草が生えた線路。全国に繋がっていたはずの貨物線。
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
夜の川崎貨物駅、かつての仕訳線に止まったEF210-111。ハンプの上から転がって来た貨車はカーリターダーで減速した後、速度不足時はレール間に設置されたリニアモーターカーで再…
戦後、鶴見線よりも北側で工業地帯の近代化が進み、1964年に新設された塩浜操車場。操車場が機能を停止していった時代を生き残り、民営化後に川崎貨物駅として再編。かつて入換用…
古ぼけた跨線橋の下に広がる地平の駅。もう貨物列車が来ない中線。交換する新旧の特急車。高架工事で消えてしまう、春日部駅の姿。
古老の特急は田園を南下して市街地へ。春日部駅界隈で最も長く走り続けてきた特急車。
車が通れない住宅地の踏切。高架化でいつか消えてしまう小道。
同じ路線で使われながら、全く構造が異なる電車。それでも柔軟に活用される増結編成。
貨物列車がない今も回送列車の待避で使われている春日部駅の中線。区間運転の浅草駅発着が伊勢崎線直通に変わる、朝夕の光景。
単線の野田線。装いを変えた街と電車、歩みだけは変わらずに。
野田線沿いに進むと、市街化が進む駅周辺とは違った雰囲気に。田畑が多かった頃を思い出させる、小さな踏切の道。
一つの私鉄、特定の路線で、ほとんど役目を変えずに使われてきた8000系。近代化改造以降の年月が長くなった白い電車。
伊勢崎線と野田線の分かれた間に設置された電留線。視界に映る、様々な時代の電車。
大きな建物が目立つようになった春日部駅界隈。高架工事が始まれば、さらに変わってしまう街の今。
野田線の複線化が春日部駅まで到達し、春日部駅で始まった折り返し運転。引上線で休む8000系、野田線の変遷とともに歩んできた電車。
レールが跨線橋を支える春日部駅。東武鉄道の要衝として歩んできた、長い歳月。
DE10が何度も通った道。越中島貨物駅の東にある運河。ここから北側は埋め立てられて陸地になっていますが、その先は埋められずに残った錦糸町駅の東を通る横十間川で、押上の北十…
役目を変えて残った越中島貨物駅。レール輸送の基地から段々と消えてゆく、黒い長物車。
数多の貨物列車が過去の物となって、レール輸送の長物車が通るだけの線路。ディーゼルカーの導入で消えゆく最後の灯。
町工場が消えて、宅地化が進んだ下町。時代から取り残された築堤の非電化区間。
何度も見てきた街。何度も見てきた線路。試験車両がやってきた日。ディーゼルカー投入に向けて、長い間止まっていた時代が動き始めた瞬間。
京葉道路の上を通るDE10-1751。レール輸送がディーゼルカーに代わって、段々と見られなくなる姿。
錆び付いた長い鉄橋を抜けて。ディーゼル機関車DE10-1685が都心の隅を。
都会を走る2軸車チ1111+チ1160。部品が外されて、上面に何もない状態。静かに姿を消してゆく貨車。
DE10-1751が長物車を引いて。何度も繰り返されてきた、新小岩駅での光景。
新小岩信号場に止まるチキ5307。車掌室の乗り心地を改善するため、コンテナ緩急車コキフ50000にコキ10000から空気バネ台車を…
新小岩信号場に止まるチキ5316。コキ5500を従来型の長物車に合わせて改造したチキ6000に比べて、レール輸送用で改造箇所が少…
コキ10000の車体を切りついで短縮した長物車チキ5232。国鉄とともに消滅した高速貨車10000系の系譜。
何も載せない貨車となったチ1074。1両のチキ6000でレールを運ぶ際に連結距離を稼ぐ遊車で使われていました。都心の鉄道では貴重な存在だった…
新小岩信号場に止まるチキ6155。レール輸送では2両編成が多いですが、1両のチキ6000をチ1000で挟む編成も少数存在。所属表記…
新小岩信号場に止まるチキ6181。汎用長物車としての用途は民営化後になくなり、側面の突起に柱を立てて木材などを積み上げる…
新小岩駅の横を通過するロングレール用長物車チキ5901。半世紀を生き抜いた、初期のコンテナ車コキ5500の末裔。
段々と姿を消す国鉄機。代わりにやって来たEF210-162が引上線へ。本線との間にある錆びた手すりは新小岩操車場があった頃のまま。
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草が生えた線路。全国に繋がっていたはずの貨物線。
山道の途中にある踏切。青海川を挟んで採石場と工場を結ぶ専用鉄道。青海駅とも繋がっていた山間の輸送網。
駅の南、青海川沿いに広がる電気化学工業青海工場。専用線の跡は鬱蒼とした草の中。
セメント・石灰石輸送に特化していたため、貨物輸送の終了がそのまま駅の機能を止めてしまいました。左に曲がっていたのは、既に線路がない電気化学工業の専用線。
幅広い架線柱ですが既に架線は撤去済み。大きな駅に市街地のような橋上駅舎。貨物列車の発着は無くなり、ホームも1本しか使われなくなってしまいました。
草に埋もれて広々とした駅、通過する国鉄生まれの電車。糸魚川駅とともに地域産業の拠点だった青海駅。
新潟県内を結ぶ観光列車。変わり続ける北陸本線。
終点の糸魚川駅へ到着する大糸線キハ120-354。キハ52に替わって姫川沿いを走る軽快車。 1915年に開業した信濃鉄道が松本盆地北端の大町まで到達、ここから糸魚川に向かうので…
糸魚川駅のすぐ近く、小学校で保存されてきたC12-88。学校内に置かれていたものが整備されて公園に。大糸線の歴史を物語る小さな蒸気機関車は、貨物施設が無くなって目…
糸魚川駅の下には資料館と観光施設。入口に飾られた小型蒸気機関車は明星セメント専用線の分岐点近くから北に向かっていた東洋活性白土の専用鉄道で1982年の廃止まで使われた…
新幹線の高架橋が造られて大きく変わった糸魚川駅。出口がなかった南側、貨車が並んでいた側線は無くなり、機関庫の壁が復元された駅前。 国鉄の代表的な一般形気動…
糸魚川駅から西へ、大糸線に続いて南に分かれていた明星セメント専用線。田園を横切る築堤にはもう繋がっていないレールが残されたまま。
新幹線が開通した後も以前の雰囲気を残している糸魚川駅西側。交流60Hz区間の北限で、交流機EF70が国鉄末期まで活躍していた北陸本線の拠点。デッドセクションに向けてパンタグラ…
フォッサマグナの北側、山に囲まれた糸魚川駅。急峻な北陸本線沿線で新潟県に入って最初の大きな街。この先にある交直デッドセクションを通過する関係で、新たに導入された車両は…
荷物電車クモニ143から牽引車に改造されたクモヤ143-52。 荷物電車には吊り掛け駆動の旧型電車に新製車体を組み合わせた改…
篠ノ井線経由で貨物列車を引いてやって来たEF64-1027。勾配用電気機関車EF62やEF64-0番台が歩んだ道を支えてきたEF64-1000番台にも交代の時が迫って来ました。
地方線近代化で身延線に115系と共に導入された郵便・荷物電車クモユニ143-1。登場があまりに遅く、国鉄末期に生ま…
高架下を走る115系。北陸新幹線が造られた後も信州で第二の人生を歩んでいる近郊形電車。
長野工場で入換を続けてきた小型ディーゼル機関車DD16-11。余剰化したDD16を工場の入換機に使う動きは国鉄末期からありましたが、11号機は現代まで稼働し続けてきた小さ…
最後まで残った石油輸送は奥にあった油槽所へ。北館林荷扱所から分かれていた専用線は更地に変わりましたが、工業団地は貨物輸送廃止時よりもむしろ拡大。旺盛な需要の隣、物を言…
ナンバープレートを外されたDD51-1142。僚機よりも一足早く離脱した北斗星色。
東武鉄道が蒸気機関車の運転で使う客車よりも早く旧型客車のような塗装を採用。北の大地に残ったスハフ14-507。
国鉄時代は札幌運転区の所属。民営化後に道内の寝台急行がなくなって函館運転所、さらに旭川運転所へ。急行列車がなくなった頃、再び函館駅へとやってきたオハ14-526。
有蓋車の代用で蒸気機関車の部品を運んだ長物車チキ6366。コンテナ車から長物車に改造された後、再びコンテナを積む事になっ…
イベント用で残っていた車掌車ヨ4647。展望デッキのような使われ方をしていた黒い二軸車。
函館駅のオハ14-519。特急電車に似た車体構造の客車は流転の末に旧型客車の塗装で。
寝台急行「はまなす」廃止で廃車が進んだ中、それよりも前に蒸気機関車運転用に改造されて残ったスハフ14-505。函館駅に止まるあずき色。
旧型客車淘汰と鉄道縮小の狭間に生まれた普通列車用50系の北海道仕様51形客車。ディーゼルカーに改造される車両が多い中…
広大な北の鉄路に砂利散布を続けてきたホッパ車ホキ881。古き伝統を感じさせる黒い貨車。
函館駅に隣接する函館運転所はいつしか運輸所に名を変えて。電車・気動車・客車・貨車が詰め込まれた港町。
対岸の青森駅と同様に連絡船が保存された函館駅。函館山が見下ろす、もう使われていない岸壁の摩周丸。
あおなみ線はさらに南、廃線跡ではない新規の用地を通って金城埠頭へ。工業地帯の中、貨物列車が通らない高架橋。
野跡駅から南へ向かう高架橋。北側は高度成長期の頃から団地でしたが、駅が出来たのは半世紀も後の事。ここから南側は再び工業地帯の様相で、西名古屋港駅から分かれた貨物線はこの辺りで道路…
西名古屋港駅跡を離れたあおなみ線はさらに先へ。稲永東公園の南側にある入江の築堤は西名古屋港駅から西へ分かれていた貨物線の跡で、車両基地への分岐点から先の高架橋もここまでと同じく廃…
歩道部分に残る斜め踏切の跡と専用線のゲート。再開発が進む埋立地に残る、数少ない記憶。
割と新しい強固なコンクリート舗装の道路。斜めに曲がった側溝はかつて踏切があった頃の名残。
西名古屋港駅から南の埠頭へ斜め踏切が3箇所連続していた道路。現代でも石炭埠頭は操業中ですが当時を偲ぶ物は少なくなりました。
西名古屋港駅の跡地を再利用して造られた名古屋臨海高速鉄道の車庫。民営化後も残った貨物駅の西名古屋港駅でしたがコンテナ扱いがなく、コンテナが積まれた港との関わりは段々と失われていき…
車両基地へ降りる高架橋が分かれて地上へ。西名古屋港線の終点、貨物駅の西名古屋港駅があった場所。埋立地が拡大したりしたものの、倉庫の佇まいなど周囲はそれほど変わっていません。
あおなみ線の電車が荒子川公園駅へ。荒子川公園は運河が荒子川に合流する予定地だった場所で、2km東にある名古屋港線が橋を渡っていた港北運河の延長。戦後に建設が始まった運河は先に造られ…