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kitakitajijiiのブログ https://kitakitajijii.hateblo.jp/

九州の国鉄時代の駅弁の想い出、特に掛け紙の紹介。 国鉄時代の列車、車両の話題。 当時の切符・記念切符やの紹介。 食べ歩きの情報。

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2019/06/16

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  • 国鉄松浦線ディーゼルカーの想い出

    1975年平戸口駅、松浦線唯一のグリーン車 1975年、松浦駅キハ17 今回は、国鉄型車両が消滅した記念に当時のディーゼルカーの全盛期の写真が残っていましたので公開します。 当時は松浦起点の普通列車が多数存在しました。当時、一番古い車両が(キハ17)が主に運行されていました。また早朝の平戸口発長崎行きには松浦線唯一のグリーン車が連結されていました。・・・・ そしてついに2021年6月30日、国鉄型車両が佐世保地区から消滅しました。 翌7月1日に早岐駅にキハ66・67の残留車両を確認に行きましたが、すでにその姿は1両もありませんでした。(10年前のキハ58廃止の時はしばらく早岐の車両区に留置され…

  • 国鉄型キハ66・67ついに運行廃止

    廃車間際のキハ66・67 早岐駅にて 2021年6月下旬 昭和50年3月、新幹線博多開業記念の福岡博覧会からの帰り、国鉄博多駅の篠栗・筑豊線行きのホームで斬新なディーゼルカーが入線していました。 外観と塗装は急行型、室内はなんと座席はクロスシートで、特急型車両を彷彿させる列車に衝撃を受けました。飯塚直方地区の人がうらやましくなったほどです。 それから約25年後、筑豊地区から大村線に運用が転属され、毎日目の前にある佐世保線でその国鉄型車両目にすることができました。 中でも2編成は旧国鉄急行型カラーに再塗装され、その姿を見ることが出勤時の元気の素になり 楽しみの一つにしていました。 またしばしば国…

  • 憧れの駅弁 横浜駅シュウマイ御弁当

    今では超有名人気の駅弁、横浜駅シュウマイ御弁当です。今どきの駅弁の大半は紙箱がメインとなっています。今ではとても少ない昔ながらの掛け紙と、経木のお弁当箱。これぞ昔からの駅弁の原形です。 さて、この「シュウマイ御弁当」は昭和29年からの超ロングセラーの大人気の駅弁です。今や首都圏の各デパートや駅、羽田空港などで販売されています。昔ながらのシュウマイのほか、まぐろのつけ焼き、かまぼこ、鶏のから揚げ、玉子焼き、筍煮、あんずなどが入っています。 東の横浜駅、西の鳥栖駅と言われる焼売。日本の2大シュウマイ、昔ながらの経木の駅弁とシュウマイの美味しさは最高です。ご飯の質も最高! このほかシュウマイ単品があ…

  • 急行列車全盛の時代

    今はなき「急行列車」 昭和50年前後、急行列車の全盛の時代でした。特急は本当の意味で特別急行列車でした。乗ることは贅沢の極み、近くで見るだけの憧れの存在、それが特急列車でした。 急行列車の自由席が当時許された最大の贅沢でした。乗車券と赤色の急行券を手にした瞬間のワクワク感はいまだに忘れられません。新幹線博多開業より、特急列車が大衆化し「普通の人」でも特急に乗ることができる時代になりました。 現在JRではいつの間にかすべてが特急列車になってしまい、急行列車は存在しません。更に区間により特急料金を払わずに乗られる区間もあります。(佐世保早岐間など) 昭和51年6月急行弓張 昭和50年11月急行弓張…

  • 寝台特急さくらラストラン③

    2005年2月28日いよいよさくら号のラストラン、出発式が行われました。上り東京行き列車でもう2度と長崎には戻ってきません。同日の下り東京発列車は鳥栖止まりで運行終了です。ホームは見送る人で大混雑していました。いかに長崎の人々にとって想い出深い列車だったことがわかります。 寝台列車は乗ること自体が楽しい。今は長距離の移動は航空機によるものが当然主流となっており、時間をお金で買う時代、寝台列車はまったく違う考え方のものですね。 さくらの廃止は、「平成」の時代まで残っていた「昭和」の時代の終わりをつげるものでした。 記念入場券の発売や九州キヨスクによる記念切手の予約販売がありました。思い出の一品と…

  • 寝台特急「さくら」ラストラン②

    2005年2月28日で廃止の寝台特急「さくら」号。その最後の数日間のお別れセレモニーの期間中、ヘッドマークは長崎・鳥栖間、昔から伝統の「さくら」単独のものに取り換えられました。 2005年2月 ラストラン間際の寝台特急さくら このヘッドマークも様々な種類のもがありました。国鉄時代からの九州のものは、さくらの花がピンク色のものが主流です。東京発は白い花にピンクの縁取りでした。 このヘッドマークの取り付けは、JR九州の粋なはからいに大いに喜ばれました。 またこのころ、心ない人によるヘッドマークの盗難事件も発生しておりニュースざたになりました。発車前待機中の寝台特急さくら2005年2月 また、最後の…

  • 寝台特急「さくら」ラストラン①

    1998年12月、佐世保編成廃止後、東京行きの「さくら」は熊本発の「はやぶさ」との併結で運行を続けていました。ヘッドマークは「さくら」と「はやぶさ」が混じったものに変更されました。これからも未来永劫、「さくら」は走り続けるものとして見守っていましたが。…2004年12月、衝撃のニュースが走りました。【寝台特急さくら号廃止、運行から半世紀、利用者低迷で終着駅へ】と新聞にも掲載されました。 2005年2月長崎駅にて 東京行き寝台特急さくら 終末期のさくらはB寝台(B個室寝台1両含む)だけの6両編成になっていました。 航空機全盛のこの時代、この形態の列車の存続は不可能であり、むしろこの時代まで生き残…

  • 最後のキハ58【リバイバルトレインその3】

    思い出深き車両、最後のキハ58運行!!2010年8月、リバイバルトレインとして急行平戸号が運行されました。 急行平戸は国鉄松浦線が松浦鉄道に転換された1988年に廃止されました。終末期は唐津・長崎間に短縮されています。 全盛期は博多~長崎(筑肥・松浦・大村線経由)を結ぶ急行列車でした。通常期は2両編成、多客期でも3両編成のローカル急行列車です。乗客が増える東唐津・博多間は3両ほど増結されていました。停車駅は・姪浜・筑前前原・東唐津・山本・伊万里・浦ノ崎・松浦・平戸口・江迎・肥前吉井・佐々・佐世保・早岐・川棚・大村・諫早・浦上・長崎の順です。国鉄時代の松浦線の看板列車でした。 2010年8月7日…

  • 国鉄リバイバルトレイン「みどり号」

    JRに引き継いだ旧国鉄車両が廃車になる間際、リバイバル列車がJRの粋なはからいで多数運行されました。 この列車は、2011年6月25日、門司港駅 - 長崎駅・佐世保駅間で団体専用列車「ありがとう485系 併結運転『かもめ』『みどり』です。早岐旧客貨車区に運行終了後待避中の、最後の485系です。 JR化後、旧国鉄色での運行は1990年前後に終了しました。JR九州保有の485系は自社のコーポレートカラーである赤色に変更されました。「赤いみどり」が登場することとなり、名称とのずれが生じることになりました。 2011年6月25日 早岐にて その後 2000年3月のダイヤ改正で「みどり」の使用車両が、長…

  • 急行「九十九島」松浦線に復活!!

    国鉄色編成による臨時列車「令和に復活!リバイバルトレイン『急行九十九島号』が運行されました。粋なタイトルですね!! 運転区間は、長崎(9:00頃発)~佐世保~佐々~有田~肥前山口(17:00頃着)。ヘッドマークを掲出しての運転です。このリバイバルトレインの松浦線乗り入れは、平成22年8月の急行「平戸」以来9年ぶりとなりました。またこの車種の松浦線、および松浦鉄道の乗入れは初めてではないでしょうか。 私も四十数年ぶりに鉄道少年に戻り、鉄道写真を撮りました。 佐々駅停車中の急行「九十九島号」令和1年8月24日 かつては1962年8月から博多駅 - 佐世保駅間を運行開始した準急列車でした。その後 、…

  • 国鉄電車特急 明星

    電車3段式寝台特急「明星7号」博多終点到着のひと時 昭和52年6月 この写真は初めてこずかいをためて1眼レフカメラ購入し、張り切って撮影したときのものです。1眼レフとしては一番安いFUJICA・ST605というカメラでした。 寝台特急「明星」は鹿児島本線(西鹿児島・熊本・博多)と関西(新大阪・京都)を結ぶ寝台列車として活躍しました。イメージとしては新大阪・熊本間の運行メージです。最盛期は昭和50年初期で「あかつき」と並び7往復の「明星」がありました。電車寝台特急とブルートレインの2タイプがありました。長崎・佐世保線に電車寝台を待望していたの鉄道ファン(私)の憧れの存在でしたが、かなわぬ夢でした…

  • 寝台特急「あかつき」佐世保その2

    平成11年12月4日、寝台特急さくらの佐世保編成廃止が廃止。そのショックがさめない翌平成12年3月11日、何と佐世保唯一の長距離列車、寝台特急あかつきも廃止されました。これで佐世保と大都市を結ぶ長距離列車が完全になくなってしまいました。 このころのあかつき編成は「出雲」の「サンライズ出雲」への変更に伴い余ったA個室シングルDX、B個室ツイン・シングルツインが長崎行き編成に、B個室ソロが佐世保行き編成に加わりました。関西・九州を結ぶブルートレインでは実に20年ぶりのA寝台だったそうです。長崎行きにも佐世保行きにも個室が連結され、この時期が「あかつき」にとって最も豪華で充実した編成でした。そのよう…

  • 国鉄電車 エル特急 かもめ・みどり 博多駅

    昭和52年、国鉄の列車が充実し輝いていた時代、長崎・佐世保線のエル特急はかもめ7往復、みどりは6往復の運行でした。イメージとしてはボンネットのグリーン車が「みどり号」で、貫通式の新しい車両が「かもめ号」といったイメージでした。みどり号は私の人生初の乗車した特別急行列車です。わずか4両編成で、最短編成、少しみすぼらしく感じました。しかしながら急行列車とは全く違う高級な座席などの車内設備は、やはり満足しました。みどり号の博多発の 停車駅は、鳥栖、佐賀、肥前山口、有田、早岐、佐世保の順です。佐世保線内は有田停車と武雄温泉停車の列車は半々でした。先頭車のグリーン車はいつも空席が目立っていました。 かも…

  • 寝台特急「あかつき」佐世保その1

    新大阪と長崎・佐世保を長年走り続けた寝台特急「あかつき」。新幹線博多開業前の昭和49年は最盛期で、はなんと7往復のあかつきが走っていました。そのなかで長崎は3往復・佐世保は2往復運行していました。「あかつき」が長崎・佐世保に統一される前は、西鹿児島行きや熊本行きの「あかつき」も存在、バラバラ感がありました。併結列車も多様で大分行きの「彗星」、熊本行きの「明星」のパターンもありました。 佐世保行きのあかつきは昭和43年10月、ヨンサント-といわれる国鉄史上最大級のダイヤ改正で運行開始されました。更に昭和48年10月の改正で更に1往復増発、2往復体制となりました。 佐世保発の長距離列車はこの時期が…

  • 国鉄松浦線の列車、高級な座席の車両が松浦線に出現!!

    高級な座席の車両が松浦線に出現!! 昭和51年頃、国鉄松浦線には「窓の小さな列車」がデビューしました。 友達が「グリーン車」が松浦線で走りよる。乗ったバイ、椅子が回転しよった。 などワクワクするような情報が入りました。いてもたってもいられず松浦から平戸口まで狙いを定め乗車しましました。 昭和51年 高級なシートのディーゼルカー 松浦駅 回転クロスシートの「高級」な列車が本当ににいました。乗るだけでも楽しく、幸せなひとと気でした。本当に恐れ多く、追加料金を取られるのではないかとひやひやな気分でした。 その種の車両中には、椅子のモケットがエンジ色の列車もいました。まさにグリーン車そのものです。(笑…

  • 国鉄博多駅の列車1977年6月 その2

    かつての花形列車、ブルートレインの元祖あさかぜ2号、東京から到着の写真です。 昭和33年にデビュー当時の20系と言われる旧型の寝台列車の終末期です。それでも1人用個室を含むA寝台3両が連結され、豪華列車の面影を残していました。最盛期は1人用個室、2人用個室、A寝台、グリーン車、など優等列車が編成の半数以上を占める夢の列車でした。 翌年の1978年2月に車両入替となり、長年活躍したの20系は「あさかぜ」から引退、当時売込み中の2段のB寝台と個室のA寝台1両のみという編成に変更、豪華な「あさかぜ」はこの年でなくなり、ごく普通の寝台特急になりました。 1977年6月博多駅到着の寝台特急あさかぜ1号 …

  • 国鉄博多駅の列車 1977年6月 その1

    新幹線の博多開業後、その接続のため九州内の昼行の優等列車が増発・新設され博多駅は1日中とても賑やかでした。 この時期はL特急と呼ばれる列車も充実、「有明」西鹿児島行き、「にちりん」宮崎行き、「かもめ・みどり」は長崎・佐世保行きが頻繁に出入りしていました。 そのほかの昼行特急は「おおよど」、肥薩線経由の宮崎行きです。「まつかぜ」は山陰線経由の大阪行き特急として最長距離を走るディーゼル特急として活躍しています。 日本海を望む絶景の車窓が素晴らしい列車でした。JRになってからも「いそかぜ」として米子・小倉間に短縮になりましたが晩年まで残りました。 ディーゼルと電車特急の「にちりん」。 ディーゼル特急…

  • 鳥栖駅の焼売

    昭和時代、駅弁は、鉄道旅での必需品、また旅における食文化になっていました。 ご飯がついていない「駅弁」として焼売は販売され、とても珍しいらしい存在でした。 現在、焼売の販売をしている駅は、静岡・小田原・横浜・小淵沢・米沢・鳥栖があります。そのなかで焼売の王座は東の「横浜駅崎陽軒」、西の「鳥栖駅中央軒」と言われています。しかし断とつに有名・かつ売り上げが多いのは横浜なのは明白です。 しかし私的には焼売の味は、鳥栖のものが日本一美味しいと思います。 ある年、昭和31年から販売されていたその味の「焼売」は突然、販売がなくなっていました。代わりに、パック入りの「焼麦」という名称の姿・形・味が変わったの…

  • 臨時列車 華やかりし頃 急行「五島」

    お盆や年末年始、春の移動の多客時には、臨時の特急や急行列車の運行がありました。この写真は名古屋発長崎行きの夜行急行「五島」です。祐徳稲荷神社の最寄り駅「肥前浜駅」です。臨時列車の車両は波動用の客車列車が基本でした。 昭和49年肥前浜駅に停車中の長崎行き臨時急行「五島」 臨時急行「五島」は 名古屋~鳥栖は臨時急行「あまみ」に併結、急行としての運転区間は名古屋~鳥栖となっていたそうです。長崎本線内は普通列車扱いとなっていました。 編成は全車普通車のみです。下りは「名古屋」から「下関」まで全席指定席。上りは「鳥栖」から「名古屋」まで全席指定席の列車です。 その時代の乗客は、ボックスシートの座席で一夜…

  • 国鉄松浦線のディーゼルカー

    蒸気機関車が廃止されてから数年経た昭和51年当時、鉄道施設にはまだまだその名残や戦前の雰囲気を残っていました。無人駅化された駅の古い引き込み線の錆びた線路や大きな駅舎を見ると、その駅の華やかな時代を想像し興味深きものがありました。残念ながらそのような歴史上価値がある写真は1枚もとっておらず、もっぱらディーゼルカーの写真ばかり残っています。 当時、客車や電車など憧れの列車の写真が撮りたくても、地元では「ディーゼルカー」しか走っていません。その写真を撮ることでどうにか気持ちを紛らわせていました。 走っている列車でないと「鉄道写真」とはいえないといった鉄道雑誌の影響のため 走行している列車のものが多…

  • 昭和50年3月9日 新幹線開業1日前の佐世保

    昭和49年の終盤、新幹線岡山・博多開業で山陽の昼行特急がすべて廃止になるという衝撃的なニュースがありました。京都まで運行する佐世保発の唯一の昼行特急「かもめ」も当然廃止の該当列車です。 昭和50年3月9日、いよいよその最後の日、私は佐世保駅に出かけました。「かもめ号」最後の出発式のセレモニーが行われます。その日は無料でホームに入場することができたのを知らずに入場券を購入してしまいました。驚くほどたくさんの人々が「かもめ号」のお別れのために訪れ、ホームは混雑していました。いろいろな人のあいさつがあった後、吹奏楽団の鉄道唱歌の曲演奏に送られ「かもめ号」は遠くに去ってゆきました。そのセレモニーにとて…

  • 国鉄佐世保線電化開業43週年②

    国鉄佐世保線電化開業直前には、特急電車や電気機関車の試運転が頻繁に行われていました。2度とない貴重な鉄道光景を見ることができるチャンスです。 授業が終わるとすぐに撮影に出かけました。しかし開業前の6月なのに電気機関車のみのけん引で客車列車が営業運転しているのを見ました。ずいぶん適当な運用をするな、と当時の国鉄に不信感を抱きました。この謎は後で判明、つまり電化開業は昭和51年6月ですでに済み、ダイヤ改正、営業開始が7月1日だったということでした。 昭和51年5月 有田・上有田間 電化開業前の試運転中の電気機関車とディーゼル機関車 昭和51年7月長崎佐世保線電化開業記念券 あれから43年も経過しま…

  • 佐世保線電化開業 43周年!

    昭和51年7月1日、長崎・佐世保線の電化が開業しました。昭和50年3月10日、新幹線博多開業に合わせての開業予定が1年半以上遅れての開業です。 開業前の当然話題は新規運行のL特急の動向、名称がどうなるのか、電車は何本くらい運行するのかに注目です。 長崎発の「かもめ」の復活には大変驚き、喜びました。佐世保発の「みどり」号の復活はなんとなくピンときませんでした。過去に佐世保と縁のあった列車だったそうです。 電化の「効果」は特急電車が長崎・佐世保から博多・小倉間、「かもめ」7往復「みどり」6往復、そして電車は早朝の門司港行き快速列車が運行するのみでした。他は在来のディ-ゼルカーの運行でほとんど電化の…

  • 駅弁の想い出 門司港駅「みかど食堂」

    駅舎が国の重要文化財に指定されている鹿児島本線の「門司港駅」。2019年3月10日に6年の歳月を経て大正3年当時の姿に改修・復元されグランドオープンしました。 あわせて門司港駅の2階にレストラン「みかど食堂 by NARISAWA」がオープンしました。白い漆喰壁にこげ茶色のワニス塗装を施した腰壁と天井など、大正時代の雰囲気が復原されています。 「みかど食堂 」は、1914(大正3)年から1981(昭和56)年まで門司港駅で営業していました。昔は山陽鉄道の急行列車内で食堂車を運営していた「みかど」が全国の主要駅に設けた駅構内の高級洋食店だったそうです。 この「みかど食堂」は当時の門司港駅の駅弁販…

  • ブルートレインさくら②

    寝台特急「さくら」に乗車する夢がにかなったのは1998年、まだ佐世保編成の廃止が発表されないタイミングの時です。 乗車率が良くない寝台特急でも、お盆・正月の繁忙期はプラチナチケットです。1か月前の朝、JR系の旅行会社に予約開始時間とともに並びました。旅行会社の尽力で家族分のA寝台が確保できました。 東京を発車するときの気分は本当にワクワク感いっぱいです。並行する隣の通勤列車のお客に優越感を感じたものです。2人の子供と一緒に車内を見学したり、写真を撮ったりしました。長崎行きの食堂車にはワゴンによる簡易売店があり軽食としてカレーが販売されています。 鳥栖駅にて 寝台特急さくら 平成16年 そして大…

  • ブルートレインさくら

    憧れの「寝台特急さくら」「いつかはこの列車に乗り東京へ行きたい。」と子供のころから想い続けていました。できればA寝台に乗りたい、でも料金が高いな、B寝台だったら3段ベットで窮屈かな、同じボックスの人と仲良くやれるかなとの心配がありました。また食堂車で夕食を車窓を眺めながら食べたいな。・・・もちろん交通公社の時刻表を見ながら、想像の旅の中でのことです。 更にその時刻表にはさくら・あさかぜの食堂車にはスタンプがあります。との記載があり、なお一層乗りたい想いがMAXになりました。当時の私にとって東京は遥か彼方の夢の大都会。「さくら」は駅で眺め写真を撮るだけの夢の存在。ましては近づくこともはばかれる列…

  • 国鉄時代の鳥栖②【ブルートレインみずほ】

    鳥栖駅では夕方になると長距離夜行列車の発着のラッシュとなります。まず東京行きの寝台列車、大阪京都名古屋行きの急行列車、最後に関西寝台特急と続きます。 中学2年の頃、これらの列車撮影を狙って福岡の親戚の家へ訪問途中、土曜の午後から途中肥前山口で撮影を楽しんだ後、鳥栖へ出かけました。当時鳥栖は私にとって鉄道の聖地でした。 下の写真は寝台特急「みずほ」です。鳥栖駅で長崎発と熊本発が併結し東京へ向かいます。新幹線博多開業までは「はやぶさ」が長崎まで運行していました。 昭和52年6月5日 寝台特急みずほ 鳥栖駅にて この時代の長距離移動はは、飛行機より夜行列車が主流で、ブルートレインブームもあり寝台特急…

  • 国鉄時代の鳥栖①

    鉄道の町鳥栖、特に客車系が好きな人にはパラダイスでした。 当時長崎・佐世保線には早朝の博多行き「快速」列車がありました。(鳥栖博多間1・2駅通過の名ばかり快速)時刻表に「快速」とは表示されていません。急行用車両編成「いなさ」「弓張」の車両が使用されグリーン車も連結され豪華な普通列車でした。肥前山口で長崎発と併結、急行西海ともこの駅で交換もみられ、鉄道自体を楽しむことができる列車でした。その列車に乗ってあこがれの鳥栖へ出かけました。 昭和51年6月 鳥栖駅にて 鳥栖には大規模の客車区・機関区・広大な貨車ヤードがあり、汽車好きの私には本当にパラダイスでした。様々な種類の客車、茶色・青色のものや荷物…

  • 駅弁の想い出【東唐津駅】

    昭和40年代、当時の「駅」としてのステイタスは「駅弁」「赤帽」そして「みどりの窓口」がある駅でした。交通公社の時刻表に記載されており、私の中で重要な鉄道旅(想像のなかでの旅)の情報でした。(実際行けないので・・・) 今回の筑肥線「東唐津駅」は、主要本線以外で「駅弁」を販売する唯一の駅としてとてもステイタスが高い駅でした。列車の本数に比べ乗客がとても多く、赤字国鉄とは思えない情況でした。しかし列車の車両はとても古いものが充当され、長椅子の車両がメインでした。 列車の窓からの景色、玄界灘の海が美しく、観光を目的とする乗客にもとてもよい路線だったといえます。 東唐津駅にはディーゼルカーの車両基地があ…

  • 国鉄時代の松浦駅②臨時急行

    平戸大橋が開通した昭和52年4月、国鉄松浦線は福岡方面からの観光客が増加しました。その頃の多客期間に臨時急行列車平戸51号が運行されまていました。博多発筑肥線・松浦線経由で平戸口どまりの臨時列車です。 急行「平戸号」に続き2本目の急行がなんと松浦線に運行される!!当時大興奮しカメラを持って出かけました。ワクワクドキドキで行ってみると古、古い2両編成で非冷房車が担当車両でした。どう見ても普段普通列車に使用されるような車両だったのでちょっぴり違和感を感じました。やはり松浦線は田舎だからこんな格下車両を充当したのかな?と感じました。 昭和52年平戸51号博多行き松浦にて 同 平戸口にて 古い写真で写…

  • 国鉄時代の早岐

    昭和50年臨時特急あかつき51号 全車座席車 昭和50年前後、国鉄時代、佐世保線の一大拠点早岐。佐世保線、松浦線、大村線の中心駅、ここは機関区・客貨車区などが置かれ鉄道の街として発展しました。 昭和50年11月早岐客貨車区 あかつきと西海 国鉄時代も今でも早岐を起終点にした列車が多数あります。佐世保線はこの駅でスイッチバックします。当然機関車の入れ替え作業がありますので、停車時間も長くなっていました。 佐世保発着の長距離列車はすべて早岐の車両基地で整備・点検を行います。国鉄時代の寝台特急の車両運用が「あかつき」の車両が「日本海」に使われ青森まで広域運用されており話題になっていました。 昭和51…

  • 駅弁の想い出 長崎駅

    長崎線終点の長崎駅。新幹線博多開業前の昭和49年、在来線の優等列車の最盛期でした。京都行き特急かもめ、東京行き寝台特急「さくら」、「はやぶさ」、大阪行き寝台特急「あかつき」4往復、京都行き急行「雲仙」、さらには呉行き急行「出島」、別府行き「西九州」、熊本行「筑後」、小倉・博多行き急行「いなさ」、大村線松浦線筑肥線経由博多行き「平戸」などが運行、「ディーゼル天国」としてとても充実した時代でした。 ホームは2面あり跨線橋で乗客は移動していました。待合室の窓越しに車両基地があり、ステンドグラスを備えた三角屋根の駅舎が特徴的な駅でしたが、2000年ころ老朽化で取り壊され今の姿になりました。 駅弁は「日…

  • 駅弁の想い出 諫早駅

    長崎線の諫早駅。かつて国鉄時代、長崎線の肥前山口駅から下り、有明海沿線を走って諫早駅まで駅弁の販売駅はありませんでした。この駅では大村線と島原鉄道の分岐駅で主要駅として賑わっていました。 この駅弁の掛け紙は昭和48年11月のものです。今はなき急行平戸号の車内から立ち売りのものを購入しました。当時私は子供だったので、車内から弁当屋を呼んでも声が小さく気付いてもらえず困っているとき、前の席に座っていたおじさんが大声で立ち売りのお弁当屋を呼んでもらった想い出があります。 さすがに駅弁の中身までは忘れてしまいました。諫早駅開業の明治時代から続いていた「中村屋」がこの駅の駅弁業者でした。名物弁当としては…

  • 国鉄時代の松浦駅①

    昭和50年代前後の松浦市、北松炭田閉山とともに人口が減少した北松半島の中心地。人口も最盛期の3万以上から2万5千人まで減少しました。昭和47年3月の蒸気機関車が廃止、また赤字によるダイヤカットで列車本数も少なくなりました。国鉄を利用したくても必要な時間に列車がなく、必然的にバスに利用客を奪われた形になり、さらに収支悪化が進むことになります。 木造の古い駅には、貨物取扱もあり、ローカル線では珍しく改札が行われていました。そして「鉄道弘済会」の売店もあり市の中心駅としての面目がありました。列車はべてディーゼル化され、貨物列車は1日1往復運行していました。そのなかで急行「平戸」号は松浦線のシンボル的…

  • 駅弁の想い出 佐世保駅

    昭和51年7月電化開業直後の佐世保駅 車も少なく、閑散としています。 博多からスタートし、鹿児島・長崎・佐世保線下りの終点佐世保駅です。駅弁の想い出シリーズ8回目です。 長崎線・佐世保線は1976年7月に電化開業。しかし、当時、列車は電車化されたものは、L特急「みどり」6往復と早朝の門司港行き快速列車1本のみ、あとはディーゼル機関車から電気機関車に代替しただけでした。ディーゼル急行「弓張号」も中途半端な形で残りました。当時の新聞記事に、長崎・佐世保線の電化開業の批判記事が連載されていたのを覚えています。 ホームは3面、0番線から5番線までありました。門司港行きの夜行普通列車が、早岐ではなく佐世…

  • 駅弁の想い出 早岐駅

    駅と駅弁の関係は切り離せませんね。今回は佐世保線の早岐駅です。 佐世保線と大村線の分岐駅、そして佐世保線の博多方面からのスイッチバック駅として早岐は発展した街です。国鉄時代は機関区、客貨車区があり佐世保駅より格が高い 一大拠点でした。駅舎側ホームには西海橋の精巧な模型が目を引き、とても駅として魅力的でした。ホームは2面あり、その奥にはディーゼル機関車やディゼルカーそしてブルートレイン(さくら・あかつき2編成)「かもめ」「西海1号」などの優等列車が配置されていました。 この駅も最近まで古き良き木造の貴重な駅舎が残っていました。肥前山口駅同様、2014年建て替え、全国画一的な橋上駅として生まれ変わ…

  • 駅弁の想い出 肥前山口駅

    長崎線と佐世保線の分岐駅「肥前山口駅」。昔は、寝台特急「さくら」や「あかつき」「かもめ」「みどり」そして急行「出島」「いなさ」と「弓張」、「雲仙」「西海」が併結、分割の駅として有名でした。また、いつも5番線の一番奥の待避線には、朝夕だけ肥前山口と肥前浜間を運行する茶色の旧型客車が留め置きされていました。 この駅では当然各列車の停車時間も長く、駅弁を売るには好立地な駅です。ホームにはKIOSKもあり主要駅ならではの雰囲気がありました。 コンクリートブロックでできた肥前山口駅舎の国道をはさんだ向かいには、駅弁屋さん「常盤軒」がありました。名物駅弁として有名な「むつごろうちらしずし」「かしわめし」が…

  • 駅弁の想い出 佐賀駅

    佐賀駅は昭和51年2月まで木造の古い駅でした。古い国鉄の駅そのものでした。3番乗り場までありとても乗客が多かった記憶があります。SL9600型も唐津線で終盤まで活躍していました。3番線の奥横には佐賀機関区と表示されたレンガ造りの機関庫があり、鉄道風景としてはとても良いシチュエーションでした。その機関庫は当時ディーゼルカーの基地としての機能だったそうです。今ではごく標準の高架型の駅ですが、昭和51年2月に新築の佐賀駅は、まるで都会の新幹線の駅を想像させ、佐賀の街にはマッチしない(笑)モダンな駅でした。駅の高架下にはデイトスやバスセンターが設けられました。貨車(貨物)は隣の鍋島駅に移り、レンガ造り…

  • 福岡市長住の高級焼き鳥屋さん「鳥森」

    福岡で今度ゆっくり焼き鳥が食べたいね、と念願の焼鳥を食べに妻と出かけました。閑静な住宅地である福岡市南区長住。そこにある高級鳥料理・焼鳥「鳥森」。地元では人気のある店なので予約をしなければ入店困難なお店です。店内に入ると照明が暗くとても落ち着いた雰囲気です。客層は40代から50代、またお子様連れもちらほら、上品なお客が大半を占めていました。 メニューは炭火焼・刺身・焼物です。まずは、「刺身の盛り合わせ」を注文です。刺身の陣容は、ムネ肉、ズリ、ハツ、肝の4種類です。 鳥刺し盛り合わせ 朝引きの鶏、新鮮でとてもおいしい!このお店で必須の一品です。 焼鳥盛り合わせ(ささみ・とりかわ・レバーなど) 地…

  • 駅弁の想い出 鳥栖駅②

    鳥栖駅では昭和31年に「焼売」の販売が開始されました。鳥栖名物として有名になり東の「崎陽軒」、「西の中央軒」といわれるようになりました。 一時期、昔からの「焼売」の販売がなくなり、鳥栖焼売ファンをがっかりさせましたが、後年、昔からの味を復元した商品が復活しました。 商品名、パッケージとも昔の「焼売」から「焼麦」に変更されましたが、味は昔のままスパイシーでとても味わい深いです。どうせならば掛け紙も昔のデザインに復元してほしいものです。 現在では赤い箱の「焼麦」と薄茶色の箱の2種類あります。赤い箱のシュウマイは昔の味の復元バージョンです。後者は中身は特殊なパックに入っており、日持ちがするタイプ、味…

  • 駅弁の想い出 鳥栖駅①

    鹿児島線、長崎線、久大線、筑豊線の接続駅・分岐駅である鳥栖駅。昭和時代、九州の鉄道のジャンクションとして国鉄の街として大いに栄えていました。鳥栖機関区や客車区、貨車ヤードなどが併設してあり、引き込み線の数も驚くほどたくさんありました。 長崎線から鳥栖に近づくとまず、お座敷列車や茶色の旧型の客車の基地が右手に見えます。そしてその次は扇形車庫の鳥栖機関区があり、さらに先には貨車ヤードを望むことができました。 駅のホームは3つ、1番線から6番線までありました。「駅名標」にはひらがなと漢字、ローマ字で表記したもので、シンプルなものでした。各ホームには売店と立ち食いうどんそばのスタンドがありました。鳥栖…

  • 駅弁の想い出② 博多駅

    憧れの博多駅 駅弁(第2回) 昭和51年2月博多駅 幕の内弁当500 (昭和50年8月)400円 「寿軒」は長年博多駅の駅弁業者でした。明治29年創業、昭和17年に2社が合併して博多駅鉄道構内営業有限会社が設立、平成22年に駅弁事業から撤退しています。昭和40年代後半は九州1の駅弁の種類があり、鳥栖駅と並び私の憧れの駅のひとつでした。当時の私の好きな駅の条件として、駅弁がある、記念スタンプが設置、ホームでの立ち食いソバ店、そして赤帽がいることにステータスを感じていました。 当時の「寿軒」の名物弁当のメニューは「うなぎ弁当」「中華弁当」「釜めし」「かしわめし」「エビ寿司」「しゅうまい」等、憧れの…

  • 駅弁の想い出 ①博多駅

    昭和40年代後半、現在のように新幹線や特急列車が頻繁に走っておらず、当然高速道路もなく都市間の移動は鈍行列車での移動が当り前でした。 そのため必ず列車内での食事を取る必然性がありました。コンビニエンスストア―もなくお弁当の存在は大変珍しいものでした。 接続駅ではもちろんのこと、ちょっととした主要駅では必ず駅弁が売られていました。その駅ならではの名物駅弁がとても興味をもたらしてくれました。 交通公社の時刻表に名物駅弁の案内が掲載されています。それを眺めながら想像上の旅を組み立て,この駅で名物駅弁を買い、この客車列車に乗り、などの空想の旅は何よりの楽しみでした。 小学校5年生の時、従姉の結婚式の帰…

  • 唐津城の藤と伊万里の昭和なレストランランチ

    唐津市に訪れました。なんとなく懐かしさを感じるお気に入りの街です。GWといえば藤の花ですね。世界的に有名な河内藤園や黒木の大藤ほど有名ではありませんが、ここ唐津城の藤のお花見です。駐車場にいるまで少し渋滞しましたが大丈夫。こののお花は樹齢100年を超えているようです。藤独特の甘いお花の香りが漂います。四季のお花が楽しめる日本、素晴らしい贅沢です。お花が私たちの心を癒してくれました。 記念スタンプ 唐津城天守閣2階に設置(無料で入られます) 洋食屋バンク よくばりセット1,280円 さて昼食は伊万里にある「洋食屋バンク」、何十年も近くに住んでいるのに初来店です。ここででいただきます。 見てくださ…

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