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kitakitajijiiのブログ https://kitakitajijii.hateblo.jp/

九州の国鉄時代の駅弁の想い出、特に掛け紙の紹介。 国鉄時代の列車、車両の話題。 当時の切符・記念切符やの紹介。 食べ歩きの情報。

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2019/06/16

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  • 駅弁の想い出 門司港駅「みかど食堂」

    駅舎が国の重要文化財に指定されている鹿児島本線の「門司港駅」。2019年3月10日に6年の歳月を経て大正3年当時の姿に改修・復元されグランドオープンしました。 あわせて門司港駅の2階にレストラン「みかど食堂 by NARISAWA」がオープンしました。白い漆喰壁にこげ茶色のワニス塗装を施した腰壁と天井など、大正時代の雰囲気が復原されています。 「みかど食堂 」は、1914(大正3)年から1981(昭和56)年まで門司港駅で営業していました。昔は山陽鉄道の急行列車内で食堂車を運営していた「みかど」が全国の主要駅に設けた駅構内の高級洋食店だったそうです。 この「みかど食堂」は当時の門司港駅の駅弁販…

  • ブルートレインさくら②

    寝台特急「さくら」に乗車する夢がにかなったのは1998年、まだ佐世保編成の廃止が発表されないタイミングの時です。 乗車率が良くない寝台特急でも、お盆・正月の繁忙期はプラチナチケットです。1か月前の朝、JR系の旅行会社に予約開始時間とともに並びました。旅行会社の尽力で家族分のA寝台が確保できました。 東京を発車するときの気分は本当にワクワク感いっぱいです。並行する隣の通勤列車のお客に優越感を感じたものです。2人の子供と一緒に車内を見学したり、写真を撮ったりしました。長崎行きの食堂車にはワゴンによる簡易売店があり軽食としてカレーが販売されています。 鳥栖駅にて 寝台特急さくら 平成16年 そして大…

  • ブルートレインさくら

    憧れの「寝台特急さくら」「いつかはこの列車に乗り東京へ行きたい。」と子供のころから想い続けていました。できればA寝台に乗りたい、でも料金が高いな、B寝台だったら3段ベットで窮屈かな、同じボックスの人と仲良くやれるかなとの心配がありました。また食堂車で夕食を車窓を眺めながら食べたいな。・・・もちろん交通公社の時刻表を見ながら、想像の旅の中でのことです。 更にその時刻表にはさくら・あさかぜの食堂車にはスタンプがあります。との記載があり、なお一層乗りたい想いがMAXになりました。当時の私にとって東京は遥か彼方の夢の大都会。「さくら」は駅で眺め写真を撮るだけの夢の存在。ましては近づくこともはばかれる列…

  • 国鉄時代の鳥栖②【ブルートレインみずほ】

    鳥栖駅では夕方になると長距離夜行列車の発着のラッシュとなります。まず東京行きの寝台列車、大阪京都名古屋行きの急行列車、最後に関西寝台特急と続きます。 中学2年の頃、これらの列車撮影を狙って福岡の親戚の家へ訪問途中、土曜の午後から途中肥前山口で撮影を楽しんだ後、鳥栖へ出かけました。当時鳥栖は私にとって鉄道の聖地でした。 下の写真は寝台特急「みずほ」です。鳥栖駅で長崎発と熊本発が併結し東京へ向かいます。新幹線博多開業までは「はやぶさ」が長崎まで運行していました。 昭和52年6月5日 寝台特急みずほ 鳥栖駅にて この時代の長距離移動はは、飛行機より夜行列車が主流で、ブルートレインブームもあり寝台特急…

  • 国鉄時代の鳥栖①

    鉄道の町鳥栖、特に客車系が好きな人にはパラダイスでした。 当時長崎・佐世保線には早朝の博多行き「快速」列車がありました。(鳥栖博多間1・2駅通過の名ばかり快速)時刻表に「快速」とは表示されていません。急行用車両編成「いなさ」「弓張」の車両が使用されグリーン車も連結され豪華な普通列車でした。肥前山口で長崎発と併結、急行西海ともこの駅で交換もみられ、鉄道自体を楽しむことができる列車でした。その列車に乗ってあこがれの鳥栖へ出かけました。 昭和51年6月 鳥栖駅にて 鳥栖には大規模の客車区・機関区・広大な貨車ヤードがあり、汽車好きの私には本当にパラダイスでした。様々な種類の客車、茶色・青色のものや荷物…

  • 駅弁の想い出【東唐津駅】

    昭和40年代、当時の「駅」としてのステイタスは「駅弁」「赤帽」そして「みどりの窓口」がある駅でした。交通公社の時刻表に記載されており、私の中で重要な鉄道旅(想像のなかでの旅)の情報でした。(実際行けないので・・・) 今回の筑肥線「東唐津駅」は、主要本線以外で「駅弁」を販売する唯一の駅としてとてもステイタスが高い駅でした。列車の本数に比べ乗客がとても多く、赤字国鉄とは思えない情況でした。しかし列車の車両はとても古いものが充当され、長椅子の車両がメインでした。 列車の窓からの景色、玄界灘の海が美しく、観光を目的とする乗客にもとてもよい路線だったといえます。 東唐津駅にはディーゼルカーの車両基地があ…

  • 国鉄時代の松浦駅②臨時急行

    平戸大橋が開通した昭和52年4月、国鉄松浦線は福岡方面からの観光客が増加しました。その頃の多客期間に臨時急行列車平戸51号が運行されまていました。博多発筑肥線・松浦線経由で平戸口どまりの臨時列車です。 急行「平戸号」に続き2本目の急行がなんと松浦線に運行される!!当時大興奮しカメラを持って出かけました。ワクワクドキドキで行ってみると古、古い2両編成で非冷房車が担当車両でした。どう見ても普段普通列車に使用されるような車両だったのでちょっぴり違和感を感じました。やはり松浦線は田舎だからこんな格下車両を充当したのかな?と感じました。 昭和52年平戸51号博多行き松浦にて 同 平戸口にて 古い写真で写…

  • 国鉄時代の早岐

    昭和50年臨時特急あかつき51号 全車座席車 昭和50年前後、国鉄時代、佐世保線の一大拠点早岐。佐世保線、松浦線、大村線の中心駅、ここは機関区・客貨車区などが置かれ鉄道の街として発展しました。 昭和50年11月早岐客貨車区 あかつきと西海 国鉄時代も今でも早岐を起終点にした列車が多数あります。佐世保線はこの駅でスイッチバックします。当然機関車の入れ替え作業がありますので、停車時間も長くなっていました。 佐世保発着の長距離列車はすべて早岐の車両基地で整備・点検を行います。国鉄時代の寝台特急の車両運用が「あかつき」の車両が「日本海」に使われ青森まで広域運用されており話題になっていました。 昭和51…

  • 駅弁の想い出 長崎駅

    長崎線終点の長崎駅。新幹線博多開業前の昭和49年、在来線の優等列車の最盛期でした。京都行き特急かもめ、東京行き寝台特急「さくら」、「はやぶさ」、大阪行き寝台特急「あかつき」4往復、京都行き急行「雲仙」、さらには呉行き急行「出島」、別府行き「西九州」、熊本行「筑後」、小倉・博多行き急行「いなさ」、大村線松浦線筑肥線経由博多行き「平戸」などが運行、「ディーゼル天国」としてとても充実した時代でした。 ホームは2面あり跨線橋で乗客は移動していました。待合室の窓越しに車両基地があり、ステンドグラスを備えた三角屋根の駅舎が特徴的な駅でしたが、2000年ころ老朽化で取り壊され今の姿になりました。 駅弁は「日…

  • 駅弁の想い出 諫早駅

    長崎線の諫早駅。かつて国鉄時代、長崎線の肥前山口駅から下り、有明海沿線を走って諫早駅まで駅弁の販売駅はありませんでした。この駅では大村線と島原鉄道の分岐駅で主要駅として賑わっていました。 この駅弁の掛け紙は昭和48年11月のものです。今はなき急行平戸号の車内から立ち売りのものを購入しました。当時私は子供だったので、車内から弁当屋を呼んでも声が小さく気付いてもらえず困っているとき、前の席に座っていたおじさんが大声で立ち売りのお弁当屋を呼んでもらった想い出があります。 さすがに駅弁の中身までは忘れてしまいました。諫早駅開業の明治時代から続いていた「中村屋」がこの駅の駅弁業者でした。名物弁当としては…

  • 国鉄時代の松浦駅①

    昭和50年代前後の松浦市、北松炭田閉山とともに人口が減少した北松半島の中心地。人口も最盛期の3万以上から2万5千人まで減少しました。昭和47年3月の蒸気機関車が廃止、また赤字によるダイヤカットで列車本数も少なくなりました。国鉄を利用したくても必要な時間に列車がなく、必然的にバスに利用客を奪われた形になり、さらに収支悪化が進むことになります。 木造の古い駅には、貨物取扱もあり、ローカル線では珍しく改札が行われていました。そして「鉄道弘済会」の売店もあり市の中心駅としての面目がありました。列車はべてディーゼル化され、貨物列車は1日1往復運行していました。そのなかで急行「平戸」号は松浦線のシンボル的…

  • 駅弁の想い出 佐世保駅

    昭和51年7月電化開業直後の佐世保駅 車も少なく、閑散としています。 博多からスタートし、鹿児島・長崎・佐世保線下りの終点佐世保駅です。駅弁の想い出シリーズ8回目です。 長崎線・佐世保線は1976年7月に電化開業。しかし、当時、列車は電車化されたものは、L特急「みどり」6往復と早朝の門司港行き快速列車1本のみ、あとはディーゼル機関車から電気機関車に代替しただけでした。ディーゼル急行「弓張号」も中途半端な形で残りました。当時の新聞記事に、長崎・佐世保線の電化開業の批判記事が連載されていたのを覚えています。 ホームは3面、0番線から5番線までありました。門司港行きの夜行普通列車が、早岐ではなく佐世…

  • 駅弁の想い出 早岐駅

    駅と駅弁の関係は切り離せませんね。今回は佐世保線の早岐駅です。 佐世保線と大村線の分岐駅、そして佐世保線の博多方面からのスイッチバック駅として早岐は発展した街です。国鉄時代は機関区、客貨車区があり佐世保駅より格が高い 一大拠点でした。駅舎側ホームには西海橋の精巧な模型が目を引き、とても駅として魅力的でした。ホームは2面あり、その奥にはディーゼル機関車やディゼルカーそしてブルートレイン(さくら・あかつき2編成)「かもめ」「西海1号」などの優等列車が配置されていました。 この駅も最近まで古き良き木造の貴重な駅舎が残っていました。肥前山口駅同様、2014年建て替え、全国画一的な橋上駅として生まれ変わ…

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