皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
母は要介護4、父は要介護2、妹は重度障害者。シングル在宅介護をしながらも、私の仕事は介護士で、職場は訪問介護とデイサービス。寝ても覚めても介護な人生。家族と事業所、どっちのキモチも分かってしまう板挟み。なにはともあれ楽しくやるよー!
「在宅介護しながら自分の人生を生きる」を目標にするブログです。 本業は介護士、ときどき作家。2018年、たかはたゆきこの名前で「おでかけは最高のリハビリ! 要介護5の母とウィーンを旅する 」(雷鳥社)を出版。第4回斎藤茂太賞受賞。
大晦日。例年なら妹が帰宅して、甥姪と大騒ぎで年末の支度をしているところ。ひっちゃかめっちゃかだけど楽しい年末。だけど今年は私と両親の3人きり。静かなものだ。静かなのはいいけどお節の準備をぜんぶ私一人でするのはしんどいと思った。だからできるだ
2020年が終わろうとしている。今年はどこにも行かない年だった。旅行も、外食も、友達とのランチも何もなし。実務者研修を受けようと思ってたけどそれもダメになった。「おでかけは最高のリハビリ」と言いたいのに、安全に行けるところを探すのにいつも必
「私はあと何日生きるんやろな。もうしんどいわ」とおばあちゃんが呟いた。「今年中にはあちらへ逝けるかと思ってたのに、逝けそうにない」とおじいちゃんが嘆いた。「息をするのも、話すのも、しんどくて、しんどくて、つらい」超高齢化社会。100才近くま
介護の仕事って、基本的に連休がない。うちの事業所ではゴールデンウィークは祝日手当がつくが、お盆は完全に平日扱い。私は土曜も仕事だから連休になるのは正月だけだ。そういうわけで、唯一の連休である年末年始をそれはそれは楽しみに・・・してたんだけど
シシィの優しい猫パンチで起こされる日曜日。2020年最後の日曜日。シシィは「とってこい」が好きだ。お気に入りのおもちゃを見つけると「投げて!」とせがむ。ポーンと投げてやると犬みたいにダッシュで追いかけていって、くわえてもどってくる。そしてま
オヤジはずっと風呂嫌いだった。「子供の頃から風呂っていうと逃げ回ってた」と親戚のおじさんにも言われている。私たちがやいやい言わなければ何ヶ月でも入らなかったと思う。そんな筋金入りの風呂嫌いが、なんの弾みか、急にお風呂大好き人間に生まれ変わっ
今日はいろいろ考えることの多い日だった。いろいろ考えて、くたくたになって帰宅したらオヤジが無邪気に聞いてきた。「今日のご飯なに?」・・・疲れて何も考えてないよ。くたくたで料理なんかできないよ。「じゃあ、焼きそば!」・・・じゃあ?じゃあ、って
介護の仕事をしているとクリスマスがせつない。年末年始がせつない、というべきか。世間がとてもにぎやかで、テレビの中には愛が溢れているのに、多くの利用者さんは一人ぼっちだからだ。ある利用者さんから「お茶を飲んでいってくれませんか」と言われた。ヘ
廃用症候群なオヤジになんとか動いてもらいたい。歩いてもらいたい。そうは思うんだけど、簡単じゃない。デイサービスは週1だし、オヤジが一人で外出するのは危なっかしい。本当は私が毎日散歩につれていけばいいのだけど・・・そんなヒマがない。平日は仕事
「決めた!」突然、母がトイレで言いだした。・・・何を決めたの?「この子の名前は『チビシロちゃん』に決めた!」この子、というのは、トイレに置いてある小さなファンヒーターだ。・・・こんなのに名前をつけるの?「頑張ってるから名前で呼んであげようと
サンジ。おすねこ。12才半。4年前に腎臓病になり、このまま死んじゃうんじゃないかというところを何度もくぐり抜けてきた。そのたびに頑張って頑張って、必死になって持ち直してた。通院も、注射も、薬も、爪切りも、本当はぜんぶ大嫌いだけど、でも頑張っ
朝、起きられなかった。いつもの時間に目は覚めたし、シシィは「ごはんの時間だよ!」ってニャーニャー鳴いてたけど、体がいうことを聞いてくれなくて。「ごめんシシィ、あとちょっとだけ」と目を閉じたら、もうダメだ。もう起きられない。だって冬のお布団っ
先日「今年の漢字」の発表があった。誰もが予想したように選ばれた一字は「密」だ。流行語もそうだったけど今年はコロナ一色で楽しいことを連想させる言葉が少ない。だが小学生が選んだ今年の漢字は「笑」「幸」「新」などポジティブな文字だったそうだ。家族
突如、夜中におそってくる母の嘔吐。いまいち原因が不明だし、夜だけ吐いて明け方にはケロっと治ってしまう。用心してしばらく隣で寝てたんだけど、私の寝不足がすごくなって、「ここのところ調子がいいから大丈夫だろう」と自室に戻った。「見守りカメラもあ
年末が近づくにつれ、「あれ?」と思うことが多くなった。「聞き間違いかな?」ということが。利用者さんの「正月には息子と孫たちが帰ってくるのよ」という言葉だ。市内在住の息子さんならまだわかるんだが「コロナせいで飛行機が減便だから新幹線でくるの」
昨夜、「市民病院でクラスターが出た」と最初に報せてくれたのは、おかしなことに海外で暮らす妹だった。送ってくれたネット記事には医療関係者の濃厚接触者が十人以上いて診療ができず、外来も救急も停止すると書いてあった。・・・まずい。これはまずい。市
この冬は風邪ひとつ引いちゃいけない!もちろんケガだってしちゃいけない!・・・そう、口を酸っぱくして言ってるのに。気がついたらなぜかパンイチで座ってるオヤジ。薄着のまま外でタバコふかしてるオヤジ。昨日は私の留守中に酒を飲み、寝てしまったらしい
訪問介護の仕事っていろいろあるけど、一番楽ちんなのが「買い物」だ。スーパーとかにおつかいに行くだけだから、なんか楽しいし。制限時間は60分。60分もあれば余裕でしょ!利用者さん宅でメモとお金を預かり、買い物スタート!・・・スタートと言いつつ
今日もまた、オヤジを歩かせることを考える。とにかく一人だとまったく出ないから「一緒に公園へ行こう」と誘ってみる。そうだ。公園へ行こう。いつもよりちょっと遠くの公園へ。イルミネーションのきれいな公園へ!近所の公園でイルミネーションイベントをや
オヤジが最近、よくコケる。家でもコケるが外でもコケる。大きなケガには至らないものの、「コケるから」という理由で歩かなくなり、どんどん筋力が落ちてさらにコケる、という悪循環。だが、そんなことは言っていられない!よく言うじゃないか、「死ぬことを
昨夜は自分の部屋で寝た。昨日の記事にも書いたが、それまでは母と一緒に寝ていたが、状態が落ち着いたので自室に戻ったのだ。やっぱり自分の部屋はいい。簡易ベッドよりも自分のベッドがいい。母の部屋から離れてはいるが、見守りカメラを導入している。母が
・・・限界。もう限界だ。「お母さん。悪いけど今日から自分の部屋で寝てもいい?」と私は尋ねた。「いいよ」と母は答えた。もともと「一緒に寝てほしい」と頼まれたわけじゃない。母がときどき夜中に吐くことがあって、私が心配だから同じ部屋に布団を敷いて
両親をつれて散歩に行った。べつに行きたくもないのだが、オヤジがあまりにも動かないので母と二人で引きずって行く。いつもの公園まで歩いた帰り、「ちょっとコンビニに寄っていこう」思いついた。コンビニのマルチプリンターで姪っ子の卒業式の写真をプリン
うちの介護事業所は12/30(水)~3(日)までが休みである。その間はデイもやってないし、余程のことがないかぎり、訪問介護もお休みだ。だが、月曜と火曜は年末年始にかからない。月曜と火曜の利用者さんは1回もサービスが抜けないのである。「休まず
今日ケアマネさんと「オヤジが歩かない問題」について話し合った。オヤジが会社を退職したのが去年の夏。だが1年前まで働いてたなんて信じられないくらい、オヤジは老化してしまった。仕事がないお金がない。友人もいないまともな趣味もない。唯一の希望だっ
私はずーっと実家暮らしである。ふと思いついて「一度くらい『実家に帰る』って言ってみたいな。『実家に帰らせていただきます!』とか」と呟いたら、母がすかさず「おかえり!」と合いの手を入れたもんだから、「意味ないわー」と2人で大笑い。我が家は今日
私はいつも、自分が歯がゆい。仕事をしているといつも歯がゆい。もっと気が利いていたらもっとセンスがよければもっと器用であればそうしたらもう少しマシな仕事ができるのに・・・勉強が足りない(今日は苦手な調理の仕事だった)。弱ってしまった利用者さん
この何ヶ月もの間、コロナ対策で消毒と手洗いばかりしている。一日に何十回も手を洗うし、仕事中は時間に追われているから、ハンドクリームなんか塗っていられない。おかげで春夏秋冬ずーっとアカギレだ。出血に気づかないまま運転してハンドルが血だらけにな
訪問介護の仕事って、オムツ交換とか入浴介助とか、掃除や調理とか、そんなイメージがあるかもしれないけど、実はもっといろいろある。細かい仕事だ。名もなき家事ならぬ、名もなき介護である。1軒目。利用者Aさん宅。私 「なんか臭くないですか?Aさん「
母とドラマ『朝顔』を見ていたら、在宅介護の親子についてこんなセリフがあった。「この娘さんは10年も一人でお母さんを介護してきた。いろいろなものを犠牲にして・・・」このセリフを聞いた母が、ふと言った。「あんたも『いろいろなものを犠牲にしてる』
深夜。気持ちよく眠っていると。ガターン!どんがらがっしゃーん!どえらい騒音で目が覚めた。隣室のオヤジがひっくり返ったのだとすぐに分かった。「大丈夫?」真っ暗な中、声をかけると「ベッドから・・・落ちた・・・」と情けない声。オヤジはベッドの横に
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皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------
退院から20日。母は元気だ。絶好調といっても良い。薬こそ続けているものの、喘息なんて本当にあったのかと思うくらい元気。「酸素ボンベつけて帰宅」とか言われていたのが夢だったのかなくらいに元気。毎日のようにCMに乗せられて「ほら、『人生にもっと
「筋力低下で立位がとれません。在宅介護は厳しいでしょう」と言われたのに「私ならできます!」と言い切って母を退院させることに決めたけれど。私はちょとドキドキしていた。先週、病院ではちゃんと介助できたけど、あれはきっと、すごく調子がよかったから
「在宅介護は厳しいでしょう」気管支炎で入院した母。転院をくりかえし「あと1、2週間で退院できそう」というところまできた。呼吸も落ち着き、酸素ボンベももう要らない。いよいよ退院して元の生活に戻れる!と、思いきや。「正直、厳しいと思います」と言
7月に脳梗塞を起こすも「風邪じゃないですか」と処置されず、救急でようやく入院させてもらったオヤジ。8月に気管支炎となるも入院させてもらえず、悪化してようやく入院できた母。・・・やれやれ。私は過労で熱なんか出してしまった。それでも入院させたら
母は風邪をこじらせて気管支炎となり、紆余曲折の末ようやく入院することができた。そこは7月からオヤジが入院している市民病院。「夫婦2人で同じ病院だ!」と私は喜んだ。「通う手間が省ける!」入院したって放ったらかしにはできない。オムツなどの消耗品
療養型病院(1回目)在宅医の紹介をもって救急にいったのに「これくらいじゃ入院させられない」と帰宅させられた母。翌朝になっても状態は芳しくなかった。まったく飲み食いできないし、息も苦しそうだ。血中酸素飽和濃度は90を切っている。・・・本当はも
母が入院しました。経過とご報告です。長くなるんで分けます。風邪前回、私が風邪をひいて熱を出した話を書いた。39度くらいの熱が1週間ほど続き、ようやく引いてきたと思ったら・・・母に風邪がうつった。まあ、そりゃ、うつるよね。移乗も排泄も食事介助
熱が出た。火曜の夜のことだ。ちょっと喉が痛いな、程度だったのが夜遅くなって突然、関節が痛くなって、気が付いたら高熱だった。「これは、アカンやつや!」とうとうコロナが来てしまったのか。もちろんこういう仕事をしているので5類だろうが酷暑だろうが
水頭症の手術から2週間近くがたつ。手術によってオヤジはどうなったのか?少しでもよくなったのか?気になるところだが全然わからない。だって、ぜんぜん面会できていないからだ。術後すぐに「病棟でコロナがでました。面会は完全禁止です」となり、私はただ
オヤジが手術を受けることに決めたはいいが、さあ、大変だ。なにしろ手術は「明後日です」ときたもんだ。「ご家族さん、明日と明後日は病院に詰めてください」2日間、体をあけなくてはいけない!申し訳ないけど仕事は休む。母はデイサービス・ヘルパーさん・
脳梗塞で入院したら、なんと水頭症が発覚したオヤジ。根性なしのオヤジがリハビリをするとは思えなかったため「手術は受けない」と決めたのだが…。●オヤジの決意担当医と話した翌日。私は仕事でイベントに出席していたが、自分の講演だけ終わらせるとそのま
●手術をするかどうか「さて本題ですが」病院食をさんざんディスったあと、担当医はMRIの画像を見せながら話を切り替えた。「お父さんの脳の隙間、異常に大きいんですよ。これ水痘症ですね」・・・あ。水痘症。「脳に髄液がたまる水痘症で、失禁、歩行障害
オヤジが脳梗塞を発症して約1ヶ月がたつ。入院先の病院からは何の連絡もなくちょっとやきもきしていたところ、入院3週間でようやく進展があった。長いので分けて投稿していく。病院の待ち時間にポメラで書いて投稿しているため読みにくかったらすみません。
脳梗塞で入院したオヤジ。面会は午後2時~4時の2時間だけと制限されているから、仕事のある日は行けないが、休日には顔を見ることができる。いつもベッドで横になっていて、体位変換用のクッションが当てられ、自力で起き上がることもできないのは見てとれ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------