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  • 雪舞<ゆきまい>・神棲む森へ/南阿蘇のギャラリー「聚遠館」の展示から④【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<26>】

    雪舞南国九州の山の村も数年に一度大雪に見舞われ吹雪に閉ざされてしまうことがある山も森も神楽の舞台も白一色に荘厳される時――なに、昔の神楽はこんなものであったよ。と、古老がつぶやき淡々と舞い続ける舞人たち・・・中世の絵巻の世界が現出するのはそんな時だ。神棲む森の一夜神楽が舞い続けられている村の背後に深い森がある夜が更ける・・・神楽笛が響いてゆく森へと向かう男と女がいる――今宵ひと夜はお許しなされ一年に一度、許されぬ恋がみのる夜だ。雪舞<ゆきまい>・神棲む森へ/南阿蘇のギャラリー「聚遠館」の展示から④【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<26>】

  • 風の峠を越えてゆく/南阿蘇のギャラリー「聚遠館」の展示から③【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<25>】

    山へ向かう分かれ道などに草の束や木の花の一枝が供えられた小さな塚がある草木塔という鳥や虫、蛇、獣などが潜み山の神のいます処風の峠を越えてゆく/南阿蘇のギャラリー「聚遠館」の展示から③【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<25>】

  • 星宿神降臨/南阿蘇のギャラリー「聚遠館」の展示から②【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<24>】

    星宿神降臨「宿神<しゅくじん>」とは内雄星宿・神羅万象を支配する自然神神楽の主祭神として米良の山々に伝わる「星宿信仰」について、前回までの記述を一部再録。「星宿」とは、古代中国の天文学による分類で、天球上の太陽の通り道である「黄道」に沿った二十八の星座をまとめた二十八宿をいう。古代の人々は、生命の根源である霊魂は星から来ると信じ、そこから様々な「星宿(星座)信仰」が生まれたのである。星を観測し、星の動きで吉凶を占い、祀って災禍を鎮め、福を招く呪術を展開した。その起源は、遠く夏・殷の時代までたどることができる。伝説の夏王「禹王」は、黄河の治水を行ない、王朝を開いた英雄だが、各地を巡幸する行列を熊皮を着て金色の四つ目の仮面をつけた方相氏に先導させ、4神を従えて進んだという伝承を持つ。ここにはすでに五行思想の原...星宿神降臨/南阿蘇のギャラリー「聚遠館」の展示から②【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<24>】

  • 火の祭り/南阿蘇のギャラリー「聚遠館」の展示から①【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<23>】

    夜の山嶽に一瞬、きらめく白光がある闇に潜む神々を招き出す舞が始まったのだ☆仕上がった作品を金地の古屏風に張り付けてみたら、阿蘇の火祭り「火振り神事」のような画面となった。「猿田彦」と「天鈿女命」を配置するとその印象はさらに増幅し、南阿蘇のギャラリー「聚遠館」の壁面を飾るにふさわしい一点となった。それで、キャプションとしては長い一文を付けてみた。縦180センチ横14センチ。絵の具は墨・染料・インク・漆喰・柿渋・水性塗料などを配合。火の祭り/南阿蘇のギャラリー「聚遠館」の展示から①【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<23>】

  • 南阿蘇のギャラリー「聚遠館」の企画展が始まりました【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<22>】

    標高1500メートルの九重・牧ノ戸峠を越えてゆく時、はるか下方に雷雲の塊が見え、光る稲妻が見えた。雲の上を旅するような光景であった。阿蘇外輪山を下り、北阿蘇谷からまた一つ峠を越えて高森の村に着くとぽつり、と大粒の雨が降って来た。そのあとは、巨大な滝の中へ突入したような豪雨となり、稲妻が縦にいくつも光った。阿蘇外輪山に囲まれた南阿蘇谷特有の気候かと思ったが、地元の人たちも、初めてみる凄さだったと驚いていた。 展示が終わるころにはその雨も上がり、夏空が戻った。長野良市写真ギャラリー「聚遠館」は、7年半の閉館期を終えて、再開・再起動の日を迎えたのだ。長野さんと私は、「由布院空想の森美術館」(1986-2001)の開館時からの付き合いが続く同志のような間柄だ。南阿蘇に住み、地元の風物・人情・阿蘇の四季の移り変わり...南阿蘇のギャラリー「聚遠館」の企画展が始まりました【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<22>】

  • 口笛を吹きながら【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<21>】

    少年が吹く草笛のようなあるいは青年の口笛のようなかすかな音が聞こえている。遠い山脈を越えてくる神楽笛のような響きも混じっている高千穂雨がふっているもうすぐ夜が明ける車にはぎっしりと荷が積み込んである出かけよう高千穂の村々、阿蘇の草原、九重の山脈細雨にけぶり霧が湧き雲が流れる山越えの道を口笛を吹きながら通りすぎてゆこう。故郷の町で、表装・額装を終えた作品を積み込み旧友と会い、夕食を共にし、それから深夜の一般国道をひた走りに走って二十年の歳月をかけて再開した由布院空想の森美術館に行き、一泊して出来上がっ佐多ばかりのパンフレットを荷に加え南阿蘇へと向かう。聚遠館――じゅえんかん素敵な名のギャラリーは地元在住の写真家・長野良市の拠点だ。七年前、同地を襲った巨大地震に自宅は傾いたまま記録と支援に駆け回り三年前、球磨...口笛を吹きながら【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<21>】

  • 芸能神「宿神」を伝えた「踊り村」のこと【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<20>】

    「宿神」については、金春禅竹「明宿集」に『翁猿楽における「翁」自体が芸能神・宿神である、とし、さまざまな神仏もまた「翁」と一体である』と記し、「能楽の祖神である」と明記されている。すなわち、「能楽」の完成以前に「翁猿楽」という芸能が分布し、それが観阿弥・世阿弥という天才の出現によって「能楽」という完ぺきな芸術として完成され、伝わったのである。「明宿集」の宿神論については多くの研究者が様々な角度から論じているので、ここでは詳述しないが、中沢新一「精霊の王」(講談社・2003)は現代の視点からこの明宿集と宿神を照射した快著であった。宿神こそ、万物に宿る精霊の王であり、遠く縄文時代の祖霊信仰にまでその祖型を求めることができる日本列島根本の神観念であるとしたのである。以後は、眼にとまるほどの研究も掘り下げた視点も...芸能神「宿神」を伝えた「踊り村」のこと【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<20>】

  • 米良山系の星宿神「宿神」の分布【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<19>】

    「宿神」について書き出したので、米良山系の神楽に分布する宿神について復習しておこう。*以下の記述はすべて地元の伝承による。米良山系の神楽は、南北朝時代末期に北朝と足利幕府連合軍との決戦に敗れた南朝の武者と南朝方を指示した菊池氏の一党が入山し、随従した芸能者の一行が伝えたとされている。その入山の地点が西米良村「村所」である。最初に懐良(かねなが)親王の一行がこの地に至った地点を「大王出(だいおうずる)」という。高台に土地を観想した所を「相見(そうみ)」という。これらの地名は現存する。地名というものは根拠なく発生するものではなく、何らかの事実が根底にあり、それが説話・伝承とともに伝えられたものである。「相見」などという地名は空想や想像によって創出されたものではなかろう。この西米良村村所に伝わる村所神楽の「大王...米良山系の星宿神「宿神」の分布【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<19>】

  • 米良山系に降臨した星宿神「宿神」とは【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<18>】

    *本文は作業中。米良山系に降臨した星宿神「宿神」とは【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<18>】

  • 遠くへ行かない/誕生日という一日【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<17>】

    朝、起き出して新聞を読む。新聞と言っても、インタネット時代の現代の紙面に書かれているのはほとんどが既知のことばかりであり、「ニュース」ではありえない。それでも新聞を開くのは、信頼できる情報や、記録(昔は新聞の切り抜きが我々の知識・良識の基礎であった)に値する記事があるかどうか、そして、新刊の書籍がどの程度出ており、購入の衝動を起こさせるものがあるかどうか、などを確認するためである。だが、残念ながら、それらの答えはいずれもノー?に近い。新聞の価値は何だったのだろう。新聞はどこへ行くのだろう。そんなことを考えながら紙面を開いたが眼鏡がない。探しまわっていたら、それはなんと、自分の額の上に掛かっていたのだった。――ああ、ついに俺も年寄りになったんだな。と自覚する75歳の誕生日の朝であった。例年、私は誕生日には旅...遠くへ行かない/誕生日という一日【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<17>】

  • さあ、外へ出よう/大樹の下のアトリエで【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<16>】

    3日ほど、台風に降りこめられて家に籠り、旧作の整理や加筆をしていたら、なんとなく、「鬱」とはこんな心と身体の状態をいうのかもしれない、というような心境になっていた。自作の欠点や未熟が目について、次第に不機嫌になっていったのである。禅僧・良寛も、20年に及ぶ厳しい諸国行脚の後に故郷越後に帰り、国上山という修験の山の中腹にある小舎に落ち着いたのであるが、そこは、冬になれば豪雪に見舞われ。夏は暴風雨にも見舞われる過酷な環境の地であった。それでも良寛は晴れた日には乞食に出、子供たちと遊び、文人たちを訪ねる。そして悪天候の日には、一人、草庵で過ごし、古典を読み、詩を作り書をかく。その試作の紙は真っ黒になるほど重ね塗りが繰り返されていた。そして詩は、世俗を憂い、腐敗した宗教界を糾弾し、たび重なる地震や干ばつ・冷害など...さあ、外へ出よう/大樹の下のアトリエで【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<16>】

  • 過去との決別/絵を燃やす時【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<15>】

    台風6号が去って、青空が戻った。風に吹き飛ばされて落ちた枝や葉っぱや板切れなどを集めて焚き火をする。夏の焚き火は暑苦しいと思われがちだが、楠の葉を燃やしていると空間全体に対する防虫効果化があり、蚊やブヨなどが寄って来ない環境が作りだせるのだ。台風に閉じ込められていた三日間、古い作品の整理をした。ここ10年ほど、山深い村々に通い続けて描いた神楽の絵である。描き始めたころは一晩に100枚を仕上げることを自らに課した。力量不足により一時中断していた神楽のスケッチを再開し、修練による技術の習得が必須である、と思い定めたことがその主たる理由だったが、当時、プロ野球大リーグのイチロー選手が3000本の安打を達成し、その折のインタビューに答えた――3000本のヒットを打つためには7000本の凡打があるのです。という答え...過去との決別/絵を燃やす時【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<15>】

  • 気まぐれ台風の置き土産【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<14>】

    台風6号が、大隅半島西方海上をゆっくりと北上している。沖縄北方から大陸へ向かうかと思われたものが、Uターンして逆走し、東へ進路を変えたものの、突然、直角に曲がって北へと進行方向を変え、九州を直撃するコースをたどり始めた。それで大慌てで、由布院から取って返し、屋根の補修や板戸の打ち付けなどの対策を取ったのだが、この気まぐれ台風は、さらに進路を変えて西へ向かい、そこから台風のコースとしては通常といえる九州西岸を北上するコースに落ち着いた。この間、二日間の停滞期があり、現在(9日午前9時)、大隅半島西方にいるのである。幸い、暴風域からは外れ、雨も断続的にふる程度で、我が家(九州民俗仮面美術館)への影響は少なくて済んだ。やれ、やれ。南国宮崎で暮らすには、毎年襲来する台風との付き合い方になれる必要があるが、近年、続...気まぐれ台風の置き土産【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<14>】

  • 気まぐれ台風の行方【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<14>】

    台風6号が、大隅半島西方海上をゆっくりと北上している。沖縄北方から大陸へ向かうかと思われたものが、Uターンして逆走し、東へ進路を変えたものの、突然、直角に曲がって北へと進行方向を変え、九州を直撃するコースをたどり始めた。それで大慌てで、由布院から取って返し、屋根の補修や板戸の打ち付けなどの対策を取ったのだが、この気まぐれ台風は、さらに進路を変えて西へ向かい、そこから台風のコースとしては通常といえる九州西岸を北上するコースに落ち着いた。この間、二日間の停滞期があり、現在(9日午前9時)、大隅半島西方にいるのである。幸い、暴風域からは外れ、雨も断続的にふる程度で、我が家(九州民俗仮面美術館)への影響は少なくて済んだ。やれ、やれ。南国宮崎で暮らすには、毎年襲来する台風との付き合い方になれる必要があるが、近年、続...気まぐれ台風の行方【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<14>】

  • 贅沢な旅・風の旅【空想の森から<165>】

    一昨日、台風6号が、沖縄の北方海上から東へ進路をとったのを確認して、由布院へ行った。9月下旬に迫った【AFA:アートフェア・アジア・フクオカ2023】の出展作の準備、同展の協賛会場となる五会場の企画内容と場所の説明などを記すパンフレット制作の打ち合わせなどを兼ねた小さな旅である。途中、阿蘇の草原と久住高原で、草の花を摘みながら行く。宮崎では梅雨入り直後に咲いてすでに散ってしまっているネムの花が、この地域では満開である。3週間ほどの季節のずれがある。クサギの花も咲き始めている。この花は宮崎と大きな花期の違いがない。草藪の中に咲くコオニユリとクサフジも採集。風に震える草原でユウスゲも得られた。これらの花を、大量に作って余ったものを冷凍して持って行ったカレーに混ぜ込んで、夏の野草と薬草の花煮込みカレーとしたので...贅沢な旅・風の旅【空想の森から<165>】

  • 1ミリの棘【森へ行く道<117>】

    カワトモ君ファミリーと渓谷へ行った日、夕暮れ時まで釣ってやっと1匹を得た。夏のヤマメはそれほどに釣れにくい。カワトモ君はゼロ匹。最後に、私の竿を渡し、絶好のポイントを指示して、後方から見ていると、上流の落ち込みから流心へと流したハリを追ってくる黒い稲妻のような光が目に入った。―来たっ!!合わせろっ!!声をかけると同時に、カワトモの竿が撓ったが、水底でギラリと銀色の光がきらめいて、獲物は反転していた。それから釣り進み、ここが最後、と決めたポイントで竿を振る彼を見ながら、私は小石と川砂が適度に混じり寝転ぶのにちょうど良い平地を見つけて仰向けに寝た。水音が心地よく聞こえ、木立の向こうに夕日を浴びた山脈が見えた。足首から先は冷たい水に浸っていた。その左足首は、2年半前にアキレス腱断裂の大怪我を負ったのだが、そして...1ミリの棘【森へ行く道<117>】

  • 屋根の上の翁【森へ行く道<116>】

    命綱を伝い、屋根に上る。この命綱は、10年ほど前に、この森に通ってきていた黒木アンジン君と一緒に取り付けたものだ。彼は当時、中学生だったが、現在は長崎大学に通う学生となって、神楽と地域再生・地域経済との関連などについて学んでいるという。この森での体験が一本の道筋になって連関しているようで、ちょっと嬉しく、頼もしい。十年という年月は、彼を逞しい若者に育てつつあるが、私はすでに老境と呼ばれる年齢に達し、当時備え付けた命綱も劣化して切れやすくなっている。用心しながら屋根のてっぺんに上がり、綱を補強する。古い木綿の綱に新しいナイロン製のロープを巻き付け、撚りをかけて強度を持たせるのである。屋根の高さはおよそ15メートル。その上部を推定樹齢300年の大楠の枝が覆っている。楠の樹高は30メートルほどもあるだろう。戦後...屋根の上の翁【森へ行く道<116>】

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