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森とまちをつなぐ「半農半X」日記 https://blog.goo.ne.jp/takebei6491

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

武兵衛
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2019/06/10

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  • 地下の関ケ原の戦い

    知り合いのハンターがわが家の入り口で「モグラ」の死体を見つけた。ハンターが言うには、モグラの毛皮は滑らかでとても貴重なもので、パッチワークのものが高価であったという。確かに触ってみると滑らかで心地よい気がする。死んでいたところはコンクリートのところだったが、7~8m先にはモグラ塚が二つあった。きっとそこからやってきたのかも知れない。以前、「ヒミズ」の死体を見たが、それは手のひらの中に収まるかわいい小ささのものだった。地下の関ケ原の戦い

  • コゴミはワラビ・八ツ頭となった!?

    数株だったコゴミはいつのまにか広い畑となった。日陰だったデッドゾーンがいまやコゴミを踏まないように歩くようになったほどだ。おかげで、最近は食べきれないので近所や友人におすそ分けするようになってきた。ぐうたら農法そのものの真価?が出ている放任極地の畑だ。コゴミの収穫は一週間以内がいのち。一日でものんびりしていると、あっという間に時期を逃してしまう。きょうが最終日となりそうだ。ヤマビルも徘徊しているのでそそくさと収穫して、水洗いして近所に配る。さいわい、近所で栽培している人はいない。一昨日、焚き火会をしたときもその場で収穫して友人に食べてもらう。そのうえで、コゴミの根っこの株をプレゼントしたばかりだ。ついでに、ヤマウドの新芽の酢味噌あえを味わったり、裏山でワラビ採りも行う。近所にコゴミを持っていったら、肥料袋...コゴミはワラビ・八ツ頭となった!?

  • 明治の国周の役者絵は独壇場

    とあるカレンダーに幕末から明治に活躍した豊原国周(クニチカ)の役者絵を見た。明治の国周の役者絵は独壇場

  • 山菜を食べ始めた

    裏山の麓に「コゴミ」が一気に伸び始めた。山菜を食べ始めた

  • 荒涼とした戦渦となった

    一頭のオスジカの侵入は、和宮様のご令嬢夫妻が一日かけて構築された防獣網を数分のうちにほぼすべてを破壊した。網のスタート地点隣にあった桜のブルーの囲みも見事?になぎ倒した。ここにはなんども若芽や幼枝を食害されてきた桜が囲いのおかげでようやく大きくなってきたばかりだった。さいわい、桜の木は折れてはなかった。ただし、近くに植えた買って間もない花桃の若い枝が二か所折れたのが最大の損傷だった。それにしても、シカのけん引力は牛と変わらないくらいのパワーだった。ふだんは、歩行がてら気ままに食害しているので、「まあしょうがないかー」くらいで済んでいたのだが、イノシシと変わらない戦跡を残していった。オスジカの剛毅な角が網に絡まって今回は仇となった。角のない雌だったらとっくに自由への逃走を実現できたであろうに。防獣の支柱はい...荒涼とした戦渦となった

  • オスジカの悲劇

    珍しくいつもより早めに起きて畑で作業を始める。入り口を開放していた畝立て間もない小さな畑に動物の新しい足跡があった。大きさからシカの侵入に違いない。四方に囲まれた狭い畑へよくも侵入したものだとそのゆるりとした判断に油断を禁じ得ない。それもそのはず、隣の雑草園となったガーデンに足を踏み入れたら、突然物音がしてシカが逃げ出した。しかし、周囲は防獣網が巡らしてあるのでシカはそこへ突入を繰り返したに違いない。あっという間に、オスの角はその網の餌食となった。シカを追っていくと、画像の左側の空間の網を突破して外側に出たようだった。しかし、網が角に絡んで外に出たもののそれでは逃走できないで後ろ向きになっていた。それで、近所のハンターに連絡すると、すぐに応援に駆けつけてくれた。それを察してか、シカは下の道路に何とか飛び降...オスジカの悲劇

  • 冬越しに成功

    トンネルカバーを補強していたら、陽当たりをしていた「ツチイナゴ」がいた。飛翔はあまり得意ではないらしく近づいてもじっとしていた。いや、いい気分で春の陽ざしを満喫していたツチイナゴにとっては迷惑千万だったかもしれない。イナゴの成虫を今の時期に見るのは珍しい。ツチイナゴは、頭から翅の付け根までまっすぐな黄色い線があり、また、複眼の下には涙の跡のような黒い帯があるのが特徴だ。日本のバッタは卵で越冬するのが普通だが、ツチイナゴはその反対で10月頃成虫になり、そのまま越冬し、翌年の春頃から活動する生存戦略を選んでいる。とはいえ、冬にはカマキリなどの天敵がいないものの、モズにとっては格好の標的になってしまう。そんな生きるはかなさが複眼下の涙模様というものなのかもしれない。いっぽう、しばらく履いてなかった玄関の長靴に蜘...冬越しに成功

  • 春の来訪の常連メンバー

    初春の到来にいち早く駆けつけてくれたのは、一輪の「ショカッサイ」だった。3月上旬ごろ、偶然、和宮様が発見されたものだった。それはこぼれ種から開花したものらしく、その場所は雑草も生えていないくらいの隙間からだった。雑草だらけのガーデンにグランドカバーにしていきたいショカッサイだった。3月中旬ごろになると、ヒメスミレが石垣の隙間から顔出しする常連メンバーだ。はじめは赤ちゃんのように小さかったが、だんだん大きくなってくる。いわゆる「スミレ」の花よりやや小さい。「スミレ」の葉は、へら型でその茎には「翼」というふくらみがある(画像矢印部分)。ヒメスミレにはその翼がない。スミレとヒメスミレとのわかりやすい違いはここを見ればいい。ヒメスミレのそばには、外来種の「アメリカスミレサイシン」がやはりコンクリートの隙間から純白...春の来訪の常連メンバー

  • 猫好き国芳の寄せ絵

    国芳らしい奇才の寄せ絵の本領発揮の浮世絵を入手する。猫好き国芳の寄せ絵

  • バイオトイレやっと復旧 !!

    2週間前、バイオトイレが止まって以来、やっと復旧作業が完了し使用できるようになった。時間がかかったのは、本体の基盤が壊れたが製造停止で新たなバージョンの基盤の入荷を待っていたからだ。作業を快く受けてくれたのは、吹田市にある仮釘・隠し釘で有名な「kkダイチク」のバイオトイレ担当だった。バイオトイレやっと復旧!!

  • なにこれー、いつからー??

    このところ、雨や突風さらには冷温などの気候変動に翻弄され、人間も植物もその変化についていけないさなかにある。先月下旬に咲き始めた河津桜も不完全なまま満開の華美を見せないまま花を落としてしまった。満開にするべきかどうか、さんざん迷ったあげく満開になる前にタイムアウトとなったようだ。今はもう、葉桜となっている。わが家には、この河津桜と八重寒緋桜が3月20日ごろに満開ちなり、八重桜の「ショウゲツ」が4月20日ごろに満開となる。ところが最近、人間も植物もどうもくたびれ気味で華麗な花に陰りが見えてきた。そんなとき、カワヅザクラの根元に「鼻輪」を発見。なぜこんなに食い込んでいるのかわからない。シカの食害を食い止めるためのものか、樹木を支える単なる支柱のためのものか、はたまた、動物をつなぎとめるためのものだったか当局に...なにこれー、いつからー??

  • コゴミを移植する

    わが家と裏山との境は日陰でしばらくデッドスポットになっていた。そこに、コゴミの苗を植え付けてからどのくらいたったのだろうか。コゴミにとっては環境が良かったようでどんどん増殖していき、最近では通路にまで進出してきた元気の良さだった。そこで、畑の方の日陰のあるスペースに十数株を移植することにした。コゴミの正式名はクサソテツ(草蘇鉄、コウヤワラビ科)である。その若芽をコゴミ(屈)といい人気のある山菜だ。灰汁も無く、30秒ほど茹でればすぐ食べられる。若芽の1本だけを残して収穫すれば絶滅することはない。毎年、4月上旬には収穫が始まるからあと2週間もあれば収穫が始まるが、移植した苗は若芽をつけてくれるかどうか。コゴミは収穫してまもなく萎れてしまうので、スーパーなどに出回ることは少ない。その意味で、貴重な春の山菜でもあ...コゴミを移植する

  • つまみ食いされたが…

    今年のフキノトウの生育は気候不安定のせいか思わしくない。今年は全部で20個くらいはできたのだろうか。往年は100個を超えていたのに。近所の放置された所には立派なフキノトウの群落が出ているが人様の土地なので見るだけなのが残念。だから、まずは採らないでがまんしていたのに、誰かがその芽を盗んでしまっていたのだ。被害は5~6個くらいだった。フキノトウは数年すると移動するように思えた。開拓者としてはたくましいが、同じ場所にいるのは飽きっぽいのではないかと推察している。5~6年もすると、その場所からいつのまにか消えてしまうことがある気がする。さて、その犯人だが、どうもフキノトウのそばにいたのはタヌキではないかと当局はマークしているようだ。しかし、様子に元気がない。ふつう、人間に見られたらすぐ逃げるのだが、その気配がな...つまみ食いされたが…

  • ボケに癒される

    過密の都会から過疎の田舎に移住したとき、入り口に小さなボケの木があった。それがいつの間にか大きくなった。ボケに癒される

  • 福岡の今を創った男たち!!

    明治維新が終わって間もない、明治12年(1879年)福岡に「玄洋社」が誕生した。その顔触れを見るとそうそうたる人脈と幅広いビジョンを持った活動に目を見張る。事実上歴史に抹殺されたその歩みを発掘した、石瀧豊美『玄洋社発掘/もうひとつの自由民権』(西日本新聞社、1997.8)を読む。民権運動といえば高知の「立志社」が有名だが、「玄洋社」の名前は知らなかった。オラの生齧りの知識からは壮士的な右翼組織くらいにしか思えなかった。しかし、その社員名簿や関係者には地元の実業家・政治家に根差した人脈が多いことがわかった。総理大臣になった広田弘毅、吉田内閣のときの副総理で朝日新聞福社長・緒方竹虎、作家夢野久作の父であり政財界のフィクサー・杉山茂丸、日独伊三国同盟を支持していた衆議院議員・中野正剛は、独裁的な東条英機と対立す...福岡の今を創った男たち!!

  • 福岡の今を創った男たち!!

    明治維新が終わって間もない、明治12年(1879年)福岡に「玄洋社」が誕生した。その顔触れを見るとそうそうたる人脈と幅広いビジョンを持った活動に目を見張る。事実上歴史に抹殺されたその歩みを発掘した、石瀧豊美『玄洋社発掘/もうひとつの自由民権』(西日本新聞社、1997.8)を読む。民権運動といえば高知の「立志社」が有名だが、「玄洋社」の名前は知らなかった。オラの生齧りの知識からは壮士的な右翼組織くらいにしか思えなかった。しかし、その社員名簿や関係者には地元の実業家・政治家に根差した人脈が多いことがわかった。松下幸之助・稲庭和夫や松岡修造・大谷翔平らに影響を与えた中村天風も「玄洋社の豹」と言われるくらい狂暴だったが頭山満に預けられ、その後軍事スパイとして満州・蒙古で暗躍、戦後は自己啓発の思想家として実業界やサ...福岡の今を創った男たち!!

  • 昔のほうが楽しかったなー

    定例の寄り合いが終わってから、70歳前後となった元「青年たち」に思春期から青春時代の話を聞いた。おおまかにまとめると。まず第一は、お酒の話。「酒にすべてを注ぎ込んだような青春だったよ。ひとり1升飲むのはふつうで、近所の家を軒並み訪問してはそこで飲んだものよ。みんなで1斗や2斗は飲んだかもね。当時はどこの家に行っても同級生がいたからね。」第二は、学校でのこと。「中学・高校になると寮生活があって、親子の接触がなかなかなくなってしまった。「部活」も一年に休みが4日くらいしかないくらいへとへとの練習を積んだのに、県大会ではいつも連敗続き。でもそれが今の仕事の頑張りに生きている。」「国道がまだ舗装されていなくて、買ってもらった自転車で通学していた。山からガタゴト降りてきて帰りは暗くてしかも急坂を登るのがとても大変だ...昔のほうが楽しかったなー

  • 水源地を掃除する

    二か所の水源地を掃除に行く。ここ数年の大雨や台風の影響で取水しているわが集落の上流の状態を確認がてら掃除する。水源地を掃除する

  • 江戸より続いた平安王朝の復権

    戦国時代で視聴率を忖度してきた従来の大河ドラマに対して平安王朝を対峙させた意味が大きい。それを提起したのが、関幸彦『藤原道長と紫式部/貴族道と女房の平安王朝』(朝日新聞出版、2023.12)の新書本だった。江戸より続いた平安王朝の復権

  • バイオトイレが止まった!!

    前々から調子は悪かったが、なんとか続いてきて約15年が経ったバイオトイレが止まってしまった。糞尿とおが屑をミックスしてスクリューで回転して攪拌する。それを2~3ヵ月してからそれをかき出して畑の際に投入し、土や落葉・枝などを上にかけておく。すると、いつのまにか発酵が始まって栄養ある土・肥料になっていく。江戸から昭和30代くらいまでは、人糞が重要な肥料だった。オラが小さいころ、親父が人糞を畑にまいていたのを見たことがある。そんな有機肥料を産むのがバイオトイレだということで、15年ほど前に導入。山小屋ではこれが有力なトイレだったが、個人では極めて少なかったようだ。おそらく、わが町ではわが家が導入の第1号だったのではないかと思う。故障の原因かなと、手元の運転スイッチを分解して接触関係を見てみる。ところが、分解する...バイオトイレが止まった!!

  • 焚き火の効能

    2月末から3月初旬にかけて、毎日のように防獣柵の補修に追われた。同時に、柵に絡まっていた周辺のツル植物等を除去していく。その草取りの方が時間がかかった。ツル植物のアケビをはじめクサイチゴ・ススキ・コセンダングサ等に手こずる。普通なら、除去した雑草は肥料として活用もしたが、放置していると逆襲にあってしまう。その結果、火あぶりの刑を執行せざるを得なかった。なにしろ、その積んだ残骸が1m50cm近くの山になっていたからね。それらの植物の上に剪定した太い枝を乗せておくと舞い上がる火の勢いを抑制することができる。焚き火はこのところ直火ではなく、半切りしたドラム缶でやっている。すると火の安全上でも管理がやりやすくなるのがわかった。いつもだと、火の有効利用として定番の焼き芋ができるはずだったが、サツマイモの確保を忘れて...焚き火の効能

  • 児雷也の妖術の出番だ

    歌舞伎ファンではないが、歌舞伎カレンダーが気に入っていてネットでなんとか確保する。1~2月の浮世絵は、八代目市川團十郎の児雷也だった。作者は、三代目豊国(一代目国貞)、版元は林屋庄五郎、彫師は彫竹、タイトルは「直福蒔宝子、実ㇵ児雷也」というもの。「宝子」は女性を表すので女装の児雷也ということになる。児雷也の妖術の出番だ

  • なんとか桜が開花したが

    わが畑の脇の桜がほぼ満開となった。なんとか桜が開花したが

  • 水源地が危ない!!

    昨年の台風の影響で、水源地への道に亀裂が走った。オラたちの水源は二つの川からだった。その川には小さなタンクがあり、定期的にタンクに詰まった砂利や枯葉を排除することになっている。したがって、その川の水源に行くには車では行けなくなり、徒歩で数十分かけて歩くしかないという状況になったわけだ。山から流れ出た雨水は林道の一部を崩落させた。集落の人らが作ったコンクリートの一部が壊れ始め、亀裂が100mほどできてしまった。その亀裂の中に雨水が浸入すると道そのものが崩落してしまうので、とりあえずブルーシートで蔽いをしてできるだけ雨の侵入を防ぐ。そんななか、その道路がどれだけ下がっているかを住民が自前で調査している。よくわからないが、レーザーの水準器のようなものを持ち込んでいる。画像首の下の緑の線で調整している。この数値を...水源地が危ない!!

  • 謎は解けたがもう会えないか

    5~6年前だろうか、小さな店の駐車場で何気なく撮っておいた車のカラフルなロゴの社名がわからないでいた。ずっと気にはなっていたがやっとそれが「ニッサン・ルネッサ」であることが判明した。赤・青・緑のカラーで言えば、イタリアの「アルファロメオ」のロゴが斬新だった。しかし、いろいろ探してみたが外車にはなかった。ロゴの「R」は、二重にダブっているように見えた。その「R」とは、「Run」「Recreation」「Relax」の三つの意味がある。趣旨はファミリーカーの親しみのある乗り心地のようだった。販売期間は1997~2001年で、一代限りのレアな車種となった。ただし、その開発は後の「リーフ」誕生のきっかけとなった。その後、ルネッサのこのロゴとは一度も会っていない。デザインはシンプルながら色彩豊かなお気に入りの一つだ...謎は解けたがもう会えないか

  • 「浜野矩隋」は実在のアーティストだった

    五代目圓楽の人情噺にまたまた酩酊する。「浜野矩隋」は実在のアーティストだった

  • 鐘が鳴るとき、運命が廻り始める

    雨が続きそうなのでこれチャンスと、若者たちで好評を博した『ダブリンの鐘つきカビ人間』のDVD[2002年版]を観る。2002年の4~5月には6か所で全国公演が繰り広げられた。その後もキャストや内容も再編され公演は続けられ、2020年に久しぶりの再演を予定したがコロナ禍で中止となった。背景は、アイルランドらしい中世で起きた人によって症状が違う奇病の蔓延によって町が衰退し、森が広がり魑魅魍魎が巣くう田舎での出来事だ。誰も近づきたがらない醜い容姿となったカビ人間と、思っていることの反対の言葉しか喋れなくなった美しい娘「おさえ」が主演となっている。2002年版の主演は大倉孝二と水野真紀だが、その後、佐藤隆太と上西星来らも主演している。王様はいずれも原作の佐藤ひろひとが担っている。(画像はELTRAのwebから)ア...鐘が鳴るとき、運命が廻り始める

  • 「犬神博士」の破天荒な回想奇談

    昭和6年(1931年)に「福岡日々新聞」に連載されたという夢野久作『犬神博士』(角川文庫、1974.7)を読む。ときあたかも、満州事変が始まり軍部の中国侵略が本格化していく背景での執筆だった。表紙のイラストは俳優の米倉斉加年(マサカネ)。本書を読み進んでいくうちに、この表紙の人物は犬神博士だったんだと思うようになり、米倉の感性の鋭さに脱帽する。この眼の鋭さは本書の主人公の人間や社会を見る心眼そのもののように思えた。残念ながら、新聞社の都合で連載は未完で終わったようだが、連載が続いたならば長編の代表作になったに違いない。冒頭は、博士の幼児時代の哀しくもまた痛快回想録というところからスタートする。本当の親かどうかわからないいかさま旅芸人のもとで赤貧の暮らしと虐待体験を受けながら各地を放浪する。そこでこれでもか...「犬神博士」の破天荒な回想奇談

  • 焙煎を忘れる

    野生化しているハトムギ・エビスグサ・エゴマのご三家の収穫が終わり、いよいよ食べたり飲んだりの段階にやっと到達した。焙煎を忘れる

  • 豹柄のマンホール!?

    先月末の横浜での路上観察の続き。消火栓のマンホールの外縁に豹柄があった。オレンジ色とよくデザインがマッチしていて消火栓のイメージを変える斬新なマンホールだ。外縁の下側には消火栓を意味する「FireHydrant」を刻印しているのは外国人にも優しい。中央の「消火栓」のフォントもよく見るとデザイナーの伸びやかなセンスが伝わってくる。なお、中央の地紋のマークは横浜の波を表したのではないかと思ったが、わからない。また、歩道の煉瓦をそのまま採用したマンホールもあった。最近は水道局のマスコットを中央に配置するのもあるが、これはその前に作られていると思われるオーソドックスな「市章」がでんと鎮座する。ちなみに、そのまーくは、「ハマ」を合体させた横浜市の市章である。受枠には■マークを配列している。これだけでは水道用か下水用...豹柄のマンホール!?

  • キツネにだまされなくなったのは…

    車に乗ると五代目圓楽の落語が流れる。名人の落語はやはり聴きごたえがあり、B級らしき落語家の話は残念ながら話の彫りがなく飽きやすい。落語の「王子のきつね」はいろいろな人が演じているが、ひとを化かすキツネが人間から化かされるという「逆さ落ち」の代表的な噺。絶世の美女に化けたキツネがインド・中国そして日本に流れたものの、正体を見破れられて硫黄の臭う那須に逃れて「殺生石」になったという話が残っている。芭蕉が「飛ぶものは雲ばかりなり石の上」を紹介するところは圓楽らしい。そんな噺を聞いて間もなく、内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社、2007.11)を読んだところだった。哲学者の内山氏はいつものように易しい言葉を重ねつつも、ずっしりした中身は変わらない。キツネにだまされなくなったのは…

  • 冬は防獣柵の補修が日課となった

    春から秋にかけて畑の防獣柵がたびたび破壊される。そのたびに一時的な補修はしたが、晩秋にはそのままにしておいた。破壊者の主犯はシカである。壊されたところに突風が吹いてダメージは連鎖となっていく。場所によっては体当たりしたような箇所もあり、購入した支柱が曲がってしまったのもあった。そこで、寒風の中少しづつ補修をすることにする。まずは購入したやわな支柱は使わないで近くの太めの竹を伐ってきてそれを支柱にしていく作業を手始めとしていく。その竹を2mくらいに伐り、先端をナタで細くして土中に建てていく。ついでに、畑の範囲を広くとって、葉を食害されていた幾本かのアジサイの救出を兼ねて防獣柵を拡大した。支柱だけでは強度がないので打ち込んだ支柱と支柱をつなぐ横の竹棒を補強していく。それにはかなりの長い竹の確保が必要となった。...冬は防獣柵の補修が日課となった

  • 熱量放射のチームワーク

    東京では久しぶりの大雪だが、オラたち界隈は思ったより雨が多い日となった。予定していた農作業ができないので、前から気になっていた「髑髏城の七人」(劇団「新感線」)の舞台DVDを観る。熱量放射のチームワーク

  • 意外にオーソドックスなデザイン

    港が見える丘界隈の横浜をひょっこり歩いてみる。公園には保育園や幼稚園の子どもたちの絶好の場となっていた。おらはそこから一歩外を出て、いつものマンホール探しを始める。やはり、最初に出会ったのは横浜を代表するベイブリッジを刻んだマンホールだった。yokohamaの横文字と4羽のカモメかウミネコかわからないが海鳥が描かれている。雨水用か汚水との合流型か明記されていなかったが、12個の穴が開いていた。同じデザインでもその個数が違うのもあるらしい。外側の受枠は■模様が散りばめられていた。その近くに、汚水と雨水とが並んでいるマンホールがあった。地の模様はシンプルな菱型だが、その線が太いのと細いのとが交互に構成されていた。これは滑り止めを考慮したのだろうか。地紋が同じなので汚水と雨水とがわかりにくい。中央の「W」は、w...意外にオーソドックスなデザイン

  • 光栄の路 向かう所は 墳墓のみ

    故あって横浜を訪れた。光栄の路向かう所は墳墓のみ

  • 上を向いてばかりって、疲れるよ

    やっと、キウイの剪定を終わらせる。寒さと寒風の中の作業なので老体にはこたえる。だもんで、4日間をかけてのんびりやることにする。今回は幅十数センチの古木を数本強剪定する。ここ数年、オラたち人間もキウイも後期高齢者となっているのでお互いにやれる範囲のことだけをやることを暗黙の同意としている。なにしろ、秋にはエノキダケらしきキノコが生えてきてしまったからね。上を向いてばかりって、疲れるよ

  • 破天荒の怪人伝

    夢野久作『近世怪人伝』(文春学芸ライブラリー、2015.6)を読み終える。冒頭に紹介された「頭山満」は、日本の対外膨張政策を推進する右翼的な黒幕でありながら、中国革命の父・孫文、朝鮮独立の闘士・金玉均、インド独立の革命家・ボースなどの指導者を匿ったり支援した「玄洋社」の豪傑である。その後は自由民権運動へと流れていく。(画像は国立国会図書館webから)子どものころから頭山満に可愛いがられていた著者は、頭山満の客観的な忠君愛国的活動というよりその好々爺ぶりや超然とした風格を講談調に紹介してくれる。著者の父・茂丸が亡くなったとき顔をくちゃくちゃにして泣いてお別れする頭山氏を忘れない。肩書・名誉・金銭に拘泥しない巨頭の赤裸々な人間的自然をユーモアを持って逸話の数々を語る。著者が「明治・大正・昭和の歴史に出てくる暗...破天荒の怪人伝

  • アダンソンさんを献名した蜘蛛

    夕飯を食べて一服した時のこと、目の前に小さな蜘蛛がいた。いつか見たことがある気がしたがとりあえずデジカメで撮ってみた。しかし、いつものように名前がわからず難航する。おそらく、ハエトリグモらしいことに落ち着く。とは言っても、この仲間は日本に100種類以上もいて、姿も色も模様も多様であり、雄雌の違いもえらく違う。その中で、家蜘蛛の「アダソンハエトリ」が一番似ていることをまずは突き止める。名前は、フランス人博物学者のミシェル・アダンソン(1727-1806)さんの業績をたたえて、フランスの昆虫学会の創立者の一人、ビクトル・オードワン(1797-1841)さんが献名した蜘蛛だ。アダンソンさんは、博物学全書全10巻をまとめようとしたり、植物分類法を提案したりしたが事実上不発に終わったが地道な研究にリスペクトしたとい...アダンソンさんを献名した蜘蛛

  • アダンソンさんを献名した蜘蛛

    夕飯を食べて一服した時のこと、目の前に小さな蜘蛛がいた。いつか見たことがある気がしたがとりあえずデジカメで撮ってみた。しかし、いつものように名前がわからず難航する。おそらく、ハエトリグモらしいことに落ち着く。とは言っても、この仲間は日本に100種類以上もいて、姿も色も模様も多様であり、雄雌の違いもえらく違う。その中で、家蜘蛛の「アダソンハエトリ」が一番似ていることをまずは突き止める。名前は、フランス人博物学者のミシェル・アダンソン(1727-1806)さんの業績をたたえて、フランスの昆虫学会の創立者の一人、ビクトル・オードワン(1797-1841)さんが献名した蜘蛛だ。アダンソンさんは、博物学全書全10巻をまとめようとしたり、植物分類法を提案したりしたが事実上不発に終わったが地道な研究にリスペクトしたとい...アダンソンさんを献名した蜘蛛

  • 野生化したハトムギを飲む!?

    なかなか入手できなかったハトムギの種を確保したのは三年前だろうか。たしか10粒くらいだったが、あっという間にぐんぐん増えていった。以前、和宮様のイボがハトムギを摂取することできれいになくなったことがある。お肌もきれいになるし、健康に良いことは間違いないが、栽培方法がわからなかった。とりあえず、種を蒔いて成り行きに任せる。その結果、野生化が始まり、唐箕で脱穀を始める。種を見ると、白いものが多い。光沢のある茶色いのが基本だが、いろいろな模様や色がある。最初は畑で栽培していたがその繁殖力にたまげたまま、畑の脇で見守っていたら野生化が始まったというわけだ。白いのや模様のあるものには実が成っていないのもあるのが分かった。なるべく、輝く黒褐色の実を中心に実を選定すると、収獲の半分近くを処分することになる。なんとなくも...野生化したハトムギを飲む!?

  • 円朝の人情噺を圓楽が…

    五代目圓楽の真骨頂ともいうべき「助六伝」に感銘して、引き続き、今度は落語界や歌舞伎でも多くの芸人が演じている「文七元結(モットイ)」をCDで聴く。賭博のため困窮していた左官・長兵衛が、大金を失くた責任をとって身投げしようとしていた文七を助ける。そのうえ、身売りして親の借金を工面しようとした長兵衛の娘の資金によって文七の過失を解決する。文七が身投げしようとしたのは隅田川の「吾妻橋」。投身の場所としてしばしば落語でも登場する「名所」らしい。文七は店の主人から預かっていた50両を失くしたが、長兵衛は命には代えられないとせっかく入手した50両を文七に与えてしまう。圓楽の師匠の「五代目圓生」は「この噺を演ると目が疲れていけない。ぐったりする。」と言っていたという。身投げする文七を助けようとするときの長兵衛の断腸の葛...円朝の人情噺を圓楽が…

  • 円朝の人情噺を圓楽が…

    人情噺の名作を演じた五代目圓楽の「助六伝」に感銘して、引き続き、今度は落語界や歌舞伎でも多くの芸人が演じている「文七元結」を聴く。円朝の人情噺を圓楽が…

  • 図鑑に載っていなかった希少種

    夏や秋には夜の訪問者が多いわが家に、冬のさなかにやってきたのは…。1cmもないような小さな昆虫だった。カマドウマかバッタの子どもだろうかと何気なくカメラで撮ってみたものの、正体不明だった。まもなくそれは、「クモガタガガンポ」(ガガンポ科)とわかった。北海道では普通に見られて別名「ニッポンユキガガンポ」ともいう。図鑑に載っていなかった希少種

  • 圓楽の「助六伝」のリアル

    五代目三遊亭圓楽の古典落語をCDで聞く。演目は「江戸桜心灯火(エドザクラココロノトモシビ)/助六伝」。圓楽の実家は台東区の浄土宗・不退寺易行院、通称「助六寺」とも言われていた。その本堂脇に「助六の塚」があり、六代目市川団十郎(1778-)が建立している。若い女郎の過去帳や無縁仏もいっぱいあったという。そんなところから噺が始まっていく。歌舞伎の「助六」というと、七代目団十郎が定めた歌舞伎十八番・「成田家お家芸」の主要な演目の一つだ。「勧進帳」「暫」と並んで上演回数の多さは群を抜く。侠客の助六が源氏再興のための宝刀を探索していると、吉原の花魁「揚巻」に出入りしている金持ちの「意休」が宝刀を持っていることがわかる。恋人揚巻とともに助六が危機を乗り越えその宝刀を奪っていくというストーリーだ。その助六のファッ...圓楽の「助六伝」のリアル

  • インドの砂漠に緑を実現した日本人

    新型コロナで体力を消耗していた市井のダビンチさんから本が送られてきた。杉山満丸『グリーン・ファーザー/インドの砂漠を緑に変えた日本人・杉山龍丸の軌跡』(ひくまの出版、2001.12)だった。曾祖父は、玄洋社で右翼の大物・頭山満とともに活躍していた政財界のフィクサー・杉山茂丸。祖父は広大な杉山農園をにない、夢野久作というペンネームで注目を浴びた作家でもある杉山泰道。父は、ガンジーの弟子と交流があり当時のネール首相からの要請もあり、インドの砂漠を緑化する活動を始めた杉山龍丸。その息子で高校教師をしている著者の杉山満丸。なにやら戦前から現在まで明治・大正・昭和の波乱万丈を生き抜いてきた杉山一族であるのが予感できる。本書は、息子・満丸が中学生でも読めるよう杉山家三代のなかでもあまり知られていなかった杉山龍丸の前人...インドの砂漠に緑を実現した日本人

  • 新年に恵贈された恵みは…

    新年早々、近隣から断続的に贈り物が届いた。元旦には、手作りの「芋汁」をいただく。このへんの地域では、ヤマノイモの汁を「芋汁」という。地元ではヤマノイモ栽培が活発だ。贈答品としても高価な食材になっている。それを大晦日から寝ない?でなんどもすり鉢で擦ったものだけにまろやかなとろろ汁だった。わが家は玄米食なので麦飯もどきと言っていい健康食でもある。ありがたく新年の食事を持ってきていただいた芋汁でスタートすることとなった。これは幸先にいい年になる気配を感じる。さらにまもなく、山の猟師から獲りたての「シカ肉」をいただく。年末から新年にかけて集中的に増加するシカを撃っているという。シカにやられ放題だっただけにそれはそれは有難い。さいわい、和宮様が最近とんかつを食べていないので、せっかくなのでシカ肉の「カツレツ」を作っ...新年に恵贈された恵みは…

  • 竹垣の青き切り口年明ける 高野清美

    年末から年始にかけて、庭にあった植木鉢に防寒対策をする。オラんちの庭は冬には陽が全く当たらなくなる。そこで、畑の隣で陽当たりがよさそうな所に植木鉢を移動して防寒対策をしようとするわけだ。地上から10~20mほどの所に厚い板をかけ、そこに植木鉢を運搬する。つい水やりを忘れ枯らしてしまった失敗も重ねている。次は、支柱をX状に打ち込んでから寒冷紗を被せるが、そこにグラスファイバーの支柱を入れてパッカーで補強する。これは失敗の試行錯誤から産み出した創作作業だ。この作業は風が強い時を避けないとふりだしに戻される。しかも、寒冷紗の上にビニールを被せるから余計だ。ビニールシートに穴あけもしてあるので喚起や雨浸透もなんとかクリアする。強風をさらに緩和するために竹を伐ってきて両側に補強する。内側には刈り取ってきた枯れ草をた...竹垣の青き切り口年明ける高野清美

  • 砂漠のポツンと一軒のカフェで…

    録画で映画「バグダッドカフェ」を観る。制作は西ドイツとアメリカとの合作だが、舞台はロサンジェルスとラスべガスを結ぶ砂漠の中のハイウェイ沿いにあるモーテル・カフェだ。監督はパーシー・アドロン、1987年公開の映画。監督も出演者も有名とは言えなかったが、ミニシアターで上映されて以来80年代でロングランヒットとなる。荒涼とした砂漠のハイウェイにトラックが無機質に走り、その脇に貨物輸送の鉄道がとおる。そこに褐色の砂漠に褐色の夕日がときおり映し出される。そんな中、いかにも場末の殺風景なカフェであることに意味が込められている。そのため、お客もまばらで経営もやる気のないわけあり家族がたむろする。そこに、夫婦喧嘩で別れた巨体のドイツ人妻が車から出て砂漠を歩きだす。必死の思いでたどりついたのがこのカフェだった。そのカフェの...砂漠のポツンと一軒のカフェで…

  • 真言から祝詞へ

    集落の小さな神社で元旦で新年会を午前7時ごろから行う。数年前までは、午前0時前に集まり、新年が来ると同時に「あけましておめでとう」のあいさつを行っていた。そのときに、サンスクリット語の真言をみんなで唱えていた。しかし、その意味を解する人が一人もいなかった。そこで、おらがたまたまその当番に当たってしまったので、わかる言葉の祝詞にしようと提案したら全員一致で了承された。その新年の祝詞は、一般的によく使われている「祓え給い、清め給え、神(カム)ながら守り給い、幸(サキワ)え給え」という言葉だ。たまたま知り合いからいただいていた「獺祭(ダッサイ)」の大吟醸・磨き二割三分と炭酸がある獺祭の「スパークリング」を奉納する。祝詞が終わるとともに、みんなで獺祭を堪能する。一応に「うまい」の連発。酒が苦手の人もすいすいスル...真言から祝詞へ

  • 心の平安こそ時代閉塞を拓く

    あけましておめでとうございます。ネットやスマホやAIの飛躍的な発達がわたくしたちの生活を便利に変えていっているにもかかわらず、世界は人間どおしの殺戮や戦争が拡大し、気候変動による全地球的災厄が日々を襲ってきている。それで時代は・人間は進歩・成長しているのだろうか、という根源的問題が問われている。そんなとき、やや説教的提起だが、沖縄国際大学の福里盛雄教授の次のような「人生雑感」が宮古毎日新聞の2024年元旦号に掲載されていた。「心が平安であれば、問題課題に遭遇しても、その問題課題から逃避することなく、全力を集中して、その問題課題を解決していく努力の継続の過程に成長のための大変有益な力となるエネルギー源が隠されていることを知ることができるのです。そして、問題を一つ解決するごとに一段一段と人格的にもその人は魅力...心の平安こそ時代閉塞を拓く

  • 心の平安こそ時代閉塞を拓く

    あけましておめでとうございます。ネットやスマホやAIの飛躍的な発達がわたくしたちの生活を便利に変えていっているにもかかわらず、世界は人間どおしの殺戮や戦争が拡大し、気候変動による全地球的災厄が日々を襲ってきている。それで時代は・人間は進歩・成長しているのだろうか、という根源的問題が揺らいでいる。そんなとき、やや説教的提起だが、沖縄国際大学の福里盛雄教授の次のような「人生雑感」が宮古毎日新聞の2024年元旦号に掲載されていた。「心が平安であれば、問題課題に遭遇しても、その問題課題から逃避することなく、全力を集中して、その問題課題を解決していく努力の継続の過程に成長のための大変有益な力となるエネルギー源が隠されていることを知ることができるのです。そして、問題を一つ解決するごとに一段一段と人格的にもその人は魅力...心の平安こそ時代閉塞を拓く

  • 一度きりの人生、眺めのいい人になろう!!

    無頼派作家の二日酔いをきりりと覚醒させた人物群がいた。指針が見えない著者にその手を差し伸べてくれた綺羅星のごとき人たちを紹介したのが、伊集院静『眺めのいいひと』(文春文庫、2013.5)だった。その最初に登場したのが、著者の師である色川武大ことギャンブルの神様・阿佐田哲也だ。人間はそれぞれ何かを背負わされて生きていて、そこから逃れることができない。己のどうしょうもない生に狼狽え、傷付き、戸惑い、亀裂的な哀愁をかかえる。戦争はそうしたものを狂気や殺戮へと誘う。そんな背景を抱えながら阿佐田は『麻雀放浪記』をヒットさせる。「哀愁と悲哀を見た人は限りなくやさしい生をまっとうしようとするのかもしれない」と著者は阿佐田を回想する。さらに、大阪読売新聞で活躍した一匹狼の黒田清を紹介する。「この人の眼は、私の社会の窓でも...一度きりの人生、眺めのいい人になろう!!

  • 一度きりの人生、眺めのいい人になろう!!

    無頼派作家の二日酔いをきりりと覚醒させた人物群がいた。指針が見えなく煩悶していた著者にその手を差し伸べてくれた綺羅星のごとき人たちを紹介したのが、伊集院静『眺めのいいひと』(文春文庫、2013.5)だった。その最初に登場したのが、著者の師である色川武大ことギャンブルの神様・阿佐田哲也だ。人間はそれぞれ何かを背負わされて生きていて、そこから逃れることができない。とりわけ戦争は人間を狂気や殺戮へと誘ってしまう。そんな背景を抱えながら阿佐田は、己のどうしょうもない生に狼狽え、傷付き、戸惑い、亀裂的な哀愁をかかえる。だからこそそこに『麻雀放浪記』を書きあげ誕生させる。伊集院は「哀愁と悲哀を見た人は限りなくやさしい生をまっとうしようとする」姿をそこから発見し共感する。さらに、大阪読売新聞で活躍した一匹狼の黒田清を紹...一度きりの人生、眺めのいい人になろう!!

  • 「歳寒三友」がルーツだった

    先日、わが家より街中にあるMくんの家に初めてうかがった。古民家とはいえ、リニューアルしてあってきれいに使っているのが素晴らしい。和室をつないでる部屋の天井と鴨居の間に「間越欄間」の欄間があった。左右一対の欄間には、竹と松と梅との彫刻が彫られていた。「松」は冬でも枯れずに青々としているので「長寿」を表す。「竹」は折れにくく「生命力・成長」を表す。「梅」は老木になってもまた、春のさきがけとしての花を咲かす「気品・華やかさ」がある。向かって左の欄間には、竹と梅が彫られており、右の欄間には竹と松が彫られていた。日本のあらゆる生活のなかにこの「松竹梅」が浸透している。そのルーツは中国の「歳寒三友」(サイカンサンユウ)という厳しい環境にあっても節度を守り不屈の心を持つという宋代時代の文人の理想を表す。「三友」とは、「...「歳寒三友」がルーツだった

  • ラッピング列車のバラエティー

    久しぶりに「天浜線」(天竜浜名湖鉄道)に乗る。ラッピング列車のバラエティー

  • 「香酸柑橘」の代表

    十数年前からときどき尾上さんからユズをもらったり、収獲にお邪魔したりしている。つづくよ^^^^「香酸柑橘」の代表

  • 追いかけるから苦しくなる

    「週刊現代」の2014年から翌年まで連載していたエッセイを単行本にした、伊集院静『追いかけるな』(講談社、2015.11)を一気に読む。週刊誌に掲載されたエッセイは深みのあるものから雑にしてしまったものまで、作品に当たり外れがあるのは流行作家らしいと言えばそれまでだ。銀座・ゴルフ・ギャンブルの話題が多いのが伊集院ドンの幅の広さであり、現世的でもあるが、小説家の複雑な引き出しの出し入れの苦闘が伝わってくる。小説家でなければ、実業家か博徒かになっていたかもしれない。インタビューから見える伊集院ドンの表情からは、ピリピリした感性の揺らぎが発散されているのがわかる。その感受性の鋭さは、絶望や差別などの極限を知ってしまったことからくるのではないかと思われる。「追いかけるから、苦しくなる。追いかけるから、負ける。追い...追いかけるから苦しくなる

  • 生死は4日間で決まる!?

    ここ最近、ハトムギの種の選別に追われている。そんなとき、2cmほどの小さな虫が紛れていた。ひょっとすると、お腹のふくらみからアレかなと推理したが、どうも小さすぎる。しかも、アレは青のメタルカラーのはずだったが、これはむしろ黒っぽい。似ているのは、上翅が腹部の半分ほどの長さで、後翅が無く、退化していた。つまり、飛ぶことができず、歩くことを選択した昆虫だった。アレとは、畑周辺で約2~3年ごとに見つかるツチハンミョウだった。カエルや野鳥から身を守るため脚の関節から黄色い体液の毒を出すが、それに触ると、水泡ができ腫れるという危険な虫とされている。今見たこの虫は、大きさや体色の青黒カラーからして「ヒメツチハンミョウ」(ツチハンミョウ科)のようだ。メスは4000個の卵を産む。というのも、幼虫はマルハナバチをひたすら待...生死は4日間で決まる!?

  • 庶民が主役の歴史を!!

    民俗学の二人のパイオニアといえば、宮本常一・柳田国男があげられる。庶民が主役の歴史を!!

  • 過疎の寺は楚々として

    明治の場末の村は王子製紙の進出によってマチになった。映画館もできた。いまではその面影を探すのも苦労するほどの過疎が進行している。過疎の寺は楚々として

  • それでなかったら 枝に止まるはずがない

    先月の11月中旬、近所から籠いっぱいにいただいた渋柿。あまりに多いので知り合いにもお裾分けしてから、さっそく皮を剥いて天日干しへと急展開に作業を早める。柿を吊るす場所がないので外の物干し場所で天日干しするのが日課となった。つまり、毎朝柿を吊るしたままの物干し竿を屋根のある小屋からそのまま運搬する。和宮様も焼酎で柿を塗るのを手抜きしない。というのも、以前、カビで全滅したことがあったからだ。11月下旬には茶色に変わり始めた。12月上旬には、黒くなってきたのでつまみ食いしながら味を確認する。へたの部分に渋みが少し残っているので、間もなくで完成だ。ひどい渋みを太陽は甘味に変えてしまうパワーに感謝する。今週からはほぼ間違いなく渋みも消え、毎食のなくてはならない食材となった。と同時に、近隣にもその恵みを届ける。一日に...それでなかったら枝に止まるはずがない

  • 「ハガネのように花のように」流儀を貫く

    NHKが2006年1月から放映した「仕事の流儀」シリーズは、各界のプロフェッショナルが仕事に対する挑戦と生き方に肉薄した見ごたえある番組だった。そんな影響だろうか、2011年以降伊集院静が刊行した『大人の流儀』シリーズも累計140万部の大ベストセラーとなった。そんななか、『伊集院静の流儀』(文春文庫、2013.3)を読む。内容は、日本人・家族・悩み・人生・恋愛・作家・青年の流儀から構成されている。そこに、短編の物語に略年譜にと、著者の大人の流儀シリーズ入門のようなとりつきやすいものとなっている。「青年の流儀」では、2010年以降毎年のように新入社員や成人向けサントリーの新聞広告に贈ってきたメッセージをまとめたものだ。また、ダンディーな著者の写真もふんだんに散りばめている。まだつづくよーーー!!「ハガネのように花のように」流儀を貫く

  • 線虫の増殖も抑制効果

    お茶やコーヒーに次いで飲んでいる「ハブ茶」。その原料は「エビスグサ」(マメ科)という。中央アジアまたは北アメリカ原産の外来植物で、日本には中国経由で漢方薬として江戸時代に伝わる。これもわが農地にあちこち勝手に野生化して猛威をふるっている。唐箕で莢を吹き飛ばし、種を確保する。莢ごとフライパンなどで焙煎もできるという。莢を見るといかにもマメ科らしい出で立ちだ。高さが1m以上にもなり倒れると他の野菜にも影響も出る。しかし、周りの土中の線虫の増殖を抑制しコンパニオンプランツとしても利用されているし、マメ科なので土壌の改良にも貢献している。エビスグサは別名「ロッカクソウ」とも言われ、種子の形状が六面体なのがわかる。エビスグサの葉は食用にもなり、サラダやスープに加えると風味を引き立てるというが、まだ試してはいない。エ...線虫の増殖も抑制効果

  • 足踏み脱穀機と唐箕の出番だ

    わが土地に勝手に野生化したエゴマ・ハトムギ・エビスグサの「ご三家」を収穫した。足踏み脱穀機と唐箕の出番だ

  • 無頼派の心の中に住む少年

    先月11月24日に直木賞作家・伊集院静が癌で亡くなった。73歳の若さだった。彼の作品は『いねむり先生』を読んでから、氏の人間への洞察と共感の深さを知った。いっぱい彼の作品を読みたいところだったが、おいしいものは最後にとっておくオラの習性からか、なるべく触れないようにしていた。そして、氏の訃報を知りあわてて手元に置いてあった『機関車先生』(講談社文庫、1997.6)を読みだす。児童文学だがおとなも充分読みごたえある物語だ。舞台は瀬戸内海にある小さな島の小学校。発話障害のある吉岡誠吾先生が臨時担任としてやってきた。心配していた子どもも島民も吉岡先生の誠実さと頑健な体を通して信頼を得ていく。子どもたちは先生の風貌とスポーツ万能の吉岡先生を『キカン(聴かん)=機関車先生』と呼んで虜になっていく。物語はシンプルで粗...無頼派の心の中に住む少年

  • 驚嘆の韓国製ジューサー

    ほぼ毎朝のように飲んでいた「野菜ジュース」がそろそろガタがきたので新しく変えることになった。今までのはシャープ製の中古品だったが、今回は韓国製「クビングス(kuvings)」のジューサーにする。従来のジュースづくりは、野菜や果物を小さく切らなければならなかったり、部品の掃除も面倒だったり、忙しい朝としては時間や労力がかかるなどの課題があった。そこで、思い切って価格が3~4倍はしたが強力なジューサーを導入することになった。野菜や果物は大まかに切ればあっという間にジュースになったのにはしばし感嘆するばかり。今まではジューサーが動いている間にいろいろ朝食や洗濯の準備ができていたが、今回はそんな余裕?もなくジュースができてしまう。しかも、後片付けの洗浄に手間がかかる「ストレーナー」の網の部分を掃除する「回転洗浄ブ...驚嘆の韓国製ジューサー

  • 高級緑茶かそれとも…

    ここ数週間、雑草天国のわが土地でやっと道らしきものを開通することができた。雑草に負けて成長できなかった植物も少なくなかった。今年で移住15年になるが、今年ほど雑草が叛乱した年はなかった。とりわけ、コセンダングサの猛威は半端ではなかった。そんな雑草の海で、野生化したハトムギ・エゴマとハブ茶の原料のエビスグサを収穫していく。すると、手袋や服に「ひっつき虫」がついてきた。手袋についたその虫を集めてみると高級な茶葉のようだった。その90%がコセンダングサの実だった。家に戻る前にそれを除去しないと家の中までひっつき虫がついてくる。下着や靴下にも付いてくると作業するにも小さな痛みが気になる。サルのダニ取りではないが、ひっつき虫を除去するのが日課となってしまった。日なたでブツブツいいながらの作業となる。ハトムギの野生化...高級緑茶かそれとも…

  • 「幸福を呼ぶ虫」も越冬態勢へ!

    ポカポカした昼時、お茶の送風機を配備していた電柱のような立木に多数のテントウムシを発見。近づくとあたふたと動き回って立木の裂け目や影を探していた。10匹以上はいたと思う。動き回るのが速くて画像がうまく撮れなかったのが残念。週末の寒冷を予測していたかのようだった。その中に、久しぶりに見る「カメノコテントウ」がいた。同じカメノコテントウでもオレンジの地に黒の模様ではあるが太さが違う。大きさは10mmくらいだが日本産テントウムシの中では最大級だという。よく見るナナホシテントウの二倍くらいはある。クルミやヤナギやドロノキのハムシの幼虫を食べるというが、近くにそういう樹木は少ない。やや離れた所には川があるからその周辺の柳やクルミに棲息しているのかもしれない。越冬場所を求めてそこからやってきたのだろう。確かに、その立...「幸福を呼ぶ虫」も越冬態勢へ!

  • 一気に渋柿の皮を剥いて

    道路側にほっそり伸びた一本の柿の木に「豆柿」が実っていた。横幅の大きさは4~5cmほどだった。むかしは柿渋の原材料に使っていたらしい。とりあえず、枝の一部を切り取って玄関に飾った。干し柿にするより観賞用にぴったりというわけだ。茶室があればいいのだけど。わが家の裏山でも渋柿がなっているが、日陰にあるので色はまだ熟していない。百目柿系の仲間かもしれないが、それより小さめだ。しかも、毎年実が20個もできないのが残念。そのうえ、そこに行くには急斜面のジャングルを切り拓きながら登らなければならない。ノコギリと鎌を持って半分ほどを収穫する。そんなとき、近所から「渋柿を獲ってきたからあげようか」と電話が入り、そそくさともらいに行く。見ると、大きな籠いっぱいに収穫されていた。さらに、吊るせるように小さな枝(撞木というらし...一気に渋柿の皮を剥いて

  • 初めてミニクリーマーを使う

    先日の焚き火研究会にやってきたショウちゃんが干物とともに持ってきてくれたのが「電動ミニクリーマー」だった。同時に、赤と青の夫婦マグカップも添えるという気配りだ。いつもの焚き火ではブラックコーヒーをみんなで飲むのが通例だが、オラたちがカフェオレが好きだったのも覚えていてくれたのだった。説明の「キャッチ」には、カプチーノやダルゴナコーヒーの泡立てにぴったりらしい。「ダルゴナコーヒー」とは、あまり耳慣れなかったが韓国発のツートンカラーの二層コーヒーだ。インスタントコーヒーに多めの砂糖と水を泡立て器で攪拌してコーヒークリームを作り、それをミルクの上に乗せると、白と珈琲色の二層コーヒーができる。「ダルゴナ」とはいわゆるカルメ焼き菓子のような意味らしい。残念ながら飲んだことはない。さっそく、電動ミニクリーマーを使って...初めてミニクリーマーを使う

  • 栽培発展途上のキウイ!!

    わが家の放任農業の優等生であるキウイを収穫する。長い夏だった今年の異常気象はわが農作業にもあちこち影響した。したがって、キウイも短い秋のため収穫例年より10日ほど遅くなった。和宮様のご命令も日々の天候を踏まえての緻密なご託宣だった。今年の収穫量は往時の四分の一ほどしかなかったが、一つひとつの個体は大きい。キウイも老木になって、所々にキノコが生えるようになってしまった。このキノコはおそらくナラタケモドキと思われる。いっぱい群生すればこれも食べられる。根元周辺ではときどきブンタンくらいの大きさの「オニフスベ」も発生したこともある。新しい幹を育てればいいのだがなかなか古い幹を伐採する勇気が出ない。たわわな実もいくつかあったが、実が例年より少なくなったことは事実だ。とはいえ、味の旨さの美味は変わらない。品種はヘイ...栽培発展途上のキウイ!!

  • 最後の不発弾を発掘??

    今週、バタフライガーデンの一画で今季最後と思われる「トウガン」(冬瓜)を収穫。繁みに埋もれていたので、草刈り機で傷つけたであろう箇所が黒ずんでいた。長さは約40cmほどだった。重さからはなんとか食べられそうだ。今年は、この不発弾のような冬瓜にはずいぶんお世話になった。40~60cmはあるずっしりした冬瓜を70~80個近くは収穫したと思う。わが家だけではとても食べきれないので近隣や知り合いにずいぶんお裾分けして食べてもらった。あまりに大きく長いのでスーパーではお目にかかれない。ひと月前、やはり繁みから発掘した冬瓜は10.1kgもあった。きっと、今季最大の長さ・重さだと思われる。これは主に毎朝の野菜ジュースに使われたが、カレーライスや野菜サラダにも活用された。しかも、歯の悪いオラにはぴったりの食感だった。ほか...最後の不発弾を発掘??

  • 朝から夕方まで焚き火三昧

    胸の高さくらいまで積んだ「コセンダングサ」などの雑草を燃やしていく。焚き火をやる日は雨が降った後にやることにしている。もちろん、火事・延焼の防止を配慮しているつもりだ。事前に、抜根した乾いた茶樹を投入したものの雨で濡れた雑草はなかなか燃えてくれない。しかも、途中から雨もしとしとやってくる。やめようかと思っていたが、お昼ごろ青空がちょっぴり見えてきたので決行と決める。急に決めた平日の焚き火だったが、友人二人がやってきてくれた。今回は雑草で草木灰を作ることに忙しくて写真を撮る余裕がなかった。上の画像は約ひと月前の画像だが、ほぼ同じようなやり方で焼き芋と珈琲を用意する。また、友人が持ってきてくれた自然薯汁をいただきながら、干物のホッケを七輪で焼いて遅い昼食とする。そして、ボンジリを七輪で焼いていく。そこへ、和宮...朝から夕方まで焚き火三昧

  • 乱雑な都市の一角の「楽土」は…

    本棚の隅に埋もれていた、野田正彰『庭園との対話』(NHK人間大学、1996.1~3月期)を読む。乱雑な都市の一角の「楽土」は…

  • ジャングルからオアシスへ??

    思うとおりにならない野菜作り。天候やオラの技術の未熟さによっても大きく左右される。例年ほど収穫がうまくいかなかったキュウリの畝の跡に、インゲンの種を9月中旬に蒔く。しかしなかなか芽が出ない。成長しても病気になることが多く、収量は思うほど期待できない過去がある。試しにと、モロッコインゲンの種をあわてて蒔く。しかしそれも、ツルばかりが目立ってジャングル状態と化する。ところどころに実もなるが収量はいま一つ。そこで、混線したツルをのんびりほどき乍ら余分の葉や枝を切っていく。えらく時間がかかるので少しづつ何回もそれを繰り返す。すると、先月下旬から次々と実が取れるようになった。時期的には遅いはずだったが、今までを挽回するかのように多収量となっている。食べきれないので近隣や知り合いにどんどん食べてもらっている。インゲン...ジャングルからオアシスへ??

  • 平和を希求した若槻礼次郎の書

    数か月に一回ほど、大都会を歩くことがある。といっても、ほかに用事があってそのスキマ時間を利用するに過ぎない。そんな中、浜松市の駅近くを歩いてみた。お寺の隣に空き地のような小さな公園(高町公園)があった。そこに二度も総理を経験した若槻礼次郎(1866-1949)にかかわる石碑があった。礼次郎は、足軽出身の家で生まれたが赤貧の暮らしに翻弄されたものの、今の東大法学部に見事合格、首席で卒業する。その後、政党の総裁をやったり、総理を担った。時代は満州事変をはじめ軍部がすべてに跋扈していたため、和平・穏健派の礼次郎は戦争の不拡大方針を堅持できなかった。(画像は松江歴史観webから)続く平和を希求した若槻礼次郎の書

  • 同じ貧しい心の日本人が花束と拍手をおくる !!

    戦後すぐに劇団民芸が創立されその翌年(1951年)に公演されたのが、三好十郎原作の「炎の人、ゴッホ小伝」だった。ゴッホ役は滝沢修、演出も兼ねる。大盛況で51年度芸術祭賞・毎日演劇賞を受ける。いまも、各地で公演されているときもあったようだが、そのときはあまり関心がなかったのが残念。その原作の三好十郎『炎の人・ゴッホ小伝』(河出書房、1951.9)を読む。読んでいくにつれて、表紙も裏表紙も外れてしまった。それもそのはず、70年以上前の紙質が悪い書籍なんだからね。同じ貧しい心の日本人が花束と拍手をおくる!!

  • 食用は日本と朝鮮だけ!!

    草刈りに追われてなかなかゴボウの掘り起こしが後回しにされてきた。秋晴れが続く中やっと着手となった。根が長くならない品種だけど、やはり収穫が遅かった。鶴嘴で根の回りを掘っていくとなんども石に遭遇する。その石もでかくて鉄棒が動員される。掘った石をテコに掘り出すが、石同士が固まっていて鶴嘴だけでは邪魔している石を排除できない。わずかな土を移植ゴテで採りながら進める。石をやっと獲りだしたがもう少しのところで折れてしまった。本体の太さは予想どおり10cmくらいはあった。40cmくらいは掘ったようだ。普通の長いゴボウだと1m以上の長さはある。残りのゴボウを獲るため気を取り直して掘っていく。いずれにしても、ゴボウを育てるには土壌を50m以上は均しておき石を排除しておかなければならない。川だったところが荒れ地になったとこ...食用は日本と朝鮮だけ!!

  • 旧浜北市のマンホ-ル蓋

    予防注射の会場へ早めに着いたので時間つぶしでひょいと街に出る。時間があまりないのでマンホールの蓋を中心に歩き回る。旧浜北市のマンホ-ル蓋

  • アーたんテルくんの援農

    先週、アーたんとテルくんがオラの雑草農園にやってきて援農してくれた。たまたま刈り取った雑草の山が積んであったので、それを燃やしながらダッチオーブンで焼き芋をつくりを始める。しかし、焚き木をくべているとき、ダッチオーブンの蓋がずれてしまったようでねっとりした焼き芋はできず失敗となる。夕方には、生のカキを熾火で焼いてみる。テルくんが黙々と柿を焼いてくれて貝柱も切ってくれたのでおいしくいただいた。このカキは、中国からの原発処理水問題で東北の漁業者が打撃を受けたことへの支援策として購入したものだ。そのほか、エビや焼き鳥のボンジリを焼いて炭焼きコーヒーを飲みながら再会を祝福したのだった。二人は一泊二日の強行軍で援農に来てくれたのだが、昨年の9月末にバタフライガーデンの三分の一くらいの防獣柵を設置してくれたのだった。...アーたんテルくんの援農

  • 古道に「カガシ」兄弟か !?!?

    わが家の近くにはアップダウンのある細い古道がある。軽自動車がやっと通れる狭い道で集落で生コンを行政からもらって作った自治ロードでもある。むかしはここが主要な道だったが、広い国道ができてからは利用する人は少なくなった。そのためか、落石や枝が路上に散乱していることも少なくない。たまたまその古道を歩いていたら、小さな若い蛇が裏返しになっていた。おそらく死んでいるだろうと枝でひっくり返すと、赤と黒の模様がある特徴的な「ヤマカガシ」だった。なぜ、そこに横たわっていたのかはわからない。外傷もない。寒くなったからだろうか。なにしろ、ヤマカガシが毒蛇に指定されたのは、1974年と比較的新しい判定だった。それまでは無毒の蛇ということだった。2019年にはペットとしての飼育も禁止されている。ヤマカガシには二種類の毒がある。首...古道に「カガシ」兄弟か!?!?

  • 秋はあけぼの !?

    「春はあけぼの」と清少納言は謳ったが、オラの秋の庭は「アケボノソウ」(リンドウ科)が凛とした姿態を見せていた。それを知っていたら清少納言は「秋はアケボノソウ」と謳ったかもしれない。清少納言「秋は夕暮れ」と日本の美しさを詠じていたけど。花弁は4枚と5枚があった。花の中央にある雌蕊の柱頭はちょうど開いていた。遠州と信州の境界にある「青崩峠」の近くでこの「アケボノソウ」の群落に出会って、その上品なたたずまいにえらく感動したものだった。それで、2年前に種をプランターに蒔いたもののなかなか花が咲かない。それもそのはず、二年目でないと花は咲かないのが分かった。花弁の黄緑色は蜜腺だそうだ。ちょうどその蜜を舐めにアリがやってきていた。蜜を舐めまわって花を歩いている間に花粉を運んでもらうという戦略だろうか。さらには、外敵へ...秋はあけぼの!?

  • われらは畢竟土の化物である

    表紙を観たらいかにも読みたくないようなデザインの漫画本だった。その表紙をめくると、徳富蘆花の「土の上に生まれ、土の生むものを食って生き、そして死んで土になるわれらは畢竟、土の化物である」との言葉が飛び込んできた。向中野義雄(ムカイナカノ)『土を喰らう/生命みえますか』(スタジオ座円洞、1998.4、復刻版)を一気に読む。われらは畢竟土の化物である

  • 自然界に青色は希少種

    抜根したチャノキがすっかり枯れてきて、それを焚き木にして久しい。そんな枯れ木の中で見事な青色の枯れ木があった。自然界に青色は希少種

  • そして リレーは希望を紡いだ

    前田哲監督の映画「そしてバトンは渡された」を観た。主人公の優子を演じた永野芽郁(メイ)は主演女優賞(2022年、日本アカデミー賞)を得るほどの好演を見せた。血のつながりのない親の間をリレーされ、4回も名字が変わった優子の心の葛藤とそれを前向きに達観してゴールに至るドラマだ。そしてリレーは希望を紡いだ

  • こぼれ種農法健在か !?

    今年は「ノラボウ菜」のこぼれ種の苗が見当たらないなー、と思っていたら5~6本の野生化した苗が健在だった。黒マルチの隣に沿ってけなげな若い苗が育っていた。昨年は30本以上の苗が野生化してて、近所や友人にどんどん配っていたほどだった。キャベツがネキリムシにやられた跡が空いていたので、そこに移植してみた。もう、ネキリムシはいないと判断したが、どうだろうか。のらぼう菜が出ていた土壌は固かったの掘り起こした苗ごとその跡の穴に移植する。もちろん、石灰やリン酸などは事前に用意しておく。大きさはまちまちだけど、生命力が強いのが頼みだ。みんな真っ直ぐの苗でなく斜めになっているのが玉にきずだ。それでも、こぼれ種の苗は意外に強いので心配はしていない。いつもだと、大量の種を採取しているけど、最近のこぼれ種からの苗の野生化が続いて...こぼれ種農法健在か!?

  • 贈り物攻勢に屈服!?

    父の日に子どもから宮崎の完熟マンゴーが贈られてきた。樹上で完熟させて自然落下をネットで受けるこだわりと、糖度15%以上、重さ350g以上という難関をパスした見事な地域ブランド「太陽のたまご」だ。形状の楕円形の美しさだけでなく、甘味・香り・なめらかさの三拍子揃った優れ者だ。それは日本で多く生産されている品種「アーウィン」種で、老化防止・美肌効果があるという。マンゴーがウルシ科であるというのも意外だ。食べるのがもったいなかったが、勇気を一つにして一気に食らっただけでなく、種をしばらく舐めて余韻に浸ったのだった。そして、敬老の日になると、甘酒が贈られてきた。それも、酒米の王様と言われている「山田錦」から作られている甘酒だ。なにしろ、下戸であるオラでもうまいと思う「獺祭」(ダッサイ)の酒造メーカー「旭酒造」の甘...贈り物攻勢に屈服!?

  • 不可解な珍客に翻弄される

    突然、秋がやってきて寒くなってきたこのごろ。そんなとき、見慣れない小さな珍客が二匹やってきた。寒さのせいかあまり動かない。それでもカメラを近づけると嫌々をするので、透明の小さな容器に確保する。なにしろ、許可なく他人の家屋に侵入したのだから不本意ながら致し方ない。それで、この見慣れない珍客をよく見たらその正体が不明ときた。当局に解明を申し入れてもいつもの通り全く動いてくれない。自分で調べるしかない。翅が2枚のようなので、アブかハエかと見当をつける。二匹をいっぺんに容器に入れたらお互いは振り向きもせず警戒していた。小さいほうは、体長が12mmほどで最初はよく元気よく飛行していたがだんだん疲れてきたようだ。腰が細くて腹からお尻にかけて太いのが特徴だ。翅は先端と中ほどに黒い斑紋がある。愛用している小学館の昆虫図鑑...不可解な珍客に翻弄される

  • カマ公と戦闘態勢に入れり!!

    先月まで居候していたバッタや蛾たちが挨拶もせずに突然いなくなってしまった。夜になると家じゅうを闊歩していたのは、アシダカグモだった。そばに人間がいてもものおじせずにじっと待機する姿をたびたび目撃する。どちらが主人だかわからなくなってしまう。今年は例年よりゴキブリが多くなった気がする。どうも、足高蜘蛛があまり仕事をしていないのではないかと疑惑がよぎってしまう。そのうちに、大黒柱にいたのはカマキリだった。そして、人間にかまわず室内を飛翔するあつかましい居候となった。それが一匹だけでなく数匹もいるではないか。相談でもしたのだろうか。肉食のカマキリは餌を求めてわが家にやってきたのだろうか。どこかの国じゃないけど、当局はそんな事実を知っているのに黙認しているようなのだ。しかも、黒褐色の「コカマキリ」までやってきた。...カマ公と戦闘態勢に入れり!!

  • 二夜連続で天然マイタケ!!

    キノコの師匠から天然マイタケが贈られてきた。山梨の山奥で命がけでゲットした貴重なマイタケだ。オラも数十年前に参加したことがあるが、迷子になったり遅れたり採りたてのキノコ料理を無心したり、迷惑をかけっぱなしのキノコ修業だった。さすがに、現地に駆け付けるほどの体力はないが、オラと年齢が近いにもかかわらず今年もタフなおじさんたちは崖をよじ登って大量のマイタケをゲットしたようだ。師匠のブログからの画像には見事な天然マイタケが写されている。おそらくそのうちの一つが送られてきたのに違いない。マイタケの発生場所はほぼ決まっているようだが、毎年発生するとは限らない。だから、それぞれの大木の位置情報を覚えておかなくてはいけない。しかし、奥山の中でそれを覚えておくのは常連者でないと覚えられない。オラにはミズナラの大木と言って...二夜連続で天然マイタケ!!

  • 邪魔だった紫蘇を除去してみて…

    畑のあちこちで赤紫蘇や青紫蘇が1・5m四方くらいの大きさに成長していて歩行の邪魔になっていた。和宮様はその葉を使って海苔の代わりにしておにぎりを作ったり、毎朝の野菜ジュースにいれたりしてそこそこ活用をしていらっしゃった。巨大化したその紫蘇はすべてこぼれ種で野生化したものだった。しかし、巨大すぎて邪魔になり除去することにした。根っこは木のように太くなったのでツルハシで掘り上げることとなった。ちょうど、シソの実がたわわにできていたのでとりあえずその一部を収穫してみた。まずは、ゴミや汚れを取るため4~5回くらい水洗いする。それを数分かけて蒸し上げる。それを大きなフライパンにすべてのシソの実をあけて弱火で水分を飛ばしていく。そこに、ごま油とともに焼酎漬けして保存していたショウガを細かくスライスしたものをいっしょに...邪魔だった紫蘇を除去してみて…

  • 田んぼの風物詩はこれからも…!?

    米作りは農家にとって基本的な柱でもあるが、最近はどんどん機械化が広がり、いまや無人のコンバインさえ登場している。コンバイン1台あれば、収穫・脱穀・選別もでき、はざ掛けもやらないで済む。わが家は形式的には農家だが、事実上家庭菜園もどきを演じている。したがって、米は近所の若い農家から玄米を購入している。そんな今、隣の地域で「はざ掛け」をしっかりやっている田んぼがあった。この光景はどんどん少なくなっている。地域によっては、「はぜ掛け」「はさ掛け」「はで掛け」「稲掛け」とか呼称もいろいろだ。この地域では両端には三脚の木で安定させている。地域によっては一本直立の場合もある。イネはぎゅうぎゅうに詰めて隙間ができないようにしている。隙間があるとイネの束が落下してしまうことがあるという。稲束の掛け方は左右から始めて、最後...田んぼの風物詩はこれからも…!?

  • 端麗な息子か放蕩息子か??

    1時間以上かけて街に出かけるときに、車の中で古典落語を聞くのが楽しみとなった。それぞれの落語家の語り口に個性があり、聞き取れない言葉も少なくない。中でも圓楽の語りはアナウンサーのように聞きやすくわかりやすい。端麗な息子か放蕩息子か??

  • りんご飴を食べたくなったぁー

    秋になると和宮様は「カラカサタケ」(ハラタケ科)を探しておいでになる。5・6年前には道路際でよく目撃していたようであるものの、ここ数年は気候変動やら道路工事などで全くと言っていいほど見られなくなったという。裏山の道草山でも同じく見られなくなった。それが今月中旬、通院の帰りにカラカサタケを道路際で群落を発見したと言って、その一つを見せてくださった。りんご飴を食べたくなったぁー

  • 「斬られの仙太」は三好十郎だった!?

    気になっていた三好十郎の脚本「天狗外伝<斬られの仙太>」(而立書房、1988.2)を読んだ。「斬られの仙太」は三好十郎だった!?

  • 「夜盗」を捕殺したが…

    今月の上旬に植え付けたキャベツとブロッコリーの今は、惨憺たる現状となった。8本あったキャベツはネキリムシにことごとくやられ、残りは1本となってしまった。同じ畝にあったブロッコリーはなんとか生き絶え絶えだが、ヨトウムシの餌食になってしまった。「夜盗」を捕殺したが…

  • 実を数珠にして極楽浄土に行けるとか

    フクロミモクゲンジが実をつけ始め、高木になってきた。黄色の花は今月上旬に撮影したがピントを大きく外してしまった。実を数珠にして極楽浄土に行けるとか

  • 親子のすれ違いに潜む悲劇を告発

    バイプレーヤーの名優である望月優子が主演に抜擢された、木下恵介監督の映画「日本の悲劇」を観る。親子のすれ違いに潜む悲劇を告発

  • お殿様ご高覧の草取り

    以前、有志の協力で完成させた小さなビオトープが健在だが、その周りは草ぼうぼうで進入できなくなっていた。そこで、草刈り機と鎌を持って周りを整備することにした。雑草に埋もれたポポーやヒイラギの苗の周りの雑草を駆除し、何とか救い出した。草刈り機だと小さな苗ごと伐ってしまうことが度々あるので、細かいところは鎌の出番なのだ。ビオトープの池には、ヒメガマが健在で穂がついていた。池には雑草も侵入して勢力を伸ばしていた。土だけでなく池にも侵出するとはすごい生命力だ。重い雑草の根っこを池から引き出しビオトープを多少きれいにしていく。気候は何とか秋らしくなって汗の量も多少少なめとなった。それでも水分補給をやらないとのどが渇く。雑草の洪水を見ちゃうとやる気を失うので、平常心で焦らず草刈りをしていくことにする。すると池から誰かに...お殿様ご高覧の草取り

  • スマホ捨て街を歩こう

    先日、久しぶりに友人と街中で会ったが、その前に時間があったので、街中を歩いてみる。スマホ捨て街を歩こう

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