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ブログタイトル
一日一日大切に生きること
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毎日を楽しく生きるために、人間について、この世の中の諸問題について一生懸命に考えてみたいと思います。
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51回 / 365日(平均1.0回/週)

ブログ村参加:2015/06/25

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一日一日大切に生きること

一日一日大切に生きることさんの新着記事

1件〜30件

  • 人種とは・日本人の昔を探る(26)

    人種とは・日本人の昔を探る(26)日本人の昔を探る(その2)(10)縄文人の暮らしと「食」について-その3-縄文人の食文化が豊かだったのは、狩猟具、漁撈具の技術、及び調理の技術(あく抜き、渋抜き、さらしなどの技術)、そして定住化が進むことで、貯蔵の技術、住まいの大型化など技術の進化によるところが大きかったと言えそうです。ところで、定住生活には、食料の持続的供給が出来ることが大切です。そのためには、食料の生産を生業としなくてはなりません。日常の主食となる植物を自分で育てること、いわゆる栽培です。しかし、そのためには荒れ地なり、森や森林を開鑿しければなりません。まずは開鑿に必要な用具を考案しなくてはならないわけで、いきなり荒野や山林の伐採が出来るわけではありません。おそらくは、自然発生した野火の後を活用したのではな...人種とは・日本人の昔を探る(26)

  • 人種とは・日本人の昔を探る(25)

    人種とは・日本人の昔を探る(25)日本人の昔を探る(その2)(9)縄文人の暮らしと「食」について-その2-縄文人の食について、前回にも触れましたが、随分いろいろな食べ物を食べていたようです。1万3000年前頃の縄文草創期には、狩猟が生業で大型草食獣を射止め主食にしていたと考えられるのですが、1万年前から8000年前頃になりますと、植物性食中心の主食で、主に堅果類および堅殻性の木の実、通常われわれが栗やドングリあるいはクルミと呼んでいる種実の採取を生業にする人々も多くなりました。また、稗や粟そしてゼンマイ、キノコなどの山菜なども採取し、多く食していたものと考えられます。つまり縄文時代の食文化は、木の実、キノコなど、それに山菜、そして肉や魚介類などを用いた食文化には美味しさも加わっていたものと考えられます。また、石...人種とは・日本人の昔を探る(25)

  • 人種とは・日本人の昔を探る(24):中本博皓

    人種とは・日本人の昔を探る(24)日本人の昔を探る(その2)(8)縄文人の暮らしと「食」について-その1-縄文時代の人たちが、日々何を食べていたかは、太古の昔を知る上で大変興味のあることです。わたしも含めて、われわれは日本の歴史を学んだ際に、縄文時代の人々は狩猟や採集を生業としていましたので、草食獣を射止めその獣肉や木々の芽や野草そしてドングリなどの木の実や野草の実、稗などを主食にしていたと考えられますが、縄文時代の食生活では「火」が重要な役割を持っていたと思います。つまり狩猟した動物や採集した木の実などをそのまま生で食していたわけではありません。火を使ったし、土器なども作っていましたので、「煮炊き」をしていたと思います。住まいが定住型になりますと、狩猟した肉や木の実などを貯蔵するようになり、そのための穴を住ま...人種とは・日本人の昔を探る(24):中本博皓

  • 人種とは・日本人の昔を探る(23):中本博皓

    人種とは・日本人の昔を探る(23)日本人の昔を探る(その2)(7)縄文人の暮らしと「衣」について-その2-縄文人が日常の生活の中で着ていた衣類は、アサやカラムシ、アカソなどの植物性繊維から糸を紡いで編んだ衣服だったようです。前回も述べましたが、縄文海進の影響もあって、縄文前期は、かなり気温が高い状態だったようですから、比較的軽装だったと考えられなくはないのですが、寒い地方で発掘されている土偶を見てみますと、防寒着に身を包んだものが多いのに気づきます。いつの時代も衣服の役割は、防寒対策として用いられていたようです。寒冷地の縄文人たちも、土偶を見る限りでは、防寒には相当知恵を凝らしていたようです。土偶からでは、どんな布で作られた衣類であるか判断することが難しいのですが、縄文遺跡から出土した布の中には、あさ、あかそ、...人種とは・日本人の昔を探る(23):中本博皓

  • 人種とは。日本人の昔を探る(22):中本博皓

    人種とは・日本人の昔を探る(22)日本人の昔を探る(その2)(6)縄文人の暮らしと「衣」について-その1-縄文時代の住まいについての研究や発掘によって検出された資料が全国的に多いこともあって、豊富な成果が報告されています。しかし、縄文人がどんなものをまとって日常を過ごしていたかについては資料が大変少ないように思います。考えればその理由はいろいろあると思います。一つは、縄文時代の前期は、最終氷期の最寒期(最盛期)が終わり、温暖期にあったことが考えられます。つまり、現在と比較して気候が温暖であった縄文の時代の中でも、縄文海進で温暖化が進んでいた時期だったと言えるからです。縄文海進については、日本第四紀学会のQ&Aで専門家の先生が質問者に答えた記事を大変興味深く読んだことがあり、そのコピーをファイルしてありましたので...人種とは。日本人の昔を探る(22):中本博皓

  • 人種とは・日本人の昔を探る(21):中本博皓

    人種とは・日本人の昔を探る(21)日本人の昔を探る(その2)(5)では、縄文人の暮らしとは-その4-縄文の竪穴型住まいは、湿気はどうだったか、縄文時代、雨が多かったと言う推測もあるようなので、わたしは少しばかり心配なのですが、竪穴式住まいは、円錐形の基礎工法が取られていましたので、雨が屋根に沿って外へ流れていくようになっていましたから、雨漏りの心配はなかったようです。上手く工夫を凝らしてあって、冬は保温性もあって思ったよりも快適だった、と見る専門家もいるようです。竪穴式住まいの建築構造を考える上では、建築史が専門の宮本長二郎氏の「住生活」(『日本考古学を学ぶ(2)』・有斐閣、1979)が大変参考になると思います。宮本氏によりますと、縄文時代の住まいの大きさと言いますか、広さと言いますか、いずれにせよ、縄文時代1...人種とは・日本人の昔を探る(21):中本博皓

  • 人種とは・日本人の昔を探る(20):中本博皓

    人種とは・日本人の昔を探る(20)人種とは・日本人の昔を探るその(2)(4)では、縄文人の暮らしとは-その3-すでに江戸時代から知られていた三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)は、青森県青森市大字三内字丸山にあります。日本史の教科書にも紹介されていますから、今では多くの日本人が、有名な日本の遺跡は、と聞かれれば「山内円山遺跡」を挙げるでしょう。三内丸山遺跡は、いまから5900年前から4200年前、縄文時代前期中葉から縄文時代中期末葉に栄えた大規模集落の跡と言われています。青森県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡保存活用推進室によりますと、日本最大級の遺跡であり、1992(平成4)年に発掘が行われ、2000(平成12)年には国の特別史跡に指定されました。縄文時代の人々の暮らしを探るには、きわめて重要な遺跡の一つであ...人種とは・日本人の昔を探る(20):中本博皓

  • 人種とは・日本人の昔を探る(19):中本博皓

    人種とは・日本人の昔を探る(19)日本人の昔を探る(その2)(4)では、縄文人とは-その暮らし-2前回までの沖縄の縄文人-港川人-から一気に北へ飛んで、縄文人の暮らしの衣食住、就中「住い」に目を向けることにします。後期旧石器時代の人々の暮らしが大きく変わるのが、いろいろ調べて見ますと凡そ1万2000年頃からだと思います。大雑把で少々気が引ける尾ですが、この頃(1万年前頃)になりますと、気候も次第に温暖になってきました。人々はまだ野牛やイノシシそしてシカなど大型動物を狩りしたり、魚をとったり、どんぐりなど植物(コナラ、ミズナラ、クヌギなど)の実を取ったりして生活していたと考えられています。食については、後節の「稿」に譲り、本稿では「住」に焦点を当てておきます。さて、住むところはどうだったのか調べて見ますと、住まい...人種とは・日本人の昔を探る(19):中本博皓

  • 人種とは・日本人の昔を探る(18):中本博皓

    人種とは・日本人の昔を探る(18)日本人の昔を探る(その2)(3)では、縄文人とは-その暮らし-1)そんなわけですから、いろいろな見方やまた異論があるのも理解できなくはないように思います。その思いが強いと、現在の沖縄の人に酷似する結果になったりもするのではないか、そんなことを考えたりもするのです。しかし、沖縄で発見された港川人の場合、顔の彫が深く、手足が長いところなどが沖縄人によく似ているため、沖縄人の祖先は南方から列島に渡って来たと考えられるようになった理由でもあるようです。ところで、縄文人と言いましても縄文草創期の人と縄文末期の人とでは1万年以上も時が経っているわけですから、ひとまとめで縄文人と呼んでいいのかよく分かりません。その暮らしにしても、随分違いがあると思うのです。たとえば、江戸時代の人の姿かたちと...人種とは・日本人の昔を探る(18):中本博皓

  • 人種とは・日本人の昔を探る(17):中本博皓

    人種とは・日本人の昔を探る(17)日本人の昔を探る(その2)(2)日本列島に住みついた人たちの中からいま、わたしたちが住んでいるこの国の島々が、日本列島と呼ばれるようになったのは、そんなに太古の昔のことではありません。前回までに触れましたが、そのころ、日本列島や日本人という呼び方ももちろんありませんでした。ですが、この大地にヒト(人)は住んでいた、と言っても間違いではないと思います。しかし、いつから人が住み着いたのか、はっきりとはわかっていませんので、専門家によりましても、その年代は一様ではないと言ってもいいようです。日本人と呼ばれる前から、列島人として住んでいた人々、それは旧石器人であると考えて見ることはできそうです。その旧石器人は現世の日本人の祖先なのかどうかは、専門家の先生方には叱られるかも知れませんが、...人種とは・日本人の昔を探る(17):中本博皓

  • 人種とは・日本人の昔を探る(16):中本博皓

    人種とは・日本人の昔を探る(15)日本人の昔を探る(その2)(1)わたしが「日本人」であるのは「日本人の昔を探る」と題して、素人による「旧石器時代考」を漫然と綴ってきて、ふと気づいたのですが、「日本人の昔」とは、どんな意味なのか、とくに「日本人」については、ただ漫然とではなく、少し踏み込んでおいた方がいいのではないか、そんなことを思うようになりました。歴史学者の先生方の考えられるような深い議論はできないのですが、ここでは簡単に「日本人」について考えておくことにしましょう。わたしも日本人ですが、何を以て自分を日本人である、と決めているのだろうか、ひと言触れておかなくてはならないように思うのです。先ずは、生まれてこのかた日本と呼ばれているこの国に住み着いていることを挙げることが出来ます。そして次に、この国の決りを定...人種とは・日本人の昔を探る(16):中本博皓

  • 人種とは・日本人の昔を探る(15):中本博皓

    人種とは・日本人の昔を探る(15)日本人の昔を探る(その1)旧石器時代人とは-まとめ―前にも扱いましたが、沖縄県石垣島(石垣市)において、2007年、新石垣空港建設に伴って発見された白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)は、わが国の4万年前頃(旧石器時代)から西暦1500年代(16世紀)頃までの複合遺跡だと、考えられています。人骨の全身骨格がほぼ完全な形で残っているものとしては、わが国では最も古いものと見られています。放射性炭素年代測定も行われており、凡そ2万7千年前の全身骨格の揃ったものとしては、最古の人骨化石と言えます。わが国で最も古い人骨は、那覇の山下町の人骨とされています。2010年2月4日付けの読売新聞によりますと、大腿骨など部分骨「そのものが測定できず、炭化物など周辺物から年代が判...人種とは・日本人の昔を探る(15):中本博皓

  • 人種とは・日本人の昔を探る(14):中本博皓

    人種とは・日本人の昔を探る(14)日本人の昔を探る(その1)旧石器時代人とは(下)1)旧石器時代人について考える際、最近の発掘例を調べて見ることが大切だと思うのです。石垣島の新空港建設で、新たに注目を集めたのが白保竿根田原洞穴遺跡の発見だと思います。この遺跡は、2010年2月4日、新空港建設地内にある白保竿根田原洞穴遺跡で、石垣島の新空港建設にあたって発見されたものです。八重島毎日新聞(2010年2月5日)などを読んで見ますと、人骨千点余りが出土したそうです。また、旧石器時代の骨は少なくとも19体にのぼり、世界屈指の規模でのようです。土井直美さんら白保人骨総合研究グループの専門家によってその後も発掘調査が続けられてきました。最近では、2017年5月19日の日本経済新聞のWEBニュースやその他公表されています資料...人種とは・日本人の昔を探る(14):中本博皓

  • 人種とは、日本人の昔を探る(13):中本博皓

    人種とは・日本人の昔を探る(13)日本人の昔を探る(その1)旧石器時代人とは(中の2)わが国では、旧石器時代といいましても、そんなに遠い、遠い太古の昔の話と言うわけではありません。専門家の先生方が書いておられる文献を読みましても、後期更新世の後半(凡そ3万年前後の昔)くらいです。昨年(2019)行われました国立科学博物館人類史研究グループ長の海部陽介さんのプロジェクトを前提にしましても、日本列島人の起源は約3万年前頃を考えているようですし、いろいろ調べて見ましても、日本列島に人が住むようになったのは、今から4万年前から3万年前頃と考えて良さそうです。その当時、旧石器時代人(新人:通説では、現在の人類と知能・身体がほぼ共通する人類。クロマニョン人など更新世後期の化石現生人類および現在のわれわれを含む人類を総称して...人種とは、日本人の昔を探る(13):中本博皓

  • 人種とは、日本人の昔を探る(12):中本博皓

    人種とは、日本人の昔を探る(12)日本人の昔を探る(その1)旧石器時代人とは(中)考古学の専門家の先生方の中で、素人の目線を非常に大切にされた先生がおられました。わたしも長年ナウマンゾウについて勉強していますので、野尻湖の湖底から発掘される多くの化石、野尻湖人(旧石器時代人)の痕跡などには関心をもっています。野尻湖人の頭蓋骨が、いつの日にか発見されるのではないか、その情報に首を長くして待っているのですが、まだまだ先のようです。そんなわけで、野尻湖の立が鼻遺跡や杉久保遺跡から発掘されている多くの石器や骨器の発掘情報に関しては、わたしもアンテナを張っております。とくに杉久保遺跡の発掘に尽力されたこでも知られる芹沢長介先生のそれまでの日本旧石器時代に関する研究成果は、大戦後間もない頃の岩宿遺跡の発掘に端を発していると...人種とは、日本人の昔を探る(12):中本博皓

  • 人種とは、日本人の昔を探る(11):中本博皓

    人種とは、日本人の昔を探る(11)日本人の昔を探る(その1)旧石器時代人とは(上)日本列島に人が住み、生活の痕跡を証明できる遺跡の発見は1946(昭和21)年のことで、しかもアマチュア考古学者の情熱の結果だったようです。群馬県桐生市のベットタウンと言われていた周辺の東村(勢多郡)、笠懸町(新田郡)、大間々町(山田郡)の三つの町村が2006年の大合併でみどり市となりました。その内の一つ旧笠懸町に日本の歴史を大きく変えることになったことで、考古学の世界では有名になった岩宿遺跡があります。みどり市のHPによりますと、「1946年、切り通しの道となっていた岩宿遺跡を通りかかった相沢忠洋は、切り通しで露出していた赤土(関東ローム層)から、石器を発見」した、とあります。切り通しというのは、山や丘を切り開いて、見通しをよくし...人種とは、日本人の昔を探る(11):中本博皓

  • 人種とは、日本人の昔を探る(10):中本博皓

    人種とは、日本人の昔を探る(10)人種と民族(その7)民族、足元から考える(下)日本の人類学の草分けであった坪井正五郎(1863-1913)は、1884(明治17)年、わが国初の人類学会を立ち上げ、人類学を広めた学者として知られていますが、坪井は、日本の先史時代の先住民(旧石器時代人)であるコロボックル(アイヌ語で蕗〈ふき〉の葉の下に住む人の意味、北千島のアイヌ人)、アイヌ(及び樺太アイヌ)、琉球民族、朝鮮民族・台湾漢人、台湾原住民などを除いた日本列島に住む人間の集合を大和民族と定義しています。坪井正五郎の言うコロボックルは、日本の先住民ではないとする説が有力で、いろいろ議論がなされたようですが、坪井がロシアのサンクトペテルブルクで、腹膜炎(急性穿孔性腹膜炎)を患って客死したことで、結論が得られないまま消えてし...人種とは、日本人の昔を探る(10):中本博皓

  • 人種とは、日本人の昔を探る(9):中本博皓

    人種とは、日本人の昔を探る(9)人種と民族(その6)民族、足元から考える(中)民族と言う概念もまた、「人種」以上に扱い難い問題のように思います。とくに一つの国を取り上げて、その民族について語るとなりますと大変厄介な問題に直面します。高校の先生方が、現場で教える場合も人種の方が教えやすいと言う調査結果を見たことがあります。民族と言う概念は、百科事典で解説されているように、「文化の共同体」としての意味合いで考えるだけでは済まない、複雑な問題が絡んで来るように思います。また、人類学でいう「種族」とか「部族」とか地縁集団の単位で説明するわけにはいかないのです。と言いますのも、他の集団を形成している人々と異なる何らかの文化的と言うか、その生活様式を測ることが出来る「共通項」が必要であり、それをお互いが民族として測れる「指...人種とは、日本人の昔を探る(9):中本博皓

  • 人種とは・日本人の昔を探る(8):中本博皓

    人種とは・日本人の昔を探る(8)人種と民族(その5)民族、足元から考える(上)「民族」の英語として、ethnicgroup、nation、peopleなどと書いてあることが多いのですが、nativeは出て来ないようです。しかしraceは出てきます。ところで、日本の国語辞典で引いてみると、「民族」とは、「言語・人種・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団」のことで、「騎馬民族」「少数民族」などと言う使い方が紹介されているものから、金田一京助、金田一春彦らの編集した三省堂『国語辞典』(第二版、昭和35(1960)年)では、「同じ土地に起こり、同じ言語・宗教をもつ、同じ人種の集まり」とあり、用例として、「大和民族、民族衣装」を挙げてあります。また、新村出編『広辞苑』(第五版・岩波書店、1955)...人種とは・日本人の昔を探る(8):中本博皓

  • 人種とは・日本人の昔を探る(7)

    人種とは・日本人の昔を探る(7)人種と民族(その4)人種、その概念(下)21世紀になって、フランスの分子生物学者ベルトラン・ジョルダンもそうですが、日本でも「人種なんて存在しない」と、言われる「人種否定派」、また「人種差別派」の専門家の先生方が大変多くなったように感じています。その傾向は、グローバル化していることも確かです。もう一昔前になりますが、『人種概念の普遍性を問う―西洋的パラダイムを超えて』という単行本が出版(2005)されたのを覚えています。小生も「種」とか「人種」には昔から関心がありましたので、少しばかり勉強させてもらいました。Ⅰ(総論)及びⅤ(ヒトの多様性と同一性:自然人類学からみる「人種」)の3(日本人の生物人類学者にとって、「人種」とは何なのか?)と4(*生物学的概念としての人種)については、...人種とは・日本人の昔を探る(7):中本博皓

  • 人種とは・日本人の昔を探る(6):中本博皓

    人種とは・日本人の昔を探る(6)人種と民族(その3)人種、その概念(中)人種の概念ついて、いろいろな方々がいろいろな見方をされています。反人種の立場と言いますか、「人種は存在しない」の立場の方々が批判するほど、人種と言う言葉を使っている人々は、相手を見下したり、差別したりすることばかりではないと思うんです。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤きせん上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資とり、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。出所:福沢諭吉『学問のすゝめ』・慶應義塾大学出版会(2009)、6頁。この文は、福沢諭吉の...人種とは・日本人の昔を探る(6):中本博皓

  • 人種・日本人の昔を探る

    人種・日本人の昔を探る(5)人種と民族(その2)人種、その概念(上)前回述べました19世紀のブルーメンバッハの「古典的な人種分類」とは違いますが、現在では、一つの区分と言いますか、カテゴリーに分けていることがあります。人種と言うのは、生物学的な下位分類として、「種」や「亜種」とは異なる概念として受け止めている専門家も多いように見受けられます。人種と言いますと、ヒトを分類する一つの見方と思っていたのですが、遺伝学の研究が進んで、人種の見方も変わってきました。われわれの時代のヒトは、遺伝的には均質的、と考える専門家多くなっていることは否定できないようです。最近の研究の成果を訊ねてみますと、人種という使い方が段々遠のいている感じです。素人の小生には、ブルーメンバッハのように、生物学的に考察した方が、なるほどそういうも...人種・日本人の昔を探る

  • 人種・日本人の昔を探る(4)

    人種・日本人の昔を探る(4)1.人種と民族(その1)人種について人種の問題は、いろいろ難しい考え方が絡んできてまとめるのはすんなりとはいかない、と言うことを前にひと言触れたことがあります。その難しい問題にほんの少しばかりですが触れておきます。最近、いままで勉強してきましたナウマンゾウに関する小論と言いますか、エッセイを口語調と言いますか、このブログを書いている口調、つまり「話し言葉」でまとめてみました。そのとき、ナウマンがゾウ類の分類で用いたドイツの解剖学者にブルーメンバッハ(JohannFriedrichBlumenbach:1752-1840)に触れた覚えがあります。ブルーメンバッハは、ゲッティンゲン大学の教授で、60年も博物学や解剖学を教えていた学者で、近代動物学、解剖学の創始者と言われ、日本でもよく知ら...人種・日本人の昔を探る(4)

  • 人種とは・日本人の昔を探る(3)

    人種とは・日本人の昔を探る(3)はじめに(その3)中国の武漢で新型コロナウイルスが騒がれるようになってから、もう半年になります。世界の700万人が感染し、40万人もの人々が死んでいます。これまでにも私見を述べてきましたが、その被害は免疫力社会と関わっているのではないか、そしてそれは米国にしても、南米のブラジルやヨーロッパの英国、フランス、イタリアなどを見ましても、一部の人種に偏っているような印象を受けるのです。人種の問題は難しい社会問題になる可能性があるだけに余程言葉使いに気を付けないとなりませんから、はっきり言えないのかも知れませんが、小生が調べてきた限りでは、さまざまな統計から明らかになっています。もうそろそろはっきり議論した方がいいのではないか、と思います。たとえば、米国のシカゴの場合、人口に占める黒人の...人種とは・日本人の昔を探る(3)

  • 人種とは・日本人の昔を探る(2):中本博皓

    人種とは・日本人の昔を探る(2)このテーマをはじめるにあたってー免疫力と人種の関係、新型コロナウイルス、素人の戯言ー最近、テキサス大学の医学部のトマース・ガイスバート教授が編集を担当しているVirologyJournal(2020・3・31)のEmergingvirus(新興ないし新出現ウイルス)に関するセクションに目を通す機会がありました。このセクションには、人間や動物に重篤な、または致命的な病気(感染症)を引き起こす、新種および新興ないしは新出現のウイルスのすべての側面をカバーする研究が含まれています。トマース・ガイスバード教授らのグループは、最近もネイチャー誌にエマージング・ウイルスに関する処方に関する提言をしています。なお、前掲のVirologyJournalに例示されていますウイルスの例には、以下のよ...人種とは・日本人の昔を探る(2):中本博皓

  • 人種とは・日本人の昔を探る(1)

    人種とは・日本人の昔を探る(1)このテーマをはじめるにあたって:免疫力と人種の関係、新型コロナウイルス、素人の戯言昨今のウイルス騒動、まだまだ、しばらくの間用心に用心を重ねることが必要です。と言いますと、ところで、ウイルスと言いますと、いまでは新型コロナウイルス(COVID-19)のことだと思うかも知れませんが、必ずしもそうではありません。わたしは、ジャガイモのウイルス病と言うのが大変厄介だったのを覚えています。ジャガイモのウイルス性モザイク病と言いましても、昔は一つのウイルスが悪さしているものと思っていましたが、いまでは6種類のウイルスが見つかっているそうです。何でも進化するものらしいです。所帯をもってからのことですから、大分時が経つのですが、郊外に住むようになり、農家から少しばかり菜園を借りてジャガイモ、な...人種とは・日本人の昔を探る(1)

  • ナウマンゾウの絶滅原因を探る(25)

    ナウマンゾウの絶滅原因を探る(25)ナウマンゾウにしても、マンモスゾウにしても、絶滅した決定的な原因は分かっていませんが、古気候や古(自然)環境の激しい変動といった物理的要因と深く関わっていたのではないかと思います。もちろん、人類との出会いが絶滅のストレスであったことも否定はしませんが、一つの種の絶滅が他の種の絶滅を誘発することが危惧されるのです。たとえば、ナウマンゾウが絶滅したことで、ナウマンゾウの糞によって命を繋いでいた小動物相や昆虫相が絶滅し、また植物の植生が変わることで絶滅した生物もいるでしょう。ナウマンゾウの絶滅原因については、第4章でも言及しましたが、いろいろな原因が考えられます。最近では、最終氷期の最厳寒期の凡そ3万年前、ナウマンゾウの生息環境に大きなダメージを与えるほどの古気候の変動が生じたので...ナウマンゾウの絶滅原因を探る(25)

  • ナウマンゾウの絶滅原因を探る(24)

    ナウマンゾウの絶滅原因を探る(24)絶滅したナウマンゾウのはなし(第三話)絶滅原因論しめくくり(その4)ナウマンゾウなど大型獣の絶滅の原因には、自然環境の物理的ストレスや人類との出会いなど生物的ストレスが考えられます。生物的なストレスには、直接に与えられる影響だけでなく、ウイルスから昆虫までさまざまなストレスが原因で、種の絶滅を招く可能性もあると思います。後期更新世末期に、絶滅したナウマンゾウ、何が原因だったか、人類の関与(過剰狩猟)に求めたい気持ちは分かりますが、決めつけてしまうわけにはいかないのではないかと思います。まさかと思うかも知れませんが、昆虫大発生が大型獣の「種」を絶滅させる原因となることだって考えられます。アフリカ・ケニアの農作物を絶滅させるサバクトビバッタの大群素人目に過ぎないのですが、化石包含...ナウマンゾウの絶滅原因を探る(24)

  • ナウマンゾウの絶滅原因を探る(23)

    ナウマンゾウの絶滅原因を探る(23)絶滅したナウマンゾウのはなし(第三話)絶滅原因論しめくくり(その3)ナウマンゾウなど大型獣の絶滅の原因には、自然環境の物理的ストレスや人類との出会いなど生物的ストレスが考えられます。生物的なストレスには、直接に与えられる影響だけでなく、ウイルスから昆虫までさまざまなストレスが原因で、種の絶滅を招く可能性もあると思います。後期更新世末期に、絶滅したナウマンゾウ、何が原因だったか、人類の関与(過剰狩猟)に求めたい気持ちは分かりますが、決めつけてしまうわけにはいかないのではないかと思います。まさかと思うかも知れませんが、昆虫大発生が大型獣の種を絶滅させる原因となることだって考えられます。素人目に過ぎないのですが、化石包含層序やその地質を綿密に調べることが、絶滅原因を探る上では大切で...ナウマンゾウの絶滅原因を探る(23)

  • ナウマンゾウの絶滅原因を探る(22)

    ナウマンゾウの絶滅原因を探る(22)絶滅したナウマンゾウのはなし(第三話)絶滅原因論しめくくり(その2)ここまで来ますと、若干前述したことを振り返りながらすすまなくてはなりませんので、重複することもありますがご容赦ください。ところで、間氷期には気温が上昇し、高温化で海水面が上昇する海進現象で、ナウマンゾウなど大型の食(草食)動物にとっては、生息域内の草原や広葉林が狭められ、新しい餌場を求めて、生息域の内陸化が進んだとも考えられます。それが内陸での化石の発見に繋がっているようにもえられます。野生ゾウの一日の移動域は相当広く、聞くところでは200㎢にも及ぶのだそうす。高温期の海進現象で海没死を免れ、北上していたナウマンゾウの一群が、彼らの知恵で津軽の海を越えて北の大地にまで生息域を広げていたことだけは事実なのです。...ナウマンゾウの絶滅原因を探る(22)

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