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  • さまざまな人物埴輪 明治大学博物館

    明治大学博物館の考古部門のミニ展示、明大コレクション59「さまざまな人物埴輪」を鑑賞した。明治大学博物館が所蔵する関東地方の人物埴輪を展示。化粧や服の彩色、さらに特殊な方法で作られた埴輪など、ちょっとマニアックな視点も交えて紹介。 出展資料一覧 赤い水玉模様の服を着た男子埴輪 茨城県小美玉市玉里舟塚古墳 笑う男子埴輪(レプリカ)茨城県小美玉市玉里舟塚古墳(原品は茨城県立歴史館蔵) 縞模様が描かれた人物埴輪の足 茨城県小美玉市玉里舟塚古墳 右手を上げる女子埴輪(レプリカ)伝埼玉県本庄市(原品はイギリス・大英博物館蔵) 武人埴輪の足 茨城県小美玉市玉里舟塚古墳 上下別々に作られた武人埴輪の上半身(…

  • 「袖ケ浦古墳大辞典~袖ケ浦の古墳時代~」 袖ケ浦市郷土博物館

    袖ケ浦市郷土博物館で開催中の袖ケ浦の古墳時代をテーマとした企画展「袖ケ浦古墳大辞典~袖ケ浦の古墳時代~」を鑑賞した。袖ケ浦市内には516を数える遺跡と572基の古墳が存在するとのこと。本展では、近年までに発掘調査を実施した袖ケ浦市内の古墳や、古墳群を主に紹介する。会期は12月8日まで。 郷土博物館企画展「袖ケ浦古墳大辞典~袖ケ浦の古墳時代~」開催します - 袖ケ浦市公式ホームページ 郷土博物館 企画展II「袖ケ浦古墳大辞典~袖ケ浦の古墳時代~」 マイ広報紙 企画展「袖ケ浦古墳大辞典~袖ケ浦の古墳時代~」袖ケ浦市郷土博物館 10/5〜12/8 https://t.co/vW2hsvTCu1 …

  • 旧鉄道連隊材料廠煉瓦建築 千葉経済大学

    千葉経済大学総合図書館で企画展を鑑賞後、旧鉄道連隊材料廠煉瓦建築を見学。 千葉県指定有形文化財 旧鉄道連隊材料廠煉瓦建築 この煉瓦建築は、明治四十一年、鉄道聯隊材料廠の機関車の修理工場として建築されたもので、その後昭和二十年旧日本国有鉄道が大蔵省から借り受けて、レール等の修理工場として使用、昭和六十年から千葉経済学園の所有となったものである。 千葉県内に数少い明治年間創建の大規模な煉瓦建築の一つであり、特に内部の東西方向に二列に連った十連の雄大なアーチ構造は、全国的にも他に比類がなく、この建物の主な特色となっている。 従って、我が国明治期の煉瓦建物構造を知る上で極めて重要であり、近代建築史及び…

  • 六本木クラブの煉瓦塀 港区六本木

    JFEホールディングス六本木クラブの煉瓦塀。 永坂 永坂 ながさか 麻布台上から十番へ下る長い坂であったためという。長坂氏が付近に住んでいたともいうが、 その確証はえられていない。 駐車場の煉瓦塀 六本木ヒルズ森タワー にほんブログ村

  • 白鳥橋の都電遺構公開 (10/15,16) 文京区水道

    10月15日、16日に開催された白鳥橋の都電遺構公開に参加した。東京都建設局施行の「神田川整備工事(その43)その2」において、神田川に架かる白鳥橋の舗装を撤去したところ、都電の遺構である敷石とレール(複線分)が発見された。発見されたのは早稲田から厩橋間を走っていた都電39系統の遺構。1968年(昭和43年)9月29日に廃止されたので56年ぶり。 神田川白鳥橋で発見された都電の遺構を公開|東京都 【都電遺構の公開について】東京都建設局施行の工事において、神田川に架かる白鳥橋の舗装を撤去したところ、都電の遺構が発見されました。発見された遺構を公開します。詳細は、以下URLからご確認ください。ht…

  • 特別展「はにわ」 東京国立博物館

    東京国立博物館で10月16日から開催された特別展「はにわ」を初日に鑑賞した。 挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」/Special Exhibition Celebrating the 50th Anniversary of the Designation of the Warrior in Keikō Armor as a National Treasure Haniwa: Tomb Sculptures of Japan /史上初!国宝 #挂甲の武人 とその仲間5体勢揃い!\本日発表!今秋開催の #はにわ展 では、埴輪として初めて国宝となった「埴輪 挂甲の武人」が登場!… p…

  • 柳の井戸 港区元麻布

    東京の名湧水57選の「柳の井戸」 柳の井戸 自然に地下から湧き出る清水である。 東京の市街地ではこのような泉が比較的少ないためか、古くから有名で、弘法大師が鹿島の神に祈願をこめ、手に持っていた錫杖を地面に突きたてたところ、たちまち噴出したものだとか、ある聖人が柳の枝を用いて掘ったものであるとか、信仰的な伝説が語りつがれてきた。 とくに現在のわれわれとしては、大正十二年の関東大震災や昭和二十年の空襲による大火災の際に、この良質な水がどれほど一般区民の困苦を救ったかを心にとどめ、保存と利用にいっそうの関心をはらうべきも のと思われる。 昭和四十九年一月(平成二十六年十二月建替) 港区教育委員会 東…

  • 学び舎に残る歴史〜煉瓦棟と千葉の戦跡〜 千葉経済大学総合図書館

    千葉経済大学総合図書館で開催中の企画展「学び舎に残る歴史〜煉瓦棟と千葉の戦跡〜」を鑑賞した。開催当初は8月23日までの予定だったが、好評につき10月31日まで延長された。会期中に希望すれば、旧鉄道連隊材料廠(煉瓦棟)の内部も見学させて頂ける。普段は事前申し込みが必要とのこと。 【期間延長】企画展示「学び舎に残る歴史 ~煉瓦棟と千葉の戦跡~」開催期間変更のお知らせ 千葉経済大学 旧鉄道聯隊材料廠煉瓦建築/千葉県 千葉市:旧鉄道聯隊材料廠煉瓦建築(県指定文化財) 千葉刑務所矯正展の後に訪れた、千葉経済大学敷地内に残る旧鉄道連隊材料廠の機関車修理工場の煉瓦造りの軒下部分に上敷免の上の字が確認出来…

  • 「旅するはにわー房総の埴輪にみる地域間交流ー」 市原歴史博物館

    市原歴史博物館の特別展「旅するはにわー房総の埴輪にみる地域間交流ー」を開催初日に鑑賞した。常総の下総型埴輪と山武型埴輪、総武の埴輪の分布域や特徴、特に総武の埴輪の供給源となった埼玉県鴻巣市の生出塚窯、市川市の山倉1号墳出土の埴輪の調査研究の成果として産地を生出塚埴輪窯と特定した分析方法(見た目の類似、胎土の分析、ハケメの分析)、山倉1号墳の埴輪製作に関わった13人の工人、そのうちの一人のエース工人Fなど、興味をそそる展示内容。 【開幕】令和6年度特別展「旅するはにわ-房総の埴輪にみる地域間交流-」を開催!/市原歴史博物館 山倉1号墳出土埴輪/千葉県 人物埴輪(山倉1号墳)/市原歴史博物館 ノー…

  • 天真寺の煉瓦塀 渋谷区南麻布

    南麻布の天真寺の煉瓦塀。 南部坂 南部坂 なんぶざか 有栖川宮記念公園の場所が赤坂からうつってきた森岡城主南部家の屋敷であったために名づけられた(忠臣蔵の南部坂は赤坂) ドイツ連邦共和国大使館 東京 ⇔ ベルリン - 友好都市提携30周年 - Goethe-Institut 日本 今年のドイツ大使館の壁展示のテーマは、ベルリンと東京の友好都市提携30周年です。まず初めに、大使館入口の掲示板上と、南部坂に面した壁に大きな1枚が貼られました。ぜひ前を通りがかった際にはご覧いただけると嬉しいです😀 pic.twitter.com/YZkxXlB1kI — ドイツ大使館🇩🇪 (@GermanyinJa…

  • 駐車場の土留めの煉瓦 渋谷区南麻布

    南麻布の駐車場の土留めの煉瓦にあの刻印。 東京市電気局の徽章の刻印? 広尾の庚申塔 港区指定有形文化財 歴史資料 広尾の庚申塔 庚申信仰は、庚申の日の夜に体内に住む三尸虫(さんしちゅう)が、眠っている間に体内を抜け出して、天帝にその人の罪科を報告して生命を縮めるといわれているため、眠らずに一晩を明かすもので、講の形をとって地域住民の交際の場となっていました。庚申塔は庚申信仰を具象的に表現する塔として、室町時代後期以後各地で盛んに建てられま した。 三基とも方形角柱の笠塔婆型で、塔身が太く、堂々としています。社伝によれば、広尾稲荷神社の別当寺であった千蔵寺の住持祐道の代に、講の人々の浄財を得て立…

  • 日本赤十字看護大学 (再訪) 渋谷区広尾

    日本赤十字看護大学を再訪。「桜のつぼみ」の刻印を確認。 聖心女子大学 チェコ共和国大使館 チェコゲームの世界Ⅲ #チェコセンター東京 にて #チェコゲームの世界Ⅲ 今回で3回目となるチェコのゲームの紹介企画。日本では「マフィア」くらいしか知られていないけれど(私もプレイしたのはそれだけ)様々なタイプの作品が数多く作られていてチェコだけでなく全世界でプレイされているチェコのゲームかなりレベルは pic.twitter.com/XxNXe0rbYS — ぐるフラ (@gurufurafura) 2024年10月3日 煉瓦蔵 にほんブログ村

  • 法雲寺 渋谷区広尾

    法雲寺の煉瓦造りの擁壁。 白鴎観音の由来 この観音像は大正十一年東京美術学校出身、日展無審査の服部仁郎氏の作で楠木を用い、また台座は前田文六氏の作であります。 本観音像は服部氏が昭和十六年に、戦争が一日も早く終わるように祈りをこめて制作に着手し、同十八年十月に完成開眼されました。昭和四十年、時あたかも終戦二十周年を機に、同氏の深い想いにより、社団法人白鳴遺族会に寄贈を賜りましたものです。同会は法雲寺本堂に安置し毎年六月に慰霊法要を続けてまいりました。 白鴎遺族会は、海軍飛行科予備学生、予備生徒出身の戦没者の遺族と生存同期生によって昭和二十一年に結成され、戦没者の慰霊と遺家族の援護を継続している…

  • 山手線 庚申道ガード 渋谷区東、恵比寿西

    山手線の渋谷駅と恵比寿駅の間の庚申道ガード。落書きかと思いきや、カリフォルニアを拠点にする現代アーティストのバリー・マッギー(Barry McGee)の壁画作品。 渋谷アロープロジェクト アートで防災! バリー・マッギーの巨大壁画が渋谷の高架下に出現 Vogue Japan 庚申橋供養碑 庚申橋供養碑 東三丁目17番17号 この橋供養碑は、寛政十一年(1799)にたてられた数少ない珍しいものです。上部の青面金剛像のほかに、四面すべてに、橋講中世話役や万人講及び、個人の名が多数刻ま れています。 それらの人びとの地域をみますと、渋谷はもとより麹町、赤坂、芝、麻布、四谷、大久保、池袋、市ケ谷方…

  • 福昌寺 阿弥陀石棺仏 (再訪) 渋谷区東

    福昌寺の阿弥陀石棺仏を6年ぶりに再訪。 阿弥陀石棺仏(あみだせっかんぶつ) 東三丁目10番13号 曹洞宗 渋谷山 福昌寺 区指定有形文化財 平成十九年三月一日 石棺仏とは、古墳時代の石棺を転用して、そこに仏像を彫り込んで路傍に立て庶民が礼拝の対象としたものです。本石棺仏は、古墳時代中後期頃の家型石棺の蓋を利用しており、その内側は長方形に彫り窪められています。中心部に表されるのは蓮台上に立つ阿弥陀如来像で、船形光背を負い、来迎印を結ぶ姿が浮彫りされています。現存する阿弥陀石棺仏の多くが坐像であり、このような立像は稀な例になります。 この石棺蓋の材質は、兵庫県高砂市・加西市付近を産地とする播磨竜山…

  • 海底に眠るモンゴル襲来 國學院大學博物館

    國學院大學博物館で開催中の特別展「文永の役750年 Part1 海底に眠るモンゴル襲来―水中考古学の世界―」を鑑賞した。二度にわたる元の日本侵攻をモンゴル襲来(蒙古襲来あるいは元寇)とし、一度目を文永の役(1274年、文永11年)、二度目を弘安の役(1281年、弘安4年)と呼ぶ。今年は文永の役から750年の節目にあたり、國學院大學博物館では2つの特別展を開催する。その1つ目が本展で、1980年以降、伊万里湾で進められてきたモンゴル襲来の実態解明を目指して錬成されつつある水中考古学的手法と、その調査研究成果を紹介する。 特別展「文永の役750年 Part1 海底に眠るモンゴル襲来―水中考古学の世…

  • 雑誌2冊「東京人」「歴史人」

    雑誌2冊を購入。 東京人2024年11月号 特集「tokyo古墳散歩」 東京人 都市出版株式会社 〜 雑誌「東京人」「外交」、その他刊行 【『歴史人』2024年11月号案内】『空白の4世紀 8つの謎に迫る!』10月4日発売! | 歴史人 \\発売中//「#東京人」11月号「tokyo古墳散歩」 特集東京にも約1000基の古墳あり!都内厳選6コース&日帰りで楽しむ千葉・埼玉の「推し墳」をご紹介。古人骨、横穴墓、古道、さまざまな専門家とともに、東京の #古墳 を歩きます。地元から出土した #埴輪… pic.twitter.com/UUMUreuuvm — 月刊「東京人」 (@tokyo_j…

  • 鎌ケ谷石材展 鎌ケ谷市郷土資料館

    鎌ケ谷市郷土資料館で開催された第28回ミニ展示 鎌ケ谷石材展を最終日に鑑賞した。本展は、万福寺板碑が鎌ケ谷市指定文化財になったことを記念して、万福寺板碑をはじめとして、市内の板碑のほか、市内の代表的な遺跡から出土した石器、市内に所在する近世から近・現代の石造物など、石を材料とした資料を紹介。 「鎌ケ谷石材展 原始・古代から近・現代までの石材資料いろいろ」を開催|鎌ケ谷市ホームページ 【ミニ展示「鎌ケ谷石材展」開催中】万福寺板碑やパネルでの石造物紹介、陸軍標柱や市内で発見された石器など、市内のいろいろな石材資料を展示しています。新京成クイズラリーチェックポイントも開設中!本日、山の日も開館してい…

  • 異形土器 縄文時代の不思議なうつわ 松戸市立博物館

    松戸市立博物館で開催中の企画展「異形土器 縄文時代の不思議なうつわ」を鑑賞、9月29日のギャラリートークに参加した。本展では、縄文時代後期(約4,500〜3,200年前)の東日本に分布する異形台付土器、釣手土器、香炉形土器、下部単孔土器の4種類の異形土器を手がかりにして、地域間の関わり合いの実像を探る。ギャラリートークでは本展を担当した学芸員に、本展の見どころ、展示された異形土器やその他の土器の変化から読み取れる各地域の関係を解説していただいた。 展示案内 松戸市立博物館|松戸市 松戸市立博物館【公式】Matsudo Museum (@Matsudo_Museum) - Sketchfab 松…

  • 開陽丸遺跡 江差町

    10月5日に長崎県松浦市の鷹島公民館で北海道江差町、榎本武揚ゆかりの開陽丸遺跡の調査報告会を開催。 開陽丸記念館 開陽丸記念館 – 北海道デジタルミュージアム 開陽丸遺跡調査報告会北海道江差町、榎本武揚ゆかりの開陽丸遺跡の調査の現状をご報告いただきます!2024.10.5(土)18:00〜鷹島公民館にて入場無料予約不要<問合せ先>長崎県松浦市教育委員会文化財課tel:0956-72-1111(内線356)mail:bunkazai@city.matsuura.lg.jp pic.twitter.com/xg009CdA7m — 松浦市立埋蔵文化財センター【公式】 (@MaibunMatsuur…

  • アメリカ領事館跡 横浜市神奈川区高島台

    1859年(安政6年)にアメリカ領事館が設置された本覺寺。 本覺寺 本覺寺は、臨済宗の開祖栄西によって、鎌倉時代に草創されたと伝えられる。もとは臨済宗に属し ていたが、戦国期の権現山の合戦で荒廃し、天文元年(1532)に陽廣和尚が再興し、曹洞宗に改めた。 開港当時、ハリスは自ら見分け、渡船場に近く、丘陵上にあり、横浜を眼下に望み、さらには湾内を見通すことができる本覺寺をアメリカ領事館に決めたという。 領事館時代に白ペンキを塗られた山門は、この地域に残る唯一の江戸時代に遡る建築である。 寺史|曹洞宗 青木山本覚寺 米国大使館の歴史 |About THE USA|アメリカンセンターJAPAN 東横…

  • 考古学講座「赤煉瓦の魅力とその謎」(9/21) かながわ県民センター

    9月21日にかながわ県民センター2階ホールで開催された神奈川県埋蔵文化財センター主催の第4回考古学講座「赤煉瓦の魅力とその謎-明らかにされた近代の遺跡から-」に参加(聴講)した。講師は、天野賢一さん(秦野市生涯学習課)。天野さんは2008年に横浜山下町地区第一種市街地再開発事業(B1 地区)に伴う発掘調査(山下居留地遺跡、文献[5])を担当された。神奈川県内の近代考古学の進展、近代を象徴する建築部材として煉瓦の基礎知識(種類、製法、形状、寸法、刻印等)、今後の課題について解説していただいた。定員250名でほぼ満席。「ヨコスカ製作所」の刻印のある煉瓦等、山下居留地遺跡から出土した煉瓦も展示。 分…

  • 梶内向山遺跡 つくば市梶内

    昨年、企画展「発掘!!圏央道-つくば市内遺跡出土品展-」で紹介された古墳時代後期の豪族居館が眠る梶内向山遺跡(かじうちむかいやまいせき)を訪れた。 梶内向山遺跡 この道路下には古墳時代後期の豪族居館が眠っています。 梶内向山遺跡(かじうちむかいやまいせき)は、圏央道建設に先立ち、平成12年から14年にかけて財団法人茨城県教育財団によって発掘調査が実施されました。その結果、当遺跡は、古墳時代中期から近世(約1,500〜300年前頃)にかけての集落やお墓の跡であることがわかりました。 発見された遺構のなかでも、古墳時代後期(約1,400年前頃)の二重の堀で囲まれた住居跡群は、この地域の有力者(首長…

  • さきたま講座④「稲荷山鉄剣銘を読む」 (9/14) 行田市教育文化センターみらい

    9月14日に行田市教育文化センターみらい学習室1で開催されたさきたま講座④「稲荷山鉄剣銘を読む」に参加(聴講)した。 講師は成城大学名誉教授の篠川賢氏。埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣銘と、熊本県江田船山古墳出土の大刀銘を読み比べることによって、五世紀後半のワカタケル大王の時代における大王と地域豪族との関係について考える。 【さきたま講座④受付開始】9月14日(土)に、さきたま講座④「稲荷山鉄剣銘を読む」を開催します。 本日9時より、電子申請と往復はがきで申込を受け付けます✨※定員を超えた場合は抽選となります。先着順ではありません。詳細はこちら🔽https://t.co/HomIDlqlke pic…

  • 長坂聖天塚古墳 美里町関

    美里遺跡の森館の常設展示で、出土遺物(方格規矩鏡や勾玉など)を見学した長坂聖天塚古墳を訪れた。 文献[1]によると長坂聖天塚古墳は「円墳、径60m、直刀・剣・石製品・鏡、粘土槨3・木棺直葬3、周堀、地山整形の墳丘」 長坂聖天塚古墳(ながさかしょうてんづかこふん) 美里町周辺の丘陵には、多数の古墳が見られる。山崎山丘陵の西裾には諏訪山古墳群があり、長坂聖天塚古墳はその1つである。昭和49年に発掘調査を行ない、次のような事実を確認した。 墳丘は、自然の丘を整形し、1mほど盛土をして墳頂部をつくり、あわせて高さ4.5m、直径50mの規模にした円墳である。 埋葬施設は、粘土槨3、木棺直葬3の6ヶ所があ…

  • 木部山5号墳、16号墳 美里町木部

    木部山古墳群を散策の続き。 木部山5号墳(甘粕西山古墳)、円墳、径20m 木部山16号墳、円墳、径5m、埴輪、横穴式石室 山法師(ヤマボウシ)の実 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 文献[1]より にほんブログ村

  • 木部山2,3,4号墳 美里町木部

    遺跡の森こどもひろばに保存された木部山古墳群を散策。 木部山古墳群(きべやまこふんぐん) まえやま 木部山丘陵に築かれた、古墳16基以上からなる古墳群で ある。そのうちの1基(前山B地点遺跡第1号墳)が昭和60年に美里町民体育館建設の際に、発掘調査された。 調査の結果、直径16m程の円墳で、埋葬施設に胴張り横穴式石室を採用した古墳時代後期でも新しい段階の古墳であることが判明した。 古墳時代後期の古墳は、周囲の土を掘り、その土で盛った中央部分(墳丘)に埋葬施設(横穴式石室)を設ける。そのため、周囲にドーナッツ状の凹み(周溝)が残る。美里町コミュニティーセンター東側にある甘粕西山古墳(木部山5号墳…

  • ミニ企画展「会いに来て みさとのハニワ」 美里遺跡の森館

    美里遺跡の森館で開催中のミニ企画展「会いに来て みさとのハニワ」を鑑賞した。美里町は埼玉県下でも有数の古墳集中地域で、562基もの古墳がある。本展では、猪俣南古墳群、白石古墳群、後山王遺跡、志渡川古墳、熊谷後遺跡、羽黒山古墳群の埴輪などを展示する。会期は9月29日まで。 常設展示 美里町遺跡の森館 埼玉県児玉郡美里町 ~美しい里の町~ 美里町の古墳 埼玉県児玉郡美里町 ~美しい里の町~ 猪俣南古墳群 埼玉県児玉郡美里町 ~美しい里の町~ 白石古墳群 埼玉県児玉郡美里町 ~美しい里の町~ にほんブログ村

  • 武蔵一宮 氷川神社 (再訪) さいたま市大宮区高鼻町

    さいたま市立博物館の開館時間より少し早く着いたので、武蔵一宮 氷川神社の参道を散策。 にほんブログ村

  • さいたま市最新出土品展2024 さいたま市立博物館

    さいたま市立博物館で開催中の「さいたま市最新出土品展2024」を鑑賞した。また、9月7日に生涯学習総合センターの多目的ホールで開催された「さいたま市内遺跡発掘調査成果発表会」の一部のプログラムを聴講した。 展示遺跡は、 西浦3号遺跡 (第1次)中央区 大間木宮前 遺跡(第7次)緑区 山王東1号遺跡(第1次)中央区 A-20号遺跡(第2次)見沼区 白鍬宮腰遺跡(第20次)桜区 下大久保新田遺跡(第13次)桜区 上大久保新田遺跡(第9次)桜区 大谷場小池下遺跡(第3次)南区 大久保領家遺跡(第16次)桜区 中野田島ノ前遺跡(第9次・第10次)緑区 大久保領家遺跡(第17次)桜区 大久保領家遺跡(第…

  • 化石と自然の体験館 東松山市坂東山

    塚原南遺跡見学会の予約時間に少し余裕があったので、都幾川の対岸の丘陵の上にある化石と自然の体験館に寄ってみた。もっと博物館的な施設かと思っていたが、化石発掘体験に特化した施設だった。要事前予約。 ホーム kaseki-taikenkan 夏休みもまもなく終わりですが、初めての岩割体験で、見事にサメの歯の化石を見つけた小学生くん、良い思い出にして頂けると嬉しいです。#化石と自然の体験館 #東松山 #ひがしまつやま体験 #サメ pic.twitter.com/3qkCcjAGlI — 東松山市化石と自然の体験館【公式】 (@kasekitoshizen) 2024年8月30日 【化石を発掘しよ…

  • 若宮八幡古墳 (再訪) 東松山市石橋

    若宮八幡古墳を再訪。 にほんブログ村

  • 「比企の縄文時代−縄文人の道具箱−」 鳩山町多世代活動交流センター

    比企地区市町村教育委員会連合会、比企地区文化財振興協議会、埼玉県立嵐山史跡の博物館主催の比企歴史の丘巡回文化財展 比企のタイムカプセル23「比企の縄文時代−縄文人の道具箱−」を鳩山町多世代活動交流センターで鑑賞した。本展は毎年、比企地区市町村を巡回して開催される文化財展で、本年度は、 縄文時代の道具をテーマをとして、嵐山町ふれあい交流センターを皮切りに比企地区市町村の10ヶ所を巡回。比企郡内の各時期の縄文土器や石斧などの生活道具や耳飾りなどのアクセサリー、石棒や土偶などのまつりの道具などの展示。東松山市の塚原遺跡出土のナイフ形石器(旧石器時代)が展示されていた。 旧石器時代の石器も展示。東松山…

  • 塚原南遺跡見学会 東松山市石橋

    9月7日に開催された東松山市塚原南遺跡第2次発掘調査の遺跡見学会に参加した。塚原南遺跡は都幾川(ときがわ)に沿って形成された段丘の上に営まれた遺跡で、入間川流域緊急治水対策プロジェクトの堤防整備に伴い調査は実施された。ここは、2019年(令和元年)の台風19号(令和元年東日本台風)による決壊箇所の一つ。見学会では、休憩室で、国土交通省関東地方整備局荒川上流河川事務所の職員から展示されたパネルについて説明を受けた。先日の荒川水系の治水に関する講演が予習になった。令和元年東日本台風では、都幾川の少し下流や越辺川(おっぺがわ)も決壊しショッピングモールのピオニウォーク東松山が浸水被害を受けた。今回の…

  • 館長講座「縄文時代の環状列石とストーンヘンジ」 (9/1) 山梨県立博物館

    山梨県立博物館がオンラインで実施している令和6年度館長講座「遺跡から未来へ─半世紀の探索と発見─」の第2回「縄文時代の環状列石とストーンヘンジ」(9月1日開催)に参加(聴講)した。講師は山梨県立博物館で早稲田大学名誉教授の高橋龍三郎氏。英国のロンドンの約140km西方、ソールズベリーから13kmに位置するストーンヘンジと、日本の縄文時代の環状列石を比較、社会の発達段階が異なり、両者には大きな格差があったとする。ストーンヘンジでは、最近の新説として、祭壇石(砂岩質)が従来の200km西方のウェールズ西部の産出ではなく、約750km北方のスコットランド北東部のオルカディアン盆地産とする豪カーティン…

  • 武州鉄道開業100周年

    1924年10月、蓮田〜岩槻を結ぶ武州鉄道が開業。今年開業100周年を迎える。10月5日から11月10日までスタンプラリーイベントを開催。 (テレビ広報番組「 #のびのびシティさいたま市 」をご覧ください)今回のテーマは「 #武州鉄道 」かつての沿線を巡りつつ、誕生の理由やその歴史を紐解きます!📺3月5日(日)10時45分からテレビ埼玉で放送詳しくはリンク先へhttps://t.co/q5XiTMNesE#さいたま市 #ザ・たっち さん #yuka さん pic.twitter.com/yg1b5Ue0Gs — さいたま市広報課 (@SaitamaCityPR) 2023年3月3日 (テレビ広…

  • 関東考古学フェアスタンプラリー2024

    今年の関東考古学フェアスタンプラリーは応募資格ゲット。 【6/8(土)~11/24(日)】関東考古学フェアスタンプラリー2024を開催します お知らせ一覧 東京都埋蔵文化財センター 横浜市三殿台考古館 最新情報 関東考古学フェア スタンプラリー2024 「関東考古学フェア2024 スタンプラリー」:熊谷市文化財日記2:SSブログ 関東考古学フェアスタンプラリー始まりました事業団では、自動ドアから入って左側奥の机にスタンプを置いてますふるってご参加ください🤗#さいまいぶん #関東考古学フェアスタンプリー pic.twitter.com/Hz5RVfY40h — (公財)埼玉県埋蔵…

  • 飛鳥山1号墳 (再訪⑥) 北区王子

    飛鳥山1号墳を再訪。 にほんブログ村

  • 講演会「荒川放水路の百年」 (8/28) 北区飛鳥山博物館

    北区飛鳥山博物館で開催中の荒川放水路通水100周年記念展示「大水害から東京を守れ!岩淵水門と荒川放水路」の 展示関連講演会「荒川放水路の百年」に参加(拝聴)した。国土交通省荒川下流河川事務所の秋山賢 保全対策官の講演と、学芸員による展示紹介。1911年(明治44年)に着手された荒川下流改修工事は、北区岩淵町から東京湾まで新たな川(放水路)を造って荒川の氾濫を防ごうとするもので、岩淵に荒川と放水路の流量を調整する岩淵水門が建設された。放水路工事は1913年(大正2年)、用地買収が終了した箇所から随時着手、川岸を人力で平らにならした後、蒸気掘削機で水路を開削、手掘工事も併用、開削された水路に注水後…

  • 中山道桶川宿の煉瓦塀 桶川市寿

    旧中山道の桶川駅前交差点近くに残る煉瓦塀。 煉瓦の平面には不鮮明だが小判形の刻印? 日本煉瓦製造の「上敷免製」の刻印? 桶川市の旧中山道を歩きました。役目を終えたような煉瓦塀が目につきました。近付いてよく見ると上敷免の刻印が!!見本は見たことあったけれど、本物の刻印を見たのは初めてで興奮しました!もう少し進むと、農機具販売店の裏にも立派な煉瓦蔵がありました。きっとこれも上敷免煉瓦かも! pic.twitter.com/CLy8J2Jv0O — ぱんだ (@8pa_n_da8) 2024年3月5日 桶川市•北1丁目にある老舗農機屋の敷地奥に、2棟の立派な煉瓦蔵を見つけました。色ムラのある赤煉瓦が…

  • 中山道桶川宿の「レンガの蔵」 桶川市北

    中山道桶川宿に残る煉瓦造の倉庫「レンガの蔵」。 中山道桶川宿 桶川宿はこんなところ ⚫️どこに 桶川宿は、日本橋から10里余り、江戸から6番目の宿として開かれました。この距離は、現代のマラソンの距離とほぼ同じで、健脚であった江戸時代の人々のほぼ1日の行程にあたります。 べにばな陸橋至北本 ⚫️街の生い立ち 中山道は、徳川家康が天正18年(1590)に江戸に本拠を置いた後、五街道の一つとして整備が進められました。やがて、関ヶ原の合戦を経て、江戸幕府による全国支配の確立の中で街道と伝馬制度が整えられ、三代将軍家光によって参勤交代の制度が確立した寛永12年(1635)ころには、ここ桶川宿もすでに成立…

  • 行田市田んぼアート2024 行田市小針

    3年ぶりに行田市田んぼアートを鑑賞した。今年のテーマは『がんばろう!能登 日本遺産 キリコ祭り』。 2024「田んぼアート」in行田/行田市 日本遺産「灯り舞う半島 能登 〜熱狂のキリコ祭り〜」能登のキリコ祭り 二子山古墳と稲荷山古墳 蓮の葉っぱの噴水 pic.twitter.com/YEcxn6jlDE — ぶじん (@kufunmeguri9) 2024年8月24日 【速報】田んぼアート2024現在の田んぼの様子をドローンで撮影しました!#行田市 #田んぼアート #能登復興応援 pic.twitter.com/REPpOlw0Ly — 行田市 (@Gyoda_PR) 2024年6月13日 …

  • 「埼玉の考古おひろめ展ー地中からのメッセージ」 埼玉県立さきたま史跡の博物館

    埼玉県立さきたま史跡の博物館で開催中の令和6年度「埼玉の考古おひろめ展ー地中からのメッセージ」を鑑賞した。 出品資料 旧石器時代 志木市西原大塚遺跡第235地点(石器集中、礫群) 縄文時代 飯能市中堂遺跡(土器、石器、装身具) 縄文時代 加須市長竹遺跡(土器、装身具、祭祀具) 弥生時代 熊谷市前中西遺跡(土器、磨製石鏃、磨製石剣) 古墳時代 桶川市若宮Ⅰ遺跡(方形周溝墓 土器) 古墳時代 深谷市四十塚古墳群第6次調査(馬形埴輪、朝顔形円筒埴輪) 古墳時代 行田市愛宕山古墳(埴輪) 古代 狭山市鳥ノ上遺跡(須恵器、土師器、馬具) 中世 所沢市滝の城跡(陶磁器、土器、銭貨、鉄製品) 近世 久喜市北…

  • デーノタメ遺跡 北本市下石戸下

    デーノタメ遺跡に寄り道。この後、訪れたある博物館で、北本市役所で企画展を開催中と知り、訪れたらデーノタメ遺跡を特集していてびっくり。 デーノタメ遺跡〜縄文のタイムカプセル〜 1 デーノタメ遺跡とは デーノタメ遺跡は、縄文時代中期から後期(約5,000年前〜約3,800年前)にかけて、 およそ1,200年にわたって営まれた集落遺跡です。 遺跡は縄文時代中期と後期の集落が大規模で、これらの集落に隣接して低地遺跡がセットで残っていることが特徴です。低地から出土した漆製品や植物の種実などは、その量と質が優れており、全国的に注目を集めています。 2 関東を代表する大規模集落 縄文時代中期の集落は、中央に…

  • 「みんなで知ろう!きたもとの縄文時代~キミも未来の縄文博士!?~」 北本市役所

    北本市役所1階庁舎ホールで開催中の企画展「みんなで知ろう!きたもとの縄文時代~キミも未来の縄文博士!?~」を鑑賞した。夏休みの小・中学生に「きたもとの縄文」のおもしろさを知ってもらいたいと企画されたそうだが、大人でも楽しめる内容だった。トピックスとして「縄文のタイムカプセル デーノタメ遺跡」と「大宮台地で一番高いところにある遺跡 宮岡氷川神社前遺跡」を紹介。「どんな昆虫がいたの?」のコーナーでは、 デーノタメ遺跡の泥炭層から出土する昆虫(甲虫類)の鞘翅(さやばね、前翅がキチン質化し硬くなったもの)を「水辺に住んでいる昆虫」「地面の上にいる昆虫」「植物のあるところに集まる昆虫」「動物のフンを食べ…

  • 毛塚10号墳 (湮滅) 東松山市毛塚

    先日、6年ぶりに東松山市の高坂古墳群と毛塚古墳群をちょこっと再訪した。この地域は区画整理事業によって宅地化が進行中で、いくつかの古墳が消滅している。毛塚10号墳もその一つ。写真フォルダを見返したらブログに掲載していない写真があったのでアップする。 毛塚古墳群【埼玉県東松山市】現地説明会のあとは挂甲の武人さんと共に周辺の古墳を巡ってきました。残っている古墳こそ少なめですが、大きな古墳が多い印象を受けました。 pic.twitter.com/huNTtocyVi — ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2018年2月11日 39.毛塚古墳群【埼玉県東松山市】高坂駅南側に広がる古墳群。今なお1…

  • 東京拘置所の煉瓦塀(小菅集治監製煉瓦) 葛飾区小菅

    東京拘置所の煉瓦塀を見学した。明治政府は、明治5年(1872年)2月(旧暦)の大火をきっかけに西欧にも劣らない煉瓦街の建設を計画、同年、東京府第11大区1小区小菅村(後の東京府南葛飾郡小菅村、現在の東京都葛飾区小菅)に煉瓦製造所(製煉社あるいは精煉社)が設立された。小菅村の煉瓦製造所は、英国人技師ウォートルスが指導して日本で初めて3基のホフマン式輪窯(輪環式煉瓦焼成窯)を築き、煉瓦の大量生産に成功、銀座煉瓦街の煉瓦の供給元となった。明治7,8年頃には銀座煉瓦街が徐々に竣工、西南戦争前夜の不景気で煉瓦の需要が減少、民間での工場維持が困難となり、明治11年、西南戦争終了後、旧西郷軍兵士を収監するた…

  • 船橋市郷土資料館 船橋市薬円台

    中野木台遺跡 遺跡見学会の前に船橋市郷土資料館を訪れ、常設展示を鑑賞した。古墳時代では、伝小字竹ノ越出土の円筒埴輪と人物埴輪(下半部のみ)、本町1丁目出土の人物埴輪の頭部などを展示。 郷土資料館|船橋市公式ホームページ 蒸気機関車D51-125号 蒸気機関車D51-125号について この機関車は日本国有鉄道(国鉄)の貨物列車をひいて、35年間はたらきました。たくさんの型の蒸気機関車がつくられたなかで、D-51型はいちばん多い1115両つくられました。 D-51型は「デゴイチ」ともよばれていました。 【経歴】 1938(昭和13)年7月22日 日立製作所で製造。 1938(昭和13)年7月31日…

  • 宮本台貝塚 船橋市東船橋

    取掛西貝塚の次に、宮本台北公園を訪れた。 宮本台貝塚(東船橋3丁目) 東船橋駅を中心とした台地上には宮本台遺跡群(みやもとだいいせきぐん)が広がっています。宮本台貝塚(みやもとだいかいづか)は、宮本台遺跡群の北東部にある縄文時代後期前葉(約4000年前)の遺跡です。土地区画整理事業にともない昭和44年(1969年)に発掘調査が行われ、縄文時代後期前葉の竪穴住居跡5軒などの遺構が見つかりました。また、約30体の埋葬された人骨も発見されました。この中には、多数の人骨がまとまっている土坑墓もあり、この集落(ムラ)に住んだ人々が、共通の祖先をまつり、ムラの結束を願ったものだったのかもしれません。なお、…

  • 取掛西貝塚 船橋市飯山満町

    中野木台遺跡 遺跡見学会の前に取掛西貝塚(とりかけにしかいづか)を訪れた。 取掛西貝塚は、船橋市飯山満町1丁目から米ケ崎町にまたがる、標高23〜25mの台地上に立地する縄文時代の遺跡で、東西約500m、面積約76,000㎡(東京ドーム約1.6個分)の範囲に、縄文時代早期前葉(約1万年前)の竪穴住居跡58軒(東京湾東岸部で最も古い貝塚を伴う集落跡で、この時期の関東最大規模の集落跡)と、シカのツノやイノシシの頭蓋骨を並べた跡(動物骨集中、儀礼の跡だとすれば日本最古)、貝塚からは貝殻、動物・魚の骨(食べ物)、土器・石器(生活の道具)、動物の骨や貝殻でつくられた道具やアクセサリーが出土。なかでもツノガ…

  • 新山東遺跡 船橋市前原西

    「中野木周辺の遺跡説明板・文化財説明板」の散策の続き。中野木台遺跡の東に隣接する新山東遺跡(しんやまひがしいせき)。 アルビス前原中央公園 新山東遺跡第6・8次調査地点(前原6丁目) 新山東遺跡(しんやまひがしいせき)では、前原団地の建て替えに先立ち平成9年から17年にかけて断続的に発掘調査が行われ、縄文時代中期後葉(約4700年前)の集落(ムラ)跡を中心に、様々な時代の遺跡が見つかっています。 平成16・17年に調査が行われた新山東遺跡第6・8次調査地点には、縄文時代中期後葉の竪穴住居跡や縄文時代早期後葉(約8000年前)の炉穴などがありました。旧石器時代(約3万2000年前と約2万8000…

  • 中野木の辻切り 船橋市中野木

    「中野木周辺の遺跡説明板・文化財説明板」の散策の続き。八坂神社の「中野木の辻切り(なかのきのつじき)」 八坂神社 市指定無形民俗文化財 中野木の辻切り(なかのきのつじき) 平成9(1997)年4月24日指定 伝承者 中野木町会 辻切りとは、村境の「辻」を「切る」ことにより、悪霊や悪疫がムラに入って来ないようにする行事です。ここ中野木では、毎年初午(2月の最初の午の日)に行われます。 行事に参加するのは、中野木の農家・旧農家です。辻切りで使われる大蛇は、東西の2組に分かれ、1匹ずつ制作します。東が雌、西が雄といわれています。材料は、頭と胴体にする藁、大蛇の尾とする樫の棒、目玉を作る半紙・抹香・墨…

  • 新山貝塚 船橋市中野木

    中野木台遺跡 遺跡見学会で「中野木周辺の遺跡説明板・文化財説明板」の地図をもらったので、散策した。中野木台遺跡の西に隣接する新山貝塚(しんやまかいづか)。 中野木1丁目公園 新山貝塚1次調査地点(中野木1丁目) 新山貝塚(しんやまかいづか)1次調査地点は、マンション建設に先行して平成17年に発掘調査が行われ、縄文時代と中世(14〜16世紀)の遺跡が見つかりました。調査地内の南部には縄文時代早期前葉(約11000年前)の遺構や縄文土器片・石器等が発見され、敷地内の北部は縄文時代中期末(約4500年前)の縄文土器片・石器等が出土しました。また、中世(14〜16世紀)の屋敷の一部(台地整形区画)など…

  • 中野木台遺跡 遺跡見学会 (8/10) 船橋市中野木

    8月10日に開催された中野木台遺跡 第25次調査地点の遺跡の見学会に参加した。現在、船橋市教育委員会が発掘調査を行っている。中野木台遺跡25次調査地点は、JR津田沼駅より北西に約1.1㎞、前原中学校より南に300mほどにある。本調査は、6月上旬から3区画に分けて調査中で、1区画目では、縄文時代早期(約9000~8000年前)の炉穴や縄文時代中期(約4800~4500年前)の竪穴住居跡・土坑などを検出。竪穴住居跡からは、多数の縄文土器や石鏃や石棒などの石器・石製品も出土。1区画目の調査が終了し埋め戻され、見学会では調査中の2区画目を公開。 中野木台遺跡 遺跡見学会のお知らせ|船橋市公式ホームペー…

  • 雷電塚古墳 坂戸市小沼

    坂戸市文化会館“ふれあ”で「大古墳展Ⅱ−坂戸台地の古墳文化−」を鑑賞した後で、三芳野地域北部の雷電塚古墳群を再訪。 雷電塚1号墳 雷電塚古墳(雷電塚一号墳) 埼玉県指定史跡 鍵穴のような形をした、前方後円墳です。古墳時代後期(六世紀中ごろ)に造られたと考えられています。ほかに、いくつもの古墳が近くにあります。古墳の周りを囲む堀の跡からは、埴輪や須恵器の破片がみつかりました。 後円部の墳頂(高さ3.8m)に、「雷電社」があるので雷電塚と名がつきました。 坂戸市内で七基の前方後円墳が確認されていますが、そのうちの一基が雷電塚古墳です。後円部の墳頂に雷電社が祀られているので、雷電塚と呼ばれたそうです…

  • 「大古墳展Ⅱ−坂戸台地の古墳文化−」 坂戸市文化会館ふれあ

    坂戸市文化会館“ふれあ”で開催された第27回坂戸市埋蔵文化財出土品展「大古墳展Ⅱ−坂戸台地の古墳文化−」を鑑賞した。坂戸市西部(入西・大家地区)の古墳時代を取り上げた昨年度に引き続き、今年度は坂戸市東部(坂戸・勝呂・三芳野地区)の坂戸台地上に展開する古墳時代の集落・古墳に焦点を当て、令和4年(2022年)度の勇福寺遺跡3区発掘調査で新たに発見された古墳から出土した入間郡域で最大級の大きさを誇る初公開の大型円筒埴輪をはじめ、牛塚山古墳群の馬形埴輪や片柳古墳群の装身具(アクセサリー)など、貴重な資料約200点を一挙公開。本展では、坂戸台地を①浅羽野・坂戸地域、②勝呂地域、③三芳野地域北部、④三芳野…

  • 反町遺跡 (再訪) 東松山市あずま町

    反町遺跡の展示コーナーがあるショッピングモールのピオニウォーク東松山を再訪した。 APiTAの東松山ミートセンターで昼ごはんのお弁当を調達。 第2室の壁ケースの前半部分がリニューアルしました。なかでも見どころは、東松山市反町遺跡と桶川市前原遺跡の玉作関連資料です。古墳時代の玉作りを伝える資料として重要性が評価され、昨年度埼玉県指定有形文化財に指定されました。#展示リニューアル pic.twitter.com/CTug4J2BzH — 埼玉県立歴史と民俗の博物館 (@saitama_rekimin) 2023年11月1日 反町遺跡 (東松山市) 平成18年度 公益財団法人 埼玉県埋蔵文化…

  • 毛塚2号墳、毛塚20号墳 (再訪) 東松山市毛塚

    毛塚古墳群の2号墳と20号墳を再訪。 毛塚2号墳 毛塚20号墳 文献 [1] 財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2006 『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書323:杉の木遺跡』財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 文献[1]より にほんブログ村

  • 桜山窯跡群 東松山市桜山台

    東松山市指定史跡 「はにわの丘・桜山窯跡群」を訪れた。 越辺(おっぺ)川とその支流の九十九(つくも)川に挟まれた、南比企丘陵の東端の南向きの斜面に位置する。 市指定史跡「桜山窯跡群」 昭和62年4月1日指定 桜山窯跡群は、南比企丘陵の物見山(標高135m)から南東に延びる尾根の東端斜面に立地しています。 昭和55年の発掘調査によって、この窯跡群では、須恵器と呼ばれる青灰色の高温度(約1200度)で焼かれた硬い焼き物及び、古墳に並べて祭るために使用された人物・馬形埴輪・円筒埴輪などを製作した遺跡であることがわかりました。 今から約1450年前(古墳時代後期)につくられた須恵器の窯跡2基、埴輪の窯…

  • さくら坂公園と高坂2号墳 東松山市高坂

    6年前に、東松山市の高坂館跡・高坂二番町遺跡の発掘調査の見学会に参加した。その時の説明で、調査区は調査終了後に公園となるとのことだった。それから、訪れる機会がなかったが、6年ぶりに訪れたら、さくら坂公園として整備されていた。駐車場もトイレも遊具もある。 高坂2号墳 遺跡がいっぱい!公園で見つかった歴史 〜高坂館跡・高坂二番町遺跡〜 発掘調査で、弥生〜江戸時代までの様々な遺構・遺物 がみつかりました。 古墳時代初めごろ(約1700年前)につくられた、一辺が8mもある大きな住居跡からは土器のほか、勾玉もみつかりました。集落の中心的な役割を持つ施設と考えられます。 古墳時代後期(約1500年前)の古…

  • 方墳大塚古墳 (再訪) さいたま市西区指扇

    さいたま市の方墳大塚を7年ぶりに再訪。 さいたま市/文化財紹介 方墳大塚古墳 にほんブログ村

  • ほるたま展2024「古墳時代の祈り」 そごう大宮

    そごう大宮の3階連絡通路で8月3,4日に開催された“ほるたま展2024”「古墳時代の祈り」を鑑賞した。 令和2年に日本最多の45点もの子持勾玉や古墳時代後期の大量の祭祀具が発見された行田市北大竹遺跡の出土品を中心に展示。 ほるたま展2024「古墳時代の祈り」 ―埼玉県内の商業施設5会場で開催― - 埼玉県 公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 北大竹遺跡特別公開 公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 北大竹遺跡第18次 (行田市) 公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 【おしらせ】ほるたま展2024「古墳時代の祈り」を開催します第一部 そごう大宮(8月3日・4日)第二部 モ…

  • 伝アインシュタイン・エレベータ

    6年前に初めて東京大学総合研究博物館を訪れた時に、博物館前の屋外に展示されていた「 伝アインシュタイン・エレベーターの昇降装置」が気になった。6年後、インターメデイアテクの『海の人類史 – パイオニアたちの100万年』の展示会場の出口付近で「伝アインシュタイン・エレベーター」のカゴ本体を見つけた。6年前の写真を見返したら「 伝アインシュタイン・エレベーターの昇降装置」の説明板に『カゴ本体は、JPタワー学術文化総合ミュージアム「インターメデイアテク」に常設展示されている。』と書いてあった。 伝アインシュタイン・エレベーターの昇降装置(1926年3月竣工) アルベルト・アインシュタインが乗ったとさ…

  • 『海の人類史 – パイオニアたちの100万年』 インターメデイアテク

    KITTE丸の内(丸の内JPタワー)のインターメデイアテクで開催中の特別展示『海の人類史 – パイオニアたちの100万年』を鑑賞した。インターメデイアテク(IMT)は、東京大学の学術をアート&サイエンスのコンセプトをもって公開する実験的ミュージアムで、日本郵便株式会社と東京大学総合研究博物館が協働で運営をおこなう。本展は、人類の海に対する100万年の挑戦史を、学問とアートを融合させるインターメディアテク独自の手法で展示する。人類が海を超えて大洋上の島々に進出しはじめたのは、ホモ・サピエンスの時代になってからと考えられてきたが、近年の東南アジアにおける相次ぐ発見により、人類最古段階の渡海は100…

  • 第63回考古学研究会東京例会「特集・東北南部~東関東の弥生文化」 (7/13) 明治大学駿河台キャンパス

    明治大学駿河台キャンパスのアカデミーコモンで開催された第63回考古学研究会東京例会「特集・東北南部~東関東の弥生文化」に参加(聴講)した。 プログラムは、杉山浩平氏(考古学研究会東京例会・東京大学)による開会挨拶・趣旨説明「いま、なぜ東関東の弥生文化を問うのか」、小玉秀成氏(小美玉市役所)による報告1「東関東~浜通りにおける、弥生時代中期後半土器の属性影響とその背景」、小林嵩氏(千葉市教育振興財団)による報告2「東北地方南部~東関東地方における大陸系磨製石器製作と流通」、最後に質疑応答。全体で約3時間。 杉山氏の趣旨説明では「関東地方の弥生文化の研究は、学史的に俯瞰すると南関東と北関東を対比的…

  • 港区高輪二丁目発掘調査現場見学会 (7/13) 港区高輪

    7月13日に開催された港区高輪二丁目の港区泉岳寺駅地区埋蔵文化財発掘調査(港区No.119遺跡・No.218遺跡)の見学会に参加(見学)した。JR東の高輪ゲートウェイ駅前の再開発事業に伴う発掘調査で、江戸期の東海道護岸や、一帯の埋め立て工事に伴って築かれた石積みなどが確認されているとのこと。今回の見学会では、国指定史跡「高輪築堤第7橋梁」の陸側対岸の車町河岸(くるまちょうかし)に関連する護岸(港区No.119遺跡の明治時代以降の石積み)と、調査で出土した遺物等が公開された。 【発掘調査現地説明会のご案内】7/13(土)に港区高輪二丁目地区の発掘調査現場見学会を実施します。詳しくは以下のリンクか…

  • 王山古墳 前橋市大渡町

    総社古墳群を墳活。6基目は、王山古墳。 記念碑 上毛古墳綜覧総社町第一号墳にあたる本墳は、上石倉土地区画整理事業が実施されるにあたり、王山古墳発掘調査団により学術調査が実施された。 この結果、本墳後円部は、すべてが河原石によって構築され、しかも、その表面はみごとに石積みされていることなどが判明し、全国的にも稀にみる貴重な文化財であることが確認された。 このことにより、前橋市は、これの保存に努めた。幸にして、地権者 福島政司他五名当該区画整理事業組合、ならびに群馬県等の関係各位の理解と努力によって、墳丘部を中心とした2500平方メートルの地域が児童公園として保存されることになった。 ここに公園の…

  • 遠見山古墳 前橋市総社町総社

    総社古墳群を墳活。5基目は、遠見山古墳。 遠見山古墳 長さ80mほどの前方後円墳で、墳丘は前方部が低く、埴輪破片が多く出土している。堀の土層の状態から六世紀初頭ごろの築造と推定される。後円部の中ほどは構築当時より削平され若干低くなっているが葺石が多く見受けられ、周囲に10〜20m幅の堀の跡が確認された。遠見山の名称は慶長9年(1604)総社城の築造の時、遠見のための櫓が設置されていたことから名付けられたと考えられる。 平成8年3月吉日 総社地区史跡愛存会 前橋市指定史跡 遠見山古墳(とおみやまこふん) 指定年月日 平成22年3月29日 所在地 前橋市総社町総社甲1410、乙1410 利根川右岸…

  • 二子山古墳 前橋市総社町植野

    総社古墳群を墳活。4基目は、二子山古墳。 豊城入彦命石碑 史跡 二子山古墳(総社) 二段に築造された前方後円墳である。その規模は現状で全長約90m、前方部前幅61m、後円部径44mであり、前方部が大きく張り出している。 埋葬主体部は前方部と後円部に各一つずつ横穴式石室が確認されている。後円部の石室は、榛名山二ッ岳から噴出したと考えられる角閃石安山岩を加工して使用して おり、その規模は現状で全長約8.6m、玄室長約7mである。前方部の石室は、自然石を使用したもので、全長8.7m 玄室長4.2m、同幅2.1mであり、両石室ともに規模は大きい。 石室に使用している石材などから 前方部の石室がやや古く…

  • 愛宕山古墳 前橋市総社町総社

    総社古墳群を墳活。3基目は、愛宕山古墳。 愛宕山古墳 この古墳は従来円墳とされていたが、測量と発掘調査の結果、方墳であることが確定した。一辺56m、高さ8.5mの二段築成で、周堀は約18m余である。主体部の両袖型横穴石室は、現状で玄室の長さ6.91m、玄室奥幅2.94m、玄室の高さ2.91mの規模である。 石室の石材は輝石安山岩で加工がほどこされている。隙間には浮石質角閃石安山岩を適宜に加工して詰めている。玄室の奥壁寄り中央に主軸と直交する形で凝灰岩製の刳抜式家形石棺が安置されている。 築造の時期は七世紀第二4半期とされ、首長墳の墳丘が方墳に変わる時期、大和政権との関わりにより社会変化をとらえ…

  • 宝塔山古墳 前橋市総社町総社

    総社古墳群を墳活。2基目は、宝塔山古墳。 史跡 宝塔山古墳 一辺の長さ約55m、墳丘高11mの規模を誇る方墳である。この規模は方墳としては全国的にみても大きい。 主体部は墳丘基壇上に造られた横穴式石室で、羨道、前室、玄室の三室にわかれている。石室の壁 は精巧に加工した切石を使用して積み上げ、随所に切組積の手法もみられる、特に天井石及び玄室入口の玄門の加工はみごとである。 石室の規模は、全長12.4m、玄室長3.3m、同奥幅3.02mである。玄室には家形石棺がある。その底部は四辺ともに格狭間の形にくりぬかれ、古墳への仏教文化の影響を物語っている。この古墳は県内古墳の最終末期に造られたもので、七世…

  • 蛇穴山古墳 前橋市総社町総社

    総社古墳群を墳活。1基目は、前橋市総社歴史資料館のすぐ隣の蛇穴山古墳。 国指定史跡 蛇穴山古墳推定復元図 今から約1300年前、古墳時代の終末期に造られた一辺が約40mの方墳。墳丘に葺石があり、石材加工技術のすばらしい横穴式石室をもつ。 史跡蛇穴山古墳一辺の長さ約40mの方墳である。埋葬主体部は横穴式石室であるが、羨道を欠き、玄門と玄室とからなる特殊な形をとっている。 玄門の前には、羨道の痕跡ともみられる構造と八の字形にひらく前庭がある、石室は天井、奥壁、左右壁ともにみごとに加工した各一校の巨石で構成されている。天井石、奥壁などの縁はL字形に切り込んで壁の石と組み合わせている。精巧な細工をほど…

  • 蛇塚古墳 伊勢崎市下植木町

    上野国佐位郡正倉跡の前に殖蓮第二小学校に移築復元された蛇塚古墳を訪れた。 蛇塚古墳(へびづかこふん)の石室 この石室は、かつて日乃出町400番地に所在した蛇塚古墳(雷電山古墳)のもので、市内最大の横穴式袖無型石室です。永く将来に伝えるため昭和54年3月にこの地へ移築復元したものです。蛇塚古墳は粕川左岸の段丘上に造られた前方後円墳で、昭和38年に発掘調査が行われ、石室内からは鉄鏃および玉類、墳丘部からは馬埴輪(市指定重要文化財)などが出土しました。古墳は、石室に使用されている石材および出土品などから六世紀後半の築造と考えられます。 墳丘 全長 約56m 主軸 北13度東 前方部幅 約38m 後円…

  • 上野国佐位郡正倉跡 伊勢崎市上植木本町

    丸塚山古墳の前に上野国佐位郡正倉跡を訪れた。 史跡上野国佐位郡正倉跡(こうずけのくにさいぐんしょうそうあと) 八角形倉庫(はっかくけいそう) 八角形倉庫は約1200年前に造られた建物で、2005年にこの小学校の校庭から見つかったよ。高床式倉庫で壁は校倉造なの。東大寺正倉院と同じ造り方をしているよ。 校舎の絵は、実際の大きさで描いたもので、連物の高さは、12.88mあるよ。3階建ての校舎と同じくらいの大きさだよ。とても立派な建物だから、古代佐位郡の象徴として建てられたと考えられるよ。 床面積は約182㎡、畳だと110枚分くらい、自動車なら12 台くらい停められる広さだよ。 税として納められた米を…

  • 丸塚山古墳 伊勢崎市三和町

    女堀の前に丸塚山古墳を訪れた。 伊勢崎市によると「 丸塚山古墳は、主軸を南北におく墳丘の全長が81メートルの帆立貝式古墳で、5世紀後半に築造されたと考えられる。昭和30年(1955)に群馬大学史学研究室による発掘調査が行われ、後円部に墳丘主軸とほぼ平行して3基の組み合わせ式箱形石棺が発見され、葺石や埴輪片の存在も確認される。」、丸塚山古墳リーフレットによると「昭和13年に刊行された『上毛古墳総覧』では、丸塚山古墳の記述で『緑泥片岩製の長持形石棺アリ』と記載され」3号石棺は「石材の一部が残っているだけ」だが「王者の棺」と呼ばれる長持形石棺の可能性があり「お富士山古墳に後続する有力者の墓の可能性は…

  • 赤堀 伊勢崎市東大室町

    現地説明会の前に国指定史跡 女堀を見学した。 国指定史跡 女堀(東大室地区下神沢地点) 所在地 前橋市東大室町 指定年月日 昭和58年10月27日 女堀(おんなぼり)は前橋市上泉町から伊勢崎市田部(旧東村国定)までの約13kmにわたって、上幅15〜30m.、深さ3〜4mの規模で掘られた長大な農業用水路である。発掘調査では12世紀中頃に掘られたが、工事中断により未完成であったことが分かった。開削の目的は旧佐郡一帯に立荘された淵名荘の開発に伴う農業用水の確保であったといわれている。本地区は一部で発掘調査されている。標高が高いことから上報30mで掘削深度も4.5mと深い。 掘削排土の下から畑跡が見つ…

  • 石山南遺跡・石山南古墳群 現地説明会 (6/30) 伊勢崎市下触町

    6月30日に開催された石山南遺跡・石山南古墳群の現地説明会に参加した。民間開発に伴う発掘調査で、古墳1基(石山南107号墳)のほか、埴輪生産に関わる粘土採掘坑2基、工房5軒、埴輪窯1基が確認された。埴輪窯の発見は伊勢崎市で初めてとのこと。 【石山南遺跡・石山南古墳群の現地説明会の開催】 発掘調査中の石山南遺跡・石山南古墳群では古墳1基、埴輪生産に関わる埴輪窯1基等が確認されました。埴輪窯の発見は本市で初めてで、成果を公開するため、現地説明会を開催します。#埴輪窯https://t.co/ylvhH5S2rY — 伊勢崎市 (@isesakicity_lg) 2024年6月25日 列島展の影響で…

  • 道仏遺跡と道仏北遺跡 宮代町道佛

    カスミ フードスクエア宮代店近くの風土記の丘公園ときりかぶ公園で、道仏(どうぶつ)遺跡と道仏北遺跡の痕跡を散策。 道仏遺跡 まちしるべ 45 道仏遺跡 所在地 宮代町道佛三丁目 道仏(どうぶつ)遺跡は、縄文時代早期後半(約7,000年前)と古墳時代中期(約1,550年前)から後期(約1,400年前)にかけての遺跡です。特に五世紀後半から六世紀後半にかけては、当地域で最も大きな集落でした。本遺跡は大宮台地の東側縁部の屈曲点にもあたり、当時大河であった古利根川に近いことから交通の要所としても発達したようです。六世紀前半までは島状の台地全体に集落がありましたが、六世紀中葉以降は西側の比較的標高が高い…

  • 「土器でみる一万年 宮代の縄文」 宮代町郷土資料館

    埼玉県の宮代町郷土資料館で開催された企画展「土器でみる一万年 宮代の縄文」を会期終了間際に鑑賞した。宮代町の遺跡からは縄文時代の始まり(草創期)から終わり(晩期)までの土器が出土している。本企画展では縄文土器の形と文様の変化、製作道具に焦点をあてて展示、町指定文化財である「微隆起線文土器(びりゅうきせんもんどき)」を含めたさまざまな土器を通して、縄文時代の一万年をたどる。今回の企画展は撮影OK、常設展示は撮影NG、前回の企画展は撮影NGだったので一歩前進。 【開催中】令和5年度第3回企画展「土器でみる一万年 宮代の縄文」 埼玉県宮代町 旧石器時代、縄文時代 埼玉県宮代町 宮代町最古の土…

  • 侍塚古墳群 (再訪) 大田原市湯津上

    侍塚古墳群を再訪した。 大田原市指定史跡 侍塚古墳群のご案内 昭和41年2月15日指定 大田原市湯津上地内 下侍塚古墳のすぐ北側には侍塚古墳群と呼ばれる古墳群が展開しています。現在確認できるのは8基ですが、かつては10基ほど存在したものの戦後の開田等により、消滅したといわれています。 前方後円墳である1号墳、方墳である8号墳を除く6基は円墳とみられています。5号墳と8号墳については、部分的な発掘調査によって、ある程度古墳の状況が把握されています。 それ以外の古墳については、平成10年(1998)から平成13年(2001)にかけて、墳丘の測量調査が行われ、墳形と大きさが確認されています。 大田原…

  • 下侍塚古墳 (再訪) 大田原市湯津上

    下侍塚古墳を再訪した。 国指定史跡 下侍塚古墳 (しもさむらいづかこふん) 下侍塚古墳は、那珂川右岸の段丘上に位置する前方後方墳で、那須地方の6基の前方後方墳のなかでは上侍塚古墳に次ぐ規模である。 本墳は、元禄5年(1692)、徳川光圀の命により小口村(那珂川町小口)の庄屋であった大金重貞らが上侍塚古墳とともに発掘調査を行なっている。鏡・鎧片・鉄刀片・大刀柄頭・土師器壺・同高坏などが出土したが、これらは、絵図にとるなど調査結果を記録したうえで松板の箱に収め、埋め戻している。 さらに墳丘の崩落を防ぐために松を植えるなどの保存整備も行なわれた。これら調査と調査後の遺跡の処置は、日本考古学史上特筆さ…

  • 上侍塚北古墳 (再訪) 大田原市湯津上

    上侍塚古墳のすぐ北にある上侍塚北古墳。全長48.5mの前方後方墳。上侍塚北古墳は、上侍塚・下侍塚より古い可能性が指摘される。 にほんブログ村

  • 上侍塚古墳 第1回発掘調査現地説明会 (6/29) 大田原市湯津上

    6月29日に開催された上侍塚古墳の令和6年度第1回発掘調査現地説明会に参加した。本調査は今年で4年目。 栃木県/上侍塚古墳(大田原市)令和6年度第1回発掘調査現地説明会の開催について 那須 上侍塚古墳・下侍塚古墳 栃木県埋蔵文化財センター 【上侍塚古墳発掘調査開始】5/14、上侍塚古墳の発掘調査が始まりました😆✨前方部の西側から堀り始め、早速葺石と思われるものが出土しました‼️今年度はどんな成果が得られるのか楽しみですね🙌#栃木県 #大田原市 #上侍塚古墳 #発掘調査 pic.twitter.com/q7dzlwgYLl — 栃木県埋蔵文化財センター (@MaibunT) 2024年5月17日…

  • 文化財展示コーナー 台東区生涯学習センター

    台東区西浅草の生涯学習センターを訪れた。この施設の3階に文化財展示コーナーがある。古墳時代コーナーには円筒埴輪片があった。「科学博物館地点、古墳時代中期」とのこと。その他、旧石器時代から近代まで、刻印のある煉瓦も展示されていた。 3階 台東区ホームページ にほんブログ村

  • 硬玉製大珠(こうぎょくせいたいしゅ)

    東京国立博物館の平成館の総合文化展の展示「日本の考古」で「縄文時代の装身具と祈りの道具」の「10. 硬玉製大珠(こうぎょくせいたいしゅ)」が気になったのでちょっと調べた。展示されていた硬玉製大珠は5点で、展示説明では「東京都北区 西ヶ原貝塚ほか出土 縄文時代(中期)・前3000~前2000年」、東京国立博物館のWebサイトで調べると「西ヶ原貝塚ほか出土」の「ほか」の4点の情報もあった。ここで気になったのは「時代・年代世紀」が「出土地不詳」の2点を含めて5点全て「縄文時代(中期)・前3000~前2000年」となっていたこと。それから、展示されていた5点の硬玉製大珠と、Webサイトの5点の硬玉製大…

  • 中央改札(YOSTAR改札) JR秋葉原駅

    もう7月なのに今更だが、3月頃、JR秋葉原駅の中央改札口の先が工事中で何が出来るのかと思っていたら。。。 3月中旬頃 翌日 3月下旬 4月上旬 Yostar OFFICIAL SHOP JR秋葉原駅店 4月1日よりYostarがジャック展開 秋葉原駅中央改札の改札口入口標等が 「中央改札(Yostar改札)」に! 株式会社Yostar にほんブログ村

  • 「幸手と杉戸の古墳時代-下総台地の集落と墓-」 幸手市郷土資料館

    幸手と杉戸の共催企画展『幸手と杉戸の古墳時代-下総台地の集落と墓-』を幸手会場の幸手市郷土資料館で鑑賞した。幸手会場の会期は7月15日まで。その後、7月28日から8月31日まで 杉戸会場の杉戸町文化財展示室(エコ・スポいずみ内)と巡回する。 幸手と杉戸では千葉との県境を流れる江戸川右岸の下総台地で古墳時代の遺跡が調査されてきた。幸手を代表する槙野地北(まきのじきた)遺跡では、古墳時代の約400年間続いた集落が発見され、杉戸では前方後円墳を含む20基以上からなる目沼(めぬま)古墳群がつくられた。槙野地北遺跡と目沼古墳群は約1kmの距離、目沼古墳群を造営した集団の中心地は槙野地北遺跡であった可能性…

  • 「貝塚の骨から見る縄文時代のくらし」 明治大学博物館

    明治大学博物館の考古部門のミニ展示、明大コレクション58「貝塚の骨から見る縄文時代のくらし」を鑑賞した。貝塚は捨てられた貝殻などが長期間にわたり層になった遺跡で、貝塚は名前の通り貝類で主に構成されるが、通常の遺跡であれば残りにくい動物の骨や、これらの骨・角・歯で作られた道具(骨角器)も多数出土する。本展示では骨や骨角器に注目し、当時の人々の活動を紐解く。 明大コレクション58 「貝塚の骨から見る縄文時代のくらし」開催のお知らせ 明治大学 考古部門コレクション展「貝塚の骨から見る縄文時代のくらし」が本日始まりました!貝塚では通常の遺跡であれば残りにくい動物の骨や、これらの骨・角・歯で作られた…

  • 「旧石器時代の井の頭池周辺 -武蔵野市発掘調査成果報告-」 武蔵野市立武蔵野ふるさと歴史館

    武蔵野市立武蔵野ふるさと歴史館で開催された企画展「旧石器時代の井の頭池周辺 -武蔵野市発掘調査成-」を会期終了間際に鑑賞した。本展では、井の頭池周辺の吉祥寺南町1丁目遺跡E地点ほか御殿山遺跡出土などの主に立川ローム第3層から第6層までの旧石器時代のナイフ形石器を中心に基礎データを紹介。3Dプリンタ出力による石器のレプリカを、手に取って、本物と比較しながら観察できるのも楽しい。 令和6年度第1回企画展「旧石器時代の井の頭池周辺 -武蔵野市発掘調査成果報告-」|武蔵野市公式ホームページ 【次回企画展】令和6年5月11日(土)から企画展「旧石器時代の井の頭池周辺 -武蔵野市発掘調査成果報告-」が始ま…

  • 岩鼻二子山古墳の石棺 東京国立博物館

    東京国立博物館に行くたびに、遠目で確認するバックヤードの石棺。立ち入り禁止エリアにあるので見学できないのが残念。群馬県高崎市の岩鼻二子山古墳の石棺(J-8278)、宮城県仙台市の一塚古墳出土の石棺(J-20055)、福井県福井市の小山谷古墳出土の石棺(J-5017)など。以前は、東洋館の軒下で野外展示されていた(埼群古墳館別館)。 国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構(QTS) 高崎量子応用研究所の『高崎研だより』第5号の「高崎研歴史探訪〜その1古墳編〜」によれば、岩鼻二子山古墳の石棺は「以前は、東洋館の軒下に展示されていたそうですが、現在はバックヤードで保管中とのこと。特別にお願いして…

  • 21世紀の森と広場 松戸市千駄堀

    松戸市博物館のある「21世紀の森と広場」を散策した。 二十一世紀の森と広場 昭和四十年代から昭和五十年代にかけて、当時の松戸市は人口が著しく急増し、都市の基盤整備も追いつかず、生活環境も悪化していく傾向にありました。二十一世紀に向かって、本市の将来像を明確にしておかなければ、取り返しのつかない状態になると感じておりました。こうした状況の中で、本市のほぼ中央に位置するこの千駄堀地区は、樹林地に囲まれた谷の入り組む独特な景観を構成しており、谷頭には湧水が多く見られ、植物も豊富で、小動物も数多く生息する変化に富んだ地域として存在しておりました。 「この地域の持つ固有の自然環境を守り育てていくこと自体…

  • 北郷遺跡 松戸市千駄堀

    松戸市博物館の企画展を鑑賞した後で、近くの北郷遺跡を訪ねた。 106 北郷遺跡 縄文時代の遺跡です。周辺からは縄文時代前期の浮島式、中期の阿玉台式、加曽利E式など土器のかけらが多数採集されています。これらの土器は今から約6000年前~1500年前頃のものです。 平成8年3月 松戸市教育委員会 フセギ? ここにも 安蒜家長屋門 安蒜家長屋門 長屋門は大名屋敷などに見られる部屋付きの門で、農村でも村役人など特定の農民のみに建築が許され盛んに造られました。この門は棟札から天保11年に建築されたことがわかります。 安蒜家長屋門(あんびるけながやもん) まつどの観光・魅力・文化|松戸市 にほんブログ村

  • たてたてあなあな―竪穴建物の世界 松戸市博物館

    松戸市博物館で開催された企画展「たてたてあなあな―竪穴建物の世界」を会期終了間際に鑑賞した。本展は、松戸市内で発掘された竪穴建物を中心に、出土した資料や写真から古代の竪穴建物を紹介するとともに、世界各地で記録された実際の竪穴建物の古写真・絵画パネルなどを展示する。竪穴建物は、地面を掘り下げて床を作った建物で、世界各地でみられ、日本ではおもに10,000年前(縄文時代)から1,000年前(平安時代)と長い間使われた。松戸市内でも、1,000を越える竪穴建物が発掘調査によって見つかっている。ちなみに 『竪穴建物』という言葉について「『竪穴(式)住居』という言葉が慣習的に使われてきたが、住居住居と想…

  • 金鑚神社 美里町下児玉

    美里町下児玉の金鑚神社に参詣した。 第62回伊勢神宮式年遷宮記念 金鑽神社 御由緒 美里町下児玉322 □御縁起(歷史) 下児玉は、身駒川(小山川)の左岸に位置する細長い形をした村である。明徳元年(1390)の藤原泰治寄進状に「児玉郡下児玉郷内浅羽方田壱町七段」が徳蔵寺の長老大勲に寄進された旨が載ることから、室町時代の初期には既に開発がなされていたことが推測され、また栃木県足利市の鑁阿寺(ばんなじ)が所蔵する永正十年(1513)銘の法華経第一巻の奥書に「下児玉勝輪寺当住持法印祐重」とあることから、かつては隣接する小茂田(こもだ)も下児玉の村域内であったことがわかる。 このように、下児玉は古い歴…

  • 若泉稲荷神社古墳 本庄市北堀

    本庄市の古墳巡りの続き。 西五十子古墳群の若泉稲荷神社古墳を訪れた。文献[1]によると「円墳、径38m、葺石」 若泉稲荷神社 所在地 本庄市北堀206 若泉稲荷神社の祭神は、倉稲魂命(ウカノミタマ)である。 伝来の口碑によれば、一ノ谷の合戦(1184)で源氏に従い平重衡を生捕った荘太郎家長 は、その館を現在の小字東本庄に構えたが、治承四年(1180)当社を勧請建立し、この地の鎮守としたと言われている。 その後、天正十八年(1590)小笠原信嶺が本庄氏に代って領主となったとき、旧領主勧請の古社であるので最も崇敬を加え、あらたに社殿をこの地に建立奉遷したと伝えられている。 昭和61年3月 埼玉県 …

  • 「令和5年度特別史跡加曽利貝塚発掘速報展」 千葉市立加曽利貝塚博物

    千葉市立加曽利貝塚博物で開催された「令和5年度特別史跡加曽利貝塚発掘速報展」を鑑賞した。本展は、 最新の調査研究成果として、令和5年度から開始した北貝塚の発掘調査について、昭和37・41年の発掘調査の成果と合わせて展示する。会期は本日(6月30日)まで。 千葉市:令和5年度特別史跡加曽利貝塚発掘速報展の開催について 久しぶりに加曽利貝塚博物館を訪問して、令和5年度発掘調査速報展を観覧しました。土偶をはじめとする発掘遺物とともに、加曽利貝塚と集落の発達史に関連するパネル展示も充実していて、自分の問題意識を深めることができました。https://t.co/cVqkqQaYuC pic.twitte…

  • 発掘された日本列島2024 千葉県立中央博物館

    千葉県立中央博物館で開催中の巡回展「発掘された日本列島2024」を鑑賞した。平成7年度から始まった本展は、今年度で30回目の開催。千葉県立中央博物館での開催は16年ぶり3回目。今回は「我がまちが誇る遺跡」として北海道・今金町、北海道・余市町、群馬県・藤岡市の3地域に焦点を当てる展示と、「新発見考古速報」として遺跡発表会「発掘された関東の遺跡2024」で発表のあった5遺跡の他、北海道の美々4遺跡、福島県の墓科遺跡、奈良県の菅原遺跡、宮城県の穴田東窯跡・薬師堂東遺跡、神奈川県の六ノ域遺跡の10遺跡を紹介する。また、「地域展」では、令和3年度に寄贈された千葉県指定有形文化財「半円方格帯神獣鏡」(大多…

  • 発掘された関東の遺跡2024 (6/22) 千葉県立中央博物館

    6月22日に千葉県立中央博物館で開催された 遺跡発表会「発掘された関東の遺跡2024」に参加した。関東考古学フェアの一環として、 群馬県2、埼玉県2、茨城県1、計6遺跡の発表と特別公演 “「発掘された日本列島2024」展の見どころ”を聴講した。定員150名がほぼ埋まり大盛況。 【おしらせ】令和6年遺跡発表会「発掘された関東の遺跡2024」を開催します。※要申込日時:令和6年6月22日(土)10:10~(受付開始9:40)申込方法:往復葉書・メール(6月7日まで※消印有効)申込先:(公財)千葉県教育振興財団文化財センター詳細はチラシをご覧ください pic.twitter.com/2dHkVUNr…

  • 飯玉神社 本庄市北堀

    本庄市北堀の飯玉神社を参詣した。 第六十二回伊勢神宮式年遷宮記念 飯玉神社 御由緒 本庄市北堀一六〇二 □ 御祭神・・・倉稲魂命(うかのみたまのみこと) □ 御縁起(歴史) 鎮座地の久下塚は、武蔵七党児玉党の久下塚氏の名字の地と考えられており、元来は独立した村であったが、中世の末期に北堀に繰り入れられるようになったようである。また、地名の「久下」は古代の役所である「郡家」が転じたもので あるとの説もあるが、これを裏付ける遺跡は現在のところ発見されていない。 当社は、久下塚の産土として祀られてきた神社で、『児玉郡誌』によれば、創立の年代は不詳であるが、児玉党の支族である公家塚庄二郎弘定が崇敬した…

  • 元富東古墳 本庄市東富田

    東富田古墳群を散策。3基目は元富東古墳。現況は湮滅。文献[1]によると「東富田古墳群3、円墳、径16m、埴輪、横穴式石室、葺石」 、本庄早稲田の杜ミュージアムのミニ企画「ミュージアム周辺の古墳」では、パネルに「元富東古墳」との名称で「直径27mほどの古墳、墳丘には一部に葺石が施され、周囲には堀がめぐって、埋葬施設は両袖式の胴張型横穴式石室、側壁は模様積、奥壁には巨大な片岩を二段積み、玄室の床面付近から直刀3、各種刀装具、刀子、鉄鏃、弓飾金具、銅製耳環などが出土、7世紀前半の築造と推定」、横穴式石室側壁・奥壁検出状況写真と石室実測図、石室出土副葬品が展示された。 120公卿塚古墳趾, 121元富…

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