Bob DylanのHARD RAINを聴く。ライブ盤だ。梅雨に入って雨模様だから選んだ。なんと安易な。 昔は雨の季節になると聴くことに決めていたアルバムがあった。フィッシュマンズのロングシーズンをまず思い出すが、ほかにもあった気がする。曲単位では、スピッツのあじさい通り(アルバム『ハチミツ』に収録されている)か。
平凡な日常からの雑感、季節を感じる食べ物、音楽、ちょっとした旅の話をします。
淡々と暮らせるようになってきました。最近、暦に興味があります。
Bob DylanのHARD RAINを聴く。ライブ盤だ。梅雨に入って雨模様だから選んだ。なんと安易な。 昔は雨の季節になると聴くことに決めていたアルバムがあった。フィッシュマンズのロングシーズンをまず思い出すが、ほかにもあった気がする。曲単位では、スピッツのあじさい通り(アルバム『ハチミツ』に収録されている)か。
ベートーヴェンのチェロソナタ全集が聴きたくなって、棚からいくつかのCDを持ってきてかけた。第1番から聴いているけれど、いいなあ、好きな音楽だなと思う。昔はそれほどでもなかった。それどころか、ベートーヴェンの中でも苦手曲目だったのだが、まるで逆の評価に変わった。同じベートーヴェンでも、ピアノソナタはちょっと荘厳で重すぎるイメージがあって(全部とはいわないが)おいそれとは聴けないから、こちらのほうが気軽に聴ける。これはヴァイオリンソナタも同様。 聴いた演奏は、マイナルディとゼッキのものと、ロストロポーヴィチとリヒテルのもの。モノラルのマイナルディのほうはずっと前から持っていて気に入っている演奏。ロ…
間もなく今週中に新車が納車されるんだけど、この気分の浮かなさ。なんなんだ。ふつうだったら、このそういう時期にウキウキしてたまらないんじゃないかと思う。でも、全然ウキウキワクワクがない。車以外の、納車の嬉しさを凌駕してくるような心配事があるのだろうか。あるのだろうかと、他人事のように。喫緊の心配事はない。単に体調や精神の状態がよくないだけなのかもしれない。確かに疲れているし、変なことも気になるから精神も弱っている。それは認めるところだ。なんともったいない。もっとウキウキしたかったな、そうそうあることじゃないんだし。 まあ、そういう気分にならないんだから仕方がない。残念だけど。自分の異常性は認める…
3日休んだあとの出勤日。行きたくないなあ。休みに入る前に職場の人とも話したけれど、みんな連休後は行きたくないと思うようだ。僕だけがそう思うわけではない、ふつうのことなので、別に深く考えることはせずに粛々と出かける準備をする。 たかだか3日でこれだから、ゴールデンウィークとか盆暮れ正月の長期休みがある人は大変だ。
昨日は日がな一日、そして今朝も音楽はParliament の Mothership Connection。 いままでこんなに短い間に繰り返し聴いたことはなかった。同じParliamentでもClones of Dr.Funkenstein とか Fukentelechy VS. Placebo Syndrome だったらあったかもしれない。僕の中では影の薄いあまり熱心に聴いてきたアルバムではなかった。それが今回はよく聴いている。 世の中の人々が、あるいは音楽ファンがどのくらいひとつのアルバムを聴く込むのかは知らないし、知ったところでどうというわけもないけれど、ここ数年の僕は、短い期間ではあるが…
ラジオで年金制度やその課題、最近の制度改革の話を特集していた。それを聴いて、なんかヤバそうな感じがしてきた。この前の誕生日の時のねんきん定期便を見てみたら、ますます危機感がつのってきた。恐ろしい、なんか動き出さねば。 思えば、人生の転機にはラジオがあった。もうダメだと思っていた時につけていたラジオからきっかけを得て、人生が変わっていった。ラジオのCMから当時できはじめていた通信制の高校やそのサポート校を知った。それで不登校を脱出できた。高校の時も、たしか何かのラジオからきっかけを得て、自分はもっとできるんじゃないかと気づき、勉強を始めて大学へ行くことができた。 大学院を出てからは停滞していた。…
カシオのスタンダードな腕時計、通称チープカシオ(略してチプカシ)を購入。職場で使おうかなと。ブルーカラー系の仕事なので、もし壊れても後悔しないように安いこと、そして丈夫という条件で探して、これかなと。 前にもこの手の腕時計は持っていて、それを再利用しようと手間もかけてみたんだけど、DIYで交換したベルトが肌に合わなくて、新しいのを買おうと思案していたところだったのだ。 時計、あるいは時間について言うと、案外、時計に支配される生活をしていて、家にいる時もよく時計を見て動いている。寝る時間や起きる時間、家を出る時間どころか、支度をはじめる時間も決めていて、それどおりに動いている。例外はあまり作らな…
昨日の仕事は散々だった。思い出すだけで申し訳なくなる。けれども、昨日は昨日。気をとり直して、今日のお休みを満喫する。一日完全にオフなわけではないけれど、嫌な気持ちに責め苛まれないようにしっかり活動しよう。 ところで、野球中継の解説で聞いた話でこんなのがある。リリーフのある投手がひどく打たれた試合がある。その投手はそのあと、あまり間隔を空けないで次の登板をさせるらしい。よくない記憶が長く続かないように、すぐに機会をあたえて、そこで抑えてもとの調子を取りもどせるようにするためだ。こう考えると僕も今日が休みじゃないほうがよくない記憶を引きずらずにできてよかったのかもしれない。決まっていた休みだから仕…
今聴いてる音楽のことをネットで検索する。演奏している人のことやアルバムのレビューを見る。そうすると、気分は萎え萎えになる。何故なのかわからないが、最悪な気分になる。 最近思うのは、音楽をはじめ、芸術系のことについてネットで調べるのは徒労だ。徒労どころか害さえある。今は、音楽でも小説でも、出会いのきっかけはタイトルだけにとどめて、細かい情報は入れずに、とっとと手に入れて聴いたり読んだりするよう方向に移っている。資金に余裕を持たせておいて、情報によるリスク軽減を要しない体質にしておく。
パソコンでも何でもいいから、新しいことに挑戦したい。10年くらい前までは、お金がなくて、でもやりたいことや必要なことがてんこ盛りだったから、日々何かすることがあったんだけど。 急にここで振り返り。お金がなかったから、無粋にも無料というところに食いついて、パソコンはLinuxにした。数年の試行錯誤の後、安定的に運用できるようになった。運用と言っても、Web閲覧と音楽のCDをリッピングして焼くこと以外の用途には使っていないから、本当に軽いものだ。しかし、パソコンに関する出費はこの10年に2台の中古パソコンで5万円くらいのものだ。 次は、これもお金がなかったからという理由に帰結するのだが、車だ。もと…
僕は自分の言葉を使えていない。自分の言葉とは何か。判明にはわからない。話をしたり、文章に書き出したりするのに、相手や読者に気を遣いすぎて自分の言葉を見失っている。 理由は明らかで、現在の所属コミュニティ、主なものは職場であるが、そこで使う言葉が難しいと指摘されたことを気にしてこうなっている。難しい言葉を使って人をばかにしているのか、とまでは言われないまでも、そう思われかねないと不安になったのを覚えている。それから使う言葉を考えて話すようになった。そうすると、相手の言葉に対する、こちらの反応はワンテンポどころか数テンポ遅れるようになるし、その反応も的外れだったり、意味を為さなかったりで、ふんだり…
NHKラジオR1で『音楽の泉』を聴きながら。今日はベートーヴェンの『田園』。交響曲だ。僕は、クラシック音楽も聴く人だが、ふだん交響曲は聴かない。嫌いだとか避けているのではなく、いつかその時がきたらしっかりハマれるように、取っておいてあるだけ。その"いつか"は訪れないかもしれないけど、そうならそれもまたいい。 そういう取っておきはほかのジャンルでもあって、ヒップホップやエレクトロニカ、EDM(?)みたいな方面もそんな感じに見ている。ヒップホップには行っていないのに、その源泉のひとつ(?)のファンクやPファンクには到達しているという不思議な現象を見たが。
自室の照明、調子が悪い。点いた点かなかったりする。点くときはあるから、電球が切れたとか点灯管が切れたわけではないと思う。素人目には壁スイッチが怪しいと思っている。どこかが悪いわけだが、いずれにせよ電気工事店に頼んで修理してもらうほかに解決策はない。 そこで、僕の個人的な、異常ともいえる理由によって修理は躊躇われている。つまり、自室に人が入ってくるのが嫌なのだ。ここ数年は家族すら入るのを許していない。単に散らかっているからという理由ではない何かが僕の中にある。人をとても恐れている。それは、自室の中の異常性と正比例している。夥しい数のCD盤。いくつかの棚にびっしりとある。入りきれなかった分は、そこ…
平日休みに出かける時の教訓を得た。曰く、朝早く出発しても効果が薄い。なぜなら、途中のどこかで通勤の人々の車ラッシュにつかまるからだ。前々から薄々気づいていたことだったけど。前回は意気込んで6時半には出発したけれど、混み合いにうんざりして途中で引き返してきたっけ。 そういうことなら、朝はのんびり。コーヒーでも飲んでゆっくり支度をして、ラッシュが済んだ頃に出発する。出発前にかけていた音楽が素晴しすぎて、出発しない選択肢も取りうる。
休みの日にブログを書くことが多いが。 音楽だ。Parliament の名盤、P-funk Earth Tour を聴きながら、次なるファンクのアルバムをネット通販で買おうとカートに入れたのだが、まだ現有の名盤群の聴き込みが充分でないことに気づき、ブラウザを閉じた。だいたい今の時代に音楽をフィジカルで、しかもCDで買うなんて、質にこだわる人の中でも稀有な存在なのではないか。たぶん、音質やグルーブなんかを気にする人は、アナログレコードを探すだろう。逆に気にしない人はサブスク配信を気軽に聴くと思う。僕はなんなんだ。 しかし、今回の話のコアは、現有の名盤群の聴き込みが足りていないことにある。今朝も出か…
仕事に遊びに忙しくしている日々。今日も日曜の出勤前に少し遊ぶ。音楽を聴く遊びだ。Ramones の Rocket to Russia を聴いて朝の時間を過ごす。昨日の夜もこのアルバムは聴いていたけど。CDでしか持っていないけど、この手のアルバムは安物プレーヤーでもアナログレコードで聴くのが気持ちいいと思うんだ。あるいは、ポータブルなラジオから流れてくるとか。まあ、そういう聴き方しかなかった時代に出されたアルバムなんだから、それで気持ちよく聴こえるようにチューニングしてあるんだろう。 ネットの識者の意見で、その時代に出された音楽は、その時代の機器で聴くべきだ、というのを聞いた。たしかにそうだと思…
休みだ。風邪気味なので、家で過ごすことに。音楽を聴いて過ごしてる。こんなに遊びが多様化しているご時世に、音楽を聴いて過ごすとは。最早、酔狂。陶酔的な愉悦に浸っている。 そして、周りの人が知らない音楽を聴いているという自覚と優越感もある。音楽に酔うのはいいが、こういう自分に酔うのはいかがなものかと思う。やめたい。
風邪を引いた。鼻詰まり。鼻声。少しの咳。熱は出ていない。 そう、熱は出ない。もう10年以上、熱を出してない。風邪は引いても熱は出ない。軽めだが身体を使う仕事を始めてからこうなったようだ。学生の頃やなんかはそうではなかったから、仕事のおかげでいくらか強い身体になったのだと思う。
余暇の時間が忙しくて、こういうブログを書く間も惜しいくらいだ。でも、書いていく。 余暇は充実しているのだが、あんまり時間をかけすぎると、社会の情勢や流行からかけ離れてしまって、浮世離れした人間になってしまうのではないかと心配している。ラジオやテレビで情報を得なくてはならないと思う。でも、それが無駄で、負担なことだと感ぜられる。個人の価値観が多様化してしまって、共通の話題を見出すことが難しくなっている時世に、社会情勢などを追うことは徒労にすぎない。最近は、人との会話の話題に、そういったテレビなどからのものがあまりないのも拍車をかける。趣味に走っても問題はないような気が日に日に増している。10年前…
今日、朝から延々と音楽を聴き続けて、当たり盤は、グレイトフル・デッドのRFKスタジアムでのライブ盤だった。 こういう長大なライブ盤に耳を傾けながら、ネットを見たり考えごとをしてみたり、あるいはしっかり聴いてみたりするのが最高。同じように長大なライブ盤をたくさん出しているフィッシュもいいが、フィッシュはちょっと重いきらいがある。もう少し気軽に聴けるのがよくて、今日の夕方はデッドにしてみた。
平日に三連休で、思う存分に出かけられると思っていたのに、体調不良、後ろの二日は家で過ごすことに。なんてこったい。 家で、本を読む気にもならず、音楽と野球中継。もうこうなったら、家族が居ないことをいいことに、音楽はいつもより大きめの音してやろう。大体、いつもの音量が小さすぎるのだ。田舎で、隣の家とも離れているというのに、無意味な気づかいだったのだ。 何を聴こうかな。体調悪いけど、ジャンキーなおやつも欲しいな。ポテトチップとコーラとか。こういうことをしていると、家で過ごすのも悪くないと思えてきた。この前新車を注文したところだけど、インドア派に移っていくのかもしれない。それもいいか。
車を飛ばして、昼食にトンカツを買ってきた。近頃、お疲れ気味で元気が出なかったから、回復することを願って食した。
音楽は何を聴いても素敵に聴こえる。これが長年の音楽趣味生活の賜物なのか。図らずして得た悦びのひとつだ。その図らず云々というようなのは他にもあって、最近では車の運転もそうなってきている。街を走っていても、停止線にバチっと止まれたり、スーパーの駐車場で切り返しなしでピタっと駐車できたりすると面白い。 音楽の話に戻ると、その時々にテーマを作って聴いてきた。なんとなく、ベースの音に注目するとか、ピアノに注目するとか、楽器のパート毎に注目するようなことが多い。個々の音が聴こえるようになって、段々面白くなってくると、全体も違って聴こえるようになる気がする。ここはまだ"気がする"レベルなので、さらなる精進の…
2週間くらい前は、何か不思議と我が世の春が訪れたというくらい気分がよかった。それがここ3、4日は、もう世界も終わりかと思うほど暗く沈んだ気持ちになっている。なんなのか、今はすべてがよくないほうに向かっている気さえする。恐ろしい。 まあ、この繰り返しなんだとも思う。深く考えることもない。沈んだ気持ちの時には何もできない。日々のこなさなければならないことを粛々と進めていくのみ。変に崩したりしないで。好転するのを待つこととしよう。辛抱が必要だ。
野球シーズン到来。メジャーリーグも日本のプロ野球も開幕する。 今年は、スカパーでJ-Sportsを契約した。ここ数年は、メジャーリーグを見るのに、ネット配信のMLB.tvにしたり、何も契約せずNHKを見たりしていたのだが、今年はJ-Sportsを何年かぶりに。 MLB.tvの時は、VPNを使わなかったのがいけないのか、ネットの接続が悪くてとても見れたもんじゃなかった。NHKの中継では、10年来のメジャーリーグファンからすると物足りない。 以前、J-Sportsにしていた頃は、弱小なエンゼルスに所属していた大谷選手を連日放送していて、毎日のように酷い負け方をするのが目に余るのに辟易していたものだ…
サム・クックのハーレムスクエアクラブでのライブ盤を聴く。 音楽の聴き方として、ギターやベースなどの楽器隊を中心に聴くのが僕の方法なのだが、サム・クックをはじめとする、ソウル・ファンク系は例外を設けて聴くほうが楽しそうだと気づいた。圧倒的なボーカルの力強さを目の当たりにすると、平伏すしかなくなる。そして、楽器隊のほうもそれに見劣りしない素晴しさなのだから、まさに聴きどころがそこかしこにあるというわけなのだ。恐しい。なんという効率的な。千数百円で買ったアルバムでここまで楽しめるとは。お金の問題ではないが。 余談だが、世の中、物価高が叫ばれている今日この頃。このような音楽を聴き込む遊びや、文庫本の値…
注文しておいたJ.B.s'のコンピレーション盤が届いた。JBのバックバンドだから、歌のないJBみたいな曲を演っているんかと思ったら、一聴しておしゃれな感じ。 僕がいままで漠然とイメージしていた、レアグルーブというジャンルにピッタリと当てはまっていた。JBの所との差に驚く。 これを車でかけながら、夜の街道を流したらクールだろうな。やってみようかな、普段は夜出かけないけど。
出勤前にビーチボーイズのベスト盤を聴く。90年代に出た古い一枚もののアルバムだ。僕は、ベスト盤は一枚にまとまっているものが丁度いいと思っていて、二枚とか四枚に渡るようなものだと、もう収拾がつかない。短い期間、例えばデビュー10年とかの節目で出るくらいの分量がいい。もう大御所の何十年というキャリアの中から、四枚とかにしたところで、まったくまとまりに欠けて、だたの寄せ集めになってしまう。もっといえば、シングル10枚分くらいと、B面かアルバムの曲を2、3曲入れたくらいのサイズ感が丁度いいと思っている。そうなると90年代のベスト盤ブームの頃のものばかりになってしまうけど。 今回のビーチボーイズは、もう…
強い負荷はあまりない肉体労働に従事している。負荷は強くないとしても、肉体労働をいつまでも、何歳になっても続けていける自信はない。僕も中年に差し掛かかってきて、近い将来を見てみても、10年くらいで限界を迎えるように思っている。職場の年長の人達を見ているとそう感じる。恐しい。人生はまだ10年以上は続いていくだろうから、身体を壊したり動けなくなれば、野垂れ死ぬことになりかねない。
昨日くらいからTalking Heads の Remain in Light を聴いてみている。最近は同じアルバムをリピートする聴き方に移っている。次に聴きたいのが思いつくまでリピートを続けている。以前は、一枚聴く毎にアルバムを替えていたが、歳を取るにつれ、次なる一枚を選ぶ作業がキツくなってきた。本当に歳のせいなのかはわからない。単に音楽に飽きてきているだけかもしれない。とはいえ、何かしら聴いている。聴くのは楽しい。 さて、Remain In Light だが、名盤の誉れ高いアルバムだという世評だ。ギターのカッティングがすさまじい。ファンクなんだな。リズム隊の功績が評判なのだが、ベースはしっか…
キンクスはシングルB面に佳曲が多いとどこかで聞いた。今日は部屋に積まれているCDの中から、そのキンクスのパイ・レコード時代のシングル集を聴く。ありがちなシングル集アルバムとは異なり、こちらはB面も網羅している。どうやらシングルのリリース順に、さらにその中でA面、B面の順で収録されているようだ。 パイ・コンプリート・シングル・コレクション 1964-1970 アーティスト:ザ・キンクス ビクターエンタテインメント Amazon 聴いていくと、聞いたとおり、聴き応えのあるB面曲が揃っている。販売戦略の縛りがないからなのか、幾分自由にのびのびやっている雰囲気がある。
気分よく暮している、調子いいな、と感じるときがあっても、2、3日後あるいは遅くても1週間もすれば、揺り戻しがある。段々だか突然だかに、落ちていく。気分の浮き沈みは必然だと思う。上りっぱなし、落ちっぱないしはない。そういう場合は、何か病気を疑うような状態だ。 自分は今いい気分だとか、落ちているなと感じる生活は、生きている感じがする。
Wes Montgomery のFull House を聴く。At Half Noteからの流れで。このアルバムを入手したのはもう20年近く前。当時読んだ、村上龍の小説『半島を出よ』にそのタイトルが出てきたのをきっかけに、これがジャズのアルバムかも知らずに買ったのだった。僕は、小説に出たとか、映画の中に登場したとか、雑誌のインタビュー記事に出た名前だとか、そいういうのをきっかけにして音楽やなんかを試してみることが多いのだ。 で、件のFull House。今回聴いてみて、いままで何回も聴いているはずなのに、驚くほど新たな発見がたくさんあった。なんなのか。20年の間、音楽の蓄積が積み上がった結果な…
レコーダーでNHKの総合、Eテレ、BSを全録している。そして、いざ見ようとなると、どのタイトルも面白そうで、興味深くて、結局、選べない。何も見ずじまい。これでは本末転倒だ。もっと気楽に構えたらいいものを。音楽を聴いたり本を読んだりもしたいし、テレビに割く時間はあまり取らない中での、この選択肢の多さ。困る。 ネトフリとかSpotifyみたいなサブスク系の膨大な量の中から選ぶものは、性に合わないのかもしれない。テレビなら大丈夫かと思って導入したレコーダーだったが、全録されたもののリストから選ぶのならサブスク系と変わらなかった。いずれもおすすめをレコメンドしてくれるけれど、そのレコメンドからさえ選べ…
カンロ飴をなめる。初めてだと思った。でも、子どもの頃に知っていた味だった。この味はなんだろうと思ってパッケージを見ると、しょうゆなんだ。飴としょうゆ。驚きだ。塩と飴だったらよく聞くけど。昔からある製品なのだろうか。メーカーの名前と商品名が同じあたりから推すと。 こういう昔懐しい味が好きだな。この前もサクマドロップスとニッキ飴を買ったし。
音楽が好きだというのも、車やドライブが好きだというのも、おこがましいと思える。これはネットの世界がよくない。よく云われていることだが、上には上がいるというのも簡単に知ることができるのがよくない。下手の横好きで何が悪いと開き直るくらいでないと何かを楽しむことがむずかしくなっている。自分は自分とネットを見ないのが一番なのだが、その好きなことの情報を得ようと思うと、市井の上級者を目の当たりにする。その情報はネットにしかないものなのか。最近、よく考えるのだが、ネットの情報は初級者、入門者向けが多くて、その域を脱すれば見る価値がなくなってくるように思う。もう知っているよ、つまらないなと思う。ネットへの情…
ここ数日、ラモーンズを聴いてる。今回聴き始めたきっかけは忘れた。感情が破壊されて何も感じない僕は、音楽を聴いてもあまり感動しないのであるが、心動かされることを求めているわけではないので、それはかまわない。かつてラモーンズで元気が出るとブログで書いたことがあったが、元気が出ることと感動するということは別物だと考えている。元気が出るという反応は、もっと無意識の下に出てくるもので、心とか頭脳で認識する以前の話だ。そういう段階では音楽の効能を受けられるのだ。まだ僕も捨てなもんじゃないな。 ラモーンズに限らず、こういう無意識下に訴えてくる音楽を探している。そういう音楽がいい音楽だ。それに対する、コミュニ…
音楽は生活の一部だ。何かしらかけている。かけていることはかけているが、最初から最後までしっかり聴くことは少くなっている。そうやって気合いを入れて聴くのが辛くなってきた。 今は、音楽は流しておいて、何か作業をする。パソコンを弄ることが多いか。そして、ふと手を止めて聴き入るという感じになってきた。もうね、しっかり聴こうとしても集中が続かないし、しっかり聴けなかったと罪悪感に苛まれることもあるくらいだから、健全な状態ではないと。もっと気軽に構えようと思ったわけだ。これが片面20分くらいのレコードだったら話はちがうと思う。集中は続くだろう。想像だが。ながら聴きはしないかもしれない。CDやサブスクだと長…
ひどい夢を見た。内容は覚えていないけれど、胸糞の悪い夢だったことは覚えている。こういうのはたまにあって、見ているときは、映画ですらありえないような情景がさも現実のような気がして、気が気ではない。夢なら覚めて欲しいと思って、早く起きなければと焦る。そして、目が覚めるとホッとする。 でも、いつか夢のなかの阿鼻叫喚が現実になるのではと恐々としている。夢のなかで起こったことを人に話したりして表現すれば正夢にはならないと聞いたことがある。話す相手はいないので、ここでブログに書いてなんとか収めたい。
休日だ。いつも休日の話ばかり書いている。仕事の話をしても仕方がないから。 今日は、車で隣の市の通ったことのなかった道を探検しに行った。近場でもまだ知らない道がたくさんある。遠出をしなくても愉しみは転がっているものなのだ。 まずは家で計画。地図を片手に、知っている道を軸にして、興味のある道(?)をピックアップ。まるっきり知らない道ばかりに突っこんでいくと、疲れるし、何より危険なので、よく知っている道から少し外れる感じで選んでいく。予定の道を通ったら、帰りは知っている道にする。 実際に走りに行ってみると、予定通りにならないことが多い。今日も何回も予定から逸れてしまった。そういう時でも、キョロキョロ…
ここ数日で生活に変化があった。 まず、パソコンのメンテナンスがうまくいかなくて、結局、OSであるLinuxMintを再インストールする羽目になったこと。少し専門的な話になるが、Mintのメジャーアップデートをコマンドでやってみようとしたら、途中で先に進めなくなった。諦めて最新のバージョンをダウンロードしてインストールしたという話。何が問題かって、諦めるまでに時間がかかって、半日を浪費したことだ。とっとと最新バージョンを落として入れればよかった。ネットにもこの方法のほうがスムーズだと書いてあった。 インストールし直したパソコンの環境は、今まで便利に使っていた設定を戻そうと思っても、もう忘れてしま…
長い小説が好きで、よく読んでいる。でも、長いのは、海外のものが多い。日本語を第一言語とする僕としては、日本の小説もしっかり読んでいきたいとも思う。海外かぶれに陥ってしまうのは、惜しい。そして、それよりも日本語の美しさやなんかを味わない手はない。日本語は習熟が難しい言語だと云われているから、それを第一言語としている者の利を生かせる。 10年近くブランクがあっての読書再開。いろんな本を読むのは癒しで楽しい。
パソコンって何ができるんだろう、結局のところ。昔は何でもできると云われていたけど、30年近く触っていても、ネット見る、音楽聴く以外の機能を使ったことがない。パソコンに関するコストを下げようと思って、中古のハードにLinuxMintやArchを入れたのは割と歯応えがあって面白かったけれど、目的が達成されただけで、使い道の幅は広がらなかった。仕事で使わない一般のユーザーだとこんなもんか。
ブックオフに行くと、ついお金を遣ってしまう。中古で一点物となると、今を逃すと手に入らないという気持ちにさせられる。冷静に考えれば、ああいうチェーンの中古ショップにあるような、当時たくさん売れたCD、小説、みんなが好きな名作映画の類は、いつでも手に入りそうなものだとわかるけれど。 それでも、90年代くらいのCDは2020年代も半分を経過する現在、当然流通量も減ってきている。早く買っておかないと、一番安い棚からネオクラみたいになって一般棚に移るかもしれない。と、買ってしまう。 もうブックオフで遣ってしまうのは仕方がない。たまの愉しみとして、たまに行くのがいい。しょっちゅう行っていては遣いすぎてしま…
休みだ。今日はゆっくりしたい。でも、日中の活動量が少ないと夜眠れない。ジレンマというほどのことでもないけれど、どっちを取るかという問題が起きる。結局のところバランスなのだ。 では散歩でもいかが。でもでも田舎で歩いていると危い。車社会だから車がビュンビュン通る。自分も車に乗るからわかるけど、道を歩いている歩行者がいると危いと思う。かといって、公園とか歩く道が整備されているわけではないから、散歩したい人は、ふつうの道を歩くことになる。家の親なんかは早朝とか車の少ない時間帯に散歩している。あるいは土手とか河川敷だね。そういう処は車が入ってこない。 ほかにも活動はあると思うけれど、思いつかない。外に出…
PCでキーボードをカタカタやるのが好きなのだ。でも、カタカタ打つにも、用がない。ITの人ではないからプログラムを打つことはないし、文筆家でもないから文章も書かない。せいぜいLinuxユーザーとして端末(ターミナルエミュレーター)でコマンドを打つか、ブログを書くくらいしか機会がない。別に素人でもプログラムを打ってもいいし、まとまった文章を書いてもいいのだが、その理由がカタカタしたいからとはね。 まあ、理由なんてなんでもいいのだ。ここでいう理由なんて、いわばきっかけみたいなもので、カタカタを楽しんでいくうちに何かいいものが産み出されるかもしれない。気負いはない。産み出されるものは副産物みたいなもの…
クルマで半日ほどかけて近場をウロウロしてきた。ちょっと疲れだしたので、時間はまだあったが切り上げた。疲れがあったり体調が万全ではない時には走るのを楽しめない。賢明な判断だと思う。 何なんだろう。この疲れは。クルマがコンパクトカーだからか。加齢のせいか。あるいは、運転技術、周囲の状況判断などが未熟なためか。 まず、ハードの問題にするのは好まない。今、与えられた物でいかに楽しく過ごすかが、ここまでの半生での大きなテーマであった。それは他の趣味や遊びにも通じているポリシーだ。要は、感じ方、捉え方、主体性なのだ。ことクルマに関しては、周りから見えるものだから、高性能なものに乗っても運転する側が見栄に終…
バッハの平均律クラヴィーア曲集を聴く。リヒテルの演奏だ。いつもこのアルバムは出だしの残響の多さが気になって、先行きが心配になる。このまま聴いていけるのかと。でも、それは杞憂だった。段々聴くのに興に乗ってくると、すらすらと進んでいく。すらすらという表現が適切かどうかわからないけれど、つまり、違和感なくすんなり頭や身体に入ってくるという意味だ。
昨年末の忘年会、二次会まで楽しんで、夜更かししてから体調がおかしい。昼間に頭がボーッとするのは2、3日で取れたが、仕事から帰宅した後にすぐに眠くなるようになった。耐えきれず横になってしまい、お風呂に入るのも億劫になる。こういうことは久しくなかった。幸い、夜はよく眠れるし、朝も決まった時間に起きられる。億劫になってもなんとかお風呂には入っている。生活に大きな支障はないのだが、夜の時間が眠気に奪われるのは、何かもったいない。朝早く起きて遊ぶことにしているから、気分転換ができなくて苦しいというわけではない。もともと夜の落ち着ける時間の設定は短く、早めに寝てしまう。それでも、それまで取れていた時間がな…
お正月は、箱根駅伝をラジオで聴きながらSwitchのピクロスに励む予定だったのだが、かなりの不完全燃焼となった。結局、ピクロスで遊んだのは、出だしの1、2時間くらいにとどまった。あとは、妹が帰省してきてお喋りをしたり、家族でお昼の談笑を楽しんでいたら、もう駅伝は終わっていた。 3日の駅伝復路も、クルマの電球切れに気づいてしまって、交換などをしていたら、もう駅伝は終盤に。最後に少しラジオを聴いてゴールの瞬間を味わったくらいか。母校はシード権を得たようだからよかった。 年々、箱根駅伝での意欲が薄れていくのを感じる。仕事の年もあるし、他のことをに興味を取られることもある。昔は日がな一日観ていたものだ…
Blu-rayでBOOWYのライブ、CASE OF BOOWYを観た。熱いライブだ。身体が熱くなって、寒い中、暖を取れた。そう、熱い音楽は暖房の効果があるのだ。エアコンの設定温度を上げることなく暖かくなれるのだ。BOOWYの他にも熱い音楽はたくさんあるはずだ。今の所有盤の中にも、サブスクにも。
新年早々、車の車幅灯の左側が切れているのを見つけた。先月点検に出したばかりなのに、なんだかなあ。 休みだし、DIYもいいかなと、ホムセンで替えの電球を買ってきて交換することに。 いざ始めてみると、難しい。みんカラで同じ車種の交換事例を見てみても、皆簡単だと言っている。初心者というか、普段はやらないことだから不慣れなのだ。ちょっとカプラーを外すのだが、力の入れ具合がわからない。力を入れすぎて壊したらイヤだなと思うと難儀する。なんやかんやでいじっていたら、案外力を入れなくても外れた。やはり慣れが必要なようだ。 電球が切れたのは左側だけだったが、交換して試してみると、右側との明るさの差がかなりあった…
今年初のエントリ。 まず、今年もパソコンは発売から14年、僕が中古購入してから7年目のThinkPad X220がメイン。いつ調子が悪くなってもいいようにサブの、これまたThinkPad X250も控えている。ふつうに考えると、こういう古いパソコンを使い続けるのは、Windowsのサポートが終了したり対応しなくなったりして難しい。これがOSにubuntuとかLinux MintなどのLinuxを入れればまだまだ戦える。 低収入だし、安く上がるのならLinuxもいい。行政系のシステム、例えばマイナポータルとかは使えないようなのだが、ただネットを見たりyoutubeを見るだけならまったく問題なくこ…
たまにやってくるP-Funkブーム。今日はearth tourとchocolate cityを聴いた。昨日は車にthe clones of dr.funkensitenをセットしてかけていた。 ブームとして意識するのはこれとPunkくらいしかないような気がするけど。
今朝は冷えこんでいる。暖房をつけても中々暖まらない。家が昔の様式で作られているからだ。最近の家は断熱が進んでいると聞く。新しく建った家を見ると、窓も少なそうだ。これで陽の光が入るのかと気になる。日光を浴びないと人は鬱になっていくと云われているから、冷暖房の効率はよくても健康にはどうなんだろう。
生活には刺激が大切だと聞く。祖父も生前にそんなことを言っていたのを覚えている。刺激とは。昔買ったCDや本を繰り返し聴いたり読むことは、慣れ親しんだものなので心地良い。そこに鮮烈な刺激はない。心地良いけれど。それでいいのだろうか。 ほかにも、新しい刺激を受けるのには体力を要するとも聞く。そして加齢によって体力が減って、刺激を避けるようになるという。生活のため、人生のために刺激を受けなくてはならないとすると違和感がある。面白いこと、面白そうなことがあればやってみたいと思うし、それがなければ何もしないだろう。難しく考えることもなかったか。 退屈になれば仕方なく刺激を求めるだろうし、刺激云々が気になら…
音楽。トッド・ラングレンの『魔法使いは真実のスター』を聴く。最後の曲、「JUST ONE VICTORY」は名曲だといろんなサイトに書いてあるのだが、今まで今一ピンとこなかった。そんなに言うほどいいかと思っていた。それが昨日今日と聴いていると、あれっ、なんかいいぞ、こんないい曲だったのかに変わった。音楽を聴く生活を長く続けていると、こういうことはままある。一聴して、あるいは聴き込んだアルバムでも、ピンとこなかった曲が急にハマりだすことがある。不思議で面白い。
子どもの頃は、ドストエフスキーのような古典的名作は、『罪と罰』とかタイトルだけ見ると興味があったけど、大人が読むものだと思って読まなかった。大人になってみると、今度は逆に、まだ読んでいなかったのかになる。 まあ読む気になった時に読めばいい。結局まだ積読のままだけど、そのうち読む予定だ。
昨日一昨日と連休だったのだが、出かけないで家にいた。たまには家で落ち着いて過ごすのもいいものだ。ちょっと疲れてもいたし、休息も必要だった。 本当にだらだら過ごしていていた。音楽をかけてボーっとしたり、ネットを見たり。だらだらするだけより、ちょっと動いたほうが疲れは取れると聞いた気もするが、今回はそんなことはお構いなしに、だらだらに徹した。 そして、今朝はまあまあいい気分だ。またしばしの間頑張るか。
お腹が空いた。早昼だ。近くの農産物直売所に行って、郷土料理の某を買ってきた。 僕は、伝統とか旧来のとかいうのが好きで、そういうのは残していきたいと思っている性質だ。郷土料理も食べ続けていかないと途絶えると思うので、事ある毎に食べている。 昔は家でもお昼に出たりしてよく食べていたやつなのだが、最近では家ではめっきり出なくなった。せめてお店に売っているうちは買って食べ続けたい。
どうにも疲れてしまっている。せっかくの休みなのに。午前中は、ガソリンを入れたりなんだりで少し出かけたけど、午後は大人しくしていようかと思う。音楽かけるか。 ディランが目についたからかけた。ライブ盤だ。しばらく聴いていよう。何周するかはわからない。疲れてアルバムを選ぶのも億劫なんだ。これで一日が終わっても結構。好いアルバムだからずっと聴いていてもいい。
腰痛にみまわれている。急に痛くなった。何等覚えがない。生活への影響がある。重労働ではないが、それでも身体を使う仕事だから少し支障が出ている。あくまで少しだけだから、まだ放っておいている。そのうち治ると思っている。疲れているのかな。
最近、夏目漱石の『それから』を読んで、日本語の美しさを感じているところだ。今まで海外文学の翻訳を読むことが多くて、日本文学にはあまり触れていなかった。それは超がつくほどの長篇を読みたくて、そういうのの有名所が海外に多かったためだ。今回、長篇の合間の箸休めとして、積読の夏目漱石を読んでみたが、海外文学とはちがった味わいがある。自国の言語だから、本当にそのままの形で入ってくる。今の時代からすれば、古風な言い回し・表現もあるが、祖父母と同居だったこともあるのか、そういう表現も違和感なく入ってくる。実際、昔の人は、日常でああいう言葉を使っていた。美しいと思うし、好いと思う。 また新しい楽しみができた。…
昨日は、平凡な日だった。落ち着いて過ごせた。仕事をして、帰宅後は本を読んだ。昨日みたいな日を重ねて、淡々と生活できたらいいと思う。毎日何かしらの事件が起こるような日常では疲れてしまう。反面、変化や刺激がなくては老いが早くなるような気がするが、何かと感じやすい性分なので、イレギュラーな事件はたまにあるだけで十分だ。
今日は休みなのに疲れているし、ストレス強く感じる。 酒も飲まない、タバコも吸わない、ギャンブルもしない僕は、こういう時には衝動に高額な買い物をしたくなる。そして、実際に買ってしまうと、後悔してたまらない気持ちになる。 ここ数年は、そういう衝動買いはしていないのだけど、今日は久し振りにしてしまいそうなくらいのストレスだ。午前中はなんとか抑えたが、午後から夕方はどうか。昔だったら、お店に実際に足を運び、商品を見て、我に返るようにして収めていたが、今は、ネットショッピングがある。深夜でも衝動買いができてしまう。抑えられるか。 抑えるために、今回、このブログを書いてみる試みをしているわけだが、効果はど…
諦めるが少し早すぎた半生だ。もう30代の中盤くらいで、諦める、期待しないと悟って、そのほうが楽に感じて、何も新しいことはなく40手前の今に至る。このブログではない、紙のノートに書き連ねている雑記には、諦めようとか、もう無理だと書くことが多かった。最近こそ、そういう話題は減ってきているが、一時期はそればかりだった。 今現在、諦めの危険性を少し感じている。諦めは麻薬である。気の持ち様は楽になるが、徹底していくと、何にも希望が持てず、何もしなくなる。希望を自ら消していくのが諦めなのだから、当然といえば当然だ。 今、何をするのか。楽しいことでも、お金を稼ぐようなことでも、何か動いたほうがいいのではない…
昨日は、風邪を悪くしてしまったのもあって、意識して早くベッドに入った。ベッドに入ったあとも、スマホを見たり、普段の音量で音楽を聴いたりは止して、静かにしていた。音楽も音量を絞って、穏やかな曲にして。 早く寝たこともあって、今朝はとても楽になった。風邪も少しよくなった気がする。ここ何日かのベッドに入っても何かしていて、眠りに就くのが遅くなっていた日と全然ちがう。今日も頑張れそうだ。
ゲームとか映画のような、人が作ったモノで心を動かされるのは、予定調和でつまらないことだと思っていた。もともと心を動かせるように腐心して作られたモノであるから、当然、心は動いてしまうのだ。 人が作ったモノではない、感動の源とは?例えば、大自然の圧倒的な景色に心を打たれるとか、みんなで作り上げた学園祭の出し物の成功とかか。 最近は少し反省して、人が意図して作った感動の源を享受するのもいいかなと思ってきた。大自然に圧倒されるのは、そう毎日できないし、定型的になっている日常にスパイスを与えるには、ゲームや映画でもいいかなと思えてきた。だいたい難しく考えすぎなんだな。
ここ数日、気温が急に低くなって、ついていけず、風邪を引いてしまった。つい、この前も引いていてやっと治ったばかりなのに、なんてこった。いままではこんな弱い身体ではなかったのに、どうしたのか。油断か、加齢か。まだ中年に差し掛かったところ、加齢云々を言うのは早い年頃だと思う。油断だと考えたい。
PC2台体制でいこうと思って買い足した、ThinkPad X250。Arch Linuxを入れて安定運用できる見通しがたったと思ったら、片方のメイン機、ThinkPad X220の電源ジャックが接触不良を起こすようになってきた。これは老い先短いぞ。直す技術も気力もないから、メイン機の交代か。できる限り延命したいが、それも限界があるか。
中古で買ったCDプレーヤー。5年持てばいいかなと思って買ったのだが、もう5年を過ぎている。まだ壊れる気配はない。当り個体だったのか、ぼくの扱い方が丁寧だからか。どちらにしろ、まだ頑張ってもらおう。 5年で壊れる想定だったから、そのために次なるモノへの資金も積立ていたのだが、予定は狂ってしまった。いい方向への狂いだからいいけれど。自分のポリシーとして、モノは使い倒して、使えなくなってから次へ行くというのがある。そのポリシーを優先する。
地図を見てルートを計画をすると、国道や県道などの色の付いた大きな道を行きたくなる。知らない道は不安だから、名もなき(番号がない)市道・町道の類は避けたい。しかし、そこが穴なのだ。国道・県道であっても、実際に走ってみると狭い道、わかりにくい道はたくさんある。逆に新しくできた、市道・町道のほうが広かったりして、その上、バイパスみたいな感じになっていて、結局、行きたかった道に出ることもしばしばある。経験によると。 今時、地図なんて見ない。ナビを使うから関係ないという人が多数であろう。たしかにそうなのだけど、ナビを使わないドライブを信条(?)として、時折、迷ってしまうことも含めて愉しんでいる人もいるの…
昨日は、茨城の筑西という処に梨を買いに行ってきた。梨農家の人が道端でやっている露店のほうがよさそうな気もしたけど、気が小さい僕は気が引けてしまって、無難に道の駅での購入となった。 帰ってきて、早速食べてみると、瑞々しくておいしかった。
職場で健康診断があった。かねてから気になっていた、メガネのコーティング剥れを放っておいたつけが来た。視力検査に影響が出てしまった。剥れている右目の視力が極端に低かった。ガチャ目は身体に悪いと思うので、早めにメガネを作ろうと思います。
無職期間に何をして過ごすのか?という話題をネットで見た。僕も体調が悪かったり、資格を取るんだと言って何もできなかった、ニートのような期間の経験がある。 何してたかなあ。音楽聴いてたな。純粋に。朝から晩まで終日。飽きなかったのかは思い出せない。少し不安もあったな、そういえば。
この頃、スラブ民族の歴史の本を読んでいる。昨今の世界情勢を考えると、あの地域の成り立ち・変遷を知っておくのは大切なことだと思ったからだ。 その前にはアメリカ史の本も読んでいた。大統領選も話題だし、様々な"力"は相対的に落ちているとはいっても、まだ大国であるアメリカ。その歴史も世界の流れを知るうえで大切だ。 そしてその後にはトルストイやドストエフスキーなどのロシア文学、アメリカ文学はスタインベックの小説も用意してある。『風とともに去りぬ』の再読もしてみたい。まだまだ本に埋もれる日は続く。
昨日は酷く疲れた。夕食後、お風呂に入るまでの間、少し横になっていたら、起き上がられなくなった。やっとの思いでお風呂に入った。 お風呂後、本を読むのは辛いので、音楽をかけた。これがいい。適当にかけたCDが身体に沁み渡る。普段はこうはならないのに。疲れが取れるわけではないが、身体や頭がほぐれて柔らかくなる感じがする。夜もよく眠れて、今朝も少しいい感じに目覚めた。 音楽と疲れの関係、覚えておこう。
車のオイル交換をした。少しでも長持ちさせるために。15年10万キロ超の車であるが、この前の車検では新しいタイヤも入れたし、ブレーキ関係の整備もした。正直、車についての考えはブレブレである。もう車齢もいったし、走行距離もきているから買い替えのプランも考えたこともあるけれど、ちょっとずつ整備を重ねているうちに、まだいいやと思うようになった。でも、日常的に新しい車は何がいいかなと考えているのは、なんなのか。一貫性がないのか、暇で車のことが好きなのか。車が好きなら、今の車の天寿をまっとうさせること、つまり、使うことを第一に考えたいと思うけれど。まあ暇で他に考えることがないんだろうな。よくないことだ、他…
NHKの総合とEテレ、そしてBSを全録している。面白そうな番組がたくさん録画されているのだが、どれから手をつけていいのかわからず、結局ほとんど見れていない。 今日は一念発起して、おとなの人形劇「平家物語」を見てみた。人形だけであそこまで表現できるとは!驚きである。よく知らないけれど、あれは何か伝統芸能のほうからの発展だろうな。日本独自の文化なのかな。 テレビ視聴否定派の僕だが、その頑なさを少し柔らげるような魅力的な番組が録画リストに並んでいる。昔からある新しい世界を垣間見た気がした。
ロザリン・テューレックのバッハ、ゴールドベルク変奏曲を聴く。98年の録音。 ながら聴きしようと思ってかけ始めたけど、何も手につかない。恐しい。集中することを強要されるわけではない。ただ単に引きこまれて他に何もすることを要しない。素晴しい余暇の過ごし方を与える演奏だ。こういう感想は邪道なのかもしれないが。
お盆は普段通りに仕事があって、全部休みというわけにはいかないけれど、それでも幾日か休みはある。何をしよう。出かけるのは止めておこう。大型連休は危険がいっぱいだ。普段車に乗らない人が道路に繰り出していて、いつもとはちがう感じになっている。仕事に行くにもいつもより慎重な運転を心掛けている。 では家で何をする。いつもの感じか。音楽を聴いて、本を読んで、少しネットを見て。インドア生活の見本みたいだ。動画鑑賞が欠けているのが人と違うところだけれど。まあ積読も多いし、まだ聴き込みが足りてない音楽もたくさんある。することには事欠かないだろう。暇でよくない考えに頭が苛まれることがなければいい。もともと精神が脆…
そこまでハードではないにしても、体を使う労働者である僕は、家に帰って本を読んだり考えごとをするには限界を感じる。もうね、疲れちゃって頭が回らない、本を読んでも頭に入ってこないことのほうが多い。考えごとは頭脳労働者に人に任せたい。彼等の世界のことはわからないが、きっと本や新聞を読んで悩み多き生活しているんだろう。 肉体労働者は、疲れた体を労りながら、布団に横になり、明日の労働に備えるのだ。難しいことは考えたくない。ルーティンに労働をして、家に帰って少々の愉しみを明日の糧にする。そんな生活でいいではないか。少し前時代的ではあるが。
夕方の雨はすごかった。ちょうど帰路に就いたところだったから、直撃を受けた。でも、近頃の夕立にありがちな、家に近づくにつれて収まっていくタイプだった。局所的にとてつもない雨が降るのが続いていると、いよいよ終末かという気になる。環境がどんどん悪くなる。 悪くなる環境に嘆いていても仕方がない。対応していかなくては。対応できなければ、死んでしまう。
はあ、今日は出かける時に給油もしておかないと。ガソリンスタンドのアプリに給油クーポンが届いていたから使っていこう。昔からクーポンの類にはあまり興味がなくて使ったことがなかったけれど、ガソリンならいいかなと思って使ってる。 クーポンの何が嫌かって、使い道が限定されるところ。お店に誘導されて余計な物も買ってしまいそうになるから危ないと思う。もっともガソリンスタンドでもオイル交換とか洗車、タイヤなどの勧誘もあるのだが。
普段は大枚をはたいて買ったオーディオで音楽を聴いているが、毎朝ラジオで聴くニュースの音も気に入っている。ソニーのラジオとパナソニックのラジカセがあるが、気分で使い分ける。どちらも音に色があるから使い分けられる。 音質に係わるボキャブラリーを余り持っていないので、詳しく言葉にするのは適わないが、どちらもメーカーのフィロソフィーを感じる音だ。明確なコンセプトを持って設計されているのがわかる。コストや使える部品その他の制約になる要素と条件の中で、コンセプトに近づくように考えられた努力の賜物である。そうして設計された工業製品は美しい。 趣味で作る物、あるいは趣味性を重視してコストを際限なくかける物のク…
昼食後、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番を聴く。プダペスト弦楽四重奏団の全集からだ。この全集は随分前から持っていたけれど、14番を聴くのは初めてのような気がする。大体目を引くラズモフスキーの3曲を聴いて、よくわからんと棚に戻してしまうのが常だったから。 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲というと、ピアノソナタや交響曲とともに彼の偉大な仕事のひとつと云われている。聴く前の前提としてのイメージは、作品番号の大きい後期の作品は、ピアノソナタもそうだけど厳しい感じを持っていた。今回聴いてみると、厳しさはあるようだが、とっつきにくい感じはしなかった。こういうことなら他の後期作品も聴いてみたい。こういう理由…
音楽聴きます。今朝はニール・ヤング。ライブ・ラスト。昨日、ちょっと大きめの音量で熱いライブ盤を聴くと元気が出ることを思い出していろいろ聴いている。ジェームス・ブラウンにラモーンズ、サム・クックも聴いた。圧倒的なライブ盤がいくつも棚にあるのを忘れていた。普段から聴きつけていないと忘れるものだ。このところ元気が出なかったのはこういった存在を忘れていたからだ。
Talking Heads の Stop Making Sence のサントラ盤CDにひどくハマっている。ここ何日かは寝ても覚めてもこれを聴く生活を送っている。つまり、仕事や何かで外出している時間以外はこのCDがかかっている。何がそんなに気に入っているのか。今回のハマりのタームでは、ティナ・ウエイマスのベースだろうな。以前、ネットでトーキングヘッズについて検索したとき、このティナ・ウエイマスの弾くベースラインが好きだと言っている人がいた。本当なんかね、と当時は思ったが、今はその意見に賛同する。 もう間も無くこの作品の映画版のリマスターブルーレイが発売される。もちろん予約しているが、届いた日には…
先日のNHK-FM、名演奏ライブラリーでやっていたクララ・ハスキルが気になって、家にあるアルバムを聴き返している。いいなあと思うけれど、浅学な僕にはそれを言葉にすることがで適わない。何年も音楽を聴いているけれど、言葉にするのは難しい。 良さを言葉として認識しないと、消費しているだけだと言われてしまうかもしれない。でも、最近は消費でもいいような気がしてきた。そうなると気楽に音楽その他の娯楽に接することができそうだ。一億総評論家時代という言葉を聞いたことがある。僕も一生懸命、評論とはいかないまでも言葉で認識しようとしてきた。そういうのは僕には合わない。あの過去の日々は楽しかったかと問われれば疑問で…
linuxPCの話。 この頃、日本語入力メソッドであるfcitxがメンテナンスモード(?)になったという話で、その後継みたいなfcitx5を使うことが推奨されていると聞いた。そこで早速僕もfcitx5へ移行してみることにした。 mintを入れているPCはすんなりとは行かないまでも、そんなに躓きもなく移行できた。少々てこずったのはarchのほうで、設定ツールが起動しなくて焦った。でも、落ち着いてターミナルのメッセージをよく読んで言う通りにすると設定ツールも起動した。 詳細なやり方はエンジニア諸氏の技術ブログなどを参照していただくとして、一介の肉体労働者がここまでPCに操れるようになったことには誇…
午後から用事があるけど、午前中はオフだ。 なにもせずに音楽にを聴こうと思っていたけれど、音楽だけに集中するのは難しかった。ちょいちょいswitchのピクロスで遊びながらの音楽鑑賞になった。switchはいいよなあ、ちょこっとしたすき間時間に軽く遊べる。テレビの前に陣取って長時間っていうのは重すぎてできなくなっている。僕の場合は昔からできなかったような気もするけど。スマホのほうがもっと軽いんだろうけど、別な抵抗がある。switchがちょうどいい。 でも、本当は音楽を集中して聴きたい。現代は音楽の代わりになる遊びやその他の誘惑が多すぎる。テレビも自室にあるし、ゲームもある。そしてインターネットの世…
グレイトフル・デッドのRFKスタジアムという1973年のライブ盤を聴いている。もうしばらく聴いている。この4枚組のアルバムのうち、Disc2ばかり聴いている。少し浮気もしたが、また戻ってきた。 長尺の曲がいくつか入っているだけのDisc2。この長尺の即興がいい。たゆたうような感じで。僕がライブ盤を愛好するのは、こういう長尺が好きだからだ。
古くて安いパソコンを使って、arch linux の導入に挑戦してみた。丸一日かかったが、なんとかネット閲覧ができるように整った。過去にも何回か挑戦しているが、使い物になるレベルまで進んだのは、今回が初めてだ。だんだんわかったきたな。
この頃は音楽を聴くのに音源は何でもいい。どれを聴いても外れを感じない。幸せなことだ。 音源を選ぶのに苦労する時期があったけど、ただプレーヤーに載っているのを聴いていればいいと開き直ってから楽になった。そうなんだ、飽きるまで聴いてから次へ移ればいいだけのことなんだ。何でもいいならこういう考え方もありうる。
2日くらいの間、アート・ブレイキー&ザ・ジャズメッセンジャーズのライブ盤を聴いていた。速い。まだ1950年代末期の録音だからか。
雑然とした部屋の片隅からコルトレーンのアルバムをMP3にして固めたCD-ROMが出てきた。こんなのあったっけ?作ったのはいいもののまったく聴いた記憶がない。せっかくだから車に持ち込んで通勤やドライブの時に聴くことにした。MP3は車で聴く用なのだ。家ではCD。 バラードやジャイアント・ステップス、ブルー・トレインなどが入っていて、どれもゴキゲンなサウンドで鳴っている。車のオーディオでジャズは荷が重いのかなと思ってたけれど、そんなことはなかった。快適なドライブが楽しめている。 車で聴いているうちに、本当にいい気持ちになってきて、家でも聴いてみたくなった。今日は出かけて帰ってきたあとにCDで聴いてみ…
この前届いたRamones の Leave Home 。第一印象は悪くはないんだけど、そこまでよくもないかなという感じだった。でも、CDを換えるのが億劫で何回も繰り返しかけていると段々よくなってきた。この年代のアルバムはスルメが多い。最初よくなくても、聴いているうちによくなってくる。逆に最初から圧倒的にいいなあと思うものは少ない。
ネットで宅配レンタルを頼んだり、通販でCDやDVDを買ってみても、届く頃には熱が冷めることがままある。レンタルでも通販でもこの上なく早く届くのに、それでも冷める。さすがに届いた物を観ない聴かないことはないけれど、熱やワクワクは割り引かれている。 そこでネット配信に頼ればいいということになる。これも曲者で、"いつでもできる"となるといつになっても観たり聴いたりしない。これは経験的に裏付けられている。何故なのかわからない。経験によるとしかいえない。一応サブスク料金は払っているが、利用実績はない。無駄に思えるが、いつでもできる状態を整えておかないと、映画・音楽愛好家としては気になってしまい、最終的に…
この前注文しておいた、Ramones の Leave Home と Road to Ruin が届いた。早速聴いている。1stとRocket to Russia は前から持っていて、いいなあと思って聴いていたんだが、そこまでの評判を聞かなかった今回の2枚は、教養を深めるためだ。音楽の教養を深めても仕方がないとは思う。仕事じゃあるまいし。仕方がないけれど、聴いてみたいから聴いてみる。
職場で気になったことに頭を惑わされながら帰宅した。モヤモヤする。今回の話はそのモヤモヤについて云々する話ではない。その惑わされた頭が、夕飯を食べて自室に戻り、音楽をかければ困惑も霧消して、すっきりした心持ちになった。いつからこんなに気分転換が上手くなったのか、という話なのだ。今回のモヤモヤが取るに足らないものだったのかもしれないが、いやいや、こういうことは最近よくあるので、気のせいだけにはできない。
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Bob DylanのHARD RAINを聴く。ライブ盤だ。梅雨に入って雨模様だから選んだ。なんと安易な。 昔は雨の季節になると聴くことに決めていたアルバムがあった。フィッシュマンズのロングシーズンをまず思い出すが、ほかにもあった気がする。曲単位では、スピッツのあじさい通り(アルバム『ハチミツ』に収録されている)か。
ベートーヴェンのチェロソナタ全集が聴きたくなって、棚からいくつかのCDを持ってきてかけた。第1番から聴いているけれど、いいなあ、好きな音楽だなと思う。昔はそれほどでもなかった。それどころか、ベートーヴェンの中でも苦手曲目だったのだが、まるで逆の評価に変わった。同じベートーヴェンでも、ピアノソナタはちょっと荘厳で重すぎるイメージがあって(全部とはいわないが)おいそれとは聴けないから、こちらのほうが気軽に聴ける。これはヴァイオリンソナタも同様。 聴いた演奏は、マイナルディとゼッキのものと、ロストロポーヴィチとリヒテルのもの。モノラルのマイナルディのほうはずっと前から持っていて気に入っている演奏。ロ…
間もなく今週中に新車が納車されるんだけど、この気分の浮かなさ。なんなんだ。ふつうだったら、このそういう時期にウキウキしてたまらないんじゃないかと思う。でも、全然ウキウキワクワクがない。車以外の、納車の嬉しさを凌駕してくるような心配事があるのだろうか。あるのだろうかと、他人事のように。喫緊の心配事はない。単に体調や精神の状態がよくないだけなのかもしれない。確かに疲れているし、変なことも気になるから精神も弱っている。それは認めるところだ。なんともったいない。もっとウキウキしたかったな、そうそうあることじゃないんだし。 まあ、そういう気分にならないんだから仕方がない。残念だけど。自分の異常性は認める…
3日休んだあとの出勤日。行きたくないなあ。休みに入る前に職場の人とも話したけれど、みんな連休後は行きたくないと思うようだ。僕だけがそう思うわけではない、ふつうのことなので、別に深く考えることはせずに粛々と出かける準備をする。 たかだか3日でこれだから、ゴールデンウィークとか盆暮れ正月の長期休みがある人は大変だ。
昨日は日がな一日、そして今朝も音楽はParliament の Mothership Connection。 いままでこんなに短い間に繰り返し聴いたことはなかった。同じParliamentでもClones of Dr.Funkenstein とか Fukentelechy VS. Placebo Syndrome だったらあったかもしれない。僕の中では影の薄いあまり熱心に聴いてきたアルバムではなかった。それが今回はよく聴いている。 世の中の人々が、あるいは音楽ファンがどのくらいひとつのアルバムを聴く込むのかは知らないし、知ったところでどうというわけもないけれど、ここ数年の僕は、短い期間ではあるが…
ラジオで年金制度やその課題、最近の制度改革の話を特集していた。それを聴いて、なんかヤバそうな感じがしてきた。この前の誕生日の時のねんきん定期便を見てみたら、ますます危機感がつのってきた。恐ろしい、なんか動き出さねば。 思えば、人生の転機にはラジオがあった。もうダメだと思っていた時につけていたラジオからきっかけを得て、人生が変わっていった。ラジオのCMから当時できはじめていた通信制の高校やそのサポート校を知った。それで不登校を脱出できた。高校の時も、たしか何かのラジオからきっかけを得て、自分はもっとできるんじゃないかと気づき、勉強を始めて大学へ行くことができた。 大学院を出てからは停滞していた。…
カシオのスタンダードな腕時計、通称チープカシオ(略してチプカシ)を購入。職場で使おうかなと。ブルーカラー系の仕事なので、もし壊れても後悔しないように安いこと、そして丈夫という条件で探して、これかなと。 前にもこの手の腕時計は持っていて、それを再利用しようと手間もかけてみたんだけど、DIYで交換したベルトが肌に合わなくて、新しいのを買おうと思案していたところだったのだ。 時計、あるいは時間について言うと、案外、時計に支配される生活をしていて、家にいる時もよく時計を見て動いている。寝る時間や起きる時間、家を出る時間どころか、支度をはじめる時間も決めていて、それどおりに動いている。例外はあまり作らな…
昨日の仕事は散々だった。思い出すだけで申し訳なくなる。けれども、昨日は昨日。気をとり直して、今日のお休みを満喫する。一日完全にオフなわけではないけれど、嫌な気持ちに責め苛まれないようにしっかり活動しよう。 ところで、野球中継の解説で聞いた話でこんなのがある。リリーフのある投手がひどく打たれた試合がある。その投手はそのあと、あまり間隔を空けないで次の登板をさせるらしい。よくない記憶が長く続かないように、すぐに機会をあたえて、そこで抑えてもとの調子を取りもどせるようにするためだ。こう考えると僕も今日が休みじゃないほうがよくない記憶を引きずらずにできてよかったのかもしれない。決まっていた休みだから仕…
今聴いてる音楽のことをネットで検索する。演奏している人のことやアルバムのレビューを見る。そうすると、気分は萎え萎えになる。何故なのかわからないが、最悪な気分になる。 最近思うのは、音楽をはじめ、芸術系のことについてネットで調べるのは徒労だ。徒労どころか害さえある。今は、音楽でも小説でも、出会いのきっかけはタイトルだけにとどめて、細かい情報は入れずに、とっとと手に入れて聴いたり読んだりするよう方向に移っている。資金に余裕を持たせておいて、情報によるリスク軽減を要しない体質にしておく。
パソコンでも何でもいいから、新しいことに挑戦したい。10年くらい前までは、お金がなくて、でもやりたいことや必要なことがてんこ盛りだったから、日々何かすることがあったんだけど。 急にここで振り返り。お金がなかったから、無粋にも無料というところに食いついて、パソコンはLinuxにした。数年の試行錯誤の後、安定的に運用できるようになった。運用と言っても、Web閲覧と音楽のCDをリッピングして焼くこと以外の用途には使っていないから、本当に軽いものだ。しかし、パソコンに関する出費はこの10年に2台の中古パソコンで5万円くらいのものだ。 次は、これもお金がなかったからという理由に帰結するのだが、車だ。もと…
僕は自分の言葉を使えていない。自分の言葉とは何か。判明にはわからない。話をしたり、文章に書き出したりするのに、相手や読者に気を遣いすぎて自分の言葉を見失っている。 理由は明らかで、現在の所属コミュニティ、主なものは職場であるが、そこで使う言葉が難しいと指摘されたことを気にしてこうなっている。難しい言葉を使って人をばかにしているのか、とまでは言われないまでも、そう思われかねないと不安になったのを覚えている。それから使う言葉を考えて話すようになった。そうすると、相手の言葉に対する、こちらの反応はワンテンポどころか数テンポ遅れるようになるし、その反応も的外れだったり、意味を為さなかったりで、ふんだり…
NHKラジオR1で『音楽の泉』を聴きながら。今日はベートーヴェンの『田園』。交響曲だ。僕は、クラシック音楽も聴く人だが、ふだん交響曲は聴かない。嫌いだとか避けているのではなく、いつかその時がきたらしっかりハマれるように、取っておいてあるだけ。その"いつか"は訪れないかもしれないけど、そうならそれもまたいい。 そういう取っておきはほかのジャンルでもあって、ヒップホップやエレクトロニカ、EDM(?)みたいな方面もそんな感じに見ている。ヒップホップには行っていないのに、その源泉のひとつ(?)のファンクやPファンクには到達しているという不思議な現象を見たが。
自室の照明、調子が悪い。点いた点かなかったりする。点くときはあるから、電球が切れたとか点灯管が切れたわけではないと思う。素人目には壁スイッチが怪しいと思っている。どこかが悪いわけだが、いずれにせよ電気工事店に頼んで修理してもらうほかに解決策はない。 そこで、僕の個人的な、異常ともいえる理由によって修理は躊躇われている。つまり、自室に人が入ってくるのが嫌なのだ。ここ数年は家族すら入るのを許していない。単に散らかっているからという理由ではない何かが僕の中にある。人をとても恐れている。それは、自室の中の異常性と正比例している。夥しい数のCD盤。いくつかの棚にびっしりとある。入りきれなかった分は、そこ…
平日休みに出かける時の教訓を得た。曰く、朝早く出発しても効果が薄い。なぜなら、途中のどこかで通勤の人々の車ラッシュにつかまるからだ。前々から薄々気づいていたことだったけど。前回は意気込んで6時半には出発したけれど、混み合いにうんざりして途中で引き返してきたっけ。 そういうことなら、朝はのんびり。コーヒーでも飲んでゆっくり支度をして、ラッシュが済んだ頃に出発する。出発前にかけていた音楽が素晴しすぎて、出発しない選択肢も取りうる。
休みの日にブログを書くことが多いが。 音楽だ。Parliament の名盤、P-funk Earth Tour を聴きながら、次なるファンクのアルバムをネット通販で買おうとカートに入れたのだが、まだ現有の名盤群の聴き込みが充分でないことに気づき、ブラウザを閉じた。だいたい今の時代に音楽をフィジカルで、しかもCDで買うなんて、質にこだわる人の中でも稀有な存在なのではないか。たぶん、音質やグルーブなんかを気にする人は、アナログレコードを探すだろう。逆に気にしない人はサブスク配信を気軽に聴くと思う。僕はなんなんだ。 しかし、今回の話のコアは、現有の名盤群の聴き込みが足りていないことにある。今朝も出か…
仕事に遊びに忙しくしている日々。今日も日曜の出勤前に少し遊ぶ。音楽を聴く遊びだ。Ramones の Rocket to Russia を聴いて朝の時間を過ごす。昨日の夜もこのアルバムは聴いていたけど。CDでしか持っていないけど、この手のアルバムは安物プレーヤーでもアナログレコードで聴くのが気持ちいいと思うんだ。あるいは、ポータブルなラジオから流れてくるとか。まあ、そういう聴き方しかなかった時代に出されたアルバムなんだから、それで気持ちよく聴こえるようにチューニングしてあるんだろう。 ネットの識者の意見で、その時代に出された音楽は、その時代の機器で聴くべきだ、というのを聞いた。たしかにそうだと思…
休みだ。風邪気味なので、家で過ごすことに。音楽を聴いて過ごしてる。こんなに遊びが多様化しているご時世に、音楽を聴いて過ごすとは。最早、酔狂。陶酔的な愉悦に浸っている。 そして、周りの人が知らない音楽を聴いているという自覚と優越感もある。音楽に酔うのはいいが、こういう自分に酔うのはいかがなものかと思う。やめたい。
風邪を引いた。鼻詰まり。鼻声。少しの咳。熱は出ていない。 そう、熱は出ない。もう10年以上、熱を出してない。風邪は引いても熱は出ない。軽めだが身体を使う仕事を始めてからこうなったようだ。学生の頃やなんかはそうではなかったから、仕事のおかげでいくらか強い身体になったのだと思う。
余暇の時間が忙しくて、こういうブログを書く間も惜しいくらいだ。でも、書いていく。 余暇は充実しているのだが、あんまり時間をかけすぎると、社会の情勢や流行からかけ離れてしまって、浮世離れした人間になってしまうのではないかと心配している。ラジオやテレビで情報を得なくてはならないと思う。でも、それが無駄で、負担なことだと感ぜられる。個人の価値観が多様化してしまって、共通の話題を見出すことが難しくなっている時世に、社会情勢などを追うことは徒労にすぎない。最近は、人との会話の話題に、そういったテレビなどからのものがあまりないのも拍車をかける。趣味に走っても問題はないような気が日に日に増している。10年前…
今日、朝から延々と音楽を聴き続けて、当たり盤は、グレイトフル・デッドのRFKスタジアムでのライブ盤だった。 こういう長大なライブ盤に耳を傾けながら、ネットを見たり考えごとをしてみたり、あるいはしっかり聴いてみたりするのが最高。同じように長大なライブ盤をたくさん出しているフィッシュもいいが、フィッシュはちょっと重いきらいがある。もう少し気軽に聴けるのがよくて、今日の夕方はデッドにしてみた。
この前届いたRamones の Leave Home 。第一印象は悪くはないんだけど、そこまでよくもないかなという感じだった。でも、CDを換えるのが億劫で何回も繰り返しかけていると段々よくなってきた。この年代のアルバムはスルメが多い。最初よくなくても、聴いているうちによくなってくる。逆に最初から圧倒的にいいなあと思うものは少ない。
ネットで宅配レンタルを頼んだり、通販でCDやDVDを買ってみても、届く頃には熱が冷めることがままある。レンタルでも通販でもこの上なく早く届くのに、それでも冷める。さすがに届いた物を観ない聴かないことはないけれど、熱やワクワクは割り引かれている。 そこでネット配信に頼ればいいということになる。これも曲者で、"いつでもできる"となるといつになっても観たり聴いたりしない。これは経験的に裏付けられている。何故なのかわからない。経験によるとしかいえない。一応サブスク料金は払っているが、利用実績はない。無駄に思えるが、いつでもできる状態を整えておかないと、映画・音楽愛好家としては気になってしまい、最終的に…
この前注文しておいた、Ramones の Leave Home と Road to Ruin が届いた。早速聴いている。1stとRocket to Russia は前から持っていて、いいなあと思って聴いていたんだが、そこまでの評判を聞かなかった今回の2枚は、教養を深めるためだ。音楽の教養を深めても仕方がないとは思う。仕事じゃあるまいし。仕方がないけれど、聴いてみたいから聴いてみる。
職場で気になったことに頭を惑わされながら帰宅した。モヤモヤする。今回の話はそのモヤモヤについて云々する話ではない。その惑わされた頭が、夕飯を食べて自室に戻り、音楽をかければ困惑も霧消して、すっきりした心持ちになった。いつからこんなに気分転換が上手くなったのか、という話なのだ。今回のモヤモヤが取るに足らないものだったのかもしれないが、いやいや、こういうことは最近よくあるので、気のせいだけにはできない。
今日は休み。半日だけ音楽を聴いて過ごした。その中で良かったのは、コルトレーンのバラードだった。コルトレーンのテナーの音色が刺さった。いままではアップテンポのこれぞシーツオブサウンドみたいなのをいいなあと思っていたんだけど、たまたま選んだバラードのアルバムに新しい世界を見た。繰り返し聴いて、午後からのドライブのときもかけた。ゆっくり目のジャズはお洒落過ぎるイメージで敬遠していたのだが、しっかり芯があって聴きどころがあるのを知った。カフェで流れるゆったりと軽い感じのジャズに抵抗があって、速い・激しいものこそ本物だと信じていたが、テンポだけで判断するのは早計だったな。
朝から午前中は、Grateful Dead の70年代のライブ盤を聴き、お昼を食べてからはStevie Wonder の70年代のアルバムを聴いている。往年の名盤は繰り返し聴いても苦になったり飽きたりしないから、低コストで効率よく時間を過ごすことができる。こういう言い方はいかがなものかと思うが、お金のかからない余暇の過ごし方は物価高が叫ばれる昨今では重要なことだ。金のない学生時代から変わらない実践だが。完全にデフレマインド、失なわれた30年の生活が尾を引いている。こういう愉しみ方を血肉にしてきたから、よりよい生活を目指すより、今あるものを最大限味わって楽しみ尽くす思考体系になっている。貧困まっ…
穏やかな休日を過ごしたい。最近は、面白いこと、楽しいこと、興奮を求めすぎた。 穏やかで何もない日の尊さを今日は感じる。精神が静まることがこんなにも気分のよいことだとは。日々を意味のあるものにするために焦りすぎていた。意味は後付けでいいのかもしれない。後でどうにでも付けられる。
夜、家に帰ってきて、ちょっと横になっちゃうともう起き上がれない。お風呂に入るのが億劫でたまらない。何年か前にもこうなることがあって、よくないと思い、横にならないように習慣づけたのだが、最近習慣が崩れはじめている。 何かしていないとすぐ横になりたくなる。テレビでも音楽を聴くでもしていれば何とか踏ん張れる。 でも、結局、お風呂は入るし、その後に寝る前のハミガキも欠かしてはいない。
職場の昼休みに読書。ヘッセの『車輪の下』を常備して読んでいる。もう何周かしているが、毎度身につまされて辛い気持ちになる。何もこういう小説を昼休みに読まなくてもいいのではないかと思うが、他のものを持っていく気にはならない。 ああいう話が小説として書かれるということは、ああいう人が世の中にはある程度存在しているということだと思われる。それだけでは心強くという訳にはいかないが、まだ完全にレアな世界で生きているわけではないと思うと、いくらかマシ。その対処法は人それぞれなのだろうから、ヒントが与えられていなくても文句は言わない。 でもヒントはどこに求めればいいのだろうか。小説の世界か、あるいは日々の生活…
the oscar peterson trio の we get requests を聴いてる。お洒落。洒落てる。 tommy flanagan trio や sonny clark trio も聴いたけれど、同じピアノトリオという構成なのに、これほどちがうものかと驚く。おもしろいなあ。
全録レコーダーに残っているMLB中継を見る。話題のプレーヤー、レッズのデラクルーズを見たくてレッズ対ドジャース。盗塁を見たかったが、今のところ出塁はない。でも、彼の特徴のひとつである強肩はいくつか楽しめた。 ところで、MLB.tvからの情報によると、期間限定でサブスク料金が半額になるキャンペーンをしているようだ。半額になっても今年は加入しない方針は変わらない。
用事を済ませて帰ってきた。Todd Rundgren のライブ盤、Back to the Bars を聴く。これを聴くために急いで帰ってきた。 でも、1周聴いたら満足かな。2周目はやめてJoni Mitchell の Clouds を聴こうかと考えてる。
雨だったので、家でちょっとしたDIY。腕時計の切れたバンド交換を。 チープなカシオの腕時計。価格が安いのでバンド交換するより買い替えたほうが手っ取り早いけれど、DIYを楽しむために交換用バンドのほうを購入。ホームセンターの汎用品。 この腕時計、しばらく使っていなくて、電池切れで止まっていたのを先日何年かぶりに電池を入れ換えて復活させたものだった。しかし、ほどなくして着けてみようと思ったら樹脂製のバンドが切れてしまっていた。せっかく10年持つという設計の電池を換えたばかりなのに、また倉庫の肥やしになるのは不憫だし、DIYスキルを上げたい、楽しみたいのもあって遊びがてらバンド交換をすることにした。…
ネットを彷徨っていたら、メガネの正しい扱い方という話があった。その話の内容は、以前、メガネ店でメガネを買ったときに言われたものと同じようなことだった。目新しいことはなかったのだが、実践はできていなかったので、これを機にしっかりとした扱いを心掛けようと思う。 貧困層予備軍の自覚があるので、余計な出費を抑えるために物は長持ちさせたい。丁寧にとまでいかなくても、雑に扱う習慣を持たないように気をつけたい。安物は雑に扱ってもかまわないと思いがちだから、最上の物とはいかなくても、ある程度の価格の物を使うようにして、長期的に見て余計に払っていないかを意識したい。
何か書いていくか。何か書こうと思って書くんじゃ、いい話は書けないとどこかで聞いた。普段からいろんなことを考えて、そこから溢れ出たことを書いていくのがいいのだと。溢れ出たものがまとまっているのかは甚だ疑問だが、書こうと思って書いたものより深くて面白そうではある。 では、今日の話である。音楽はキンクスを聴いている。この前ブログにも書いたシングル集だ。昨日は一瞬、浮気をしてスミスを聴いていたが、また戻ってきた。キンクス独特のキンキーサウンドは、5月のからっとした晴れの日にマッチしていると思う。これからの暑い時期になると、それはそれで暑い夏を暑いものとして過ごすときのいいBGMだ。清涼感や楽しさはない…
キンクスのパイレコード時代のシングルを集めたコンピレーションを購入。このアルバムはシングルのA面だけでなく、B面も網羅している。A面B面というシステムや呼び名は僕の世代にはあまり馴染みがないものだけど、意味するところはわかる。我々の世代ではカップリングと呼んでいたものがB面にあたるものだろう。 そして、本題のコンピレーションであるが、A面の曲とB面の曲ではだいぶ風情が違う。どちらもキンクスらしいキンキーサウンドなのだが。
朝から音楽はaretha franklin の live at fillmore west だ。昨日はjames brownで今日はまたちがうのを聴く。それでも昨日はJBを何回も聴いていたし、昔はそれこそ1枚聴き終わったらもう次のアルバムへ移っていた。だんだんと1枚をじっくり聴くようになってはきてはいるのだ。昔は良さがわからなかったから、じっくり味わうもなにもなかった。今でもまだ途上ではあるが。 では、aretha franklinのほうではあるが、あまり頻繁に聴くアルバムではなかった。このライブの前座であるking curtis のライブ盤、 fillmore west のほうが気に入ってい…
今、james brown の Live at The Apollo Ⅱを聴いているところだ。聴きながらブログを書くのもどうかと思うから手短かに。バンドの演奏もさることながら、JBのボーカルもいいよね。好きだな。 しばらくの間、ベースに注目していろんな音楽を聴いてきたが、ボーカルもいいもんだな。注目する角度を変えてみると、同じアルバムでもちがった側面があることがわかる例だ。そういえば、ドラムに持っていかれたアルバムもあった。歌詞に心酔することがいまだかつてないが。
やっぱり音楽鑑賞趣味に帰ってきてしまう。もう音楽を聴くのは止めよう、受け身の趣味はよくない、とか、車で出かけるほうが合っているのなどと考えて、脱却を試みても帰ってくるところは音楽になる。 本当に外に出かけるのが楽しい瞬間もある。でも、家に帰っては音楽のことを考えない日はないし、音楽を聴かない日があったとしても、することの候補には必ず挙がってくる。生活の一部とか習慣になっているのだ。 でも、脱却を志すのは止まらないであろう。脱却への試みというある種の試験を経て、音楽への想い、存在の重要性を再確認していくのだ。そして存在は強固なものになっていく。もしかすると、これは音楽だけにとどまらないのかもしれ…
ゴールデンウィークは働くことにして、その間の平日に休むことにした。今日明日と連休する。 まず初日の今日。ちょっと疲れていて体調が万全ではないから、出かけるのは止めておこうと思う。明日になって身体が回復しても、明日は明日で天気が良くないといわれている。せっかくの連休も何もできずに終わりそう。 それでも、ダラダラ過ごせるし、休みは出かけるだけが全てではないだろう。家でくつろぐのも一興。家での遊び環境も日々整えているから準備は万端だ。でも、発想を変えて、とことんダラダラしてみるのにも興味がある。普段まじめに生活していて、早寝早起き、規則正しい。それを崩すと積み重ねたものも瓦解するように思うが、破壊の…