chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • ラムダロケット用ランチャー 国立科学博物館

    国立科学博物館の屋外に展示されているラムダロケット用ランチャー。 日本初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げたラムダロケット用ランチャー 重量47t・ブーム19m・発射角度約64度 1970(昭和45)年2月11日、鹿児島県の東京大学宇宙航空研究所(現・宇宙航空研究開発機構 JAXA)から、世界最小(当時)の人工衛星を積んだラムダ4S型ロケット5号機(注1)が、ここに展示されているラムダロケット用ランチャーにより、「無誘導打ち上げ方式(重力ターン方式)」(注2)で打ち上げられた。 大隅半島にちなみ 「おおすみ」と名づけられたこの人工衛星は、33年間飛び続けた後、2003(平成15)年8月2日、北ア…

  • 三鷹歴史文化財展示室 三鷹市下連雀

    三鷹市の三鷹歴史文化財展示室「みたかえる」を訪れた。古墳時代では、上円下方墳の天文台構内古墳の立体模型(縮尺1/100)や出土品(フラスコ型長頸瓶、坏)を展示。 三鷹市 |三鷹歴史文化財展示室「みたかえる」にようこそ 「三鷹歴史文化財展示室 みたかえる」では、三鷹の歴史と文化財を、発掘資料や写真パネルで紹介しています。展示室名「みたかえる」のモデルとなった、カエルがデザインされた縄文土器もあります。【所在地】三鷹市下連雀9-11-7 三鷹市教育センター2階【開館時間】平日午前9時~午後5時 pic.twitter.com/mc4kKsE9ge — 東京都三鷹市 (@mitaka_tokyo) …

  • JAXA調布航空宇宙センター展示室 調布市深大寺東町

    JAXA調布航空宇宙センター展示室を見学した。調布航空宇宙センターは、1955年(昭和30年)に航空技術研究所として設立、1963年(昭和38年)に科学技術庁(現文部科学省)「航空宇宙技術研究所」と改称、2001年4月に「独立行政法人航空宇宙技術研究所」に変更され、2003年10月に文部科学省宇宙科学研究所(ISAS)、特殊法人宇宙開発事業団(NASDA)と統合され、独立行政法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)となる。調布航空宇宙センターには、航空技術部門や研究開発部門があり、先進的な航空科学技術の確立や、長期的な視野に立った先進的な宇宙・航空分野の基礎・基盤技術の研究開発を行っている。「調布…

  • 武蔵の古墳 全国古墳編年集成

    全国古墳編年集成(1995年発行、編年:石野博信)の「武蔵」(担当:横川好富)に記載された古墳をまとめた。本書の年代感については後述。 ■古墳出現期の前方後方墳(4世紀中ごろから4世紀後半) 鶴見川流域では横浜市の東野台2号墳(58m)、稲荷前16号墳(37m) 小山川流域では児玉郡児玉町鷺山古墳(60m) 入間川流域では大里郡江南町塩古墳群1号墳(37.5m)、2号墳(35m)や東松山市諏訪山29号墳(46m) 比企郡吉見町山の根1号墳(58m) ■前方後円墳(4世紀後半) 南武蔵の多摩川左岸の大田区亀甲山古墳(104m) 多摩川右岸の川崎市白山古墳(87m) ■前方後円墳(5世紀) 多摩川…

  • 苗間神明神社 ふじみ野市苗間

    ふじみ野市の苗間(なえま)明神神社を参拝して、煉瓦造りの燈明台(常夜灯)を見学。 苗間神明神社(なえましんめいじんじゃ) 江戸時代の地誌である『新編武蔵風土記稿』には、この神明神社は苗間村の鎮守であり、東側近くにあった浄禅寺(廃寺)の管轄下にあることが記載されています。 当社も各地に祀られている神明神社同様、伊勢神宮の天照大神の神霊を移し祀り祭神としています。しかしながら創建の時期については、それを記す記録が無いため正確な創建時期は不明です。また同じく『新編武蔵風土記稿』に、 苗間村には、神明神社と併せて浄禅寺の管轄の神社として天王社(現八雲神社)、第六天社(現古六天社)、天神社、稲荷社、熊野…

  • 一夜塚供養塔 朝霞市岡

    朝霞市博物館のお隣の東圓寺の一夜塚供養塔を見学した。一夜塚古墳は、1943年に朝霞市立朝霞第二小学校の建設のために削平されたとは知っていたが、それが太平洋戦争の戦況悪化で郷里に疎開する児童の受け入れのためとは思い至らなかった。 東圓寺 一夜塚供養塔 右側面 昭和廿七年三月廿一日建之 一夜塚史跡保存會 左側面 昭和十八年四月朝霞第二小學 校敷地擴張に當り圓墳一夜塚 を取崩す墳中の遺品に因り上 代當地開發豪族の墳墓なるこ と明なり即ち此處に遺品の一 部を埋葬して以て霊を慰む 埼玉縣史編纂嘱託 稲村坦元誌 一夜塚供養塔の由来 この一夜塚供養塔の由来は、塔の向って左側面に記されて居りますが、御参詣の皆…

  • 「根岸古墳群と内間木古墳群−朝霞の古墳時代−」 朝霞市博物館

    朝霞市博物館で開催された38回企画展「根岸古墳群と内間木古墳群−朝霞の古墳時代−」を最終日に鑑賞した。朝霞には根岸古墳群と内間木(うちまぎ)古墳群と呼ばれる2つの古墳群があり、本展では、この2つの古墳群を紹介する。最終日は学芸員による展示会説があり参加した。 根岸古墳群は、目黒川右岸の台地上に隣接する3つの遺跡(向山遺跡、宮台遺跡、宮台・宮原遺跡)に分布する。向山遺跡は、弥生時代の方形周溝墓群、古墳時代への移行期の突出した規模の方形周溝墓3基、4世紀頃の円墳(向山1号墳、周溝内径17〜18m)、6世紀の大型円墳(一夜塚古墳、墳丘径約50mと推定)と、弥生から古墳時代の墳墓の変遷がよくわかる遺跡…

  • 春のバラフェスタ 都立神代植物公園

    都立神代植物公園で開催中の「春のバラフェスタ」を鑑賞。 神代植物公園のばら園では、約400種類・5,200株の多彩な春バラが一面に咲き揃う。その最盛期に合わせて「春のバラフェスタ」を開催する。 殿堂入りのバラ 世界バラ会連合が開催する世界バラ会議で選ばれて、 バラの栄誉殿堂(Rose Hall of Fame) 入りを果たしたバラを「殿堂入りのバラ」と呼びます。 世界各国のバラ会が加盟する世界バラ会連合は、3年に1回程度世界バラ会議を開催しており、1976年の第3回大会から、毎回1〜2品種を選んでいます。 この殿堂入りは非常に名誉なことで、世界中の多様な環境でも育てやすいこと、多くの国で長く愛…

  • 深大寺 秘仏 元三大師 大開帳 調布市深大寺元町

    特別大開帳中の深大寺の秘仏『元三大師(がんざんだいし)』を参拝した。深大寺は奈良時代の天平5年(733年)開創と伝える古刹。この深大寺の元三大師堂に、坐像で高さ2メートル近くもある元三大師こと慈恵大師(じえだいし)良源(りょうげん、912~985年)の肖像彫刻(鎌倉時代、13〜14世紀)が安置されている。その大きさは中世までの肖像彫刻では日本最大。良源は平安時代中期に天台宗の第18代天台座主(ざす)を務めた高僧で、比叡山延暦寺の再興に尽力し、中興の祖として崇められている。命日が元月(1月)の3日だったことから「元三大師」と称され、後に神格化され、外敵や飢饉、疫病を退ける厄除けに力を発するとして…

  • 記念講演/トークセッション「DNA分析で変わる!最新の考古学研究」 (5/11) 国立科学博物館

    国立科学博物館(科博)で開催中の特別展「古代DNA−日本人のきた道−」の関連イベントの監修者による記念講演/トークセッション「DNA分析で変わる!最新の考古学研究」を聴講した。登壇者は、分子人類学者でもある科博の篠田館長と、本展の監修グループから、縄文時代、弥生時代、古墳時代の研究者である山田康弘教授、藤尾慎一郎名誉教授、清家章教授で、最新の研究成果や本展の見どころを語った。科博では、日本人の起源に関する特別展として、2001年に「日本人はるかな旅展」、2005年に「縄文VS弥生」を開催、それから約20年が経過、科学技術の飛躍的進歩で明らかになった研究成果の蓄積を踏まえ、特別展「古代DNA−日…

  • 山名町原口959所在古墳、八幡村60号墳 高崎市山名町

    山名古墳群の続き。 山名町原口959所在古墳、番号188[現状:△、墳形:円、埋葬施設:不明(未調査)] 八幡村60号墳 (綜覧古墳番号多野郡八幡村60)、番号2252[現状:△、墳形:圓型、規模:(不詳)、埋葬施設:不明(削平)] 高崎市多野八幡村54号墳_山名町原口959所在古墳 – 埼群古墳館_改 多野八幡村54号墳-60号墳-65号墳-山名町原口959所在古墳【群馬県高崎市】 - ぺんの古墳探訪記 文献 群馬県教育委員会 2018「群馬県古墳総覧2017(第2版)」 にほんブログ村

  • 山名古墳群 (その4) 山名15号墳〜19号墳、61,62号墳 高崎市山名町

    山名古墳群の続き。南群の山名15号墳〜19号墳、61,62号墳。 山名15号墳(綜覧古墳番号多野郡八幡村35)、番号187[現状:△、墳形:帆立貝式、全長25m、埋葬施設:横穴式石室、市史跡] 山名16号墳(綜覧古墳番号多野郡八幡村37)、番号188[現状:△、墳形:円、直径14.5m、埋葬施設:不明(削平)、市史跡] 山名17号墳(綜覧古墳番号多野郡八幡村36)、番号189[現状:△、墳形:円、直径11m、埋葬施設:袖無型横穴式石室、市史跡] 山名18号墳(綜覧古墳番号多野郡八幡村33)、番号190[現状:△、墳形:円、直径10.5m、埋葬施設:両袖型横穴式石室、市史跡] 山名19号墳(綜覧…

  • 山名古墳群 (その3) 山名原口Ⅱ遺跡1,2号古墳、山名20号墳 高崎市山名町

    山名古墳群の続き。 山名原口Ⅱ遺跡2号古墳、番号205[現状:△、墳形:円、直径16.5m、埋葬施設:両袖型横穴式石室、市史跡] 山名原口Ⅱ号古墳 本古墳は、平成元年度の発掘調査により発見されたものです。 直径約16.5mの円墳で、両袖型の横穴式石室を伴っています。 石室内からは、金銅製耳環、金銅製鈴、水晶製切子玉、瑪瑙製勾玉、碧玉製管玉、ガラス製小玉といった装飾品や、鍔、柄頭、鉄鏃、小札、轡(くつわ)など、武具や馬具も多数発見されています。 なお、本古墳の築造年代は、七世紀初めから中頃のものと思われます。 高崎市教育委員会 山名原口Ⅱ遺跡2号古墳(左)と山名原口Ⅱ遺跡1号古墳(中央奥)、番号…

  • 山名古墳群 (その2) 山名5〜13号墳 高崎市山名町

    山名古墳群の続き。北群の山名5号墳〜13号墳。 山名5号墳、番号216[現状:△、墳形:円、直径約35m、埋葬施設:不明、市史跡] 山名6号墳(綜覧古墳番号多野郡八幡村46)、番号181[現状:△、墳形:円、直径約18m、埋葬施設:横穴式石室、市史跡] 山名7号墳、番号182[現状:△、墳形:円、埋葬施設:両袖型横穴式石室、市史跡] 山名9号墳(綜覧古墳番号多野郡八幡村44)、番号183[現状:△、墳形:円、直径18m、埋葬施設:両袖型横穴式石室、市史跡] 山名10号墳(綜覧古墳番号多野郡八幡村42)、番号184[現状:△、墳形:円、直径約25m、埋葬施設:横穴式石室、市史跡] 山名9号墳(左…

  • 山名古墳群 (その1) 山名伊勢塚古墳 高崎市山名町

    山上古墳に先行する首長墓の山名古墳群の山名伊勢塚古墳。 高崎市指定史跡 山名古墳群(やまな こふんぐん) 山名古墳群は、古墳時代後〜終末期(六〜七世紀)に形成された群集墳(有力者の集団墓地)である。烏川との合流点に近い鏑川北岸にあり、背後には岩野谷丘陵(観音山)が望まれる。現在、指定地一帯には19基の古墳(前方後円墳1、帆立貝形古墳1、円墳17)が保存されており、これだけ状態の良い事例は県内でも数少ない。 古墳群は中央の低地を挟んで南北に広がるが、六世紀前半15号墳(帆 立貝形)を含む南群から形成が始まった。八世紀後半には北群の築造が始まり、六世紀末には両群の接する西端に山名伊勢塚古墳(墳丘長…

  • ローズガーデン 荒川区立宮前公園

    見頃を迎えた荒川区立宮前公園のローズガーデン。 今日は良い天気に☀️園内花壇のバラも華やかになって来ました!🌹🌹#荒川区 #宮前公園 #バラ pic.twitter.com/eGploUFoYs — 荒川区立宮前公園 (@miyamaepark) 2025年5月11日 今週末(5月17日)に第15回あらかわバラの市を開催 第15回あらかわバラの市/荒川区公式サイト 荒川遊園煉瓦塀 宮前商店街 旧東京女子医科大学東医療センターの解体は完了? にほんブログ村

  • 山上碑と山上古墳 (その2) 高崎市山名町

    山上碑と山上古墳の続き。 上山碑 山ノ上碑および古墳 所在地 高崎市山名町山上谷2104 昭和29年3月20日 特別史跡指定 碑石の保護と碑面の劣化・風化から文字の消滅を防ぐために国および群馬県の補助を受け覆屋を新築した。 平成四年三月 高崎市教育委員会 日の暮に 碓氷の山を越のる日は 夫(せ)なのか袖も さやに振らしつ 万葉巻14-3402、大沢雅休 「袖もはっきり見える程、ひどく振って峠を越えていった人、防人(さきもり)に旅立ったあのかたの最後のお姿だった」 あすか河 塞(せ)くと知りせばあまた夜も ゐ寝てこましを せくとしりせば 万葉巻14-3545、山本聿水 「二人の仲がひきさかれると…

  • 山上碑と山上古墳 (その1) 高崎市山名町

    上野三碑巡りの続き。 山上碑と上山古墳 吾が恋は まさかも悲し草枕 多胡の入野の おくも悲しも 万葉巻14-3403 「私の恋しく思う心は現在も悲しい、ずっとさきも胸のつまる思いです」 三郡坂東の札所 窟堂址(馬頭観音) 江戸時代の中頃、旅をおほえた民衆は、名所古跡を訪ね、古来の札所を迴った。西国三十三所の観音札所であり坂東の札所である。 しかし一般の庶民にとって、これら長距離の札所は高嶺の花で、とうてい順礼することは出来ない。そこで考え出されたのがミニ観音札所や、四国八十八か所になぞらえた新四国である。 この国指定の山の上の古墳の中に馬頭観音が祀られ、窟堂と呼ばれる観音堂が建てられ、石段が積…

  • 金井沢碑 高崎市山名町

    漆山古墳の説明板の周辺マップに記載のあった上野三碑の金井沢碑と山上碑を巡った。 金井沢碑 特別史跡 金井沢碑 所在地 高崎市山名町2334 指定年月日 (史跡)大正10(1921年3月3日、(特別史跡)昭和29(1954)年3月20日 ■銘文(口は欠字) 上野国群馬郡下賛郷高田里三家子□為七世父母現在父母現在侍家刀自□□君目□刀自又児□那刀自孫物部君午足次[馬爪]刀自次□[馬爪]刀自合六口又知識所給人三家毛人次知万呂鍛師礒マ君身麻呂合三口如是知識結而天地誓願仕奉石文 神亀三年丙寅二月廿九日 ■現代語訳 上野国群馬郡下賛郷高田里に住む三家子□が(発願して)、祖先および父母の為に、ただいま家刀自(…

  • 佐野村28,30,32号古墳 高崎市下佐野町

    漆山古墳の周辺の古墳を散策。 佐野村28号古墳、番号1638[現状:x、墳形:圓型、(25尺)] 定家神社 高崎市指定重要文化財 定家神社社宝(縁起一巻ほか) 定家(ていか)神社は、鎌倉時代初期に活躍した歌人藤原定家(ふじわらのさだいえ、1162〜1241)を祭神とする。定家は『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の二つの勅撰集の撰者を務めるなど、当時を代表する歌人である。一般に「ていか」と呼ばれることが多い。 定家神社に伝わる社宝のうち以下の四点が高崎市の重要文化財として指定されている。 一、定家大明神緣起一巻 定家大明神の由来を記したもので、筆者は冷泉為茂。奥書に元様七年(1694)の年号がある…

  • 漆山古墳 高崎市下佐野町

    佐野古墳群の盟主、漆山古墳を訪れた。 漆山古墳(綜覧古墳番号佐野村27)、番号68[現状:○、墳形:前方後円、全長61.2m、埋葬施設:両袖型横穴式石室、市史跡] 高崎市指定史跡 漆山古墳(うるしやまこふん) 漆山古墳は、佐野古墳群の中に位置する前方後円墳です。一帯には、かつて約八十基の古墳が存在していましたが、その中でも最大の盟主的な古墳です。墳丘は、前方部の大半が削ら れており、現在する墳丘の大きさは、東西38m、南北31m程です。築造時の全長は70m以上と推定されます。 埋葬施設は横穴式石室で、後円部南側に開口しています。石室は烏川対岸の丘陵に産する凝灰岩を加工して造られており、現存長は…

  • 八ヶ上遺跡 富士見市関沢

    八ヶ上(はけうえ)遺跡の第2地点の付近を散策。 33 八ケ上(はけうえ)遺跡|富士見市 八ケ上遺跡の縄文時代草創期の土器と石器|富士見市 縄文文化のはじまり ~八ヶ上遺跡全部見せます~|富士見市 蔵出し! 八ケ上遺跡|富士見市 にほんブログ村

  • 「縄文文化のはじまり~八ヶ上遺跡全部見せます~」 水子貝塚資料館

    富士見市立水子貝塚資料館で開催中の企画展「縄文文化のはじまり~八ヶ上遺跡全部見せます~」を鑑賞した。本展は、富士見市関沢の 八ヶ上(はけうえ)遺跡を中心に、縄文時代草創期(約1万6000〜1万5000年前)の富士見市や埼玉県内、神奈川県の遺跡の出土品を展示する。 八ヶ上遺跡は、1973年(昭和48年)に発掘調査された第2地点から隆起線文土器と石器群が多数発見され学会でも著名な遺跡となったが、一部の土器と石器が概報として報告されたのみで、ほとんどの資料が正式には発表されていないため、今回は第2地点から出土した縄文時代草創期の土器や石器を全て展示するとのこと。個人的には、西大宮バイパスNo.4遺跡…

  • 浅間山古墳 (再訪) 高崎市倉賀野町

    安楽寺周辺の古墳巡りの続き。 浅間山古墳(綜覧古墳番号倉賀野1)、番号530[現状:○、墳形:前方後円、全長171.5m、埋葬施設:不明(未調査)、国史跡] 国指定史跡 浅間山古墳(せんげんやまこふん) 浅間山古墳は、烏川左岸の段丘上に位置する四世紀後半から五世紀初頭に築造された前方後円墳です。墳丘は前方部が二段、後円部が三段の築造で、斜面には葺石があります。墳丘周囲には内堀と外堀の二重周堀があります。内堀は馬蹄形で、その外側に葺石を持つ中堤(ちゅうてい)が築かれ、さらにその外側に外堀が廻っていることが確認されています。 同一段丘上には、前方後円墳の大鶴巻古墳・小鶴巻古墳、円墳の大山古墳・庚申…

  • 大鶴巻古墳 (再訪) 高崎市倉賀野

    安楽寺周辺の古墳巡りの続き。 大鶴巻古墳(綜覧古墳番号倉賀野2)、番号580[現状:○、墳形:前方後円、全長123m、埋葬施設:不明(未調査)、国史跡] 史跡 大鶴巻古墳 この古墳は、烏川左岸の段丘上に築かれた全長123mの前方後円墳で平坦地に土を二段に盛り上げてつくられています。ただし、後円部の噴頂下5mのあたりで等高線の間隔がゆるやかになる部分が見られることから三段築成の可能性もあります。後円部の径が72m、高さ10.5mであるのに対し、前方部の長さ51m、前端幅54m、高さ6.5mと、後円部に比較して前方部の幅が狭く、未発達という特徴を持っています。墳丘のまわりには盾型の周堀をめぐらし、…

  • 小鶴巻古墳 (再訪) 高崎市倉賀野

    安楽寺の石室を見学後は、近くの大鶴巻古墳・小鶴巻古墳・浅間山古墳を再訪した。 左手前が小鶴巻古墳、右奥が大鶴巻古墳 小鶴巻古墳(綜覧古墳番号倉賀野3)、番号581[現状:○、墳形:前方後円、全長87.5m] 小鶴巻古墳 この古墳は大鶴巻古墳と共に、五世紀後半のものと推定される前方後円墳で、倉賀野古墳群を代表する首長墓の一つでもあります。墳丘全長約87m、後円部径約50m、同高約6m、前方部は前幅約40m、同高約2.5mで、幅20mの周堀を有しています。 後円部蓋の頂上中心部に、舟形石棺と考えられる凝灰岩製の剣抜式石棺が安置されております。その石棺の蓋の部分の既掘穴(盗掘の穴)から見ると、内部に…

  • 安楽寺古墳石室 大開帳(4/8) 高崎市倉賀野

    高崎市倉賀野の安楽寺のご本尊、七仏薬師が壁面に彫られた安楽寺古墳の横穴式石槨は、12年に一度、巳年の花まつりにご開帳されるということで、4月8日に仕事を休んで訪れた。次の公開は12年後ということで、この日は多くのお仲間がこの地を訪れたようだ。 安楽寺古墳、番号577[現状:△、墳形:円、直径約30m、埋葬施設:横穴式石室(横穴式石槨)、県史跡] 群馬県指定史跡 安楽寺古墳 安楽寺古墳は七世紀末頃に築造されたと推定され、径20メートル、高さ4メートルの規模を有する円墳である。 主体部は横口式石槨と呼ばれる形式で、羨道の奥に石棺が取り付いたような構造をしている。 石室内部の壁面には、鎌倉時代の製作…

  • おたま塚古墳 境町

    昨年12月の境町の清水遺跡の現地説明会の時に立ち寄ったショッピングモールに保存された桜山古墳群の2基の古墳のうち、おたま塚古墳の写真が見切れていたので再訪した。 桜山古墳群内 おたま塚古墳 桜山古墳群は、古墳時代前期から中期(三世紀末〜五世紀ごろ)にかけてこの地を支配していた豪族の墳墓群であり、かつては十二基以上の古墳を数えた。利根川築堤による採上で湮滅し、現存するのはこのおたま塚古墳(円墳)と鷲塚古墳(円墳、東方五十メートル) のみである。 南方にあった古墳から人骨や直刀などの遺物が出土したとの、昭和三十年の新聞記事があるが、遺物などの所在は不明である。平成三年に境町教育委員会が行った調査で…

  • 馬渡埴輪製作遺跡 ひたちなか市馬渡

    発掘60周年記念の馬渡埴輪製作遺跡を訪れた。 国指定史跡 馬渡埴輪製作遺跡(まわたりはにわせいさくいせき) 馬渡埴輪製作遺跡は、5世紀末から6世紀頃(1,400〜1,500年前)に、古墳に立てる埴輪を製作していた遺跡である。 この遺跡は昭和38年に発見され、昭和40年から平成3年までの調査の結果、窯跡19基、住居跡2軒、工房跡(作業場)12棟、粘土採掘抗25か所以上、溝などの遺構が発見された。遺跡からは、円筒埴輪や形象埴輪(人物・馬などの形をしたもの)や、当時の工人が使用した土器類や鉄器類なども発見されている。 原料の粘土の採掘から、形を作り、焼き上げるまでの一連の工程がわかる遺構と、工人の住…

  • たまごの森フラワーガーデンのチューリップ 国営ひたち海浜公園

    国営ひたち海浜公園たまごの森フラワーガーデンのチューリップ。 国営ひたち海浜公園 – 海と空と緑がともだち。 チューリップ – 国営ひたち海浜公園 《#チューリップ 特集🌷第一弾》『たまごの森フラワーガーデン』で咲く、今年おすすめのチューリップの名前は、「○○ヴァ」(4文字)と言います。さて、花の名前は何でしょうか❓正解は、次の投稿をチェック😊#hitachiseasidepark #ひたち海浜公園 pic.twitter.com/PXMqOyK2ys — 国営ひたち海浜公園【公式】 (@HitachiKaihin) 2025年4月12日 《#チューリップ 特集🌷第二弾》第一弾の投稿の答えは「…

  • みはらしの丘のネモフィラ 国営ひたち海浜公園

    約530万本のネモフィラの見頃を堪能するために、早起きして国営ひたち海浜公園のみはらしの丘を訪れた。 みはらしの丘の上から眺める茨城港常陸那珂港区 国営ひたち海浜公園 – 海と空と緑がともだち。 ネモフィラ – 国営ひたち海浜公園 ナノハナ – 国営ひたち海浜公園 みはらしの丘では、約530万本の #ネモフィラ が見頃を迎えております!空と共に、丘一面青色の世界が広がります✨#hitachiseasidepark #ひたち海浜公園 #ひたち海浜公園_私の推し花 pic.twitter.com/af0P4LEScj — 国営ひたち海浜公園【公式】 (@HitachiKaihin) 2025年4月…

  • 佐賀県桜馬場遺跡の甕棺 明治大学博物館

    丸紅ギャラリーの特別公開展から明治大学博物館をハシゴ。ここも徒歩移動。 明治大学博物館の考古部門のミニ展示、明大コレクション60「佐賀県桜馬場遺跡の甕棺」を鑑賞した。魏志倭人伝に登場する末盧国(まつろこく)の王墓と考えられる甕棺が出土した佐賀県桜馬場遺跡から出土した(周辺の)甕棺などを展示。 明大コレクション60 「佐賀県桜馬場遺跡の甕棺」開催のお知らせ 明治大学 学芸研究室から(第3回)【考古】佐賀県桜馬場(さくらのばば)遺跡の甕|明治大学博物館 甕棺 明治大学デジタルアーカイブ 桜馬場遺跡出土遺物(平成19年度調査分) 文化遺産オンライン 県指定(考古資料の部)13 / 佐賀県 明…

  • ボッティチェリ 美しきシモネッタ 特別公開展 丸紅ギャラリー

    東京都美術館のミロ展から丸紅ギャラリーの『ボッティチェリ 美しきシモネッタ』特別公開展をハシゴ。『ボッティチェリ 美しきシモネッタ』は、丸紅が所蔵する日本で唯一のボッティチェリ(1445-1510)のテンペラ画。1808年にイタリアのボローニャで再発見され、フランス、イギリス、ドイツ、イギリスを経て、1969年に丸紅が輸入。その後、贋作との指摘を受け、専門家による現地調査、科学鑑定により、その疑いを晴らし、本展では経緯等もパネル展示する。本作のモデルとなったシモネッタ・ヴェスプッチ(1453-1476)は、ボッティチェリの傑作「プリマヴェーラ(春)」や「ヴィーナスの誕生」もモデルとも言われてい…

  • ミロ展 東京都美術館

    国立科学博物館の古代DNA展から東京都美術館のミロ展をハシゴ。 【開幕まで1ケ月】🇪🇸ジュアン・ミロ(1893~1983)は、20世紀を代表する巨匠に数えられ、没後40年を迎えた今、世界的に再評価されています。本展は〈星座〉シリーズをはじめ、各時代を彩る絵画や陶芸、彫刻により、90歳まで新しい表現へ挑戦し続けたミロの芸術を紹介します!https://t.co/ExBbMhCBAr pic.twitter.com/CUf9Ht3sqy — 東京都美術館 (@tobikan_jp) 2025年2月1日 【特別展「ミロ展」(東京都美術館)開幕レポート】https://t.co/pnqc8OfU2j東…

  • 「古代DNA−日本人のきた道−」 国立科学博物館

    国立科学博物で開催中の特別展「古代DNA−日本人のきた道−」を鑑賞した。遺跡から発掘された古代の人々の骨に残るごく僅かなDNAを解読し、人類の足跡をたどる古代DNA研究。近年では、技術の発展とともに飛躍的な進化を遂げ、ホモ・サピエンスの歩んできた道のりが従来想像されていたよりもはるかに複雑であったことが分かってきた。本展では、旧石器時代から古墳時代まで、また、本州・四国・九州と異なる文化と歴史をもつ北海道と琉球列島について、出土した古人骨や考古資料、高精細の古人頭骨CG映像などによって、その成立の歴史を伝える。さらに、古くから人類と関わりが深いイヌやイエネコについても取り上げ、DNA分析などか…

  • 道の駅 おかべ 深谷市岡

    道の駅 おかべの桜。 道の駅 おかべ 渋沢栄一めぐり旅|埼玉県公式観光サイト ちょこたび埼玉 渋沢栄一ゆかりの地を巡る - 埼玉県 にほんブログ村

  • 多摩市百草恋路稲荷神社の秘密 パルテノン多摩ミュージアム

    東京都立埋蔵文化財調査センターの新年度の企画展示からパルテノン多摩ミュージアム連携企画展をハシゴ。 パルテノン多摩ミュージアムで開催中の連携企画展『多摩市百草・恋路稲荷神社の秘密~古墳の上の神社の伝来資料群を黄檗寺院「資福院」の痕跡~』を鑑賞した。昨年秋に多摩市百草の稲荷塚古墳を7年ぶりに訪れたら、八角形墳の墳頂に祀られていた神社が遷座していたのでビックリした。本展によると、2022年に今後の神社の維持管理と稲荷塚古墳の保存と活用を考え、隣接地へ縮小移転し、社殿に伝来した多くの資料は多摩市教育委員会に寄贈されたとのこと。また、「恋路(こいじ)」という地名の由来は、①遊郭があった説、②「国府路(…

  • 「土の中のトーキョー~近代考古学事始~」 東京都立埋蔵文化財調査センター

    東京都立埋蔵文化財調査センターで開催中の新年度の企画展示「土の中のトーキョー~近代考古学事始~」を鑑賞した。 都心部の江戸遺跡を調査すると近代の遺跡・出土品に遭遇する。本展示では、当センターが東京都内で発掘調査を行った成果を中心に、 プロローグ:土の中のトーキョー トーキョーの礎 トーキョーを襲った災禍 トーキョーに暮らした人々 エピローグ:トーキョーからTOKYOへ~東京の現在、そして未来~ というテーマで、東京の近代化と現在の私達の暮らしに繋がる近代東京の歴史を紹介する。 令和7年度企画展示「土の中のトーキョー~近代考古学事始~」がスタートしました。 お知らせ一覧 東京都埋蔵文化財…

  • 「君ときゅんと♡」 リリイベ (4/19) ららぽーと立川立飛

    私の推しのラフXラフの佐々木楓菜さんが作詞・作曲した「君とキュンと♡」のリリースイベント(リリイベ)の三日目(会場としては4会場目)も大盛況。「君とキュンと♡」のリリイベは今回がラスト。感動的なフィナーレだった。もなみんとはるるん👍(Good Job) 1部 2部 【新着🆕】ラフ×ラフ @roughlaugh_o 『君ときゅんと♡』miim ver. 発売記念 ミニライブ・特典会 開催決定!3月29日(土)🎪ヴィレッジヴァンガード渋谷本店🎪錦糸町マルイ4月5日(土)🎪ステラタウン大宮4月19日(土)🎪ららぽーと立川立飛≫詳細はこちらhttps://t.co/deamrJIVz8 — miim …

  • 駒城跡 下妻市黒駒

    浅間塚古墳から現地説明会に向かおうとしたら道に迷って、なぜか駒城跡だったので寄り道。 県指定文化財 史跡 駒城跡 指定年月日 昭和十年十一月二十六日 ここは東西120メートル、南北180メートルにわたる駒城跡の北西部にあたります。 駒城は駒館ともいわれ、およそ670年前ここに中御門少将藤原実寛が城主としてたてこもりました。 その頃は北畠親房らが南朝に、足利尊氏らは北朝にそれぞれの天皇をいただいて争い、たいへん乱れたので南北朝時代といわれています。親房らはこの地方に勢力をのばそうとして延元三年・暦応元年 (1338)小田治久の小田城(つくば市小田)に拠りました。 関城(筑西市関館)の関宗祐、大宝…

  • 浅間塚古墳 下妻市黒駒

    次に訪れたのは、鬼怒川を渡った東隣の下妻市の浅間塚古墳。 市指定文化財 史跡 浅間塚古墳(せんげん づか こふん) 指定年月日 昭和52年3月22日 所在地 下妻市黒駒 管理者 下妻市 黒駒字駒墓300番にある古墳で、全長40メートル、後円部の高さ5.3メートルの小規模ながら典型的な前方後円墳である。木立に覆われた墳丘上に浅間祠があり、保存状態は良好である。 この古墳は6世紀から7世紀ごろ平方や久下田などに水田を開いた豪族の墓ではないかと考えられる。 平成3年3月 下妻市教育委員会 浅間塚古墳(市指定文化財) 下妻市公式ホームページ 下妻市浅間塚古墳 趣味の案件 にほんブログ村

  • 天神塚古墳 八千代町菅谷

    次に訪れたのは天神塚古墳。墳頂に大日霊貴(おおひるめむち)社を祀る。いばらきデジタルマップによれば「遺跡番号121、円墳、S61測量調査」 茨城県結城郡八千代町 菅谷天神塚古墳 古墳探訪記 八千代町菅谷天神塚古墳 趣味の案件 茨城県結城郡八千代町:大日霊貴社と菅谷天神塚古墳: 怠け者の散歩道2 にほんブログ村

  • 矢尻北古墳 八千代町栗山

    次に訪れたのは城山古墳群の矢尻北古墳。城山古墳群は、矢尻北古墳ともう1基の円墳が残存とのことだが、どこだろう? ちなみに、八千代町歴史民俗資料館に城山古墳群の矢尻古墳の石棺が移設保存されている。 八千代町指定文化財 矢尻北古墳 指定番号十二号 昭和五十三年四月一日指定 種別 記念物 史跡 所在地 八千代町大字栗山字矢尻六二〇番地の二 他二筆 形態 円墳 規模 直径16m 年代 古墳時代後期 矢尻北古墳は、入沼東岸の台地上に立地する城山古墳群の中にあります。測量調査の結果、直径16m、 高さ1.84mの円墳であることが分かりました。墳丘の北側と南側の一部に周溝の形状が認められ、周溝幅を推定すると…

  • 尾崎前山遺跡製鉄炉跡 八千代町尾崎

    秋葉山古墳のすぐ北にある尾崎前山遺跡製鉄炉跡にも足をのばした。 八千代町指定文化財 尾崎前山遺跡製鉄炉跡 平成六年九月二十六日指定 尾崎前山遺跡は、南側に飯沼から入り込んだ谷津を望む台地に立地する。現状は山林・ 畑になっている。 台地下の斜面から水田にかけて、多量の鉄滓が散布していたことから、茨城県立歴史館や東京工業大学によって、昭和五十三年から五十五年にかけて発掘調査された。調査の結果、旧石器時代から縄文時代、弥生時代、平安時代の複合遺跡であることが分かった。 特に、指定された南斜面の部分からは、製鉄炉跡の他、木炭や炉を築くための粘土等の材料置き場、明らかに地形を成形して造った作業場等の施設…

  • 秋葉山古墳 八千代町尾崎

    現地説明会の前に八千代町で墳活。最初に訪れたのは秋葉山古墳。 八千代町指定文化財 秋葉山古墳 昭和五十三年四月一日指定 秋葉山古墳は、旧飯沼入江西岸の台地突端に立地し、台地下の水田地帯を一望できる。古墳の北側には秋葉神社が祭祀されている。 古墳は測量調査の結果、全長約45mの前方後円墳であることが分かった。かつては他に2、3基の古墳があったということだが、現在は消滅している。 秋葉山古墳は、明治24年12月24日に発掘調査されている。その時の様子が、当時のいばらき新聞や古文書からも知ることができる。それによると、石棺の中から人骨二体、刀剣二口、槍一幹、小刀二口が出土したことが分かる。 石棺は竪…

  • 八千代町歴史民俗資料館 八千代町菅谷

    現地説明会の前に八千代町歴史民俗資料館で常設展示と屋外に移設保存された2基の石棺を見学。常設展示は撮影禁止なのが残念。 八千代町歴史民俗資料館に移設保存された2基の石棺 矢尻古墳出土石棺 八千代町栗山矢尻古墳出土石棺: 埼群古墳館別館 39.矢尻北古墳 八千代町公式ホームページ 太田古墳出土石棺 八千代町太田古墳出土石棺: 埼群古墳館別館 八千代町若(神社)古墳 歴史民俗資料館所蔵石棺 趣味の案件 32.太田古墳出土遺物(副葬品 銅鏡外) 八千代町公式ホームページ 本日は館内整理日のため、ジャングルと化してしまった敷地内を職員全員で除草しています🌿ちなみに、画像の中央に並んでいるも…

  • 旧中結城小学校庭遺跡 発掘調査現地説明会 (3/22) 八千代町

    3月22日に開催された旧中結城小学校庭遺跡の発掘調査現地説明会に参加した。今回の調査では、縄文時代早期後半、古墳時代前期、古墳時代後期の竪穴住居跡、中世のものと思われる溝跡、井戸跡などが見つかった。 【#発掘調査 #遺跡 #現地説明会 開催のお知らせ】日時:3月22日(土)午後1時30分場所:旧中結城小学校庭遺跡(理化工業株式会社敷地内)駐車場:理化工業株式会社従業員用駐車場※小雨決行、荒天時は中止皆様のご来場お待ちしております#茨城県 #八千代町 #八千代町歴史民俗資料館 #考古学 pic.twitter.com/ll2JvxwPx8 — 八千代町歴史民俗資料館【公式】 (@yachiyo_…

  • 「ようこそ はるばる おけがわへ ~縄文時代のモノと移動~」 桶川市歴史民俗資料館

    桶川市歴史民俗資料館で開催中の令和6年度企画展示『ようこそ はるばる おけがわへ ~縄文時代のモノと移動~』を鑑賞した。桶川市域は、古くから交通の要衝として栄えてきた。本展では、桶川市内の縄文時代の遺跡から出土した、他地域にルーツをもつ「モノ」に焦点を合わせて、当時の地域間交流の様子を紐解く。 令和6年度企画展示「ようこそ はるばる おけがわへ~縄文時代のモノと移動~」/桶川市 【#桶川市 からの #埼玉文化財情報】桶川市歴史民俗資料館で、企画展示「ようこそ はるばる おけがわへ ~縄文時代のモノと移動~」を開催しています!期間は4月20日(日)までです!3月27日(木)には、近隣に道の駅がオ…

  • 「君ときゅんと♡」 リリイベ (4/5) ステラタウン大宮

    私の推しのラフXラフの佐々木楓菜さんが作詞・作曲した「君とキュンと♡」のリリースイベント(リリイベ)の二日目(会場としては3会場目)も大盛況。場所は埼玉県のステラタウン大宮。ショッピングモールの屋外広場での開催で、天候も良く、買い物中のご家族や小さなお子様にも楽しんでいただけたかな。次回のららぽーと立川立飛も楽しみ。 【新着🆕】ラフ×ラフ @roughlaugh_o 『君ときゅんと♡』miim ver. 発売記念 ミニライブ・特典会 開催決定!3月29日(土)🎪ヴィレッジヴァンガード渋谷本店🎪錦糸町マルイ4月5日(土)🎪ステラタウン大宮4月19日(土)🎪ららぽーと立川立飛≫詳細はこちらhttp…

  • 「埼玉の遺跡 行田・熊谷市小敷田遺跡−低地集落に生きた人々−」 埼玉県立さきたま史跡の博物館

    埼玉県立さきたま史跡の博物館で開催中の令和6年度テーマ展「埼玉の遺跡 行田・熊谷市小敷田遺跡−低地集落に生きた人々−」を開催2日目に鑑賞した。さきたま史跡の博物館では、毎年「埼玉の遺跡」をテーマに展示を開催、今回は行田市と熊谷市にまたがる小敷田遺跡について紹介する。小敷田遺跡は低地に営まれた集落で、弥生時代から古代まで幅広い時代の遺物が出土している。本展では、県内最古級の方形周溝墓から出土した土器や多数出土した農耕などに関する木製品、出挙を示す木簡などを展示し、当時の人びとの暮らしについて考える。この日は、学芸員による展示解説があり、こちらも参加した。 企画展・特別展 - 埼玉県立さきたま史跡…

  • 丸木舟ラボ 北区飛鳥山博物館

    北区飛鳥山博物館で開催中の春期企画展「丸木舟ラボー縄文の舟にまつわる4つのはてなー」を鑑賞した。北区では、縄文時代中期〜晩期の丸木舟が合計4艘見つかっている。そのうちの1艘の中里遺跡出土の縄文時代中期初頭(約5400〜5300年前)につくられた丸木舟は、大変良好な保存状態で、博物館を代表する展示品の一つで、東北新幹線(1985年に上野駅・大宮駅間が開業)の建設工事に伴う発掘調査で第1地点P地区の砂層から出土した。残りの3艘は袋低地遺跡(赤羽北1・2丁目)から舟底の一部が出土した。丸木舟の日本各地の発見数は近年増加傾向にあり170艘ほどで、出土地に偏りがあり、九十九里地域(千葉県北東部)や琵琶湖…

  • 越中島支線の煉瓦造の橋台群 (その2) 江東区大島、北砂

    越中島支線の煉瓦造の橋台群を散策の続き。 大島架道橋(ガード) 山崎架道橋(ガード) 庚申架道橋(ガード) 江東区登録史跡 庚申道跡 明治通りから横十間川へ向かうこの道は、庚申道と呼ばれていました。明治44年(1911)の東京逓信管理局作成の地図を見ると「字庚申道」と記されています。 この道の西側、大島1-18に「釜屋堀庚申様地蔵尊」という幟(のぼり)の建てられたお堂があります。このお堂は昭和62年頃まで突き当たりにあり、「三つまたの庚申様」とも呼ばれていました。昭和7年(1932)に刊行された『大島町誌』 には、「庚申堂」として旧大島村甲七十番地にあること、猿田彦大神を祀ること、その由緒は未…

  • 越中島支線の煉瓦造の橋台群 (その1) 江東区大島

    錦糸町マルイでの「君とキュンと♡」のリリイベまで時間があったので、小雨の降る中、越中島支線の煉瓦造の橋台群を散策。越中島支線は、東京都江戸川区の小岩駅と江東区の越中島貨物駅を結ぶ、JR東日本の総武本線の貨物支線の通称。1929年(昭和4年)に亀戸駅から小名木川駅まで開業。 竪川橋梁(ガード) 亀戸架道橋(ガード) 中の郷出村第1架道橋(ガード) 中の郷出村第2架道橋(ガード) さらに南下 幹線29号架道橋 越中島支線・竪川架道橋 : Anthology -まちの記憶- 続・東京鉄道遺産1 越中島支線 亀戸~小名木川間の煉瓦積み橋台群 : kenのデジカメライフ 昔の晴海には鉄道が走っていた!?…

  • 平井地区27,29,30,32,33,34号墳 藤岡市白石

    白石古墳群の墳活の続き。 平井地区27号墳 平井地区29号墳(平井村480号墳) 平井地区30号墳 平井地区32号墳(平井村491号墳) 左から平井地区27,30,32号墳 平井地区33号墳(平井村481号墳) 平井地区34号墳(平井村490号墳) 平井地区17号墳-18号墳-19号墳-22号墳-29号墳-32号墳-33号墳【群馬県藤岡市】 - ぺんの古墳探訪記 平井地区34号墳-35号墳-37号墳-38号墳【群馬県藤岡市】 - ぺんの古墳探訪記 にほんブログ村

  • 平井地区35,37,38号墳 藤岡市白石

    白石古墳群の墳活の続き。 平井地区35号墳(平井村485号墳) 平井地区37号墳(平井村483号墳?) 平井地区38号墳(平井村484号墳) 平井地区34号墳-35号墳-37号墳-38号墳【群馬県藤岡市】 - ぺんの古墳探訪記 【古墳めぐり81】萩原塚古墳〜佐平塚古墳〜堀越塚古墳〜めおと塚古墳 古墳友との初コラボ - 2020年01月13日 [登山・山行記録]-ヤマレコ にほんブログ村

  • 平井地区49,50号墳、平井村464号墳 藤岡市白石

    白石古墳群の墳活の続き。 平井地区49号墳(平井村461号墳) 平井地区50号墳 平井村464号墳 平井地区49号墳-50号墳-57号墳-58号墳-平井村464号墳【群馬県藤岡市】 - ぺんの古墳探訪記 にほんブログ村

  • 堀越塚古墳 藤岡市白石

    白石稲荷山古墳の発掘調査現地説明会の後で、白石古墳群の下郷支群で墳活。藤岡市藤岡歴史館の東の県道173号線(金井倉賀野停車場線)沿いのラブホを取り囲む白石古墳群の猿田支群の平井地区7〜13号墳と、その南の促成栽培のハウスを取り囲む白石古墳群の下郷支群の平井地区15〜23号墳を6年前に墳活したので、今回は、その南に所在する白石古墳群の下郷支群の平井地区27〜50号墳を探索。この地域には、堀越塚古墳、萩原塚古墳、佐平塚古墳と3基の横穴式石室が開口する古墳があるが、3基とも民家の敷地内にあり、今回は石室は見学していない。機会があれば見学したい。 堀越塚古墳 所在地 藤岡市白石1946-1 所有者 堀…

  • 平井地区2号古墳と平井地区2号北古墳 藤岡市三ツ木

    平井地区2号古墳と平井地区2号北古墳を再訪。 平井地区2号古墳 平井地区2号北古墳 こっちにこんな石が にほんブログ村

  • 皇子塚古墳と平井地区1号古墳 (再訪) 藤岡市三ツ木

    皇子塚古墳と平井地区1号古墳を再訪。 皇子塚古墳 平井地区1号古墳 おまけで七輿山古墳 にほんブログ村

  • 白石稲荷山古墳 発掘調査現地説明会 (3/2) 藤岡市白石

    3月2日に開催された白石稲荷山古墳の発掘調査現地説明会に参加した。藤岡市では、現在、七輿山古墳を北、白石稲荷山古墳を南とする範囲で白石丘陵公園の整備を進めている。その一環の史跡整備にあたって白石稲荷山古墳の調査を実施している。令和元年度に早稲田大学と地中レーダー探索を実施した。その結果を踏まえ、令和4年度は前方部に3本のトレンチ(23, 24, 25トレンチ)を設定、上段(3段目)斜面と中段(2段目)斜面の葺石を確認した。令和5年度は、古墳の外側に巡る「基壇」と呼ばれる付随施設の存在やその形状を確認するため4本のトレンチ(26,27,28,29トレンチ)を設定、墳丘の1段目斜面の外側の平坦な面…

  • 「君ときゅんと♡」 リリイベ (3/29) 渋谷/錦糸町

    私の推しのラフXラフの佐々木楓菜さんが作詞・作曲した「君とキュンと♡」のリリースイベント(リリイベ)の初日は大盛況。 リリイベ詳細&特典会についてです❕いろんな特典会があるのでぜひ確認お願いします🫶🏻ちなみにTiktok撮影は、・2人で撮るもよし!・メンバーが踊ってる隣で応援するもよし!・1人で踊ってもらうもよし!と、自由度が高いので、好きなように楽しんでもらえたらうれしいです🥰#ラフラフ https://t.co/4Nxzhg83XW — 佐々木楓菜(ラフ×ラフ) (@sasaki_fuuna) 2025年3月25日 3月29日12:00〜 ヴィレッジヴァンガード渋谷本店 B2F イベントス…

  • 幡山古墳群 常陸太田市幡町

    常陸太田市立機初小学校に移設保存された幡山古墳群の横穴式石室を見学。 幡山古墳群 機初(はたぞめ)小学校のある幡山の台地には大昔から人々が住んでいました。「常陸国風土記」によれば、崇神朝に美濃国からこの地に織物を織る長幡部(ながはたべ)族が移り住んできたことが記されています。 常陸太田市内には県内で二番目に大きい前方後円墳「梵天山古墳」をはじめ、数多くの古墳があります。この幡山の台地には前方後円墳一基、円墳十五基、台地の南斜面には横穴群百六十二基が作られて いました。幡山の古墳は今からおよそ千ニ〜四百年前の長幡部一族の身分の高い人のお墓と見らています。石を積み重ねて石室とよばれる部屋を作り、そ…

  • 佐々木楓菜の作詞作曲プロジェクト

    #ラフラフ #佐々木楓菜 さん ( @sasaki_fuuna )

  • 善光寺横穴墓群 常陸太田市松栄町

    現地説明会の合間に善光寺横穴墓群を見学。 市指定 史跡 善光寺横穴群 平成五年四月二十三日指定 七世紀から八世紀前半の横穴墓と推定される。 平成三年十二月十一日、遺跡が発見され、古代の横穴墓七基を確認した。その後平成四年二月に発掘調査が行われ、本横穴群からは武器類及び装身具が発見された。 おもな出土品としては 武器類 刀子及び鉄鏃 装身具 金環 メノウ製勾玉 ガラス製小玉 琥碧製棗玉 管理者 常陸太田市教育委員会 右から1,2基目 右から1基目 2基目 右から3,4,5基目 3基目 4基目 5基目 香仙寺、大わらじ 【#集中曝涼2024】〈香仙寺(19日のみ)〉#阿弥陀三尊仏 が奥壁に彫られた…

  • 島の百穴 常陸太田市島町

    梵天山古墳群で墳活の続き。 島の百穴(島横穴墓群) 島の百穴(ひゃくけつ) 昭和二十八年七月九日 県指定 百穴は、古墳時代後期(西暦600年〜700年頃)に岩の崖面に横穴を掘り込んで造られた横穴墓 で、横穴古墳ともいわれる。 横穴は後期古墳にみ横穴式石室をまね、玄室(墓室)、羨道(せんどう)、羨門(せんもん)からなる。玄室の平面は長方形や台形で、断面はカマボコ型、ドーム型、屋根型、台形等があり、中には棺座を設けたものもある。通常は羨門を石等で閉鎖しておき、家族墓として使用された。百穴は江戸時代にはすでに知られ、「水府志料」によると昔は40〜50基くらいあたとされ、 居住性のよいことから穴居跡と…

  • 梵天山12号墳・13号墳 常陸太田市島町

    梵天山古墳群で墳活の続き。 梵天山12号墳 梵天山13号墳(円墳) 茨城県常陸太田市島町 梵天山古墳(再訪) 古墳探訪記 茨城県常陸太田市島町 梵天山古墳群 古墳探訪記 にほんブログ村

  • 梵天山7〜10号墳 常陸太田市島町

    梵天山古墳群で墳活の続き。 瓢塚古墳(梵天山7号墳、前方後円墳) 天神塚(梵天山8号墳) 南天塚(梵天山10号墳) 塚越山(梵天山11号墳)は行き忘れた。 フセギ? 茨城県常陸太田市島町 梵天山古墳群 古墳探訪記 にほんブログ村

  • 宝蔵塚と富士山塚(梵天山5号墳・6号墳) 常陸太田市島町

    梵天山古墳群で墳活の続きに戻って。 宝蔵塚(梵天山5号墳) 富士山塚(梵天山6号墳) 茨城県常陸太田市島町 梵天山古墳群 古墳探訪記 にほんブログ村

  • 装飾古墳の世界2 ひたちなか市埋蔵文化財調査センター

    ひたちなか市埋蔵文化財調査センターで開催中の 第21回企画展「装飾古墳の世界2-虎塚古墳国指定50周年記念-」を鑑賞した。本店は、虎塚古墳国指定史跡50周年記念関連事業として当時の調査日誌や図面を公開する。装飾古墳について写真パネルや顔料を展示するほか,宮城県山元町の合戦原横穴墓群で新たに見つかった線刻壁画のほぼ原寸大の実測写真と併せて茨城県内の線刻壁画のほぼ原寸大の実測写真なども掲示。また,虎塚古墳国指定史跡50周年記念関連事業として当時の調査日誌や図面を公開する。 令和7年2月8日(土)~5月11日(日)第21回企画展「装飾古墳の世界2-虎塚古墳国指定50周年記念-」 ひたちなか市埋蔵…

  • 十五郎穴 (再訪) ひたちなか市中根

    虎塚古墳の横穴式石室の壁画を見学後に史跡に指定された十五郎穴横穴群を散策。7年半前に訪れた時のルートは立ち入り禁止で迂回路を通ったので指渋(さしぶ)支群も見学できた。 十五郎穴横穴墓群指渋(さしぶ)支群 十五郎穴横穴墓群館出(たてだし)支群 国指定史跡 十五郎穴横穴群 指定日 令和6年2月21日 所在地 茨城県ひたちなか市中根3490-イほか 十五郎穴横穴群は、古墳時代末から平安時代(今から1200〜1400年前)に築かれたお墓です。十五郎穴横穴群のように台地の崖に横から穴を堀り、作られている墓を横穴墓といい、群集していることが多くあります。横穴墓は玄室・羨道・前庭部などから構成されており、古…

  • 虎塚古墳 (再訪) ひたちなか市中根

    春の虎塚古墳壁画公開の前半初日に虎塚古墳を訪れた。2017年秋以来、7年半ぶりの訪問。 国指定史跡 虎塚古墳(とらづか こふん) 虎塚古墳は、大字中根指渋(さしぶ)に位置し、本郷川右岸台地上に築かれています。全長56.5メートルの前方後円墳で、後円部は直径32.5メートル、高さ5.7メートルで前方部は幅38.5メートル、高さ5.2メートルを測ります。前方部が発達した後期古墳の特徴を持っています。 昭和48年(1973)の発掘調査により、後円部南側に凝灰岩製の横穴式石室が発見され、 石室内には、東日本でも珍しい保存状態が良好な彩色壁画が見られました。壁画は、凝灰岩の表面に白色粘土を塗り、ベンガラ…

  • 高山塚古墳と西天塚(梵天山3号墳・4号墳) 常陸太田市島町

    梵天山古墳群で墳活の続き。 高山塚古墳(梵天山3号墳、円墳、径100m) 西天塚(梵天山4号墳、円墳、径30m) 【集中曝涼】中野冨士山古墳・星神社古墳・梵天山古墳群 常陸太田市公式ホームページ 茨城県常陸太田市島町 梵天山古墳群 古墳探訪記 常陸太田市:梵天山古墳群: 怠け者の散歩道2 梵天山古墳群【茨城県常陸太田市】全長151mの前方後円墳である梵天山古墳の周辺にも複数の古墳が分布しています。中でも1枚目の高山塚古墳は径90mとも100mともいわれる全国有数の巨大円墳です。ここも是非調査してほしい...。他にも山林などに数基の古墳が残されておりなかなか魅力ある古墳群です。 pic.…

  • 阿弥陀塚古墳(梵天山2号墳) 常陸太田市島町

    現地説明会の合間に梵天山古墳群で墳活。梵天山古墳群は、久慈川と山田川に挟まれた標高20~25m前後の台地上にあり、前方後円墳2基、円墳8基と、「島の百穴」と呼ばれる横穴墓群からなる。 阿弥陀塚古墳(梵天山2号墳) 梵天山古墳群 – 茨城県教育委員会 【集中曝涼】中野冨士山古墳・星神社古墳・梵天山古墳群 常陸太田市公式ホームページ 茨城県常陸太田市島町 梵天山古墳群 古墳探訪記 にほんブログ村

  • 中野冨士山古墳 常陸太田市中野町

    現地説明会の合間に中野冨士山古墳で墳活。 中野冨士山古墳 古墳は、常陸太田市中野町字冨士山511番地ほかに所在する。 小独立丘陵頂部(標高49m)の自然地形を巧みに利用し、久慈川方向からの視線を強く意識して築 造されている。 墳形は前方部の短小な前方後円墳で、主軸方向は北西〜南東である。主体部は不明であるが、墳丘の遺存状況から未盗掘とみられる。測量・清掃時に多量底部穿孔壷片(壷形埴輪)が採集されており、壷形埴輪の樹立が想定される。 古墳の築造時期は、古墳時代前期後葉頃とみられる。測量調査により判明した墳丘規模は以下のとおりである。 中野冨士山古墳の規模 墳丘長 約70m 後円部径・高 径48m…

  • 星神社古墳 発掘調査成果 現地説明会 (3/1) 常陸太田市島町

    3月1日に開催された梵天山古墳・星神社古墳の発掘調査成果を公開する現地説明会に参加した。星神社古墳は久慈川左岸支流、山田川と浅川の2つの小河川に挟まれた標高13m前後の沖積地上、周囲を水田に囲まれた場所に位置している。全長100mの前方後円墳で、古墳時代前期の築造と考えられている。 県指定史跡 星神社古墳(諏訪山古墳) 周囲を水田に囲まれた全長100mの前方後円墳で、後円部の頂上には星宮神社が祀られていることからこの名がついた。江戸時代に鴨志田家が水戸藩から拝領したことから、拝領山といわれ、諏訪山古墳とも呼ばれている。 後円部に比べ前方部が未発達であることから、古墳時代前期に造られたものと考え…

  • 梵天山古墳 発掘調査成果 現地説明会 (3/1) 常陸太田市島町

    3月1日に開催された梵天山古墳・星神社古墳の発掘調査成果を公開する現地説明会に参加した。梵天山古墳は、久慈川支流の山田川右岸に接する独立丘陵上標高20〜25mに位置する全長151mの前方後円墳。茨城県では石岡市の舟塚山古墳(全長186m)に次いで県内第2位の大きさ。古墳時代前期の築造とされ、この時代の古墳では東日本最大級。令和3年に第1次発掘調査を実施、それを踏まえ、今年度に2度目の調査を実施。 前方部墳頂から後円部 Pトレンチ Oトレンチ Hトレンチ Dトレンチ Nトレンチ 後円部の推定される葺石の範囲 Cトレンチ くびれ部の墳丘上から後円部 後円部の墳丘上から前方部 後円部墳頂 梵天山古墳…

  • 西原大塚遺跡 志木市幸町

    志木市埋蔵文化財保管センターで西原大塚遺跡の出土品も見学したので現地を訪れた。 西原大塚遺跡は、市内最大規模の遺跡で、旧石器時代から近世にかけての複合遺跡。文献[1]によれば「西原大塚遺跡では(弥生時代)後期末葉から古墳時代前期にかけての住居跡が約600軒確認されており、市内最大の集落跡であることが判明している。特に、122号住居跡からは全国的にも稀な「イヌ」を象ったと思われる動物形土製品が出土している。平成24(2012)年に発掘調査が実施された第179地点からは、遺存状態は良好ではないが、市内初の銅釧が出土している。」「市内で最も多く方形周溝墓が検出されている西原大塚遺跡では、10号方形周…

  • 塚の山古墳 (再訪) 志木市幸町

    塚の山古墳を再訪した。 大塚延命地蔵尊の由来 当延命地蔵尊は正德五年(1715)九月、三十四人の施主により大塚三〇六九番地の角地、通称大塚の辻に造立された露仏であった。安政六年(1859)雨屋根が施され、更に慶応二年(1866)屋根替、明治三十年(1897)には、堂宇建替と地蔵尊の一部が再建された。 発願人綱島助次郎、世話人大野伊三郎、尾崎市郎三、綱島元一郎、他四十五人と台座に刻記されている。大正九年( 1920)と昭和三十年(1955)にも堂宇を改修し安置してきたのであったが、昭和四十二年九月八日遷座の運びとなった。当時人口急増により志木市立第二小学校を館耕地に建設することとなり、堂宇の牧地…

  • 城山貝塚と柏の城跡 志木市柏町

    志木市埋蔵文化財保管センターの近くを散策。 山城貝塚 城山貝塚 この貝塚は、柳瀬川低地を臨む台地の突端に位置し、標高約十メートル、柳瀬川低地との比高差は約四メートルあります。周辺からは、縄文時代前期(約五千年前)の諸磯(もろいそ)式期の住居跡が発見されており、この貝塚も、同時代のものと推定されます。 縄文時代前期頃は、気候が大変温暖な時代で現在に比べ平均気温が二度程高く、これにより極池の水がとけ海水面が平均三メートル程上昇していました。そのため海は内陸深くに浸入してお り、今よりずっと近くにせまっていたようです。 貝塚は、縄文人たちが貝殼等を捨てたいわばゴ三捨て場のようなものですが、当時の食文…

  • 中道遺跡第101地点 展示 志木市埋蔵文化財保管センター

    志木市埋蔵文化財保管センターで中道遺跡第101地点で発見された市内最古・国内最古級の石器群を展示期間の最終日に鑑賞した。立川ローム第Ⅹ層から出土した後期旧石器時代初頭(約3万6千年前)のものと考えられる石器群(28点)。 国内最古級の石器群を発見! - 志木市 (2025/1/10) 埋蔵文化財保管センター - 志木市教育委員会 中道遺跡第101地点 【発掘速報】Nk101-№1先日より、柏町の中道遺跡で発掘調査が始まりました!約半年間に及ぶ大きな調査です。まずは重機による表土剥ぎと遺構検出作業を行っています。今回の発掘調査では、どのような発見があるでしょうか?✨随時、情報を更新していきますの…

  • 保渡田薬師塚古墳 高崎市保渡田町

    保渡田八幡塚古墳から徒歩4分の保渡田薬師塚古墳を見学。 国指定史跡 保渡田薬師塚古墳 指定年月日 昭和60年9月3日 国指定重要文化財 上野国保渡田薬師塚古墳出土品 指定年月日 昭和14年9月8日 この古墳は前方後円墳でかなり変形をうけているが、発掘調査の結果では三段に築かれ、斜面には石垣をふき平坦面には円筒埴輪を巡らすことが判明した。全長105m、高さ6mで、周囲は二重に堀を巡らし、堀を含めた全長は約165mを測る。保渡田古墳群のなかで最後に造られ、五世紀末〜六世紀初頭の年代が推定される。 後円部頂上には凝灰岩をくりぬいた舟形石棺があり、出土品は江戸時代にこの中から発見された伝承がある。出土…

  • 保渡田八幡塚古墳 (その2) 高崎市保渡田町

    保渡田八幡塚古墳の続き。 後円部には、埋葬施設が見学できる見学用の内部空間がある。埋葬施設は、本来、土を盛って封じ込められたので、このような空間はなかった。後円部に上がってすぐの左右が埋葬施設への階段になっている。 後円部墳頂からの景色(東から順番に) 中島 この古墳の内堀の中には4カ所の中島が造られた。 内堀を掘った時に島の部分だけ残し、若干の盛り土をして2段に整えられた。回りには円筒埴輪が巡らされ、椀などの土器が多量に出土した。 中島の性格は、①古墳における祭祀の場 ②近親者や従者の埋葬施設(陪塚) などが考えられるが、いまだ明らかになっていない。 史跡保渡田古墳群 八幡塚古墳 八幡塚古墳…

  • 保渡田八幡塚古墳 (その1) 高崎市保渡田町

    かみつけの里博物館の北側の保渡田八幡塚古墳を見学。 史跡保渡田古墳群 八幡塚古墳 国指定史跡保渡田古墳群とは 榛名山東南の麓、群馬県群馬町保渡田・井出にある 3つの前方後円墳の総称。いずれも墳丘の長さ100m級の大型古墳である。5世紀後半に、二子山古墳→八幡塚古墳→薬師塚古墳の順で相次いで造られ、この地に有力な豪族がいたことを示している。 八幡塚古墳の復元整備 かつて、この古墳は大きく削られていた。そのため史跡公園の全体計画にあたり、この古墳に限って、造られた時の姿に復元し、活用することが決定された。 5カ年にわたる発掘調査結果を基に、古墳に保存用の土を厚く盛って、築造時の姿に復元整備した。 …

  • 井出二子山古墳 高崎市井出町

    かみつけの里博物館の西側の井出二子山古墳を見学。 史跡保渡田古墳群 二子山古墳 保渡田古墳群とは 保渡田古墳群は、榛名山東南麓の井野川上流域にある3基の前方後円墳の総称である。 それらは、5世紀後半から6世紀初頭にかけて、二子山古墳(本古墳)→八幡塚古墳(墳丘長96m)→薬師塚古墳(同105m)の順で造られた。当時の東日本において、きわめて優勢であった豪族たちの墓所として国史跡に指定されている。 二子山古墳の概要 ■規模と構造 本古墳群で最初に造られた二子山古墳は、墳丘長108mの前方後円墳で、まわりに内堀と外堀を巡らしている。外堀まで含めた総長は213mあり、墓域の面積は約30,000㎡と …

  • 戸場口山古墳跡 行田市渡柳

    渡柳の3古墳(戸場口山古墳、中の山古墳・奥の山古墳)の一基、埼玉古墳群の戸場口山古墳は、大正時代ごろに土取りされ、周辺の沼の埋め立てに用いられたという。この土取り工事中に畳2〜3枚ほどの石が掘り出されたという話が伝わる。さきたま資料館が昭和61年度から実施した県内主要古墳の調査として、昭和63年度(1次)、平成元年度(2次)、平成2年度(3次)に、戸場口山古墳・中の山古墳の間の2本のトレンチを含む、6本のトレンチを戸場口山古墳に入れ調査した。文献[2]によれば「一辺42mで二重周堀を有するやや大型の方墳である可能性が強まった。」「中の山古墳の外堀が戸場口山古墳外堀を壊して造成されていたらしいこ…

  • さきたま古墳公園(再訪 その8) 行田市埼玉

    今年2月、愛宕山古墳発掘調査の現地見学会に参加した日の早朝、見学会の受付までの時間、さきたま古墳公園を散策した。 中の山古墳 浅間塚古墳の裏手 鉄砲山古墳 愛宕山古墳 瓦塚古墳 にほんブログ村

  • 常世岐姫神社 行田市渡柳

    さきたま古墳公園に隣接する旧渡柳村の鎮守の常世岐姫神社が、埼玉古墳群に属する古墳の上に建立されているとの風説を知り、現地を訪れた。ちなみに行田市遺跡地図では、遺跡番号180「埼玉古墳群」の範囲からは外れている。 常世岐姫神社(とこよぎひめじんじゃ) 渡柳常世岐姫神社。行田市渡柳の神社 常世岐姫神社(埼玉県吹上駅)の投稿(1回目)。今回、行田に来た目的の一つがここ。 日本に4社…[ホトカミ] 渡柳常世岐姫神社 - 森の中の恍惚 にほんブログ村

  • ボッチ山(跡)、他 行田市埼玉

    昨年、埼玉古墳群のボッチ山をブログで取り上げたが、「ボッチ山の跡地?」としてあげた写真は場所が違っているとの指摘をいただいた。確かに、将軍山古墳の西側の並木の手前なので、埼玉6号墳の跡地と思われる。そこで再チャレンジ。今度は合っているかな? 埼玉6号墳の跡地? 埼玉5号墳の跡地? 埼玉3号墳と埼玉4号墳の跡地? 埼玉2号墳(梅塚古墳)と埼玉3号墳の跡地? ボッチ山の跡地? 文献 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 埼玉県教育委員会 2018「史跡埼玉古墳群 総括報告書I」 にほんブログ村

  • さきたま古墳公園(再訪 その7) 行田市埼玉

    今年1月、さきたま史跡の博物館でほるたま展2024「古墳時代の祈り」を鑑賞した日の早朝、開館までの時間、さきたま古墳公園を散策した。 二子山古墳 将軍山古墳 稲荷山古墳 前方部の先に富士山 後円部墳頂から男体山(日光) 丸墓山古墳 墳頂から富士山 将軍山古墳、手前に埼玉2号墳跡、埼玉3号墳跡、埼玉4号墳跡 稲荷山古墳 赤城山 忍城 にほんブログ村

  • 石神貝塚 茂原市石神

    茂原市の石神貝塚を訪れた。学生の頃の鳥居龍蔵博士が調査したとか。 茂原市指定史跡・有形文化財 石神貝塚(いしかみかいづか) 所在地 茂原市石神422、昭和48年1月10日指定 石神貝塚は石神神社の境内で、社の表参道の途中と建物の東南隅などが主な場所です。 明治25年夏、鳥居龍蔵博士が学生であったころ付近の寺社を調査し、石神神社の境内で土器の破片を発見、これを雑誌に発表し、学会から注目されました。 昭和37年夏、地元石神地区、市教育委員会後援によって県立東金高等学校考古学クラブ員により発掘調査され、多数の出土物があります。ハマグリ、シジミ、カキなどの貝殻が多く、その中にスズキ、クロダイ、シカ、イ…

  • 草刈33号墳 市原市ちはら台南

    ちはら台の「まきぞの自然公園」に保存されている草刈33号墳を訪ねた。 まきぞの自然公園の遺跡 草刈33号墳 ちはら台にはおよそ180基の古墳があり、前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳によって構成されています。草刈33号墳は3基しかない前方後円墳の1基で全長が約42mあります。墳丘測量と確認調査を行ったところ、墳丘にテラス状の段があり、埴輪が列を成して立てられていることがわかりました。筒状の円筒埴輪のほか馬形埴輪などの形象埴輪も立てられています。ちはら台で埴輪をもつ古墳はこの33号墳に限られ、その特徴から6世紀後半の下総地域の埴輪に似ていることがわかりました。 川焼瓦窯跡(かわやきがようせき) …

  • 大覚寺山古墳 千葉市中央区生実町

    千葉市埋蔵文化財調査センターのそばの大覚寺山古墳で墳活。 大覚寺山古墳 千葉県指定史跡 千葉市生実町 全長約66mのこの前方後円墳は小さな丘陵上に占地する。会堀未調査で内部構造は不詳であるが墳丘形態立地条件等によく古式古墳の様相を残し、西暦5世紀代に築造されたと推定される。 昭和45年史跡として保存された。 昭和49年1月31日建立 千葉県教育委員会 千葉市教育委員会 大覚寺山古墳 千葉県指定史跡、指定日 1971年3月26日 大覚寺山古墳は、市内最大・最古の前方後円墳です。1696年に宅地造成のために山林を伐採した際に、初めて前方後円墳であることが明らかになりました。後円部の直径が前方部の最…

  • 米満横穴墓群Ⅵ支群 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 米満横穴墓群Ⅵ支群の1基、1基だけ孤立している この日は、これでお終い。これまでの探索で、米満横穴墓群の真ん中を南北に貫く切り通しの西側(Ⅲ-6〜10,Ⅳ支群)は網羅した。残るは東側のⅢ-4〜1,Ⅱ,Ⅰ支群。 これまでに確認した横穴墓は下記の54基。 Ⅲ-2支群:8基、Ⅲ-6支群:3基、Ⅲ-7支群:6基、Ⅲ-8支群:2基、Ⅲ-9支群:1基、Ⅲ-10支群:3基、Ⅲ-11支群:2基(小計25基) Ⅳ-1支群:2基、Ⅳ-2支群:3基、Ⅳ-3支群:1基、Ⅳ-4支群:1基、Ⅳ-5支群:3基(小計10基) Ⅴ-1支群:2基、Ⅴ-2支群:1基、Ⅴ-3支群:3基、Ⅴ-4支群:7基、…

  • 米満横穴墓群Ⅳ-5支群 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 尾根上を西に移動。 米満横穴墓群Ⅳ-5支群の1基目 米満横穴墓群Ⅳ-5支群の2基目 米満横穴墓群Ⅳ-5支群の3基目 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅳ-3,4支群 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 米満横穴墓群Ⅳ-3支群の1基 尾根上を西に移動 米満横穴墓群Ⅳ-4支群の1基 米満横穴墓群第Ⅳ支群【千葉県長南町】3~5小支群を大探索。こちらも激烈な薮や急斜面に阻まれ、かなりハードな古墳巡りでした(帰りに滑落した)。高壇式や家形の玄室を持つなど、何だか長柄横穴墓群に似たような印象。横穴は素晴らしかったですが、道中険しすぎるのでもう行きたくはないですね... pic.twitter.com/DIANqwlAxv — ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2025年2月9日 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅴ-1支群 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 ここで下山して、昨年末にトライしたけど果たせなかったⅤ-1支群にチャレンジ。イノシシ避けの電流柵を地元の方に許可をいただき跨いだ。 米満横穴墓群Ⅴ-1支群の2基、足場がなく近寄れず ここで午前の部はお終いにして近くで昼食 おまけで豊栄小学校跡 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅴ-5支群 (その2) 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 米満横穴墓群Ⅴ-5支群の4基目(東側の4基のうちの右から三番目) 米満横穴墓群Ⅴ-5支群の5基目(東側の4基のうちの右から四番目) ここで一度下山。 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅴ-5支群 (その1) 長南町米満

    今年2回目(昨年も含めれば4回目)の墳友との米満横穴墓群探索。米満横穴墓群は、太平洋に注ぐ一宮川水系三途川北岸の丘陵斜面に展開する県内最大規模の横穴墓群。ちば情報マップでは「7群140基。平成9年に町道改良工事に伴う発掘調査を実施、横穴墓10基・塚10基を調査。」 米満横穴墓群の南西端、精華学園高等学校長南茂原校付近からⅤ-5支群にアプローチ。精華学園高等学校は、山口県が本校がある広域通信制・単位制の高等学校で、全国約50箇所に校舎を設置、本校に通わなくても単位認定が可能、週1〜5日登校の通学コースと、年間10〜15日程度の登校の通信コースがある。失礼ながらなんでこんなところにと思ったけど納得…

  • 貝と人 千葉市埋蔵文化財調査センター

    千葉市埋蔵文化財調査センターで開催中の特別展「貝と人」を鑑賞した。テーマは「縄文時代から続く貝と人とのかかわりを探る」、房総半島は周囲を海に囲まれ、縄文時代から現在にいたるまで、人々は多くの海産資源を利用してた。なかでも貝類は縄文時代以来、盛んに人に利用され、そのかかわりは現在でも続いている。本展では、貝を「身」と「殻」に分け、長年続く人とのかかわりについて、様々な角度から展示する。京都大学総合博物館から1世紀ぶりに里帰した加曽利貝塚出土の彩色貝製品とアワビ製貝鏃の2点は必見。蒐集家上羽貞幸氏のコレクション。千葉市内初公開。他にも、長倉Ⅰ遺跡・岩手県軽米町教育委員会所のイモガイとオオツタノハ製…

  • 子持勾玉-群馬県内出土品を集めてわかったこと- かみつけの里博物館

    かみつけの里博物館で開催中の第32回特別展「子持勾玉-群馬県内出土品を集めてわかったこと-」を鑑賞した。子持勾玉は現在のところ全国で約700点確認されている。群馬県内では、約70例の存在が知られ、この数は、都道府県単位で全国一。本展では、群馬県内出土の子持勾玉を集め、発掘調査による出土例をベースに、その共伴遺物から設定した年代から、子持勾玉の変遷を試みる。また、出土場所として、豪族居館から出土した三ツ寺Ⅰ遺跡(3例)、原之城(1例)、囲い状遺構から出土した金井下新田遺跡(1例)と竪穴建物から出土した18例について考察する。なお、図録によれば、群馬県内出土子持勾玉71例のうち、58例について実資…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、挂甲の武人さんをフォローしませんか?

ハンドル名
挂甲の武人さん
ブログタイトル
週末は古墳巡り
フォロー
週末は古墳巡り

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用