皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
母は要介護4、父は要介護2、妹は重度障害者。シングル在宅介護をしながらも、私の仕事は介護士で、職場は訪問介護とデイサービス。寝ても覚めても介護な人生。家族と事業所、どっちのキモチも分かってしまう板挟み。なにはともあれ楽しくやるよー!
「在宅介護しながら自分の人生を生きる」を目標にするブログです。 本業は介護士、ときどき作家。2018年、たかはたゆきこの名前で「おでかけは最高のリハビリ! 要介護5の母とウィーンを旅する 」(雷鳥社)を出版。第4回斎藤茂太賞受賞。
私は料理が苦手である。数学と針仕事の次に苦手である。訪問介護の仕事につくときにもキッパリ言った。「料理はダメです!」だがやっぱり仕事なのでダメもくそもない。どうしたって「夕ごはんをつくって」「2日分つくって」というような仕事がきてしまうので
緊急事態宣言が解除される。ワクチンも順調にいけば、両親は夏にも打ってもらえるだろう。その次は私だ。それでもまだまだマスクと消毒液は手放せないんだろうけれど。少しは出歩けるだろうか。びくびくせずに外食してもいいだろうか。「USJにいこう!」と
「あーあ、今日も一日終わった、楽しかったなあ」デイサービスからの帰り道。車の中で利用者さんのOさんが歌うように言った。「食べて、笑って、しゃっべって、幸せやあ。極楽やあ」そして本当に歌いだした。鼻歌で「ンフフフ~♪」陽気なOさんの声はまわり
デイサービスから帰宅したとき、職員さんに、オヤジがド派手な粗相をしたと告げられた。靴までびしょ濡れになったそうだ。これまで人前で失敗することはなかったのに、だんだんダメになっていくなあ。すみませんスミマセンと謝り倒す私に、職員さんが問いかけ
夕方6時。仕事を終えて帰宅した私を、「ニャニャー!」盛大に迎えてくれたのは猫のシシィさんである。「ニャンニャ、ニャンニャー!」大きな声で鳴いている。何かを切実に訴えているのだ。・・・どうしたの?何かあった?するとシシィは「こっちこっち!」と
オヤジは喫煙者である。脳梗塞やら狭心症やら、持病があるため、なんと20年前から「絶対にタバコはダメです!」とドクターストップをかけられてからいるのだが、全く気にしていない。私や母や孫はもちろん、たとえ相手が医者だろうが上司だろうが、親戚だろ
春一番が吹いたのだろうか。陽光が輝いている。空は青い。風も温い。「よし、今日はピクニックだ!」勝手に決めて「さあ行くぞー!」両親を連れ出した。「お弁当をもっていくぞ!ついて来ないと昼飯抜きになるぞ!」ほぼ強制連行である。「風はつめたい・・・
長瀬智也主演のドラマ『俺の家の話』。車椅子の父親を介護する家族の話。めちゃめちゃおもろい、在宅介護の話だ。-----以下、ネタバレあり-----主人公は、父親の念願である「家族旅行」を計画する。車椅子の父を連れて旅行など可能なのだろうか?と
100才ちかい利用者さんに「幽霊って見たことありますか?」と尋ねたら、こう返ってきた。「あるで。あるけど、幽霊なんか怖いことあれへん。自分が死んだことも忘れてボケーっと立ってるだけやからね。あんたもよう覚えとき。本当に怖いのは、人間様や」人
10日ぶりのお休みだー。溜まってる家事を片付けるぞー!キリキリ働くぞー!と、思ってたけど、ダメなの。もう全然、体が動かない。頭も働かない。今日はチョコレート食べることしかできないみたい。おやすみなさーい。
昨日、利用者の家族さんに「日記、もう終わりなんですって」と言われて驚いた。まだ書いてたのかと驚いた。その方は、最後のときが近づいている方だ。食べることも話すことも、座ることさえままならないというのに。そんなになってもまだ書きつづけていたなん
たまには介護と関係のない話を。幼い頃から私は絵本を読まない子供だった。幼稚園には絵本しかなくて「絵がついてない、字ばっかりの本がほしい」と先生に訴えた覚えがある。絵本嫌いというよりも、文字が好きすぎたのだ。マンガには文字もいっぱいあるから、
夢を見た。とっても楽しい夢だった。夢の中ではコロナもなくて、私はまた一人旅をしていた。たぶんペルー辺りの山中でリャマに乗っていた。険しい山も青空もすばらしくきれいだった。幸せな夢だった。けれども目覚ましが鳴った。・・・ああ、これ、夢かあ。起
近頃、サンジの食欲が落ちている。元気にはしているが、腎臓病のせいで体調に波があり、今は落ちる時期なのだろう。私はごはんの度に付き添って食事介助をしている(1日8回くらい!)。それでもなかなか食べてくれない。今朝はお皿を見つめたまま、食べよう
最近・・・うちのデイサービスの職員に・・・怠け癖がついた職員がいる・・・今日はちょっと愚痴ってもいい?現在、ボスがお休み中だから、それで気が緩んでるんだろうと思う。ほんとひどいの。めっちゃめちゃサボる。ぜんぜん仕事しない。もしくは、大遅刻。
時折、オヤジが邪魔である。申し訳ないけど邪魔である。母の車椅子を押していこうとすると、なぜかオヤジが目の前にぬーぼーと立ちはだかる。母をつれて部屋を出ようとすると、なぜかオヤジが座っている椅子でブロックしてくる。行く所、行く所。なぜかオヤジ
ユマニチュード。パーソン・センタード・ケア。リアリティ・オリエンテーション。バリデーション。これらは主に認知症の方とのコミュニケーション技法や介護方法の種類だ。カタカタばっかり、いろいろある。職場で研修会もやったし、本も読んだ。でも私はまだ
現在、オヤジは「要支援1」だ。介護保険の中でも一番軽い区分。それで十分と思ってたんだけど、この冬、急激にダメになってきて。コケたら起き上がれないわ、風呂から出られないわ。日にちもよくわかってない。「これはアカンでしょう」とケアマネさんに言わ
私の書きもの好きは遺伝である。曽祖父も祖父もいろいろ書く人だった。だからもちろん、母も同じ。何もすることがない日曜の朝、「今日はパソコンをしよう!」と言い出した。「たまには文章を書こう!」2年前に半側無視が改善してからというもの、母はちょい
「猫を見てると幸せや」とある利用者さんが言った。「まあ、痛かったりつらかったり、いろいろあるけど、この子らがおるから、もうちっと頑張らなな」3匹の猫に囲まれてニコニコ笑う。どの子もほんと可愛いんだ。・・・でも。この子いくつですか?「2才かな
去年、家庭用プロジェクターを買った。外国製の安いやつだけど十分使える。休みの日に母と映画を見たり、深夜に一人でホラーを見たりするのにつかっている。大画面で見る『進撃の巨人』は控えめに言って最高だ!これを職場であるデイサービスに持っていった。
母がテレビを見ていた。バラエティ番組で、「QPで一番人気のあるドレッシングは何でしょう?」というクイズが出題された。・ごまドレッシング・玉ねぎドレッシング・シーザーサラダドレッシング・中華ドレッシング母はうーんと考えて、呟いた。「シーザード
オヤジがデイサービスへ行った。今月から毎週水曜日、9時から5時まで8時間のデイサービスだ。タバコの許可ももらったし将棋もさせてもらえるし、ワクワクして出かけていった。私は逆に水曜が休み。つまり、これから水曜日は「オヤジのいない家でゆっくりで
オヤジは去年からデイサービスに通っている。リハビリ特化型の半日デイだ。2,3時間だけの短いデイ。だが行きたくないという。あんまり楽しくないし、帰宅後ひとりでご飯食べるのがしんどいんだって。それで、昼ごはんもお風呂もついてる丸一日のデイサービ
「介護離職は絶対にするな!」という人がいた。近頃どこかで見かけた言葉。でも「絶対に!」なんて言わないでほしいと思う。そういう言葉は人を縛ってしまう。呪いにかけてしまう。そりゃ介護しながら仕事を続けられたらもちろんいいけど、残念ながらこの国は
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皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------
退院から20日。母は元気だ。絶好調といっても良い。薬こそ続けているものの、喘息なんて本当にあったのかと思うくらい元気。「酸素ボンベつけて帰宅」とか言われていたのが夢だったのかなくらいに元気。毎日のようにCMに乗せられて「ほら、『人生にもっと
「筋力低下で立位がとれません。在宅介護は厳しいでしょう」と言われたのに「私ならできます!」と言い切って母を退院させることに決めたけれど。私はちょとドキドキしていた。先週、病院ではちゃんと介助できたけど、あれはきっと、すごく調子がよかったから
「在宅介護は厳しいでしょう」気管支炎で入院した母。転院をくりかえし「あと1、2週間で退院できそう」というところまできた。呼吸も落ち着き、酸素ボンベももう要らない。いよいよ退院して元の生活に戻れる!と、思いきや。「正直、厳しいと思います」と言
7月に脳梗塞を起こすも「風邪じゃないですか」と処置されず、救急でようやく入院させてもらったオヤジ。8月に気管支炎となるも入院させてもらえず、悪化してようやく入院できた母。・・・やれやれ。私は過労で熱なんか出してしまった。それでも入院させたら
母は風邪をこじらせて気管支炎となり、紆余曲折の末ようやく入院することができた。そこは7月からオヤジが入院している市民病院。「夫婦2人で同じ病院だ!」と私は喜んだ。「通う手間が省ける!」入院したって放ったらかしにはできない。オムツなどの消耗品
療養型病院(1回目)在宅医の紹介をもって救急にいったのに「これくらいじゃ入院させられない」と帰宅させられた母。翌朝になっても状態は芳しくなかった。まったく飲み食いできないし、息も苦しそうだ。血中酸素飽和濃度は90を切っている。・・・本当はも
母が入院しました。経過とご報告です。長くなるんで分けます。風邪前回、私が風邪をひいて熱を出した話を書いた。39度くらいの熱が1週間ほど続き、ようやく引いてきたと思ったら・・・母に風邪がうつった。まあ、そりゃ、うつるよね。移乗も排泄も食事介助
熱が出た。火曜の夜のことだ。ちょっと喉が痛いな、程度だったのが夜遅くなって突然、関節が痛くなって、気が付いたら高熱だった。「これは、アカンやつや!」とうとうコロナが来てしまったのか。もちろんこういう仕事をしているので5類だろうが酷暑だろうが
水頭症の手術から2週間近くがたつ。手術によってオヤジはどうなったのか?少しでもよくなったのか?気になるところだが全然わからない。だって、ぜんぜん面会できていないからだ。術後すぐに「病棟でコロナがでました。面会は完全禁止です」となり、私はただ
オヤジが手術を受けることに決めたはいいが、さあ、大変だ。なにしろ手術は「明後日です」ときたもんだ。「ご家族さん、明日と明後日は病院に詰めてください」2日間、体をあけなくてはいけない!申し訳ないけど仕事は休む。母はデイサービス・ヘルパーさん・
脳梗塞で入院したら、なんと水頭症が発覚したオヤジ。根性なしのオヤジがリハビリをするとは思えなかったため「手術は受けない」と決めたのだが…。●オヤジの決意担当医と話した翌日。私は仕事でイベントに出席していたが、自分の講演だけ終わらせるとそのま
●手術をするかどうか「さて本題ですが」病院食をさんざんディスったあと、担当医はMRIの画像を見せながら話を切り替えた。「お父さんの脳の隙間、異常に大きいんですよ。これ水痘症ですね」・・・あ。水痘症。「脳に髄液がたまる水痘症で、失禁、歩行障害
オヤジが脳梗塞を発症して約1ヶ月がたつ。入院先の病院からは何の連絡もなくちょっとやきもきしていたところ、入院3週間でようやく進展があった。長いので分けて投稿していく。病院の待ち時間にポメラで書いて投稿しているため読みにくかったらすみません。
脳梗塞で入院したオヤジ。面会は午後2時~4時の2時間だけと制限されているから、仕事のある日は行けないが、休日には顔を見ることができる。いつもベッドで横になっていて、体位変換用のクッションが当てられ、自力で起き上がることもできないのは見てとれ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------