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森とまちをつなぐ「半農半X」日記 https://blog.goo.ne.jp/takebei6491

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

武兵衛
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2019/06/10

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  • プラントハンターの密命は

    幕末に日本にやってきた英国のプラントハンターのロバート・フォーチュンは、訪日前に中国で歴史的な密命をやり遂げた跡だった。当時、イギリスの綿をインドへ、インドのアヘンを中国へ、中国の茶をイギリスへという「三角貿易」で、イギリス経済は巨万の富を帝国にもたらしていた。アヘン戦争(1840年)勝利でイギリスはさらに未踏の中国市場を飛躍的に拡大していくことになる。中国奥地に外国人が侵出するのは命がけだった。プラントハンターの若きフォーチュンは、「ロンドン園芸協会」から中国行きを命じられ、貴重な茶をはじめとする植物の苗と種を入手する密命を受けていた。彼は高級官僚服と辮髪をもって変装し、未知の国での採集を命がけでしていく。そんなドキュメンタリーを描いたのがサラ・ローズ(訳・築地誠子)『紅茶スパイ』(原書房、2011.1...プラントハンターの密命は

  • 関西では「馬込半白」が主流だった

    きゅうりを毎日のように収穫する。ときどきカラス軍団が襲来する。近くのナスは収穫直前にすべて盗まれてしまった。今年初めて植え付けたのが農協で苗を購入した白っぽいグラデーションのある「半白」キュウリだった。それも、節ごとに実をつける多収穫のうえに病害虫に強いという「節成」キュウリだった。半白キュウリは、江戸時代以前に日本に伝わった華南系キュウリが元とされ、大正初めには東京府内馬込村で「馬込半白」が育成され、明治後半には「半白節成」を誕生させ、ぬか漬けやサラダに人気があった。関西では「馬込半白」系キュウリが主流だった。昭和中期ぐらいまでは一般的に流通されていたが、現在では生産量が少なく、今ではスーパーの店頭ではほとんど見かけない。しかし、わが家で収穫した半白節成キュウリの塩こうじ漬けは実にうまい。パリッとした食...関西では「馬込半白」が主流だった

  • せつない黄昏を超えたいものだ

    数日前、雷が鳴り出し突然雨が降りしきる。そんな不安定な天候が続くなか、ひさびさDVDの映画を観ることにした。ウィリアム・ワイラー監督の米映画「黄昏」だ。1952年公開の作品。原作は1900年に出版されたセオドア・ドライサーの小説である。したがって、当時のアメリカの失業の深刻さも背景にもなっている。主人公役のオリビエやヒロイン役のジョーンズもそれにより追い込まれていく。堀田写真事務所webから一流レストランの支配人をやっていた主人公は、妻子がありながらヒロインにおぼれていき、結果的に乞食同然の孤立暮らしに陥る。いっぽう、不遇だったヒロインは劇場の女優として仕事を得てから主役に抜擢されるなど脚光を浴びた優雅な暮らしとなっていく。劇的なストーリーの映画化は戦後復興をめざした日本にも反響を及ぼしたようで、1950...せつない黄昏を超えたいものだ

  • 変わらぬ宗次郎のオカリナの音色

    冷房がきかないマイカーで初めての会場・菊川市の会場に向かう。数十年ぶりとなる宗次郎のオカリナコンサートだ。しかし、ナビが関係ない所を案内してしまい、いろいろ試してなんとか時間前にたどり着く。会場の「菊川文化会館アエル」は、外側からは建物の概要は見えない仕組みだった。森から入り口に踏み込むとそこは中世のヨーロッパの城に迷い込んだような錯覚を催す。回廊の中央には野外劇場や物産のイベントができるような広場があり、そこから大ホールや各会場に向かうが、オラのような初めての異邦人にはどこへ行けばよいかためらうが、好奇心をたぶらかす装置が稼働する場所でもあった。日本の物かどうか迷う不思議な灯篭のようなものが庭にあった。彫り物は龍のようだった。もう少し探検したいが時間がない。魅力的な会場や細かい仕様が気になったが、ホール...変わらぬ宗次郎のオカリナの音色

  • 「女形」と言えばやはり…

    1806年(文化3年)、「京鹿子娘道成寺」が中村座で上演された役者絵だ。「女形」と言えばやはり…

  • 地元で発見されたアジサイの花が咲いた

    地元で発見されたというアジサイの新品種「三河千鳥」に花が咲いた。以前、友人から「<三河千鳥>というアジサイが旧家で発見されたが、地元の人は知らないみたいなので育ててみませんか。これを広めて町おこしができるといいんだけど。」という連絡があった。育てるのはもともと苦手だったので口を濁していたが、あるときその品種を育てている人がいるのをネットで知る。さっそく、取りよせて育ててみることにした。どんな花が咲くかわからなかったが、二年目にしてやっと見事に咲いてくれた。しかし、花全体が手毬状に咲くはずだけど、本種はガクアジサイのようになっているので、ミカワチドリではないのではないかと疑念が湧いてしまったが、どうなのだろうか。葉っぱの小ささから、「ヤマアジサイ系」であることはわかっていたが、たしかに派手ではなかったがほん...地元で発見されたアジサイの花が咲いた

  • 茶を世界に広めたプラントハンターの慧眼

    幕末には世界から日本の珍しい植物を獲得する外国の「プラントハンター」がやってきた。その中でも、ロバート・フォーチュンは中国の茶をイギリスに広めたことで有名だ。その彼が幕末日本とその植物を冷静に観察した三宅馨・訳『幕末日本探訪記』(講談社学術文庫、1997.12)を読む。初めて長崎に入港したフォーチュンは、「その全景は、言ってみれば、人間の勤労と、大自然の造化の力が渾然と解け合った、平和で魅力的な絵画そのものであった」と感激し、在住のシーボルト博士に会いに行く。さらに氏は、「日本人の国民性のいちじるしい特色は、下層階級でもみな生来の花好きであるということだ。…もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人びとは、イギリスの同じ階級の人達に較べると、ずっと優って見える。...茶を世界に広めたプラントハンターの慧眼

  • 飢饉を救ったジャガタライモ

    ジャガイモをヒョイヒョイ収穫している。今月上旬にはまだ小粒だったジャガイモが最近は程よい大きさに成長しているのがわかった。小粒のジャガイモは蒸してから定番のマヨネーズで食べるのが定石となった。これだけ小さいのは商品にならない「わけあり」野菜だが、有効にわが体内に吸収された。毎年楽しみにしている品種は、赤い「アンデスレッド」と中身も紫色の「シャドークイーン」だ。味も見た目もさらにはポリフェノール含量も優れている。この品種はなかなか売っていないので種にするジャガを確保して、2月ごろ植え付けている。また、近隣にもお裾分けしていて足りないくらいとなっている。また、果肉が黄色い「キタアカリ」も収穫量も多く、甘みがある優れものだ。キタアカリは北海道農業試験場が育成したもので1987年品種登録された。ちなみに、北海道の...飢饉を救ったジャガタライモ

  • 佐藤君が16年かけて産み出したサクランボ

    昨年に引き続き、娘から父の日に贈り物が届いた。ふだん、なかなか果物に手が出ないわが家のエンゲル係数を知っているようで、山形の「サクランボ」が届いた。有名な「佐藤錦」だった。1922年(大正11年)、山形の佐藤栄助さんが16年かけて完成させた品種だ。おかげで、国産シェアの7割が山形で、その7割が「佐藤錦」というからその功績は偉大と言うしかない。全農山形が6月6日を「山型サクランボの日」に制定している。箱を開けてみたらサクランボのデザインがなかなかしゃれているのに感心する。しかも、黄色のカーネーションと手作りの葉っぱの折り紙が添えられていた。こんなところに生産者の心意気が反映されていてうれしくなった。さっそく、食べだしてみる。国産サクランボの代表格の「佐藤錦」らしく、その原点の味が伝わってくる味だった。最近で...佐藤君が16年かけて産み出したサクランボ

  • 珍しく豊作になってあわてる

    一時、ブロッコリーが500円前後の高騰でニュースになったことがあった。そこで、栄養価も高いブロッコリーを畑で育てようとあわてて栽培してみた。それからはいつものように放任栽培となり、先日様子を見てみたら結構立派な実がなっていたのでびっくり。合計すれば20個はできたと思われる。いつもであれば、半分できれば上々のはずであるのに。さっそく、いつものように近隣に次々おすそ分けとあいなる。これで食品ロスは解消され、わが体内も満足となったわけだ。そうして、料理に興味を注いできた和宮様が「簡単なブロッコリーレシピがありましてよ」と、茹で卵和えを自ら調理してくださった。そこに、マヨネーズ・黒コショウ・粒マスタード・コンソメ・カレー粉・醤油が加わっている。さっそく、新鮮なブロッコリーをはじめそれぞれの調味料のオーケストラが口...珍しく豊作になってあわてる

  • 團十郎の敵は祖父の團十郎だった

    市川團十郎どおしのにらみ合いが見事に表現されている役者絵に出会った。それは、曾我十郎・五郎の兄弟が、鎌倉時代の建久4年(1193)、源頼朝が催した富士山麓での御家人との巻狩り(今でいう軍事演習)で、父の仇である工藤祐経(スケツネ)を討った仇討ちの作品である。それ以降、歌舞伎や文学の世界で一大ブームを起こした「曾我物」。演目としては、「寿(コトブキ)曽我の対面」、通称「曽我の対面」と言われ、巻狩りの総指揮官に任命された工藤祐経の祝賀に曽我兄弟が対面するというシーンだ。江戸歌舞伎では、非業の死を遂げた曽我兄弟の登場する作品を鎮魂をかねて毎年正月に上演しているという。五代目團十郎(1741-1806)は、役者絵の円形の「駒絵」にある工藤祐経役。江戸歌舞伎の開花期の担い手として、荒事・実悪・女形など多様な演技が...團十郎の敵は祖父の團十郎だった

  • 防獣柵を初めて金網にする

    いろいろ防獣柵を作ってきたけど、とくにシカの食害がひどいのでいよいよ金網でやることにした。さいわい、冬の防寒策で竹をかなり利用していて、大小あわせて百本以上は保有してあった。柵を横でつなぐアイテムとなる。支柱は130cmの長さで先端がとがった鉄棒である。これも買い足して30本近く確保する。シカ対策としてふつうなら2mくらいの高さが必要だ。隣家の耕作放棄地との境界は狭いうえにわが農園とガーデンの外縁には幅2mほどの伐根していない茶木が残してある。したがって、シカは助走出来ないので130cmくらいの長さの支柱は飛び越えにくいと判断したわけだ。茶の木の隙間からシカやイノシシが浸入するので、いろいろ隙間に障害物を置いてきたがなかなかそんなカモフラージュは一時的なものであるのは確かだった。ここに、軽い金網をセットす...防獣柵を初めて金網にする

  • 奇妙な果実

    2022年から始まったNHKの「映像の世紀バタフライエフェクト」をなるべく見るようにしている。普段のニュースでは掘り下げられていないような歴史的事象を取り上げている。この番組を見ていると、普段のニュースが当たり障りのない表面的なことにお茶を濁してしまうことが多いのがわかる。先日、1930年から1950年代に活躍したアメリカのジャズとブルースの黒人の歌姫・ビリーホリデイ(1915-1559)を特集していた。彼女の名前は知っていたがどういう人物かはまるで無知だった。そこで、ビリーが体験した人種差別やスラムの貧困・薬物中毒などの苦闘の人生を一部知ることで、とりあえずジョン・チルトン『ビリー・ホリデイ物語』(音楽之友社、1981.4)を読むことにした。大橋巨泉が共著で翻訳したビリーの自伝『奇妙な果実』にも興味があ...奇妙な果実

  • 「蜘蛛の子を散らす」を初めて見る !!

    庭で育てている黄金色の葉の斬新な姿が気に入っている「プリペットレモンライム」(モクセイ科)に、黒っぽい蕾のようなものを発見。よく見ると、わずかに動いているのがわかった。これはアブラムシだろうかと葉っぱごと切り取って、水に浮かべてみた。そして、刺激を与えると四方八方に逃げ出そうとしたのを確認した。しかし、遠くに逃げ出した個体には糸のようなものがあった。糸でお互いをつなぎ合っているらしい。そっとしているともとのように固まっていく。眼の衰えが激しいオラにはよく見えにくいが、これは間違いなく蜘蛛に違いないと見当をつける。パソコンで拡大してみると、確かに蜘蛛の子だった。ただ、どういう種類の蜘蛛かは定かではないが、模様の感じからは「ジョロウグモ」らしい。わが家に居候している「アシダカグモ」は、今年も天井に白い「乱嚢」...「蜘蛛の子を散らす」を初めて見る!!

  • 素晴らしき日曜日の行方

    初期の黒沢明監督のDVD映画「素晴らしき日曜日」を観る。戦後すぐの1957年公開の作品。したがって、焼け跡やドヤ街も背景に出てくる。「国鉄」ができる前の満員電車も出てくる。まばらに開店しているシンプルな商店や動物園・公園も戦後らしい。だから、本作品は往年の黒沢作品の目覚ましいテンポからすれば、きわめて地味である。脚本は植草圭之助。黒澤明とは小学校の同級生だった。音楽は服部正、聴きなれた曲が流れるが曲名がわからない。久しぶりのデートをした二人だが、金がない。貧しくも夢や希望を捨てずに生きていこうとするが現実に直面。挫けそうになるトラブルばっかりが続く。草野球をやっていた少年たちの服装はオラの少年時代にそっくり。また、主人公のアパートは雨漏りするのもわが少年時代と符合する(実は今住んでいる所もそうなんだが)。...素晴らしき日曜日の行方

  • 摸索する天浜線

    4か月ぶりの「天浜線」だった。旧国鉄から第三セクターに経営が変わり、田園風景の中に一両の電車がすすむ姿は絵になる風景だった。波乱万丈の生涯を生きてきた親戚が亡くなり、その告別式に出席するため急遽関東に向かうことになった。車でもいいが、長距離運転はさすが自信がなくなった。時間的には高校生が通学のため乗車していたのが目立った。高齢者としてはやはり鉄道があることは安心につながるが、その駅にたどり着くには車が必要となるので、そこまでは1時間かけてなんとか自家用車を使い、駅横の駐車場に一晩置かせてもらう。車両の外装も内装も斬新なデザインで「ラッピング」されていることに第三セクターの必死の経営努力が感じられる。この列車は、「MTK」がプロデュースする浜松市出身のバーチャルアイドル「音街(オトマチ)ウナ」がデザインされ...摸索する天浜線

  • 花吹雪のこの場所はどこかー !!

    それは団扇仕様の役者絵だった。左のいなせな侍が三代目尾上菊五郎(1784-1849)。市川團十郎(7)・岩井半四郎(5)・松本幸四郎(5)ととも化政時代の江戸歌舞伎の黄金時代を担った千両役者だった。とりわけ、幽霊や妖怪から突然美男美女に早変わりする仕掛けはおおいに観客を喜ばせた。しかしながら、その絶頂期に芝居をやめ餅屋を営業する。同時に植木栽培でも能力を発揮。その後、舞台に復帰するが、掛川で客死し今もその墓がある。右の女形が二代目岩井粂三郎(1799–1836)、のちの六代目岩井半四郎。彼は瀬川菊之丞とともに若手女形の双璧をなした役者。しかし、人気が高揚しているさなか若くして39歳で病没。見にくいが、女形の粂三郎の頭の頭巾には岩井家の家紋の留用具を発見。また、外側の着物の縞模様には、「井〇井」=井輪井、つ...花吹雪のこの場所はどこかー!!

  • 超ミニ地域マガジン発行なる

    10世帯がポツンと暮らすわが限界集落。これといった特徴も観光場所もない。町史を見てもほとんど登場しない。出てくるのは往年の商店街のある地域だけから、写真や文書や人物が掲載されている。したがって、わが地域はかつては林業や茶業で生計を保つだけだった。そんな状態だったから、地元の宝を発掘しようと、たまたま自然散策会のボランティアをやっていたので、地元の植物や昆虫が豊富であるのがわかり記録していた。それをもとに足元の自然を見直す狙いで「ミニ地域マガジン」を手作りで発行した。農閑期に1年につき1回だけの発行を続けて第8号を迎えた。ほとんどがわが畑での昆虫や植物が中心になってしまったが、今回で植物は54種、昆虫を中心とした生き物は81種が記録された。手元にはもっと記録があるので第10号は越えそうだ。ただし、畑がやや拡...超ミニ地域マガジン発行なる

  • 男装の女医、自由民権・反藩閥政府の国士を輩出

    西洋の覇権主義に対抗してアジアと連帯し、藩閥政治に命がけで異論を唱えてきた「玄洋社」をここ数年来注目してきた。メンバーが大隈重信や伊藤博文の暗殺を狙ったこともあり、右翼のレッテルが貼られ、しばらく抹殺されてきたが、やっと見直しの動きが注目されてきた。その一つが、玄洋社の担い手を輩出してきた男装の女医・高場乱(オサム)の存在だ。それは、永畑道子『凛(リン)-近代日本の女魁・高場乱』(藤原書店、1997.3)が上梓したものだった。それをあっという間に読み終える。先進的眼科医でもあった高場乱(1831-1891)は、「自分のやるべきことは次の世代を担う若者たちに道を示すことである」と悟り、漢学を中心に明治6年(1873)に開いたのが「興志塾」(愛称「人参畑塾」)である。塾生には後の「玄洋社」の頭山満や自由民権運...男装の女医、自由民権・反藩閥政府の国士を輩出

  • ついに入れ歯デビューとなった!!

    2月に機能不全だった下の歯数本を抜き、結局下の歯全部がなくなった。しばらく、歯抜けのままおかゆやら介護食やらにお世話になりながら、3月、ついに入れ歯の装着が始まった。しかし、うまくかみ合わせができず難航し、義歯を修正してもらい、少しずつ助走訓練となる。まずは、入れ歯専用の歯磨き剤とブラシ、入れ歯入れ、入れ歯洗浄剤とを確保する。しかし、すぐ義歯が外れるので入れ歯安定剤が必須であることがわかり、あわてて「ポリグリップ」を入手する。しかし、それはゲル状のクリームを義歯につけるが、その量をつけすぎるとヌルヌルして居心地悪く、少ないとすぐ外れてしまい、使用法にはコツがいるのがわかった。したがって、はじめは断片的にクリームを少しずつ置いていくのが失敗しない方法であるということだった。これでだいぶ慣れてはきたが、まだ初...ついに入れ歯デビューとなった!!

  • 黒沢監督との初めての出会いが始まった

    以前、映画「七人の侍」を観てそこに黒沢の哲学を観た。またその映像の手法の見事さ・音楽の効果などすべてにほだされて、黒沢監督の古いDVDを観ることにした。その一つが、1948年公開の「酔いどれ天使」だった。冒頭のシーンは、主人公の医師(志村喬)の診療所前に広がる暗いヘドロ沼から始まる。それは、敗戦の日本の出発点を象徴する怪しさだった。(画像はgooブログwebから)それを肉体化したのが、ヤクザ役の岡田こと三船敏郎だった。そのギラギラした生命力に黒沢は惚れ込んだのだろう。それが黒沢と三船コンビの誕生だった。それに、志村喬も初の主演であるのも、これからの黒沢マジックの出発点に違いない。(画像はナタリーwebから)粗削りな三船の魅力を心もとない予算・資材・スタッフで膨らませていく過程の映画がこの「酔いどれ天使」だ...黒沢監督との初めての出会いが始まった

  • 仁義なき侵入は阻止だぜ

    仁義なき侵入はひでーぞ。某国の力による侵入と同じように、自然界にも同じように相手の事情を無視して下足で踏み込んでくるような事態がある。それは、外来種「マツバウンラン」だ。1941年京都伏見区で発見され、京都を中心に拡大し、現在は全国を制覇する勢い。よく見られるのは乾燥した荒れ地・開発地・休耕地にも侵出し、広い群落を形成する。葉は松葉のように細く、花はウンランのようにかわいいところから、マツバウンランと命名される。一見、ひ弱そうに見えるがじつは強靭。抜いた残骸をそのまま放置しておくとそこから大繁殖するので、それを燃やすくらいの徹底さが必要だという。2013年ごろから当地区への侵入がだんだんと目立ってきた。甘く見ていた当局はそれを腕組するだけだった。むしろ、富良野の「北の国から」の歌を口ずさむ能天気さだった。...仁義なき侵入は阻止だぜ

  • 進軍ラッパを響かせスイセンが通ります !?

    植えっぱなしの「ぐーたら栽培」群落は倍以上に増えている。その多くは「ラッパスイセン」が主流となっている。一番先に咲くのは、ミニスイセンの「テイタイト」という黄色オンリーのラッパスイセンだった。圧倒して多かったのは、白い花びらにラッパ状の黄色い副花冠のあるラッパスイセンだ。高校の英語教科書にイギリスのワーズワスの詩「ラッパスイセン」が載っていたらしいが、オラの大脳には全く記録されていない。平井正穂さんの訳がいい。谷を越え山を越えて空高く流れてゆく白い一片の雲のように、私は独り悄然としてさまよっていた。すると、全く突如として、眼の前に花の群れが、黄金色に輝く夥(おびただ)しい水仙の花の群れが、現れた。湖の岸辺に沿い、樹々の緑に映え、そよ風に吹かれながら、ゆらゆらと揺れ動き、踊っていたのだ。夜空にかかる天の川に...進軍ラッパを響かせスイセンが通ります!?

  • 遅咲き桜の爛漫

    わが大地に遅咲きの桜、八重桜の「松月」とさくらとは思えないような「ウワミズザクラ」が満開となった。早咲きの「カンヒザクラ」と「河津桜」はすでに葉桜となったが、20日過ぎていよいよ遅咲きの桜が見事爛漫となった。「松月」は、江戸時代以前からある品種で、荒川堤から全国に広まり、オオシマザクラを親とする優雅なサトザクラ。花の中心のめしべ1~2本が葉化している。似ている品種に、葉化が1本であるのが「イチヨウ」、2本なのが「フゲンゾウ」がある。40年前近くか、高尾の「多摩森林科学園」の「サクラ保存林」に何回か訪問して1800本ほど植えてある桜の中で気に入ったのがこの「松月」だった。そして、現在地への移住記念でこの「松月」を植栽して15年を超えた。ただし、桜の樹皮がシカが大好きで何度も食害にあっている。ここまで成長した...遅咲き桜の爛漫

  • 天保の改革で役者絵は禁止されたが

    印刷が不鮮明な浮世絵だった。そのためか迫力は今一つだったが、裏事情があるらしい。役者が演じているのは、静御前の護衛をしていた「佐藤忠信」である。役者絵だとそれを演じている俳優がわかる。今で言えば、中村獅童・尾上菊五郎・市川猿之助といったところだが、この浮世絵からはその演者がわからない。というのは、天保の改革で役者絵禁止のお触れがあったからだ。つまり、この絵から俳優名がわかってはいけないという裏事情があったわけだ。この浮世絵は、歌舞伎や浄瑠璃の「仮名手本忠臣蔵」や「菅原伝授手習鑑」とともに並ぶ人気三代狂言の「義経千本桜」の場面だ。「義経千本桜」は、源義経とその家来たちを中心とした軍記物語であり、義経の出番がかなり少ない。そこに、作家たちの苦心の結晶作品となっている。都を追われた義経は吉野山に匿われている。静...天保の改革で役者絵は禁止されたが

  • なんてこったぁー、ブログが終了するだとー

    2009年から16年間も利用してきた「gooblog」が今年の11月に閉鎖されることを突然知らされた。こういう体験は二度目だった。それ以前のブログは、とりあえず紙媒体で保存してあるもののwebからはもう観られないし、画像も散逸している。blogだけでは収益を得るのは難しいかもしれないが、その内容は各人の人生の軌跡が込められているともいえる。その意味では、blogは大きな社会貢献をしているともいえる。16年前は、100年以上前の古民家に移住して人生の着地点での出発をしたばかりだった。玄関前で羽釜でご飯を炊いたり、蕗を茹でたりしたのも懐かしい。太い柱には白アリが巣くっていた。修繕に追われて感傷に浸る余裕もなかった。終の棲家には厳しい寒さもあった。それ以上に、誰一人として知り合いがいなかった。縁戚関係が絡み合う...なんてこったぁー、ブログが終了するだとー

  • ボケの「気」と華麗さを見直す

    先月の19日に雪が降り、開花準備をしていたボケは蕾のままだった。現在地に「入植」してあっという間に17年を数える。当初、スローライフを標榜していたが忙しい日々に追われるも、マイペースを保持していたのでなんとか生き延びている。わが家の入り口には大きな「イチイ」の針葉樹と1mくらいの「ボケ」が植わっていた。イチイの日陰に居たボケはしばらく目立たないままだったが、10年目くらいからその鮮やかな朱色のささやかな開花が楽しみになってきたのだった。それがこの5~6年、太陽に向かってぐいぐいと枝を伸ばし始め、花数も多くなってきて、それがまた春の到来の合図ともなってきたのだった。それとともに、枝の奔放な伸長は通行の障害にもなりつつあったので、枝の一部を挿し木にしてみたのだった。すると、意外にも丈夫に育つこともわかってきた...ボケの「気」と華麗さを見直す

  • 今も変わらない勝ち組の「恩寵」

    十歳代のときだろうか、西部劇の娯楽作品という記憶があるジョン・フォード監督の「黄色いリボン」を久しぶりにDVDで観る(1949年制作、日本公開は1951年)。制作された時代は、朝鮮戦争が開始され、日本経済は朝鮮特需で立ち直る。政治的には左右のぶつかり合いが激しく対立する時代でもあった。貧乏生活の中にいたオラたちは、珍しいテレビの前で力道山のプロレスとかドイツ兵をやっつける米軍隊のドラマ、それに格好いい西部劇とかで憂さを晴らしていたわけだった。鬼畜米英からコロリと忠犬になってしまった日本は、経済的にも文化的にも精神的にもアメリカのパシリの道に転げ落ちていく。西部劇ブームもその延長線上にあった。退役を六日後に控えた大尉(ジョン・ウエイン)は、自らが指揮を執るシャイアン族掃討作戦に向かう。騎兵隊vsインディアン...今も変わらない勝ち組の「恩寵」

  • 遠州・長楽寺 その2 ホトケと仏、カミと神

    本堂の屋根にあってもおかしくない立派な鬼瓦が山門にあった。「鬼瓦」はもともと厄除けの飾りとしての瓦だが、同時に雨漏りしやすい棟の先端を補強した実用的な防水機能を担う。この瓦のてっぺんに巻物のお経の形をした「経の巻」が三巻乗せてあった。もともとは宮中で使用され、寺社のみが使用を許されていたものだ。「経の巻」の下にある2本の平行線は「綾筋」というが、その由来は調べても出ていない。鬼面の抽象的なものという説明があったがよくわからない。私見では京都でよく見る土塀のラインで見られるように皇室に関係してるよというメッセージとみたが。その「綾筋」の下には菊花の寺紋があったが、それも皇室に関係があるのだろうか。とにかく、鬼瓦のそれぞれの名称にはほとんどがそもそもの意味がスルーしている。建築家や職人の説明はどうも突っ込みが...遠州・長楽寺その2ホトケと仏、カミと神

  • 黄砂とともに春を捕捉する花木

    一昨日は黄砂で山並みがぼんやり。洗濯物は室内に吊るす。なんとなく焦げ臭いにおいもする。その臭いはどうやら韓国の山火事のせいらしい。自然界の壮大な迫力に感心する。季節の移り変わりの変遷に体がついていかない。しかし、木の花たちはこのわずかな変幻をしっかり補足しているから自然界のディティールもなかなかのものだ。遅かった「河津桜」も急速に花を開ききった。東京のソメイヨシノの開花宣言と同じ日だった。この2本の河津桜は、シカの食害に5~6も会い瀕死の重傷を越えての成熟だった。桜の皮にはよほどの旨味があるのだろう。若い枝はポキポキ折られていた。まもなく葉桜になってしまう。車で20分ほど行ったところはとっくに葉桜になっていて花の残骸も見つけられない。そう言えば、30年前だろうか、伊豆の河津町にこの河津桜を見に行ったことが...黄砂とともに春を捕捉する花木

  • 遠州の古刹・長楽寺に行く 1 しなやかな空間

    何年ぶりだろうか、浜松市細江町に行く。そこは江戸幕府を開く直前に家康が関所を開いたという交通の要所でもある。その近くにある「長楽寺」は、平安前期に開創された真言密教の古刹で、今川・徳川家に庇護されてきた歴史ある寺だ。そこへ行く途中に、二宮尊徳の座像が鎮座していた。遠州と言えば、報徳思想の実践が未だに続いている拠点でもあるのがこの像からでもわかる。ここは、「呉石(クレイシ)学校」の跡地との石碑があったがどんな学校だったかはここからではわからない。気賀地域を支配していた旗本・近藤家は大河ドラマ「おんな城主直虎」にも登場した井伊谷三人衆のひとりで、気賀関所を250年間も治め、この長楽寺に近藤家の別宅があったという。また、宝永大地震(1707年)による津波で壊滅的な被害を受けた農民たちに,塩害に強い藺草の栽培を奨...遠州の古刹・長楽寺に行く1しなやかな空間

  • そろそろ開花しようかなー

    一昨日の早朝のこと、和宮様が「世界が突然変わったぞよー」とまどろみの中にいたオイラを叩き起こしてきた。ウクライナの和平が実現したのかとも思ったが、まさか、どうも違うようだった。そして、うれしそうに「雨戸を開けなされ」とおっしゃるのであわてながら雨戸を開ける。すると、裏山の銀世界のパノラマが迫ってきた。あわてて、カメラ片手で外に行く。山並みにうっすらとにわか雪が積もっていた。すでに朝日が昇ってきているのでもう雪は消えていく過程にあった。手前に見える「河津桜」のつぼみがほんのり恥じらいでいた。街中のカワズザクラが満開だというのにわが家の春はまだまだおあずけだ。枝に積もった雪は水分をいっぱい含んだ「べた雪」だった。河津桜も開花してよいのやら迷っている様子だ。午後にはすっかり雪も消えてアイスバーンの心配もほぼなく...そろそろ開花しようかなー

  • 馬頭観音を掘り出したのは…

    わが家の近くに古道がある。戦国の世ではこの狭い道を徳川軍は武田軍追討のため通った古道らしい。古くから馬頭観音の石仏があった。その近くには川にかかる古道の橋があり、むかしは吊り橋だった。そのため、馬が落ちて亡くなったりすることもあったそうな。また、重い荷物を持った人間が隣町へ行くために峠を登るため結界を越えるという馬も人間も命がけの行路でもあった。それでいつからか、古道の坂の途中に鎮魂と安全祈願のための馬頭観音の石仏が鎮座していた。今のところ、川の決壊や橋が流されることはないが、高台には縄文遺跡があり、縄文人は川のそばでは生活しなかった知恵があったようだ。さて、その馬頭観音は、おそらく去年早々だと思われるが、みんなが知らない間に姿を消してしまった。盗まれたかとさえ思ったが、少しずつ土砂も崩れていたのできっと...馬頭観音を掘り出したのは…

  • 戦争の犠牲者はいつも子どもだった

    先日、戦場カメラマンの渡辺陽一さんの講演を聞く機会があった。期待どうり迫力ある講演だった。ゆったりした独得の語り口が子どもでも年寄りでもわかりやすい内容だった。さらに、ステージの左から右へ、もちろん中央でも全身を使ったパフォーマンスは視聴者全員に届けようとするアクションだった。その表現は、パントマイムのような手話のような豊かな所作だった。まずは、戦場カメラマンになろうと決意した経過を語った。それは学校の授業でアフリカのジャングルで狩猟する部族の話があり、それに魅かれてコンゴに飛んだ。しかし、当時はルワンダ内戦があり、民族の大量虐殺が発生していて、100万人以上の民間人が犠牲となった現場にかち合ってしまった。その前線にいたのが少年ゲリラ兵だったのでとてつもない衝撃となったという。持ち物のほとんどを提供してな...戦争の犠牲者はいつも子どもだった

  • ♪花は 花は 花は咲く♪

    寒さを気にしているうちにいつの間にか汗をかいていた日があった。そうかもう3月になったんだ。そんな実感が湧いたのは春を呼んだ花だった。春の到来を予感して「まんず咲く」、「マンサク」(マンサク科)だった。花がよく咲けば豊作、花が少なければ不作など、稲の作柄を占う植物として昔から人の暮らしとの深いつながりがあったことから、「満作」とも命名された。今年は花数が多いので畑も豊作になりそうだ。いつもだと、「のらぼう菜」が勝手にこぼれ種でいっぱい若芽を芽吹くはずなのにどういうわけか今年は皆無だった。しかし、山猿さんからいただいた「菜の花」の種から見事な花を見せてくれた。おかげでここ数日、柔らかい菜の花のおひたしを堪能できた。その隣に、4月以降咲く予定の「トキワマンサク」が濃いピンクや白色の花を満開にしてくれるはずだ。マ...♪花は花は花は咲く♪

  • 千両役者・岩井半四郎の女形

    江戸時代後期に大活躍した「目千両」と言われた「五代目岩井半四郎(1776-1847)」の役者絵を見る。「岩井半四郎」は初代から三代目までが上方歌舞伎で活躍し大坂岩井座の座元も兼ねた。四代目以降は江戸歌舞伎の女形を代表する家柄となった。なかでも、「五代目岩井半四郎」は、その眼差しとおちょぼ口をはじめ色気・愛嬌・容姿でも魅力的だった。さらに、悪婆・若衆・荒事のどれをとっても生き生きと演じられるまさに千両役者だったという。屋号は舞踊の名手を数多く輩出している「大和屋」で、「坂東三津五郎」や「坂東玉三郎」らも擁する一門である。役者絵を描いたのは「香蝶楼(カチョウロウ)国貞」(のちの三代目歌川豊国)。尊敬していた画家・芸人「英一蝶」(ハナブサイッチョウ)の名から「香蝶楼」の号(1827-1848)を名乗る。天保1...千両役者・岩井半四郎の女形

  • 久しぶりの薪割り

    先週、寒さが厳しいというので急いでダルマストーブの薪割りを行う。4~5年前に裏山の山林を地元の協力で伐採した樹木がころがったままだった。それを何とか丸切りしてマサカリで薪にする。木目がまっすぐなものは一発できれいに割れるが、節があったり木目が曲がっているとなかなか割れない。残念ながら、小雨がパラパラ落ちてきている中での作業となってしまった。しかし、今やっておかないと春を迎えられない。裏山にある丸太を下まで運搬するのも手作業となる。生木ではないのですごく重いわけではないが、続けていくと腰が痛くなっていくのがわかる。しかも、斜面でのピストン運搬も足がもつれそうだ。失敗するとその丸太が家に突入するので慎重に下まで運ぶ。雨で多少燃えにくくなっているが、古木でしかも虫食いもあるので燃えると結構早く燃えてしまうと思わ...久しぶりの薪割り

  • 白人セレブが黒人を救う物語だが…

    2009年アメリカで公開された映画「しあわせの隠れ場所」を録画で観る。原作はマイケル・ルイス『ブラインドサイドアメフトがもたらした奇跡』で、白人セレブが貧窮の黒人をプロの一流アメフト選手にしていく実話だ。監督はジョンリーハンコック、セレブ婦人を演じたサンドラ・ブロックは2010年アカデミー賞の主演女優賞を受賞している。実在のマイケル・オアーをクイントン・アーロンが演じているが、最初のぎこちないおどおどしていた様子をうまく演じていた。家族全体がこの異邦人を前向きに受け入れようと、とくに婦人のぐいぐい成長させていく指導性に目を見張る。子役の存在がぎくしゃくした関係を和らげていく役割をしっかり完遂していたのもほのぼのとしている。前半はほとんど笑顔をほとんど見せなかったマイケルも、だんだんと余裕を持つようになって...白人セレブが黒人を救う物語だが…

  • もう見られなくなったマンホール

    昨日、イベントに行った時の会場周辺で見慣れないマンホールのふたを発見。イベント開催前だったので急いでカメラに収めて会場に突入。しばらくぶりのマンホール探訪となった。下水道は、紀元前からメソポタミヤ・古代インド・古代ローマなどの都市で設置されたが、本格的にはペストやコレラなどの伝染病の大流行があり、それ以降の14~15世紀ごろから、欧米の主要都市に下水道・マンホールが敷設されていった。日本はそれらを踏まえ神田に1884年下水道ができ、全国に広まっていく。マンホールの下側には、「OHTAKEFOUNDRY」と会社名が刻印されていた。その先頭には〇の中にTの字が入っているロゴがあった。ものによってはその〇がギザギザだったり、ロゴの位置が会社名の真ん中にあったり、試行錯誤している。調べてみたら、個人で創業したのが...もう見られなくなったマンホール

  • だから「生きて、抗え。」

    全米で驚異的な注目を受けた映画「ゴジラー1.0」を録画で観る。2023年11月に上映された本作品は、ゴジラシリーズ37作目にあたり、ゴジラ誕生70周年記念にもなる。時代背景は太平洋戦争の終戦直後から復興を懸命に邁進していった頃のことだった。監督はVFX撮影で注目されている山崎貴。表題の「ー1.0」は、敗戦した日本の直後をゼロとするとゴジラの出現で東京が再び破壊された意味でマイナスという意味があるらしい。今回のゴジラの存在は今までのゴジラ以上の圧倒的な破壊力が表現されている。それはどうにも解決不能の壁に日本の国家と国民が追い込まれている状況にあった。それは、今日のウクライナやパレスチナの置かれている情勢と酷似している。同時にそれは、ゴジラ出現情報を隠してきた日本政府に対して「情報統制はこの国のお家芸だからね...だから「生きて、抗え。」

  • 「粗忽((ソコツ)の釘」のおおらかさ

    何度聞いても飽きない落語がある。何度聞いても同じところでまた笑ってしまう。その発想の切り口に唸ってしまう。それが柳家小三治の落語「粗忽の釘」だ。古典落語の素晴らしさは登場人物が金持ちではない貧乏な庶民だということだ。それを支えているのが大家さんとか隠居さんらがそういう人々らの弱点をカバーしている人間模様が心地よい。小三治の師匠の「小さん」の「粗忽の釘」を聞いたが、笑いを取ろうとする作為があんまりない。たんたんとストーリーテーリングを続ける好々爺のようだ。「小さん」は落語界の人間国宝第1号として1995年に認定され、第2号は上方落語中興の祖・三代目桂米朝が翌年の1996年に認定。第3号は「小さん」の弟子の「十代目小三治」が2014年に認定となった。師弟がダブル認定とはすごい。第4号は五街道雲助だが名前のすご...「粗忽((ソコツ)の釘」のおおらかさ

  • 畑から石が大豊作 !?

    先月末からぼちぼち手を付けてきた茶畑跡の荒地にジャガイモ畑を作ることになった。前の茶畑にはまだ根っこが一部残っていたり、大小の石も残っていたり、その後猛威を振るったススキ群落の根っこの除去作業があったり、畑にするにはかなり難航する。そのため、耕運機のスクリューの軸が折れてしまうという事態にもなった。さいわい、1本の新しい軸を変えただけで耕運機は復活できたが、力による現状変更はいい結果は生みません。しかし、数千年前か、数万年前かわからないが、もともと付近に川が流れていたようで石が続々出てきた。こりゃあ、家庭用の耕運機じゃあ歯がたたないや。なにしろ、30cm前後の石も出てくるのでツルハシが大活躍。わが菜園はクワよりツルハシが常用する理由があるわけだ。ひどいときは、3cm径の鉄棒をもってきてテコの原理で石を排出...畑から石が大豊作!?

  • 「弥勒プロジェクト」の行方は

    「知の巨人」といわれた松岡正剛氏が去年の8月に肺炎で亡くなった。編集業界ではマルチに活躍する異彩の重鎮だった。ネットの「千夜千冊」での書評はその深さと広さには刮目する鋭さに満ちていた。ということで、彼とそのチームがビジュアルに編集構成した『NARASIA日本と東アジアの潮流』(丸善、2009.5)を読む。全頁をめくっても美術書を開いたような構成になっている。しかし、肝心の表紙はおとなしい。金粉を散らしたつもりのようだが、それは金粉そのものではないし、表紙が汚れているような印象になってしまったとも思える。もしくは、日本と東アジアとの浮遊する歴史を象徴したいのだろうか。それはともかく、表紙をめくると「この一冊で、日本・奈良・東アジアが見えてくる」と示唆して暗示めいた密書の謎解きが始まる。その次をめくると、英雄...「弥勒プロジェクト」の行方は

  • ジビエ・卵・生コンが献上

    寒さもひと山超えたようなここ数日。近隣の人とはなかなか会わない日が続くそんなとき、近隣から和宮様に献上されたものが続いた。なかでも、秋までは近隣を荒らしていたシカやイノシシの捕獲にハンターは忙しかったという。そのおすそ分けをたっぷりいただいた。和宮様は自らの手でさっそく筋などを取り除き圧力釜で生肉を柔らかくしている。それをコロッケのようにしてハンバーグを作っている。夕飯には柔らかいチーズハンバーグを下賜していただいたのを食べてみる。さらには、大根とシカ・イノシシとの煮物もいただく。しかも、ジビエカレーへと続いた。カレーは撮る前に食らいついてしまったので画像がない。とにかく柔らかい。害獣特有の臭みもない。歯の悪いオラにもスムーズに食べられた。そして、鶏を飼っている近所から20個以上の生卵も届いたのだった。た...ジビエ・卵・生コンが献上

  • ダルマさんまたよろしく

    今年一番の寒波がやってくるというので、あわててダルマストーブの煙突掃除を始める。しばらく使ってなかったので煤もしっかりたまっていた。二年ぶりだろうか。この煙突掃除がけっこうめんどくさいのでついダルマさんとは冷戦状態だった。しかし、長い寒波がやってくるというので重い腰をあげて二日間もかけて煙突を掃除する。高所作業なのでなんどもビスを落として探したり代わりのビスを探したり、想定のてんやわんやでもあった。煤人間の体にはよくないが、肥料としてなら草木灰と同じように使えるらしいので、さっそく畑に撒いてみる。そのうちに、日本海側の猛烈な積雪が報道され、あれよあれよという間にわが中山間地にも番が回ってきて久しぶりの雪が積もった。煙突掃除を事前にやっていたのは正解だった。風速が強くてなかなか焚き火がしばらくできなかったの...ダルマさんまたよろしく

  • 花道から凛々しく「しばらく、しばらく!!!」

    2021年に行われた東京オリンピック開会式で市川海老蔵の『暫(シバラク)』が上演された。歌舞伎十八番の代表的な作品だ。清原武衡(タケヒラ)が、自分の意に従わない人々を家来に命じて斬ろうとするところに、「しばらく」という声とともに鎌倉権五郎が花道から登場し、敵を一網打尽に倒し人々の命を助けるという勧善懲悪の物語。その人気にあやかって権五郎の女性版の「女暫」が上演される。それを幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師・歌川豊斎(ホウサイ・三代目歌川国貞)が描いた役者絵がいい。「女暫」は、巴御前といういつものご都合主義甚だしい設定だ。巴御前は平安時代末期、平家掃討作戦で活躍したとされる大刀と強弓の女武者。したがって、太刀がでかく表現されている。日本画のようなきりりとした表情の「女暫」は、1901年(明治34年)に...花道から凛々しく「しばらく、しばらく!!!」

  • レトルト介護食がどっさり届く

    和宮様のご令嬢からレトルト介護食がどっさり届いてびっくり。冷凍なので全部を冷蔵庫に収めるのが大変だった。さすがのご令嬢、その素早い行動に感心する。そんなこともあり、毎日の食事は2~4個のレトルトパウチ食品を食べることになった。基本は、朝食は野菜ジュースとパン、昼食・夕食にこの介護食を中心にしながら、ときに温かく柔らかいソバやおでんが花開く。届いた中になんと、何種類ものお弁当がでんと鎮座していた。そこには、単品のおかずもぎっしり並んでいた。さっそく、うまそうな「チーズハンバーグ弁当」を食べてみる。どういうわけか、最初にハンバーグを箸で半分に切ってみる。すると硬直した手ではあったが見事にスムーズに切れたので安心して歯が半分留守になった口角に投入する。舌で噛んでみると不覚にも「うまい!!」と叫んでしまった。そう...レトルト介護食がどっさり届く

  • 久しぶりにポテチを食べた

    ポテトチップスには脂肪や塩が多く含まれており、過剰に食べると血管や腎臓への悪影響、さらにはメタボや癌になりやすいという可能性がかつて心配されていた。そのため、ポテチをほとんど食べないでいた。しかし、今現在下の歯がない状態では噛まないで食べられる食材や間食として最近ポテチを食べだしてみた。たまたま手にしたのが、純国産・無添加の「ノースカラーズ」社のポテチだった。北海道を拠点に食材のジャガイモ・カツオ昆布・米油を100%国産由来にしているコンセプトに感心した。味もしっかり旨味を保持している。しかも、一般的に使われている「パーム油」の大量使用は、熱帯雨林や先住民族・生態系の破壊となっているという実態を菓子袋に記載しているという画期的なものだ。こうした告発的な主張を明示するという勇気に心を動かされた。1967年に...久しぶりにポテチを食べた

  • 史上に刻印された平安女性の活躍

    大河ドラマ「光る君へ」が終わったが、読みかけだった、服藤早苗『源氏物語の時代を生きた女性たち』(NHK出版、2023.12)をやっと読み終える。平安中期に輩出した女流文学の背景には世界的に観ても驚異的なできごとだそうだ。とくに日記は、事務的な備忘録の域を出ない場合が多い。「紫式部日記」「蜻蛉日記」「和泉式部日記」「更級日記」などの女流作家が、自叙伝・結婚恋愛・随筆などを内容とした「日記文学」を確立していった。その背景は、「唐」からの離脱としての国風文化の進展から、「かな文字」が発明され女流貴族の錬磨によって熟成されたことによる。さらには、背景として女性天皇の政治的政策的存在感もあり、それは、今日の国連が日本を指弾しているように、女性天皇誕生に否定的な日本の後進性を暴露するものでもある。その意味でも、女性が...史上に刻印された平安女性の活躍

  • ついに流動食へシフト

    一昨日、残念ながら歯医者でグラグラだった下の歯を全部抜いてもらった。5~6年前、他の歯医者で入れ歯を推奨されていたが、それを拒否して現在の歯医者でなんとか永らえていたのだった。先週から、酷使していた歯が痛くなったり、噛むのももどかしくなったりして、食べ終わるのに倍以上の時間がかかるようになってしまった。それを察知した和宮様は恐れ多くもおかゆや介護食を直接調理してくださった。そうして、ブロッコリーをミキサーでつぶしたスープとウナギをのせたおかゆを食べてから、下の歯の抜歯をしようと決めたわけだった。さいわい上側の歯はなんとか健在だったのが救いだ。さらにさっそく、市販の噛まなくてもよい煮込みスープもネットで入手。それは流動食の味や栄養を補助し、その食づくりの負担軽減を図ったものだ。こうした食材は、スーパーではな...ついに流動食へシフト

  • 穏やかな陽ざしをたわわに実る

    近所の裏山に実った柑橘みかんをいっぱいいただく。先日は花ユズなどをダンボール数箱をいただいたばかりだった。朝の野菜ジュースにはそのユズを毎日2個前後を投入したものだった。急峻な斜面にある小さな柑橘園には植えて間もないシークワーサー・デコポン・イヨカン・キンカン・カボスなども芽生えている。端に実っていた「夏ミカン」は全部収穫していいよ、と言われたので、1個だけ残してありがたくいただいた。まるでわが家の専属みかん園になったみたいだ。もう1本の「夏みかん」も適度に収穫したら、合計段ボール3箱分ほどになった。これは毎朝1個分はジュースに投入されている。残りの柑橘類はその地主が収穫して懸命に近隣に配っている。十年ほど前は、天野貢さんの山奥から段ボール5~6箱分を収穫してきて、この地主にもいくつか引き取ってもらったこ...穏やかな陽ざしをたわわに実る

  • 「お茶漬けの味」の行方は!

    久しぶりに小津安二郎監督の映画DVDを観る。コロナ事件以来映画館から遠ざかってしまった。それもそのはず山奥から都会へまかり出るのもおっくうになったし、在宅で観られる映画が溜まってきているせいもある。もちろん、寒さのせいで外に出る勇気が半減しているのが本音でもある。夕飯前に「お茶漬けの味」(1952年公開)を急遽観ることにした。戦時中に当局に脚本を持ち込んだが、戦時なのに有閑マダムが旅行で遊びに行くのは問題だとか、兵役に従事する前夜にお茶漬けとはけしからんとか、反戦を言っているわけではないのに許可が出なかったという事件があった。それらをベースにして戦後書き直したのが本作品である。地方出身で読書好きの物静かな主人公・佐竹茂吉(佐分利信)と上流階級出身のお嬢様でツンツンしている妻の妙子(小暮美千代)との倦怠期に...「お茶漬けの味」の行方は!

  • キウイジャングルと格闘する

    夏の記録的な暑さもありキウイフルーツの収穫はあまり多くはなかったように思えた。収穫は11月の文化の日あたりが標準だったが、今年は11月の8・9日に一気に行う。大まかに数えると500個近くに肉薄したようで、ほぼ例年並みの収穫のようだった。しかしそのあとの剪定が収穫以上に手間がかかり、これをやっておかないと数は多くても小さめの果実となってしまう。いつもの通りのんびり剪定していく。ついでに隣の「ヒメコブシ」の大木や「グミ」の剪定もしたりして気分転換もして飽きないよう道草する。というのも、下から剪定ばさみで伐っていくと首が痛くなっていくからでもある。また、枝からオスとメスとのころあい調整も考えていくと、親の主枝を見上げながら側枝を辿っていくのも首に負担がいく。だもんで、ときどき小さな踏み台に乗って上から剪定を始め...キウイジャングルと格闘する

  • 農業と廃プラスチックは問題にならないのか

    家庭菜園をやっていていつも気になることがある。それは農業資材にプラスチックが多く利用されていることだ。オラも今までマルチ・カバー・紐などに多用しているが、その破片が土壌によく紛れていることだった。その破片を拾うのも一つの重要な作業となっている。たとえば、古いプラ縄などの破片が細かく落ちているのを見ると健康にも影響するのではないかと、このところ紐はシュロ縄を使うことにしている。回収されたプラスチックさえも、焼却されたり埋め立てされたり海洋投棄されたりもしている。それは地球規模で拡大され続けている。それは地球温暖化をはじめ生態系の破壊・魚類や鳥・人間などにも影響が出ている。人類の経済優先の選択は便利さは向上したものの、失われたものも大きい。その意味で、江戸時代のエコ暮らしの先進性は世界的にも評価されなければな...農業と廃プラスチックは問題にならないのか

  • ハラハラ・ドキドキの華麗なサーカス

    セシル・デミル監督の映画「地上最大のショウ」(アメリカ、1952年公開)をDVDで観る。映画のタイトルは知っていたが今まで観ていなかったのでまずは観ることだ。70%はサーカスの醍醐味が存分に観られる映画だった。主演は筋肉マンのチャールトン・ヘストンがこのサーカスの座長役だ。映画を支えたのは、「リングリングブラザーズ・バーナムベイリー」という「地上最大の規模」を持ったサーカス団だった。なにしろ、資材・用具をはじめ500頭以上の動物やスタッフ1500人以上を運ぶ車両が90両もあるサーカス専用の列車をも保有していた。映画でもその迫力が随所に出てくる。映画の後半では、その列車の事故によって化粧を落とさないわけありピエロが人命を救っていくという仕掛けが、ショウだけでないドラマにしている。ふつう映画の上映時間は90分...ハラハラ・ドキドキの華麗なサーカス

  • たゆた(漂)えども沈まず

    今年の年賀状の中に、オラの人生の羅針盤である作家・高尾五郎さんの絵葉書が混じっていた。いつもは、自分や仲間が描いた油絵や野草のイラストなどの絵葉書を送ってきたが、今回は開高健(カイコウタケシ)の言葉の絵葉書だった。「朝露の一滴にも天と地が映っている」との禅僧のような名言が力強く書かれた絵葉書だった。開高氏は、プロ作家になる前にサントリーのコピーライターとしてとくにトリスウイスキーの宣伝に魅力的な文才を発揮したのは有名だ。その後、そこで鍛えた直言をまとめて『開高健名言辞典』を刊行している。この辞典の表題は「漂(タユタ)えども沈まず」という言葉だった。この言葉はパリ市の紋章に添えられた船乗り組合の標語(ラテン語)だった。パリはセーヌ川の中心にあるためいくども災害にあったこともあったが、それでも沈まずなんとか復...たゆた(漂)えども沈まず

  • 今年も芋汁をいただき お礼にキクイモ

    お正月になってまもなく、近所から毎年のようにヤマノイモ(自然薯)の芋汁をいただく。さっそく麦飯に芋汁をかけて飲み込むようにいただく。こだわりがあるようですり鉢で何度もすり潰すという。だから粒が感じられないほど細かくスープのようにのど越しがいい。昨年の年末には、里芋をダンボールいっぱいにもらったばかりだった。芋汁を持ってきたとき、たまたま掘り出したキクイモで唐揚げを料理したばかりだった。なんとタイミングがいい。酒・ニンニク・醤油・片栗粉・トウバンジャン・ごま油の中にキクイモを投入する。それをサラダ油の中に少しずついれて揚げていく。レシピどおりやらない・やれないのがオラの流儀だ。でも面白いようにキクイモの唐揚げができていく。食べてみると衣はカリカリ中身はホクホク甘い。これなら喜んでもらえそうだと返礼品に化けた...今年も芋汁をいただきお礼にキクイモ

  • 混沌の時代だからこそ老子の出番

    ヨーロッパで出航の出口を失ったロシアは最近は日本海への脱出口を探っている。大国の戦火と力による外交は時代錯誤ではなく、実際に直面する現実となっている。わが国内の閉塞した状況での犯罪・殺人事件も止む兆しはない。そんななか、紀元前8~3世紀の中国で群雄割拠の春秋戦国時代に影響を与えた老子に注目せざるを得ない。そこで、童門冬二(ドウモンフユジ)『男の老子』(PHP研究所、2007.11)を読む。「男の」という表題は気にくわないが、企業戦士・サラリーマンをターゲットにしているからなのだろうか。そこがもう著者のつまずきに思えてならない。戦乱と殺戮が絶えない紀元前中国の乱世のさなか、孔子・孟子・孫子・墨子・老子など「諸子百家」の学者・ブレーン集団が創出していく。これらの思想が現代でも受け継がれているというのが大国...混沌の時代だからこそ老子の出番

  • 新幹線から見た富士山

    久しぶりに新幹線を乗る。各駅停車の「こだま」ではあるが東京に向かう。おそらく年末年始の期間だったら座れなかったかも、と安心して空いている自由席の窓側に席を取る。すると、思いもかけず富士山が見えてきた。あわててぽんこつカメラを取り出してシャッターを切る。車窓からは原野あり住宅街あり工業団地ありそんなパノラマを送りながらも、富士山の存在が圧巻する。やはり絵になるといつも思う。昨日は雨模様だったのできょうの晴天がうれしい。新富士市に入ると煤煙を吐き出す煙突が気になる。富士の清流のおかげで製紙業も盛んになる。以前、この辺を車で通ったとき煤煙と煙突で富士が包囲されているように見えた時もあった。今では技術革新が進んできれいな煙になったんだろうが、富士山の自然のおかげで生産が成り立っていることを肝に銘じてもらいたいと切...新幹線から見た富士山

  • 竹ジャングルを拓く

    ここ数年は支柱にしていた竹が太くないのでしばらく放置していたらぐいぐいと竹林ができてしまった。いつものようにあわてて竹の伐採に挑む。侵出している竹林は、バタフライガーデンを一部日陰にしてしまって植えていた花木や花卉に生育が悪い状態にしてしまったし、イノシシの絶好の棲家にもなってしまった。寒さでエンジンのかかりは悪いが先月から少しずつ竹を伐り出していく。合計すると100本にはなると思われる。そこで、玄関前に挿し木していた植木鉢にまずは不織布でべたがけして、その上に伐り出してきた竹をそのまま防寒策として配置して行く。久しぶりの作業だった。これも竹が豊富にないとできない作業だ。もちろん、畑の防寒も同じような作業をしている。畝では不織布の上に寒冷紗をしてから伐り出した竹をそのまま配置した。強風があると飛んでしまう...竹ジャングルを拓く

  • 刃傷をとめた「本蔵」の行く末

    かつて年末となると、どこかの番組で忠臣蔵のドラマがあったが、最近はさすがに往時のように観られなくなってきている。江戸時代ではそれほどに忠臣蔵は庶民の心をとらえていたということでもある。それを広めたのは言うまでもなく歌舞伎の存在だ。この画像は、妻のお石(内蔵助の妻がモデル)が主君の刃傷を止めた本蔵(梶川与惣兵衛がモデル)の首を狙う場面である。役者絵の作者は歌川国貞(三代豊国)、安政2年(1855年)の作品。同じ場面を幕末から明治にかけて活躍した「歌川芳虎(ヨシトラ)」も描いている。大衆からのパッシングを受けていた本蔵(梶川)は、お石の槍をかわしたが、由良助の息子(大石主税がモデル)の槍をあえて受け止めて絶命するという筋となっている。ついでながら、「仮名手本忠臣蔵」とは、「いろは四十七文字」と「赤穂浪士四十七...刃傷をとめた「本蔵」の行く末

  • 風雪穏やかにして茅舎(ボウシャ)に春

    明治末に作られたらしいわが古民家もだいぶガタがきていて、われらの体のガタつきとともにその風雪の足跡を共有しているところです。そんななか、360度山に囲まれた風景に心を洗われ、生き物に翻弄させられたり好奇心をかりたてられたり、自ら育てた野菜や近所・朋友からのいただきものに元気を回復したり、いま生きていることのありがたさを感じ入ることばかりです。この気持ちが今年も持続するよう祈るとともに、つたないブログにいつも変わらぬ応援やら見守っていただいている皆様に感謝いたします。風雪穏やかにして茅舎(ボウシャ)に春

  • 年末に心づくしの玉手箱が届く

    寒さが応える日々の年末に近隣や大都会からの心づくしの贈り物が届いた。まずは近所からは、わが玄関先に散乱する挿し木の植木鉢を整理すべく、「これ使ってみないか」と外用の植木棚を持ってきてくれた。これなら水をかけても安心だし、省スペースも進められる。もう一台は後日持ってくるという。さらに、ダンボー箱いっぱいの掘り出した「里芋」も運んでくれた。サトイモやサツマイモはイノシシにやられるのでこのところ栽培していないのを知っていたのだ。これらの葉っぱはシカの好物でせっかく芽が出ても食べられてしまう。同じ近隣でも土地の環境の違いなのか栽培者の心得の違いなのか、この差にいつも考えさせられる。そして、都会に住む老紳士のシティーボーイから福袋ならぬ「福箱」いや「玉手箱」が届いた。箱を開けたら煙こそ出なかったが、健康食品・コーヒ...年末に心づくしの玉手箱が届く

  • 「二十億光年の孤独」を感じた青年は

    今年の11月に日本を代表する詩人・谷川俊太郎が老衰で亡くなった。詩集を読むのが好きだったオラにも俊太郎は生きる喜びを与え続けてくれた。というのも、ほかの作家の詩は解読が難しかったり、独りよがりだったりするなか、俊太郎の詩は構えずにしてその世界をふらりと入れてくれる。彼のデビュー作を再度取りよせて読んでみる。「二十億光年の孤独」の詩は、たった16行しかない詩だ。「万有引力とはひき合う孤独の力である/宇宙はひずんでいるそれ故みんなはもとめ合う/宇宙はどんどん膨らんでいくそれ故みんなは不安である/二十億光年の孤独に僕は思わずくしゃみをした」といったフレ-ズのリズムは終生変わらなかった気がする。17歳で詩作を初め、21歳で本詩集を刊行したこの青年はそのまんま変わらず老詩人となり、92歳で大往生を遂げる。オラの子ど...「二十億光年の孤独」を感じた青年は

  • 二本の角がかわゆいんだけど

    オラの玄関近くの柿の木のすぐ隣にいつの間にか「エノキ」の木が伸びていた。バタフライガーデンにエノキは必須の樹木だ。先日、裏山にもエノキが生えているのを確認したので、柿の木の栄養を吸っていたエノキは駆除することになった。そこで、オオムラサキの幼虫がいないかと念のためエノキの枝を点検したところ、伐った枝に見慣れない2本の角のある可愛らしい幼虫を発見した。どうやら、図鑑には掲載されていないことが多い「アカボシゴマダラ」のようだった。4年前の2020年7月24日のブログに成虫を掲載したことがある。本種は、人為的に放蝶された外来の蝶で、外来生物法に基づく『特定外来生物』に指定されており、飼育・放蝶・譲渡することなどが禁止されている。いわゆる「ゴマダラチョウ」に赤い斑点が目立つ魅力的な蝶である。この蝶がオラの町にもわ...二本の角がかわゆいんだけど

  • ドイツのクリスマスパンが届いた

    先日、キノコの師匠から大きな段ボールに満載の炭とプレ・クリスマスプレゼントが届いた。「七輪党」幹事長(闇党員はいるが党員はゼロ)を自称するオラが、七輪や焚き火をこよなく愛しているのを知って、どっさり送ってくれたのだった。このところ、空気が乾燥していて各地で火事が多いので、火の使用を自制している日が続いている。風も強く、風力2以下なら焚き火再開を予定していたが、このところなかなかそんな日が来ない。さらに続けて、ドイツのクリスマスパンの「シュトーレン」と和宮様へのプレゼントが贈られてきた。「シュトーレン」の食べ方は、端から食べていくのではなく、中央部分から薄くスライスして少しづつ食べてクリスマスを迎えるという。食いしん坊のオラは、始めはセーブしたつもりだったがあまりにも旨いのでクリスマスを待たずに完食してしま...ドイツのクリスマスパンが届いた

  • こころの傷をバネに辺境を渡る

    ひょんなことから、井上光晴『井上光晴詩集』(思潮社、1971.7)を読み始めた。前半は青年らしい正義感あふれる社会への異議申し立ての詩に溢れている。それが後半になると、言葉をこね回し難解になっていく。しかし、魅力は常に底辺に生きる人への共感だった。それは絵描きの父が家にいなかったり、母が家出したりで祖母の手で育ったことからに由来しているらしい。しかし、幼少期のあだ名が「嘘つきみっちゃん」と呼ばれていたように、生い立ちや経歴は虚構であることが多い。また瀬戸内寂聴と恋愛関係にあったことは映画化されたり小説にもなっている。原一男監督のドキュメンタリー「全身小説家」にもその三角関係の証言や晩年の光晴の姿を描いている。「金網の張ってある掲示板に父の名前は見えなかった父は何度も爪吉の頭をなでながらがっかりしたように笑...こころの傷をバネに辺境を渡る

  • 「いま」をそのまま受けいれることから始まる

    十数年前に読んでから、座右の書ともなった英米文学者・加島祥造『求めない』という詩集だった。翻訳者としても有名だった加島氏はすべてを捨て山奥に移住する。そうして、「伊那谷の老子」とも言われ、そこで出会った外国人女性と意気投合する。しかし、そのパートナーの死に直面し、ふさぎこんでいたが、彼女の骨を庭に散骨することでようやくそれを受け容れるようになる。その様子はNHKで”Alone,butnotlonely.”として放映された。そうして、続編『受いれる』(小学館、2012.7)が刊行された。「いま」をそのまま受けいれることから始まる

  • ハサミがあるかないか

    わが家庭菜園ではハサミムシによく出会う。野菜のすぐそばにいることが多く害虫ではないかと思っていた。そのハサミムシがのこのこ家の中にやってきた。そこで改めて調べてみると、ハサミムシは「科」ではなく「目」の名前だということを初めて知る。つまり種類がそれほど多いというわけだった。画像の虫は山地性のハサミムシの「コブハサミムシ」のようだった。コブハサミムシは背中に複雑に折り畳まれた後翅があり、羽化や越冬前の時期に突如飛翔するらしいが、見たことはない。尾の鋏が大きく湾曲するものをオスのアルマン型、長く真っ直ぐに伸びるメスをルイス型という。繁殖を終えるとオスは死んでしまうが、産卵したメスは幼虫になるまで卵を外敵から守り続けるばかりでなく、幼虫に自らの体を食料として提供する。壮絶な子育てである。ハサミムシは害虫を食べて...ハサミがあるかないか

  • 栄華と陰謀の王朝を生きた女性の豊穣

    大河ドラマ「光る君へ」が明日で最終回。ドラマは主演・脚本・制作統括・演出をすべて女性が担当するのは史上初という。その時代考証を担当している倉本一弘氏の『藤原道長の権力と欲望・紫式部の時代』(文春新書、2023.8)をあわてて読み終える。本書を読むと、脚本家の大石静がかなりこれをを参考にしているのが伝わってくる。(画像の殆どは、山川出版社、「詳説日本史図録」、2008.11から)道長の日記「御堂関白記」は、ユネスコの「世界の記憶」遺産として2013年6月に登録された。為政者が自ら日記を書くのは世界でも稀であり、千年前多くの日記が残されている日本はきわめて特殊だと著者は指摘する。本書では、道長の「御堂関白記」、優れた官僚の藤原実資(サネスケ)「小右記」、能書家で有名な藤原行成「権記」(ゴンキ)らの日記ととも...栄華と陰謀の王朝を生きた女性の豊穣

  • そうだ冬の花を探しに行こう!!

    世の中は暗いニュース満載だ。ノーベル賞をもらった被団協受賞の意味は大きいが、政府がいまだに核廃棄に後ろ向きなのは戦後政治を経済成長神話路線をいまだ払拭できない象徴とも言える。「平和より金」路線が国民の頽廃と劣化を促進してとどまることを知らない日々だ。平安貴族の権力者は和歌を産み出す感性が問われた。戦国・室町時代以降では能・茶道・書道などに精通していることが指導者のステータスだった。そうだ冬の花を探しに行こう!!

  • 山並み見ながら古民家カフェ

    昨日は、山並みが素晴らしい市内砂川(いさがわ)にある「風香(ふうか)つきみ亭」を初めて訪れる。昨年11月に開業した古民家カフェである。お昼近くだったせいかお客が10人ほどいて30分ほど待ってしまった。場所はオラがいつも気に入っている一等地にあるビューポイントだった。カフェの裏側は、数百年の風格のある「カゴノキ」が鎮座し、その隣に公民館・元寺院が控えている。もちろん、目の前はこの地区で一番風光明媚な高台にある。雨上がりの山並みの雲海にははたと見とれてしまう。急峻な斜面には端正な茶畑が山並みと競うように緑の模様を形成する。しかも、この茶畑は先験的な「有機JAS認定農地」となっている。そうした魂は、若い入植者を呼びおこし市内の静かなムーブメントとなっている。その雄大な自然背景とみずみずしい人間のネットワークは、...山並み見ながら古民家カフェ

  • 絶望のなかで自分がやれること

    前々から読みたいと思っていた武道家で思想家の内田樹の「街場…」シリーズ。『街場の共同体論』(潮出版社、2017.1)をやっと読み終える。創価学会系の雑誌『潮』に連載してきたものを単行本にまとめたものが本書である。目次を見ると、家族論、格差社会、学校教育、コミニケーション能力、師弟論などで、共同体という言葉が見当たらない。ムラ社会に生きていると共同体とのかかわりは無視できない。内田氏の生きている世界は都会中心であるのがやや気になる。ムラで生活していると、水源地・生活道路・草刈りなどの整備や神社・祭り・防災訓練の行事がらみの共同作業が少なくない。水源地の泥の除去や林道の枯れ枝・土砂の撤去や水道のメーター点検などは、グループの当番制で三カ月に一回廻って来る。その意味では、群馬県上野村にも居住している哲学者・内山...絶望のなかで自分がやれること

  • ハチのようなハエに侵入者の足跡

    外に出ようと玄関の引き戸を開けようとしたら、見慣れないハチのようなものが外に出たいようだった。引き戸を開けても迂回して逃げようとしない一途な性格だ。ハチの多くはよくあるタイプだ。2cmくらいのベッコウ色の翅がきれいだったので、とりあえず捕獲してみる。調べてみたら、「ベッコウバエ」(ベッコウバエ科)だった。翅には5個の丸い紋があった。背中には3対の黒っぽい縦条があった。すでに弱っていたようだが、容器の中では仰向けになって暴れていたが元に戻れなくなっていた。腹部が黒いのはメスのようだ。ベッコウバエの餌は、樹液・糞・キノコだという。そう言えば、昨日わが家のバイオトイレの糞尿を取り出し畑の隅に埋めたばかりだ。春や夏にこれをやると、作業して数分でハエが大挙してやってくる。ハエの嗅覚の速さにいつも感心する。昨日は...ハチのようなハエに侵入者の足跡

  • 紫式部じゃないよ白式部かな !?

    林縁を歩いていると紫の実に出会うことがある。紫色は古代から上品な色であり貴族の上位の色でもある。自然が生み出した紫色はとても少ない。だから、派手ではない「ムラサキシキブ」の実に出会うとうれしくなる。しかも、葉がビロード状の「ヤブムラサキ」の葉を確認すると声をあげてしまう。どちらも実はさほど多くない。そんなとき、わがバタフライガーデンで白い実の「式部」を発見する。市販でよく見る園芸種の「コムラサキ」の実の多さは圧巻である。茶畑の茶木を伐根した跡には40本ほどのコムラサキがニョキニョキ出てきたのでずいぶん慌てたものだ。今でもわがガーデンの帝王として君臨しているので、他の場所へ徐々に移植したり、寄贈したりしている。そこに、白実が加わるとは心強いバリエーションになる。しかし、いつ植えたのか、自然にそうなったのか、...紫式部じゃないよ白式部かな!?

  • 景清と宮宿との結縁

    歌舞伎十八番の「景清」が東海道53次の「宮宿」にいた。宮宿と言えば名古屋の熱田神宮の門前町・港町にある。伊勢参りへの旅人もにぎわう東海道の中心的宿場町でもある。原画の広重の浮世絵には、「御馬塔(オマント)]という馬を競争させ作物の出来を占い、近隣の町村が馬を奉納する「馬追祭」が中央に描かれている。裸馬に菰を被せてはやし立てている庶民の顔が緩んでいる。画面の上下の背景に墨色があり、火を焚いているのでこれは夜の場面であることがわかった。鳥居があるので熱田神社の神事であることを暗示している。三代目豊国は広重の絵を背景に援用して、源平合戦で源氏を苦しめた勇猛な武将・平景清を登場させている。実在した歴史的人物だが、ときの権力にストレスを感じていた庶民にとっては景清はダークヒーローとなり、日本の各地にいまだに伝説とな...景清と宮宿との結縁

  • ウクライナの慟哭を弾奏する

    一時消滅しかけた集落が復活した。以前、ひと気のないそこの集落に行ったことがあるが、空き家だらけの荒廃しかけた無念が漂っていた。そこへ、街から前田さんらが過疎の地へ移住してきたのだった。公民館のような立派な集会場がリフォームされた。そこで、ウクライナ出身のロマン・フェディウルコさんのピアノ演奏会を開催するというのだ。「浜松国際ピアノコンクール」が浜松市制80周年を記念して1991年に開催され、3年に一度行われる若手ピアニストの登竜門ともいえる高水準のコンクールだ。今年は47か国638人が応募し、ロマンさんも2次予選進出の24人の中に入ったが、3次予選には進出できなかった。本選では6人が入賞し、鈴木愛美さんが日本人として初めて優勝した。山を切り開いたような場所での会場はやや寒く、ロマンさんはコートを着ての演奏...ウクライナの慟哭を弾奏する

  • ウィルスか「虫えい」か赤い実の謎

    パソコンの不具合で四苦八苦していたときだった。解決方法があまたありやっとやっとたどり着いてブログ更新に着手できた。まったくー、だー。玄関近くの道に落ちていた赤い実。今まで見たことのない実だった。一見、ヤマボウシの赤い実に似ているので食べられるかもと期待したが、見るからに病気のような奇妙な形だった。(画像は京都九条山自然観察日記webから)調べてみたら、「サネカズラ」(マツブサ科)であることが分かった。実はブドウを丸くしたような集合果で、赤くない小さな実は受粉できなかっためしべのようだ。この集合果なら見たことはある。つる植物の割には相手に絡まりつく貪欲さはなく控えめだ。(画像はhimekyonの部屋webから)そのためか、古来から和歌で登場する。百人一首にも「なにしおはばあふさかやまのさねかずらひとにしられ...ウィルスか「虫えい」か赤い実の謎

  • 先日に「死んだ男が残したものは」!!

    先週の13日、詩人の谷川俊太郎(1931-2024/92歳)が永眠した。谷川俊太郎の詩はオラの青春とともに伴走してくれていた気がしてならない。ちょうど、アメリカのベトナム侵略の時期だった。今のイスラエルと同じことをアメリカがベトナムでジェノサイドをしていたわけだ。そんなとき、高石友也の「死んだ男が残したものは」の歌がグサッとオラの心に刺さってきた。(画像は音楽ナタリーwebから)(画像はオークフリーwebから)「死んだ男の残したものはひとりの妻とひとりの子ども他には何も残さなかった墓石ひとつ残さなかった」という歌詞がフォークギターとともに静かに始まる。「死んだ兵士の残したものはこわれた銃とゆがんだ地球他には何も残さなかった平和ひとつ残せなかった」「死んだ歴史の残したものは輝く今日とまた来る明日他には何も残...先日に「死んだ男が残したものは」!!

  • 桃栗3年柿8年ゆずの大馬鹿18年 !?

    近所から声がかかり、ユズとカボスの収穫に行く。桃栗3年柿8年ゆずの大馬鹿18年!?

  • 落花生ほぼ全滅だったが!?

    植えるのが遅かったのでやっと収穫に乗り出したのが、落花生の二つの畝。しかし、よく見るとその根元に落花生の殻が散乱している。不吉な予感がよぎる。あわてて、収穫してみるが肝心の生さやが見あたらない。それになんと、畝に野球ボール分の地下道がまっすぐ通っているではないか。残っているのは未熟な子房柄の鞘ばかり。ひと月前の試掘では順調に育っていたのを確認したのに、がっかりだー。あきらめきれずネズ公の見逃した落花生探しを始める。以前はカバーをしていなかったので、アナグマに荒らされこれも見事に全滅だった。それから、カバーで覆ったものの今度は地下から侵入とは想定外。とりあえず、ネズミ様のおこぼれをいただくことになる。すぐにと茹でてみたがやっぱり食べるところが少ないか、食べられない状態。トホホ、落花生を割って南京豆を取り出す...落花生ほぼ全滅だったが!?

  • 庶民からの視点で絵巻物を見る

    1980年代から2000年代にかけて歴史家・網野善彦氏らを中心として日本中世史ブームが起きる。それは従来の農民と武士・貴族との中心史観だけではなく、職人・女性・海民・山民・部落民ら今まで光が当たらなかった庶民からの日本社会の分析でもある。そうしたいわゆる「網野史学」の端緒は、異端の民俗学者・宮本常一(ツネイチ)の丹念なフィールドワークからの影響が強く反映されている。庶民の膨大な用具や諸分野の暮らしの聞き取りに裏打ちされた宮本氏の視点から、古代以降の絵巻物を読み解いていったのが本書『絵巻物に見る日本庶民生活誌』(中央公論社、1981.3)だった。絵巻物は関係者以外なかなか見る機会がない。庶民からの視点で絵巻物を見る

  • にらまれてしまったけど!!

    冬に突入したのか、秋の終わりなのか、はたまた夏の延長なのか、不可思議な季節が相変わらず人間の欲望過多の行為に祟りを投入しているかのようだ。そんなとき、勝手に居候となったカマキリ2匹がオラをにらみつける。つい目と目があってしまう。前足・カマの内側に黒い模様があったのでおおきさの小さめも勘案して、この当該カマキリは「コカマキリ」に違いない。最新のニュースでは、アスファルト上で死ぬカマキリが多くみられ、その原因は寄生虫である「ハリガネムシ」の妖術でそのように操られているのだと、京大の研究チームが解明したという。たまたまカゲロウも来ていたので、カマキリはそれを狙っていたような気もする。翅の斑紋があったので「ウンモンヒロバカゲロウ」(ヒロバカゲロウ科)と思われる。にらまれてしまったけど!!

  • 逆襲ついに始まる

    イノシシの逆襲がついに始まった。先日、イノシシが侵入している茶樹のトンネルに枝を投入して防御を図ったところ、次の日には、こんどはその腹いせか、裏の畑の道路側の石垣を崩し始めたのだった。どういうわけかわからないが、石垣の際を掘る習性がある。そこには、ミミズが多いのか、山芋が多いのかそれとも人間に対する腹いせのストレス解消か、もの凄いパワーであった。石垣があったはずの所が崩され、植わっていた茶樹も根こそぎ掘り出されていた。それが見事私道沿いに10mくらい続いていたのだった。あまりの壮観に怒り狂うというより呆れてしまうばかりだ。とても、修復しようという意欲は今のところ失ってしまった。さいわい、近くのトンネル栽培の大根の若い芽は荒らされていなかったのがホッとしたところだ。このイノシシの狼藉を見ると、冬を前にして腹...逆襲ついに始まる

  • 人生の軋轢・欺瞞を運ぶ電車!?

    オラが若いとき、校内の演劇部が「欲望という名の電車」を上演するという目立たない看板があって、気にはなっていたが観に行かなかったことがあった。そんなこともあって、ブロードウエイ(1947年初演)で爆発的に評判となった作品をDVDの映画版でやっと見ることになった。裕福な地主の実家で育った姉・ブランチ(ビビアンリー)は破産者となっていて、妹の住むニューオリンズに転がり込む。しかし、そこは暴力的で粗野な労働者の夫・スタンリー(マーロンブランド)がいる狭い長屋だった。二人の育った環境の違いは、アル中気味だったブランチがどんどん追い込まれていき、近所のミッチとの結婚に望みをかける。しかし、その幸福は無残にも壊れ、ブランチは過去の裕福な幻想の世界にしか生きられなくなる。その経過は、近松浄瑠璃の心中物へのストーリ...人生の軋轢・欺瞞を運ぶ電車!?

  • 秘密のサティアンとトンネル発見!?

    残念ながら雑草との戦いはエンドレスとなっている。隣人との境界の小道が雑草で覆われ先が見えなくなっていたので、鎌でシコシコ草取りしていたら、なんと巨大なサティアンを発見。ススキを丁寧に倒して心地よいベッドにしていたようだった。この広さからいって主はイノシシ軍団に違いない。コロナ以来、しばらくイノシシの気配はなくなったが、昨年あたりから近くにきていることはわかったが、シカの食害はあったもののわが家も近隣も含めてイノシシからの被害はなかった。しかし最近になって、バタフライガーデンに侵入して平地がぼこぼこになるまでミミズ狙いをはじめ出していたのだった。しばらくイノシシは侵入したことがなかったのでどこから突入したかは不明だった。それがサティアンの目の前に秘密のトンネルがあったのだった。しかもそのルートは、以前シカの...秘密のサティアンとトンネル発見!?

  • 国道でキノコ狩り!?

    和宮さまがお忍びでウォーキングをしていた時、国道沿いで食べられるキノコを発見したという。さっそく現地を見に行ったら、なんと、「ノウタケ」(ホコリタケ科)だった。久しぶりだ。かつてときどき公園で見た時もあったが、ほんとうに脳が転がっている怪奇な形をしている。ガードレールの手前の道路側にノウタケがあった。画像でも道路の白線が見えるから、歩いていると踏んでしまう所に奇跡的に出ていた。表面を触るとスポンジを触っているようなビロード状の滑らかさがあった。同じ仲間のホコリタケは細かいとげ状で小さいが、ノウタケはコブシくらいの大きさでシワがあるのが特徴だ。両方とも、食べられる。たくさん採れたホコリタケはシチュウーなどに入れて美味しく食べてきた。両方とも、肉が白いと食べられる。さっそく割ってみたら白かったが、家に帰って食...国道でキノコ狩り!?

  • 悪人は悪人らしく

    1828年(文政11年)、幕末に近い文化・文政時代に発行された役者絵、五代目松本幸四郎の錦絵を見る。四谷怪談で有名な鶴屋南北が実際の事件をヒントに書き下ろした「絵本合法衢(ガッポウガツジ)」の歌舞伎公演からの一場面。鶴屋南北は、従来の町人生活を描いた「世話物」や有名な歴史劇の時代物」に飽き足りず、最底辺に生きる都市のリアルな世相を暴いた「生(キ)世話物」やおどろおどろしい「怪談物」のジャンルを開拓した。さらには、早替わり・宙づり・戸板返しなど奇抜な演出(「ケレン(外連)の活用」)で注目を浴び、また悪事を冷血に行い相手を残忍に殺してしまう美しい二枚目を登場させてしまう、当時の歌舞伎界の革命児である。それを体現したのが五代目松本幸四郎であり、五代目岩井半四郎らの錚々たる名優たちだった。特大の鼻を持つ幸...悪人は悪人らしく

  • イヌの「干し芋」が新米10kgに変身!?

    先日スーパーに買物に行き、安かった値引きの干し芋をゲット!!さっそく、家で齧りついたら柔らかいはずの干し芋がかなり硬い干し芋だった。値引きだったから硬いのもしょうがないかと思いながら、改めてその袋を見たら犬用の餌だった。これにはさすがにキャイーーンだもんで、近所にいるお犬様に献上することにした。そしたらその後、お犬様からなんと地元の田んぼで採れたばかりの新米をいただいたのだった。わが家は玄米食という近隣では考えられない食事をしているので、わざわざ玄米を、それも10kgもお返しとして進呈してくれたのだった。これにもキャイーーンだったのだ。最近は米作りの後継者がいなくて田んぼが危ないと危機感を持っているようですが、打つ手はいつもながら内輪での解決で現状打破には至らないのが心配です。5~6年前までは、田んぼの真...イヌの「干し芋」が新米10kgに変身!?

  • 「乞食」か「甑(コシキ)」かそれが問題だ

    しばらくバタフライガーデンの一角に行かなかったこともあり、草刈りのためにその一角に直行する。すると、思い当たりのあるバラ科の植物が一大勢力となって周りに君臨していた。「コジキイチゴ」だった。長さが4mくらいになり自分で支えられないのでまわりの木にもたれながらもつぎつぎ枝を伸ばす厄介者だ。これを放置していたら大変なことになると、根っこから掘り出していく。しかし、枝は鋭い棘だらけで、触ると痛そうな腺毛も密集している。普通の軍手ではとても痛くて触れないので、急遽厚手の皮手袋をはめて枝を鋸で伐っていく。それを運搬すると棘が足に絡まったりして逆にこちらが捕捉されてしまう。まさに、ジャケツイバラのようにこちらの体を棘で捕縛されてしまう。さいわい鎌を持っていたので、細い枝を何とか切りながらの作業だ。名前の由来は、諸説あ...「乞食」か「甑(コシキ)」かそれが問題だ

  • 古代日本に海人族あり

    オラが縄文人に興味があるのをブラボーさんは見抜いて、その縄文人を凌いだ海人族の勇往なエネルギーを描いた漫画・諸星大二郎の『海神記(カイジンキ)』3巻(潮出版社、1992~1994年)を送ってくれた。時代的には空白の4世紀と言われる古代日本を揺るがした九州から北上する海人らの物語だ。このへんの歴史研究は今後の考古学の成果を期待したいところだが、著者が90年代に海人族に早くも着目したところは群を抜く視点でもある。邪馬台国の卑弥呼が亡くなり、その後ヤマトから派遣された倭軍が朝鮮半島に介入していくなか、この頃より7世紀頃まで渡来人が日本に移住していく。第1巻表紙にある「七支刀(シチシトウ)」は百済王から倭王に贈られたものだが、本書ではミケツという少年がその宝剣を持つ。柳田国男が海の神は子どもの姿をしているという...古代日本に海人族あり

  • チンチロリンからリーリーへ

    先月末からときどき「アオマツムシ」がやってくる。からだが平べったくて左右のレモンイエローのラインがお洒落だ。オスは背中の模様が幾何学的だそうだが見たことはない。どういうわけかいつも緑一色のシンプルなメスばかりだ。チンチロリンからリーリーへ

  • そして祭りは終わった!?

    昨日は地元地区の祭りだった。コロナなどの影響で祭りは神事だけだったりだが、若者パワーで祭りを再現し、山車も繰り出した。その前日は、わが部落の神社で神主をお呼びした神事が行われた。コロナ前は部落で神事の後に「直会(ナオライ)」を盛大に開催し、過疎でもささやかな晩餐を共にしたものだった。しかし、コロナを引き金にして急速に後期高齢者の疲れが噴出するとともに、部落の老朽のお宮の鳥居を鉄パイプにしたり、幟も新調せざるを得なくなった。それ以上に、田んぼの稲藁で毎年作っていた注連縄もやめてビニール製の注連縄を購入した。また、神社の神饌物に部落から柿が寄進されたが、今年は夏の酷暑の影響やカラス・野鳥の食害で集まらなかった。わが家には2本の甘柿があるがそれぞれ1個だけという惨憺たる結果だった。かように、自然も神社も人間も社...そして祭りは終わった!?

  • ぎこちない言い訳する熊五郎に光

    柳家小三治の古典落語の人情噺「子別れ①②」をCDで聴く。と言っても、いつものように車の運転をしながらだけど。一般的には、子別れは「上中下」の三部構成の長編大作だ。「上」編は主人公の大工・熊五郎が弔いに行くと言って酒びたしに吉原へ、「中」編は4日間吉原にいて帰宅して妻と大喧嘩して離婚、「下」編は改心した熊五郎が息子と会う、という流れ。本CDはそれらを2枚のCDに編集している。1枚目のほとんどが、酔っぱらいの熊五郎オンリーだった。ほかの落語家ではできないような迫真の酔っぱらいが充満する。ストーリーというより得意の「まくら」のようなノーマルなさりげない語りに笑いを誘う、これだけで見事な名人芸だった。本作は、幕末に活躍した初代春風亭柳枝(リュウシ)の創作落語で、それが現在にまで受け継がれていったという。最近では、...ぎこちない言い訳する熊五郎に光

  • やっぱりハナモモが狙われた

    近所からいただいてきた30cmほどのハナモモの苗5~6本を大切に育ててきた。それが120cmくらいに育ったので、それを9月中旬にバタフライガーデンに植え付けたものの、さっそくシカに食害されてしまった。やっぱりハナモモが狙われた

  • なぜそこに!?

    和宮さまが突然叫んだ。「なんでそこにー!?」と、シンクにいた「サワガニ」を指さす。玄関に進入したことはあったが、台所のシンクにまで進出したのは初めてだった。どうやってそこまで侵入したのかがまったくわからない。今まで発見したのは地べたや床がほとんどで、1m以上の高さにまでどうやって登って行ったのかが謎だ。まさか、わが家の貧しい家計を見かねて食べてもいいよとでも言いにきたとしか思えない。だけど、「サワガニは悪い虫がいるから食べてはいけないよ」とジイヤから聞いているから、食べるのは勇気がいるなー。茹でて食べれば問題ないかー。ふつうは、雨模様のさなかにやって来るというのにきょうは晴れだよ。畑で耕運機で畝立てしようとしていたら、突然アブがやってきた。というのも、肥料として安い鶏糞を撒いたためらしい。大きさからクマバ...なぜそこに!?

  • くずし字はパズル!?

    役者絵の粋な浮世絵に魅せられているが、その画面の中に俳諧・狂歌・川柳などが出ている場合がある。でもそのほとんどはオラの力では解読できない。そこで、使われている「くずし字」を知っておけばわかるようになるのではと、油井宏子『古文書くずし字・見わけかたの極意』(2013.4柏書房)を読んでみた。動機は安易だったが、ひらがなは漢字にルーツがあることは分かったが、同じひらがなでもいろんな漢字が使われていて、さらに崩し方も多様であるのがわかった。少なくとも、本書は5~6回は読み直す教科書的な価値はある。だから、くずし字のルーツを知る楽しさがパズルにもなっている。しかし、予想以上にそれが難解でもあったのも誤算だった。たまたま目にした歌舞伎役者・中村芝翫の「団扇絵」の俳諧を調べることとなってしまった。風鈴の下の句の「涼し...くずし字はパズル!?

  • スーパーフード「アマランサス」一本!!

    春に「アマランサス」や雑穀の種を蒔いたところまったく芽が出なかった。芽の出る気配がなかったのでそこにインゲンの種を蒔いてしばらくしてその収穫をしていた時だった。ケイトウの花のようなものが出ていたので駆除せずそのままにしていたら、なんと2mほどの高さになってしまった。そこであらためて、これはアマランサスではないかと思い当たる。インゲンはすっかり収穫が終わり片付け作業をして、次の畝立てを開始しようとした時だった。ひょろっとしたアマランサスは倒伏の恐れがあったので支柱を打ってとりあえず補強することにする。アマランサスは、和名で「ヒモケイトウ」と言われるほどイネ科の雑穀ではなくヒユ科に属する。したがって、日本には鑑賞植物として江戸時代にやってきたという。しかし、アマランサスは南米ペルー原産で、BC6年ごろのアステ...スーパーフード「アマランサス」一本!!

  • 狭山茶名産地から踊るキノコが

    きょうのお昼前に宅急便が届いた。段ボールを観たらお茶のマークがあった。ひょっとすると狭山茶かもねと、いつものようにドキドキしながら段ボールを開けてみる。するとなんと、ピンクの包み紙のクッションの下からいい匂いのキノコがちらりと見えてきた。取り出してみると、天然のマイタケだった。送り主はわがキノコ・山菜の師匠だった。師匠のブログを覗くと、昨日午前4時ごろ集合し雨続きだった山梨の山を歩きながら、命がけで収穫してきたのだった。大きいのは3.6kgもあったという。それもなんと7株も群落を形成していたというのだから、そのそばできっと「マイタケ音頭」を踊ったに違いない。オラも昔は山中で遭難しそうになりながらマイタケを発見したときは、「マイタケ音頭」をひとり踊ったものだ。濡れてしっとりした道なき奥山に颯爽と歩いた師匠は...狭山茶名産地から踊るキノコが

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