず、東へ進めば今宮神社の楼門間に出ます。北大路通から左折すると、本来は大鳥居が建っ

  • 京都市北区鷹峯-その4(圓成寺)

    光悦寺の北向かいに圓成寺があります。圓成寺は山号を清雲山と号する日蓮宗の寺院で、洛陽十二支妙見めぐり・亥(北北西)の札所です。延暦13年(794)に平安京に遷都された第50代・桓武天皇は、都の四方に妙見大菩薩を、四隅に法華経を納め、建都されたと伝わります。天皇は正月

  • 京都市北区鷹峯-その3(光悦寺)

    常照寺から「鷹峯」の信号を超えて、更に西へ進んだ南側に光悦寺があります。光悦寺は山号を大虚山と号する日蓮宗の寺院です。元和元年(1615)に本阿弥光悦は、徳川家康からこの地を与えられました。この地には、「京の七口」の一つ、長坂口があり、長坂を経て杉坂に至る丹波

  • 京都市北区鷹峯-その2(常照寺)

    「鷹峯」の信号から東へ進んだ北側に常照寺があります。常照寺は山号を寂光山と号する日蓮宗の寺院で、本阿弥光悦の養子・光嵯がこの地に建立した四ヶ寺の一寺です。元和2年(1616)に光嵯が、身延山久遠寺の21世・日乾上人(にっけんしょうにん)を招き、「法華の鎮所」として

  • 京都市北区鷹峯-その1(後冷泉天皇火葬塚~源光庵)

    千本北大路の交差点の北東角に第70代・後冷泉天皇の火葬塚があります。後冷泉天皇は第69代・後朱雀天皇の第一皇子で、諱(いみな)を親仁(ちかひと)と称しました。万寿2年(1025)に誕生し、その2日後に生母の東宮妃・嬉子(きし/よしこ)が薨去しました。藤原嬉子は摂政・藤

  • 金閣寺

    龍安寺から「きぬかけの路」を北上した所に金閣寺があります。現在、金閣寺では令和2年(2020)12月までの予定で、舎利殿(金閣)の屋根の葺き替え工事が行われています。また、平成28年(2016)に金閣寺が行った通路の設置工事の場所に、七重の塔の土台部分があったと指摘され、

  • 龍安寺背後の朱山

    再び龍安寺の参道を北へ進み、「石庭」への順路を示す立札の右側に車椅子などの順路が示され、その方向へ進みます。梅枝庵は湯豆腐料理の茶屋だそうですが、門は閉じられ、詳細は不明です。更に参道を進んだ右側に第69代・後朱雀天皇の皇后・偵子(ていし)内親王の圓乗寺東

  • 龍安寺

    等持院の山門前から西へ進み、その先で北に向きを変え、立命館大学の横を通り抜けて「きぬかけの路」へ入り、少し西に進んだ先に龍安寺の駐車場があります。一旦、駐車場を出て、「きぬかけの路」を西へ進み、押しボタン式信号が付いた横断歩道を渡って南へ進んだ所に、延宝8

  • 等持院

    六請神社から西へ進んだ所に、等持院の山門があります。江戸時代に建立された一間一戸の薬医門で、切妻造りの本瓦葺です。かって、この地には仁和寺の一子院があったと伝わり、東には無学祖元の遺爪髪を祀る正脈庵がありました。興国3年/暦応5年(1342)に、足利貞氏の子で足利

  • 萬年山 眞如寺

    六請神社の北に、隣接して眞如寺への参道がありますが、通常非公開のため、門は閉じられています。眞如寺は山号を萬年山と号する臨済宗相国寺派の寺院で、鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)とともに相国寺の3つの山外塔頭を構成する寺院の1つです。眞如寺は、無着如大尼(

  • 六請神社

    妙心寺の北総門から京福北野線の踏切を超えた北東方向に六請神社(ろくしょうじんじゃ)があります。六請神社は標高201mの衣笠山の麓にあって、かって衣笠山は葬送地でした。風葬が行われ、この地を開拓した人々が、その祖神とされる天照御魂神(あまてるみたまのかみ)や大

  • 妙心寺-その5(小方丈・微妙殿~桂春院)

    大心院を出て北の方を見ると、東海庵の先から白壁が続いています。白壁の間に妙心寺の小方丈の門がありますが、小方丈は非公開です。慶長8年(1603)に玉鳳院御殿として建立されましたが、明暦2年(1656)に現在地に移築・改築されました。桁行15.9m、梁間10.0m、一重、入母屋造

  • 妙心寺-その4(塔頭・東海庵~大心院)

    玉鳳院の西側を北へ進んだ左側に東海派の東海庵があります。文明16年(1484)に妙心寺11世・悟渓宗頓(ごけいそうとん:1416~1500)により、二祖・授翁宗弼(じゅおうそうひつ)の塔所として創建されました。悟渓宗頓は六祖・雪江宗深(せっこうそうしん:1408~1486)の4人の

  • 妙心寺-その3(塔頭・天授院~開山堂)

    塔頭・退蔵院の北側に塔頭・天授院があります。天授院は康暦2年/延元4年(1340)に妙心寺二祖・授翁宗弼(じゅおうそうひつ)により、現在の東海庵の北側に創建されました。その後、応仁・文明の乱(1467~1477)で焼失し、妙心寺六祖・雪江宗深(せっこうそうしん)により再建さ

  • 妙心寺-その2(塔頭・退蔵院)

    妙心寺は日本最大の禅寺で、東西約500m、南北約620mの広大な境内地を有し、山内に40余りの塔頭が建ち並んでいます。殆どの塔頭は非公開ですが、退蔵院・大心院・桂春院のみが通年公開されています。南総門をくぐった右側に塔頭の龍泉庵があります。妙心寺は応仁・文明の乱(14

  • 妙心寺(その1-伽藍)

    今宮神社から丸太町通りまで戻り、丸太町通りを東へ進んで「妙心寺前」の信号を左折して北へ進んだ先に妙心寺の南総門があります。現在の南総門は慶長15年(1610)に建立された切妻造、本瓦葺きの薬医門で、国の重要文化財に指定されています。妙心寺は山号を正法山(しょうぼ

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