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ヒキコモリータの生き抜く途(旧イタリアなのにひきこもり) https://www.hikikomolita.com/

30年間の日本OL生活、離婚経験でメンタルは崩壊。海外旅行未経験の私が無謀にもイタリアへ。何年たってもイタリア生活は驚くことばかり。楽しみは食べること☆

ヒキコモリータ
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2019/02/15

  • 命日

    5月は父の命日 6月は義父の命日 とにかくいつもより涙が流れる2ヶ月間 二人の父は愛に溢れる人だった 優しかった もう一度会いたいな、お喋りしたいなと心底思う きっと彼らは私達の生活をお見通しなんだろな。 そう考えると少しホッとする 父が亡くなった知らせを聞いた前日の夜 父は私の夢の中にでてきた イタリアの家でみんなと談笑していた 私は、飛行機嫌いでめんどくさがりの父がイタリアまで来たことが可笑しくて、可笑しくて、そして幸せで大笑いしていた 「最後に笑てる顔見れてよかった、よかった」と言っていた そして、笑顔でトイレに流れていった トイレに流れる父の笑顔が今でも忘れられない その日以来、トイレ…

  • 諦め

    4月末で仕事を辞める 14ヶ月夢中で働いた 初めて経験する職種、異国で60歳前にして色々なことを学んだ 円安で少しでもユーロが稼ぐことができるのは有難いことだった しかし、体力の限界 身体が悲鳴を上げた 諦めるしかない この感覚はなんとなく懐かしい 14年前、一度目の離婚を決意した時 前夫と愛人は別れると言っていた 彼の言葉を信じ、もう一度やり直そうと何度か頑張ったが裏切られ、絶望し自分が壊れてしまった 諦めようと決心した まだ愛していた まだ働きたかった 決断までの時間、そして決断してしばらくは 辛く、悲しく、悔しい、感情が波となる しかし、仕方がない 前を向こう まずは体調を戻し、整え、次…

  • 別れ

    この記事は一年前のFesta della donna直後に書いたもの あまりに辛くて公開しなかった 一年経って下書きから引っ張り出した 友人が他界した 名前はジャンニ、64歳だった 彼は我が家の隣にある八百屋さん兼酒屋さんのお兄ちゃん コロナ前は毎日のように通うBARだった 朝、仕事に行く時、いつものように挨拶をし世間話をした 5時間後、私が家に帰ると夫が「ジャンニが死んだ」と呆然としていた 昼食休憩後、職場に戻らず連絡がつかなかったため、彼の息子が自宅に向かったところ倒れていたらしい、そして、そのまま旅立った 私がイタリアに住み、最初のFesta della donnaにミモザをくれたのは彼…

  • 荒れる一年

    荒れる一年は早い 昨年4月、私は正式に職を得た それと同時に2月から不穏な状況であった夫の勤務先がとうとう倒産した 夫は完全にアルコール依存症となり、朝からお酒を飲み、私が帰宅する時刻には完全に人格が変わっていた 一度お酒を飲み始めると止まらなくなり、一日2本以上のワインを飲む 外出先で飲み始めると気が大きくなってとんでもない額の支払いになることもあった 私の精神状態も限界に近づき始めていた そんな時、ひょんなことから夫に職が見つかった 一安心した時、私は脳梗塞になり救急搬送された 「死ぬときは死ぬ、寿命を受け入れよう」と思いながら日々過ごした 運よく、後遺症もなく過ごしている そして、11月…

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