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  • 死者と生者の古墳時代 栃木県立博物館

    栃木県立博物館で開催中の第140回企画展「死者と生者の古墳時代~下野における6・7世紀の葬送儀礼~」を初日に鑑賞した。 古墳が隆盛を極めた時期から、古墳が作られなくなる時期への過渡期の6・7世紀、なぜ古墳時代の人々はお墓やお葬式を重視したのか、そしてどのように古墳は消えていったのか、本展示では、埋葬される「死者」と、葬送儀礼を行う「生者」の関係に焦点を当てながら、その謎に迫る。形象埴輪群像、飲食儀礼を示す土器、横穴式石室の副葬品などの資料を通して、下野地域とその周辺の葬送儀礼を紐解く。 第1章 埴輪が語る葬送儀礼 第2章 ものを食べる死者と生者 第3章 横穴式石室と死者の埋葬 第4章 古墳の終…

  • 古墳時代の草加地域 草加市立歴史民俗資料館

    草加市立歴史民俗資料館で開催された秋季企画展「古墳時代の草加地域」を鑑賞した。残念なことに企画展は撮禁だった。なお、常設展示は撮影OK。 登録有形文化財 草加市立歴史民俗資料館(旧草加小学校西校舎) 所在地:草加市住吉1丁目11-1 29号 かつての草加市は、一部の台地を除けば一面に豊かな水田が広がる稲作地帯でした。 しかし、昭和三十年代からの急激な都市化現象は、そこに住む人々の暮らしまで一変させ、営々と築き受け継がれてきた貴重な歴史、民俗等の文化遺産を消失させつつあります。 草加市立歴史民俗資料館は、この失われつつある郷土の文化遺産を収集、保管、展示するため、昭和五十八年十一月一日に開館しま…

  • 公開シンポジウム「考古学が解明する邪馬台国の時代」 日本考古学協会

    9月8日に開催された日本考古学協会主催の公開シンポジウム「考古学が解明する邪馬台国の時代」にオンラインで参加(聴講)した。 プログラムは、 「歴史考古学からみた倭王権の形成」岡村秀典 「三角縁神獣鏡と親魏倭王」福永伸哉 「『邪馬台国の時代』と古墳〜権力基盤継承の観点から〜」岡林孝作 「纒向王権と邪馬台国論」寺林薫 「弥生研究からみた邪馬台国の時代」石川日出志 討論「考古学が解明する邪馬台国の時代」司会 宮本一夫 公開シンポジウム「考古学が解明する邪馬台国の時代」開催のお知らせ 一般社団法人 日本考古学協会 文化財の鉛同位体比分析(事例:銅鏡の原料産地推定) 日鉄テクノロジー 漢委奴国王…

  • フランス山 横浜市中区新山下

    県立神奈川近代文学館のある港の見える丘公園(フランス山)を散策。 フランス山の風車 フランス山の風車 1896(明治29)年にフランス領事館とその官邸が建設された時、このフランス山には井戸水を汲み揚 げるための風車が設置されました。風車が設置されたのは、レンガ造り井戸の遺構が残されている場所です。 残念ながら、フランス領事公邸で使用されていた風車の形は、写真などの資料が残されていないため判りません。しかし、同時代に使われていた「フェリス女学院の赤い風車」 や 「ヴィラ・サクソニアの風車」の写真から、多翼型の風車であったろうと思われます。なおフランス山の風車は、フランスに残されている資料から、1…

  • 池上本門寺 (再訪) 大田区

    池上本門寺を再訪。 日樹聖人の五輪塔 大田区文化財 日樹聖人の五輪塔(にちじゅしょうにんのごりんとう) この塔は本門寺山内最大の五輪石塔で、総高約4メートル、戦災による破損がいちじるしく、造立年記銘は見えないが、上から三段目の火輪斜面に「日樹(花押)」の署名が刻まれている。 したがって、本塔は、日樹が不受不施事件で信州に流される寛永7年(1630)より前の造立である。 しかも、地輪をはじめ、塔の全面に数百名の奉加者の名を刻みつけてあることは、日樹とその信者層、ひいては江戸初期の池上本門寺外護者の実態と、不受不施史研究上、極めて有力な資料である。 昭和49年2月2日指定 大田区教育委員会 前田利…

  • 堤方権現台古墳 大田区池上

    東京都の未訪問の古墳の1つの堤方権現台古墳を訪れた。 池上永寿院万両塚 芳心院墓所 芳心院墓所 万両塚に埋葬されている「芳心院殿妙英日春大姉」は、 徳川家康と側室お万の方の孫にあたり、紀州徳川家初代藩主頼宣の娘、鳥取池田家初代藩主池田光仲の正室です。 宝塔背面の銘文には、芳心院の家系・人となり・信仰の深さと「逆修七分全得」(生前に墓をつくるなどの善行を積めば、七の功徳全てを得ることができる)のために生前に建てた自分のお墓であったことが記されています。 宝塔内部からは、法華経巻子本八巻と火葬骨の収められた青銅製の骨蔵器が発見されました。自身の法華経信仰を三百年後の私たちに伝えてくれる貴重なお墓で…

  • 公卿塚古墳跡 本庄市北堀

    埼玉県古式古墳調査報告書で報告された7基の古墳のうち、未訪問だった東富田古墳群の公卿塚古墳跡を訪れた。公卿塚古墳は古墳群内では最大規模の円墳だったが、現在は墳丘が失われている。また、埼玉県内最初期の埴輪をもつ古墳として知られる。Google Mapだと、跡地には公家塚家祖先霊璽があったようだが、なかった。文献[3]では「円墳、径65m、石製模造品・玉・埴輪・土師器、造出し、周堀確認」 公家塚家祖先霊璽の跡地? 文献 埼玉県県史編さん室 1986『埼玉県古式古墳調査報告書 埼玉県県史編さん室 - 週末は古墳巡り』埼玉県県史編さん室 本庄市教育委員会 1991 『本庄市埋蔵文化財調査報告19:本庄…

  • 浅間山古墳 上里町神保原町

    旭・小島古墳群の古墳巡りの続き。 上里町神保原町の浅間山古墳 浅間山古墳(せんげんやまこふん) 町指定文化財 昭和37年2月2日指定 浅間山古墳は、上里町東部から本庄市西部の本庄台地の先端部に広がる旭・小島古墳群を構成する1基です。墳形は、直径約38m、高さ約6mの円墳と考えられます。主体部は、角閃石安山岩を使用した胴張両袖型横穴式石室です。石室の規模は、全長約9.48m、埋葬部にあたる玄室は長さ6.48m、奥壁幅2.2m、最大幅2.4m、天井部高2.5mです。入口にあたる羨道は長さ約3m、幅1.2m、高さ1.8mです。 出土遺物は、昭和2年に玄室の一部が露出した時に出土した直刀2、鉄鉾1、金…

  • 蚕影山古墳、山の神古墳 本庄市小島

    旭・小島古墳群の古墳巡りの続き。 本庄市の遺跡番号136の蚕影山古墳。文献[2]の蚕影山古墳、円墳、径20m、須恵器、横穴式石室、葺石、周堀確認。文献[3]のNo.82の蚕影山古墳古墳、円墳、径19m、横穴式石室、角閃石、葺石、須恵器。 本庄市の遺跡番号137の山の神古墳。文献[2]の山の神古墳、円墳、径30m、埴輪・土師器、葺石、周堀確認。文献[3]のNo.83の山ノ神古墳、円墳、径41m、土師器、葺石、円筒埴輪・形象埴輪。 文献[3]より 市指定文化財(記念物)/本庄市 埼玉県本庄市 山の神古墳 蚕影山古墳 古墳探訪記 蚕影山古墳-山の神古墳【埼玉県本庄市】 - ぺんの古墳探訪記 文献…

  • 元屋敷4,5号墳 本庄市小島

    本庄市の旭・小島古墳群を巡った。 本庄市の遺跡番号139の元屋敷5号墳。文献[2]の小島諏訪神社古墳、円墳、径27m、神社境内、埴輪、葺石、周堀確認。文献[3]のNo.77の小島諏訪神社古墳、円墳。 第80回伊勢神宮式年遷宮記念 諏訪神社 御由緒 本庄市小島4-4-14 □ 御縁起(歴史) 小島は、利根川の右岸に位置する。集落は本庄台地上にあり、低地から 見ると島のようであったので小島の名が付けられたという。地内には、多数の古墳(旭・小島古墳群)が存在していたが、昭和三十年代後半からの急激な宅地造成によって、その数も激減してしまった。 当社は、そのうちの一つの円墳上に祀られる。創建については伝…

  • 小笠原信嶺公廟所古墳 本庄市中央

    本庄市の古墳の続き。 本庄市の遺跡番号141。文献[1]の「三夜堂古墳、円墳」 本庄市指定史跡 小笠原掃部太夫信嶺公夫妻の墓 公は徳川氏の家臣で、もと印塔は古墳上に築かれてい信州松尾城主、天正18年 (1590年)豊臣氏の関 東攻めにより、本庄氏滅亡の後当城を賜わり、同年9月入城し本庄領一万石を領した。慶長3年(1598年) 2月19日、52才にし て逝去した。法名徹抄道也大居士、なお公の墓石宝篋印塔は古墳上に築かれている。 昭和33年3月28日 本庄市教育委員会 市指定文化財(記念物)/本庄市 小笠原信嶺公廟所古墳-愛宕神社古墳【埼玉県本庄市】 - ぺんの古墳探訪記 埼玉県本庄市中央 開善寺…

  • 仲町愛宕神社古墳 本庄市中央

    群馬県立歴史博物館に行く前に本庄市の古墳に寄り道。 本庄市の遺跡番号142、仲町愛宕神社古墳。文献[1]の「北原愛宕山古墳、円墳、径24m、埴輪」 第60回伊勢神宮式年遷宮記念 愛宕神社 御由緒 本庄市中央1-5-2 □ 御縁起(歴史) 本庄城の城跡から見て、南西500メートルほどの所にある愛宕山と呼ばれる古墳の上に当社は鎮座し、石段の脇には神木の大欅(おおけやき)が枝を広げている。この古墳は、愛宕山の西方500メートルほどの所にある古墳と夫婦塚であるといわれ、彼方の古墳の上には寺坂町の天神社が建つ。 当社の位置は、臨済宗妙心寺派の寺院である開善寺の旧寺領の南東端に当たる。開善寺は、天正18年…

  • 埴輪―本庄とその周辺地域における埴輪の導入から終焉まで― 本庄早稲田の杜ミュージアム

    本庄早稲田の杜ミュージアムで開催中の企画展「埴輪―本庄とその周辺地域における埴輪の導入から終焉まで―」を鑑賞した。本庄市とその周辺地域は、埼玉県内で最も早く埴輪を導入した地域として知られ、その後も埴輪をもつ古墳が数多く築かれ、また埴輪窯跡も数か所に所在するなど埴輪づくりがとても盛んな土地だった。本展では、本庄市や周辺地域で出土した埴輪のなかから、とくに注目すべき資料を体系的に集成し、当地域での埴輪の出現から終焉までの姿を紹介する。 【開催中】埴輪-本庄とその周辺地域における埴輪の導入から終焉まで-|イベント|本庄早稲田の杜ミュージアム 常設展示 #展覧会 #埼玉県 #本庄市 【埴輪】本庄早稲田…

  • りんりんロードでめぐる文化財 上高津貝塚ふるさと歴史の広場

    上高津貝塚ふるさと歴史の広場で開催された第27回企画展「りんりんロードでめぐる文化財」を最終日に鑑賞した。「りんりんロード」は「つくば霞ヶ浦りんりんロード」のことで、 旧筑波鉄道の廃線敷と霞ヶ浦を周回する湖岸道路を合わせた全長約180kmのサイクリングコースとして、2016年11月25日に開通式が行われ、2019年11月に国が指定するナショナルサイクルルートにも指定された。筑波鉄道は1918年(大正7年)に開通し、土浦駅から岩瀬駅までの18駅間を運行していたが、自家用車の普及とともに1987年(昭和62年)に廃線。廃線跡はつくば霞ヶ浦りんりんロードとして生まれ変わった。 本展は「つくば霞ヶ浦り…

  • 埴輪展 山武市歴史民俗資料館

    山武市歴史民俗資料館で開催中の令和6年度企画展「埴輪展」を鑑賞した。撮禁なのが残念。 山武市歴史民俗資料館 令和6年度企画展「埴輪展」後期開催のお知らせ 山武市公式ホームページ 山武市歴史民俗資料館 令和6年度企画展「埴輪展」 山武市公式ホームページ https://t.co/xH7QFolxGG pic.twitter.com/6XOPgloMub — 山武市歴史民俗資料館【公式】埴輪展後期開催中 (@sammu_rekimin) 2024年4月17日 山武市歴史民俗資料館では令和6年度企画展「埴輪展」の後期が開催中です!前期の埴輪に加え、埴輪クイズも展示の一角に設けていますので、ぜ…

  • 茂原市内の古墳時代ー国府関夏身遺跡、中原遺跡、山崎横穴群等ー 茂原市立美術館・郷土資料館

    茂原市立美術館・郷土資料館で開催された市史編さん事業展示 第1回テーマ展「茂原市内の古墳時代ー国府関夏身遺跡、中原遺跡、山崎横穴群等ー」を鑑賞した。茂原市内には、国府関夏身遺跡や猿袋中原遺跡などの集落や、地域の有力者の墓域の横穴墓が400基以上存在する。本展では、埋葬された副葬品(須恵器の壺や甕)、日常生活で使っていた土器、木製品などを展示。 「茂原市内の古墳時代」茂原市立美術館・郷土資料館 バーチャルミュージアム(65) 千葉県茂原市の公式サイトへようこそ! 茂原市史編さん事業について 千葉県茂原市の公式サイトへようこそ! 房総の古墳を歩く/伊甚国の古墳 にほんブログ村

  • 水子貝塚発掘調査 現地説明会 (12/7) 水子貝塚公園(富士見市水子)

    水子貝塚で32年ぶりに実施された発掘調査の現地説明会に参加した。水子貝塚は、荒川低地が海だった縄文海進期(今から約6,000年前)の縄文時代前期を代表する遺跡で、1969年に国の史跡に指定、縄文ふれあい広場として整備され1993年に水子貝塚公園が開園した。開園から30年が経過し、富士見市は将来の再整備を見据えた史跡水子貝塚保存計画を2022年度に、整備基本計画を2023年度に策定。本年度は、新たな資料や発掘成果の追加を目的に発掘調査を実施している。 先月、ららぽーと富士見の掲示板で見つけたポスター 水子貝塚発掘調査 現地説明会|富士見市 水子貝塚で32年ぶりの発掘調査を、現地で説明します。20…

  • あれもEこれもE―加曽利E式土器(総括編)― 加曽利貝塚博物館

    加曽利貝塚博物館で開催中の令和6年度企画展示 加曽利貝塚E地点・B地点発掘100周年記念「あれもEこれもE―加曽利E式土器(総括編)―」を鑑賞した。加曽利貝塚博物館では、加曽利E式土器の変遷と地域性の解明を目的に、房州半島の資料を集成する連続企画展「 あれもEこれもE加曽利E式土器」を2018年から開催してきた。今回は総集編として、過去6回の展示の注目点に新たな例を加え、今まで蓄積した情報を整理した。 千葉市:令和6年度企画展示「加曽利貝塚E地点・B地点発掘100周年記念「あれもEこれもE―加曽利E式土器(総括編)―」」について 企画展「あれもEこれもE-加曽利E式土器(総括編)」、本日から開…

  • 加曽利貝塚 発掘調査現地説明会(11/30) 千葉市若葉区桜木

    今年も加曽利貝塚の発掘調査現地説明会に参加した。今年は、本格的調査としては57年ぶりとなる北貝塚の発掘調査の2年目。北貝塚の中央部から東北東の貝層範囲に届くように、幅10m、長さ50mの調査区(No.41)を設定。No.41調査区は、中央部で昭和41年の調査区(No.15)の一部にかかり、貝層範囲で昭和37年の調査区(No.2)を内包する。今年度の調査は、小竪穴、竪穴住居跡群(中期)の確認、柱穴群(後期)の分布と時期の確認、貝層の堆積状況と時期の確認を目的とする。 今年掘られた50cm幅のサブトレンチ 公園の一部はナラ枯れによる倒木の恐れで通行不可 千葉市:令和6年度 加曽利貝塚発掘調査につい…

  • ミミズク土偶の世界 岩槻郷土資料館

    岩槻郷土資料館の企画展「ミミズク土偶の世界~埼玉のミミズク土偶大集合~」を開催初日に鑑賞した。真福寺貝塚(さいたま市岩槻区)、をはじめとして、埼玉県内の各地で出土した「ミミズク土偶」や関連資料約140点を展示。 さいたま市/岩槻郷土資料館で企画展「ミミズク土偶の世界 ~埼玉のミミズク土偶大集合~」を開催します 【岩槻郷土資料館】企画展「ミミズク土偶の世界 埼玉のミミズク土偶大集合」を開催します真福寺貝塚(岩槻区)、をはじめとして、埼玉県内の各地で出土した「ミミズク土偶」や関連資料約140点を展示します。11月16日(土)から1月26日(日)まで。詳しくは https://t.co/l9Pw12…

  • 真福寺貝塚 現地説明会(11/16) さいたま市岩槻区城南

    今年も真福寺貝塚の発掘調査の現地説明会に参加した。真福寺貝塚は、縄文時代後期前葉から晩期中葉(約3,800〜2,600年前)まで営まれた貝塚を伴う集落遺跡と低湿地の泥炭層遺跡から成る。さいたま市教育委員会は、平成28年度から毎年、発掘調査を実施していて今年で9年目。私が真福寺貝塚の発掘調査の現地説明会に参加するのは、6年連続6回目。今年は、昨年調査したに西側の水辺の活動域の南側の調査区の谷部の泥炭層地点の調査を実施中。 国史跡 真福寺貝塚(しんぷくじかいづか)指定年月日 昭和50年7月19日所有(管理)者 岩槻市本町六丁目一番一号所在地 岩槻市城南三丁目地内 真福寺貝塚は、縄文時代後期から晩期…

  • 綿貫観音山古墳 (再訪) 高崎市綿貫観音山

    群馬県立歴史博物館で企画展を鑑賞後に綿貫観音山古墳を再訪。初めて横穴式石室の中に入れた。 観音山古墳の埴輪 国宝群馬県綿貫觀音山古墳出土品 指定:令和2年9月30日 観音山古墳では、墳頂と墳丘中段のテラス面に埴輪が多量に並べられていました。一方で、内堀と外堀の間にある中提(ちゅうてい)には壊輪は並べられていなかったようです。 後円部墳頂では、家・大力(たち)・盾(ゆき、矢入れ具)・鶏(にわとり)の埴輪が、前方部墳頂では家・盾・鶏の埴輪が並べられていました。そして、墳頂の平坦面を一周するように円筒・朝顔形埴輪が立て並べられていました。 中段のテラス面では、石室の入口向かって左側から前方部にかけて…

  • 陸軍岩鼻火薬製造所射場跡 高崎市綿貫町

    群馬県立歴史博物館の開館時間まで「群馬の森」を散策した。「群馬の森」は「旧東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所」跡地に建設された自然公園。 我が国ダイナマイト発祥の地 陸軍岩鼻火薬製造所射場跡 ここから見えるコンクリート製のトンネルのようなものは、「射場跡」(昭和10年完成)です。かつて群馬の森一帯は、明治15年から昭和20年まで操業した陸軍の火薬製造所でした。黒色化薬や無煙火薬が製造され、この射場は小火器専用として使用されたものです。 (出典: みやま文庫「陸軍岩鼻火薬製造所の歴史」) 第22回岩鼻火薬製造所と軽便鉄道 - 高崎市公式ホームページ 岩鼻火薬製造所について資料はないか。 レファレン…

  • 東京砲兵工廠跡の煉瓦基礎 文京区

    東京ドーム脇の後楽園スタヂジアム跡地に保存された旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ。 旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ 明治4年(1871年)に建設された旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ。昭和12年(1937年)、旧後楽園球場建設の際は、基礎のあまりの強固さにグランド部分は取り除くのを見合わせていたが、平成12年(2000年)竣工の東京ドームホテル建設を進めるにあたり、地下5mの深さより出土、採取。 現在地は旧後楽園球場のセンター位置にあたる。 市兵衛河岸 市兵衛河岸(いちべえがし) 河岸とは、物資輸送のために水ぎわに作られた物揚場(ものあげば)などの施設のことであ…

  • リリイベ (11/23) ららぽーと立川立飛

    11月23日に「ららぽーと立川立飛」で開催されたラフxラフの新曲「超めっちゃ"キュン"でしょ?」の発売記念リリースイベント(リリイベ)に参加した。前回の「ららぽーと富士見」のリリイベと明星大学の学園祭は7人バージョンだったが、今回は8人のフルバージョン。「TIFxFNS」の決勝後の初ライブ。眩しいくらいに輝いていた。この日のセトリは吉村萌南さんが担当。この日はラフxラフのプロデューサーの佐久間さんの誕生日。みんなでお祝い動画を撮影。 明日はタワーレコードららぽーと立川立飛店さんにてリリイベです!♡https://t.co/cwgefV3a5Z観覧無料なのでお時間ある方はライブだけでもぜひ!!み…

  • 橘樹歴史公園 川崎市高津区千年

    今年5月18日にオープンした橘樹歴史公園をオープン後に初めて訪れた。 史跡 橘樹官衙遺跡群(千年伊勢山台遺跡[橘樹郡家跡]) 橘樹評(たちばなひょう)の倉庫跡(SB0031) この倉庫跡は、橘樹郡家正倉院(ぐうけしょうそういん)地区Ⅱ期(7世紀後葉〜8世紀初頭)の橘樹評の倉庫跡と推定されています。南北3間、東西3間の高床の掘立柱建物(総柱建物)で、令和元年(2019)に実施した確認調査において、この建物が東西約5.94m(20尺)、南北約5.94m(20尺)の規模であり、隣接する3棟の倉庫と同規模であることが判明しました。この建物は、北側に隣接する倉庫跡(SB0030)と異なり、建物を支える1…

  • 影向寺の文化財 現地特別公開 川崎市宮前区野川本町

    川崎市教育委員会主催の令和6年度指定文化財等現地特別公開事業として特別公開された影向寺の文化財を見学した。本特別公開事業は、日頃、保存や保護のため公開されていない川崎市の指定文化財を所有者のご理解とご協力をいただき特別に公開するイベント。今年は橘樹歴史公園のオープンを記念して、影向寺の文化財を特別公開した。 影向寺(ようごうじ) 当寺は、天台宗に属しています。縁起によれば、天平11年(739)光明皇后がご病気のおり、聖武天皇は夢告(ゆめのおつげ)で武蔵国橘樹郡橘郷、すなわちこの地に霊石(れいせき)のあることを知り、早速、当時の高僧行基を使わし祈願させたところ霊験あらたかで、皇后のご病気も快ゆさ…

  • 星友祭 明星大学

    11月2日から4日に開催された明星大学学園祭 星友祭の中日(11月3日)に訪れた。この日(星友祭2日目)のステージショー(場所:ソルブランステージ)は、午前中が「お笑いライブ」でネルソンズ、鬼越トマホーク、マユリカの3組、午後がアイドルグループ「ラフ×ラフ」のライブ。推しの初学園祭ということで駆けつけた。 【情報解禁】今年の星友祭2日目のステージショーは、アイドルグループ「ラフ×ラフ」によるショーに決定しました!詳細はこちら👇開催日 11月3日(日)※2日目開場 14:30〜 開演 15:00〜場所 明星大学日野キャンパス ソルブランステージ●観覧無料● pic.twitter.com/zBg…

  • 万蔵院台古墳群 日野市百草

    大栗川左岸の多摩市と日野市の市境に立地する万蔵院台古墳群を探索した。 万蔵院台2号墳? 万蔵院台3号墳? 倉沢里山を愛する会 会報「アリスの丘・風の丘ファーム」NEWS LETTER No.10, 2001年9月1日発行 古墳なう 日野市/万蔵院台古墳群 万蔵院台の庚申塔 日野市指定有形民俗文化財 万蔵院台の庚申塔(四基)平成21年9月17日指定 庚申信仰は「庚申の晩に眠ると、身中の三尸(さんし)の虫が昇天して天帝にその人の過失を告げる」という中国の信仰と、日本の日待ち、月待ちの信仰が融合したものとされる。江戸時代に庶民の間に浸透し、庚申の晩に人々が集まり、眠らずに一晩を過ごす庚申講が行われた…

  • 塚原古墳群1号墳 (再訪) 多摩市和田

    塚原古墳群1号墳を再訪した。 文献 多摩地区所在古墳確認調査団 1995『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』 にほんブログ村

  • 庚申塚古墳 (再訪) 多摩市和田

    庚申塚古墳を再訪した。 庚申塚古墳(こうしんづかこふん) 和田の台地には6〜7世紀頃の豪族の墓(古墳)が多数造られたが、現在その大部分が地上から姿を消している。この古墳は当時の姿を残す貴重な遺跡である。 多摩市教育委員会 文献 多摩地区所在古墳確認調査団 1995『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』 にほんブログ村

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