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森とまちをつなぐ「半農半X」日記 https://blog.goo.ne.jp/takebei6491

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

武兵衛
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2019/06/10

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  • 仁義なき侵入は阻止だぜ

    仁義なき侵入はひでーぞ。某国の力による侵入と同じように、自然界にも同じように相手の事情を無視して下足で踏み込んでくるような事態がある。それは、外来種「マツバウンラン」だ。1941年京都伏見区で発見され、京都を中心に拡大し、現在は全国を制覇する勢い。よく見られるのは乾燥した荒れ地・開発地・休耕地にも侵出し、広い群落を形成する。葉は松葉のように細く、花はウンランのようにかわいいところから、マツバウンランと命名される。一見、ひ弱そうに見えるがじつは強靭。抜いた残骸をそのまま放置しておくとそこから大繁殖するので、それを燃やすくらいの徹底さが必要だという。2013年ごろから当地区への侵入がだんだんと目立ってきた。甘く見ていた当局はそれを腕組するだけだった。むしろ、富良野の「北の国から」の歌を口ずさむ能天気さだった。...仁義なき侵入は阻止だぜ

  • 進軍ラッパを響かせスイセンが通ります !?

    植えっぱなしの「ぐーたら栽培」群落は倍以上に増えている。その多くは「ラッパスイセン」が主流となっている。一番先に咲くのは、ミニスイセンの「テイタイト」という黄色オンリーのラッパスイセンだった。圧倒して多かったのは、白い花びらにラッパ状の黄色い副花冠のあるラッパスイセンだ。高校の英語教科書にイギリスのワーズワスの詩「ラッパスイセン」が載っていたらしいが、オラの大脳には全く記録されていない。平井正穂さんの訳がいい。谷を越え山を越えて空高く流れてゆく白い一片の雲のように、私は独り悄然としてさまよっていた。すると、全く突如として、眼の前に花の群れが、黄金色に輝く夥(おびただ)しい水仙の花の群れが、現れた。湖の岸辺に沿い、樹々の緑に映え、そよ風に吹かれながら、ゆらゆらと揺れ動き、踊っていたのだ。夜空にかかる天の川に...進軍ラッパを響かせスイセンが通ります!?

  • 遅咲き桜の爛漫

    わが大地に遅咲きの桜、八重桜の「松月」とさくらとは思えないような「ウワミズザクラ」が満開となった。早咲きの「カンヒザクラ」と「河津桜」はすでに葉桜となったが、20日過ぎていよいよ遅咲きの桜が見事爛漫となった。「松月」は、江戸時代以前からある品種で、荒川堤から全国に広まり、オオシマザクラを親とする優雅なサトザクラ。花の中心のめしべ1~2本が葉化している。似ている品種に、葉化が1本であるのが「イチヨウ」、2本なのが「フゲンゾウ」がある。40年前近くか、高尾の「多摩森林科学園」の「サクラ保存林」に何回か訪問して1800本ほど植えてある桜の中で気に入ったのがこの「松月」だった。そして、現在地への移住記念でこの「松月」を植栽して15年を超えた。ただし、桜の樹皮がシカが大好きで何度も食害にあっている。ここまで成長した...遅咲き桜の爛漫

  • 天保の改革で役者絵は禁止されたが

    印刷が不鮮明な浮世絵だった。そのためか迫力は今一つだったが、裏事情があるらしい。役者が演じているのは、静御前の護衛をしていた「佐藤忠信」である。役者絵だとそれを演じている俳優がわかる。今で言えば、中村獅童・尾上菊五郎・市川猿之助といったところだが、この浮世絵からはその演者がわからない。というのは、天保の改革で役者絵禁止のお触れがあったからだ。つまり、この絵から俳優名がわかってはいけないという裏事情があったわけだ。この浮世絵は、歌舞伎や浄瑠璃の「仮名手本忠臣蔵」や「菅原伝授手習鑑」とともに並ぶ人気三代狂言の「義経千本桜」の場面だ。「義経千本桜」は、源義経とその家来たちを中心とした軍記物語であり、義経の出番がかなり少ない。そこに、作家たちの苦心の結晶作品となっている。都を追われた義経は吉野山に匿われている。静...天保の改革で役者絵は禁止されたが

  • なんてこったぁー、ブログが終了するだとー

    2009年から16年間も利用してきた「gooblog」が今年の11月に閉鎖されることを突然知らされた。こういう体験は二度目だった。それ以前のブログは、とりあえず紙媒体で保存してあるもののwebからはもう観られないし、画像も散逸している。blogだけでは収益を得るのは難しいかもしれないが、その内容は各人の人生の軌跡が込められているともいえる。その意味では、blogは大きな社会貢献をしているともいえる。16年前は、100年以上前の古民家に移住して人生の着地点での出発をしたばかりだった。玄関前で羽釜でご飯を炊いたり、蕗を茹でたりしたのも懐かしい。太い柱には白アリが巣くっていた。修繕に追われて感傷に浸る余裕もなかった。終の棲家には厳しい寒さもあった。それ以上に、誰一人として知り合いがいなかった。縁戚関係が絡み合う...なんてこったぁー、ブログが終了するだとー

  • ボケの「気」と華麗さを見直す

    先月の19日に雪が降り、開花準備をしていたボケは蕾のままだった。現在地に「入植」してあっという間に17年を数える。当初、スローライフを標榜していたが忙しい日々に追われるも、マイペースを保持していたのでなんとか生き延びている。わが家の入り口には大きな「イチイ」の針葉樹と1mくらいの「ボケ」が植わっていた。イチイの日陰に居たボケはしばらく目立たないままだったが、10年目くらいからその鮮やかな朱色のささやかな開花が楽しみになってきたのだった。それがこの5~6年、太陽に向かってぐいぐいと枝を伸ばし始め、花数も多くなってきて、それがまた春の到来の合図ともなってきたのだった。それとともに、枝の奔放な伸長は通行の障害にもなりつつあったので、枝の一部を挿し木にしてみたのだった。すると、意外にも丈夫に育つこともわかってきた...ボケの「気」と華麗さを見直す

  • 今も変わらない勝ち組の「恩寵」

    十歳代のときだろうか、西部劇の娯楽作品という記憶があるジョン・フォード監督の「黄色いリボン」を久しぶりにDVDで観る(1949年制作、日本公開は1951年)。制作された時代は、朝鮮戦争が開始され、日本経済は朝鮮特需で立ち直る。政治的には左右のぶつかり合いが激しく対立する時代でもあった。貧乏生活の中にいたオラたちは、珍しいテレビの前で力道山のプロレスとかドイツ兵をやっつける米軍隊のドラマ、それに格好いい西部劇とかで憂さを晴らしていたわけだった。鬼畜米英からコロリと忠犬になってしまった日本は、経済的にも文化的にも精神的にもアメリカのパシリの道に転げ落ちていく。西部劇ブームもその延長線上にあった。退役を六日後に控えた大尉(ジョン・ウエイン)は、自らが指揮を執るシャイアン族掃討作戦に向かう。騎兵隊vsインディアン...今も変わらない勝ち組の「恩寵」

  • 遠州・長楽寺 その2 ホトケと仏、カミと神

    本堂の屋根にあってもおかしくない立派な鬼瓦が山門にあった。「鬼瓦」はもともと厄除けの飾りとしての瓦だが、同時に雨漏りしやすい棟の先端を補強した実用的な防水機能を担う。この瓦のてっぺんに巻物のお経の形をした「経の巻」が三巻乗せてあった。もともとは宮中で使用され、寺社のみが使用を許されていたものだ。「経の巻」の下にある2本の平行線は「綾筋」というが、その由来は調べても出ていない。鬼面の抽象的なものという説明があったがよくわからない。私見では京都でよく見る土塀のラインで見られるように皇室に関係してるよというメッセージとみたが。その「綾筋」の下には菊花の寺紋があったが、それも皇室に関係があるのだろうか。とにかく、鬼瓦のそれぞれの名称にはほとんどがそもそもの意味がスルーしている。建築家や職人の説明はどうも突っ込みが...遠州・長楽寺その2ホトケと仏、カミと神

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