西国観音霊場、新西国霊場、薬師霊場、近畿不動尊、神仏霊場など関西の巡礼地及び洛陽観音霊場、京都十二薬師、都七福神などの京都市内の霊場を紹介します。
大垣市郷土館から南下すると市役所の南東側に柳口門跡があります。大垣城の南西にあって、美濃路に通じていた門で、この内側にあった内柳門は、大垣城の東門として移築されました。大垣城は南と東を大手(城の正面)、北と西とを搦手(からめて=城の裏)とする要害堅固な城
濃飛護国神社から東へ進むと「麋城(びじょう)の滝」があります。「麋城」とは大垣城の別名で、昔からここに滝があったのかは不明で、現在では滝を流れる水は、時間を限って流されているそうです。麋城の滝の西に金森吉次郎(1864~1930)の像が造立されています。美濃国安八
JR「大垣」駅の南口には高さ17mの水都タワーが建ち、手前には自噴水の「水都の泉」があります。大垣市は濃尾平野の北西部に位置し、濃尾平野を流れる木曽川流域は日本有数の多雨地域です。濃尾平野では、現在でも西部の地盤が沈降し、東部では隆起する地殻運動が続き、この断
佐太天神宮の南門を出た左側に「勅願所 石清水八幡宮御本地天筆如来」の碑が建っています。「天筆如来」は、石清水八幡宮を創建した大安寺の僧・行教和尚(生没年不詳)が貞観元年(859年)に宇佐八幡宮で、国家安全を祈願された折り、満願の日に行教和尚の袈裟の上に阿弥陀・観
仁和寺氏神社の南西方向、徒歩約10分の距離に佐太天神宮があります。国道1号線の東に面して社号標が建ち、国道の西側は淀川が流れています。佐太は東海道57次の間宿(あいのしゅく)で、宿泊は禁じられていましたが、休憩所として賑わっていました。佐太天神宮は、『菅原伝授
「茨田堤(まんだのつつみ)」の碑から淀川沿いに、下流へ徒歩で40分余りの先で、堤防から下った先に仁和寺氏神社(にわじうじじんじゃ)があります。仁和寺は、「にわじ」または「にわいじ」と呼ばれ、地名は京都の仁和寺の所領であったことに由来しています。かって、当地
蹉跎神社から南西方向へ、徒歩約20分の距離に鞆呂岐神社(ともろぎじんじゃ)があり、手前に一の鳥居が建っています。天長8年(831)に第53代・淳和天皇(じゅんなてんのう/在位:823~833)の近侍・藤原保則(825~895)が、従者を伴って河内平野を視察された際、当地の開墾が遅れ
光善寺から南東方向へ、徒歩20分余りの距離に「郷社 蹉跎神社(さだじんじゃ)」の社号標が建ち、蹉跎参道が続きます。菅原道真(845~903)は、第59代・宇多天皇(在位:887~897)に重用され、第60代・醍醐天皇(在位:897~930)の御代には右大臣まで昇進しましたが、昌泰4年(9
京阪「光善寺」駅から北西方向へ徒歩5分足らずの距離に光善寺があります。山号を「淵埋山(えんまいざん)」と号する真宗大谷派の寺院で、文明7年(1475)に蓮如上人(1415~1499)により開基されました。蓮如上人は応永22年2月25日(1415年4月13日)に本願寺第7世・存如(ぞんにょ
獅子窟寺への登山口から南へバイクで約10分の距離に磐船神社が鎮座し、その途中に磐船神社の御旅所があります。私市(きさいち)をはじめとする交野が原は、弥生時代(紀元前10世紀~紀元後3世紀中頃)の頃、「肩野物部氏」と呼ばれる氏族が稲作農耕文化を伝え、開拓された所で
獅子窟寺は降星山光林寺の東にあるのですが、スマホのナビでは住宅街へ案内されます。天田神社から徒歩でナビを検索すると、参道が表示されます。表示に従って、バイクで向かったのですが、参道の手前でバイクを含む諸車の乗り入れが禁止されていましたので、付近にバイクを
星田妙見宮の西、バイクで約7分の距離に星ノ森之宮があって、通りを挟んだ向かい側の傍示川(ほうじかわ)沿いの公園には「星の伝説」が刻まれています。その内容は星田妙見宮の由緒と同じなので、参照して下さい。傍示川は、星田の山々を流れる地獄谷・茄子石(なすびいし)
星田神社の北西方向、バイクで約5分の距離に星田妙見宮(小松神社)があります。その中間に小松寺(しょうしょうじ)がありますが、星田寺(しょうでんじ)に安置されている十一面観世音菩薩立像が元、安置されていた小松寺とは無関係です。弘仁年間(810~824)に空海(774~83
廃千手寺の南西方向、バイクで10分足らずの距離に星田神社の駐車場があります。駐車場は西側にあって、東側に鳥居が建っています。星田神社が創建された年代は不明ですが、社伝では当地に一本の大杉があって、そこに当地の氏神として物部氏の先祖・饒速日命(にぎはやひのみ
天田神社の北、バイクで5分弱の距離に須弥寺(しゅみじ)があります。山号を「円通山」と号する西山(せいざん)浄土宗の寺院で、平安時代(794~1185)初期に空海(774~835)により創建されたと伝えられてきました。しかし、平成9年(1997)の発掘調査で奈良時代(710~794)後期の
鳥居谷から府道7号線(枚方大和郡山線)を東むとやがて南へ向きが変わり、その先で舗装された田んぼのあぜ道のような西への通りへ入ります。府道7号線は、離合は困難な広さと急坂でしたが、こちらは四輪車では幅いっぱい位の道幅となります。その道の田んぼが途切れる辺りの
機物神社から東へバイクで5分足らずの距離に源氏の滝への入口があって、バイクや自転車はそこに駐輪できます。右側には糸吉神社の鳥居が建っています。川を渡ると二の鳥居が建ち、「正一位 糸吉稲荷大神」の神額が掲げられています。糸吉神社の創建やその後の変遷に関する詳
JR学研都市線の「津田」駅から南へ徒歩5分の距離に機物神社(はたものじんじゃ)がありますが、当日はバイクで向かいました。機物神社は、交野市倉治(くらじ)に鎮座していますが、古代は「秦者(はたもの)」、交野市津田は「秦田(はただ)」と呼ばれていました。機物神社
春日神社の東、バイクで10分余りの距離に來雲寺があります。山号を「尊延山」と号する浄土宗の寺院で、河内西国三十三所観音霊場の第15番札所です。奈良時代(710~794)に第45代・聖武天皇(在位:724~749)の勅願により、宣教大師(せんぎょうだいし)が創建したと伝わります
伝・王仁墓の南西方向、バイクで10分足らずの距離に春日神社があります。創祀された年代は明かではありませんが、津田の産土神として崇敬され、中世以来の祭祀組織である「宮座」が現在でも残されています。拝殿神社の公式H.P.では、嘉吉2年(1442)に創祀され、明治5年(1872)
山田池公園の東、バイクで10分足らずの距離に王仁(わに)のもと伝わる墓があり、大阪府の史跡に指定されています。入口の百済門は平成18年(2006)の日・韓文化親善協会創立30週弁を記念し、木材、瓦、石などの全ての資材を、かっての百済にあたる全羅南道から運ばれて建立さ
百済王神社から北東方向へバイクで10分足らずの距離に山田池公園の駐車場と手前に無料の駐輪場があります。公園の面積は73.7ヘクタールと広大で、駐輪場の近くには「コテージガーデン」と名付けられた花壇があります。洋風の庭園で、園内に休憩できるコテージがあります。駐
御狩野神社(みかりのじんじゃ)から南東方向へバイクで5分足らずの距離に百済王神社と東に隣接して百済寺跡があります。百済寺(くだらでら/くだらじ)は、天平勝宝2年(750)頃に、百済王敬福(くだらのこにきしきょうふく:698~766)により建立された氏寺で、同時に祖霊を
西方寺の西、5分足らずの距離に御狩野神社があります。大阪府神社庁の公式H.P.によると万治年間(1658~1660)或いは寛文年間(1661~1672)に禁野の市辺浅右衛門の邸内に勧請した社を、現在地へ遷座して旧大字禁野の産土神として祀られるようになったのですが、遷座した年代は不
日置天神社の西、バイクで10分足らずの距離に杉ヶ本神社があります。樟葉の交野天神社(かたのあまつかみのやしろ/かたのてんじんじゃ)と同様に第50代・桓武天皇(在位:781~806)が郊祀壇(こうしだん)を設けた所とされています。桓武天皇は長岡京遷都の翌年、延暦4年(785)
正念寺から南へ、バイクで5分足らずの距離に日置天神社(ひおきてんじんしゃ)があります。境内を中心に日置山遺跡が広がり、昭和57年(1982)の発掘調査では中世の貝層や、溝・土杭(どこう)などが検出されました。また、日置郷(へきごう)の開発により破壊されたとみられる
敬応寺から南へバイクで5分足らずの距離に正念寺があります。山号を「来迎山」、院号を「招提院(しようだいいん)」と号する浄土宗の寺院で、河内西国三十三所観音霊場の第12番札所です。正念寺が立地する招提寺内(しようだいじない)は、浄土真宗の敬応寺を核とした寺内町
敬応寺は京都から府道13号線を南下して、「上島町」の信号を左折して「とうかえでの道」を東へ進み、南へカーブした所にある御堂池の西側にあります。御堂池は、敬應寺建立に当って、その北側の谷を仕切って池を造り、寺院の背後を守る掘割の役目をしています。敬応寺の駐車
意賀美神社の西方向、徒歩約10分の距離に鍵屋資料館があります。文禄5年(1596)に豊臣秀吉(1537~1598)の命により、淀川左岸の堤防として築かれた文禄堤が、大坂城から伏見城へ最短距離で結ぶ京街道として用いられるようになると、天正年間(1573~1592)には、既に宿場となる起
正光寺の南、徒歩約10分の距離に意賀美神社(おかみじんじゃ)への参道があります。参道は東と西側にあって、こちらは東側参道となります。意賀美神社の創建年代は不詳ですが、現在地から約100m南の旧伊加賀村字宮山で創建されたと伝わります。第9代・開化天皇(在位:BC157~
御殿山神社から南西方向へ、徒歩20分弱の距離に正光寺があります。山号を「明照山」と号する浄土真宗の寺院で、河内西国三十三所観音霊場の第4番札所です。河内西国三十三所観音霊場は、明治20年(1887)4月に、当地出身の津田元治郎(1783~1865)により発願されました。明治18
渚院跡の南、徒歩5分余りの距離に御殿山神社があります。スマホのナビでは御殿山の西側へ案内されますが、登り口は無く、南側の「生涯学習美術センター」への坂を登り、公園を横断して向かいました。「御殿山」の名は、惟喬親王(これたかしんのう:844~897)が渚院を別荘と
片埜神社から南西方向へ徒歩約20分の距離に渚院跡(なぎさのいんあと)があります。渚院は第55代・文徳天皇(在位:850~858)の離宮でしたが、天皇の第一皇子惟喬親王(これたかしんのう:844~897)に譲られました。文徳天皇は、承和の変により他氏排斥に成功した藤原良房(80
京阪「牧野」駅から東へ徒歩約5分の距離に片埜神社(かたのじんじゃ)があります。社伝では、第11代・垂仁天皇(在位:BC29~70)の御代に出雲国の勇士であると評判の野見宿禰(のみのすくね)が當麻蹶速(たいまのけはや:?~BC23)との相撲で勝利し、その恩賞として当地を拝
京阪橋本駅から南東方向へ徒歩約30分の距離に交野天神社(かたのあまつかみのやしろ/かたのてんじんじゃ)が鎮座し、鳥居手前の駐車場の向かい側に稲荷神社があります。一の鳥居の手前、右側には「樟葉宮(くすはのみや)舊(旧)蹟」の碑が建っています。第25代・武烈天皇(ぶ
京阪橋本駅から南西方向へ徒歩約10分の距離に久修園院(くしゅうおんいん)があります。正確には「天王山 木津(こつ)寺 久修園院」と号し、西大寺を本山とする真言律宗の別格本山で、西国愛染十七霊場の第12番札所です。しかし、拝観には予約が必要で、西国愛染十七霊場の
府道13号線を南へ進み、宇治川御幸橋(うじがわごこうばし)と木津川御幸橋を渡ると正面に男山が見えます。淀川を挟んで天王山と対峙し、左側の山上に石清水八幡宮が鎮座しています。中腹に見える神應寺(じんのうじ)から八幡市最高峰の鳩ヶ峰までの登山ルートがありました
京都府若宮八幡宮-京都府京都市山科区音羽森廻り町36若宮八幡宮-京都府久世郡久御山町佐古内屋敷25-1若宮八幡宮-京都府世郡久御山町藤和田馬場崎野36和伎座天乃夫岐賣神社(わきにいますあめのふきめじんじゃ/涌出宮)京都府木津川市山城町平尾里屋敷54.和気清麻呂の墓-京都
京都府鹿王院(ろくおういん)-京都府京都市右京区嵯峨北堀町24鹿苑寺(金閣寺)-京都府京都市北区金閣寺町1六角堂(頂法寺)-京都府京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248六所神社-京都府京都市山科区北花山大峰町52六請神社(ろくしょうじんじゃ)-京都府京都市北区等持
京都府霊鑑寺-京都府京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町霊山観音-京都府京都市東山区下河原通八坂鳥居前下る下河原町526-2第63代・冷泉天皇(れいぜいてんのう)櫻本陵-京都府京都市左京区鹿ケ谷法然院町第63代・冷泉天皇皇后・昌子内親王の岩倉陵-京都府京都市左京区岩倉上蔵町30
京都府瑠璃光院-京都府京都市左京区上高野東山55番地滋賀県奈良県和歌山県大阪府兵庫県瑠璃寺-兵庫県佐用郡佐用町その他
京都府離宮八幡宮-京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷21-1笠原寺(りゅうげんじ)-京都府京都市山科区大宅岩屋殿2立本寺(りゅうほんじ)-京都府京都市 上京区下之町森仁和寺街道上一番107龍安寺-京都府京都市右京区龍安寺御陵下町13龍安寺背後の朱山(六基の天皇陵と一基の火葬
京都府来迎院-京都府京都市左京区大原来迎院町537来迎院-京都府京都市左京区岩倉忠在地町58番地来迎寺-京都府向日市物集女町御所海道25らくがき寺(単伝庵)-京都府八幡市八幡吉野垣内33落柿舎(らくししゃ)-京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町20羅城門跡-京都府京都市南
京都府揚谷寺(ようこくじ=柳谷観音)-京都府長岡京市浄土谷堂ノ谷2養仙寺-京都府亀岡市千歳町国分南山ノ口17第57代・陽成天皇の神楽岡東陵(かぐらがおかのひがしのみささぎ)京都府京都市左京区浄土寺真如町養福寺-京都府京都市左京区八瀬野瀬町48与謝蕪村宅跡-京都府京都
京都府夕顔の墳-京都府京都市下京区堺町通高辻下ル夕顔町幽霊子育飴本舗-京都府京都市東山区轆轤町80-1由岐神社-京都府京都市左京区鞍馬本町1073弓が淵-京都府相楽郡南山城村北大河原滋賀県奈良県和歌山県大阪府兵庫県その他
京都府薬師院-京都府京都市中京区釜座通二条上ル大黒町694八坂庚申堂(やさかこうしんどう)-京都府京都市東山区金園町390八坂神社-京都府京都市東山区祇園町北側625八坂の塔(法観寺)-京都府京都市東山区八坂通下河原東入ル安井金比羅宮-京都府京都市東山区下弁天町70八瀬
京都府元伊勢外宮・豊受大神社-京都府福知山市大江町天田内60元伊勢内宮・皇大神社-京都府福知山市大江町内宮217元祇園 梛神社(なぎじんじゃ)-京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町17森山遺跡-京都府城陽市富野森山諸羽神社-京都府京都市山科区四ノ宮中在寺町17文殊堂(智恩寺)
京都府第122代・明治天皇陵-京都府京都市伏見区桃山町古城山目無地蔵-京都府京都市左京区岩倉上蔵町滋賀県奈良県和歌山県大阪府兵庫県賣布神社(めふじんじゃ)-兵庫県宝塚市売布山手町1-1その他
京都府夢絃峡(むげんきょう)-京都府相楽郡南山城村向日神社-京都府向日市向日町北山65宗忠神社(むねただじんじゃ)-京都府京都市左京区吉田下大路町63紫式部邸跡(廬山寺)-京都府京都市上京区寺町通り広小路上る北之辺町397紫式部と小野篁の墓-京都府京都市北区紫野西御
京都府御蔭神社-京都府京都市左京区上高野東山207御髪神社(みかみじんじゃ)-京都府京都市右京区嵯峨小倉山田淵山町10御栗栖神社(みくるすじんじゃ)-京都府綴喜郡宇治田原町南宮ノ上西76水主神社(みずしじんじゃ)-京都府城陽市水主宮馬場30水薬師寺-京都府京都市下京区
京都府舞鶴引揚祈念館-京都府舞鶴市字平1584(引揚記念公園内)松尾大社(まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ)-京都府京都市西京区嵐山宮町3松尾神社御旅所-京都府京都市下京区西七条南中野町81松尾寺(まつのおでら)-京都府舞鶴市松尾532松ヶ崎大黒天-京都府京都市左京区松
京都府法雲寺-京都府京都市北区西賀茂鎮守庵町30-1報恩寺-京都府京都市上京区小川通寺ノ内下る射場町579法界寺-京都府京都市伏見区日野西大道町19法観寺-京都府京都市東山区八坂通下河原東入ル宝鏡寺-京都府京都市上京区寺ノ内通堀川東入ル百々町547豊国神社-京都府京都市東
京都府平安京跡-京都府京都市上京区下丸屋町512平安神宮-京都府京都市左京区岡崎西天王町97遍照院(へんじょういん)-京都府宇治田原町大字奥山田小字岳谷17遍照寺-京都府京都市右京区嵯峨広沢西裏町14滋賀県平家終焉の地-滋賀県野洲市大篠原奈良県平城宮跡歴史公園-その1-奈
京都府福王子神社-京都府京都市右京区宇多野福王子町52福勝寺-京都府京都市上京区出水通千本西入七番町323-1福生寺跡-京都府京都市右京区嵯峨大覚寺門前六道町福成寺-京都市西京区樫原内垣外町24二瀬川渓谷-京都府福知山市大江町佛性寺佛光寺-京都府京都市下京区高倉通仏光寺
京都府稗田野神社(ひえだのじんじゃ)-京都府亀岡市ひえ田野町佐伯垣内亦1東笠取清瀧宮-京都府宇治市東笠取平出町47東三条院址-京都府京都市中京区上松屋町694東本願寺-京都府京都市下京区烏丸通七条上る東本願寺岡崎別院-京都府京都市左京区岡崎天王町26東向観音寺-京都府
京都府白沙村荘(はくさそんそう)-京都府京都市左京区浄土寺石橋町37橋寺放生院-京都府宇治市宇治東内2橋姫神社-京都府宇治市宇治蓮華47番芭蕉庵(金福寺)-京都府京都市左京区一乗寺才形町20走田神社-京都府亀岡市余部町走田1幡枝八幡宮-京都府京都市左京区岩倉幡枝町1118
京都府野宮神社(ののみやじんじゃ)-京都府京都市右京区嵯峨野々宮町1滋賀県信長の館-滋賀県近江八幡市安土町桑実寺800奈良県和歌山県大阪府能見神社-大阪府高槻市野見町6-6野崎観音-大阪府大東市野崎2-7-1兵庫県能福寺-兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39野口神社-兵庫県加
京都府滋賀県奈良県和歌山県根来寺-和歌山県岩出市根来2286大阪府兵庫県その他
京都府ぬりこべ地蔵-京都府京都市伏見区深草大門町滋賀県奈良県渟名城入姫神社(ぬなきいりびめじんじゃ)-奈良県天理市岸田町和歌山県大阪府鐸比古鐸比賣神社(ぬでひこ ぬでひめじんじゃ)-大阪府柏原市大県4-6-1兵庫県その他
京都府新島襄と八重の墓-京都府京都市左京区鹿ケ谷若王子山町(同志社墓地内)西笠取清瀧宮-京都府宇治市西笠取黒出原錦天満宮-京都府京都市中京区新京極通四条上ル中之町537二条城-その1-京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541二条城-その2二条城-その3西山の大仏(
京都府JR奈良線・長池駅-京都府城陽市長池北裏72長岡京跡-京都府向日市長尾天満宮-京都府京都市伏見区醍醐赤間南裏町21長岡天満宮-京都府長岡京市天神2-15-13永谷宗円の生家-京都府宇治田原町湯屋谷小字空広長谷八幡宮-京都府京都市左京区岩倉長谷町1117長峰八幡宮-京都府京
京都府等持院-京都府京都市北区等持院北町63常盤井跡-京都府京都市北区紫野下築山町常盤神社-京都府久世郡久御山町大字野村小字野村1東寺-その1-京都府京都市南区九条町1東寺-その2東寺-その3導入寺-京都府京都市左京区修学院茶屋ノ前町2東福寺-その1(塔頭・南明院、永明院
京都府哲学の道-京都府京都市左京区寺田屋-京都府京都市伏見区南浜町263電気鉄道事業発祥の地-京都府京都市伏見区下油掛町天性寺-京都府京都市中京区寺町通三条上る天性寺前町522-4第38代・天智天皇陵-京都府京都市山科区御陵上御廟野町天王山-京都府乙訓郡大山崎町天寧寺(
京都府哲学の道-京都府京都市左京区寺田屋-京都府京都市伏見区南浜町263電気鉄道事業発祥の地-京都府京都市伏見区下油掛町天性寺-京都府京都市中京区寺町通三条上る天性寺前町522-4第38代・天智天皇陵-京都府京都市山科区御陵上御廟野町天王山-京都府乙訓郡大山崎町天寧寺(
京都府月読神社-京都府京都市西京区松室山添町15月読神社-京都府京田辺市大住池平31番土御門家(安倍晴明の子孫)屋敷跡-京都府京都市下京区梅小路第83代・土御門天皇陵-京都府長岡京市金ヶ原金原寺土御門内裏跡-京都府京都市上京区烏丸通下長者町上る西側(京都ガーデンパレ
京都府知恩院-その1(三門~阿弥陀堂)-京都府京都市東山区林下町400知恩院-その2(御影堂~方丈)知恩院-その3(勢至堂)知恩院-その4(塔頭)知恩寺-京都府京都市左京区田中門前町103智恩寺(文殊堂)-京都府宮津市文珠466智積院-京都府京都市東山区東瓦町964番地地蔵寺-京
京都府-京都市左京区大雲寺-京都府京都市左京区岩倉上蔵町305大超寺-京都府京都市左京区岩倉花園町640-2大文字山の登山道-京都府京都市左京区大蓮寺-京都府京都市左京区西寺町二条下る正往寺町457竹中稲荷神社-京都府京都市左京区吉田神楽岡町3-64狸谷不動院-京都府京都市左
京都府蔵泉寺-京都府京都市西京区嵐山山ノ下町15崇泰院(そうたいいん)-京都府京都市東山区林下町401相楽神社-京都府木津川市相楽清水1雙林寺(そうりんじ)-京都府京都市東山区下河原鷲尾町527卒台寺(そつたいじ)-京都府長岡京市馬場1-2-14尊勝院-京都府京都市東山区粟田
京都府聖アグネス教会-京都府京都市 上京区堀松町404清閑寺-京都府京都市東山区清閑寺山ノ内町誓願寺-京都府京都市中京区新京極通三条下る桜之町453西岸寺(油懸地蔵)-京都府京都市伏見区下油掛町898西願寺-京都府京都市左京区岩倉花園町483栖賢寺(せいけんじ)-京都府京都
京都府水火天満宮(すいかてんまんぐう)-京都市上京区堀川通上御霊前上ル扇町722瑞光寺-京都府京都市伏見区深草坊町4随心院-京都府京都市山科区小野御霊町35瑞泉寺-京都府京都市中京区石屋町114-1瑞泉山正法寺-京都府相楽郡和束町大字南小字下河原71菅原院天満宮神社-京都府
京都府-京都市左京区慈照寺(銀閣寺)-京都府京都市左京区銀閣寺町2静原神社-京都府京都市左京区静市静原町1351詩仙堂-京都府京都市左京区一乗寺門口町27実光院-京都府京都市左京区大原勝林院町187実相院-京都府京都市左京区岩倉上蔵町下鴨神社-その1(表参道と馬場)-京都府
京都府西圓寺(さいえんじ)-京都府京都市南区久世築山町42西園寺-京都府京都市上京区寺町鞍馬口下る高徳寺町362西行庵-京都府京都市東山区鷲尾町524西光院-京都府京都市西京区嵐山山田町1西光寺(寅薬師)-京都府京都市中京区新京極通蛸薬師上ル中筋町495番地の1西光寺-京都
京都府恋路橋と戀(恋)志谷神社-京都府相楽郡南山城村光悦寺-京都府京都市北区鷹峰光悦町29高山寺-京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町8高樹院-京都府京都市左京区岩倉花園町611-2光照院門跡-京都府京都市上京区新町通上立売上る安楽小路町425興正寺-京都府京都市下京区堀川通七条
京都府蹴上発電所-京都府京都市左京区粟田口鳥居町2華厳寺(鈴虫寺)-京都府京都市西京区松室地家町31華台寺(けたいじ)-京都府久世郡久御山町解脱寺の閼伽井跡-京都府京都市左京区岩倉長谷町月桂冠大倉記念館-京都府京都市伏見区南浜町247源光庵-京都府京都市北区鷹峯北鷹
京都府咋岡神社(くいおかじんじゃ)-京都府京田辺市飯岡東原62番空也堂-京都府京都市中京区蛸薬師通堀川東入亀屋町288空也の滝-京都市右京区清滝月ノ輪町釘抜地蔵-京都府京都市上京区千本通上立売上ル花車町503九頭龍大社-京都府京都市左京区八瀬近衛町681久世廃寺跡-京都府
京都府祇王寺-京都府京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町32祇園閣-京都府京都市東山区祇園町南側594-1枳殻邸(きこくてい)-京都府京都市下京区東玉水町300北大路魯山人生誕地-京都府京都市北区上賀茂北大路町30北真経寺-京都府向日市鶏冠井町御屋敷28北野経王堂願成就寺(大報恩寺
京都府海印寺・寂照院-京都府長岡京市奥海印寺明神前31蚕の社-京都府京都市右京区太秦森ケ東町50海住山寺-京都府木津川市加茂町例幣海住山境外20𥒎観音寺(かけかんのんじ)-京都府京都市左京区八瀬野瀬町笠置寺-京都府相楽郡笠置町大字笠置小字笠置山29第65代・花山天皇陵-
京都府老ノ坂峠-京都府亀岡市篠町王子応挙寺(金剛寺)-京都府亀岡市曽我部町穴太宮垣内43皇塚-京都府京都市山科区大塚西浦町大池神社-京都府久世郡久御山町森宮東1番地大石神社-京都府京都市山科区西野山桜ノ馬場町116大井神社-京都府亀岡市大井町並河一丁目3番25号大酒神社
京都府永観堂-京都府京都市左京区永観堂町48永福寺(蛸薬師)-京都府京都市中京区新京極蛸薬師東側町503駅伝発祥の地-京都府京都市東山区大橋町 三条大橋東詰北側恵心院-京都府宇治市宇治山田67江文神社(えぶみじんじゃ)・琴平新宮社・金毘羅山-京都市左京区大原圓光寺-京
京都府浮島-京都府宇治市宇治川内浮舟宮跡-京都府宇治市菟道丸山36-11請田神社-京都府亀岡市保津町立岩4牛尾観音-京都府京都市山科区音羽南谷町1宇治上神社-京都府宇治市宇治山田59宇治川太閤堤跡-京都府宇治市莵道丸山宇治神社-京都府宇治市宇治山田1菟道雅郎子(うじのわ
京都府池田屋跡-京都府京都市中京区三条通河原町東入池田屋事変殉難烈士之墓(三縁寺)-京都府京都市左京区岩倉花園町606恵解山古墳(いげのやまこふん)-京都府長岡京市勝竜寺・久貝石田神社-京都府八幡市岩田里35番出雲路橋-京都府京都市北区出雲路立テ本町出雲大神宮-京都
京都府会津藩殉職者墓所(金戒光明寺)-京都府京都市左京区黒谷町121相槌神社-京都府八幡市八幡平谷10番青谷梅林-京都府城陽市縣神社(あがたじんじゃ)-京都府宇治市宇治蓮華72赤根天神社-京都府長岡京市今里4-17-49赤れんが博物館-京都府舞鶴市浜2011番地明智光秀の首塚-京
あ い う え おか き く け こさ し す せ そた ち つ て とな に ぬ ね のは ひ ふ へ ほま み む め もや ゆ よら り る れ ろわ
当日はまず谷汲山華厳寺へ参拝しました。奥之院の記事を追加しましたので、こちらをご覧ください。谷汲山華厳寺から南西方向へバイクで約40分の距離に関ケ原古戦場の「徳川家康最初陣跡」があります。当地は「桃配山(ももくばりやま)」と称され、第40代・天武天皇元年(672)
史蹟・道三塚から南へ徒歩30分余りの距離に美江寺があります。山号を「大日山」、院号を「觀昌院」と号する天台宗の寺院で、第44代・元正天皇(在位:715~724)の勅願により開創され、勤操(ごんそう/ごんぞう:754~827)が開基とされました。伊賀国名張郡の伊賀寺に安置され
金華山ロープウェイの山麓駅から北西へ、歩いて約10分の距離に「川原町の古いまちなみ」があります。「湊町・玉井町・元浜町」の街並みは通称「川原町」と呼ばれ、江戸時代には長良川の港町として栄え、格子戸のある古い街並みが残されています。先へ進むと鵜飼遊覧船のチケ
岐阜城模擬天守は3層4階建て、棟高17.7m、 鉄筋コンクリート造りで、3階までは史料展示室、4階は展望台となっています。史料展示室には、岐阜城が存在していた当時のジオラマが展示されています。織田信長(1534~1582)は、小牧山城を築城してから4年後の永禄10年(1567)に斎藤
金華山ロープウェイの山頂駅には展望台があります。展望台からは濃尾平野が見渡せます。城への登山道には冠木門が設けられています。先へ進むと「一ノ門跡」と伝わる場所があり、巨石や石垣が一部残されています。「一ノ門」から続く通路は、江戸時代の絵図や記録に「馬場」
正法寺前の国道256号線を少し北へ進むと岐阜市歴史博物館があります。館内には鵜飼資料や戦国合戦屏風などが展示されています。その先は岐阜公園として整備されています。公園内には板垣退助の像が造立されています。明治15年(1882)4月6日午後6時半頃に自由党党首・板垣退助(
伊奈波神社の北、徒歩10分弱の距離に常在寺があり、その参道からは岐阜城が望めます。常在寺は山号を「鷲林山(しゅうりんざん)」と号する日蓮宗の寺院で、宝徳2年(1450)に美濃守護・土岐氏の家臣であった斎藤妙椿(さいとう みょうちん:1411~1480)が妙覚寺世尊院の僧・
岐阜善光寺の右側に伊奈波神社の大鳥居が建っています。社伝では第12代・景行天皇14年(84)、武内宿禰(たけしうちのすくね:84~?)が稲葉山北西の椿原(現在の岐阜公園内の丸山)に、天皇の同母兄である五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)を祀ったのが始まりとさ
令和6年(2024)1月初め、JR岐阜駅に降り立ちました。駅前には黄金に輝く織田信長像が造立されています。また、かって名鉄岐阜市内線の電停があった場所にモ513形が留め置かれています。大正15年(1926)に美濃電気軌道により5両が製造されましたが、昭和5年(1930)に旧名古屋鉄道
與志漏神社の西、バイクで10分弱の距離に木之本地蔵院があります。山号を「長祈山(ちょうきさん)」と号する時宗の寺院で、正式には「長祈山浄信寺」と称し、「木之本地蔵院」は通称です。伝承によれば、第40代・天武天皇(在位:673~686)の御代に大阪・難波の浦に金光を放
石道寺の駐車場の北西方向、バイクで約5分の距離に與志漏神社(よしろじんじゃ)があります。古くから「余領(よしろ)郷(正しくは余呉郷)」の氏神として崇敬された大社だったと伝えられています。祭神の一柱・波多八代宿禰(はたのやしろのすくね:生没年不詳)は、武内宿
石道寺北へ約350mの地に鶏足寺(けいそくじ)の塔頭・金剛院跡があります。鶏足寺は石道寺と同じく山号を「己高山(ここうざん)」と号する真言宗豊山派の寺院です。天平7年(735)に僧・行基(668~749)により標高923mの己高山(こだかみやま)に開創され、白山を開山した泰澄(
丁野山(ようのやま)城跡から北へ、バイクで10分余りの距離に石道寺(しゃくどうじ)の駐車場があり、瀬谷川に架かる橋を渡って石道寺へ向かいます。橋を渡った先に庭園が築かれています。石道寺やその先の鶏足寺(けいそくじ)は、紅葉の名所とされ、令和6年(2024)11月8日(
姉川古戦場址から北西方向へバイクで15分余りの距離に小谷神社(おだにじんじゃ)があります。かって、当地は比叡山領の荘園であったことから、当地方の鎮守として大山咋神(おおやまくいのかみ)が勧請され、「山王社」と称されて小谷城主要部の最奥にありました。浅井三代
長浜城歴史博物館から東へ、バイクで15分の距離に石田三成出生地があります。石田三成(1560~1600)の父・正継(?~1600)は、浅井長政(1545~1573)の家臣で、石田村の地侍でした。この地を北端とした1町4反の場所は小字「治部(じぶ)」と呼ばれ、石田家の屋敷跡と伝えられて
豊公園(ほうこうえん)から県道2号線を横断して東へ進むと「旧長浜港跡」の碑が建っています。現在の長浜港からは約300m内陸にあって、豊公園から長浜港にかけて埋め立てられたと推測できます。碑の先、南側に慶雲館がありますが、令和5年(2023)の年末の訪問時には休館され
井伊神社から北へバイクで20分余りの距離に長浜城歴史博物館があります。この地には天正元年(1573)に羽柴秀吉(1537~1598)が築城を開始した長浜城がありましたが、元和元年(1615)に廃城となり、資材の大半は彦根城の築城に流用されました。昭和58年(1983)に犬山城や伏見城を
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