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  • 貝と人 千葉市埋蔵文化財調査センター

    千葉市埋蔵文化財調査センターで開催中の特別展「貝と人」を鑑賞した。テーマは「縄文時代から続く貝と人とのかかわりを探る」、房総半島は周囲を海に囲まれ、縄文時代から現在にいたるまで、人々は多くの海産資源を利用してた。なかでも貝類は縄文時代以来、盛んに人に利用され、そのかかわりは現在でも続いている。本展では、貝を「身」と「殻」に分け、長年続く人とのかかわりについて、様々な角度から展示する。京都大学総合博物館から1世紀ぶりに里帰した加曽利貝塚出土の彩色貝製品とアワビ製貝鏃の2点は必見。蒐集家上羽貞幸氏のコレクション。千葉市内初公開。他にも、長倉Ⅰ遺跡・岩手県軽米町教育委員会所のイモガイとオオツタノハ製…

  • 子持勾玉-群馬県内出土品を集めてわかったこと- かみつけの里博物館

    かみつけの里博物館で開催中の第32回特別展「子持勾玉-群馬県内出土品を集めてわかったこと-」を鑑賞した。子持勾玉は現在のところ全国で約700点確認されている。群馬県内では、約70例の存在が知られ、この数は、都道府県単位で全国一。本展では、群馬県内出土の子持勾玉を集め、発掘調査による出土例をベースに、その共伴遺物から設定した年代から、子持勾玉の変遷を試みる。また、出土場所として、豪族居館から出土した三ツ寺Ⅰ遺跡(3例)、原之城(1例)、囲い状遺構から出土した金井下新田遺跡(1例)と竪穴建物から出土した18例について考察する。なお、図録によれば、群馬県内出土子持勾玉71例のうち、58例について実資…

  • 愛宕山古墳発掘調査見学会 (2/15) 行田市埼玉

    2月15日に開催された特別史跡埼玉古墳群の愛宕山古墳発掘調査の現地見学会に参加した。愛宕山古墳は昭和56年度(1981)に南側の内堀、中堤、外堀の一部と東側の道路の部分が発掘調査された。また、令和3年度(2021)からの調査で、西側の内堀等は大きく撹乱されていることがわかっている。今年度は昨年、発掘調査した前方部の主軸線上の調査区の東隣に調査区(1トレンチ)を設けて、外堀の外側の立ち上がりが確認できた。また、くびれ部東側、主軸線と垂直に調査区(2トレンチ)を設け、古墳構造の立体的な情報(墳丘の墳長から墳裾まで高さや傾斜、中堀・中堤・外堀の深さ・幅・傾斜)を得るとともに、多くの須恵器片と埴輪片を…

  • 砧中学校3,4号墳 世田谷区成城

    砧中学校の校内に保存されている2基の古墳を見学したくて中学校を訪れたが、見学は事前許可どりが必要とのことだったので、校外から見学した。 砧中学校3号墳、文献[1]では「①台地、②学校、③一部遺存、④円墳(径25m)、⑧墳丘の痕跡をわずかに残す。」 砧中学校4号墳(区史跡)、文献[1]では「①台地上、②学校、③遺存、④円墳(径32m)、⑧砧中学校の片隅に墳丘の一部を残す。」 砧中学校古墳群4号墳 世田谷区公式ホームページ 砧中学校古墳群 砧中学校3号墳-4号墳【東京都世田谷区】 - ぺんの古墳探訪記 文献 東京都教育委員会 1985『都心部の遺跡 -貝塚・古墳・江戸- 東京都心部遺跡分布調査…

  • 殿山古墳群 世田谷区大蔵

    殿山横穴墓群になかなか近寄れなかったので、その間に、殿山古墳群を探索。 殿山1号墳、文献[1]では「①台地上、②畑、③湮滅、④円墳?、⑤土師器片、金環、刀子、鉄鏃、玉類(勾玉、ガラス玉、棗玉)、顔料」 殿山2号墳、文献[1]では「①台地上、②東名高速道路、③湮滅、④円墳(径7m)、⑤横穴式石室、⑥土師器、鉄片」 殿山3号墳、文献[1]では「①台地上、②神社、③一部遺存、④円墳、⑤土師器、⑧第六天神社境内北側に数10cm程度の高まりとして観察できる。墳丘北側は東名高速道路工事の際に削られたと思われる。」 殿山4号墳、文献[1]では「①台地上、②宅地、③湮滅、④不明」、写真は丹沢山系の眺望 殿山5…

  • 殿山横穴墓群 世田谷区大蔵

    大蔵遺跡の見学会の後で、2015年(平成27年)9月に現地見学会が開催された殿山横穴墓群の現状を確認できないかと探索した。1時間半ほど探索した結果、現地は、東名ジャンクションのHランプとGランプの工事中でフェンスに阻まれ近づくことはできない、かつ、殿山横穴墓群に関する説明板等は設置されていなかった。 直土地区画整理事業完成記念碑 田直土地区画整理組合の施行区域は、東京の西南に位置し国分寺崖線のハケ下の小地域である。ここの土質は主として ローム層から成っているが地表面は風化して黒土と言われる農耕に適した土地であった。 世田谷区社育委員会の調盗で、この付近の旧石器縄文時代の遺跡や古墳等が発掘され、…

  • 大蔵遺跡 見学会 (2/5) 世田谷区大蔵

    2月5日に開催された世田谷区の大蔵遺跡(おおくらいせき)の遺跡見学会に参加(見学)した。大蔵遺跡は世田谷区の遺跡番号No.30の遺跡で、標高約40mの武蔵野台地の縁辺部に立地し、遺跡の西側が国分寺崖線で、崖下を仙川が蛇行しながら南流する。過去に13次の発掘調査が行われ、主に縄文時代中期前葉〜後葉の集落遺跡として知られている。今回は、大蔵住宅第2期建て替え工事に伴い東京都住宅供給公社からの委託で東京都埋蔵文化財センターが発掘調査を実施している。調査範囲の西半は昭和30年代の大倉団地の造成に伴い立川ロームⅢ〜Ⅳ層上面まで削平され、縄文時代以降の遺物包含層は失われていたが、調査範囲の北西の崖線沿いの…

  • 「墓・ムラ・縄文人ー縄文後期前葉の集落様相ー」 (2/1) 県民共済みらいホール

    2月1日に横浜市の県民共済みらいホールで開催された令和6年度 東京・神奈川・埼玉埋蔵文化財関係財団普及事業公開セミナー「墓・ムラ・縄文人ー縄文後期前葉の集落様相ー」に参加(聴講)した。本公開セミナーは、神奈川県・埼玉県・東京都の埋蔵文化財関係財団による普及連携事業として、平成20年度から毎年、各都県が持ち回りで開催、今回が17回目。今回は縄文時代後期前葉がテーマ。縄文時代中期と後期後半をつなぐ転換期で、墓地とそれに近接する住居はこの時期を象徴する存在。三都県のそれぞれの特徴的な様相を明らかにするとともに、群馬県や最近の調査事例を交え成果を発表。基調報告は「神奈川県の様相-墓に一番近い住居-」「…

  • 『長竹遺跡-地中に埋もれた巨大遺跡-』 (1/26) パストラルかぞ

    1月26日に加須市の「パストラルかぞ」で開催された 令和6年度ほるたま考古学セミナー『長竹遺跡-地中に埋もれた巨大遺跡-』に参加(聴講)した。加須市の長竹遺跡は、利根川右岸の堤防強化対策事業に伴って平成22年10月から平成27年3月まで発掘調査が行われた。その後、令和6年3月まで発掘成果をまとめる整理報告書の作成作業が行われ、6集(15分冊)の報告書が刊行された。細長い調査区からは、弧を描く縄文時代後・晩期の「環状盛土遺構(かんじょうもりつちいこう)」と、その上層からは古墳〜平安時代の竪穴住居跡と畠跡、中近世の畠跡や利根川堤防に関連する遺構が見つかった。セミナーでは、基調報告として、地元の加須…

  • 講安寺 (再訪) 文京区湯島

    5年前に旧岩崎邸庭園の煉瓦塀のブログ記事で講安寺の寺門と説明板の写真を掲載した。その時は気が付かなかったが、講安寺にも煉瓦塀が残っているとのことで、再訪したところ、講安寺の庫裏・客殿一部解体/修繕・修復工事及び新庫裏新築工事・外構工事中だった。工期は令和7年1月から令和9年3月末まで。設計監理/監修は隈研吾建築都市設計事務所。 講安寺本堂と庫裏(裡) 区指定有形文化財 本堂は、社寺建築でありながら土蔵造である。寺伝にいう宝永五年(1708)から、かりに寛政元年(1789)頃にさがっての建立であったとしても、江戸の町で普及した土蔵造という防火建築が、多くの災害にあい、また、建て替えられるという歴…

  • 煉瓦塀 文京区湯島

    文京区教育センターの企画展に行くときに、たまたま見つけた煉瓦塀。 にほんブログ村

  • 玉村町15号墳石室 玉村町歴史資料館

    群馬県玉村町の古墳巡りのラストは玉村町歴史資料館に移設された玉村町15号墳石室。 玉村町15号墳(綜覧古墳番号玉村町15)、番号191[現状:×、墳形:円墳、径約18m、埋葬施設:袖無型横穴式石室]、石室を移築保存 『上毛古墳綜覧』玉村町第15号墳の移築石室 古墳名 『上毛古墳綜覧』玉村町第15号 古墳原位置 玉村町大字角淵2762 発掘調査年月日 昭和41(1966)年12月19日〜29日 復旧施工期間 昭和42年(1967)年10月8日~16日 調查復元指導 群馬大学教育学部史学第2研究所 玉村町に古墳が出現したのは古墳時代前期で、今から1600年以上昔です。軍配山古墳や三角縁神獣鏡が出土…

  • 梨ノ木山古墳・殿台山古墳 玉村町下茂木

    群馬県玉村町の古墳巡りの続き。 浅間山 梨ノ木山古墳(綜覧古墳番号芝根村3)、町史跡、番号173 [現状:△、墳形:前方後円墳、規模不明、埋葬施設:竪穴系(不明)] 梨ノ木山古墳 ▪️現状・南北42m、東西45m、高さ7mの伏鉢状の円墳 ▪️石室の型式・竪穴式石室と推定される ▪️出土品・刀子滑石製模造品、円筒埴輪片、土師器杯破片若干 ▪️築造年代・5世紀〜6世紀と推定される 所在地・群馬県佐波郡玉村町大字下茂1027番地 玉村町教育委員会 町史跡 玉村町 群馬県佐波郡玉村町下茂木 梨ノ木山古墳 古墳探訪記 梨ノ木山古墳【群馬県玉村町】 - ぺんの古墳探訪記 殿台山古墳(綜覧古墳番号芝…

  • 玉村町19号墳 玉村町角渕

    群馬県玉村町の古墳巡りの続き。 玉村町19号墳(綜覧古墳番号玉村町19)、番号205[現状:×、墳形:円墳、径21.2m、埋葬施設:不明(未調査)]、 墳丘上に王子稲荷神社を祀る。 玉村町No.350遺跡(玉村町第19号墳) – 埼群古墳館_改 玉村町19号墳-22号墳-23号墳【群馬県玉村町】 - ぺんの古墳探訪記 文献 群馬県教育委員会 2018「群馬県古墳総覧2017(第2版)」 にほんブログ村

  • 玉村町26,27号墳 玉村町角渕

    群馬県玉村町の古墳巡りの続き。 玉村町27号墳(綜覧古墳番号玉村町27)、番号211 [現状:×、墳形:円墳、径20.0m、埋葬施設:不明(削平)] 玉村町26号墳(綜覧古墳番号玉村町26)、番号210 [現状:○、墳形:円墳、径25.5m、埋葬施設:不明(未調査)] 群馬県佐波郡玉村町角淵 玉村町26号墳・玉村町27号墳・角淵六地蔵・道祖神 古墳探訪記 玉村町26号墳-27号墳【群馬県玉村町】 - ぺんの古墳探訪記 文献 群馬県教育委員会 2018「群馬県古墳総覧2017(第2版)」 にほんブログ村

  • 上之手薬師前古墳・玉村町No.238遺跡無名古墳・ショウデンヤマ古墳 玉村町上之手

    群馬県玉村町の古墳巡りの続き。 上之手薬師前古墳、番号239 [現状:○、墳形:円墳、径31.2m、埋葬施設:不明(未調査)] 玉村町No.238遺跡無名古墳、番号252 [現状:△、墳形:円墳、規模不明、埋葬施設:不明(未調査)] ショウデンヤマ古墳、番号261 [現状:△、墳形:円墳、規模不明、埋葬施設:不明(未調査)] 群馬県高崎市新町 於菊稲荷神社・群馬県佐波郡玉村町 上之手薬師前古墳・玉村町237遺跡無名古墳 古墳探訪記 群馬県佐波郡玉村町宇貫 ショウデンヤマ古墳 古墳探訪記 上之手薬師前古墳-玉村町No.238遺跡-ショウデンヤマ古墳【群馬県玉村町】 - ぺんの古墳探訪記 …

  • 若王子古墳 玉村町上之手

    群馬県玉村町の古墳巡り。 若王子古墳(綜覧古墳番号玉村町33)、番号238 [現状:△、墳形:円墳、規模不明、埋葬施設:不明(未調査)]、墳丘上に若王子神社を祀る。 群馬県佐波郡玉村町上之手 若王子古墳 ・ 玉村町下新田 玉村八幡宮 古墳探訪記 若王子古墳【群馬県玉村町】 - ぺんの古墳探訪記 若王子古墳(群馬県玉村町) kofun-0524のブログ 文献 群馬県教育委員会 2018「群馬県古墳総覧2017(第2版)」 にほんブログ村

  • 日本橋日枝神社 中央区日本橋茅場町

    日本橋日枝神社を参拝。 ご祭神 日枝大神(大山咋神 国常立神 伊奘冉神 足仲彦命) 「咋」とは「主」という意味で、その名の通り大山の主であると共に広く地主神として崇められ、山水を司り大地を支配し、万物の成長発展と産業全般の生成を守護されます。 相殿の神 菅原大神(菅原道真公) 至誠・孝道をはじめ、学業・詩文・和歌・書道の神として崇敬されています。 稲荷大神(受氣母智神) 稲の神として五穀豊穣のほか、一粒の米から多くの実りがあることから商売繁盛の神として崇敬されています。 浅間大神(木花佐久夜比売命) 山に咲く花の女神で、そのお姿は美しく子授け・子宝・安産・災害除けの神として孝敬されています。 …

  • 日本電気創立当時の建物基礎 港区芝

    港区芝の日本電気株式会社の本社に保存された創立当時の建物基礎。 日本電気創立当時の建物基礎 このレンガ造りの基礎は、日本電気創立当時に建てられた建物のものです。 明治44年頃に建てられたこの建物は、赤レンガ造り2階建で、最新様式のたいへんモダン な建物でしたが大正14年から始められた旧本社ビル建設の際に姿を消しています。 このレンガ基礎のなかに、日本電気の草創期、新事業への情熱に燃えた先達の姿を偲ぶことが出来ます。 日本電気創業当時の建物の基礎 明治44年 当時としては最新の建築技術を駆使した耐震・耐火のレンガ造りの建物でした。この基礎は昭和53年に発見されたものです。 NECの歩み: 会社概…

  • 隕石 星のカケラが語ること 文京区教育センター

    文京区教育センターで開催中の東京大学総合研究博物館コレクション/スクール・モバイルミュージアム「隕石 星のカケラが語ること」を鑑賞した。隕石は46億年前の太陽系の誕生とその後のダイナミックな天体進化の歴史を記録したタイムカプセル。宇宙からやって来た、星のカケラである“隕石”は、どこの星から来た、どんな“石”なのか、多種多様な隕石を展示。南極や砂漠での隕石探査のフィールドワークや各地に残る巨大な隕石落下の痕跡である“衝突クレーター”を紹介。太陽系と地球の長い歴史を実感。 隕石 星のカケラが語ること 東京大学総合研究博物館 スクール・モバイルミュージアム スクール・ モバイルミュージアム (大学連…

  • 発掘と発見の考古学・明大考古学の75年 明治大学博物館

    明治大学博物館で開催中の企画展「発掘と発見の考古学・明大考古学の75年」を鑑賞した。本展は、群馬県岩宿遺跡や神奈川県夏島貝塚などの国指定重要文化財5件を中心とした考古資料の数々から、戦後の日本考古学研究を牽引した明治大学考古学の調査と研究の歩みを振り返る。 企画展「発掘と発見の考古学・明大考古学の75年」開催のお知らせ 明治大学 明治大学博物館 2025年展覧会案内①<発掘と発見の考古学・明大考古学の75年>1月11日(土)~3月15日(土)戦後の日本考古学研究を牽引した本学の調査と研究の歩みを振り返ります。※本展は、考古部門の常設展示室改修に伴い、主要資料を移設して展示するものです。#御…

  • 古代の児玉・深谷地域 本庄早稲田の杜ミュージアム

    本庄早稲田の杜ミュージアムで開催中の第5回本庄早稲田の杜地域連携展覧会・本庄早稲田の杜ミュージアム企画展「古代の児玉・深谷地域」を鑑賞した。本展は、律令制の定着とともに地方行政組織の整備が進んだ飛鳥時代後半(7世紀後半)から奈良時代(8世紀)の児玉・深谷地域の古代遺跡と出土遺物を展示する。 本庄早稲田の杜地域連携展覧会「古代の児玉・深谷地域」/本庄市 【開催中】本庄早稲田の杜地域連携展覧会「古代の児玉・深谷地域」|イベント|本庄早稲田の杜ミュージアム 本庄早稲田の杜地域連携展覧会児玉地域のはにわ大集合 – 早稲田文化 【終了】企画展 「旧石器・縄文時代の児玉・深谷地域」|イベント|本庄早稲田の…

  • 「かみかわの古墳を知ろう(7)海老ヶ久保の古墳」 神川町多目的交流施設

    神川町多目的交流施設で開催中の令和6年度第2回企画展「かみかわの古墳を知ろう(7)海老ヶ久保の古墳」を鑑賞した。令和2年度から開催している「かみかわの古墳を知ろう」シリーズの第7弾。本展は池田・新宿地内に所在する青柳古墳群海老ヶ久保支群を出土遺物(10,11,18,20,41号墳)や写真、パネルで紹介する。 企画展「かみかわの古墳を知ろう7」の開催/埼玉県神川町ホームページ 現説のあとは、玉村町歴史資料館と、埼玉県の神川町多目的交流施設、本庄市の本庄早稲田の杜ミュージアムをハシゴ。かみつけの里博物館の「子持勾玉」展も行きたかったけど、じっくり見たいので次回とした。 pic.twitter.co…

  • オトカ塚Ⅱ遺跡現地説明会 (1/19) 玉村町下茂木

    1月19日に開催された群馬県玉村町のオトカ塚Ⅱ遺跡(おとかづかつーいせき)の現地説明会に参加した。オトカ塚古墳は、6世紀後半に築造された玉村町域最大級の前方後円墳とされ、1884年(明治17年)に地元住民が発掘し環頭大刀・耳環・玉類などの副葬品が出土。オトカは御稲荷の音読み。キツネを意味する。1935年(昭和10年)の調査時は芝根村第2古墳とされていたが、墳丘に稲荷小祠があり、 言い伝えでは、昔、 キツネ(オトカ)が生まれて付近の家畜に被害があり、村民が赤飯を献じて難を逃れたことからオトカ塚と呼ばれるようになったとのこと。1991年(平成3年)の宅地造成に伴う調査で江戸時代の井戸から、国内最大…

  • ほるたま展2024「古墳時代の祈り」 埼玉県立さきたま史跡の博物館

    埼玉県立さきたま史跡の博物館で開催中のほるたま展2024「古墳時代の祈り」を鑑賞した。本展は、20年(令和2年)に日本最多45点もの子持勾玉や古墳時代後期の大量の祭祀具が発見された行田市北大竹遺跡の出土品を中心に展示。ヤマト王権や古代国家の形成を地方から考えるとともに「古墳時代の祈り」に思いを巡らせる。 ほるたま展2024「古墳時代の祈り」 ―埼玉県内の商業施設5会場で開催― - 埼玉県 ほるたま展2024「古墳時代の祈り」 - 埼玉県 企画展・特別展 - 埼玉県立さきたま史跡の博物館 展示ケースの中からこんにちは!!ほるたま展第五部準備中です(まにあえー!!がんばるーー!)#さいまいぶん #…

  • 高輪築堤モニュメント 新橋駅西口広場(SL広場)

    新橋駅西口広場(SL広場)に設置された高輪築堤モニュメントを見学した。 時代とともに姿を消した高輪築堤を、鉄道はじまりの地「新橋」へ 平成31(2019)年4月、品川駅改良工事の際に高輪で石垣の一部が発見されました。 それは、すでに取り壊されたと考えられていた築堤でした。 築堤は日本初の鉄道を実現させるため海の上に作られた線路です。 当時、一度埋め立てた土砂が波に流されて築堤が崩壊するなど工事は難航しましたが、明治5(1872)年10月14日に新橋から開港場であった横浜を結ぶ、約29kmの鉄道が開業しました。 写真: 3街区第7橋梁橋台部「概説 高輪築堤」港区教育委員会所藏 高輪築堤とは 高輪…

  • ル・コルビュジエ 諸芸術の綜合 1930-1965 パナソニック汐留美術館

    パナソニック汐留美術館で開催中の「ル・コルビュジエ 諸芸術の綜合 1930-1965」を鑑賞した。本展は近代建築の巨匠として世界的に知られるル・コルビュジエ(1887‒1965)の後期、1930年代以降の絵画、彫刻、素描、タペストリーなどを通して、ル・コルビュジエ円熟期の仕事を概観、レジェ、アルプ、カンディンスキーら同時代の画家たちとの比較、20世紀の革新的頭脳の創造の源泉に迫る。 パナソニック汐留美術館 Panasonic Shiodome Museum of Art Panasonic ✨【お知らせ】✨『ル・コルビュジエ 諸芸術の綜合 1930-1965』が本日1月11日より開幕しまし…

  • 米満横穴墓群Ⅲ-10 (再訪) 支群 長南町米満

    昼食後は、約1週間前に墳活納めで巡った米満横穴墓群Ⅲ-10支群を再訪。 米満横穴墓群Ⅲ-10支群の1基目(再訪) 米満横穴墓群Ⅲ-10支群の3基目(再訪) にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅲ-2支群 (再訪 その2) 長南町米満

    米満横穴墓群Ⅲ-2支群の続き。 朱彩大型横穴墓の西隣の1基(再訪)。 さらに西側を探索。1基目。 2基目。 3基目。 ここで下山してピッツァとパスタのお店で昼食 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅲ-2支群 (再訪 その1) 長南町米満

    長南町に移動して米満横穴墓群Ⅲ-2支群を再訪。Ⅲ-2支群の横穴墓は、昨年4月に2基を確認、今回、新たに西側に3基、東側に3基(計8基)を確認した。米満横穴墓群は、太平洋に注ぐ一宮川水系三途川北岸の丘陵斜面に展開する県内最大規模の横穴墓群。ちば情報マップでは「7群140基。平成9年に町道改良工事に伴う発掘調査を実施、横穴墓10基・塚10基を調査。」 尾根上の塚 米満横穴墓群Ⅲ-2支群の1基「朱彩大型横穴墓」(再訪) 朱彩大型横穴墓を下から見上げると 朱彩大型横穴墓の東側を探索。新たに3基並んだ横穴墓を確認。右から1基目。 右から2基目。 右から3基目。 米満横穴墓群Ⅲ-2小支群【千葉県長南町】 …

  • 徳増下谷横穴墓群(再訪) 長柄町徳増

    史跡長柄横穴墓群資料館の南側に位置する徳増下谷横穴墓群を再訪。長柄町の遺跡番号149の「横穴墓 12基」で、東からアプローチした順番に1〜12号墓と仮に呼称する。 徳増下谷横穴墓群(仮)2号墓(左)と(仮)1号墓(右) 徳増下谷横穴墓群(仮)3号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)5号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)6号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)8,9,10号墓 前回(昨年4月)は到達出来なかった徳増下谷横穴墓群(仮)11号墓にも到達 今日、訪れた横穴で見かけた線刻画。いつ描かれたんだろう??#徳増下谷横穴墓群 pic.twitter.com/cTwYk9CHnQ — chiba_kofun (@yukio_…

  • 長柄横穴墓群 (再訪) 長柄町徳増

    2025年の墳活始めは、長柄横穴墓群。墳友と墳活。 長柄横穴墓群の第2支群の第9小支群(第34,33号墓) 第33号墓 本日は先週に引き続き、古墳好きの皆様と千葉県長柄町&長南町の横穴墓巡りへ行きました。山林に眠る見事な横穴の数々、まさかここへ冬休みの間に2回も来ることになるとは...!前回未探訪だった横穴も見れましたし、新たな発見もあり素晴らしい2025年の古墳初めとなりました。 pic.twitter.com/B34w1d4AXe — ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2025年1月5日 今年最初の横穴墓見学は、千葉県からスタート!すばらしい横穴墓と、素敵な方々と出会えました♪ p…

  • 2024年の古墳巡りのまとめ

    昨年のブログ記事のストックがはけたので、昨年(2024年)の古墳巡りをまとめておく。2024年は、参加した現地説明会等21件、鑑賞した企画展57件と昨年と同レベル。トピックスは5月と12月の千葉県長柄町・長南町の横穴墓群巡りと、秋の埴輪展。 古墳巡り 埼玉県桶川市・川島町・東松山市・吉見町の古墳巡り(2月) 埼玉県行田市・羽生市の古墳巡り(2月) 茨城県鹿島市・千葉県山武市の古墳巡り(2月) 千葉県松戸市の古墳と茨城県取手市の貝塚巡り(2月) 千葉県長柄町・長南町の横穴墓群巡り(4月) 埼玉県羽生市と利根川対岸の古墳巡り(5月) 群馬県伊勢崎市・前橋市の古墳巡り(6月) 埼玉県東松山市・坂戸市…

  • 能満寺古墳 長南町芝原

    2024年の古墳納めは、能満寺古墳。 千葉県指定史跡 能満寺古墳(のうまんじこふん) 昭和50年11月14日 指定 能満寺前にある旧熊野神社跡地内丘上に位置する全長73.5メートルの前方後円墳である。 昭和22年明治大学考古学研究室によって発掘調査された。後方部から、舟型木炭槨(木炭で木棺を被覆するもの)が検出され、銅鏡、銅鏃、鉄製鉇(やりがんな)、ガラス玉等が出土した。 築造年代は、墳丘の形、埋葬方法及び出土遺物から、5世紀初頭のころと推定されている。東日本における発生期の古墳であり、この時期の古墳としては県内最大規模のものである。 平成3年3月 千葉県教育委員会 長南町教育委員会 能満寺古…

  • 油殿2,3,4号墳 長南町豊原

    油殿古墳群の続き。 油殿2号墳 油殿3号墳 油殿4号墳 油殿古墳群(あぶらでんこふんぐん) 千葉県指定史跡(昭和52年3月8日指定) 油殿古墳群は埴生川(一宮川水系)に臨む俗称「油殿」と呼ばれる独立丘上に所在しています。古墳群を形成する4基の古墳は、北西から南東方向に伸びる尾根筋にほぼ縦列に配置されています。墳丘の土台となる尾根上面の標高は約27mで、周囲の住宅地とは約10mの比高差があります。 1号墳は主軸長93mの傑出した規模を誇る前方後円墳で、南東約1.5kmにある能満寺古墳とともに地域の首長墓として位置付けられる古墳です。後円部墳頂は独立丘全体の最高点(標高34m)であり、また、3方向…

  • 油殿1号墳 長南町豊原

    夕暮れ時に油殿古墳群を訪れた。 千葉県指定史跡 油殿古墳群(あぶらでんこふんぐん) 長生郡長南町豊原 昭和52年3月8日指定 油殿古墳群は、前方後円墳2基、円墳2基からなる古墳群で、一宮川の支流、埴生川の北側の独立丘陵上に位置する。 1号墳は、昭和49年に早稲田大学の調査により、全長93メートル、後円部径50メートル、前方部幅24メートルの前方後円墳であることが明らかとなった。 2号墳は墳丘長約30メートルの前方後円墳、3,4号墳は墳丘径約10メートルの円墳である。 1号墳は、古墳時代前期(4世紀頃)の築造で、近接する能満寺古墳よりやや新しい時期のものと考えられる。長生地域では、古墳時代中期以…

  • 米満横穴墓群Ⅴ-3,2支群 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 尾根上の塚 米満横穴墓群Ⅴ-3支群の1基目 米満横穴墓群Ⅴ-3支群の2基目 米満横穴墓群Ⅴ-3支群の3基目 米満横穴墓群Ⅴ-2支群の1基 米満横穴墓群Ⅴ-1支群の進入路を探索したが断念。この日はここまで。 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅴ-4支群 (その2) 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 米満横穴墓群Ⅴ-4支群の6基目 米満横穴墓群Ⅴ-4支群の7基目 米満横穴墓群第Ⅴ支群【千葉県長南町】第Ⅲ支群南側の丘陵には第Ⅴ支群が広がっています。こちらも急斜面の上にあり困難をともなう探索でしたが、やはり米満横穴墓群は期待のさらに上を我々に見せてくれます。第2小支群はほぼ埋没してましたが、第4小支群では分布図の数より多い7基を発見できました。 pic.twitter.com/OmRG9m4Hzc — ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2024年12月28日 千葉県長生郡長南町 米満横穴墓群辿り着くのが大変なので、あまりおすすめはできませんが、行く度に新たな…

  • 米満横穴墓群Ⅴ-4支群 (その1) 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。昼食後、米満横穴墓群Ⅲ,Ⅳ支群の南側のⅤ-4〜2支群を探索。 米満横穴墓群Ⅴ-4支群の1基目 米満横穴墓群Ⅴ-4支群の2基目 米満横穴墓群4-5支群の3基目 米満横穴墓群Ⅴ-4支群の4基目 米満横穴墓群Ⅴ-4支群の5基目 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅳ-1支群 (再訪) 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。米満横穴墓群Ⅳ-1支群を再訪。 米満横穴墓群Ⅳ-1支群の1基目 米満横穴墓群Ⅳ-1支群の2基目 ピッツァとパスタのお店で昼食 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅲ-11支群 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。尾根上をⅢ-11支群まで西に移動。 米満横穴墓群Ⅲ-11支群の1基目 米満横穴墓群Ⅲ-11支群の2基目 無事、下界に生還 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅲ-6支群 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 米満横穴墓群Ⅲ-6支群の1基目 米満横穴墓群Ⅲ-6支群の2基目 米満横穴墓群Ⅲ-6支群の3基目 町道の西側の尾根上の塚 横穴墓10基・塚10基が調査された町道 文献 総南文化財センター 1998 『総南文化財センター調査報告38:千葉県長生郡長南町米満横穴墓群』総南文化財センター にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅲ-7支群 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 米満横穴墓群Ⅲ-7支群の1基目 米満横穴墓群Ⅲ-7支群の2基目 米満横穴墓群Ⅲ-7支群の3基目 米満横穴墓群Ⅲ-7支群の4基目 米満横穴墓群Ⅲ-7支群の5基目 米満横穴墓群Ⅲ-7支群の6基目 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅲ-8支群 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 米満横穴墓群Ⅲ-8支群の1基目 米満横穴墓群Ⅲ-8支群の2基目 横穴墓を調査する探検隊 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅲ-9,10支群 長南町米満

    昨年の古墳納めに、房総半島のほぼ中央に位置する長南町の米満横穴墓群を、墳友と探索した。米満横穴墓群の探索は昨年4月に続いて2回目。米満横穴墓群は、太平洋に注ぐ一宮川水系三途川北岸の丘陵斜面に展開する県内最大規模の横穴墓群。ちば情報マップでは「7群140基。平成9年に町道改良工事に伴う発掘調査を実施、横穴墓10基・塚10基を調査。」 米満横穴墓群Ⅲ支群の西側(10小支群)からアプローチ 米満横穴墓群Ⅲ-10支群の1基目 米満横穴墓群Ⅲ-10支群の2基目 米満横穴墓群Ⅲ-10支群の3基目 米満横穴墓群Ⅲ-9支群の1基 本日はフォロワーの皆様と総勢5人で千葉県長南町米満横穴墓群の探索をしてきました。…

  • 愛宕古墳 (再訪) 春日部市西金野井

    春日部市の愛宕古墳を再訪。 2年前に訪れていたことをすっかり忘れていた。 にほんブログ村

  • 鷲塚古墳 境町塚崎

    清水遺跡の現地説明会の前に近くのショッピングモールに保存された鷲塚古墳で時間調整。 桜山古墳群内 鷲塚古墳(わしづかこふん) 桜和古墳群は、古墳時代前期から中期(3世紀末〜5世紀ごろ)にかけてこの地を支配していた豪族の墳墓群であり、かつては12基以上の古墳を数えた。利根川築堤による採土で湮滅し、現存するのはこの鷲塚古墳(円墳)とおたま塚古墳(円墳、西方約50メートルに地下保存)のみである。 南方にあった古墳から人骨や直刀などの遺物が出土したとの、昭和30年の新聞記事があるが、遺物などの所在は不明である。平成3年に境町教育委員会が行った調査では、鷲塚古墳周溝から器台1基が出土し、境町歴史民俗資料…

  • 山川古墳群 土浦市常名

    常名天神山古墳の約80m北の台地の南縁に古墳2基が遺存する山川古墳群を探索した。1990年(平成2年)に、この台地の常名地区に、川口運動公園にかわる新しい運動公園建設の計画(土浦市総合運動公園基本計画)が策定され、1991年3年3月に試掘調査、1993年度から本調査が実施された。山川古墳群第1次調査(1995年)では古墳4基(山川4〜7号墳、5世紀の円墳)及び方形周溝墓3基(山川31〜33号墳、4世紀の方形周溝墓)を発掘した。山川古墳群第2次調査(2003年)では古墳6基(山川2,3,8,9,10,11号墳)を発掘した。山川古墳群第3次調査(2005年)では山川7,8,12〜30,31号墳を発…

  • 常名天神山古墳発掘調査現地説明会 (12/22) 土浦市常名

    12月22日に開催された常名天神山古墳の土浦市(上高津貝塚ふるさと歴史の広場)・筑波大学合同調査現地説明会に参加した。昨年度から、常名天神山古墳の発掘調査を学生の実習を兼ねて実施とのこと。 市指定文化財 常名天神山古墳 史跡 平成3年(1991)3月1日 指定 この古墳は、桜川に面する台地の端に西面して築造されている前方後円墳である。その規模は、全長約70メートルであるが、一部削り取られているため、本来は約90メー トルもの長さがあったものと思われる。後円部の直径は約45メートル。高さは後円部6.87メートル、前方部4.25メートルである。後円部には常名(ひたな)神社が祀られ、前方部にも小さな…

  • 清水遺跡 現地説明会 (12/22) 境町塚崎

    12月22日に開催された茨城県境町の清水遺跡の現地説明会に参加した。清水遺跡は、境町の南西部、利根川左岸の標高約13mの低地上に位置する。調査区の東側は、平成18年度に首都圏中央連絡自動車道(圏央道)建設事業、昨年度に境町利根川左岸河川防災ステーション事業に伴い、茨城県教育財団が調査して、縄文時代・古墳時代・平安時代の複合遺跡であること、特に古墳時代前期に大規模な集落が営まれていたことがわかった。今年度は、古墳時代前期の坩(かん)が出土。出土した坩は高さ32cm、腹囲96cmとかなりの大型。また、現地説明会の直前に小さな山形土偶が出土。 発掘情報いばらき 清水遺跡 (調査期間:2024年9月1…

  • 下侍塚古墳 発掘調査現地説明会 (12/14) 大田原市湯津上

    12月14日に開催された下侍塚古墳の発掘調査現地説明会に参加した。上侍塚古墳の調査は10月で終了し、11月からは下侍塚古墳の調査が行われている。現地説明会の2日前の12日に、NHKの栃木NEWS WEBが『大田原 「侍塚古墳」東日本では珍しい埴輪の破片が複数出土』と「円筒埴輪」とみられる(突帯や透かし孔が確認できる)破片が複数出土したことを報じ、期待が高まった。下侍塚古墳は4世紀後半の築造とされていて、この時代の東日本の前方後方墳から円筒埴輪の出土はこれまで1例しか確認されていなかったとのこと。しかも、この埴輪片の出土が最初に発見したのは11月23日の発掘体験の体験者とのこと。羨ましい。 S3…

  • えと展ー巳を考古学するー 那珂川町なす風土記の丘資料館

    那珂川町なす風土記の丘資料館で開催中の令和6年度特別陳列「えと展ー巳を考古学するー」を鑑賞した。令和7年(2025年)の干支(えと)は巳年、 十干十二支(じっかんじゅうにし)は乙巳(きのとみ)。本展は、干支、十干、十二支の由来や、「巳」にちなんだ動物である「蛇」について、考古資料や歴史・自然資料のほか、民俗資料などから紹介する。 那珂川町なす風土記の丘資料館 12月7日(土)より「特別陳列えと展―巳を考古学する―」が開催されます😀令和7年の干支・巳(ヘビ)に関する考古資料・民俗資料等を展示する予定です。ヘビ好きな方はもちろん、苦手な方もヘビの意外な一面を見つけることが出来るかもしれません🐍ぜひ…

  • 死者と生者の古墳時代 栃木県立博物館

    栃木県立博物館で開催中の第140回企画展「死者と生者の古墳時代~下野における6・7世紀の葬送儀礼~」を初日に鑑賞した。 古墳が隆盛を極めた時期から、古墳が作られなくなる時期への過渡期の6・7世紀、なぜ古墳時代の人々はお墓やお葬式を重視したのか、そしてどのように古墳は消えていったのか、本展示では、埋葬される「死者」と、葬送儀礼を行う「生者」の関係に焦点を当てながら、その謎に迫る。形象埴輪群像、飲食儀礼を示す土器、横穴式石室の副葬品などの資料を通して、下野地域とその周辺の葬送儀礼を紐解く。 第1章 埴輪が語る葬送儀礼 第2章 ものを食べる死者と生者 第3章 横穴式石室と死者の埋葬 第4章 古墳の終…

  • 古墳時代の草加地域 草加市立歴史民俗資料館

    草加市立歴史民俗資料館で開催された秋季企画展「古墳時代の草加地域」を鑑賞した。残念なことに企画展は撮禁だった。なお、常設展示は撮影OK。 登録有形文化財 草加市立歴史民俗資料館(旧草加小学校西校舎) 所在地:草加市住吉1丁目11-1 29号 かつての草加市は、一部の台地を除けば一面に豊かな水田が広がる稲作地帯でした。 しかし、昭和三十年代からの急激な都市化現象は、そこに住む人々の暮らしまで一変させ、営々と築き受け継がれてきた貴重な歴史、民俗等の文化遺産を消失させつつあります。 草加市立歴史民俗資料館は、この失われつつある郷土の文化遺産を収集、保管、展示するため、昭和五十八年十一月一日に開館しま…

  • 公開シンポジウム「考古学が解明する邪馬台国の時代」 日本考古学協会

    9月8日に開催された日本考古学協会主催の公開シンポジウム「考古学が解明する邪馬台国の時代」にオンラインで参加(聴講)した。 プログラムは、 「歴史考古学からみた倭王権の形成」岡村秀典 「三角縁神獣鏡と親魏倭王」福永伸哉 「『邪馬台国の時代』と古墳〜権力基盤継承の観点から〜」岡林孝作 「纒向王権と邪馬台国論」寺林薫 「弥生研究からみた邪馬台国の時代」石川日出志 討論「考古学が解明する邪馬台国の時代」司会 宮本一夫 公開シンポジウム「考古学が解明する邪馬台国の時代」開催のお知らせ 一般社団法人 日本考古学協会 文化財の鉛同位体比分析(事例:銅鏡の原料産地推定) 日鉄テクノロジー 漢委奴国王…

  • フランス山 横浜市中区新山下

    県立神奈川近代文学館のある港の見える丘公園(フランス山)を散策。 フランス山の風車 フランス山の風車 1896(明治29)年にフランス領事館とその官邸が建設された時、このフランス山には井戸水を汲み揚 げるための風車が設置されました。風車が設置されたのは、レンガ造り井戸の遺構が残されている場所です。 残念ながら、フランス領事公邸で使用されていた風車の形は、写真などの資料が残されていないため判りません。しかし、同時代に使われていた「フェリス女学院の赤い風車」 や 「ヴィラ・サクソニアの風車」の写真から、多翼型の風車であったろうと思われます。なおフランス山の風車は、フランスに残されている資料から、1…

  • 池上本門寺 (再訪) 大田区

    池上本門寺を再訪。 日樹聖人の五輪塔 大田区文化財 日樹聖人の五輪塔(にちじゅしょうにんのごりんとう) この塔は本門寺山内最大の五輪石塔で、総高約4メートル、戦災による破損がいちじるしく、造立年記銘は見えないが、上から三段目の火輪斜面に「日樹(花押)」の署名が刻まれている。 したがって、本塔は、日樹が不受不施事件で信州に流される寛永7年(1630)より前の造立である。 しかも、地輪をはじめ、塔の全面に数百名の奉加者の名を刻みつけてあることは、日樹とその信者層、ひいては江戸初期の池上本門寺外護者の実態と、不受不施史研究上、極めて有力な資料である。 昭和49年2月2日指定 大田区教育委員会 前田利…

  • 堤方権現台古墳 大田区池上

    東京都の未訪問の古墳の1つの堤方権現台古墳を訪れた。 池上永寿院万両塚 芳心院墓所 芳心院墓所 万両塚に埋葬されている「芳心院殿妙英日春大姉」は、 徳川家康と側室お万の方の孫にあたり、紀州徳川家初代藩主頼宣の娘、鳥取池田家初代藩主池田光仲の正室です。 宝塔背面の銘文には、芳心院の家系・人となり・信仰の深さと「逆修七分全得」(生前に墓をつくるなどの善行を積めば、七の功徳全てを得ることができる)のために生前に建てた自分のお墓であったことが記されています。 宝塔内部からは、法華経巻子本八巻と火葬骨の収められた青銅製の骨蔵器が発見されました。自身の法華経信仰を三百年後の私たちに伝えてくれる貴重なお墓で…

  • 公卿塚古墳跡 本庄市北堀

    埼玉県古式古墳調査報告書で報告された7基の古墳のうち、未訪問だった東富田古墳群の公卿塚古墳跡を訪れた。公卿塚古墳は古墳群内では最大規模の円墳だったが、現在は墳丘が失われている。また、埼玉県内最初期の埴輪をもつ古墳として知られる。Google Mapだと、跡地には公家塚家祖先霊璽があったようだが、なかった。文献[3]では「円墳、径65m、石製模造品・玉・埴輪・土師器、造出し、周堀確認」 公家塚家祖先霊璽の跡地? 文献 埼玉県県史編さん室 1986『埼玉県古式古墳調査報告書 埼玉県県史編さん室 - 週末は古墳巡り』埼玉県県史編さん室 本庄市教育委員会 1991 『本庄市埋蔵文化財調査報告19:本庄…

  • 浅間山古墳 上里町神保原町

    旭・小島古墳群の古墳巡りの続き。 上里町神保原町の浅間山古墳 浅間山古墳(せんげんやまこふん) 町指定文化財 昭和37年2月2日指定 浅間山古墳は、上里町東部から本庄市西部の本庄台地の先端部に広がる旭・小島古墳群を構成する1基です。墳形は、直径約38m、高さ約6mの円墳と考えられます。主体部は、角閃石安山岩を使用した胴張両袖型横穴式石室です。石室の規模は、全長約9.48m、埋葬部にあたる玄室は長さ6.48m、奥壁幅2.2m、最大幅2.4m、天井部高2.5mです。入口にあたる羨道は長さ約3m、幅1.2m、高さ1.8mです。 出土遺物は、昭和2年に玄室の一部が露出した時に出土した直刀2、鉄鉾1、金…

  • 蚕影山古墳、山の神古墳 本庄市小島

    旭・小島古墳群の古墳巡りの続き。 本庄市の遺跡番号136の蚕影山古墳。文献[2]の蚕影山古墳、円墳、径20m、須恵器、横穴式石室、葺石、周堀確認。文献[3]のNo.82の蚕影山古墳古墳、円墳、径19m、横穴式石室、角閃石、葺石、須恵器。 本庄市の遺跡番号137の山の神古墳。文献[2]の山の神古墳、円墳、径30m、埴輪・土師器、葺石、周堀確認。文献[3]のNo.83の山ノ神古墳、円墳、径41m、土師器、葺石、円筒埴輪・形象埴輪。 文献[3]より 市指定文化財(記念物)/本庄市 埼玉県本庄市 山の神古墳 蚕影山古墳 古墳探訪記 蚕影山古墳-山の神古墳【埼玉県本庄市】 - ぺんの古墳探訪記 文献…

  • 元屋敷4,5号墳 本庄市小島

    本庄市の旭・小島古墳群を巡った。 本庄市の遺跡番号139の元屋敷5号墳。文献[2]の小島諏訪神社古墳、円墳、径27m、神社境内、埴輪、葺石、周堀確認。文献[3]のNo.77の小島諏訪神社古墳、円墳。 第80回伊勢神宮式年遷宮記念 諏訪神社 御由緒 本庄市小島4-4-14 □ 御縁起(歴史) 小島は、利根川の右岸に位置する。集落は本庄台地上にあり、低地から 見ると島のようであったので小島の名が付けられたという。地内には、多数の古墳(旭・小島古墳群)が存在していたが、昭和三十年代後半からの急激な宅地造成によって、その数も激減してしまった。 当社は、そのうちの一つの円墳上に祀られる。創建については伝…

  • 小笠原信嶺公廟所古墳 本庄市中央

    本庄市の古墳の続き。 本庄市の遺跡番号141。文献[1]の「三夜堂古墳、円墳」 本庄市指定史跡 小笠原掃部太夫信嶺公夫妻の墓 公は徳川氏の家臣で、もと印塔は古墳上に築かれてい信州松尾城主、天正18年 (1590年)豊臣氏の関 東攻めにより、本庄氏滅亡の後当城を賜わり、同年9月入城し本庄領一万石を領した。慶長3年(1598年) 2月19日、52才にし て逝去した。法名徹抄道也大居士、なお公の墓石宝篋印塔は古墳上に築かれている。 昭和33年3月28日 本庄市教育委員会 市指定文化財(記念物)/本庄市 小笠原信嶺公廟所古墳-愛宕神社古墳【埼玉県本庄市】 - ぺんの古墳探訪記 埼玉県本庄市中央 開善寺…

  • 仲町愛宕神社古墳 本庄市中央

    群馬県立歴史博物館に行く前に本庄市の古墳に寄り道。 本庄市の遺跡番号142、仲町愛宕神社古墳。文献[1]の「北原愛宕山古墳、円墳、径24m、埴輪」 第60回伊勢神宮式年遷宮記念 愛宕神社 御由緒 本庄市中央1-5-2 □ 御縁起(歴史) 本庄城の城跡から見て、南西500メートルほどの所にある愛宕山と呼ばれる古墳の上に当社は鎮座し、石段の脇には神木の大欅(おおけやき)が枝を広げている。この古墳は、愛宕山の西方500メートルほどの所にある古墳と夫婦塚であるといわれ、彼方の古墳の上には寺坂町の天神社が建つ。 当社の位置は、臨済宗妙心寺派の寺院である開善寺の旧寺領の南東端に当たる。開善寺は、天正18年…

  • 埴輪―本庄とその周辺地域における埴輪の導入から終焉まで― 本庄早稲田の杜ミュージアム

    本庄早稲田の杜ミュージアムで開催中の企画展「埴輪―本庄とその周辺地域における埴輪の導入から終焉まで―」を鑑賞した。本庄市とその周辺地域は、埼玉県内で最も早く埴輪を導入した地域として知られ、その後も埴輪をもつ古墳が数多く築かれ、また埴輪窯跡も数か所に所在するなど埴輪づくりがとても盛んな土地だった。本展では、本庄市や周辺地域で出土した埴輪のなかから、とくに注目すべき資料を体系的に集成し、当地域での埴輪の出現から終焉までの姿を紹介する。 【開催中】埴輪-本庄とその周辺地域における埴輪の導入から終焉まで-|イベント|本庄早稲田の杜ミュージアム 常設展示 #展覧会 #埼玉県 #本庄市 【埴輪】本庄早稲田…

  • りんりんロードでめぐる文化財 上高津貝塚ふるさと歴史の広場

    上高津貝塚ふるさと歴史の広場で開催された第27回企画展「りんりんロードでめぐる文化財」を最終日に鑑賞した。「りんりんロード」は「つくば霞ヶ浦りんりんロード」のことで、 旧筑波鉄道の廃線敷と霞ヶ浦を周回する湖岸道路を合わせた全長約180kmのサイクリングコースとして、2016年11月25日に開通式が行われ、2019年11月に国が指定するナショナルサイクルルートにも指定された。筑波鉄道は1918年(大正7年)に開通し、土浦駅から岩瀬駅までの18駅間を運行していたが、自家用車の普及とともに1987年(昭和62年)に廃線。廃線跡はつくば霞ヶ浦りんりんロードとして生まれ変わった。 本展は「つくば霞ヶ浦り…

  • 埴輪展 山武市歴史民俗資料館

    山武市歴史民俗資料館で開催中の令和6年度企画展「埴輪展」を鑑賞した。撮禁なのが残念。 山武市歴史民俗資料館 令和6年度企画展「埴輪展」後期開催のお知らせ 山武市公式ホームページ 山武市歴史民俗資料館 令和6年度企画展「埴輪展」 山武市公式ホームページ https://t.co/xH7QFolxGG pic.twitter.com/6XOPgloMub — 山武市歴史民俗資料館【公式】埴輪展後期開催中 (@sammu_rekimin) 2024年4月17日 山武市歴史民俗資料館では令和6年度企画展「埴輪展」の後期が開催中です!前期の埴輪に加え、埴輪クイズも展示の一角に設けていますので、ぜ…

  • 茂原市内の古墳時代ー国府関夏身遺跡、中原遺跡、山崎横穴群等ー 茂原市立美術館・郷土資料館

    茂原市立美術館・郷土資料館で開催された市史編さん事業展示 第1回テーマ展「茂原市内の古墳時代ー国府関夏身遺跡、中原遺跡、山崎横穴群等ー」を鑑賞した。茂原市内には、国府関夏身遺跡や猿袋中原遺跡などの集落や、地域の有力者の墓域の横穴墓が400基以上存在する。本展では、埋葬された副葬品(須恵器の壺や甕)、日常生活で使っていた土器、木製品などを展示。 「茂原市内の古墳時代」茂原市立美術館・郷土資料館 バーチャルミュージアム(65) 千葉県茂原市の公式サイトへようこそ! 茂原市史編さん事業について 千葉県茂原市の公式サイトへようこそ! 房総の古墳を歩く/伊甚国の古墳 にほんブログ村

  • 水子貝塚発掘調査 現地説明会 (12/7) 水子貝塚公園(富士見市水子)

    水子貝塚で32年ぶりに実施された発掘調査の現地説明会に参加した。水子貝塚は、荒川低地が海だった縄文海進期(今から約6,000年前)の縄文時代前期を代表する遺跡で、1969年に国の史跡に指定、縄文ふれあい広場として整備され1993年に水子貝塚公園が開園した。開園から30年が経過し、富士見市は将来の再整備を見据えた史跡水子貝塚保存計画を2022年度に、整備基本計画を2023年度に策定。本年度は、新たな資料や発掘成果の追加を目的に発掘調査を実施している。 先月、ららぽーと富士見の掲示板で見つけたポスター 水子貝塚発掘調査 現地説明会|富士見市 水子貝塚で32年ぶりの発掘調査を、現地で説明します。20…

  • あれもEこれもE―加曽利E式土器(総括編)― 加曽利貝塚博物館

    加曽利貝塚博物館で開催中の令和6年度企画展示 加曽利貝塚E地点・B地点発掘100周年記念「あれもEこれもE―加曽利E式土器(総括編)―」を鑑賞した。加曽利貝塚博物館では、加曽利E式土器の変遷と地域性の解明を目的に、房州半島の資料を集成する連続企画展「 あれもEこれもE加曽利E式土器」を2018年から開催してきた。今回は総集編として、過去6回の展示の注目点に新たな例を加え、今まで蓄積した情報を整理した。 千葉市:令和6年度企画展示「加曽利貝塚E地点・B地点発掘100周年記念「あれもEこれもE―加曽利E式土器(総括編)―」」について 企画展「あれもEこれもE-加曽利E式土器(総括編)」、本日から開…

  • 加曽利貝塚 発掘調査現地説明会(11/30) 千葉市若葉区桜木

    今年も加曽利貝塚の発掘調査現地説明会に参加した。今年は、本格的調査としては57年ぶりとなる北貝塚の発掘調査の2年目。北貝塚の中央部から東北東の貝層範囲に届くように、幅10m、長さ50mの調査区(No.41)を設定。No.41調査区は、中央部で昭和41年の調査区(No.15)の一部にかかり、貝層範囲で昭和37年の調査区(No.2)を内包する。今年度の調査は、小竪穴、竪穴住居跡群(中期)の確認、柱穴群(後期)の分布と時期の確認、貝層の堆積状況と時期の確認を目的とする。 今年掘られた50cm幅のサブトレンチ 公園の一部はナラ枯れによる倒木の恐れで通行不可 千葉市:令和6年度 加曽利貝塚発掘調査につい…

  • ミミズク土偶の世界 岩槻郷土資料館

    岩槻郷土資料館の企画展「ミミズク土偶の世界~埼玉のミミズク土偶大集合~」を開催初日に鑑賞した。真福寺貝塚(さいたま市岩槻区)、をはじめとして、埼玉県内の各地で出土した「ミミズク土偶」や関連資料約140点を展示。 さいたま市/岩槻郷土資料館で企画展「ミミズク土偶の世界 ~埼玉のミミズク土偶大集合~」を開催します 【岩槻郷土資料館】企画展「ミミズク土偶の世界 埼玉のミミズク土偶大集合」を開催します真福寺貝塚(岩槻区)、をはじめとして、埼玉県内の各地で出土した「ミミズク土偶」や関連資料約140点を展示します。11月16日(土)から1月26日(日)まで。詳しくは https://t.co/l9Pw12…

  • 真福寺貝塚 現地説明会(11/16) さいたま市岩槻区城南

    今年も真福寺貝塚の発掘調査の現地説明会に参加した。真福寺貝塚は、縄文時代後期前葉から晩期中葉(約3,800〜2,600年前)まで営まれた貝塚を伴う集落遺跡と低湿地の泥炭層遺跡から成る。さいたま市教育委員会は、平成28年度から毎年、発掘調査を実施していて今年で9年目。私が真福寺貝塚の発掘調査の現地説明会に参加するのは、6年連続6回目。今年は、昨年調査したに西側の水辺の活動域の南側の調査区の谷部の泥炭層地点の調査を実施中。 国史跡 真福寺貝塚(しんぷくじかいづか)指定年月日 昭和50年7月19日所有(管理)者 岩槻市本町六丁目一番一号所在地 岩槻市城南三丁目地内 真福寺貝塚は、縄文時代後期から晩期…

  • 綿貫観音山古墳 (再訪) 高崎市綿貫観音山

    群馬県立歴史博物館で企画展を鑑賞後に綿貫観音山古墳を再訪。初めて横穴式石室の中に入れた。 観音山古墳の埴輪 国宝群馬県綿貫觀音山古墳出土品 指定:令和2年9月30日 観音山古墳では、墳頂と墳丘中段のテラス面に埴輪が多量に並べられていました。一方で、内堀と外堀の間にある中提(ちゅうてい)には壊輪は並べられていなかったようです。 後円部墳頂では、家・大力(たち)・盾(ゆき、矢入れ具)・鶏(にわとり)の埴輪が、前方部墳頂では家・盾・鶏の埴輪が並べられていました。そして、墳頂の平坦面を一周するように円筒・朝顔形埴輪が立て並べられていました。 中段のテラス面では、石室の入口向かって左側から前方部にかけて…

  • 陸軍岩鼻火薬製造所射場跡 高崎市綿貫町

    群馬県立歴史博物館の開館時間まで「群馬の森」を散策した。「群馬の森」は「旧東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所」跡地に建設された自然公園。 我が国ダイナマイト発祥の地 陸軍岩鼻火薬製造所射場跡 ここから見えるコンクリート製のトンネルのようなものは、「射場跡」(昭和10年完成)です。かつて群馬の森一帯は、明治15年から昭和20年まで操業した陸軍の火薬製造所でした。黒色化薬や無煙火薬が製造され、この射場は小火器専用として使用されたものです。 (出典: みやま文庫「陸軍岩鼻火薬製造所の歴史」) 第22回岩鼻火薬製造所と軽便鉄道 - 高崎市公式ホームページ 岩鼻火薬製造所について資料はないか。 レファレン…

  • 東京砲兵工廠跡の煉瓦基礎 文京区

    東京ドーム脇の後楽園スタヂジアム跡地に保存された旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ。 旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ 明治4年(1871年)に建設された旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ。昭和12年(1937年)、旧後楽園球場建設の際は、基礎のあまりの強固さにグランド部分は取り除くのを見合わせていたが、平成12年(2000年)竣工の東京ドームホテル建設を進めるにあたり、地下5mの深さより出土、採取。 現在地は旧後楽園球場のセンター位置にあたる。 市兵衛河岸 市兵衛河岸(いちべえがし) 河岸とは、物資輸送のために水ぎわに作られた物揚場(ものあげば)などの施設のことであ…

  • リリイベ (11/23) ららぽーと立川立飛

    11月23日に「ららぽーと立川立飛」で開催されたラフxラフの新曲「超めっちゃ"キュン"でしょ?」の発売記念リリースイベント(リリイベ)に参加した。前回の「ららぽーと富士見」のリリイベと明星大学の学園祭は7人バージョンだったが、今回は8人のフルバージョン。「TIFxFNS」の決勝後の初ライブ。眩しいくらいに輝いていた。この日のセトリは吉村萌南さんが担当。この日はラフxラフのプロデューサーの佐久間さんの誕生日。みんなでお祝い動画を撮影。 明日はタワーレコードららぽーと立川立飛店さんにてリリイベです!♡https://t.co/cwgefV3a5Z観覧無料なのでお時間ある方はライブだけでもぜひ!!み…

  • 橘樹歴史公園 川崎市高津区千年

    今年5月18日にオープンした橘樹歴史公園をオープン後に初めて訪れた。 史跡 橘樹官衙遺跡群(千年伊勢山台遺跡[橘樹郡家跡]) 橘樹評(たちばなひょう)の倉庫跡(SB0031) この倉庫跡は、橘樹郡家正倉院(ぐうけしょうそういん)地区Ⅱ期(7世紀後葉〜8世紀初頭)の橘樹評の倉庫跡と推定されています。南北3間、東西3間の高床の掘立柱建物(総柱建物)で、令和元年(2019)に実施した確認調査において、この建物が東西約5.94m(20尺)、南北約5.94m(20尺)の規模であり、隣接する3棟の倉庫と同規模であることが判明しました。この建物は、北側に隣接する倉庫跡(SB0030)と異なり、建物を支える1…

  • 影向寺の文化財 現地特別公開 川崎市宮前区野川本町

    川崎市教育委員会主催の令和6年度指定文化財等現地特別公開事業として特別公開された影向寺の文化財を見学した。本特別公開事業は、日頃、保存や保護のため公開されていない川崎市の指定文化財を所有者のご理解とご協力をいただき特別に公開するイベント。今年は橘樹歴史公園のオープンを記念して、影向寺の文化財を特別公開した。 影向寺(ようごうじ) 当寺は、天台宗に属しています。縁起によれば、天平11年(739)光明皇后がご病気のおり、聖武天皇は夢告(ゆめのおつげ)で武蔵国橘樹郡橘郷、すなわちこの地に霊石(れいせき)のあることを知り、早速、当時の高僧行基を使わし祈願させたところ霊験あらたかで、皇后のご病気も快ゆさ…

  • 星友祭 明星大学

    11月2日から4日に開催された明星大学学園祭 星友祭の中日(11月3日)に訪れた。この日(星友祭2日目)のステージショー(場所:ソルブランステージ)は、午前中が「お笑いライブ」でネルソンズ、鬼越トマホーク、マユリカの3組、午後がアイドルグループ「ラフ×ラフ」のライブ。推しの初学園祭ということで駆けつけた。 【情報解禁】今年の星友祭2日目のステージショーは、アイドルグループ「ラフ×ラフ」によるショーに決定しました!詳細はこちら👇開催日 11月3日(日)※2日目開場 14:30〜 開演 15:00〜場所 明星大学日野キャンパス ソルブランステージ●観覧無料● pic.twitter.com/zBg…

  • 万蔵院台古墳群 日野市百草

    大栗川左岸の多摩市と日野市の市境に立地する万蔵院台古墳群を探索した。 万蔵院台2号墳? 万蔵院台3号墳? 倉沢里山を愛する会 会報「アリスの丘・風の丘ファーム」NEWS LETTER No.10, 2001年9月1日発行 古墳なう 日野市/万蔵院台古墳群 万蔵院台の庚申塔 日野市指定有形民俗文化財 万蔵院台の庚申塔(四基)平成21年9月17日指定 庚申信仰は「庚申の晩に眠ると、身中の三尸(さんし)の虫が昇天して天帝にその人の過失を告げる」という中国の信仰と、日本の日待ち、月待ちの信仰が融合したものとされる。江戸時代に庶民の間に浸透し、庚申の晩に人々が集まり、眠らずに一晩を過ごす庚申講が行われた…

  • 塚原古墳群1号墳 (再訪) 多摩市和田

    塚原古墳群1号墳を再訪した。 文献 多摩地区所在古墳確認調査団 1995『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』 にほんブログ村

  • 庚申塚古墳 (再訪) 多摩市和田

    庚申塚古墳を再訪した。 庚申塚古墳(こうしんづかこふん) 和田の台地には6〜7世紀頃の豪族の墓(古墳)が多数造られたが、現在その大部分が地上から姿を消している。この古墳は当時の姿を残す貴重な遺跡である。 多摩市教育委員会 文献 多摩地区所在古墳確認調査団 1995『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』 にほんブログ村

  • 安部公房展 県立神奈川近代文学館

    県立神奈川近代文学館で開催中の開館40周年記念企画の特別展「安部公房展――21世紀文学の基軸」を鑑賞した。今年生誕100年を迎えた安部公房(1924~1993)。本展は初公開・初展示を含む約500点の資料により、時代の先端をとらえ続けた表現者・安部公房の全貌に迫るとともに、21世紀の今日において安部作品のテーマが持つ意味を問い直す。 安部公房展──21世紀文学の基軸 私の蔵書の新潮文庫と第四間氷期の英語版 【安部公房展】10月12日(土)から特別展「安部公房展――21世紀文学の基軸」が始まりました!今年生誕100年を迎えた安部公房。小説、戯曲の執筆から安部公房スタジオの活動まで、時代の先端をと…

  • 臼井塚古墳 多摩市百草

    稲荷塚古墳の西約50mに位置する臼井塚古墳。1952年(昭和27年)に初めて稲荷塚古墳と臼井塚古墳が発掘調査された。臼井塚古墳はその後は調査されていない。臼井塚古墳の墳形や規模は不明。全長約5mの横穴式石室を検出。 古墳なう 「臼井塚古墳」 文献 多摩地区所在古墳確認調査団 1995『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』 多摩市遺跡調査会調査団 1996 『多摩市埋蔵文化財調査報告39:稲荷塚古墳』多摩市教育委員会 たましん歴史・美術館歴史資料館 2010「特集 多摩川流域の七世紀代古墳」『多摩の歩み』第137号 たましん地域文化財団 東京都立埋蔵文化財調査センターから、稲荷塚古墳、臼井塚古墳ま…

  • 稲荷塚古墳 (再訪) 多摩市百草

    7年ぶりに多摩市の稲荷塚古墳を訪れたら、なんかスッキリしていた。 東京都指定史跡 稲荷塚古墳(いなりつかこふん) 全国的に珍しい八角形境。幅2mの周溝の内側に径34m・2段の墳丘を築き、2段目に切石造りの横穴式石室がある。7世紀の古墳。近畿以外で八角形墳が発見されたのは初めてである。 多学市教育委員会 東京都指定史跡 稲荷塚古墳(いなりづかこふん) 古墳とは、土を盛り上げてつくられた墳丘をもつ有力者の墓で、3世紀の末頃から8世紀の初め頃に かけての約400年間に、全国で15万基ほどつくられたといわれています。この稲荷塚古墳は、7世紀の前半頃につくられたものとみられ、古墳の形は全国的にも珍しい八…

  • 多摩の“なんで!?”な出土品 (再訪) 東京都立埋蔵文化財調査センター

    東京都立埋蔵文化財調査センターで開催中の企画展「多摩の“なんで!?”な出土品」は3月に鑑賞したが、鑑賞の手引きができたとのことで再訪した。関東考古学フェアスタンプラリーのスタンプもゲット。 【鑑賞の手引き刊行】令和6年度企画展示「多摩の“なんで!?”な出土品」の鑑賞の手引きができました!当館にて配布の他、以下のページからPDFをご覧いただけます。ぜひ、この冊子を手に、残りの展示期間もお楽しみください!https://t.co/93ojETSjN6 pic.twitter.com/TcS6XU9vBr — 東京都立埋蔵文化財調査センター (@tokyo_maibun) 2024年10月1日 特別…

  • 矢を放て!~関東の弓矢、一万年~ 大田区立郷土博物館

    大田区立郷土博物館で開催中の特別展「矢を放て!~関東の弓矢、一万年~」を鑑賞した。また、ラストチャンスの展示解説に参加することができた。 大田区ホームページ:特別展「矢を放て!~関東の弓矢、一万年~」のご案内 10/8(火)〜12/1(日)迄、大田区立郷土博物館にて開催される特別展『矢を放て!~関東の弓矢、一万年~』に、太田神社に奉斎されている八幡大菩薩像が展示されます。那須与一宗高公が源平合戦で奉持した御神像で、史上初の“出開帳”となります。この機会に是非御観覧くださいhttps://t.co/BThiYxopxf pic.twitter.com/z23TwT92H0 — 太田神社 宮司 一…

  • 高句麗 広開土王碑「多胡碑記念館本」をみる 高崎市多胡碑記念館

    高崎市多胡碑記念館で開催中の第46回企画展 『高句麗 広開土王碑「多胡碑記念館本」をみる』を鑑賞した。 本展では、多胡碑記念館が収蔵する高句麗 広開土王碑の貴重な拓本を、記念館の吹き抜け部と展示室に展示し、武田幸男氏(故人、東京大学名誉教授)の調査報告をもとに、拓本の特徴を解説する。 多胡碑記念館 第46回企画展 高句麗 広開土王碑(こうくり こうかいどおうひ)「多胡碑記念館本」をみる - 高崎市文化財情報 - 高崎市公式ホームページ 多胡碑 (終了しました)多胡碑記念館 令和6年度 春の展示「未来に託す多胡の古碑‐平成・令和の保存修理写真展‐」 - 高崎市文化財情報 - 高崎市公式ホームペー…

  • 台所(キッチン)の考古学-食にまつわる道具の歴史ー 飛鳥山博物館

    飛鳥山博物館で開催中の企画展「台所(キッチン)の考古学-食にまつわる道具の歴史ー」を鑑賞した。本展は、 古代の台所とそこで活躍した道具の変化、そして道具にこめられた人々の知恵と工夫について紹介する。 旧石器時代に「焼く」「蒸し焼きにする」から始まった調理方法は、土器を発明した縄文時代に「煮る」、稲作を開始した弥生時代に「炊く」、古墳時代に「蒸す」が加わった。調理に使われた石や土器などの遺物や炉跡などの遺構から当時の調理方法を解き明かす。 秋期企画展 台所(キッチン)の考古学ー食にまつわる道具の歴史ー(北区飛鳥山博物館)|東京都北区 🔥本日から🔥本日から当館特別展示室にて、令和6年度秋期企画展「…

  • 新収蔵・収蔵資料展2024 明治大学博物館

    明治大学博物館で開催中の 企画展「新収蔵・収蔵資料展2024」を鑑賞した。本展は、2022・2023年度の購入資史料・関連収蔵資料の公開を主な目的として、考古部門からは女子埴輪頭部(伝茨城県出土)と関連の古墳時代資料、刑事部門からは捕者関係の新収資料や江戸に係わる絵図面など、 商品部門はテーマ展「記録写真にある資料」を展示する。 企画展「新収蔵・収蔵資料展2024」開催のお知らせ 明治大学 本日から企画展「新収蔵・収蔵資料展2024」が始まりました!今回の展示は商品・刑事・考古の合同展示となります。11月と12月には各担当者によるギャラリートークも👀詳しくは当館HPをご確認ください。htt…

  • 寒川町遺跡発掘発表・講演会 (11/2) 南部文化福祉会館(南部公民館)

    11月2日に寒川町の南部文化福祉会館(南部公民館)で開催された寒川町遺跡発掘発表・講演会に参加(聴講)した。 発表遺跡(寒川町教育委員会) 「大(応)神塚古墳令和5年度調査について」小林秀満 講演会(かながわ考古学財団) 「奈良・平安時代の人びとが眺めた寒川」齋藤葵 「縄文人は誰と葬られたのかー墓地にみる社会集団-」阿部友寿 【寒川町&財団 共催イベント開催!】毎年恒例の寒川町&財団の共催イベント開催の季節がやってまいりました。今年は寒川町が令和5年度に調査を実施した大(応)神塚古墳の発表会と財団職員による奈良・平安時代と縄文時代の寒川に関係する人々をテーマとした講演会の3本立てです。 pic…

  • 発掘された海老名のお宝 海老名市立郷土資料館

    海老名市立郷土資料館で開催中の企画展「発掘された海老名のお宝〜この10年の発掘調査成果から〜」第二弾「古墳時代〜中近世」を鑑賞した。「古墳時代中〜後期の変化がわかってきた」として、上浜田古墳群の太鼓塚古墳(5号墳)の住宅建設に伴う発掘調査、2号墳の墳丘盛土流出による緊急調査、上今泉横穴墓群の擁壁工事に伴う第3次調査の成果や、古墳時代の竪穴住居跡の移り替わりとして、「炉」から「カマド」への変化、甕(かめ)の形が徐々に長くなり、蒸すための甑(こしき)が使われるように変化が紹介された。また、古墳時代のお宝として、ミニチュア土器、須恵器、小型銅鏡、石製模造品・臼玉を展示。「古代の政治 律令体制の痕跡」…

  • 布をまとう―古代人の衣― 行田市郷土博物館

    行田市郷土博物館で開催中の企画展「布をまとう―古代人の衣―」を鑑賞した。本展は、各地の遺跡に残された糸をつむぐ道具・布を織る道具(木製品・石製品など)や、古墳時代の衣装をよく表している人物埴輪を取り上げて、古代の人びとがどのように布をつくり、どのように布をまとっていたのかを紹介する。 静岡県浜松市山ノ花遺跡の椯(たたり)状木製品、埼玉県行田市小敷田遺跡の桛(かせ)や綛(かせ)かけ、神奈川県逗子市池子遺跡群の経巻具/布巻具・緯打具等の原始機(げんしばた)の部材、埼玉県行田市池守遺跡の日本最古級の中筒受け等の地機(じばた)の部材などの木製品や、沖ノ島祭祀遺跡の御金蔵(4号遺跡)出土と伝わる「金銅製…

  • 古墳時代の装い−おしゃれな古代人− 埼玉県立さきたま史跡の博物館

    埼玉県立さきたま史跡の博物館で開催中の企画展「古墳時代の装い−おしゃれな古代人−」を鑑賞した。本展では、人物埴輪や、人物埴輪が身に着けている装飾品の実際の出土例を展示し、古墳時代の人々の装い、髪型や衣装、身に着けているアクセサリーなどについて考える。 企画展「古墳時代の装いーおしゃれな古代人ー」 - 埼玉県 /開催まであと10日❗️\令和6年度企画展「古墳時代の装い-おしゃれな古代人-」を10月5日(土)~12月1日(日)で開催します❗️人物埴輪や装身具などから古墳時代の「装い」や「おしゃれ」を考える展示となっております。ぜひお越しください✨#さきたま史跡の博物館 pic.twitter.co…

  • 講演会「文京の弥生時代を探る」 (11/9) 文京区民センター

    11月9日に文京区民センターで開催された文京区の令和6年度文化財講演会「文京の弥生時代を探る」に参加(聴講)した。日本の弥生時代の探求は、文京区界隈の遺跡から始まった。本講演会では、のちに発見地の地名(向岡弥生町)から命名された「弥生式土器」ゆかりの地・文京において、最近の発掘調査や研究成果から、改めて弥生時代を探る。講師は、明治大学文学部専任教授 石川日出志氏と早稲田大学人間科学学術院名誉教授 谷川章雄氏。 内容は、谷川章雄氏の講演「最近の文京区の発掘成果」、石川日出志氏の講演「文京界隈の弥生時代遺跡」と、講師2名による質疑応答・対談という構成。文京区界隈の遺跡の様相は、ここ20~30年の発…

  • 弥生人は二度死ぬ-再葬墓ってなに?- 群馬県立歴史博物館

    群馬県立歴史博物館で開催中の企画展「弥生人は二度死ぬ-再葬墓ってなに?-」を鑑賞した。 あつぎ郷土博物館の特別展「ドグウ集まれ!」を鑑賞してから本展を鑑賞すると時代が繋がって理解が深まるかも。 第111回企画展「弥生人は二度死ぬー再葬墓ってなに?ー」 群馬県立歴史博物館 【次回予告】第111回企画展「#弥生人は二度死ぬ-再葬墓ってなに?-」10/5(土)~11/24(日)東日本の弥生人は再葬墓というちょっと変わった墓を造っていました。再葬墓って何?遺骨で首飾りを作るってどういうこと?秘められた弥生人の想いに迫ります。詳細はこちら→https://t.co/ZDf5UAiOMF pic.tw…

  • ドグウ集まれ! あつぎ郷土博物館

    あつぎ郷土博物館で開催中の特別展「ドグウ集まれ!」を鑑賞した。本展では、国指定重要文化財を含む土偶及び関連資料約120点を展示。土偶は縄文時代を代表する遺物で、縄文時代の精神文化に関わる道具として用いられていたと考えられる。厚木市内には多数の縄文時代の遺跡があるが土偶が出土することは稀で、6遺跡から中期4点、後期3点、晩期2点、計9点の土偶が出土しているが、いずれも体の一部分のみの破片で、土偶全体が分かる資料はない。本展では、厚木市内では珍しい土偶を県内外からお借りして一堂に集め、土偶を通じて豊かな縄文時代の文化を紹介する。 特別展「ドグウ集まれ!」/厚木市 #あつぎ郷土博物館 にて開催される…

  • 上依知5号墳,8号墳 厚木市上依知

    上依知古墳群の2基を散策。 上依知5号墳 上依知古墳群 この地の周辺には8基の古墳が存在していた。その内の1基は少し離れた場所にある。 これらの内3基が発掘調査されいずれも自然石を用いた横穴式石室を有する円墳であった。 6世紀後半から7世紀代につく られたものと考えられている。 昭和40年代後半から始った国道129号線建設工事に伴い4基の古墳が消滅し、その後の宅地開発により2基が消滅した。 現存するこの古墳には次の三塔が建つ。 七塚供養塔 塚供養のため大正9年森田駒吉が建立 塚神 細山氏が建立、年月不詳、他の塚上にあったが国道建設により移設 馬頭観世音 昭和3年森田駒吉が建立、他の塚上にあった…

  • 吹上貝塚 和光市白子

    新河岸川の支流の白子川左岸(和光市白子)の舌状台地に位置する吹上貝塚。 吹上貝塚 この貝塚の発掘調査は昭和35年4月に行われた。 発掘された遺跡は縄文中期(今からおよそ4〜5,000年前)に属し、貝層の下に良好な一群の土器を伴った三つの住居跡が、ほぼ東西に約二十メートルの距離をおいて並んでいた。このうち西側のものは二つの住居跡が複合しており、古いものが埋められた後、一部重複して次のものが造られていた。両者とも径約5メートルのほぼ円形にちかい形をしている。東側に位置するものは直径約7メートル、短径約5メートルのかなり大型の楕円形の住居跡で、何回かにわたり、拡張改築された形跡を示していた。 出土遺…

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