八ヶ上(はけうえ)遺跡の第2地点の付近を散策。 33 八ケ上(はけうえ)遺跡|富士見市 八ケ上遺跡の縄文時代草創期の土器と石器|富士見市 縄文文化のはじまり ~八ヶ上遺跡全部見せます~|富士見市 蔵出し! 八ケ上遺跡|富士見市 にほんブログ村
諏訪台古墳群の続き。 諏訪台10号墳、円墳、径約40m 諏訪台11号墳、前方後方墳、全長39m 千葉港方面の眺望 千葉県市原市諏訪 諏訪台10号墳・11号墳 古墳探訪記 市原市諏訪台古墳群 趣味の案件 諏訪台10号墳【千葉県市原市】 - ぺんの古墳探訪記 諏訪台9号墳-11号墳【千葉県市原市】 - ぺんの古墳探訪記 文献 [1] 市原市埋蔵文化財調査センター 2015 『市原市埋蔵文化財調査センター調査報告書31:市原市諏訪台古墳群・天神台遺跡2』市原市教育委員会 [2] 市原市埋蔵文化財調査センター 2016「邪馬台国時代のいちはら」『ここまでわかった市原の遺跡 第4回遺跡発表会』参…
弥生時代から平安時代9世紀頃までの間に310余基の墳墓が累々と造られた天神台遺跡・諏訪台古墳群。そのうち、 諏訪台9,10号墳と11号墳の一部が諏訪神社の境内に保存されている。 諏訪神社 諏訪台9号墳、前方後方墳、全長35.3m KD-07 諏訪神社/市原歴史博物館 諏訪台古墳群/市原歴史博物館 天神台遺跡(弥生)/市原歴史博物館 千葉県市原市諏訪 諏訪台9号墳 古墳探訪記 市原市諏訪台古墳群 趣味の案件 諏訪台9号墳-11号墳【千葉県市原市】 - ぺんの古墳探訪記 文献 [1] 市原市埋蔵文化財調査センター 2015 『市原市埋蔵文化財調査センター調査報告書31:市原市諏訪台古墳群・…
東日本で最古の古墳、前方後円墳が定型化する前の前方後円形(纒向型前方後円墳、全長42.6m)の神門5号墳。 県指定史跡 神門5号墳(ごうと5ごうふん) 市原市惣社5丁目5-1 邪馬台国時代、西暦3世紀になると、汎列島規模で地域間の交流が活発になります。この時期、国分寺台地区の中台遺跡、南中台遺跡、長平台遺跡、天神台遺跡などでは、近畿地方(奈良県、滋賀県周辺)や北陸地方(福井県周辺)、東海地方(愛知県、静岡県周辺)、北関東地方(茨城県、栃木県周辺)などの特徴をもった土器が出土し、こうした地域からの移住や交流の地として、国分寺台地区は東日本でも拠点的な地域となりました。そして、これら遺跡群を中核と…
国分寺薬師堂を参拝。 市原市指定文化財 国分寺薬師堂附厨子 昭和62年3月1日指定 国分寺薬師堂は、桁行三間・梁間三間のいわゆる三間堂といわれ る形式で、正面に一間の向拝(庇)が設けられています。また、周囲には、高欄を付ける切目縁がめぐります。屋根は、茅葺の入母屋造で、建物内部には、内陣天井に植物文様の絵、外陣に竜及び飛天が 描かれています。 また、内陣の須弥壇に置かれた厨子は、手の込んだ唐様に作られ、金・朱・緑の彩色が施されています。 清浄院国分寺に伝わる縁起によれば、元禄年中、当地に移り住んだ僧快應が寺の荒廃を憂い、一念発起して、建立の計画を立て、浄財を募るなど、再建に向けて尽力したことが…
上総国分寺跡の七重塔跡と西門跡を見学。 七重塔跡 上総国分寺跡 国指定史跡 昭和4年12月17日指定 市原市惣社1丁目7番地1他 国分寺は、天平13(741)年、聖武天皇の詔によって、国の平和と繁栄を祈るために全国60か所余りに建てられた僧寺と尼寺からなる国立寺院で、地方の仏教や文化繁栄の中心となりました。上総国分寺は、諸国の中でも規模が大きく、その中心部の伽藍が良く整ったわが国を代表する国分寺の一つとされています。寺域は、北東と南西で谷や古墳を避けて造営されているため四角形ではなく、南北478m、東西が 北辺254m・中央345m・南辺299mを測り、面積は13.9万㎡におよび、武蔵、下野の…
2年前にオープンした市原歴史博物館の常設展示のセンターを務める「王賜」銘鉄剣が出土した稲荷台1号墳の跡地を訪れた。跡地は稲荷台1号墳記念広場として、3分の1サイズの模擬古墳が整備されている。稲荷台1号墳は径28m程度の円墳。 稲荷台1号墳記念広場 「王賜」銘鉄剣出土跡 この広場は、稲荷台1号墳の所在地で、昭和51年12月から翌年の3月にかけて発掘調査されました。実際の古墳はすでに消滅しましたが、 正面に3分の1で墳丘を復元しました。 稲荷台1号墳から出土した鉄剣より、王賜で始まる銀象嵌の銘文が、X線撮影によって発見され「王賜」銘鉄剣と名付けられました。 碑文 (表) 王賜◻︎◻︎敬◻︎ (裏)…
本郷1丁目のフランス積みの煉瓦塀。「建築計画のお知らせ」着工予定2026年4月。消滅の危機? ここにも煉瓦塀 通りの反対側にも もう1つ先にも 文京区保護樹木のクスノキ 弓町本郷教会 にほんブログ村
文京区ふるさと歴史館で常設展示を鑑賞した後で、真砂遺跡(まさごいせき)の調査地点を訪れた。 真砂遺跡(まさごいせき) 本郷4-8-3 「文京区男女平等センター」の建っているこの地に、江戸時代の宝永元年(1704)から安政5年(1858) までのおよそ150年間、唐津(佐賀県)藩主・小笠原氏の中屋敷、そして幕末まで上田(長野県)藩主・松平氏の中屋敷があった。 現在の建物を建築するにあたり、昭和59年に発掘し調査した結果、数々の遺構と遺物を検出し、当時の武家屋敷とそこで働く人々の生活を知る貴重な資料を得ることができた。この遺跡をもとの町名にちなんで「真砂遺跡」と命名した。 出土品で最も多かったのは…
東京大学総合研究博物館で開催中の特別展示『異形の美学-菱川法之博士 究極のチョウ&アンモナイトコレクション』を鑑賞した。 本展は、日本蝶類学会会長・菱川法之博士が「異形の美学」を持って長年にわたり収集し、東京大学総合研究博物館へ段階的に寄贈されている、世界有数の異常型・極珍種のチョウ類コレクションおよび異常巻アンモナイトコレクションから、選りすぐりの珍奇かつ貴重な標本を一堂に展示・公開する。 異形の美学−菱川法之博士 究極のチョウ&アンモナイトコレクション 東京大学総合研究博物館 [展示] 特別展示『異形の美学-菱川法之博士 究極のチョウ&アンモナイトコレクション』―本部博物館事業課開催日時:…
明治大学博物館の考古部門のミニ展示、明大コレクション59「さまざまな人物埴輪」を鑑賞した。明治大学博物館が所蔵する関東地方の人物埴輪を展示。化粧や服の彩色、さらに特殊な方法で作られた埴輪など、ちょっとマニアックな視点も交えて紹介。 出展資料一覧 赤い水玉模様の服を着た男子埴輪 茨城県小美玉市玉里舟塚古墳 笑う男子埴輪(レプリカ)茨城県小美玉市玉里舟塚古墳(原品は茨城県立歴史館蔵) 縞模様が描かれた人物埴輪の足 茨城県小美玉市玉里舟塚古墳 右手を上げる女子埴輪(レプリカ)伝埼玉県本庄市(原品はイギリス・大英博物館蔵) 武人埴輪の足 茨城県小美玉市玉里舟塚古墳 上下別々に作られた武人埴輪の上半身(…
「袖ケ浦古墳大辞典~袖ケ浦の古墳時代~」 袖ケ浦市郷土博物館
袖ケ浦市郷土博物館で開催中の袖ケ浦の古墳時代をテーマとした企画展「袖ケ浦古墳大辞典~袖ケ浦の古墳時代~」を鑑賞した。袖ケ浦市内には516を数える遺跡と572基の古墳が存在するとのこと。本展では、近年までに発掘調査を実施した袖ケ浦市内の古墳や、古墳群を主に紹介する。会期は12月8日まで。 郷土博物館企画展「袖ケ浦古墳大辞典~袖ケ浦の古墳時代~」開催します - 袖ケ浦市公式ホームページ 郷土博物館 企画展II「袖ケ浦古墳大辞典~袖ケ浦の古墳時代~」 マイ広報紙 企画展「袖ケ浦古墳大辞典~袖ケ浦の古墳時代~」袖ケ浦市郷土博物館 10/5〜12/8 https://t.co/vW2hsvTCu1 …
千葉経済大学総合図書館で企画展を鑑賞後、旧鉄道連隊材料廠煉瓦建築を見学。 千葉県指定有形文化財 旧鉄道連隊材料廠煉瓦建築 この煉瓦建築は、明治四十一年、鉄道聯隊材料廠の機関車の修理工場として建築されたもので、その後昭和二十年旧日本国有鉄道が大蔵省から借り受けて、レール等の修理工場として使用、昭和六十年から千葉経済学園の所有となったものである。 千葉県内に数少い明治年間創建の大規模な煉瓦建築の一つであり、特に内部の東西方向に二列に連った十連の雄大なアーチ構造は、全国的にも他に比類がなく、この建物の主な特色となっている。 従って、我が国明治期の煉瓦建物構造を知る上で極めて重要であり、近代建築史及び…
JFEホールディングス六本木クラブの煉瓦塀。 永坂 永坂 ながさか 麻布台上から十番へ下る長い坂であったためという。長坂氏が付近に住んでいたともいうが、 その確証はえられていない。 駐車場の煉瓦塀 六本木ヒルズ森タワー にほんブログ村
10月15日、16日に開催された白鳥橋の都電遺構公開に参加した。東京都建設局施行の「神田川整備工事(その43)その2」において、神田川に架かる白鳥橋の舗装を撤去したところ、都電の遺構である敷石とレール(複線分)が発見された。発見されたのは早稲田から厩橋間を走っていた都電39系統の遺構。1968年(昭和43年)9月29日に廃止されたので56年ぶり。 神田川白鳥橋で発見された都電の遺構を公開|東京都 【都電遺構の公開について】東京都建設局施行の工事において、神田川に架かる白鳥橋の舗装を撤去したところ、都電の遺構が発見されました。発見された遺構を公開します。詳細は、以下URLからご確認ください。ht…
東京国立博物館で10月16日から開催された特別展「はにわ」を初日に鑑賞した。 挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」/Special Exhibition Celebrating the 50th Anniversary of the Designation of the Warrior in Keikō Armor as a National Treasure Haniwa: Tomb Sculptures of Japan /史上初!国宝 #挂甲の武人 とその仲間5体勢揃い!\本日発表!今秋開催の #はにわ展 では、埴輪として初めて国宝となった「埴輪 挂甲の武人」が登場!… p…
東京の名湧水57選の「柳の井戸」 柳の井戸 自然に地下から湧き出る清水である。 東京の市街地ではこのような泉が比較的少ないためか、古くから有名で、弘法大師が鹿島の神に祈願をこめ、手に持っていた錫杖を地面に突きたてたところ、たちまち噴出したものだとか、ある聖人が柳の枝を用いて掘ったものであるとか、信仰的な伝説が語りつがれてきた。 とくに現在のわれわれとしては、大正十二年の関東大震災や昭和二十年の空襲による大火災の際に、この良質な水がどれほど一般区民の困苦を救ったかを心にとどめ、保存と利用にいっそうの関心をはらうべきも のと思われる。 昭和四十九年一月(平成二十六年十二月建替) 港区教育委員会 東…
学び舎に残る歴史〜煉瓦棟と千葉の戦跡〜 千葉経済大学総合図書館
千葉経済大学総合図書館で開催中の企画展「学び舎に残る歴史〜煉瓦棟と千葉の戦跡〜」を鑑賞した。開催当初は8月23日までの予定だったが、好評につき10月31日まで延長された。会期中に希望すれば、旧鉄道連隊材料廠(煉瓦棟)の内部も見学させて頂ける。普段は事前申し込みが必要とのこと。 【期間延長】企画展示「学び舎に残る歴史 ~煉瓦棟と千葉の戦跡~」開催期間変更のお知らせ 千葉経済大学 旧鉄道聯隊材料廠煉瓦建築/千葉県 千葉市:旧鉄道聯隊材料廠煉瓦建築(県指定文化財) 千葉刑務所矯正展の後に訪れた、千葉経済大学敷地内に残る旧鉄道連隊材料廠の機関車修理工場の煉瓦造りの軒下部分に上敷免の上の字が確認出来…
「旅するはにわー房総の埴輪にみる地域間交流ー」 市原歴史博物館
市原歴史博物館の特別展「旅するはにわー房総の埴輪にみる地域間交流ー」を開催初日に鑑賞した。常総の下総型埴輪と山武型埴輪、総武の埴輪の分布域や特徴、特に総武の埴輪の供給源となった埼玉県鴻巣市の生出塚窯、市川市の山倉1号墳出土の埴輪の調査研究の成果として産地を生出塚埴輪窯と特定した分析方法(見た目の類似、胎土の分析、ハケメの分析)、山倉1号墳の埴輪製作に関わった13人の工人、そのうちの一人のエース工人Fなど、興味をそそる展示内容。 【開幕】令和6年度特別展「旅するはにわ-房総の埴輪にみる地域間交流-」を開催!/市原歴史博物館 山倉1号墳出土埴輪/千葉県 人物埴輪(山倉1号墳)/市原歴史博物館 ノー…
南麻布の天真寺の煉瓦塀。 南部坂 南部坂 なんぶざか 有栖川宮記念公園の場所が赤坂からうつってきた森岡城主南部家の屋敷であったために名づけられた(忠臣蔵の南部坂は赤坂) ドイツ連邦共和国大使館 東京 ⇔ ベルリン - 友好都市提携30周年 - Goethe-Institut 日本 今年のドイツ大使館の壁展示のテーマは、ベルリンと東京の友好都市提携30周年です。まず初めに、大使館入口の掲示板上と、南部坂に面した壁に大きな1枚が貼られました。ぜひ前を通りがかった際にはご覧いただけると嬉しいです😀 pic.twitter.com/YZkxXlB1kI — ドイツ大使館🇩🇪 (@GermanyinJa…
南麻布の駐車場の土留めの煉瓦にあの刻印。 東京市電気局の徽章の刻印? 広尾の庚申塔 港区指定有形文化財 歴史資料 広尾の庚申塔 庚申信仰は、庚申の日の夜に体内に住む三尸虫(さんしちゅう)が、眠っている間に体内を抜け出して、天帝にその人の罪科を報告して生命を縮めるといわれているため、眠らずに一晩を明かすもので、講の形をとって地域住民の交際の場となっていました。庚申塔は庚申信仰を具象的に表現する塔として、室町時代後期以後各地で盛んに建てられま した。 三基とも方形角柱の笠塔婆型で、塔身が太く、堂々としています。社伝によれば、広尾稲荷神社の別当寺であった千蔵寺の住持祐道の代に、講の人々の浄財を得て立…
日本赤十字看護大学を再訪。「桜のつぼみ」の刻印を確認。 聖心女子大学 チェコ共和国大使館 チェコゲームの世界Ⅲ #チェコセンター東京 にて #チェコゲームの世界Ⅲ 今回で3回目となるチェコのゲームの紹介企画。日本では「マフィア」くらいしか知られていないけれど(私もプレイしたのはそれだけ)様々なタイプの作品が数多く作られていてチェコだけでなく全世界でプレイされているチェコのゲームかなりレベルは pic.twitter.com/XxNXe0rbYS — ぐるフラ (@gurufurafura) 2024年10月3日 煉瓦蔵 にほんブログ村
法雲寺の煉瓦造りの擁壁。 白鴎観音の由来 この観音像は大正十一年東京美術学校出身、日展無審査の服部仁郎氏の作で楠木を用い、また台座は前田文六氏の作であります。 本観音像は服部氏が昭和十六年に、戦争が一日も早く終わるように祈りをこめて制作に着手し、同十八年十月に完成開眼されました。昭和四十年、時あたかも終戦二十周年を機に、同氏の深い想いにより、社団法人白鳴遺族会に寄贈を賜りましたものです。同会は法雲寺本堂に安置し毎年六月に慰霊法要を続けてまいりました。 白鴎遺族会は、海軍飛行科予備学生、予備生徒出身の戦没者の遺族と生存同期生によって昭和二十一年に結成され、戦没者の慰霊と遺家族の援護を継続している…
山手線の渋谷駅と恵比寿駅の間の庚申道ガード。落書きかと思いきや、カリフォルニアを拠点にする現代アーティストのバリー・マッギー(Barry McGee)の壁画作品。 渋谷アロープロジェクト アートで防災! バリー・マッギーの巨大壁画が渋谷の高架下に出現 Vogue Japan 庚申橋供養碑 庚申橋供養碑 東三丁目17番17号 この橋供養碑は、寛政十一年(1799)にたてられた数少ない珍しいものです。上部の青面金剛像のほかに、四面すべてに、橋講中世話役や万人講及び、個人の名が多数刻ま れています。 それらの人びとの地域をみますと、渋谷はもとより麹町、赤坂、芝、麻布、四谷、大久保、池袋、市ケ谷方…
福昌寺の阿弥陀石棺仏を6年ぶりに再訪。 阿弥陀石棺仏(あみだせっかんぶつ) 東三丁目10番13号 曹洞宗 渋谷山 福昌寺 区指定有形文化財 平成十九年三月一日 石棺仏とは、古墳時代の石棺を転用して、そこに仏像を彫り込んで路傍に立て庶民が礼拝の対象としたものです。本石棺仏は、古墳時代中後期頃の家型石棺の蓋を利用しており、その内側は長方形に彫り窪められています。中心部に表されるのは蓮台上に立つ阿弥陀如来像で、船形光背を負い、来迎印を結ぶ姿が浮彫りされています。現存する阿弥陀石棺仏の多くが坐像であり、このような立像は稀な例になります。 この石棺蓋の材質は、兵庫県高砂市・加西市付近を産地とする播磨竜山…
國學院大學博物館で開催中の特別展「文永の役750年 Part1 海底に眠るモンゴル襲来―水中考古学の世界―」を鑑賞した。二度にわたる元の日本侵攻をモンゴル襲来(蒙古襲来あるいは元寇)とし、一度目を文永の役(1274年、文永11年)、二度目を弘安の役(1281年、弘安4年)と呼ぶ。今年は文永の役から750年の節目にあたり、國學院大學博物館では2つの特別展を開催する。その1つ目が本展で、1980年以降、伊万里湾で進められてきたモンゴル襲来の実態解明を目指して錬成されつつある水中考古学的手法と、その調査研究成果を紹介する。 特別展「文永の役750年 Part1 海底に眠るモンゴル襲来―水中考古学の世…
雑誌2冊を購入。 東京人2024年11月号 特集「tokyo古墳散歩」 東京人 都市出版株式会社 〜 雑誌「東京人」「外交」、その他刊行 【『歴史人』2024年11月号案内】『空白の4世紀 8つの謎に迫る!』10月4日発売! | 歴史人 \\発売中//「#東京人」11月号「tokyo古墳散歩」 特集東京にも約1000基の古墳あり!都内厳選6コース&日帰りで楽しむ千葉・埼玉の「推し墳」をご紹介。古人骨、横穴墓、古道、さまざまな専門家とともに、東京の #古墳 を歩きます。地元から出土した #埴輪… pic.twitter.com/UUMUreuuvm — 月刊「東京人」 (@tokyo_j…
鎌ケ谷市郷土資料館で開催された第28回ミニ展示 鎌ケ谷石材展を最終日に鑑賞した。本展は、万福寺板碑が鎌ケ谷市指定文化財になったことを記念して、万福寺板碑をはじめとして、市内の板碑のほか、市内の代表的な遺跡から出土した石器、市内に所在する近世から近・現代の石造物など、石を材料とした資料を紹介。 「鎌ケ谷石材展 原始・古代から近・現代までの石材資料いろいろ」を開催|鎌ケ谷市ホームページ 【ミニ展示「鎌ケ谷石材展」開催中】万福寺板碑やパネルでの石造物紹介、陸軍標柱や市内で発見された石器など、市内のいろいろな石材資料を展示しています。新京成クイズラリーチェックポイントも開設中!本日、山の日も開館してい…
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八ヶ上(はけうえ)遺跡の第2地点の付近を散策。 33 八ケ上(はけうえ)遺跡|富士見市 八ケ上遺跡の縄文時代草創期の土器と石器|富士見市 縄文文化のはじまり ~八ヶ上遺跡全部見せます~|富士見市 蔵出し! 八ケ上遺跡|富士見市 にほんブログ村
富士見市立水子貝塚資料館で開催中の企画展「縄文文化のはじまり~八ヶ上遺跡全部見せます~」を鑑賞した。本展は、富士見市関沢の 八ヶ上(はけうえ)遺跡を中心に、縄文時代草創期(約1万6000〜1万5000年前)の富士見市や埼玉県内、神奈川県の遺跡の出土品を展示する。 八ヶ上遺跡は、1973年(昭和48年)に発掘調査された第2地点から隆起線文土器と石器群が多数発見され学会でも著名な遺跡となったが、一部の土器と石器が概報として報告されたのみで、ほとんどの資料が正式には発表されていないため、今回は第2地点から出土した縄文時代草創期の土器や石器を全て展示するとのこと。個人的には、西大宮バイパスNo.4遺跡…
安楽寺周辺の古墳巡りの続き。 浅間山古墳(綜覧古墳番号倉賀野1)、番号530[現状:○、墳形:前方後円、全長171.5m、埋葬施設:不明(未調査)、国史跡] 国指定史跡 浅間山古墳(せんげんやまこふん) 浅間山古墳は、烏川左岸の段丘上に位置する四世紀後半から五世紀初頭に築造された前方後円墳です。墳丘は前方部が二段、後円部が三段の築造で、斜面には葺石があります。墳丘周囲には内堀と外堀の二重周堀があります。内堀は馬蹄形で、その外側に葺石を持つ中堤(ちゅうてい)が築かれ、さらにその外側に外堀が廻っていることが確認されています。 同一段丘上には、前方後円墳の大鶴巻古墳・小鶴巻古墳、円墳の大山古墳・庚申…
安楽寺周辺の古墳巡りの続き。 大鶴巻古墳(綜覧古墳番号倉賀野2)、番号580[現状:○、墳形:前方後円、全長123m、埋葬施設:不明(未調査)、国史跡] 史跡 大鶴巻古墳 この古墳は、烏川左岸の段丘上に築かれた全長123mの前方後円墳で平坦地に土を二段に盛り上げてつくられています。ただし、後円部の噴頂下5mのあたりで等高線の間隔がゆるやかになる部分が見られることから三段築成の可能性もあります。後円部の径が72m、高さ10.5mであるのに対し、前方部の長さ51m、前端幅54m、高さ6.5mと、後円部に比較して前方部の幅が狭く、未発達という特徴を持っています。墳丘のまわりには盾型の周堀をめぐらし、…
安楽寺の石室を見学後は、近くの大鶴巻古墳・小鶴巻古墳・浅間山古墳を再訪した。 左手前が小鶴巻古墳、右奥が大鶴巻古墳 小鶴巻古墳(綜覧古墳番号倉賀野3)、番号581[現状:○、墳形:前方後円、全長87.5m] 小鶴巻古墳 この古墳は大鶴巻古墳と共に、五世紀後半のものと推定される前方後円墳で、倉賀野古墳群を代表する首長墓の一つでもあります。墳丘全長約87m、後円部径約50m、同高約6m、前方部は前幅約40m、同高約2.5mで、幅20mの周堀を有しています。 後円部蓋の頂上中心部に、舟形石棺と考えられる凝灰岩製の剣抜式石棺が安置されております。その石棺の蓋の部分の既掘穴(盗掘の穴)から見ると、内部に…
高崎市倉賀野の安楽寺のご本尊、七仏薬師が壁面に彫られた安楽寺古墳の横穴式石槨は、12年に一度、巳年の花まつりにご開帳されるということで、4月8日に仕事を休んで訪れた。次の公開は12年後ということで、この日は多くのお仲間がこの地を訪れたようだ。 安楽寺古墳、番号577[現状:△、墳形:円、直径約30m、埋葬施設:横穴式石室(横穴式石槨)、県史跡] 群馬県指定史跡 安楽寺古墳 安楽寺古墳は七世紀末頃に築造されたと推定され、径20メートル、高さ4メートルの規模を有する円墳である。 主体部は横口式石槨と呼ばれる形式で、羨道の奥に石棺が取り付いたような構造をしている。 石室内部の壁面には、鎌倉時代の製作…
昨年12月の境町の清水遺跡の現地説明会の時に立ち寄ったショッピングモールに保存された桜山古墳群の2基の古墳のうち、おたま塚古墳の写真が見切れていたので再訪した。 桜山古墳群内 おたま塚古墳 桜山古墳群は、古墳時代前期から中期(三世紀末〜五世紀ごろ)にかけてこの地を支配していた豪族の墳墓群であり、かつては十二基以上の古墳を数えた。利根川築堤による採上で湮滅し、現存するのはこのおたま塚古墳(円墳)と鷲塚古墳(円墳、東方五十メートル) のみである。 南方にあった古墳から人骨や直刀などの遺物が出土したとの、昭和三十年の新聞記事があるが、遺物などの所在は不明である。平成三年に境町教育委員会が行った調査で…
発掘60周年記念の馬渡埴輪製作遺跡を訪れた。 国指定史跡 馬渡埴輪製作遺跡(まわたりはにわせいさくいせき) 馬渡埴輪製作遺跡は、5世紀末から6世紀頃(1,400〜1,500年前)に、古墳に立てる埴輪を製作していた遺跡である。 この遺跡は昭和38年に発見され、昭和40年から平成3年までの調査の結果、窯跡19基、住居跡2軒、工房跡(作業場)12棟、粘土採掘抗25か所以上、溝などの遺構が発見された。遺跡からは、円筒埴輪や形象埴輪(人物・馬などの形をしたもの)や、当時の工人が使用した土器類や鉄器類なども発見されている。 原料の粘土の採掘から、形を作り、焼き上げるまでの一連の工程がわかる遺構と、工人の住…
国営ひたち海浜公園たまごの森フラワーガーデンのチューリップ。 国営ひたち海浜公園 – 海と空と緑がともだち。 チューリップ – 国営ひたち海浜公園 《#チューリップ 特集🌷第一弾》『たまごの森フラワーガーデン』で咲く、今年おすすめのチューリップの名前は、「○○ヴァ」(4文字)と言います。さて、花の名前は何でしょうか❓正解は、次の投稿をチェック😊#hitachiseasidepark #ひたち海浜公園 pic.twitter.com/PXMqOyK2ys — 国営ひたち海浜公園【公式】 (@HitachiKaihin) 2025年4月12日 《#チューリップ 特集🌷第二弾》第一弾の投稿の答えは「…
約530万本のネモフィラの見頃を堪能するために、早起きして国営ひたち海浜公園のみはらしの丘を訪れた。 みはらしの丘の上から眺める茨城港常陸那珂港区 国営ひたち海浜公園 – 海と空と緑がともだち。 ネモフィラ – 国営ひたち海浜公園 ナノハナ – 国営ひたち海浜公園 みはらしの丘では、約530万本の #ネモフィラ が見頃を迎えております!空と共に、丘一面青色の世界が広がります✨#hitachiseasidepark #ひたち海浜公園 #ひたち海浜公園_私の推し花 pic.twitter.com/af0P4LEScj — 国営ひたち海浜公園【公式】 (@HitachiKaihin) 2025年4月…
丸紅ギャラリーの特別公開展から明治大学博物館をハシゴ。ここも徒歩移動。 明治大学博物館の考古部門のミニ展示、明大コレクション60「佐賀県桜馬場遺跡の甕棺」を鑑賞した。魏志倭人伝に登場する末盧国(まつろこく)の王墓と考えられる甕棺が出土した佐賀県桜馬場遺跡から出土した(周辺の)甕棺などを展示。 明大コレクション60 「佐賀県桜馬場遺跡の甕棺」開催のお知らせ 明治大学 学芸研究室から(第3回)【考古】佐賀県桜馬場(さくらのばば)遺跡の甕|明治大学博物館 甕棺 明治大学デジタルアーカイブ 桜馬場遺跡出土遺物(平成19年度調査分) 文化遺産オンライン 県指定(考古資料の部)13 / 佐賀県 明…
東京都美術館のミロ展から丸紅ギャラリーの『ボッティチェリ 美しきシモネッタ』特別公開展をハシゴ。『ボッティチェリ 美しきシモネッタ』は、丸紅が所蔵する日本で唯一のボッティチェリ(1445-1510)のテンペラ画。1808年にイタリアのボローニャで再発見され、フランス、イギリス、ドイツ、イギリスを経て、1969年に丸紅が輸入。その後、贋作との指摘を受け、専門家による現地調査、科学鑑定により、その疑いを晴らし、本展では経緯等もパネル展示する。本作のモデルとなったシモネッタ・ヴェスプッチ(1453-1476)は、ボッティチェリの傑作「プリマヴェーラ(春)」や「ヴィーナスの誕生」もモデルとも言われてい…
国立科学博物館の古代DNA展から東京都美術館のミロ展をハシゴ。 【開幕まで1ケ月】🇪🇸ジュアン・ミロ(1893~1983)は、20世紀を代表する巨匠に数えられ、没後40年を迎えた今、世界的に再評価されています。本展は〈星座〉シリーズをはじめ、各時代を彩る絵画や陶芸、彫刻により、90歳まで新しい表現へ挑戦し続けたミロの芸術を紹介します!https://t.co/ExBbMhCBAr pic.twitter.com/CUf9Ht3sqy — 東京都美術館 (@tobikan_jp) 2025年2月1日 【特別展「ミロ展」(東京都美術館)開幕レポート】https://t.co/pnqc8OfU2j東…
国立科学博物で開催中の特別展「古代DNA−日本人のきた道−」を鑑賞した。遺跡から発掘された古代の人々の骨に残るごく僅かなDNAを解読し、人類の足跡をたどる古代DNA研究。近年では、技術の発展とともに飛躍的な進化を遂げ、ホモ・サピエンスの歩んできた道のりが従来想像されていたよりもはるかに複雑であったことが分かってきた。本展では、旧石器時代から古墳時代まで、また、本州・四国・九州と異なる文化と歴史をもつ北海道と琉球列島について、出土した古人骨や考古資料、高精細の古人頭骨CG映像などによって、その成立の歴史を伝える。さらに、古くから人類と関わりが深いイヌやイエネコについても取り上げ、DNA分析などか…
道の駅 おかべの桜。 道の駅 おかべ 渋沢栄一めぐり旅|埼玉県公式観光サイト ちょこたび埼玉 渋沢栄一ゆかりの地を巡る - 埼玉県 にほんブログ村
東京都立埋蔵文化財調査センターの新年度の企画展示からパルテノン多摩ミュージアム連携企画展をハシゴ。 パルテノン多摩ミュージアムで開催中の連携企画展『多摩市百草・恋路稲荷神社の秘密~古墳の上の神社の伝来資料群を黄檗寺院「資福院」の痕跡~』を鑑賞した。昨年秋に多摩市百草の稲荷塚古墳を7年ぶりに訪れたら、八角形墳の墳頂に祀られていた神社が遷座していたのでビックリした。本展によると、2022年に今後の神社の維持管理と稲荷塚古墳の保存と活用を考え、隣接地へ縮小移転し、社殿に伝来した多くの資料は多摩市教育委員会に寄贈されたとのこと。また、「恋路(こいじ)」という地名の由来は、①遊郭があった説、②「国府路(…
東京都立埋蔵文化財調査センターで開催中の新年度の企画展示「土の中のトーキョー~近代考古学事始~」を鑑賞した。 都心部の江戸遺跡を調査すると近代の遺跡・出土品に遭遇する。本展示では、当センターが東京都内で発掘調査を行った成果を中心に、 プロローグ:土の中のトーキョー トーキョーの礎 トーキョーを襲った災禍 トーキョーに暮らした人々 エピローグ:トーキョーからTOKYOへ~東京の現在、そして未来~ というテーマで、東京の近代化と現在の私達の暮らしに繋がる近代東京の歴史を紹介する。 令和7年度企画展示「土の中のトーキョー~近代考古学事始~」がスタートしました。 お知らせ一覧 東京都埋蔵文化財…
私の推しのラフXラフの佐々木楓菜さんが作詞・作曲した「君とキュンと♡」のリリースイベント(リリイベ)の三日目(会場としては4会場目)も大盛況。「君とキュンと♡」のリリイベは今回がラスト。感動的なフィナーレだった。もなみんとはるるん👍(Good Job) 1部 2部 【新着🆕】ラフ×ラフ @roughlaugh_o 『君ときゅんと♡』miim ver. 発売記念 ミニライブ・特典会 開催決定!3月29日(土)🎪ヴィレッジヴァンガード渋谷本店🎪錦糸町マルイ4月5日(土)🎪ステラタウン大宮4月19日(土)🎪ららぽーと立川立飛≫詳細はこちらhttps://t.co/deamrJIVz8 — miim …
浅間塚古墳から現地説明会に向かおうとしたら道に迷って、なぜか駒城跡だったので寄り道。 県指定文化財 史跡 駒城跡 指定年月日 昭和十年十一月二十六日 ここは東西120メートル、南北180メートルにわたる駒城跡の北西部にあたります。 駒城は駒館ともいわれ、およそ670年前ここに中御門少将藤原実寛が城主としてたてこもりました。 その頃は北畠親房らが南朝に、足利尊氏らは北朝にそれぞれの天皇をいただいて争い、たいへん乱れたので南北朝時代といわれています。親房らはこの地方に勢力をのばそうとして延元三年・暦応元年 (1338)小田治久の小田城(つくば市小田)に拠りました。 関城(筑西市関館)の関宗祐、大宝…
次に訪れたのは、鬼怒川を渡った東隣の下妻市の浅間塚古墳。 市指定文化財 史跡 浅間塚古墳(せんげん づか こふん) 指定年月日 昭和52年3月22日 所在地 下妻市黒駒 管理者 下妻市 黒駒字駒墓300番にある古墳で、全長40メートル、後円部の高さ5.3メートルの小規模ながら典型的な前方後円墳である。木立に覆われた墳丘上に浅間祠があり、保存状態は良好である。 この古墳は6世紀から7世紀ごろ平方や久下田などに水田を開いた豪族の墓ではないかと考えられる。 平成3年3月 下妻市教育委員会 浅間塚古墳(市指定文化財) 下妻市公式ホームページ 下妻市浅間塚古墳 趣味の案件 にほんブログ村
史跡長柄横穴墓群資料館の西側の整備された第1支群(4小支群、21基)を見学後、資料館の東側の整備されていない第2支群(5小支群、15基)を南西の第34墓(第9小支群)から北東の第22墓(第5小支群)へと逆順に探索。 長柄横穴墓群の第2支群の第9小支群(第34,33号墓)と第8小支群(第32,31号墓)の4基。 長柄横穴墓群第34号墓、南南東に開口、家形、棺座4、文献[1] 長柄横穴墓群第33号墓、南南東に開口、家形、棺座4、文献[1] 長柄横穴墓群第32号墓、東南東に開口、家形、文献[1] 長柄横穴墓群第31号墓、東南東に開口、蒲鉾形、文献[1] 長柄町長柄横穴群第2支群第8・9小支群: 埼群…
長柄横穴墓群の第1支群の第1小支群(第1〜4号墓)の4基。 第1小支群 第1小支群は、第1〜4号墓の4基の横穴墓があります。 長柄横穴墓群第1号墓、南西に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第2号墓、南に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第3号墓、南東に開口、横アーチ型、棺座1、見学不可 長柄横穴墓群第4号墓、南東に開口、寄棟型、棺座2 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第1小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村
長柄横穴墓群の第1支群の第4小支群(第18〜21号墓)の4基。 長柄横穴墓群第18号墓、南南東に開口、縦アーチ型、棺座1、見学不可 長柄横穴墓群第19号墓、南東に開口、縦アーチ型、棺座2 長柄横穴墓群第20号墓、南南東に開口、縦アーチ型、棺座1 長柄横穴墓群第21号墓、南南東に開口、縦アーチ型、棺座1、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第4小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村
長柄横穴墓群の第1支群の第3小支群(第13〜17号墓)の5基。 第3小支群 第3小支群は、第13〜17号墓の5基の横穴墓があります。特に、第13号墓の玄室には、線刻画が描かれています。 線刻画とは?線刻画は、壁に尖ったもので線を刻んで絵を描いたものです。 長柄横穴墓群第13号墓、南西に開口、縦アーチ型、棺座3、線刻画、見学不可 長柄横穴墓群第14号墓、南南西に開口、ドーム型、棺座1 長柄横穴墓群第15号墓、南南東に開口、寄棟型、棺座4 長柄横穴墓群第16号墓、南に開口、寄棟型、棺座4 長柄横穴墓群第17号墓、南に開口、寄棟型、棺座3、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群…
長柄横穴墓群の第1支群の第2小支群(第5〜12号墓)の8基の続き。 長柄横穴墓群第8号墓、南西に開口、縦アーチ型、棺座3 長柄横穴墓群第9号墓、南に開口、縦アーチ型、棺座2、見学不可 長柄横穴墓群第10号墓、南に開口、寄棟型、棺座3、見学不可 長柄横穴墓群第11号墓、南に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第12号墓、南東に開口、切妻型、棺座2、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第2小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村
春の桜が咲く頃、誘われて、房総半島のほぼ中央に位置する長柄(ながら)町の長柄横穴墓群と長南(ちょうなん)町の米満横穴墓群を探索した。この地域は、太平洋に注ぐ一宮川の上流にあたり、複雑に開析された入り組んだ谷津が多く、笠森層とよばれる暗青色の凝灰質砂岩層が分布し、横穴墓が集中する。また、この地方には上総地方に特徴的な「高檀式(こうだんしき)」とよばれる羨道と玄室の高さが著しく差のある特有の形態の横穴墓が多い。 長柄横穴墓群は、1980年に16基が長柄町横穴群徳増(とくます)支群として県指定史跡となり、1993年に千葉県教育委員会が重要遺跡確認調査を実施(文献[1])、1995年に35基が国の史跡…
ゴールデンウィーク初日(4月27日)に溝の口駅前の商業ビル最上階(12階)の高津市民館大会議室で開催された川崎市制100周年記念事業、令和6年度橘樹官衙遺跡群保存活用事業として開催された「橘花屯倉ミニシンポジウム-橘樹官衙遺跡群成立の前段階-」に参加(聴講)した。会場の参加者が約200名、オンラインの参加者が約80名と盛況。司会は三舟隆之氏。 川崎市初の国史跡である橘樹官衙遺跡群が成立する前段階の「橘花屯倉(たちばなみやけ)」をテーマとしたミニシンポジウムで、7件の発表とパネルディスカッションの構成。4月16日の川崎市長定例記者会見で、橘樹歴史公園の5月18日オープンが発表された。川崎市は、橘…
御岳山古墳から、狐塚古墳を経て、八幡塚古墳のある宇佐神社を再訪した。 狐塚古墳 世田谷区立狐塚古墳緑地 狐塚古墳(きつねづかこふん) 世田谷区は、この狐塚古墳を後世に残すため、 区立公園として整備・保全いたしました。公園全体が古墳の一部となっておりますので大切に保全、利用していただきますようお願い致します。 狐塚古墳は、多摩川に面した国分寺崖線の台地先端部に造られた古墳時代中期後期(5世紀後半)の古墳です。 この地域は多摩川に向かって突き出した台地と小さな谷が交互に連続する地形が特徴で、この台地上には南武蔵の首長墓(古墳)が、5世紀から6世紀にかけての古墳時代中ごろに連続して造営され、これらは…
「古墳散策ツアー」後に野毛大塚古墳から等々力渓谷の神変窟、等々力不動尊を経て、御岳山古墳を再訪した。満願寺所蔵で通常非公開の御岳山古墳出土の七鈴鏡(東京都指定文化財)は、いつかどこかで公開されないかな。1950年(昭和25年)に学習院大学が実施した御岳山古墳後円部墳頂の埋葬施設の調査は、調査に参加した学習院輔仁会高等科史学部2年生堀田正祥(当時16歳、後の尾張徳川家第21代当主徳川義宣、徳川美術館館長)氏の47年後の報告(文献[1])で当時の様子がうかがえる。 等々力渓谷 東京都指定名勝 等々力渓谷(とどろきけいこく) 所在地 世田谷区等々力2丁目外 指定 平成11年3月3日 等々力渓谷は、国…
3月30日の玉川野毛町公園拡張予定地一部開園イベントで開催された「古墳散策ツアー」に参加した。野毛大塚古墳の約1/150の縮尺の復元模型で、野毛大塚古墳の概要を、野毛大塚の墳頂に登り、4つの埋葬施設と埋葬遺物について説明していただいた。埋葬順は第1,3,2,4主体部の順。第2主体部は明治時代に地元の若者が掘って、副葬品と人骨を見つけた。副葬品は東京国立博物館に収蔵。第1主体部は粘土槨の竹割形木棺。木棺の上の中央に漆塗の竪櫛が置かれていた。長さ8mの木棺と甲冑などの武器類が被葬者の権力の大きさを示す。鎧は皮留めで古式。第3主体部は鉄鏃280本と刀32本を副葬。また、墳頂から眼下を眺め、2017年…
北区豊島の煉瓦蔵に足場が組まれているとXのポストで見つけて、2つある北区豊島の煉瓦蔵を確認したら、4年前に鍰煉瓦(からみれんが)を探していて見つけた煉瓦蔵のあるお宅で建替え工事が始まっていた。その時は煉瓦蔵と煉瓦塀は無傷で、敷地の建物がなくなっていた。翌週、再訪したら、屋根瓦が降ろされ、雨樋がもげていた。翌々週には更地になっていた。 翌週、再訪 翌々週には更地になってた。最後に残った煉瓦塀も翌日には取り壊されていた。 北区豊島には立派な煉瓦蔵がありましたが今はもう足場が組まれてしまいそろそろ解体されそうです😭 pic.twitter.com/PBV5FdN8mL — たくあん (@takuan…
3月20日から東京都埋蔵文化財センターで開催中の新年度の展示「多摩の“なんで!?”な出土品」を鑑賞した。普段の展示では調査で分かったことを紹介するが、分からないことも多く残るのが考古学。本展ではまだ答えの出ていない「なんで!?」に焦点を当てる。取り上げるのは、石器の大きさの違い、土器の大・小(ミニチュア土器)、自立しない土器、現代の道具とそっくりな土器、有孔鍔付土器、いきもの表現(人面・十獣面把手、土偶・動物型土製品)など。 【明日から新展示開始】3/8から休館していた当館ですが、明日から開館、そして新年度の展示「多摩の“なんで!?”な出土品」がはじまります!今まさに設営作業のラストスパートで…
三ツ目山公園に移築復元された多摩ニュータウンNo.313遺跡1号横穴墓(久保ヶ谷戸横穴墓)を見学した。多摩ニュータウン地域とその周辺からは12群46基の横穴墓が発見されている。横穴墓は群集して複数基が築かれることが通常だが、No.313遺跡1号横穴墓は1基のみ単独で、墓室に通じる通路状の平坦部分(前庭部)は長さ19mと全国でも最大級の規模、前庭部奥壁全面と両側壁の一部に河原石を積み上げ、積み上げた石は総数945点、総重量約5.2t、羨門は柱状の切石が組まれ、扉はしっかり塞がれた状態で未盗掘、前庭部からは静岡県湖西窯産の須恵器の大窯とフラスコ形瓶、直刀、六窓鍔、鉄鏃が出土、墓室からは人骨片と刀子…
あつぎ郷土博物館で、3月2日から24日日まで開催された令和五年あつぎの遺跡展「再発見!!あつぎの古墳」を最終日に鑑賞した。本展は、厚木秦野道路の建設工事に伴い発掘調査が行われた古墳(及川伊勢宮遺跡・中依知遺跡群)の発掘調査と最新の研究の成果などを紹介。また、ぼうさいの丘公園の“季節の丘”の地下に眠るホウダイヤマ1号墳(前方後円墳、全長65m、4世紀後半)出土の壺を展示して、壷を焼く前に開けた三角形の穴が、吉備(岡山県)の特殊器台の丸や三角の穴など、西日本の文化が遠く相模国に伝わったことを示す貴重な資料とする。 【「~再発見!!あつぎの古墳~」 開催】今年のあつぎの遺跡展では、財団で発掘し新たに…
田名向原遺跡公園と相模原ポンプ場の間に分布する当麻谷原8号墳と9号墳を探索。 当麻谷原8号墳 当麻谷原9号墳? 庚申塔と椿 マムシに注意 春の花 相模原市当麻谷原古墳群 趣味の案件 古墳なう 「当麻谷原古墳群」その1 にほんブログ村
相模原ポンプ場に保存されている当麻谷原古墳群の3基の古墳(1,3,4号墳)を見学した。 当麻谷原古墳 見学位置 当麻谷原1号墳 当麻谷原3号墳 金山神社 当麻谷原4号墳 当麻谷原古墳について 相模川に臨むここ谷原から塩田にかけての台地上に、かって10数基の古墳がありました。 昭和34年5月に、文化財保護委員等が、この中の1号墳を調査したところ、遺体を安置した横穴式石室から人骨と直刀、鉄鏃、金環、玉類が発見され、相模原の歴史と文化を知る上できわめて貴重なものであることがわかり、昭和35年2月16日この1号墳は相模原市の史跡に指定されました。 昭和44年、神奈川県内の水道確保の目的から、この地にポ…
相模原市の旧石器ハテナ館でミニ展示「遺跡の宝庫さがみはら〜実はあるんだ弥生時代〜」とミニ展示「今月はこの逸品!考古市宝展」と常設展示を鑑賞した。旧石器ハテナ館は全国的にも数少ない旧石器時代をテーマにした施設で、正式名称は史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館。約2万年前(旧石器時代)の建物の跡「住居状遺構」のレプリカのある史跡田名向原遺跡公園と県道48号線を挟んだ向かい側にある。 相模原市には500以上の遺跡があるが、弥生時代は遺跡の数も少なく、あまり知られていない。ミニ展示「遺跡の宝庫さがみはら~実はあるんだ弥生時代~」では、神奈川県指定重要文化財(考古学)の津久井郡三ケ木(みかげ)遺跡出土品と相…
史跡田名向原遺跡公園で、復元された谷原12号墳と保存された谷原13,14号墳を見学。 谷原12号墳(復元) 谷原12号墳(復元) 平成6年3月、遺跡公園の北方約60メートルの地点で発掘された約1,400年前の古墳時代後期の小型円墳を復元したものです。 古墳の石室(埋葬者の棺を納める場所)からは、直刀(反りのないまっすぐな刀)や鏃(矢の先端)などの武具や、装身具(アクセサリー)の切子玉などが発見されました。 田名塩田から当麻谷原にかけて確認される10数基の古墳は、谷原古墳群と総称され、公園内に2基(谷原13号墳、14号墳)が保存されています。 谷原14号墳(位置表示) 谷原13号墳(位置表示) …
田名向原遺跡公園で、後期旧石器時代の約2万年前の住居跡と考えられる遺構(レプリカ)を見学した。 日本で唯一、2万年前の住居状遺構 住居状遺構(復元) 平成9年3月に発見された約20,000年前の後期旧石器時代の住居跡と考えられる遺構(痕跡)を復元したものです。 礫群(小石が集中している場所)や石核(石器の素材をはがし取った石)などによって直径約10メートルの外周をめぐらした範囲から、2ヶ所の炉(火をたいた場所)や12本の柱穴の跡が確認されました。 加えて約3,000点もの石器類が発見されたことから、人類定住の可能性を示す遺構として注目され、平成11年1月28日に国の史跡として指定されました。 …
宗隆寺古墳群を再訪した。宗隆寺の墓所から宗隆寺古墳群への登り口は施錠されていた。 にほんブログ村