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  • 神楽の余韻【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<20>】

    一昨日(12月7日)宮崎を出発、椎葉嶽之枝尾神楽拝観の予定だったが、寒波襲来、山間部は降雪・凍結の恐れあり、の予報が出たので、予定を変更して国道から入ってすぐのところに神楽宿のある高千穂・岩戸五ケ村神楽へ。終夜、絵を描きながら過ごし、翌朝、由布院へ。天気予報ほどの冷え込みはなかったが、高千穂から竹田へ抜ける道のところどころには凍結の痕跡があったので、予定変更は正解とみた。それでも4時間を駆けて由布院に着くと山頂付近を雪化粧した由布岳が迎えてくれた。こんな日の由布院の寒さは厳しい。早めの夕食をすまし、9時間ぶっ続けに寝て、早朝5時に一度目覚めると、室内で5度。ストーブを点けてまた寝る。計11時間の睡眠。そして今日(9日)の日中はぽかぽかと温かい一日となったので、積んできた荷物を降ろし、絵の仕上げと昼寝と空想...神楽の余韻【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<20>】

  • 900年の時空を背負って舞う/尾八重神楽「花鬼神」―湯之像<ゆのかた>神楽祖神の面 【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<19>】

    *続きは作業中。900年の時空を背負って舞う/尾八重神楽「花鬼神」―湯之像<ゆのかた>神楽祖神の面【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<19>】

  • 許可を得て神面の写真を公開します/門外不出の神面を拝観―16年ぶりに奉納された湯之像<ゆのかた>神楽にて

    尾八重神社の中武貞夫・前宮司さんからご許可をいただいたので、壱岐宇多守の神面の写真を公開します。文は湯之像神楽拝観直後のものを採録。 門外不出の神面を拝観/16年ぶりに奉納された湯之像<ゆのかた>神楽にて【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-10】☆「尾八重神楽」は、米良山系・旧東米良の山中に伝承されてきた。米良山系は古くは秘境・米良の荘と呼ばれ、外界と孤絶した村々を抱く深い山脈であった。南北朝時代末期、北朝と足利幕府連合軍との決戦に敗れた南朝の遺臣とそれを支持した肥後・菊池氏の一族は、米良の山中に逃れた。米良の山人は「神」として王家の一族を迎え、菊池氏は米良氏と名を変え、この地を治め、善政を布いた。下って明治維新後の廃藩置県により人吉県となり、明治22年の町村合併により東米良村・西米良村に分割され、...許可を得て神面の写真を公開します/門外不出の神面を拝観―16年ぶりに奉納された湯之像<ゆのかた>神楽にて

  • 猪荒神と猪汁の一夜【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<17>】

    【猪荒神<ししこうじん>】夜が更けて神楽が終盤を迎え天空を狩人オリオンが天狼シリウスを従えて巡ってゆくころ村の背後の黒い森から猪が二頭、暴れ出てくる。猪は、田畑を荒らし猟師に追われて手負いになり暴れると怖いがその肉は美味で「薬喰い」と呼ばれるほどの効力がある。猪は御神屋で転げまわる「ぬた打ち」の所作をしたり、神庭に出て村人と遊んだりする。そこへ猪荒神が出て、荒ぶる舞を舞う。猪荒神とは狩りの領域を支配する山の神である。舞の途中で缶ビールやみかんをもらった猪が上機嫌で帰ってくる。猪荒神と猪はともに一差し舞い、森へと帰ってゆく。人界と自然界の協調の神楽。前日、徹宵で椎葉神楽を見て、家に帰って横になったらたちまち前後不覚となり、11時間ぶっ続けに眠った。目覚めたときは深夜10時だった。それから夕食をとり、珈琲を温...猪荒神と猪汁の一夜【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<17>】

  • 美しきもの見し時は/´24-´25友愛の森空想ギャラリーにて【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<17>】*始まっています

    *本文は作業中。美しきもの見し時は/´24-´25友愛の森空想ギャラリーにて【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<17>】*始まっています

  • 高千穂「秋元神楽」へ【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<16>】

    本日、京都大学と中国精華大学からのご一行がお越し下さり、神楽と仮面談議で盛り上がりました。明日は高千穂・秋元神楽へ。神々のいます里でひと晩中舞い続けられる神楽を見ます。神楽を見て育った子どもたちが、立派な舞人=ほしゃどんとなって舞います。次の世代を背負う凛々しく、逞しい少年たちに会うのも楽しみ。秋元は諸塚山の東麓に位置し、諸塚山信仰を反映した演目もあり、高千穂神楽の古形を残す神楽ともいわれます。神面は江戸期のものがそのまま使われます。コロナ過の中断期を挟んで久しぶりの訪問。高千穂「秋元神楽」へ【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<16>】

  • 栂尾神楽スケッチ【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<15>】

    昨日長々と書いたので、今日は「ことば」を省略。画面に演目名、神名など記述してあります。いずれも10センチ×14センチ、17センチ×37センチ程度の小品。栂尾神楽スケッチ【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<15>】

  • 夜神楽連続二夜探訪の収穫【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<14>】

    神楽の絵を描き始めておよそ30年、15年ほどの中断期間を挟んで、近年の10年ほどは、ひと晩に100枚のスケッチをこなすことを自分に課た。それを1シーズンに10週から15週という鍛錬を重ねる旅を続けたのは、己の力量が神楽の神秘世界、伝えてきた歴史時間や芸の奥深さなどに到底太刀打ちではないと観念したからだった。今季、椎葉・栂尾神楽と東米良・尾八重神楽の二座の夜神楽を二夜続けて訪れ、絵を描き終えて帰る途中、米良山系から椎葉の山脈へと連なる山岳を照らす朝日を見ながら、なんとなく――ああ、これほどの練習を重ねても思うような作品は出来ないなあ、今後努力を続けても中世の絵巻などに描かれた無名の画人の絵のような境地には至らないのかなあ、絵の才能とか資質などは天与のものでしかないのだろうか・・・・と、ため息が思わず出た。星...夜神楽連続二夜探訪の収穫【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<14>】

  • 女性の舞人が参加して神楽に活気が戻った/椎葉・栂尾神楽の一夜【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<13>】

     *本文は作業中。女性の舞人が参加して神楽に活気が戻った/椎葉・栂尾神楽の一夜【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<13>】

  • 二日連続で夜神楽を見て、無事帰ってきたこと【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<12>】

    米良山脈に上る朝日に全身を照射されながら帰って来た。一昨日(22日)の夕方7時から翌朝の9時まで椎葉・栂尾神楽を見て、昨日(23日)のお昼に一度家に帰り、11時間ぶっ続けに眠って、目覚めたのは深夜の10時だった。それから食事を温めて食べ、尾八重に行き、朝の7時まで見て帰って来た。二晩連続の夜神楽紀行。このような強行スケジュールで神楽を見るのは初めての経験だったので、少し心配もし、用心をしながらの取材だったが、栂尾で画帖様式(25センチ×150センチ程度)のデッサンを7冊、尾八重で半切サイズ(35センチ×180センチなど)のデッサンを11枚。そのうち失敗作はそれぞれ3枚程度だったので、まずまずの収穫だった。生きて帰ってきた、というほど大げさではないが、年齢を考慮すれば無事でなにより、というところだろう。一日...二日連続で夜神楽を見て、無事帰ってきたこと【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<12>】

  • 中世の絵物語の世界へ【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<11>】

    本日(22日)、椎葉「栂尾(つがお)神楽」(写真1枚目)へ。夕方5時頃から神事があり、神楽は午後7時頃開始。明日(23日)の午前9時頃終了。その後山を下って南郷温泉「山霧」で疲れをとり、夕刻から東米良「尾八重(おはえ)神楽」(写真2枚目)へ。連夜の徹夜となるので、生きて帰れるかどうかわからんではないか、と心配してくれる人もあるけれど、車に寝袋・毛布などを積み込んであるのでどこかで休みながら行動。*今季の本格的な神楽取材開始です。現地合流歓迎です。栂尾神楽は神楽の古風を残す貴重な儀礼があり、尾八重は星宿神「宿神」が出ます。中世の絵物語が展開される神秘空間へ。出発。中世の絵物語の世界へ【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<11>】

  • 筑後画壇の先駆者ー松田諦晶「婦人像」/会場:由布院空想の森美術館[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

    この絵に出合ったのは、45年ほども前のことになる。郷里のアマチュア絵画教室で絵の勉強を始めて間もない頃のことだった。古い町の、開店して間もない古美術商に立ち寄り、何気なく店内を見渡した視線の先に壁に立てかけられた一群の油絵があり、その一番前にこの絵があったのだ。それゆえ、初見は斜めにこの絵を見たのだったが、それでも、つよく惹きつけられるものがあり、有り金をはたいて買ったのだ。店主は、――青木繁関連の家からの出物ですよ。と言っていたが、それを信じるとか信じないとかいう次元のことではなく、例えば山奥の道で予期せぬ稲光りと雷鳴に遭ったときのような、衝撃が身体の中を走ったのだった。後から考えると、それは高校3年の夏、約40キロの道を自転車を漕いで久留米市の石橋美術館に行き、観た青木繫の傑作「海の幸」の中央で一人だ...筑後画壇の先駆者ー松田諦晶「婦人像」/会場:由布院空想の森美術館[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

  • 筑後川の川辺の香りがする:坂宗一《夕景》/由布院空想の森美術館:会場[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

    油絵F8号の小品だが、一目見た時に画面に「筑後の空気」が漂っていると感じた。そしてその直感は当たっていた。古い建物の向こうの空が真っ赤に夕焼けており、画面手前には倒木が横たわっている。そして道の両脇には櫨(はぜ)並木と思われる木立がある。筑後の風景である。坂宗一は1902年福岡県三潴郡(久留米市)生まれ。坂本繁二郎に師事し、川端画学校で学んだ後、戦前の二科展に出品。特待賞を受賞するなど活躍。昭和22年二紀会の創立に参加し、旺盛な創作活動を続けた画家である。こちらはF6号の油絵小品。築後に育った人や筑後地方になじみの深い人ならば、この変哲もない風景画が、大河・筑後川の春先の岸辺であることがすぐにわかる。枯草は温かみを帯び、悠々と流れ下る川の水音を包含し、やがて一帯を黄色で埋め尽くす菜の花の種子を地中に抱いて...筑後川の川辺の香りがする:坂宗一《夕景》/由布院空想の森美術館:会場[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

  • 悠久の大地の歌が聞こえる―坂宗一《想う》/由布院空想の森美術館:会場[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

    坂宗一は1902年福岡県三潴郡(久留米市)生まれ。坂本繁二郎に師事し、川端画学校で学んだ後二科展に出品し、昭和2年の二科展で特待賞を受賞するなど活躍。その後、昭和22年二紀会の創立に参加し、旺盛な創作活動を続けた画家である。100号の本作は二紀展出品作。小品には、築後の風土の香りを纏った作があるが、この作品は、画面中央に牛、手前に横向きに寝た人物、その左横に優し気な表情の犬、左奥に膝を抱えて座った少年、そして右側には不思議な衣装を纏った女性と思われる人物などが配置され、悠久のアジアの旅で出会う一場面を想起させる。メルヘンの世界とも宗教画とも違う、不思議な絵画空間は、題名の「想う」にふさわしい。作者は何を想い、観る者に何を想わせようとするのか。*詳細は悠久の大地の歌が聞こえる―坂宗一《想う》/由布院空想の森美術館:会場[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

  • 第二期*空想の森アートコレクティブ展/由布院空想の森美術館会場・始まっています[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

    第二期*空想の森アートコレクティブ展/由布院空想の森美術館会場・始まっています[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

  • 八幡神と諸塚山の山岳信仰の残光【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<10>】

    古記録をもとに復元された英彦山山伏峰入り修行に同行し、豊前・香春岳の麓から英彦山神宮までを辿る山岳の道を歩いたことがある。香春岳こそ古代精銅の拠点であり、それに連なる山脈の道は、古代の精銅・製鉄の拠点を繋ぐ古道であった。英彦山山系の道は、さらに宇佐へと続いていた。全国に分布する八幡神社の総鎮守は宇佐八幡である。そのことと、英彦山山系を結ぶ精銅・製鉄の道は連関している。時代が下って、奈良の大仏建立の折、困難を極めた大仏鋳造の技術を携えた宇佐の工人たちは「神」として迎えられ、見事大仏は完成した。以後、宇佐の神は国家の祭祀に関わり全国に勧請されて分布したのである。諸塚村の深奥部に位置する桂正八幡神社もその系譜をひくものだが、桂神楽には「諸塚様」という古面が伝わり、諸塚山をめぐる古代山岳信仰がその基底をなすことを...八幡神と諸塚山の山岳信仰の残光【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<10>】

  • 錦秋の九重高原から阿蘇・高千穂を経て椎葉へ――晩秋の山旅(2)【空想の森から<187>】

    由布院盆地の中心部は、標高450メートル。由布院空想の森美術館のある辺りはおよそ標高500メートル。この地点まで、深い霧に包まれることは稀だが、この朝は、窓の外は真っ白で、何も見えないほどの濃霧だった。雲海の中で一夜を眠り、目覚めて、ゆっくりと珈琲を淹れ、次第に晴れあがってゆく景色を観る。至福の時間がながれてゆく。この美術館のある地点の近くからは縄文時代の遺跡(かわじ池遺跡)が発掘され、埋め戻されている。その遺跡には、ある意志に基づいて並べられたと思われる集石遺稿があり、その石群の配置は、由布岳の山頂を望む方角を向いていた。太古の人々は由布岳の山頂から昇る朝日に向かって敬虔な祈りを捧げ、「まつり」を行なったものであろう。そしてその生活跡は、霧の中で一万年の眠りを続けていることであろう。霧が上がると、由布岳...錦秋の九重高原から阿蘇・高千穂を経て椎葉へ――晩秋の山旅(2)【空想の森から<187>】

  • 晩秋の山旅(1)【空想の森から<185>】

    塩負うて山人遠く行く秋ぞ江戸中期の俳人・加藤暁台(1732〜1792)に上掲の句がある。この俳人のことはまったく知識の外だったが、ふと開いた歳時記にこの句が載っており、九州脊梁山地の峠道を歩いていたら、記憶が重複したのである。山道は、北は高千穂・阿蘇・九重山系を結ぶ古道の一つである。南は米良山系へ連なり、西は椎葉、東は日向へと通じている。往昔、この道を、塩を背負った山人や行商人などが行き来したものであろう。暁台は尾張藩の武士から俳諧師となった人で、松尾芭蕉の句風を慕い、「蕉風」の復興運動に努めたらしい。奥山は霰雲なりはふの月みの虫を撃つことなかれ落葉かきなどという、高千穂神楽歌に通じる一句や、小さな虫に寄せる優しいまなざしなしを思わせる作がある。紅葉した落葉に埋もれた小道を歩いていたら、千本しめじ(シャカ...晩秋の山旅(1)【空想の森から<185>】

  • 諸塚・桂正八幡神社の八幡様【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<9>】

    八幡神とは、弓矢で狩りをした古<いにしへ>の神。古代、精銅と製鉄の技術を持ち、北部九州に渡来し宇佐八幡を本拠とし、全国の八幡神社の総鎮守として歴史の舞台を彩ったが、各地に点在する八幡神社はそれぞれに地方色を加えながら、村の鎮守神として勧請され、信仰された。中世以降、武神として信仰されて各地に勧請され、分布した。豪壮な仮面をつけ、弓と矢を採り物に降臨する。神楽「八幡」はこれを基底とする。桂正八幡神社の八幡様はこれらの歴史的背景を持つ。高千穂神楽として伝わったという記録を持ち古形を残しながら伝承された稀有の神楽である。戸数9戸の村で舞い継がれ、7年に1度の大神楽では24時間をかけて開催される。2024年11月9日の霜月祭りは、霧に諸塚山の紅葉が包まれ、山岳が夢幻のかなたに霞む中で開催された。午前中に三番、午後...諸塚・桂正八幡神社の八幡様【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<9>】

  • 「山神の仮面」が語るもの【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<8>】

    九州脊梁山地の険しい山道を辿ると、別れ道や大樹の根方、巨岩の下方などに座す小さな祠に出会う。狩人たちが祀る山の神「カクラ様」である。カクラ様とは、鹿倉様、狩倉様などと表す、狩りの神は険しい山岳に抱かれて生涯を暮らす山人<やまびと>たちが祀る山と森の精霊神。神楽の「森の本地」では――水が三尺流れれば滝となり水神が現れ――木が三本繁れば森となり山神が座すと唱教が唱えられる。椎葉山の深奥部、不土野、向山、尾前などの地域の神楽には巨大な鼻がぐいと曲がり、縦皺の走った怪異な相貌の仮面神が出る。それが「山の神」の仮面である。不土野では「山の神」といい、他の地区では「一人神楽」などと呼ばれるがその造形に共通項があり、神楽そのものの根本原理が山の神祭祀であることを物語る。本来、秘祭であった祭儀が具現化され、具象形態を獲得...「山神の仮面」が語るもの【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<8>】

  • 狩人たちの祝祭【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<8>】

    深い峡谷に沿った山道の途中で厳冬の山岳から下ってきた一群の男たちに出会った。彼らは、猟銃を肩に担ぎ、精悍な猟犬を引き連れていた。集合した場所には一台の軽トラックがあり、荷台には巨大な猪が積まれていた。少し前に――ダーン。と山谷に響いた銃声は、この大猪を仕留めたことを仲間と山神に知らせるための空砲だったのだ。皆が集まったと思われる頃、荷台の獲物がビクリと動いた。まだ息の根が止められてはいなかったのだ。間髪を入れず、一人の若者が腰の山刀を抜いて飛び乗り、グサリ、と、とどめを刺した。鍛え抜かれた山人<やまびと>の峻烈な技量であった。それから一団は山を下った。猟師宿へ帰り、獲物を解体し、集まってきた村人や猟犬たちにも狩りの幸を分け与え、山神に感謝の祈りを捧げる「狩倉舞」が舞われて、盛大な狩人たちの祝祭が始まるのだ...狩人たちの祝祭【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<8>】

  • 「鬼神」神楽スケッチ(1)【神楽と仮面2024-2025<7>】

    【鬼神】「鬼」に会うことは祖先に会うことと土地の人は言う。「鬼とは制圧された先住民が山に入り、山霊を身に付けた縄文人の末裔」と、民俗学者は分類する。「まつろわぬ民の象徴である」と支配者は見下す。「道化荒神」という鬼は、祭りの場に乱入し子どもたちを追いかけたり若い女性に抱き着いたりして場を騒乱の渦に巻き込み、偉い神たちの権威を失墜させるが最後は子どもたちとも村人とも仲良くなって、森へと帰って行く少し怖いけれど優しくて気のいい神さまである。「鬼神」神楽スケッチ(1)【神楽と仮面2024-2025<7>】

  • 今季の神楽スケジュール【神楽と仮面2024-2025<6>】

    神楽の季節が巡ってきました。今季の高見乾司の取材スケジュールをお知らせします。私も後期高齢者の仲間入りをし、老化を自覚する局面も出てきたので、これまでに実施してきた「九州民俗仮面美術館」主催の神楽取材フィールドワークは終了とします。ただし、例年通り、週末にはどこかの神楽に出かけ、終夜、絵を描き続けます。画業としては、ようやく出発点に立てたと思える地点に到達したという実感があるので、年齢云々よりも絵を描く時間を多く確保することが目的です。これからは残された持ち時間をこのためにだけ使いたいと思っています。現地の事情は、コロナ過の中断期間を挟んで、激変の様相が現れ始めています。恒例の伝承者が高齢化によって少しずつ減り、神楽の伝承と集落の消滅とが並行して進んでいるのです。半面、若い伝承者が入り、活気づいている例も...今季の神楽スケジュール【神楽と仮面2024-2025<6>】

  • 椎葉神楽 宮崎県立博物館・民家園企画 / 山の面・海の面~祈る化身のカタチ[まとめ]

    山の面・海の面~祈る化身のカタチ <1>企画趣旨と概要2024年10月24日~28日まで、「山の面・海の面~祈る化身のカタチ」が開催された。この企画展は椎葉民俗芸能博物館の学芸員・井上玉光さんが企画し宮崎アートカウンシルの支援と椎葉・栂尾神楽の伝承者の皆さんの協力により遂行された。以下はその主旨。《伝統芸能・神楽の魅力の一つに「面」があります。舞手は面を着けることで神聖な場に神々を降ろしました。舞で使われる神楽面は各地域で大切に受け継がれており、神楽を通して豊穣や平穏を願う人々の思いは、舞だけでなく神楽面と共に継承されてきたのです。毎年、各地域で奉納される神楽。しかし高齢化などによって担い手が減少し、数百年の歴史を静かに閉じる地域は少なくありません。そんななか、地元外に住む出身者が祭りの時に帰郷して神楽を...椎葉神楽宮崎県立博物館・民家園企画/山の面・海の面~祈る化身のカタチ[まとめ]

  • 「神楽」と「仮面」を語る一日/「山の面・海の面」祈る化身のカタチ【神楽と仮面2024-2025<4>】宮崎県立博物館・民家園にて

    椎葉神楽の公演が宮崎県立博物館・民家園で開催されました。この建物は築約200年の椎葉の古民家を移築し、保存・活用しているもので、今回は椎葉神楽と高千穂神楽の公演と仮面の展示による企画でした。椎葉民俗芸能博物館の若い学芸員さんが企画したもので、大変良い内容のものでした。御神屋が設営され、椎葉村で仮面制作や古仮面の修復などを続けておられる古川三鶴亀氏の仮面が展示されて、荘厳な雰囲気が創出されました。かつては、神楽はこのような集落ごとの民家空間で演じられたものです。そのことを再認識する設営となりました。私は画帖4冊を仕上げることが出来、今季の幕開けにふさわしい一日となりました。そして今日(27日)は、古川さんとの仮面と「九州民俗仮面美術館」の収蔵品8点を展示した空間で、トークショーがあります。仮面とは何か、いつ...「神楽」と「仮面」を語る一日/「山の面・海の面」祈る化身のカタチ【神楽と仮面2024-2025<4>】宮崎県立博物館・民家園にて

  • 神楽の季節がやってきた/本日、椎葉神楽・県立博物館公演へ、行きます【神楽と仮面2024-2025<3>】

    24日~28日までの5日間、宮崎県立博物館・民家園「椎葉の民家」で椎葉神楽&高千穂神楽の公演と仮面の展示、ワークショップが始まっています。私は出かけ、描きます。ウォーミンクアップを兼ねてこれまでのデータをもとに描いた三点をアップしておきましょう。現場でどのような作品が生まれるか、楽しみに出かけます。神楽の季節がやってきた/本日、椎葉神楽・県立博物館公演へ、行きます【神楽と仮面2024-2025<3>】

  • 神楽の季節がやってきた【神楽と仮面2024-2025<2>】

    24日~28日までの5日間、宮崎県立博物館・民家園「椎葉の民家」で椎葉神楽&高千穂神楽の公演と仮面の展示、ワークショップが始まっています。「九州民俗仮面美術館」から8点の仮面を出展しています。私(高見)は明日と明後日、出かけます。26日は神楽を見ながら絵を描き、27日はトークショーに出ます。神楽と仮面に関する新発見の事例や興味深い話などが準備できました。お近くの方、ご参加ください。いよいよ神楽シーズンの幕開けです。神楽の季節がやってきた【神楽と仮面2024-2025<2>】

  • 稲を刈りに行った日

    こんな画像がアップされ、ヘルプの信号が発信されたら、じっとしてはいられない。不登校中学3年生のカワトモ君に――行くか?と声をかけたら、――行きます!!と即答してくれたので、出かけた。カワトモはこの森に通って3年目の少年だが、逞しく、話のわかる男一匹に育ってきた。能登半島の被災地へは、遠くて時間的にも経済的にも支援に駆け付ける余裕はなく、隣国から理不尽な侵攻を受けているウクライナの祖国防衛戦争に鉄砲を担いで参加するわけにもいかないが、同じ宮崎県内の水浸しになった田んぼへなら行くことはできる。暑すぎる夏、豪雨、猪の侵入などと格闘しながら有機栽培の農業を続けている友人の助っ人要請には応じるのが当然だろう。「せせらぎ農園」を主宰する大神晋二さんは、一度だけだが九州脊梁山地のヤマメ釣りに同行したことのある仲間である...稲を刈りに行った日

  • 【草刈り機で足を切られた!!】

    我らがプロジェクトリーダー中村哲朗さんが大事故に遭遇。でもその折の沈着冷静、適切な対応はさすが。そして事故翌日には関係者に報告のメッセージ送付。この度胸を見よ!!皆と同じ感想・・・哲朗さん、生きててくれて良かった。まずはゆっくり養生してください。どうやら、哲朗さんがいない分、仲間たちがカバーして動いているようですよ。これ、とても大切なこと。 *以下の文と写真は中村哲朗さんのフェイスブック記事から。中村哲朗15時間前  · ご報告【死ぬかと思った〜】先週末、事故で他者の操作する草刈機で…右足の膝横から裏にかけてバッサリ緊急搬送只今重傷にて入院中です崩れ落ちる僕見て切ったおじちゃんはボーゼンとしフリーズ状態に血が噴き出るんで草刈機のショルダー紐を外し(焦ってるからなかなか外せない)太ももをギューと止血オロオロ...【草刈り機で足を切られた!!】

  • 眼の先達:「田園」《金子善明》/無名ということ⑥[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]

    この絵を、冬から春へ向かう森に置くと、そのあたたかさや穏やかな風情が心に沁みてくる。金子善明さんは、湯布院町湯平出身の画家。2022年に70余年の幕を降ろした湯平の名産みやげ屋、金子商店の長男として生まれ、抽象画入門の本の執筆をはじめ、武蔵野美術大学での講師、パリへの渡仏・留学経験など、人生をかけて精力的に芸術と向き合い作品を残してきた画家である。​石畳の道の両脇に温泉旅館が立ち並ぶ「昭和の温泉町・湯平(ゆのひら)」。故郷としての湯平と作家の結びつきを見つめると、湯平という独特の空間性、匂い・温度・湿度、五感で染み付いている何かが漂ってくる。といっても、画風は田舎じみてはおらず、ヨーロッパ遊学の体験と日本の古美術・古民藝を愛する美的センスが基軸にあった。2021年、惜しくも他界。【眼の先達】金子善明氏は、...眼の先達:「田園」《金子善明》/無名ということ⑥[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]

  • 「若い水夫」作者不詳/無名ということ⑤[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]

    国籍不明の青年が遠くを見つめている。画題は「若い水夫」となっている。短く刈り込んだ髪、屈強な体つき、横縞のシャツなどからそれと知れるが、そのほかにこの絵に関する情報はない。これではインターネットでも調べようがない。ボロボロの額縁の裏にピンで留められているのは、この絵の元の持ち主である後藤洋明氏のメモである。後藤さんは故・洲之内徹氏が経営していた現代画廊に通いつめ、新人作家や無名の作家の作品を蒐集し続けた人で、由布院空想の森美術館の「画中遊泳館」の運営にもかかわった人だから、なんらかの根拠があるに違いない。今度会ったら聞いてみよう。彼もこの絵のことは忘れているかもしれないが、それはそれで良い。一枚の絵に、みどころがあり、手元に置いたり、時々は壁に掛けたりして静かに過ごせる時が持てるならば、それも絵の持つ大切...「若い水夫」作者不詳/無名ということ⑤[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]

  • 「早春・椿」《伊藤重信》/無名ということ④[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]

    1988年から5年間にわたって開催された「アートフェスティバルゆふいん」は、湯布院という九州の山間の小さな温泉町に誕生したアートギャラリーや美術館など30施設を結んだ展覧会であった。その手法は6年後からは「伊豆高原アートフェスティバル」に引き継がれ、地域型の美術展として全国に普及していった。その第一回目の展覧会の参加会場に、「花風詩」というお洒落なペンションがあった。「塚原」という湯布院盆地からさらに北へ入った高原の静けさに満ちた森の中のペンションにこの木版画「早春・椿」は良く似合った。伊藤重信という版画家は多摩丘陵や武蔵野の風景をよく描いた画家だったようだ。それから40年以上の年月が流れて過ぎた。ペンション「花風詩」はどこかへ越して行き、由布院の町も変貌したが、この絵はその時の情景を思い出させてくれる一...「早春・椿」《伊藤重信》/無名ということ④[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]

  • 両手がないという無頼「犬吠埼」《水村喜一郎》/無名ということ③[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]

    水村喜一郎氏は、遊びざかりの9歳のときに、高圧線で感電し両腕を肩から失った。そのため不自由さを伴いながらも、手の代わりに口と足を使って何事にも果敢に挑んだ。小さい頃から画家を夢見て、事故後すぐ口に筆をとり、14歳の時から油絵を描き始めたのである。17歳の春には展覧会で初入選。これを機会に油絵への情熱が高まり、創作活動に打ち込む。独特の力強い色彩で描かれる重厚で詩情にあふれた作品から、「描く詩人」と呼ばれている。多くの公募展で受賞を重ねるほか、東京銀座「現代画廊」、大分県湯布院町「由布院空想の森美術館」など各地で個展を開催。この作品は1989年の空想の森美術館で個展の折に収蔵品となった。インターネットをみると安価で取引されている作品もあるが、記念碑的愛着があるため、正規の価格表示とした。水村喜一郎氏は、美術...両手がないという無頼「犬吠埼」《水村喜一郎》/無名ということ③[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]

  • 「雨の橋」《武石憲太郎》/無名ということ②[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>] ☆

    【雨の橋】武石憲太郎氏は、大分県由布市挾間町在住の画家である。1980年代、まだ地元の新聞社に勤めていた彼は、勤務を終えたあと、夜の町で一心に絵を描いていた「旧・由布院空想の森美術館」では、そのころの武石さんの絵で、再三、企画展を開かせてもらった。以後、勤めをやめて画業一筋の生活に入った武石さんと、私(高見)は、一緒に各地へ出かけ、さまざまなアートイベントに参加したり、企画展を開いたりした。存在そのものが芸術作品のような彼と、美術館の経営者であり企画者も兼ねていた私とは、画面に向かう態度にも差違があったが、それだからこそ、私にとっての武石憲太郎は大切な友人であり、同志であり先達であった。いま、故郷の町を遠く離れ、武石さんに会う機会もなくなったけれど、この「夜の橋」をみるたび、いつも黙々と描き続けていた彼の...「雨の橋」《武石憲太郎》/無名ということ②[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]☆

  • 「黒の余韻」武石憲太郎/無名ということ①[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]

    夜のなかで白くかがやく家。夜中に星がひとつひとつ耀いている☆武石憲太郎氏は、筆者と同年代の作家(2歳年上)なので、よく一緒に描く機会を持った。というよりも兄貴分として親しく付き合わせてもらったというべきだろう。この作品は、まだ武石さんが地元の新聞社の業務部に勤めていたころの作品(1970年代)。仕事が終わり、夜の町に描きに出かけたのである。一人、スケッチブックを抱えて街路を歩く姿がみえる。詩のようなひとりごとが、裏面に書きつけられている。☆【無名ということ①】武石憲太郎氏の作品をラインナップに加えるにあたり、調べてみた。第一期の由布院空想の森美術館(1986-2001)を閉館して以来、22年の年月が経過しており、その間、彼とは一度も会っていないのだ。風の便りでは、地元でこつこつと描いている、ちかごろ小さな...「黒の余韻」武石憲太郎/無名ということ①[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]

  • 「奏でる」―風に乗って森の音楽が響いてくるとき/作者不詳の絵③[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]

    木立の間を吹き抜ける風に乗って、フルートの調べが流れてくるような気がする。じっと耳を澄ますと、それが一枚の絵が奏でる静かな音楽だということがわかる。パステルで描かれたさりげない一枚が、作者と演奏者の心の通い合いを思わせ、画面に爽やかな音を響かせているのだ。一人の画家の手が生み出した静謐な空間。絵画と音楽と詩とは、遠い関係にあるようだが、じつは、最も近い位置にある「芸」の領域なのだ。「奏でる」―風に乗って森の音楽が響いてくるとき/作者不詳の絵③[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]

  • 「呼子の海岸通り」/作者不詳の絵②[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]

    あれは1992年のことだ。はっきりと記憶している。第五回の「アートフェスティバル由布院」に参加して下さった画家で美術評論家の谷川晃一氏が、当時の由布院空想の森美術館に展示してあった数点の「作者不詳の絵」を見て『私設とはいえ、「作者不詳」という絵画を堂々と美術館のメイン展示室に展示してある美術館をはじめて見た、ここには館主の眼が生きており、館主自身の美意識で集められた蒐集品がある。ここに「わたくし」の美術館の本質がある』と仰り、方々に書いて下さった。それを契機として、一時期、「作者不詳の絵」という美の基準が共有されたことがある。それから四半世紀が過ぎたが、日本の絵画鑑賞の基準が大きく変わることはなく、私は、自分の見方・感じ方・蒐集の方針を変えることはなかった。そしてまた、こうしてそのようにして集まって来た作...「呼子の海岸通り」/作者不詳の絵②[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]

  • 鳥の歌/作者不詳の絵①[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:2>]

    「第二期:空想の森アートコレクティブ展」が始まっています。今回から、「作者不詳の絵」の展示が開始されます。作者は分からないけれど、どこか魅かれる絵、手元に置いて時々取り出してみて、ほっと安堵の吐息をつく作品。いつ、どこで、どんな作者が描いたのかはわからない。それでも、その絵から発信されてくる「ことば」がある。それを聴き取り、見分け、その絵に秘められた物語を想う。それも絵の観賞における大切な価値だと思うのです。そんな愛すべき作品たちをこの空想の森アートコレクティブでは紹介してゆきます。*詳細はhttps://kuusounomori.base.shop/items/allをご覧ください。 【鳥の歌】カザルスに「鳥の歌」という名演奏がある。この絵を見るたびに、私(筆者・高見)はカザルスの「鳥の歌」を思い出すの...鳥の歌/作者不詳の絵①[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:2>]

  • 滝の向こう側【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー12>】

    山中の釣り師が惜しげもなく教えてくれた秘渓を釣り上ったが、仙人の称号をいただいている私にも超名人の渓声君にも一匹の釣果もなかった。山や渓谷に異変が起きていることは、昨日の記事に書いた。大きな砂防堰堤の上流に出て、さらに遡ると、尺ものが出る、という滝に至った。が、そこは水量が多く、近づくことさえできなかった。*続きは作業中。 滝の向こう側【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー12>】

  • 山河慟哭【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー11>】

    奥山の釣りに来て、釣果を誇ったり、釣り方や秘密のポイントの在り処を勿体を付けて喋ったりしてはいけない。以前、ある集落の寄合に呼ばれ、近くの谷で大釣りをした、3人で釣り歩き、3日間で120匹も釣れたのだ、という話をしていたら、隣でビールを飲んでいた老人が、――お、待てよ、3人で3日で100匹、それで大釣りというのか、俺たちは一日で100は上げるものだぜ。と言った。椎葉の奥地でも、通りがかりの沢で一匹釣りあげて、得意になっていたら、やはり同じような切り返しに会い、打ちのめされたのは前年の春のことだ。今秋、仲間たちと草木染めのワークショップの準備をしていたら、山道からすたすたと歩いて来た人が20匹ほどの良型のヤマメをぶら下げていた(上掲写真)。木の枝の又になったところを利用した即席の獲物刺しであった。これはこの...山河慟哭【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー11>】

  • 名残の谿【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー10>】

    名残の谿【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー10>】

  • 空想の森アートコレクティブ:オンラインショップ/公開しました[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:1>]

    空想の森アートコレクティブ/オンラインショップです。https://kuusounomori.base.shop/items/all【第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:1>】が下記の三会場・同時開催として始まっています。◇会場<1>「友愛の森空想ギャラリー」宮崎県西都市穂北5248/TEL090-5319-4167(担当・高見乾司)・会期2024年10月1日~31日AM10:00~PM5:00◇会場<2>「小鹿田焼ミュージアム渓声館」大分県日田市源栄町・ことといの里内/TEL090-4998-6575(担当・梅原勝巳)・会期2024年10月1日~11月30日AM10:00~PM5:00◇会場<3>「由布院空想の森美術館/別館:林檎蔵ギャラリー」大分県由布市湯布院町川北/TEL090-5940-...空想の森アートコレクティブ:オンラインショップ/公開しました[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:1>]

  • 第二期:空想の森アートコレクティブ展が始まりました[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:1>]

    彼岸花の季節が終わり、銀杏の並木が色づき始めた、旧・教会を改装した「友愛の森空想ギャラリー」で、【第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:1>】が始まっています。◇会期2024年10月1日~31日AM10:00~PM5:00◇会場「友愛の森空想ギャラリー」宮崎県西都市穂北5248☆「コレクティブ」とは、「共同する―集合する―収集する」という三つの価値観を集約する概念で、「現代アート」の先鋭的な動向として各地で展開され始めたアートシーンです。1986年、由布院の地域活動を母体として誕生した「由布院空想の森美術館」(第1期1986〜2001・第2期2018〜現在)が行なってきた活動は、この一点に統括されるという認識をもとに、2024年3月、「空想の森アートコレクティブ」が起動しました。このプロジェクトは...第二期:空想の森アートコレクティブ展が始まりました[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:1>]

  • 椎葉の古民家(宮崎県立博物館)で「神楽」と「仮面」の展示と上演【神楽と仮面2024<1>】

    私(高見)は「九州民俗仮面美術館」所蔵の古仮面の提供と展示・トークショーへの参加で協力します。若い学芸員さんたちの元気いっぱいで素晴らしい企画です。●特別展示・ワークショップ「山の面海の面〜祈る化身のカタチ」のお知らせ神楽面の魅力をご紹介する展示を行います!椎葉村の伝統工芸士・古川三鶴亀さんの作品を中心に、椎葉村の神楽面や九州民俗仮面美術館のコレクションをご覧いただけます。あわせて神楽公演やワークショップも行います!たくさん皆様のご参加をお待ちています。●特別展示・ワークショップ「山の面海の面−祈る化身のカタチ」会期:2024年10月24日(木)〜28日(月)9:30〜16:00会場:宮崎県総合博物館民家園「椎葉の民家」♢神楽公演10/26(土)13:00~15:30観覧無料要予約定員80名出演団体椎葉神...椎葉の古民家(宮崎県立博物館)で「神楽」と「仮面」の展示と上演【神楽と仮面2024<1>】

  • 「茜」の重ね染めで深い味の発色が得られた【秘境の村で草木染め(8)/椎葉の渓谷で「茜染め」】

    当日の茜染め。左端の8枚が「重ね染め」です。10年以上前に染めた布が雨漏りで濡れたり、西日が当たって色が少し褪せたりしていたものを持って行き、皆さんが染めた残りの染液で染め重ねると、それぞれに深い味わいの発色が得られました。これは今後に生かせる技法なので記録しておきます。これは当日掘った茜草の根で染めたもの。いかにも日本的なやさしい発色。「染め重ね」のアップです。下地に山桜染め、朴の葉染め、胡桃の葉染め、ヒメジョオン染めなどがあります。「茜」の重ね染めで深い味の発色が得られた【秘境の村で草木染め(8)/椎葉の渓谷で「茜染め」】

  • 【秘境の村で草木染め(7)/椎葉の渓谷で「茜染め」】

    <1>9月3日、椎葉村・栂尾地区の渓流沿いに集合。<2>全体の説明。3週間前に堀り、乾燥させておいた赤根を施設の雨漏りの整備の際に捨てられていたことが判明。それで、工程ゼロからの出発となりました。茜は、掘った根を乾燥させておいたほうが濃く染まるのです。でも、天然状態の茜草の根には古い根も混ざっていることから、当日掘り出したものでも使えることを説明。この日参加して下さった地元の方もそのことはご存じでした。<3>自生地を確認。茜草は一株の根から四方八方に茎を伸ばし、その伸ばした先が草むらの中から真上に向かって伸び、花を咲かせます。その1本1本の茎をたどり、根株にたどり着くと、そこにひとかたまりの赤い根があるのです。これを掘りあげます。<4>堀り進みます。葉と茎の特徴を把握しておきましょう。<5>これが赤根。予...【秘境の村で草木染め(7)/椎葉の渓谷で「茜染め」】

  • 天候回復、沢辺で茜染めをした【秘境の村で草木染め(6)/椎葉の渓谷で「茜染め」】

    前日の豪雨をもたらした台風崩れの低気圧は去り、からりと晴れた好天となった。椎葉村栂尾地区の現流の谷の沢沿いで茜草の根を掘り、染めるワークショップはたくさんの方が集まり、無事終了。当日の参加者からデータが届き始めています。次回以降に記録として使えるようにまとめて公開する予定ですしばらくお待ちください。*この画像は川上佳那子さん撮影。天候回復、沢辺で茜染めをした【秘境の村で草木染め(6)/椎葉の渓谷で「茜染め」】

  • 大雷雨の中、椎葉の山中を移動した【秘境の村で草木染め(5)/椎葉の渓谷で「茜染め」】

    昨日、大雷雨の中、椎葉山中を走行中、車のエンジン付近で異音が鳴り続けたので、引き返す。がけ崩れの箇所の迂回路で道を間違え山中彷徨。一度温泉に入り身体を休める。所要時間は四時間半。同じ宮崎県内とはいえ、秘境の村は手ごわい。高鍋まで帰り着きトヨタのサービスセンターに持ち込んだところ、何度も山から流れ出す濁流を突っ切って走ったことによりダイナモかバッテリーまたはベルトが水を被った単純トラブルだろうということで、代車を出してくれた。本日、仕切り直しで椎葉、栂尾地区へ。谷の増水の影響などを確認しながら、茜の根を掘り、かまどをこしらえて焚き火をして染めを実行の予定。さて、どうなることか。昨日の椎葉山中彷徨の時間帯に石川県能登地方が大水害が発生との報。地震被害の復旧さなかの災害に胸が痛む。こちらは事故のないよう最大限の...大雷雨の中、椎葉の山中を移動した【秘境の村で草木染め(5)/椎葉の渓谷で「茜染め」】

  • 椎葉へ、出発【秘境の村で草木染め(4) /椎葉の渓谷で「茜染め」】

    本日、宮崎県椎葉村の栂尾(つがお)地区の渓谷沿いの集落周辺で「茜草」の根を掘り、染めるワークショップのため出発します。23日当日、沢沿いの岸辺にかまどを築き、焚き火をして染めます。草むらの中に伸びた細い茎をたどっていくと何本もの茎か集まった株にたどり着く。そこを掘り進むと、赤い根にたどり着く。それが茜草の根。現場での作業には思いがけない出会いと発見があるのです。茜草の根で「赤」を染める染織は古代から知られた技法。 あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも――万葉集。 秘境の村で昔びとのこころを想う一日です。*本日21日より23日までインターネット不通の地域にいます。*連絡は090-5319-4167(高見携帯電話・旧式)でお願いします。*参加者はほ...椎葉へ、出発【秘境の村で草木染め(4)/椎葉の渓谷で「茜染め」】

  • 由布院空想の森美術館での「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ/始まっています【空想の森から<183>】

    「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ展が、会場を宮崎県西都市「友愛の森空想ギャラリー」から大分県由布市湯布院町「由布院空想の森美術館」に巡回して始まりました。秋風の吹き始めた由布院によく似合う企画となっています。好評だったエッセイ「白い花の咲くころ」を採録しておきます。[白い花の咲くころ]伊藤冬留往年の歌手岡本敦郎(おかもとあつお・北海道小樽市出身)の死去を1月8日(2012年)の夕刊が報じていた。戦後間もない頃、彼の歌う抒情的歌謡曲は一世を風靡したが、中でも広く歌われたのは「白い花の咲くころ」である。 白い花が咲いてたふるさとの遠い夢の日さよならと云ったら黙ってうつむいてたお下げ髪悲しかったあの時のあの白い花だよ この「白い花」は、私は辛夷ではないかと思っている。私の郷里北...由布院空想の森美術館での「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ/始まっています【空想の森から<183>】

  • 白猫「ましろ」の居場所【森へ行く道<154>】

    草むらの中を、白い光が走るように移動するものがあった。それが白猫だとわかるまでには、夏から秋、そして冬へと移り変わる季節の変化と同じぐらいの時間を要した。葉を落とした草木の間から、その小さな体が見え隠れするようになったのである。そしてその子猫は、素早い動きで先住の野良猫「ノラ」の餌を盗み、また枯れ葉色の草陰に身を隠した。――捨て猫だな。と私は判断したが、かなり深刻な恐怖体験を持っているらしく、人の姿を見れば逃げる速度は、野生のものと大きな違いはなかった。それで、私はノラの餌場とは少し離れた位置に、この白猫の餌場を作り、ノラのものとは分けて置くようにした。すると少しずつ距離が近づき、半年ほどかけて、ついに私の手元から餌を採るようになったのである。  だが、馴れることはなく、餌を採れば、一瞬の風のように去って...白猫「ましろ」の居場所【森へ行く道<154>】

  • 【秘境の村で草木染め(3) /椎葉の渓谷で「茜染め」】

    宮崎県椎葉村の栂尾地区の渓谷沿いの集落周辺で「茜草」の根を掘り、染めるワークショップです。当日、沢沿いの岸辺にかまどを築き、焚き火をして染めます。一週間後になりました。あと少し、参加枠があるようです。下記よりお申込み下さい。【秘境の村で草木染め(3)/椎葉の渓谷で「茜染め」】

  • 「片目黒」は三代祟るげな―「猫族」との和解の物語【森へ行く道<153>】

    ・「Chat」リトグラフ/水元博子前々回の記事の中の「ふらりと家を出た猫は根子嶽に参る」という私が育った大分県日田市の山奥の村に伝わっていた伝承に関し、それを読んだ阿蘇の南方に当たる地域に実家のある読者から、子どものころ、父君から聞かされた「猫が老いると根子嶽に登り、尻尾が二股に分かれた“猫又”という神さまになる」という伝承が届いた。調べてみると「猫を殺すと三代祟る」という民間伝承は各地にあることが分かった。だが、この「猫」シリーズは化け猫の話でも妖怪談議でもないので、そのことは昔話の世界に棚上げしておき、本題に取りかかることにしよう。掲示の作品は猫好きの画家・水元博子さんの作品で、本文との関係はありません。☆拙著「空想の森の旅人」(鉱脈社:2005)の中の「森の住人たち」に猫族と私の家とのかかわりを述べ...「片目黒」は三代祟るげな―「猫族」との和解の物語【森へ行く道<153>】

  • 黒猫ヤーヤは何処へ【森へ行く道<152>】

    片づけをしていたら「黒猫ヤーヤの一日」と題した企画展の資料が出てきたので、ここに再録しておこう。2012年に開催されたこの展覧会の主旨を作者たちの言葉で説明しておこう。☆絵と文-ポンポン船[黒猫ヤーヤの一日について]今回の展示は、黒猫ヤーヤを主人公にしたお話です。ヤーヤはどこにでもいる一匹の猫。けれどその日常には、なんだか不思議なことが自然に転がっている。もしかしたらそれは、いつもどこかで起こっている事なのかもしれません。ちょっとおかしな日常世界、黒猫ヤーヤの一日を、一緒に歩いてみてください。会場となる祈りの丘空想ギャラリーは、緑に囲まれ、とても穏やかに時間が流れています。かつては教会として、今はギャラリーとして人々の集う、開放的な清々しい空間です。ぜひ一度訪ねていただけたら。銀杏並木の小道の先で、ヤーヤ...黒猫ヤーヤは何処へ【森へ行く道<152>】

  • 屋根の上のノラ【森へ行く道<151>】

    近隣の町や村を大きな台風とともに竜巻が通りすぎて行った夜のことだった。ごうごうと鳴る風の音に混じって、――にゃあ。と猫の声が聞こえてきたような気がして目が覚めた。――おっ、ノラ、帰ってきたか。私は小さく呟いて起き出し、玄関や台所入り口の前、中庭の窓の下などを探したが、その姿はなかった。――空耳だったかな・・・暴風が木の枝や葉っぱを横殴りに吹き飛ばしていった。雨が一層、強くふった。*続きは作業中。屋根の上のノラ【森へ行く道<151>】

  • 残暑の一日、若者たちと草刈りの仕上げをする【森へ行く道<150>】

     台風が去り、朝晩は涼しくなったが、日中は真夏と変わらぬ残暑が南国の森を白化させている。カワトモ君とケイタ君が来てくれて草刈りをする。この森に通い始めて3年になるカワトモ君の鎌さばきも堂に入ってきた。毎日荒地を畑に変え収穫物を食卓に運んでくれるケイタ君も逞しい。私も一部を受け持つ。ひところよりは仕事の量が増えている。5年ほど続いた大胸筋断裂、肩鍵盤損傷、アキレス腱断裂、左足踵の骨折という怪我が治り、体調がもどってきたのだ。運動量を暴走老人といわれない程度にセーブし、身体を労りながら過ごす日常を定着させることにしよう。近隣の地域を通り過ぎた台風とそれに伴って発生した竜巻の影響も受けず、この森は静かだ。胡桃は葉っぱを半ば落としたが、実はしっかり残っている。栗の実も大丈夫だ。今年は良い実がいただけるだろう。若者...残暑の一日、若者たちと草刈りの仕上げをする【森へ行く道<150>】

  • 国立能楽堂で「中之又神楽」【宮崎神楽紀行<´24-1>】

    私が30年以上、通い続けている神秘の山地神楽です。鹿狩りの神様「鹿倉様」が出る「鹿倉舞」が伝わっています。この20年ほどで二度の消滅の危機(村の過疎化)がありましたが、山村留学の導入とその卒業生・父兄・教師たちなどが伝承者に加わったことにより、奇跡的に回復し、現在は、その特徴を保持しつつ、優美で活発な神楽として継続されています。超・超・超お薦めの神楽です。関東方面の方、ぜひご観覧下さい。そして“なるほど”と合点された方は現地へも足をお運びください。椎葉の山脈を源流とし、日向灘・太平洋へとそそぐ清流・小丸川の中流域にある中之又地区は、米良山系の東端に位置する山深い里。険しい山道を、村の人たちが作った星型の道しるべが案内してくれます。国立能楽堂で「中之又神楽」【宮崎神楽紀行<´24-1>】

  • 【秘境の村で草木染め(3) /椎葉の渓谷で「茜染め」*ご案内】

    宮崎県椎葉村の栂尾地区の渓谷沿いの集落周辺で「茜草」の根を掘り、染めるワークショップです。沢沿いの岸辺にかまどを築き、焚き火をして染めます。前回の「山茶染め」に続く第二回企画です。下記よりお申込み下さい。移住のいろは1日  · \ワークショップのご案内/皆さま、こんにちは^^9月の体験イベントのお知らせです!椎葉村暮らしワークショップ、2度目の草木染めは"茜"です。ご参加お待ちしております※お申込はハイライトの「イベント申込」から#椎葉村#草木染め#染色#ワークショップ#九州#宮崎県#日本三大秘境#日本で最も美しい村#体験イベント#手作り#手作業#手仕事#茜#茜色##丁寧な暮らし#秘境#山奥#山村#椎葉民俗芸能博物館#椎葉村暮らしワークショップ【秘境の村で草木染め(3)/椎葉の渓谷で「茜染め」*ご案内】

  • 仙人にはなれない【森へ行く道<148>】

     夏はヤマメを追って源流の谷に分け入り、冬は夜神楽の里に通い、一晩中、神楽の絵を描き続けることにより、「釣り仙人」「神楽仙人」などと呼ばれることがあるが、ご覧のように、まだ現場に出て若者たちと一緒に鎌を振るい、台風で傷んだ屋根を修復し(去年は落ちて骨折した)、さて、沢の水が落ち着いたら釣りに行こう、などと考えている76歳の夏。まだまだ「仙人」への道のりは遠いようです。  *写真1枚目はカワトモ君撮影2024年9月1日。仙人にはなれない【森へ行く道<148>】

  • 台風去って一仕事【森へ行く道<148>】

    台風10号が去った。まだ東海地方沖に停滞し、大雨被害も出ているらしいが、当地はスタッフ・仲間たち・施設などの無事を確認。晴れ間も戻った。閉め切ってある窓を開け放って片づけをしよう。今日はカワトモ君が助っ人に来てくれるので、出水でえぐれた道の補修、屋根と壁の始末、折れて飛んだ木の枝や葉っぱを集めて焚き火など。夕食に夏野菜と鹿肉のシチューを喰って元気を出そうぜ。台風去って一仕事【森へ行く道<148>】

  • 椎葉村が被災【森へ行く道<147>】

    8月31日午前9時。台風10号は当地宮崎県西都市茶臼原、熊本・阿蘇・湯布院を経由して四国方面へと通り過ぎ、「森の空想ミュージアム/九州民俗仮面美術館」「由布院空想の森美術館」のスタッフ・仲間たち共に被害なしを確認しました。ところが、今朝になって宮崎県椎葉村の約8ヶ所で道路路肩の決壊や土砂崩れが発生し、一時は村全域が孤立状態になっていたという情報がアップされました。このうち諸塚村とつながる国道327号と美郷町南郷とつながる国道388号などは、すでに通行できるようになっているが椎葉村と五ヶ瀬町を結ぶ国道265号は2カ所で被害を受けていて全面通行止めとなっている模様。☆椎葉村へは先日(25日)に行き、草木染ワークショップの準備として「茜堀り」をしてきたばかり。採取後すぐに染めれば天然状態で「紫」が染まる「五倍子...椎葉村が被災【森へ行く道<147>】

  • 台風と竜巻/台風10号宮崎・熊本を通過。30日午前9時現在、大分県由布院・国東半島上空を通過中の模様。【森へ行く道<146>】

     昨日(29日)の午後、西都市へ行ったら、郵便局・コンビニ・大型店・病院など、いずれも停電で閉店・閉館。町中は屋根やトタン看板、瓦などが散乱し、電柱が傾き、電線が切れて道路にまで垂れ下がり、後片付けの人たちが出て騒然としていた。宮崎市南部から佐土原町・西都市へかけてのエリアに竜巻が発生し、通り過ぎていった模様。*画像は1枚目は読売新聞のインターネット記事、他は伊豆安久さん(ご近所にお住まいの方と思われます)のフェィスブック記事から転載。☆我が家(「森の空想ミュージアム・九州民俗仮面美術館」)は施設・展示品・スタッフ・仲間たちなど無事です。大分方面の仲間たちの無事を祈っています。 台風と竜巻/台風10号宮崎・熊本を通過。30日午前9時現在、大分県由布院・国東半島上空を通過中の模様。【森へ行く道<146>】

  • 台風の進路・予知と予報(その二)【森へ行く道<145>】

     現在、29日午前9時30分。台風10号は薩摩半島沖・甑島付近を北上中の模様。宮崎県内では隣町の佐土原町や宮崎市内などで竜巻が発生、各地の川も増水中との報が出ていますが、当地・西都市穂北茶臼原は風の影響は少なく、雨が断続的に降っている程度。古い家なので、雨漏り各所。バケツやポリ盥などをあちらこちらと置きながら通過を待っています。私たちと展示してある「九州の民俗仮面」は無事です。ご心配のメッセージを下さった皆さん、ご安心ください。ただし29日午後には熊本方面に上陸、なんと、大分県日田・湯布院方面へと向かうとの予報に変わっている。高千穂・椎葉・諸塚・米良などの九州中央山地への影響も大きいと予測されます。こ之台風は厄介なヤツだ。3日前に大隅半島上陸の予報が出た時にはもう少し西へ行くはずだがな、と現在のコースとほ...台風の進路・予知と予報(その二)【森へ行く道<145>】

  • 実りの秋に/台風の進路―列島縦断の予報が出た【森へ行く道<145>】

    台風の進路*8月28日朝8時、九台風10号は、州からやや西寄りに進路が変わったが、八代辺りに上陸し、阿蘇・大分方面を経て四国へ向かう予報が出た。稔りを迎えた日本列島を縦断して行くらしい。☆以下に菅野芳秀さんのフェィスブック記事を転載。ここに日本の「農」の真実と「農家の本音」がある。流通と消費者の態度・対応力の問題もある。古米や廃棄食を含めれば、まだコメの在庫は十分にあるらしい。コメ不足を騒動する前に、少し足元を見つめて冷静になることが必要ではないか。 10月からの新米穀年度から、おコメ価格が全国的に上がります。昨年までが安すぎました。農家が見切りをつけてどんどんコメ作りから離れていく。離農していく。今までの政府がとって来た価格政策は、それを止めるどころか、更に促進していく政策でした。コメ作りの時給は10円...実りの秋に/台風の進路―列島縦断の予報が出た【森へ行く道<145>】

  • 台風の進路/2024年8月27日朝の時点【森へ行く道<144>】

    ☆「友愛の森里山再生ARTプロジェクト」のスタッフ・林田浩之君が、お盆過ぎ頃、蜂に刺された。続けて2度やられたが、アシナガバチだったし、この森で少年期を過ごした頑健な彼には免疫力が備わっているのだろう、少し腫れたぐらいで治っていた。その時、蜂の巣は高い木の枝などにあったか、それとも地面に近いところにかけられていたか、と確認したら、案外、低い場所だったという答えだった。――ふむ、それにしては今年は台風の直撃がないな、蜂が高い所に巣をかける年は台風が来なくて、低くかける年は大きな台風がくると昔の人は言っていたのだがな・・・と、内心思ったが、そんなことは俗信にすぎないのだろう、という感覚のほうが上回り、その後は忘れていた。ところが、今度の10号台風は、日本の南海上を紀伊半島辺りをめがけて北上していたかと思うと、...台風の進路/2024年8月27日朝の時点【森へ行く道<144>】

  • 74歳の夏/自転車に乗って森の中を走り抜ける【森へ行く道<143>】

    この夏、短パンで活動していて、なんだか自分の足が細くなった、と思っていた。3年前にアキレス腱断裂の怪我をして、1年前に屋根から落ちて骨折したことで足が使えなくなっていたため、筋肉が落ちてしまったのだ。この森の坂道を小学6年だったテッペイ君とダッシュで登ったり、同じころ森の中を小6の少女黒木ハルカさんと走り回ったりしたようなことはもう無理になってしまった。自転車に乗り始めた時にも、乗ろうとして反対側にころんと転んだりしていた。それでも少しずつ乗り回しているうちに、筋肉が回復し、ある程度の距離も走れるようになってきた。この調子で鍛え直して、どこか遠くへと出かけてみよう、と思ってスピードを上げて走っていたら、牛の糞を避けたはずみでハンドル操作をあやまり農道の脇を流れる宮田川に落ちそうになった。アブナイ、危ない。...74歳の夏/自転車に乗って森の中を走り抜ける【森へ行く道<143>】

  • 山峡の詩人/「山峡木契録」(椎窓猛:1998/ふくろう舎)【かさこそ森の読書時間<18>】

    峠を一つ越えたところに、深い山脈を背後に控えた小さな集落があった。その村を通り過ぎれば、南北朝時代後期、南朝方と肥後菊池氏の軍勢が活動拠点とした筑後平野・大宰府を望む三納山脈、八女・星野から奥日田の津江山系などに連なる矢部の山峡であった。初秋の山々は、藍紫色に染まり、金色がかった午後の日差しが、静かな家並みに降り注いでいた。真っすぐに山へと向かう道の脇の家を通り過ぎた時、ふと目に止まった表札があった。旧街道沿いの周囲の家と大きな違いのない民家の門柱であった。通り過ぎる一瞬の間に、<椎窓猛>と読めた。――あっ、この人は知り合いかもしれぬ。車を停めて引き返してみると、それはたしかに旧知の詩人のお宅であった。――よくあのスピードで、通りがかりの赤の他人の表札が判別できたわね。まるで狩人の目だわ。と、同乗の俳人・...山峡の詩人/「山峡木契録」(椎窓猛:1998/ふくろう舎)【かさこそ森の読書時間<18>】

  • 懐かしきかな由布の山河/くいしんぼう村風物詩:中谷健太郎(2012:ゆふいん西方館)【かさこそ森の読書時間<17>】

    *本文は作業中。懐かしきかな由布の山河/くいしんぼう村風物詩:中谷健太郎(2012:ゆふいん西方館)【かさこそ森の読書時間<17>】

  • 一枚の絵に込められた鎮魂と愛と平和への願い/アンパンマンと特攻機と卓球女子

    アンパンマンミュージアム発行の古い絵ハガキに印刷されたこの絵は、夕焼け空ではなく、朝焼けの海の上を飛び立って行く特攻機だという。なるほど、よく見ると、敗戦直前の日本軍のオンボロ戦闘機にみえる。私は漫画だと思い見過ごしていたら、この絵には作者・やなせたかしさんの、戦地に散った弟や若い兵隊たちに対する鎮魂の思いと、深い愛情と、平和への願いが込められていたのだ。現代の日本人の多くは、日清・日ロ戦争から太平洋戦争へと続いた軍国主義の時代が、ごく少数の支配者によって実行された愚かで未熟で悲惨な結末へと他国の人々も自国の国民をも巻き込んでいった過ちであったことを知っている。そしてそのことを反省し、鎮魂の思いを込めて祀り、平和を願う聖地が、アンパンマンミュージアムであり、知覧の特攻平和資料館なのだ。そこを訪れて平和への...一枚の絵に込められた鎮魂と愛と平和への願い/アンパンマンと特攻機と卓球女子

  • 北へ/菅江真澄の旅【かさこそ森の読書時間<16>】

    台風が、東北をかすめて東方海上へと去った。その少し前には大雨による洪水に見舞われ、被害が出た模様だ。2011年3月11日にこの地方を襲った地震と津波、原発の事故という未曽有の災害から立ち直り始めた時期なのに、さらに重なる不運にかけるべき見舞いの言葉も見当たらない。東北地方は、九州からは遠い、はるかな北の国である。私は、宮沢賢治の事績を訪ねた岩手盛岡地方への旅と、「わたしく美術館」運動主宰の尾崎正教氏と一緒に巡った秋田・男鹿半島訪問のわずか二回しか訪ねていない。秋田では「鹿踊り」や「なまはげ」(実演ではなく展示)を見て、渓流沿いの山道を越える時、イワナ釣りをしたいと思ったが、――その谷筋は熊が出ますよ。と地元の人に注意されて諦めたことがある。瑛九、池田満寿夫、草間彌生などの「前衛美術」普及運動に半生を捧げた...北へ/菅江真澄の旅【かさこそ森の読書時間<16>】

  • 平穏な誕生日【森へ行く道<143>】

    76歳の誕生日は、どこへも行かず、家にいて静かに過ごすことに決めていたら、ちょっと買い物に出かけたスーパーで、天然鮎を見つけた。このスーパーは、近海物の魚が並ぶので重宝している店だが、さすがにお盆の最終日は、パックされた精進料理や大皿に大盛りの刺身などで売り場は占拠されており、わざわざ買うほどのものも出ていなかったのだが、売台の隅の方に、小ぶりだが鮮度の良い鮎が並んでいたのだ。迷わずゲット。帰って山に行き、竹を伐り出してきて竹串を削り、焚き火をして熾火を作って塩焼きにした。薪は近隣の人が届けてくれた檜、槙、柿、車輪梅、桜などの枝だから、上質の熾火が得られることは間違いない。小刀を研ぎ、竹串を削るのも久しぶりのことだ。*続きは作業中。平穏な誕生日【森へ行く道<143>】

  • 「ことば」は美しい/山本健吉:ことばの歳時記―文春文庫1983―【かさこそ森の読書時間<15>】

    早朝、4時過ぎに目覚めた。まだ外は暗い。枕辺に置いてある「ことばの歳時記」をはらはらと捲る。「朝」に関することばが出ている。古くは、この時間帯ならば、「あかつき」といった。「あかとき=暁=明刻」――東の空がようやく明らむ時刻である。夜神楽だと、「岩戸開き」の番付が開始され、岩戸に隠れた太陽神・天照大神を招き出し、この世に光が回復される頃。それからしらじらと夜が明け始めると「曙」となる。東の山嶺がほのぼのと明るみ雲が太陽光を反射して銀色に輝くさまを「東雲=しののめ」とも表現した。《春は曙。やうやう白くなり行く。山ぎはすこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。》は、清少納言による「枕草子」の冒頭を飾る名文。一千年も前に、私どもの先人は、こんなにも美しい「ことば」を持ち、使い分けていたのだ。それに比べ、現...「ことば」は美しい/山本健吉:ことばの歳時記―文春文庫1983―【かさこそ森の読書時間<15>】

  • 秋色の風/飯田龍太読本【かさこそ森の読書時間<14>】

    福岡・日田・由布院・阿蘇・高千穂・椎葉と廻って帰った三泊四日の旅のあと、三日間は休養日としてどこにも行かず、家の二階に寝転んで本を読んだ。150点の「九州の民俗仮面」を展示してあるこの家は推定樹齢300年の大楠が枝葉を広げた盛大な木陰の下にあるから、南国宮崎の真夏でも扇風機なしで過ごせるほど涼しい。家の北側には西都原古墳群と旧・東都原古墳群(現在の持田古墳群)を結ぶ古道といわれる細道があり、その両脇に樹齢100年を超える杉の大樹がある。その杉並木の間を吹き抜け、窓の外の楠の枝葉を揺らして風が吹き込んでくると、快適な読書空間となるのである。その三日の間にさらに涼しくなり、山桜や赤芽柏などの落葉樹の葉が黄色味を帯びてきた。ツクツクボウシの声も聞こえる。風が秋の色を帯びてきたのだ。飯田龍太氏の俳論や解説、随筆な...秋色の風/飯田龍太読本【かさこそ森の読書時間<14>】

  • 山は静かだった/8:8宮崎南部地震【空想の森から<182>】

    福岡→日田→由布院→阿蘇→高千穂→椎葉を巡って宮崎に帰って来ました。3泊4日の旅でした。由布院で震度4の地震に遭遇、かなり激しい揺れを体験しましたが、関連する施設、展示品の「九州の民俗仮面」、積み上げたままの書籍類、スタッフ一同などに被害はなく、一安心です。いろいろな方面からお電話、メール、メッセージなどをいただきました。ありがとうございました。途中の山も川も崖も大きな変化はなく、山道などにも落石一つない状態で、同行のカワトモ君と椎葉の川に入り、ヤマメは釣れなかったけれど清冽な水に浸かり、泳いで爽快な気分を味わうことが出来ました。報道では宮崎県全体がひっくり返ったような情報が流れていますが、現場の実態はこのような状況です。影響が大きかったのは、宮崎市以南の日南市など宮崎県南部のようです。宮崎県は広いのです...山は静かだった/8:8宮崎南部地震【空想の森から<182>】

  • 無事です/地震・宮崎、由布院【空想の森から<181>】

    由布院にいます。由布院は震度4。宮崎は震度5~6。由布院空想の森美術館、九州民俗仮面美術館ともに建物、仮面展示、関係者などの無事を確認しました。お問い合わせ、お見舞いの通信を下さった皆さんありがとうございました。無事です/地震・宮崎、由布院【空想の森から<181>】

  • ケイタ君の畑から/南の国の太陽の恵みをいただく【森へ行く道<142>】

    毎朝、朝食を作る。特別なことではない。私は生まれ育った山の村から麓の町へ引っ越すまで、朝飯を作り、病気で寝ていた祖父母と3人の弟に食べさせ、それから40分ほどかかる山道を下って学校へ通っていたから、特にそのことを苦労に思うという感覚は持っていない。小学5年から中学1年の夏までのことだ。父と母は、麓の町の町はずれの石切場に出稼ぎに行っていた。戦後の混乱期に育った私どもの世代の子どもたちにとっては、さほど珍しい体験というのでもないだろう。祖母は、不自由な体を軋ませるようにして、畑でいろいろな作物を育て、その脇で花も栽培した。裏山を歩くと、山菜や珍しい茸が採れた。その調理法や、食べ方、薬草の採取場所などは祖母から教わった。その経験が、今は生かされているのだと思う。山仕事のリーダーは、毎朝5時過ぎには起き出して、...ケイタ君の畑から/南の国の太陽の恵みをいただく【森へ行く道<142>】

  • テッペイの夏/敗者の涙【森へ行く道<141>】

    私どもが住んでいる森は、標高100メートルにも満たない台地の上にあり、日向灘・太平洋が10キロほどの先にあるから、海から昇った朝日の光が真横から差し込んでくる。真っ赤な朝焼けの光が森の樹々を照射して、南国の熱い夏の一日の始まりを告げるのである。その森の奥深い所から、かなかな、とヒグラシの声が響いて来た。ああ、もう夏も半ばをすぎたのだな、と耳を傾けてその声を懐かしむ。この森に小学生のころから通ってきている右下哲平君が中学3年になり、この夏で部活の活動を終えるという。初めて来た小学3年の時に、彼は「お母さん、オレの学歴は幼稚園まででいい、この森のほうが学校の勉強よりはるかにためになる、オレはここに残る」と言ってのけた剛のものだ。母親の右下友子さんも剛毅な人で「いいよ、あんたが成人したら迎えに来るから、ここで鍛...テッペイの夏/敗者の涙【森へ行く道<141>】

  • 梟谷の夏/秘渓に虹色のヤマメを追う【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー9>】

    *本文は作業中。梟谷の夏/秘渓に虹色のヤマメを追う【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー9>】

  • 真夏の一日、アートなカボチャ棚を作る【森へ行く道<140>】

    勝手に生えてきたカボチャの蔓が伸び放題に伸びて、花を付け始めた。原生種と地元の人がいう小ぶりで真青な花を咲かせる朝顔や、柚子、山椒などが植えこんである花壇の隅に捨てた野菜屑に混じっていた種が発芽し、成長したものだ。この逞しさを珍重し、棚を作ってやることにした。栴檀の大木を支柱とし、その周囲から竹を立てかけて、アートな仕掛けの棚とするのである。蔓の伸びて行く方角に竹を組み、そちらへと誘導してやる。行く先は、隣家との境の小さな森だ。この森の枝先や木の葉の影などに実が実り、ぶらぶらとぶら下がれば、日向かぼちゃの面目躍如たる風景となるだろう。少年期を過ごした山の村では、庭の隅っこに大掛かりなカボチャ棚を作る農家があり、子どもたちの憧れの風景だった。竹を組み立てて四角く区切った棚の天井からたくさんの青井小さなカボチ...真夏の一日、アートなカボチャ棚を作る【森へ行く道<140>】

  • 詩人のことばが生きている/「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ④【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-11>】

    伊藤冬留著「羊の門」を取り出し、見つめる。長い間合わずにいた友人に深山の奥の神楽宿で思いがけず出会った時のような、懐かしさが胸をよぎる。表紙がいい。「羊の門」というタイトルも素敵だ。伊藤冬留という、北国に生まれ育ち、今は南国九州で暮らす詩人の悠揚迫らぬ挙措と、東洋の老哲学者にも似たその歩みと、時に見せる権力の横暴や社会の歪みに対する鋭い批判精神などを包含した題名だ。表紙絵の作者は大黒洋介(福岡県生まれ。2002年洗礼を受ける。2012年永眠)。本書に収められている経歴はこれだけだ。この絵は、大黒氏の自宅であった画家、小幡英資・大黒愛子夫妻のアトリエが、両氏の没後取り壊されることになり、急遽、残された遺作やコレクションを救出した時に、冬留さんの奥さんの伊藤美絵子さんが手に取り、洋介さんの妹御の原あやさんから...詩人のことばが生きている/「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ④【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-11>】

  • 詩を読み、エッセイを読む朝/「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ③【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-10>】

    【詩のかたち】現代詩とは、私の知る限り総じて比喩的暗示的表現法を用いた作品である。丁寧に読まない限り簡単に理解できない。私のように老いて時間も根気もない者は、どうしても敬遠してしまう。そんな折書店で、1千ページ余もある『吉野弘全詩集増補新版』(青土社)を見つけた。吉野弘は2014年1月、87歳で没した読売文学賞受賞の詩人である。 金槌が釘に言いました釘よーお前の脳天をおれが殴るおれはつらいがこれこそはお前が世間に役立つための聖なる儀式背筋を伸ばせ及び腰になってはいかん腰をくの字に曲げてはいかんひたすら真っ直ぐそれがお前の美しさ 釘が金槌に言いました金槌閣下―閣下が水泳を試みようとされる勇気こそ世間を感動させるでしょう浮いた噂も流れるでしょう粋ですよ金槌頭を揉みほぐし浮気の夢でもお楽しみください浮かぬ顔をな...詩を読み、エッセイを読む朝/「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ③【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-10>】

  • 夏の朝、一編のエッセイを読む/「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ②【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-9>】

    麦わら帽子をかぶり、自転車に飛び乗って、森の木立の下を走り抜け、「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ展の会場となっている「友愛の森空想ギャラリー」へ行く。森の風は涼しく、爽快である。会場で、パネルに仕立てられた一編のエッセイを読む。静かなひととき。そして詠んだ「ぞうきん」は、活字で読んだときとは異なる感動を得た。古い教会を改装した展示空間の中で、東の窓から差し込む真夏の午前の日差しの中で、かすかな、作者の「ことば」が響いてきたような気がしたのだ。 【ぞうきん】新聞の投書欄に50代女性の次のような一文が載っていた。「先日、図書館で河野進さんの「ぞうきん」という詩を見つけた。《こまった時に思い出され用がすめばすぐ忘れられるぞうきんになりたい台所のすみに小さくなりむくいを知らず朝も...夏の朝、一編のエッセイを読む/「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ②【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-9>】

  • 「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-8>】*画像を入れ替えて再掲。

    「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-8>】*画像を入れ替えて再掲。

  • 夏が来た【森へ行く道<139>】

    梅雨が明けた。からりと晴れ渡り、遠い山の峰に真っ白な雲が浮かぶ南国の夏がきた。照りつける日差しは熱いけれど、木陰に入れば涼しく感じる風が吹いている。麦わら帽子をかぶり、短パンをはいて外に出よう。大鎌や鉈鎌、草刈り用の手鎌を研ごう。ついでに斧も研いでおこう。草刈りと、梅雨の間に荒れた道の修復を終えたら、中庭の楠の大樹の下にパネルを敷き詰めて、冬の間に描き溜めた神楽の絵を仕上げよう。刈り取った萱や蓬などの夏草は、焚き火の上に重ねて置くと、火勢を緩和し、蚊遣りの役目を果たす。煙が、楠の大枝と葉の間を漂い流れ、夏空へと立ち昇ってゆく。それを眺めながら、ヤマメ釣りに行く源流域の沢と太古の森の行程に思いを巡らす。南の国の夏は、身体の奥底に眠っていたエネルギーが覚醒するときだ。夏が来た【森へ行く道<139>】

  • 漂泊するアート「空想の森アートコレクティブ展《第一期》」の最終地点/由布院空想の森美術館&芸術新社:漂泊にて②[空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

    五ケ月をかけて、各地を巡ってきた「空想の森アートコレクティブ展」が、第一期の終着地点となる「藝術新社:漂泊」へと帰ってきた。この建物は、津軽(青森県)の古い林檎蔵を移築したもので、2年ほど前から「空想の森別館:林檎蔵ギャラリー」として運営してきたものである。北の国の豪雪に耐える設計による構造美は、南国にはみられない魅力があり、それ自体がアートと呼べるような建造物なのである。ここに、昨年から米子(旧制・廣瀬)凪里さんが参入してきてくれた。凪里さんは、由布院駅アートホールの事務局兼アートディレクターとして赴任してきて、企画や運営の主力として活動していたのだが、3年前に「大阪中之島美術館」のミュージアムショップ部門に抜擢され、関西での活動も目覚ましいものがあったのだが、いくつかの経緯を経て湯布院へ帰ってくること...漂泊するアート「空想の森アートコレクティブ展《第一期》」の最終地点/由布院空想の森美術館&芸術新社:漂泊にて②[空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

  • 「空想の森アートコレクティブ展《第一期》」の最終地点/由布院空想の森美術館&芸術新社:漂泊にて[空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

    今年(2024年)の3月から始まった「空想の森アートコレクティブ展」が第一会場「友愛の森空想ギャラリー(宮崎県西都市)」、第二会場「欅邸(宮崎県日向市東郷)」、第三会場「小鹿田焼ミュージアム渓声館(大分県日田市)」と廻り、場所・空間・展示作品・展示の手法などを変え、参加作家・作品も加わりながら第一期の終着地点「由布院空想の森美術館&藝術新社:漂泊(大分県由布市湯布院町)」へと辿りつきました。これは文句なしに面白い。主として古民家を修復・再生しながらアートスぺスとして運営している施設が会場となることから、行く先々の環境や風景、建物の空間構造などとどのように出会い、馴染むかということから作品選定が始まり、会場主・スタッフやアーティストとミーティングを重ねながら展示が開始される。その時点で、新たな鑑賞者や表現者...「空想の森アートコレクティブ展《第一期》」の最終地点/由布院空想の森美術館&芸術新社:漂泊にて[空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

  • 風の野を越えてゆく【空想の森から<180>】

    本日、高千穂・阿蘇・日田を経由して由布院空想の森美術館へ。日田では「小鹿田焼ミュージアム渓声館ギャラリー」での展示替え。昨夜から生暖かい風が吹いて、今朝は雨。強い雨風の中を出発。 風の野を越えてゆく【空想の森から<180>】

  • 伊藤冬留のエッセイと高見乾司の絵画による白い花の咲くころ①【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-7>】

    表記の企画展が始まります。まずは展示途中の様子を公開。この企画はこの「森の空想ブログ」に連載した、詩人・伊藤冬留氏のエッセイと高見乾司の絵画のコラボレーションシリーズから抜粋し、「展示」としたものです。画面で文字と絵だけで観賞した時から、一歩進んで、「観る」に加えて「読む」という行為が生まれました。大げさに構えるつもりはありませんが、インターネットで手軽に情報を入手できる現代において、実際の作品の前に立ち、「観る」「読み取る」「思索する」などという行為が縮小してきているのではないか、それは五感で感じとる能力のを孕んでいるのではないか。この展示がそのような現代の「観賞」を考える機会になればありがたいと思っています。(企画者・高見乾司)伊藤冬留氏の「白い花の咲くころ」を転載しておきましょう。☆[白い花の咲くこ...伊藤冬留のエッセイと高見乾司の絵画による白い花の咲くころ①【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-7>】

  • 草原を吹き渡る風の色/「クララ」で染めるワークショップ≪ご案内≫[空想の森の草木染め<108>]

    夏の草原を吹き渡る風の色/「クララ」で染めるワークショップ日程:7月15日(月曜・祭日)時間:10時~15時まで場所:森の空想ミュージアム/西都市穂北5248-13☆参加費3000円☆お申込み・お問い合わせは担当高見tel090-5319-4167メールtakamik@tea.ocn,ne.jpへお願いします。☆別途染色素材のシルクストール代1500円~4000円(お好みのストールをお選びください。)☆今回は絹糸とウールの糸も染めます。染めた糸で冬から秋へ向けてウールのマフラーや着尺を織ります(別途申し込みが必要)。☆前日(14日)から糸染めや黄色+藍の重ね染めへの参加を希望する方は別途お申込み下さい。(2日間で参加費5000円となります)。*宿泊のご案内も致します。☆ストール購入+ハンカチや薄手のシャツ...草原を吹き渡る風の色/「クララ」で染めるワークショップ≪ご案内≫[空想の森の草木染め<108>]

  • 「仮面」はうそをつかない/門外不出の神面を拝観②―16年ぶりに奉納された湯之像<ゆのかた>神楽にて―【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-11】

    *前回の続き。本文は作業中。「仮面」はうそをつかない/門外不出の神面を拝観②―16年ぶりに奉納された湯之像<ゆのかた>神楽にて―【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-11】

  • 門外不出の神面を拝観した【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-10】

    「尾八重神楽」は、米良山系・旧東米良の山中に伝承されてきた。米良山系は古くは秘境・米良の荘と呼ばれ、外界と孤絶した村々を抱く深い山脈であった。南北朝時代末期、北朝と足利幕府連合軍との決戦に敗れた南朝の遺臣とそれを支持した肥後・菊池氏の一族は、米良の山中に逃れた。米良の山人は「神」として王家の一族を迎え、菊池氏は米良氏と名を変え、この地を治め、善政を布いた。下って明治維新後の廃藩置県により人吉県となり、明治22年の町村合併により東米良村・西米良村に分割され、さらに東米良村は昭和36年に西都市に吸収合併され、西米良村は自立の道を選ぶという激動の歴史を経て現在に至っているのである。米良山系の神楽は、南朝の遺臣と菊池氏の一族によって流入し、伝えられたという。村所、小川、銀鏡、尾八重、中之又という地域ごとに伝わり、...門外不出の神面を拝観した【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-10】

  • 45年ぶりのブラックコーヒー/由布院「亀の井別荘・喫茶天井桟敷」にて【空想の森から<179>】

    最近、耳の中で音楽が鳴り響く状態が続いている。そのきっかけとなったのは、ヤマメを追って渓谷を遡行している時だった。三筋に分かれた谷の出会いの地点が小さな滝になっており、その滝の水音が青葉に覆われた渓流に響いて爽やかな音楽を奏でているのだったが、それに混じって、聞こえてくるメロディーがあった。最初は、神楽笛の旋律のように思えたが、それに水の音や谷を渡ってゆくホトドキスの声などが交響し、西洋の音楽や青年期に親しんだ日本のフォークソングや流行歌などが混じった。いつの間にか、私は旅の歌・坊がつる讃歌や知床旅情、アンデスの民謡・コンドルが飛んで行く、ハンガリージプシーのダンス音楽・チェーラダーシュなどを脈絡もなく口ずさみ、それが日常生活の中にまで延長されてきているのだった。そしてその現象に、先日、45年ぶりに訪れた...45年ぶりのブラックコーヒー/由布院「亀の井別荘・喫茶天井桟敷」にて【空想の森から<179>】

  • カワトモ君と由布院へ/作家・夢枕獏氏の取材を受けました【空想の森から<178>】

    6月23日、カワトモ君と二人で大分・日田を由布院へ行く旅に出た。宮崎市の自宅から電車で来たカワトモを高鍋駅で迎え、一路北へ。都農から広域農道尾鈴グリーンロードに入り、耳川を越える。雨は降っていなかったが、川は増水し、濁っていた。上流部の諸塚・椎葉の山脈に降雨があったのだろう。角川インターで東九州道に乗り、高千穂方面へ右折。高千穂の中心部から高森方面へ右折し、途中の無人販売所で野菜を買う。地元の人が自分の畑から採れた野菜を置いているなじみの寄り道。波野、産山を通り過ぎて九州横断道路に出る。ここを右折し由布院へと向かう。日田地方が豪雨のため、この日の予定を変更した。標高1330メートルの九州最高峰の牧ノ戸峠は深い霧雨の中。風も強く、九重連山は見えなかった。由布院空想の森美術館に到着。カワトモ君は見るものすべて...カワトモ君と由布院へ/作家・夢枕獏氏の取材を受けました【空想の森から<178>】

  • 宮崎の神武伝承と神楽の「“神武”演目」を読み解く*補足資料【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-9】

    宮崎市生目神社の「神武」演目をカムヤマトイワレヒコの国造りの様子と読む解くことは可能と思われるが、では、その演目はいつから神楽の中に存在していたのか、神楽そのものの起源がいつの時代なのかは、不明である。しかしながら、同神社には、掲示の神面二点が伝わっており、下記のような墨書があることが確認されている。『1、寶治2年銘の面は、1248年(鎌倉時代)の作であり、縦51.2cm、横31.1cmの大きさで、裏側に「土持右衛門尉田部通綱寶治二年五月日」の墨書があり、現在確認されている有銘仮面の中では県内最古である。2、天文五年銘の面は、1536年(室町時代)の作であり、縦62.1㎝、横44㎝の大きさであり、「生目八幡宮奉寄進大台面・・・・」とあり、生目神社に寄進した面であることが窺える。』この二面は、南九州に多くみ...宮崎の神武伝承と神楽の「“神武”演目」を読み解く*補足資料【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-9】

  • 宮崎平野部から日南海岸へかけて分布する神武伝承と神楽の「“神武”演目」【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-8】

    宮崎平野部から日南海岸へかけて分布する神武伝承と神楽の「“神武”演目」【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-8】

  • 胸中の神楽を旅する【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-7】

    昨日は一日、からりと晴れた好天だったが、今日は朝から強い雨がふっている。災害を引き起こすような豪雨では困るが、梅雨どきの山や森や渓谷、里の田畑を潤すような雨ならば、それも自然界の摂理と観念し、静かに一日を過ごす。森に降る雨を眺めながら、冬の間に描いた神楽の絵を仕上げる。雨の中に神楽の景色が滲む。文人画に「胸中山水」という境地がある。書を読み、旅を続けて賢人を訪ね、画技の修練を重ねて練達の域に至り、画室にいながら旅先の山や渓谷や村里の風景が胸に浮かび、絵筆が動くという究極の領域である。*続きは作業中。 胸中の神楽を旅する【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-7】

  • 【南国の赤 /水元博子展 <3>】

    先日、開催中の「友愛の森空想ギャラリー」へ向かう途中の出来事。茶臼原の道路を走行中、目の前で鳥が翼をバタつかせて動かなくなった。「車にぶつかったのかな。後続の車に轢かれるから道の端に寄せておこうか」と運転していた高見乾司さん。しかし、次の言葉に私と同乗していたフルートのK先生は即答した。「立派な雄のキジ。今夜はキジ鍋にしようか。キジは美味いよ」「食べましょう。ちゃんと食べてあげよう」ところが、その時、道路の向こうに雄を探し回っている様子の雌のキジの姿。「つがいの雌がいたか。このまま雄を連れ去ったら雌はずっと探すな。残念だけどキジ鍋は無し」高見さんは雄のキジを畑の隅に置き私達は教会ギャラリーを目指しました。6月の梅雨の晴れ間の出来事でした。「焼野の雉(きぎす)」とは、雉(キジ)が自分の巣がある野が焼けだすと...【南国の赤/水元博子展<3>】

  • 梟谷の六月【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー9>】

    *本文は作業中。梟谷の六月【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー9>】

  • 「つくりびとのカタチ」展宮崎県三股町武道体育館にて

    ひさしぶりにからりと晴れた好天。「森の空想ミュージアム」の仲間・黒木彰子さんと「天の糸・森の色」の仲間たちの作品も出品されています。黒木彰子さんが三日間、会場につめています。お出かけ下さい。「つくりびとのカタチ」展宮崎県三股町武道体育館にて

  • 回帰する位置【南国の赤 /水元博子展 <2>】

    画家は、若いころに情熱と才能のすべてを燃焼し尽くし、作品も、作家自身も消失する例と、晩年に至り、精進と修練の果てに幽玄の境地にまで達し、すぐれた作品を残す作家とに大別されるという。私は高校3年の夏に大分県日田市から福岡県久留米市までのおよそ50キロの道を自転車で4時間をかけて走りとおし、青木繁と坂本繁次郎の作品を見た経験がある。教科書にも載っている「海の幸」を実際に見た時の感動は今も忘れない。そして、坂本繁二郎の晩年の「月」もまた心に沁みる名作であった。この二例こそ、画家の素質と画業をあざやかに物語るものである。以後、私は旅も、勉強も努力も重ねてきたつもりだが、この二人の域に近づく作品を生み出し得ていない。天才と凡才というふうに単純に分けられるものではないと思うが、悩ましい命題である。別の角度でみてみよう...回帰する位置【南国の赤/水元博子展<2>】

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