日本の国家安全保障80年代 序章 7 中東・西アジアでも緊張が激化していく。 南イエメン(イエメン民主人民共和国) の 共産主義 親ソ連化 に 加え、 アフガニスタン では 1978年4月のサウル革命 によって 人民民主主義党書記長タラキ の 左翼・親ソ連政権 が 誕生する。 東側陣営・共産主義勢力 の 攻勢が続くなか、 西側陣営にとっての 中東における砦 であり、 「ペルシャ湾の憲兵」 と呼ばれた イラン・パーレビ国王の政権 は、 当時最新鋭 の 海軍戦闘機 グラマンF-14Aトムキャット戦闘機 初飛行1970年、 自重18,2トン、 推力93kN×2 を 購入し、 同じく 当時最強の駆逐艦 キッド級駆逐艦 満載排水量・9574トン、 Mk42 127mm砲2門 Mk26発射機2基RIM-66スタンダードMR艦対空ミサイル80発、 Mk141発射機2基RGM-84ハープーン艦対艦ミサイル8発、 Mk15ファランクス20mm近接防御武器システム2基、 Mk324短魚雷発射管2基Mk46魚雷6発、 船価3億3000万ドル を 4隻 発注するなど、 国家防衛体制 を さらに親アメリカ、西側陣営寄りに傾けていた。 しかし、 「人権外交」を標榜する ジミー・カーター政権 によって 人権侵害を指摘され、 アメリカによる政権維持の後ろ盾は危うくなっていた。 そして 貧富の格差拡大 と アメリカ中央情報庁CIA と イスラエルの諜報特務庁モサド から 指導された 秘密警察サバク は 過酷な反政府活動取り締まりだけにとどまらず、 一般国民 へも 人権侵害、 根拠不明確な逮捕、 厳しい尋問、 拷問 を 実施、 イラン国民の反発は日増しに高まり、 ついには1978年1月 に コム暴動が発生、 イスラム反政府運動が活発化、 パーレビ国王政権は危機に瀕していく。