暑さと地元神社の祭りの準備で、出掛ける余裕がなく、自宅周辺ネタで勘弁です。放っ...
暑さと地元神社の祭りの準備で、出掛ける余裕がなく、自宅周辺ネタで勘弁です。放っ...
玄関先に植わっているブーゲンビリア。いまが盛りです。もとは鉢植えでしたが、樹脂...
大和西大寺駅近くの「平城宮跡資料館」で開催された奈文研の公開講演会の日、少し早...
私が知ってた「阪神パーク」は、戦後の昭和25(1950)年に再建されたもので...
阪神電車の甲子園駅から海方向に向かう “甲子園筋”には、昭和50(197...
さて、滋賀里駅から始まった雨降るさなかの史跡巡りですが、なにせ、しのつく雨がつ...
比叡山の西麓には、古墳時代後期(1,400年前ごろ)に集中して造られたお墓(奥...
しばらく足を向けてなかった、例の細長い公園(友呂岐緑地)を歩きに行きました。ス...
しのつく雨のなか、京阪電車滋賀里(しがさと)駅から「志賀大仏」まで歩きました。...
塀ぎわの狭いスペースに植えていた玉ねぎ を今年も収穫しました。塀...
ナデシコは、種から育てて3年目になります。2月に株分けしたのが満開です。実生の...
垣根のツルバラがようやく満開に近づきました。今年は、一つ一つの花がやや大き目な...
紫蘭(シラン)は、知らん間に花開きよります。庭の珊瑚樹のたもとで “野生化” ...
今年、1輪しか咲かなかったボタン(牡丹)の隣で、地植えのシャクヤク(芍薬)が盛...
カメラを手に庭にいたとき、ツマグロヒョウモンが飛んできて、地べたを歩き始めまし...
枯れた枝が細い鉄線のように見えていましたが、次第に復活して緑の葉が茂り花を付け...
練供養は、念仏の信者が没するとき、西方極楽より阿弥陀仏が二十五菩薩を従えて迎え...
5月3日、近鉄橿原神宮前駅近くの「久米寺」で催行された “二十五菩薩練供養” ...
今年2月、「柏原水仙郷」を巡ったときに見掛けたのですが、そこかしこに覆い土を失...
先週の「鳥羽の藤」につづいて、今週は、「蹴上のつつじ」の一般公開です。京阪電車...
もう、枯れたと思っていた地元、萱島神社の社頭に植えられている梅の木でしたが、や...
庭の隅っこの四半坪の “畑” に、丸ナスも植えました。これも一株だけですが、先...
度重なる水害に悩まされていた大阪を守るため、旧中津川を大幅に拡幅して新淀川が整...
悲しき「一夜官女」の物語の地を巡る、大阪面白ツアーに参加して、開削されて今は新...
以前、グリーンカーテンとして、ゴーヤを植えていたん ですが、数年前から、キュ...
ここしばらく、毎年のように小玉スイカのリクエストがあり、玉ねぎの後作に、小玉ス...
例年、小さな花をアホほどつけて楽しませてくれるツルバラですが、ことしは、少し疎...
ここしばらく、在宅時の夕方には、地元神社の清掃作業に参加するようになって、例の...
昨年、一株だけ植えた「ニシユタカ」に味をしめて、今年は20個の「キタアカリ」を...
サルビアを地植えにして3年、ちょっと変化を狙って、今春は、半分をキンセンカの地...
今年の牡丹(地植え)は、結局、一輪だけで終わってしまいました。なんでやったんか...
今年もテッセン(クレマチス)がよく咲きましたが、花の時季が少し短かった感じです...
昨年5月に、たまたま大和川切替え地点の堤防で見掛けた「松谷御堂」の石標から始ま...
やはり、山稜地への往復は、下りが楽でしょう。なので、往路はJR高井田駅からのコ...
さて、難読地名の邑落、断崖に張り付くように広がっている「かりんどおばた」の探...
昨夏、近鉄道明寺線の取材中、大和川堤防の草叢に「松谷御堂」と記された曰くありげ...
今年は、ボタン(牡丹)がダメでした。昨年まで三輪咲いていたのが一輪で終わりまし...
庭の隅っこに植えていたる玉ねぎ、今年は赤玉です。まだまだですが、狭いところに2...
地元の方々と連れ立って、タケノコ掘りに行ってきました。よく手入れされた栽培地で...
天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈念して、天武9(680)年に発願...