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  • 「令和5年度特別史跡加曽利貝塚発掘速報展」 千葉市立加曽利貝塚博物

    千葉市立加曽利貝塚博物で開催された「令和5年度特別史跡加曽利貝塚発掘速報展」を鑑賞した。本展は、 最新の調査研究成果として、令和5年度から開始した北貝塚の発掘調査について、昭和37・41年の発掘調査の成果と合わせて展示する。会期は本日(6月30日)まで。 千葉市:令和5年度特別史跡加曽利貝塚発掘速報展の開催について 久しぶりに加曽利貝塚博物館を訪問して、令和5年度発掘調査速報展を観覧しました。土偶をはじめとする発掘遺物とともに、加曽利貝塚と集落の発達史に関連するパネル展示も充実していて、自分の問題意識を深めることができました。https://t.co/cVqkqQaYuC pic.twitte…

  • 発掘された日本列島2024 千葉県立中央博物館

    千葉県立中央博物館で開催中の巡回展「発掘された日本列島2024」を鑑賞した。平成7年度から始まった本展は、今年度で30回目の開催。千葉県立中央博物館での開催は16年ぶり3回目。今回は「我がまちが誇る遺跡」として北海道・今金町、北海道・余市町、群馬県・藤岡市の3地域に焦点を当てる展示と、「新発見考古速報」として遺跡発表会「発掘された関東の遺跡2024」で発表のあった5遺跡の他、北海道の美々4遺跡、福島県の墓科遺跡、奈良県の菅原遺跡、宮城県の穴田東窯跡・薬師堂東遺跡、神奈川県の六ノ域遺跡の10遺跡を紹介する。また、「地域展」では、令和3年度に寄贈された千葉県指定有形文化財「半円方格帯神獣鏡」(大多…

  • 発掘された関東の遺跡2024 (6/22) 千葉県立中央博物館

    6月22日に千葉県立中央博物館で開催された 遺跡発表会「発掘された関東の遺跡2024」に参加した。関東考古学フェアの一環として、 群馬県2、埼玉県2、茨城県1、計6遺跡の発表と特別公演 “「発掘された日本列島2024」展の見どころ”を聴講した。定員150名がほぼ埋まり大盛況。 【おしらせ】令和6年遺跡発表会「発掘された関東の遺跡2024」を開催します。※要申込日時:令和6年6月22日(土)10:10~(受付開始9:40)申込方法:往復葉書・メール(6月7日まで※消印有効)申込先:(公財)千葉県教育振興財団文化財センター詳細はチラシをご覧ください pic.twitter.com/2dHkVUNr…

  • 飯玉神社 本庄市北堀

    本庄市北堀の飯玉神社を参詣した。 第六十二回伊勢神宮式年遷宮記念 飯玉神社 御由緒 本庄市北堀一六〇二 □ 御祭神・・・倉稲魂命(うかのみたまのみこと) □ 御縁起(歴史) 鎮座地の久下塚は、武蔵七党児玉党の久下塚氏の名字の地と考えられており、元来は独立した村であったが、中世の末期に北堀に繰り入れられるようになったようである。また、地名の「久下」は古代の役所である「郡家」が転じたもので あるとの説もあるが、これを裏付ける遺跡は現在のところ発見されていない。 当社は、久下塚の産土として祀られてきた神社で、『児玉郡誌』によれば、創立の年代は不詳であるが、児玉党の支族である公家塚庄二郎弘定が崇敬した…

  • 元富東古墳 本庄市東富田

    東富田古墳群を散策。3基目は元富東古墳。現況は湮滅。文献[1]によると「東富田古墳群3、円墳、径16m、埴輪、横穴式石室、葺石」 、本庄早稲田の杜ミュージアムのミニ企画「ミュージアム周辺の古墳」では、パネルに「元富東古墳」との名称で「直径27mほどの古墳、墳丘には一部に葺石が施され、周囲には堀がめぐって、埋葬施設は両袖式の胴張型横穴式石室、側壁は模様積、奥壁には巨大な片岩を二段積み、玄室の床面付近から直刀3、各種刀装具、刀子、鉄鏃、弓飾金具、銅製耳環などが出土、7世紀前半の築造と推定」、横穴式石室側壁・奥壁検出状況写真と石室実測図、石室出土副葬品が展示された。 120公卿塚古墳趾, 121元富…

  • 東富田稲荷山古墳 本庄市東富田

    東富田古墳群を散策。2基目は東富田稲荷山古墳。文献[1]によると「東富田稲荷山古墳、円墳、径30m」、本庄早稲田の杜ミュージアムのミニ企画「ミュージアム周辺の古墳」のパネルでの名称は「元富古墳」だった。 120公卿塚古墳趾, 121元富東古墳, 122西原古墳, 123〜127 遺跡名の記載なし(東富田稲荷山古墳は124) 元富東古墳-熊野十二社神社古墳-元富古墳【埼玉県本庄市】 - ぺんの古墳探訪記 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 熊野十二社神社古墳 本庄市東富田

    東富田古墳群を散策。1基目は熊野十二社神社古墳。文献[1]によると「円墳、径25m、葺石」 熊野十二社神社 熊野十二社神社 所在地:本庄市東富田301 熊野十二社神社の祭神は、国常立尊で、延享年間(1744〜1748)に勧請したと伝えられ、社殿は現在覆屋の中にある。 社殿のある小高い丘は、古墳であり、同様なものが周辺に分布している。この古墳群は、東富田古墳群といい、 特に、今の種子センターの地にあった公家塚古墳は、県下でも数少ない古墳時代初期のものであった。また、神社の北にある冨田寺(ふくでんじ)は、山号を愛宕山照明院といい、本尊は阿弥陀如来である。 昔、児玉党一族の富田氏の祈願所であったと伝…

  • 寒念仏供養塔古墳 本庄市今井

    本庄市の今井の古墳群を散策。3基目は寒念仏供養塔古墳。文献[1]によると「円墳、径8m、地ぶくれ状」 寒念仏供養塔古墳-薬師堂古墳-No.126古墳【埼玉県本庄市】 - ぺんの古墳探訪記 埼玉県本庄市今井 寒念仏供養塔古墳 古墳探訪記 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 薬師堂古墳 本庄市今井

    本庄市の今井の古墳群を散策。2基目は薬師堂古墳。文献[1]によると「円墳、径14m」 寒念仏供養塔古墳-薬師堂古墳-No.126古墳【埼玉県本庄市】 - ぺんの古墳探訪記 埼玉県本庄市今井 薬師堂古墳・№126古墳 古墳探訪記 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 本庄市No.126古墳 本庄市今井

    本庄市の今井の古墳群を散策。1基目はNo.126古墳。文献[1]によると「円墳、径約10m」 寒念仏供養塔古墳-薬師堂古墳-No.126古墳【埼玉県本庄市】 - ぺんの古墳探訪記 埼玉県本庄市今井 薬師堂古墳・№126古墳 古墳探訪記 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 平重衡の首塚 本庄市児玉町蛭川

    金鑚神社古墳から北西に徒歩約15分の駒形神社の隣の釈迦堂墓地にある本庄市指定文化財の平重衡の首塚を訪れた。平重衡(しげひら)は平清盛の五男、治承4年(1180年)12月、清盛の命により南都焼打、 寿永3年(1184年)2月の一ノ谷の戦いで平氏は源範頼・義経の鎌倉源氏軍に大敗を喫し、敗軍の中、重衡は馬を射られて捕らえられた。本庄市によると「一の谷の合戦で児玉党の庄四郎高家に生け捕られた重衡は鎌倉に送られて源頼朝に面会した後、南都の僧兵に引き渡されました。その後、処刑された重衡の首を、庄高家は自分の領地蛭河郷に持ち帰り、手厚く供養したといわれています。蛭川の駒形神社の隣の釈迦堂墓地にあります。」 …

  • 金鑚神社古墳 本庄市児玉町入浅見

    本庄早稲田の杜ミュージアムで企画展を鑑賞した後で、金鑚(かなさ)神社古墳を訪れた。本庄市によると「金鑽神社古墳は生野山丘陵から北東へのびる尾根上に所在する古墳で、本庄市内では最大規模の円墳。径67m、高さ7m、2段築成、上段の墳丘に葺石、幅10数mの周掘、墳丘から斧形や刀子形をした石製模造品が採集されている、古墳時代の中期中頃、西暦5世紀前半の築造と推定されている、昭和59年の埼玉県県史編さん室による調査で墳丘の中段から出土した円筒埴輪は表面に朝鮮半島の土器製作技法に起因する格子タタキ技法が用いられ、この技法が用いられた埴輪は公卿塚古墳(径65m)や生野山丘陵上に所在する生野山将軍塚古墳(径6…

  • 蛇喰古墳 深谷市岡

    本庄早稲田の杜ミュージアムで企画展を鑑賞する前に深谷市の蛇喰古墳に立ち寄った。文献[2]によると蛇喰古墳は「径20mを測る円墳で、白山古墳群中唯一現存する古墳である」「白山古墳群は6世紀以降の築造と推定される古墳群で、白山遺跡の北西に展開する。(白山遺跡の)2次調査において、24基が検出された。」、文献[1]によると「円墳、径25m、埴輪」 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 深谷市教育委員会 2011 『埼玉県深谷市埋蔵文化財発掘調査報告書124:白山遺跡Ⅳ』深谷市教育委員会 にほんブログ村

  • 下野谷遺跡から見る風景-縄文時代の人々と竪穴住居の生活 本庄早稲田の杜ミュージアム

    本庄早稲田の杜ミュージアムで開催された企画展「下野谷遺跡から見る風景-縄文時代の人々と竪穴住居の生活」を会期終了間際に鑑賞した。 下野谷遺跡は、東京都西東京市東伏見の早稲田大学東伏見キャンパス内にある遺跡で、大学の史跡建設に伴い、早稲田大学埋蔵文化財調査室によって1989〜1991年に発掘調査が行われた。その結果、縄文時代早期から後期にかけての遺構や遺物が見つかった。なかでも中期は、150軒以上の竪穴住居跡が環状にめぐり、その内側に墓域が形成された環状集落で、西東京市の調査の成果と合わせると、2つの環状集落で構成された関東でも屈指の遺跡であることがわかった。下野谷遺跡の一部は西東京市が公園とし…

  • 学芸戦隊キュレイター第2話司令官FOX登場 北区飛鳥山博物館

    北区飛鳥山博物館で開催中の収蔵資料展示「学芸戦隊キュレイター第2話司令官FOX登場」を鑑賞した。本展は「日々、博物館の収蔵庫に眠る資料を調査・研究し、"北区の謎″と戦う、われら学芸戦隊キュレイター☆司令官FOXからの招集により、2年ぶりに再集結!」との設定で、普段収蔵庫に保管されている資料の中から、学芸の戦士(キュレイター)たちが「これは!」と思う資料をセレクトしてご紹介する。会期は6月23日(日)まで。 収蔵資料展示「学芸戦隊キュレイター」(北区飛鳥山博物館)|東京都北区 【予告】5月25日(土)~6月23日(日)、北区飛鳥山博物館特別展示室にて。収蔵資料展示「学芸戦隊キュレイター」開催決定…

  • 「中国鏡」 明治大学博物館

    明治大学博物館の考古部門のミニ展示、明大コレクション57「中国鏡」を鑑賞した。明治大学博物館考古部門の代表的なコレクションのひとつである中国鏡。 戦国代から隋唐代までの中国鏡40面を展示し、鏡の形状や文様の変遷をご紹介する。会期は2024年4月22日(月)から6月22日(土)まで。 明大コレクション57「中国鏡」開催のお知らせ 明治大学 考古部門コレクション展「中国鏡」が本日始まりました!戦国代から隋唐代までの中国鏡40面を展示し、鏡の形状や文様の変遷をご紹介いたします。ぜひご覧ください!https://t.co/Jf8fFuXFly#明治大学博物館 pic.twitter.com/IvV…

  • 国際博物館の日(5月18日) 東京国立博物館

    5月18日は国際博物館の日で、東京国立博物館が無料観覧日とのことで訪れ、常設展示を堪能した。 本館 竪矧広板鋲留衝角付冑(たてはぎひろいたびょうどめしょうかくつきかぶと) 埼玉県行田市 小見真観寺古墳出土 古墳時代・6世紀 J-39552 国宝 太刀(名物 童子切安綱) 伯耆安綱 平安時代・10~12世紀 F-19931-2 平成館 本館(日本ギャラリー) 日本美術のあけぼの―縄文・弥生・古墳 本館(日本ギャラリー) 刀剣 本館(日本ギャラリー) 天皇の乗物 平成館(日本の考古) 氷河期の日本列島に暮らした人びと―道具作りのはじまり― 平成館(日本の考古) 自然環境の変化と定住生活―土器の出現…

  • 東武伊勢崎線のガード 久喜市古久喜、西大輪

    この日、最後に訪れたのは、久喜市のJR東北本線が葛西用水路と東武伊勢崎線と交わる地点。 天王新堀にかかる天王橋の先に東武伊勢崎線のガード 出来野踏切 天王新堀 跨線橋、跨道橋(東武伊勢崎線) 跨線橋の詳細 にほんブログ村

  • 中川低地の河畔砂丘群 西大輪砂丘 久喜市西大輪

    国道4号線の利根川橋を渡り、中川低地の河畔砂丘群 西大輪砂丘を訪れた。 埼玉県指定天然記念物 中川低地の河畔砂丘群 西大輪砂丘 指定年月日 平成二十八年三月十五日 所在地 久喜市西大輪 西大輪砂丘は、榛名山や浅間山の火山灰等に由来する大量の砂が、寒冷期の強い季節風により、利根川の旧河道沿いに吹き溜められて形成された内陸性の砂丘である。平安時代から室町時代にかけて形成されたと考えられており、羽生市から越谷市にかけての中川低地に点々と分布する内陸性の河畔砂丘群は、全国的にみても珍しい。 西大輪砂丘は、利根川の旧河道東側に分布する四列からなる大規模な砂丘列であり、東側の二列の規模が特に大きい。東から…

  • 駒塚古墳 古河市中田

    渡良瀬川を渡って茨城県古河市の駒塚古墳を訪れた。古河市によると「利根川・渡良瀬川の流域には多くの古墳があったが、河川改修や耕作によって湮滅(いんめつ)していった。この古墳も耕作によって著しく変形しており、残丘部は長径16.2m、短径11.2m、高さ3.23mである。昭和59年(1984)に墳丘周辺部の発掘調査が行われ、墳丘部の裾をめぐる溝とその外側に外径40mほどの溝を確認した。 内側の溝からは、多量の縄文土器片とともに少量の埴輪片が出土していることから、古墳時代以降に掘削されたものと考えられ、外側にめぐる外径約40mの溝が当古墳の周溝であると推定される。」 史跡 駒塚古墳 風雨や耕作によって…

  • 飯積遺跡 加須市飯積

    板倉町大高嶋の大塚山古墳と稲荷神社古墳から南南東に約2km、利根川左岸の合の川スーパー堤防の下に、古墳時代の村が眠っていると知り訪れた。合の川河川防災センター、合の川防水センターの脇に「飯積(いいずみ)遺跡の地」の碑と、産業遺産として「ゐのくち式両吸込渦巻ポンプ」が展示保存されている。 合の川河川防災センター、合の川防水センター 飯積遺跡の地 飯積遺跡の地 今から1500年前、大洪水を克服し再びよみがえった不屈の村が、ここ合の川スーパー堤防の下に眠っています。 この飯積遺跡は、行田市の埼玉古墳群がつくられた古墳時代(1550年前ごろ)から、都が京都に移った平安時代(1150年前ごろ)までの40…

  • 稲荷神社古墳 板倉町大高嶋

    稲荷神社古墳は、板倉町によると「墳頂部には稲荷神社の社と鳥居が建っている。周堀の一部が確認されているが、墳形は明らかになっていない。おそらく30m前後の古墳になると考えられる。埴輪は僅か1片が見つかっている。石室は浮石質角閃石安山岩の河原石で造られている。築造時期は6世紀後半と考えられる。」 板倉町指定史跡 稲荷神社古墳 (『上毛古墳綜覧』大箇野村第一号墳) 昭和50年4月25日 指定 昭和62年周堀確認調査の結果、円墳であることが確認されています。大きさ等は明らかでありませんが、径約30m、高さ約2mの古墳になると推定されます。 石室の床面には榛名山二ツ岳産出の浮石質角閃石安山岩(河原石)が…

  • 大塚山古墳 板倉町大高嶋

    次に板倉町大高嶋の大塚山古墳と稲荷神社古墳を訪れた。 大塚山古墳は、板倉町によると「墳形は方墳の可能性もあるが、明らかでない。地下レーダー探査の結果、周堀および堅穴式石室の存在が考えられる。時期など詳細なことは確認されてきない。」 板倉町指定史跡 大塚山古墳(大箇野二号墳) 板倉町大字大高嶋1732 昭和50年4月25日指定 大塚山古墳は「上毛古墳総覧」によると円墳とされ、七世紀ごろ築造されたものと考えられています。 墳丘部は直径約7m、高さ約2.5mで、かなり良好な状態で遺されています。 谷田川下流域の古墳群として、六世紀代に岩田の舟山古墳、道明山古墳が築造され、次いで筑波山古墳が築造されま…

  • 松之木古墳 板倉町飯野

    松之木古墳には「板倉町指定史跡 松之木古墳」の碑がたつ。板倉町によると「現在は耕作によって壊滅状態となってしまい墳丘は残っていない。古墳の形は昭和38年の調査では円墳と記されている。埴輪は僅かだが採集されている。築造時期は6世紀後半と考えられる。 」、この後に訪れた大塚山古墳の説明板では「松ノ木古墳(飯野—消滅—)」となっている。 松之木古墳(まつのきこふん) - 板倉町 群馬県邑楽郡板倉町飯野 松之木古墳 古墳探訪記 古墳なう 板倉町「松ノ木古墳」 谷田川と「群馬の水郷」 にほんブログ村

  • 道明山古墳 板倉町岩田

    谷田川左岸の岩田地域で、船山古墳、筑波山古墳に先行する道明山古墳(どうみょうやまこふん)。 板倉町によると「筑波山古墳の東約900mの台地先端に所在する。周堀からの推定では全長39mの前方後円墳。現在、墳丘は後円部を残すだけ。形象、朝顔型、円筒埴輪などの埴輪が多量に採集。築造時期は6世紀後半頃で、谷田川左岸の岩田地区の中では最も古い。」 板倉町指定史跡 道明山古墳(どうみょうやまこふん) 指定 昭和五十年四月二十五日 谷田川の左岸側の台地縁辺に構築された前方後円墳です。現在前方部は壊滅していますが、全長30m、周堀を含めると33m、後円部経 24mになると推定されます。また後円部の現在の高さは…

  • 舟山古墳 板倉町岩田

    筑波山古墳の南西50m、谷田川左岸の低台地縁辺に築造された舟山古墳。 板倉町によると「周堀を含めると87mの全長の前方後円墳。残存部が少ない。」 舟山古墳(ふなやまこふん) - 板倉町 群馬県邑楽郡板倉町岩田 舟山古墳 古墳探訪記 「永明寺古墳保存活用計画(改訂版)」(令和2年5月、羽生市教育委員会)によると「利根川の北に位置する邑楽台地では前方後円墳の板倉町舟山古墳(全長66m)、板倉町筑波山古墳(全長54m)、円墳の館林市渕ノ上古墳(径30m)が存在します。いずれも角閃石安山岩を用いた胴張の横穴式石室を有しており、6世紀後半の築造と推定されています。」 にほんブログ村

  • 筑波山古墳 板倉町岩田

    利根川左岸の古墳巡りの続き。明和町斗合田から谷田川を渡った北側、 谷田川左岸の低台地縁辺に築造された筑波山古墳。板倉町によると「全長53.5mの前方後円墳。墳丘上に筑波山神社を祀る。豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の曾孫御諸別王(みもろわけのおう)を埋葬したとも、藤原小黒麿を埋葬したとも伝わる。昭和8年12月に古墳丘上を社地拡張のため整地のおりに石室より武人の武具一式が出土し、再び埋葬したおりに耕地に災難をこうむることを恐れて霊峰筑波山神社を勧請(かんじょう)・合祀し、以後社名を筑波山神社と改称。」 板倉町指定史跡・重要文化財 筑波山古墳と石室石材および副葬品 【指定日】昭和44年5月29…

  • 2024世田谷区遺跡発掘調査速報展 世田谷区立郷土資料館

    世田谷区立郷土資料館で開催された「2024世田谷区遺跡発掘調査速報展~最新の調査成果から」を鑑賞した。本展は、令和5年度に行った遺跡の発掘・整理調査の成果を、出土品とパネルで紹介。 出品数100点程度祖師谷大道北遺跡第10次調査出土縄文土器六所東遺跡第5次調査出土縄文土器、埴輪下野毛遺跡第17次調査出土縄文土器、埴輪上神明遺跡第7・17次調査出土縄文土器・石器など 会期は6月23日まで。 2024世田谷区遺跡発掘調査速報展~最新の調査成果から(世田谷区立郷土資料館) 世田谷区ホームページ 【写真ニュース5月10日号発行】1面では、等々力渓谷のたけのこ掘りに参加した元気いっぱいの子どもたちの…

  • 斗合田富士塚古墳 明和町斗合田

    次に明和町斗合田(とごうだ)の富士塚古墳を訪れた。長良神社の裏の富士塚。 群馬県邑楽郡明和町 斗合田富士塚古墳 古墳探訪記 文献 [1] 公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 2023 『群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告書717:上江黒遺跡』公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 1 上江黒遺跡, 82 江黒古墳, 2 斗合田稲荷塚遺跡, 7 斗合田富士嶽古墳, 8 斗合田愛宕様古墳, 9 斗合田薬王寺古墳 22年前に行ったことがある。直線状の階段、浅間社・小御嶽・食行の三点セットという北関東ならよく見る構成。当時の写真と比較すると、手すりがついたり階段直したり後ろの木を切ったり整備し…

  • 斗合田愛宕様古墳 明和町斗合田

    次に明和町斗合田(とごうだ)の斗合田愛宕様古墳を訪れた。文献[2]によるとすぐ北に斗合田薬王寺古墳があった。「マッピングぐんま」だと1枚目の写真中央の斗合田集落センターの位置が斗合田薬王寺古墳となっている(現況は宅地)。 明和町の文化財と歴史 群馬県邑楽郡明和町 斗合田愛宕様古墳 古墳探訪記 「明和町の文化財と歴史」によると「斗合田には、斗合田稲荷塚古墳があり、昭和29年7月に群馬大学史学研究室が発掘調査をした結果、7世紀後半、古墳時代末期の横穴式石室を持つ古墳と判明した。古墳内からは盗掘され た残りの品と思われる遺物が発見されていたが、町の開発行為に伴い、令和2年に撤去された。」とのこと…

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