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何かをすてて 何かをひらおう https://blog.goo.ne.jp/hahananakoko

田舎暮らしも捨てたもんじゃない。 

平々凡々だけどそれなりに満足、ちょぴり不満。一日一句。

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2015/05/13

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  • 「昴」 コマーシャルソングだったのよ!

    『昴-すばる-』は、1980年4月1日に発売された谷村新司のシングルである。⦅「昴」というのは「プレアデス星団」の和名でもある。おうし座にある散開星団プレアデスの和名。二十八宿の西方第四宿で昴(ぼう)。距離四〇八光年。肉眼で見えるのは六個で、六連星(むつらぼし)ともいう。⦆谷村新司さんが亡くなった。一番に好きな歌手であった。「昴」に最初に親しんだのは、スズキ自動車の「スバル」と言う車のコマーシャルソングであった時。この曲がテレビから流れると、家事の手を休めて聞いた。いつも口づさんでいた。友人が「Nんちゃん、そんなにその歌が好き?」と聞かれた事もあった。コマーシャルとスバルの自動車の売り上げが連動をしたかどうかは知らぬ。大きな宇宙が眼裏に浮かぶスケールの大きな景。苦労をしながら子育てと仕事の両立の生活で、こ...「昴」コマーシャルソングだったのよ!

  • スヌードマフラー

    昨日からスヌードを6個縫った。一番肌に心地良いのは、男性用の黒いへこ帯で縫ったもの。ウールのスヌードはブラウスの残り布。赤い絞りは私の帯揚げだった物。他は全て姉からもらった端切れだ。断捨離のつもりだが、スヌードくらいではなかなか減らない。家に籠っていても、世間との繋がりは往々にある。電気会社を名乗る老人を騙す手合いからの電話。銀行からは、ビジネスウーマンを名乗るには勉強不足の者から電話。お勉強は出来たかも知れぬが、気働きの出来ぬ人?今日も暮れた。最近は目が疲れるから、本は一冊も読めない。老人は世間が狭くなるばかり。私は思うに、長谷川町子さんのマンガの「いぢわる婆さん」だ。ウホヘ、、、ハハハ、、、明日も頑張ろう、、、、スヌードマフラー

  • 小物雑貨の展示会

    近くのギャラリーで私と同じような趣味の有志が集まって、手芸品の展示即売をやっているのを見に行った。世の中には同じ趣味の人が多くいるものだと嬉しくなる。展示をしている作品を見て、参考にしようと見学をさせてもらう。バッグ、貼絵、お人形、陶芸、、、、と力作が並んでいる。私との違いは皆さん丁寧に一針、一針と仕上げている。お代を取って売るのだから責任を持った仕上がり具合だ。感心をしたのは、藍染の古布で作ったタペストリーや炬燵カバーだ。値を見ると、6万円とか4万円と。何んと安価なことか。この仕上げるまでの労力を考えると、とても割の合わない仕事ぶりと思う。丁寧な針具合はまことに恐れ入りますと頭が下がる。この人は私のような(我田引水)値打ちをしっている人から評価されていることを知れば、きっと嬉しいなぞと思った次第。今まで...小物雑貨の展示会

  • 歌番組

    ラジオ深夜を聴いていた。3時から日本の歌、こころの歌なる番組だ。そこで、「さくらと一郎」が切々と哀愁をおびた昭和枯れすすきをを歌う。身に沁みてくる。昨夜、他の歌番組を聴いた。コーラスグループの「フォレスタ」だ。ダークダックスやデュークエイシスがいない今は専らフォレスタに親しんでいる。始めは演歌やポップスを音楽大学出身者達の朗々とした発声で歌うのにとまどったけれど、今は充分に艶歌だろうが童謡、歌曲、オペラも楽しく聴いている。ふと思った。この、さくらと一郎の昭和枯れすすきを、フォレスタが歌うのを聴いてみたいと思った。どんな感じになる。まことに一度は聴きたい。白々と夜が明けかかった。リビングで梟も目を覚ましたみたいだ。温度の寒暖差に身体がついてゆかない。何もやる気がしない。困った、困った。歌番組

  • あら かわいい。。。。。

    病院の受付の事務員さんに。薬局の薬剤師さんに。帽子に付けている猫ちゃんを「ああらー可愛い」と言われたらしい。車を運転しながらの連れ合いとの会話。野球帽子に付けているバッチ擬きの私の作った物を褒められたと、嬉しそうに告げる。「ホント、、、良かったね~」「家内が作ってくれた」と答えたらしい。「へへへへ」まんざらでも無い私の気持ち。ユニクロで買った野球帽子。化繊のフエルト。ウールだと、この化繊の帽子は三個くらい買えるだろう。きっと、世間に出回っているだろう、手にとれば暖かいユニクロの重宝する帽子だけれど、これを付けたことで世界でたった一つの帽子に。(大袈裟)店内で手にした時点で、もうこの猫ちゃんのバッジ擬きを作ろうと考えていた。金の猫ちゃんのワッカみたいなのを手芸店で見つけた。カワイイから買っていた物が早速バッ...あらかわいい。。。。。

  • 保養所

    夕方の散歩に。久しぶりに昔、私が勤めていた会社の保養所がギャラーリーとなっている店に行く。行くあての無い散歩だったが、坂を登り屋島に向かっていると、そこの建物へ入って行く車があったので、それでは私もとそこへ行った。骨董品や洋服や小物雑貨の店になっている。いつも、商品を見るだけの野次馬のような客だ。趣味としては私好みの品ばかりだが、洋服は自分で縫うからね~(ごめんなさい)可愛い馬車に乗ったお人形。三体の紙人形。冷やかしの客だと見抜いているから、店員もそこそこの応対だ。それが助かる。目の保養をしているから。昔の旅は保養所をよく利用をした。遠くは水戸、千葉、鎌倉、京都、和歌山、松山、、、徳島の保養所では句会の会場として小部屋を借りた。ここ、屋島の保養所は利用をしたことは無かった。私がパソコンを打っている窓から、...保養所

  • 癒されに

    頭がモヤモヤとして、落ち着いていられぬ。何かに追われているような?胸がドキドキと欲求不満のような?不定愁訴が頭中に蔓延をそているような?老人性の鬱かな?そんなこんなの日。思い切って近所のペットヨップに仔猫や仔犬に逢いに行く。店のドアを開くと仔犬が鳴いている。店内に可愛い鳴き声がしている。近づくと、はちきれんばかりに尻尾を振る。一緒の檻に入っている犬も寄って来て私の動きから目を離さない。ワンちゃんの黒い目はクルクルと動く。愛らしいたらありゃしない。生まれて間の無い仔犬。月並みな表現だが縫いぐるみみたいだ。(私は犬の種類や猫の種類はまるっきり知らぬ)その中の生後二か月ばかりの上に写真を載せている仔猫ちゃん。私が檻の近くにいたのだろう。しきりに私の洋服を引っ張る。「この猫ちゃん甘えん坊で寂しがり屋で抱かれるのが...癒されに

  • 冬がきた

    マンションのベランダでは、ブーゲンビリアが咲き、立木ベゴニアは花を付けている。視覚より老体にささる寒気。ニ、三日は小春日、いいや秋の気配が濃厚だった。重ね着をしても寒い。肩が凝るからと、、、軽くいカシミアのとっくりのセーターを出してみたが、それはまだ早いように思い、、、、高村光太郎の詩が浮かんだ。八つ手の白い花も消えいちょうの木も筆になったきりきりともみ込むような冬が来た人にいやがられる冬草木に背かれ虫類に逃げれられる冬の来たさて、今日はたくさんある布の断捨離だ。手芸の本から見つけた「猫シルエットのお洒落バック」を縫う。時間と材料はたっぷりとある。パソコンのカーソルを持つ手が冷たい。膝には電気毛布、、、。@玄関に配達人の白い息冬がきた

  • 布の断捨離

    遅々として進まぬ布の断捨離。老いて何やかやと身の回りの断捨離をたっている。その中で好きで集めた布地がたくさんある。このジャケット?を縫った布も長い間、押し入れの隅に眠っていた。フランス製か?イタリア製か?どちらかの国の布地だ。デパートで買って何を作ろうと長考をするうちに5~6年も過ぎてしまった。早く何かにして着なくては、命が衰えてゆくばかりだ。。。と思い直ぐにでも着れるジャケットを縫った。のびちじみする厚手のジャジィーで、厚手の下着を履いてもぶかぶかのモンペも縫った。ルーズなモンペが流行っているからこれ幸い。胸が下がりお腹が太りお尻が下がる老化現象のスタイルもなんのその。モンペは、まことに身体の欠点を隠してくれる重宝なズボンだ。こんな小物も、多く作り出来た片っ端から、知りあいに貰ってもらった。そんなこんな...布の断捨離

  • ブギウギのモデルになったシヅ子さんの町

    瀬戸内海沿に面した国道11号線を車で走っていると、NHKの朝の連続テレビのブギウギのモデルとなっている笠置シズ子さんの大きな看板である。(鳴門へ魚料理を食べに行くには、この国道を利用する)シヅ子さんは東かがわ市で生まれた。徳島県に接している香川県の一番、東の町である。東大の初代総長の南原繁氏もこの町で生まれた。シヅ子さんの実の父の友人だったそうである。この町東かがわ市は手袋の町としても有名で、野球のイチロー選手が試合で用いてた手袋は、この町の手袋会社が作っていたと聞いている。テレビを観るために、朝寝坊の私が7時30分にはベットから出る。趣里ちゃんの演ずる明るい主人公のフアンになってしまっている。最近、この町の食堂へ行った。玄関に、この大きなポスタが貼られていて、食事に来た客を愛想よく出迎えてくれた気がした...ブギウギのモデルになったシヅ子さんの町

  • 玉藻城

    うらうらと小春の陽気に誘われて玉藻城に行く。ここも、ずいぶんと久しぶりだ。玉藻はさぬきの、まくら言葉だ。高松城は、万葉集で柿本人麻呂が「玉藻よし、、」と詠んだことから愛着のある美しい名前で親しまれている。江戸時代前期から幕末まで、城主を務めたのは、徳川御三家の一つ水戸家の分家である。初代当主の頼重は、水戸黄門で有名な光圀の兄である。城の北側は海に面し、海水を引き入れて堀とした。水城城とも呼ばれる所以である。堀に住んでいる魚は先ずは鯛。そしてヒラメなど海の魚が泳いでいる。久しく行っていなかったから、桜御門は初めて潜った。1945年の米軍による高松空襲で焼失し、昨年77年ぶりに復元をされた。白い麻地に紺色の桜紋が風を誘っている。菊花展が催されていた。菊づくりの趣味の方が丹精を込めた菊の展示をしている。見事に花...玉藻城

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