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森とまちをつなぐ「半農半X」日記 https://blog.goo.ne.jp/takebei6491

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

武兵衛
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2019/06/10

  • アカザ畑だったっけ--??

    久しぶりに畑の防虫網をはがすと一面、アカザのたくましい群列が見られた。そういえば、昨年ここでアカザの杖を作ろうと5本ほどしばらく大きくなるのを放置していたっけ。そのこぼれ種が畝にびっしり。ほんとうは、ジャガイモ畑なのだ。和宮様の厳しいご命令が発令されてアカザや周辺雑草を排除することになる。畝が全部で6列あるので、一日2列やれば3日で完了できる。しかしこの格闘は体力的に腰にも腕にも負担がかかる。そのうちに、和宮様が「わらわにもやらせたもう」との申し入れもあり、あわてて2日でやり遂げることとなった。終日草取り労働に明け暮れる。肝心のジャガイモは、やっぱり雑草軍団に肥料を獲られて元気がない。以前は黒マルチをやっていたが手間もかかるということで、今回はマルチなしでやってみたわけだ。とにかく、シカが意外にもジャガイ...アカザ畑だったっけ--??

  • 違和感の中の諷刺とエネルギー

    日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」をDVDで観る。違和感の中の諷刺とエネルギー

  • 柴か薪か論争??

    廃校となった小学校の片隅に金次郎は本を読みときに物思いを続けた。柴か薪か論争??

  • 外来種のスミレが野生化

    わが土地にも外来種のスミレが侵入して存在感を増してきた。畑の隣に堂々と華麗な一族の逞しさを誇示する。排除しようとも思ったがなかなかそんな勇気はない。そこで、むしろガーデンの外縁で活躍してもらおうと移植作業を開始したというわけだ。「ビオラ・ソロリア」は、欧米では一般的なスミレの代表格で雑草化している剛健な仲間だ。それが日本にも雄飛してついにわが大地にも降臨したというわけだ。ビオラというくらい花も大きいし葉も光沢もありたくましい。農道の道もすっかり雑草絨毯がひかれ、ちゃっかり白のビオラ・ソロリアが占拠を企んでいた。東海のカルチェラタンはさせじと、当局は排除に向かい一本一本引きはがし、外縁に移植したという顛末となった。この白いスミレは、「スノー・プリンセス」とも呼ばれたようで、園芸店では人気があったようだ。ちな...外来種のスミレが野生化

  • 最初に食べた山菜は…

    裏の藪近くにコゴミを植えて7~8年はたっただろうか。放任栽培はうまくいっていた。ちょうど藪の繁みが湿地らしき場所になっていて、コゴミには絶好の生育環境になっていたのに違いない。思いついたときには草刈りをするときもあるがほとんど放置状態だった。それでも、毎年のように芽を出し、春の山菜の息吹を与えてくれる。今ではどんどん株が増えて見事な太い根株ができて、つい踏んずけてしまうほどになってきた。むかしは徒党を組んで張り切って収穫しに出かけたが、今では炬燵から這い出してからそのまま裏へ行けばコゴミが待っていてくれるというわけだ。5分もあればこのくらいは収穫ができる。わざわざ道なき山へ行かなくて済むというテイタラク農業なのである。早速その日に1分ほど茹でてから醤油マヨネーズで食べるのが定番だ。しゃきしゃきとぬめりの食...最初に食べた山菜は…

  • 横綱の[横綱]がいた!?

    しばらく空き家になっていたミツバチの巣箱を掃除する。すると中から、カメムシのでかいやつを発見。普通のカメムシの3倍くらいはある。形からこれはカメムシの仲間の「サシガメ」だろうと見当をつける。相手はすぐ擬死したように動かない。越冬して惰眠が良かったのだろうか。調べてみると、「オオトビサシガメ」だった。日本産サシガメで一番大きいのがわかった。そういえば、以前、「ヨコヅナサシガメ」というかっこいいサシガメがわが家にやってきたことがあった。それに比べれば、オオトビサシガメはその「横綱」よりでかいが、いかにも地味な装いだ。平べったい体は人家や家屋に滑り込むようにできているらしく、集団で越冬することがあるそうだ。手でつかもうとすると刺されることもあり飛び上がるほど痛いそうだ。針状の口は折り曲げられているらしく見ただけ...横綱の[横綱]がいた!?

  • 早春の花競べ(ハナクラベ)は!!

    早春の花バトルは、2月には「ヒメリュウキンカ」がバタフライガーデンに一足早く金襴の花を輝かせた。イギリス原産ではあるが、北米では野生化していて侵略的外来種として栽培が禁止されている。金の輝きにほれぼれするが、プーチンの宮殿の金ぴかより控えめなのが良い。ただし、有毒なのでその汁が皮膚に触れると炎症を起こすという。わがガーデンは山の日陰になってしまう場所があるが、ヒメリュウキンカは耐寒性もありぴったりの植物のようだ。根は塊根で増えるそうなので、今後株分けして増やしていきたい。葉も花も光るのが魅力的なので野生化は大歓迎だ。ほかの植物は寒さと霜で生存するだけでも厳しかった。ガーデンの外縁に、購入した「ムラサキハナナ」の種を蒔いたらなんとか花を咲いてくれた。がしかし、咲いたのは蒔いた種の1割くらいだったろうか。これ...早春の花競べ(ハナクラベ)は!!

  • 少年時代の遊びの喪失は

    集落の新年会のおり、それぞれの少年時代の遊びを語ってもらった。メンバー的には70歳代前後が7~8名で、40~50歳代が数名という構成だった。共通した遊びは「缶けり」だった。茶畑に隠れたらなかなか見つけられないが、醍醐味はとある家の周りの狭い空間だった。怒られたが下水道の空間も利用したという。少年時代の遊びの喪失は

  • 紫木蓮のはずだったが…!?

    10年前くらいだったろうか、ほかの樹の陰にあって枯れそうなシモクレンを救出すべく、移植を施し、数本の挿し木をやってきた。シモクレンの花は濃い紫だった。そんな濃い花を期待していた。しかし、移植したモクレンも挿し木もいずれも花が白っぽい。先祖返りでハクモクレンになってしまったのだろうかと疑惑が募るばかりだった。すぐ近くの隣家に、コブシの大木がある。その影響があるのだろうか。素人はそんな疑問すらぬぐえない。さらには、コブシとモクレンの違いも判らなくなる。コブシは花を放射状に開き雌蕊が見える。しかし、ハクモクレンやシモクレンの花はチューリップ状で雌蕊が見えにくい。コブシは日本原産だが、モクレンは中国産。モクレンは平安時代に漢方薬として渡来したようだが、似ている日本のコブシをその代用をしていたらしい。したがって、「...紫木蓮のはずだったが…!?

  • 怒髪天のハトムギか !??

    今月の上旬に畑の畝立てをしてから黒マルチを施し、中旬には野菜の種も撒いてきた。そろそろ、野菜の芽が出るころかなと様子を見に行く。するとなんと、畝と畝との間にハトムギの芽がニョキニョキでているではないか。バケツ一杯分も収穫したのに、こぼれ種が多数畑に残っていたことが判明した。心配になって黒マルチをめくってみると、やっぱり同じように芽が出ていた。ハトムギの生命力を考えると多少の予想はしていたものの、いやはや予想を大きく超えていた。10cm以上を越える新芽も少なくない。これは畝を全部やり直さないとダメかと覚悟を決めた。一本一本抜いていくと時間がかかる。畝全体を見たら、ハトムギの「爆発」は半分くらいだったことが分かった。初冬に抜根しておいたハトムギの根っこを見てみると一部はまだ生きていた。この生命力は尋常ではない...怒髪天のハトムギか!??

  • ヒメスミレ救出作戦

    ヤエクチナシの苗を植え付けしようとバタフライガーデンに行ったら、歩道の真ん中にヒメスミレの群落がいくつかあった。作業をするにはこれを除去しないと間違いなく踏んづけてしまうのは必至だ。その群落の画像を撮ればよかったが慌てていたのか心の余裕がなかった。そこで、以前撮っておいたヒメスミレに登場してもらう。鶴嘴でヒメスミレを「収穫??」して、トレイに集める。ヒメスミレ救出作戦

  • 伝統的な昆虫食だった!!

    春の息吹が感じ始めた先週、さっそくわが家にやってきたのは「カワゲラ」だった。カワゲラは2億4700万年前の「二畳紀」すでに地球上に出現している。人間よりはるかに先輩なのだ。危うい人類より長生きしていく平和的な生物なのかもしれない。しかし、成虫の寿命は10日前後というから、死と生とを素早く循環させることで種の保存を成し遂げているわけだ。そして今週も、カワゲラが燈火を求めてやってきたのだった。長野県伊那市はトビケラ・ヘビトンボとともにカワゲラなどを佃煮や揚げ物として食べてきたという。最近では高級珍味の伝統食「ザザムシ」として、さらには昆虫食としても注目されている。また、カワゲラは川の水質指標生物となっており、「水質階級1」の「きれいな水」に住む生物となっている。高度成長期には天竜川の水質悪化でカワゲラは激減し...伝統的な昆虫食だった!!

  • 伝統的な昆虫食だった!!

    春の息吹が感じ始めた先週、さっそくわが家にやってきたのは「カワゲラ」だった。カワゲラは2億4700万年前の「二畳紀」すでに地球上に出現している。人間よりはるかに先輩なのだ。危うい人類より長生きしていく平和的な生物なのかもしれない。しかし、成虫の寿命は10日前後というから、死と生とを素早く循環させることで種の保存を成し遂げているわけだ。そして今週も、カワゲラが燈火を求めてやってきたのだった。模様や形が微妙に違うが素人としては許容範囲だ。長野県伊那市はトビケラ・ヘビトンボとともにカワゲラなどを佃煮や揚げ物として食べてきたという。最近では高級珍味の伝統食「ザザムシ」として、さらには昆虫食としても注目されている。また、カワゲラは川の水質指標生物ともなっており、「水質階級1」の「きれいな水」に住む生物となっている。...伝統的な昆虫食だった!!

  • 頼みます!落石防止!!

    ときどき利用する国道の法面で杉が一部皆伐された。何が始まったのかよくわからなかった。杉の伐採にしては30人ほどの人員がいたこともあるので、どうも伐採だけが目的ではないらしい。そのうちに、モノレールのようなものも動員されていた。これは木材の運搬というより資材の運搬に使われている気がする。というのは、ほぼ全部の木が伐採され集材されているのにまだ置かれていたからだ。岩盤にはアンカーが穿たれ、網やロープが縦横に使われ始めた。この資材を急斜面に持ち上げること自体大変な作業であることが想像できる。工事用の看板を見たら、国道の法面からの落石対策工事であることが分かった。総工費は3124万円であることが明示されていた。法面の上の方はワイヤーロープがダイヤ状に設置されていた。これで工事終了なのかどうかはわからない。ここに生...頼みます!落石防止!!

  • 「桜を見る会!?」をゆるりと…

    前日の雨で桜が散ってしまうのではないかと心配したが、ぽっかり晴れ間に恵まれた花見となった。ハナモモやソメイヨシノは全面開花とは言えなかったのが残念だったが、枝垂桜や見事なマンサクの黄色の花が尾上邸の庭を飾った。とりわけ、これだけの大木になったマンサクを見たのは初めてだった。まるで、満開の黄色い桜と言おうか秋のイチョウの黄葉と言おうか、豪快だった。春を告げるほんのりとした小さなマンサクしかイメージがなかった。尾上邸工場前で、税金・補助金・後援会からの予算のない自前の「桜を見る会」が行われた。わが家と同じ「ヒメコブシ」の花びらが舞う会場には20組ほどの親子らが参集した。こどもらも里山の山並みに囲まれた川・田んぼ・庭だけではなく、工場の屋根やデッドゾーンの探検を楽しんでいた。もちろん、ドラムカンカマドも登場。オ...「桜を見る会!?」をゆるりと…

  • 春一番のテントウムシ!!じゃなくてー!?

    春めいてきたこのごろだが、体がついていけない。ウダウダしながら、なんとか畝立てして黒マルチをセットしていくのが日課だ。そんなとき、コンクリートにテントウムシが歩いていた。今年最初に会ったテントウムシだととりあえず写真を撮る。しかし、画像を見たらどうも変だ。近づいたら急に固まって動かない。「擬死」というやつだ。テントウムシの斑紋にも似たものがあったがどうも違う。しかも、「点刻」という凹状のスジが並んでいるのはテントウムシには見られない。そこで、小学生向けの図鑑で調べたら、イタドリを食草とする「イタドリハムシ」(ハムシ科)であることがわかった。しばらくしたら、擬死から蘇ってノコギリ状の髭が見えてきた。こうなると、テントウムシではないことがわかってくる。テントウムシはアブラムシを食べるが、イタドリハムシはイタド...春一番のテントウムシ!!じゃなくてー!?

  • 春の津波がひたひたと襲ってきた!?

    春一番の先陣を切ったのは、畑の片隅に新天地を求めた「フキノトウ」群落だった。一時、畑から絶滅したため今年は収穫しないでそのまま見守ることとしている。フキノトウとともに同じころに花を咲かせたのは、ミニ水仙の「テイタテイト」だ。フランス語で「頭を寄せ合う」というそうだが、なるほどのひそひそ話が聞こえて来そうな風貌だ。例年より早く、「大杯」スイセンも咲き出した。中央のフリルが特徴。花弁がやや薄色イエローだが、白い花弁はまだ咲いていない。水仙の群落は道路や庭のあちこちで見られる。今年もたくましく早春の息吹を華麗に演じてくれた「ヤブツバキ」。この樹の下に花弁が落ちて赤い絨毯のように敷き詰めてくれる。椿三十郎の映画ではこれらのツバキの花がキーポイントとなっている。これを焼いた灰は漆器の研磨剤ともなっている。コノヤブツ...春の津波がひたひたと襲ってきた!?

  • 地下の水も誇りに思ってる!??

    前回に続き、千葉の豊穣なマンホールが主役だ。今回は地下の消火栓に限ってみた。最初に見たのは、中央に旧千葉県水道局章のある「消火栓」蓋だった。凹型の亀甲模様の中の「消火栓」の文字がなんとも暖かい。周囲には鉄の受け枠があり、凸型の「A」字デザインで縁取りしている。中央と受け枠に囲まれたところには、凸型の水玉模様が配置されている。ノンカラーだ。それに対し、同じ模様に見えたが、じつは正反対だった。中央の亀甲紋は凸型で隣の水玉模様は黄色カラーの凹型だった。しかも、受枠の「A」字は凹型だった。いずれも最初に見たマンホール模様の凸凹が正反対だった。これは大きな驚きとなった。同じようなパターンの蓋には、「双口消火栓」というのを発見する。中央の亀甲紋は凹型、周りは凸型の水玉模様。全体のデザインはシンプルで「双口消火栓」の文...地下の水も誇りに思ってる!??

  • 千葉の雨水・汚水の違い

    久しぶりに千葉の路上に立った。まわりの景観はビル群ばかりで興味はない。仕方ないから下を向いて歩く。そう、いつものマンホール探しだ。それも中心市街地から外れた所を中心にだ。千葉の雨水・汚水の違い

  • 下を向いて歩こう

    久しぶりに千葉の路上に立った。まわりの景観は乱雑なビル群ばかりで興味はない。仕方ないから下を向いて歩く。そう、いつものマンホール探しだ。それも中心市街地から外れた所が中心だ。下を向いて歩こう

  • 昭和レトロの匠が

    倉庫から出てきた3個の木枠の網ザルが素晴らしい。木枠の薄い板にはこれを購入した時代が書かれている。それぞれ、「昭和8年7月求」、「昭和9年5月参拾日」、「昭和25年5月18日吉日」とある。ザルの外径を図ってみると、59cmだった。2尺ということか。木枠には「第9号」と書かれている。3個とも同じ外径だった。職人の技が緻密にデザインされている。曲げわっぱをうまく利用したジャポニズムを感じる。少しの瑕疵もない。つづく昭和レトロの匠が

  • 蕗の薹と共にジャガイモを

    畑の隅に蕗の薹が咲き出した。十数年前は蕗の薹が100個近くもできていたが、食べ尽くしたせいか畑から消えてしまった。告白するのも恥ずかしい。最近は10個できれば万歳だ。今のところ、7個を数えたが、もっと増えそうな勢いとなった。最近ははやる心を抑えて収穫していない。蕗の薹は場所を変えながら種の保存をかけるというのも実感だ。焚き火でできた灰を木枠の網篩で振り分ける。倉庫の奥で見つけたレトロな篩を使ってみる。大きな篩を使うと腹筋が必要であることを痛感する。やり続けると腰が重くなる。この時期は切ったジャガイモに灰をまぶすのだ。ついでに、残っていた消し炭を七輪に集めてコーヒーを淹れたりイワシを焼くことを忘れない。今年のジャガイモは、去年育てた紫のシャドークイーン・赤のアンデスレッド・メークイーンの残りを種イモにする。...蕗の薹と共にジャガイモを

  • 「サティアン」脆くも崩壊す!?

    先月末に建設したサティアンが崩壊した。というのは、シカの食害が酷いのでまずは桜を防禦しようと、桜の周りを使い古しのビニールで覆ってみたのが桜防禦用「サティアン」だった。しかし、一昨日の春の嵐の一撃で完膚なきまでサティアンの崩壊となった。ある程度春の嵐のゲバルトを予想はしていたので、支柱をしっかり打ち込んだつもりだったが甘かった。自然の脅威をなめてはいけない。かつてのトマトハウスが支柱ごと飛ばされたことが何度あったことか、思い出してみよ、との啓示を振り返る。「サティアン」とは、サンスクリット語で「真理」を意味する。一日がかりの作業になってしまったが、真理を語るほどから遠い杜撰な作業だったことは間違いない。某宗教と同じ轍を踏んだのだろうか。真理とは自然を畏れることにあり、に違いない。結局、青色の小さなネットを...「サティアン」脆くも崩壊す!?

  • 打って、焼いて、春を呼ぶ

    まだまだ寒いが。打って、焼いて、春を呼ぶ

  • 打って、焼いて、春を呼ぶ

    まだまだ寒いが。打って、焼いて、春を呼ぶ

  • ♪「青空に残された 私の心は夏模様」♫

    先日、集落の新年会が行われた。そこでは、ヤマノイモの芋汁が準備された。オイラも午後からすり鉢を押さえたり、すりこ木を回すお手伝いをさせてもらった。また、タコ焼き器を買ってきたばかりの初披露もあり、いずれも、新年会を事前から準備するという画期的な集いとなった。それ以上に画期的なことは、ドリンクは自前で持参するということにしたことだ。というのは、昔は全員が飲めるのが前提で、酒とつまみだけだった。しかし、オイラのような下戸がいたり、大酒飲みもいたり、酒の種類にこだわる人もいたり、飲む量が違うのに会費が同じというわけだ。これでは女性も参加できない仕組みがあった。今回も男だけの出席は従来通りという限界もあるが、中身はかなり前進した新年会となった。新年会の後半に、オイラの提案で「少年時代の遊び」をテーマに話してもらっ...♪「青空に残された私の心は夏模様」♫

  • 犯人は網を破って侵入!!

    バタフライガーデンの整備をそこそこ始めているがまさに牛歩の歩みだ。そんなとき、防獣柵をひょいと見たら、見事に網が切られ、何者かが侵入したことが判明した。穴の大きさからみて人間でもシカでもイノシシでもないようだ。その網には、紫色の実が残っていたのに気づく。この網の近くにネットで入手した「ツルギキョウ」という種を蒔いていた。咲いていれば、かなり魅力的な花のはずだが、ツルは伸びたもののなかなか花が咲かない。そこですっかり諦めていたのだった。ツルギキョウはツルニンジンに似ているが花の大きさが小さいので目立たないらしい。左の画像が「ツルギキョウ」(mirusiru.jpから)、右の画像が「ツルニンジン」(「山・蝶・寺社巡り」webから)。ツルニンジンはときどき里山歩きで身近に出会うことがあり、その釣鐘型の花の美しさ...犯人は網を破って侵入!!

  • 始皇帝以来の皇統を破った男

    このところ、現在では目立たないが戦前で活躍したキーパーソンに注目してきた。今回は、「国父」と呼ばれた『百年先を見た男-孫文』(新人物往来社、2011.5)を読む。著者は朝日新聞の記者だった田所竹彦。孫文の遺言が表紙に出ている。「革命はいまだ成功していない」というわけだが、それは現在も成功していないとも受け止められる。(ナガジンwebから)始皇帝以来の皇統を破った男

  • 正義の行き先は

    最近注目している脚本家・三好十郎の「斬られの仙太」を原作とする映画「天狗党」をDVDで観る。監督は社会派の巨匠・山本薩夫。空前の学生運動が華やかな時代を背景とする1969年の製作。仲代達矢がうってつけの百姓上がりの無頼役「仙太郎」を好演している。原作は「仙太」。脇役だが、利根の甚伍左親分の中村翫右衛門の風格が見事だ。孤児を保育するお妙役の十朱幸代のはつらつとした演技も光る。仲代と若尾文子とは本作が初共演となる。神山繁・山田吾一の顔も懐かしい。天狗党内部の抗争や矛盾は学生運動の過激派テロを想起させるが、それは監督の狙いでもあるのではと思われる。百姓の仙太郎が貢租を減免してもらいたいと百姓を代表して訴えたことで、気を失うほどの百叩きの刑を受ける。それを救ったのが天狗党の侍・加藤剛と親分の中村翫右衛門だった。加...正義の行き先は

  • 正義の行き先は

    最近注目している脚本家・三好十郎の「斬られの仙太」を原作とする映画「天狗党」をDVDで観る。監督は社会派の巨匠・山本薩夫。空前の学生運動が華やかな時代を背景とする1969年の製作。仲代達矢がうってつけの百姓上がりの無頼役「仙太郎」を好演している。原作は「仙太」。脇役だが、利根の甚伍左親分の中村翫右衛門の風格が見事だ。孤児を保育するお妙役の十朱幸代のはつらつとした演技も光る。仲代と若尾文子とは本作が初共演となる。神山繁・山田吾一の顔も懐かしい。天狗党内部の抗争や矛盾は学生運動の過激派テロを想起させるが、それは監督の狙いでもあるのではと思われる。百姓の仙太郎が貢租を減免してもらいたいと百姓を代表して訴えたことで、気を失うほどの百叩きの刑を受ける。それを救ったのが天狗党の侍・加藤剛と親分の中村翫右衛門だった。加...正義の行き先は

  • 移動式遊び場の出前 !!

    かかわるごとに感動がある。移動式遊び場の出前!!

  • 移動式遊び場の出前 !!

    かかわるごとに感動がある。一昨日の14日、西田夫妻が主催する冒険遊び場にゲストがやって来た。移動式遊び場を全国で出前している星野諭(サトル)さんだ。子どもたちが描いたという車がすでに目立つ。午前中に、星野さんのお話がおもむろにされた。新潟県妙高市生まれで、一級建築士の星野さんがエリートコースをあえて選ばずにこの活動を貫いてきて経過とそこから学んだこと、これからめざすものを焚き火を囲みながら聞く。移動式遊び場の出前!!

  • 生存の根拠を問い直す作品

    先月、山田風太郎の『魔群の通過』を読んで、水戸天狗党の実態を知る。戦前、その天狗党を戯曲「斬られの仙太」として作品化していたのが三好十郎だった。日本が国際連盟を脱退し、満州国や軍事体制がピークを迎えたころだ。戦後、仲代達矢主演の映画(1969年、山本薩夫監督)にもなり、一昨年、新国立劇場でも上演されるなど、三好十郎の代表作とも言われた。そこで、名前は聞いたことがあったが三好十郎とはどういう人物なのかを知りたくなり、片島紀男『悲しい火だるま、評伝・三好十郎』(NHK出版、2003.6)を読む。十郎は、事実上親に捨てられ、貧困と孤独に追い詰められ、自殺未遂・飢餓などの不幸な辛酸をなめる。そこから、左派の階級闘争へとはけ口を向けたが、その指導者への違和感が十郎を襲う。「斬られの仙太」は、闘病中の妻の看病の中から...生存の根拠を問い直す作品

  • 山から川から杭づくり!!

    裏山の灌木を伐り出し、先端を削り、土留めのための杭を作る。急斜面なので本当は石積みがいいのだが、それだけの体力と資材がない。そのため、まずはあるもので作ろうと木の杭を作り出す。これらの木を伐採することで、下のガーデンに陽が当たるようにするという一石二鳥を狙ったものだ。同時に、近所の人からいただいた流木も先端を削って杭を作っていくことにする。流木は広葉樹が多いようで硬い木が多い。太い木は楔や斧を使ってハンマーや掛矢で半割していく。長くやっていると手がしびれてくるので、テキトーにほかの作業をして気分転換をする。つまりはがんばらないよう手抜きすることで諦めないでゆっくり続けることをモットーとする。裏山の灌木は、ミズキの樹が多かったようだ。こけしの原材料にもなるほど材は白く、比較的まっすぐで柔らかい。次に多かった...山から川から杭づくり!!

  • バンツマの現代劇を観る

    久しぶりのたっぷりの長雨だった。春を待ちに待っていた植物には命の水だった。これ幸いと、往年の大スター阪東妻三郎主演の映画「破れ太鼓」を観る。バンツマの現代劇を観る

  • ホームレス住居か隠れ家か

    近所の人から、「ちょっと、河原に来てみて」と連絡があったので、「何だろうか」と、むかしキャンプ場があった河原に直行した。そこには怪しい建物があった。聞いてみると、ニヤニヤしながら「俺が作ったのさ」という。そういえば、彼は河原の整備を一人でやっていたのだった。あまりに寒いので暖を取る場所を作ったのだという。外観のシートは、捨てられていたシートを利用している。そこに、伐採した雑木などを利用して作ったというわけだ。ここで、暖を取ったり、休憩しながら、河原の景観が良くなるよう雑草や竹林・灌木を伐ったりする基地にしている。たまたま、河原の石がたまっていた所がかまどとなった。少々、風が強くても、ここなら安心して焚き火ができるという。さっそく、火入れして暖を取った。ときおり外では強い風があったようだが、頑丈な室内は外気...ホームレス住居か隠れ家か

  • 油槽のマンホールを発見

    きょうの午前中、たまたま立ち寄ったガソリンスタンドで油槽のマンホールを発見。今まで、スタンドでこうしたマンホールを見ようともしなかったので、意外性を期待した。かたちは、二連結の角型蓋だった。路上の角型マンホールと形に変わりがなかった。やや中央には丸形の子蓋に「JTO」の英字がある。これは、「日本タンク装備株式会社」の略だ。そこに、「開閉注意」の文字を入れているものもあるようだ。石油ならではの危険性を促している注意書きだが、ここにはそれがない。この子蓋がど真ん中にないのにはなにか意味があるのだろうか。地紋は、タンクの「T」と「逆さT」を図案化したデザインと思われるが定かではない。「逆さT」は、給油タンクを表現したものではないかと推測するがどうだろうか。この狭い空間にもわからないことが満載だ。もう一方の正方形...油槽のマンホールを発見

  • 日本の歴史は<森と木と暮らしの循環>でもあった!?

    中山間地に住みながら、森や川はよそ事になっている。近くの国道では太い木材を高く積んだ大型トラックにしばしば出会うが、それとふだんの暮らしとはつながらない。そんなとき、利用者のいない図書館の新刊コーナーで、海野聡『森と木と建築の日本史』(岩波新書、2022.4)をたまたま借りてくる。わが家は360度小さな山並みに囲まれた場所にある。数十年前、白銀の北アルプスのふもとのいくつかのキャンプ場に泊ったことがある。その雄姿のスケールにほれぼれしてそこで暮らしたいと思っていた。しかし、その寒さをどこまで耐えられるかということと乏しい懐事情とが合わなくて断念したことがある。そこで、都落ちするように、「なんにもない」辺境の現在地にたどり着いた次第である。この地も昔は林業が盛んで、山奥には立派な邸宅も散見できたし、まわりも...日本の歴史は<森と木と暮らしの循環>でもあった!?

  • キウイの剪定完了

    キウイフルーツの収穫は毎年、霜が降りる前の文化の日・11月3日前後に行っている。今回も4日から始める。例年よりやや少ないもののほぼ順当な収穫となった。放任栽培で摘果もしなかったので大きさもやや小さい。とはいうものの、そのキウイは毎朝の野菜ジュースにリンゴやニンジンと並んでいまだに活用されている。キウイの剪定と牽引には少なくとも4日はかかる。今回も同じくらいの日程がかかった。剪定した枝は足の踏み場がないほどその棚下に転がった。いずれ、焚き火にくべられることになったり、小さい枝はそのまま肥料になっていくので心配はない。ただし、枝がまっすぐでもないので短く切ったり、手間はかかるのは致し方ない。剪定を終え、空に向かっていた枝も牽引され、棚上のジャングルはとりあえずなくなった。しかし、春から夏にかけてはあっという間...キウイの剪定完了

  • 久しぶりに本箱を作ったよ !!

    読みたい本がついつい溜まってしまう。それがいつの間にか、読んだ気になって「積んどく」となる。炬燵の周りは本が邪魔して動けなくなる。そこで、やっと重い腰をあげて本箱を作ることになった。さいわい、数十年前に買っておいた材料があったのでそれを利用する。ただし、棚板が1枚足りなくなったので、古材を探したら古民家改造の時とっておいた床板を採用する。しかし、明治の床板のようで平ではなかった。手斧で削ったのだろうか。しかも、虫食いもひどい。さっそく、水性ペンキでそれをごまかして組み立てるがサイズが合わない。土台に2個の基礎材を置くことにする。その板を探したら、やはり古民家改造の時とっておいた丈夫な敷居を使うことにした。銅でできたレールを外して一部の虫食いも白ペンキでカバーする。むかしの材木はどっしりしていて多少の虫食い...久しぶりに本箱を作ったよ!!

  • ついにプレーパークの場所が決まった

    フキちゃんらが模索してきた冒険遊び場の場所がついに決まった。フキちゃんの自宅から歩いて5分ほどの小さな広場と森だ。地主の方のご厚意で使用できることとなった。数年の間、いろいろな所でやってきたがなかなか定着しなかったが、地元の方との信頼関係が実ったというわけだ。冒険遊び場は、こぎれいな公園ではなく、子どものニーズにあったガラクタがあり、泥や水があり、火を焚ける場所だ。これは1979年、世田谷の「羽根木プレーパーク」が日本での第1号だったが、近隣からの顰蹙と妨害の歴史でもあった。建築家の大村虔一・璋子ご夫妻が海外のプレーパークを視察してきて、日本に導入・提案してきた運動でもある。それが全国に広まり、2020年度には全国に458団体が活動しているという。一般的には遊び場がなく緑の少ない都市が中心の活動だが、過疎...ついにプレーパークの場所が決まった

  • 「何に向かって歩くのか」の検証こそ…

    どうも敗者の歴史に目が行ってしまう。幕末の水戸藩で5000人もの死者を犠牲にしたという「水戸天狗党」の悲劇を追った。山田風太郎『魔群の通過/天狗党叙事詩』(ちくま文庫、2011.5)を読む。山田風太郎といえば、史実を奇想天外・魑魅魍魎のドラマ展開が人気である。しかし、この天狗党叙事詩は、史実を丹念に吟味しながら生々しい凄残さとロマンの行方の儚さが読後の余韻にもしばらく漂う。今までの娯楽小説中心ではなく真摯な風太郎の怒りとやるせなさがにじみ出た傑作となった。表紙は南伸坊のデザイン。徳川御三家の一つ、水戸藩といえば、「尊王攘夷」で幕末の志士たちを鼓舞した理論的支柱となった。下級武士を中心とした攘夷派には有能なブレーンたちがおり、彼らが藩の中枢を占め始めると保守派との抗争が激化する。「天狗党」のネーミングは、成...「何に向かって歩くのか」の検証こそ…

  • 縁起物から地域特産品へ

    先日、尾上邸の梅の強剪定をしたが、切り口からのウイルス侵入を防ぐため後日墨汁を塗ることにした。その折、野菜や柑橘類をいただいてきた。和宮様はさっそく柑橘類のダイダイをジャムにしようと皮をむき細かく裁断し始めた。というのも、ダイダイは従来縁起物でその酸味や苦みの強さから食用には向いていないとされてきたからだ。ダイダイのことを中国では「回青橙(カイセイトウ)」と表示される。つまり、これを食べたり飲んだりすると青年のように若返る健康食材だという。というのも、実がなっても数年はそのまま生き続き、いったん黄色くなっても翌年には緑になるからでもある。そこから、家が「代々」栄える、命が若返るという縁起物になり、鏡餅やしめ縄などに飾られている。しかし、その需要も激減し、実を廃棄したり、果樹を伐採したり、後継者がいないとか...縁起物から地域特産品へ

  • 忘れられた明治の英傑・田岡嶺雲

    名前だけは知っていたがどんな人物かよくわからなかった田岡嶺雲(レイウン)。明治末に刮目した評論家として活躍したのにもかかわらず、書物は発禁処分にあったり獄中に捕らえられたりの表面的な情報しかない。しかも彼を研究したのは、法政大の西田勝氏と教科書裁判で有名な家永三郎氏しか見当たらない。そこでやっと入手したのが、家永三郎『数奇なる思想家の生涯/田岡嶺雲の人と思想』(岩波新書、1955.1)だった。高知で生まれた嶺雲(1870・M3~1912・T1)は、少年時代に植木枝盛や板垣退助などの自由民権運動の雰囲気を直接的に体験する。東京に遊学した彼は、内村鑑三の講習を直接学んだり、帝大ではハイネに傾倒し、日本にハイネを最初に紹介した第一人者でもあった。その後、中学の寄宿舎の同室の友・山縣五十雄と一緒に文芸誌『青年文』...忘れられた明治の英傑・田岡嶺雲

  • 消火栓は目立つ前線へ

    先日、秋葉神社の麓を歩いていたら、路上の消火栓マンホールに出会った。背景がきっと薄い黄色だったのだろうけど、鮮明ではない。この手の消火栓は、消防車が赤色、背景が黄色というパターンが多いようだ。文字の字体だけ黄色というのもある。最近のマンホールはカラフルになってきたが、その最初は消火栓が最初かもしれない。なにしろ、いざというとき目立たなきゃーね。基本的にこのデザインが全国に広まっているようだ。上側のやや右に、「市章」が小さくあるのもおんなじだ。消火栓は目立つ前線へ

  • 拝啓 !! 毎日干し柿をいただいております

    昨年11月末、近所から「渋柿が大量になっているから収穫に来ないか」と誘われ、さっそく何人かと収穫させてもらった。わが家だけでなんだかんだ段ボール4箱分もあった。干し柿にした柿は大小合わせて300個以上はあったかと思う。おかげで年越しした現在も、毎朝、干し柿を食べるのが楽しみとなっている。わかってはいるのに食べるたびに、「うま~い!!」を連発してしまう。干し柿にはしたものの、まだ残ってしまった渋柿があった。そこで、簡単にできる「柿酢」を作ることにした。保存瓶にへたを取った渋柿を放り込むだけ。呼吸できるように蓋はせずに瓶を部屋の片隅に置いておく。うまくいけば、野菜ジュースにも使える。先月、隣の集落の古民家にも干し柿の風景が絵になっていた。渋柿は甘柿より糖度が高いという。タンニンがそれを邪魔するので、干すことで...拝啓!!毎日干し柿をいただいております

  • 閉校の校庭は親子の解放区 !?

    昨年、といっても数週間前の大晦日だった。閉校となった小学校の校庭で親子のプレイパークが行われた。大晦日だから人は集まらないだろうというオイラの予想はまたもや大きく外れた。小学校の管理は地元の民間会社に移行され、その前向きな好意で実現となった。やはりメインとなったのは焚き火となった。直火は消防署の指導で実現しなかったが、山猿さんのドラム缶コンロが大活躍した。オイラもさっそく若い夫婦と子どもたちに混じりながら、お餅を焼いたり、ハブ茶の実の焙煎をやったり、焚き火クッキングを楽しむ。山猿さんも大量の甘酒を用意するなど焚き火キーパーとして参加者の焼き芋の焼け具合を見てくれた。広い校庭で子どもたちが駆け回るのをチャンスに、親同士の会話も余念がない。不登校の子どもたちの居場所を考えている親の支援のアドバイスが飛び交う。...閉校の校庭は親子の解放区!?

  • 仙人を超えるすごい90代 !?

    過疎化がすすみ集落ごと消失してしまった地域もあるいっぽう、いまだかくしゃくとして現役を生きている90歳代の高齢者がいた。浜松の山側・天竜区に住む90代8例と70代1例のスーパー高齢者が登場するドキュメント、池谷啓『過疎の山里にいる普通なのに普通じゃない・すごい90代』(すばる舎、2022.10)を読む。活字もやや大きく、行間もそこそこあり、文章のフットワークもあり、すいすい引き込まれる。そこには、90代ならではの風雪を超え荒波に削られたそれぞれの人生の奥行が醸し出されていた。その人生100年時代の特徴は、著者の一言でいえば、「<今日、することがある>こと、そして、それらを自ら生み出すこと」が鍵だと喝破する。各人各様の元気ぶりの共通点を次の7つに集約している。1日々するべき仕事がある。2暮らし・家事の中に動...仙人を超えるすごい90代!?

  • 親子で強剪定と焚き火と

    朝起きたら、きょうもすっかり霜が降臨していた。きょうは尾上邸の梅を剪定する予定だが大丈夫かと心配になる。フキちゃんの情報では20人近くの親子が助っ人で来てくれるという。ただし、子どもの多くが幼児なので剪定そのものの参入はむずかしいかもしれない。去年の冬は剪定できなかったので、6月の梅もぎはちょっぴり苦労してしまった。そのため、今年は強剪定することとなった。クロちゃんがチェンソーで太いところをバリバリ伐ってくれたので、比較的短時間で作業ができた。ただし、その片づけは軽トラック2台のピストン輸送となった。若い親子に混じって親父さんたちも剪定の仕方や剪定ばさみの使い方を親子に伝えていたのも印象的だ。なんだかんだ、参加者は30人近くの親子へと肉薄した。「これなら、150人くらいの花見はできそうよ」との豪快な声もあ...親子で強剪定と焚き火と

  • 「明治維新という過ち」と現代!!

    前々から気になっていたのは、明治維新は日本の近代の幕開けにふさわしい選択だったのかという疑問だった。そんなとき、週刊誌的なセンセーショナルなタイトルが気になる本があった。ついに読みだしてしまった。原田伊織『明治維新という過ち』(講談社文庫、2017.6)、副題が「日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」だった。江戸から明治への歴史的変貌は、徳川に勝った官軍・薩長政府のプロパガンダによる教育が現代にも深く浸透していると著者は怒りを露わにする。要するに、官軍の羅針盤なきクーデターで徳川が築いてきた精神的歴史的平和的遺産を破壊してしまったという。あらためて、「<明治維新>という無条件の正義が崩壊しない限り、この社会に真っ当な倫理と論理が、価値を持つ時代が、再び訪れることはない」と断言する。明治維新の過ちを現代的...「明治維新という過ち」と現代!!

  • 防獣フェンスづくり第3期へ

    年末に防獣フェンス作りの第3期目を着手した。といっても、フェンスの支柱を打ち込むのが主要な作業だ。ただし、支柱や網をやってしまうと、外周の茶の木の剪定がやりにくくなるのでまずはトリマーで内側だけ軽く剪定をすることにした。支柱打ち込みは茶畑跡だったせいかスムーズに約30本を打ち込む。保有していた支柱はなくなってしまったので、これ幸いと作業を中断する。第2期作業は昨年の秋に行っている。和宮様のご令嬢と彼があっという間にやってくれたのだった。その丁寧な作業にはびっくりするぐらい網がピーンと張ったフェンスとなった。オイラがやるとどうしても網がたるんでしまう。やっぱり性格が出てしまう。ポールは太い竹を使用した時もあったが、市販のポールを使うことにする。ご令嬢は指示したわけでもないのに網がたるまないよう支柱のてっぺん...防獣フェンスづくり第3期へ

  • 新年は干し柿を毎日食らうしあわせ

    穏やかな新年を迎えた。だが、世界は混迷の迷宮に入り込んでしまった。日本も生き行く方向が見えない。そんななか、何に向かって生きていくべきか、ブログを書きながら今年も探っていきたい。新年は干し柿を毎日食らうしあわせ

  • 風土に脈打つ民権の魂は!?

    数十年前に買ったまま放擲されていた、石川猶興(ナオオキ)『利根川民権紀行』(新人物往来社、1972.5)をあわてて読む。明治7年以降、板垣退助らを中心として憲法制定・国会開設・言論集会の自由を求めて薩長藩閥政府に対峙したのが自由民権運動だ。著者の父は明治末期その運動に触発され、加波山事件などの資料を集め出版する直前倒れる。民権運動につながるリーダーや群像には「利根川」があった。農協を世界で初めて創設した大原幽学、政治をただそうと筑波山で挙兵した水戸尊攘派「天狗党」、プーチンのような弾圧指導者・三島通庸を暗殺しようと蜂起した「加波山事件」、足尾鉱毒事件で体を張った「田中正造」など、命がけで闘った河畔の人間がいた。著者の父・多感な石川諒一は、明星調の歌人でもあった。開明的なジャーナリスト・文芸評論家でもある「...風土に脈打つ民権の魂は!?

  • 秋葉登山道入り口をたむろする

    先日の秋葉神社参道入り口の旧栗田家邸宅の立派さにほだされて、その周りを散策する。急峻な坂道の登山道を登らないで、その手前をチョットだけ覗いてみた。「栃川」にかかる赤い見事な「九里橋」は山頂への起点である。掛川と浜松から九里もあることからつけられた名前だ。かつては木橋だったが、昭和16年の洪水で流され、現在の赤い橋は昭和38年に竣工された。山頂までは「50町」あり、この橋はその起点で「町石」がそれぞれに置かれている。秋葉信仰の広がりの深さがそれでわかるというものだが、残念ながら現在では欠落がはなはだしい。赤い橋の手前には、昭和12年(1937年)5月に津市岩田秋葉講が建立した石柱が健在だった。正面には「至神社從是三十八丁」と刻印されている。当時、日本軍は盧溝橋事件を起こして中国への侵略を本格化していき、その...秋葉登山道入り口をたむろする

  • 根っことの格闘ひと月

    畑の隣に挿し木で育てたアジサイとローバイの植え込みがある。忙しくて手付かずのせいで全体がススキの解放区になっていた。入り口から進入することすらできないでいた。そこで、意を決してススキを除去することにした。今までは草刈り機できれいにしたはずだったが、いつのまにかふりだしに戻ってススキ畑になってしまう。だから、根っこから排除しなければならないと始めたがなかなか手こずる。その根っこの下に地下茎がありそこを除去しないとまた芽が出てしまうからだ。しかも、ススキの根だけではなくアケビの根もなかなか厄介だった。完全には採りきるには全面的に穴掘りが必要なので、そこは妥協して鶴嘴と鎌の届く範囲に限った。これらの根っこは焚き火の刑の対象となった。その灰はもちろん畑にまかれた。以前、ここから掘り出した石が見えてきた。一人では持...根っことの格闘ひと月

  • どこにも属さない人

    このところ、車でのBGMはなんとショパンになっている。何回聞いても、マズルカもポロネーズもエチュードもそれらの違いがよく分からない。それでも、聴いてみて快いのは間違いない。そんなことで、中川右介『ショパン天才の秘話』(静山社文庫、2010.10)を読む。ショパンの無名時代の葛藤と周りの天才的な巨匠たち(ベルリオーズ・メンデルスゾーン・シューマン・リストら)との「群像劇」が本書である。副題が、「20歳の孤独な作曲家とロマン派の巨人たち」とあり、祖国に帰れなかったショパンとその周りの巨匠たちのドキュメントだ。ショパンはポーランド生まれで、父はフランス人、母はポーランド人。祖国ポーランドはロシア・プロイセンなどに分割され地図上から祖国はなくなった時代に生きた。フランスを中心に活動したが、ときはフランス革命の最中...どこにも属さない人

  • 河原の残骸を生かす

    先日、近所の方から声がかかった。「河原の整備をしていたら流木が大量にあり、丸太も伐ったけど、使ってみる?」ということだった。二つ返事で近くの河原に直行する。すると、山のような流木と伐採された丸太が山積みされていた。一緒にそれらを車に運びわが家に運搬した。お昼を過ぎたので缶コーヒーとポテトチップで小休止。台風15号の猛威は大量の流木を流したのがわかった。彼は一人で河原の清掃を自主的にやっている。それは、子ども時代、ここで親友と遊びまわった世界だったからだ、という。それが現在の自分を形成していたのを痛感し、それで、だれも振り返られなくなった荒れた河原の整備を始めたのだ、という。彼は、流木を集めただけでなく、河原に繁茂していた雑木をチェンソーで伐り始めてもいる。数年がかりから始めていたので、河原がずいぶん明るく...河原の残骸を生かす

  • 庶民の真摯な目線に寄り添う木下監督のルーツ

    著者の木下忍さんから上梓したばかりの『木下恵介とその兄弟たち』(幻冬舎、2022.12)の本が贈られてきた。家族から見た恵介と兄弟たちの真摯な生き様を描いた証言となっている。恵介の庶民への優しい目線のルーツは、恵介の父である「周吉」と「たま」の労苦をいとわない真っ直ぐな生きざまの影響・共感にあるという。その両親の子どもたちは恵介を含め8人もいる。それぞれの歩みを忍さんは自らの内輪での体験と情報・聞き取りから、恵介とその周りの空気を丹念にあぶり出している。兄弟が多いので、作成された「家系図」があったので、たびたび確認しながら混乱なく読むことができた。それらのことで、恵介の父母・兄弟・養子・近所・スタッフへの思い入れが伝わってくる。忍さんの凛とした文章には、木下家の中に貫かれているみずみずしい水脈があるように...庶民の真摯な目線に寄り添う木下監督のルーツ

  • 渋柿が先輩だった

    近所から収穫してきた渋柿の干し柿づくりは、300個近くに迫った。10日過ぎあたりから水分がずいぶん抜けてきて干し柿らしくなってきた。試しに食べてみるとなかなか確かだ。このところ、晴天に恵まれていることと、焼酎を毎日のように塗っていることでカビの発生を抑えている。干し柿の種は縄文・弥生時代の遺跡からでていることから、すでにそのころから作られているようだ。平安時代には祭礼用のお菓子として珍重された。甘柿が食べられ始めたのは鎌倉以降というから、渋柿の方が先輩ということになる。1900年代のパリ・セントルイス万博では、それぞれ銀杯・金杯を受賞している。アメリカ・カリフォニアの日系移民は干し柿を普及していた。和宮様の連日の奮闘で、毎日のようにお手製の干し柿が下賜されいただけるようになった。旨すぎてついつい2~3個は...渋柿が先輩だった

  • 大正ロマンの古民家を見に行く・周辺編

    前回の豪壮な古民家に続き、今回は母屋の周りを見る。何と言っても、重厚な土蔵が圧巻だ。貴重なお宝があったそうだが、泥棒が入って多くが盗まれた。お宝が入っていた箱だけが山積みされて残っていたという。頑丈な土蔵造りのどこから侵入したのだろうか。一階部分には、「腰巻」と言われる耐水・耐火・安定対策の煉瓦が積まれていた。地面からの湿気防止と火災からの類焼防止ということだが、煉瓦が新しいことや煉瓦の積み方がシンプルなのを見ると、昭和になって補修したのかもしれない。壁に打たれているL字型の折れ釘が気になった。建物を補修したり、庇などの付属物を加えるとき、梯子を固定するために縄をかけたりするのに利用する。また、樋を支えるデザインにも活用している。さらに、その釘の根元には荷重を避け、亀裂や釘の錆による湿気侵入を防止するため...大正ロマンの古民家を見に行く・周辺編

  • 大正ロマンの古民家を見に行く

    建築家の三須克文(ミスヨシフミ)さんが林業家の古民家を購入して再生しているというので、「春野人めぐり」のイベントの案内に乗じてそそくさと見に行く。ゼネコンで活躍した人が古民家再生で活躍し、地域おこしの一端を担うという三須さんの生き方がうれしい。場所は秋葉神社上社のへいく麓の表参道入り口にあった。竹林と広大な山を背にした古民家は再生の途上にあった。玄関の格子ガラス戸のデザインが当時としては斬新だったのだと思う。現在はその左隣の部屋を改造してお客用の玄関にしている。週末には佐久間町出身で猫の好きな奥さんを中心に「まろや」という古民家カフェ・民泊を運営している。母屋に案内された。林業家の住まいらしく部屋の周りは木材がふんだんに使われている。天井は木目模様を生かしたモダンなデザインに驚く。このへんは大正時代に建築...大正ロマンの古民家を見に行く

  • 戦乱と革命の時代のショパン

    青春時代はフォークとロックが伴走してくれた。クラシック音楽は退屈なメロディだった。今もそうだ。しかし、部分的に好きなフレーズはなくはない。たまたま清塚信也氏の軽快な語りと演奏を聴いて、ショパンのテクニックと生き方のすごさを感服する。いつものようにさっそく、CDと書籍を入手する。まずは、入門書らしき遠山一行の『ショパン』(新潮文庫、1988.7)を読む。当時の写真がふんだんに盛り込められた200ページほどのコンパクトな本だったが、同時代の燦然たるロマン派音楽の巨匠のなかでもひときわ異彩を放っていたのがショパンだったという。1830年、ショパンはワルシャワでデビューリサイタルに大成功していたにもかかわらず、同年に急いで出国してしまう。ポーランド独立運動に加わった戦士と交際していたことで、ショパンはブラックリス...戦乱と革命の時代のショパン

  • 干し柿づくりが始まった

    一週間前に近所に渋柿を収穫に行き、皮を剥きはじめてきょうで5日目。日当たりのいい畑の間に吊るすのが日課となった。布団干しが干し柿づくりの先鞭となった。さらに昨日は、幾人かの親子で同じ場所で渋柿を収穫することになった。その午後には、親子で焚き火クッキングを愉んだ。午前中の収穫は、段ボール7箱分くらいの渋柿はあったろうか。それでも全部の柿は採れなかった。そこに、カボスやユズも加わった。近所のご好意に頭が下がるばかりだ。ばたばたしているせいか、健忘症の進行が深化したのか、画像を撮るのをすっかり忘れた。一枚だけ、子供に人気のあったトウモロコシ焼き、皮の焼鳥、骨付きチキンを熾火で焼いている、画像だけが残されていた。おとな6人、幼児7人のにぎやかな野外パーティーとなった。冬瓜スープ・熟成干し柿・ウィンナー・焼き芋・里...干し柿づくりが始まった

  • 足踏み機・唐箕を一気に

    「温暖化」とはいいながらも、畑の野菜のいくつかは霜でやられていた。そこで急いで、気になっていたエゴマ・エビスグサ・ハトムギを収穫する。すべて、畑の前後で野生化しているのだ。ハトムギだけは畑に移植したら、ジャングル状態になってしまった。畑に行ったときはかき分けたりくぐりながらだった。9月には青かったハトムギの実が、10月中旬には黒くなってきた。しかし、白いのがあったりしてまばらなのが想定外だった。この黒い実が7割くらいなら収穫だ。場所によって成長具合が違っていたので収穫の判断がいつも迷う。足踏み機と唐箕を今年初めて使用する。バケツ一杯分の実が収穫できた。すぐに、「唐箕」で実とゴミとを仕分ける。しかし、唐箕もガタがきていてその振り分けが不十分だった。しかも、熟していない緑や白の実を除去しなくてはならない。去年...足踏み機・唐箕を一気に

  • 変わらぬ政治に、革命かラテか、

    とある雑誌を近所の人からいただいた特集の中で、成田悠輔氏の直言がシャープだったので、ベストセラーとなった彼の『22世紀の民主主義』(SBクリエイティブ、2022.7)を取り寄せる。裏面の帯には、「断言する、若者が選挙に行って<政治参加>したくらいでは何も変わらない。これは冷笑ではない。もっと大事なことに目を向けようという呼びかけだ。何がもっと大事なのか?」という。(まだ続きまーす)変わらぬ政治に、革命かラテか、

  • 長雨よし! 強風よし! やったー!

    昨日は一日中、止むことなく本格的な雨だった。今朝はそこに強風だった。朝は一面靄に包まれいつもの山並みが消えた。和宮様は、「長雨や強風でゆうもじ(昨夜)以来、銀杏が落ちたようじゃが、様子を見てまいれ」とのお達しがあり、さっそく近くのイチョウの木の周りを見に行った。すると、落下して間もない新鮮なギンナンが道路に溢れていた。車の往来がすでにあってタイヤが通行した所はかなりのギンナンがつぶれていた。つまり、道路の中央と左右にはギンナンがしっかり落ちていた。なるほど、銀杏拾いのチャンスは今しかない。火ばさみで落ちたギンナンを慌ててバケツに集める。一本の雌木がかなりの量をまき散らしている。さすが、恐竜の時代、氷河期の時代から生き残っただけの生命力が彷彿としている。案の定、バケツ2杯分の過去最高の収穫となった。まだまだ...長雨よし!強風よし!やったー!

  • 「夢から醒めた夢」のかなた

    先日、知り合いが出演しているというミュージカルを見に行く。続きまーす!!「夢から醒めた夢」のかなた

  • 忘れていた柿を収穫

    裏山で作業をしようとしたら、奥の方に柿が見えた。ここ数年、裏山も藪が広がって中に入れないようになってしまっていた。そのため、柿があったことをすっかり忘れていた。かなりの老木でもあり、日当たりも悪かったうえに、強剪定の洗礼も受けていたので十数個の柿を確保するのがそれまでの成果だった。今回も同じくらいだったが、カラスに食べられた跡もあった。渋柿ではあるが、品種はわからない。この樹も10年ほど前に偶然発見したものだった。そのくらい、目立たない成長の悪い柿の木だった。だから、甘柿か渋柿かわからなかった。実の先端が尖がっている渋柿の品種には、大富士・蜂屋・愛宕・大和などが有名らしいがその違いも判らない。この柿の大きい品種が百目柿のようだ。とりあえず今年の収穫はこれだけ。渋柿といえば、吊るし柿をするのを忘れていて、へ...忘れていた柿を収穫

  • 最後は65cmの大物だった

    霜がやってきたのであわてて残りのトウガンを収穫する。まだ続くよ~最後は65cmの大物だった

  • 最後は65cmの大物だった

    霜がやってきたのであわてて残りのトウガンを収穫する。沖縄冬瓜が最後の収穫と思っていたら、ハト麦の繁みの中から大きな冬瓜を発見。ずっしり重い。ものさしで計ったら65cmもあった。根っこは数週間前にすでに掘り起こしていたので、水分も栄養も補給されないままひっそり耐えていたのだった。冬瓜の名前のとおり夏野菜であるのにもかかわらず、冬まで保存できるというのは本当だった。その数日前には、こぼれ種から成長していた「沖縄冬瓜」3個も収穫する。沖縄冬瓜の大きさは30cmほどの大きさなので核家族や老人だけの所帯には手ごろだ。こちらの冬瓜は勝手に芽を出した苗を畑に移植してそのツルを網に這わせたものだ。収穫した冬瓜の多くは毎朝の野菜ジュースの主要なメンバーとなっている。それでも食べきれなかったので、鶏肉と合わせた煮物やスープ・...最後は65cmの大物だった

  • 100本近くの支柱のセット完了!!

    近所に放置された竹が転がっていたので拾ってくる。残念ながら新品はない。カビだろうかまだら模様のものや柔な竹もあったが、廃材の活用だと思って活かすことにする。長いもの、短いものを2mほどに切ったらなんだかんだ100本近くになった。まだつづくよー100本近くの支柱のセット完了!!

  • 100本近くの支柱のセット完了!!

    近所に放置された竹が転がっていたので拾ってくる。残念ながら新品はない。カビだろうかまだら模様のものや柔な竹もあったが、廃材の活用だと思って活かすことにする。長いもの、短いものを2mほどに切って揃えたらなんだかんだ100本近くになった。これを数週間、草取りや剪定をしながら少しづつ支柱を打っていく。太さもまちまちだったが90本はまちがいなく打ち込んだ。ということは、ガーデンの内周だけでも100本近くの樹木があることになる。それを抜根した茶樹が積まれている中央部にこれから植樹をするとなると150本以上にはなると予想される。ガーデンに向かって左側にはアジサイを中心に、右側にはレンギョウを中心に植栽している。その80%は挿し木で育てたものだ。向かいのガーデンから移植したノリウツギは、抜根した茶樹の跡地に生まれた自生...100本近くの支柱のセット完了!!

  • 台風の爪痕まだ癒えず

    今年の9月末の23~24日にかけて静岡を襲った台風15号の大きな爪痕はいまだに修復していない。まだ続くよ~台風の爪痕まだ癒えず

  • アジサイを救い出す

    雑草の海がバタフライガーデンを支配した。背の低かったアジサイはついにその海に溺れてしまっていた。舌打ちしながら見えなかったアジサイの姿を手探りで探す。以前、草刈り機でアジサイを刈り取ってしまったこともたびたび。だから、今回はなるべく機械で一気に草刈りをしないで、鎌を中心に雑草を刈り取っていく。すると、絶え絶えになりながらもアジサイを発見する。生きていた。植え付けた当時とあまり背丈は変わらない。ほとんど、挿し木で育ったつわものだ。全部で50本近くもある。目印と支柱を兼ねた竹を打ち込む。このけん引だけでも時間がかかる。種類もヤマアジサイ・西洋アジサイ・墨田の花火などが混在している。久しぶりに雑草が目立たないシーンにうっとりする。一番奥の方に、トランペットツリーの花が咲いていたのに気づく。たまたま奥は残された茶...アジサイを救い出す

  • あまたの献上品続々!!

    ここひと月の間、近隣から和宮様への献上品が続々と集まった。まだ続くよ~あまたの献上品続々!!

  • 日本神話に触れてみる

    日本の神話にまったく関心が無かったので入門書を取り寄せた。それが、坂本勝『はじめての日本神話』(筑摩書房、2112.1)だった。さらにそれを補強する意味でイラスト・マンガ満載の谷口雅博監修『一番よくわかる・古事記』(西東社、221.7)を脇に置く。「古事記編纂の目的は、天皇家が神の子孫であることを示し、統治の正当性を主張するためであった」と、後者の本で明確な説明があった。古事記は、上・中・下巻の全三巻で、上巻は神話、中・下巻は天皇の事績を示し、国内向けに編纂されたので、万葉仮名で表記された。日本神話に触れてみる

  • 5000年後の天体ショーだった

    昨日は久しぶりの皆既月食だった。しかも、太陽→地球→月→惑星がそろうのは442年ぶりだという。さらに、その惑星が天王星となると、なんと5000年ぶりの皆既月食だという。こりゃー、見ておこうとデジカメ片手で夜空を見上げる。19時少し前にはすでに部分月食が始まっていた。19時過ぎになると、赤銅色が濃くなりまもなく完全な月食となっていく。手が震えてピントがあわないのが難点だ。それにしてもこの赤銅色の不気味さは迫力がある。中世では忌(イ)むべき対象としてその光に当たらないよう隠れたらしい。西行は、「忌むと言ひて影に当たらぬ今宵しも破(ワ)れて月見る名や立ちぬらん」と『山家集』でつぶやいている。<世間のひとは月食を不吉なこととして光に当たらぬようにしているが、私はむしろ余計に見たいと思わらずにはおれない。それで、奇...5000年後の天体ショーだった

  • 森とひとつになる

    一昨日、久しぶりに広大な県立森林公園に向かう。会場では森林セラピーで出会った人で構成される「フォレスト・バロン」が主催の「音楽文化祭2022」のイベントが行われていた。「バロン」とはバリ島の森の精霊のことだそうだ。初めての参加で要領がよくわからなかったが、出店とアート出展、音楽ライブや対談、冒険遊び場などが会場に並ぶ。森とひとつになる

  • まつろわぬ民の反乱!!

    真摯で矜持のある児童文学を上梓していた後藤竜二『野心あらためず/日高見国伝』(講談社、1993.8)を読む。以前から、読み終えるとピュアな魂の余韻が残る作家として注目していた児童文学者だった。「宝亀の乱」(780年)で起きた大和朝廷と蝦夷との抗争を題材にした物語だけに、歴史上の実在人物が登場する。主人公は、東北の先住民・アビという蝦夷出身の少年だ。この作品の焦眉は、大和朝廷と蝦夷という二項対立の構図ではないところにあるように思う。むしろ、蝦夷でありながら朝廷内で立身出世をもくろむ者、蝦夷を弾圧する側の先頭に立つ裏切り者、抗争より商売優先にしながらも蝦夷を支援する者、朝廷側の役人でありながら最後は蝦夷側に寝返るもの、どちらにもつかずに均衡を保つ者、徹底抗戦に生きる者等など、被支配側の中の多様な立場を描いてい...まつろわぬ民の反乱!!

  • 小さい秋にやってきた小さい虫たち

    今年の秋は昆虫が少ないというのが実感だ。とくにチョウ類が少ないし、ミツバチは著しい。もちろん、花の開花自体がいつもより少なかったこともある。自然界の微妙な感性がうごめいているような気配がある。そこへ、駐車場のコンクリートにのそのそ「フクラスズメ」の幼虫が歩いていた。いつもは、イラクサ科の葉を食べている。それを邪魔すると体を震わせて威嚇するほど気性が強い。幼虫の顔は黒いヘルメットをしているような頭部が不気味だ。フクラスズメの模様は派手だ。幼虫の背中の前方の模様には、いくつかのおじさんの顔を発見できる。お尻の方のその模様にはおじさんの顔は一人しか確認できなかった。こんなことは図鑑には載っていない。とは言っても、模様は個体により多様であるということだね、きっと。ニンジンの畝に行っていた和宮様が、「キアゲハの幼虫...小さい秋にやってきた小さい虫たち

  • 穏やかな秋をゆるりと生き抜く

    昨日は、プレイパークの遊具づくりの応援に行く。5日に県の公園で行う冒険遊び場に使う遊具を作るという。今まのプレイパークは、人がある程度集まると近隣から苦情があるようで、個人の場所ではなかなかその確保が難しくなったようだ。地方では開けた平地がないこともあるが、もともと人がどんどん少なくなっている。そんな中、幼児を持つ30代の親を中心にプレイパークをやるというのだ。渋谷に行けばひまな若者がわんさといるというのに、ここでは8人ほどの大人が大工仕事に汗をかいている。オイラは、様子を見て遊具そのものの制作にはあまり加わらないようにして、側面からのフォローに徹することにした。若い親や幼児たちの腹ごしらえのために、大量にいただいていた「里芋」をダッチオーブンで蒸すことにした。さいわい、近くに乾いた樹の根っこや枝の山があ...穏やかな秋をゆるりと生き抜く

  • 愛用の七輪真っ二つ !!

    名古屋から旧友が久しぶりに来ることになった。あわてて焚き火の準備をする。茶樹の根っこで熾火を作って七輪に放り込む。そのうちに、なーんと、七輪がスローモーションのように割れていったのだ。この七輪は元の地主が山に埋めてあったものを掘り出したものだった。だから、見るからに危ういガラクタでもあった。しかし、毎月のように使っていてもう10年は経っている。よく頑張ったものだと頭が下がる。確かに、ひびができていたのは確認済みだったが、こんなにきれいに割れるとは、人生初めての目撃となる。人間が衝撃を与えたものでもなく、みずから最後の姿を見せてくれたのだ。愛用の七輪真っ二つ!!

  • 往年の職人気質が石造物に出ている!

    前回に続き、路上観察が勢いずく。浜松駅に近い大通りをちょいとそれた所に、「金山神社」が静かにたたずんでいた。浜松の城づくりに必要な釘・くさび・蝶番・飾り鋲などを作る鍛冶衆を家康が呼んだという。まだ続くよー。往年の職人気質が石造物に出ている!

  • 隙間の路上観察だった

    先日、浜松駅近くを車で行った。久しぶりの大都会だった。山奥の山間地から出発してからどんどん外の世界が変わっていく。後期高齢者となって都会での運転はしばらくやってこなかったので心配もした。それでも、むかし都会に住んでいたオイラは路地裏レンジャーを自称して、時間があれば街歩きを楽しんでいた。ちょっと隙間時間があったので、マンホールの蓋を見て回る。三つのマンホールを発見した。いずれも旧浜松市の市章が真ん中にあるマンホールだった。隙間の路上観察だった

  • 建国の中心は関東・東北にあった !?

    人類は日本列島をめざして移動しながら拡散した、と「豪語」?している田中英道氏の『日本の起源は日高見国にあった』(勉誠出版、2018.1)を読む。地学専門誌からの引用として、日本の縄文時代の中期の人口は遺跡数の推定から約26万人と言われ、その東日本と西日本の人口比は、100対4だという。その後の気候変動により、弥生時代には100対68になる。うちわけは関東・近畿・九州は約11万人前後と地域的拮抗がみられる、という。要するに著者によれば、縄文の中心は東北にありそれが気候変動により南下することによって、関東の常陸の国が「高天原」となりそれが国のはじまりであり「古事記・日本書紀」の神話として表現されているとした。神が住む「高天原」はどこかということは諸説あるが、常陸説は古くは新井白石が唱えた説でもある。一般的には...建国の中心は関東・東北にあった!?

  • 「森の妖精」というより「月の女神」!!

    「不思議なイモムシが歩いておるぞ」と和宮様がわざわざ教えてくださった。さっそく参上すると、庭にきれいなアオムシくんがゆったり歩いていた。「森の妖精」というより「月の女神」!!

  • そして藁から合繊になった!!

    昨日は地域の祭礼があった。しかし、コロナのこともあり祭事だけでお祭りは中止だった。同じように、わが10軒の集落のお宮も祭事だけで一昨日のにぎやかな「直会」(ナオライ)は中止だった。今年は、初めて藁ではなく合繊のしめ縄が登場した。毎年藁で作っていたしめ縄をやめて、丈夫な合繊のしめ縄を購入したというわけだ。というのも、集落の頭数が減っていき、同時に高齢化が進行し、田んぼの藁の確保も難しくなり、毎年地元で作るしめ縄が作れなくなったのが理由だ。しかも、近隣のいくつかの地区も同じように合繊のしめ縄を購入となった。丈夫で金色に輝くのはいいが、光や雨ざらしに弱いので祭事が終わり次第、その日のうちに片付けとなってしまった。数年前には幟も購入したのでそれらの財政負担は年金だけの収入しかない生活者には厳しい。前回のブログで紹...そして藁から合繊になった!!

  • 日本神話のルーツは長江にあった、だと!!

    たまたまテレビで放映中だった岡本太郎特集。彼は人類は進歩していないと断言した。「太陽の塔」で表現したのはそのことでもあったという。太陽の塔の裏側に黒い太陽が描いた意味はそこだ。進歩だけが独り歩きしていた万博を一人で異議申し立てをしていた。その太陽の塔のルーツは縄文土器でもあった。そこに注目してきた安田喜憲『日本神話と長江文明』(雄山閣、2015.5)を読んだ。通信障害に抗して、まだ続きます。日本神話のルーツは長江にあった、だと!!

  • 木下恵介のまなざし

    木下恵介生誕110年を記念したシンポジウムに参加した。パンフには「庶民の日常生活に潜んでいる喜び、悲しみ、怒り、哀れを冷徹なまなざしで見つめながら、数多くの人間味溢れる傑作を世に送り出し、多くの観客を魅了」した、と的確な案内が記されていた。まだ、つづくよー木下恵介のまなざし

  • 木下恵介記念館は白亜の洋館だった

    友人の紹介があって「木下恵介記念館」に行くことになった。浜松の都会に出るのは何年ぶりだろうか。山奥から都会のビル群の風景の変容に圧倒される。近くの駐車場から歩いて記念館に着いたら、いかにもモダンな建物があった。前身は、銀行家らのサロンとして1930年に(昭和5年)建てられた「浜松銀行集会所」だった。浜松大空襲になんとか生き延びた貴重な歴史的遺産でもある。半円のアーチ窓の上の白壁にユニークなレリーフ模様があった。よく見ると、おじさんの顔のように見えたのは観察眼が鄙びた斜視のせいだろうか。当時の先端を切ったであろうこの白亜の洋館は、アメリカの旧スペイン植民地の建築様式の影響を受けた「スパニッシュ様式」のようだった。設計者は、浜松出身の中村輿資平である。木下恵介記念館は白亜の洋館だった

  • 世界史を大きく動かした植物

    前から注目していた植物学者であり、雑草にもいつも愛情を注いでいる稲垣栄洋さんの『世界史を大きく動かした植物』(PHPエディターズグループ、2018.7)を読んだ。つづく世界史を大きく動かした植物

  • 天然マイタケ到着!!

  • トンボの逆立ち

    酷暑のとある日、いつもは野鳥がくつろいでいるはずの電線にトンボがいた。トンボの逆立ち

  • 台風の爪痕まざまざと

    久しぶりに街に出かける。台風の爪痕まざまざと

  • 萩の花が No.1のわけは

    雑草の海のバタフライガーデンで、いま唯一花盛りなのは、萩の花だ。雑草に埋もれて命を落とした草木も多かったのに、萩だけは安心して成長をしてくれた。やせ地や裸地においてパイオニア植物として戦陣に馳せ参じる樹木である。茶畑の跡地に植えつけてすぐ反応が良かったのが「萩」だった。萩がなぜ古代人の人気になったかについて、万葉の歌人には「大和盆地」に縁のある歌人が多かったからという説がある。つまり、大和盆地の森林伐採・焼き畑農業による開発で、パイオニア植物の萩がよく見られたからだという。萩を育ててみてなるほどと思う。万葉集に詠まれた花を多い順に示すと次の通り。断然、ハギがトップなのだ。1位ハギ141首2位ウメ118首3位松79首4位橘68首5位桜50首6位葦507位ススキ47首(数字は引用者によって微妙に異なる)なぜ、...萩の花がNo.1のわけは

  • 茶農家には失敗だが !?

    お茶の花がいっぱい咲いていたが、いつのまにか一斉に落花していた。あわてて、枝を切り取って生け花の「茶花」としてみた。以前、農協の販売所で乾燥したお茶の花を一袋100円で売っていたので、購入し煎じて飲んでみた。お茶の渋味はなくきわめてまろやかだった。これだけだと物足らないので、ハブ茶と一緒に煎じて飲んでみた。やはりまろやかだった。健康に良さそうだ。お茶の花はツバキ科なので、ツバキの花に似ているが花弁は小さい。葉に隠れるように咲いていて、下を向いて咲いていることが多い。日本的で控えめな花ではあるが画像にするのが難しい。お茶農家にとっては、お茶の花が咲くのは落第なのだ。栄養が花に盗られて茶葉に行かないからだ。これだけ落花した茶畑は近所から笑いものとなる。そのお茶の花をいつもの投げ込み生け花にする。茶席があればい...茶農家には失敗だが!?

  • 日本の起源は東北 !?

    日本列島で1万年以上も継続した縄文時代。その文化の中心は東北だった。保守派の論客・田中英道は『日本の起源は日高見国にあった』との著作を著わした。荒唐無稽に見えた彼のセンセーショナルな意見は最近の考古学の発展などから意外にも現実味を帯びてきている気がする。そんななか、中津攸子(ユウコ)『東北は国のまほろば/日高見国の面影』(時事通信社、2013.8)を読む。従来も今も、人間の歴史は権力を手中にした勝者の歴史だった。敗者はその片鱗を残せないまま埋もれてしまった歴史でもある。「まほろば」とは、素晴らしい場所・住みやすい場所という意味だが、そんな場所が東北にあったというのだ。縄文人は弥生人のような農耕を選ばなくてもそこそこの生活は成り立っていたようだ。ヤマト朝廷や平安貴族が成立してもその延長線上で、つづく日本の起源は東北!?

  • それを食べたら死んじまう!!

    雑草の海と化したしまったバタフライガーデンは、少しずつ草刈りをしてきたので植栽してきた樹木はなんとか息絶え絶えだが生きている。そんな荒野の中で目立った雑草は、「ヨウシュヤマゴボウ」(ヤマゴボウ科)だった。それを食べたら死んじまう!!

  • 梅雨のような夏に涼んだ食彩は

    蒸し暑い夏だった。しかも、梅雨のような雨足が続いた。そんなとき、和宮様がひょいと出していただいた「シソおにぎり」と冷たいドリンクがシンプルな清涼剤ともなった。ご飯は玄米と雑穀からなるおにぎりだった。いかにもヘルシーでシンプルだった。そのおにぎりは、塩もみした自前のキュウリと焼きサケが基本だった。そこに、高菜や沢庵などを刻んだ漬物が混ざっていた。夏バテ気味になったとき、このおにぎりはお代りを止めるのが大変だった。程よい塩気が効いているのだろう。さらには、海苔巻きの代わりに野生化して勝手に生えているシソを巻いて頬張るのだ。葉の大きさがまちまちだから大も小も交えて巻いていく。シソのシンプルな匂いが充満する。シソが足らなくなれば庭に採りに行けばよいというわけだ。高価な海苔の消費を心配しなくてもいいのが安心だ。食べ...梅雨のような夏に涼んだ食彩は

  • 世界は仮説でできている!??

    ダビンチさんからの課題図書は夏ではなく秋になってやっと読み終えた。といっても、新書版で素人の立場をよく勘案してくれた内容だった。著者は科学番組のテレビで活躍している竹内薫さんなので、難しいサイエンスブックかと構えていたが、見事にかわされた。それが、『99.9%は仮説/思い込みで判断しないための考え方』(光文社、2006.2)だった。つづく世界は仮説でできている!??

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