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2016/10/06

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  • 罪は人間の内にあるのか ー 原罪論2(学び合いの会)

    Ⅱ旧約聖書における罪の理解1人祖の物語創世記第2・3章創世記は人類の発生をアダムとエバのドラマとして描く。神の計画により恵まれた原初の至福の状態と、堕罪後の神から見放された状態とを比較する(1)。人間は神の似姿として造られたが、すべてを許される自由が与えられたわけではなく、有限な存在である。しかし、人間は神のようになろうする欲求を持ち、自己の絶対性・全能性を求める。「禁断の木の実」は実は人間の有限性にもとづく制約のシンボルであり、「蛇」は悪の誘惑を表す。創世記の記述は、本来神により頼むべき人間の限界を踏み越えようとした人間の試みが、世界のすべての悪の根源であることを示す。創世記は、すべての人間にある罪への傾きとその結果を、人祖が自らの罪によって神との交わりを失ったことによって説明しようとする。神が創造され...罪は人間の内にあるのかー原罪論2(学び合いの会)

  • 原罪論はなぜ未熟な教義なのか ー 原罪論1(学び合いの会)

    6月の学び合いの会は猛暑の中で開かれた。まだ6月だというのに梅雨明け宣言が出たという。この暑さの中、出席者の数は当然少なかった。今回のテーマは原罪論である。何もよりによって原罪論を取り上げなくとも、と思わなくもなかったが、ロシアによるウクライナ侵攻を前にして、科学技術の発達が、社会制度の改革が、人間を悪から解放するという楽観主義が打ち砕かれ、もう一度「悪」の問題を神学的に問い直してみたいというのが趣旨のようであった(1)。神学的に問い直すと言っても、原罪論は「神学的人間論」の中ではもっとも評判の悪い、人気のないテーマのようだ(2)。キリスト教神学の中でキリスト論、三位一体論、教会論はそれなりに教義が整備され、体系化されているが、原罪論は未成熟である。特に古典的な(アウグスティヌス的な)原罪論はいわば袋小路...原罪論はなぜ未熟な教義なのかー原罪論1(学び合いの会)

  • 映画「ベルファスト」(アカデミー賞脚本賞)を観た

    やっと映画Belfastを観ることができました。アカデミー賞受賞作品だからと言うより、カト研のジョンストン師を思い起こすためでした。師は2010年に帰天しているので今年は仏教的に言えば13回忌になります。カト研の皆さんはもうすでにご覧になられたでしょうか。白黒映画でした。少年バディが主人公だが、過酷な時代の変化に抗いながら家族が一緒に未来へ踏み出していく姿を描いているように思えました。故郷ベルファストを讃えるご当地映画ともいえそうです。この映画は、1969年頃のいわゆる「北アイルランド紛争」(1)を直接正面から取り上げているわけではない。むしろ、それを背景としたファミリー・ドラマでした。監督・脚本はケネス・ブラナーで、著名な映画監督のようです。この映画は監督ご本人の自伝的な物語のようです。ローヤリスト、ユ...映画「ベルファスト」(アカデミー賞脚本賞)を観た

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