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  • 斗合田愛宕様古墳 明和町斗合田

    次に明和町斗合田(とごうだ)の斗合田愛宕様古墳を訪れた。文献[2]によるとすぐ北に斗合田薬王寺古墳があった。「マッピングぐんま」だと1枚目の写真中央の斗合田集落センターの位置が斗合田薬王寺古墳となっている(現況は宅地)。 明和町の文化財と歴史 群馬県邑楽郡明和町 斗合田愛宕様古墳 古墳探訪記 「明和町の文化財と歴史」によると「斗合田には、斗合田稲荷塚古墳があり、昭和29年7月に群馬大学史学研究室が発掘調査をした結果、7世紀後半、古墳時代末期の横穴式石室を持つ古墳と判明した。古墳内からは盗掘され た残りの品と思われる遺物が発見されていたが、町の開発行為に伴い、令和2年に撤去された。」とのこと…

  • 江黒古墳 明和町上江黒

    利根川左岸の自然堤防上に立地する群馬県明和町の江黒古墳を訪れた。径約10mの円墳。江黒古墳の北西約500mの上江黒遺跡では、2021年の発掘調査で古墳時代の集落の存在がわかった。 明和町指定史跡 江黒古墳 昭和五十六年四月七日指定 所在地 上江黒五五一番地 所有者 長良神社 この古墳は、径約10m、高3mの円墳である。 昭和五十六年に実施した周濠部分の発掘調査により、七世紀後半のものであることが確認されている。 古墳は、三世紀末から七世紀末にかけての期間築造されている。 平成二年九月 明和町教育委員会 麦畑 古代からの悠久の歴史と文化/明和町公式ホームページ 明和町の文化財と歴史 公益財団法人…

  • 東武伊勢崎線のガード 羽生市本川俣

    「気まぐれ散歩in永明寺古墳」の後は、羽生市や加須市の古墳巡りのつもりでいたが、急に利根川対岸(左岸)の古墳が気になり予定変更。ナビは東北自動車道で利根川橋を渡ることを薦めるが、無課金を選択して国道122号の昭和橋を渡るルートを選択。利根川右岸を並走する埼玉用水路沿いの道を西進すると目の前に東武伊勢崎線の煉瓦造の橋台。 東武伊勢崎線の煉瓦構造物 にほんブログ村

  • 御廟塚古墳 羽生市下村君

    御廟塚(みびょうづか)古墳は、「永明寺古墳保存活用計画(改訂版)」(令和2年5月、羽生市教育委員会)によれば「前方後円墳とされるが、未調査で、埋没している部分も多く、その規模は不明。景行天皇55年に東山道15か国の都督に任命されて赴任した豊城入彦(とよきいりひこ)の孫の彦狭島王(ひこさしまおう)が埋葬されたとする伝承が残る」、文献[2]によれば「前方後円墳、馬具、陶棺、天井石民家にあり」、文献[3]によれば「填長推定60m」「 <その他> 古墳の中央を北方用水が通り、南北に分断された。後円部削平、前方部のみ残存、計測不能」「 <主体部>位置:後円部、室:横穴式石室?、乱掘:1880年開墾のため…

  • 稲荷塚古墳 羽生市下村君

    「気まぐれ散歩in永明寺古墳」の前に村君古墳群の稲荷塚古墳と御廟塚(みびょうづか)古墳とを巡った。稲荷塚古墳は 「永明寺古墳保存活用計画(改訂版)」(令和2年5月、羽生市教育委員会)によれば径20mの円墳。文献[1]によれば「円墳、規模不詳、埴輪、墳丘上に鷲宮神社」 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「 埼玉県古墳詳細分布調査報告書 」 37 稲荷塚古墳, 38 永明寺古墳, 40 御廟塚古墳 にほんブログ村

  • 第17回村君あおぞら市場in永明寺 羽生市下村君

    「気まぐれ散歩in永明寺古墳」の前後に、隣の会場で盛り上がっていた「第17回村君あおぞら市場in永明寺」も楽しんだ。焼きそばがなんと200円。 村君公民館 羽生市 村君公民館だより 2024年5月号 いがまんちゃんとムジナもん いがまんちゃん 羽生市 ムジナもん 羽生市 にほんブログ村

  • 気まぐれ散歩in永明寺古墳 羽生市下村君

    永明寺古墳 文化遺産オンライン 5月12日に埼玉県羽生市で開催されたイベント「気まぐれ散歩in永明寺古墳」に参加した。 県指定史跡永明寺古墳(ようめいじこふん)を歩いて、市職員が見どころを紹介。 古墳から出土した実物の埴輪も解説。埴輪は周溝の発掘調査で出土したもの。このイベントは今年で17回目となる「村君あおぞらいちin永明寺」の開催に合わせて実施された。10時からのイベントの前に、付近の古墳と、永明寺古墳を一人でまわって予習した。あとで気がついたが、イベントの参加者が写った写真が一枚もない。 永明寺 ③永明寺古墳(ようめいじこふん) (記念物 史跡 埼玉県指定第540号 平成27年3月13日…

  • 小松1号古墳 羽生市小松

    羽生市の「街の中に古墳があるまち」に紹介されている埋没古墳の小松古墳群の1号墳を訪ねた。埋没古墳なので、現地を訪れても墳丘が見つかるわけではない。墳丘も地面の下に埋まっている。場所は、小松神社の西隣。 1979年の下水道工事中に地表下1.2mから主体部(石室)が発見され小松1号古墳として発掘調査が行われた。石室の棺床面は約3mの深さ、胴張り複室構造の横穴式石室でほぼ南に開口、 床から鉄刀や装身具類が出土。7世紀前葉と考えられる。小松古墳群は、関東造盆地運動での沈降と河川の氾濫土の被覆で、その多くが埋没していると考えられる。文献[2]では「小松古墳、円墳、自然堤防・畑、直刀・鉄鏃・耳環・玉、埋没…

  • 発掘された弥生時代 杉並区立郷土博物館分館

    杉並区立郷土博物館分館で開催された企画展「発掘された弥生時代」を会期終了間際に鑑賞した。また、この日に実施された学芸員による展示解説にも参加した。本展では、大宮遺跡・鎌倉橋上遺跡・方南町峰遺跡群などの発掘調査成果をもとに、弥生時代の生活や葬送について紹介する。杉並区内では、これまで弥生時代の遺跡はあまり注目されていなかったが、近年の発掘調査により、弥生時代を代表する遺構である環濠集落や方形周溝墓が発見され、区内の弥生時代の様子が明らかになってきたとのこと。弥生時代を題材にした展示は区内初。大宮遺跡の方形周溝墓から出土した遺物が一堂にそろうのは発掘調査依頼54年ぶり。 杉並区立郷土博物館|杉並区…

  • 宝塚遺跡 船橋市海神

    海神山緑地の入口に建てられた宝塚遺跡(ほうづかいせき)の説明板。宝塚遺跡は過去の発掘調査で、古墳時代の竪穴建物3、溝1、土師器、軽石、石製模造品(臼玉・未製品・原石)を検出[文献1,2]。市内では初めて砂丘上に遺構を検出[文献1]。 宝塚遺跡(ほうづかいせき、海神3・4丁目) エビゾーくん 祭祀用の製品を作る工房があったんだね 宝塚遺跡は、過去に高坏などの土師器が見つかっており、遺跡があることが分かっていましたが、平成11・12 年に2地点で正式な発掘調査が行われ、古墳時代中期(5世紀)の竪穴住居跡が4軒発見されました。宝塚遺跡周辺の台地は厚い砂に覆われた砂丘であり、竪穴住居跡は、砂を掘りくぼ…

  • 京成本線のガード 船橋市海神

    京成本線の海神駅と京成船橋駅の間の2か所にある煉瓦造のガードを探索。 一つ目のガード 2つ目のガード 京成本線レンガガード(船橋市)2 : Anthology -まちの記憶- 海神駅から海神小学校を訪ねて - Deepランド にほんブログ村

  • 1万年前のタイムカプセル 国史跡取掛西貝塚 飛ノ台史跡公園博物館

    飛ノ台史跡公園博物館(千葉県船橋市)で開催された企画展「1万年前のタイムカプセル 国史跡取掛西貝塚」を会期終了間際に鑑賞した。取掛西貝塚(とりかけにしかいづか)は、船橋市飯山満町1丁目から米ケ崎町にまたがる、標高23〜25mの台地上に立地する縄文時代の遺跡で、東西約500m、面積約76,000㎡(東京ドーム約1.6個分)の範囲に、縄文時代早期前葉(約1万年前)の竪穴住居跡58軒(東京湾東岸部で最も古い貝塚を伴う集落跡で、この時期の関東最大規模の集落跡)と、シカのツノやイノシシの頭蓋骨を並べた跡(動物骨集中、儀礼の跡だとすれば日本最古)、貝塚からは貝殻、動物・魚の骨(食べ物)、土器・石器(生活の…

  • 玉川西陸閘・東陸閘 世田谷区玉川

    東急の二子玉川駅前に残る多摩川旧堤防に設けられた玉川西陸閘(りっこう)と玉川東陸閘を訪ねた。 北区豊島5丁目の隅田川旧防潮堤は「後世に伝えるためにその一部を保存した」モニュメントだが、こちらの堤防と陸閘は現役バリバリ。 玉川東陸閘 玉川西陸閘 二子玉川ライズ ガレリア 【二子玉川 水辺まちづくりレポート】⑧多摩川旧堤防・玉川陸閘(りっこう)の閉鎖訓練(2021/5/10)レポート - futakoloco 【二子玉川 水辺まちづくりレポート】今年も多摩川旧堤防・玉川陸閘(りっこう)の閉鎖訓練(2023/5/23)が行われました - futakoloco 世田谷区玉川 玉川西陸閘が稼働しています…

  • 隅田川旧防潮堤 北区豊島

    北区豊島5丁目に保存された「隅田川旧防潮堤」を訪ねた。このタイプのコンクリートによる堤防を「カミソリ堤防」と呼ぶそうだ。この辺りは両岸がスーパー堤防として整備されている。 隅田川旧防潮堤 隅田川の下流部一帯は海抜ゼロメートル以下の地域が広がっています。このため東京都では、高潮や洪水の対策として昭和三十二年から隅田川のコンクリート防潮堤建設に着手し、昭和五十年に概成しました。高潮や洪水に対する危険は大幅に減少しましたが、隅田川とまちは分断されてしまい、河川から都民を遠ざける結果を招いてしまいました。 現在は、高潮や洪水に対し、より安全性が高く、都民が河川と親しめる潤いのある、水辺環境に配慮した堤…

  • 長南町郷土資料館と寛永寺の石燈籠

    米満横穴墓群の探索の前に長南町郷土資料館に立ち寄った。米満横穴墓群出土の玉類、耳管、鉄鏃、須恵器などを展示。その他、能満寺古墳と能満寺裏遺跡の展示、根畑遺跡出土子持勾玉など見どころ豊富。 長南町郷土資料館 寛永寺の石燈籠 寛永寺の石灯籠 (寄贈 東京都 田中康弘氏) この石灯籠は、徳川将軍家の菩提寺・東京上野の寛永寺に建てられていたもので、高さは一丈(約3m)を測ります。 昭和27(1957)年に寛永寺から田中泉氏が譲り受け、平成18(2006)年に当館に寄贈されました。 銘文にある「文恭院殿」とは江戸幕府第十一代将軍家斉(1773〜1841)の法名であり家斉の死去に際し、天保12(1841)…

  • 米満横穴墓群Ⅳ-1,2小支群 長南町米満

    米満横穴墓群の続き。 横穴墓を探索する探検隊。 米満横穴墓群Ⅳ-1小支群の1基目 米満横穴墓群Ⅳ-1小支群の2基目 米満横穴墓群Ⅳ-2小支群の1基目 米満横穴墓群Ⅳ-2小支群の2基目 今回の米満横穴墓群の探索はここまで にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅲ-2支群 長南町米満

    次にすぐ南の長南町の米満(よねみち)横穴墓群に移動。米満横穴墓群は、太平洋に注ぐ一宮川水系三途川北岸の丘陵斜面に展開する県内最大規模の横穴墓群。ちば情報マップでは「7群140基。平成9年に町道改良工事に伴う発掘調査を実施、横穴墓10基・塚10基を調査。」 あいにく雨が降ったり止んだりの天気で、足場も滑りやすくなっていたため、米満横穴墓群Ⅲ-2支群の1基にターゲットを絞って探索。案内されれるがままに予備知識なしでいったので、理解が追いつかなかった。 豊栄神社 尾根上の塚 米満横穴墓群Ⅲ-2支群の1基 隣の1基 菜の花 横穴墓10基・塚10基が調査された町道 2023.1.21 千葉の横穴アドベン…

  • 徳増下谷横穴墓群(その3) 長柄町徳増

    徳増下谷横穴墓群の探索の続き。 徳増下谷横穴墓群(仮)6号墓? 徳増下谷横穴墓群(仮)7号墓? 徳増下谷横穴墓群(仮)8号墓? 徳増下谷横穴墓群(仮)9号墓? 徳増下谷横穴墓群(仮)10号墓? この先は断念して引き返した にほんブログ村

  • 徳増下谷横穴墓群(その2) 長柄町徳増

    徳増下谷横穴墓群の探索の続き。 徳増下谷横穴墓群(仮)4号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)5号墓 徳増下谷横穴墓群【千葉県長柄町】長柄横穴墓群南側の尾根に残るのがこちらの横穴墓群です。未整備かつ無名ながら、国指定史跡である長柄横穴墓群にも引けを取らない素晴らしい横穴墓の数々。内部は家形をしたものが多い印象でした。中には側壁に複室?の付く特徴的な横穴墓(3枚目)も。 pic.twitter.com/QlogQSc8M0 — ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2024年4月6日 にほんブログ村

  • 徳増下谷横穴墓群(その1) 長柄町徳増

    史跡長柄横穴墓群資料館の南側に位置する徳増下谷横穴墓群を探索。長柄町の遺跡番号149の「横穴墓 12基」で、東からアプローチした順番に1〜12号墓と仮に呼称する。 徳増下谷横穴墓群(仮)2号墓(左)と(仮)1号墓(右) 徳増下谷横穴墓群(仮)1号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)2号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)3号墓 埋蔵文化財 - 長柄町 徳増下谷横穴墓群【千葉県長柄町】長柄横穴墓群南側の尾根に残るのがこちらの横穴墓群です。未整備かつ無名ながら、国指定史跡である長柄横穴墓群にも引けを取らない素晴らしい横穴墓の数々。内部は家形をしたものが多い印象でした。中には側壁に複室?の付く特徴的な横穴墓(3枚目)も…

  • 長柄横穴墓群(その9) 長柄町徳増

    最後に長柄横穴墓群の第2支群の第35号墓を探索。尾根沿いに幾つかの塚を経由。 長柄横穴墓群第35号墓、南西に開口、家形、文献[1] タンポポの在来種 【タンポポの見分け方】日本で見られる代表的なタンポポは、二ホンタンポポ(在来種)とセイヨウタンポポ(外来種)、さらにその雑種もあるといいます。最大の違いは花のつけ根にある総苞片(そうほうへん)の形。見つけたら観察してみるのはいかがでしょうか。https://t.co/eFkO53Y9ZD pic.twitter.com/lJeOeoFvRa — ウェザーニュース (@wni_jp) 2024年4月20日 文献 [1] 財団法人千葉県文化財センター…

  • 長柄横穴墓群(その8) 長柄町徳増

    長柄横穴墓群の第2支群の第6小支群(第26,25号墓)と第5小支群(第24,23,22号墓)の5基。 長柄横穴墓群第26号墓、南東に開口、家形、文献[1] 長柄横穴墓群第25号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第24号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第23号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座3、文献[1] 長柄横穴墓群第22号墓、南南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄町長柄横穴群第2支群第5小支群: 埼群古墳館別館 長柄町長柄横穴群第2支群第6小支群: 埼群古墳館別館 文献 [1] 財団法人千葉県文化財センター 1994 『千葉県文化財センター調…

  • 長柄横穴墓群(その7) 長柄町徳増

    長柄横穴墓群の第2支群の第7小支群(第30,29,28,27号墓)の4基。 長柄横穴墓群第30号墓、東南東に開口、ドーム形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第29号墓、東南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第28号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座3、文献[1] 長柄横穴墓群第27号墓、東南東に開口、蒲鉾形、棺座3、文献[1] 長柄町長柄横穴群第2支群第7小支群: 埼群古墳館別館 文献 [1] 財団法人千葉県文化財センター 1994 『千葉県文化財センター調査報告259:長柄町横穴群徳増支群発掘調査報告書』財団法人千葉県文化財センター にほんブログ村

  • 長柄横穴墓群(その6) 長柄町徳増

    史跡長柄横穴墓群資料館の西側の整備された第1支群(4小支群、21基)を見学後、資料館の東側の整備されていない第2支群(5小支群、15基)を南西の第34墓(第9小支群)から北東の第22墓(第5小支群)へと逆順に探索。 長柄横穴墓群の第2支群の第9小支群(第34,33号墓)と第8小支群(第32,31号墓)の4基。 長柄横穴墓群第34号墓、南南東に開口、家形、棺座4、文献[1] 長柄横穴墓群第33号墓、南南東に開口、家形、棺座4、文献[1] 長柄横穴墓群第32号墓、東南東に開口、家形、文献[1] 長柄横穴墓群第31号墓、東南東に開口、蒲鉾形、文献[1] 長柄町長柄横穴群第2支群第8・9小支群: 埼群…

  • 長柄横穴墓群(その5) 長柄町徳増

    長柄横穴墓群の第1支群の第1小支群(第1〜4号墓)の4基。 第1小支群 第1小支群は、第1〜4号墓の4基の横穴墓があります。 長柄横穴墓群第1号墓、南西に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第2号墓、南に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第3号墓、南東に開口、横アーチ型、棺座1、見学不可 長柄横穴墓群第4号墓、南東に開口、寄棟型、棺座2 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第1小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村

  • 長柄横穴墓群(その4) 長柄町徳増

    長柄横穴墓群の第1支群の第4小支群(第18〜21号墓)の4基。 長柄横穴墓群第18号墓、南南東に開口、縦アーチ型、棺座1、見学不可 長柄横穴墓群第19号墓、南東に開口、縦アーチ型、棺座2 長柄横穴墓群第20号墓、南南東に開口、縦アーチ型、棺座1 長柄横穴墓群第21号墓、南南東に開口、縦アーチ型、棺座1、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第4小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村

  • 長柄横穴墓群(その3) 長柄町徳増

    長柄横穴墓群の第1支群の第3小支群(第13〜17号墓)の5基。 第3小支群 第3小支群は、第13〜17号墓の5基の横穴墓があります。特に、第13号墓の玄室には、線刻画が描かれています。 線刻画とは?線刻画は、壁に尖ったもので線を刻んで絵を描いたものです。 長柄横穴墓群第13号墓、南西に開口、縦アーチ型、棺座3、線刻画、見学不可 長柄横穴墓群第14号墓、南南西に開口、ドーム型、棺座1 長柄横穴墓群第15号墓、南南東に開口、寄棟型、棺座4 長柄横穴墓群第16号墓、南に開口、寄棟型、棺座4 長柄横穴墓群第17号墓、南に開口、寄棟型、棺座3、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群…

  • 長柄横穴墓群(その2) 長柄町徳増

    長柄横穴墓群の第1支群の第2小支群(第5〜12号墓)の8基の続き。 長柄横穴墓群第8号墓、南西に開口、縦アーチ型、棺座3 長柄横穴墓群第9号墓、南に開口、縦アーチ型、棺座2、見学不可 長柄横穴墓群第10号墓、南に開口、寄棟型、棺座3、見学不可 長柄横穴墓群第11号墓、南に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第12号墓、南東に開口、切妻型、棺座2、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第2小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村

  • 長柄横穴墓群(その1) 長柄町徳増

    春の桜が咲く頃、誘われて、房総半島のほぼ中央に位置する長柄(ながら)町の長柄横穴墓群と長南(ちょうなん)町の米満横穴墓群を探索した。この地域は、太平洋に注ぐ一宮川の上流にあたり、複雑に開析された入り組んだ谷津が多く、笠森層とよばれる暗青色の凝灰質砂岩層が分布し、横穴墓が集中する。また、この地方には上総地方に特徴的な「高檀式(こうだんしき)」とよばれる羨道と玄室の高さが著しく差のある特有の形態の横穴墓が多い。 長柄横穴墓群は、1980年に16基が長柄町横穴群徳増(とくます)支群として県指定史跡となり、1993年に千葉県教育委員会が重要遺跡確認調査を実施(文献[1])、1995年に35基が国の史跡…

  • 橘花屯倉ミニシンポジウム 川崎市高津市民館

    ゴールデンウィーク初日(4月27日)に溝の口駅前の商業ビル最上階(12階)の高津市民館大会議室で開催された川崎市制100周年記念事業、令和6年度橘樹官衙遺跡群保存活用事業として開催された「橘花屯倉ミニシンポジウム-橘樹官衙遺跡群成立の前段階-」に参加(聴講)した。会場の参加者が約200名、オンラインの参加者が約80名と盛況。司会は三舟隆之氏。 川崎市初の国史跡である橘樹官衙遺跡群が成立する前段階の「橘花屯倉(たちばなみやけ)」をテーマとしたミニシンポジウムで、7件の発表とパネルディスカッションの構成。4月16日の川崎市長定例記者会見で、橘樹歴史公園の5月18日オープンが発表された。川崎市は、橘…

  • 狐塚古墳と八幡塚古墳 (再訪) 世田谷区尾山台

    御岳山古墳から、狐塚古墳を経て、八幡塚古墳のある宇佐神社を再訪した。 狐塚古墳 世田谷区立狐塚古墳緑地 狐塚古墳(きつねづかこふん) 世田谷区は、この狐塚古墳を後世に残すため、 区立公園として整備・保全いたしました。公園全体が古墳の一部となっておりますので大切に保全、利用していただきますようお願い致します。 狐塚古墳は、多摩川に面した国分寺崖線の台地先端部に造られた古墳時代中期後期(5世紀後半)の古墳です。 この地域は多摩川に向かって突き出した台地と小さな谷が交互に連続する地形が特徴で、この台地上には南武蔵の首長墓(古墳)が、5世紀から6世紀にかけての古墳時代中ごろに連続して造営され、これらは…

  • 等々力不動尊と御岳山古墳 (再訪) 世田谷区等々力

    「古墳散策ツアー」後に野毛大塚古墳から等々力渓谷の神変窟、等々力不動尊を経て、御岳山古墳を再訪した。満願寺所蔵で通常非公開の御岳山古墳出土の七鈴鏡(東京都指定文化財)は、いつかどこかで公開されないかな。1950年(昭和25年)に学習院大学が実施した御岳山古墳後円部墳頂の埋葬施設の調査は、調査に参加した学習院輔仁会高等科史学部2年生堀田正祥(当時16歳、後の尾張徳川家第21代当主徳川義宣、徳川美術館館長)氏の47年後の報告(文献[1])で当時の様子がうかがえる。 等々力渓谷 東京都指定名勝 等々力渓谷(とどろきけいこく) 所在地 世田谷区等々力2丁目外 指定 平成11年3月3日 等々力渓谷は、国…

  • 古墳散策ツアー 世田谷区野毛

    3月30日の玉川野毛町公園拡張予定地一部開園イベントで開催された「古墳散策ツアー」に参加した。野毛大塚古墳の約1/150の縮尺の復元模型で、野毛大塚古墳の概要を、野毛大塚の墳頂に登り、4つの埋葬施設と埋葬遺物について説明していただいた。埋葬順は第1,3,2,4主体部の順。第2主体部は明治時代に地元の若者が掘って、副葬品と人骨を見つけた。副葬品は東京国立博物館に収蔵。第1主体部は粘土槨の竹割形木棺。木棺の上の中央に漆塗の竪櫛が置かれていた。長さ8mの木棺と甲冑などの武器類が被葬者の権力の大きさを示す。鎧は皮留めで古式。第3主体部は鉄鏃280本と刀32本を副葬。また、墳頂から眼下を眺め、2017年…

  • 煉瓦造の蔵 (その2 湮滅) 北区豊島

    北区豊島の煉瓦蔵に足場が組まれているとXのポストで見つけて、2つある北区豊島の煉瓦蔵を確認したら、4年前に鍰煉瓦(からみれんが)を探していて見つけた煉瓦蔵のあるお宅で建替え工事が始まっていた。その時は煉瓦蔵と煉瓦塀は無傷で、敷地の建物がなくなっていた。翌週、再訪したら、屋根瓦が降ろされ、雨樋がもげていた。翌々週には更地になっていた。 翌週、再訪 翌々週には更地になってた。最後に残った煉瓦塀も翌日には取り壊されていた。 北区豊島には立派な煉瓦蔵がありましたが今はもう足場が組まれてしまいそろそろ解体されそうです😭 pic.twitter.com/PBV5FdN8mL — たくあん (@takuan…

  • 多摩の“なんで!?”な出土品 東京都埋蔵文化財センター

    3月20日から東京都埋蔵文化財センターで開催中の新年度の展示「多摩の“なんで!?”な出土品」を鑑賞した。普段の展示では調査で分かったことを紹介するが、分からないことも多く残るのが考古学。本展ではまだ答えの出ていない「なんで!?」に焦点を当てる。取り上げるのは、石器の大きさの違い、土器の大・小(ミニチュア土器)、自立しない土器、現代の道具とそっくりな土器、有孔鍔付土器、いきもの表現(人面・十獣面把手、土偶・動物型土製品)など。 【明日から新展示開始】3/8から休館していた当館ですが、明日から開館、そして新年度の展示「多摩の“なんで!?”な出土品」がはじまります!今まさに設営作業のラストスパートで…

  • 多摩ニュータウンNo.313遺跡1号横穴墓 町田市小山ヶ丘

    三ツ目山公園に移築復元された多摩ニュータウンNo.313遺跡1号横穴墓(久保ヶ谷戸横穴墓)を見学した。多摩ニュータウン地域とその周辺からは12群46基の横穴墓が発見されている。横穴墓は群集して複数基が築かれることが通常だが、No.313遺跡1号横穴墓は1基のみ単独で、墓室に通じる通路状の平坦部分(前庭部)は長さ19mと全国でも最大級の規模、前庭部奥壁全面と両側壁の一部に河原石を積み上げ、積み上げた石は総数945点、総重量約5.2t、羨門は柱状の切石が組まれ、扉はしっかり塞がれた状態で未盗掘、前庭部からは静岡県湖西窯産の須恵器の大窯とフラスコ形瓶、直刀、六窓鍔、鉄鏃が出土、墓室からは人骨片と刀子…

  • 再発見!!あつぎの古墳 あつぎ郷土博物館

    あつぎ郷土博物館で、3月2日から24日日まで開催された令和五年あつぎの遺跡展「再発見!!あつぎの古墳」を最終日に鑑賞した。本展は、厚木秦野道路の建設工事に伴い発掘調査が行われた古墳(及川伊勢宮遺跡・中依知遺跡群)の発掘調査と最新の研究の成果などを紹介。また、ぼうさいの丘公園の“季節の丘”の地下に眠るホウダイヤマ1号墳(前方後円墳、全長65m、4世紀後半)出土の壺を展示して、壷を焼く前に開けた三角形の穴が、吉備(岡山県)の特殊器台の丸や三角の穴など、西日本の文化が遠く相模国に伝わったことを示す貴重な資料とする。 【「~再発見!!あつぎの古墳~」 開催】今年のあつぎの遺跡展では、財団で発掘し新たに…

  • 当麻谷原古墳群(8,9号墳) 相模原市南区当麻

    田名向原遺跡公園と相模原ポンプ場の間に分布する当麻谷原8号墳と9号墳を探索。 当麻谷原8号墳 当麻谷原9号墳? 庚申塔と椿 マムシに注意 春の花 相模原市当麻谷原古墳群 趣味の案件 古墳なう 「当麻谷原古墳群」その1 にほんブログ村

  • 当麻谷原古墳群(1,3,4号墳) 相模原市南区当麻

    相模原ポンプ場に保存されている当麻谷原古墳群の3基の古墳(1,3,4号墳)を見学した。 当麻谷原古墳 見学位置 当麻谷原1号墳 当麻谷原3号墳 金山神社 当麻谷原4号墳 当麻谷原古墳について 相模川に臨むここ谷原から塩田にかけての台地上に、かって10数基の古墳がありました。 昭和34年5月に、文化財保護委員等が、この中の1号墳を調査したところ、遺体を安置した横穴式石室から人骨と直刀、鉄鏃、金環、玉類が発見され、相模原の歴史と文化を知る上できわめて貴重なものであることがわかり、昭和35年2月16日この1号墳は相模原市の史跡に指定されました。 昭和44年、神奈川県内の水道確保の目的から、この地にポ…

  • 遺跡の宝庫さがみはら 旧石器ハテナ館

    相模原市の旧石器ハテナ館でミニ展示「遺跡の宝庫さがみはら〜実はあるんだ弥生時代〜」とミニ展示「今月はこの逸品!考古市宝展」と常設展示を鑑賞した。旧石器ハテナ館は全国的にも数少ない旧石器時代をテーマにした施設で、正式名称は史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館。約2万年前(旧石器時代)の建物の跡「住居状遺構」のレプリカのある史跡田名向原遺跡公園と県道48号線を挟んだ向かい側にある。 相模原市には500以上の遺跡があるが、弥生時代は遺跡の数も少なく、あまり知られていない。ミニ展示「遺跡の宝庫さがみはら~実はあるんだ弥生時代~」では、神奈川県指定重要文化財(考古学)の津久井郡三ケ木(みかげ)遺跡出土品と相…

  • 谷原古墳群(12,13,14号墳) 相模原市中央区田名塩田

    史跡田名向原遺跡公園で、復元された谷原12号墳と保存された谷原13,14号墳を見学。 谷原12号墳(復元) 谷原12号墳(復元) 平成6年3月、遺跡公園の北方約60メートルの地点で発掘された約1,400年前の古墳時代後期の小型円墳を復元したものです。 古墳の石室(埋葬者の棺を納める場所)からは、直刀(反りのないまっすぐな刀)や鏃(矢の先端)などの武具や、装身具(アクセサリー)の切子玉などが発見されました。 田名塩田から当麻谷原にかけて確認される10数基の古墳は、谷原古墳群と総称され、公園内に2基(谷原13号墳、14号墳)が保存されています。 谷原14号墳(位置表示) 谷原13号墳(位置表示) …

  • 田名向原遺跡 相模原市中央区田名塩田

    田名向原遺跡公園で、後期旧石器時代の約2万年前の住居跡と考えられる遺構(レプリカ)を見学した。 日本で唯一、2万年前の住居状遺構 住居状遺構(復元) 平成9年3月に発見された約20,000年前の後期旧石器時代の住居跡と考えられる遺構(痕跡)を復元したものです。 礫群(小石が集中している場所)や石核(石器の素材をはがし取った石)などによって直径約10メートルの外周をめぐらした範囲から、2ヶ所の炉(火をたいた場所)や12本の柱穴の跡が確認されました。 加えて約3,000点もの石器類が発見されたことから、人類定住の可能性を示す遺構として注目され、平成11年1月28日に国の史跡として指定されました。 …

  • 宗隆寺古墳群 (再訪) 川崎市高津区溝口

    宗隆寺古墳群を再訪した。宗隆寺の墓所から宗隆寺古墳群への登り口は施錠されていた。 にほんブログ村

  • 間際根横穴墓群 川崎市高津区新作

    影向寺の北方約800mの沖積地にむかって東方に張り出した丘陵先端部に位置する間際根(まぎわね)横穴墓群は、文献[1]によれば、急傾斜地崩壊対策工事が契機となり、1984,85年(昭和59,60年)に7基の横穴墓を調査、また調査区域外にも1基を確認、標高19m〜22m、幅55mの範囲に凝灰岩層を掘削して2段に造営。 カメさんと遺跡 川崎の古墳15 間際根横穴墓群 文献 [1] 田村良照 1994 「川崎市間際根横穴墓群」『第1回考古学講座ー横穴墓とは何か』神奈川県考古学会 [2] 間際根横穴墓群発掘調査団 2002 『神奈川県川崎市高津区間際根横穴墓群第3地点発掘調査報告書』間際根横穴墓群発掘調…

  • たちばなふれあいの森 高津区野川

    たちばなふれあいの森(高津区市民健康の森)を散策。 高津区市民健康の森を育てる会 にほんブログ村

  • 影向寺 (再訪) 川崎市宮前区野川本町

    影向寺を再訪したら、太子堂の位置が変わっていて驚いた。さらに移転先が2017年6月に参加した現地説明会の発掘調査の場所だったので2度驚いた。 影向石 移転前の太子堂(2022年3月撮影) 川崎市教育委員会:影向寺 \おかえり聖徳太子像 その1/宮前区の #影向寺 には、大工や畳屋などの職人さんたちがつくる太子講が発願した聖徳太子堂があり、聖徳太子像が祀られています市重要歴史記念物の聖徳太子像と、厨子の修理が終わり、安置作業が行われましたhttps://t.co/vv4MO8NPZ0 pic.twitter.com/kAccwlbc05 — 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) …

  • 橘樹官衙遺跡群 (再訪) 川崎市高津区千年

    史跡公園の整備中の橘樹官衙遺跡群の橘樹郡家[郡衙]跡 (千年伊勢山台遺跡)を再訪。飛鳥時代の復元倉庫はすでに完成していて、芝の養生中で、5月にオープン予定。 #史跡橘樹官衙遺跡群 飛鳥時代の #復元倉庫 は完成間近!建物の新築・修築の記録・記念に、関係者や建築年月日を記し、屋根裏の高所に取り付ける #棟札 を作成しました✨板の繊維にチョークの粉を入れこむことで文字がにじみにくくなると聞いて実践中… pic.twitter.com/QVLX2ELImP — 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) 2024年1月12日 \ #史跡橘樹官衙遺跡群 の復元倉庫に #棟札 を取り付け!/#…

  • 橘樹学連続講座「橘樹官衙遺跡群成立前夜の古墳」(3/16) 川崎市高津区役所橘出張所

    3月16日に川崎市高津区役所橘出張所2階大会議室で開催され令和5年度 第3回橘樹学連続講座 古代橘樹を知り、活用する!! 「橘樹官衙遺跡群成立 前夜の古墳」に参加(聴講)した。「橘樹学」は、古代の役所跡や寺院跡が発見されている川崎市初の国史跡である橘樹官衙遺跡群に関連した内容をテーマに講義を行う講座で、今回は、青木敬氏(國學院大學文学部教授)・小林孝秀氏(専修大学文学部准教授)・新井悟(教育委員会事務局文化財課学芸員)を講師とし、橘樹官衙遺跡群成立前夜の「古墳」について取り上げ、どのような経緯で古代の役所を橘樹という地に設置したのか知り、古代をより身近に感じる機会として開催された。定員の倍の応…

  • 古墳時代の謎の木の道具たち 木更津市郷土博物館金のすず

    木更津市郷土博物館金のすずで開催中の春の企画展「古墳時代の謎の木の道具たち」を鑑賞した。本展では、菅生(すごう)遺跡と松面(まつめん)古墳周溝から出土した古墳時代の木製品などを紹介する。菅生遺跡は自然堤防上に位置した遺跡で旧小櫃川の流路変更の工事に伴う発掘調査で確認された幅1.8〜5mの大溝から多量の木製品(鍬・鋤・砧・槌といった農工具や弓、琴など)が出土。松面古墳は古墳時代終末期(7世紀前半)の方墳。2014年度の発掘調査で、墳丘は一辺約45m、二重周溝を含めると約84mで千葉県で3番目の大きさの方墳と判明。古墳内側周溝の墳丘側端部で横倒しになった修羅(しゅら)の一部が出土。修羅は大きな石な…

  • 久保平賀古墳 松戸市小金きよしヶ丘

    藤花塚公園の一画に保存されている久保平賀古墳。教育委員会の標柱が立つ。文献[1]では、「円墳、径16.5m、遺存度◯」 久保平賀古墳 墳頂部は後世の攪乱によって変形が著しい。昭和初期に東大で発掘調査を行なつたが明確な内部主体は見られず、わずかに土師器片が出土したに過ぎなかつたという。 平成11年3月 松戸市教育委員会 玉屋(小金宿の旅籠) 鈴木家 此処の街道は水戸街道で有名であるが、成田街道でもあり旅籠が多く鈴木家は代々惣右衛門を名乗り、玉家の屋号で徳川時代後期の旅籠の原形を留めている。 当時の小金では鈴木、月見里、綿貫、湯浅、芦田、安蒜、大熊、が役職に従事していたが、未だ姓は現存している。 …

  • 流山ガード 松戸市上総内

    小金1号墳の近くのJR常磐緩行線の流山ガード。手前の煉瓦造の部分は、1896年(明治29年)に日本鉄道が土浦線(田端-土浦間)を開業したときの橋台で、奥が、1913年(大正2年)に馬橋-北小金間を複線化したときに増設された部分。 にほんブログ村

  • 小金1号墳 松戸市小金

    取手市埋蔵文化財センターの企画展を鑑賞する前に松戸市で古墳巡り。最初に訪れたのは小金1号墳。松戸市立博物館の2017年の企画展のパネルによれば「市の北部に位置する小金古墳群は、かつて前方後円墳1基、円墳6基が存在」していたとされ「現存するのは、1号墳のみ」「径23mの円墳」「埴輪が採集」「北武蔵の埴輪との関係」が指摘され「6世紀初頭から前半頃の時期」が考えられるとのこと。同展では、小金1号墳出土の円筒埴輪を展示。 小金宿 小金宿 小金地域は約3万年前の旧石器時代にはすでに人が住み、約6千年前の縄文時代には、当時の人たちが緑豊かな台地で暮らした大きな集落があったことが幸田貝塚から推測されます。 …

  • 中妻貝塚 取手市小文間

    取手市埋蔵文化財センターで企画展を鑑賞していたら、この日は11時と14時に展示解説があると知り、少し時間があったので、その間に、中妻貝塚を訪れた。文献[3]で、縄文時代後晩期の多数合葬・複葬例として中妻貝塚の事例が紹介されている。 市指定史跡 中妻貝塚(なかつまかいづか) 中妻貝塚は、小貝川から広がる沖積低地を望む標高約23メートルの台地上に位置します。貝塚の規模は、推定直経約150メートルの範囲におよび、縄文時代後期から晩期にかけて形成された厚さ1〜2メートの貝層からなる利根川流域最大の環状貝塚です。 中妻貝塚は、古くからその存在を知られており、大正三年(1914)の東京人類学会による遠足会…

  • 「祈りのかたち-出土品から見る先史時代の祭祀-」 取手市埋蔵文化財センター

    取手市埋蔵文化財センターで開催中の第52回企画展「祈りのかたち-出土品から見る先史時代の祭祀-」を鑑賞した。写真撮影はNGだったので撮影はせず。職員による展示解説に参加した。本展は、市内遺跡発掘調査の出土品のなかから、祭祀遺物にスポットをあて、先史時代に生きた人びとの精神性や生活のすがたを紹介する。縄文時代では、中妻貝塚や神明遺跡出土の土偶、ミニチュア土器、注口土器、西方貝塚出土の有孔鉢型土器、石棒などを展示。古墳時代では、糠塚1号墳・3号墳出土の朝顔型埴輪・人物埴輪・盾型埴輪・鶏型埴輪・須恵器(平瓶)、市之代3号墳出土の朝顔型埴輪・人物埴輪・馬型埴輪・埴輪棺(円筒埴輪)、仏島山古墳出土(延命…

  • 千本塚古墳 旭市鏑木

    鏑木古墳群の続き。千本塚古墳。 にほんブログ村

  • 御塚古墳 旭市鏑木

    茨城県鹿嶋市から千葉県横芝光町への道中、千葉県旭市の鏑木古墳群の2基の古墳で途中下車。 御塚古墳(円墳、市指定史跡) 指定文化財一覧 - 旭市公式ホームページ あさひ公民館だより 第72号(令和元年9/1)「旭市にある古墳(鏑木古墳郡)」 御塚古墳 千葉県旭市鏑木 - 墳丘からの眺め 千葉県旭市鏑木 御塚古墳 古墳探訪記 にほんブログ村

  • 大堤2号墳 山武市松尾町大堤

    大堤権現塚古墳の説明板の地形図に記されていた大堤2号墳を探索した。 にほんブログ村

  • 大堤権現塚古墳 山武市松尾町大堤

    高谷川低地遺跡見学会の後で山武市の大堤権現塚古墳を訪れた。この日は、鹿嶋市の鹿島神宮と宮中野古墳群、横芝光町の高谷川低地遺跡、山武市の大堤権現塚古墳を訪れて、この地域の豊かさが実感できた。 千葉県指定史蹟 大堤権現塚古墳 所在地 大堤四七九番地 指定年月 平成二年三月十六日 大堤権現塚古墳は古墳時代に(今から約1500年前)築造されたもので現在松尾地域に確認されている128基の古墳の一つです。この古墳は、外ぼり、外堤を含めて長さ155メートル、横幅100メートルを測る山武地方最大の 規模を誇る前方後円墳であることから、考古学上、この地方を統治した首長の墳墓であろうといわれています。 昭和三十一…

  • 殿部田古墳群15,19号墳 横芝光町殿部田

    殿部田古墳群は、栗山川を東に望む台地上に位置する古墳群で、前方後円墳5基、円墳21基、方墳1基が確認されている。圏央道建設により3基の古墳が調査された。昨年3月に発行された『房総の文化財』vol.62に古墳群東側に所在する15号墳と19号墳が紹介されているので、現地を訪ねた。15号墳は全長約35mの前方後円墳。19号墳は径約14mの円墳。 化粧木の由来 工事中のトンネルの入り口には化粧木(けしょうぎ)と呼ばれる反り返った木が飾られており、これは、伊勢神宮本殿の屋根の飾り木が元となっています。その起源は山の神に対する信仰心と安全祈願にあり、 三尺六寸分(約1.2m)の太い松やヒノキを横にして、両…

  • 高谷川低地遺跡 横芝光町牛熊

    高谷川低地遺跡出土遺物見学会の後で、高谷川低地遺跡の現地を訪れた。圏央道を絶賛建設中。一枚目の写真の中央左の赤白の鉄塔の右辺りが高谷川低地遺跡。 高谷川の対岸から にほんブログ村

  • 鹿島神宮 鹿嶋市宮中

    特別展「鹿嶋の古墳を歩く」を鑑賞した日は、早起きして、ミニ博物館ココシカの開館前に、中宮野古墳群を散策。そのあと鹿島神宮を参拝。 大鳥居 鹿島神宮御由緒 御祭神 武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ) 社格 勅祭社・別表神社・ 常陸国一之宮・旧官幣大社 創建 皇紀元年(紀元前六六〇年) 例祭日 九月一日 境内地 二十一万坪 御由緒 神代の昔、天照大御神(あまてらすおおか)の命を受けた武甕槌大神は香取の経津主大神(ふつぬしのおおかみ)と共に出雲国へ向かわれ、国譲りを成就し皇孫の国たるべき日本の建国に挺身された。 とりわけ東国における神功は大きく、関東開拓の礎は遠く大神にさかのぼる。 初代・神武天皇…

  • 夫婦塚古墳陪塚と箱式石棺 鹿嶋市宮中

    夫婦塚古墳の後円部の東側に隣接する2基の円墳と、付近の古墳から移設保存された石棺を見学した。 箱式石棺 宮中野古墳群の発掘調査でみつかったもの遺体を安置する石の棺です。 宮中野古墳群は北浦に面した須賀の台地にあり、前方後円墳や方墳・円墳などな「さまざまの古墳が120基以上もありました。 この石棺は筑波山産出のホルンフェルスとよばれる石を板状に切り出して箱形に組合わせたもので、つくられた年代は6世紀後半から7世紀頃と考えられています。 鹿島町文化財愛護協会 【陪塚(ばいちょう)】夫婦塚古墳後円部東側に近接し、寄り添うように2基の円墳が位置しています。規模は北側 の古墳が径17.5m、高さ1.25…

  • 千年塚 鹿嶋市宮中

    中宮野古墳群の散策の続き。稲荷塚古墳の北50m分岐を東に250m進むと千年塚。 千年塚 千年塚は6世紀頃に造営されたとされる鶴来(かくらい)古墳群の一つです。東西32.6m、南北は20.8m、高さ3.4mの長方形の古墳ですが、削られているので詳細は不明です。この塚は伝え話によりその名を残しました。 昔、鹿島神宮に卜部活麿(うらべのいくまろ)という神官がいて、彼は非常に鶴を可愛がっていました。あるとき彼は鶴の背に乗って北の方に飛び去っていきました。3年経って鶴の背に乗って帰って来た活暦を、人は天人とか鶴の化生と言って尊敬しました。 皆が驚くほど長生きした活麿の死後、彼の霊を祀った塚は「千年塚」と…

  • 稲荷塚古墳 鹿嶋市宮中

    中宮野古墳群の散策の続き。 中宮古墳群の南東に分布する鶴来(かくらい)古墳群の稲荷塚古墳。 稲荷塚古墳 稲荷塚古墳は6世紀頃に造営されたとされる鶴来(かくらい)古墳群の中で、もっとも大きい円墳(南北径32.5m、東西径34.5m、高さ6.1mです。墳頂にはこの土地の開拓者が、穀物の神である保食命(うけもちのかみ)を祀った鶴来稲荷大明神の石の祠(ほこら)を建てています。稲荷塚古墳の呼び名はこれに由来します。 2015年10月1日 鹿嶋神の道運営委員会 にほんブログ村

  • 夫婦塚古墳 鹿嶋市宮中

    特別展「鹿嶋の古墳を歩く」を鑑賞した日は、早起きして、ミニ博物館ココシカの開館前に、中宮野古墳群を散策。そのあと鹿島神宮を参拝。 中宮野古墳群の主墳、夫婦塚(めおとづか)古墳。文献[2]によれば中宮野古墳群で現存する古墳は40基程。 夫婦塚古墳附陪塚(めおとづかこふんつけたりばいちょう) 鹿嶋市指定史跡 指定日 平成12年5月20日 北浦を望む台地上に分布する宮中野(きゅうちゅうの)古墳群は、6〜7世紀頃の鹿島地方の首長層の墳墓で、前方後円墳17基を含む100基以上の古墳を有する県内最大級の古墳群です。そのなかでも、夫婦塚(おとめづか)古墳は宮中野古墳群中最大規模を誇る前方後円墳です。主軸方位…

  • 等々力渓谷 世田谷区等々力

    等々力渓谷3号墳を再訪したら、昨年から等々力渓谷公園のかなりの部分が通行止めになっていた。倒木の恐れのある危険木約50本を順次、剪定・伐採作業を進める予定で、全ての作業が終わるまで数年かかる見込みとのこと。昨年7月に発生した倒木被害は、昨年夏の異常な暑さで急速に樹勢の衰退が進み自重で幹折れしたとのこと。ということで、当分、等々力渓谷3号墳には近づけそうにない。 ゴルフ橋 等々力渓谷公園 世田谷区ホームページ 「ふるさと納税」で等々力渓谷保全 世田谷区が寄付活用検討 https://t.co/aOOHmbtBdu 緊急で伐採が必要な「危険木」が50本以上見つかり、昨夏から大部分で立ち入り禁止…

  • 野毛大塚古墳 (再訪) 世田谷区野毛

    野毛大塚古墳を再訪。野毛大塚古墳のある世田谷区立玉川野毛町公園では、東側の国家公務員宿舎の跡地の一部(約2.8ヘクタール)を利用して、昨年10月から公園の拡張整備中で、3月30日に一部区域の開園イベントを開催予定。 東京都指定史跡 野毛大塚古墳(のげおおつかこふん) 所在地 世田谷区野毛1-36 指定 昭和50年2月6日 野毛大塚古墳は全長82メートル、後円部の高さ10メートルの帆立貝式の前方後円墳で、前方部に近接して小さな造出部が付設されている。墳丘の周囲には馬蹄形の周濠が掘られており、周濠を含めた全長は104メートルである。三段に構築された墳丘は全体が河原石で覆われ、円筒埴輪がそれぞれの段…

  • 中川低地の河畔砂丘群 桑崎砂丘 羽生市桑崎

    利根川右岸(南岸)の古墳巡りの〆に中川低地の河畔砂丘群の桑崎砂丘を訪れた。 埼玉県指定天然記念物 中川低地の河畔砂丘群桑崎砂丘 (記念物 天然記念物 埼文指第556号 平成29年3月24日) 利根川の旧河道沿い(中川低地を含む)には、 川が運んだ榛名山・浅間山の噴火による噴出物などの土砂がたまったのち、それらが平安〜室町時代の寒冷期の強い季節風によって吹き溜められ、砂丘が形成されました。 桑崎砂丘は、羽生市から越谷市にかけて点々と分布する中川低地の河畔砂丘群の中では、最上流部の位置にあります。 指定地にある桑崎三神社は、長さ450m、幅50mの砂丘上にあり、本殿の北側では砂丘の高まりを観察する…

  • 愛宕塚 羽生市上新郷

    利根川右岸(南岸)の古墳巡りの続き。 愛宕塚、円墳、墳頂に愛宕神社、文献[1] 松並木 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「 埼玉県古墳詳細分布調査報告書 」 にほんブログ村

  • 浅間塚 行田市須加

    利根川右岸(南岸)の古墳巡りの続き。 浅間塚、前浅間塚の北170m、円墳、径20m、塚の可能性あり、文献[1] 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「 埼玉県古墳詳細分布調査報告書 」 にほんブログ村

  • 前浅間塚 羽生市上新郷

    利根川右岸(南岸)の古墳巡りの続き。 前浅間塚、円墳、墳頂に浅間神社、文献[1] ほ場整備竣工記念碑 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「 埼玉県古墳詳細分布調査報告書 」 にほんブログ村

  • 愛宕神社古墳 行田市荒木

    利根川右岸(南岸)の古墳巡りの続き。 愛宕神社古墳、円墳、径20m、墳頂に愛宕社、文献[1] 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 大稲荷4号墳 行田市須加

    行田市の北部、利根川右岸(南岸)の古墳巡りの続き。 大稲荷4号墳、円墳、規模不明、埴輪、雷電社を祀る、文献[1] 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 酒巻古墳群 (その3) 行田市酒巻

    酒巻古墳群の続き。 酒巻3号墳、円墳、規模不明、土師器、横穴式石室、文献[1] 酒巻1号、前方後円墳、全長46m、直刀・刀子・鐔・鉄鏃・耳環・土師器・須恵器・埴輪、横穴式石室、文献[1] 酒巻2号墳、円墳、規模不明、埴輪、文献[1] 酒巻15号、前方後円墳、全長34.2m、埴輪、横穴式石室、周堀確認、文献[1] 酒巻15号墳 酒巻15号墳は、6世紀後半に築かれた直径約34.2mの前方後円墳です。太刀形埴輪、靭形埴輪、鞆形埴輪といった武具の形をした器財埴輪6点が、石室入口前面の周溝からまとまって出土しました。そのほかにも、人物埴輪、円筒埴輪、土器などが数多く出土しています。 出土した器財埴輪は残…

  • 酒巻古墳群 (その2) 行田市酒巻

    酒巻古墳群の続き。 酒巻8号墳、前方後円墳、全長27m、埴輪・土師器・須恵器、横穴式石室、墓前祭祀跡検出、文献[1]、交差点の先の道路上で前方部を手前に向ける 酒巻8号墳 酒巻8号墳は、6世紀前半に築かれた全長約27mの前方後円墳です。 前方部と後円部の境目付近から、須恵器の甕や土師器の高杯などの土器がまとまって出土し、ここで何らかの儀式が行われたと思われ ます。古墳の一部でこうした儀式を行う行為を墓前祭祀と言います。 酒巻8号墳の墓前祭祀の様子は、行田市郷土博物館で復原展示されています。 酒巻6号墳、円墳、径15m、鉄鏃・埴輪、横穴式石室、文献[1]、交差点の右の道路上で後円部を左に向ける …

  • 酒巻古墳群 (その1) 行田市酒巻

    利根川右岸(南岸)の田んぼの下に保存されている酒巻古墳群を探索。 酒巻古墳群 酒巻(さかまき)古墳群は、利根川右岸のここ行田市酒巻地区に、今から1400〜1500年前の6世紀初頭〜7世紀前半頃(古墳時代後期)に築かれた古墳群です。これまでに前方後円墳3基、帆立貝型前方後円墳1基、円墳19基の計23基の古墳が確認されていて、ほぼ確認された順に酒巻1〜23号墳とされています。 古墳は古代の権力者・有力者の墳墓で、その大きさが古墳を築いた権力者の力の大きさを表していると考えられています。酒巻古墳群は、全長(墳丘長) あるいは直径(周溝内径)が9〜46mの小型・中型の古墳からなる古墳群で、宅地遺跡など…

  • 斎条1号墳(剣神社古墳) 行田市斎条

    何日か前の「観光物産館さきたまテラス」の続き。さきたま古墳公園をあとにして、行田市の北部、利根川右岸(南岸)の古墳を探索。 斎条1号墳(剣神社古墳)、円墳、径40m、埴輪、墳頂に剣神社、文献[1] ぎょうだ歴史系譜 100話 - 行田市/行田の神々⑳ 剣神社(斎条) 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 下野谷遺跡 西東京市東伏見

    鈴木遺跡の現地説明会の前に西東京市の下野谷遺跡公園に寄り道。 国史跡 下野谷遺跡(したのやいせき) 躍動の舞台 下野谷遺跡の昔と今 下野谷遺跡とは 武蔵野台地のほぼ中央、石神井川の南岸の高台にある、3万年近く前の旧石器時代から近代に至る長い歴史が刻まれた遺跡です。 下野谷遺跡の発見 戦前から土器が見つかっていましたが、正式な発掘調査は1973年から行われました。その後の調査・研究の結果、今から5,000年から4,000年前の縄文時代中期には、石神井川流域の拠点となるような大集落が1,000年間にもわたり、存在していたことがわかりました。 下野谷遺跡の範囲と2つの集落 「双環状集落」 下野谷遺跡…

  • 小金井公園 梅園 小金井市関根町、桜町

    鈴木遺跡の現地説明会の前に小金井公園の梅園とSLに寄り道。 豊後(ぶんご) 見驚(けんきょう) 江戸東京たてもの園 SL展示場 にほんブログ村

  • 鈴木遺跡 現地説明会 (3/9) 小平市回田町

    鈴木遺跡保存管理等用地(旧農林中央金庫研修所跡地)確認調査の現地説明会に参加した。鈴木遺跡は日本における後期旧石器時代の代表的な遺跡の一つで、2021年3月26日に国史跡に指定され、2023年3月に国史跡鈴木遺跡保存活用計画が策定された。鈴木遺跡保存管理等用地は、貴重な鈴木遺跡の保存・保護と活用を前提に、2014年3月に、農林中央金庫から旧研修所の北側部分(研修棟、テニスコート、プール跡地)を寄付された。 鈴木遺跡は、武蔵野台地のほぼ中央を東西に流れる石神井川の最上流部に位置する後期旧石器時代遺跡(約38,000年前〜16,000年前)で、石神井川のかつての谷頭部、標高約75メートルに立地する…

  • 「装飾付大刀の刀装具」 明治大学博物館

    明治大学博物館の考古部門のミニ展示、明大コレクション56「装飾付大刀の刀装具を鑑賞した。鉄製大刀は弥生時代中期に日本列島に伝わって以来、武器としてだけではなく、威信財など様々な意味を持つものとして扱われてきた。古墳時代には「装飾付大刀」と呼ばれる、柄や鞘に装飾が施された大刀の一群が出現する。本展示では、明治大学博物館が所蔵する古墳時代の刀装具に注目し、装飾付大刀の系譜とその盛衰、古墳時代における大刀の社会的な役割について紹介する。会期は2024年1月13日(土)~4月13日(土)。 明大コレクション56「装飾付大刀の刀装具」 開催のお知らせ 明治大学 考古部門コレクション展「装飾付大刀の刀…

  • 榧園好古図譜 國學院大學博物館

    神奈川県立歴史博物館から國學院大學博物館にハシゴして、開催中の企画展「榧園好古図譜ー北武蔵の名家・根岸家の古物(たから)ー」を鑑賞した。「榧園好古図譜」は「ひえんこうこずふ」と読む。根岸武香の蒐集品に関する図譜で、昭和30年代を境に行方不明だった。本展では、近年、再発見されたこの図譜を現物資料と共に初公開。 根岸武香とその父・友山は、北武蔵冑山村(現 埼玉県熊谷市)の名家「根岸家」当主で、著名な好古家(こうこか)として知らる。武香は、県会議員、貴族院議員として活躍する傍ら、好古家としても活動し、明治10(1877)年に黒岩横穴群を発掘。明治20(1887)年に東京帝国大学の大学院生坪井正五郎と…

  • 華ひらく律令の世界 神奈川県立歴史博物館

    神奈川県立歴史博物館で開催中された「令和5年度かながわの遺跡展 華ひらく律令の世界」を会期の最終日に鑑賞した。最終日の直前に川崎市の白山古墳出土の三角縁神獣鏡が展示されていると知り、慌てて日程調整してなんとか最終日で滑り込みで鑑賞することができた。残念だったのは、好評だった無料頒布のパンフレットが最終日の早い時間で品切れとなり貰えなかったこと。PDFで公開予定とのことで期待している。 川崎市の白山古墳は4世紀後半頃に築かれた武蔵国でも最も古い大形の前方後円墳。全長87m。1937年に発掘調査され、遺体を安置した主体部からは鏡類・玉類・鉄器類など多量の副葬品が発見された。多摩川流域では唯一の「初…

  • 高谷川低地遺跡出土遺物見学会 (2/17) 千葉県教育振興財団横芝作業所

    千葉県埋蔵文化財センター主催で2月17日に横芝光町高谷川低地遺跡出土遺物見学会に参加した。圏央道建設に伴う発掘調査で、栗山川上流の高谷川(たかやがわ)右岸に位置する標高約4mの低地に形成された高谷川低地遺跡から2か所の丸木舟集中地点が検出され、全体の分かる丸木舟が合計15艘出土。今回の見学会では、11艘の丸木舟が検出された北部丸木舟集中地点SX-001の丸木舟108を展示。丸木舟108は4分割されて大きなトロ箱で水に浸けた状態で保存されていた。この後、化学的な保存処理が施されるとのこと。また、丸木舟のほか約3,500年前の縄文時代後期(加曽利B式)の土器や、漆塗りの櫛や、樹皮を巻きつけた弓など…

  • 公開シンポジウム「土偶研究の新展開~資源利用史と土偶祭祀~」 明治大学グローバルホール

    明治大学 駿河台キャンパス グローバルフロント1階 グローバルホールで、3月2日に開催され明治大学資源利用史研究クラスター(研究代表者:阿部芳郎 文学部専任教授)主催の研究成果公開シンポジウム「土偶研究の新展開~資源利用史と土偶祭祀~」に参加(聴講)した。 資源利用史研究クラスターは、2017年4月に特定課題研究ユニット日本先史文化研究所を母胎として組織され、ヒトが自然物をどのように有用化(資源化)したのかという視点を設け、資源利用史というキーワードを用いた学際的研究を進めているとのこと。本シンポジウムでも「ヒトの人化」が一つのテーマになっていた。プログラムは8件の発表と、総合討論で、発表者の…

  • 観光物産館さきたまテラス 行田市佐間

    昨年4月にオープンした「観光物産館さきたまテラス」に、初めて営業時間に訪れて、昼食をゲット。秩父屋のお稲荷さん美味しかった。 観光物産館さきたまテラス 埼玉県行田市観光ガイド - 行田市観光NAVI さきたまテラスはオープン前から気になっていた。 ここは以前、『元祖 田舎っぺ さきたま古墳店』があった場所 朝早く公園に着いたので、朝日を浴びた公園の写真を撮影。 公園と浅間神社までの通り(古墳通り)の歩道の装飾。 にほんブログ村

  • 将軍山古墳 (再訪) 行田市埼玉

    将軍山古墳と将軍山古墳展示館を再訪。 将軍山古墳 全長90mの前方後円墳です。明治27年(1894年)に横穴式石室が発掘され、多数の副葬品が出土しました。この石室には、千葉県富津市付近で産出する「房州石」が用いられており、古墳時代の関東地方における地域交流を考える上で重要な古墳です。 周囲には長方形の堀が中堤をはさんで二重に巡り、後円 部と中堤には造出しと呼ばれる張り出しがあります。稲荷山古墳・二子山古墳と同じ形態です。古墳の造られた時期は、出土した遺物から6世紀後半と推定されています。 平成21年(2009年) 3月 埼玉県教育委員会 菜の花 将軍山古墳 - 埼玉県立さきたま史跡の博物館 に…

  • 天王山古墳、ボッチ山、他 行田市埼玉

    天王山古墳(埼玉1号墳)跡と円柱の標識(埼玉7号墳?)を再訪。ボッチ山の跡地を探索した。 天王山古墳(埼玉1号墳)の跡地? 円柱の標識(埼玉7号墳?) ボッチ山の跡地? 二子塚の前方部の先に「将軍塚/稲荷山/ボッチ山」「入口」と刻まれた石標がある。 (右側) 﨑玉村 (正面) 史蹟 将軍塚/稲荷山/ボッチ山 入口 (左側) 昭和十四年六月建立 にほんブログ村

  • 旧藩主松平家の墓

    天祥寺の墓地にある旧藩主松平家の墓をお参り。 行田市指定文化財 旧藩主松平家の墓 昭和47年11月9日指定 ここ海東山天祥寺は、忍城主松平下総守家の菩提寺で、文政6年(1823)に松平家が桑名城より忍城に移った後にこの地に移転されました。 この墓地には、向かって右側から松平家9代忠堯(ただたか)、11代忠国(ただくに)、12代忠誠の3代の忍城主の墓が並んで建てられています。 9代松平忠堯は、忍城に移った時の当主で、桑名から天祥寺、東照宮などを移転し、天保7年(1836)には藩校進修館を再興するなど、家と家臣団の忍城への移転を見事に遂行しました。 11代松平忠国は、天保13年(1842)に幕府の…

  • 瓦塚古墳 (再訪) 行田市埼玉

    瓦塚古墳を再訪。 外堀・中堤・内堀 造出し・内堀・中堤・外堀・ブリッジ 瓦塚古墳 全長73mの前方後円墳です。他の前方後円墳と同じく周囲には長方形の堀が二重に巡り、墳丘のくびれ部には道出しと呼ばれる張り出しがあります。また、造出し正面の外堀には、通路と見られるブリッジ状の掘り残しがあります。 整備に先立つ発掘調査の結果から、その周辺の中には、縁を弾く男子、踊る男女、武人などの人物埴輪、盾形埴輪、家型埴輪など多種の埴輪が立て並べられていたと推定されています。 「墳丘内部は未調査であるため、埋葬施設の形や大きさ、副葬品の内容など詳しいことはまだ分かっていません。古墳の造られた時期は、出土した遺物か…

  • 中の山古墳 (再訪) 行田市渡柳

    中の山古墳を再訪。 中の山古墳 墳丘全長推定79m、6世紀末から7世紀初頭の前方後円墳で、埼玉古墳群で造られた最後の前方後円墳です。発掘調査の範囲が限られているため、墳丘の規模や埋葬施設、周堀の範囲などが定かではありませんが、二重の周堀が巡り、南側の外堀は戸場口山古墳の外堀に壊されていることが明らかになっています。また、かつて墳丘から石棺が発見され たという伝承も残されています。 埼玉古墳群の前方後円墳の中では唯一、須恵器生産の方法でつくられた底のない壺のような形をした埴輪が古墳の周りに並べられていました。これらの須恵質埴輪は、全国的にも例が少ないもので、埼玉古墳群から約30km離れた埼玉県北…

  • 鉄砲山古墳 (再訪) 行田市埼玉

    鉄砲山古墳を再訪。 鉄砲山古墳 墳丘全長107.6m、横穴式石室をもつ6世紀後半の前方後円墳で、埼玉古墳群では3番目の規模を誇ります。古墳の名前は、江戸時代に忍藩が砲術訓練場(角場)として墳丘を利用していたことに由来しています。 墳丘は二段築成で、中段のテラスなどには最大で9条の突帯をもつ大型の円筒埴輪が並べられていました。墳丘の周囲には、他の古墳と同様に方形の二重周堀が巡ります。さらに、外堀の北西側では古墳の堀とみられる遺構も確認されています。また、外堀の南西側は、鉄砲山古墳よりも古い時期に造られた奥の山古墳の外堀に接するとみられています。古墳が密集し土地が限られていても、他の古墳と同じよう…

  • 奥の山古墳 (再訪) 行田市渡柳

    奥の山古墳を再訪。 奥の山古墳 - 埼玉県立さきたま史跡の博物館 奥の山古墳の前方部の先のエリアが拡張工事中 ヤブツバキ ヤブツバキ 河の辺の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野は 春日蔵首老(巻①五六) にほんブログ村

  • 二子山古墳 (再訪) 行田市埼玉

    二子山古墳を再訪。墳頂の盗掘坑を塞ぐ土嚢は見えなくなった。処置済み? 二子山古墳 全長138mの前方後円墳です。かつての「武蔵国」(埼玉県、東京都、神奈川県の一部にあたる)で最大の古墳です。 周囲には、長方形の堀が中堤をはさんで二重に巡り、墳丘くびれ部と中堤には造出しと呼ばれる張出しがあります。現在遊歩道になっている高まりが中堤にあたります。内堀は、今は水堀になっていますが、古墳が築造された当時は水はなかったと考えられています。 本格的な発掘調査はされていないため、埋葬施設の形や大きさ、副葬品の内容など、詳しいことはまだわかっていません。出土した埴輪の形から、古墳の造られた時期は、6世紀初め頃…

  • 浅間塚古墳 (再訪) 行田市埼玉

    浅間塚古墳を再訪(4回目の訪問)。毎回、見逃してしまう若王子古墳の石室の石材を使用したという忠魂碑をやっと見学した。 前玉神社の石鳥居/行田市 浅間神社 前玉神社 行田市指定文化財 石燈籠 昭和42年3月10日指定 この石段の登り口にある高さ2m、2基一対の石燈籠は、元禄10年(1697)10月15日に、地元埼玉村(現在の行田市埼玉地区)の氏子一同が奉納したものです。 本殿に向かって左側の石燈籠には、「前玉之 小埼乃沼尒 鴨會翼霧 己尾尒 零置流霜乎 掃等尒有斯(前玉の小埼の沼に鴨ぞ翼きる 己が尾に降り置ける霜を掃うとにあらし)」と『万葉集』9巻-1744の「小埼沼」の歌が、右側の石燈籠には「…

  • 北大竹遺跡 行田市若小玉

    愛宕山古墳発掘調査見学会の前に時間あったので、行田市若小玉の北大竹遺跡を訪れた。 第18次調査のA区(調整池)は、調整池の工事が佳境だった。 大量の勾玉が見つかった第18次調査のB区は、水路と道路を整備中だった。 C区は?塀の内側?外側? 北大竹遺跡第18次 (行田市) 公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 令和2年度 遺跡見学会 公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 北大竹遺跡特別公開 公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 文献 [1] 公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2022 『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書477:北大竹遺跡』公益財団法人埼玉県埋蔵文化財…

  • 愛宕山古墳発掘調査見学会 (2/10) 行田市埼玉

    2月10日に開催された埼玉(さきたま)古墳群の愛宕山古墳の発掘調査の現地説明会に参加した。写真撮影は個人利用に限りOKでSNSへの投稿は禁止とのことなので、差し障りのなさそうな写真に限定する。 愛宕山古墳 全長53m、埼玉古墳群の中でもっとも小さな前方後円墳です。 最小ではありますが、他の前方後円墳と同じく、周囲には長方形の堀が二重に巡ることが、発掘調査により確認されました。墳丘内部は未調査であるため、埋葬施設の形や大きさ、副葬品の内容など詳しいことはまだ分かっていません。 出土した遺物は、円筒埴輪のほか、人物・大力・盾・蓋(貴人の傘)などを表現した形象埴輪があります。円筒埴輪は、高さが40c…

  • YELL いきものがたり

    卒業シーズンなので、いきものがたりのYELL。歌詞が沁みる。 いきものがかり YELL 歌詞 - 歌ネット 2月5日のふーちゃんのしょるむ見た人だけわかる投稿。 こんなに幸福感しかないクリスマス初めてかも....今からレッスンだからクリスマスらしいことは何も出来ないけど、世界一幸せなクリスマス過ごしてます本当に。ラフり隊のみんなありがとう🥹🤍#ラフラフ3rdワンマン #ラフラフ pic.twitter.com/3aGH7BO6OX — 佐々木楓菜(ふーな) (@sasaki_fuuna) 2023年12月25日 そういえばワンマン前に結構髪の毛短くなったんだよー!気づいてくれた人いたかな?✂️…

  • 古凍古墳群(No.156古墳、東町1号墳) 東松山市古凍

    古凍古墳群の続き。 古凍19号墳(東町1号墳)、円墳、径15.5m、文献[1][2] 古凍30号墳(No.156古墳)、円墳、径10m、文献[1] 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会 にほんブログ村

  • 古凍古墳群(かんべ塚古墳、No.333古墳) 東松山市古凍

    古凍古墳群の続き。 古凍25号墳(No.333古墳)、円墳、規模不明、文献[1] 古凍26号墳(かんべ塚古墳)、円墳、規模不明、文献[1] 土器片?埴輪? 辻切り? 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会 にほんブログ村

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