荷物電車クモニ143から牽引車に改造されたクモヤ143-52。 荷物電車には吊り掛け駆動の旧型電車に新製車体を組み合わせた改…
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
どこまでが地上なのか悩ましい、高架と掘割が入り乱れた南千住駅。貨物駅の隅田川駅が東側を塞ぎ、常磐線と日比谷線の高架線が離れていて、さらに下を貨物線が半端な高さで横…
隅田川駅を出発したEH200-22。地上に出た日比谷線の下、ゆっくりと高架線を上る貨物列車。
鉄骨で築かれた高架線の下をくぐる貨物列車。隅田川駅へ向かう場合は常磐線の下をくぐって、上下共用の貨物線へ。手前の線路は常磐線の下り線に合流する貨物線でしたが、田端操車…
三河島駅の出口は端に1箇所のみ。15両分も離れた反対側は狭く、屋根もない孤島。
鉄橋に覆われて、まるで河川敷のような三河島駅の下。コンクリートの高架橋ではなく、大量のガード橋を並べて造られた珍しい駅。
三河島駅の横を上ってきたEH500-7。常磐線の上下線にそれぞれ田端操車場からの貨物線が合流しますが、貨物線の上りは隅田川駅への連絡線を兼ねているため上下共用…
貨物列車で使われない分、綺麗だったEF64-1031。道端を臨時列車が通った日。
コーポレートカラーだったEF64-1026。原色に戻る前の日常。
塗装が色あせてきた車体。やがて関東へ来なくなり、そのまま眠りについたEF64-1019。
国鉄再建が始まった年に長岡機関区へ配備されたEF64-1000番台。豪雪の上越線で補機をしていたのは、もう過去の出来事。
平地でも普通に使われていたEF64。今は関東に1本もない貨物列車。
機関車の交替が多かった頃、当たり前のように存在した単行の電気機関車。
地域の足として、観光の道として。山々を背に、高地の街を繋ぐ長野電鉄。
第三軌条集電の地下鉄から脱却して乗り入れ用に架空線を採用し、時代を先取りしたセミステンレス車体の営団3000系。見た目ではあまり変化がわかりませんが、既に製造から50年以上経過し、…
須坂駅ホーム端にある100周年記念の石碑。河東鉄道は開業時に蒸気機関車を導入し、電化まで5年だけ使われました。
須坂駅ホーム端のオブジェ。並べられた転轍機や車輪は往時の名残。様々な駅、様々な場所に存在していたドラマ。
3000系と交代したアルミ車体の営団03系。軽量合金の地下鉄車も今は地方の主役。
東急車に混じって留置されている営団3000系。1960年代と1970年代で世代が異なるステンレス車体。
廃線後に整備された公園。実際には右側の砂利敷きが廃線跡で、残された線路は保線用だったもの。
河東線須坂以南廃止後に用地を再利用した駐車場。陸送されてきた電車を併用軌道上で台車交換可能で、廃線で信越本線から分断された状況を象徴するような設備です。
須坂駅の南、正面が廃止された河東線屋代方面、右へ曲がる方が長野線長野方面。長野発着がメインになった後も国鉄からの急行乗り入れが河東線経由で行われていました。信越本線非電化時代はア…
須坂駅の駅舎寄り、使われていない5番線。結局、長野発着がメインルートになってしまったため、廃止前から河東線の松代・屋代方面は須坂発着の区間運転のみ。4・5番線は長野方面に繋がって…
千曲川東側に位置する須坂駅。今も長野電鉄の車庫と工場がある拠点。 信越本線長野駅の南、屋代駅から飯山・野沢を目指して1922年に開業した河東鉄道が長野電鉄の母体。長野駅の北に位置す…
車体の連結部に台車がある連接車。様々な試作車が幾度も生まれながら、小田急の特急車でのみ引き継がれてきた連接構造。
空港アクセスを離れて、長野の街へ転身した253系。原色に近い赤が目立つ有料特急。
市街地を離れて、冬枯れた果樹園の間を。雪がちらつき始めた鉄路。
標識がなければわからない、小さすぎる踏切。あぜ道を横切る地下鉄の電車。
郷土の森交通遊園で保存されている都電6191。交通遊園の中では新参だった都電もすっかり公園の一部になりました。
郷土の森交通遊園で保存されているEB10-1。都内の王子駅から分かれていた貨物線で弾薬の扱いが始まり、蒸気機関車の後継で1927年に製造された蓄電池式機関車AB10。貨…
郷土の森交通遊園で保存されているD51-296。東北本線・奥羽本線電化完成で廃車になった1972年から保存。まだ下河原線が現役時代の出来事でした。
下河原線の終点・下河原駅。遊歩道の左側にある公共施設が駅の跡で、ここから分岐して多摩川の河川敷まで引込線がありました。貨物駅の雰囲気は残っていませんが、周辺の道路や住…
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荷物電車クモニ143から牽引車に改造されたクモヤ143-52。 荷物電車には吊り掛け駆動の旧型電車に新製車体を組み合わせた改…
篠ノ井線経由で貨物列車を引いてやって来たEF64-1027。勾配用電気機関車EF62やEF64-0番台が歩んだ道を支えてきたEF64-1000番台にも交代の時が迫って来ました。
地方線近代化で身延線に115系と共に導入された郵便・荷物電車クモユニ143-1。登場があまりに遅く、国鉄末期に生ま…
高架下を走る115系。北陸新幹線が造られた後も信州で第二の人生を歩んでいる近郊形電車。
長野工場で入換を続けてきた小型ディーゼル機関車DD16-11。余剰化したDD16を工場の入換機に使う動きは国鉄末期からありましたが、11号機は現代まで稼働し続けてきた小さ…
最後まで残った石油輸送は奥にあった油槽所へ。北館林荷扱所から分かれていた専用線は更地に変わりましたが、工業団地は貨物輸送廃止時よりもむしろ拡大。旺盛な需要の隣、物を言…
専用線がなくなって、貨物駅だけが残された北館林荷扱所。東武鉄道で最後の貨物輸送があった拠点に並ぶ、行き場を無くした電車。
佐野線の渡瀬駅近く、1972年に開業した北館林荷扱所。私鉄の貨物駅新設は珍しく、工業団地建設に合わせて開業して、右の食品工場からの出荷に対応していました。
群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…
段々と市街地を離れて。2両編成の電車が走る佐野線。かつて終点の葛生駅から石灰石・セメント輸送があった、高度成長期を支えていた路線の今。
館林駅から東へ分かれて行く佐野線。葛生の石灰石を国鉄の佐野駅まで運んでいた佐野鉄道が東武鉄道と合併し、その後に館林・佐野間が開通して今の佐野線に。東武鉄道での貨物輸送…
館林駅から西へ分かれて行く小泉線。館林・小泉町間の中原鉄道として開通し、東武鉄道合併後に戦時輸送で小泉町・西小泉間と東小泉・太田間が造られて二又の支線に。西小泉駅の先…
館林駅の北側、伊勢崎線沿いにある車両基地。細長い用地にあり、電車は縦列で停車。連結器があれば繋がっているくらい間近に止められています。
館林駅北にある踏切。駅の変遷と密接に関わっていて、駅西側が再開発されて新しい道路が開通するまで、駅の両側を結ぶ主要道路でした。今は自動車禁止になり、ランプも×印が…
先頭車のパンタグラフが特徴的な3両編成。伊勢崎線は逆走しているのではなく、館林駅から北側が単線区間。右は分かれていく佐野線です。
館林駅に隣接する新しい食品プラント。かつてのサイロは姿を消し、港からやってきたホッパ車も見られなくなりました。
館林駅に残る側線。駅の北に車両基地、南に小さな工場があり、その間に位置する電留線のようになっていますが、かつては貨物列車が並んでいた線路。隣接して食品工場の倉庫とサイ…
浅草行の特急電車。伊勢崎線の特急は太田止まり以外ほとんどが赤城行で、群馬県東部の連絡に主軸を置いています。
ホーム端の切り欠きホームが特徴の館林駅。運転系統が南北で分断されており、特急電車以外のほとんどが始発になっています。
2両編成の8000系が特急電車と並ぶ館林駅。伊勢崎線から東へ佐野線、西へ小泉線が分かれる分岐点。利根川と渡良瀬川に挟まれた沼が多い城下町。東へ細長く飛び出た群馬県が栃木県…
西名古屋港駅跡を離れたあおなみ線はさらに先へ。稲永東公園の南側にある入江の築堤は西名古屋港駅から西へ分かれていた貨物線の跡で、車両基地への分岐点から先の高架橋もここまでと同じく廃…
歩道部分に残る斜め踏切の跡と専用線のゲート。再開発が進む埋立地に残る、数少ない記憶。
割と新しい強固なコンクリート舗装の道路。斜めに曲がった側溝はかつて踏切があった頃の名残。
西名古屋港駅から南の埠頭へ斜め踏切が3箇所連続していた道路。現代でも石炭埠頭は操業中ですが当時を偲ぶ物は少なくなりました。
西名古屋港駅の跡地を再利用して造られた名古屋臨海高速鉄道の車庫。民営化後も残った貨物駅の西名古屋港駅でしたがコンテナ扱いがなく、コンテナが積まれた港との関わりは段々と失われていき…
車両基地へ降りる高架橋が分かれて地上へ。西名古屋港線の終点、貨物駅の西名古屋港駅があった場所。埋立地が拡大したりしたものの、倉庫の佇まいなど周囲はそれほど変わっていません。
あおなみ線の電車が荒子川公園駅へ。荒子川公園は運河が荒子川に合流する予定地だった場所で、2km東にある名古屋港線が橋を渡っていた港北運河の延長。戦後に建設が始まった運河は先に造られ…
荒子川のガード橋は西名古屋港線のもの。1950年の開通時は周辺に農地が広がっていました。
荒子川を渡る橋。公園の歩道となったガード橋の上にはあおなみ線の吊り橋。同じ鉄道橋ながら全く違う存在感。
新しい高架橋は広々とした団地の中を南へ。この向こうにある港北駅は高架化された西名古屋港線が地上に降りていた部分で、中部鋼鈑の専用線が分かれる部分でもありました。高架橋の真下は…
ここは国鉄時代の高架橋から新設された高架橋に切り替わる部分。西名古屋港線は現在のあおなみ線下り側に線路を敷いて使っていましたが、ここから南側は西名古屋港線の左右に並んでいた複線の…
高架脇に残る地上時代の廃線跡。もう当時の面影は残っていませんが、駐車場の左角にある踏切の基部が歴史を物語っています。
南方貨物線が途切れたまま建設中止になった一方で、西名古屋港線は踏切解消の名目で途切れていた部分を単線高架橋でつないで国鉄末期に高架化。建設当時は高架橋と道路橋の隙間を通って、西名…
西名古屋港線の途中に新しいコンテナ対応の貨物駅として開業した名古屋貨物ターミナル駅。1980年5月1日の開業日は名古屋港駅の先にあった堀川口駅の廃止日で、最後には名古屋駅の南に広が…
小本駅の西に残るカーブした敷地。 貨物列車の主要ルートになるはずだった南方貨物線は名古屋貨物ターミナル駅に合流し、そこからは複線化された西名古屋港線が東に向きを変えて名古屋駅へ…
希少なコキ250000の向こう、休憩室に使われていたコンテナ緩急車コキフ50000の車掌室部分。車掌業務が無くなって以降もしばらくはコキ50000に混じって使われ、いつし…
開業当初から電化が準備されながら、DD51が出入りしていた名古屋貨物ターミナル駅。ディーゼル機関車を置き換えた国鉄の電気機関車も姿を消し、並んでいるのは広島の…
待機中のハイブリッド機HD300-11。臨海鉄道のディーゼル機関車が姿を消した今の名古屋貨物ターミナル駅。
大都市の片隅に残っていた転車台。国鉄時代から名古屋客貨車区の客車・気動車の転向をしてきましたが、今は1両も客車が存在しません。
名古屋駅を出たEF210-112があおなみ線へ。ささしまライブ駅の東側は全て貨物駅だった笹島駅の跡地で、西名古屋港線の築堤横から大規模なコンテナホームが向こうの新幹線に突き当…