*本文は作業中。「展示」という変異空間【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-31>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑦
荒神問答:ここに「山地神楽」の骨格がある/「天空をゆく舟」④【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<101>】
諸塚神楽の二時間にわたる「荒神問答」の全体像を短縮して述べることは大変難しいが、認識に大きな変化はないと思うので、以下に2019年の記事を再録しておく。この日、45㌢×10㍍の絵巻調のデッサンが得られたので、これから文字入れをして仕上げにかかる。その折に少し詳しく掘り下げ、改めてアップする予定。諸塚神楽の「三宝三宝荒神」は「一荒神・山の神」「二荒神・築地荒神」「三荒神・火の神」という。一般的な「荒神祭祀」の図式では「天の神・地の神・火の神」となろう。諸塚(南川神楽と戸下神楽)では、二体の「舞荒神」が前座の舞を舞った後、三体の荒神が次々に降臨して、神主と問答をする。延々一時間にも及ぶ荒神問答を要約すると、先住の土地神である三宝荒神が、森の奥から怒り出て、宇宙星宿・天地自然の支配者たる荒神が支配する「山」に無...荒神問答:ここに「山地神楽」の骨格がある/「天空をゆく舟」④【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<101>】
少年・少女たちの神楽/「天空をゆく舟」③【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<100>】
神楽には、少年・少女たちの出番が設定されている。ここ諸塚村・戸下神楽でも、地区に隣接する山中の神社からのお下りや村を巡って神楽宿に舞い入る行列などに、神楽衣装を着たり、神面をつけたりして参加するのである。それが終わると神楽宿の周辺に子供たちの歓声が響く。夜明け方に用意されている出番まで、御神屋にかぶりつきで神楽を観る子がいる。舞われている神楽の所作を真似る子も先輩に笛を習ったり、田んぼへ出て遊ぶ子たちも、天空を行く舟に乗り合わせた仲間として、楽しい一夜を過ごすのである。眠気を払ってつとめる太刀の舞「神水」では、凛々しく頼もしい舞姿をみせる。やがて、彼ら、彼女たちが、次世代の伝承者となって村へ帰ってくるのだ。神楽の申し子・アッキーが帰ってきたWeblog2019年02月07日 2019年の記事を再録。これは...少年・少女たちの神楽/「天空をゆく舟」③【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<100>】
「天空をゆく舟」②【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<38>】
【そしてハルオさんは「山守」になった】少し長くなるが、2022年2月の「森の空想ブログ」の記事を再録しておこう。戸下神楽の存続が危惧された衝撃の事故であった。深い山の奥から、コーン、コーンと木を伐る音がきこえてくる。――ああ、ハルオさんが木を伐っているな・・・と村人の誰もが思う。その音に木霊(こだま)するように、神楽歌が聞こえる。――ハルオさんが歌っている・・・と、また嘆息する。そうだ、ハルオさん(綟川陽男さん当年60歳)は2021年の夏、山の事故で亡くなったのだ。そのことは村の誰もが知っているけれど、時々、こうして激しい風の吹く日などには、吹きすぎる風の音に混じって、「山守〈やまもり〉」が木を伐る音が聞こえる気がするのだ。――ハルオさんは山守になったのだ・・・誰もがまた、頷く。そこで私は目が覚めた。長い...「天空をゆく舟」②【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<38>】
土地神=山と森の精霊神が次々に降臨する/「天空をゆく舟」②【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<99>】
ドラム缶を利用した焚き火が赤々と燃え、その向こうに神楽の舞が浮かび上がる。神迎えの舞三番が舞われ、土地の先住神「鬼神」が出て八百万の神々を迎える舞を舞い、そこから神楽は佳境に入ってゆく。諸塚神楽の「森・愛宕」と続く曲は山神・水神を祀る神楽とされ、――木が三本繁れば森となり、山神が宿る水が三尺流れれば滝となり水神が宿ると神歌が歌われる。広大な山岳を支配する神々に自然の恵みと村の平穏を祈願するのである。この舞の途中で「獅子」が出る。この獅子とは猪であり、山神の使いである。猪は御神屋で暴れたあと神庭に出て村人と遊ぶ。猪に続いて戸下地区の氏神である「権現様」が降臨し、「脇宿」が開く。脇宿とは、神楽宿の林下一軒を借り切って接待ともてなしの場とするもので、諸塚神楽独特の文化である。地元の女性たちが、一年をかけて蓄えた...土地神=山と森の精霊神が次々に降臨する/「天空をゆく舟」②【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<99>】
「天空の舟」に乗り合わせた一夜【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<37>】
以前、神楽を一緒に観た俳人の神楽てふ一夜の舟に乗り合わすという句に出会い、その妙味に感心したことがある。俳句とはいうまでもなく世界最小の文学であり、その短い一文の中に宇宙の真理や人生の機微、美しい日本列島の四季折々の風物・風土などを読み込んだ究極の文芸なのである。この作者は後に複雑な事情により所属していた結社を離れ、以後、仲間たちとも絶縁していると聞くから、ここでは作者名を思い出さないことも合わせて「詠み人知らず」としておく。詠み人知らずとは、万葉の時代からある形容で、作者の手を離れて歌や句や詩、美術作品などが独り歩きをして、歌い継がれ、語り継がれて歴史にその神髄を残すことをいう、奥行きの深いことばなのである。そこで、私は「一夜の舟」という形容を「天空の舟」という拡大解釈によって自家のテキストに加えること...「天空の舟」に乗り合わせた一夜【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<37>】
◇明日は諸塚村「戸下神楽」へ。【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<37>】
1月25日~26日・25日午後1時に集落の裏手にある白鳥社で神事の後、仮面を付けた神々が、石段を舞い降り、下の広場で円形に舞った後、集落を廻って神楽宿に舞い入る。5年前に中堅の伝承者を山の事故で亡くし、その後コロナ過の中断期間があり、存続が危惧されたが、このたびの開催が決定。わずか9個の集落で舞い継ぐ伝承者たちの誇りと気概。そこに集まる温かい人々。神楽のもう一つの楽しみに会いに行きます。画帖・大判の紙・黒の絵の具・筆など、準備完了。この作業もまた楽しい。◇明日は諸塚村「戸下神楽」へ。【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<37>】
舞い継がれる物語/日之影町・大人神楽の24時間【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<36>】
神楽の一行が300段の石段を舞い降り、神楽宿に舞い入って、ひと晩を舞い継ぐ。延々24時間をかけて舞い継がれる神楽を、御神屋の正面に陣取り、見つめる少年たちがいる。夜が更けてくると眠り込んでいる子もみられるが、また起き出して見る。白の神楽装束を着せてもらっている子や、仮面神が使った後の面棒を貰って振り回している子もある。いずれも、大人たちが演じる激しい神楽に魅せられ、神楽の動きに合わせてからだを動かし、みずからも神楽の主役と化しているのだ。その眼は、小さくともピカピカと光っている。この子たちが、将来、一人前の神楽人となってこの一座を支えていくことだろう。そのうちの何人かは、「名人」と呼ばれるほどの達者になってゆくことだろう。神楽には、こうして少年期から引退前の大御所まで、出番が設定されていて、それが伝承の大...舞い継がれる物語/日之影町・大人神楽の24時間【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<36>】
中国少数民族の村に残る仮面劇「儺戯」と「黄梅戯」について 【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<37>】
掲示は、2007年に韓国・晋州で開催された「晋州仮面劇フェスティバル」で出会った中国少数民族の村に残る仮面劇のパンフレットである。前回、突然、中国の古代史書「楚辞」に記された「神楽」に関する記事に触れたのは、昨冬ご来館くださった作家の夢枕獏氏からの「神楽のルーツはどこまでたどれるのでしょうか?」という問いに答える中で、日本の神楽の源流は世阿弥も能楽の源流は神楽であり、岩戸の前の天鈿女命の舞である、と書いていることに重きを置き、ひとまず「岩戸開き」の岩戸の前の天鈿女命の舞としておくことにしましょう。それがいつの時代のことなのかを判定する確実な資料はないのと、縄文時代の遺跡から出る仮面をつけた土偶などとの関連を示す確固たる資料がないことなどは今後の課題となるでしょう、と前置きをしたうえで、「楚辞」に記された神...中国少数民族の村に残る仮面劇「儺戯」と「黄梅戯」について【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<37>】
古代中国の史書「楚辞」に記録された「神楽」【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<36>】
地震で落下した本を整理し、埃を払い、修復が終わった棚に戻す作業をしていたら、30歳代、40歳代に読んだ本の記憶がよみがえってきた。そして、――また読み返してみよう。と思う本も見つかった。若いころに読み、理解の浅かった書物でも年齢を重ね、知識が増えて読むと、新しい発見があるものなのだ。そのうちの一書「楚辞」について書いておこう。ここには2300年前の中国大陸における民衆劇「神楽」のことが描かれているのだ。以下は一度発表した記事に加筆(長文御免)。「楚辭」とは、河南(揚子江南岸)楚国で歌われていた民謡を、当時の詩人・屈原が採集して詩の形式に再構成、それが当地方に定着したものという。屈原は戦国時代の楚国の詩人・政治家。当時、国は乱れ、戦乱が相次いでいた。屈原は秦の謀略を見抜き、楚王に進言したが受け入れられず、楚...古代中国の史書「楚辞」に記録された「神楽」【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<36>】
震度5弱!!家がつぶれるかも・・・と身構えたほどの強い揺れでしたが、この程度で済みました。仮面たちも無事壁面に収まっています。落ちたのはもともと傾いていた本棚の本です。これから片付けと棚の修復に取りかかります。ご心配のメール・メッセージ・お電話などくださった皆さん、ありがとうございました。震度5弱!!無事です。
最後に得られた一点/日之影町・大人神楽の一夜【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<35>】
300段の石段を駆けあがってみようと思った。日之影町・大人神楽を伝える岩井川神社へと続く急傾斜の石の道である。少し前に、椎葉村民俗芸能博物館横の厳島神社へと続く45段の石段を駆け上がり、3年半にわたるアキレス腱断裂と左足踵の骨折からの回復状況を試してみて、難なく最上部を制覇したので、今回はややハードな挑戦となったのだ。だが、90段まで登ったところで、足が止まった。これが限界。残る210段を5回の休憩を挟んで上り終えた。年寄りの何とかとまた言われそうだが、青年期に神社の石段上りを取り入れたバスケの練習が思い出され、石段を見ると駆け上がりたくなる衝動が抑えられないのだ。ともあれ、怪我からの回復度は順調であることが確認できて、安心。神社での神事と6番の「宮神楽」を終えた神楽の一行が、この石段を舞い降りる勇壮な場...最後に得られた一点/日之影町・大人神楽の一夜【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<35>】
本日、日之影町・大人神楽へ【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<34>】
日之影町「大人神楽」へ行きます。本日(11日)正午前から神事が始まり、午後1時頃から岩井川神社で神楽奉納。それから神楽の一行が400段の石段を舞い降りて神楽宿に舞い入り、午後7時頃から神楽が始まります。神楽は高千穂神楽様式ですが独自の演目もあり、スビート感あふれる勇壮な舞が展開されます。そして明日(12日)のお昼近くまでほぼ24時間をかけて舞い継がれる圧巻の神楽です。今年の「初神楽」。体力・気力の続く限り描き続けるつもり。私は関東方面からの同行者3人と一緒に行きます。お天気も上々。馴染みの皆さんも多く、交流も楽しみ。現地合流歓迎です。気軽に声をかけて下さい。本日、日之影町・大人神楽へ【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<34>】
高山辰雄「向日」[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:5>]会場:由布院空想の森美術館
太陽に向かう花・ひまわりとクローズアップされた若い女性の顔。画面にあるのはそれだけだが、どこかに漂う郷愁と、真夏の幻視または悠久の時空間に誘われるまなざしに惹きつけられる。17年ぶりに再開された由布院空想の森美術館の、窓から由布岳が見える展示空間に置いてみると、その感じは一層つよまる。高山辰雄画伯は、1912(明治45年)生まれ2007(平成19年)没。大分県大分市出身。小学生のころから画才を発揮し、当時すでに画家になることを目指していたという。中学校卒業と同時に上京し1931年に東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科へ入学。在学中は松岡映丘の門下生として日々研鑽、1936年に東京美術学校を首席で卒業するなど、画家として順調なスタートを切ったが、以後は多くの美術展に落選するなどの試練があった。太平洋戦争...高山辰雄「向日」[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:5>]会場:由布院空想の森美術館
冬の由布院にて/会場:由布院空想の森美術館[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:5>]
九州北部に位置し、周囲を由布岳に連なる標高1500メートル級の山に囲まれた由布院盆地は寒く、大雪や凍結に見舞われる日々が続いています。そのため、由布院空想の森美術館は1月2月は予約のみの開館となっています。館主・高見剛が自宅のある由布岳の北麓・別府市天間から津須華原高原を越えて同館に至る山道ではしばしばスリップによる立ち往生、事故、横転、転落などに遭い、危険を伴うための対応です。ご予約の方は高見剛の電話:090-5940-0062またはhttps://www.facebook.com/thuyoshi.takamiへお申しつけ下さい。この間、展示の概要と収蔵作品は【空想の森アートコレクティブ/https://kuusounomori.base.shop/items/all】【森の空想ブログ】【高見乾司フェ...冬の由布院にて/会場:由布院空想の森美術館[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:5>]
空想の森アートコレクティブ展・第二期 開催中です/会場:小鹿田焼ミュージアム渓声館[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:5>]
発足してまだ間がない「空想の森アートコレクティブ展」は新たな収蔵品を加え、会場を変えながら少しずつ進展しています。大分県日田市の北部・霊峰英彦山の東麓に位置する小鹿田焼の里の近くにあり、小鹿田焼の古陶約500点を収蔵する「小鹿田焼ミュージアム渓声館」に併設されたギャラリーが会場の一つです。現代の美術家の作品群と、小鹿田焼の古資料がオブジェとしてキュレーションされ、調和しています。窓の外には小野川の清流が流れ、その水音が快く響く空間です。空想の森アートコレクティブ展・第二期開催中です/会場:小鹿田焼ミュージアム渓声館[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:5>]
帰る場所/やさしい国で生きてゆく(6)【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<33>】
静かな冬の雨が降っている。米良の山脈から寒風が吹き降ろしてきて大きな川の水が激減するほどの南国特有の干天が続いていたから、ほっと一息つける草木も畑の冬の作物もほっと一息つける潤いである。北国からは大雪の報が届いている。森の小道を歩き古い教会を改装した「友愛の森空想ギャラリー」に行く。銀杏の葉が黄葉していた時期は多くの人が訪れ車道沿いに車の列ができるほどだったが、その喧噪も去り、正月の帰省客も去って今は静かだ。この静謐な空間もまた愛おしい。入り口の芳名帳ともいえないほどのメモ用紙に来客のメッセージが残されていた。☆約14年ぶりに帰ってこれました。やっぱりここは凄く落ち着くところですね。また帰ってこれそうな時、来ますね。――友愛園卒園生さやか☆のゆり保育園によく来ていました。今の自分が自然が好きなのはこういっ...帰る場所/やさしい国で生きてゆく(6)【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<33>】
「白蓋鬼神」【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<32>】
神楽の舞われる御神屋の中央天井に下げられる円形または四角形の荘厳を「天蓋」「白蓋(びゃっかい)」「白海」「雲」などという。この天蓋・白蓋とは宇宙星宿を凝縮し同時に母の胎内=胞衣を表すという。すなわち神楽は広大無辺の宇宙と母の胎内のごとき安息空間で一夜、舞い継がれるのである。白蓋鬼神とは山の神であり、荒神である。神楽の場に舞い出て軽快に舞い巡りながら――御そもそもびゃっかいとは天地の根源なり始祖の神なり。と唱えごとをして、白蓋の中央に下げられた小袋を突くと五色の幣が舞い散る。これを万物の「ものだね」という。「白蓋鬼神」【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<32>】
神楽「山森」の神秘/「美しきもの見し時は」④【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<31>】
「山森」とは山神の鹿狩りの神楽という。高千穂神楽では、青龍王・赤龍王・白龍王・黒龍王・黄龍王の五神と山神・大山祇命が舞う。舞の途中で猪が出る(鹿がその古形)。猪は御神屋で暴れたあと、神庭に出て村人と遊ぶ。昔は、村を巡り、朝まで帰って来ないこともあったという。猪は缶ビールやみかんなどを貰ってご機嫌で御神屋に帰ると山神が一緒に舞い、森へと連れ帰る。神楽の舞われている間、村の狩人たちが御神屋正面に正座し、拝観する。採り物は、弓・太刀・榊などだが、地域によっては猟銃を担いで舞う例がある。その鉄砲は中(あた)るという。諸塚神楽・戸下神楽や椎葉・嶽之枝尾神楽には「山人・山守」が出る。九州脊梁山地の神楽では神社の裏手に「モリ」という人形<ヒトガタ>御幣が祀られる。「森」「山森」「山守」「黒森」「七つ森」など、「モリ」の...神楽「山森」の神秘/「美しきもの見し時は」④【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<31>】
穏やかな新年/「美しきもの見し時は」③【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<31>】
あけましておめでとうございます。穏やかな新年を迎えています。「友愛の森空想ギャラリー」では、「美しきもの見し時は」と題して、高見乾司の神楽紀行による作品を展示しています。今季の前半を終え、1月11日の日之影町「大人神楽」から後半に入ります。順次展示替えしながら進行してゆきます。本年もよろしくお願いします。穏やかな新年/「美しきもの見し時は」③【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<31>】
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*本文は作業中。「展示」という変異空間【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-31>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑦
静かな画家である。寡黙というのではない。語り始めると、一晩中でも話題が尽きることはない。それは、いまから40年も前に、第一期の由布院空想の森美術館に彼が200枚とか400枚というデッサンを持ち込み、二人で語り合った体験があるから、私にはわかっている。けれども、誰かと話す時でも彼はメモ帳か小さなスケッチブックを持ち、絶えずペンを走らせ続けているから、初めて対面した人などは、この人は気難しい人に違いない、とか、沈黙の画家である、“描きまくり三世”、などと形容するのである。上掲は画集「WORKSOFKUNIHIROTASIRO」(森と目黒者/2020)の一ページ目の写真。これをみれば、画家・田代国浩は孤独な人ではなく、街へ出たり、子供たちと一緒に描いたり、アトリエを開放した絵画教室で仲間たちと描く日常があったり...手練の技【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-30>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑥
田代国浩展の展示作品には題名が付いていない。それについては、作者の明確な意図がある。画集「WORKSOFKUNIHIROTASIRO」(森と目黒者/2020)から転載しよう。☆普段作品にタイトルはつけない。名付けると「遠くへ行く」ような気がするから。どうしても付ける必要がある場合は曖昧にしておく。作品1とかUntirledAとかIntrospection2020とか。ただ、名付けることで「近くへ来る」こともあるのかなとも思うようになった。これらはその試み。その数点を抽出してみよう。☆作品とタイトルが一致して、「詩」が生まれている。作品とタイトルを切り離してみると、一行詩のようである。別の作品と組み合わせることもできる。・その赤がこの絵を台無しにしている・銅の元は声、銀の元はささやき、金の元は無音・姉は空に...題名のない絵とは【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-29>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑤
田代国浩展の展示を終え、久住・阿蘇・高千穂の草原を走り抜けて帰って来た。緑一色の草っぱらが風になびき、時折、霧が湧いた。霧は、峠を越える時には雨となった。無色の風景のただ中に、無数の線が走り、色と色、色と線とが交錯して奏でる音楽が交響した。田代国浩作品の残像が、広大な自然の中で躍動しているのであった。本人の「ことば」を画集の中から転載しておこう。☆テーマを決めてから描き始めることはまずない。エスエスキースをつくることもまれである。たいていはそういったことなしにキャンバスに向かう。もちろん私の脳が指令を出しているわけだから、何かしら考えてはいるのだろう。だが画面構成等、ああしようこうしようと思わないことの方が多い。置いてみたい絵の具を筆につけた瞬間に始まり、手の勝手な動きに身を任せて描いているうちに、絵は「...線が走り色彩が歌う【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-28>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展④
【“描きまくり三世”の熱量】田代君がそれらの偉大な先人たちの作風や人生観に影響されたり、追いかけたりしているわけではない。それは彼の一貫した作風と地域の子ども達や仲間と楽しく遊び、描く生活を続けてきたことでもわかる。彼は、人と会う時でもいつも手帳とペンを持ち、何かを描き続けているという。それが“描きまくり三世”という呼称を冠せられる由縁であろう。では描きまくり一世と二世は誰とだれであるか、という問いは棚上げするとして、今春、開催された福岡アジア美術館での個展では、なんと、大作・デッサン・オブジェや書など、1万点あまりの作品が展示されていた。ここにも“描きまくり三世”の面目躍如たる世界が開陳され、その膨大な作品群からは、「筑豊」の熱い地下水脈に熱せられた強烈なエネルギーが奔っていたのである。由布院空想の森美...熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展③【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-27>】:始まりました。
田代国浩展/展示進行中です。その様子は追ってお知らせします。描きまくり三世の仕事/<明日から>田代国浩展②【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-26>】
本日、由布院へ、出発。梅雨晴れの山野を駆けて行こう。今日(19日・夕方着)、明日(20日)、明後日(21日・午後4時頃まで)空想の森美術館にいます。明日まで武石憲太郎さんの展示があり、夕方・田代国浩氏の作品が届いて展示替えをします。お近くの方、お立ち寄りください。本日、由布院へ/由布院空想の森美術館の二日間【空想の森から<203>】
草木染めいろいろ。コロナ過以前、全力でやっていたころの仕事です。「草木染め」は、植物のことを知り、自然界から「色」をいただくこと。ここからアートへの展開、室内装飾への応用など、まだまだ多様な可能性があるのだが、ちょっと勢いを無くしている感があります。当方の老化と怪我続きなどの要因、各地で同様の趣旨のワークショップが増えてきたことなどがありますが、本格的な染色アーティストや職人が育つところまではきていない。もうひと踏ん張りしなくては。要望があれば各地へ出かけてのワークショップも可能です。お問い合わせ下さい。草木染めいろいろ【空想の森の草木染め<110>】
万緑の由布院。朝、珈琲を淹れていると、峨眉鳥が歌い、ウグイスの声も聞こえてきます。カッコウが鳴き、由布岳の山頂付近をミヤマキリシマが淡紅色に染めているのが見えます。朝食の残りを木立の下に捨てに行くと、正面の森の高い六本杉のてっぺんで見張っていたカラスがやってきます。巣作りから子育てへの彼らの繁忙期が始まっているのです。武石憲太郎さんの由布院空想の森美術館での個展も20日までとなり、その後は宮崎の「友愛の森ギャラリー響界」へと巡回します。自作が行方不明になるという不運なアクシデントに遭い、落ち込んでいた憲太郎さんに笑顔が戻りました。懐かしい由布院で、古い仲間たちと会い、錯綜していた紛失作品についての情報も少しずつ整理されてきて、元気を回復しつつあるのです。次は、宮崎へ来ていただきましょう。まだ、現役作家とし...湯布院での展示は20日まで/武石憲太郎展[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:18>]
由布院空想の森美術館6月22日~7月30日(金曜・土用・日曜開館)大分県由布市湯布院町川北1358*ご予約いただけば随時開館できます。 友愛の森ギャラリー響界8月22日~9月20日宮崎県西都市穂北5248 小鹿田焼ミュージアム溪聲館9月1日~11月10日大分県日田市源栄町4830-3「筑豊」を拠点に旺盛な創作活動を続ける画家・田代国浩氏の個展が40年余りの交流を続けてきた三施設で実現しました。“描きまくり三世”の異名を持つ田代氏は、地域の仲間や子供たちと、自由で楽しい絵画制作の場を共有してきました。筑豊は、修験道の霊峰として栄えた英彦山を控え、古代の銅と鉄を有した文化の道が交差し、近代では炭鉱で栄えました。その文化風土から、多くの作家が輩出したのです。いつも手にノートとペンを持ち、人と会う時でも描き続けて...<予告>田代国浩展/描きまくり三世の仕事[空想の森アートコレクティブ企画]
由布院から「クララ」を採集して帰ります。由布院・九重・阿蘇などの草原に自生する植物です。2018年に再開した「由布院空想の森美術館」の敷地に自生していたものが増え続けています。それを少しだけ頂き、さらに久住・阿蘇の草原で採集して宮崎へ。森の空想ミュージアムの前の広場にも群生があります。これらを森の空想ミュージアムの中庭のかまどで焚き火をして、染めます。クララは草原の植物で、その根を噛むとくらくらとめまいがするというほど苦いことから、その名が付いたといいます。高原地帯の日当たりの良い草原などに自生します。高さ50-150cm。草原の中では丈高く、目立つ草です。全草有毒であり、根の部分が特に毒性が強いが、疥癬の治療薬、解毒・殺虫などの薬効もあります。ルピナンアルカロイドのマトリンが薬効の元といいますが、...夏色の風/夏の草原に自生する「クララ」で黄色と鶯色を染めるワークショップ【空想の森の草木染め】
[甲斐の国のヤマメに会ったこと]*2015年の記事をそのまま再掲。 甲府市武田神社に奉納された「山梨岡神社代々神楽」が終わった後、甲斐の国のヤマメに会いに行った。甲府盆地には、扇の要に向かうように三つの大きな川が流れ下っている。甲斐駒ケ岳の西側を廻って、盆地の西北端を流れる釜無川。昇仙峡と呼ばれる奇岩累々たる峡谷から流れ出て、甲府市の西郊を貫く荒川(東京都内を流れる荒川とは別)、大菩薩嶺を源流とし、盆地の東側を流れる笛吹川。この三本の川が合流し、富士川となって駿河湾へと注ぐのである。笛吹川には、渓流釣りをこよなく愛した文士・井伏鱒二が訪れている。俳人・飯田龍太の故郷でもあり、龍太は終生、笛吹川の流域を句作と釣りの拠点とした。甲斐の国を訪ねるならば、この笛吹川の畔に立ち、ヤマメまたはイワナの魚影を追ってみ...眼で釣る【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー13>】
「仙人の釣り」に関して私は12年前(2013)に一度書いている。まだそのころは60歳代で、仙人を云々するような年齢ではなく、いまよりも元気だったのだが、心意・釣りの心がけとしてはおよそこのようなものであったという事を確認するために、再掲しておこう。 [仙人の釣り方〕(2013年の記事を加筆・再編集)私は、他人に釣りを教えるほど上手な釣り師ではないと思う。しかしながら、教え方は上手なほうかもしれないと思う。私よりも釣果を上げる釣り手が、仲間のうちだけでも二人いる。だから、自分は名人づらをしないほうがいいとも思っているのだが、私が教えると、小学三年の女の子でもヤマメを釣り上げることがあるし、高齢のご夫婦が、ずぶの素人から3年ほどで立派な釣り手になった。リョウ(鈴木遼太朗君)は、小学五年から仕込んだから、高校生...仙人の釣り方【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー12>】
耳川の源流部に入る。通常、入渓地点を明らかにすることはないが、耳川は九州最大級の大河で、支流は数え切れぬほどあり、その支流のまた枝川が分かれて深い山脈の源流部へとつづいているから、単に耳川と言っただけでは、よほど馴れた人でもどの谷かはわからないだろう。上掲がその支流のまた支流の一つだが、3日前の雨で増水しており、入渓は困難。さらに上流を目指す。古い橋がある。コンクリートの経年変化をみれば、すでに100年近い年月が経過していることがわかる。ここから先は、路肩崩壊地点で通行不能。岸辺に車を停めて、途中で買ってきた弁当を食べる。地元の食材を使ったシンプルで美味しい杣人弁当である。同行の超名人・渓声君は、谷へと降りてゆく。私は今日は釣らない。水辺にも立たない。リウマチ性の神経痛が治るまで、無理は禁物である。普段、...仙人の釣りとは【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー11>】
釣行二日目。だが、私は、釣らない。前日、少しだけ沢を歩き、まだ回復が十分でないこと、時間をかければ治ることなどの見極めがついたから、今回は自重したのである。渓声君は、身支度を整え、渓谷へと下っていった。木立の向こうに清々と流れる渓流が見える。絶好の釣り日和である。釣果を期待しておこう。沢沿いの道を歩くと、朽ちた巨樹の根方に横倒しになった空洞の巨木があり、その周りにミツバチが群れ飛んでいた。標高500メートル以上の森にだけ棲むという日本蜜蜂である。里で見かけるミツバチよりやや小ぶりである。古い巣箱が倒れて放置されたままになっているが、ここで育った蜂たちが、その古巣を忘れずに周囲の朽木か岩場を棲み処にしているのだろう。崖の上段は深い森である。その崖を形成する岩の割れれ目から流れ落ちる水を汲み取り、車を停めてあ...山中のスピリチュアル空間で過ごすひととき【九州脊梁山地・薬草仙人の森へ<4>】
*本文は作業中。青葉ヤマメのアヒージョと洒落てみた【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー10>】
薬草仙人の山旅/二泊三日の山旅から帰って来ました。詳細は明日報告。【「薬草仙人」の森へ<3>】
神道哲学者・鎌田東二さんがお亡くなりになりました。享年74歳。初期の著作「神界のフィールドワーク」や「翁童論」は時代の扉を開く独創的な仕事として知られています。「国学」から「近代霊学」への橋渡しをしたほぼ唯一の人、すなわち現世(うつつよ)と神界の境界にいて、両界を繋ぐ人だったと言えるでしょう。私は「猿田彦大神フォーラム」でご縁をいただき、第一期の「由布院空想の森美術館」が閉館の危機に直面した時には、「空想の森を湯布院に残そう」という呼びかけをしていただき、たちまち1000人の支援者が集まる、現代のクラウドファンディングの先触れのような企画をしてくださいました。その後同館は閉館になり、2018年に再開。2022年に阿蘇にお出でになった時に私は駆け付けて、当時のお礼や神楽の里に通い続けている日常などを報告し、...訃報/現世と神界を結ぶ人・鎌田東二さんさようなら【空想の森から<202>】
今朝は、選択しておいた毛布とシーツを、森の木から軒下へかけ渡していた物干しのロープに、――よいしょ、と投げ上げて、乾した。良い天気である。午後、脚立に上って、熟れ始めた枇杷の実を採ろう。1ヶ月ほどいていた肩・胸(大胸筋)・二の腕・太腿の付け根、膝の周りなどの痛みが軽減している。よちよちと爺様歩きになっていた足も復旧。回復期に入ったのだ。「リウマチ性多発筋痛症」という神経痛の発症を確認し、薬草と治療薬、テルミー(温灸の進化系)などの処置が適切だったということだろう。――これならば、釣りに行けるかもしれない。と、いつもの楽天的観測が生じ始めている。だが、油断してはいけない。慎重に、時間をかけて身体に休養を与え、治して行くことをこれからの課題としよう。☆毎日飲んでいる「野草茶」は、次の8種の薬草をブレンドしたも...痛み軽減、快方へ向かった朝/イタドリ(虎杖)は「痛み取り」②【「薬草仙人」の森へ<2>】
*本文は作業中。イタドリは「痛み取り」【仙人の森へ<1>】
6月23日、カワトモ君と二人で大分・日田を由布院へ行く旅に出た。宮崎市の自宅から電車で来たカワトモを高鍋駅で迎え、一路北へ。都農から広域農道尾鈴グリーンロードに入り、耳川を越える。雨は降っていなかったが、川は増水し、濁っていた。上流部の諸塚・椎葉の山脈に降雨があったのだろう。角川インターで東九州道に乗り、高千穂方面へ右折。高千穂の中心部から高森方面へ右折し、途中の無人販売所で野菜を買う。地元の人が自分の畑から採れた野菜を置いているなじみの寄り道。波野、産山を通り過ぎて九州横断道路に出る。ここを右折し由布院へと向かう。日田地方が豪雨のため、この日の予定を変更した。標高1330メートルの九州最高峰の牧ノ戸峠は深い霧雨の中。風も強く、九重連山は見えなかった。由布院空想の森美術館に到着。カワトモ君は見るものすべて...カワトモ君と由布院へ/作家・夢枕獏氏の取材を受けました【空想の森から<178>】
宮崎市生目神社の「神武」演目をカムヤマトイワレヒコの国造りの様子と読む解くことは可能と思われるが、では、その演目はいつから神楽の中に存在していたのか、神楽そのものの起源がいつの時代なのかは、不明である。しかしながら、同神社には、掲示の神面二点が伝わっており、下記のような墨書があることが確認されている。『1、寶治2年銘の面は、1248年(鎌倉時代)の作であり、縦51.2cm、横31.1cmの大きさで、裏側に「土持右衛門尉田部通綱寶治二年五月日」の墨書があり、現在確認されている有銘仮面の中では県内最古である。2、天文五年銘の面は、1536年(室町時代)の作であり、縦62.1㎝、横44㎝の大きさであり、「生目八幡宮奉寄進大台面・・・・」とあり、生目神社に寄進した面であることが窺える。』この二面は、南九州に多くみ...宮崎の神武伝承と神楽の「“神武”演目」を読み解く*補足資料【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-9】
宮崎平野部から日南海岸へかけて分布する神武伝承と神楽の「“神武”演目」【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-8】
昨日は一日、からりと晴れた好天だったが、今日は朝から強い雨がふっている。災害を引き起こすような豪雨では困るが、梅雨どきの山や森や渓谷、里の田畑を潤すような雨ならば、それも自然界の摂理と観念し、静かに一日を過ごす。森に降る雨を眺めながら、冬の間に描いた神楽の絵を仕上げる。雨の中に神楽の景色が滲む。文人画に「胸中山水」という境地がある。書を読み、旅を続けて賢人を訪ね、画技の修練を重ねて練達の域に至り、画室にいながら旅先の山や渓谷や村里の風景が胸に浮かび、絵筆が動くという究極の領域である。*続きは作業中。 胸中の神楽を旅する【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-7】
先日、開催中の「友愛の森空想ギャラリー」へ向かう途中の出来事。茶臼原の道路を走行中、目の前で鳥が翼をバタつかせて動かなくなった。「車にぶつかったのかな。後続の車に轢かれるから道の端に寄せておこうか」と運転していた高見乾司さん。しかし、次の言葉に私と同乗していたフルートのK先生は即答した。「立派な雄のキジ。今夜はキジ鍋にしようか。キジは美味いよ」「食べましょう。ちゃんと食べてあげよう」ところが、その時、道路の向こうに雄を探し回っている様子の雌のキジの姿。「つがいの雌がいたか。このまま雄を連れ去ったら雌はずっと探すな。残念だけどキジ鍋は無し」高見さんは雄のキジを畑の隅に置き私達は教会ギャラリーを目指しました。6月の梅雨の晴れ間の出来事でした。「焼野の雉(きぎす)」とは、雉(キジ)が自分の巣がある野が焼けだすと...【南国の赤/水元博子展<3>】
*本文は作業中。梟谷の六月【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー9>】
ひさしぶりにからりと晴れた好天。「森の空想ミュージアム」の仲間・黒木彰子さんと「天の糸・森の色」の仲間たちの作品も出品されています。黒木彰子さんが三日間、会場につめています。お出かけ下さい。「つくりびとのカタチ」展宮崎県三股町武道体育館にて
画家は、若いころに情熱と才能のすべてを燃焼し尽くし、作品も、作家自身も消失する例と、晩年に至り、精進と修練の果てに幽玄の境地にまで達し、すぐれた作品を残す作家とに大別されるという。私は高校3年の夏に大分県日田市から福岡県久留米市までのおよそ50キロの道を自転車で4時間をかけて走りとおし、青木繁と坂本繁次郎の作品を見た経験がある。教科書にも載っている「海の幸」を実際に見た時の感動は今も忘れない。そして、坂本繁二郎の晩年の「月」もまた心に沁みる名作であった。この二例こそ、画家の素質と画業をあざやかに物語るものである。以後、私は旅も、勉強も努力も重ねてきたつもりだが、この二人の域に近づく作品を生み出し得ていない。天才と凡才というふうに単純に分けられるものではないと思うが、悩ましい命題である。別の角度でみてみよう...回帰する位置【南国の赤/水元博子展<2>】
梅雨入りの気象情報が出たけれど、降り続いていた雨が止んだ。自転車に乗って出かけよう。白いボディーの婦人用軽快車だ。ところどころ錆が出ているが、これは元の所有者の使用頻度が少なかったことによるもののようだ。毎年、山歩きや神楽取材に来ていた東京の人が、借りていたアパートを引き払ったため、家財道具一式と一緒に当方に寄付して下さった荷の中に、これがあった。自転車に乗るという行為は何十年ぶりかのことになるが、恐る恐るこぎ出してみると、案外、身体はそのコツを記憶していて、ママチャリとあまり的確とは思えない現代の呼称で呼ばれるその自転車は、颯爽と森の中へ走り出した。なかなかスポーティーでお洒落である。スピードも出る。昔の婦人用自転車は、ただ乗りやすいだけの簡略な構造で、デザインなどを考慮のうちに無かったような気がする。...風を切って緑の森を走り抜けること【森へ行く道<138>】
鎌を持って森へ行く。台所の生ごみを捨て、その上に刈草をかぶせ、さらに焚き火で出た灰をばら撒く。それがこの森の土を肥やし、野草や薬草や染料として利用できる植物、実の生る樹木などを育ててゆく。その生ごみに混じっていた切り屑や種子の中から芽を出すものがあり、なかには育って実を付ける野菜もあるのだ。それで、芽吹いた野菜の周りの草を払い、伸びすぎた木は間引きをして日当たりが良い環境を作ってやるのだ。自然農という農法には、私は抵抗感を持つ人間の一人だが、こうして自然界の中で育ってゆく作物を採集し、食べることができれば、縄文的採集農法と名付けてもいいかと思わぬでもない。上掲は4年前の写真だが、そうして育ったカボチャが、森の中へと蔓を伸ばし、大きな実をぶら下げていた。立派な黒皮カボチャであった。その風景は森になじみ、実は...森の菜園【森へ行く道<137>】
ケイタ君が帰って来た。旅の治療師・落合圭太君は、各地を旅しながら、理学療法士としての仕事をしたり、農家や林業家などで働いたりしながら、一年ほど前、当地へも立ち寄ってくれたのである。そして2ヶ月ほどの間に森のマドゥパンの手伝いをしたり、仲間たちの音楽イベントに参加したり、私と一緒にヤマメ釣りに行ったりした。そして実家のある神奈川県に帰り、そこで畑作りなどをして過ごしているという便りが届いていたのだったが、この春、家財道具など一切をまとめて、本格的にこの地へ移住してきたのである。ちょうど、一件、空家が出ていた時期だったから、そこに住み、我々の仲間として過ごすことになったのは好都合だった。他所の土地の人であり、旅人だったケイタ君が来た時、私たちはなんとなく、――帰って来てくれた。という感覚で迎えた。短期間での滞...ケイタ君の畑【森へ行く道<136>】
以下は、68歳の時(今から7年前)の記事。☆去年買った草刈機が故障。やむなく、大鎌を持ち出して、振り回してみた。すると思いがけないことに、鎌は何の無理もなく草を払い、錆だらけの刃を天空にきらめかせ、まるで腕の延長のごとく藪を刈り進むのである。数年前までは、その大きさと重さが負担となって、振り回すことも出来なかった大鎌である。柄が乾いて軽くなったことと、自分の体調がやや戻ってきたことの二つの要因が考えられる。もともと乾いた樫の枝を削って挿げた柄であるから、極端に軽くなることはあり得ない。後者を採ることにしよう。そのほうが気分がよろしいではないか。今年の夏で68才。年寄りの冷や水などとは言わせない。☆このあと、大胸筋断裂、肩鍵盤損壊、アキレス腱断裂、左足踵の剥離骨折と続けて大怪我をした。つまり、自分の年齢が年...鎌を研ぐ朝
麻てらす3〜タイに響く草の歌〜」上映会のお知らせ日本における麻の第一人者、吉岡敏郎監督がタイから帰国されて直ぐの、最新情報満載の上映会です。2022年、大麻解禁になったタイの人々の変化を半年間、現地に滞在して撮影し続けた吉岡監督、、タイのモン族の暮らしぶりに密着し、飲む・燻すなど薬草の一種として大麻(ヘンプ、マリファナ)を上手く生活に活かす現実を取材し、ドキュメンタリーにまとめた力作です!!=映画解説=昔々、日本人にとってそれは日常の一コマ、そしてなくてはならない大麻でした。戦後私達は生活の一部である麻を奪われてしまいました。麻は、近年になって、その医療効果、有用性や経済性が再認識され、アメリカやヨーロッパの国や州で使用が大幅に緩和されるようになってきました。ただアジアでは、日本を含め、厳格な法律のもと、...「麻てらす-3」古来、神事などに使われてきた「大麻」。現代生活の中に再び生かすことが出来る日がくることを願う人たちの活動です。/当地「コミュニティスペースCsa-Coso森」にて。
五月の山河に大雨を降らせた台風1号と線状降水帯の発生を予報させた雨雲は東へ去り、爽やかに晴れた空が戻った。それでも山や渓谷は嵐の余波を秘め、大川には泥の色に濁り、山道に沿った崖からは大量の雨水が流れ落ち、時折、ざわっ、と森の巨樹がざわめいた。「青嵐」と昔の風流人たちはこのような状況を表現したのだが、まったく、この日はそれに相応しい山と森と渓谷の状況であった。馴染みの支流に分け入ると、水流は多く、流れも急だったが、濁りは少なく、岸辺なら歩けそうに見えた。――行くか・・・?とカワトモに声をかけると――行きますっ!!と威勢の良い返事が返ってきた。私どもの森へ通ってきたわずか2年の間に体格も立派になり、逞しさを加えてきた彼だが、学校へ行けばまだ中学三年生であり、年齢は14歳の少年である。不登校という冠称をコンプレ...青嵐の谿/極上のヤマメ料理を一品【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー8>】
台風と大雨を運んできた雨雲は東へ去り、爽やかな青空が広がっています。「糸好き」の仲間たちが集まって、今日は「山繭」から糸を紡ぎ出すワークショップ。明日は草木染め。見学・飛び入り参加(少人数に限ります)も可です。 山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ東京を中心に「染・紡・織」をテーマに染色作家活動をしておられる西方京子さんが、5月28日、29日、30日の予定でお出でになります。「天の糸・森の色/横田康子と仲間たち」の仕事にふれる研修の旅です。これに合わせ下記のワークショップを企画しました。少人数による実技の会です。 ◇2日目(5月29日)「山繭(天蚕)」と呼ばれる天然の繭から糸を紡ぎ出し、糸づくりをします。40年ほど前に大分県九重山系の村に伝わっ...山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ
釣友・渓声君を案内して、耳川の源流部を探訪することとなった。渓声君は、3ヶ月ほど前に骨折し、右足の脛から踵へかけてプレートが入り、ボルト6本で止めてあるという重傷だが、ゆっくりとなら歩けるほどに回復しているという。現代医学の進歩は想像をはるかに超えるレベルである。私は昨年の9月に屋根から落ちて左足の踵を剥離骨折し、一応病院へと行ったが、患部を固定する補助具をつけただけでほぼ自力で治した。長時間歩くと痛みが出ることもある、平地ではやや足を引きずり加減に歩くが、――谷を歩いている時は普通の状態に見えますよ。と同行の仲間が言うほどに回復している。行ってみようではないか。*続きは作業中。秘境の村の五月/骨折老人二人が行く【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー7>】
*本文は作業中。壁・アート・補修【風と森のアート´24-3】
南国の赤/水元博子展会場友愛の森空想ギャラリー宮崎県西都市穂北茶臼原5248(石井記念友愛社敷地内)会期2024年5月10日―6月10日AM10:00-PM3:00宮崎の「新芸術集団フラクタス」に所属し、発表を続けた中堅作家・水元博子。この画家の「赤」を見るとき、南国の生命力に満ちた空と大地、「いのち」の輝きと鼓動を思う。「フラクタル」とは混沌の中にきらめく光の断片という物理用語で宮崎出身の前衛美術家・瑛九の系譜に連なるグループ(現在は休止中)。瑛九が結成した「デモクラート美術協会」は戦後日本の前衛美術運動の先駆的グループで、実力作家を輩出して解散したが、それから半世紀を経て「現代アート」の源流的位置づけとして再評価されている。時は廻り、南の大地に根を張り、描き続けている作家たちには、それぞれの課題や試練...始まりました。【南国の赤/水元博子展】
*本文は作業中。万緑の谿で青葉ヤマメに会う【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー6>】
山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ東京を中心に「染・紡・織」をテーマに染色作家活動をしておられる西方京子さんが、5月28日、29日、30日の予定でお出でになります。「天の糸・森の色/横田康子と仲間たち」の仕事にふれる研修の旅です。これに合わせ下記のワークショップを企画しました。少人数による実技の会です。◇1日目(28日)は石井記念友愛社と周辺施設の見学、森の散歩。参加費無料。◇2日目(5月9日)山繭(天蚕)と呼ばれる天然の繭から糸を紡ぎ出し、糸づくりをします。横田が、40年ほど前に大分県九重山系の村に伝わっていた「ズリ出し」と呼ばれる技法を受け継ぎ、伝えてきました。同地の玖珠神楽の神楽歌に天照大神が口に含んだ繭から糸を紡ぎ出す、というシーンがあ...インフォメーション/山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ