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関西の主な巡礼地 http://echo2019-06-11st.blog.jp/

西国観音霊場、新西国霊場、薬師霊場、近畿不動尊、神仏霊場など関西の巡礼地及び洛陽観音霊場、京都十二薬師、都七福神などの京都市内の霊場を紹介します。

FULAFURAJUNREI
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2019/08/14

1件〜100件

  • 敷地神社(わら天神宮)

    平野神社から西大路通りを北へ、約5分ほど歩いた西側に敷地神社があります。かって、現在の鹿苑寺(金閣寺)がある山麓に天神地祇(てんしんちぎ)が降臨したと伝わり、それを祀ったのが敷地神社の始まりとされています。一方で、忌部氏(いんべうじ)の祖人である天日鷲神(あめ

  • 平野神社

    花山天皇陵から西へ進み、丁字路を左折して南へ進んだ所に平野神社の駐車場があります。平野神社は西大路通りに面しても鳥居が建っていますが、こちらの方が鳥居から神門、拝殿、本殿が一直線上に並ぶ表参道となります。かって、現在地には鳥居の代わりに門がありましたが、

  • 花山天皇陵

    上品蓮台寺から北大路通まで北進し、北大路通を西へ進んで西大路通の一つ手前を左折して南へ進み突き当りを右へ曲がった先に花山天皇陵の駐車場があります。「花山天皇 紙屋川上陵(かみやがわのほとりのみささぎ)」と記されています。花山天皇は安和元年10月26日(968年11

  • 上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)

    船岡山の西側に千本通りに面して上品蓮台寺があります。山号を蓮華金宝山、院号を九品三昧院(くぼんさんまいいん)と号する真言宗智山派の寺院です。寺伝によれば、飛鳥時代に聖徳太子が母の菩提寺として創建され、平安時代に宇多法皇により中興されたと伝わります。一方で

  • 引接寺(千本ゑんま堂)

    千本通りを北上して、「千本寺之内」の信号の次にある信号の左側に、引接寺(いんじょうじ)があります。引接寺は、山号を「光明山」、正式な寺号を「歓喜院引接寺」と号する高野山真言宗の寺院です。かって、引接寺の北、船岡山の北西から紙屋川にかけての地区は「蓮台野(

  • 石像寺(釘抜地蔵)

    千本通りを南下し、「千本寺之内」の信号の先、左側に石像寺があります。石像寺は山号を「家隆山(かりゅうざん)」、正式には「光明遍照院石像寺」と号する浄土宗の寺院で、洛中四十八願寺及び地蔵尊の洛陽四十八願所霊場の札所です。山門をくぐった左側に大師堂があり、弘

  • 大徳寺-その5(塔頭・聚光院、総見院、三玄院、雲林院)

    本坊前の東西の参道と、芳春院への北の参道が交わる角の西側に聚光院(じゅこういん)がありますが、非公開です。永禄9年(1566)に三好長慶(みよし ながよし)の養子となった義継が、養父・長慶の菩提を弔うため、笑嶺宗訢(しょうれい そうきん)を開山として創建されました

  • 大徳寺-その4(塔頭・大仙院、真珠庵、芳春院他)

    本坊の西側を北へ進むと、芳春院と如意庵の門があります。門をくぐると、左側に如意庵の表門がありますが、如意庵は非公開です。如意庵は大徳寺の最初の塔頭とされ、応安年間(1368~1375)に大徳寺7世・言外宗忠(ごんがい そうちゅう)によって創建されました。応仁・文明の

  • 大徳寺-その3(中心伽藍)

    龍源院の先で駐車場からの総門の参道と合流し、西へ曲がった所に国の重要文化財に指定されている勅使門があります。勅使門は、慶長年間(1596~1614)に建立された御所の陽明門が第108代・後水尾天皇から下賜され、寛永17年(1640)に移築されました。大徳寺は宗峰妙超(しゅうほ

  • 大徳寺-その2(塔頭・龍源院、徳禅寺)

    龍源院(りょうげんいん)は、黄梅院の北隣にあります。現在大徳寺山内には24の塔頭がありますが、殆どは非公開で、通年公開されているのは龍源院、瑞峯院、大仙院、高桐院の4か院のみです。現在の表門は創建当初のもので、切妻造・桧皮葺の四脚門で、国の重要文化財に指定さ

  • 大徳寺-その1(塔頭・黄梅院)

    堀川通りを北上し、北大路通りへ左折して西へ進み、「大徳寺前」の信号を右折した先に大徳寺の駐車場があります。バイクは総門脇の案内書前に無料で置かせてもらえます。しかし、南門から入るのが正式と思い、北大路通りの方へ戻りました。南門大徳寺は山号を龍宝山と号する

  • 常盤井跡・玄武神社・小野篁と紫式部の墓

    建勲神社の大鳥居前を東へ進み、智恵光院通りを北へ進んだ一筋目の東側に常盤井があります。京都の名水の一つで、碑文には霊泉の功徳が記されています。しかし、現在、水は枯れています。かって、この辺りに源義朝の邸宅があり、その側室で源義経の母である常盤御前(ときわ

  • 船岡山

    建勲神社の西側に標高111.89mの船岡山の三等三角点があります。背後は旧サイレン塔です。山頂の南側が開け、京都市内が一望できます。双ヶ岡から西山連山が近くに見えるのに対し、東山連峰は遠く、現在の京都の中心部から平安京の中心部が離れていることが見て取れます。船岡

  • 建勲神社(たけいさおじんじゃ)

    今宮神社から南へ進み、北大路通を横断した先に建勲神社の北参道があります。船岡山の中腹までバイクで登れ、その先に建勲神社の駐車場があります。しかし、北大路通を左折して、その先の「建勲神社前」の信号を右折して建勲神社へ向かいます。こちらは駐車場が無いので、建

  • 紫野 今宮神社

    鷹峯から下って北大路通を左折して東へ進み、「今宮門前」の信号を左折した先に今宮神社があります。時短するなら鷹峯から下ってきた変則的な四差路を、右折して北大路通りの方へ向かわず、東へ進めば今宮神社の楼門間に出ます。北大路通から左折すると、本来は大鳥居が建っ

  • 京都市北区鷹峯-その4(圓成寺)

    光悦寺の北向かいに圓成寺があります。圓成寺は山号を清雲山と号する日蓮宗の寺院で、洛陽十二支妙見めぐり・亥(北北西)の札所です。延暦13年(794)に平安京に遷都された第50代・桓武天皇は、都の四方に妙見大菩薩を、四隅に法華経を納め、建都されたと伝わります。天皇は正月

  • 京都市北区鷹峯-その3(光悦寺)

    常照寺から「鷹峯」の信号を超えて、更に西へ進んだ南側に光悦寺があります。光悦寺は山号を大虚山と号する日蓮宗の寺院です。元和元年(1615)に本阿弥光悦は、徳川家康からこの地を与えられました。この地には、「京の七口」の一つ、長坂口があり、長坂を経て杉坂に至る丹波

  • 京都市北区鷹峯-その2(常照寺)

    「鷹峯」の信号から東へ進んだ北側に常照寺があります。常照寺は山号を寂光山と号する日蓮宗の寺院で、本阿弥光悦の養子・光嵯がこの地に建立した四ヶ寺の一寺です。元和2年(1616)に光嵯が、身延山久遠寺の21世・日乾上人(にっけんしょうにん)を招き、「法華の鎮所」として

  • 京都市北区鷹峯-その1(後冷泉天皇火葬塚~源光庵)

    千本北大路の交差点の北東角に第70代・後冷泉天皇の火葬塚があります。後冷泉天皇は第69代・後朱雀天皇の第一皇子で、諱(いみな)を親仁(ちかひと)と称しました。万寿2年(1025)に誕生し、その2日後に生母の東宮妃・嬉子(きし/よしこ)が薨去しました。藤原嬉子は摂政・藤

  • 金閣寺

    龍安寺から「きぬかけの路」を北上した所に金閣寺があります。現在、金閣寺では令和2年(2020)12月までの予定で、舎利殿(金閣)の屋根の葺き替え工事が行われています。また、平成28年(2016)に金閣寺が行った通路の設置工事の場所に、七重の塔の土台部分があったと指摘され、

  • 龍安寺背後の朱山

    再び龍安寺の参道を北へ進み、「石庭」への順路を示す立札の右側に車椅子などの順路が示され、その方向へ進みます。梅枝庵は湯豆腐料理の茶屋だそうですが、門は閉じられ、詳細は不明です。更に参道を進んだ右側に第69代・後朱雀天皇の皇后・偵子(ていし)内親王の圓乗寺東

  • 龍安寺

    等持院の山門前から西へ進み、その先で北に向きを変え、立命館大学の横を通り抜けて「きぬかけの路」へ入り、少し西に進んだ先に龍安寺の駐車場があります。一旦、駐車場を出て、「きぬかけの路」を西へ進み、押しボタン式信号が付いた横断歩道を渡って南へ進んだ所に、延宝8

  • 等持院

    六請神社から西へ進んだ所に、等持院の山門があります。江戸時代に建立された一間一戸の薬医門で、切妻造りの本瓦葺です。かって、この地には仁和寺の一子院があったと伝わり、東には無学祖元の遺爪髪を祀る正脈庵がありました。興国3年/暦応5年(1342)に、足利貞氏の子で足利

  • 萬年山 眞如寺

    六請神社の北に、隣接して眞如寺への参道がありますが、通常非公開のため、門は閉じられています。眞如寺は山号を萬年山と号する臨済宗相国寺派の寺院で、鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)とともに相国寺の3つの山外塔頭を構成する寺院の1つです。眞如寺は、無着如大尼(

  • 六請神社

    妙心寺の北総門から京福北野線の踏切を超えた北東方向に六請神社(ろくしょうじんじゃ)があります。六請神社は標高201mの衣笠山の麓にあって、かって衣笠山は葬送地でした。風葬が行われ、この地を開拓した人々が、その祖神とされる天照御魂神(あまてるみたまのかみ)や大

  • 妙心寺-その5(小方丈・微妙殿~桂春院)

    大心院を出て北の方を見ると、東海庵の先から白壁が続いています。白壁の間に妙心寺の小方丈の門がありますが、小方丈は非公開です。慶長8年(1603)に玉鳳院御殿として建立されましたが、明暦2年(1656)に現在地に移築・改築されました。桁行15.9m、梁間10.0m、一重、入母屋造

  • 妙心寺-その4(塔頭・東海庵~大心院)

    玉鳳院の西側を北へ進んだ左側に東海派の東海庵があります。文明16年(1484)に妙心寺11世・悟渓宗頓(ごけいそうとん:1416~1500)により、二祖・授翁宗弼(じゅおうそうひつ)の塔所として創建されました。悟渓宗頓は六祖・雪江宗深(せっこうそうしん:1408~1486)の4人の

  • 妙心寺-その3(塔頭・天授院~開山堂)

    塔頭・退蔵院の北側に塔頭・天授院があります。天授院は康暦2年/延元4年(1340)に妙心寺二祖・授翁宗弼(じゅおうそうひつ)により、現在の東海庵の北側に創建されました。その後、応仁・文明の乱(1467~1477)で焼失し、妙心寺六祖・雪江宗深(せっこうそうしん)により再建さ

  • 妙心寺-その2(塔頭・退蔵院)

    妙心寺は日本最大の禅寺で、東西約500m、南北約620mの広大な境内地を有し、山内に40余りの塔頭が建ち並んでいます。殆どの塔頭は非公開ですが、退蔵院・大心院・桂春院のみが通年公開されています。南総門をくぐった右側に塔頭の龍泉庵があります。妙心寺は応仁・文明の乱(14

  • 妙心寺(その1-伽藍)

    今宮神社から丸太町通りまで戻り、丸太町通りを東へ進んで「妙心寺前」の信号を左折して北へ進んだ先に妙心寺の南総門があります。現在の南総門は慶長15年(1610)に建立された切妻造、本瓦葺きの薬医門で、国の重要文化財に指定されています。妙心寺は山号を正法山(しょうぼ

  • 今宮神社(右京区花園)

    法金剛院から丸太町通りを東へ進み、JR花園駅前を通りぎた「花園駅前」の信号を左折して北へ進んだ先に今宮神社があります。長和4年(1015)、都に疫病が流行した際、第67代・三条天皇(在位:1011~1016)の託宣により神殿が建立され、厄除け神である素戔嗚尊を祀ったのが始ま

  • 法金剛院

    花園西陵から西へ進むとカーブして南北の通りとなり、南へ進んだ東側に地蔵院があります。待賢門院が法金剛院を再興された際に地蔵院が建立されました。応仁・文明の乱(1467~1477)で焼失後、地蔵院は法金剛院の塔頭となりましたが、享保18年(1733)に焼失し、安永8年(1779)に

  • 宇多天皇陵~花園西陵

    蓮花寺と仁和寺東門との間の車道を北へ進むと、第59代・宇多天皇の大内山陵への入口があります。大内山陵への参道は仁和寺の西門を出た、御室八十八ヶ所霊場・結願の第88番・大窪寺から南へ進んだ所に入口があり、この場所は参道の中間点辺りになります。参道は整備が行き届

  • 五智山 蓮花寺

    蓮花寺は山号を五智山と号する真言宗御室派の別格本山で、近畿三十六不動尊霊場の第15番札所です。大同4年(809)、唐から帰国して入京を許された空海は、広沢池の北西(現在の第91代・後宇多天皇の蓮華峰寺陵地内)の岩屋の中で不動明王を感得し、石に刻んできゅうり封じの秘

  • 仁和寺-その3(御殿)

    仁和寺の二王門をくぐった左側に「御殿」と呼ばれる一画があり、かってこの辺りに宇多法皇の御所があったと伝わります。法皇が住した僧坊は「御室」と呼ばれ、仙洞御所(せんとうごしょ)の役割を果たし、御室に入った上皇の尊称ともなりました。また、付近の地名の由来にも

  • 仁和寺-その2(伽藍)

    御室八十八ヶ所霊場から下ってきた所に仁和寺の西門があります。境内の立ち入りは無料ですが、桜の季節は有料となります。門を入った北側に御影堂の門があります。御影堂は鎌倉時代の建暦元年(1211)に創建されましたが、応仁・文明の乱(1467~1477)で焼失し、寛永年間(1624~

  • 仁和寺-その1(御室八十八ヶ所霊場)

    福王子神社から東へ進んだ先に仁和寺があります。仁王門前の日時計は午前7時を指し、開門まではまだ時間がありそうなので、御室八十八ヶ所霊場を巡ることにしました。仁和寺から西へ進み、ガソリンスタンドの角を北へ進んだ先に霊場1番の霊山寺があります。御室八十八ヶ所霊

  • 福王子神社

    三寶寺から国道162号線まで戻り、国道を市内方面へと走った五差路の角に福王子神社があります。かって、この地には延喜式に名前が見える深川神社がありました。仁和2年(886)に第58代・光孝天皇の勅願により、福王子神社の東方に仁和寺の建立が着手されました。しかし、光孝天

  • 三寶寺(さんぽうじ)

    平岡八幡宮から国道162号線を市内方面へ進み、JRバス「三宝寺」バス停付近で左折して北へと進んだ突き当りに三寶寺があります。三寶寺は山号を金映山、院号を妙護国院と号する日蓮宗の寺院で、洛陽十二支妙見めぐりの戌(西北西)の札所です。冠木門(かぶきもん)をくぐる

  • 平岡八幡宮

    国道162号線を高雄から市内方面へと走った左側(東側)に平岡八幡宮があります。明治の神仏分離令で神護寺から独立しました。旧社格は村社で、梅ヶ畑一帯の産土神として祀られ、「梅ヶ畑八幡宮」とも呼ばれています。拝殿文政9年(1826)に第120代・仁孝天皇の命により現在の社殿

  • 愛宕神社

    西教寺の裏側から出た所にある橋まで戻り、清滝川支流の谷川沿いの林道を登って行くと、谷川に橋が架かっています。橋を渡ると波切不動尊が祀られていますが、山主の方が建立されたようです。林道は簡易舗装され、バイクでは快調に走れますが、乗用車だと離合が困難で、退避

  • 神護寺

    西明寺から下り、清滝川に沿って下流側へ進むと高雄橋が架かっています。橋を渡ると右側に神護寺への石段の参道があります。参道の石段は続き、ちょっと一休みしたくなるように、「もみじ餅」の甘い言葉がささやきます。更に「みたらし団子」は?と投げかけられますが、新型

  • 槇尾山 西明寺

    高山寺から国道162号線を南下し、「高雄神護寺前」から西側へ下って行った先に西明寺への朱塗りの指月橋が架かっています。橋の手前には「槙尾山聖天堂」の石標が建っています。橋を渡った参道には石灯籠が建っています。左側には苔むした宝篋印塔も建っています。表門は元禄

  • 高山寺

    国道162号線を北上すると清滝川に架かる白雲橋があります。その橋の手前右側(東側)に「茶山 栂尾(とがのお)」の碑が建っています。橋を渡って少し進んだ先に高山寺の表参道があります。新型コロナによる緊急事態宣言で、裏参道の先にある無料駐車場は閉鎖されていますので

  • 木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ=蚕の社)

    大酒神社から三条通りまで戻って東へ進み、三条通りが南東方向へとカーブする手前で直進方向へ進んだ先に木嶋坐天照御魂神社があります。創建に関する詳細は不明ですが、一説では推古天皇12年(604)の広隆寺創建に伴い、秦氏によって勧請されたと伝わり、「木嶋神社(このしま

  • 大酒神社

    広隆寺の東側の通りを北へ進むと右側にカーブし、次の信号の手前に大酒神社があります。かって、広隆寺の桂宮院(けいぐういん)内にあって鎮守社として祀られ、「大辟神社(おおさけじんじゃ)」と称されていました。「辟」には君主の意味があります。大辟神社は、仲哀天皇8

  • 広隆寺

    車折神社から三条通りを東へ進むと通りに面して広隆寺の駐車場があり、駐車券に参拝受付で印を押してもらうと、駐車料金は無料となります。広大な駐車場にかっては大型バスが並んで止まり、大勢の団体客が境内へと入って行くのを見て、長らく参拝を断念していましたが、新型

  • 車折神社(くるまざきじんじゃ)

    鹿王院から三条通りまで戻り、三条通りを東へ進んだ北側に車折神社があります。車折神社の旧社格は村社で、現在は神社本庁に属さない単立神社です。また、神仏霊場の第91番札所となっています社号標は富岡鉄斎の筆によるもので、鉄斎は明治21年(1888)に宮司に就き、復興に尽

  • 鹿王院(ろくおういん)

    桂川の北岸を嵐山方面から三条通りに入り、その先で左折して北へ進んだ先に鹿王院があります。総門前に無料駐車場があります。鹿王院は正式には「覚雄山・大福田宝幢禅寺・鹿王院」と号する臨済宗系の単立寺院です。室町幕府第3代将軍・足利義満はある夜、夢の中で「今年必ず

  • 広沢池(ひろさわのいけ)

    「大覚寺門前」の信号まで戻り、府道29号線を東へ進んだ所に広沢池があり、その手前に兒神社(ちごじんじゃ)があります。兒神社の創建やその後の変遷は不詳ですが、寛朝大僧正の侍童が祀られています。寛朝は延喜16年(916)に宇多天皇の皇子・敦実親王(あつみしんのう)の子

  • 大覚寺-その2(大沢池エリア)

    五大堂から下ると大沢池エリアへの入口があります。ここから再び土足となりますので、式台玄関の方から入った場合は靴を取りに戻るか、門を出て駐車場前の車道を東へ進み、もう一つの大沢池エリアへの入口から入り直す必要があります。車道を進むと木々の間に勅使門を見るこ

  • 大覚寺-その1

    大覚寺は正式には「旧嵯峨御所大覚寺門跡」と称し、山号を嵯峨山と号する真言宗大覚寺派の大本山で、近畿三十六不動尊霊場の第13番、神仏霊場の第89番及び真言宗十八本山の第5番札所です。駐車場からの正面に江戸時代初期に建立された玄関門があります。玄関門の手前には歌碑

  • 福生寺跡

    試峠を通って戻り、清涼寺(嵯峨釈迦堂)の駐車場前の信号を左折して、東へ進んだ先に「大覚寺門前」の信号があります。その信号脇に福生寺跡があります。当地の地名は「嵯峨大覚寺門前六道町」で、「六道の辻」があった場所とされています。化野(あだしの)もまた、東山の

  • 愛宕山登山口~空也の滝

    愛宕念仏寺の先に清滝トンネルがあります。このトンネルは昭和4年(1929)に開業した愛宕山鉄道(あたごさんてつどう)のために掘られたトンネルで、嵐山駅(現在の京福・嵐山駅と共同使用)から清滝駅間3.39kmで運行されていました。同時に鋼索鉄道(ケーブルカー)として清滝

  • 愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)

    化野念仏寺から府道を北西へと進むと愛宕神社の一の鳥居が建っています。一帯の町名が「鳥居本」なのはこの一の鳥居か、曼荼羅山の五山送り火・鳥居形松明に起因するものと思われますが、時代的には一の鳥居の方が古くから建てられていたようです。鳥居をくぐると茶屋・平野

  • 化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)

    檀林寺から府道50号線へ戻り、北へ進むと「後亀山天皇 嵯峨小倉陵参道」の碑が建っています。参道の先、約100mの所に陵があります。南朝第4代・後亀山天皇は、兄の長慶天皇から譲位され、弘和3年/永徳3年(1383)に即位しました。当時の南朝勢力は、既に衰退期にあり、室町幕

  • 檀林寺

    檀林寺は平安時代の承和2年(835)に、第52代・嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(たちばな の かちこ:786~850)により、現在の天龍寺の地に創建されました。唐から禅僧・義空を招いて開山とした尼寺で、我が国初の禅を講じた寺でした。広大な境内に12坊を数えたと伝わり、皇后の崩御

  • 祇王寺

    二尊院から北へ進み、その先で左折して西へ進んだ先に祇王寺があります。受付から入ると苔庭を周遊するように順路が設定されています。祇王寺は山号を高松山、院号を往生院と号する真言宗大覚寺派の寺院です。平安時代の末期、平清盛が盤石な地盤を築き上げた頃、都で白拍子

  • 滝口寺

    二尊院から北へ進み、その先で左折して西へ進んだ突き当たりに祇王寺への参道があります。祇王寺本堂の模型でしょうか?参道を登ると右側に祇王寺の入口あり、その左側を進んだ先に滝口寺の拝観受付があります。滝口寺は山号を小倉山と号する浄土宗の寺院です。かって、この

  • 二尊院

    小倉百人一首文芸苑の右隣りに二尊院があります。二尊院は正式には山号を小倉山、院号を二尊教院、寺号を華台寺と号する天台宗の寺院です。承和年間(834~847)に第52代・嵯峨天皇の勅願により、慈覚大師・円仁が開山したと伝わります。但し、円仁は承和2年(836)から遣唐使と

  • 落柿舎(らくししゃ)

    常寂光寺から戻って東に進み、元来た四つ角を左折して北に進むと、「小倉餡発祥の由来」の駒札が立っています。日本で初めて小豆と砂糖で餡が炊かれたのは、弘仁11年(820)とされています。当時、小倉の里に和三郎という菓子職人がいて「亀の子せんべい」を作っていました。大

  • 常寂光寺(じょうじゃっこうじ)

    「無動庵」から100m足らず西へ進んだ突き当りに常寂光寺があります。南約100mに小倉池があるので随分遠回りして来た感があります。山門は江戸時代後期に改修されました。江戸時代中期の「都名所図会」には袖に土塀をめぐらした薬医門が描かれていますが、現在は土塀は取り払

  • 慈眼堂(じげんどう)

    清涼寺西門から西へ進んだ北側に慈眼堂があります。鎌倉時代前期、この地に藤原定家(1162~1241)が中院山荘を営み、慈眼堂を開基したと伝わり、慈眼堂には本尊として木造千手観音立像が安置されていました。千手観音立像は像高58.1cm、鎌倉時代の作で「中院観音」とも呼ばれ

  • 嵯峨・薬師寺(清涼寺境内塔頭)

    薬師寺の本堂は清涼寺の境内に向かって建っています。現在の本堂などの建物は、江戸時代初期の寛永年間(1624~1645)に焼失し、その後再建されたものです。薬師寺は山号を竜蟠山(りゅうばんさん)と号する浄土宗知恩院派の寺院で、清涼寺の境内塔頭です。薬師寺は弘仁9年(818

  • 清涼寺(嵯峨釈迦堂)

    小倉池から東へ進み、府道29号線へ左折して北へ進んだ突き当りに清涼寺の仁王門があります。現在の仁王門は天明4年(1784)に再建されたもので、京都府の文化財に指定されています。和様と禅宗様を折衷した建物で、初層には室町時代の長亨(ちょうきょう)年間(1487~1489)作の

  • 愛宕野々宮両御旅所

    清涼寺の仁王門の手前に愛宕野々宮両御旅所があります。御旅所とありますが、ここに両社の神輿が納められています。5月の第四日曜日に野宮神社と愛宕神社合同の還幸祭が行われますが、愛宕神社は山の上なので勿論、野宮神社の神輿でさえ、神社に立ち寄ることはありません。大

  • 洛陽十二支妙見めぐり

    妙見大菩薩は、北極星、北斗七星を神格化した菩薩であり、諸星の王として宇宙万物の運気を司どり支配される菩薩です。「洛陽十二支妙見めぐり」は、京都の中心である御所・紫宸殿を中心に十二支の方角に祀られた妙見宮から構成され、それぞれの妙見宮をめぐり開運、厄除けを

  • 御髪神社

    小倉百人一首文芸苑の北側はJR山陰線(嵯峨野線)に面し、踏切がありますが、渡らずに野宮神社まで戻り、神社の南側の竹林を進みます。「竹林の道」と呼ばれ、野宮神社から大河内山荘(おおこうちさんそう)まで約200mの小道で、毎年12月には、京都・嵐山花灯路が開催され

  • 野宮神社(ののみやじんじゃ)

    天龍寺総門から府道29号線を北へ進み、次の丁字路を左折して道なりに進んだ竹林の中に野宮神社があります。野宮とは天皇の代理として伊勢神宮に仕える斎王が伊勢に赴く前に身を清める場所で、主に嵯峨野の地が選ばれ造営されましたが、天皇一代ごとに場所を変え、造り替えら

  • 天龍寺-その2

    天龍寺総門は、南は渡月橋から北の嵯峨釈迦堂へと至る府道29号線に面して建っています。天龍寺は正式には「霊亀山天龍資聖禅寺(れいぎざんてんりゅうしせいぜんじ)」と号する臨済宗天龍寺派の大本山で、神仏霊場の第86番札所です。平成6年(1994)に「古都京都の文化財」の構

  • 天龍寺-その1

    宝巌院前の車道には杭が立てられ、乗用車では通行できませんが、先へ進むと天龍寺の自転車・原付の無料駐車場があり、そのすぐ先には法堂(はっとう)があります。元治元年7月19日(1864年8月20日)の禁門の変で、長州藩は天王山と伏見の長州藩邸及び天龍寺に陣を敷いていたこ

  • 渡月橋とその周辺

    承和年間(834~847)、法輪寺を中興した道昌は勅願により大堰川(おおいがわ)を修築し、現在の渡月橋より上流約100mに橋を架けました。大堰川とは渡月橋の上流から松尾の辺りを指し、それより上流は「保津川」、下流は「桂川」と呼ばれています。この地を開拓した秦氏により

  • 宗像神社・櫟谷神社(いちたにじんじゃ)

    法輪寺から府道29号線を北上し、渡月橋を渡らずに更に北へと進んだ左側に宗像神社・櫟谷神社への石段があります。神社の境内左側に「嵐山モンキーパーク(入園料550円)」の入口がありますが、新型コロナの影響で、閉園されています。宗像神社・櫟谷神社とも古くから松尾大社

  • 法輪寺

    西光院から北へ進むと府道29号線に合流し、府道を更に北へ進むと法輪寺があります。府道から境内に入ると轟橋が架けられていますが、現在川はありません。北向きの石段を登ると山門があり、左側に無料駐車場があります。無料駐車場の向かいに稲荷社があります。フェンス内に

  • 西光院

    蔵泉寺前の街道を北へ進んだ所に西光院があります。西光院は山号を二尊山と号する浄土宗西山禅林寺派の寺院で、京都洛西観音霊場の第29番札所です。塀の前に「西行法師旧跡」の石碑が建っていますが、西光寺は西行法師が住したと伝わる庵を起源としています。かって本堂の北

  • 蔵泉寺(ぞうせんじ)

    松尾大社から府道29号線を北上し、郵便局の手前の信号を左折し、その先の四つ角を左折して道なりに進んだ先に蔵泉寺があります。蔵泉寺は山号を宝珠山と号する臨済宗相国寺派の尼寺で、京都洛西観音霊場の第28番札所です。山門の手前には夢窓国師の腰掛石があります。夢窓疎

  • 梅宮大社(うめのみやたいしゃ)

    松尾大社から桂大橋を渡り、四条通りを東へ進み、「梅宮大社前」の信号を左折した先に梅宮大社があります。四条通りから左折して北へ進んだ参道には一の鳥居が建っています。梅宮大社の旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁に属さない単立神社です。更に参道を進むと二の鳥居

  • 松尾大社(まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ)

    月讀神社から北へ約400m進むと松尾大社の無料駐車場があります。3月26日に参拝した時には駐車場のフェンス沿いの桜が満開でした。駐車場の奥に鳥居が建ち、奥には土俵が見えます。毎年9月の第一日曜日に、松尾大社では八朔祭が行われ、当日には「八朔相撲」と称される相撲神

  • 月読神社

    月読神社は松尾大社の境外摂社で、松尾七社の一社に数えられています。月読神社は『日本書紀』巻十五の第23代・顕宗天皇(けんぞうてんのう)3年(487)の条に記述が見られます。任那(みまな/にんな=古代に存在した朝鮮半島南部の地域)へ派遣された阿閉臣事代(あへのおみこ

  • 西光寺

    華厳寺から東へ進み、突き当りを左折した先に西光寺があります。西光寺は山号を帰峰山と号する浄土宗西山禅林寺派の寺院で、京都洛西観音霊場の番外札所です。本尊は阿弥陀如来で、札所本尊は如意輪観音ですがここには安置されていません。華厳寺から来る途中で横に見た谷ヶ

  • 華厳寺(鈴虫寺)

    西芳寺から北東方向に歩いても数分の所に華厳寺があります。華厳寺は山号を妙徳山(みょうとくさん)と号する臨済宗系の単立寺院で、四季を通じて鈴虫が飼育されていることから通称で「鈴虫寺」と呼ばれています。華厳寺は開門され、本堂の参拝はできますが、新型コロナの影

  • 西芳寺(苔寺)

    来迎寺から北西方向に斜めに進むと西芳寺への参道に合流します。参道を西方向に進んだ先に西芳寺があります。寺の南側に西芳寺川が流れ、手前に大歇橋(だいけつきょう)が架かっていますがこちらからは入れません。大歇橋はかって、現在の黄金池の東側にある茶室「潭北亭(

  • 竹の寺地蔵院

    浄住寺から「左・浄住寺」「右・地蔵院」の道標が建つ四つ角迄戻り、地蔵院の方向に進んだ先に竹の寺地蔵院があります。地蔵院は山号を衣笠山と号する臨済宗系の単立寺院で、周囲を竹林で囲まれていることから通称で「竹の寺」と呼ばれています。鎌倉時代、この地には公卿で

  • 浄住寺

    観世寺から南西方向へ10分足らずバイクで走ると「山田岐れ(わかれ)」の変則的な四つ角があり、その南西角に「浄住寺」への道標が建っています。更にその先には「左・浄住寺」「右・地蔵院」の道標が建ち、左折した先に浄住寺があります。浄住寺は山号を葉室山と号する黄檗

  • 観世寺(かんせいじ)

    上桂御霊神社から北東方向にバイクで約5分の距離に観世寺があります。観世寺は山号を大悲山と号する西山浄土宗の寺院で、京都洛西観音霊場の第27番札所です。観世寺には山門はありませんが、金剛力士が浮き彫りされた石板が境内を守護しています。現在の本堂は昭和40年(1965)

  • 御霊神社(上桂御霊神社)

    御霊神社が創建された年代は不明ですが、この地を開拓した人々が太田神を祀って五穀豊穣を祈ったのが始まりとされています。山背国は秦氏によって開拓され、秦氏は氏神として稲荷神を京都一帯に祀ったとされています。北西約1.5kmの距離には秦氏が創建した松尾大社もあること

  • 長恩寺

    阿弥陀寺から北東方向、バイクで5分余りの距離に長恩寺があります。長恩寺は山号を霊鷲山(れいじゅうざん)と号する西山浄土宗の寺院で、京都洛西観音霊場の第26番札所です。明治15年(1882)、近隣の尼寺、千光寺・念仏寺・光照庵が合併されて長恩寺となり、千光寺の堂宇が残

  • 阿弥陀寺

    阿弥陀寺は地蔵寺から北西方向にバイクで約5分の距離にあるのですが、スマホのナビでは入口の場所がわからず、少々迷いました。阿弥陀寺は山号を吉祥山と号する浄土宗西山深草派の寺院で、京都洛西観音霊場の第25番札所で、23番・千手院常楽寺の代行もされています。浄土宗西

  • 地蔵寺

    千手院常楽寺から少し南へ進み、阪急京都線の踏切を渡って線路沿いに北上し、桂駅前から東へ進んだ先に地蔵寺があります。地蔵寺は山号を久遠山と号する浄土宗の寺院で、京都洛西観音霊場の第23番札所です。平安時代、この地には「桂大納言」と呼ばれた公卿・源経信(みなも

  • 千手院常楽寺

    長福寺から西へ進み阪急京都線を超えて線路に沿って北上した、桂駅の西口付近の大宮社の境内に千手院常楽寺があります。大宮社の社号標には「松尾七社之一」と記されていますが、松尾七社を調べると月読神社・四大神社(しのおおかみのやしろ)・衣手社・三宮社・宗像社・櫟

  • 長福寺(京都市西京区)

    称讃寺から北西方向にバイクで約5分の距離に長福寺があります。長福寺は山号を念佛山と号する浄土宗西山禅林寺派の寺院で、京都洛西観音霊場の第21番札所です。かって、京都洛西観音霊場の第21番札所は法華山永福寺でしたが、明治12年(1879)に長福寺に合併されました。更に、

  • 称讃寺(京都市西京区)

    蔵王堂光福寺から北東方向にバイクで5分弱走った所に称讃寺があります。称讃寺は山号を青柳山(せいりゅうざん)と号する浄土宗西山禅林寺派の寺院で、京都洛西観音霊場の第20番札所です。寺の西側に保育園が隣接し、境内には園児達が遊んでいたので、新型コロナの影響を考え

  • 蔵王堂光福寺(京都市南区)

    神仏習合時代を偲ばせる鳥居安禅寺から南へ進んで府道201号線を西に進み、新幹線をくぐって次の丁字路を北上した先に蔵王堂光福寺があります。山号を醫(医)王山と号する西山(せいざん)浄土宗の寺院で、京都洛西観音霊場の第19番札所です。参道の桜は吉野との縁により植えら

  • 安禅寺

    西圓寺から桂川の堤防を北上し、国道171号線を左折してその先の171号線が延長する道路を右折した先に安禅寺があります。但し、車道からの細い通路にバイクを止め、境内に入った南側に山門があります。安禅寺は山号を栖雲山(せいうんざん)と号する西山(せいざん)浄土宗の

  • 西圓寺

    万福寺から国道171号線まで戻り、国道171号線を北上して「久世殿城中」の信号を右折して東に進み、その先で北上した先に西圓寺があります。西圓寺は山号を朝日山と号する西山(せいざん)浄土宗の寺院で京都洛西観音霊場の第18番札所です。本堂西圓寺は文化5年(1808)の火災で

  • 万福寺(京都市南区)

    観音寺から西へバイクで5分余り走った所に万福寺があります。万福寺は山号を 慈眼山と号する西山(せいざん)浄土宗の寺院で京都洛西観音霊場の第17番札所です。本堂15歳で最澄に師事した円仁がこの地を訪れた際に、村人からの“おもてなし”に感謝し、聖観音像を刻み一宇を

  • 観音寺(京都市伏見区羽束師菱川町)

    観音寺は山号を普陀落山と号する真言宗豊山派の寺院で、京都洛西観音霊場の第15番札所です。国道171号線を南へ進み「菱川上植野」の信号を左折した中央分離帯がある大通りの一筋北側にあり、京都洛西観音霊場で唯一、所在地が京都市伏見区となっています。本堂観音寺は養老6

  • 福成寺

    西国街道まで戻って北上し、東北角に信用金庫がある変則四つ角を左折して西へ進んだ突き当りの石段上に樫原廃寺跡(かたぎはらはいじあと)があり、国の史跡に指定されています。飛鳥時代後期に創建され、平安時代中期に廃絶したと考えられ、寺名も判明しなかったので地名か

  • 来迎寺(向日市物集女町)

    西国街道(府道67号線/物集街道)まで戻って北上し、次の中央分離帯がある大通りの一筋南側に来迎寺があります。来迎寺は山号を紫雲山と号する西山(せいざん)浄土宗の寺院で、京都洛西観音霊場の第32番札所です。室町時代の寛正年間(1460~1466)に錦空上人により、浄土宗西

  • 宝菩提院跡~淳和天皇火葬塚

    泉福寺から西へ進み、西国街道で右折して北上します。向日市文化資料館前を通り過ぎた次の四つ角を左折した先の例慶公園(れつけいこうえん)に宝菩提院跡の説明板が建っています。宝菩提院は、飛鳥時代の670~680年頃に、女帝であった第41代・持統天皇の夢告により薬師如来

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