西国観音霊場、新西国霊場、薬師霊場、近畿不動尊、神仏霊場など関西の巡礼地及び洛陽観音霊場、京都十二薬師、都七福神などの京都市内の霊場を紹介します。
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平野神社から西大路通りを北へ、約5分ほど歩いた西側に敷地神社があります。かって、現在の鹿苑寺(金閣寺)がある山麓に天神地祇(てんしんちぎ)が降臨したと伝わり、それを祀ったのが敷地神社の始まりとされています。一方で、忌部氏(いんべうじ)の祖人である天日鷲神(あめ
花山天皇陵から西へ進み、丁字路を左折して南へ進んだ所に平野神社の駐車場があります。平野神社は西大路通りに面しても鳥居が建っていますが、こちらの方が鳥居から神門、拝殿、本殿が一直線上に並ぶ表参道となります。かって、現在地には鳥居の代わりに門がありましたが、
上品蓮台寺から北大路通まで北進し、北大路通を西へ進んで西大路通の一つ手前を左折して南へ進み突き当りを右へ曲がった先に花山天皇陵の駐車場があります。「花山天皇 紙屋川上陵(かみやがわのほとりのみささぎ)」と記されています。花山天皇は安和元年10月26日(968年11
船岡山の西側に千本通りに面して上品蓮台寺があります。山号を蓮華金宝山、院号を九品三昧院(くぼんさんまいいん)と号する真言宗智山派の寺院です。寺伝によれば、飛鳥時代に聖徳太子が母の菩提寺として創建され、平安時代に宇多法皇により中興されたと伝わります。一方で
千本通りを北上して、「千本寺之内」の信号の次にある信号の左側に、引接寺(いんじょうじ)があります。引接寺は、山号を「光明山」、正式な寺号を「歓喜院引接寺」と号する高野山真言宗の寺院です。かって、引接寺の北、船岡山の北西から紙屋川にかけての地区は「蓮台野(
千本通りを南下し、「千本寺之内」の信号の先、左側に石像寺があります。石像寺は山号を「家隆山(かりゅうざん)」、正式には「光明遍照院石像寺」と号する浄土宗の寺院で、洛中四十八願寺及び地蔵尊の洛陽四十八願所霊場の札所です。山門をくぐった左側に大師堂があり、弘
本坊前の東西の参道と、芳春院への北の参道が交わる角の西側に聚光院(じゅこういん)がありますが、非公開です。永禄9年(1566)に三好長慶(みよし ながよし)の養子となった義継が、養父・長慶の菩提を弔うため、笑嶺宗訢(しょうれい そうきん)を開山として創建されました
本坊の西側を北へ進むと、芳春院と如意庵の門があります。門をくぐると、左側に如意庵の表門がありますが、如意庵は非公開です。如意庵は大徳寺の最初の塔頭とされ、応安年間(1368~1375)に大徳寺7世・言外宗忠(ごんがい そうちゅう)によって創建されました。応仁・文明の
龍源院の先で駐車場からの総門の参道と合流し、西へ曲がった所に国の重要文化財に指定されている勅使門があります。勅使門は、慶長年間(1596~1614)に建立された御所の陽明門が第108代・後水尾天皇から下賜され、寛永17年(1640)に移築されました。大徳寺は宗峰妙超(しゅうほ
龍源院(りょうげんいん)は、黄梅院の北隣にあります。現在大徳寺山内には24の塔頭がありますが、殆どは非公開で、通年公開されているのは龍源院、瑞峯院、大仙院、高桐院の4か院のみです。現在の表門は創建当初のもので、切妻造・桧皮葺の四脚門で、国の重要文化財に指定さ
堀川通りを北上し、北大路通りへ左折して西へ進み、「大徳寺前」の信号を右折した先に大徳寺の駐車場があります。バイクは総門脇の案内書前に無料で置かせてもらえます。しかし、南門から入るのが正式と思い、北大路通りの方へ戻りました。南門大徳寺は山号を龍宝山と号する
建勲神社の大鳥居前を東へ進み、智恵光院通りを北へ進んだ一筋目の東側に常盤井があります。京都の名水の一つで、碑文には霊泉の功徳が記されています。しかし、現在、水は枯れています。かって、この辺りに源義朝の邸宅があり、その側室で源義経の母である常盤御前(ときわ
建勲神社の西側に標高111.89mの船岡山の三等三角点があります。背後は旧サイレン塔です。山頂の南側が開け、京都市内が一望できます。双ヶ岡から西山連山が近くに見えるのに対し、東山連峰は遠く、現在の京都の中心部から平安京の中心部が離れていることが見て取れます。船岡
今宮神社から南へ進み、北大路通を横断した先に建勲神社の北参道があります。船岡山の中腹までバイクで登れ、その先に建勲神社の駐車場があります。しかし、北大路通を左折して、その先の「建勲神社前」の信号を右折して建勲神社へ向かいます。こちらは駐車場が無いので、建
鷹峯から下って北大路通を左折して東へ進み、「今宮門前」の信号を左折した先に今宮神社があります。時短するなら鷹峯から下ってきた変則的な四差路を、右折して北大路通りの方へ向かわず、東へ進めば今宮神社の楼門間に出ます。北大路通から左折すると、本来は大鳥居が建っ
光悦寺の北向かいに圓成寺があります。圓成寺は山号を清雲山と号する日蓮宗の寺院で、洛陽十二支妙見めぐり・亥(北北西)の札所です。延暦13年(794)に平安京に遷都された第50代・桓武天皇は、都の四方に妙見大菩薩を、四隅に法華経を納め、建都されたと伝わります。天皇は正月
常照寺から「鷹峯」の信号を超えて、更に西へ進んだ南側に光悦寺があります。光悦寺は山号を大虚山と号する日蓮宗の寺院です。元和元年(1615)に本阿弥光悦は、徳川家康からこの地を与えられました。この地には、「京の七口」の一つ、長坂口があり、長坂を経て杉坂に至る丹波
「鷹峯」の信号から東へ進んだ北側に常照寺があります。常照寺は山号を寂光山と号する日蓮宗の寺院で、本阿弥光悦の養子・光嵯がこの地に建立した四ヶ寺の一寺です。元和2年(1616)に光嵯が、身延山久遠寺の21世・日乾上人(にっけんしょうにん)を招き、「法華の鎮所」として
千本北大路の交差点の北東角に第70代・後冷泉天皇の火葬塚があります。後冷泉天皇は第69代・後朱雀天皇の第一皇子で、諱(いみな)を親仁(ちかひと)と称しました。万寿2年(1025)に誕生し、その2日後に生母の東宮妃・嬉子(きし/よしこ)が薨去しました。藤原嬉子は摂政・藤
龍安寺から「きぬかけの路」を北上した所に金閣寺があります。現在、金閣寺では令和2年(2020)12月までの予定で、舎利殿(金閣)の屋根の葺き替え工事が行われています。また、平成28年(2016)に金閣寺が行った通路の設置工事の場所に、七重の塔の土台部分があったと指摘され、
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