chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 雨の森で「版画」を見ている[第三期:空想の森アートコレクティブ展/静かな森へ<VOL:23>]

    *本文は作業中。雨の森で「版画」を見ている[第三期:空想の森アートコレクティブ展/静かな森へ<VOL:23>]

  • 版画の粋を極める/黒木良典版画集「関係考・RELATION`S」[第三期:空想の森アートコレクティブ展/静かな森へ<VOL:22>]

    およそ20年前の出版である。だが、古びてはいない。たとえば、九州北部に分布する装飾古墳の意匠とか、「国画会」の先人・宇治山哲平画伯の薫陶などを連想させるが、それらの影響をまともに受けたり、模倣したりしているという印象はなく、画面に漂う音楽性や、複雑で繊細な色彩などに普遍性と時代を先取りしたような繊細で上品な美的センスと深い味わいが刻画されていることを共感と「観ることの愉悦」を交えて享受するのである。良典さんとは、一度だけ、第一期の由布院空想の森美術館でお会いしたことがある。来館して下さり、かなり長く話し込み、個展の約束をしたように思うが、その後、同館は閉館し、私は現在地(宮崎県西都市)に移転したので、実現しなかった。そして、良典さんは同県延岡市在住の方なので、会おうと思えばいつでも会える距離の所に二人はい...版画の粋を極める/黒木良典版画集「関係考・RELATION`S」[第三期:空想の森アートコレクティブ展/静かな森へ<VOL:22>]

  • 高山辰雄画伯の郷愁[第三期:空想の森アートコレクティブ展/静かな森へ<VOL:21>]

    遠くシルクロードへの旅を連想させる作品。道端に集い、楽しいひと時を過ごす人々。行きずりに出会った光景かもしれないが、作者はそこに唐詩の世界や、東西を結んだ交易と文化の道を見た。高山辰雄画伯は、1912(明治45年)生まれ2007(平成19年)没。大分県大分市出身。小学生のころから画才を発揮し、当時すでに画家になることを目指していたという。中学校卒業と同時に上京し1931年に東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科へ入学。在学中は松岡映丘の門下生として日々研鑽、1936年に東京美術学校を首席で卒業するなど、画家として順調なスタートを切ったが、以後は多くの美術展に落選するなどの試練があった。太平洋戦争の渦中を過ごし戦後は日展を中心に活躍。人間の本質をとらえた深い精神性と抒情性に満ちた作品を発表し続けた。洋画の...高山辰雄画伯の郷愁[第三期:空想の森アートコレクティブ展/静かな森へ<VOL:21>]

  • 南の国の食卓/前衛、バリ島へ・伊山忠幸[第三期:空想の森アートコレクティブ展/静かな森へ<VOL:20>]

    *本文は作業中。南の国の食卓/前衛、バリ島へ・伊山忠幸[第三期:空想の森アートコレクティブ展/静かな森へ<VOL:20>]

  • 森の神話/「前衛」の位置・瑛九の仕事[第三期:空想の森アートコレクティブ展/静かな森へ<VOL:19>]

    「新版画」というジャンルがあることを昨日、知った。現在、東京国立博物館で《特集新版画−世界を魅了する木版》という企画展が開催されており、そこに大正から昭和初期の木版画作品が出品されているらしい。これは木版画技術を後世に残すため、渡邉版画店の渡邉庄三郎氏がこの新版画というジャンルを開拓し、推進したものという。下絵から版木など、その一部も展示され、42摺目で完成という制作過程、彫り師、摺師等の緻密な技もを知ることが出来る大変貴重な企画となっているという。私は、昨日までにとして[空想の森アートコレクティブ展]に展示した大正期の復刻版と思われる浮世絵版画に関する記事をアップしたが、その感覚は、復刻版といえども立派にその伝統を継承するものであり、美術作品としての完成度は高いものであるという認識に基づくものであった。...森の神話/「前衛」の位置・瑛九の仕事[第三期:空想の森アートコレクティブ展/静かな森へ<VOL:19>]

  • 「版画」という美の領域[第三期:空想の森アートコレクティブ展/静かな森の夕べ<VOL:18>]

    「版画」といえば、消しゴムやサツマイモ、簡単な板などに文様や絵柄を彫り込んで刷った年賀状を思い出す。私は、その原画と反対向きに刷り上がる感触がつかめず、なんとなく苦手としてきた経緯を持つが、貝殻を半乾きの土器に押し付けて連続紋様を造形した縄文土器のデザインを「版」の範疇に加えるならば、その奥行きは無限大に深いものとなる。古代史書の文字の印刷、着物の意匠としての更紗なども驚嘆すべき技術力の高さをみることができる。そして江戸期の浮世絵に至り、庶民にまで普及して、19世紀ヨーロッパのアーティストを驚嘆させる美術史的絵画芸術となったのである。今回、大正期の復刻版の浮世絵版画を展示して、それらのことを考える機会を得た。そして、その版画芸術の系譜は現代版画にまで引き継がれていることを再認識する機会ともなったのである。...「版画」という美の領域[第三期:空想の森アートコレクティブ展/静かな森の夕べ<VOL:18>]

  • [第三期:空想の森アートコレクティブ展/静かな森の夕べ<VOL:18>]

    梅雨入り前の、温い熱気を孕んだ夕闇が古い教会を改装したギャラリーを包み森のホタル「ヒメボタル」が大発生し幻想的な風景を描き出した。旅から帰り、ギャラリーの展示替えをした。掲示の写真は浮世絵版画。歌麿などが混じっているが、明治~大正頃の復刻版なので、市場価値は高くない。だが、その版画の技術は驚嘆すべきものがある。描き・掘り・刷りの分業による仕事だが、江戸期の技術はそのまま引き継がれているとみることが出来る。髪の毛一本一本、雪のひとひら、その雪が傘に降りかかり溶けて滲んでゆく風情までが見事に定着されているのである。インターネットで売り飛ばすのが惜しくて、展示品に加えるとヒメボタルの飛び交う夕べにふさわしい一場となった。こちらは、宮崎県延岡市在住の版画家・黒木良典氏の作品。静かで精密な画面は、装飾古墳の図形を思...[第三期:空想の森アートコレクティブ展/静かな森の夕べ<VOL:18>]

  • ヒメボタルが飛ぶ森へ【森へ行く道<164>】

    二泊三日の小さな旅から帰ってくる。古い教会を改装した「友愛の森空想ギャラリー」を囲む森に森のホタル「ヒメボタル」が飛び交っている。幻想的な夕景は、南国特有のものだ。青年期までを過ごした故郷日田にも、「アートの町」と呼ばれた湯布院での活動期にもこのような景色に出会うことはなかった。そして、この地へ越してきて来年で25年になる。扉を開けてギャラリーに入り、静謐な空間に身を置く。ホタルの飛び交う森で、画家たちが精魂を込めて描いた作品たちに囲まれ過ぎ去った時間を回想する贅沢なひととき。アートが生活の中心にあるということの幸を思う。ヒメボタルが飛ぶ森へ【森へ行く道<164>】

  • 海風の町【空想の森から<201>】

    大分から宮崎へ向かう豊後水道沿いの町の海産物をメインに扱うスーパーや道の駅などで春先から初夏にかけて黒い棍棒に似たものを売っていることがある。迷わずに買う。クロメ(黒昆布)である。この海藻は、瀬戸内海から豊後水道へかけての一部地域でしか採れない珍味。ざくざくと輪切りにして、途中の無人販売所で買って来た新じゃが芋、新玉ねぎ、ラディッシュなどを具材とした味噌汁の一椀に放り込むととろりとした深い味わいとなる。ご飯に乗せるのも良い。潮風の町の磯の香りが食卓に漂う。この日は、古い城下町を散策し、町はずれの集落に残る芸能者村の痕跡を訪ねて「白と黒の翁面」に出会ったのだった。芸能史の深部とリンクするこの事例は今秋に予定されている古い商店街とその周辺の森や空き地、無人の社寺や空家などを舞台として開催される芸術祭に参加のテ...海風の町【空想の森から<201>】

  • 野草と薬草入りのカレーを一杯/空想の森のおひるごはん【空想の森から<200>】

    久しぶりに由布院空想の森美術館でゆっくりと過ごす一日。山野草と薬草入りのカレーを作って食べる。高千穂の町外れに咲いていた朴の花、阿蘇外輪山の村の高い樹上咲き誇っていた藤の花、山道の脇にひっそりと花をつけている花筏〈ハナイカダ〉などを刻み込んで入れる。ヨモギ、クロモジの葉、スギナなども刻み込む。そして珈琲を一杯。これが相性がいいのだ。20年ほど前に、中国雲南省の山岳都市の宿で出た激辛のカレーと雲南珈琲の味わいを思い出した。カレーも珈琲も、その土地で育ち、採れた素材を使ってしあげたものが最もおいしい。由布院の観光客などは一人も来ない静かに美術館で仲間たちと食べるカレーもまた格別。野草と薬草入りのカレーを一杯/空想の森のおひるごはん【空想の森から<200>】

  • 昭和の珈琲店【空想の森から<199>】

    敬愛する画人・武石憲太郎さんの作品が展示された空間で、朝一杯の珈琲をいただく。至福の時。昨日は、宮崎を出発し、高千穂の町外れで朴の花を採取。車中に濃密な香りが漂った。成人して間もないころ、先輩画家に連れて行ってもらったバーの、綺麗なお姉さんたちに囲まれて、体を固くしていた時の香りを思い出した。藤の花も採る。この二花は焼酎に漬け込み「花酒」としよう。藤の花酒は、薄紫の清純な酒となる。どのような薬効があるかはいまだにわからない。故郷の町の市役所で、叔母(97歳の老母の妹)の消息を尋ねるが、不明。5年ほど前まで住んでいた市営住宅に今はいないという。行く先もわからないという。別の調べ方を考えよう。気を取り直し、古い珈琲店に立ち寄る。この店の前の道は、20代前半を過ごした団地へ続いている。絵を描き、仕事場としていた...昭和の珈琲店【空想の森から<199>】

  • 万緑の山なみを越えて行く【空想の森から<198>】

    本日、高千穂・阿蘇を経て日田→由布院へ。草原を走り抜け、峠を越えて行く。通いなれた道の脇に朴の花が咲いているだろう。野草や薬草を採集しながら山なみを走り抜ける。故郷の町で旧友に会い、施設暮らしの老母(97歳)のたった一人の妹の消息を確かめる。不幸な昭和の時代を生き、没落した母方の一族の最後のふたりなのだ。無事でいてくれればいいが。久しぶりに、古風な町の頑固一徹の珈琲店にも立ち寄ろう。故郷の風、懐旧の香。万緑の山なみを越えて行く【空想の森から<198>】

  • 表層と深層/静けさが戻った森で【現代イベント・考<4>】

    *本文は作業中。表層と深層/静けさが戻った森で【現代イベント・考<4>】

  • 荒神の語り/土地の先住神が物申す【現代イベント・考<3>】

    【荒神の語り】荒神とは荒ぶる地主神まつろわぬ神として封じ込まれ異神とされてきた歴史を持つが九州脊梁山地の神楽では主祭神と同格の神格を有し神楽の場に降臨して神主との長い問答により宇宙星宿・神羅万象の理<ことわり>、神楽の由縁などを解き明かす。いにしえの昔よりその土地に座し集落ごとに祀られてきた古層の神である。荒神の語り/土地の先住神が物申す【現代イベント・考<3>】

  • 「ゆふいん音楽祭」50年に思うこと/地域の絆を結ぶ「祭り」とは【現代イベント・考<2>】

    昨日の私の記事「まつりのあと/「虹の家族まつり」が終わった」を見た読者の皆さん(少数限定)から――高見さん、あなたもとうとうスピリチュアの親玉になったのですか?――30年も昔に、東京・西荻や奈良・天河などで流行った「精神世界」の延長みたいなことが今、宮崎に転移しているとは笑わせる・・・――神楽を40年近く見てきた人が、あんな神がかりの真似事みたいな踊りやネイティブをはき違えたような演奏などに共感し、感動するとは思えない。――このイベントが、友愛社「福祉と芸術の出会う理想郷作り」の大構想とどのようにリンクしているのか明確でない。――施設や森の所有者である石井記念友愛社やこの地を拓き、生活してきた近隣の方々の理解と参加が得られているのかどうか。という手厳しい指摘やコメントをいただいている。そのどれもがもっとも...「ゆふいん音楽祭」50年に思うこと/地域の絆を結ぶ「祭り」とは【現代イベント・考<2>】

  • まつりのあと/「虹の家族祭り」が終わった【森へ行く道<164>】

     *本文は作業中。まつりのあと/「虹の家族祭り」が終わった【森へ行く道<164>】

  • 故郷の山から【森へ行く道<163>】

    庭先の木立の下で黄金色の光が見えた。遅咲きのエビネ蘭の花びらを西日が照射し、そこだけが輝いて見えたのである。このエビネ蘭は、24年前に由布院からこの地へ移住してきた時、老母が鉢植えの山椒や野菊などと一緒に持ってきて、植えておいたものである。20年以上、そこで冬を越し、春を迎え、花を咲かせ続けてきたものだが、咲く時期ごとに気づくということはないままに過ごしてきた日々だった。同じ日に、郷里の村の住人が、下記の写真をフェィスブックにアップしていた。亡くなった父君が山から採集して来て大切に育てたもので、多くは山に返したが、その一部が古い石垣の隅で生き残り、ひっそりと花を咲かせていたものらしい。――同じ山のエビネだ。一瞬でそれとわかる同種の個体であった。同時に、故郷の山の記憶がよみがえり、流れた。その山は、三代前ま...故郷の山から【森へ行く道<163>】

  • 藤花流れる谿で【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー9>】

    良い香りが、山道に漂っている。藤の花が盛りを過ぎ、急な下り坂にも、その道を降りきって着いた渓谷にも落下を散らしているのだ。谷を渡る小橋がある。今にも崩れ落ちそうな橋の向こうに、廃屋が見える。近年、相次いだ台風被害や洪水の影響で訪れる機会を逸していた数年の間に、崩壊は進んで家は藪の中に埋まりかけている。かつてこの橋を渡って村の小学校へ通ったという子供たちとその家族も、もうここに帰ってくることはないのだろう。一緒に来たカワトモ君と橋の下流と上流に分かれる。私は谷沿いに少し下って釣り上り、カワトモは良いポイントが続く上流へ向かう。この谷に通い始めた頃は、夢かと思うほどに釣れた。その後、釣り師に知られ、災害の復旧工事によって渓相が変わるほど変化したが、ここ数年は再生の傾向が見え始めている。大岩があり、崖があり、深...藤花流れる谿で【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー9>】

  • 望郷の詩/「思ひ出」北原白秋【かさこそ森の読書時間<23>】

    朝食を終えて、薪ストーブの前で珈琲カップを丸太を切ったテーブルに置き、新聞を広げる。けれども、記事はすでに知っている事柄ばかりで、新しく聞き、知る情報は少ない。かといって、深く掘り下げたり、なるほどと頷くような解説が載っていたりすることは稀である。昔の新聞記者は、二ヶ月で靴三足を履きつぶしたという伝説が残るほど、歩いて記事を書いたものだ。その人と、由布院の宿で一夜飲み明かしたこともある。いまも、被災地を訪ね、そこに立つ記者氏がいることも私は知っている。が、その人の記事はよほど気を付けていないと見つけることができない。多くのことを提供してくれるはずのインターネット情報は、スキャンダルや政治の腐敗や人の悪口などで点数を稼ごうとする記事が優先的にアップされており、どれを信じていいかわからない。うわべを飾り立て、...望郷の詩/「思ひ出」北原白秋【かさこそ森の読書時間<23>】

  • 浪漫の灯/「どんたく」他・竹久夢二【かさこそ森の読書時間<22>】

     *本文は作業中。浪漫の灯/「どんたく」他・竹久夢二【かさこそ森の読書時間<22>】

  • 長文のススメ/「露伴集」江田露伴【かさこそ森の読書時間<21>】

    近頃の若いものは・・・というセリフは、ソクラテスも吐いているという。老人が若者に対する態度というものは古今東西を問わず似たような傾向を示すものらしい。それにしても、近頃の若者は、と言わずにはいられない。15字以上は読まない、というインターネット社会の若者たちの傾向に続き、15行以上は「読めない」という現象が浸透・蔓延し始めていると憂慮するのは、前・法政大学総長で作家の田中優子氏である。彼女は私よりは若いが1952年生まれなのでほぼ同時代の年寄り仲間と言っていいだろう。――それは困るな。と私も思うのである。長い文章を読む力がなくなるということは、ヘミングウェイやドストエフスキー、森鴎外や江田露伴などを読む能力を無くした「大人」が増えているという事ではないか。戦記文学の傑作、五味川順平「人間の条件」、大西巨人...長文のススメ/「露伴集」江田露伴【かさこそ森の読書時間<21>】

  • 独学のススメ/「福翁自伝」福沢諭吉【かさこそ森の読書時間<20>】

    *本文は作業中。独学のススメ/「福翁自伝」福沢諭吉【かさこそ森の読書時間<20>】

  • めぐり合う「とき」と「人」/武石憲太郎展[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:17>]

    武石憲太郎さんが会場を訪れて下さり、キャプション付けなどの仕上げを手伝ってくれたという。武石さんの字はそれ自体が「絵のよう」な雰囲気を持っている。この手書きのキャプションを作品の裏側に張り付けておいたら、後々、付加価値が附くのではないか。と、それは冗談だが、憲太郎さんが来てくれたことが嬉しくありがたい。この笑顔に出会っただけでも、展覧会を急遽立ち上げた甲斐があったというものだ。一つの企画展を開催するには、時には数十年もかけるほどの長い準備期間を必要とするものだが、今回は二ヶ月足らずで展示にまでこぎつけた。その二か月前にアトリエを訪ねた時には、作品が行方不明になるという不幸な出来事(詳細は現時点では非公開)のために憔悴し、このまま死んでしまうのではないか、と私は心底、心配したのである。その一か月後に長年の交...めぐり合う「とき」と「人」/武石憲太郎展[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:17>]

  • 始まりました/武石憲太郎展[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:16>]

    始まりました/武石憲太郎展[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:16>]

  • ここにほんものの芸術家がいる/予告・武石憲太郎展[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:15>]

    開催中の「空想の森アートコレクティブ展」に【武石憲太郎展】が加わりました。現代の芸術表現活動は、日常生活全般の中にあり、変化と進化を繰り返しながら展開してゆくものと把握し、その経緯を楽しみ、鑑賞する機会としましょう。まずは概要を案内チラシの原稿から。空想の森アートコレクティブ[武石憲太郎展202]]【由布院空想の森美術館】2025年4月25日~6月20日大分県由布市院町川北電話090-5319-4167(高見)平原1358電話0977-85-7542開館日金曜・土曜・日曜*ご予約いただけば開館可能です。入館料大人500円中学生以下無料☆ホームページkuusounomori2018.wixsite.com/mysite由布院空想の森美術館←検索 【小鹿田焼ミュージアム渓聲館】2025年7月1日~8月31日大...ここにほんものの芸術家がいる/予告・武石憲太郎展[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:15>]

  • 紅蓮の炎に映し出されるものは/田口雅己「八百屋お七」[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:14>]アートスペース繭コレクションから④

    紅蓮の炎の中に火消しの纒や櫓、逃げ惑う人々、役者や鳥、種々の景物などが描き込まれ、現代の絵草子を見るような画面構成となっている。江戸時代前期に、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし、火あぶりの刑に処せられた実在の少女は、以来、様々な戯曲や芝居、小説などに描かれたが、20世紀の絵師は今昔を行き来するような絵柄を生み出した。田口雅巳(1936~2010)東京生まれ。神奈川県立鎌倉高等学校在学中から,公募団体展(自由美術展ほか)・グループ展に出品。創作活動を続け、1984年以降,無所属となり個展を中心に洋画・日本画・立体造形・版画などを発表、併行して湘南風景も描き続けた画家。紅蓮の炎に映し出されるものは/田口雅己「八百屋お七」[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:14>]アートスペース繭コレクションから④

  • 雨の歌を聴きながら/田島征三「雨の森の一日」[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:13>]アートスペース繭コレクションから③

    御存知、日本を代表する絵本作家・美術家。本作は、エネルギッシュな作品群の底流をなす素朴で愉快な造形物が、森の中の雨音や雷さまのとどろき、森の生き物たちの声などが聞こえてくるような配置。幼少期を自然豊かな高知県で暮らしたことが、その後の創作活動の原点という。「とべバッタ」「ふきまんぶく」などの代表作があり、伊豆高原に移住した後は谷川晃一・宮迫千鶴夫妻とも交流し、木の実や自然物を使った壮大なアート作品を展開してきた。2009年「鉢&田島征三絵本と木の実の美術館」が開館。<技法:材>リトグラフ/紙<作品寸法(cm)>37×27雨の歌を聴きながら/田島征三「雨の森の一日」[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:13>]アートスペース繭コレクションから③

  • ご案内/今季最後の山桜染め【森へ行く道<162>】

    由布院・高千穂・阿蘇・椎葉と廻る旅から、山桜の枝を少しいただいてきて、今季最後の山桜染めを実施します。桜は開花前の蕾を一杯に膨らませた枝が最も良い発色が得られます。里の桜はすでに咲き終えて葉桜になっていますが、九州中央山地の一部では遅咲きの桜が開花を待っているのです。とき5月4日午前10時~午後3時ところ森の空想ミュージアム(西都市穂北5248-13)参加費3000円☆当日は一品持ち寄り方式のお昼ご飯とします。当方では天然ヤマメ料理+山菜天ぷらをご用意。この日は、ご用意のシルクストール(1000円~3000円でお買い上げいただきます)の染色の他、これまでに染めた布の「重ね染め」を行ないます。せっかく染めたけれど色が薄かった、という素材や、年月が経ち褪色した布などがあればお持ち下さい。ご希望によりお手持ちの...ご案内/今季最後の山桜染め【森へ行く道<162>】

  • 山中に夢幻の郷あり/春の山旅②【空想の森から<198>】

    *本文は作業中。山中に夢幻の郷あり/春の山旅②【空想の森から<198>】

  • 独奏「アーナー恵子」/赤の遍照<5>[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:12>]アーナー恵子アトリエから⑤

     音楽とは、演奏が終わった瞬間に消えてしまう芸術だという。音楽が響いてくるような絵もあるという。では、一人で楽器を奏でている時、また、発表の予定もなく誰に見せるという目的もなく線を引いている時などに、音楽家や画家はどんな心境でいるのだろう。その答えの一つが、このデッサンにあると思える。鉛筆と紙を使って描くという絵画の初発の段階での線が、歌い、踊る時、画家は、われ知らず、一人の音楽家になっているのだ。 <技法・材質>鉛筆・水彩/紙<作品寸法(cm)>35×24独奏「アーナー恵子」/赤の遍照<5>[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:12>]アーナー恵子アトリエから⑤

  • 「再来」アーナー恵子 /赤の遍照<4>[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:11>]アーナー恵子アトリエから④

    【アーナー恵子再来》】油絵ではサムホール(ハガキ2枚大)という最小サイズに入る作品だが、そこには遠い山岳または雲の峰のような雄大な景観があり、大きな月(沈みゆく太陽かもしれない)が描かれている。ご主人のハワードさんを亡くした後の作品ならば、再来と再会の願望が託されていることはあきらかだ。もしも、それ以前の作なら、訪れる人生最大の不幸とそこから立ち上がり再生する過程を予測していた作品ということになる。画面は小さくとも、秘められている物語は大きく、深い。<技法・材質>アクリル/キャンバス<作品寸法(cm)>15×23「再来」アーナー恵子/赤の遍照<4>[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:11>]アーナー恵子アトリエから④

  • 「遭遇」アーナー恵子/赤の遍照<3>[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:11>]アーナー恵子アトリエから③

     黒潮寄せる日向灘の岩礁に立って、潮音を聴き、波間に漂う不定形な物体を見つめている時、または、神楽の演じ続けられている山奥の村の上空に漂う雲をふと見上げた時などに現れる現実にはあり得ない形態などを連想させる。「遭遇」とは、彼岸と此岸の境界を行き来する不安と希望の混交した時空。どこからか、愛おしい人の声が聞こえてくるような、ひととき。 <技法・材質>アクリル/紙・パネル<作品寸法(cm)>31×50☆【空想の森アートコレクティブとは】「コレクティブ」とは、「共同するー集合するー収集する」という三つの価値観を集約する概念で、「現代アート」の先鋭的な動向として各地で展開され始めたアートの潮流です。大分県由布院の地域活動を母体として誕生した「由布院空想の森美術館」(第1期1986〜2001・第2期2018〜現在)...「遭遇」アーナー恵子/赤の遍照<3>[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:11>]アーナー恵子アトリエから③

  • アーナー恵子「エネルギー」/赤の遍照<2>[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:11>]アーナー恵子アトリエから②

    画面を眺め続けていて、「遍照」という言葉が浮かんできた。太陽のエネルギーが炎上するさまをコロナといい、遍照とは仏教用語の大日如来を表す概念だが、そんな大仰な把握ではなく、明るくそこに集う人々を照らし、楽しくさせる「赤」だと思ったのである。そうだ、アーナー恵子さんその人が快活で、いつも周りに笑い声が絶えない素敵な女性なのだ。<技法・材質>アクリル/紙・パネル<作品寸法(cm)>80×80【アーナー恵子プロフィール】KeikoAhner1960年宮崎県生まれ。独学で美術制作。油彩・アクリル画をはじめ、ボディーペイントやライブペイントも手がける。個展やグループ展を国内外で開催。主な作品シリーズにクルクルアニメーション、ダンゴ虫シリーズ、ピーナツ星人、アハアハ星人、繋がれた命、ワッショイ星人がある。「ワッショイ星...アーナー恵子「エネルギー」/赤の遍照<2>[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:11>]アーナー恵子アトリエから②

  • /アーナー恵子「燃える想い」[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:10>]アーナー恵子アトリエから①

    多彩なアーティストである。最初に会った時は、宮崎県全域で企画された「新芸術集団フラクタス」のディレクターとして出展要請に行った時だったが、自身が運営するアトリエショップそのものが爽やかな色彩のオブジェや平面作品で構成されていた。ジャンルを超えた表現者たちが集まる芸術展にふさわしい人だった。その時期の作品「燃える想い」である。赤が鮮烈で、輝くような白の配置も快かった。燃え上がるような南国の風景とそこに集まる人々との出会いの楽しさも包含した作品。フラクタスとは宮崎出身の前衛美術家・瑛九が結成したグループの系譜を引き継いだ集団であった。/アーナー恵子「燃える想い」[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:10>]アーナー恵子アトリエから①

  • 原種のヤマメに出会った午後/山桜の谷へ②【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー7>】

    *本文記事は作業中。原種のヤマメに出会った午後/山桜の谷へ②【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー7>】

  • 山桜の谷へ①【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー6>】

    里の山桜はすでに葉桜となり、染井吉野が満開である。南阿蘇での山桜染めワークショップの予定が決まり、現地での採集が不安定の要素が多いので、念のため、探しに出かけた。山桜の染めは、開花前の蕾を一杯に付けた状態での採取がもっとも良い発色が得られる。釣りを兼ねて米良の山脈に分け入る。大人の腕ほどの枝を一本分、いただければ十分なのだが、山の中腹から頂上付近まで開花は進み、葉桜となっているところもある。標高700~900メートルの高地を駆け、尾根筋に近い所で開花前の一群落を見つけた。今季最後の採集である。同行のカワトモ君が、藪を分け入り、伐り出してきてくれた。念のため、本体から出ている横枝一本をいただくことを申し付けて置く。15歳になった彼は、逞しく、見る間に切り倒し、運び出し、車に積み込める大きさに切り分けてくれた...山桜の谷へ①【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー6>】

  • 鳥の歌を聴きながら/谷川晃一「鳥の歌」[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:9>]アートスペース繭コレクションから②[

     太陽の光が明るく降り注ぐ伊豆高原の森には、たくさんの鳥が集まり、終日、歌声を響かせる。この地に移り住んだ谷川晃一・宮迫千鶴夫妻の日々を彩った鳥たちの合奏。そこから生まれ出た美しいフォルムと色彩。鳥の歌を聴きながら/谷川晃一「鳥の歌」[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:9>]アートスペース繭コレクションから②[

  • 花に嵐:谷川晃一「森の歌」/アートスペース繭コレクションから①[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:8>]

    花に嵐というほどではないが、冷たい雨が降り続いた二日間が過ぎて、咲き遅れていた山桜と染井吉野が同時に咲いた。古い教会を改装した「友愛の森空想ギャラリー」では、[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:8>]が開催中。ようやく出そろったアートスペース繭コレクションの作品解説をはじめよう。【谷川晃一《森の歌》】題名不詳だが、「森の歌」としておこう。谷川晃一・宮迫千鶴夫妻は、東京での活動を打ち切り、伊豆高原の森の中に移住してから、自由闊達で多彩な作品を生み出した。「アートフェスティバルゆふいん」から引き継いだ「伊豆高原アートフェスティバル」は伊豆半島の100を超える会場が参加する地域美術展となり、全国のアートシーンを牽引した。アートスペース繭のオーナー梅田さんは、その初期から同フェスティ...花に嵐:谷川晃一「森の歌」/アートスペース繭コレクションから①[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:8>]

  • 「竹と音楽」① 【竹と遊ぶ・竹と暮らす<3>】

     私たちの仲間、音楽家の成澤けやき君が、「竹と音楽」をテーマとした活動を開始し、クラウドファンディングに挑戦しています。好漢・ケヤキ君のことは別の機会に紹介することにして、まずはその概要をお伝えします。古来、神が宿り、神を招く新具として重宝され、楽器や日常の生活道具として使われ続けてきた「竹」ですが、近年はその需要が激減し、竹林は荒れ、「竹害」と呼ばれるようになってきているのです。その「竹」に焦点を当て、音楽の力で再生への道を探ろうとするのがこのプロジェクト。新しい世代の斬新な価値観で「未来資源としての竹」と語り、取り組みます。以下はその概要です。  竹害を竹財に!ミュージシャン・成澤けやき【竹楽器×繋がり×未来づくり】新たな挑戦竹害に対し音楽とアートで解決に取り組んでいます。放置竹林の影響のある地域に対...「竹と音楽」①【竹と遊ぶ・竹と暮らす<3>】

  • 「竹と音楽」① 【竹と遊ぶ・竹と暮らす<3>】

     私たちの仲間、音楽家の成澤けやき君が、「竹と音楽」をテーマとした活動を開始し、クラウドファンディングに挑戦しています。好漢・ケヤキ君のことは別の機会に紹介することにして、まずはその概要をお伝えします。古来、神が宿り、神を招く新具として重宝され、楽器や日常の生活道具として使われ続けてきた「竹」ですが、近年はその需要が激減し、竹林は荒れ、「竹害」と呼ばれるようになってきているのです。その「竹」に焦点を当て、音楽の力で再生への道を探ろうとするのがこのプロジェクト。新しい世代の斬新な価値観で「未来資源としての竹」と語り、取り組みます。以下はその概要です。  竹害を竹財に!ミュージシャン・成澤けやき【竹楽器×繋がり×未来づくり】新たな挑戦竹害に対し音楽とアートで解決に取り組んでいます。放置竹林の影響のある地域に対...「竹と音楽」①【竹と遊ぶ・竹と暮らす<3>】

  • 竹という空洞空間【竹と遊ぶ・竹と暮らす<2>】

    竹という植物は、その内部が空洞になっており、一定の間隔で節がある。その節と節の間の空洞は、入り口も出口もない。が、真空だとは思われない。なんとなれば、その中で「かぐや姫」が育ち、竹取の翁によってこの世に迎えられるのであるから。その不思議空間はおとぎ話の世界の出来事であるが、全くの虚構とはいえない。竹が空洞であるということは、現代においては子供でも知っている常識の範囲内のことであるが、その空洞を有するがゆえに、そしてその驚くべき成長の速さ、120年周期で開花と枯死を繰り返しながら再びよみがえる生命力、地中にがっしりと張り巡らされる根の力などにより、古代の人々は、竹には精霊が宿り、竹とは呪力をもつ植物だと認識した。かぐや姫は、竹の精霊としてこの世に出現したのである。神楽の「岩戸開き」では、天鈿女命(アメノウズ...竹という空洞空間【竹と遊ぶ・竹と暮らす<2>】

  • [第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:8>]

    後藤洋明コレクションから、人物3点。それぞれが個性的で、哀歓を漂わせ、画家とモデル、それを入手し愛玩した蒐集家にまつわる物語を秘めている。 【落田謙一《リコ》】 不思議少女というべきか。あるいは少女のまま大人になった女性のある一日か。後藤洋明さんの蒐集には、時々コワーイ系の作品が混じるが、これもそのひとつ。だが、奈良美智さんや藪内左斗志さんの作品が大きく評価を伸ばしている現代美術の動向をみると、1981年に中野紅画廊でこの絵を求めたという後藤さんの眼力は時代のはるか彼方を見つめていたということになろう。「リコ」という題名をみると画家の身近な女性のようだ。画面ではちょっと妖しい雰囲気を漂わせているこのひとにじっさいに会うと、どんな展開になるか楽しみではないか。落田氏はグラフィックデザイナー、イラストレーター...[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:8>]

  • 嶽と遊ぶ・竹と暮らす/「ウナギの寝床」さんのフェィスブック記事から。

    [ウナギの寝床]さんの記事。【つくりて紹介】竹聲館(竹工芸/大分県・由布市)竹細工の大分だが竹ペンの優雅さもまた良い大分県由布市湯布院町に工房を構える竹聲館は、竹細工製品をつくっています。竹工芸家の高見八州洋さん、綾子さんのご夫婦2人で活動しています。大分県日田市出身の八州洋さんは1978年に竹工芸家の野々下一幸さんに師事、1981年に宮崎珠太郎さんに師事し、竹の削りと編みの技術を修得し、その後1984年に独立自営を始めます。同じく日田出身の綾子さんは結婚を機に別府の竹工芸訓練センターに通い、技術修得後は編む作業をメインに担当しています。工房では竹の繊維を活かし、インクを吸い上げた状態で書くことが可能な竹ペンや、亀甲編みや麻の葉編み、網代編みといった多様な編み技術で盛篭や花篭を製作しているほか、空間を彩る...嶽と遊ぶ・竹と暮らす/「ウナギの寝床」さんのフェィスブック記事から。

  • 流れてゆくものがみえる/広瀬勝巳「川のある風景」[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:7>]

    よく見ないと、画面の中に川が流れているかどうかわからない。クレパスによる下地の上に色鉛筆で引いたらしいて重ねたらしい複雑な線が絡み合い、流れ、漂いながら、小規模の室内楽の演奏を聴くような印象と、もしかしたら、戦後の焼け跡風景かもしれない、という感覚にみちびいてくれるのである。そして画面下方に流れる朧な川に気づき、作者の心象を想像するのである。後藤洋明さんは、現代画廊に通いながらそこに集まる作家たちと交流を重ね、独自の視点で蒐集した。この作品は、直接画家から購入した、というメモ以外の情報はない。インターネットで調べても、この作者のことは一行も出てこない。それが「画中遊泳コレクション」の面白さなのだ。<ジャンル>絵画<技法:材質>紙にクレパス・色鉛筆などによるドローイング<作品寸法(cm)18×26<所属:後...流れてゆくものがみえる/広瀬勝巳「川のある風景」[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:7>]

  • 「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は⑥[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:6>]

    木本晴三は論客の揃った春陽会に所属し、嘱目され、論客たちに鍛えられながら画風を確立していった画家らしい。洲之内徹氏の目に止まり、銀座の現代画廊で個展を開くようになるまでは大作のタブローばかりを描いていたという。ということは、画廊の個展などでは売れにくい絵という事になる。そのことをふまえた洲之内さんのリクエストにより、ゼロ号とかサムホールなどの小品を描くようになり、愛好者も増えた。が、画家は小品といえども丁寧に堅実に仕上げる画法を貫いた。二本の木のある変哲もない風景が、画家の手練の技によって、その日、そこに漂っていた空気感とともに定着されたのである。<ジャンル>絵画<技法:材質>油彩/キャンバス<作品寸法(cm)334×242<所属:後藤洋明コレクション>後藤さんに関する文を再掲。後藤洋明さんは、夭折の画家...「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は⑥[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:6>]

  • 南国の「赤」が響いている/二人の地元作家の作品を加えて展示が完成「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は⑤[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:5>]

    二日間ほど続いた温かさで、山桜、辛夷(こぶし)、青文字など、山の花が一気に開花を始めた。「友愛の森空想ギャラリー」で開催中の「第三期アートコレクティブ展」では、正面に近代美術史研究家・後藤洋明氏のコレクション、向かって右手の壁面に東京・アートスペース繭コレクションで構成し、左の壁面に地元宮崎の画家、水元博子氏、アーナー恵子氏の作品が加わり、宮崎出身の前衛美術家・瑛九の小品、瑛九が創設したデモクラート美術協会に参加しその後バリ島にわたって作家活動を続けている井山忠行氏の水彩、私(高見)の神楽スケッチ少々、作者不詳の絵などを配置して展示が完成した。後藤洋明さんは、夭折の画家や無名の新人などを発掘し、美術誌「芸術新潮」に美術随想「気まぐれ美術館」を連載して戦後美術史に独自の光を当て、同時代の作家たちにも影響を与...南国の「赤」が響いている/二人の地元作家の作品を加えて展示が完成「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は⑤[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:5>]

  • 山に入る・神域に入る/深刻さを増すマナーの悪化・価値観の崩壊【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー5>】

    山桜が咲いた。いよいよ、ヤマメ釣りの季節到来。少し前に、渓谷でのヤマメ釣りに関し、解禁直後の谷には入らない理由の一つとして、釣り人のマナーの悪さを書いたところ、地元の方のかなり厳しい反応があった。私は遠慮がちに表現したつもりだったが、現地の皆さんの怒りは外部のものからはうかがい知れないほど、深刻だったのだ。以下にその概要を記す。☆おはようございます。拝読いたしました。わがふるさとの馴染んだ川のことを書いていただき感激しております。新参者の釣り師たちのマナーの悪さは、まだ集落が集落として機能していた時代から住民間で共有されていました。わたしたちが帰省するときに車を停めると、飲み食いしたであろうゴミが捨てられていたり、ひどいときはトイレ代わりに使われたりしていました。なので一時期は県外ナンバーの車が集落に停め...山に入る・神域に入る/深刻さを増すマナーの悪化・価値観の崩壊【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー5>】

  • 美学の今昔/「仙頭利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<195>】

    およそ30年ぶりに由布院空想の森美術館の展示作業に参加した、元スタッフの吉川順君が、「竹崎陽子展」の配置を終えて、「古物と現代アートのコラボ」という印象を、自身のフェィスブックに掲示していた。なるほど、そうだよな。第一期の由布院空想の森美術館(1986-2001)では、本館第一室「九州の民俗仮面」100点を壁面一杯に展示する異色の美術館として出発した。ただし、私どもはこの中核展示を異色とも異端とも思わず、これこそが九州の民俗の底流に連環し、日本列島に流れる古層の美学であるという自負を持って運営に当った。その基本の行動原理と精神は、一度同館が閉館になり、17年の歳月をかけて再開した現在も引き継がれていて、津軽地方の林檎専用の倉庫を移築した「空想の森別館:林檎蔵ギャラリー」にも古民具・古民藝の逸品や染織美術作...美学の今昔/「仙頭利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<195>】

  • 生活空間アート:「仙頭利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<194>】

    仙頭利通さんの作品が展示された部屋で目覚めた。窓の外に由布岳が見える。由布院空想の森美術館の二階は私(高見乾司)のアトリエ兼ギャラリーとして使っているのだが、企画展の時には展示室の一部として利用している。そして私は、各々の作家たちが精魂込めて制作した作品や、空想の森アートコレクティブ展の時のようにコレクターが長い年月をかけて蒐集した古作・名作などが配置された部屋に布団を敷いて寝るのである。ここは極め付きの贅沢空間なのである。*続きは作業中。生活空間アート:「仙頭利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<194>】

  • 古民家に現代のアートが違和感なく配置された:「仙道利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<193>】

    *本文と画像は作業中。古民家に現代のアートが違和感なく配置された:「仙道利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<193>】

  • 始まりました「仙道利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<192>】

    季節外れの大雪の影響で、「仙道利通/竹崎陽子展」は一日遅れの展示作業となった。作品を満載したお二人が、高速道を太刀洗まで来た時点で大分道の日田・湯布院間が通行止めとなっていたので、やむなく引き返し、今朝早く出発して、9時過ぎには到着したのである。天候は回復して、雪を被った由布岳が、山頂付近を銀色に輝かせている。ふもとの雪もみるみる溶けだした。――山は雪雪は氷となり果てて溶くる方より辰は白波高千穂神楽歌に歌われる風景そのものである。展示開始と同時に、二人の青年が訪ねてきた。大牟田からバイクを飛ばしてやってきたというのである。仙道さんの人気の高さと、地道に画業を続けてきたことを知る人たちとの交流の深さを物語っている。この人たちを交えて展示作業を進めた。仮面や神像、山岳宗教の写真や資料などが展示されている空間に...始まりました「仙道利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<192>】

  • 由布院雪景色「仙道利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<191>】

    昨日、宮崎から由布院へ。由布院地方に大雪の警報が出ていたので、無早めに出発した。いつものように釣りや山野草採りなどの寄り道をせず、東九州高速道を北上。延岡市と大分市の境界付近で雨になった。南部はからりと晴れていたが、北方の山脈の上空は雲に覆われている。九州の南と北では南国と北国ほどの違いがある。由布院に着くと、予報通りの雪。一夜明けると、由布院空想の森美術館のアタリは積雪15センチの雪景色。長靴を履いて子犬のように外を歩き回った。画家・仙道さんの作品搬入は少し延期して午後から。道路状況を見ながらの判断。由布院雪景色「仙道利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<191>】

  • 本日、由布院へ。「仙道利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<190>】

    本日、由布院へ行きます。20日から始まる「仙道利通・竹崎陽子展」の飾りつけのためです。由布院は季節外れの大雪の予報が出ている。釣りをしたり山野草を採取したりという途中の寄り道を省略し、高速で走ります。今朝、久しぶりのチェーンチェック終了。☆[仙道利通さんとの再会]仙道さんは、1977年に西日本美術展で大賞を受賞するなど、早くから頭角を現し、その後も旺盛な創作活動を続けてきた画家である。その頃は、私は病気を得て長期入院治療を必要と宣告された時期だったので、その鮮やかな活躍ぶりを羨望のまなざしを交えて見つめてきたものである。その病と療養が機縁となって「湯布院・町づくり運動」に参加し、由布院空想の森美術館を設立するという幸運を得た。そして同館での仙道さんの個展や郷里・日田に誕生した宇治山哲平美術館での仙道利通展...本日、由布院へ。「仙道利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<190>】

  • 喰うか、喰わぬか【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー4>】

    「喰うか」「喰わぬか」という命題は、喰うか喰われるかという自然界の弱肉強食の営為ではなく、渓流釣りにおける釣った魚を食べるか、食べることは野蛮人の所業に近いとみなして元の水に放つ(リリースする)かという選択肢と価値観の話である。簡潔に言う。私どものヤマメ釣りは「狩り」すなわちハンティングである。釣りをスポーツやレジャーの一環とする遊漁活動ではない。すなわち「遊び」では我々は釣らない。「喰う」ために釣るのである。いまどき、食べるための魚類ならばスーパーに行けば、南海の魚から北海道の魚類まで、安価で調理済みのものがパックされて並んでいる。なにも崖から落ちたり蝮を踏みそうになったり、スズメバチの襲撃を喰らったりと命の危険と隣り合わせの冒険をしなくとも手に入るのである。だが、釣り師は、谷辺に立ち、沢を歩き、源流を...喰うか、喰わぬか【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー4>】

  • 再生する渓谷の一日【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー3>】

    少し痛みのある左足を庇いながら、谷へ降りてゆく。深山の山桜の開花には、あと一週間から二週間ほどの時が必要だから、私は本気では釣らない。体慣らし、足慣らしの時期だと心得ているのだ。解禁直後は釣らないという自分自身に課した「掟」の根拠は、冬越しからまだ体力を十分に回復していないヤマメを釣ることのアンフェアな気分、この時期は美しくもなく、食べてもおいしくない、解禁直後に我先にと渓谷になだれ込むマナーの悪い釣り人への嫌悪感、などの要素によるものである。このことは毎年書いているが近年増え続けている初心の釣り人たちのために以上簡潔に繰り返しておく。大河の本流と、肥後と米良の境界を区切る山脈の分水嶺から流れ出してきた支流との出会いの地点へ行く。そこは、つい最近、最後の住人が去り、無人となった集落のある所だ。数年前の大洪...再生する渓谷の一日【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー3>】

  • 梅花散る谿で【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー2>】

    里では早咲きの山桜が開花をはじめたが、山の村ではまだ蕾は固く、梅の花が満開だった。その梅の花がはらはらと花びらを散らす谷辺を歩いた。*本文の続きは作業中。梅花散る谿で【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー2>】

  • 「現場」に立つ記者/朝日新聞「天声人語」から

    多くを語る必要はない。東野記者とは、阿蘇地震の時に出会った。被災地の屋根が傾いた家に泊まり込み、取材を続けていたのだ。その後、我が家「九州民俗仮面美術館」を訪ねて下さり、同居している若者を交えて語り合ったことがある。若者は、長い漂泊の後に、幼児期を過ごしたこの地に帰って来ていたのだった。その後若者はスランプに陥ったが、今は脱して良い仕事を得ている。東野記者は、それらも気にかけて、私の出先に電話をかけてきた。「今、近くにいます」というのである。私は九州脊梁山地の山奥にいたが、ちょうど電波の届く位置だったので、確認すると、彼が我が家に到着するのと私が帰り着くのとがほぼ同じ時刻になることが分かった。私は用事を切り上げて帰宅した。記者は、東北の釜石支局を出発し、宮崎南部の地震のその後を確認しに来たのだった。東野さ...「現場」に立つ記者/朝日新聞「天声人語」から

  • 神棲む森の一夜/「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は④[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

    【神棲む森の一夜】この森の奥には、太古の記憶が眠っている。と、神楽を伝える村の古老が言った。一晩中神楽が舞い続けられている神楽宿の裏手の山には一万年前の遺跡が眠っているといい、川向うの丘陵地に面したこの地方の鎮守神社の森からは古代文字の刻された甕棺の蓋が出土した例があるともいう。その文字は漢字以前の文字と思われるが贋物扱いされて怒った村人が叩き割って川に捨てたという。だが、その破片がまだ残されている場所をワシは知っているがそれが日の目を見るのはもう少し先になるかもしれない・・・と言って、森の奥の村へ帰って行った。神々の棲む森は多くの謎と秘密と神秘を秘めて静かである。「神棲む森の一夜」高見乾司水墨・水彩・インク神棲む森の一夜/「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は④[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

  • 神楽笛が聞こえる/「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は④[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

    【神楽笛が聞こえる】寒風に粉雪が混じる峠を越えてゆくと遠くから神楽笛が聞こえてくる。黒々とした山脈に抱かれて素朴だけれど古風で清雅な民俗を保つ人びとが、山神に捧げる神楽を奏しているのだ。国土創生の英雄たちと土地の先住の神々が出会い、相克し、協調してゆく物語。それが神楽だ。悠久の時間が流れ、風に乗って神楽笛が山塊へと響いてゆく。「神楽笛が聞こえる」高見乾司作水彩・水墨・インク会場の右隅(入り口は言ってすぐの所)に展示してあります。☆「空想の森アートコレクティブ」のページはこれから順次アップしてゆきます。https://kuusounomori.base.shop/items/allをご覧ください。神楽笛が聞こえる/「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は④[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

  • 始まりました/「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は③[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]

    始まりました/「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は③[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]

  • 神楽笛が聞こえる/春の森で見た夢は②[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:2>]

    【神楽笛が聞こえる】寒風に粉雪が混じる峠を越えてゆくと遠くから神楽笛が聞こえてくる。黒々とした山脈に抱かれて素朴だけれど古風で清雅な民俗を保つ人びとが、山神に捧げる神楽を奏しているのだ。国土創生の英雄たちと土地の先住の神々が出会い、相克し、協調してゆく物語。それが神楽だ。悠久の時間が流れ、風に乗って神楽笛が山塊へと響いてゆく。神楽笛が聞こえる/春の森で見た夢は②[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:2>]

  • 幻の村[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:1>]

    【幻の村】時々、夢に出てくる村がある。訪れたことも、実在を確かめたこともない。生まれ育った故郷の山の村にも似ていない。アジアの山岳地帯を旅した時に標高2000メートルほどの高地の石造りの村の石壁の上からさらにその奥の3000メートル級の山岳へとそれぞれが大きな荷物を背負い越えてゆく家族を見たことがあるがそれほど過酷な土地でもない。夢の中のその村にたどり着くと、かならず一人の男の子と二匹の白い犬が迎えに来てくれる。そして村を巡ると美しい彼らの母親のいる家があり、古い汲み上げ式の井戸があって、深い底に清らかな水が湛えられている。井戸の背後のお堂では神楽の練習が続けられている。初冬、雪の舞い始めた村で夜を徹した神楽が舞い続けられるのだという。夢は、いつもその辺りで終わる。いつだったか、村のある方角の黒々とした山...幻の村[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:1>]

  • 春の森の午後【森へ行く道<160>】

    カワトモ君が来た。宮崎市から電車に乗り、高鍋駅で降りて、そこから自転車を漕いでやってくる。途中にここ茶臼原台地へと登る坂道があり、最初のころは半日ほどもかかっていたのだがいまでは軽々とやってくる。森へ行き、立ち枯れとなった桧や杉、樫などを切り、運び出す。大人と同じ大きさの丸太を担いで降りてくる姿はすでに一人前の山人<やまびと>だ。学校へ行かず、家でゲームに没頭してブクブクと肥え太っていた子が三年の間に逞しく成長した。森から担ぎ出した木を伐って割り、焚き火をする。家(九州民俗仮面美術館)の周りの落葉を片付け、里芋とじゃが芋の子芋を落合圭太君が開拓した畑に植え付け、再度森へ行ききのこの生える木を切り倒す。天然のヒラタケやキクラゲが発生するアカメガシワの古木だ。根元の付近が穴ぼこだらけになり、虫食いがあり、腐食...春の森の午後【森へ行く道<160>】

  • 予告「先導利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて2025:3月20日~4月20日

    仙道利通さんとの再会仙道さんは、1977年に西日本美術展で大賞を受賞するなど、早くから頭角を現し、その後も旺盛な創作活動を続けてきた画家である。その頃は、私は病気を得て長期入院治療を必要と宣告された時期だったので、その鮮やかな活躍ぶりを羨望のまなざしを交えて見つめてきたものである。その病と療養が機縁となって「湯布院・町づくり運動」に参加し、由布院空想の森美術館を設立するという幸運を得た。そして同館での仙道さんの個展や郷里・日田に誕生した宇治山哲平美術館での仙道利通展の手伝いをさせていただくなどという縁と交流が深まった。宇治山画伯は、同時代の後輩作家・仙道さんのことを高く評価していたのである。そして、時代が大きく廻り、一度閉館した空想の森美術館の再開とその後の活動を認知していただいて、今回の企画が実現した。...予告「先導利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて2025:3月20日~4月20日

  • 春の雨が神秘の薬草「日向当帰(日本山人参)」を濡らした【森へ行く道<159>】

    降り続いた細い雨が、薬草・日向当帰(ヒュウガトウキ)の葉を濡らしている。少し前に、深山の山道の脇から頂いてきた苗が根付き、一部は新芽を出しはじめたのだ。昨日の雨を、龍神君が東北まで運んでくれたわけでもないだろうが、山火事の延焼が続いている大船渡地方に降雨があったらしい。天気図で見ると、これからさらに鎮火に役立つほどの雨が降るようだ。私は龍神に頼んだり指図したりした覚えはないが、この雨が東北に届けばいいのに、と願ったことはたしかだ。九州地方の雨が翌日に東北まで届くという気象現象は稀だが、多くの人が願ったり、祈ったりしたあとにこのような現象が出ると、昔の人たちは、天に願いが届いた、と言ったのである。日向当帰(ヒュウガトウキ)は日本山人参とも呼ばれる神秘の薬草だ。朝鮮人参と同じ薬効を持つという。山道の脇の壊れか...春の雨が神秘の薬草「日向当帰(日本山人参)」を濡らした【森へ行く道<159>】

  • 春の川辺で【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー1>】

    3月4日、雨が降っている。東北・大船渡地方で木大規模な山火事が発生し、まだ鎮火していないらしい。が、この雨を火事の上空まで運んで降らせてほしいと龍神さまに頼んでも、それは無理らしい。北国の人たちには申しわけない気もするが、少雨の冬を乗り切ってようやく温みはじめた川辺を潤す南国の雨である。この状況を「水が動く」と釣り師は表現する。深い淵や岩陰などに潜んで冬を越した魚たちが活動を始める雨だ。ヤマメ釣りの解禁日はすでに過ぎているが、私はまだ釣らない。山桜の咲くころが、私の解禁日。解禁日に釣人がなだれ込んで荒れた川も少し落ち着きを取り戻し、浅瀬に出て活発に採餌した魚たちも銀色に輝く体色を回復して、元気になっている。鋭い光のように急流を走って餌を追い、一瞬の間に咥えた餌を放して逃げ去る渓流の勇者たちに尋常の勝負を挑...春の川辺で【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー1>】

  • 春の森を歩けば 「森の恵みを頂く、Viva野草!」3月1日の記録

    一気に春の陽気となった森を歩き、野草を収穫。出発に先立ち、森の野草や薬草など、寒い冬を耐え抜いてやっと芽吹いてきた植物をいただくのだから、採り過ぎないように、という注意をしておきます。一株の植生があったらそのうちの3分の1をいただく。すると次の人に残りの3分の1を収穫してもらうことができる。最後に3ぶんの1は残しておく。これは山や森の人たちがケチなのではなく、秘密主義でもなく、かぎりある資源を絶滅から守る知恵なのです。「フキノトウ」の群生。これは一株を移植しておいたものが15年ほどでこんなに増えたもの。これは次々に芽吹いて来るから採ってもよろしい。散歩道の脇に「ハナミョウガ」があるので、野草茶の原料として採取。野生では珍しい肝臓病に効くという植生。野菜のミョウガの花とは違います。これは葉っぱを少しずついた...春の森を歩けば「森の恵みを頂く、Viva野草!」3月1日の記録

  • 「森の恵みを頂く、Viva野草!」 明日(3月1日)開催です。

    先日お知らせしていた皆んなで野草を学ぼう一緒にその月に食べれる野草や薬草などを学び、実際に採取し料理して頂きましょう大地に感謝して、自然の恵みを頂く土地とつながることで心身のバランスも整うのではないのでしょうか当日は採取用のハサミやザル等の入れ物をご持参できる方は持ってきてくださいお昼は皆んなで当日採取した野草を料理、ご飯(お米)等は主催側でご用意させていただきます場所:Casa-Coso森西都市穂北5248-29日時:10時集合参加費:1000円(高校生以下無料)定員:20名前後環境を維持するために人数の制限をさせていただくことご了承くださいご予約はメッセージまたはTel090-9473-7974(中村)「森の恵みを頂く、Viva野草!」明日(3月1日)開催です。

  • 諸塚神楽「七荒神の物語」の絵と実際の舞姿入りの動画です【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<110>】

    前回に注続き、諸塚神楽「七荒神の物語」の絵と実際の舞姿入りが動画になりました。】*制作は取材仲間のHiroshiKanemaru(金丸洋)さん。https://www.youtube.com/watch?v=c98VirLGay8諸塚神楽「七荒神の物語」の絵と実際の舞姿入りの動画です【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<110>】

  • 諸塚神楽「七荒神の物語」の絵(現場制作)が動画になりました。

    諸塚神楽「七荒神の物語」の絵が動画になりました。制作は取材仲間のHiroshiKanemaru(金丸洋)さん。https://www.youtube.com/watch?v=WBZcNt3CeJ4&t=303s☆神楽の神秘を探求する高見乾司氏は、毎年、土地々の神楽を訪ねてはそこで神楽絵を描いている。この作品は、前段の「舞荒神」、二曲の「三宝荒神」、後段の「舞荒神」で構成され、二時間以上を要する諸塚村地域の神楽の中核をなす「荒神祭祀」を「七荒神の物語」と題材された絵巻の中に、日本の長い歴史の中でくり返されてきた民族融合の歴史と自然界と人間界の共生の理念が語り継がれてきた壮大な叙情詩を描いた墨絵に諸塚神楽の音色を加えて動画とした。*この解説も金丸さん。 諸塚神楽「七荒神の物語」の絵(現場制作)が動画になりました。

  • 美しい本が届いた/詩集「シカルの井戸」【かさこそ森の読書時間<19>】

    美しい本を手にして、春の森へ行く。すぐに読むというわけではないが、早春の光が射し込む森で彦の一冊の詩集をひらく事の歓び。詩人・伊藤冬留氏とは、10年ほど、九州脊梁山地の神楽探訪、ヤマメ釣り、アジアの少数民族の村を訪ねるをご一緒した縁がある。その冬留さんが90歳になり、そしてまた一冊の詩集を編んだのである。自分のことのように嬉しく、このような「紙の本」を手にすることの歓びを思う。この詩集の「あとがき」に乗せていただいた拙文(長文)の一部が、本の帯に載せられているので、それを転載しておこう。☆冬留さんは、80歳になった年に、ヤマメ釣りを終えた。美絵子さん(筆者注・奥様)もそれに従い、竿を置いた。体力や山中での過ごし方に限界を感じたというのである。人生の終盤を彩る良い釣り旅だった、とも言った。その最後の釣行の日...美しい本が届いた/詩集「シカルの井戸」【かさこそ森の読書時間<19>】

  • 春の森を歩き野草・薬草を採取して食べるワークショップ

    石井記念友愛社の敷地内にある森では、アート・音楽・農業・演劇・映画や講演会など多彩な活動が継続されています。この地は100年前に石井十次とその仲間たちが「福祉と教育・農業・芸術が出合う理想郷づくり」の理念を掲げ、児童福祉の仕事を始めた開拓の地です。この森を歩き、野草・薬草を採取し、料理して食べるワークショップの準備を兼ねてプレワークショップが実施されました。インフォメーションなどは特にしなかったにも関わらず10人以上の仲間が集まり、楽しい一日となりました。この企画は3月1日から本格的に始まります(詳細はあらためてご案内します)。まずは当日の模様を記録しておきましょう。*画像は杉田道子さん+筆者撮影。 *本文の続きは作業中。春の森を歩き野草・薬草を採取して食べるワークショップ

  • 「舞荒神」が舞い納める/「七荒神」の物語⑥【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<109>】

    長い問答によって荒神の怒りが解け始める。そこで村人が徳利と盃を乗せた盆を捧げ持って舞い出て仲直りの儀がとり行われ、三宝荒神が村に幸を与える荒神杖を渡して退場する。神楽の荒神問答とは日本列島の長大な歴史の中でくり返されてきた民族融合の歴史と自然界と人間界の共生の理念が語り継がれてきた壮大な叙事詩である。「舞荒神」が舞い納める/「七荒神」の物語⑥【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<109>】

  • 「海幸彦」の古伝承【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<108>】

     昨日、「海幸彦の舞」を伝える潮嶽神楽~帰って来ました。朝5時に起床、ゆっくりと朝食を作り、珈琲を一杯飲んで、日南海岸沿いに車を走らせ、日南市北郷・潮嶽神社へ。ここは日本で唯一、海幸彦を主祭神として祀る神社で、海幸彦が漂着したと伝えられる地点、山幸海幸神話にちなみ今もなお針の貸し借りをしない、などの古伝承があり、神楽の「魚釣り舞」は海幸彦の舞と伝えられているのです。梅の香りが漂う暖かな境内で、午前11時から始まった神楽を午後3時まで描き続けて、終了。これで私の今季(夜神楽8座、昼神楽2座)の神楽取材が完了。歳末と正月の休みを挟んで毎週、神楽を伝える村で夜を徹して過ごしたのです。途中、5時間の山中彷徨、90段の石段を駆け上がる(続きの210段は登りきれず)、コロナ風邪とほぼ同じ症状の風邪を引いたが自家愛用の...「海幸彦」の古伝承【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<108>】

  • 荒神問答/「七荒神」の物語⑤【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<107>】

    森の奥から怒り出てきた三宝荒神に対し渡来の神の祭祀者たる神主は天照大神が岩戸に隠れこの世が闇となったので太陽神の再来を請う祭りを行なっているのだと理<ことわり>を述べる。延々二時間に及ぶこの問答によって神楽の由縁や、宇宙星宿を凝縮し母の胎内を象形した天蓋の下で一夜の神楽が舞い継がれるという神秘が解き明かされて、神楽が再開され、祭りの夜が更ける。*荒神問答のごとく長い記事になっています。絵のサイズと画像とがかみ合っておらず、ますます難解になってきている気配がありますが、いずれ写真主体に「まとめ」の記事を作り、さらにプロのデザイナーさんが動画を作成してくれると言っています。とりあえずこの様式で続けます。荒神問答/「七荒神」の物語⑤【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<107>】

  • 神羅万象を支配する神/「七荒神」の物語④【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<106>】

    「舞荒神」に続き、「三宝荒神」が降臨する。一荒神は土地を支配する神・築地荒神である。まず一番に降臨し荒神杖を採り物に荒々しく舞った後土地を開発する時は我の許しを得よと宣言する。二荒神は山の神。派手な装束をまとい大型の荒神面をつけて雄々しく登場し山を支配するのは我なるぞと荒ぶる。三荒神は火の神・竈荒神という。真っ赤な茜染めの装束は火の色を象徴し古代よりこの地で行なわれてきた焼畑農耕の記憶をとどめる。神羅万象を支配する神/「七荒神」の物語④【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<106>】

  • 「三宝荒神」が降臨する/「七荒神」の物語③【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<105>】

    一荒神は地の神二荒神は山の神三荒神は火の神すなわち、神羅万象を支配する自然神という。一荒神は土地を支配する神・築地荒神である。まず一番に降臨し荒神杖を採り物に荒々しく舞った後土地を開発する時は我の許しを得よと宣言する。二荒神は山の神。派手な装束をまとい大型の荒神面をつけて雄々しく登場し山を支配するのは我なるぞと荒ぶる。三荒神は火の神・竈荒神という。真っ赤な茜染めの装束は火の色を象徴し古代よりこの地で行なわれてきた焼畑農耕の記憶をとどめる。「三宝荒神」が降臨する/「七荒神」の物語③【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<105>】

  • 地主神「舞荒神」が降臨する/「七荒神」の物語②【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<104>】

    諸塚村・南川神楽の「舞荒神」とは集落ごとに祀られる土地の氏神村の背後の荒神森、巨岩の脇や巨樹の根方等に鎮座する。神楽の場には、家ごとに伝わる荒神面をつけて降臨する。「神」として伝えられてきた秘面をつけて舞うとき舞人も神に変異するのである。地主神「舞荒神」が降臨する/「七荒神」の物語②【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<104>】

  • 「七荒神」の物語①【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<103>】

    *本文は作業中。「七荒神」の物語①【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<103>】

  • 「山地神楽」の骨格「荒神祭祀」/「天空をゆく舟」⑤【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<102>】

    諸塚村の「戸下神楽」と「南川神楽」には「七荒神・八稲荷」という伝承とそれにもとづく神楽の実態がある。同じく諸塚村の「桂神楽」では「二荒神」が出る。「七荒神」とは神楽を伝える地域の集落後へとに祀られる「荒神様」で、「八稲荷」とは同じく地域ごとの稲荷神である。諸塚の山々を巡ると、別れ道や三差路、巨岩の下や巨樹の根方などに祀られた「荒神」の祠がある。稲荷様も同じように祀られるが、稲荷様の祠へと続く山道には赤い鳥居が建っている例が多い。これらの神様が神楽に降臨するときは、雄大な仮面神である。仮面は古くは家ごとに伝わり、神楽の折にその家の長男がその神面をつけて舞うことがその家の誇りであったという。稲荷神が神楽に降臨する例が少ないが、神社での神事を終えて村を巡り神楽宿へと舞い入る「舞い込み」の行列には参加する。ここに...「山地神楽」の骨格「荒神祭祀」/「天空をゆく舟」⑤【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<102>】

  • 荒神問答:ここに「山地神楽」の骨格がある/「天空をゆく舟」④【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<101>】

    諸塚神楽の二時間にわたる「荒神問答」の全体像を短縮して述べることは大変難しいが、認識に大きな変化はないと思うので、以下に2019年の記事を再録しておく。この日、45㌢×10㍍の絵巻調のデッサンが得られたので、これから文字入れをして仕上げにかかる。その折に少し詳しく掘り下げ、改めてアップする予定。諸塚神楽の「三宝三宝荒神」は「一荒神・山の神」「二荒神・築地荒神」「三荒神・火の神」という。一般的な「荒神祭祀」の図式では「天の神・地の神・火の神」となろう。諸塚(南川神楽と戸下神楽)では、二体の「舞荒神」が前座の舞を舞った後、三体の荒神が次々に降臨して、神主と問答をする。延々一時間にも及ぶ荒神問答を要約すると、先住の土地神である三宝荒神が、森の奥から怒り出て、宇宙星宿・天地自然の支配者たる荒神が支配する「山」に無...荒神問答:ここに「山地神楽」の骨格がある/「天空をゆく舟」④【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<101>】

  • 少年・少女たちの神楽/「天空をゆく舟」③【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<100>】

    神楽には、少年・少女たちの出番が設定されている。ここ諸塚村・戸下神楽でも、地区に隣接する山中の神社からのお下りや村を巡って神楽宿に舞い入る行列などに、神楽衣装を着たり、神面をつけたりして参加するのである。それが終わると神楽宿の周辺に子供たちの歓声が響く。夜明け方に用意されている出番まで、御神屋にかぶりつきで神楽を観る子がいる。舞われている神楽の所作を真似る子も先輩に笛を習ったり、田んぼへ出て遊ぶ子たちも、天空を行く舟に乗り合わせた仲間として、楽しい一夜を過ごすのである。眠気を払ってつとめる太刀の舞「神水」では、凛々しく頼もしい舞姿をみせる。やがて、彼ら、彼女たちが、次世代の伝承者となって村へ帰ってくるのだ。神楽の申し子・アッキーが帰ってきたWeblog2019年02月07日 2019年の記事を再録。これは...少年・少女たちの神楽/「天空をゆく舟」③【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<100>】

  • 「天空をゆく舟」②【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<38>】

    【そしてハルオさんは「山守」になった】少し長くなるが、2022年2月の「森の空想ブログ」の記事を再録しておこう。戸下神楽の存続が危惧された衝撃の事故であった。深い山の奥から、コーン、コーンと木を伐る音がきこえてくる。――ああ、ハルオさんが木を伐っているな・・・と村人の誰もが思う。その音に木霊(こだま)するように、神楽歌が聞こえる。――ハルオさんが歌っている・・・と、また嘆息する。そうだ、ハルオさん(綟川陽男さん当年60歳)は2021年の夏、山の事故で亡くなったのだ。そのことは村の誰もが知っているけれど、時々、こうして激しい風の吹く日などには、吹きすぎる風の音に混じって、「山守〈やまもり〉」が木を伐る音が聞こえる気がするのだ。――ハルオさんは山守になったのだ・・・誰もがまた、頷く。そこで私は目が覚めた。長い...「天空をゆく舟」②【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<38>】

  • 土地神=山と森の精霊神が次々に降臨する/「天空をゆく舟」②【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<99>】

    ドラム缶を利用した焚き火が赤々と燃え、その向こうに神楽の舞が浮かび上がる。神迎えの舞三番が舞われ、土地の先住神「鬼神」が出て八百万の神々を迎える舞を舞い、そこから神楽は佳境に入ってゆく。諸塚神楽の「森・愛宕」と続く曲は山神・水神を祀る神楽とされ、――木が三本繁れば森となり、山神が宿る水が三尺流れれば滝となり水神が宿ると神歌が歌われる。広大な山岳を支配する神々に自然の恵みと村の平穏を祈願するのである。この舞の途中で「獅子」が出る。この獅子とは猪であり、山神の使いである。猪は御神屋で暴れたあと神庭に出て村人と遊ぶ。猪に続いて戸下地区の氏神である「権現様」が降臨し、「脇宿」が開く。脇宿とは、神楽宿の林下一軒を借り切って接待ともてなしの場とするもので、諸塚神楽独特の文化である。地元の女性たちが、一年をかけて蓄えた...土地神=山と森の精霊神が次々に降臨する/「天空をゆく舟」②【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<99>】

  • 「天空の舟」に乗り合わせた一夜【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<37>】

    以前、神楽を一緒に観た俳人の神楽てふ一夜の舟に乗り合わすという句に出会い、その妙味に感心したことがある。俳句とはいうまでもなく世界最小の文学であり、その短い一文の中に宇宙の真理や人生の機微、美しい日本列島の四季折々の風物・風土などを読み込んだ究極の文芸なのである。この作者は後に複雑な事情により所属していた結社を離れ、以後、仲間たちとも絶縁していると聞くから、ここでは作者名を思い出さないことも合わせて「詠み人知らず」としておく。詠み人知らずとは、万葉の時代からある形容で、作者の手を離れて歌や句や詩、美術作品などが独り歩きをして、歌い継がれ、語り継がれて歴史にその神髄を残すことをいう、奥行きの深いことばなのである。そこで、私は「一夜の舟」という形容を「天空の舟」という拡大解釈によって自家のテキストに加えること...「天空の舟」に乗り合わせた一夜【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<37>】

  • ◇明日は諸塚村「戸下神楽」へ。【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<37>】

    1月25日~26日・25日午後1時に集落の裏手にある白鳥社で神事の後、仮面を付けた神々が、石段を舞い降り、下の広場で円形に舞った後、集落を廻って神楽宿に舞い入る。5年前に中堅の伝承者を山の事故で亡くし、その後コロナ過の中断期間があり、存続が危惧されたが、このたびの開催が決定。わずか9個の集落で舞い継ぐ伝承者たちの誇りと気概。そこに集まる温かい人々。神楽のもう一つの楽しみに会いに行きます。画帖・大判の紙・黒の絵の具・筆など、準備完了。この作業もまた楽しい。◇明日は諸塚村「戸下神楽」へ。【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<37>】

  • 舞い継がれる物語/日之影町・大人神楽の24時間【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<36>】

    神楽の一行が300段の石段を舞い降り、神楽宿に舞い入って、ひと晩を舞い継ぐ。延々24時間をかけて舞い継がれる神楽を、御神屋の正面に陣取り、見つめる少年たちがいる。夜が更けてくると眠り込んでいる子もみられるが、また起き出して見る。白の神楽装束を着せてもらっている子や、仮面神が使った後の面棒を貰って振り回している子もある。いずれも、大人たちが演じる激しい神楽に魅せられ、神楽の動きに合わせてからだを動かし、みずからも神楽の主役と化しているのだ。その眼は、小さくともピカピカと光っている。この子たちが、将来、一人前の神楽人となってこの一座を支えていくことだろう。そのうちの何人かは、「名人」と呼ばれるほどの達者になってゆくことだろう。神楽には、こうして少年期から引退前の大御所まで、出番が設定されていて、それが伝承の大...舞い継がれる物語/日之影町・大人神楽の24時間【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<36>】

  • 中国少数民族の村に残る仮面劇「儺戯」と「黄梅戯」について 【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<37>】

    掲示は、2007年に韓国・晋州で開催された「晋州仮面劇フェスティバル」で出会った中国少数民族の村に残る仮面劇のパンフレットである。前回、突然、中国の古代史書「楚辞」に記された「神楽」に関する記事に触れたのは、昨冬ご来館くださった作家の夢枕獏氏からの「神楽のルーツはどこまでたどれるのでしょうか?」という問いに答える中で、日本の神楽の源流は世阿弥も能楽の源流は神楽であり、岩戸の前の天鈿女命の舞である、と書いていることに重きを置き、ひとまず「岩戸開き」の岩戸の前の天鈿女命の舞としておくことにしましょう。それがいつの時代のことなのかを判定する確実な資料はないのと、縄文時代の遺跡から出る仮面をつけた土偶などとの関連を示す確固たる資料がないことなどは今後の課題となるでしょう、と前置きをしたうえで、「楚辞」に記された神...中国少数民族の村に残る仮面劇「儺戯」と「黄梅戯」について【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<37>】

  • 古代中国の史書「楚辞」に記録された「神楽」【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<36>】

    地震で落下した本を整理し、埃を払い、修復が終わった棚に戻す作業をしていたら、30歳代、40歳代に読んだ本の記憶がよみがえってきた。そして、――また読み返してみよう。と思う本も見つかった。若いころに読み、理解の浅かった書物でも年齢を重ね、知識が増えて読むと、新しい発見があるものなのだ。そのうちの一書「楚辞」について書いておこう。ここには2300年前の中国大陸における民衆劇「神楽」のことが描かれているのだ。以下は一度発表した記事に加筆(長文御免)。「楚辭」とは、河南(揚子江南岸)楚国で歌われていた民謡を、当時の詩人・屈原が採集して詩の形式に再構成、それが当地方に定着したものという。屈原は戦国時代の楚国の詩人・政治家。当時、国は乱れ、戦乱が相次いでいた。屈原は秦の謀略を見抜き、楚王に進言したが受け入れられず、楚...古代中国の史書「楚辞」に記録された「神楽」【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<36>】

  • 震度5弱!!無事です。

    震度5弱!!家がつぶれるかも・・・と身構えたほどの強い揺れでしたが、この程度で済みました。仮面たちも無事壁面に収まっています。落ちたのはもともと傾いていた本棚の本です。これから片付けと棚の修復に取りかかります。ご心配のメール・メッセージ・お電話などくださった皆さん、ありがとうございました。震度5弱!!無事です。

  • 最後に得られた一点/日之影町・大人神楽の一夜【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<35>】

    300段の石段を駆けあがってみようと思った。日之影町・大人神楽を伝える岩井川神社へと続く急傾斜の石の道である。少し前に、椎葉村民俗芸能博物館横の厳島神社へと続く45段の石段を駆け上がり、3年半にわたるアキレス腱断裂と左足踵の骨折からの回復状況を試してみて、難なく最上部を制覇したので、今回はややハードな挑戦となったのだ。だが、90段まで登ったところで、足が止まった。これが限界。残る210段を5回の休憩を挟んで上り終えた。年寄りの何とかとまた言われそうだが、青年期に神社の石段上りを取り入れたバスケの練習が思い出され、石段を見ると駆け上がりたくなる衝動が抑えられないのだ。ともあれ、怪我からの回復度は順調であることが確認できて、安心。神社での神事と6番の「宮神楽」を終えた神楽の一行が、この石段を舞い降りる勇壮な場...最後に得られた一点/日之影町・大人神楽の一夜【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<35>】

  • 本日、日之影町・大人神楽へ【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<34>】

    日之影町「大人神楽」へ行きます。本日(11日)正午前から神事が始まり、午後1時頃から岩井川神社で神楽奉納。それから神楽の一行が400段の石段を舞い降りて神楽宿に舞い入り、午後7時頃から神楽が始まります。神楽は高千穂神楽様式ですが独自の演目もあり、スビート感あふれる勇壮な舞が展開されます。そして明日(12日)のお昼近くまでほぼ24時間をかけて舞い継がれる圧巻の神楽です。今年の「初神楽」。体力・気力の続く限り描き続けるつもり。私は関東方面からの同行者3人と一緒に行きます。お天気も上々。馴染みの皆さんも多く、交流も楽しみ。現地合流歓迎です。気軽に声をかけて下さい。本日、日之影町・大人神楽へ【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<34>】

  • 高山辰雄「向日」[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:5>]会場:由布院空想の森美術館

    太陽に向かう花・ひまわりとクローズアップされた若い女性の顔。画面にあるのはそれだけだが、どこかに漂う郷愁と、真夏の幻視または悠久の時空間に誘われるまなざしに惹きつけられる。17年ぶりに再開された由布院空想の森美術館の、窓から由布岳が見える展示空間に置いてみると、その感じは一層つよまる。高山辰雄画伯は、1912(明治45年)生まれ2007(平成19年)没。大分県大分市出身。小学生のころから画才を発揮し、当時すでに画家になることを目指していたという。中学校卒業と同時に上京し1931年に東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科へ入学。在学中は松岡映丘の門下生として日々研鑽、1936年に東京美術学校を首席で卒業するなど、画家として順調なスタートを切ったが、以後は多くの美術展に落選するなどの試練があった。太平洋戦争...高山辰雄「向日」[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:5>]会場:由布院空想の森美術館

  • 冬の由布院にて/会場:由布院空想の森美術館[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:5>]

    九州北部に位置し、周囲を由布岳に連なる標高1500メートル級の山に囲まれた由布院盆地は寒く、大雪や凍結に見舞われる日々が続いています。そのため、由布院空想の森美術館は1月2月は予約のみの開館となっています。館主・高見剛が自宅のある由布岳の北麓・別府市天間から津須華原高原を越えて同館に至る山道ではしばしばスリップによる立ち往生、事故、横転、転落などに遭い、危険を伴うための対応です。ご予約の方は高見剛の電話:090-5940-0062またはhttps://www.facebook.com/thuyoshi.takamiへお申しつけ下さい。この間、展示の概要と収蔵作品は【空想の森アートコレクティブ/https://kuusounomori.base.shop/items/all】【森の空想ブログ】【高見乾司フェ...冬の由布院にて/会場:由布院空想の森美術館[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:5>]

  • 空想の森アートコレクティブ展・第二期 開催中です/会場:小鹿田焼ミュージアム渓声館[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:5>]

    発足してまだ間がない「空想の森アートコレクティブ展」は新たな収蔵品を加え、会場を変えながら少しずつ進展しています。大分県日田市の北部・霊峰英彦山の東麓に位置する小鹿田焼の里の近くにあり、小鹿田焼の古陶約500点を収蔵する「小鹿田焼ミュージアム渓声館」に併設されたギャラリーが会場の一つです。現代の美術家の作品群と、小鹿田焼の古資料がオブジェとしてキュレーションされ、調和しています。窓の外には小野川の清流が流れ、その水音が快く響く空間です。空想の森アートコレクティブ展・第二期開催中です/会場:小鹿田焼ミュージアム渓声館[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:5>]

  • 帰る場所/やさしい国で生きてゆく(6)【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<33>】

    静かな冬の雨が降っている。米良の山脈から寒風が吹き降ろしてきて大きな川の水が激減するほどの南国特有の干天が続いていたから、ほっと一息つける草木も畑の冬の作物もほっと一息つける潤いである。北国からは大雪の報が届いている。森の小道を歩き古い教会を改装した「友愛の森空想ギャラリー」に行く。銀杏の葉が黄葉していた時期は多くの人が訪れ車道沿いに車の列ができるほどだったが、その喧噪も去り、正月の帰省客も去って今は静かだ。この静謐な空間もまた愛おしい。入り口の芳名帳ともいえないほどのメモ用紙に来客のメッセージが残されていた。☆約14年ぶりに帰ってこれました。やっぱりここは凄く落ち着くところですね。また帰ってこれそうな時、来ますね。――友愛園卒園生さやか☆のゆり保育園によく来ていました。今の自分が自然が好きなのはこういっ...帰る場所/やさしい国で生きてゆく(6)【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<33>】

  • 「白蓋鬼神」【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<32>】

    神楽の舞われる御神屋の中央天井に下げられる円形または四角形の荘厳を「天蓋」「白蓋(びゃっかい)」「白海」「雲」などという。この天蓋・白蓋とは宇宙星宿を凝縮し同時に母の胎内=胞衣を表すという。すなわち神楽は広大無辺の宇宙と母の胎内のごとき安息空間で一夜、舞い継がれるのである。白蓋鬼神とは山の神であり、荒神である。神楽の場に舞い出て軽快に舞い巡りながら――御そもそもびゃっかいとは天地の根源なり始祖の神なり。と唱えごとをして、白蓋の中央に下げられた小袋を突くと五色の幣が舞い散る。これを万物の「ものだね」という。「白蓋鬼神」【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<32>】

  • 神楽「山森」の神秘/「美しきもの見し時は」④【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<31>】

    「山森」とは山神の鹿狩りの神楽という。高千穂神楽では、青龍王・赤龍王・白龍王・黒龍王・黄龍王の五神と山神・大山祇命が舞う。舞の途中で猪が出る(鹿がその古形)。猪は御神屋で暴れたあと、神庭に出て村人と遊ぶ。昔は、村を巡り、朝まで帰って来ないこともあったという。猪は缶ビールやみかんなどを貰ってご機嫌で御神屋に帰ると山神が一緒に舞い、森へと連れ帰る。神楽の舞われている間、村の狩人たちが御神屋正面に正座し、拝観する。採り物は、弓・太刀・榊などだが、地域によっては猟銃を担いで舞う例がある。その鉄砲は中(あた)るという。諸塚神楽・戸下神楽や椎葉・嶽之枝尾神楽には「山人・山守」が出る。九州脊梁山地の神楽では神社の裏手に「モリ」という人形<ヒトガタ>御幣が祀られる。「森」「山森」「山守」「黒森」「七つ森」など、「モリ」の...神楽「山森」の神秘/「美しきもの見し時は」④【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<31>】

  • 穏やかな新年/「美しきもの見し時は」③【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<31>】

    あけましておめでとうございます。穏やかな新年を迎えています。「友愛の森空想ギャラリー」では、「美しきもの見し時は」と題して、高見乾司の神楽紀行による作品を展示しています。今季の前半を終え、1月11日の日之影町「大人神楽」から後半に入ります。順次展示替えしながら進行してゆきます。本年もよろしくお願いします。穏やかな新年/「美しきもの見し時は」③【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<31>】

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、森の空想ブログさんをフォローしませんか?

ハンドル名
森の空想ブログさん
ブログタイトル
森の空想ブログ
フォロー
森の空想ブログ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用