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森の空想ブログ
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森の空想ミュージアムと九州民俗仮面美術館のお知らせブログ
更新頻度(1年)

288回 / 365日(平均5.5回/週)

ブログ村参加:2015/05/17

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森の空想ブログさんの新着記事

1件〜30件

  • 山郷の涼味、夏ヤマメの冷や汁を食す[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<99〉]

    「夏ヤマメ」の大物が揃ったので、家の者たちが山郷の珍味「冷や汁」を作ってくれた。大物3匹の内2匹は、釣友・渓声君からのいただきもの。大漁のおすそ分けである。釣り師の粋なはからいと、一片の友情。半世紀近く、ともにスポーツを楽しみ(二人は中学・高校のバスケ部に所属)、事業(「小鹿田焼ミュージアム渓声館」を設立・運営)、釣りの旅を重ねてきた仲である。1匹は10年をかけて復活した谷での釣果。なかなかに得難い食材というべきであろう。ガスコンロのグリルで焼く。本来は、焚火の熾火または炭火で焼く、または囲炉裏の端でじっくりと焼き上げたものが好ましいが、今回は準備が整わなかった。焼き上げた魚をほぐして身と骨とに分ける。すでに良い香りが漂っている。ゴマとクルミの実(ピーナッツを使う場合もある)を擂鉢ですり潰し、ヤマメの身と味噌を...山郷の涼味、夏ヤマメの冷や汁を食す[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<99〉]

  • 10年をかけて再生した溪谷[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<98〉]

    *本文は作業中。10年をかけて再生した溪谷[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<98〉]

  • 大作90センチ×13メートルが完成した/緑陰のアトリエで②[古仮面を修復する〈10〉]

    90センチ×13メートルの作品が完成した。写真を撮り始めたが、どう工夫しても一枚の写真には収まり切れないし、こんな長い作品を広げたり展示したりする場所は、近辺には見当たらない。それゆえ、細切れに撮影して、繋いで見るしかないが、まずは記録しておこう、と屋根に上って眺めていると、説明も解説などの言葉は不要、という気分になってきた。それで、屋根に座り込んでしばらく眺めた。こんな気分は、20代の初めの頃、四国一周の旅から帰り、室戸の海を描いていた時、石切場で働きながら眼前に聳え立つ石崖を描いていたころ、長い療養期間を経て移り住んだ由布院の里で、画架を立て無心に風景を描いていた時期、神楽を伝える里で、夜明け近く神楽の音楽と一緒に身体を揺らしながら描いている時間帯などに訪れる陶酔のひとときである。絵を描く人間に訪れる、稀少...大作90センチ×13メートルが完成した/緑陰のアトリエで②[古仮面を修復する〈10〉]

  • 緑陰のアトリエで[古仮面を修復する〈9〉]

     台風が西方へと、夏の強い日差しが戻ってきた。中庭の楠の大樹の下は、海側から吹いてきた風が通り抜け、涼しい。緑陰のアトリエに神楽の現場で描いた大作を持ち出して、加筆する。下地には神楽の一場面が描かれたデッサンや、夜の山脈などがあるが、すでにそれは消えて、墨と漆喰を混ぜた白の絵の具などを重ねてゆくペインティング作品となっている。黒々とした山塊に響いてゆく笛の音や、夜の山にふる雪などが画面に表れてきたところで、修復を終えた仮面を置いてみると、思いがけない画面が構成されはじめる。このような作品を一枚の絵として仕上げるということは、仮面を描き込むことが基本であることは言を俟たないが、インスタレーションやライブペインティングという「現代美術」が開拓した領域で、挑戦的な仕事をすることは許されるかもしれない。絵画は、すぐれた...緑陰のアトリエで[古仮面を修復する〈9〉]

  • 「虚」と「実」の空

    天蚕(てんさん)の繭作りを眺め続けていると時間を忘れる。一本の糸を吐き出し、葉っぱを集めてドームを作り、その中に身を潜め、丸一日をかけて楕円形の小宇宙たる「山繭」を作ってゆくのだ。時折、その吐く糸が淡い緑色に光る。神々しいまでのその営為を見ていると、昔、蚕を飼う農家の人が「神」として祀った心意がわかる気がする。開催中の東京オリンピックの開会式や、競技などに比べて、感動の度合いが違う。本来は友好と親睦を目的としたスポーツが、オリンピックという国際大会になり、回を重ねるごとに規模が拡大し、経済の原理に支配され、国家の威信をかけた「戦い」になってゆく実態を、私たちはすでに知ってしまったのだ。真摯かつ懸命に競技を続ける選手たちに罪はないと思い、気の毒にさえ思う。彼らは、新型コロナウィルスという見えない敵におびえ、国民の...「虚」と「実」の空

  • 天蚕の繭作り/山繭100分の5個が完成した[森へ行く道<81]

    *本文は作業中。天蚕の繭作り/山繭100分の5個が完成した[森へ行く道<81]

  • 滝の哀話/柳田国男「山の人生」に記された滝にまつわる悲話の場所を特定できないか[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<97〉]

    日本民俗学の創始者、柳田国男に、名作「山の人生」がある。その冒頭の二話は、凄惨というほどに貧しく悲しい山人(やまびと)に関する事例であるが、その描写は、一編の詩を読むように美しい。まずはその二話を以下に転載しよう。『今では記憶している者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞で斫り殺したことがあった。女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を貰ってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手で戻ってきて、飢えきっている小さい者...滝の哀話/柳田国男「山の人生」に記された滝にまつわる悲話の場所を特定できないか[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<97〉]

  • 「川流れ」の夏/雷鳴の谷で夏ヤマメを追った二日間③[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<96〉]

    釣行2日目。目覚めると、雨音が消えていた。終夜、降り続いた雨は小降りになっていた。昨夜は山宿の前の道に大きな蝦蟇蛙が出て、狩りをしていた。宿の脇の外灯に集まる虫を狙って、その不気味な体を地面に這わせているのだった。岩と化したかのようなその体躯は、雨水と一緒に流れてきた山ミミズを認めると、のそりと動いて、次の瞬間、信じがたい速さで獲物を捕らえていた。自然界の妙。一夜の小さな劇場。雨に濡れた蝦蟇の眼に外灯の灯りが反射し、ピカリと光った。珈琲を淹れ、パンとカップヌードルと途中の無人販売所で買ってきたイクリ(郁李)とハタンキョウ(巴旦杏)の二種のスモモを添えて朝食。釣宿の朝は快適である。渓声君は、昨日まで坐骨神経痛がどうの、腱鞘炎がこうのと言っていたが、渓谷を歩き、半日竿を振り続け、ヤマメの大物を上げたらすべての症状は...「川流れ」の夏/雷鳴の谷で夏ヤマメを追った二日間③[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<96〉]

  • 霧の山峡へ[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<95〉]

    山峡に霧が立ち込めている。大きな川の水面を打つ雨粒が、細かな縮緬文様を描く。こんな日にヤマメ釣りに行くのは、無謀の誹りを免れ得ない。それでも山奥へと向かう年寄が二人いる。私(73歳)、渓声君(70歳)。すでに何度か紹介したが、信州や甲州の釣り師の間には、50歳を過ぎての川立ちは川に果てるという格言があるらしい。身体が冷え、足腰が水流に耐え得ず、転落や流下の事故に逢う確率が高くなり、老人性の病の発症も誘発されやすいというのである。それならば、我ら二人はとっくの昔に定年を越えている。いつどこで、「果てる時」が来るかは分からぬ身柄である。私たちの村の大人たちは、「夏の霧は川を越せ」と言っていた。渓流釣り師に限らず、造林や伐採などの山仕事に従事する人たち、猪や鹿を追う狩人など、山で暮らす人たちの格言である。山頂を覆った...霧の山峡へ[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<95〉]

  • 夏ヤマメを追った二日間[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<94〉]

    釣友渓声君と合流して、夏の谷に入った。まずは釣果を報告。上掲は一日目(午後から夕方まで)。右の小皿2匹が私(高見)。左の笊5匹が渓声君。私の獲物も6寸物(18センチ前後)の立派なヤマメだったが、二人分並べると見劣りする。渓声君の獲物は8寸物(24センチ前後)3匹と6寸物4匹という堂々たるもの。二日目(朝9時入溪、午後4時まで)、私5匹に渓声君5匹と数は同じだが、渓声君が9寸物(28センチ)の大物を上げた。お見事。一日目は雷が鳴り響き、断続的に雨が降る危険と隣り合わせの日。二日目は渓谷に霧が深く立ち込め、峪水は増水し、大雨警報が出ているさらに危険な一日。この条件の中でのこの釣果は上々というべきである。二人の年寄が、無謀な釣りをしたのではないかと非難を浴びそうだが、こんな日に釣りの出来るポイントもあるのだ。そこを釣...夏ヤマメを追った二日間[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<94〉]

  • 天蚕が繭(山繭)を作り始めた[森へ行く道<80]

    天蚕を飼い始めて約2ヶ月。昨日(7月14日)一匹の蚕が繭を作り始めた。まだ網目が透けて見える。頭を八の字に動かしながら、糸を吐き出し、繭を作ってゆく、自然界の玄妙。この蚕は、時々脱走を試みたり、水の中に落ちて死にそうになったりしていた元気者だ。身体は他の個体より小さめだが、活発だっただけ、繭作りも早く始めたものとみえる。お転婆娘というか、早熟の天才というべきか。一日かかって、ここまで完成。内部は見えないようになった。もう一日か二日作り続けて、それから一ヶ月、眠るという。右下の方に写っているのは、まだ繭作りを始めていない個体。食べては眠り、寝覚め手は食べる。葉っぱをくわえたまま眠っている子もいる。彼女たちの繭作りも、もうすぐ始まることだろう。天蚕が繭(山繭)を作り始めた[森へ行く道<80]

  • 古式の「女面」が語るもの[古仮面を修復する〈9〉]

    古式の「女面」が語るもの[古仮面を修復する〈9〉]

  • 呪力を秘めた巫女の面/古式の「巫女」が立ち現れる時[古仮面を修復する〈8〉]

    この「女面」は、修復途中だが、私はこの辺で一度、筆を止めようと思う。当初、剥落がはげしくて、下地の木地までが露出しいたのだが、塗ったり、剥がしたり、また塗り重ねては研ぎ出したりという工程を重ねているうちに、掲示のような左眼の下部の「文字」が浮き出てきたのだ。文面は読み取れないが、何事かを書き付けた和紙が、下地に張り付けられ、その上に胡粉が重ねられ、さらに塗料が塗られて、今日まで伝わってきたものである。その文字が何を意味するのかは分からないが、やはりこれまでに一例だけ、女面の下地に張られた紙に文字が書き連ねられた仮面を私は手にしている。その仮面は現在九州国立博物館の所蔵になっているので、いずれ確認する機会は訪れるかもしれないが、二つの女面の下地に文字入りの紙が秘められているということに、象徴的な意味すなわち、仮面...呪力を秘めた巫女の面/古式の「巫女」が立ち現れる時[古仮面を修復する〈8〉]

  • 観る人・演じる人・参加する人/「虹の羽ひらき」より【「見者」の存在〈2〉】

    森の祝祭「虹の羽ひらき」は、森の奥まったところにある巨石の前で参加者たちが祈りを捧げることから始まった。祈りといっても、それは宗教ががかった儀式でも「神がかり」のパフォーマンスでもなく、それぞれが自身の心中と対話し、自然の精霊と交歓した、静けさに満ちたひとときであった。巨石の前には、酒と米と少しの野菜と野辺に咲いていた花が飾られた。森の入り口には鹿の頭骨が飾られた。古代、ここに棲んだ人々がいたならば、同じように集まり、祈りを捧げ、舞を奉納したことであろう。そしてそれは、山と森と海の深奥に届き、精霊たちの音楽となってこだましたことであろう。*本文の続きは作業中。観る人・演じる人・参加する人/「虹の羽ひらき」より【「見者」の存在〈2〉】

  • 「にじのはね」が開く森[風のアート・旅の空<15>

    *本文は作業中。「にじのはね」が開く森[風のアート・旅の空<15>

  • 天蚕(山繭)が見る夢[森へ行く道<79]

    *本文は作業中。天蚕(山繭)が見る夢[森へ行く道<79]

  • 暑い夏が好きだな[森へ行く道<78]

    暑い夏が好きだな[森へ行く道<78]

  • 女面と女性芸能の源流/[古仮面を修復する〈7〉]

    神楽の「女面」を修復しながら、じっと見つめていると、素朴な疑問が浮かび上がってくる。その一、神楽や能楽などで男の演者が女面をつけ、女物の装束を着て演じる演目があるのはなぜか。その二、その様式は、いつ、どのようにして発生したのか。だれが考案し、普及・分布したのか。その三、本来、神がかりの舞を舞うはずだった女性芸能者は、いつ、どこで、どのようにして消えたのか。あるいは現存するとすれば、どのような歴史と芸態をもつのか。その四、日本列島には縄文時代という長い歴史を有する時代があり、そこでは女性シャーマンが祭祀を行い、国を治めていたと考えられている。ところが古代から現代に至る歴史の中で、政治と祭祀は男性が行い、女性芸能者は時代とともに零落していった。この連続性と非連続性をどう説明すればよいのか。その五、女面を含む「仮面」...女面と女性芸能の源流/[古仮面を修復する〈7〉]

  • 「お面様」「お面掛け」「翁飾り」/翁面を巡る伝承が語るもの[古仮面を修復する〈6〉]

    *昨日の記事の続き。 大分県杵築市の松尾地区に伝わっていた「翁面」は、「お面様」と呼ばれて神聖視され、一座結束のシンボルとして、代々これを継承してきたという。この事例は宇佐・国東地方や北部九州一円に分布する芸能村の存在と翁面に関する儀礼と一致している。翁面は、一座および村の守護神とあがめられ、座員はその基に結集した。契約や誓約もすべてこの翁面に対してなされたという。近畿地方播州東高室(現・兵庫県加西市)には播州歌舞伎の根拠地があり、中世の雑芸者の芸風を引き継いだ「役者村」を形成し、人形戯・歌舞伎・村芝居・万歳などを興行していたという記録がある。この地方一帯にこのような習俗が分布していたことも種々の記録で明らかになっている。高室では、「お面掛け」という能楽の三番叟に類似する寿祝の芸が、芝居に先立って上演された。白...「お面様」「お面掛け」「翁飾り」/翁面を巡る伝承が語るもの[古仮面を修復する〈6〉]

  • 「翁面」の系譜と演劇の古形/北部九州に点在していた「踊村(おどりむら)」とは[古仮面を修復する〈5〉]

    かつて北部九州に点在していた「踊村(おどりむら)」の資料に出会った。古い仮面を修復していく過程で「翁面」を手掛ける事例が多く、不思議に思っていた時期であったから、この資料は、出会うべくして出会ったというタイミングであった。結論を要約すると『かつて北部九州に「踊村(おどりむら=躍村とも表記)と呼ばれた芸能者の集落が点在し、傀儡子舞や人形浄瑠璃、歌舞伎、神楽などの神事・演劇・祝福芸を伝えていた。その集団の居住する地域は「宿(しゅく)」とも呼ばれ、「翁面」を守護神として捧持していた。その翁面は「宿神」と呼ばれる白と黒一対の仮面神であった』というものである。芸能史・仮面史の中でも「翁」は最も難解で重層的な謎を秘める素材であるが、ここに重要な鍵が潜んでいたので、まずは記録しておくこととする。*続きは作業中。「翁面」の系譜と演劇の古形/北部九州に点在していた「踊村(おどりむら)」とは[古仮面を修復する〈5〉]

  • 大岩とともに谷底へと落下すること[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<93〉]

    渓谷のヤマメ釣りでは、谷に下りて、仕掛けを作り、試し釣りを兼ねてまず第一投というのがいつもの手順だが、この日は、沢に向かって踏み出した第一歩が、石の上に乗った途端、ぐらりと動いて、石とともに私は流れに落ち込んだ。梅雨期の出水によって石の下部がえぐられて、私の体重を支え切れずに、石と土砂とが崩れ落ちたのだ。私は右手に釣り竿を掲げ、左手に手網を持った態勢のまま、ずるりと落ちたが、その石は、ちょうど私のお尻が乗るほどの大きさであり、1メートルほど滑り落ちただけで谷底に達したので、私は石の上に腰掛けた恵比寿様の彫刻のような姿勢で着地することが出来たのだった。*続きは作業中。大岩とともに谷底へと落下すること[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<93〉]

  • ねむの木谷の夏ヤマメ[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<92〉]

    耳川は、梅雨期の雨を集めて増水し、滔々と流れていた。こんな日は、本流の釣りは諦めて、支流のまた先の枝川へと入り込む。ねむの木が蕾を開き始めている。降り続く雨の溪谷によく似合う花だ。谷の入り口に当たる地点に、一本の大きなねむの木がある。樹高30メートルにも及ぶだろう。ねむの木は、成長するにしたがって枝を横に広げるので、渓流に差し掛かって花を咲かせていることが多いが、この木は崖に沿って立っていることから、ひたすら上を目指して成長を続けたものだろう。*続きは詐作業中。ねむの木谷の夏ヤマメ[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<92〉]

  • [九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<91〉]

    昨日、書籍一冊分の原稿を、某出版社宛に送り出した。これで、四冊分の原稿が手を離れて行ったことになるが、まだいずれも書籍化に至っていない。内容云々よりも、現今の出版事情が実現を許さないのだという。インターネット書籍の普及に加え、新型コロナ感染症の蔓延で、紙の出版物の存続そのものが問われている時代らしい。そのことを認識したうえで、私は作品を送り出す。若武者たちが、武者修行の旅に出ているという感覚。帰って来たら、また読み直し、削除・加筆を加え、鍛えなおして再度送り出す。私も作品も、それによって練磨されてゆけばよい。少し早めに目覚めた朝は、みそ汁を作り、老母の朝食を運び、コーヒーを淹れ、母をデイサービスに送り出す。落ち葉と一緒にゴミを燃やす。コーヒーを静かに一杯。このあと、ぽっかりと、空白の時間帯が訪れる。なんとなく気...[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<91〉]

  • 森を歩き、野草茶の素材を採集する[森へ行く道<77]

    *本文は作業中。森を歩き、野草茶の素材を採集する[森へ行く道<77]

  • 夏草を刈るころ[森へ行く道<76]

    梅雨の晴れ間なのか、それとも、梅雨入りが早かった分、梅雨明けも早くなるのか、まだよくはわからないまま、好天の日が続いている。この時期、草刈りをしておかなければ、圧倒的に強い太陽光の照射を浴びる宮崎の森は、たちまちジャングルに近い様相を示し始める。五月の連休明けの野いちごが実り、子供たちが苺を摘み終わったころと、森の蛍「ヒメボタル」の産卵活動の終了期、そして梅雨の晴れ間の一時期がその目安だ。あとは、梅雨明けと夏休みの終わった頃。一年に五回の草刈りはかなりの重労働だが、森を育て、森とともに生きてゆく暮らしには欠かせない作業である。加えて、私どもの森はオーガニックとの連携や現代アートとのリンクをテーマとして掲げている。生産性と芸術性を併せ持つ森。それが今後の森づくりの一つの指標となるのではないか。*本文の続きと画像は...夏草を刈るころ[森へ行く道<76]

  • 蘇生した「火の王と水の王」/火王・水王①[古仮面を修復する〈4〉]

    *本文は作業中。蘇生した「火の王と水の王」/火王・水王①[古仮面を修復する〈4〉]

  • 驚くべき場面が現出した/女面②山姥[古仮面を修復する〈3〉]

    仮面の修復を開始して、不思議な現象に出会う機会が増えたが、この一例は、まさに驚くべき場面であった。この仮面は、裏面に「弱法師於元禄五年●●(二字不明)左中将鈿宗刀」という刻字と「拝領正徳二年丹羽●●(二字不明)」という墨書がある。問題になるのは「弱法師」の刻字である。能楽の「弱法師(よろぼし)」とは、河内の国に伝わっていた「俊徳丸伝承」を下敷きにした一曲で、世阿弥の長子・観世元雅作とされる。俊徳丸は河内国高安の長者の息子で、継母の呪いによって失明し落魄するが、恋仲にあった娘・乙姫の助けで四天王寺の観音に祈願することによって病が癒える、というのが伝説の大略である。能楽では、俊徳丸は讒言によって失明し、彼を追放した父親との再会によって救われるという筋となる。この仮面は、そもそも能面の様式で作られてはいない。荒削りの...驚くべき場面が現出した/女面②山姥[古仮面を修復する〈3〉]

  • 古代の女性シャーマンの素顔が浮かび出た/女面①[古仮面を修復する〈2〉]

    縦16,5センチ、横幅14,5センチの小ぶりの女面である。この面は、当初、茶色っぽい肌色で、のっぺりとした表情の少ない仮面であった。それゆえ、神楽の場面で使われたかどうかも定かでなく、展示品としても、民俗資料としても無価値のものとみられていた。その扱いも粗末なもので、段ボールの箱の一番下に置かれたまま長い年月、私どもの行く先々へ連れまわされたものである。今回、修復するにあたって、まずその茶色がかかった表面の塗料を剥がす作業から着手した。が、なかなかその塗料は頑固ではぎ取りにくく、刃物で削ると下地に傷が付いた。それで、大雨の日、軒から落ちる雨だれの下にしばらく置いてみた。すると、表面の塗料が見事に剥げ落ちて、下地の胡粉が現れてきたのである。そこで、新たに胡粉を塗り、手で撫でつけて仕上げると、なんと、かわいらしいア...古代の女性シャーマンの素顔が浮かび出た/女面①[古仮面を修復する〈2〉]

  • [古仮面を修復する〈1〉]翁面①黒い翁

      [古仮面を修復する〈1〉]翁面①黒い翁

  • 雨にけぶる草原を走り抜け、クララの群生地に出会った[空想の森の草木染め<91]

    由布院を出発する頃には、雨が降り出していたが、九重の山脈は雲の中だったが、その雲が途切れると、明るみを帯びた空が覗き、山頂付近を紅く染めるミヤマキリシマの群落が見えた。それから久住高原の草原地帯に入ると、突然、激しい雨が降り、視界が霞んだ。その茫々と広がる草原地帯を走り過ぎる時、淡黄色の花を付ける丈の高い一群の草が目に留まった。クララである。すぐに停車し、牧草地へと続く道を歩くと、その道の両脇に点々と群生が見つかった。由布院空想の森美術館の敷地に自生していたクララが、造成工事のために切り払われ、落胆していたあとだっただけに、これは嬉しい出会いであった。雨にけぶる草原を走り抜け、クララの群生地に出会った[空想の森の草木染め<91]

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