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  • 侍塚古墳群 (再訪) 大田原市湯津上

    侍塚古墳群を再訪した。 大田原市指定史跡 侍塚古墳群のご案内 昭和41年2月15日指定 大田原市湯津上地内 下侍塚古墳のすぐ北側には侍塚古墳群と呼ばれる古墳群が展開しています。現在確認できるのは8基ですが、かつては10基ほど存在したものの戦後の開田等により、消滅したといわれています。 前方後円墳である1号墳、方墳である8号墳を除く6基は円墳とみられています。5号墳と8号墳については、部分的な発掘調査によって、ある程度古墳の状況が把握されています。 それ以外の古墳については、平成10年(1998)から平成13年(2001)にかけて、墳丘の測量調査が行われ、墳形と大きさが確認されています。 大田原…

  • 下侍塚古墳 (再訪) 大田原市湯津上

    下侍塚古墳を再訪した。 国指定史跡 下侍塚古墳 (しもさむらいづかこふん) 下侍塚古墳は、那珂川右岸の段丘上に位置する前方後方墳で、那須地方の6基の前方後方墳のなかでは上侍塚古墳に次ぐ規模である。 本墳は、元禄5年(1692)、徳川光圀の命により小口村(那珂川町小口)の庄屋であった大金重貞らが上侍塚古墳とともに発掘調査を行なっている。鏡・鎧片・鉄刀片・大刀柄頭・土師器壺・同高坏などが出土したが、これらは、絵図にとるなど調査結果を記録したうえで松板の箱に収め、埋め戻している。 さらに墳丘の崩落を防ぐために松を植えるなどの保存整備も行なわれた。これら調査と調査後の遺跡の処置は、日本考古学史上特筆さ…

  • 上侍塚北古墳 (再訪) 大田原市湯津上

    上侍塚古墳のすぐ北にある上侍塚北古墳。全長48.5mの前方後方墳。上侍塚北古墳は、上侍塚・下侍塚より古い可能性が指摘される。 にほんブログ村

  • 上侍塚古墳 第1回発掘調査現地説明会 (6/29) 大田原市湯津上

    6月29日に開催された上侍塚古墳の令和6年度第1回発掘調査現地説明会に参加した。本調査は今年で4年目。 栃木県/上侍塚古墳(大田原市)令和6年度第1回発掘調査現地説明会の開催について 那須 上侍塚古墳・下侍塚古墳 栃木県埋蔵文化財センター 【上侍塚古墳発掘調査開始】5/14、上侍塚古墳の発掘調査が始まりました😆✨前方部の西側から堀り始め、早速葺石と思われるものが出土しました‼️今年度はどんな成果が得られるのか楽しみですね🙌#栃木県 #大田原市 #上侍塚古墳 #発掘調査 pic.twitter.com/q7dzlwgYLl — 栃木県埋蔵文化財センター (@MaibunT) 2024年5月17日…

  • 文化財展示コーナー 台東区生涯学習センター

    台東区西浅草の生涯学習センターを訪れた。この施設の3階に文化財展示コーナーがある。古墳時代コーナーには円筒埴輪片があった。「科学博物館地点、古墳時代中期」とのこと。その他、旧石器時代から近代まで、刻印のある煉瓦も展示されていた。 3階 台東区ホームページ にほんブログ村

  • 硬玉製大珠(こうぎょくせいたいしゅ)

    東京国立博物館の平成館の総合文化展の展示「日本の考古」で「縄文時代の装身具と祈りの道具」の「10. 硬玉製大珠(こうぎょくせいたいしゅ)」が気になったのでちょっと調べた。展示されていた硬玉製大珠は5点で、展示説明では「東京都北区 西ヶ原貝塚ほか出土 縄文時代(中期)・前3000~前2000年」、東京国立博物館のWebサイトで調べると「西ヶ原貝塚ほか出土」の「ほか」の4点の情報もあった。ここで気になったのは「時代・年代世紀」が「出土地不詳」の2点を含めて5点全て「縄文時代(中期)・前3000~前2000年」となっていたこと。それから、展示されていた5点の硬玉製大珠と、Webサイトの5点の硬玉製大…

  • 中央改札(YOSTAR改札) JR秋葉原駅

    もう7月なのに今更だが、3月頃、JR秋葉原駅の中央改札口の先が工事中で何が出来るのかと思っていたら。。。 3月中旬頃 翌日 3月下旬 4月上旬 Yostar OFFICIAL SHOP JR秋葉原駅店 4月1日よりYostarがジャック展開 秋葉原駅中央改札の改札口入口標等が 「中央改札(Yostar改札)」に! 株式会社Yostar にほんブログ村

  • 「幸手と杉戸の古墳時代-下総台地の集落と墓-」 幸手市郷土資料館

    幸手と杉戸の共催企画展『幸手と杉戸の古墳時代-下総台地の集落と墓-』を幸手会場の幸手市郷土資料館で鑑賞した。幸手会場の会期は7月15日まで。その後、7月28日から8月31日まで 杉戸会場の杉戸町文化財展示室(エコ・スポいずみ内)と巡回する。 幸手と杉戸では千葉との県境を流れる江戸川右岸の下総台地で古墳時代の遺跡が調査されてきた。幸手を代表する槙野地北(まきのじきた)遺跡では、古墳時代の約400年間続いた集落が発見され、杉戸では前方後円墳を含む20基以上からなる目沼(めぬま)古墳群がつくられた。槙野地北遺跡と目沼古墳群は約1kmの距離、目沼古墳群を造営した集団の中心地は槙野地北遺跡であった可能性…

  • 「貝塚の骨から見る縄文時代のくらし」 明治大学博物館

    明治大学博物館の考古部門のミニ展示、明大コレクション58「貝塚の骨から見る縄文時代のくらし」を鑑賞した。貝塚は捨てられた貝殻などが長期間にわたり層になった遺跡で、貝塚は名前の通り貝類で主に構成されるが、通常の遺跡であれば残りにくい動物の骨や、これらの骨・角・歯で作られた道具(骨角器)も多数出土する。本展示では骨や骨角器に注目し、当時の人々の活動を紐解く。 明大コレクション58 「貝塚の骨から見る縄文時代のくらし」開催のお知らせ 明治大学 考古部門コレクション展「貝塚の骨から見る縄文時代のくらし」が本日始まりました!貝塚では通常の遺跡であれば残りにくい動物の骨や、これらの骨・角・歯で作られた…

  • 「旧石器時代の井の頭池周辺 -武蔵野市発掘調査成果報告-」 武蔵野市立武蔵野ふるさと歴史館

    武蔵野市立武蔵野ふるさと歴史館で開催された企画展「旧石器時代の井の頭池周辺 -武蔵野市発掘調査成-」を会期終了間際に鑑賞した。本展では、井の頭池周辺の吉祥寺南町1丁目遺跡E地点ほか御殿山遺跡出土などの主に立川ローム第3層から第6層までの旧石器時代のナイフ形石器を中心に基礎データを紹介。3Dプリンタ出力による石器のレプリカを、手に取って、本物と比較しながら観察できるのも楽しい。 令和6年度第1回企画展「旧石器時代の井の頭池周辺 -武蔵野市発掘調査成果報告-」|武蔵野市公式ホームページ 【次回企画展】令和6年5月11日(土)から企画展「旧石器時代の井の頭池周辺 -武蔵野市発掘調査成果報告-」が始ま…

  • 岩鼻二子山古墳の石棺 東京国立博物館

    東京国立博物館に行くたびに、遠目で確認するバックヤードの石棺。立ち入り禁止エリアにあるので見学できないのが残念。群馬県高崎市の岩鼻二子山古墳の石棺(J-8278)、宮城県仙台市の一塚古墳出土の石棺(J-20055)、福井県福井市の小山谷古墳出土の石棺(J-5017)など。以前は、東洋館の軒下で野外展示されていた(埼群古墳館別館)。 国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構(QTS) 高崎量子応用研究所の『高崎研だより』第5号の「高崎研歴史探訪〜その1古墳編〜」によれば、岩鼻二子山古墳の石棺は「以前は、東洋館の軒下に展示されていたそうですが、現在はバックヤードで保管中とのこと。特別にお願いして…

  • 21世紀の森と広場 松戸市千駄堀

    松戸市博物館のある「21世紀の森と広場」を散策した。 二十一世紀の森と広場 昭和四十年代から昭和五十年代にかけて、当時の松戸市は人口が著しく急増し、都市の基盤整備も追いつかず、生活環境も悪化していく傾向にありました。二十一世紀に向かって、本市の将来像を明確にしておかなければ、取り返しのつかない状態になると感じておりました。こうした状況の中で、本市のほぼ中央に位置するこの千駄堀地区は、樹林地に囲まれた谷の入り組む独特な景観を構成しており、谷頭には湧水が多く見られ、植物も豊富で、小動物も数多く生息する変化に富んだ地域として存在しておりました。 「この地域の持つ固有の自然環境を守り育てていくこと自体…

  • 北郷遺跡 松戸市千駄堀

    松戸市博物館の企画展を鑑賞した後で、近くの北郷遺跡を訪ねた。 106 北郷遺跡 縄文時代の遺跡です。周辺からは縄文時代前期の浮島式、中期の阿玉台式、加曽利E式など土器のかけらが多数採集されています。これらの土器は今から約6000年前~1500年前頃のものです。 平成8年3月 松戸市教育委員会 フセギ? ここにも 安蒜家長屋門 安蒜家長屋門 長屋門は大名屋敷などに見られる部屋付きの門で、農村でも村役人など特定の農民のみに建築が許され盛んに造られました。この門は棟札から天保11年に建築されたことがわかります。 安蒜家長屋門(あんびるけながやもん) まつどの観光・魅力・文化|松戸市 にほんブログ村

  • たてたてあなあな―竪穴建物の世界 松戸市博物館

    松戸市博物館で開催された企画展「たてたてあなあな―竪穴建物の世界」を会期終了間際に鑑賞した。本展は、松戸市内で発掘された竪穴建物を中心に、出土した資料や写真から古代の竪穴建物を紹介するとともに、世界各地で記録された実際の竪穴建物の古写真・絵画パネルなどを展示する。竪穴建物は、地面を掘り下げて床を作った建物で、世界各地でみられ、日本ではおもに10,000年前(縄文時代)から1,000年前(平安時代)と長い間使われた。松戸市内でも、1,000を越える竪穴建物が発掘調査によって見つかっている。ちなみに 『竪穴建物』という言葉について「『竪穴(式)住居』という言葉が慣習的に使われてきたが、住居住居と想…

  • 金鑚神社 美里町下児玉

    美里町下児玉の金鑚神社に参詣した。 第62回伊勢神宮式年遷宮記念 金鑽神社 御由緒 美里町下児玉322 □御縁起(歷史) 下児玉は、身駒川(小山川)の左岸に位置する細長い形をした村である。明徳元年(1390)の藤原泰治寄進状に「児玉郡下児玉郷内浅羽方田壱町七段」が徳蔵寺の長老大勲に寄進された旨が載ることから、室町時代の初期には既に開発がなされていたことが推測され、また栃木県足利市の鑁阿寺(ばんなじ)が所蔵する永正十年(1513)銘の法華経第一巻の奥書に「下児玉勝輪寺当住持法印祐重」とあることから、かつては隣接する小茂田(こもだ)も下児玉の村域内であったことがわかる。 このように、下児玉は古い歴…

  • 若泉稲荷神社古墳 本庄市北堀

    本庄市の古墳巡りの続き。 西五十子古墳群の若泉稲荷神社古墳を訪れた。文献[1]によると「円墳、径38m、葺石」 若泉稲荷神社 所在地 本庄市北堀206 若泉稲荷神社の祭神は、倉稲魂命(ウカノミタマ)である。 伝来の口碑によれば、一ノ谷の合戦(1184)で源氏に従い平重衡を生捕った荘太郎家長 は、その館を現在の小字東本庄に構えたが、治承四年(1180)当社を勧請建立し、この地の鎮守としたと言われている。 その後、天正十八年(1590)小笠原信嶺が本庄氏に代って領主となったとき、旧領主勧請の古社であるので最も崇敬を加え、あらたに社殿をこの地に建立奉遷したと伝えられている。 昭和61年3月 埼玉県 …

  • 「令和5年度特別史跡加曽利貝塚発掘速報展」 千葉市立加曽利貝塚博物

    千葉市立加曽利貝塚博物で開催された「令和5年度特別史跡加曽利貝塚発掘速報展」を鑑賞した。本展は、 最新の調査研究成果として、令和5年度から開始した北貝塚の発掘調査について、昭和37・41年の発掘調査の成果と合わせて展示する。会期は本日(6月30日)まで。 千葉市:令和5年度特別史跡加曽利貝塚発掘速報展の開催について 久しぶりに加曽利貝塚博物館を訪問して、令和5年度発掘調査速報展を観覧しました。土偶をはじめとする発掘遺物とともに、加曽利貝塚と集落の発達史に関連するパネル展示も充実していて、自分の問題意識を深めることができました。https://t.co/cVqkqQaYuC pic.twitte…

  • 発掘された日本列島2024 千葉県立中央博物館

    千葉県立中央博物館で開催中の巡回展「発掘された日本列島2024」を鑑賞した。平成7年度から始まった本展は、今年度で30回目の開催。千葉県立中央博物館での開催は16年ぶり3回目。今回は「我がまちが誇る遺跡」として北海道・今金町、北海道・余市町、群馬県・藤岡市の3地域に焦点を当てる展示と、「新発見考古速報」として遺跡発表会「発掘された関東の遺跡2024」で発表のあった5遺跡の他、北海道の美々4遺跡、福島県の墓科遺跡、奈良県の菅原遺跡、宮城県の穴田東窯跡・薬師堂東遺跡、神奈川県の六ノ域遺跡の10遺跡を紹介する。また、「地域展」では、令和3年度に寄贈された千葉県指定有形文化財「半円方格帯神獣鏡」(大多…

  • 発掘された関東の遺跡2024 (6/22) 千葉県立中央博物館

    6月22日に千葉県立中央博物館で開催された 遺跡発表会「発掘された関東の遺跡2024」に参加した。関東考古学フェアの一環として、 群馬県2、埼玉県2、茨城県1、計6遺跡の発表と特別公演 “「発掘された日本列島2024」展の見どころ”を聴講した。定員150名がほぼ埋まり大盛況。 【おしらせ】令和6年遺跡発表会「発掘された関東の遺跡2024」を開催します。※要申込日時:令和6年6月22日(土)10:10~(受付開始9:40)申込方法:往復葉書・メール(6月7日まで※消印有効)申込先:(公財)千葉県教育振興財団文化財センター詳細はチラシをご覧ください pic.twitter.com/2dHkVUNr…

  • 飯玉神社 本庄市北堀

    本庄市北堀の飯玉神社を参詣した。 第六十二回伊勢神宮式年遷宮記念 飯玉神社 御由緒 本庄市北堀一六〇二 □ 御祭神・・・倉稲魂命(うかのみたまのみこと) □ 御縁起(歴史) 鎮座地の久下塚は、武蔵七党児玉党の久下塚氏の名字の地と考えられており、元来は独立した村であったが、中世の末期に北堀に繰り入れられるようになったようである。また、地名の「久下」は古代の役所である「郡家」が転じたもので あるとの説もあるが、これを裏付ける遺跡は現在のところ発見されていない。 当社は、久下塚の産土として祀られてきた神社で、『児玉郡誌』によれば、創立の年代は不詳であるが、児玉党の支族である公家塚庄二郎弘定が崇敬した…

  • 元富東古墳 本庄市東富田

    東富田古墳群を散策。3基目は元富東古墳。現況は湮滅。文献[1]によると「東富田古墳群3、円墳、径16m、埴輪、横穴式石室、葺石」 、本庄早稲田の杜ミュージアムのミニ企画「ミュージアム周辺の古墳」では、パネルに「元富東古墳」との名称で「直径27mほどの古墳、墳丘には一部に葺石が施され、周囲には堀がめぐって、埋葬施設は両袖式の胴張型横穴式石室、側壁は模様積、奥壁には巨大な片岩を二段積み、玄室の床面付近から直刀3、各種刀装具、刀子、鉄鏃、弓飾金具、銅製耳環などが出土、7世紀前半の築造と推定」、横穴式石室側壁・奥壁検出状況写真と石室実測図、石室出土副葬品が展示された。 120公卿塚古墳趾, 121元富…

  • 東富田稲荷山古墳 本庄市東富田

    東富田古墳群を散策。2基目は東富田稲荷山古墳。文献[1]によると「東富田稲荷山古墳、円墳、径30m」、本庄早稲田の杜ミュージアムのミニ企画「ミュージアム周辺の古墳」のパネルでの名称は「元富古墳」だった。 120公卿塚古墳趾, 121元富東古墳, 122西原古墳, 123〜127 遺跡名の記載なし(東富田稲荷山古墳は124) 元富東古墳-熊野十二社神社古墳-元富古墳【埼玉県本庄市】 - ぺんの古墳探訪記 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 熊野十二社神社古墳 本庄市東富田

    東富田古墳群を散策。1基目は熊野十二社神社古墳。文献[1]によると「円墳、径25m、葺石」 熊野十二社神社 熊野十二社神社 所在地:本庄市東富田301 熊野十二社神社の祭神は、国常立尊で、延享年間(1744〜1748)に勧請したと伝えられ、社殿は現在覆屋の中にある。 社殿のある小高い丘は、古墳であり、同様なものが周辺に分布している。この古墳群は、東富田古墳群といい、 特に、今の種子センターの地にあった公家塚古墳は、県下でも数少ない古墳時代初期のものであった。また、神社の北にある冨田寺(ふくでんじ)は、山号を愛宕山照明院といい、本尊は阿弥陀如来である。 昔、児玉党一族の富田氏の祈願所であったと伝…

  • 寒念仏供養塔古墳 本庄市今井

    本庄市の今井の古墳群を散策。3基目は寒念仏供養塔古墳。文献[1]によると「円墳、径8m、地ぶくれ状」 寒念仏供養塔古墳-薬師堂古墳-No.126古墳【埼玉県本庄市】 - ぺんの古墳探訪記 埼玉県本庄市今井 寒念仏供養塔古墳 古墳探訪記 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 薬師堂古墳 本庄市今井

    本庄市の今井の古墳群を散策。2基目は薬師堂古墳。文献[1]によると「円墳、径14m」 寒念仏供養塔古墳-薬師堂古墳-No.126古墳【埼玉県本庄市】 - ぺんの古墳探訪記 埼玉県本庄市今井 薬師堂古墳・№126古墳 古墳探訪記 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 本庄市No.126古墳 本庄市今井

    本庄市の今井の古墳群を散策。1基目はNo.126古墳。文献[1]によると「円墳、径約10m」 寒念仏供養塔古墳-薬師堂古墳-No.126古墳【埼玉県本庄市】 - ぺんの古墳探訪記 埼玉県本庄市今井 薬師堂古墳・№126古墳 古墳探訪記 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 平重衡の首塚 本庄市児玉町蛭川

    金鑚神社古墳から北西に徒歩約15分の駒形神社の隣の釈迦堂墓地にある本庄市指定文化財の平重衡の首塚を訪れた。平重衡(しげひら)は平清盛の五男、治承4年(1180年)12月、清盛の命により南都焼打、 寿永3年(1184年)2月の一ノ谷の戦いで平氏は源範頼・義経の鎌倉源氏軍に大敗を喫し、敗軍の中、重衡は馬を射られて捕らえられた。本庄市によると「一の谷の合戦で児玉党の庄四郎高家に生け捕られた重衡は鎌倉に送られて源頼朝に面会した後、南都の僧兵に引き渡されました。その後、処刑された重衡の首を、庄高家は自分の領地蛭河郷に持ち帰り、手厚く供養したといわれています。蛭川の駒形神社の隣の釈迦堂墓地にあります。」 …

  • 金鑚神社古墳 本庄市児玉町入浅見

    本庄早稲田の杜ミュージアムで企画展を鑑賞した後で、金鑚(かなさ)神社古墳を訪れた。本庄市によると「金鑽神社古墳は生野山丘陵から北東へのびる尾根上に所在する古墳で、本庄市内では最大規模の円墳。径67m、高さ7m、2段築成、上段の墳丘に葺石、幅10数mの周掘、墳丘から斧形や刀子形をした石製模造品が採集されている、古墳時代の中期中頃、西暦5世紀前半の築造と推定されている、昭和59年の埼玉県県史編さん室による調査で墳丘の中段から出土した円筒埴輪は表面に朝鮮半島の土器製作技法に起因する格子タタキ技法が用いられ、この技法が用いられた埴輪は公卿塚古墳(径65m)や生野山丘陵上に所在する生野山将軍塚古墳(径6…

  • 蛇喰古墳 深谷市岡

    本庄早稲田の杜ミュージアムで企画展を鑑賞する前に深谷市の蛇喰古墳に立ち寄った。文献[2]によると蛇喰古墳は「径20mを測る円墳で、白山古墳群中唯一現存する古墳である」「白山古墳群は6世紀以降の築造と推定される古墳群で、白山遺跡の北西に展開する。(白山遺跡の)2次調査において、24基が検出された。」、文献[1]によると「円墳、径25m、埴輪」 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 深谷市教育委員会 2011 『埼玉県深谷市埋蔵文化財発掘調査報告書124:白山遺跡Ⅳ』深谷市教育委員会 にほんブログ村

  • 下野谷遺跡から見る風景-縄文時代の人々と竪穴住居の生活 本庄早稲田の杜ミュージアム

    本庄早稲田の杜ミュージアムで開催された企画展「下野谷遺跡から見る風景-縄文時代の人々と竪穴住居の生活」を会期終了間際に鑑賞した。 下野谷遺跡は、東京都西東京市東伏見の早稲田大学東伏見キャンパス内にある遺跡で、大学の史跡建設に伴い、早稲田大学埋蔵文化財調査室によって1989〜1991年に発掘調査が行われた。その結果、縄文時代早期から後期にかけての遺構や遺物が見つかった。なかでも中期は、150軒以上の竪穴住居跡が環状にめぐり、その内側に墓域が形成された環状集落で、西東京市の調査の成果と合わせると、2つの環状集落で構成された関東でも屈指の遺跡であることがわかった。下野谷遺跡の一部は西東京市が公園とし…

  • 学芸戦隊キュレイター第2話司令官FOX登場 北区飛鳥山博物館

    北区飛鳥山博物館で開催中の収蔵資料展示「学芸戦隊キュレイター第2話司令官FOX登場」を鑑賞した。本展は「日々、博物館の収蔵庫に眠る資料を調査・研究し、"北区の謎″と戦う、われら学芸戦隊キュレイター☆司令官FOXからの招集により、2年ぶりに再集結!」との設定で、普段収蔵庫に保管されている資料の中から、学芸の戦士(キュレイター)たちが「これは!」と思う資料をセレクトしてご紹介する。会期は6月23日(日)まで。 収蔵資料展示「学芸戦隊キュレイター」(北区飛鳥山博物館)|東京都北区 【予告】5月25日(土)~6月23日(日)、北区飛鳥山博物館特別展示室にて。収蔵資料展示「学芸戦隊キュレイター」開催決定…

  • 「中国鏡」 明治大学博物館

    明治大学博物館の考古部門のミニ展示、明大コレクション57「中国鏡」を鑑賞した。明治大学博物館考古部門の代表的なコレクションのひとつである中国鏡。 戦国代から隋唐代までの中国鏡40面を展示し、鏡の形状や文様の変遷をご紹介する。会期は2024年4月22日(月)から6月22日(土)まで。 明大コレクション57「中国鏡」開催のお知らせ 明治大学 考古部門コレクション展「中国鏡」が本日始まりました!戦国代から隋唐代までの中国鏡40面を展示し、鏡の形状や文様の変遷をご紹介いたします。ぜひご覧ください!https://t.co/Jf8fFuXFly#明治大学博物館 pic.twitter.com/IvV…

  • 国際博物館の日(5月18日) 東京国立博物館

    5月18日は国際博物館の日で、東京国立博物館が無料観覧日とのことで訪れ、常設展示を堪能した。 本館 竪矧広板鋲留衝角付冑(たてはぎひろいたびょうどめしょうかくつきかぶと) 埼玉県行田市 小見真観寺古墳出土 古墳時代・6世紀 J-39552 国宝 太刀(名物 童子切安綱) 伯耆安綱 平安時代・10~12世紀 F-19931-2 平成館 本館(日本ギャラリー) 日本美術のあけぼの―縄文・弥生・古墳 本館(日本ギャラリー) 刀剣 本館(日本ギャラリー) 天皇の乗物 平成館(日本の考古) 氷河期の日本列島に暮らした人びと―道具作りのはじまり― 平成館(日本の考古) 自然環境の変化と定住生活―土器の出現…

  • 東武伊勢崎線のガード 久喜市古久喜、西大輪

    この日、最後に訪れたのは、久喜市のJR東北本線が葛西用水路と東武伊勢崎線と交わる地点。 天王新堀にかかる天王橋の先に東武伊勢崎線のガード 出来野踏切 天王新堀 跨線橋、跨道橋(東武伊勢崎線) 跨線橋の詳細 にほんブログ村

  • 中川低地の河畔砂丘群 西大輪砂丘 久喜市西大輪

    国道4号線の利根川橋を渡り、中川低地の河畔砂丘群 西大輪砂丘を訪れた。 埼玉県指定天然記念物 中川低地の河畔砂丘群 西大輪砂丘 指定年月日 平成二十八年三月十五日 所在地 久喜市西大輪 西大輪砂丘は、榛名山や浅間山の火山灰等に由来する大量の砂が、寒冷期の強い季節風により、利根川の旧河道沿いに吹き溜められて形成された内陸性の砂丘である。平安時代から室町時代にかけて形成されたと考えられており、羽生市から越谷市にかけての中川低地に点々と分布する内陸性の河畔砂丘群は、全国的にみても珍しい。 西大輪砂丘は、利根川の旧河道東側に分布する四列からなる大規模な砂丘列であり、東側の二列の規模が特に大きい。東から…

  • 駒塚古墳 古河市中田

    渡良瀬川を渡って茨城県古河市の駒塚古墳を訪れた。古河市によると「利根川・渡良瀬川の流域には多くの古墳があったが、河川改修や耕作によって湮滅(いんめつ)していった。この古墳も耕作によって著しく変形しており、残丘部は長径16.2m、短径11.2m、高さ3.23mである。昭和59年(1984)に墳丘周辺部の発掘調査が行われ、墳丘部の裾をめぐる溝とその外側に外径40mほどの溝を確認した。 内側の溝からは、多量の縄文土器片とともに少量の埴輪片が出土していることから、古墳時代以降に掘削されたものと考えられ、外側にめぐる外径約40mの溝が当古墳の周溝であると推定される。」 史跡 駒塚古墳 風雨や耕作によって…

  • 飯積遺跡 加須市飯積

    板倉町大高嶋の大塚山古墳と稲荷神社古墳から南南東に約2km、利根川左岸の合の川スーパー堤防の下に、古墳時代の村が眠っていると知り訪れた。合の川河川防災センター、合の川防水センターの脇に「飯積(いいずみ)遺跡の地」の碑と、産業遺産として「ゐのくち式両吸込渦巻ポンプ」が展示保存されている。 合の川河川防災センター、合の川防水センター 飯積遺跡の地 飯積遺跡の地 今から1500年前、大洪水を克服し再びよみがえった不屈の村が、ここ合の川スーパー堤防の下に眠っています。 この飯積遺跡は、行田市の埼玉古墳群がつくられた古墳時代(1550年前ごろ)から、都が京都に移った平安時代(1150年前ごろ)までの40…

  • 稲荷神社古墳 板倉町大高嶋

    稲荷神社古墳は、板倉町によると「墳頂部には稲荷神社の社と鳥居が建っている。周堀の一部が確認されているが、墳形は明らかになっていない。おそらく30m前後の古墳になると考えられる。埴輪は僅か1片が見つかっている。石室は浮石質角閃石安山岩の河原石で造られている。築造時期は6世紀後半と考えられる。」 板倉町指定史跡 稲荷神社古墳 (『上毛古墳綜覧』大箇野村第一号墳) 昭和50年4月25日 指定 昭和62年周堀確認調査の結果、円墳であることが確認されています。大きさ等は明らかでありませんが、径約30m、高さ約2mの古墳になると推定されます。 石室の床面には榛名山二ツ岳産出の浮石質角閃石安山岩(河原石)が…

  • 大塚山古墳 板倉町大高嶋

    次に板倉町大高嶋の大塚山古墳と稲荷神社古墳を訪れた。 大塚山古墳は、板倉町によると「墳形は方墳の可能性もあるが、明らかでない。地下レーダー探査の結果、周堀および堅穴式石室の存在が考えられる。時期など詳細なことは確認されてきない。」 板倉町指定史跡 大塚山古墳(大箇野二号墳) 板倉町大字大高嶋1732 昭和50年4月25日指定 大塚山古墳は「上毛古墳総覧」によると円墳とされ、七世紀ごろ築造されたものと考えられています。 墳丘部は直径約7m、高さ約2.5mで、かなり良好な状態で遺されています。 谷田川下流域の古墳群として、六世紀代に岩田の舟山古墳、道明山古墳が築造され、次いで筑波山古墳が築造されま…

  • 松之木古墳 板倉町飯野

    松之木古墳には「板倉町指定史跡 松之木古墳」の碑がたつ。板倉町によると「現在は耕作によって壊滅状態となってしまい墳丘は残っていない。古墳の形は昭和38年の調査では円墳と記されている。埴輪は僅かだが採集されている。築造時期は6世紀後半と考えられる。 」、この後に訪れた大塚山古墳の説明板では「松ノ木古墳(飯野—消滅—)」となっている。 松之木古墳(まつのきこふん) - 板倉町 群馬県邑楽郡板倉町飯野 松之木古墳 古墳探訪記 古墳なう 板倉町「松ノ木古墳」 谷田川と「群馬の水郷」 にほんブログ村

  • 道明山古墳 板倉町岩田

    谷田川左岸の岩田地域で、船山古墳、筑波山古墳に先行する道明山古墳(どうみょうやまこふん)。 板倉町によると「筑波山古墳の東約900mの台地先端に所在する。周堀からの推定では全長39mの前方後円墳。現在、墳丘は後円部を残すだけ。形象、朝顔型、円筒埴輪などの埴輪が多量に採集。築造時期は6世紀後半頃で、谷田川左岸の岩田地区の中では最も古い。」 板倉町指定史跡 道明山古墳(どうみょうやまこふん) 指定 昭和五十年四月二十五日 谷田川の左岸側の台地縁辺に構築された前方後円墳です。現在前方部は壊滅していますが、全長30m、周堀を含めると33m、後円部経 24mになると推定されます。また後円部の現在の高さは…

  • 舟山古墳 板倉町岩田

    筑波山古墳の南西50m、谷田川左岸の低台地縁辺に築造された舟山古墳。 板倉町によると「周堀を含めると87mの全長の前方後円墳。残存部が少ない。」 舟山古墳(ふなやまこふん) - 板倉町 群馬県邑楽郡板倉町岩田 舟山古墳 古墳探訪記 「永明寺古墳保存活用計画(改訂版)」(令和2年5月、羽生市教育委員会)によると「利根川の北に位置する邑楽台地では前方後円墳の板倉町舟山古墳(全長66m)、板倉町筑波山古墳(全長54m)、円墳の館林市渕ノ上古墳(径30m)が存在します。いずれも角閃石安山岩を用いた胴張の横穴式石室を有しており、6世紀後半の築造と推定されています。」 にほんブログ村

  • 筑波山古墳 板倉町岩田

    利根川左岸の古墳巡りの続き。明和町斗合田から谷田川を渡った北側、 谷田川左岸の低台地縁辺に築造された筑波山古墳。板倉町によると「全長53.5mの前方後円墳。墳丘上に筑波山神社を祀る。豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の曾孫御諸別王(みもろわけのおう)を埋葬したとも、藤原小黒麿を埋葬したとも伝わる。昭和8年12月に古墳丘上を社地拡張のため整地のおりに石室より武人の武具一式が出土し、再び埋葬したおりに耕地に災難をこうむることを恐れて霊峰筑波山神社を勧請(かんじょう)・合祀し、以後社名を筑波山神社と改称。」 板倉町指定史跡・重要文化財 筑波山古墳と石室石材および副葬品 【指定日】昭和44年5月29…

  • 2024世田谷区遺跡発掘調査速報展 世田谷区立郷土資料館

    世田谷区立郷土資料館で開催された「2024世田谷区遺跡発掘調査速報展~最新の調査成果から」を鑑賞した。本展は、令和5年度に行った遺跡の発掘・整理調査の成果を、出土品とパネルで紹介。 出品数100点程度祖師谷大道北遺跡第10次調査出土縄文土器六所東遺跡第5次調査出土縄文土器、埴輪下野毛遺跡第17次調査出土縄文土器、埴輪上神明遺跡第7・17次調査出土縄文土器・石器など 会期は6月23日まで。 2024世田谷区遺跡発掘調査速報展~最新の調査成果から(世田谷区立郷土資料館) 世田谷区ホームページ 【写真ニュース5月10日号発行】1面では、等々力渓谷のたけのこ掘りに参加した元気いっぱいの子どもたちの…

  • 斗合田富士塚古墳 明和町斗合田

    次に明和町斗合田(とごうだ)の富士塚古墳を訪れた。長良神社の裏の富士塚。 群馬県邑楽郡明和町 斗合田富士塚古墳 古墳探訪記 文献 [1] 公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 2023 『群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告書717:上江黒遺跡』公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 1 上江黒遺跡, 82 江黒古墳, 2 斗合田稲荷塚遺跡, 7 斗合田富士嶽古墳, 8 斗合田愛宕様古墳, 9 斗合田薬王寺古墳 22年前に行ったことがある。直線状の階段、浅間社・小御嶽・食行の三点セットという北関東ならよく見る構成。当時の写真と比較すると、手すりがついたり階段直したり後ろの木を切ったり整備し…

  • 斗合田愛宕様古墳 明和町斗合田

    次に明和町斗合田(とごうだ)の斗合田愛宕様古墳を訪れた。文献[2]によるとすぐ北に斗合田薬王寺古墳があった。「マッピングぐんま」だと1枚目の写真中央の斗合田集落センターの位置が斗合田薬王寺古墳となっている(現況は宅地)。 明和町の文化財と歴史 群馬県邑楽郡明和町 斗合田愛宕様古墳 古墳探訪記 「明和町の文化財と歴史」によると「斗合田には、斗合田稲荷塚古墳があり、昭和29年7月に群馬大学史学研究室が発掘調査をした結果、7世紀後半、古墳時代末期の横穴式石室を持つ古墳と判明した。古墳内からは盗掘され た残りの品と思われる遺物が発見されていたが、町の開発行為に伴い、令和2年に撤去された。」とのこと…

  • 江黒古墳 明和町上江黒

    利根川左岸の自然堤防上に立地する群馬県明和町の江黒古墳を訪れた。径約10mの円墳。江黒古墳の北西約500mの上江黒遺跡では、2021年の発掘調査で古墳時代の集落の存在がわかった。 明和町指定史跡 江黒古墳 昭和五十六年四月七日指定 所在地 上江黒五五一番地 所有者 長良神社 この古墳は、径約10m、高3mの円墳である。 昭和五十六年に実施した周濠部分の発掘調査により、七世紀後半のものであることが確認されている。 古墳は、三世紀末から七世紀末にかけての期間築造されている。 平成二年九月 明和町教育委員会 麦畑 古代からの悠久の歴史と文化/明和町公式ホームページ 明和町の文化財と歴史 公益財団法人…

  • 東武伊勢崎線のガード 羽生市本川俣

    「気まぐれ散歩in永明寺古墳」の後は、羽生市や加須市の古墳巡りのつもりでいたが、急に利根川対岸(左岸)の古墳が気になり予定変更。ナビは東北自動車道で利根川橋を渡ることを薦めるが、無課金を選択して国道122号の昭和橋を渡るルートを選択。利根川右岸を並走する埼玉用水路沿いの道を西進すると目の前に東武伊勢崎線の煉瓦造の橋台。 東武伊勢崎線の煉瓦構造物 にほんブログ村

  • 御廟塚古墳 羽生市下村君

    御廟塚(みびょうづか)古墳は、「永明寺古墳保存活用計画(改訂版)」(令和2年5月、羽生市教育委員会)によれば「前方後円墳とされるが、未調査で、埋没している部分も多く、その規模は不明。景行天皇55年に東山道15か国の都督に任命されて赴任した豊城入彦(とよきいりひこ)の孫の彦狭島王(ひこさしまおう)が埋葬されたとする伝承が残る」、文献[2]によれば「前方後円墳、馬具、陶棺、天井石民家にあり」、文献[3]によれば「填長推定60m」「 <その他> 古墳の中央を北方用水が通り、南北に分断された。後円部削平、前方部のみ残存、計測不能」「 <主体部>位置:後円部、室:横穴式石室?、乱掘:1880年開墾のため…

  • 稲荷塚古墳 羽生市下村君

    「気まぐれ散歩in永明寺古墳」の前に村君古墳群の稲荷塚古墳と御廟塚(みびょうづか)古墳とを巡った。稲荷塚古墳は 「永明寺古墳保存活用計画(改訂版)」(令和2年5月、羽生市教育委員会)によれば径20mの円墳。文献[1]によれば「円墳、規模不詳、埴輪、墳丘上に鷲宮神社」 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「 埼玉県古墳詳細分布調査報告書 」 37 稲荷塚古墳, 38 永明寺古墳, 40 御廟塚古墳 にほんブログ村

  • 第17回村君あおぞら市場in永明寺 羽生市下村君

    「気まぐれ散歩in永明寺古墳」の前後に、隣の会場で盛り上がっていた「第17回村君あおぞら市場in永明寺」も楽しんだ。焼きそばがなんと200円。 村君公民館 羽生市 村君公民館だより 2024年5月号 いがまんちゃんとムジナもん いがまんちゃん 羽生市 ムジナもん 羽生市 にほんブログ村

  • 気まぐれ散歩in永明寺古墳 羽生市下村君

    永明寺古墳 文化遺産オンライン 5月12日に埼玉県羽生市で開催されたイベント「気まぐれ散歩in永明寺古墳」に参加した。 県指定史跡永明寺古墳(ようめいじこふん)を歩いて、市職員が見どころを紹介。 古墳から出土した実物の埴輪も解説。埴輪は周溝の発掘調査で出土したもの。このイベントは今年で17回目となる「村君あおぞらいちin永明寺」の開催に合わせて実施された。10時からのイベントの前に、付近の古墳と、永明寺古墳を一人でまわって予習した。あとで気がついたが、イベントの参加者が写った写真が一枚もない。 永明寺 ③永明寺古墳(ようめいじこふん) (記念物 史跡 埼玉県指定第540号 平成27年3月13日…

  • 小松1号古墳 羽生市小松

    羽生市の「街の中に古墳があるまち」に紹介されている埋没古墳の小松古墳群の1号墳を訪ねた。埋没古墳なので、現地を訪れても墳丘が見つかるわけではない。墳丘も地面の下に埋まっている。場所は、小松神社の西隣。 1979年の下水道工事中に地表下1.2mから主体部(石室)が発見され小松1号古墳として発掘調査が行われた。石室の棺床面は約3mの深さ、胴張り複室構造の横穴式石室でほぼ南に開口、 床から鉄刀や装身具類が出土。7世紀前葉と考えられる。小松古墳群は、関東造盆地運動での沈降と河川の氾濫土の被覆で、その多くが埋没していると考えられる。文献[2]では「小松古墳、円墳、自然堤防・畑、直刀・鉄鏃・耳環・玉、埋没…

  • 発掘された弥生時代 杉並区立郷土博物館分館

    杉並区立郷土博物館分館で開催された企画展「発掘された弥生時代」を会期終了間際に鑑賞した。また、この日に実施された学芸員による展示解説にも参加した。本展では、大宮遺跡・鎌倉橋上遺跡・方南町峰遺跡群などの発掘調査成果をもとに、弥生時代の生活や葬送について紹介する。杉並区内では、これまで弥生時代の遺跡はあまり注目されていなかったが、近年の発掘調査により、弥生時代を代表する遺構である環濠集落や方形周溝墓が発見され、区内の弥生時代の様子が明らかになってきたとのこと。弥生時代を題材にした展示は区内初。大宮遺跡の方形周溝墓から出土した遺物が一堂にそろうのは発掘調査依頼54年ぶり。 杉並区立郷土博物館|杉並区…

  • 宝塚遺跡 船橋市海神

    海神山緑地の入口に建てられた宝塚遺跡(ほうづかいせき)の説明板。宝塚遺跡は過去の発掘調査で、古墳時代の竪穴建物3、溝1、土師器、軽石、石製模造品(臼玉・未製品・原石)を検出[文献1,2]。市内では初めて砂丘上に遺構を検出[文献1]。 宝塚遺跡(ほうづかいせき、海神3・4丁目) エビゾーくん 祭祀用の製品を作る工房があったんだね 宝塚遺跡は、過去に高坏などの土師器が見つかっており、遺跡があることが分かっていましたが、平成11・12 年に2地点で正式な発掘調査が行われ、古墳時代中期(5世紀)の竪穴住居跡が4軒発見されました。宝塚遺跡周辺の台地は厚い砂に覆われた砂丘であり、竪穴住居跡は、砂を掘りくぼ…

  • 京成本線のガード 船橋市海神

    京成本線の海神駅と京成船橋駅の間の2か所にある煉瓦造のガードを探索。 一つ目のガード 2つ目のガード 京成本線レンガガード(船橋市)2 : Anthology -まちの記憶- 海神駅から海神小学校を訪ねて - Deepランド にほんブログ村

  • 1万年前のタイムカプセル 国史跡取掛西貝塚 飛ノ台史跡公園博物館

    飛ノ台史跡公園博物館(千葉県船橋市)で開催された企画展「1万年前のタイムカプセル 国史跡取掛西貝塚」を会期終了間際に鑑賞した。取掛西貝塚(とりかけにしかいづか)は、船橋市飯山満町1丁目から米ケ崎町にまたがる、標高23〜25mの台地上に立地する縄文時代の遺跡で、東西約500m、面積約76,000㎡(東京ドーム約1.6個分)の範囲に、縄文時代早期前葉(約1万年前)の竪穴住居跡58軒(東京湾東岸部で最も古い貝塚を伴う集落跡で、この時期の関東最大規模の集落跡)と、シカのツノやイノシシの頭蓋骨を並べた跡(動物骨集中、儀礼の跡だとすれば日本最古)、貝塚からは貝殻、動物・魚の骨(食べ物)、土器・石器(生活の…

  • 玉川西陸閘・東陸閘 世田谷区玉川

    東急の二子玉川駅前に残る多摩川旧堤防に設けられた玉川西陸閘(りっこう)と玉川東陸閘を訪ねた。 北区豊島5丁目の隅田川旧防潮堤は「後世に伝えるためにその一部を保存した」モニュメントだが、こちらの堤防と陸閘は現役バリバリ。 玉川東陸閘 玉川西陸閘 二子玉川ライズ ガレリア 【二子玉川 水辺まちづくりレポート】⑧多摩川旧堤防・玉川陸閘(りっこう)の閉鎖訓練(2021/5/10)レポート - futakoloco 【二子玉川 水辺まちづくりレポート】今年も多摩川旧堤防・玉川陸閘(りっこう)の閉鎖訓練(2023/5/23)が行われました - futakoloco 世田谷区玉川 玉川西陸閘が稼働しています…

  • 隅田川旧防潮堤 北区豊島

    北区豊島5丁目に保存された「隅田川旧防潮堤」を訪ねた。このタイプのコンクリートによる堤防を「カミソリ堤防」と呼ぶそうだ。この辺りは両岸がスーパー堤防として整備されている。 隅田川旧防潮堤 隅田川の下流部一帯は海抜ゼロメートル以下の地域が広がっています。このため東京都では、高潮や洪水の対策として昭和三十二年から隅田川のコンクリート防潮堤建設に着手し、昭和五十年に概成しました。高潮や洪水に対する危険は大幅に減少しましたが、隅田川とまちは分断されてしまい、河川から都民を遠ざける結果を招いてしまいました。 現在は、高潮や洪水に対し、より安全性が高く、都民が河川と親しめる潤いのある、水辺環境に配慮した堤…

  • 長南町郷土資料館と寛永寺の石燈籠

    米満横穴墓群の探索の前に長南町郷土資料館に立ち寄った。米満横穴墓群出土の玉類、耳管、鉄鏃、須恵器などを展示。その他、能満寺古墳と能満寺裏遺跡の展示、根畑遺跡出土子持勾玉など見どころ豊富。 長南町郷土資料館 寛永寺の石燈籠 寛永寺の石灯籠 (寄贈 東京都 田中康弘氏) この石灯籠は、徳川将軍家の菩提寺・東京上野の寛永寺に建てられていたもので、高さは一丈(約3m)を測ります。 昭和27(1957)年に寛永寺から田中泉氏が譲り受け、平成18(2006)年に当館に寄贈されました。 銘文にある「文恭院殿」とは江戸幕府第十一代将軍家斉(1773〜1841)の法名であり家斉の死去に際し、天保12(1841)…

  • 米満横穴墓群Ⅳ-1,2小支群 長南町米満

    米満横穴墓群の続き。 横穴墓を探索する探検隊。 米満横穴墓群Ⅳ-1小支群の1基目 米満横穴墓群Ⅳ-1小支群の2基目 米満横穴墓群Ⅳ-2小支群の1基目 米満横穴墓群Ⅳ-2小支群の2基目 今回の米満横穴墓群の探索はここまで にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅲ-2支群 長南町米満

    次にすぐ南の長南町の米満(よねみち)横穴墓群に移動。米満横穴墓群は、太平洋に注ぐ一宮川水系三途川北岸の丘陵斜面に展開する県内最大規模の横穴墓群。ちば情報マップでは「7群140基。平成9年に町道改良工事に伴う発掘調査を実施、横穴墓10基・塚10基を調査。」 あいにく雨が降ったり止んだりの天気で、足場も滑りやすくなっていたため、米満横穴墓群Ⅲ-2支群の1基にターゲットを絞って探索。案内されれるがままに予備知識なしでいったので、理解が追いつかなかった。 豊栄神社 尾根上の塚 米満横穴墓群Ⅲ-2支群の1基 隣の1基 菜の花 横穴墓10基・塚10基が調査された町道 2023.1.21 千葉の横穴アドベン…

  • 徳増下谷横穴墓群(その3) 長柄町徳増

    徳増下谷横穴墓群の探索の続き。 徳増下谷横穴墓群(仮)6号墓? 徳増下谷横穴墓群(仮)7号墓? 徳増下谷横穴墓群(仮)8号墓? 徳増下谷横穴墓群(仮)9号墓? 徳増下谷横穴墓群(仮)10号墓? この先は断念して引き返した にほんブログ村

  • 徳増下谷横穴墓群(その2) 長柄町徳増

    徳増下谷横穴墓群の探索の続き。 徳増下谷横穴墓群(仮)4号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)5号墓 徳増下谷横穴墓群【千葉県長柄町】長柄横穴墓群南側の尾根に残るのがこちらの横穴墓群です。未整備かつ無名ながら、国指定史跡である長柄横穴墓群にも引けを取らない素晴らしい横穴墓の数々。内部は家形をしたものが多い印象でした。中には側壁に複室?の付く特徴的な横穴墓(3枚目)も。 pic.twitter.com/QlogQSc8M0 — ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2024年4月6日 にほんブログ村

  • 徳増下谷横穴墓群(その1) 長柄町徳増

    史跡長柄横穴墓群資料館の南側に位置する徳増下谷横穴墓群を探索。長柄町の遺跡番号149の「横穴墓 12基」で、東からアプローチした順番に1〜12号墓と仮に呼称する。 徳増下谷横穴墓群(仮)2号墓(左)と(仮)1号墓(右) 徳増下谷横穴墓群(仮)1号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)2号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)3号墓 埋蔵文化財 - 長柄町 徳増下谷横穴墓群【千葉県長柄町】長柄横穴墓群南側の尾根に残るのがこちらの横穴墓群です。未整備かつ無名ながら、国指定史跡である長柄横穴墓群にも引けを取らない素晴らしい横穴墓の数々。内部は家形をしたものが多い印象でした。中には側壁に複室?の付く特徴的な横穴墓(3枚目)も…

  • 長柄横穴墓群(その9) 長柄町徳増

    最後に長柄横穴墓群の第2支群の第35号墓を探索。尾根沿いに幾つかの塚を経由。 長柄横穴墓群第35号墓、南西に開口、家形、文献[1] タンポポの在来種 【タンポポの見分け方】日本で見られる代表的なタンポポは、二ホンタンポポ(在来種)とセイヨウタンポポ(外来種)、さらにその雑種もあるといいます。最大の違いは花のつけ根にある総苞片(そうほうへん)の形。見つけたら観察してみるのはいかがでしょうか。https://t.co/eFkO53Y9ZD pic.twitter.com/lJeOeoFvRa — ウェザーニュース (@wni_jp) 2024年4月20日 文献 [1] 財団法人千葉県文化財センター…

  • 長柄横穴墓群(その8) 長柄町徳増

    長柄横穴墓群の第2支群の第6小支群(第26,25号墓)と第5小支群(第24,23,22号墓)の5基。 長柄横穴墓群第26号墓、南東に開口、家形、文献[1] 長柄横穴墓群第25号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第24号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第23号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座3、文献[1] 長柄横穴墓群第22号墓、南南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄町長柄横穴群第2支群第5小支群: 埼群古墳館別館 長柄町長柄横穴群第2支群第6小支群: 埼群古墳館別館 文献 [1] 財団法人千葉県文化財センター 1994 『千葉県文化財センター調…

  • 長柄横穴墓群(その7) 長柄町徳増

    長柄横穴墓群の第2支群の第7小支群(第30,29,28,27号墓)の4基。 長柄横穴墓群第30号墓、東南東に開口、ドーム形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第29号墓、東南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第28号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座3、文献[1] 長柄横穴墓群第27号墓、東南東に開口、蒲鉾形、棺座3、文献[1] 長柄町長柄横穴群第2支群第7小支群: 埼群古墳館別館 文献 [1] 財団法人千葉県文化財センター 1994 『千葉県文化財センター調査報告259:長柄町横穴群徳増支群発掘調査報告書』財団法人千葉県文化財センター にほんブログ村

  • 長柄横穴墓群(その6) 長柄町徳増

    史跡長柄横穴墓群資料館の西側の整備された第1支群(4小支群、21基)を見学後、資料館の東側の整備されていない第2支群(5小支群、15基)を南西の第34墓(第9小支群)から北東の第22墓(第5小支群)へと逆順に探索。 長柄横穴墓群の第2支群の第9小支群(第34,33号墓)と第8小支群(第32,31号墓)の4基。 長柄横穴墓群第34号墓、南南東に開口、家形、棺座4、文献[1] 長柄横穴墓群第33号墓、南南東に開口、家形、棺座4、文献[1] 長柄横穴墓群第32号墓、東南東に開口、家形、文献[1] 長柄横穴墓群第31号墓、東南東に開口、蒲鉾形、文献[1] 長柄町長柄横穴群第2支群第8・9小支群: 埼群…

  • 長柄横穴墓群(その5) 長柄町徳増

    長柄横穴墓群の第1支群の第1小支群(第1〜4号墓)の4基。 第1小支群 第1小支群は、第1〜4号墓の4基の横穴墓があります。 長柄横穴墓群第1号墓、南西に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第2号墓、南に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第3号墓、南東に開口、横アーチ型、棺座1、見学不可 長柄横穴墓群第4号墓、南東に開口、寄棟型、棺座2 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第1小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村

  • 長柄横穴墓群(その4) 長柄町徳増

    長柄横穴墓群の第1支群の第4小支群(第18〜21号墓)の4基。 長柄横穴墓群第18号墓、南南東に開口、縦アーチ型、棺座1、見学不可 長柄横穴墓群第19号墓、南東に開口、縦アーチ型、棺座2 長柄横穴墓群第20号墓、南南東に開口、縦アーチ型、棺座1 長柄横穴墓群第21号墓、南南東に開口、縦アーチ型、棺座1、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第4小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村

  • 長柄横穴墓群(その3) 長柄町徳増

    長柄横穴墓群の第1支群の第3小支群(第13〜17号墓)の5基。 第3小支群 第3小支群は、第13〜17号墓の5基の横穴墓があります。特に、第13号墓の玄室には、線刻画が描かれています。 線刻画とは?線刻画は、壁に尖ったもので線を刻んで絵を描いたものです。 長柄横穴墓群第13号墓、南西に開口、縦アーチ型、棺座3、線刻画、見学不可 長柄横穴墓群第14号墓、南南西に開口、ドーム型、棺座1 長柄横穴墓群第15号墓、南南東に開口、寄棟型、棺座4 長柄横穴墓群第16号墓、南に開口、寄棟型、棺座4 長柄横穴墓群第17号墓、南に開口、寄棟型、棺座3、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群…

  • 長柄横穴墓群(その2) 長柄町徳増

    長柄横穴墓群の第1支群の第2小支群(第5〜12号墓)の8基の続き。 長柄横穴墓群第8号墓、南西に開口、縦アーチ型、棺座3 長柄横穴墓群第9号墓、南に開口、縦アーチ型、棺座2、見学不可 長柄横穴墓群第10号墓、南に開口、寄棟型、棺座3、見学不可 長柄横穴墓群第11号墓、南に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第12号墓、南東に開口、切妻型、棺座2、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第2小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村

  • 長柄横穴墓群(その1) 長柄町徳増

    春の桜が咲く頃、誘われて、房総半島のほぼ中央に位置する長柄(ながら)町の長柄横穴墓群と長南(ちょうなん)町の米満横穴墓群を探索した。この地域は、太平洋に注ぐ一宮川の上流にあたり、複雑に開析された入り組んだ谷津が多く、笠森層とよばれる暗青色の凝灰質砂岩層が分布し、横穴墓が集中する。また、この地方には上総地方に特徴的な「高檀式(こうだんしき)」とよばれる羨道と玄室の高さが著しく差のある特有の形態の横穴墓が多い。 長柄横穴墓群は、1980年に16基が長柄町横穴群徳増(とくます)支群として県指定史跡となり、1993年に千葉県教育委員会が重要遺跡確認調査を実施(文献[1])、1995年に35基が国の史跡…

  • 橘花屯倉ミニシンポジウム 川崎市高津市民館

    ゴールデンウィーク初日(4月27日)に溝の口駅前の商業ビル最上階(12階)の高津市民館大会議室で開催された川崎市制100周年記念事業、令和6年度橘樹官衙遺跡群保存活用事業として開催された「橘花屯倉ミニシンポジウム-橘樹官衙遺跡群成立の前段階-」に参加(聴講)した。会場の参加者が約200名、オンラインの参加者が約80名と盛況。司会は三舟隆之氏。 川崎市初の国史跡である橘樹官衙遺跡群が成立する前段階の「橘花屯倉(たちばなみやけ)」をテーマとしたミニシンポジウムで、7件の発表とパネルディスカッションの構成。4月16日の川崎市長定例記者会見で、橘樹歴史公園の5月18日オープンが発表された。川崎市は、橘…

  • 狐塚古墳と八幡塚古墳 (再訪) 世田谷区尾山台

    御岳山古墳から、狐塚古墳を経て、八幡塚古墳のある宇佐神社を再訪した。 狐塚古墳 世田谷区立狐塚古墳緑地 狐塚古墳(きつねづかこふん) 世田谷区は、この狐塚古墳を後世に残すため、 区立公園として整備・保全いたしました。公園全体が古墳の一部となっておりますので大切に保全、利用していただきますようお願い致します。 狐塚古墳は、多摩川に面した国分寺崖線の台地先端部に造られた古墳時代中期後期(5世紀後半)の古墳です。 この地域は多摩川に向かって突き出した台地と小さな谷が交互に連続する地形が特徴で、この台地上には南武蔵の首長墓(古墳)が、5世紀から6世紀にかけての古墳時代中ごろに連続して造営され、これらは…

  • 等々力不動尊と御岳山古墳 (再訪) 世田谷区等々力

    「古墳散策ツアー」後に野毛大塚古墳から等々力渓谷の神変窟、等々力不動尊を経て、御岳山古墳を再訪した。満願寺所蔵で通常非公開の御岳山古墳出土の七鈴鏡(東京都指定文化財)は、いつかどこかで公開されないかな。1950年(昭和25年)に学習院大学が実施した御岳山古墳後円部墳頂の埋葬施設の調査は、調査に参加した学習院輔仁会高等科史学部2年生堀田正祥(当時16歳、後の尾張徳川家第21代当主徳川義宣、徳川美術館館長)氏の47年後の報告(文献[1])で当時の様子がうかがえる。 等々力渓谷 東京都指定名勝 等々力渓谷(とどろきけいこく) 所在地 世田谷区等々力2丁目外 指定 平成11年3月3日 等々力渓谷は、国…

  • 古墳散策ツアー 世田谷区野毛

    3月30日の玉川野毛町公園拡張予定地一部開園イベントで開催された「古墳散策ツアー」に参加した。野毛大塚古墳の約1/150の縮尺の復元模型で、野毛大塚古墳の概要を、野毛大塚の墳頂に登り、4つの埋葬施設と埋葬遺物について説明していただいた。埋葬順は第1,3,2,4主体部の順。第2主体部は明治時代に地元の若者が掘って、副葬品と人骨を見つけた。副葬品は東京国立博物館に収蔵。第1主体部は粘土槨の竹割形木棺。木棺の上の中央に漆塗の竪櫛が置かれていた。長さ8mの木棺と甲冑などの武器類が被葬者の権力の大きさを示す。鎧は皮留めで古式。第3主体部は鉄鏃280本と刀32本を副葬。また、墳頂から眼下を眺め、2017年…

  • 煉瓦造の蔵 (その2 湮滅) 北区豊島

    北区豊島の煉瓦蔵に足場が組まれているとXのポストで見つけて、2つある北区豊島の煉瓦蔵を確認したら、4年前に鍰煉瓦(からみれんが)を探していて見つけた煉瓦蔵のあるお宅で建替え工事が始まっていた。その時は煉瓦蔵と煉瓦塀は無傷で、敷地の建物がなくなっていた。翌週、再訪したら、屋根瓦が降ろされ、雨樋がもげていた。翌々週には更地になっていた。 翌週、再訪 翌々週には更地になってた。最後に残った煉瓦塀も翌日には取り壊されていた。 北区豊島には立派な煉瓦蔵がありましたが今はもう足場が組まれてしまいそろそろ解体されそうです😭 pic.twitter.com/PBV5FdN8mL — たくあん (@takuan…

  • 多摩の“なんで!?”な出土品 東京都埋蔵文化財センター

    3月20日から東京都埋蔵文化財センターで開催中の新年度の展示「多摩の“なんで!?”な出土品」を鑑賞した。普段の展示では調査で分かったことを紹介するが、分からないことも多く残るのが考古学。本展ではまだ答えの出ていない「なんで!?」に焦点を当てる。取り上げるのは、石器の大きさの違い、土器の大・小(ミニチュア土器)、自立しない土器、現代の道具とそっくりな土器、有孔鍔付土器、いきもの表現(人面・十獣面把手、土偶・動物型土製品)など。 【明日から新展示開始】3/8から休館していた当館ですが、明日から開館、そして新年度の展示「多摩の“なんで!?”な出土品」がはじまります!今まさに設営作業のラストスパートで…

  • 多摩ニュータウンNo.313遺跡1号横穴墓 町田市小山ヶ丘

    三ツ目山公園に移築復元された多摩ニュータウンNo.313遺跡1号横穴墓(久保ヶ谷戸横穴墓)を見学した。多摩ニュータウン地域とその周辺からは12群46基の横穴墓が発見されている。横穴墓は群集して複数基が築かれることが通常だが、No.313遺跡1号横穴墓は1基のみ単独で、墓室に通じる通路状の平坦部分(前庭部)は長さ19mと全国でも最大級の規模、前庭部奥壁全面と両側壁の一部に河原石を積み上げ、積み上げた石は総数945点、総重量約5.2t、羨門は柱状の切石が組まれ、扉はしっかり塞がれた状態で未盗掘、前庭部からは静岡県湖西窯産の須恵器の大窯とフラスコ形瓶、直刀、六窓鍔、鉄鏃が出土、墓室からは人骨片と刀子…

  • 再発見!!あつぎの古墳 あつぎ郷土博物館

    あつぎ郷土博物館で、3月2日から24日日まで開催された令和五年あつぎの遺跡展「再発見!!あつぎの古墳」を最終日に鑑賞した。本展は、厚木秦野道路の建設工事に伴い発掘調査が行われた古墳(及川伊勢宮遺跡・中依知遺跡群)の発掘調査と最新の研究の成果などを紹介。また、ぼうさいの丘公園の“季節の丘”の地下に眠るホウダイヤマ1号墳(前方後円墳、全長65m、4世紀後半)出土の壺を展示して、壷を焼く前に開けた三角形の穴が、吉備(岡山県)の特殊器台の丸や三角の穴など、西日本の文化が遠く相模国に伝わったことを示す貴重な資料とする。 【「~再発見!!あつぎの古墳~」 開催】今年のあつぎの遺跡展では、財団で発掘し新たに…

  • 当麻谷原古墳群(8,9号墳) 相模原市南区当麻

    田名向原遺跡公園と相模原ポンプ場の間に分布する当麻谷原8号墳と9号墳を探索。 当麻谷原8号墳 当麻谷原9号墳? 庚申塔と椿 マムシに注意 春の花 相模原市当麻谷原古墳群 趣味の案件 古墳なう 「当麻谷原古墳群」その1 にほんブログ村

  • 当麻谷原古墳群(1,3,4号墳) 相模原市南区当麻

    相模原ポンプ場に保存されている当麻谷原古墳群の3基の古墳(1,3,4号墳)を見学した。 当麻谷原古墳 見学位置 当麻谷原1号墳 当麻谷原3号墳 金山神社 当麻谷原4号墳 当麻谷原古墳について 相模川に臨むここ谷原から塩田にかけての台地上に、かって10数基の古墳がありました。 昭和34年5月に、文化財保護委員等が、この中の1号墳を調査したところ、遺体を安置した横穴式石室から人骨と直刀、鉄鏃、金環、玉類が発見され、相模原の歴史と文化を知る上できわめて貴重なものであることがわかり、昭和35年2月16日この1号墳は相模原市の史跡に指定されました。 昭和44年、神奈川県内の水道確保の目的から、この地にポ…

  • 遺跡の宝庫さがみはら 旧石器ハテナ館

    相模原市の旧石器ハテナ館でミニ展示「遺跡の宝庫さがみはら〜実はあるんだ弥生時代〜」とミニ展示「今月はこの逸品!考古市宝展」と常設展示を鑑賞した。旧石器ハテナ館は全国的にも数少ない旧石器時代をテーマにした施設で、正式名称は史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館。約2万年前(旧石器時代)の建物の跡「住居状遺構」のレプリカのある史跡田名向原遺跡公園と県道48号線を挟んだ向かい側にある。 相模原市には500以上の遺跡があるが、弥生時代は遺跡の数も少なく、あまり知られていない。ミニ展示「遺跡の宝庫さがみはら~実はあるんだ弥生時代~」では、神奈川県指定重要文化財(考古学)の津久井郡三ケ木(みかげ)遺跡出土品と相…

  • 谷原古墳群(12,13,14号墳) 相模原市中央区田名塩田

    史跡田名向原遺跡公園で、復元された谷原12号墳と保存された谷原13,14号墳を見学。 谷原12号墳(復元) 谷原12号墳(復元) 平成6年3月、遺跡公園の北方約60メートルの地点で発掘された約1,400年前の古墳時代後期の小型円墳を復元したものです。 古墳の石室(埋葬者の棺を納める場所)からは、直刀(反りのないまっすぐな刀)や鏃(矢の先端)などの武具や、装身具(アクセサリー)の切子玉などが発見されました。 田名塩田から当麻谷原にかけて確認される10数基の古墳は、谷原古墳群と総称され、公園内に2基(谷原13号墳、14号墳)が保存されています。 谷原14号墳(位置表示) 谷原13号墳(位置表示) …

  • 田名向原遺跡 相模原市中央区田名塩田

    田名向原遺跡公園で、後期旧石器時代の約2万年前の住居跡と考えられる遺構(レプリカ)を見学した。 日本で唯一、2万年前の住居状遺構 住居状遺構(復元) 平成9年3月に発見された約20,000年前の後期旧石器時代の住居跡と考えられる遺構(痕跡)を復元したものです。 礫群(小石が集中している場所)や石核(石器の素材をはがし取った石)などによって直径約10メートルの外周をめぐらした範囲から、2ヶ所の炉(火をたいた場所)や12本の柱穴の跡が確認されました。 加えて約3,000点もの石器類が発見されたことから、人類定住の可能性を示す遺構として注目され、平成11年1月28日に国の史跡として指定されました。 …

  • 宗隆寺古墳群 (再訪) 川崎市高津区溝口

    宗隆寺古墳群を再訪した。宗隆寺の墓所から宗隆寺古墳群への登り口は施錠されていた。 にほんブログ村

  • 間際根横穴墓群 川崎市高津区新作

    影向寺の北方約800mの沖積地にむかって東方に張り出した丘陵先端部に位置する間際根(まぎわね)横穴墓群は、文献[1]によれば、急傾斜地崩壊対策工事が契機となり、1984,85年(昭和59,60年)に7基の横穴墓を調査、また調査区域外にも1基を確認、標高19m〜22m、幅55mの範囲に凝灰岩層を掘削して2段に造営。 カメさんと遺跡 川崎の古墳15 間際根横穴墓群 文献 [1] 田村良照 1994 「川崎市間際根横穴墓群」『第1回考古学講座ー横穴墓とは何か』神奈川県考古学会 [2] 間際根横穴墓群発掘調査団 2002 『神奈川県川崎市高津区間際根横穴墓群第3地点発掘調査報告書』間際根横穴墓群発掘調…

  • たちばなふれあいの森 高津区野川

    たちばなふれあいの森(高津区市民健康の森)を散策。 高津区市民健康の森を育てる会 にほんブログ村

  • 影向寺 (再訪) 川崎市宮前区野川本町

    影向寺を再訪したら、太子堂の位置が変わっていて驚いた。さらに移転先が2017年6月に参加した現地説明会の発掘調査の場所だったので2度驚いた。 影向石 移転前の太子堂(2022年3月撮影) 川崎市教育委員会:影向寺 \おかえり聖徳太子像 その1/宮前区の #影向寺 には、大工や畳屋などの職人さんたちがつくる太子講が発願した聖徳太子堂があり、聖徳太子像が祀られています市重要歴史記念物の聖徳太子像と、厨子の修理が終わり、安置作業が行われましたhttps://t.co/vv4MO8NPZ0 pic.twitter.com/kAccwlbc05 — 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) …

  • 橘樹官衙遺跡群 (再訪) 川崎市高津区千年

    史跡公園の整備中の橘樹官衙遺跡群の橘樹郡家[郡衙]跡 (千年伊勢山台遺跡)を再訪。飛鳥時代の復元倉庫はすでに完成していて、芝の養生中で、5月にオープン予定。 #史跡橘樹官衙遺跡群 飛鳥時代の #復元倉庫 は完成間近!建物の新築・修築の記録・記念に、関係者や建築年月日を記し、屋根裏の高所に取り付ける #棟札 を作成しました✨板の繊維にチョークの粉を入れこむことで文字がにじみにくくなると聞いて実践中… pic.twitter.com/QVLX2ELImP — 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) 2024年1月12日 \ #史跡橘樹官衙遺跡群 の復元倉庫に #棟札 を取り付け!/#…

  • 橘樹学連続講座「橘樹官衙遺跡群成立前夜の古墳」(3/16) 川崎市高津区役所橘出張所

    3月16日に川崎市高津区役所橘出張所2階大会議室で開催され令和5年度 第3回橘樹学連続講座 古代橘樹を知り、活用する!! 「橘樹官衙遺跡群成立 前夜の古墳」に参加(聴講)した。「橘樹学」は、古代の役所跡や寺院跡が発見されている川崎市初の国史跡である橘樹官衙遺跡群に関連した内容をテーマに講義を行う講座で、今回は、青木敬氏(國學院大學文学部教授)・小林孝秀氏(専修大学文学部准教授)・新井悟(教育委員会事務局文化財課学芸員)を講師とし、橘樹官衙遺跡群成立前夜の「古墳」について取り上げ、どのような経緯で古代の役所を橘樹という地に設置したのか知り、古代をより身近に感じる機会として開催された。定員の倍の応…

  • 古墳時代の謎の木の道具たち 木更津市郷土博物館金のすず

    木更津市郷土博物館金のすずで開催中の春の企画展「古墳時代の謎の木の道具たち」を鑑賞した。本展では、菅生(すごう)遺跡と松面(まつめん)古墳周溝から出土した古墳時代の木製品などを紹介する。菅生遺跡は自然堤防上に位置した遺跡で旧小櫃川の流路変更の工事に伴う発掘調査で確認された幅1.8〜5mの大溝から多量の木製品(鍬・鋤・砧・槌といった農工具や弓、琴など)が出土。松面古墳は古墳時代終末期(7世紀前半)の方墳。2014年度の発掘調査で、墳丘は一辺約45m、二重周溝を含めると約84mで千葉県で3番目の大きさの方墳と判明。古墳内側周溝の墳丘側端部で横倒しになった修羅(しゅら)の一部が出土。修羅は大きな石な…

  • 久保平賀古墳 松戸市小金きよしヶ丘

    藤花塚公園の一画に保存されている久保平賀古墳。教育委員会の標柱が立つ。文献[1]では、「円墳、径16.5m、遺存度◯」 久保平賀古墳 墳頂部は後世の攪乱によって変形が著しい。昭和初期に東大で発掘調査を行なつたが明確な内部主体は見られず、わずかに土師器片が出土したに過ぎなかつたという。 平成11年3月 松戸市教育委員会 玉屋(小金宿の旅籠) 鈴木家 此処の街道は水戸街道で有名であるが、成田街道でもあり旅籠が多く鈴木家は代々惣右衛門を名乗り、玉家の屋号で徳川時代後期の旅籠の原形を留めている。 当時の小金では鈴木、月見里、綿貫、湯浅、芦田、安蒜、大熊、が役職に従事していたが、未だ姓は現存している。 …

  • 流山ガード 松戸市上総内

    小金1号墳の近くのJR常磐緩行線の流山ガード。手前の煉瓦造の部分は、1896年(明治29年)に日本鉄道が土浦線(田端-土浦間)を開業したときの橋台で、奥が、1913年(大正2年)に馬橋-北小金間を複線化したときに増設された部分。 にほんブログ村

  • 小金1号墳 松戸市小金

    取手市埋蔵文化財センターの企画展を鑑賞する前に松戸市で古墳巡り。最初に訪れたのは小金1号墳。松戸市立博物館の2017年の企画展のパネルによれば「市の北部に位置する小金古墳群は、かつて前方後円墳1基、円墳6基が存在」していたとされ「現存するのは、1号墳のみ」「径23mの円墳」「埴輪が採集」「北武蔵の埴輪との関係」が指摘され「6世紀初頭から前半頃の時期」が考えられるとのこと。同展では、小金1号墳出土の円筒埴輪を展示。 小金宿 小金宿 小金地域は約3万年前の旧石器時代にはすでに人が住み、約6千年前の縄文時代には、当時の人たちが緑豊かな台地で暮らした大きな集落があったことが幸田貝塚から推測されます。 …

  • 中妻貝塚 取手市小文間

    取手市埋蔵文化財センターで企画展を鑑賞していたら、この日は11時と14時に展示解説があると知り、少し時間があったので、その間に、中妻貝塚を訪れた。文献[3]で、縄文時代後晩期の多数合葬・複葬例として中妻貝塚の事例が紹介されている。 市指定史跡 中妻貝塚(なかつまかいづか) 中妻貝塚は、小貝川から広がる沖積低地を望む標高約23メートルの台地上に位置します。貝塚の規模は、推定直経約150メートルの範囲におよび、縄文時代後期から晩期にかけて形成された厚さ1〜2メートの貝層からなる利根川流域最大の環状貝塚です。 中妻貝塚は、古くからその存在を知られており、大正三年(1914)の東京人類学会による遠足会…

  • 「祈りのかたち-出土品から見る先史時代の祭祀-」 取手市埋蔵文化財センター

    取手市埋蔵文化財センターで開催中の第52回企画展「祈りのかたち-出土品から見る先史時代の祭祀-」を鑑賞した。写真撮影はNGだったので撮影はせず。職員による展示解説に参加した。本展は、市内遺跡発掘調査の出土品のなかから、祭祀遺物にスポットをあて、先史時代に生きた人びとの精神性や生活のすがたを紹介する。縄文時代では、中妻貝塚や神明遺跡出土の土偶、ミニチュア土器、注口土器、西方貝塚出土の有孔鉢型土器、石棒などを展示。古墳時代では、糠塚1号墳・3号墳出土の朝顔型埴輪・人物埴輪・盾型埴輪・鶏型埴輪・須恵器(平瓶)、市之代3号墳出土の朝顔型埴輪・人物埴輪・馬型埴輪・埴輪棺(円筒埴輪)、仏島山古墳出土(延命…

  • 千本塚古墳 旭市鏑木

    鏑木古墳群の続き。千本塚古墳。 にほんブログ村

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