南宮大社の北西方向、バイクで約10分の距離に伊富岐神社(いぶきじんじゃ)があり、入口には石造りの太鼓橋が架けられています。神社付近には石器時代の遺跡や古墳なども多く、古代から豪族が住んでいたことが明かで、伊富岐神社は古代、伊富岐山麓に勢力を張っていた伊福氏
西国観音霊場、新西国霊場、薬師霊場、近畿不動尊、神仏霊場など関西の巡礼地及び洛陽観音霊場、京都十二薬師、都七福神などの京都市内の霊場を紹介します。
御殿山神社から南西方向へ、徒歩20分弱の距離に正光寺があります。山号を「明照山」と号する浄土真宗の寺院で、河内西国三十三所観音霊場の第4番札所です。河内西国三十三所観音霊場は、明治20年(1887)4月に、当地出身の津田元治郎(1783~1865)により発願されました。明治18
渚院跡の南、徒歩5分余りの距離に御殿山神社があります。スマホのナビでは御殿山の西側へ案内されますが、登り口は無く、南側の「生涯学習美術センター」への坂を登り、公園を横断して向かいました。「御殿山」の名は、惟喬親王(これたかしんのう:844~897)が渚院を別荘と
片埜神社から南西方向へ徒歩約20分の距離に渚院跡(なぎさのいんあと)があります。渚院は第55代・文徳天皇(在位:850~858)の離宮でしたが、天皇の第一皇子惟喬親王(これたかしんのう:844~897)に譲られました。文徳天皇は、承和の変により他氏排斥に成功した藤原良房(80
京阪「牧野」駅から東へ徒歩約5分の距離に片埜神社(かたのじんじゃ)があります。社伝では、第11代・垂仁天皇(在位:BC29~70)の御代に出雲国の勇士であると評判の野見宿禰(のみのすくね)が當麻蹶速(たいまのけはや:?~BC23)との相撲で勝利し、その恩賞として当地を拝
京阪橋本駅から南東方向へ徒歩約30分の距離に交野天神社(かたのあまつかみのやしろ/かたのてんじんじゃ)が鎮座し、鳥居手前の駐車場の向かい側に稲荷神社があります。一の鳥居の手前、右側には「樟葉宮(くすはのみや)舊(旧)蹟」の碑が建っています。第25代・武烈天皇(ぶ
京阪橋本駅から南西方向へ徒歩約10分の距離に久修園院(くしゅうおんいん)があります。正確には「天王山 木津(こつ)寺 久修園院」と号し、西大寺を本山とする真言律宗の別格本山で、西国愛染十七霊場の第12番札所です。しかし、拝観には予約が必要で、西国愛染十七霊場の
府道13号線を南へ進み、宇治川御幸橋(うじがわごこうばし)と木津川御幸橋を渡ると正面に男山が見えます。淀川を挟んで天王山と対峙し、左側の山上に石清水八幡宮が鎮座しています。中腹に見える神應寺(じんのうじ)から八幡市最高峰の鳩ヶ峰までの登山ルートがありました
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南宮大社の北西方向、バイクで約10分の距離に伊富岐神社(いぶきじんじゃ)があり、入口には石造りの太鼓橋が架けられています。神社付近には石器時代の遺跡や古墳なども多く、古代から豪族が住んでいたことが明かで、伊富岐神社は古代、伊富岐山麓に勢力を張っていた伊福氏
養老の滝入口駐車場から北へ、バイクで約20分の距離に南宮大社があります。第10代・崇神天皇(在位:BC97~BC30)の御代に創建され、古くは「仲山金山彦神社」と称されていましたが、美濃国府が現在の岐阜県不破郡垂井町府中に置かれたことにより、その国府の南に位置する宮と
関ケ原古戦場の「徳川家康最初陣跡」から南東方向の養老の滝へ向かうと、養老の滝への入口の手前の大菩薩寺の境内に「日本武尊史跡 当芸野(たぎの)」の碑が建っています。日本武尊(やまとたけるのみこと:82~111)が東国を平定して尾張国へ戻ると、伊吹山に悪い神がいる
名古屋城から西へ、バイクで30分余りの距離に名鉄「勝幡(しょばた)」駅があります。駅前には織田信秀(1511~1552)と土田御前(どたごぜん:?~1594)に抱かれた幼少期の織田信長(1534~1582)の像が造立されています。また、勝幡城の推定復元模型が展示されています。(画
小牧市役所の駐車場から南へ、バイクで約30分の距離に名古屋城の「正門前駐車場」があります。二輪車も利用でき、料金は30分100円です。正門前に入場券の販売所があり、料金は500円です。名古屋城は、慶長15年(1609)に徳川家康(1543~1616)により天下普請で築城が開始されま
小牧山城跡は麓の小牧市役所の向かい側にあり、市役所の駐車場にバイクを置いて通りを挟んだ北側の大手口から城跡へ登ります。徳川源明(徳川宗睦)公の墓があります。徳川宗睦(とくがわ むねちか/むねよし:1733~1800)は、尾張藩の第9代藩主で、藩政改革を行い、新田開発
熱田神宮の北西方向、バイクで約40分の距離に清洲城があります。本来は清洲城より近い名古屋城へ向かう予定でしたが、名古屋城の閉門時間16:30には間に合わないと判断して、清洲城へ向かいましたが、清洲城の閉門時間17:00にぎりぎりで間に合いました。しかし、城内の拝観は
高徳院から北西方向へ、バイクで約30分の距離に熱田神宮の駐車場があり、駐車場の北側に正門(南門)があります。正門の右側(東側)に日割御子神社(ひさきみこじんじゃ)が鎮座しています。この地は往古、海に臨み、「干崎(ひさき)」と呼ばれたと伝わります。天忍穂耳尊(
井伊直盛陣跡の北東方向、バイクで5分余りの距離に高徳院がありますが、桶狭間古戦場の名古屋市緑区から境を超え、豊明市になります。山号を「香華山」と号する高野山真言宗の寺院で、9世紀に高野山で創建され、明治26年(1893)に桶狭間の戦いでの戦没者供養とこの地での布教
津島神社から南東方向へ、バイクで1時間余りの距離に有松神社があります。昭和30年(1955)に標高54.5mの高根山の山頂に創建され、日清戦争以降の英霊が祀られていますが、以前から忠魂碑など戦没者のための石碑が集められ、「記念碑山」とも呼ばれていました。当時の進軍図で
津島湊跡から北へ進み、「天王通1」の信号を左折した先に津島神社の東門大鳥居と駐車場があります。津島神社は、社伝では第29代・欽明天皇元年(540)に須佐之男命(すさのおのみこと)が対馬から来臨されたのが始まりとされ、当初は「津島社」と呼ばれていました。その後仏教
大垣城から東へバイクで約50分の距離に木曽三川公園センターがあります。所在地は岐阜県ですが、カテゴリーは愛知県に含めます。園内には高さ65mの展望タワーが併設された「水と緑の館」があります。入館料は630円で、開館時間や休館日は公式H.P.をご覧ください。木曽川・長
大垣市郷土館から南下すると市役所の南東側に柳口門跡があります。大垣城の南西にあって、美濃路に通じていた門で、この内側にあった内柳門は、大垣城の東門として移築されました。大垣城は南と東を大手(城の正面)、北と西とを搦手(からめて=城の裏)とする要害堅固な城
濃飛護国神社から東へ進むと「麋城(びじょう)の滝」があります。「麋城」とは大垣城の別名で、昔からここに滝があったのかは不明で、現在では滝を流れる水は、時間を限って流されているそうです。麋城の滝の西に金森吉次郎(1864~1930)の像が造立されています。美濃国安八
JR「大垣」駅の南口には高さ17mの水都タワーが建ち、手前には自噴水の「水都の泉」があります。大垣市は濃尾平野の北西部に位置し、濃尾平野を流れる木曽川流域は日本有数の多雨地域です。濃尾平野では、現在でも西部の地盤が沈降し、東部では隆起する地殻運動が続き、この断
佐太天神宮の南門を出た左側に「勅願所 石清水八幡宮御本地天筆如来」の碑が建っています。「天筆如来」は、石清水八幡宮を創建した大安寺の僧・行教和尚(生没年不詳)が貞観元年(859年)に宇佐八幡宮で、国家安全を祈願された折り、満願の日に行教和尚の袈裟の上に阿弥陀・観
仁和寺氏神社の南西方向、徒歩約10分の距離に佐太天神宮があります。国道1号線の東に面して社号標が建ち、国道の西側は淀川が流れています。佐太は東海道57次の間宿(あいのしゅく)で、宿泊は禁じられていましたが、休憩所として賑わっていました。佐太天神宮は、『菅原伝授
「茨田堤(まんだのつつみ)」の碑から淀川沿いに、下流へ徒歩で40分余りの先で、堤防から下った先に仁和寺氏神社(にわじうじじんじゃ)があります。仁和寺は、「にわじ」または「にわいじ」と呼ばれ、地名は京都の仁和寺の所領であったことに由来しています。かって、当地
蹉跎神社から南西方向へ、徒歩約20分の距離に鞆呂岐神社(ともろぎじんじゃ)があり、手前に一の鳥居が建っています。天長8年(831)に第53代・淳和天皇(じゅんなてんのう/在位:823~833)の近侍・藤原保則(825~895)が、従者を伴って河内平野を視察された際、当地の開墾が遅れ
光善寺から南東方向へ、徒歩20分余りの距離に「郷社 蹉跎神社(さだじんじゃ)」の社号標が建ち、蹉跎参道が続きます。菅原道真(845~903)は、第59代・宇多天皇(在位:887~897)に重用され、第60代・醍醐天皇(在位:897~930)の御代には右大臣まで昇進しましたが、昌泰4年(9
中山寺から国道27号線へ戻り、27号線を東へ進んで「宮崎」の信号を右折した先、中山寺からバイクで10分の距離に佐伎治神社(さきちじんじゃ)があります。第12代・景行天皇(在位:71~130)に仕えていた磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)が若狭国造を授けられた時には既に
舞鶴市の「赤レンガ博物館」、「舞鶴引揚祈念館」、「多禰寺(たねじ)」、「松尾寺(まつのおでら)」の記事は既に掲載していますので、カテゴリーは福井県若狭地方に変更します。松尾寺から国道27号線へ戻って小浜方向へ進み、青葉トンネルを超えた左側に杉森神社がありま
平成29年(2017)の成相寺への参拝は傘松公園へリフトに乗って向かいました。ケーブルカーとリフトのどちらの乗車も可能で、当時の運賃は往復660円でしたが、現在では往復800円に値上がりしています。傘松公園からの天橋立の眺めは、龍が天へと昇って行くかのように望まれ、「
天橋立へはまず文珠水道(天橋立運河)と呼ばれる水路に架かる長さ約36mの「小天橋」と呼ばれる廻旋橋を渡ります。大正12年(1923)に手動の廻旋橋ができ、昭和35年(1960)からは電動式になりました。廻旋時にはこのようになります。続いて大天橋を渡ります。天橋立は、『丹後風
鬼の足跡への駐車場から府道9号線をバイクで約30分北上した先に智恩寺があります。山門は、江戸時代に足掛け7年の工事期間を経て明和4年(1767)に上棟されました。再建にあたって第117代・後桜町天皇(在位:1762~1771)から黄金を下賜されたことにより「黄金閣」と称され、掲
元伊勢外宮・豊受大神社から府道9号線を北へ、バイクで10分弱の距離に元伊勢内宮・皇大神社がありますが、こちらには民間の有料駐車場しか無く、天岩戸神社の方に無料の駐車場があります。有料駐車場からの表参道は約300m、220段の石段が続きます。鳥居をくぐった先に天皇神
天寧寺から東へ進み、その先の国道175号線へと左折して北上すると宮川橋があり、その手前を左折して川沿いに北上すると、鎮守の森の中に豊受大神社があり、川は伊勢神宮の外宮近くを流れる川に因み「宮川」と称されています。駐車場先の石段かって、天照大御神は宮中で祀られ
長安寺から北へ、バイクで約15分の距離に天寧寺(てんねいじ)の駐車場があり、西へ進むと山門があります。山号を「紫金山」と号する臨済宗妙心寺派の寺院で、西国薬師四十九霊場の第27番札所です。貞治4年(1365)に愚中周及(ぐちゅう しゅうきゅう:1323~1409)が丹波の地
長安寺は京都府福知山市奥野部にあって最寄駅である京都丹後鉄道・宮福線の「福知山市民病院口」駅からは徒歩約40分ほどの距離なので、当日は自宅からバイクで約2時間半を要して、丹波大文字・標高406mの姫髪山の麓にある長安寺へ参拝しました。駐車場から山門まで西国三十三
杭全神社からJR大和路線を超え、北東方向へ10分足らず歩いた先に旭神社があります。天平5年(733)頃に、現在地から東の加美小学校付近で牛頭天皇を祀ったのが始まりで、元禄12年(1699)に現在地へ遷座されたと伝えられています。南向きに建つ注連柱から入り、参道を西へ進むと