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2016/10/06

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  • 恩恵論は予定説を超えたか ー 恩恵論4(了)(学び合いの会)

    Ⅳ恩恵の教義カトリック教会の恩恵に関する教義は以下の通りである。①ペラギウス論争(1)の結果、救いのためにはキリストの恩恵が前提で、救いの恩恵は神から無償で与えられている(484年のカルタゴ教会会議、529年の第2回オランジュ教会会議)②トリエント公会議の「義化の教令」は、神の恩恵と人間の協力(善行)の必要性を説き、恩恵によって実現される人間の内的変化の現実性を強調した③ヤンセニズムとの論争の結果、ピウス5世、イノケンチウス10世、アレキサンドル8世、ピウス6世は、キリストの救いが特定の人に限定されるという考えを排斥した。④第二バチカン公会議はキリストと聖霊の恩恵の働きの普遍性を教示した。キリスト教徒以外の者にも恩恵があるとした(現代世界憲章第22項「新しい人キリスト」、教会憲章第16項「キリスト教以外の...恩恵論は予定説を超えたかー恩恵論4(了)(学び合いの会)

  • ペラギウス論争からヤンセニズム批判まで ー 恩恵論3(学び合いの会

    Ⅲ教義史恩恵論は古代・中世から宗教改革に至るまでの激しい論争の中で整備されてきた。近代神学・現代神学の中で論争はさらに激しくなるが、ここでは主な恩恵論の発展を要約する。1古代①教父たちの恩恵論の共通点古代ギリシャ・ローマ世界では二つの救済論が支配的であった。一つはストア的禁欲主義の救済論(1)。もう一つは密儀宗教の秘密の儀式による救済論だ(2)。古代教父たちはこれらの汎神論的救済観念や、人間と神の本性の区別を軽視した哲学思想を否定した。古代教父たちは、神の超越性を主張し、神の恩恵によりイエス・キリストを通して救われることを強調した。他方、教父たちは、ストア派を批判しながらも、逆に倫理を軽視した運命論に対しても批判を展開し、神の恩恵なしには救いはなく、恩恵を受け入れ、実らせること以外に救いは無いと主張した。...ペラギウス論争からヤンセニズム批判までー恩恵論3(学び合いの会

  • 「贖い」と「償い」が区別できない現代の日本人 ー 恩恵論2(学び合いの会)

    Ⅱ聖書1旧約聖書①神の恵みという考え方は、旧約聖書においては世界創造の物語の中ではっきりと示されている(創世記1ー2,知恵の書11:24-26)「あなたがお造りになったもので、あなたが忌み嫌うものは何一つない。憎んでおられるのなら、造られなかったはずである・・・」(知11:24)②さらに、アブラハムの選びと祝福の中でも示される(創12:3)(1)「あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う人をわたしは呪う・・・」・小さな民族イスラエルの「選び」によっても明らかにされる。(申7:7)。・神の慈しみは人間の罪を超えて、人を神と和解させる。罪を悔い改める民を神は赦す(エレ31:20)。・もともと神はその義のゆえに正しい人に報い、罪人を罰すると言われる。しかし後に、神の義はすべてのイスラエルの罪を赦し、民を...「贖い」と「償い」が区別できない現代の日本人ー恩恵論2(学び合いの会)

  • 恩恵論はカトリックとプロテスタントの分断の源か ー 恩恵論1(学び合いの会)

    2022年7月の学び合いの会は、第7波に入った新型コロナ感染拡大の中で開かれた。猛暑とコロナのせいで参加者は10名ほどのいつものの顔ぶれであった。今回は神学的人間論の第3弾としての恩恵論である。神学的人間論は創造論、原罪論と検討してきたので、残るは恩恵論ということになる(1)。恩恵論は伝統的には「救済論」として論じられてきた(2)が、救済論というカテゴリーはキリスト論と恩恵論(秘跡論)を含むので、現在の神学教育では別のコースとして設けられているようだ。現代の恩恵論の課題は明確だ。現代社会を支配する能力主義・業績主義・理性中心主義は様々の問題点を産みだしていることは誰もが認めているが、それを乗り越える視点を、自己決定する主体(自分自身)ではなく、「恩恵」(恩寵・聖寵・恵み)に求める試みを明確化することのよう...恩恵論はカトリックとプロテスタントの分断の源かー恩恵論1(学び合いの会)

  • 特別展「発掘された日本列島2022」に驚く

    特別展が終わるというので昨日思い切って埼玉県立博物館(歴史と民俗の博物館)を訪ねた。文化庁主催の全国巡回展だそうだが、内容の素晴らしさに驚いた。上野の国立博物館でなぜ展示しないのだろうと思うほどの特別展だった。わたしは、発掘だの古墳だの遺跡だのという考古学には全くの音痴だが、近年の日本の考古学上の発見が、われわれが昔学校で習った昔ながらの縄文・弥生・古墳時代の観念を覆すほどの大発見が続いていると言うことは側聞していた。縄文時代にも稲作がおこなわれていた地域・時代があったらしいなどという話をどこかで聞いたことはある。どういうことなのだろうと思い、はるばる時間をかけて大宮まで行ってみた。行ってみて驚いた。展示物の多様さ、説明のわかりやすさ、全国的視点からの出土品の相互比較など、準備がよくなされていたことがわか...特別展「発掘された日本列島2022」に驚く

  • 現代日本人の罪理解(2) ー 原罪論8(了)(学び合いの会)

    4日本人の罪の意識R・ベネディクトにならって日本文化における「恥の文化」はユダヤ・キリスト教文化における「罪の文化」と対比されることが多い(1)。恥の文化の特徴は各自が自分の行動に対する世間の目を強く意識していることとされる。日本人にとって恥の意識が最重要の地位を占める。罪の文化の基礎は「罪責性」であるのにたいし、恥の文化のそれは「羞恥心」である(2)。恥の文化においては罪を告白するという習慣はない。伝統的日本文化において、「恥と穢れ」はキリスト教文化における「罪責性と悪」に対応するといえよう。【『菊と刀』】5罪理解を巡る今日の問題①宗教的空白という現実現代日本における宗教的空白の要因はさまざまであろうが、その一つは、折衷主義的な日本仏教各宗派が惰性化し、葬式仏教化していることにある(3)。各宗派は組織化...現代日本人の罪理解(2)ー原罪論8(了)(学び合いの会)

  • 現代日本人の罪理解(1) ー 原罪論7(学び合いの会)

    Ⅸ現代日本人の罪理解ここからは原罪論の補足として、日本人の罪意識、罪理解を考えてみる。小笠原優師は『信仰の神秘』のなかでこう問う。よくわれわれは、「聖書がいう罪とは何のことかよくわからない」という言葉を聞く。どういうことか。日本人は「罪深い」とか「罪づくりな事をする」など、罪という言葉をよく使う。ありふれた言葉だ。これは、法律に背いているという意味でcrime(悪事)のことかもしれないし、「人様に迷惑をかけた」という意味でのshame(恥)のことかもしれない。その意味する範囲は広そうだ。なぜか。現代の日本人の罪理解には様々な歴史的要素が混入しているからだろう。土俗宗教、神道、仏教、儒教などの影響を挙げられそうだ。1神道的要素①罪とは規範や秩序を乱す行為のことをいう(天つ罪・国つ罪)(1)近親相姦・獣姦・呪...現代日本人の罪理解(1)ー原罪論7(学び合いの会)

  • 現代神学の原罪論の方向 ー 原罪論6(学び合いの会)

    Ⅵ公式教義への批判1世界観の変化トリエント公会議時代の世界観と今日支配的な世界観の間にはギャップがあり、そこから問題点が浮上してくる。トリエント公会議の教義の原則は以下のようなものであった。①創世記の物語は歴史的事実で、アダムは歴史上の人物である②人類の起源は一つである③原罪は、模倣によってではなく遺伝によって伝わる④原罪は一人一人に固有なものとして内在する(幼児にも原罪はある)このような教義に対して次のような問題点が指摘された。①今日の聖書学によれば、創世記の人祖の物語は歴史的事実ではない②今日の科学の示すところによれば人類の起源は一つではない③アウグスティヌスは原罪は遺伝する罪だと考えたが、他の教父たちには遺伝という考えはなかったこのような批判は、研究の成果の表れではあるが、世界観の変化をも反映してい...現代神学の原罪論の方向ー原罪論6(学び合いの会)

  • トリエント公会議のカノン ー 原罪論5(学び合いの会)

    Ⅴトリエント公会議の原罪の教義1五つのカノントリエント公会議(1545~1563)(1)の原罪論は、第5総会の「5つのカノン」で表明された(2)。①第1カノン(DS1511)人祖アダムが楽園で神の掟に背いた結果、聖性と義を失い、神の怒りを買い、死を招き、悪魔の勢力に与することになった。②第2カノン(DS1512)アダムの罪と罰は彼だけではなく、その子孫である全人類に及ぶ。③第3カノン(DS1513I)アダムの罪は起源が一つであり、遺伝によって伝えられる。この罪はイエス・キリストの功績と洗礼によってのみ取り除かれる。④第4カノン(DS1514)自身の罪のない幼児も原罪を免れ得ないのだから、洗礼を受けなければならない(幼児洗礼の肯定)(3)⑤第5カノン(DS1515)洗礼によって原罪が赦され、神の愛児、相続人...トリエント公会議のカノンー原罪論5(学び合いの会)

  • 原罪の教義はいつ定着したのか ー 原罪論4(学び合いの会)

    Ⅳ古典的原罪論の展開1アウグスティヌス以前の教父たち①ギリシャ教父たち2・3世紀エイレナイオス、アレキサンドリアのクレメンス、オリゲネスなど彼らは人間の「罪」に関心を持った。「なぜ無垢の嬰児が死なねばならないのか」という問題意識から原罪について考察した。特に問題にしたのは、原罪が人祖からどのように子孫に伝わるのか、という点であった。エイレナイオスは、人祖が所有していた本来的な善は罪によって損なわれたが、洗礼によって回復されると考えた。この考えはアウグスティヌスに影響を与えたという。②ラテン教父たち2・3世紀キプリアヌス、テリトリアヌスなど。「悪」の起源について深い関心を払った。2アウグスティヌス(354-430)アウグスティヌスは教会の原罪についての公式教義の基礎を作った。①悪の問題について自分自身の体験...原罪の教義はいつ定着したのかー原罪論4(学び合いの会)

  • 罪の赦しは恵みか悔悛か ー 原罪論3(学び合いの会)

    Ⅲ新約聖書における罪の理解1罪をめぐるイエスの教えイエスは、罪とは「律法」違反のことではなく、神と隣人への「愛の欠如」の問題であるとした。そしてそれを「一人一人の問題」として扱う。罪の観念はここで大きく転換していく。①罪の赦しと病の癒やしを同時に行う(マルコ2~5章)②信仰が罪からの救いである(マルコ5:34「娘よ、あなたの信仰があなたを救った」)③あなたの罪は信仰によって赦されたと宣言する(マルコ2~5章)④イエスは人間の罪からの解放のため自己を捧げる。そして罪の赦しの権能を弟子たちに与える(マルコ10~19章、ヨハネ20~23章)2パウロパウロは罪の意識を深く掘り下げる。パウロの罪の観念はキリスト教の罪観念のベースとなっていく。①罪は普遍的である(ロマ書3:23「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられな...罪の赦しは恵みか悔悛かー原罪論3(学び合いの会)

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