たちばなふれあいの森(高津区市民健康の森)を散策。 高津区市民健康の森を育てる会 にほんブログ村
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影向寺を再訪したら、太子堂の位置が変わっていて驚いた。さらに移転先が2017年6月に参加した現地説明会の発掘調査の場所だったので2度驚いた。 影向石 移転前の太子堂(2022年3月撮影) 川崎市教育委員会:影向寺 \おかえり聖徳太子像 その1/宮前区の #影向寺 には、大工や畳屋などの職人さんたちがつくる太子講が発願した聖徳太子堂があり、聖徳太子像が祀られています市重要歴史記念物の聖徳太子像と、厨子の修理が終わり、安置作業が行われましたhttps://t.co/vv4MO8NPZ0 pic.twitter.com/kAccwlbc05 — 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) …
史跡公園の整備中の橘樹官衙遺跡群の橘樹郡家[郡衙]跡 (千年伊勢山台遺跡)を再訪。飛鳥時代の復元倉庫はすでに完成していて、芝の養生中で、5月にオープン予定。 #史跡橘樹官衙遺跡群 飛鳥時代の #復元倉庫 は完成間近!建物の新築・修築の記録・記念に、関係者や建築年月日を記し、屋根裏の高所に取り付ける #棟札 を作成しました✨板の繊維にチョークの粉を入れこむことで文字がにじみにくくなると聞いて実践中… pic.twitter.com/QVLX2ELImP — 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) 2024年1月12日 \ #史跡橘樹官衙遺跡群 の復元倉庫に #棟札 を取り付け!/#…
3月16日に川崎市高津区役所橘出張所2階大会議室で開催され令和5年度 第3回橘樹学連続講座 古代橘樹を知り、活用する!! 「橘樹官衙遺跡群成立 前夜の古墳」に参加(聴講)した。「橘樹学」は、古代の役所跡や寺院跡が発見されている川崎市初の国史跡である橘樹官衙遺跡群に関連した内容をテーマに講義を行う講座で、今回は、青木敬氏(國學院大學文学部教授)・小林孝秀氏(専修大学文学部准教授)・新井悟(教育委員会事務局文化財課学芸員)を講師とし、橘樹官衙遺跡群成立前夜の「古墳」について取り上げ、どのような経緯で古代の役所を橘樹という地に設置したのか知り、古代をより身近に感じる機会として開催された。定員の倍の応…
木更津市郷土博物館金のすずで開催中の春の企画展「古墳時代の謎の木の道具たち」を鑑賞した。本展では、菅生(すごう)遺跡と松面(まつめん)古墳周溝から出土した古墳時代の木製品などを紹介する。菅生遺跡は自然堤防上に位置した遺跡で旧小櫃川の流路変更の工事に伴う発掘調査で確認された幅1.8〜5mの大溝から多量の木製品(鍬・鋤・砧・槌といった農工具や弓、琴など)が出土。松面古墳は古墳時代終末期(7世紀前半)の方墳。2014年度の発掘調査で、墳丘は一辺約45m、二重周溝を含めると約84mで千葉県で3番目の大きさの方墳と判明。古墳内側周溝の墳丘側端部で横倒しになった修羅(しゅら)の一部が出土。修羅は大きな石な…
藤花塚公園の一画に保存されている久保平賀古墳。教育委員会の標柱が立つ。文献[1]では、「円墳、径16.5m、遺存度◯」 久保平賀古墳 墳頂部は後世の攪乱によって変形が著しい。昭和初期に東大で発掘調査を行なつたが明確な内部主体は見られず、わずかに土師器片が出土したに過ぎなかつたという。 平成11年3月 松戸市教育委員会 玉屋(小金宿の旅籠) 鈴木家 此処の街道は水戸街道で有名であるが、成田街道でもあり旅籠が多く鈴木家は代々惣右衛門を名乗り、玉家の屋号で徳川時代後期の旅籠の原形を留めている。 当時の小金では鈴木、月見里、綿貫、湯浅、芦田、安蒜、大熊、が役職に従事していたが、未だ姓は現存している。 …
小金1号墳の近くのJR常磐緩行線の流山ガード。手前の煉瓦造の部分は、1896年(明治29年)に日本鉄道が土浦線(田端-土浦間)を開業したときの橋台で、奥が、1913年(大正2年)に馬橋-北小金間を複線化したときに増設された部分。 にほんブログ村
取手市埋蔵文化財センターの企画展を鑑賞する前に松戸市で古墳巡り。最初に訪れたのは小金1号墳。松戸市立博物館の2017年の企画展のパネルによれば「市の北部に位置する小金古墳群は、かつて前方後円墳1基、円墳6基が存在」していたとされ「現存するのは、1号墳のみ」「径23mの円墳」「埴輪が採集」「北武蔵の埴輪との関係」が指摘され「6世紀初頭から前半頃の時期」が考えられるとのこと。同展では、小金1号墳出土の円筒埴輪を展示。 小金宿 小金宿 小金地域は約3万年前の旧石器時代にはすでに人が住み、約6千年前の縄文時代には、当時の人たちが緑豊かな台地で暮らした大きな集落があったことが幸田貝塚から推測されます。 …
取手市埋蔵文化財センターで企画展を鑑賞していたら、この日は11時と14時に展示解説があると知り、少し時間があったので、その間に、中妻貝塚を訪れた。文献[3]で、縄文時代後晩期の多数合葬・複葬例として中妻貝塚の事例が紹介されている。 市指定史跡 中妻貝塚(なかつまかいづか) 中妻貝塚は、小貝川から広がる沖積低地を望む標高約23メートルの台地上に位置します。貝塚の規模は、推定直経約150メートルの範囲におよび、縄文時代後期から晩期にかけて形成された厚さ1〜2メートの貝層からなる利根川流域最大の環状貝塚です。 中妻貝塚は、古くからその存在を知られており、大正三年(1914)の東京人類学会による遠足会…
取手市埋蔵文化財センターで開催中の第52回企画展「祈りのかたち-出土品から見る先史時代の祭祀-」を鑑賞した。写真撮影はNGだったので撮影はせず。職員による展示解説に参加した。本展は、市内遺跡発掘調査の出土品のなかから、祭祀遺物にスポットをあて、先史時代に生きた人びとの精神性や生活のすがたを紹介する。縄文時代では、中妻貝塚や神明遺跡出土の土偶、ミニチュア土器、注口土器、西方貝塚出土の有孔鉢型土器、石棒などを展示。古墳時代では、糠塚1号墳・3号墳出土の朝顔型埴輪・人物埴輪・盾型埴輪・鶏型埴輪・須恵器(平瓶)、市之代3号墳出土の朝顔型埴輪・人物埴輪・馬型埴輪・埴輪棺(円筒埴輪)、仏島山古墳出土(延命…
鏑木古墳群の続き。千本塚古墳。 にほんブログ村
茨城県鹿嶋市から千葉県横芝光町への道中、千葉県旭市の鏑木古墳群の2基の古墳で途中下車。 御塚古墳(円墳、市指定史跡) 指定文化財一覧 - 旭市公式ホームページ あさひ公民館だより 第72号(令和元年9/1)「旭市にある古墳(鏑木古墳郡)」 御塚古墳 千葉県旭市鏑木 - 墳丘からの眺め 千葉県旭市鏑木 御塚古墳 古墳探訪記 にほんブログ村
大堤権現塚古墳の説明板の地形図に記されていた大堤2号墳を探索した。 にほんブログ村
高谷川低地遺跡見学会の後で山武市の大堤権現塚古墳を訪れた。この日は、鹿嶋市の鹿島神宮と宮中野古墳群、横芝光町の高谷川低地遺跡、山武市の大堤権現塚古墳を訪れて、この地域の豊かさが実感できた。 千葉県指定史蹟 大堤権現塚古墳 所在地 大堤四七九番地 指定年月 平成二年三月十六日 大堤権現塚古墳は古墳時代に(今から約1500年前)築造されたもので現在松尾地域に確認されている128基の古墳の一つです。この古墳は、外ぼり、外堤を含めて長さ155メートル、横幅100メートルを測る山武地方最大の 規模を誇る前方後円墳であることから、考古学上、この地方を統治した首長の墳墓であろうといわれています。 昭和三十一…
殿部田古墳群は、栗山川を東に望む台地上に位置する古墳群で、前方後円墳5基、円墳21基、方墳1基が確認されている。圏央道建設により3基の古墳が調査された。昨年3月に発行された『房総の文化財』vol.62に古墳群東側に所在する15号墳と19号墳が紹介されているので、現地を訪ねた。15号墳は全長約35mの前方後円墳。19号墳は径約14mの円墳。 化粧木の由来 工事中のトンネルの入り口には化粧木(けしょうぎ)と呼ばれる反り返った木が飾られており、これは、伊勢神宮本殿の屋根の飾り木が元となっています。その起源は山の神に対する信仰心と安全祈願にあり、 三尺六寸分(約1.2m)の太い松やヒノキを横にして、両…
高谷川低地遺跡出土遺物見学会の後で、高谷川低地遺跡の現地を訪れた。圏央道を絶賛建設中。一枚目の写真の中央左の赤白の鉄塔の右辺りが高谷川低地遺跡。 高谷川の対岸から にほんブログ村
特別展「鹿嶋の古墳を歩く」を鑑賞した日は、早起きして、ミニ博物館ココシカの開館前に、中宮野古墳群を散策。そのあと鹿島神宮を参拝。 大鳥居 鹿島神宮御由緒 御祭神 武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ) 社格 勅祭社・別表神社・ 常陸国一之宮・旧官幣大社 創建 皇紀元年(紀元前六六〇年) 例祭日 九月一日 境内地 二十一万坪 御由緒 神代の昔、天照大御神(あまてらすおおか)の命を受けた武甕槌大神は香取の経津主大神(ふつぬしのおおかみ)と共に出雲国へ向かわれ、国譲りを成就し皇孫の国たるべき日本の建国に挺身された。 とりわけ東国における神功は大きく、関東開拓の礎は遠く大神にさかのぼる。 初代・神武天皇…
夫婦塚古墳の後円部の東側に隣接する2基の円墳と、付近の古墳から移設保存された石棺を見学した。 箱式石棺 宮中野古墳群の発掘調査でみつかったもの遺体を安置する石の棺です。 宮中野古墳群は北浦に面した須賀の台地にあり、前方後円墳や方墳・円墳などな「さまざまの古墳が120基以上もありました。 この石棺は筑波山産出のホルンフェルスとよばれる石を板状に切り出して箱形に組合わせたもので、つくられた年代は6世紀後半から7世紀頃と考えられています。 鹿島町文化財愛護協会 【陪塚(ばいちょう)】夫婦塚古墳後円部東側に近接し、寄り添うように2基の円墳が位置しています。規模は北側 の古墳が径17.5m、高さ1.25…
中宮野古墳群の散策の続き。稲荷塚古墳の北50m分岐を東に250m進むと千年塚。 千年塚 千年塚は6世紀頃に造営されたとされる鶴来(かくらい)古墳群の一つです。東西32.6m、南北は20.8m、高さ3.4mの長方形の古墳ですが、削られているので詳細は不明です。この塚は伝え話によりその名を残しました。 昔、鹿島神宮に卜部活麿(うらべのいくまろ)という神官がいて、彼は非常に鶴を可愛がっていました。あるとき彼は鶴の背に乗って北の方に飛び去っていきました。3年経って鶴の背に乗って帰って来た活暦を、人は天人とか鶴の化生と言って尊敬しました。 皆が驚くほど長生きした活麿の死後、彼の霊を祀った塚は「千年塚」と…
中宮野古墳群の散策の続き。 中宮古墳群の南東に分布する鶴来(かくらい)古墳群の稲荷塚古墳。 稲荷塚古墳 稲荷塚古墳は6世紀頃に造営されたとされる鶴来(かくらい)古墳群の中で、もっとも大きい円墳(南北径32.5m、東西径34.5m、高さ6.1mです。墳頂にはこの土地の開拓者が、穀物の神である保食命(うけもちのかみ)を祀った鶴来稲荷大明神の石の祠(ほこら)を建てています。稲荷塚古墳の呼び名はこれに由来します。 2015年10月1日 鹿嶋神の道運営委員会 にほんブログ村
上高津貝塚ふるさと歴史の広場(考古資料館)のテーマ展「土浦の遺跡28 武者塚古墳と古代焼き物のさと」の記念行事として開催された「貝塚周辺の文化財を歩く会」に参加した。開催日が4月8日の花まつり(お釈迦様の誕生日、灌仏会)だったので、普段は公開されていない弥陀堂の内部など見学させていただくことができた。ありがとうございます。 弥陀堂(土浦市粕毛、江戸時代、市指定文化財) 石造五輪塔(土浦市佐野子、花崗岩製、高さ265cm、室町時代、市指定文化財)、つくば市の平沢でつくられ、この地に移されたという江戸時代の記録がある。 備前川、記録はないが伊奈備前守忠次に由来するかも。 般若寺 石造五輪塔(土浦市…
上高津貝塚ふるさと歴史の広場(考古資料館)のテーマ展「土浦の遺跡28 武者塚古墳と古代焼き物のさと」を鑑賞した。資料館所蔵の国指定重要文化財「茨城県武者塚古墳出土品」を公開すると共に、令和2・3年度の発掘調査成果を紹介する。主な発掘調査成果としては、市北部の山麓にある小野窯跡の調査で、奈良・平安時代の須恵器の窯跡が広がる"焼き物のさと"の様子がわかってきた。会期は5月7日まで。 テーマ展「土浦の遺跡28 武者塚古墳と古代焼き物のさと―令和2・3年度遺跡調査の成果―」 土浦市公式ホームページ テーマ展「土浦の遺跡28 武者塚古墳と古代焼き物のさと」を開催しています 土浦市公式ホームページ…
1982年から1987年に5ヵ年計画で記録保存のための発掘調査が実施された聖山公園遺跡は、最終年度の調査で、予想しなかった縄文時代前期集落跡と思われる遺構を確認して、1ヵ年調査を延長することになった。2ヵ年の調査の結果、検出された遺構は、縄文時代前期の竪穴住居跡27軒、長方形大型建物跡15棟、方形建物跡10棟、掘立柱建物跡17棟、土坑(墓壙も含めて)339基でうち144基は未発掘、奈良時代の竪穴住居跡16軒、掘立柱建物跡17棟、円形有段土坑1基。この成果は学会からも大きく注目され、一般の人々の関心も集め、宇都宮市は、墓地造成計画を変更し、この重要遺跡の保存を決定し、「うつのみや遺跡の広場」とし…
聖山公園に保存されている将軍山古墳を訪れた。聖山公園は宇都宮市が運営する公営霊園で、宇都宮市西部にある。将軍山古墳は径約30mの円墳。聖山公園の墓園造成にあたり、1982年から1987年に5ヵ年計画で記録保存のための発掘調査が実施された。第4ヵ年目の1985年に将軍山古墳の周溝部が調査された。将軍山古墳およびその周辺は「遺跡の広場」として保存する計画で、調査は周溝部に限定された。文献[4]によると、主体部は調査していないが、南に開口する横穴式石室が想定され、南側周溝が前庭部に向かう状況がうかがえ、「墳丘南側斜面には石室の石材と思われる石が一部露呈」とのことだが気が付かなかった。横穴式石室として…
壬生町立歴史民俗資料館に常設展示されている高さが160cmを超える家形埴輪が出土した富士山古墳を訪れた。 入山口 県指定史跡 富士山古墳 富士山古墳は、丘陵の先端部に築かれた二段築成の円墳です。 谷を挟み西側にある茶臼山古墳とともに、南に広がる低地面を見下ろすように築かれています。 富士山古墳の発掘調査は、平成5年度に町教育委員会により行われました。その結果、幅広く造られた墳丘第一段平坦面(基壇)は、南側は丘陵部を削り出し造られているのに対し、谷が迫る東西両側は盛り土を行い平坦面が造られていることを確認しました。墳丘の規模は楕円形を呈する墳丘第一段の直径が最大で86m、第二段の直径が55m、高…
壬生町と鹿沼市の2ヶ所の金売り吉次の墓をお参り。 金売り吉次の墓(壬生町上稲葉) 金売り吉次の墓(伝説) 金売り吉次は、鎌倉時代の初め頃、源義経に仕えた金売り(砂金などの売買を商売とした者)と言われています。 義経は平家を壇ノ浦に滅ぼした後、兄頼朝と不仲になり、奥州平泉へ逃れました。吉次は義経の供をし、この稲葉の地まで逃れてきましたが、病に倒れこの地で生涯を終えました。 里人たちにより、吉次の墓とともに吉次の守護仏である観音様を祀ったお堂(ここより約20m東に現存)が建てられたと言われています。 また江戸時代の『奥の細道』で知られる松尾芭蕉に随行した曽良の日記に、 「壬生ヨリ楡木へニリ ミフヨ…
壬生城本丸跡のお隣の精忠神社を参拝。 精忠神社 畳塚 干瓢伝来三百年記念 にほんブログ村
次に壬生町立歴史民俗資料館を訪れた。壬生町立歴史民俗資料館は壬生城の本丸跡にある。 吾妻古墳石室部材「玄門石」 吾妻古墳石室部材「天井石」 壬生町立歴史民俗資料館 にほんブログ村
丸山古墳の次に岩家古墳を訪れた。岩家古墳も下野国庁跡資料館に展示されていた下野国庁跡周辺航空写真に記されていた。 岩家古墳、栃木市指定文化財、円墳、径61m、高さ6m 栃木市の文化財一覧 - 栃木市ホームページ 大塚宿古墳、コンビニ駐車場脇 下野国庁跡周辺航空写真(一部) 栃木県栃木市大塚町 岩家古墳 古墳探訪記栃木県栃木市大塚町 大塚宿古墳 古墳探訪記 にほんブログ村
下野国庁跡資料館に展示されていた下野国庁跡周辺航空写真に丸山古墳が記されていたので訪れた。 栃木市の文化財一覧 - 栃木市ホームページ 下野国庁跡周辺航空写真(一部) 桜が満開だったので、向かいの星宮神社も撮影したが、ふっき〜さんのブログ記事によると星宮神社は星の宮古墳の墳丘上に祀られていて、鳥居脇の電話ボックスの裏の大きな石は、岩家古墳の石室の石材だったとの伝承があるそうだ。 栃木県栃木市田村町 星の宮古墳 古墳探訪記栃木県栃木市田村町 丸山古墳(再訪) 古墳探訪記 道安寺 にほんブログ村
次に下野国庁跡を訪れた。桜とタンポポが満開。 宮野辺(宮目)神社 南門 前殿 東脇殿 西脇殿 西脇殿 長大な南北棟の建物であり、国府の役人が事務を行った施設です。発掘調査により延暦10(791)年頃焼失したことを確認しています。東側に建てられた同規模の東脇殿とは、前殿を中心に東西対称の位置関係になっています。発掘調査により確認した建物跡は、奈良時代前期から平安時代前期のもので、この間に4期の変遷があります。 また、西脇殿の西側塀外部には、当時のゴミを捨てた穴が発見され、木簡(紙の代用とされた板の筆記具)やその削り屑が多数見つかりました。本簡が出土することは、当時の役所で、これを使った事務か行な…
Googleマップで見つけた「ナムジゾウの習俗」に寄り道。小山市指定無形民俗文化財の説明板があった。流行り病の侵入防止を願う信仰行事で、お盆に子供達が鉦の音に合わせて唄を歌い集落内の野仏を参拝してまわるとのこと。 小山市の文化財(無形民俗文化財) - 小山市ホームページ 怪しい墓地裏のマウント 古墳なう 栃木市「大本古墳群周辺の塚状墓地」 にほんブログ村
ここからは、栃木県の古墳巡り。壬生町立歴史民俗資料館でミニ企画展「愛宕塚古墳の埴輪たち」を鑑賞する前、最初に訪れたのは、小山市の篠塚稲荷神社古墳。 篠塚稲荷神社古墳は、思川西岸に広がる沖積地の北端近くに築かれた、6世紀中葉頃の前方後円墳。前方部を南に向け、全長62m、前方部の幅30m、高さ3.5m、後円部は径35m、高さ4.75m。大本地内に分布する大本古墳群では最古で最大、6世紀前半の琵琶塚古墳後の首長墳ともいうべき中規模の古墳。 篠塚稲荷神社古墳参道の正面(西側)には大平山、晃石山(419m) 篠塚稲荷神社、西から左が後円部、右が前方部 篠塚稲荷神社塚古墳(史跡) この古墳は、前方部がほぼ…
谷中の散歩の続き。気がついたら、また谷中霊園。 渋沢栄一家墓所 kofunmeguri.hatenablog.com にほんブログ村
谷中の散歩の続き。 本行寺 経王寺 延命院 夕やけだんだん 七面坂 谷中ほたるさわポケパーク(4月1日オープン) 大円寺の煉瓦塀 区立谷中小学校の煉瓦塀 宗善寺 煉瓦造の蔵と煉瓦塀 にほんブログ村
桜に誘われて、谷中霊園を散歩。 川上音二郎の碑 天王寺五重塔跡 銅造釈迦如来坐像台座跡 鬱金桜(うこんさくら) 几号水準点 天王寺 にほんブログ村
トーハクで「コレクションの探求 はにわ展から50年」を鑑賞した後で、桜に誘われて散歩。 旧博物館動物園駅 東京藝術大学 下町風俗資料館付設展示場 にほんブログ村
壬生町立歴史民俗資料館で開催中のミニ企画展「愛宕塚古墳の埴輪たち」を鑑賞した。愛宕塚古墳は2017年と2018年に壬生町が茨城大学、東京学芸大学などと協力して発掘調査を行った。そのときに出土した埴輪を中心に紹介する。2018年9月8日現地説明会で、発掘中の円筒埴輪や盾持ち人物埴輪を見学した。会期は本日(4月2日)まで。 ミニ企画展「愛宕塚古墳の埴輪たち」始まりましたー!🎉壬生愛宕塚古墳から見つかった埴輪、どうぞ間近で見てって下さい!会期は3/1(水)〜4/2(日)までですᐠ( ᐛ )ᐟ#みぶ歴民#愛宕塚古墳の埴輪たち pic.twitter.com/m9wBxpxCrt— 壬生町立歴史民俗資料…
トーハクの創立150年記念として平成館企画展示室で開催中の「コレクションの探求 はにわ展から50年」を鑑賞した。トーハクで1973年に開催された「はにわ展」から50年。この50年間の埴輪研究の成果を、50年前に展示した埴輪を中心に紹介する。会期は4月9日まで。 東京国立博物館 - 創立150年記念特集 コレクションの探求 はにわ展から50年東京国立博物館 - 創立150年記念特集 コレクションの探求 はにわ展から50年 作品リスト 庭園 黒門 にほんブログ村
相模原市立博物館で開催中の考古企画展「新発見!さがみはらの遺跡」を鑑賞した。近年の収蔵資料からわかる市域の歴史を紹介する。相模原市内には旧石器時代から戦国時代までを中心とした遺跡が約540箇所確認されいる。会期は4月16日まで。なお、相模原市立博物館は初めて訪れたが、常設展も企画展も入場無料。 【4/16まで】考古企画展「新発見!さがみはらの遺跡」を開催しています! 相模原市立博物館の職員ブログ 『考古企画展「新発見!さがみはらの遺跡」を開催します令和5年3月10日 相模原市発表資料 小惑星探査機「はやぶさ」 勝坂式土器 ━━━\情報解禁!/━━━3/18から新企画展開催!新発見!さがみは…