プロフィールPROFILE
ボケモン島を浮かべているのは太平洋や日本海なんてケチな水たまりじゃないぞ。この世じゃ。チミモーリョーがウヨウヨ住む世界だ。そんなこの世のもろもろのチリ・アクタが、日々ボケモン島の浜辺に打ち寄せる。それらをいったん呑み込んで、ボケ頭で咀嚼し、吐き出す。とにかくボケても言うことは言うワイ。遠慮も慎みも蹴とばして、ホンネを言うたる。耳の痛いヤツは来ないでいいぞ。しっぽを巻いて逃げてろ! 高齢化ニッポン万歳!
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ブログ村参加:2017/08/16
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1件〜30件
本記事のタイトルを見て、「尿もれ」とか「失禁」を想像された人もいるかもしれない。書いてるヤツが漏れてもおかしくない年だしね。 が、その種の話ではない。その手の話は、ホントはキライではないんだけどね。 さて、わしら夫婦は、集合住宅の2階に住んでいるのだが、先日、夜の10時過ぎに階下の住人から電話がかかってきた。 こんな時刻に何だろうと不安になりながら応対すると、不安は的中した。 わが家の真下にある部屋の天井に、水のシミができているという。「
前回、高齢の義母の暮らしやすさを願ってリフォームしたトイレが、かえって義母を苦しめた話を書いた。 きょうはその姉妹編。(→前回はこちら) さて、古式ゆかしき "しゃがみ型" から、"最新式温水洗浄器付き" にリフォームしたトイレである。 前回に書いたようにトイレでブランコするような事態は、さすがにわしには生じないものの、別の事態が生じた。 操作ができないのである。もしくは操作が難しいのだ。 トイレで "操作" といえば、「古式」なら簡
高齢の義母が亡くなって、空いた家にわしら夫婦が引っ越ししてきた。 それまでと家の諸設備がちがうので、住んでいて勝手がちがうのに戸惑うことがなくはない。 そのひとつがトイレの便器である。 このトイレは、義母がまだ生きていた数年前にリフォームしたものだ。 で、便器も古式ゆかしき "しゃがみ型" から、最新式の "温水洗浄器付き" に変わった。 だが、義母はあまり喜ばなかった。娘(わしの女房)があれこれ調べて誂えたものだから、強くは言わなかった
前回、銀行のロビーで待たされている間に、店内をシサイに観察して(…って退屈しのぎに見てただけだけど)、「銀行は老人のゲームセンターである」とカッパした。(河童じゃないヨ、喝破)(→前回はこちら) そのとき同時に別のことにも目が行った。 銀行の支店のフロアには、どこでもたいてい案内係がいるよね。 小さな店では1人か2人、大きな店では4、5人いるところもある。 うち1人はたいてい入り口辺りにいて、入って来る客に「何しに来た!」などとは言わない
先日、住所の変更手続きをしに銀行へ行った。 だいぶ待たされた。 こういうときに読むものはリュックの中に入っていたが、来るとちゅうカミさんとくだらないことで口喧嘩をしたので、本を読む気分ではなかった。椅子にすわって、辺りの様子をぼんやり眺めていた。 「辺りの様子」といっても、見るのはほとんどは人間だ。目の前を行ったり来たりするさまざまな人間。 わしは人間との付き合いはあまり好まないが、外から眺めてるのはわりあい好きなのだ。 それで気
前回、「うるさい」もののひとつとしてカミさんの小言をあげたが、カミさんの小言以外に、もう1つわしにとってうるさい上に腹立たしいものがある。 蚊の羽音である。前回に触れたプーッではなくて、プーンという蚊が飛ぶ音。 夜、ベッドに入っていざ寝ようとするときに、暗闇の中にプーンという蚊の音がすると、もう眠れなくなる。 音のする方向をねらって闇の中で両手をパチンと叩き、迎撃するが、戦果があったためしがない。おそらくアサッテの方向へ手を打っているのだろう。
わしにとって、うるさいものの筆頭はカミさんの小言である。 「小言」が言いぎなら「注意」。 テレビの音が大きすぎる、ドアの開け閉めが荒っぽい、衣服に食べ物のシミが付いてる、背中が丸くなってる、アゴが出ている、道のデコボコに気をつけて、エトセトラ、エトセトラ・・・。 もちろん当方のタメを思って言ってくれてるのは分かってるが、大したことじゃないことをアレコレつづけて言われると、つい「うるさい!」って声を上げたくなる。 たまたま老友にそう言ってグ
最近、"日常生活の迷路にはまる" としか言いようのない事態に陥ることがちょくちょくある。 迷路の入り口へわしを導くのは、高齢者の親友 "物忘れ" だ。 毎度まいど登場させてわしも気が引けるが、年をとればとるほどこの老友との仲は親密になる。ヘタをすると一瞬べつの何かに目をやっただけで、呼びもしないのにこいつが現れることもある。あれ、いま何かしなきゃいけないと思ったんだけど、何だったんだっけなァ?・・・ってなぐあい。 そうなるともう、それが何だったか出
もう50年ほど前になるが、わしは面白半分で探偵事務所に半年ほど勤めたことがあった。 そのとき週に2,3回くらい、役所へ謄本や抄本など公的文書を取りに行かされたことがある。入ったばかりの新米は、最初はそういう技術や経験の要らない仕事をやらされたのである。 さて今年、義母が亡くなってその相続手続きなどで、何十年ぶりかで公的書類をもらいにあちこちの役所へ行ったら、様子や作業の仕方が大きく様変わりしていた。 窓口へ行くと、(最近はどこでもそうだけど)ま
ここのところちょっと重い話が続いたので、今回は軽~い話。前回みたいに痛くないよ。ま、豆腐の角に頭をぶつけるくらい。(→前回はこちら) ある出来事に出くわすことで、あるいは、ちょっとした何かをすることを通して、それまで気がつかなかった自分の意外な一面を発見するってことってない? 生まれて初めてキスをしたら、自分の鼻が意外に高いことに気づいた・・・なんて話じゃないよ。(ちなみにわしの鼻は高くも低くもなし) なんども書いているように、最近わしら
前々回、前回と「人生のまさか(真坂)」について書いた。 (→ 前々回、前回) 前回をアップしたあとで思い出した。もうひとりの、とてつもない大きな「まさか(真坂)」を歩いた人のことを・・・。 この人も、たまたま読んだ本で出会ったのだが、まだ若いのに想像を絶する人生で、世の中にはこういう人もいるのだ、と仰天した。 「まさか(真坂)」の話を書いてこの人に触れないのは、キスをして唇に触れないのに等しいような気が
よく知られているが、 「人生は重き荷を背負いて長き道を行くが如し」 と徳川家康は言ったという。 わしは前回、家康の向こうを張った訳ではないが、 「人生は "まさか(真坂)" の連続を行くが如し」 と言って、おのれの体験をその一例として書いた。 ( → 前回はこちら) しかし、このわしの「一例」はいかにもお粗末な一例で、ブログをUPしてからずっと、「人生の真坂」に対して申し訳ない気がしていた。
人生には、上り坂、下り坂、まさかの坂、の三つの坂があるという話を聞いたことがある。 たしかに人生にはツイているときとツイていないときがあり、さらに「上り」でも「下り」でもない「まさか」の坂もある、というわけだが、まあうなずける。 そこで80年余に亘るおのれの人生を振り返ってみると、残念ながら「上り」少なくして「下り」多く、それ以上に「まさか」の坂が多かったような気がする。数えきれないくらいで、いちいち覚えていないが、人生を変えるような大きな「まさ
のっけからナンだが、女房の父親は "旧家族制度の父親像" の権化のような男だった。それも、その悪い面だけをていねいに身につけた・・・。 たとえば何であろうと、戸主であり家長である自分の意にそわないことは、いっさい家族に許さなかった。また自分が求めることに家族が応えないときも許さなかった。どのように理不尽なことでも、自分の意に染まぬ家族の振るまいを決して看過しなかった。つまり家庭内における絶対的帝王であった。 配偶者(義母)には財布を渡さなかった。毎月
高齢になると、とりわけわしみたいに80の老峰を越すと、体の筋肉や脳細胞は下降の一途をたどるばかりで、もはや引き戻すことはできない・・・とこれまでは言われていた。ほとんどそれが定説のようだった。 もうお前らみたいな年寄りは甘いこと考えないで、おとなしくお迎えを待ってろ、と言われてるみたいで気分よくなかった。 ところが最近は、テレビなどに出てくる医学関係者の言うことが少し変わってきたの。適切に鍛えれば高齢でも筋力は回復するし、脳細胞だって適切に脳に刺激を
当ブログは、ほぼ1ヵ月ほど前からお休みをしていた。 高齢で引っ越しをすることの過酷さにネをあげて、ついに両手もあげそうになり(バンザイじゃないよ、お手上げ状態になったの)、おちおちブログも書いておれなくなったからである。 それからほぼ1ヵ月。 いやあ、大変だった! この年になってこんな地獄を見るとは、思いもしなかった。 とりわけ引っ越しがあと2,3日に近づいた頃は、もうほとんどパニック状態だった。その時期になってもまだ梱包されていないモノがかなり残ってい
前回は、いまの日本ではほとんどの地方自治体が、ゴミ出し時にゴミの分別をすることを住民に課していて、そのゴミ出しルールが老人にとっちゃ複雑怪奇な妖怪のようだ・・・と書きかけたところでエネルギーがコト切れた。 で、ひと晩寝て、今回はその続きである。 この世には、"引っ越しが趣味" とか "引っ越しマニア" であるとかと称する奇特なひとがいる。わしにはまるで、"ヘビを首に巻いて寝るのが好き" だと言ってるのに等しく聞こえる。 それはともかく、そういう "へビ
頭が禿げ、腰が曲がってから引っ越しをすると、こうなる・・・ということを書いている。(これまでの経緯はこちらから → ① ② ③ ) 老人の引っ越し作業において、いちばん大きな障害となるものは何だと思う? そりゃ何てったって、老い衰えた筋肉、肉体じゃないの? ・・・と思うかもしれない。しごく真っ当な推察だネ。ふだんは持つことのないような重いモノ・・・おのれの人生のクソみたいなガラクタを詰めこんだダンボール箱を、くり返し上げたり下げたり移動させたりしなけ
お知らせここに実況中継中のとおり、ただいま引っ越し先と引っ越し元のあいだをくり返しトンボ返りしながら、ヒーヒー言いつつヒッコシ作業に追われているため、1日が終わると頭と目がまわってブログまで手がまわらないことがあります。前回の金曜日はそのテで更新できませんでした。これからも同じ現象が起きる可能性があります。あらかじめお許しを請う。 前回、義母が遺した家に転居する上でまずしなければのは、何よりその家を整理すること、実態に即して言えば家中に繁栄して
前回、老いぼれ高齢者夫婦が、老骨を引っさげて孤立無援の引っ越しをする経緯・・・というか前説みないなのを書いたが、今回はその "実況中継" の第1報である。(前回はこちら) 今回わしらが引っ越す先は、亡くなったカミさんの母親がこのあいだまで住んでいたマンションである。 この母親は、生きているときから当ブログにもたびたび登場してもらい、100歳になる寸前に突然亡くなった時のことも何度かに分けて書いている。以前からこのブログを読んでくださっている方は、ああ、あの
近く引っ越しをすることになった。 ・・・と簡単にいうけど、あんた、それがどういうことか分かってるの!? と、老人仲間のひとりから呆れた顔をされた。「おチョコやトックリの包装から金塊・札束の箱詰めまで、全部業者におまかせして自分は懐手して口で指図するだけ・・・というのなら分かるけど、それにはモッノスゴイ金がかかるんだよ。あんたそんな金もっていたっけ? いつも食うだけでピーピーだと言ってなかった?」と。 彼は引っ越しの経験を60代半ばでした男だけに、口調に実感が
田舎の少年だったわしに、思いがけず、"夏休み限定" の都会育ちの女友だちができた。 そのいきさつを前回に書いた。今回はその続きだが、前回を読んでいないと今回書くことが意味不明になる可能性があるので、面倒でも前回分をざっと目を通してから、今回を読んでね。(前回はこちらから) 時が流れて、K子が5年生になると、からだがずいぶん大きくなった。 むじゃきな子どもっぽさも抜けてきた。 母親は、「都会の子は成長が速いねぇ、栄養がいいのかねぇ」などと言ってい
前回、少年のころの夏の輝きの1ページを書いたが、今回も、もう一つ。 (前回はこちらから) わしの子ども時代の夏の思い出に、特別な色を添えたものがある。 "都会の女の子" である。 当時、わが家の近くに同姓の家があった。遠縁にあたる家筋だということだったが、その家の次男が都会に出て所帯をもっていた。 夏休みになると、毎年、その次男一家が家族づれで帰省してきた。 次男夫婦には子どもがひとりいた。わしよ
子供のころ、お盆(旧暦)が過ぎると世の中が少し暗くなった。 夏至からすでに2ヵ月近くが過ぎて、太陽が地球から遠のいたからではあるけれど、小学生にはそれ以上に大きな理由があった。 夏休みがあと10日ほどで終わって、また学校へ行く日が近づいたからである。 しかも、夏休みの宿題がほとんど手付かずのまま残っている。毎年この時期になると、わしは頭に黒い袋をかぶせられたような気になった。そして、紙袋をかぶせられた猫のようにジタバタした。 ま、毎日が "大型連休"
虫と文学は大っ嫌い。文字が並んでいるのを見ると、ムカデが自分の太股を這ってるのを目撃したように鳥肌が立つ。・・・と言った男がいた。 それを聞いたのは、わしが40歳前後の頃だったが、同じ年ごろの彼が、それまでに一篇の小説も読んだことがないと言うのを聞いたとき、40年間いちども風呂に入ったことがないと言ったのに等しい・・・とわしには思えて、ひどく驚いたのを覚えている。 だが、それほど文学が嫌いなひとでも、芥川賞を知らない日本人はまずいないだろう。ムカデ嫌いの彼も名前
どこかで触れたと思うが、わしが子供だったころ、わが家はあまり豊かではなかった。 一家の中心だった祖母が老いて仕事を辞めたのとほぼ同時に、母も職を退いたので、飛ぶ鳥に矢が当たったかのように急落した。村中でも、どちらかというとばビンボー家庭の口だった。育ちざかりの子供を5人も抱えていから、それぞれの口へエサを運ばなければならない親は、かなり大変だったと思う。 夜中に目が覚めると、ふすまを閉めた隣の部屋から、ときおり両親のひそひそ声が聞こえてくることがあった。
わしの父親は、義理にもツイているとは言えない星の下に生まれた。 物心がつくかつかない頃に両親に死なれ、親戚筋とはいえ他人の家をたらい回しにされて育った。 勉強はできたらしいが、上の学校へ進むには養家への遠慮があり、当時学費が無料だった師範学校(教員養成学校)へ進んで、教師になった。 そして、やはり教師だったわしの母と結婚したのだが、母が一人娘だったため、婿入りだった。 母の母(つまり父にとっては姑)は、しっかり者のある種の女傑だった。惚れて結婚した亭
義母が永眠して早や2ヵ月半がすぎた。 時間の経つのが速い、あっという間だねぇ、何してたかねぇ・・・なんて年寄りのヒマ話を夫婦でしていて、ひょいと2ヵ月半前に話がもどり、母親の臨終のときの話になった。 息を引き取ったことを主治医が告げたとき、女房は何をしたかというと、何とはなく母親の体にさわってみたくて、毛布の下に手を入れて足にふれてみたという。 生きている時とほとんど変わらない温みがまだ残っていた。でもそのときは間違いなく母の命はすでに消えていたわけで、
庭木に小鳥が来て餌を求め、枝から枝へ飛び移っている。 目の端にうごく影を感じて本から目をあげ、ぼんやりその姿を追うのは楽しい。 だがそういう平和な世界にも、一瞬にして死が差し込まれることもある。 それがこの世である。 数年前になるだろうか。 そのときも居間の窓ぎわ近くに椅子を引っぱってきて、本を読んでいた。 ・・・と、背後のガラス戸の辺りでガシンという大きな音がした。 振り返ってみたが、ガラス戸にも、辺りにも、べつだん何か変わったところはない
ジトジト雨を降らせつづけていた灰色の空が、久しぶりに途切れて青空をみせた。 わしは窓をあけて、顔を外につきだした。なんとなく、梅雨の晴れ間の空気を吸いたかったのである。 と、まるでそれを待っていたかのように、湿気の残る空気をふるわせながら街頭放送が聞こえてきた。空には風があるらしく、放送の声は遠くなったり近くなったりしたが、およそこんな内容だった。「**市からご協力のお願いです。今朝の8時ごろから、○○町の□□△△子さん77歳の行方が分からなくなっています。