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関西の主な巡礼地 https://echo2019-06-11st.blog.jp/

西国観音霊場、新西国霊場、薬師霊場、近畿不動尊、神仏霊場など関西の巡礼地及び洛陽観音霊場、京都十二薬師、都七福神などの京都市内の霊場を紹介します。

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2019/08/14

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  • 関ケ原古戦場

    当日はまず谷汲山華厳寺へ参拝しました。奥之院の記事を追加しましたので、こちらをご覧ください。谷汲山華厳寺から南西方向へバイクで約40分の距離に関ケ原古戦場の「徳川家康最初陣跡」があります。当地は「桃配山(ももくばりやま)」と称され、第40代・天武天皇元年(672)

  • 美江寺

    史蹟・道三塚から南へ徒歩30分余りの距離に美江寺があります。山号を「大日山」、院号を「觀昌院」と号する天台宗の寺院で、第44代・元正天皇(在位:715~724)の勅願により開創され、勤操(ごんそう/ごんぞう:754~827)が開基とされました。伊賀国名張郡の伊賀寺に安置され

  • 川原町から崇福寺

    金華山ロープウェイの山麓駅から北西へ、歩いて約10分の距離に「川原町の古いまちなみ」があります。「湊町・玉井町・元浜町」の街並みは通称「川原町」と呼ばれ、江戸時代には長良川の港町として栄え、格子戸のある古い街並みが残されています。先へ進むと鵜飼遊覧船のチケ

  • 岐阜城模擬天守及び岐阜城資料館から下山

    岐阜城模擬天守は3層4階建て、棟高17.7m、 鉄筋コンクリート造りで、3階までは史料展示室、4階は展望台となっています。史料展示室には、岐阜城が存在していた当時のジオラマが展示されています。織田信長(1534~1582)は、小牧山城を築城してから4年後の永禄10年(1567)に斎藤

  • 岐阜城

    金華山ロープウェイの山頂駅には展望台があります。展望台からは濃尾平野が見渡せます。城への登山道には冠木門が設けられています。先へ進むと「一ノ門跡」と伝わる場所があり、巨石や石垣が一部残されています。「一ノ門」から続く通路は、江戸時代の絵図や記録に「馬場」

  • 織田信長居館跡

    正法寺前の国道256号線を少し北へ進むと岐阜市歴史博物館があります。館内には鵜飼資料や戦国合戦屏風などが展示されています。その先は岐阜公園として整備されています。公園内には板垣退助の像が造立されています。明治15年(1882)4月6日午後6時半頃に自由党党首・板垣退助(

  • 常在寺~正法寺

    伊奈波神社の北、徒歩10分弱の距離に常在寺があり、その参道からは岐阜城が望めます。常在寺は山号を「鷲林山(しゅうりんざん)」と号する日蓮宗の寺院で、宝徳2年(1450)に美濃守護・土岐氏の家臣であった斎藤妙椿(さいとう みょうちん:1411~1480)が妙覚寺世尊院の僧・

  • 伊奈波神社

    岐阜善光寺の右側に伊奈波神社の大鳥居が建っています。社伝では第12代・景行天皇14年(84)、武内宿禰(たけしうちのすくね:84~?)が稲葉山北西の椿原(現在の岐阜公園内の丸山)に、天皇の同母兄である五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)を祀ったのが始まりとさ

  • 円徳寺と岐阜善光寺

    令和6年(2024)1月初め、JR岐阜駅に降り立ちました。駅前には黄金に輝く織田信長像が造立されています。また、かって名鉄岐阜市内線の電停があった場所にモ513形が留め置かれています。大正15年(1926)に美濃電気軌道により5両が製造されましたが、昭和5年(1930)に旧名古屋鉄道

  • 木之本地蔵院~余呉湖

    與志漏神社の西、バイクで10分弱の距離に木之本地蔵院があります。山号を「長祈山(ちょうきさん)」と号する時宗の寺院で、正式には「長祈山浄信寺」と称し、「木之本地蔵院」は通称です。伝承によれば、第40代・天武天皇(在位:673~686)の御代に大阪・難波の浦に金光を放

  • 與志漏神社

    石道寺の駐車場の北西方向、バイクで約5分の距離に與志漏神社(よしろじんじゃ)があります。古くから「余領(よしろ)郷(正しくは余呉郷)」の氏神として崇敬された大社だったと伝えられています。祭神の一柱・波多八代宿禰(はたのやしろのすくね:生没年不詳)は、武内宿

  • 鶏足寺

    石道寺北へ約350mの地に鶏足寺(けいそくじ)の塔頭・金剛院跡があります。鶏足寺は石道寺と同じく山号を「己高山(ここうざん)」と号する真言宗豊山派の寺院です。天平7年(735)に僧・行基(668~749)により標高923mの己高山(こだかみやま)に開創され、白山を開山した泰澄(

  • 石道寺

    丁野山(ようのやま)城跡から北へ、バイクで10分余りの距離に石道寺(しゃくどうじ)の駐車場があり、瀬谷川に架かる橋を渡って石道寺へ向かいます。橋を渡った先に庭園が築かれています。石道寺やその先の鶏足寺(けいそくじ)は、紅葉の名所とされ、令和6年(2024)11月8日(

  • 小谷城跡

    姉川古戦場址から北西方向へバイクで15分余りの距離に小谷神社(おだにじんじゃ)があります。かって、当地は比叡山領の荘園であったことから、当地方の鎮守として大山咋神(おおやまくいのかみ)が勧請され、「山王社」と称されて小谷城主要部の最奥にありました。浅井三代

  • 石田三成出生地から姉川古戦場

    長浜城歴史博物館から東へ、バイクで15分の距離に石田三成出生地があります。石田三成(1560~1600)の父・正継(?~1600)は、浅井長政(1545~1573)の家臣で、石田村の地侍でした。この地を北端とした1町4反の場所は小字「治部(じぶ)」と呼ばれ、石田家の屋敷跡と伝えられて

  • 長浜鉄道スクエア

    豊公園(ほうこうえん)から県道2号線を横断して東へ進むと「旧長浜港跡」の碑が建っています。現在の長浜港からは約300m内陸にあって、豊公園から長浜港にかけて埋め立てられたと推測できます。碑の先、南側に慶雲館がありますが、令和5年(2023)の年末の訪問時には休館され

  • 長浜城歴史博物館

    井伊神社から北へバイクで20分余りの距離に長浜城歴史博物館があります。この地には天正元年(1573)に羽柴秀吉(1537~1598)が築城を開始した長浜城がありましたが、元和元年(1615)に廃城となり、資材の大半は彦根城の築城に流用されました。昭和58年(1983)に犬山城や伏見城を

  • 石田三成屋敷跡と井伊家菩提寺及び井伊神社

    彦根城から北東方向へバイクで10分足らずの距離に佐和山城跡への登り口があります。佐和山城は、鎌倉時代(1185~1333)に近江守護職・佐々木荘地頭であった佐々木定綱(1142~1205)の六男・佐保時綱が築いた砦が始まりとされています。定綱の孫・佐々木泰綱(1213~1276)が六角

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