chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
kitakitajijiiのブログ https://kitakitajijii.hateblo.jp/

九州の国鉄時代の駅弁の想い出、特に掛け紙の紹介。 国鉄時代の列車、車両の話題。 当時の切符・記念切符やの紹介。 食べ歩きの情報。

kitakitajijii
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2019/06/16

arrow_drop_down
  • 国鉄松浦線の列車、高級な座席の車両が松浦線に出現!!

    高級な座席の車両が松浦線に出現!! 昭和51年頃、国鉄松浦線には「窓の小さな列車」がデビューしました。 友達が「グリーン車」が松浦線で走りよる。乗ったバイ、椅子が回転しよった。 などワクワクするような情報が入りました。いてもたってもいられず松浦から平戸口まで狙いを定め乗車しましました。 昭和51年 高級なシートのディーゼルカー 松浦駅 回転クロスシートの「高級」な列車が本当ににいました。乗るだけでも楽しく、幸せなひとと気でした。本当に恐れ多く、追加料金を取られるのではないかとひやひやな気分でした。 その種の車両中には、椅子のモケットがエンジ色の列車もいました。まさにグリーン車そのものです。(笑…

  • 国鉄博多駅の列車1977年6月 その2

    かつての花形列車、ブルートレインの元祖あさかぜ2号、東京から到着の写真です。 昭和33年にデビュー当時の20系と言われる旧型の寝台列車の終末期です。それでも1人用個室を含むA寝台3両が連結され、豪華列車の面影を残していました。最盛期は1人用個室、2人用個室、A寝台、グリーン車、など優等列車が編成の半数以上を占める夢の列車でした。 翌年の1978年2月に車両入替となり、長年活躍したの20系は「あさかぜ」から引退、当時売込み中の2段のB寝台と個室のA寝台1両のみという編成に変更、豪華な「あさかぜ」はこの年でなくなり、ごく普通の寝台特急になりました。 1977年6月博多駅到着の寝台特急あさかぜ1号 …

  • 国鉄博多駅の列車 1977年6月 その1

    新幹線の博多開業後、その接続のため九州内の昼行の優等列車が増発・新設され博多駅は1日中とても賑やかでした。 この時期はL特急と呼ばれる列車も充実、「有明」西鹿児島行き、「にちりん」宮崎行き、「かもめ・みどり」は長崎・佐世保行きが頻繁に出入りしていました。 そのほかの昼行特急は「おおよど」、肥薩線経由の宮崎行きです。「まつかぜ」は山陰線経由の大阪行き特急として最長距離を走るディーゼル特急として活躍しています。 日本海を望む絶景の車窓が素晴らしい列車でした。JRになってからも「いそかぜ」として米子・小倉間に短縮になりましたが晩年まで残りました。 ディーゼルと電車特急の「にちりん」。 ディーゼル特急…

  • 鳥栖駅の焼売

    昭和時代、駅弁は、鉄道旅での必需品、また旅における食文化になっていました。 ご飯がついていない「駅弁」として焼売は販売され、とても珍しいらしい存在でした。 現在、焼売の販売をしている駅は、静岡・小田原・横浜・小淵沢・米沢・鳥栖があります。そのなかで焼売の王座は東の「横浜駅崎陽軒」、西の「鳥栖駅中央軒」と言われています。しかし断とつに有名・かつ売り上げが多いのは横浜なのは明白です。 しかし私的には焼売の味は、鳥栖のものが日本一美味しいと思います。 ある年、昭和31年から販売されていたその味の「焼売」は突然、販売がなくなっていました。代わりに、パック入りの「焼麦」という名称の姿・形・味が変わったの…

  • 臨時列車 華やかりし頃 急行「五島」

    お盆や年末年始、春の移動の多客時には、臨時の特急や急行列車の運行がありました。この写真は名古屋発長崎行きの夜行急行「五島」です。祐徳稲荷神社の最寄り駅「肥前浜駅」です。臨時列車の車両は波動用の客車列車が基本でした。 昭和49年肥前浜駅に停車中の長崎行き臨時急行「五島」 臨時急行「五島」は 名古屋~鳥栖は臨時急行「あまみ」に併結、急行としての運転区間は名古屋~鳥栖となっていたそうです。長崎本線内は普通列車扱いとなっていました。 編成は全車普通車のみです。下りは「名古屋」から「下関」まで全席指定席。上りは「鳥栖」から「名古屋」まで全席指定席の列車です。 その時代の乗客は、ボックスシートの座席で一夜…

  • 国鉄松浦線のディーゼルカー

    蒸気機関車が廃止されてから数年経た昭和51年当時、鉄道施設にはまだまだその名残や戦前の雰囲気を残っていました。無人駅化された駅の古い引き込み線の錆びた線路や大きな駅舎を見ると、その駅の華やかな時代を想像し興味深きものがありました。残念ながらそのような歴史上価値がある写真は1枚もとっておらず、もっぱらディーゼルカーの写真ばかり残っています。 当時、客車や電車など憧れの列車の写真が撮りたくても、地元では「ディーゼルカー」しか走っていません。その写真を撮ることでどうにか気持ちを紛らわせていました。 走っている列車でないと「鉄道写真」とはいえないといった鉄道雑誌の影響のため 走行している列車のものが多…

  • 昭和50年3月9日 新幹線開業1日前の佐世保

    昭和49年の終盤、新幹線岡山・博多開業で山陽の昼行特急がすべて廃止になるという衝撃的なニュースがありました。京都まで運行する佐世保発の唯一の昼行特急「かもめ」も当然廃止の該当列車です。 昭和50年3月9日、いよいよその最後の日、私は佐世保駅に出かけました。「かもめ号」最後の出発式のセレモニーが行われます。その日は無料でホームに入場することができたのを知らずに入場券を購入してしまいました。驚くほどたくさんの人々が「かもめ号」のお別れのために訪れ、ホームは混雑していました。いろいろな人のあいさつがあった後、吹奏楽団の鉄道唱歌の曲演奏に送られ「かもめ号」は遠くに去ってゆきました。そのセレモニーにとて…

  • 国鉄佐世保線電化開業43週年②

    国鉄佐世保線電化開業直前には、特急電車や電気機関車の試運転が頻繁に行われていました。2度とない貴重な鉄道光景を見ることができるチャンスです。 授業が終わるとすぐに撮影に出かけました。しかし開業前の6月なのに電気機関車のみのけん引で客車列車が営業運転しているのを見ました。ずいぶん適当な運用をするな、と当時の国鉄に不信感を抱きました。この謎は後で判明、つまり電化開業は昭和51年6月ですでに済み、ダイヤ改正、営業開始が7月1日だったということでした。 昭和51年5月 有田・上有田間 電化開業前の試運転中の電気機関車とディーゼル機関車 昭和51年7月長崎佐世保線電化開業記念券 あれから43年も経過しま…

  • 佐世保線電化開業 43周年!

    昭和51年7月1日、長崎・佐世保線の電化が開業しました。昭和50年3月10日、新幹線博多開業に合わせての開業予定が1年半以上遅れての開業です。 開業前の当然話題は新規運行のL特急の動向、名称がどうなるのか、電車は何本くらい運行するのかに注目です。 長崎発の「かもめ」の復活には大変驚き、喜びました。佐世保発の「みどり」号の復活はなんとなくピンときませんでした。過去に佐世保と縁のあった列車だったそうです。 電化の「効果」は特急電車が長崎・佐世保から博多・小倉間、「かもめ」7往復「みどり」6往復、そして電車は早朝の門司港行き快速列車が運行するのみでした。他は在来のディ-ゼルカーの運行でほとんど電化の…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、kitakitajijiiさんをフォローしませんか?

ハンドル名
kitakitajijiiさん
ブログタイトル
kitakitajijiiのブログ
フォロー
kitakitajijiiのブログ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用