八ヶ上(はけうえ)遺跡の第2地点の付近を散策。 33 八ケ上(はけうえ)遺跡|富士見市 八ケ上遺跡の縄文時代草創期の土器と石器|富士見市 縄文文化のはじまり ~八ヶ上遺跡全部見せます~|富士見市 蔵出し! 八ケ上遺跡|富士見市 にほんブログ村
たまごの森フラワーガーデンのチューリップ 国営ひたち海浜公園
国営ひたち海浜公園たまごの森フラワーガーデンのチューリップ。 国営ひたち海浜公園 – 海と空と緑がともだち。 チューリップ – 国営ひたち海浜公園 《#チューリップ 特集🌷第一弾》『たまごの森フラワーガーデン』で咲く、今年おすすめのチューリップの名前は、「○○ヴァ」(4文字)と言います。さて、花の名前は何でしょうか❓正解は、次の投稿をチェック😊#hitachiseasidepark #ひたち海浜公園 pic.twitter.com/PXMqOyK2ys — 国営ひたち海浜公園【公式】 (@HitachiKaihin) 2025年4月12日 《#チューリップ 特集🌷第二弾》第一弾の投稿の答えは「…
約530万本のネモフィラの見頃を堪能するために、早起きして国営ひたち海浜公園のみはらしの丘を訪れた。 みはらしの丘の上から眺める茨城港常陸那珂港区 国営ひたち海浜公園 – 海と空と緑がともだち。 ネモフィラ – 国営ひたち海浜公園 ナノハナ – 国営ひたち海浜公園 みはらしの丘では、約530万本の #ネモフィラ が見頃を迎えております!空と共に、丘一面青色の世界が広がります✨#hitachiseasidepark #ひたち海浜公園 #ひたち海浜公園_私の推し花 pic.twitter.com/af0P4LEScj — 国営ひたち海浜公園【公式】 (@HitachiKaihin) 2025年4月…
丸紅ギャラリーの特別公開展から明治大学博物館をハシゴ。ここも徒歩移動。 明治大学博物館の考古部門のミニ展示、明大コレクション60「佐賀県桜馬場遺跡の甕棺」を鑑賞した。魏志倭人伝に登場する末盧国(まつろこく)の王墓と考えられる甕棺が出土した佐賀県桜馬場遺跡から出土した(周辺の)甕棺などを展示。 明大コレクション60 「佐賀県桜馬場遺跡の甕棺」開催のお知らせ 明治大学 学芸研究室から(第3回)【考古】佐賀県桜馬場(さくらのばば)遺跡の甕|明治大学博物館 甕棺 明治大学デジタルアーカイブ 桜馬場遺跡出土遺物(平成19年度調査分) 文化遺産オンライン 県指定(考古資料の部)13 / 佐賀県 明…
ボッティチェリ 美しきシモネッタ 特別公開展 丸紅ギャラリー
東京都美術館のミロ展から丸紅ギャラリーの『ボッティチェリ 美しきシモネッタ』特別公開展をハシゴ。『ボッティチェリ 美しきシモネッタ』は、丸紅が所蔵する日本で唯一のボッティチェリ(1445-1510)のテンペラ画。1808年にイタリアのボローニャで再発見され、フランス、イギリス、ドイツ、イギリスを経て、1969年に丸紅が輸入。その後、贋作との指摘を受け、専門家による現地調査、科学鑑定により、その疑いを晴らし、本展では経緯等もパネル展示する。本作のモデルとなったシモネッタ・ヴェスプッチ(1453-1476)は、ボッティチェリの傑作「プリマヴェーラ(春)」や「ヴィーナスの誕生」もモデルとも言われてい…
国立科学博物館の古代DNA展から東京都美術館のミロ展をハシゴ。 【開幕まで1ケ月】🇪🇸ジュアン・ミロ(1893~1983)は、20世紀を代表する巨匠に数えられ、没後40年を迎えた今、世界的に再評価されています。本展は〈星座〉シリーズをはじめ、各時代を彩る絵画や陶芸、彫刻により、90歳まで新しい表現へ挑戦し続けたミロの芸術を紹介します!https://t.co/ExBbMhCBAr pic.twitter.com/CUf9Ht3sqy — 東京都美術館 (@tobikan_jp) 2025年2月1日 【特別展「ミロ展」(東京都美術館)開幕レポート】https://t.co/pnqc8OfU2j東…
国立科学博物で開催中の特別展「古代DNA−日本人のきた道−」を鑑賞した。遺跡から発掘された古代の人々の骨に残るごく僅かなDNAを解読し、人類の足跡をたどる古代DNA研究。近年では、技術の発展とともに飛躍的な進化を遂げ、ホモ・サピエンスの歩んできた道のりが従来想像されていたよりもはるかに複雑であったことが分かってきた。本展では、旧石器時代から古墳時代まで、また、本州・四国・九州と異なる文化と歴史をもつ北海道と琉球列島について、出土した古人骨や考古資料、高精細の古人頭骨CG映像などによって、その成立の歴史を伝える。さらに、古くから人類と関わりが深いイヌやイエネコについても取り上げ、DNA分析などか…
道の駅 おかべの桜。 道の駅 おかべ 渋沢栄一めぐり旅|埼玉県公式観光サイト ちょこたび埼玉 渋沢栄一ゆかりの地を巡る - 埼玉県 にほんブログ村
東京都立埋蔵文化財調査センターの新年度の企画展示からパルテノン多摩ミュージアム連携企画展をハシゴ。 パルテノン多摩ミュージアムで開催中の連携企画展『多摩市百草・恋路稲荷神社の秘密~古墳の上の神社の伝来資料群を黄檗寺院「資福院」の痕跡~』を鑑賞した。昨年秋に多摩市百草の稲荷塚古墳を7年ぶりに訪れたら、八角形墳の墳頂に祀られていた神社が遷座していたのでビックリした。本展によると、2022年に今後の神社の維持管理と稲荷塚古墳の保存と活用を考え、隣接地へ縮小移転し、社殿に伝来した多くの資料は多摩市教育委員会に寄贈されたとのこと。また、「恋路(こいじ)」という地名の由来は、①遊郭があった説、②「国府路(…
「土の中のトーキョー~近代考古学事始~」 東京都立埋蔵文化財調査センター
東京都立埋蔵文化財調査センターで開催中の新年度の企画展示「土の中のトーキョー~近代考古学事始~」を鑑賞した。 都心部の江戸遺跡を調査すると近代の遺跡・出土品に遭遇する。本展示では、当センターが東京都内で発掘調査を行った成果を中心に、 プロローグ:土の中のトーキョー トーキョーの礎 トーキョーを襲った災禍 トーキョーに暮らした人々 エピローグ:トーキョーからTOKYOへ~東京の現在、そして未来~ というテーマで、東京の近代化と現在の私達の暮らしに繋がる近代東京の歴史を紹介する。 令和7年度企画展示「土の中のトーキョー~近代考古学事始~」がスタートしました。 お知らせ一覧 東京都埋蔵文化財…
「君ときゅんと♡」 リリイベ (4/19) ららぽーと立川立飛
私の推しのラフXラフの佐々木楓菜さんが作詞・作曲した「君とキュンと♡」のリリースイベント(リリイベ)の三日目(会場としては4会場目)も大盛況。「君とキュンと♡」のリリイベは今回がラスト。感動的なフィナーレだった。もなみんとはるるん👍(Good Job) 1部 2部 【新着🆕】ラフ×ラフ @roughlaugh_o 『君ときゅんと♡』miim ver. 発売記念 ミニライブ・特典会 開催決定!3月29日(土)🎪ヴィレッジヴァンガード渋谷本店🎪錦糸町マルイ4月5日(土)🎪ステラタウン大宮4月19日(土)🎪ららぽーと立川立飛≫詳細はこちらhttps://t.co/deamrJIVz8 — miim …
浅間塚古墳から現地説明会に向かおうとしたら道に迷って、なぜか駒城跡だったので寄り道。 県指定文化財 史跡 駒城跡 指定年月日 昭和十年十一月二十六日 ここは東西120メートル、南北180メートルにわたる駒城跡の北西部にあたります。 駒城は駒館ともいわれ、およそ670年前ここに中御門少将藤原実寛が城主としてたてこもりました。 その頃は北畠親房らが南朝に、足利尊氏らは北朝にそれぞれの天皇をいただいて争い、たいへん乱れたので南北朝時代といわれています。親房らはこの地方に勢力をのばそうとして延元三年・暦応元年 (1338)小田治久の小田城(つくば市小田)に拠りました。 関城(筑西市関館)の関宗祐、大宝…
次に訪れたのは、鬼怒川を渡った東隣の下妻市の浅間塚古墳。 市指定文化財 史跡 浅間塚古墳(せんげん づか こふん) 指定年月日 昭和52年3月22日 所在地 下妻市黒駒 管理者 下妻市 黒駒字駒墓300番にある古墳で、全長40メートル、後円部の高さ5.3メートルの小規模ながら典型的な前方後円墳である。木立に覆われた墳丘上に浅間祠があり、保存状態は良好である。 この古墳は6世紀から7世紀ごろ平方や久下田などに水田を開いた豪族の墓ではないかと考えられる。 平成3年3月 下妻市教育委員会 浅間塚古墳(市指定文化財) 下妻市公式ホームページ 下妻市浅間塚古墳 趣味の案件 にほんブログ村
次に訪れたのは天神塚古墳。墳頂に大日霊貴(おおひるめむち)社を祀る。いばらきデジタルマップによれば「遺跡番号121、円墳、S61測量調査」 茨城県結城郡八千代町 菅谷天神塚古墳 古墳探訪記 八千代町菅谷天神塚古墳 趣味の案件 茨城県結城郡八千代町:大日霊貴社と菅谷天神塚古墳: 怠け者の散歩道2 にほんブログ村
次に訪れたのは城山古墳群の矢尻北古墳。城山古墳群は、矢尻北古墳ともう1基の円墳が残存とのことだが、どこだろう? ちなみに、八千代町歴史民俗資料館に城山古墳群の矢尻古墳の石棺が移設保存されている。 八千代町指定文化財 矢尻北古墳 指定番号十二号 昭和五十三年四月一日指定 種別 記念物 史跡 所在地 八千代町大字栗山字矢尻六二〇番地の二 他二筆 形態 円墳 規模 直径16m 年代 古墳時代後期 矢尻北古墳は、入沼東岸の台地上に立地する城山古墳群の中にあります。測量調査の結果、直径16m、 高さ1.84mの円墳であることが分かりました。墳丘の北側と南側の一部に周溝の形状が認められ、周溝幅を推定すると…
秋葉山古墳のすぐ北にある尾崎前山遺跡製鉄炉跡にも足をのばした。 八千代町指定文化財 尾崎前山遺跡製鉄炉跡 平成六年九月二十六日指定 尾崎前山遺跡は、南側に飯沼から入り込んだ谷津を望む台地に立地する。現状は山林・ 畑になっている。 台地下の斜面から水田にかけて、多量の鉄滓が散布していたことから、茨城県立歴史館や東京工業大学によって、昭和五十三年から五十五年にかけて発掘調査された。調査の結果、旧石器時代から縄文時代、弥生時代、平安時代の複合遺跡であることが分かった。 特に、指定された南斜面の部分からは、製鉄炉跡の他、木炭や炉を築くための粘土等の材料置き場、明らかに地形を成形して造った作業場等の施設…
現地説明会の前に八千代町で墳活。最初に訪れたのは秋葉山古墳。 八千代町指定文化財 秋葉山古墳 昭和五十三年四月一日指定 秋葉山古墳は、旧飯沼入江西岸の台地突端に立地し、台地下の水田地帯を一望できる。古墳の北側には秋葉神社が祭祀されている。 古墳は測量調査の結果、全長約45mの前方後円墳であることが分かった。かつては他に2、3基の古墳があったということだが、現在は消滅している。 秋葉山古墳は、明治24年12月24日に発掘調査されている。その時の様子が、当時のいばらき新聞や古文書からも知ることができる。それによると、石棺の中から人骨二体、刀剣二口、槍一幹、小刀二口が出土したことが分かる。 石棺は竪…
現地説明会の前に八千代町歴史民俗資料館で常設展示と屋外に移設保存された2基の石棺を見学。常設展示は撮影禁止なのが残念。 八千代町歴史民俗資料館に移設保存された2基の石棺 矢尻古墳出土石棺 八千代町栗山矢尻古墳出土石棺: 埼群古墳館別館 39.矢尻北古墳 八千代町公式ホームページ 太田古墳出土石棺 八千代町太田古墳出土石棺: 埼群古墳館別館 八千代町若(神社)古墳 歴史民俗資料館所蔵石棺 趣味の案件 32.太田古墳出土遺物(副葬品 銅鏡外) 八千代町公式ホームページ 本日は館内整理日のため、ジャングルと化してしまった敷地内を職員全員で除草しています🌿ちなみに、画像の中央に並んでいるも…
旧中結城小学校庭遺跡 発掘調査現地説明会 (3/22) 八千代町
3月22日に開催された旧中結城小学校庭遺跡の発掘調査現地説明会に参加した。今回の調査では、縄文時代早期後半、古墳時代前期、古墳時代後期の竪穴住居跡、中世のものと思われる溝跡、井戸跡などが見つかった。 【#発掘調査 #遺跡 #現地説明会 開催のお知らせ】日時:3月22日(土)午後1時30分場所:旧中結城小学校庭遺跡(理化工業株式会社敷地内)駐車場:理化工業株式会社従業員用駐車場※小雨決行、荒天時は中止皆様のご来場お待ちしております#茨城県 #八千代町 #八千代町歴史民俗資料館 #考古学 pic.twitter.com/ll2JvxwPx8 — 八千代町歴史民俗資料館【公式】 (@yachiyo_…
「ようこそ はるばる おけがわへ ~縄文時代のモノと移動~」 桶川市歴史民俗資料館
桶川市歴史民俗資料館で開催中の令和6年度企画展示『ようこそ はるばる おけがわへ ~縄文時代のモノと移動~』を鑑賞した。桶川市域は、古くから交通の要衝として栄えてきた。本展では、桶川市内の縄文時代の遺跡から出土した、他地域にルーツをもつ「モノ」に焦点を合わせて、当時の地域間交流の様子を紐解く。 令和6年度企画展示「ようこそ はるばる おけがわへ~縄文時代のモノと移動~」/桶川市 【#桶川市 からの #埼玉文化財情報】桶川市歴史民俗資料館で、企画展示「ようこそ はるばる おけがわへ ~縄文時代のモノと移動~」を開催しています!期間は4月20日(日)までです!3月27日(木)には、近隣に道の駅がオ…
私の推しのラフXラフの佐々木楓菜さんが作詞・作曲した「君とキュンと♡」のリリースイベント(リリイベ)の二日目(会場としては3会場目)も大盛況。場所は埼玉県のステラタウン大宮。ショッピングモールの屋外広場での開催で、天候も良く、買い物中のご家族や小さなお子様にも楽しんでいただけたかな。次回のららぽーと立川立飛も楽しみ。 【新着🆕】ラフ×ラフ @roughlaugh_o 『君ときゅんと♡』miim ver. 発売記念 ミニライブ・特典会 開催決定!3月29日(土)🎪ヴィレッジヴァンガード渋谷本店🎪錦糸町マルイ4月5日(土)🎪ステラタウン大宮4月19日(土)🎪ららぽーと立川立飛≫詳細はこちらhttp…
「埼玉の遺跡 行田・熊谷市小敷田遺跡−低地集落に生きた人々−」 埼玉県立さきたま史跡の博物館
埼玉県立さきたま史跡の博物館で開催中の令和6年度テーマ展「埼玉の遺跡 行田・熊谷市小敷田遺跡−低地集落に生きた人々−」を開催2日目に鑑賞した。さきたま史跡の博物館では、毎年「埼玉の遺跡」をテーマに展示を開催、今回は行田市と熊谷市にまたがる小敷田遺跡について紹介する。小敷田遺跡は低地に営まれた集落で、弥生時代から古代まで幅広い時代の遺物が出土している。本展では、県内最古級の方形周溝墓から出土した土器や多数出土した農耕などに関する木製品、出挙を示す木簡などを展示し、当時の人びとの暮らしについて考える。この日は、学芸員による展示解説があり、こちらも参加した。 企画展・特別展 - 埼玉県立さきたま史跡…
北区飛鳥山博物館で開催中の春期企画展「丸木舟ラボー縄文の舟にまつわる4つのはてなー」を鑑賞した。北区では、縄文時代中期〜晩期の丸木舟が合計4艘見つかっている。そのうちの1艘の中里遺跡出土の縄文時代中期初頭(約5400〜5300年前)につくられた丸木舟は、大変良好な保存状態で、博物館を代表する展示品の一つで、東北新幹線(1985年に上野駅・大宮駅間が開業)の建設工事に伴う発掘調査で第1地点P地区の砂層から出土した。残りの3艘は袋低地遺跡(赤羽北1・2丁目)から舟底の一部が出土した。丸木舟の日本各地の発見数は近年増加傾向にあり170艘ほどで、出土地に偏りがあり、九十九里地域(千葉県北東部)や琵琶湖…
越中島支線の煉瓦造の橋台群を散策の続き。 大島架道橋(ガード) 山崎架道橋(ガード) 庚申架道橋(ガード) 江東区登録史跡 庚申道跡 明治通りから横十間川へ向かうこの道は、庚申道と呼ばれていました。明治44年(1911)の東京逓信管理局作成の地図を見ると「字庚申道」と記されています。 この道の西側、大島1-18に「釜屋堀庚申様地蔵尊」という幟(のぼり)の建てられたお堂があります。このお堂は昭和62年頃まで突き当たりにあり、「三つまたの庚申様」とも呼ばれていました。昭和7年(1932)に刊行された『大島町誌』 には、「庚申堂」として旧大島村甲七十番地にあること、猿田彦大神を祀ること、その由緒は未…
錦糸町マルイでの「君とキュンと♡」のリリイベまで時間があったので、小雨の降る中、越中島支線の煉瓦造の橋台群を散策。越中島支線は、東京都江戸川区の小岩駅と江東区の越中島貨物駅を結ぶ、JR東日本の総武本線の貨物支線の通称。1929年(昭和4年)に亀戸駅から小名木川駅まで開業。 竪川橋梁(ガード) 亀戸架道橋(ガード) 中の郷出村第1架道橋(ガード) 中の郷出村第2架道橋(ガード) さらに南下 幹線29号架道橋 越中島支線・竪川架道橋 : Anthology -まちの記憶- 続・東京鉄道遺産1 越中島支線 亀戸~小名木川間の煉瓦積み橋台群 : kenのデジカメライフ 昔の晴海には鉄道が走っていた!?…
白石古墳群の墳活の続き。 平井地区27号墳 平井地区29号墳(平井村480号墳) 平井地区30号墳 平井地区32号墳(平井村491号墳) 左から平井地区27,30,32号墳 平井地区33号墳(平井村481号墳) 平井地区34号墳(平井村490号墳) 平井地区17号墳-18号墳-19号墳-22号墳-29号墳-32号墳-33号墳【群馬県藤岡市】 - ぺんの古墳探訪記 平井地区34号墳-35号墳-37号墳-38号墳【群馬県藤岡市】 - ぺんの古墳探訪記 にほんブログ村
白石古墳群の墳活の続き。 平井地区35号墳(平井村485号墳) 平井地区37号墳(平井村483号墳?) 平井地区38号墳(平井村484号墳) 平井地区34号墳-35号墳-37号墳-38号墳【群馬県藤岡市】 - ぺんの古墳探訪記 【古墳めぐり81】萩原塚古墳〜佐平塚古墳〜堀越塚古墳〜めおと塚古墳 古墳友との初コラボ - 2020年01月13日 [登山・山行記録]-ヤマレコ にほんブログ村
白石古墳群の墳活の続き。 平井地区49号墳(平井村461号墳) 平井地区50号墳 平井村464号墳 平井地区49号墳-50号墳-57号墳-58号墳-平井村464号墳【群馬県藤岡市】 - ぺんの古墳探訪記 にほんブログ村
白石稲荷山古墳の発掘調査現地説明会の後で、白石古墳群の下郷支群で墳活。藤岡市藤岡歴史館の東の県道173号線(金井倉賀野停車場線)沿いのラブホを取り囲む白石古墳群の猿田支群の平井地区7〜13号墳と、その南の促成栽培のハウスを取り囲む白石古墳群の下郷支群の平井地区15〜23号墳を6年前に墳活したので、今回は、その南に所在する白石古墳群の下郷支群の平井地区27〜50号墳を探索。この地域には、堀越塚古墳、萩原塚古墳、佐平塚古墳と3基の横穴式石室が開口する古墳があるが、3基とも民家の敷地内にあり、今回は石室は見学していない。機会があれば見学したい。 堀越塚古墳 所在地 藤岡市白石1946-1 所有者 堀…
平井地区2号古墳と平井地区2号北古墳を再訪。 平井地区2号古墳 平井地区2号北古墳 こっちにこんな石が にほんブログ村
皇子塚古墳と平井地区1号古墳を再訪。 皇子塚古墳 平井地区1号古墳 おまけで七輿山古墳 にほんブログ村
3月2日に開催された白石稲荷山古墳の発掘調査現地説明会に参加した。藤岡市では、現在、七輿山古墳を北、白石稲荷山古墳を南とする範囲で白石丘陵公園の整備を進めている。その一環の史跡整備にあたって白石稲荷山古墳の調査を実施している。令和元年度に早稲田大学と地中レーダー探索を実施した。その結果を踏まえ、令和4年度は前方部に3本のトレンチ(23, 24, 25トレンチ)を設定、上段(3段目)斜面と中段(2段目)斜面の葺石を確認した。令和5年度は、古墳の外側に巡る「基壇」と呼ばれる付随施設の存在やその形状を確認するため4本のトレンチ(26,27,28,29トレンチ)を設定、墳丘の1段目斜面の外側の平坦な面…
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八ヶ上(はけうえ)遺跡の第2地点の付近を散策。 33 八ケ上(はけうえ)遺跡|富士見市 八ケ上遺跡の縄文時代草創期の土器と石器|富士見市 縄文文化のはじまり ~八ヶ上遺跡全部見せます~|富士見市 蔵出し! 八ケ上遺跡|富士見市 にほんブログ村
富士見市立水子貝塚資料館で開催中の企画展「縄文文化のはじまり~八ヶ上遺跡全部見せます~」を鑑賞した。本展は、富士見市関沢の 八ヶ上(はけうえ)遺跡を中心に、縄文時代草創期(約1万6000〜1万5000年前)の富士見市や埼玉県内、神奈川県の遺跡の出土品を展示する。 八ヶ上遺跡は、1973年(昭和48年)に発掘調査された第2地点から隆起線文土器と石器群が多数発見され学会でも著名な遺跡となったが、一部の土器と石器が概報として報告されたのみで、ほとんどの資料が正式には発表されていないため、今回は第2地点から出土した縄文時代草創期の土器や石器を全て展示するとのこと。個人的には、西大宮バイパスNo.4遺跡…
安楽寺周辺の古墳巡りの続き。 浅間山古墳(綜覧古墳番号倉賀野1)、番号530[現状:○、墳形:前方後円、全長171.5m、埋葬施設:不明(未調査)、国史跡] 国指定史跡 浅間山古墳(せんげんやまこふん) 浅間山古墳は、烏川左岸の段丘上に位置する四世紀後半から五世紀初頭に築造された前方後円墳です。墳丘は前方部が二段、後円部が三段の築造で、斜面には葺石があります。墳丘周囲には内堀と外堀の二重周堀があります。内堀は馬蹄形で、その外側に葺石を持つ中堤(ちゅうてい)が築かれ、さらにその外側に外堀が廻っていることが確認されています。 同一段丘上には、前方後円墳の大鶴巻古墳・小鶴巻古墳、円墳の大山古墳・庚申…
安楽寺周辺の古墳巡りの続き。 大鶴巻古墳(綜覧古墳番号倉賀野2)、番号580[現状:○、墳形:前方後円、全長123m、埋葬施設:不明(未調査)、国史跡] 史跡 大鶴巻古墳 この古墳は、烏川左岸の段丘上に築かれた全長123mの前方後円墳で平坦地に土を二段に盛り上げてつくられています。ただし、後円部の噴頂下5mのあたりで等高線の間隔がゆるやかになる部分が見られることから三段築成の可能性もあります。後円部の径が72m、高さ10.5mであるのに対し、前方部の長さ51m、前端幅54m、高さ6.5mと、後円部に比較して前方部の幅が狭く、未発達という特徴を持っています。墳丘のまわりには盾型の周堀をめぐらし、…
安楽寺の石室を見学後は、近くの大鶴巻古墳・小鶴巻古墳・浅間山古墳を再訪した。 左手前が小鶴巻古墳、右奥が大鶴巻古墳 小鶴巻古墳(綜覧古墳番号倉賀野3)、番号581[現状:○、墳形:前方後円、全長87.5m] 小鶴巻古墳 この古墳は大鶴巻古墳と共に、五世紀後半のものと推定される前方後円墳で、倉賀野古墳群を代表する首長墓の一つでもあります。墳丘全長約87m、後円部径約50m、同高約6m、前方部は前幅約40m、同高約2.5mで、幅20mの周堀を有しています。 後円部蓋の頂上中心部に、舟形石棺と考えられる凝灰岩製の剣抜式石棺が安置されております。その石棺の蓋の部分の既掘穴(盗掘の穴)から見ると、内部に…
高崎市倉賀野の安楽寺のご本尊、七仏薬師が壁面に彫られた安楽寺古墳の横穴式石槨は、12年に一度、巳年の花まつりにご開帳されるということで、4月8日に仕事を休んで訪れた。次の公開は12年後ということで、この日は多くのお仲間がこの地を訪れたようだ。 安楽寺古墳、番号577[現状:△、墳形:円、直径約30m、埋葬施設:横穴式石室(横穴式石槨)、県史跡] 群馬県指定史跡 安楽寺古墳 安楽寺古墳は七世紀末頃に築造されたと推定され、径20メートル、高さ4メートルの規模を有する円墳である。 主体部は横口式石槨と呼ばれる形式で、羨道の奥に石棺が取り付いたような構造をしている。 石室内部の壁面には、鎌倉時代の製作…
昨年12月の境町の清水遺跡の現地説明会の時に立ち寄ったショッピングモールに保存された桜山古墳群の2基の古墳のうち、おたま塚古墳の写真が見切れていたので再訪した。 桜山古墳群内 おたま塚古墳 桜山古墳群は、古墳時代前期から中期(三世紀末〜五世紀ごろ)にかけてこの地を支配していた豪族の墳墓群であり、かつては十二基以上の古墳を数えた。利根川築堤による採上で湮滅し、現存するのはこのおたま塚古墳(円墳)と鷲塚古墳(円墳、東方五十メートル) のみである。 南方にあった古墳から人骨や直刀などの遺物が出土したとの、昭和三十年の新聞記事があるが、遺物などの所在は不明である。平成三年に境町教育委員会が行った調査で…
発掘60周年記念の馬渡埴輪製作遺跡を訪れた。 国指定史跡 馬渡埴輪製作遺跡(まわたりはにわせいさくいせき) 馬渡埴輪製作遺跡は、5世紀末から6世紀頃(1,400〜1,500年前)に、古墳に立てる埴輪を製作していた遺跡である。 この遺跡は昭和38年に発見され、昭和40年から平成3年までの調査の結果、窯跡19基、住居跡2軒、工房跡(作業場)12棟、粘土採掘抗25か所以上、溝などの遺構が発見された。遺跡からは、円筒埴輪や形象埴輪(人物・馬などの形をしたもの)や、当時の工人が使用した土器類や鉄器類なども発見されている。 原料の粘土の採掘から、形を作り、焼き上げるまでの一連の工程がわかる遺構と、工人の住…
国営ひたち海浜公園たまごの森フラワーガーデンのチューリップ。 国営ひたち海浜公園 – 海と空と緑がともだち。 チューリップ – 国営ひたち海浜公園 《#チューリップ 特集🌷第一弾》『たまごの森フラワーガーデン』で咲く、今年おすすめのチューリップの名前は、「○○ヴァ」(4文字)と言います。さて、花の名前は何でしょうか❓正解は、次の投稿をチェック😊#hitachiseasidepark #ひたち海浜公園 pic.twitter.com/PXMqOyK2ys — 国営ひたち海浜公園【公式】 (@HitachiKaihin) 2025年4月12日 《#チューリップ 特集🌷第二弾》第一弾の投稿の答えは「…
約530万本のネモフィラの見頃を堪能するために、早起きして国営ひたち海浜公園のみはらしの丘を訪れた。 みはらしの丘の上から眺める茨城港常陸那珂港区 国営ひたち海浜公園 – 海と空と緑がともだち。 ネモフィラ – 国営ひたち海浜公園 ナノハナ – 国営ひたち海浜公園 みはらしの丘では、約530万本の #ネモフィラ が見頃を迎えております!空と共に、丘一面青色の世界が広がります✨#hitachiseasidepark #ひたち海浜公園 #ひたち海浜公園_私の推し花 pic.twitter.com/af0P4LEScj — 国営ひたち海浜公園【公式】 (@HitachiKaihin) 2025年4月…
丸紅ギャラリーの特別公開展から明治大学博物館をハシゴ。ここも徒歩移動。 明治大学博物館の考古部門のミニ展示、明大コレクション60「佐賀県桜馬場遺跡の甕棺」を鑑賞した。魏志倭人伝に登場する末盧国(まつろこく)の王墓と考えられる甕棺が出土した佐賀県桜馬場遺跡から出土した(周辺の)甕棺などを展示。 明大コレクション60 「佐賀県桜馬場遺跡の甕棺」開催のお知らせ 明治大学 学芸研究室から(第3回)【考古】佐賀県桜馬場(さくらのばば)遺跡の甕|明治大学博物館 甕棺 明治大学デジタルアーカイブ 桜馬場遺跡出土遺物(平成19年度調査分) 文化遺産オンライン 県指定(考古資料の部)13 / 佐賀県 明…
東京都美術館のミロ展から丸紅ギャラリーの『ボッティチェリ 美しきシモネッタ』特別公開展をハシゴ。『ボッティチェリ 美しきシモネッタ』は、丸紅が所蔵する日本で唯一のボッティチェリ(1445-1510)のテンペラ画。1808年にイタリアのボローニャで再発見され、フランス、イギリス、ドイツ、イギリスを経て、1969年に丸紅が輸入。その後、贋作との指摘を受け、専門家による現地調査、科学鑑定により、その疑いを晴らし、本展では経緯等もパネル展示する。本作のモデルとなったシモネッタ・ヴェスプッチ(1453-1476)は、ボッティチェリの傑作「プリマヴェーラ(春)」や「ヴィーナスの誕生」もモデルとも言われてい…
国立科学博物館の古代DNA展から東京都美術館のミロ展をハシゴ。 【開幕まで1ケ月】🇪🇸ジュアン・ミロ(1893~1983)は、20世紀を代表する巨匠に数えられ、没後40年を迎えた今、世界的に再評価されています。本展は〈星座〉シリーズをはじめ、各時代を彩る絵画や陶芸、彫刻により、90歳まで新しい表現へ挑戦し続けたミロの芸術を紹介します!https://t.co/ExBbMhCBAr pic.twitter.com/CUf9Ht3sqy — 東京都美術館 (@tobikan_jp) 2025年2月1日 【特別展「ミロ展」(東京都美術館)開幕レポート】https://t.co/pnqc8OfU2j東…
国立科学博物で開催中の特別展「古代DNA−日本人のきた道−」を鑑賞した。遺跡から発掘された古代の人々の骨に残るごく僅かなDNAを解読し、人類の足跡をたどる古代DNA研究。近年では、技術の発展とともに飛躍的な進化を遂げ、ホモ・サピエンスの歩んできた道のりが従来想像されていたよりもはるかに複雑であったことが分かってきた。本展では、旧石器時代から古墳時代まで、また、本州・四国・九州と異なる文化と歴史をもつ北海道と琉球列島について、出土した古人骨や考古資料、高精細の古人頭骨CG映像などによって、その成立の歴史を伝える。さらに、古くから人類と関わりが深いイヌやイエネコについても取り上げ、DNA分析などか…
道の駅 おかべの桜。 道の駅 おかべ 渋沢栄一めぐり旅|埼玉県公式観光サイト ちょこたび埼玉 渋沢栄一ゆかりの地を巡る - 埼玉県 にほんブログ村
東京都立埋蔵文化財調査センターの新年度の企画展示からパルテノン多摩ミュージアム連携企画展をハシゴ。 パルテノン多摩ミュージアムで開催中の連携企画展『多摩市百草・恋路稲荷神社の秘密~古墳の上の神社の伝来資料群を黄檗寺院「資福院」の痕跡~』を鑑賞した。昨年秋に多摩市百草の稲荷塚古墳を7年ぶりに訪れたら、八角形墳の墳頂に祀られていた神社が遷座していたのでビックリした。本展によると、2022年に今後の神社の維持管理と稲荷塚古墳の保存と活用を考え、隣接地へ縮小移転し、社殿に伝来した多くの資料は多摩市教育委員会に寄贈されたとのこと。また、「恋路(こいじ)」という地名の由来は、①遊郭があった説、②「国府路(…
東京都立埋蔵文化財調査センターで開催中の新年度の企画展示「土の中のトーキョー~近代考古学事始~」を鑑賞した。 都心部の江戸遺跡を調査すると近代の遺跡・出土品に遭遇する。本展示では、当センターが東京都内で発掘調査を行った成果を中心に、 プロローグ:土の中のトーキョー トーキョーの礎 トーキョーを襲った災禍 トーキョーに暮らした人々 エピローグ:トーキョーからTOKYOへ~東京の現在、そして未来~ というテーマで、東京の近代化と現在の私達の暮らしに繋がる近代東京の歴史を紹介する。 令和7年度企画展示「土の中のトーキョー~近代考古学事始~」がスタートしました。 お知らせ一覧 東京都埋蔵文化財…
私の推しのラフXラフの佐々木楓菜さんが作詞・作曲した「君とキュンと♡」のリリースイベント(リリイベ)の三日目(会場としては4会場目)も大盛況。「君とキュンと♡」のリリイベは今回がラスト。感動的なフィナーレだった。もなみんとはるるん👍(Good Job) 1部 2部 【新着🆕】ラフ×ラフ @roughlaugh_o 『君ときゅんと♡』miim ver. 発売記念 ミニライブ・特典会 開催決定!3月29日(土)🎪ヴィレッジヴァンガード渋谷本店🎪錦糸町マルイ4月5日(土)🎪ステラタウン大宮4月19日(土)🎪ららぽーと立川立飛≫詳細はこちらhttps://t.co/deamrJIVz8 — miim …
浅間塚古墳から現地説明会に向かおうとしたら道に迷って、なぜか駒城跡だったので寄り道。 県指定文化財 史跡 駒城跡 指定年月日 昭和十年十一月二十六日 ここは東西120メートル、南北180メートルにわたる駒城跡の北西部にあたります。 駒城は駒館ともいわれ、およそ670年前ここに中御門少将藤原実寛が城主としてたてこもりました。 その頃は北畠親房らが南朝に、足利尊氏らは北朝にそれぞれの天皇をいただいて争い、たいへん乱れたので南北朝時代といわれています。親房らはこの地方に勢力をのばそうとして延元三年・暦応元年 (1338)小田治久の小田城(つくば市小田)に拠りました。 関城(筑西市関館)の関宗祐、大宝…
次に訪れたのは、鬼怒川を渡った東隣の下妻市の浅間塚古墳。 市指定文化財 史跡 浅間塚古墳(せんげん づか こふん) 指定年月日 昭和52年3月22日 所在地 下妻市黒駒 管理者 下妻市 黒駒字駒墓300番にある古墳で、全長40メートル、後円部の高さ5.3メートルの小規模ながら典型的な前方後円墳である。木立に覆われた墳丘上に浅間祠があり、保存状態は良好である。 この古墳は6世紀から7世紀ごろ平方や久下田などに水田を開いた豪族の墓ではないかと考えられる。 平成3年3月 下妻市教育委員会 浅間塚古墳(市指定文化財) 下妻市公式ホームページ 下妻市浅間塚古墳 趣味の案件 にほんブログ村
史跡長柄横穴墓群資料館の西側の整備された第1支群(4小支群、21基)を見学後、資料館の東側の整備されていない第2支群(5小支群、15基)を南西の第34墓(第9小支群)から北東の第22墓(第5小支群)へと逆順に探索。 長柄横穴墓群の第2支群の第9小支群(第34,33号墓)と第8小支群(第32,31号墓)の4基。 長柄横穴墓群第34号墓、南南東に開口、家形、棺座4、文献[1] 長柄横穴墓群第33号墓、南南東に開口、家形、棺座4、文献[1] 長柄横穴墓群第32号墓、東南東に開口、家形、文献[1] 長柄横穴墓群第31号墓、東南東に開口、蒲鉾形、文献[1] 長柄町長柄横穴群第2支群第8・9小支群: 埼群…
長柄横穴墓群の第1支群の第1小支群(第1〜4号墓)の4基。 第1小支群 第1小支群は、第1〜4号墓の4基の横穴墓があります。 長柄横穴墓群第1号墓、南西に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第2号墓、南に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第3号墓、南東に開口、横アーチ型、棺座1、見学不可 長柄横穴墓群第4号墓、南東に開口、寄棟型、棺座2 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第1小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村
長柄横穴墓群の第1支群の第4小支群(第18〜21号墓)の4基。 長柄横穴墓群第18号墓、南南東に開口、縦アーチ型、棺座1、見学不可 長柄横穴墓群第19号墓、南東に開口、縦アーチ型、棺座2 長柄横穴墓群第20号墓、南南東に開口、縦アーチ型、棺座1 長柄横穴墓群第21号墓、南南東に開口、縦アーチ型、棺座1、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第4小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村
長柄横穴墓群の第1支群の第3小支群(第13〜17号墓)の5基。 第3小支群 第3小支群は、第13〜17号墓の5基の横穴墓があります。特に、第13号墓の玄室には、線刻画が描かれています。 線刻画とは?線刻画は、壁に尖ったもので線を刻んで絵を描いたものです。 長柄横穴墓群第13号墓、南西に開口、縦アーチ型、棺座3、線刻画、見学不可 長柄横穴墓群第14号墓、南南西に開口、ドーム型、棺座1 長柄横穴墓群第15号墓、南南東に開口、寄棟型、棺座4 長柄横穴墓群第16号墓、南に開口、寄棟型、棺座4 長柄横穴墓群第17号墓、南に開口、寄棟型、棺座3、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群…
長柄横穴墓群の第1支群の第2小支群(第5〜12号墓)の8基の続き。 長柄横穴墓群第8号墓、南西に開口、縦アーチ型、棺座3 長柄横穴墓群第9号墓、南に開口、縦アーチ型、棺座2、見学不可 長柄横穴墓群第10号墓、南に開口、寄棟型、棺座3、見学不可 長柄横穴墓群第11号墓、南に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第12号墓、南東に開口、切妻型、棺座2、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第2小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村
春の桜が咲く頃、誘われて、房総半島のほぼ中央に位置する長柄(ながら)町の長柄横穴墓群と長南(ちょうなん)町の米満横穴墓群を探索した。この地域は、太平洋に注ぐ一宮川の上流にあたり、複雑に開析された入り組んだ谷津が多く、笠森層とよばれる暗青色の凝灰質砂岩層が分布し、横穴墓が集中する。また、この地方には上総地方に特徴的な「高檀式(こうだんしき)」とよばれる羨道と玄室の高さが著しく差のある特有の形態の横穴墓が多い。 長柄横穴墓群は、1980年に16基が長柄町横穴群徳増(とくます)支群として県指定史跡となり、1993年に千葉県教育委員会が重要遺跡確認調査を実施(文献[1])、1995年に35基が国の史跡…
ゴールデンウィーク初日(4月27日)に溝の口駅前の商業ビル最上階(12階)の高津市民館大会議室で開催された川崎市制100周年記念事業、令和6年度橘樹官衙遺跡群保存活用事業として開催された「橘花屯倉ミニシンポジウム-橘樹官衙遺跡群成立の前段階-」に参加(聴講)した。会場の参加者が約200名、オンラインの参加者が約80名と盛況。司会は三舟隆之氏。 川崎市初の国史跡である橘樹官衙遺跡群が成立する前段階の「橘花屯倉(たちばなみやけ)」をテーマとしたミニシンポジウムで、7件の発表とパネルディスカッションの構成。4月16日の川崎市長定例記者会見で、橘樹歴史公園の5月18日オープンが発表された。川崎市は、橘…
御岳山古墳から、狐塚古墳を経て、八幡塚古墳のある宇佐神社を再訪した。 狐塚古墳 世田谷区立狐塚古墳緑地 狐塚古墳(きつねづかこふん) 世田谷区は、この狐塚古墳を後世に残すため、 区立公園として整備・保全いたしました。公園全体が古墳の一部となっておりますので大切に保全、利用していただきますようお願い致します。 狐塚古墳は、多摩川に面した国分寺崖線の台地先端部に造られた古墳時代中期後期(5世紀後半)の古墳です。 この地域は多摩川に向かって突き出した台地と小さな谷が交互に連続する地形が特徴で、この台地上には南武蔵の首長墓(古墳)が、5世紀から6世紀にかけての古墳時代中ごろに連続して造営され、これらは…
「古墳散策ツアー」後に野毛大塚古墳から等々力渓谷の神変窟、等々力不動尊を経て、御岳山古墳を再訪した。満願寺所蔵で通常非公開の御岳山古墳出土の七鈴鏡(東京都指定文化財)は、いつかどこかで公開されないかな。1950年(昭和25年)に学習院大学が実施した御岳山古墳後円部墳頂の埋葬施設の調査は、調査に参加した学習院輔仁会高等科史学部2年生堀田正祥(当時16歳、後の尾張徳川家第21代当主徳川義宣、徳川美術館館長)氏の47年後の報告(文献[1])で当時の様子がうかがえる。 等々力渓谷 東京都指定名勝 等々力渓谷(とどろきけいこく) 所在地 世田谷区等々力2丁目外 指定 平成11年3月3日 等々力渓谷は、国…
3月30日の玉川野毛町公園拡張予定地一部開園イベントで開催された「古墳散策ツアー」に参加した。野毛大塚古墳の約1/150の縮尺の復元模型で、野毛大塚古墳の概要を、野毛大塚の墳頂に登り、4つの埋葬施設と埋葬遺物について説明していただいた。埋葬順は第1,3,2,4主体部の順。第2主体部は明治時代に地元の若者が掘って、副葬品と人骨を見つけた。副葬品は東京国立博物館に収蔵。第1主体部は粘土槨の竹割形木棺。木棺の上の中央に漆塗の竪櫛が置かれていた。長さ8mの木棺と甲冑などの武器類が被葬者の権力の大きさを示す。鎧は皮留めで古式。第3主体部は鉄鏃280本と刀32本を副葬。また、墳頂から眼下を眺め、2017年…
北区豊島の煉瓦蔵に足場が組まれているとXのポストで見つけて、2つある北区豊島の煉瓦蔵を確認したら、4年前に鍰煉瓦(からみれんが)を探していて見つけた煉瓦蔵のあるお宅で建替え工事が始まっていた。その時は煉瓦蔵と煉瓦塀は無傷で、敷地の建物がなくなっていた。翌週、再訪したら、屋根瓦が降ろされ、雨樋がもげていた。翌々週には更地になっていた。 翌週、再訪 翌々週には更地になってた。最後に残った煉瓦塀も翌日には取り壊されていた。 北区豊島には立派な煉瓦蔵がありましたが今はもう足場が組まれてしまいそろそろ解体されそうです😭 pic.twitter.com/PBV5FdN8mL — たくあん (@takuan…
3月20日から東京都埋蔵文化財センターで開催中の新年度の展示「多摩の“なんで!?”な出土品」を鑑賞した。普段の展示では調査で分かったことを紹介するが、分からないことも多く残るのが考古学。本展ではまだ答えの出ていない「なんで!?」に焦点を当てる。取り上げるのは、石器の大きさの違い、土器の大・小(ミニチュア土器)、自立しない土器、現代の道具とそっくりな土器、有孔鍔付土器、いきもの表現(人面・十獣面把手、土偶・動物型土製品)など。 【明日から新展示開始】3/8から休館していた当館ですが、明日から開館、そして新年度の展示「多摩の“なんで!?”な出土品」がはじまります!今まさに設営作業のラストスパートで…
三ツ目山公園に移築復元された多摩ニュータウンNo.313遺跡1号横穴墓(久保ヶ谷戸横穴墓)を見学した。多摩ニュータウン地域とその周辺からは12群46基の横穴墓が発見されている。横穴墓は群集して複数基が築かれることが通常だが、No.313遺跡1号横穴墓は1基のみ単独で、墓室に通じる通路状の平坦部分(前庭部)は長さ19mと全国でも最大級の規模、前庭部奥壁全面と両側壁の一部に河原石を積み上げ、積み上げた石は総数945点、総重量約5.2t、羨門は柱状の切石が組まれ、扉はしっかり塞がれた状態で未盗掘、前庭部からは静岡県湖西窯産の須恵器の大窯とフラスコ形瓶、直刀、六窓鍔、鉄鏃が出土、墓室からは人骨片と刀子…
あつぎ郷土博物館で、3月2日から24日日まで開催された令和五年あつぎの遺跡展「再発見!!あつぎの古墳」を最終日に鑑賞した。本展は、厚木秦野道路の建設工事に伴い発掘調査が行われた古墳(及川伊勢宮遺跡・中依知遺跡群)の発掘調査と最新の研究の成果などを紹介。また、ぼうさいの丘公園の“季節の丘”の地下に眠るホウダイヤマ1号墳(前方後円墳、全長65m、4世紀後半)出土の壺を展示して、壷を焼く前に開けた三角形の穴が、吉備(岡山県)の特殊器台の丸や三角の穴など、西日本の文化が遠く相模国に伝わったことを示す貴重な資料とする。 【「~再発見!!あつぎの古墳~」 開催】今年のあつぎの遺跡展では、財団で発掘し新たに…
田名向原遺跡公園と相模原ポンプ場の間に分布する当麻谷原8号墳と9号墳を探索。 当麻谷原8号墳 当麻谷原9号墳? 庚申塔と椿 マムシに注意 春の花 相模原市当麻谷原古墳群 趣味の案件 古墳なう 「当麻谷原古墳群」その1 にほんブログ村
相模原ポンプ場に保存されている当麻谷原古墳群の3基の古墳(1,3,4号墳)を見学した。 当麻谷原古墳 見学位置 当麻谷原1号墳 当麻谷原3号墳 金山神社 当麻谷原4号墳 当麻谷原古墳について 相模川に臨むここ谷原から塩田にかけての台地上に、かって10数基の古墳がありました。 昭和34年5月に、文化財保護委員等が、この中の1号墳を調査したところ、遺体を安置した横穴式石室から人骨と直刀、鉄鏃、金環、玉類が発見され、相模原の歴史と文化を知る上できわめて貴重なものであることがわかり、昭和35年2月16日この1号墳は相模原市の史跡に指定されました。 昭和44年、神奈川県内の水道確保の目的から、この地にポ…
相模原市の旧石器ハテナ館でミニ展示「遺跡の宝庫さがみはら〜実はあるんだ弥生時代〜」とミニ展示「今月はこの逸品!考古市宝展」と常設展示を鑑賞した。旧石器ハテナ館は全国的にも数少ない旧石器時代をテーマにした施設で、正式名称は史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館。約2万年前(旧石器時代)の建物の跡「住居状遺構」のレプリカのある史跡田名向原遺跡公園と県道48号線を挟んだ向かい側にある。 相模原市には500以上の遺跡があるが、弥生時代は遺跡の数も少なく、あまり知られていない。ミニ展示「遺跡の宝庫さがみはら~実はあるんだ弥生時代~」では、神奈川県指定重要文化財(考古学)の津久井郡三ケ木(みかげ)遺跡出土品と相…
史跡田名向原遺跡公園で、復元された谷原12号墳と保存された谷原13,14号墳を見学。 谷原12号墳(復元) 谷原12号墳(復元) 平成6年3月、遺跡公園の北方約60メートルの地点で発掘された約1,400年前の古墳時代後期の小型円墳を復元したものです。 古墳の石室(埋葬者の棺を納める場所)からは、直刀(反りのないまっすぐな刀)や鏃(矢の先端)などの武具や、装身具(アクセサリー)の切子玉などが発見されました。 田名塩田から当麻谷原にかけて確認される10数基の古墳は、谷原古墳群と総称され、公園内に2基(谷原13号墳、14号墳)が保存されています。 谷原14号墳(位置表示) 谷原13号墳(位置表示) …
田名向原遺跡公園で、後期旧石器時代の約2万年前の住居跡と考えられる遺構(レプリカ)を見学した。 日本で唯一、2万年前の住居状遺構 住居状遺構(復元) 平成9年3月に発見された約20,000年前の後期旧石器時代の住居跡と考えられる遺構(痕跡)を復元したものです。 礫群(小石が集中している場所)や石核(石器の素材をはがし取った石)などによって直径約10メートルの外周をめぐらした範囲から、2ヶ所の炉(火をたいた場所)や12本の柱穴の跡が確認されました。 加えて約3,000点もの石器類が発見されたことから、人類定住の可能性を示す遺構として注目され、平成11年1月28日に国の史跡として指定されました。 …
宗隆寺古墳群を再訪した。宗隆寺の墓所から宗隆寺古墳群への登り口は施錠されていた。 にほんブログ村