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  • 絵が「わかる」ということ [空想の森アートコレクティブ展<´24-1>]-(2)【空想の森から<170>】

    絵が「わかる」ということ[空想の森アートコレクティブ展<´24-1>]-(2)【空想の森から<170>】

  • インフォメーション「空想の森アートコレクティブ展<VOL:1>」展示中です【空想の森から<169>】

    【空想の森ARTコレクティブ】が発足しました。「コレクティブ」とは、「共同するー集合するー収集する」という三つの価値観を集約する概念で、「現代アート」の先鋭的な動向として各地で展開され始めたアートシーンです。 1986年、由布院の地域活動を母体として誕生した「由布院空想の森美術館」(第1期1986〜2001・第2期2018〜現在)が行なってきた活動は、この一点に統括されるという認識をもとに、今回、「空想の森アートコレクティブ」を起動します。このプロジェクトは、「由布院空想の森美術館」の運営に関わってきたスタッフ群と藝術新社漂泊主宰の廣瀨凪里による共同作業を運営母体とします。この母体に由布院空想の森美術館がこれまでに連携して活動してきた各地のミュージアムやギャラリーのオーナー、コレクター、作家などが参加を表...インフォメーション「空想の森アートコレクティブ展<VOL:1>」展示中です【空想の森から<169>】

  • ゼロの一日【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー2>】

    3月14日、なじみの渓谷へ行った。まだ、個人的な解禁日と決めている20日には一週間あるが、今年は暖かい日が多く、山嶺を茫と霞ませて咲く山桜も見えはじめたからだ。解禁日に2匹を釣りあげたカワトモ君に、その感触が残っているうちに次の一尾を上げさせ、釣り師として安定した釣果をあげる「わざ」を身に付けてもらおうという配慮である。が、温みはじめた水に手を入れ、周囲の景色を眺め、竿を一振りしてみたいという欲求が混じっていることも否めない。絵に描いたような渓流を歩き、絶好のポイントを攻めるが、ピクリともアタリがなく、2時間ほど歩いても一匹も釣れない。これは、一昨年の大洪水の影響またはそれにともなう上流部の河川工事の影響によるものと観察し、別の谷に入る。私は、大岩之連続する谷をすでに2時間歩き、急な斜面を攀じ登って来たこ...ゼロの一日【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー2>】

  • クロモジ〈黒文字〉の花に小雪【空想の森から<168>】

    3月20日。クロモジの花が咲いた。例年より少し早いな、と思って見ていたら、にわかに雲影が走り、小雪が降ってきた。春の雪の向こうに由布院の山野が霞んでいる。寒い。先々週に続き、急遽由布院へ来ているのは、「空想の森アートコレクティブ」の立ち上げの目途がつき、そのデータ整理と作品の写真撮影のためだ。「コレクティブ」とは、「共同する・集合する・収集する」という三つの価値観を総合したような概念で、現代アートのジャンルで急速に拡大しつつある潮流といえるだろう。私は、昨年の「アートフェア・アジア・フクオカ23」に参加して、若いアーティストたちと行動を共にしたことで、これを学んだ。そして、その一点に集約されつつある現代美術の価値観とは、私どもがおよそ40年にわたり一貫して行ってきた活動そのものではないか、と総括でき、なら...クロモジ〈黒文字〉の花に小雪【空想の森から<168>】

  • 谷川晃一さんさようなら

    谷川晃一さんの訃報が届いた。まだ言葉と気持ちが整理できていないので、「アートスペース繭」さんの投稿をシェア。1988年から5年間続いた「アートフェスティバルゆふいん」に参加して下さり、その後、「この美術展の方法は面白い」と「伊豆高原アートフェスティバル」に引き継いで下さったのが谷川さんだった。以後、同フェスティバルは30年以上の年月を重ねて全国に普及した「地域美術展」のテキストとなった。その過程でアートスペース繭の梅田美知子さんとの出会いもあった。谷川さんさようなら。宮迫さんとお会いになったら、僕たちの掲げた旗は梅田さんや高見君たちが受け取ってくれるでしょう、と話し合って下さい。以下は「アートスペース繭」主宰の梅田美知子さんのフェィスブック記事(画像も同記事から)。☆10日に谷川晃一さんが亡くなられました...谷川晃一さんさようなら

  • 爽やかな春の色が染まった/´24山桜染めワークショップ(3)/【友愛の森里山再生ARTプロジェクト2024<5>】

    ◇3月10日、山桜染めのワークショップでは爽やかな春の色に染まりました。◇次回のコミュニティスペースCasaCoso森/3月16日・17日の企画は16日の受け付けは締め切り、17日の山桜染めワークショップだけを実行します。☆◇山桜で絹のストールを染める/かさこそ森に集まり、染めます。◇実施場所コミュニティスペースCasa-Coso森西都市穂北5248(担当・高見/右下)◇実施日2024年3月17日(日曜)・作業時間AM10;00-PM3:00頃まで◇参加費3000円・染めの素材(絹のストール・マフラーなど1000円~5000円)は別途で販売します。染めたい素材の持ち込みはご相談下さい。◇中学生以下の子供さんは参加費無料(一回の定員15人)。サポーター(お父さんなど)も参加無料。いずれも要予約(素材の準備の...爽やかな春の色が染まった/´24山桜染めワークショップ(3)/【友愛の森里山再生ARTプロジェクト2024<5>】

  • ´24山桜染めワークショップ(2)/【友愛の森里山再生ARTプロジェクト2024<4>】

    明日(3月10日)、今季第一回目の山桜染めを実行します。昨日、山越えの峠道から一枝をいただいてきました。険しい山道の路肩から崖下へとなだれ落ちる岩場に映えている巨樹の、道に差し出た一本です。これは国土交通省の管轄下にあるものなので、「山主」を探し回る必要がない。役所に届けても面倒がられるだけなので、山神に挨拶だけしてそっと一枝だけをいただくのです。今晩から明日の朝まで、米良山中では「湯の片神楽」が18年ぶりに開催されます。私はそれを徹宵で観て、明け方山を下り、染めの作業に取りかかります。参加の枠がまだ少しあります。飛び入りも歓迎です。早春、蕾を一杯にふくらませた「山桜」の枝を採取して染める「山桜染め」は「山神の恵みの色」と呼ばれます。桜は、花が開く直前のわずかな期間だけ、染料として利用できるのです。古代、...´24山桜染めワークショップ(2)/【友愛の森里山再生ARTプロジェクト2024<4>】

  • パソコンを忘れた旅

    パソコンを忘れて由布院に行ったので、通信も情報の発信もできない3日間でした。南阿蘇経由で、絵画作品をぎっしり積み込み、先ほど宮崎に帰って来ました。由布院での収穫は追々報告します。明日(8日)から湯之片神楽取材モードです。パソコンを忘れた旅

  • カワトモ君の初ヤマメ【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー1>】

    里の山桜の開花が始まった。2月の初旬から中旬へかけて暖かい日が続き、断続的に雨が降ったので、例年より習慣も早く、蕾が開き始めたのだ。昨日(3月1日)、一ツ瀬川沿いの道を遡行し、入渓。私は、ヤマメ釣り解禁直後の谿へは入らない。そのことはこれまでに何度も書いているので、文中に付記することにして、まずは春の渓谷での素敵な出会いのことを書こう。岸辺に山茱萸<サンシュユ>の花が咲いていた。上流部に中世の名残をとどめる古い村があるから、いつの時代にか、持ち込まれ、栽培されていたものの子孫がここに流れ着き、野生化したものだろう。黄色い小さな蕾が、山郷の春の訪れを告げている。 *本文の続きは作業中。*以下は修正中。私は、ヤマメ釣り解禁直後の谿へは入らない。冬越しのまだ体力を回復していない魚たちとの「勝負」はあまり愉快では...カワトモ君の初ヤマメ【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー1>】

  • ´24山桜染めワークショップ(1)/椿の枝葉を燃やし灰を採り、灰汁(アク)を得る【友愛の森里山再生ARTプロジェクト2024<4>】

    山桜の染めには、媒染材として椿の灰汁が最適です。ただ、その椿から灰汁を採る作業は結構ハードなのです。わかりやすく言うと、椿の枝葉1トントラック1台分ほどを燃やして得られる灰はバケツ2~3杯分ほど。その燃やした熾火が燃え尽きてしまうまでには2日~3日かかります。その間、3時間おきぐらいの間隔でかき混ぜ続け、酸素を供給して燃え尽きるのを待ちます。夜もそれを続けます。それをお湯に溶かして上澄みをすくい取り、初めて灰汁が得られるのです。椿の枝葉は手に入りにくい。私どもは20年前に移植した100本ほどの椿を大切に守り続けてきて、その横枝をいただきます。これは森の景観を作り、森を育てていく作業とも重なっています。今回、20年前に得た灰の「焼き返し」を行ないました。古くなって湿気がきたり、酸化が進んだりした灰を焚き火と...´24山桜染めワークショップ(1)/椿の枝葉を燃やし灰を採り、灰汁(アク)を得る【友愛の森里山再生ARTプロジェクト2024<4>】

  • 18年ぶり、尾八重「湯之像(湯之片)神楽」開催のお知らせ 【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<35>/2024MIYAZAKI神楽紀行】

    ご案内は、「尾八重神社」のフェィスブックからの転載です。「湯之像(湯之片)神楽」は、尾八重神楽の源流と伝えられる神楽で、今年の大祭は18年ぶりの開催となります。私(高見)は前回拝観し、ここに究極の山地神楽がある、これで見納めか、生きているうちにもう一度観る機会はないのだろうか・・・と惜しんだものです。それが今回(3月9日)大祭として実施されるということで、喜び、感激を新たにしているところです。写真は当時(2008年)の筆者撮影分。神楽は尾八重神楽の祝人さんたちがつとめます。古式の儀礼も催行されるようです。私はぜひ行き、全身全霊を込めて描きます(張り切りすぎてずっこけないように用心)。まずはお知らせです。☆上記神楽取材のため3月9日に予定していた「山桜染め」のワークショップは、10日に順延し、まとめて行いま...18年ぶり、尾八重「湯之像(湯之片)神楽」開催のお知らせ【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<35>/2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 海潮の音を聴きながら ――画中遊心の夢――/日南市北郷・潮嶽神楽にて【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<35>/2024MIYAZAKI神楽紀行】

    明け方に見る夢は、熟睡と覚醒の間を行き来しているからかもしれないが、現実感のある場面と過去の体験も空想の領域をも超越した非現実の空間が交錯していて愉快である。今朝がたに見た夢も、そのようなふわふわと宙空を漂うような、あるいは海潮の流れのままにどこまでも漂い流れてゆくような、浮遊感に満ちたものだった。海の見える高台の草地に座って、ただ沖を行く大型の船や、眼下にみえる入り江の小さな漁港などを見ている老翁がいた。翁の傍らには閉じられた一冊の本があった。そこへ、大きなキャンバスと油絵の道具を持った一群の若者たちが現れて、スケッチを始めた。彼らは思い思いに空や海や漁村、そこを歩く人々や猫のいる港の風景などを描き始めるのだが、そのグループには数人のリーダー格の人物たちがいて、――セザンヌならば、風景を線ではなく面で捉...海潮の音を聴きながら――画中遊心の夢――/日南市北郷・潮嶽神楽にて【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<35>/2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 「楮<こうぞ>」のオブジェで森の入り口の看板と照明器具が出来上がった【友愛の森里山再生ARTプロジェクト2024<3>】

    *昨日の記事の続き。*本文は作業中。 「楮<こうぞ>」のオブジェで森の入り口の看板と照明器具が出来上がった【友愛の森里山再生ARTプロジェクト2024<3>】

  • 森を整備し「楮<こうぞ>」を採集してオブジェを造り、森の入り口に展示した【友愛の森里山再生ARTプロジェクト2024<2>】

    「友愛の森里山再生ARTプロジェクト」の活動を再開。私どもがこの地へ越してきた22年前から少しずつ進めてきた仕事の再開である。最初の2年間は、私が一人で森に入り、大木を伐り倒し、山道を作って運び出す作業をした。由布院で起こった「町づくり」と呼ばれた運動に参加し、「由布院空想の森美術館」を設立して「町全体がミュージアム」と見立てたアートプロジェクトを実行し、さらに全国各地を廻った「わたくし美術館」と「地域アート」の活動などは空想の森美術館閉館という痛恨事とともに消滅した。けれども移転してきたこの森は、私に再起へのステージを用意してくれていたのである。一人で森に入り仕事をしていると、雑念は消え、傷ついた精神は癒されて、再び歩き始める気力が湧いて来たのである。3年目から鈴木遼太郎君が来た。森の仕事を継続し、小さ...森を整備し「楮<こうぞ>」を採集してオブジェを造り、森の入り口に展示した【友愛の森里山再生ARTプロジェクト2024<2>】

  • 山嶽風雪/胸中の神楽①【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<34>/2024MIYAZAKI神楽紀行】

    【雪舞/山嶽風雪】源平の昔・・・九州脊梁山地の深部まで野を越え山を越えて平家の落人たちを追って来た源氏の追討史たちも、――この奥に棲み処はあるまい・・・と追跡を終えて引き返したという地点がある。ところが、さらにその山の向こうに古式の習俗を残す村があるのだ。冬になれば厳しい風雪に閉ざされてしまう村に神楽が伝わっている。山中の神社での神事の後神楽宿に下った一行が一夜をかけて舞い継ぐ神楽には悠遠の時を刻んだ史実が秘され、村人の生活が投影された神と人との交歓の場となって銀白の夜が更けてゆく。山嶽風雪/胸中の神楽①【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<34>/2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 山神の恵みの色/山桜で染めるワークショップ【友愛の森里山再生ARTプロジェクト2024<2>】

    [2024山桜染めワークショップのご案内]*画像は編集中です。早春、蕾を一杯にふくらませた「山桜」の枝を採取して染める「山桜染め」は「山神の恵みの色」と呼ばれます。桜は、花が開く直前のわずかな期間だけ、染料として利用できるのです。古代、日向神話を彩った木花咲邪媛(コノハナノサクヤヒメ)は、春を寿ぐ花の精といわれますが、山桜こそ、その花にふさわしい。山の神からいただいた桜の枝と蕾は、さわやかな桜色をまとった絹布を生んでくれるのです。友愛の森里山再生ARTプロジェクトの森にはもともとこの地に自生していたり、この20年の間に植栽されたりした山桜があり、春が訪れるたびに見事に開花し、私たちの眼を楽しませてくれています。これらの桜の木々は、台風被害により倒れたり傷ついたりしたものもあります。里山の再生は、それらの植...山神の恵みの色/山桜で染めるワークショップ【友愛の森里山再生ARTプロジェクト2024<2>】

  • 森を整備し「楮<こうぞ>」を採集してオブジェを造る&春一番の山菜を食べる【友愛の森里山再生ARTプロジェクト2024<1>】

    二年連続してこの森を襲った台風と、その後のコロナ過の3年間、中断していた「友愛の森里山再生ARTプロジェクト」を再開します。現在、カワトモ君と私・高見の二人で森に入り、作業を始めていますが、この企画から、参加者の募集を始めます。森はかなり荒れており、猪たちの荒らした(彼らにとっては生活の跡)が見られ、ますが、少し手をいれれば、豊かであたたかな里山の森が回復するのです。この森へ通いはじめて3年目となるカワトモ君は、逞しい少年となり、大木を伐り、運び出す作業なども楽々とこなしています。プロジェクト再開第一回目の企画として【森を整備し「楮<こうぞ>」を採集してオブジェを造る&春一番の山菜を食べる】を実施します。森の散歩道を再整備する過程で採集した楮でオブジェを造ります。これは籠状の球体で看板を設置したり、灯りを...森を整備し「楮<こうぞ>」を採集してオブジェを造る&春一番の山菜を食べる【友愛の森里山再生ARTプロジェクト2024<1>】

  • 展示替え完了。【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<33>/2024MIYAZAKI神楽紀行】

    今季の新作を中心に「友愛の森空想ギャラリー」の展示替えをしました。☆私・高見は昨日(2月11日)の日南市北郷・潮嶽神楽で半切サイズ10枚の収穫(別項で報告)を得て、「春神楽」の取材に入っています。平日は自宅(九州民俗仮面美術館)で絵の仕上げをしているか、カワトモ君と森の作業をしています。ギャラリーにお越しの方で、作品や神楽の現場で描くことなどについての解説や説明、アート談義などをご希望の方は電話090-5319-4167にご連絡下さい。3分ほどで参上いたします。直接、仮面美術館の方へおいで下されば、仮面コレクション、仕上げと製作途中の作品のあるアトリエなどをご覧いただくこともできます。 *写真は黒木彰子さん+右下友子さん。いただいた画像をトリミング、明暗の調整などの加工をしました。  展示替え完了。【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<33>/2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 宮崎の春神楽を見よう! 【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<32>/2024MIYAZAKI神楽紀行】]

    遠くて寒くて煙たくて眠いけれど、神々とともに過ごし神秘の世界を体感する「夜神楽」のシーズンが終わり、春神楽の季節となりました。宮崎平野から日南海岸沿いの町や村、海辺の村などに分布している「春神楽」は「作祈祷神楽」とも呼ばれ、田起こしから種まき、秋の実りと収穫の様子までを早春に演じて豊作を祈願する「予祝儀礼」と呼ばれる農耕神事です。「注連引き鬼神」「御笠鬼神」「田の神」などが出て、農事にまつわる演技をします。「嫁女面」「直舞・曲舞」などは性的な所作がからむ道化神の舞で、豊作と子孫繁栄を祈願します。「杵舞」「箕舞」は収穫の儀礼。これが終わると盛大な餅蒔きがあります。のどかな陽射しの下での神楽鑑賞は、凛とした夜神楽の魅力とはまた違った楽しみがあります。梅の花の香を楽しみながら、私は描き続けます。以下、私・高見が...宮崎の春神楽を見よう!【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<32>/2024MIYAZAKI神楽紀行】]

  • 諸塚・南川神楽/「荒神問答」と「舞荒神」による舞い収め【「神楽を伝える村へ」<32>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    【荒神問答】三体の荒神は、それぞれ神主と長い問答をする。荒神は、自分たちの支配する山・森・村などに無断で入り込み舞台をこしらえ賑々しい祭りを行なっていることに怒り、異議を申し立てるのである。これに対し渡来の祭祀者たる神主は太陽神・天照大神が岩戸にこもり、この世が闇に閉ざされたため再来を請う神事を行っているのだと理(ことわり)を述べる。これ以後、延々1時間に及ぶ問答があり、その過程で神楽の由縁や神仏の集合、四季五行の法則、宇宙星宿の運行と神楽の関わりなどが解き明かされて荒神は怒りを収める。そこへ村人が徳利と盃を持って登場し、和解が成立して神楽が再開されるのである。 【地主神・舞荒神が舞い収める】三宝荒神と神主との和解が成立すると最後に二体の舞荒神が出て、舞い収める。諸塚では「七荒神・八稲荷」といわれ、村ごと...諸塚・南川神楽/「荒神問答」と「舞荒神」による舞い収め【「神楽を伝える村へ」<32>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 諸塚・南川神楽/「七荒神の物語」②「舞荒神」降臨【「神楽を伝える村へ」<31>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    「舞荒神」とは集落ごとに祀られる土地の氏神。村の背後の荒神森や巨岩の脇、巨樹の根方などに鎮座する。神楽の場には集落ごと、家ごとに伝わる神面を付けて降臨する。諸塚・南川神楽/「七荒神の物語」②「舞荒神」降臨【「神楽を伝える村へ」<31>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 諸塚・南川神楽/「七荒神の物語」【「神楽を伝える村へ」<31>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    南川神楽「七荒神」のスケッチが仕上がりました。35センチ×135センチ+タイトルで約10メートルの絵巻です。まずは全体像を俯瞰し、次回から個別の開設をアップします。 諸塚・南川神楽/「七荒神の物語」【「神楽を伝える村へ」<31>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 神楽の一夜が更けてゆく【「神楽を伝える村へ」<31>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

     *画像と本文記事は作業中。神楽の一夜が更けてゆく【「神楽を伝える村へ」<31>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<30>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】冬神楽の最終章、終了。

     諸塚村南川神楽から帰って来ました。これで今季の冬神楽の取材を終えました。その間に、左足の骨折が治癒。神楽宿と駐車スペースの間の約200メートルの坂道を7回往復。それでも痛みは出ていません。やや怪しくなっていた頭部の症状も鳩尾のしこりも消えています。合計10座の神楽(徹夜を6座、昼神楽と夜中に終わった神楽が4座)を観て、元気です。南川神楽は4年ぶりの開催。久しぶりに常連の客や村人、伝承者の皆さんなどと会い、堪能しました。のちほど、その様子をアップしますが、まずは無事シーズン走破の報告です。*写真は諸塚村観光協会と高見剛(筆者の弟)の記事から転載(一部仮面をアップに加工)。 神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<30>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】冬神楽の最終章、終了。

  • 明日(2月3日)、諸塚村・南川神楽へ【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<29>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    今季の冬神楽探訪の最終章です。雨模様ですが、出かけます。諸塚村・南川神楽は5つの集落の回り持ちで開催されます。今年は小払集落での開催。小払地区は、南川神楽が伝わった源流の地と言われており、当日(3日)の神楽宿となる地区の集会所へ向けて、地区に伝わる20体以上の神面を付けた行列が舞い入り、翌日(4日)の午前10時頃まで舞い継がれます。夜半を過ぎる頃、「舞荒神」が出て、そのあと「三宝荒神」が出て、大いに盛り上がります。神楽の伝来の形や仮面の伝承、古式の装束など見どころの多い神楽です。目下、雨の対策として御神屋周辺のテント張りなどが行われているという情報が入っています。雪や凍結の恐れはないようですが、雨具などの用意をしてお出かけ下さい。 明日(2月3日)、諸塚村・南川神楽へ【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<29>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 剣豪の一筆/宮本武蔵:枯木鳴鵙図【かさこそ森の読書時間<13>】

    吉川英治著「宮本武蔵」に、諸国行脚の途次、秩父の三峯神社に立ち寄った武蔵が、そこで奏されている「神楽」を観て、太鼓の撥さばきに啓示を得て、二刀流すなわち二天一流という他に例を見ない剣法の極意に達したという記述がある。すなわち、太鼓を打つ奏者は、両手に撥を採り、打つのだが、音は一つとなり拍子(リズム)を刻んでゆく、武士たるものも両手を使い、二刀を自在に操ることにより、その剣心が一点に集中してゆく剣技を磨けば、一刀のみを片手で遣い、他の一刀を腰に差したまま片方の手を遊ばせておくよりも合理的だと考えたのである。これについては、少年期に故郷の神社で祭り太鼓を見てその真似をしたことが祖型にあるという伝承もあるらしいが、これはいわゆる伝説の後付けであろう。いくら天才少年でも棒を振り回して喧嘩をしていた子供のころに二刀...剣豪の一筆/宮本武蔵:枯木鳴鵙図【かさこそ森の読書時間<13>】

  • 剣豪の一筆/宮本武蔵:枯木鳴鵙図【かさこそ森の読書時間<13>】

    吉川英治著「宮本武蔵」に、諸国行脚の途次、秩父の三峯神社に立ち寄った武蔵が、そこで奏されている「神楽」を観て、太鼓の撥さばきに啓示を得て、二刀流すなわち二天一流という他に例を見ない剣法の極意に達したという記述がある。すなわち、太鼓を打つ奏者は、両手に撥を採り、打つのだが、音は一つとなり拍子(リズム)を刻んでゆく、武士たるものも両手を使い、二刀を自在に操ることにより、その剣心が一点に集中してゆく剣技を磨けば、一刀のみを片手で遣い、他の一刀を腰に差したまま片方の手を遊ばせておくよりも合理的だと考えたのである。これについては、少年期に故郷の神社で祭り太鼓を見てその真似をしたことが祖型にあるという伝承もあるらしいが、これはいわゆる伝説の後付けであろう。いくら天才少年でも棒を振り回して喧嘩をしていた子供のころに二刀...剣豪の一筆/宮本武蔵:枯木鳴鵙図【かさこそ森の読書時間<13>】

  • 剣豪の一筆/宮本武蔵:枯木鳴鵙図と五輪書【かさこそ森の読書時間<12>】

    *五輪書の画像は作業中。江戸期の剣豪・宮本武蔵に関する資料は、30歳までの決闘・決戦の記録・伝聞以外は、50歳を過ぎて各地の大名のもとに現れ、60歳になって肥後細川公の客分として招かれてその地で没するまでの二年余りの時期の他は皆無に等しく、現在武蔵象として定着している剣豪・豪傑談は、後世のフィクションによるものが多いのだという。唯一、確かな資料は武蔵筆になる「五輪書」だけだという研究者もいるほどである。掲出の「五輪書」にはその武蔵筆の「五輪書」全文と、兵法二十六ケ条、没後130年ほど後に伝聞・伝承・聞き書きをもとにまとめられた「二天記」が収録されており、参考になる。これを通観すれば、吉川英治はこれらの資料をもとに文豪としての筆によって、武蔵象を創造し、その実像に近づき、さらにはその筆力染ま物を武蔵と同化す...剣豪の一筆/宮本武蔵:枯木鳴鵙図と五輪書【かさこそ森の読書時間<12>】

  • ここに「国民文学」があった/吉川英治の宮本武蔵【かさこそ森の読書時間<11>】

    大量にご寄贈いただいた書籍類を整理していて、吉川英治の宮本武蔵(昭和5年・初版、昭和37年・14版/中央公論社)を手に取ると、外函はボロボロに傷んでいて、カビさえ発生し始めていた。これは、燃やすしかないかな・・・と思いながら中身を出してみると、真っ赤な布地に黒々とした文字が陰刻された立派な装丁の本だった。それで、何気なく読み始めたのだが、これは無類に面白い。これまでに一度は読み(たぶん少年向けの本だった)、映画がテレビ化されたものを見ている(三船敏郎・武蔵、八千草薫・お通さんという配役だった)ので、うかつにも武蔵については既知のこと、そして吉川英治の宮本武蔵は大衆娯楽文学(今でいうエンターテインメント)の範疇で私は把握していたのである。ところがどうして、本書に描かれる武蔵は、ただの乱暴者ではなく、厳しい修...ここに「国民文学」があった/吉川英治の宮本武蔵【かさこそ森の読書時間<11>】

  • 時には骨折してみよう/やさしい国で生きてゆく(2)【森へ行く道<133>】

    鶯の初鳴きを聴いた。前庭と山との境でなかば野生化した梅の木に花がつき、ほのかな香りが漂う。寒波が去った南国の春は、北国の人や能登地震の被災地の皆さんの苦労を思うと申し訳ないような気になるが、これはこれ、住んでいる土地の特性だから、ご容赦願おう。江戸後期の本草家(医者)で越後から津軽、蝦夷地までを旅した菅江真澄は、津軽を歩いた時、たび重なる飢饉の影響で、飢え、餓死したものも多く、路傍に積み上げられたしゃれこうべ(髑髏)と白骨や牛馬の死肉に包丁を持って群がる血だらけの女たちなどを目撃する。これ以上の記述は転載を躊躇するほどの、生き地獄を見たのである。真澄はそこから先へは旅を続けることが出来ずに越後へと引き返すのだが、これほどの惨状に見舞われた津軽の人たちでも、屈することなく立ち上がり、再生し、林檎の産地として...時には骨折してみよう/やさしい国で生きてゆく(2)【森へ行く道<133>】

  • やさしい国で生きてゆく(1)【森へ行く道<132>】

     妹尾直子さんのフェィスブックから記事と画像をいただきました。☆今年も無事に楮の皮剥きが終わりました。小さな取り組みに参加してくださった皆さま。皮剥きは予定より早く終わり、皮になったその後の楮のお話しをして、穏やかな時間を共有させていただきました。その後のお話しというのは、楮はこの後、表面の黒皮と甘皮を刃物で取り除き、白皮に仕上げます。この白皮が、糸になり、樹皮布になり、紙になり、紙の次は紙布になり、、、、、。皮剥きは「みんなでやること」に向いていると改めて思いました。手仕事の始まりの作業で集まったドネーションは、そのまま能登の手仕事を応援する場所へ送らせていただきました。本番前の準備作業に立ち寄ってくださった方々にも心から感謝いたします。さあ、今年もこの皮で叩いて漉いて、糸づくりです!  妹尾さんは、当...やさしい国で生きてゆく(1)【森へ行く道<132>】

  • 森の治癒力【森へ行く道<131>】

    北の国から届く大雪の情報と、能登半島地震の被災地の状況などに心を痛めながら、森へ行く。江戸後期、雪深い越後の国の山中の草庵で暮らした禅僧・良寛も天明の大地震に遭遇し、心痛を吐露した詩がある。ひとたび大雪が降り、積もれば、地震で揺れ、傾いた家はひとたまりもなく崩れ落ちるというのである。被災地の苦難は、昔も今も大きな違いはない。けれども、情報は瞬時に伝達・共有され、飛行機や重機などの文明の利器もあり、自衛隊やボランティアの人々など、人手も少なくはないというのに、迅速に対応できないのはなぜか。例えば万博を中止してその予算を能登地震の復興に回したらどうか、とか、パトリオットなど戦争の道具を買う約束をキャンセルしてそのお金を能登に振り向けたらどうか、政治家が「裏金」という庶民から見たら不愉快きわまる名目でネコババし...森の治癒力【森へ行く道<131>】

  • 春の森へ【森へ行く道<130>】

    庭先の日本水仙が満開で、梅の花も例年より2週間も早く咲き始めた。あたたかな南国の春である。一昨日までの雨も上がり、すっきりと晴れた空が戻った。カワトモ君と森へ行く。小学6年のころからこの森へ通ってきている彼も今年の秋には15歳になるという。体格も立派になってきて、森の仕事も良くこなすようになってきた。大木を一本、切り倒し、運び出す。その跡の切畑で何を育てようか。米良大根の種を撒き、里芋の親芋を埋め、森のあちこちに芽生え始めている水楢<ミズナラ>や小楢<コナラ>の実生の苗木も移植しよう。それから、2年続けて台風に直撃され、そのあとコロナ過によって人が集まりにくくなって中断している森のアートプロジェクトを再開しよう。そんな会話が出来るようになった、不登校中学二年生のカワトモ君である。この森が、彼にとっての学校...春の森へ【森へ行く道<130>】

  • 女面の舞と女性芸能の源流への旅【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<28>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    私はこれまでに神楽おける「女面の舞」と「女性芸能の源流」について、複数の視点から考察する旅を続けてきた。だが、その旅は、いまだ終着点には至っていない。このテーマは、すでに柳田国男が論じているし、多くの民俗学や歴史学の収穫があるが、その道は途中で途切れている。その中で、最も信頼がおける記述は宮本常一「女の民俗誌」(岩波現代文庫/2001)に収録された「女性と信仰」の一文であろう。全国をくまなく旅した宮本氏の視点は明快で、事象の本質を鋭くついている。短い文だがさらに要約して再録しておこう。『古く神の祭祀は女性の手にあった。由来、原始宗教ははなはだ呪術的であって、女性が性格的にこれに適していたために祭祀にあずかったのである。もう一つは、食物の管理が女性の手に会ったことも原因であった。』この論点を基底として、ノロ...女面の舞と女性芸能の源流への旅【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<28>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 「奥方様」は山の神/米良山系の神楽の女神信仰【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<27>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    山中深く伝えられてきた「狭上(さえ)神楽」を訪ねた帰り、同行の俳人・石地まゆみ君が――稲荷様の奥様って、なんという神様かしら・・・?と言い、インターネットで検索したが、明確な答えは見つからず、大山祇命の奥方「ノヅチノカミ」が、検索された。狭上神楽は、狭上稲荷神社に伝わり、稲荷神を主祭神とし、鬼神面の稲荷神に続いて奥方様、眷属様の狐面の神さまなどが次々に降臨するのである。狭上稲荷神社の裏手は山脈の頂上に当たり、大山祇命の陵墓と伝えられる古墳がある。古墳の背後は、修験の行場であったと思われる岩山が聳えている。この神楽は古来の山岳信仰と南朝の落人伝承を基底とし、土地の古代伝承を織り交ぜながら伝えられてきたものである。すなわち、狭上の稲荷様は大山祇命伝承と習合し、修験道や狩猟伝承、山の神信仰などが混交しながら米良...「奥方様」は山の神/米良山系の神楽の女神信仰【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<27>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 美しき女面の舞/かんなぎ【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<26>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    *本文は作業中。美しき女面の舞/かんなぎ【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<26>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 高鍋三納代神楽の一夜【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<25>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    今季の神楽取材はハードなスケジュールがいるので、近場の高鍋・三納代神楽へ行った。あまり無理をしないという前提なので、なんとなく集中力を欠く拝観となったが、若い伝承者たちが育ってきていて、見どころがあった。そして、思わず描いて、大小あわせて7枚のスケッチを得た。これから文字入れをして仕上がりを楽しもう。高鍋三納代神楽の一夜【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<25>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 2024年の神楽取材スケジュール【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<24>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    2024年の神楽の日程が公表され始めました。私・高見は以下の日程で出かけ、描き続けます。現地合流歓迎です。◇高鍋神楽「六社連合大神事」新富町三納代(みなしろ)神社にて・1月13日午後7時~14日午前8時頃まで高鍋神楽は、旧高鍋藩領内の神社で伝承、奉納される比木神楽系、三納代神楽、都農神楽を中心とした神楽の総称で、木城町、高鍋町、川南町、都農町、新富町(一部地域)の東児湯5町と美郷町(旧南郷村)で奉納されています。比木神楽系は、木城町、高鍋町、川南町の3町及び美郷町に伝承される神楽で、木城町鎮座の比木神社を始め同3町の各神社の祭礼、または年番で執り行われる「六社連合大神事」や神門御神幸祭(師走祭り)などで奉納しています。舞い様は高尚優美、且勇壮活発なのが特徴です。今年はの「六社連合大神事」は新富町「三納代神...2024年の神楽取材スケジュール【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<24>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • KIMONO・アート・手の記憶/´24新春 KIMONOコレクション ―「きもの」の民俗誌―<7>【コミュニティースペースCaso-Coso森にて】

     「きもの」は美しい。私は、それが単に女性が身に纏う「衣類」としてだけ取り上げてきたわけではなく、一点のアートとして、また、「縄文」から現代に至る「衣の文化」「着物の民俗誌」と把握して、収集と展示を続けてきたものである。いったい、これらの衣類は、どのような技術で、誰の手によって生み出されたのか、産地はどこか、布の組成や素材は何か。知りたいことは次々と出てくるのである。かつて、工業デザイナーの秋岡芳夫さんは、「日本の女性の手は、数グラム単位の重さの違いを判断することができる。例えばお箸の売り場で、これはお父さんのお箸、これは長男、これは次女、そしてこれは自分の分というように、手で重さを測り、瞬時に判断を下せるのである」と言った。それは「衣類=布」についていえる。着物類を展示しながら、そのジャンル分け歩してい...KIMONO・アート・手の記憶/´24新春KIMONOコレクション―「きもの」の民俗誌―<7>【コミュニティースペースCaso-Coso森にて】

  • 襤褸<BORO>の美学/´24新春 KIMONOコレクション ―「きもの」の民俗誌―<6>【コミュニティースペースCaso-Coso森にて】

    昔、といっても30年ほど前のことだが、当時運営していた「由布院空想の森美術館・木綿資料館「雑巾はアートである」という企画展を開催し、賛否両論の渦を巻き起こしたことがある。その「ぞうきん」とは大分県佐賀関半島の突端の漁師町の空家を改装してギャラリーとしていた若者から買ったのである。納屋の隅の板箱に一杯に詰め込まれ、捨てられようとしていたそれは、木綿の布切れを丹念に継ぎ合わせ、刺し子を施し、雑巾に仕立て上げて使い込まれたものであった。藍の色が褪めて浅黄色になったものや、古絣、型染めの良品なども混じっていた。私はその時、ひと箱1万円で買い、持ち帰り、木綿資料館の壁面一杯に飾ったのである。来客からは、――そんな、お金を払って入る美術館でこともあろうに雑巾を展示物として見せられるなんて、怪しからん。という反応が大半...襤褸<BORO>の美学/´24新春KIMONOコレクション―「きもの」の民俗誌―<6>【コミュニティースペースCaso-Coso森にて】

  • 本日オープンです/´24新春 KIMONOコレクション ―「きもの」の民俗誌―<5>【コミュニティースペースCaso-Coso森にて】

    新春にふさわしい展示となりました。☆山野に自生する蔓性の植物「麻」「楮」「藤」「葛」などの繊維を採り、織られた「自然布」、木綿を大切に使い続けた継ぎはぎの美「襤褸」、繭から糸をいただき、紡いで織った「紬」の優品。日本の女性たちの手によって作り出され、身に纏われた布たちを、古き良き時代の民俗を語り、手仕事の良さを伝える「アート」という視点で捉え、収集・展示・研究を続けてきた「旧・由布院空想の森美術館・木綿資料館」の収集品に大分県別府市の旧家から収集された珠玉の着物類を加え、「きもの」の美を楽しむ企画としました。☆「お年玉価格」にて販売もします。お出かけ下さい。とき:2024年1月6日、7日、8日午前10時~午後3時ところ:コミュニティスペースCasa-Coso森西都市穂北5248(石井記念友愛社敷地内)主催...本日オープンです/´24新春KIMONOコレクション―「きもの」の民俗誌―<5>【コミュニティースペースCaso-Coso森にて】

  • 現代に生きる「自然布」/´24新春 KIMONOコレクション ―「きもの」の民俗誌―<4>【コミュニティースペースCaso-Coso森にて】

    山野に自生する蔓性の植物「麻」「楮」「藤」「葛」などの繊維を採り、織られた布のことを総称して「自然布」と呼びます。自然布について以前書いた文に加筆し転載しておきましょう。現代に生きる「自然布」■自然布とは何か?「自然布」という言葉は、『「ゆふ」を織る-由布院空想の森美術館の古代布復元の記録』(2000,不知火書房)にて仮称として使われ、同館との共催で東京・京橋の「アートスペース繭」にて『自然布を織る』というタイトルの企画展を開催、さらに別冊太陽『日本の自然布』(2004,平凡社)の発行以降に定着したものかと思われます。それまでは「草木布」や「原始布」「古代布」などの言葉も使われてきましたが、何をもってそれとするかについては全く言及されてきませんでした。そこで整理を行い、以下のように定義付けをしてくださった...現代に生きる「自然布」/´24新春KIMONOコレクション―「きもの」の民俗誌―<4>【コミュニティースペースCaso-Coso森にて】

  • ´24新春 KIMONOコレクション ―「きもの」の民俗誌―<3>【コミュニティースペースCaso-Coso森にて】

    1月3日、展示ほぼ完了。展示を進めながら一枚一枚の布に込められた日本の女性たちの繊細な美感に感動し、それらが展示されることによって室内空間が見事に変化してゆく過程を手伝ってくれた右下友子さん、林田浩之君、カワトモ君、森のマドゥパンのお二人などと楽しむことが出来ました。これから少しずつアレンジを加えながら、6日のオープンを待ちます。明日から「きもの」の民俗誌と題してジャンル別に掘り下げた解説的連載をする予定です。´24新春KIMONOコレクション―「きもの」の民俗誌―<3>【コミュニティースペースCaso-Coso森にて】

  • ´24新春 KIMONOコレクション /―「きもの」の民俗誌―【コミュニティースペースCaso-Coso森にて】*本日、展示を行います。参加歓迎です。

     ☆本日午後2時から、´24新春KIMONOコレクション/「きもの」の民俗誌【コミュニティースペースCaso-Coso森にて】の展示をします。「アートな視点で“きもの”を見よう」がテーマです。見学&参加歓迎です。☆能登地震、羽田の事故と波乱の新年、近くなら支援活動に駆け付けるところだけれど、それは不可。日々の暮らしを止めるわけにもいかない。新聞のテレビの番組欄を見たら、まだ災害発生から三日もたたず、がれきの下には生と死の境にある人がいる可能性もあるというのに、もう地震のことなどどの局もやっていなくて、お正月のおめでた番組か、軽薄な芸人が下卑た笑いをとるおバカ番組しか載っていない。なんという薄情で軽薄な世間か、と愕然としています。しかしながら、コロナ過の時でも「こんなときだからこそアートの歩みを止めてはいけ...´24新春KIMONOコレクション/―「きもの」の民俗誌―【コミュニティースペースCaso-Coso森にて】*本日、展示を行います。参加歓迎です。

  • 書き初め

    書き初め2024☆毎年、正月1日から2日へかけて年賀状を書きます。歳末のあわただしい中で、おめでとうございます、などというしらじらしい言葉を書く気にならないからです。一般庶民は暮れは切ないことも多々あるのです。年が変わり、届いた賀状を一枚一枚見ながら、あて名を書きます。一言、メッセージを添えて。今年は、手書きを復活しました。インターネットでの賀詞の交換が進み、ハガキ形式の賀状が少なくなり、以前ほどの労力と時間を費やす必要がなくなったことで、これが可能になりました。文字通りの私の書き初めです。これが終わると、中庭で焚き火をして、今季の神楽取材で得たスケッチや下書きの仕上げと大作の制作に取りかかります。これでようやく、正月気分。けれども正月早々、能登・輪島方面の地震が伝えられています。被災した皆さんにお見舞い...書き初め

  • ´24新春 KIMONOコレクション /―「きもの」の民俗誌―【コミュニティースペースCaso-Coso森にて】

    ´24新春 KIMONOコレクション          ―「きもの」の民俗誌―  山野に自生する蔓性の植物「麻」「楮」「藤」「葛」などの繊維を採り、織られた「自然布」、木綿を大切に使い続けた継ぎはぎの美「襤褸」、繭から糸をいただき、紡いで織った「紬」の優品。日本の女性たちの手によって作り出され、身に纏われた布たちを、古き良き時代の民俗を語り、手仕事の良さを伝える「アート」という視点で捉え、収集・展示・研究を続けてきた「旧・由布院空想の森美術館・木綿資料館」の収集品に大分県別府市の旧家から収集された珠玉の着物類を加え、「きもの」の美を楽しむ企画としました。「お年玉価格」にて販売もします。お出かけ下さい。とき:2024年1月6日、7日、8日午前10時~午後3時ところ:コミュニティスペースCasa-Coso森西...´24新春KIMONOコレクション/―「きもの」の民俗誌―【コミュニティースペースCaso-Coso森にて】

  • 冬の森を歩けば【森へ行く道<129>】

    夜の間にまとまった雨がふり、森に潤いが戻った。南国のあたたかな日差しが降り注いでいる。薬草を採取しながら、森を歩く。真っ赤な実を付けている「冬いちご」の葉は、血流を良くする効果がある。冬場の小鳥たちのご馳走だから、採りつくさずに少しだけ残しておくように。甘酸っぱいその実の味は、村の古老の言葉とともに故郷の山の村を思いださせる。蔓を伸ばし葉を青々と繁らせている「むべ(郁子)」の葉は、天智天皇伝承を秘める長寿の薬だが、そんな神代のことを辿らなくても、森の入口に棚を作って這わせてある。35年ほど前のことだが、人吉から川辺川沿いの道をあるいて五木村まで行ったことがある。ダム建設の計画に揺れる村であった。清らかな流れが淵を作ると、そこには巨大なヤマメが一群を作って越冬していた。川に面して一軒の重厚な民家があり、石垣...冬の森を歩けば【森へ行く道<129>】

  • 満月の夜、チェロを聴きながら/由布院駅美術館(アートホール)へのスタバ進出を企画力が押し戻した一件【空想の森から<167>】

    *本文は作業中。満月の夜、チェロを聴きながら/由布院駅美術館(アートホール)へのスタバ進出を企画力が押し戻した一件【空想の森から<167>】

  • 展示・進行中です【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<23>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    これまでに描いた作品の中から、展示しています。まだ仕上げが終わっていない作品もあります。さらに、神楽は年明けも続きます。順次展示を進めてゆきます。*写真は川上佳那子さん+筆者。 展示・進行中です【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<23>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 村所神楽の大王様/美しき一夜(4)[西米良村「村所神楽」にて④]]【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<22>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    村所神楽の「大王様」とは、南朝・後醍醐天皇の第九皇子、懐良親王を表す。南北朝時代末期、吉野の山中に籠った後醍醐帝より南朝再興の夢を託されて九州に下された懐良親王は、各地を転戦し、一時は九州を制したが、北朝・足利幕府の連合軍との大宰府での決戦に敗れ南朝を支持した肥後菊池氏の一党とともに米良山中に入山したという伝承を持つ。米良山には親王が山を越えてこの地に至ったという「大王出(だいおうずる)」という地名や高台に立ち、土地の相を観相した「相見(そうみ)」という地名などが残る。この時、懐良親王に従った一行は、わずかな従者と唐犬3匹、鶏二羽という侘びしさであった。米良の山人は、その親王の一族を「神」として迎え長く祀った。神楽はその哀史と雅な宮中神楽を伝え、さらに山人の信仰を織り込みながら五百数十年の年月を舞い継いで...村所神楽の大王様/美しき一夜(4)[西米良村「村所神楽」にて④]]【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<22>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 受け継がれてゆくもの/美しき一夜(3)[西米良村「村所神楽」にて]]【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<21>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    米良山系の神楽では、主祭神降臨の前座として「地舞」と呼ばれる「採り物舞(とりものまい)」が奏される。「挟舞」「初三舞」「幣差」など、鈴を振り、榊や御幣を掲げて舞う演目がそれである。「住吉」という、他の地区では独立した曲となっている演目が、主祭神降臨の序盤となっている例もある。「弓将軍」は「柴荒神」の地舞、「神垂」などの四人舞から三人舞、二人舞、そして一人劔へと展開してゆく太刀の舞が「綱荒神」の前曲すなわち地舞であると理解するまでに、不器用で鈍感な私は20年以上の年月を要した。そして、その地舞=採物舞の美しさに見惚れるようになったのも、神楽に通い続けた長い年月を経て後のことであった。振り上げ、振り下ろされる幣の美しさ、若い舞人の所作、扇の返し、そして弓の華麗さや太刀のきらめきなど、見ていて飽きることがないの...受け継がれてゆくもの/美しき一夜(3)[西米良村「村所神楽」にて]]【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<21>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 美しき一夜(2)ー天空の神々が降りてくる/西米良村「村所神楽」にて②【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<20>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    今年の村所神楽は、悪天候のため村営スポーツセンターでの開催となったが、12年に一度の「大祭」の折にだけ立つ「本注連(ほんしめ)」が立った。中央に高い一本の注連柱が立ち、その右手に99本の金幣が立つ、この神楽本来の御神屋の設営である。普段は略注連といい、三本の注連柱が立ち、金幣は立たない。この美しい造形美を持つ注連柱に天空にいます八百万の神々が降臨するのである。写真は20・・年の撮影。神楽が舞い進められ、2時間近くを舞い継がれる「地割」のところで大雪となった。注連柱を雪が荘厳し、御神屋にも降り積もったが、舞人たちは淡々と舞い進めた。その後、会場を隣接する公民館に移して神楽は続行されたが、20年に一度か二度訪れる大雪の神楽は、この世のものならぬ美しき一夜を演出したのである。今後、悪天候の際には今回と同じ対応が...美しき一夜(2)ー天空の神々が降りてくる/西米良村「村所神楽」にて②【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<20>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 美しき一夜/西米良村「狭上神楽」にて【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<19>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】 ☆

    *本文は作業中。美しき一夜/西米良村「狭上神楽」にて【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<19>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】☆

  • 本日西米良村「村所神楽」へ【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<19>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    西米良村「村所神楽」へ。只今、ウォーミングアップ中。本日は雨の予報が出ているため、村営体育施設での開催。外の風情はないが、広いし寒くはないので「大王様黒い翁面」や菊池の殿様「八幡様」など難しいテーマに挑戦してみよう。行く前に疲れないように、そろそろ休憩しよう。【西米良・村所神楽】南北朝伝承と米良山系の神楽の源流。600年の歴史を有する神秘の神楽・本日開催・米良山系の西端に位置する西米良村村所地区に伝わる神楽です。南北朝伝説を秘める「大王様=懐良親王」やその一族、南朝を支援した肥後の豪族・菊池一族の物語などが展開されます。神楽後半では土地の神様や狩りの神様などが降臨。中世の絵巻を見るような優美な神楽と米良の山人の生活詩が織り交ぜながらくり広げられます。本日西米良村「村所神楽」へ【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<19>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • [稲荷」は山の神だった]西米良村「狭上神楽」の一夜/究極の神楽へ行く道【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<18>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    【「稲荷」は山の神だった】九州脊梁山地の神楽を伝える村に山上から稲の束を咥えて下ってきた狐がその稲穂を落とした所が稲の稔る土地になった、とする伝承がある。そこにはおおむね、山の神をまつる祠があり、磐座祭祀や古墳祭祀の跡がみとめられる。縄文時代の焼畑農耕の時代を経て山地栽培の陸稲(オカボ)から水田栽培の稲作へと移行する「稲」の起源を物語る遺稿であろう。稲荷神はやがて山の神信仰・大山祇命信仰・山姥信仰・倉稲魂命信仰などと混交しながら稲の生育を見守り、豊穣の稔りを約束する「稲荷信仰」へと展開した。30メートルにも及ぶ絶壁の上の岩場で伝承者二人が古式の稲荷舞を舞い次なる伝承者となる若者たちに伝えたという地区もある。諸国の山巡りをしてきた山の神が村に幸いを授けるために立ち寄ったとする伝承もある。里人の祈りは神楽の稲...[稲荷」は山の神だった]西米良村「狭上神楽」の一夜/究極の神楽へ行く道【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<18>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 「お使い様」は狐面/狭上神楽スケッチ【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<17>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    【「お使い様」は狐面】米良山系・一ツ瀬川の源流部の山中の一軒家に「狭上神楽」が伝わっている。そこへ行くまでには、四輪駆動車を手配して険しい山岳の道を30分も辿らねばならない。山頂に大山祇命の陵墓と伝えられる古墳があり背後に山岳修験の行場と思われる岩場が控えている。神楽は古来の山岳信仰に大山祇命信仰、修験道、南朝の落人の秘史などが重複しながら伝えられてきたのである。神楽が佳境に入ると主祭神である稲荷神が降臨し、続いて美しい女面の奥方様、大ぶりの狐面をつけた「眷属様」が降臨する。御狐様は、大山祇命の陵墓を守る守護獣、山の神の使い、焼畑農耕時代の陸稲栽培から水稲栽培へと移行した稲作神話の語り部などの性格を併せ持ち、村人に寿福と秋の稔りをもたらす聖獣であった。「お使い様」は狐面/狭上神楽スケッチ【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<17>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 星宿神降臨/米良山系の「宿神」の分布について【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<16>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    掲図は東米良・中之又神楽の「宿神」。米良山系の神楽には「宿神」が分布する。伝承によれば、「宿神<しゅくじん>」とは、宇宙星宿・神羅万象を支配する星宿神、神楽の主祭神として降臨する。広大な米良山系の山々は、秘境といわれ、他郷との交渉の限られた地域であったが、平家の落人伝承や南北朝期の南朝の落人・肥後菊池氏の入山伝承などがあり、山脈を結ぶ修験・山伏のルートもあったことから、広範な文化を受け入れ、醸成し、伝え続けてきた地域であることもわかるのである。ことに「山神」は、南朝すなわち「王家」に伝わる儀礼としての仮面祭祀が想定され、神楽とともに入山したとする伝承はなんらかの「事実」に基づくデータであると考えても不思議ではない。米良山の宿神分布をみてゆくと、これまでに明らかにされてこなかった「宿神」の秘密の一端に触れる...星宿神降臨/米良山系の「宿神」の分布について【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<16>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 「星宿信仰」と「神楽」について【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<15>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    神楽の舞われている村の上空を冬の星座が巡ってゆく。東方の山岳から、オリオンが次第に立ち上がってくる。私は、一晩中舞い続けられる神楽の御神屋の上空を巡りゆく星座をみながら、星宿信仰と神楽とは何らかの関連があるに違いない、と確信し、観察を続け、資料を集め続けてきたが、まだその明確な答えは得られていない。そのような折、「銀鏡神楽は星の神楽である」というような情報が乱れ飛び、多くの人がそれを鵜呑みにしている現象をみて、前回、以下のような文を書いたのである。☆[銀鏡(しろみ)神楽は「星の神楽」ではありません]・近年「銀鏡」をテーマとした映画が作成され、その映画の序盤が「星の舞」と「星宿信仰の儀礼」から始まるので、銀鏡神楽を星の神楽と思い込んでいる人が多数おられますが、銀鏡の星に関する演目は大祭前日に一曲だけ舞われる...「星宿信仰」と「神楽」について【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<15>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 究極の神楽へ行くこと 銀鏡(しろみ)神楽への道【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<14>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    最近、私のもとへの「銀鏡神楽」についての問い合わせや訪問者が、増えています。来週は銀鏡神楽の大祭なので、さらに増えることが予想されます。そこで、銀鏡神楽についての私見をここに記しておきます。これは銀鏡に通い始めて30年を超える私の解釈と感想であり、多くの取材仲間や銀鏡神楽愛好家の共有する視点だと思っているからです。まず、銀鏡神楽は全国の神楽を俯瞰してみても群を抜いた存在であり、貴重な歴史遺産であり、「究極の神楽」に数えられるひとつと私は思っています。四日間を要する「祭り」の期間、その構成、伝承の多彩さ、そこに含まれる古風とそれを伝え続けてきた伝承者の方々の誇り高い精神と気概などが、見るものを圧倒しながらもいつしか神楽の神秘空間に誘い込み、感動を共有することができるからです。その全貌と内容については多くの研...究極の神楽へ行くこと銀鏡(しろみ)神楽への道【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<14>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 神楽の治癒力【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<13>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    二週間前の椎葉・栂尾神楽を見ながら、スズメ蜂酒を飲みすぎた時のような、脳内出血寸前の症状が出たので、次の週のの高千穂・秋元神楽には用心しながら出かけた。よほど中止しようかと思ったが、コロナ過を経て4年ぶりの開催なので、秋元の皆さんに会い、挨拶がしたかったのと、中学2年生の飯干蔵人君が立派な舞人(高千穂ではほしゃどん=奉仕者殿という)に育っており、秀逸の神楽画を描く画人に育ちつつあることなどを見聞きしていたので、その舞いぶりを見、絵の話などもしたいと思ったのである。秋元は、30年以上前に、神楽探訪の旅を始めた頃に訪れ、その後「高千穂・秋元エコミュージアムプロジェクト」に招かれて通い続けたなじみ深く、愛着のある村である。その村の入口に立つと、誰もが故郷の村に帰って来たような感懐に抱かれる。戸数50戸に満たない...神楽の治癒力【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<13>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 復活ののろし【森へ行く道<128>】

    狼煙<のろし>と言っても、山賊が獲物(旅の商人など)を狙う時、あるいは村に敵が近づいて来ることを知らせる場合、または戦争における襲撃・開戦の合図などのような威勢の良いものではない。3ヶ月前に屋根から落ちてかかとの骨を骨折したこと、1週間前に椎葉・栂尾神楽を見ながら目が充血するという症状(脳内出血でなくてよかった)などから回復し、草刈りと薪割りを再開しているという程度の情報。要するに焚き火の煙である。足の痛みも軽減し、草刈り機や電動チェンソーも使えるようになった。薪割りは一本足でもできることは実験済み。これから冬場の仕事を本格化してゆこう。そして、長い間使わずに弱った筋肉を鍛え直してゆこう。森へと流れてゆく煙を眺めること、草の香りを嗅ぐこと、森を歩くことなどの幸福。体力とともに気力が充実してくることの充足感...復活ののろし【森へ行く道<128>】

  • まだ生きている/④椎葉・栂尾神楽の一夜④【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<12>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    【柴荒神】柴荒神は山霊の象徴である柴を背に負い、森の奥から現れる。柴荒神は怒っているのだ。勝手に山神の支配する山に入り込み榊を伐り出し神楽の舞台を設えて賑やかな祭りを行なっている、うるさいではないか誰に断ってこの山に入ったのか吾こそは神羅万象・宇宙星宿を支配する荒神である。と宣う。そこで神主との長い問答が始まり宇宙星宿の原理、神楽の由縁が解き明かされて和解が成立する。自然神と文明神の激突と相克、和解と協調の物語。神楽に込められた和平の思想。椎葉・栂尾神楽では、中盤に「柴入れ」「樽面」と続いたあと「柴荒神」が出て、神主との「荒神問答」が始まる。私はこの荒神問答を描くつもりでかなりの気合を入れて待機していたのだったが、庭のドラム缶の焚き火に手をかざしているうちに、眠り込んでしまった。ズキリと頭の奥の方に痛みが...まだ生きている/④椎葉・栂尾神楽の一夜④【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<12>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 神楽笛とセリ唄が森に響いてゆき、神と人とが交歓する/椎葉・栂尾神楽の一夜③【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<11>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    神楽笛の音が、神域に響き、森へと消えてゆく。太鼓のリズムが神楽を牽引してゆき、笛の音がメロディーを奏でる。そのメロディーには地域ごと、神楽ごとに特徴があるが、いずれも哀調を秘めた美しい曲である。笛は神楽の物語性を描き出し、彩ってゆくが、――神楽は笛から消滅に向かう・・・と聞いたことがある。私は少し前に、米良山系「中之又神楽」と「尾八重神楽」にこの「栂尾神楽」「鬼神野神楽」などと共通するメロディーがあることに気づき、照合してみたことがある。すると、木城町比木神社に伝わる「百済王伝説」にちなむ「師走祭り」の行程で、「高鍋神楽」の伝承者たちが小丸川沿いの神社に立ち寄りながら一週間をかけて、各地域の神社に神楽を奉納しながら神門神社へと向かった道筋に同系統の神楽が分布していることが分かってきたのである。このように「...神楽笛とセリ唄が森に響いてゆき、神と人とが交歓する/椎葉・栂尾神楽の一夜③【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<11>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 椎葉山の深奥部に秘された神楽/椎葉・栂尾神楽にて②【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<10>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    始めて栂尾神楽を訪ねたのは30年以上前になるが、その時、村役場の人が山を越えるルートの地図を書いてくれて「この辺で心細くなりますが、迷わずにまっすぐ行って下さい」と赤ペンで地図に印をつけてくれたものだった。そして、そのとおりの地点で言われた通り心細くなり、ちょうど前方から来た軽トラに停車してもらい、確認すると「ちょうど半分ぐらい来たところ。まっすぐ行けばよろしい」と役場の人と同じことを言い、さっさと走り去ってしまったのである。それほど、栂尾という所は遠い所だった。九州脊梁山地の深奥部と言ってもいいだろう。その後、宮崎に移り住み、小丸川沿いの道を遡行して訪ねるようになっても、その縁距離感は変わらなかった。源流部の山岳に抱かれて十数戸の集落があり、古風を残す神楽を伝えてきたのである。*続きは作業中。椎葉山の深奥部に秘された神楽/椎葉・栂尾神楽にて②【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<10>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 先住神が八百万の神を迎える/椎葉・栂尾神楽の「鬼神」【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<9>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    【鬼神】「鬼」に会うことは祖先に会うことと土地の人は言う。「鬼とは制圧された先住民が山に入り、山霊を身に付けた縄文人の末裔」と、民俗学者は分類する。「まつろわぬ民の象徴である」と支配者は見下す。「道化荒神」という鬼は、祭りの場に乱入し子どもたちを追いかけたり若い女性に抱き着いたりして場を騒乱の渦に巻き込み、偉い神たちの権威を失墜させるが最後は子どもたちとも村人とも仲良くなって、森へと帰って行く少し怖いけれど優しくて気のいい神さまである。*作品は椎葉栂尾神楽の「鬼神」。36㌢×140㌢(水墨・インク・水性絵具・染料などによるドローイング)「鬼」には多様な性格と相貌がある。九州脊梁山地の神楽では「式三番」の神事神楽に続き仮面神の先陣を切って降臨する土地神である。「猿田彦」の信仰と混交している。八百万の神々を迎...先住神が八百万の神を迎える/椎葉・栂尾神楽の「鬼神」【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<9>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 少年たちが舞う、次世代へつなぐ/日向市東郷・坪谷神楽の一夜【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<8>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    日向市東郷・坪谷神楽は、一時は神事で舞われる「式3番」まで晩数を減らし、消滅が危惧された時期もあったが、伝承者も増えて少しずつ晩数を増やし、現在は13番を奉納できるところまで回復した。復興途上の神楽と言っていいだろう。数年前には、「舞取面」と呼ばれる古面が発見され、この神楽が江戸期から舞い継がれてきたものであることが証明された。坪谷神社は若山牧水生家のある地区で、坪谷川が流れ、尾鈴山脈を望む風光明媚な土地である。かにかくに尾鈴の山は恋しかり今日も霞のたなびきておりと歌人・若山牧水が詠った。この神楽は、少年たちの出番が多い。「振上舞」という太刀を採り物の舞や弓矢の舞「弓将軍」など、大人たちと同じ演目を堂々と舞う。厳しい練習を積み重ねてきた成果であることがわかる。若い女性たちも加わって華やかさもある。女性が舞...少年たちが舞う、次世代へつなぐ/日向市東郷・坪谷神楽の一夜【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<8>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 描いています。日向市東郷・坪谷神楽の一夜【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<7>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    *描いています。日向市東郷・坪谷神楽にて。【猪荒神<ししこうじん>】高千穂神楽では「山森」米良山系では「猪荒神」諸塚神楽では「村方」ここ坪谷神楽では「綱荒神」となっているが、いずれも狩猟民俗を基底とする山の神神楽である。夜が更けて神楽が終盤を迎え天空を天の狩人・オリオンが天狼シリウスを従えて巡ってゆくころ村の背後の黒い森から猪が二頭、暴れ出てくる。猪は、田畑を荒らし猟師に追われて手負いになり暴れると怖いがその肉は美味で「薬喰い」と呼ばれるほどの効力がある。猪は御神屋で転げまわる「ぬた打ち」の所作をしたり、神庭に出て村人と遊んだりする。そこへ猪荒神が出て、荒ぶる舞を舞う。猪荒神とは狩りの領域を支配する山の神である。舞の途中で缶ビールやみかんをもらった猪が上機嫌で帰ってくる。猪荒神と猪はともに一差し舞い、森へ...描いています。日向市東郷・坪谷神楽の一夜【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<7>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 坪谷神楽の一夜【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<7>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

    【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<7>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】[寺原正さんの投稿から]寺原さん、ありがとうございます。寺原さんは坪谷神社の氏子総代をつとめる方で、普段から神社の清掃、手入れなどをしておられる優しい方。神楽の奉納も準備から当夜の仕切りまですべての勤めに目配りをしておられました。そして神楽奉納が終わればカメラを持って各地へ出かける神楽愛好家でもあります。私も行く先々で出会い、ご一緒する機会が多いのです。今回【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】の二人目の参加者として投稿してくださいました。坪谷神楽は近年、「宮神楽の3番」まで番数を減らし、消滅が危惧されていたのですが、寺原さんたちの努力が続けられ、...坪谷神楽の一夜【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<7>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】

  • 「雪舞-2」/山嶽風雪【ART KAOHSIUNG2023/台湾:高雄アートカウション<2>】作品と会場紹介

    【雪舞/山嶽風雪】源平の昔・・・遠く椎葉の山中まで平家の落人たちを追って来た源氏の追討史たちも、――この奥に棲み処はあるまい・・・と追跡を諦めて引き返したという地点がある。ところが、さらにその山の向こうに古風な習俗を残す集落があるのだ。冬になれば厳しい風雪に閉ざされてしまう村に神楽が伝わっている。山中の神社での神事の後神楽宿に下った一行が一夜をかけて舞い継ぐ神楽には悠遠の時を刻んだ史実が秘され、村人の生活が投影された神と人との交歓の場となって銀白の夜が更けてゆく。☆以下は【ARTKAOHSIUNG2023/台湾:高雄アートカウション】の会場風景「雪舞-2」/山嶽風雪【ARTKAOHSIUNG2023/台湾:高雄アートカウション<2>】作品と会場紹介

  • 山は雪/「雪舞」【ART KAOHSIUNG2023/台湾:高雄アートカウション<1>】*出品します。

    まだ11月だというのに早くも南国宮崎、ここ茶臼原台地にも雪がちらつき、由布院や九重連山からは吹雪・積雪の便りが届いています。――山は雪雪は氷となりはてて融くるかたより立つは白波と高千穂神楽歌が歌われる季節となったのです。この時期、【ARTKAOHSIUNG/台湾:高雄アートカウション2023】への出品が決まり、作品の発送を終えました。その経緯と主旨を以下に記しておきます。☆【ARTKAOHSIUNG/台湾:高雄アートカウション2023】に「神楽を伝える村へ」のシリーズを出品します。10月に開催された「AFAFアートフェア・アジア・フクオカ2023」でこの「台湾高雄アートカウション」の主催者のリチャード・張學孔さんのお眼にとまり、今回、お誘いをいただき、出品させていただくことになったものです。「ARTKAO...山は雪/「雪舞」【ARTKAOHSIUNG2023/台湾:高雄アートカウション<1>】*出品します。

  • 三川内神楽の「花舞」と「花鬼神」/山を越えて二つの神楽を訪ねた一日③【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<6>】2023-2024MIYAZAKI神楽紀行

    延岡・三川内「梅木神楽」の「花鬼神」は稚児装束の二人舞「花舞」に続いて出る。この地方には五つの集落にそれぞれ一座の神楽が伝えられており、演目は統一されている。「一神楽」「地割」「繰り降ろし」「大神宮(猿田彦)」「花舞」「花鬼神」「山守」「山の神」「山注連(やましめ)」が一連の番付で、その後「岩戸番付」によって舞い納められる。以前は33番が舞われたというが、省略が進みながらも古風と神楽の骨格が残されて伝わっていると理解していいだろう。「花鬼神」は「大神宮」(猿田彦)と同「日・月」を象形した円板を採り物に舞う。「花舞」と「花鬼神」はその後に続く「山守」「山の神」の地舞と把握できる。山守は柴荒神と同系の神で荒々しく登場し、子供たちと柴を引き合うパフォーマンスを繰り広げる。山の神は黒い翁面の神で、よろめきながら登...三川内神楽の「花舞」と「花鬼神」/山を越えて二つの神楽を訪ねた一日③【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<6>】2023-2024MIYAZAKI神楽紀行

  • 白面の猿田彦/山を越えて二つの神楽を訪ねた一日②【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<5>】2023-2024MIYAZAKI神楽紀行

    諸塚村桂集落から峠を越えて日之影町に下り、さらに下って延岡から日豊海岸沿いに北上して延岡市三川内梅木地区鴟尾(とびお)神社へ行った。三川内地区には五座の神楽が伝わっており、梅木地区鴟尾神社の大祭に奉納されるのが「梅木神楽」である。境内には夕闇が迫り、屋台や露店が立ち並び、焚き火が赤々と赤々と神社の森を照らしていた。この地区の神楽はあまり知られておらず、したがって観光客もアマチュアカメラマンも一人もいない、昔ながらの村祭りの風景を見ることができる。山から下ってきた身を置く場所がなかなか決まらず、焚き火の傍や拝殿の脇などに腰を据え、しばらくは画帖を広げずに見た。そうするうちに、身体が場になじみ、昼間に見た諸塚・桂神楽のとはまた違った太鼓のリズムや笛のメロディーになじんできて、次第に神楽世界に引き込まれてゆくの...白面の猿田彦/山を越えて二つの神楽を訪ねた一日②【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<5>】2023-2024MIYAZAKI神楽紀行

  • 波田沙也加さんの神楽紀行/諸塚村桂正八幡神社の霜月祭りにて【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<4>】2023-2024MIYAZAKI神楽紀行

    はじめての神楽探訪の旅。群馬から車で訪ねてきた波田沙也加さんが以下の記事を高見乾司のフェィスブックにタグ付けしてくれました。これが【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<4>】2023-2024MIYAZAKI神楽紀行の最初の参加者です。現代の「表現」は現場に身を置き「絵を描く」ことももちろんですが、「観る」「取材する」「文章で記録する」「写真を撮る」「動画で記録する」などを含むと把握します。波田さんの初めての神楽紀行は期せずしてそのような記事になりました。記録したものを当分は高見乾司のフェィスブックにタグ付けすることから公開し、共有する、という所から始めます。これからどのような出会いがあり、どのような「表現」や「作品」が集積されるか楽しみなことです。波田さんの動画は「高見乾司フェィスブック」...波田沙也加さんの神楽紀行/諸塚村桂正八幡神社の霜月祭りにて【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<4>】2023-2024MIYAZAKI神楽紀行

  • 山を越えて二つの神楽を訪ねた一日【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<3>】2023-2024MIYAZAKI神楽紀行

    諸塚山の尾根道を走り、桂正八幡神社の「霜月祭り」へ。毎年訪れている、小さな村の小さな祭りである。今年はコロナ過明けという事で、道中行き過ぎる神社の入り口にも幟旗が立っている。この時期、南九州の山々の紅葉が始まっており、山頂から見はるかす九州脊梁山地の山々に映えて見事だ。なじみの人達と挨拶をかわし、絵を描き始めたが、手が震えて筆が思うように走らない。急激な気温変化に身体が反応できず、血流障害を起こしているのだ。若いころに罹患した「白ろう病=振動障害」の後遺症である。けれども焚き火に手をかざし、午前の日差しに身体が温められ、若者たちの切れ味良い舞いぶりを見ているうちに全身が場になじみ、筆が進み始めた。これが神楽の魅力であり、神秘の瞬間である。数枚のデッサンを得て、一枚を、この神社の後継者として村に帰り、今年愛...山を越えて二つの神楽を訪ねた一日【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<3>】2023-2024MIYAZAKI神楽紀行

  • 2023-2024MIYAZAKI神楽紀行【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<2>】諸塚村桂神社の霜月祭りへ

    今季の神楽取材の第一日目です。予定していた11月3日の高千穂町天岩戸神社の神話の高千穂神楽33番大公開祭と11月4日の延岡市北浦三川内歌糸神楽は、急用ができたため、中止。高見剛が取材した大分県中津市耶馬渓町雲八幡神社の「耶馬渓神楽」を<番外>として、実質、明日11月11日の諸塚村「桂神社の霜月祭り」を今季の第一回神楽紀行とします。ここから「神楽を伝える村へ」の第二期:2023-2024MIYAZAKI神楽紀行【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」】の開始とします。【諸塚村桂正八幡神社の霜月祭】桂正八幡神社の霜月祭を四年ぶりに地区外へご案内できるようになった霜月祭りです。コロナ過により地元ではひっそりと毎年行っていましたが、ここにきてようやく地区外にもご案内できるようになったものです。昨年からの...2023-2024MIYAZAKI神楽紀行【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<2>】諸塚村桂神社の霜月祭りへ

  • 神楽の季節が巡ってきた【耶馬渓・雲八幡の神楽】

    大分県中津市耶馬渓町の雲八幡宮で5日、「湯立(ゆだて)神楽火渡りの祭(まつり)」と題した神楽祭りがあった。宮司代替わりの際にだけ執り行ってきた祭りで、1991年以来32年ぶりの奉納。コロナ禍を乗り越えてようやく開催にこぎつけ、境内は地元の食が楽しめる出店も並び、終日にぎわった。市内で神楽を継承する植野神楽社と戸原(とばる)神楽社が共演。三十三番におよぶ演目を朝から晩まで約12時間かけて奉納した。湯釜の火のそばで、鬼の面をつけた舞い手が「斎鉾(ゆぼこ)」と呼ばれる高さ約10メートルの柱によじ登って餅まきを始めると、盛り上がりは最高潮に。最後はならした炭火の上を神職や氏子、参拝者らが次々に歩いて締めくくった。*以上は朝日新聞記事より。☆これは行きたかった、が、宮崎から現地までは6時間かかる。近くて遠い国。私と...神楽の季節が巡ってきた【耶馬渓・雲八幡の神楽】

  • かさこそ森の詩人たち【森へ行く道<126>】

    旧・のゆり保育園を改修しながら再利用している「コミュニティスペースCasa-Coso森」で子どもたちも、大人も、心優しき詩人になった一日。☆以下はいとうるかさんのフェィスブック記事をほぼそのままコピー。☆子どもたちが企画、主催したアオハル祭、晴天のもと無事に終了しました(^^)子どもたちの出店が5店、大人の出店が2店この日のためにお家で焼いた焼き菓子や、コーヒーやレモネード、チーズケーキ、クッキーやマフィン、りんご飴、トマト飴!、チャーハンやホットサンドにおでんどれもとっても美味しくて、ステージのパフォーマンスも子どもと大人の区別なく楽しんで、皆が笑顔の素敵なあたたかーいお祭りでした♡自分の得意なことでお客さんに喜んで貰うこと、お代を頂くということ。リアルで貴重な体験。子どもたちの顔がイキイキしてとっても...かさこそ森の詩人たち【森へ行く道<126>】

  • 「アオハル祭」の一日【森へ行く道<125>】

    「かさこそ森」の広場で、一日中、音楽が鳴り、踊りの輪が出来ていた。少年・少女たちが自分たちで企画し、立ち上げて、実行した健やかなまつり。それぞれに課題を抱えた子たちだが、皆、個性豊かで元気いっぱいの面々だ。お菓子の店や珈琲ショップ、チャーハンの店、パン屋さんなどを訪ね歩くのも楽しい。秋空はあくまでも高く、風があたたかい。「まつり」とは「神さま」に近づく遊戯。そこから変異して、成長してゆく「なかま」ができる。ここに最も小さな「社会」が形成される。大人たちがつくる社会や学校という規則づくめの社会システムよりも、ここで学び、立ち上がるオリジナリティーのほうが、力づよく健全だと、広場を歩きながら、私は思う。*画像は当日参加の皆さんのフェィスブックから。「アオハル祭」の一日【森へ行く道<125>】

  • 「アオハル祭」という青春【森へ行く道<124>】

    「友愛の森」に通い、育った少年・少女たちが、自分たちで考え、立ち上げた青春の祭り。それに先立ち、一日、皆が集まって薪割りをしてくれた。この祭りで使うための焚き木の準備を兼ねているが、私・高見が屋根から落ちて足を骨折し、まだ過激な活動は出来ないため、冬場の薪ストーブの焚き木を準備しておいてやろう、という発案らしい。放っておくと、この爺イは足を引きずりながら一人で薪割りを始めかねない、という心配も混じっているようだ。昔、放浪の俳人・山頭火は、九州漂泊の旅の途次、大分県湯布院町湯平温泉にたどり着き、木賃宿に投宿し、宿の前の川で旅の衣を洗濯して川原の石の上に干して散歩に出た。折から、時雨(しぐれ)が来た。慌てて戻ってみると、その宿の娘さんが洗濯物を取り込み、きれいに畳んでくれていた。しぐるるや人の情けに涙ぐむとい...「アオハル祭」という青春【森へ行く道<124>】

  • 神楽の季節がやってきた【2023-2024MIYAZAKI神楽紀行/神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」】ご案内

    【2023-2024MIYAZAKI神楽紀行/神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」】スケジュール11月になりました。9月から3ヶ月にわたり、由布院、日田、南阿蘇、高千穂・秋元、宮崎・西都の五会場に福岡市「AFAFアートフェア・アジア・フクオカ2023」(3日間)、東京・浅草「アートスペース繭」(6日間)の二会場を加えて開催された、第一期の【「神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展」】が好評のうちに終了し、第二期【2023-2024MIYAZAKI神楽紀行/神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」】が始まります。この企画は、毎年、宮崎県内に200座以上を伝える神楽の伝承地を訪ね、絵を描き続けてきた高見乾司に同行し、絵を描く、取材する、写真や動画を撮影する、村人と交流する、...神楽の季節がやってきた【2023-2024MIYAZAKI神楽紀行/神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」】ご案内

  • 絵を「観ている」時間【アートスペース繭「神楽を伝える村へ」<3>】

    この展覧会では、「神楽の絵」について語り、「絵を観る」時間がたっぷりとあった。朝一番から夕方の閉店時間間際まで、たくさんの人が訪れ、会話を楽しんでくださったのである。本郷から京橋、そして浅草へと移転しながら35年にわたり営業を続けてきた「アートスペース繭」オーナーの梅田美知子さんのお人柄とその眼力、続けられてきた活動などによって築きあげられてきたネットワークが生きている空間であった。*続きは作業中。絵を「観ている」時間【アートスペース繭「神楽を伝える村へ」<3>】

  • 隅田川河畔の一日【アートスペース繭「神楽を伝える村へ」<2>】

    たくさんの人がご来場下さり、それぞれのメディアに記録し、発信して下さった。現代のアート企画にふさわしい情報のファイルとなった。今回は私は足の怪我の影響を考慮し、荷物を極力減らして出かけたので、発信手段を持たなかった。それで、皆さんのデータを拝借しながら三日間を振り返ってみよう。企画は今日から三日間、後半の「天の糸・森の色」の企画へと続いているので、インフォメーションも兼ねた記述としたい。まずは上野敏彦さんのフェィスブックから転載。◎神楽仙人が隅田川河畔に当方がFBでいつも楽しみにしているのが宮崎の高見乾司さんが紹介するヤマメ釣りや山岳神楽の世界だ。毎年12月14日といえば九州山地の銀鏡神楽で顔を合わせていた。民俗研究家の高見さんは神楽の名場面を徹夜でスケッチするのだった。宮崎は三百を越える神楽が伝承され神...隅田川河畔の一日【アートスペース繭「神楽を伝える村へ」<2>】

  • 始まっています。アートスペース繭「神楽をを伝える村へ」

    始まっています。アートスペース繭「神楽をを伝える村へ」

  • さあ、出かけます。/アートスペース繭【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<42>】

    画像と記事は「アートスペース繭」のホームページhttps://www.artspace-mayu.com/Takami23/Takami2023.htmlから。さあ、出かけます。/アートスペース繭【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<42>】

  • 75歳、骨折老人の薪割り【森へ行く道<123>】

    一昨日、若者たちが集まり、薪割りをしてくれた。6週間前に屋根から落ちて骨折し、無理の利かない身体になっている私に配慮し、冬場の薪ストーブで焚くための焚き木を準備しておいてくれるというのである。うれしいではないか。皆、小学生の時からこの森に通ってきている面々だ。小学3年の時、――お母さん、俺の学歴は幼稚園まででいい、この森に来た方がはるかに勉強になる。と言ってのけたテッペイ君も中2になり、部活に励んでいる。時に、――学校に行ってばかりだと頭がおかしくなる。森に行きたい。というらしいが、――俺が休むとチームメイトが困るからな。と、仲間に対する友情や信頼を優先する好男子になっている。小学6年の時にここへ来て、水膨れと皆に言われた身体を持て余していた不登校少年のカワトモ君も、山仕事やヤマメ釣り、古民家の解体などに...75歳、骨折老人の薪割り【森へ行く道<123>】

  • 兎面と狐面②/アートスペース繭【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<41>】出品作紹介⑦

    現代美術の立体作品には、怖いキャラクターがある。奈良美智とか、薮内左斗志などの人形である。だがこの狐面の迫力には及ぶまい。この仮面は、神楽に使われたものである。九州脊梁山地の神楽には、「稲荷舞」が重要な演目として伝わっており、稲荷面や狐面が出る例がある。ある神楽の起源に関連し、山から稲穂を咥えて下って来た狐が、その稲穂を落とした所が稲の稔る土地になった、という伝承がある。ここには縄文時代の陸稲栽培から水田稲作へと移行してきた時代の記憶が底流しているといえよう。稲荷舞は、烈しく旋回し、深く沈んで跳躍する躍動的な舞であるが、それを伝えるある村では、30メートルの断崖の上で、古来の舞を伝える伝承者が次なる舞人に伝授するという。狐面を付けて激しく舞う事例もある。諸国をめぐって来た稲荷神が村人に幸を授けに立ち寄った...兎面と狐面②/アートスペース繭【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<41>】出品作紹介⑦

  • 兎面と狐面/アートスペース繭【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<40>】出品作紹介

    荷造りをしていた日の明け方の夢に、兎面君と狐面君が出て来て、――僕たちも一緒に行ってあげましょう。と言った。――お館(おやかた)は、屋根から落ちて足を骨折していて、飛行機に乗ったり、地下鉄を乗り継いだりして浅草まで行き、毎日、たくさんのお客さんを相手にするのだから、危なっかしくて、心配で、とても見ていられない。僕たちが助っ人として参加することに決めました。と、半ば強制的に言うのである。ここでいう「おやかた」とは、土木工事の「親方」や相撲の「親方」とは少し違って、一族の棟梁たる長男を指す表現なのである。中世の山城に籠った豪族の首領、城主などをいう。私の育った山の村では。まだその呼称が生きて使われており、私の老父は兄弟たちや親せきのひとたちからそう呼ばれていた。四半世紀前に父親は死去し、そのあとを継いだ私はお...兎面と狐面/アートスペース繭【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<40>】出品作紹介

  • 仮面神参上/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<40>】

    天と地の境に立ち、天孫・ニニギの一行を日向の高千穂へと案内した先住神・猿田彦。天岩戸の前で呪的な舞を舞い、アマテラスを招き出し、神楽の祖となったアメノウズメノミコト。田の神・山の神・田楽の翁、寿福を授ける祖先神、芸能の祖神、宿神――多様な起源と相貌を持つ翁面。これらの仮面神とともに浅草に移転した「アートスペース繭」に出かけます。力強く魅力あふれる援軍が、「神楽を伝える村へ」と題した展示空間に彩りを添え、神楽を巡る謎解きや舞人や村人との交流、心に沁みるエピソードなどとともに、神秘の一夜を再現してくれることでしょう。☆*翁面と女面は風化により劣化が激しかったものを高見が修復・再生したもの。母体は江戸初期。*猿田彦面は江戸初期の作。仮面神参上/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<40>】

  • 仮面神参上/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<40>】

    天と地の境に立ち、天孫・ニニギの一行を日向の高千穂へと案内した先住神・猿田彦。天岩戸の前で呪的な舞を舞い、アマテラスを招き出し、神楽の祖となったアメノウズメノミコト。田の神・山の神・田楽の翁、寿福を授ける祖先神、芸能の祖神、宿神――多様な起源と相貌を持つ翁面。これらの仮面神とともに浅草に移転した「アートスペース繭」に出かけます。「神楽を伝える村へ」という展覧会の初日に予定されている講演会の場を盛り上げてくれるでしょう。力強い援軍が、どのような話題を提供してくれるか、楽しみにしておきましょう。仮面神参上/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<40>】

  • 現代に生きる「自然布」/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<39>】

    今回、大麻の繊維で織られた布、葛布、楮布、山繭紬などの「自然布」と「森の草木染め」を出展します。「自然布」について「宵衣堂・古代織産地連絡会」さんが詳述して下さっているので、その文に加筆したものを転載しておきます。現代に生きる「自然布」■自然布とは何か?「自然布」という言葉は、『「ゆふ」を織る-由布院空想の森美術館の古代布復元の記録』(2000,不知火書房)にて仮称として使われ、同館との共催で東京・京橋の「アートスペース繭」にて『自然布を織る』というタイトルの企画展を開催、さらに別冊太陽『日本の自然布』(2004,平凡社)の発行以降に定着したものかと思われます。それまでは「草木布」や「原始布」「古代布」などの言葉も使われてきましたが、何をもってそれとするかについては全く言及されてきませんでした。そこで整理...現代に生きる「自然布」/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<39>】

  • 昭和の着物コレクション/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<38>】

    大分県別府温泉が「泉都別府」と呼ばれて活況を呈していた時代がある。明治から大正・昭和へかけて別府観光の基礎を築いた油屋隈八翁の創意工夫溢れる観光事業が花開いたのである。豊富な温泉群がその基盤であったことは言うまでもない。熊八翁は、「奇抜」とか「奇想天外」などと当時呼ばれた観光戦略ばかりではなく、文化人や内外の要人たちを招き、豊かな文化風土を形成することにも意を注いだ。江戸期以降、「豊後文人」と呼ばれた文人・画人・教育者などが輩出した土地の気風ともうまく調和したのである。熊八は大正時代に由布院に別荘を開拓し、文人墨客を招待した。そこが後の亀の井別荘で、由布院文化の発祥の地となったものである。戦後の高度経済成長の波が引くと、遊興の地と化していた別府は一時凋落傾向を辿るが、現在は「アート」を基軸とした再生の活動...昭和の着物コレクション/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<38>】

  • 大麻の繊維で織ったストールなど/アートスペース繭・出品作です【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<37>】

    大麻(タイマ)は、昔は日常的に使われていた植物である。現在のように麻薬の原料として厳しく取り締まられるようになった経緯から推察すれば、薬草としての用途もあったと思われるが、それよりも、衣類としての利用が一般的であっただろう。麻の繊維を採り、糸に績み(つむぎ)、織るのである。宮崎県高千穂神楽には、現在も麻糸で織られた素襖(すおう)という衣装が使われている地域がある。神楽の「採り物」である御幣に麻の繊維が取り付けられたものを青和幣(あおにぎて)という。楮の繊維が取り付けられたものを白和幣(しろにぎて)という。高千穂神楽には、明治期頃の青和幣を現在も使用している例がある。大麻は、神が依りつき、宿る繊維であった。この大麻の繊維から糸を績み、織り上げてストールや敷物などを作っているのが甲斐志麻さんである。甲斐さんは...大麻の繊維で織ったストールなど/アートスペース繭・出品作です【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<37>】

  • 神棲む森へ【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<36>】

    ・「神楽を伝える村へ」出展作。65㌢×45㌢水墨・インク・染料など【神棲む森へ】神楽が舞い続けられている村の背後に深い森がある神楽笛が響いてゆく森の奥へと向かう男と女がいる――今宵ひと夜はお許しなされ人の嬶(かか)でも殿御でも過激な神楽セリ歌が歌われ、夜が更ける一年に一度許されぬ恋が実るのはこんな夜だ神棲む森へ【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<36>】

  • 本日、南阿蘇→由布院→高千穂へ、出発【森へ行く道<123>】

    本日(13日)、南阿蘇「ギャラリー聚遠館」へ行き、午後1時頃~3時頃までいます。そのあと、九州横断道路・牧ノ戸峠を越えて由布院へ。秋の阿蘇高原、九重山群を撮影しながら移動します。明日(14日)は「由布院空想の森美術館」で一日ゆっくり。近隣の方、由布院方面へお出かけの方、お立ち寄りください。明後日(15日)は由布院から高千穂・秋元「ギャラリー蔵森」に午後1時頃着き、夕刻まで過ごします。秋元集落散策も楽しむ予定。現地合流歓迎です。26日からの東京・浅草「アートスペース繭」での「神楽を伝える村へ」展の作品選定と荷造りを兼ねた旅です。本日、南阿蘇→由布院→高千穂へ、出発【森へ行く道<123>】

  • 焚き火の季節が巡ってきた【森へ行く道<122>】

    朝夕がめっきり冷え込むようになってきた。前庭に据えてあるドラム缶に枯れ枝や落葉を投げ入れて、焚き火をする。煙が森へと流れて行く。焚き木は、11月初旬に予定されている「アオハル祭」というイベントの時に、この森に通ってくる少年たちが薪割りプロジェクトを開催して大量の薪を作り、我が家の薪ストーブの燃料を確保してくれるというのだ。私の左足骨折をふまえての配慮であり、それぞれが成長して体力が付き、上手になったことの腕試しも兼ねているのだろう。薪割とひとくちに言っても、来たらすぐに斧を持ってパカンと割るというわけにはいかない。森に入り、枯れ木を切り倒し、倒木を片付け、適当な長さに伐って担ぎ出すという重労働がある。それから、割りやすい長さに伐り整えるという作業がある。そして剣豪の修行にも似た「割る」技術の習得期間が必要...焚き火の季節が巡ってきた【森へ行く道<122>】

  • 「神楽を伝える村へ」東京・浅草/アートスペース繭へ【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<35>】

    「神楽画帖」とは冊子状の折り畳み式スケッチブック。これを昔の人は「画帖」と呼び、旅に携行したのです。筆は「矢立て」という便利な筆入れ。私はこれを応用し、神楽の現場で描く際に使います。民家が神楽宿になる時は、室内に観客がいっぱいになるので、膝の前だけの空間に広げ、描いたらまた折りたたんで次の絵を描きます。筆は、矢立てならぬ「筆ペン」。便利だが、使いこなすまでに二年かかった。しかも染料が使われているので、水に弱い、長年の保存に耐えない、などの弱点もあり。それで、空間に余裕がある時は墨を混ぜた絵の具に浸して使うなどの工夫をします。表紙は絣や紬など「古布」。これで古風な味わいとなり、神楽の風景にマッチするのです。「神楽を伝える村へ」東京・浅草/アートスペース繭へ【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<35>】

  • 「神楽を伝える村へ」東京・浅草/アートスペース繭での展示 ご案内【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<34>】

    【AFAFアートフェア・アジア・フクオカ2023】への参加が終わり、ほっと一息。次は東京・浅草/アートスペース繭での企画です。「アートスペース繭」さんは、コロナ過のお休み期間を経て、京橋から浅草へ移転、活動を再開しています。30年近く、毎年お世話になっていた私どもも3年ぶりの再会となります。関東方面の方、ぜひお越し下さい。九州での「神楽を伝える村へ」は引き続き10月末まで、由布院・日田・南阿蘇・高千穂・宮崎西都の五会場で開催中。11月からき神楽シーズンに入り、現地を訪ねてのライブペインティング・取材・撮影・拝観などのアートプロジェクトが始まります。そのスケジュール等は追ってご案内いたします。浅草の「繭」で近況や神楽のことなどについて語り合う機会を楽しみにしています。この企画の後半は「天の糸・森の色」と題し...「神楽を伝える村へ」東京・浅草/アートスペース繭での展示ご案内【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<34>】

  • 洲之内さんが見ている――表層と深層/現代アートの現場から⑤【AFAFアートフェア・アジア・フクオカ2023<10>】

    【AFAFアートフェア・アジア・フクオカ2023】の会期中の三日間、広い会場を松葉杖をついて廻った。多くの客でにぎわい、現代アートの花に彩られた高原のお花畑のような空間は、ひととき私を酔わせたが、ある時間帯を過ぎると、私の右肩後方付近で呟く声が聞こえてくるようになった。――うむ、これが現代の美術というものに違いない。だが、ここはアートの「フェア」であるから当然のことなのだが、「売りたい」という意志が目立つ作品ばかりだな。――アートマーケットという市場が開拓されたことは喜ぶべきことだが、日本中の画家がマーケットの方ばかりを向いて描いているというのは問題が多い、というか重大な欠陥を秘めているということではないか。――同時代の流行というものはあるだろう。戦後美術を「印象派」が牽引し、「キュビズム」から「抽象」の...洲之内さんが見ている――表層と深層/現代アートの現場から⑤【AFAFアートフェア・アジア・フクオカ2023<10>】

  • 現代アートの「花」が開いた/現代アートの現場から④【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<9>】

    *画像の追加と本文は作業中。現代アートの「花」が開いた/現代アートの現場から④【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<9>】

  • 超名人・渓声君の二匹、釣歴2年カワトモ君の二匹/今季最後のヤマメ釣り②【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<23-12>】

      超名人・渓声君の二匹、釣歴2年カワトモ君の二匹/今季最後のヤマメ釣り②【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<23-12>】

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