ビレッジのサロンに一台のピアノがある。入居者の中で弾けるものは、私一人のようななので、私のピアノになっている。弾けるといってもタンゴの「ラ・クンパルシータ」と「エルチョクロ」だけ。一応は両手をつかっているので、さまにはなっている。しかし、入居者にはなじみが薄い曲なので、人気はほとんどない。これでも、弾けるうちに入るんかねー。一台のピアノ
ビレッジのサロンに一台のピアノがある。入居者の中で弾けるものは、私一人のようななので、私のピアノになっている。弾けるといってもタンゴの「ラ・クンパルシータ」と「エルチョクロ」だけ。一応は両手をつかっているので、さまにはなっている。しかし、入居者にはなじみが薄い曲なので、人気はほとんどない。これでも、弾けるうちに入るんかねー。一台のピアノ
サスペンダー。熱が出ていた時もそうだったが、ズボン吊りの付け心地が悪かった。試しにパンツを吊り上げる。下着の吊り上げは成功した。しっくりこなかった下着が落ち着いた。ズボン吊りだからズボンを吊り上げることばっかりを考えていた。下着の引き上げる。うまくいった。最後の知恵熱か。下着つり
この間夜に熱が出た。それも38度。こんな時はどうしたらいいか。体温計で体温を何度も測りなおす。頭を冷蔵庫の氷で冷やす。なんとか夜を過ごす。明けると、熱が下がっているではないか。そのまま時間が過ぎても熱は上がらない。夜の高熱はなんだったんだろう。続きは知恵熱?へと発展する。知恵熱
昔、記者やってたころ、京都のお坊さんに聞いたことがある。「人は何が悩みですか」お坊さん曰く「多くの人がお金や」今は違うと思う。仰山な金を仰山持っている人が多いというから。仰山はいらん。めし代があればよい。わしも小さくなった。欲までも。雪は他人事
安否の電話を金沢の友にをかけtが、かれは脳梗塞で津病中だった。一方で、京都のテニス仲間の一人は、「ほぼ元気やで」、ということであった。亡くなった友を悼み、元気な友人にはエールを送った。年も年やし。それで、お前はどうなんあちこちの痛みを治したい。それだけや。相変わらず人間が小さいのう。「痛みとれたら、考えるわ」。人生の友
新聞の読者欄で家計簿をつけているか、を尋ねていた。「はい」は46%、「いいえ」は54%だった。「はい」のトップは「市「市販の家計簿に手書き番多く、「いいえ」のトップは「めんどうくさい」だった。私のようにソフトを使うのは少数派。忘れっぽい人間には家計簿がブレーキをかけてくれる。几帳面とはちょっと違う。習慣だね。家計簿つけてる?
うまくいった話。いずれもpcがらみ。一つは、新しく買ったプリンターがうまく作動し始めた。もう一つも家計簿のソフトの古いメールアドレスがばっちり合ったこと。最近、病気のことで区分が乗らないことが多かっただけにいいぞ。「ついてる」と思った。ついている
ついている”つき”の神様のプレゼントかいたずらか知らんけれどうまくいった話2件。いずれもpcがまみ。長く使っている家計簿ソフおかしくなった。新しいソフトのパスワードが合わない。長い時間を使って合った時「ついている壊れたプリンターが直った時、思わずで出た時の言葉が「ついている」こういった「つき」を大事にしたい。「おおきに」と。「ついているぜ」
80歳ももうじき終了。90歳が目の前に迫ってきた。えらいこっちゃ。あちこちに不具合を抱えての昇段だ。でもエンジンの心臓は故障もなく、動いている。よし。90歳に頑張ってぶら下がろう。90歳が目の前
阪神淡路大震災から30年。「30年ね」なんども念を押すでなく、娘も30年、年を増やした。今日、彼女の誕生日である。なんとも勘定しやすい。大震災の時私は京都にいた。ゆさゆさ揺れるマンションの中で、これは大きいと感じた。しかし、時間を短縮すれば、大阪や神戸はあっという間に復興を遂げた。娘にはこの2月に孫が生まれる。ということは私にとっては3人目のひ孫。どうか、元気で育ってくれ。大震災から30年
全国女子駅伝が12日、京都で行われ、京都が圧勝。懐かしい京都の街並みをテレビで眺めた。京都はわたしにとってふるさと。毎年、カメラを手に選手たちの姿を追ったものだ。いまや、女子駅伝は春の葵祭、夏の祇園祭り、秋の時代祭りと並ぶ行事に思っている。。駅伝の好きなところは京都や強いチームだけでなく北陸、沖縄などの頑張る姿に市民たちが応援する風景。今年も地震で被害を受けた「石川」に声援が飛んだそうだ。今年は京都が優勝、石川は45位だった。「石川がんばれ」女子駅伝
介護3の認定を受けて身の回りに介護用品がぐっと増えた。3食をビレッジからっているの初め、身の回りにもこれまでもない贅沢感漂っている。こういう時にこそそ金を使うべし。か?体への投資かな。先日は電気毛布を買った、お蔭で夜、尿意に悩まされることがなくなった。貧乏性なんだ、へるぱーさんが昼間の電灯を消しているのを見て、投資は投資、無駄には無駄の意識が再びよみがえってきた。えって来た。介護の身になって
新年あけましておめでとうございます。良い年でありますように。戦争のない年になればいいのになあ。最近、日本に殺人が多いと思いませんか。貧乏もはびこっているか。いいことないか。あります。1人1人が健全を目指すことです。そうです。一人一人です。そうすれば、神が宿ります。仏も。お宅に立ち寄るかもね。謹賀新年
今年は思いがけない足の骨折に見舞われ、ブログも途絶えました。来年もどうなりますか・90の坂は上れるか。無理はしません。あるがままで行こうと思います。では、来年もよろしく。来年もよろしくお願いします。
我が家にはヘルパーさんが週2回来て風呂の介助と部屋の清掃をする、足を折ってから、まだ2か月なので、風呂は監視付きだ。それでも、人に背中を洗ってもらううのは病院に続く体験なので、お殿様気分を味わっている。ただし、料金が後からどかんと追っかけてくる。掃除の専門家なので、浴槽などはぴかぴか。ヘルパーさん
介護判定見直しがあり、私は要支援2から要介護3に引き上げられた。足の骨折で一段と介護が必要との判定であろう。介護には、要支援1,2、介護1、2,3,4,5の段階あり、介護3は中程度の介護が必要ということ。具体的には部屋の掃除など身の回りの世話は自分だけではできないほか、片足立ちや立位など1人ではできないなどの症例がある。それで、ヘルパーによる訪問介護などが受けられる。私も本格的な介護される仲間に入っている。介護3の判定
12月も半ばへ。相変わらず足へのリハビリに地味に動いています。11日、新聞はピントの合わない眼鏡越しに読んでいます。「ああ、小倉さん亡くなったなあ」膀胱がんで亡くなったテレビの名キャスターに哀悼の心を捧げる。被団協にノーベル平和賞授与の新聞の見出しに「人類が核で自滅しないよう」とあった。ほんま、そうやで。一発の核で地球は破滅への道へ進みそう。「おりおりのことば」に地味に日を重ねるのが人生に重み、と激励する。輝くやく人たち
リハビリ病院の一日は窮屈と忍耐で過ごす。患者とナースステーションの連絡はナースコールでつながっている。トイレの要望から、べっどからティッシュが落ちたなどいちいち連絡する。するとナースステーションからだれかが飛んでくる。万一手術した患者が倒れると大変だからだから。ステーションも大変だが、患者も窮屈。でも、おしっこは待ってくれない。窮屈
骨折で入院しても、医療看護はぼ万全だ。私の場合、高血圧、体温異状、便秘のほかに尿管がんの病餅だ。癌のほかの病はほぼ治してくれる。骨折の治療はもちろんのこと、ちょっとした病は治してくれる。きちんとしとした食事と運動(リハビリ)薬と十分な睡眠により数日もたたないうちに体は正常になる。おまけが大きい。と、思う。便秘も治る
禅宗の修業のひとつにご飯食べることにある。厳しさの頂点か。別に様式があるわけではないが、運動部の合宿もそうだろうが、病院の食事は、のんべんだらり、好き勝手はだめである。最後は歯を磨くまで、かなりのスピードで終えなければかっこ悪いのだ。めしを食うのもリハビリのうちなり。ご飯食べるのもリハビリ
足を折って窮屈だった入院生活は想像を超える。救急車に乗せられると、患部が良くなるまで何か月経っても家へ帰ることは、不可能。その不便なこと。必要なものはすべて家族に頼まなくてはならない。リハビリ病院の厳しさ
いついかなるときにもスマホを手放すな。スマホを持ってたら、君の命は助かるよ。地震、雷、3番目なんだったんけ。おやじにスマホが効くかわからんけど危機から逃げられる。少なくとも最悪の事態から免れる。あ、地震だ!!まず、スマホを持て。次、財布かな。私はトイレで足を折り、スマホを持っていなかったばかりにひどい目に遭った。トイレにもスマホを
夜中、おしっこのため起きてトイレへ行こうとして立ち上がった。その時右足に力が入らず、そのままずどんと右側に倒れた。これが1回目の転倒。2回目は翌日トイレから出ようとした時、転倒。起き上がれない。ビレッジの事務所に知らせようとしたが、スマホを持っていなかった。泳ぐようにして事務所への直通電話にたどりつく。その間、20分。事務所の人たちが駆け付け、すぐに救急車。それから1か月半に及ぶ入院生活が始まった。老人のけがはしつこいよ。夜中に倒れる
足の骨を折って1か月半入院しました。退院の最後にいつもご飯を食べる患者の一人に「これが最後のごはんです」と言ったら「私はまだ先です」と寂しそうに告げました。その人は私よりは若いが年齢は不詳です。なんでも、昨日ころんで頭を打ったそうです。「あと半年は退院が伸びるでしょうね」「いずれはでられますよ」「まあねえ」お互いあいまいな挨拶を交わし食堂を後にした。人生終末期いろいろさ。それぞれの苦悩
足の骨を折り入院していました。昨日1月半のリハビリを終え退院しました。また、ブログします。よろしくお願いいたします。足の骨を折り入院
失敗があると「ひょっとして認知症?」と自分を疑うことがある。「そう気づくうちうちは大丈夫」とものの本に書いてる。失敗しているかどうからない時がおそろしいとも。おおこわ。ひょっとして認知症?
足が悪いと、部屋の整理整頓がぬかる。一度になにもかもしようとするからだ。昨日も食事をしている時にビレッジの人が来た。親しいので、すぐに部屋に入ってくる。その人にばたばに汚いところを、また見られてしまった。紅顔の至り。足が悪いと
能登半島には「能登はやさしや土までも」という言葉が残る。そんな能登に地震が襲ったのは、今年の正月だった。そして今度は豪雨が襲った。住民が待ちに待った仮説住宅にも、泥水が襲った。災害は形を変えて、人々を苦しめる。能登には幾度も訪れている。私には故郷と思っている。輪島市の近くには「皆月」という音楽の題名になりそうな集落がある。新聞記者新人のころ、金沢支局にいた。その時【漁業】というテーマで続き物を受けもっていた。そして取材に訪れたの皆月だった。度重なる災害試練
えらいこっちゃ。多くの認知症患者が不明になっている。見出しで早とちりしないでください。1年間、警察を届けた件数です。そして、2,3日で見つかっているのです。一瞬、大勢の認知症患者があてもなく途方にくれているのか、と思いました。大笑い!せめて、「数日で大半見つかる」の小見出しがあってもいい。認知症で昨年1万9千人不明
今日は珍しくかなりきつい雨が降っている。越後地方は天候が悪いーが私の固定観念だ。だが、グランドゴルフコートに毎日通っていると、天気がよい日が続くことがある。半面天候が悪いと部屋に閉じこもって、ブログを打ったり本を読んだり、ネットを見たりする。天候が悪いとばたばた運動したりしないので、暑さと戦うこともないので体も休まる。落ち着く雨の日
年をとると、忘却一方に陥ると思っていたら、知らないことだらけ。只管打坐。うちは真宗だから、座禅を組むことはないが、教えとしては新鮮なものを感じる。ちこちゃんじゃないけど、ぼーとしてたらあかんよ。自分を見つめる。自分をみつめる。時間は十分にある。毎日が発見
ビレッジでいろいろ趣味の会がありますが、花札で遊ぶ人に「よく飽きないものだね」と聞いたことがあります。答えは毎回点数の計算で頭を使っているとということでした。私も家計簿をつけて頭を使うようにしています。アプリによる家計簿いつからはじめたかは忘れました。アプリを使うと計算はあっという間に処理できますから、細かな品目別をしていました。野菜はどれだ食ったか、3年前はどうだったかなどそういうことは瞬時に分かるのですが、それがどうしたということで、単に家計簿つけていることに気づき、もっとわかりやすく単純なものにしました。老人の家計簿なんて知れてるとばかにするなかれ、物忘れが進むにつれ電子機器による記録は大事です。おおごとです。家計簿で頭の体操
歩けない。でも、生活はパーフェクトに。例えば掃除、洗濯、食事。方針です。ずぼらな私が家の中でごみ一つ落ちていると気になってほーきと塵取りでごみを始末する。後始末をきちんとする。生活様式をきれいにする。これが歩くことに通じてくるんだな。パーフェクト
ビレッジにいる保育園児たちは、皆歩くことで先輩だ。先輩は歩き始めの子が多い。走ったり、方向転換したり。園児たちをじっとみつめたら、不審者に疑われるからちらり盗み見する。ひ孫は十分成長しているから、相手にはならない。ちなみに、忘れを取りに家に中に入るとしよう。床に手をついて、手と膝でのそのそはい回る。土足を避ける四つ足だ。やったことあるでしょう。人は年を取るとここまで元に戻る。幼児が先輩
歩けるためにいろいろな方法をとる。やっている方法がベストと思っていてもほとんどが「せんよりまし」それよりまず歩くこと。ある本をめくると、「歩いてもむだ」と書いてあっても歩くことをやめてはだめだ。歩行は基本中の基本だから。歩け
なんとか寝たきりにはなりたくない。高齢者の多くが願う気持ちでしょう。私もその通りです。ところが、悲しいかなどんどん老いがやってきて、いつの間にか追いつかれてしまう。歩くのがしんどくなる。寝たきりへの第一歩。さりとて、寝たきり予防に一日何千歩も歩いてみたとてしんどいだけ。疲れるから長続きしないのだ。それでも私は運動を続ける。足が止まるとおしまいだから。寝たきりはごめん
皆さん、介護保険をどれだけ利用していますか。私はいま、要支援2に認定されています。食事、掃除、洗濯など家事は一応できるが、あと一歩にやたら時間がかかる。冬、風呂に入ると着替えが大変。人によればデイケア、デイサービスを利用している人もいるでしょう。風呂も用心すれば一人ではいれるが失敗すれば、最悪溺死のおそれあり。知っている限り二人の知人が風呂でなくなっている。要支援2の段階で、かなり体は弱っている。私がそうです。介護
El Choclo / Kiss of Fire - Tango - Nestor Astorga - Hammond X66
ElChoclo/KissofFire-Tango-NestorAstorga-HammondX66サロンでピアノで曲、あれなんという。だれも聞いてくれないのいいます。タンゴの名曲で「エルチョクロ」です。いつも同じタンゴの曲で「ラクンパルシータ」が定番です。よろしく。ElChoclo/KissofFire-Tango-NestorAstorga-HammondX66
皆がやさしく親切にしてくれる。今日も一日居心地の良い日であった。人のやさしさは向こうからゃってくる。今日は武道館で、健康教室の日であった。いつもはバスで行くはずだったが杖を突いてもたもたするぐずの見本が私である。乗客たちはいらいらしてるだろうということを娘が指摘するなり「タクシー代私がだすわ」と言いだした。それからがラッキーの連続が始まり、最後は教室の先生のiさんがビレッジにまで送り届けてくれた。つまりタクシー代はいらなかった。その間ビレッジの施設長のタクシー代計算模様もあったりして、親切心がうず高く積み上げられた。上越人の人のよさに尽きるが・・・。娘は上越出身ではない。皆が親切にしくれる
昨日は起きるとき寒かった。毛布やらを出した。テレビではまだ暑いと言っているけど、季節は秋だ。ついでに、部屋の模様替えもした。いつもご飯を食べる位置を1人用低い位置から不安定な簡易チェアに変えた。これだけで、腰が安定しないので、やや緊張感が必要になった。新聞を机の上で読む。ご飯も机で食べる。食欲がでている。気分転換は毎日の動作を変え、ルーティンの時間もかなり短縮した。なんでもやるもんだ。時間短縮の価値は大きいよ。季節は秋
ネットでコーヒーを飲むと長生きできる、とか。効用についてうんぬんされている。コーヒーで気をつけねばいけないことはカフェインが多いことだそうだ。どう悪いのだ?私は夜飲んでもなんにも変わらない。眠れないこともない。長生きできるからと言ってコーヒーを沢山飲もうとは思わない。好きだから朝でも夜でも飲みたくなったら飲む。せいぜい数杯のことだ。コーヒー、好きだから
朝と夕方に1回、グランドゴルフをたたく。歩くの主体だ。合わせて5千歩だから、まあまあかな。コートにはほぼ1人だから、近接のゴルフ練習場とは全く様子が違う。けど、スポーツはスポーツや。保育園は脇にある。おっちゃんやと、だれもいわない。春頃は雲雀がぴーぴー鳴いていたがいまは鳥の声も聞こえない。近くを走るバイパスからトラックからのガタンガタンという音が響いて聞こえる。今日も長野からのトラック軍がひっきりなし。会社の友人のトヨちゃんが上越へ遊びに夫婦で来たっけ。私が吹くフルートを聞いてくれたが二人とも、今は天国で暮らしている。グランドゴルフコート
ビレッジに大きな駐車場があり住宅地と保育園とは意を挟んで建っている。私がグランドゴルフコートへは保育園の前を通って行く。保育園は前はテニスコートであった。園の前はコートの網がそのまま残っている。園児の様子は金網越しに丸見え。でも、園児たちの様子をまともに見たらあかんのだ。じっと見たらもっとだめ。不審者に間違えられる。だから、園児のバスケットボールで遊ぶ様子は見られないのです。私が顔見知りであっても。李下に・・・園児を見つめるな
ビレッジにある幼稚園は保育園でした。看板に書いてある。道理で園児が幼稚園では小さすぎる。ある日保育園の遊び場のなかにバスケットのゴールをみつけました。小さな網がついました。当然、ボールもありました。いくらボールが小さくても、シュートは無理でしょう。1、2歳児くらいがバスケットボールをしたらギネスものでしょう。子供たちがどうやって遊ぶのか。まだ見ていません。小さなバスケット
住まいの近くに幼稚園があり、毎日園児が遊ぶ様子を見ている。1歳児だろうか、手を繋いで朝の散歩が始まった。「おはよう」列に向かって大きく声をかける。「おはようございます」先生たちが答えてくれる。まだ、知らない人に答えをださないのか園児たち。手をつないで歩きだす。園児たちにも朝のルーティンはもちろんあるだろう。今日も一日がんばろうね。今日もがんばろうね
ビレッジの始まりは朝9時の安否確認から。1日2回。もう一回は夕方、サ高住の仕事は居住者の否確認が重要。今では電話はこちらからかけて「今日も一日よろしく」と大きな声であいさつする。9時にラジオ体操が始まる。このごろは、行ったりいかなかったり。体操が終わるとお茶。明るく笑う女性の笑い声であふれている。男は「大谷が打ったとか盗塁した」とか。私はグランドゴルフコートを歩く。ボールを数十メートル飛ばしながら。そして日に5000歩くらい歩く。訪問介護の先生には、歩くことで足は力をつけている。立ち止るとふらふらするが、と言われている。日に5千歩
朝の準備をするなかで、ご飯の味噌汁づくりは重要だ。具は野菜を中心になんでもよく、できるだけ種類を多くする。ビレッジには、専用庭があって畑に転用する人が多い。収穫期の夏はサロンで安値で売られる。早速、昨日も白いナスを買って味噌汁に使った。白いナスは初めてお目にかかったが、うまかった。テレビで、土井先生が具だくさんの味噌汁についていっておられた。「栄誉満点でおふくろの味」しばらく、90歳の生活についてつぶやく。朝の味噌汁
今日も在宅介護で、地域包括センターのUさんに、手続きのことでお世話になりました。私は現在要支援2の存在で訪問介護で、お世話になっています。新聞報道によると、介護の世界は、段々人が減って行って大変といいます。でもUさんはじめ、ケアマネのTさん、訪問看護サービスの担当Wさん、そして武道館の健康教室のIさんの働きぶりを見ると、頭が下がります。実に献身的なのです。一度はお礼をこのブログを言わなきゃと思っていました。本当にありがとうございます。I献身的な介護
毎年夏の甲子園が始まるとかんかん照りの中、球場の応援席を走り回っていた新米記者時代を思い出す。お盆には。学生時代はお墓でお経を挙げていた坊さん時代もあったっけ。今は新潟のサ住高に住み老後を過ごしている。親しい友はほぼ死んでいなくなった。思えば長く生きたものよ。暑さ
訪問看護よかった、と関係した人すべてに伝えると皆喜んでくれた。第一に娘、ケアマネのTさん、包括センターのUさん、ビレッジ。みな気がかりではなかったか。特別難しい男にリハビリが通じるか、と・・ご心配なく。このリハビリなら、続けられる。Wさんならついてゆける。皆、安心してくれた。訪問看護喜んで
自由に歩けるために、訪問看護を受けることにした。昨日は第一日目。作業療法士という肩書の女性がやってきた、wさんという。この日はcoop,全国各地にある生協の週1回の商品配達日と重なっていた。いつもNさんが野菜や歯磨きなど注文品を持ってきてくれる。看護のwさんを見た時あれっと思った。生協のNさんと二人はよく似ていたからだ。Nさんとは配達のついでによくおしゃべりする。配達品の野菜などが余った時の処理とか教えてくれるし、病気の悩みなどを真剣に聞いてくれる。配達の道順を最後にしているらしかった。二人は姉妹?いや、Nさんは山形から来たといっていた。二人は似ていた。しかも美人。訪問看護がやってくる
Estrellita, Manuel Ponce, Monica Abrego
Estrellita,ManuelPonce,MonicaAbregoエストレリータ―は可愛い曲なのだが、びっぐバンドいいが、声楽も歌の伸びもすばらしい。Estrellita,ManuelPonce,MonicaAbrego
ビレッジの庭は畑にして使える。私も入居当時から農作物を作っていた。サツマイモトマトなど収穫があった。農作業というものはそれだけの意欲があえば、農作物は相応の実りがあるということを学んだ。ところが、私の体がいうこをきかなくなった。鍬を持つことが難儀になった。危険でもある。追い打ちをかけるように、手を休んる休めると雑草が生えだす。その勢いは梅雨時になると、すさまじい。で”農業”はやめることにした。雑草対策として庭にシートを被せることいして、近所の人に教わりながら作業を進め、このほど、作業を終えた。なんでも、やめることは始める以上にしんどいことであった。”農業”はやめた
15日、金沢からひ孫二人がやってきた。姉妹で、姉が小学校1年生妹が来年幼稚園から進学する。ぴかぴかの女の子二人にじじは大喜び。姉の方はおとなしく妹は活発な行動派。いいねえ。二人とも元気に育ってくれ。ひ孫がやってきた
パリ🇫🇷の駅で『愛の讃歌』日本人が弾いたら、感動に包まれた…【 海外ストリートピアノ / publicpiano / Hymne à l'amour / Édith Piaf 】
パリ🇫🇷の駅で『愛の讃歌』日本人が弾いたら、感動に包まれた…【海外ストリートピアノ/publicpiano/Hymneàl'amour/ÉdithPiaf】フルートの発表会で、歌も歌った。気持ちよかった。パリ🇫🇷の駅で『愛の讃歌』日本人が弾いたら、感動に包まれた…【海外ストリートピアノ/publicpiano/Hymneàl'amour/ÉdithPiaf】
主だった友はいなくなった。長く生きられなかった。昨日、若い友がビレッジにやってきた。自転車事故を心配して見舞いに来てくれた。お前にはいい友達がいるじゃないか。女性で、名刺には理学療法士とある。健康教室の先生だ。先生に「年代を越えた友をもつといいかも」といったら、えらく気に入ってもらった。以来なにかと話しかけるようになった。私は彼女を友の中に入れている。勝手に。若い友
ラ・クンパルシータLaCumparsitaアルゼンチンタンゴの代表格。ラ・クンパルシータ。どんな楽器でも、演奏出来たらお見事。ラ・クンパルシータLaCumparsita
El Choclo / Kiss of Fire - Tango - Nestor Astorga - Hammond X66
ElChoclo/KissofFire-Tango-NestorAstorga-HammondX66毎日、エルチョクロをピアノで弾いている。何回弾いても飽かない。不思議な曲。ElChoclo/KissofFire-Tango-NestorAstorga-HammondX66
クライスラー:美しきロスマリン ピアノ【クラシック名曲】ピアニスト 近藤由貴/Kreisler: Schön Rosmarin Piano Solo, Yuki Kondo
クライスラー:美しきロスマリンピアノ【クラシック名曲】ピアニスト近藤由貴/Kreisler:SchönRosmarinPianoSolo,YukiKondo「美しきロスマリン」はバイオリン、フルートなどでの演奏はよく聞くが、ピアノは初めて聞いた。近藤さんはどんな曲でもうまいねえ。クライスラー:美しきロスマリンピアノ【クラシック名曲】ピアニスト近藤由貴/Kreisler:SchönRosmarinPianoSolo,YukiKondo
ビレッジの庭は畑に利用できます。私も皆さんに習って初めはプランターでおずおず園芸を始め、さつまいもやトマトなどを栽培したのですが、私には園芸は向かないと判断しています。栽培で必要な体力だが、足の衰えが目立ちます。介護の要支援2の体力で鍬などで、けがしたらなにしてるかわからへんし、撤退を決めなした。園芸には向かない
近いうちに母の33回忌を迎える。私の生涯で最も世話を受けた方である。私たち兄弟4人を鉾して父は亡くなった。父の残したお寺を守りながら、4人全員育て上げた。しかも兄弟4人は今なお健在である。すごいことだ。母には感謝しても感謝しきれない。縁があって私と妻はお寺のお墓の横に移りました。これから親孝行ができますやろか。母の33回忌
今日一日無事に過ごせた。ありがたいことだ。統計上、私の余命はあとわずか。今はあちこち故障はあるものの、すぐ死ぬようなことは起こらないと思う。不思議な年を重ねている。努力あり、運あり、神仏のご加護あり。そして皆さんに支えられ生きている。今日も無事
ブログといわず、考え事をする時調子のよい時は次から次へとアイデアが湧いてくる。ところが、ひとつリズムを靴わせるととんと良い考えが出てこなくなる。こんな時はどうするか。初めからやりなおす。これが一番と思っている。土台からやり直す。初心に帰る。勉強を重ねる。楽器やスポーツなんでも。初めからこつこつ
要支援2のとは1の上の段階。一番ゆるい介護をしてもらえる1の上ことだ。食事や排便が人の手はいらないにしても手を借りることもある。介護の入り口が1とか2の段階だ。皆さんは介護の世話になっているのかな。色々なことをしておらえるけれど、この世界は複雑怪奇な世界。いまだにおんぶにだっこだから、ようわからん。今日もいつも世話になっている包括センターの人に会ってきたけれど、これから、さらにお世話になってゆく気配が濃厚だ。要支援2
日記は細かく書くな。要点のみ。印象深いことは覚えてるから。さらっとね。日記を読む
一日の締めくくりに今日あったことを書く。いいことだけ。ボケ防止にもなる。ぼーとしてるんじゃない
目の検査で2か月間隔で検査を受けている。目は黄斑変性の疑いで一時はひやりとした。ところが今は経過を見るだけになっている。さらに、普段は視力0.4くらいだったのが右目0.8に跳ね上がっていた。これも遠くと近くを見るグランドゴルフゴルフのお蔭かも。頭の毛がなんだかごわごわしているぞ。毛髪が成長しているのかな。元気のいいのは大谷さんばかりではないぞ。目の検査で怪
自転車事故で転倒しましたが、骨折がなかったこと。本当によかったと思います。どこか、骨を折っていたら、もうあかんやろね。年を特別にとったとは思わないが、友人はほぼいなくなっています。「また、けがしたか」金石の阿弥陀さんは今度も助けてくれました。大丈夫です
昨日武道館への途中、自転車が転倒、救急車で運ばれました。途中、市内の中学生たちに大変お世話になりました。救急車が来るまで、面倒をみて下さった運動着姿の皆さんはソフトテニスの部員たちでした。転倒した自転車に絡みつかれ動きの取れない私を見ると、血を拭いたり救急車を誘導したり救急隊員から「大変助かりました」とお礼がありました。私はついています。ありがたいことです。トテニス部員たちで、この日は大会があったそうで、田舎道で難儀している救急車で運ばれる
墓じまいで、お寺にどえらい金を払った。近くにいる人にもいるねえ。長年お世話になったからといって泣く泣くお寺に離檀料を払ったそうな。再び子供につらいおもいをさせないため、大変な決断だったそうな。段々少なくなる檀家。地方のお寺も苦しい。事情はわかるけど、なにか釈然としになあ。墓じまいだけれど
この頃はどの新聞にも頭を使う遊びのコーナーがあります。「新聞なんか取ってない」か。さて、挑戦しようとしたら、ルールが分からない。そんな場合はパスします。時間をとるのがもったいない、という理由で。時間はいっぱいあるのにねえ。私のことです。スマホで新聞を読んでいるという方がいます。よくあの小さな画面で記事が読めますねえ。新聞は紙面で読むと、内容がよく頭に入ると思います。今日のつぶやき
上から目線でしゃべる主に男性がいる。マンスプレイニングと呼ぶらしい。新聞から知った。マンスプレイニングにひそむ意識。「説教」や「無視」にも通じる会話が生じるからこわい。これも不当な差別らしい。付近にはいません。でも勉強です。上から目線
月に一度、ビレッジから請求書が渡される。電気代はは?この日は朝のラジオ体操後に請求書が渡されたので、一斉に見せ合う。住居は同じでも、生活スタイルそれぞれなので凹凸がある。うちは?高いな。原因の一つは外へ出ない。コーヒーをやたら飲む。そんなこともカウントするかな。電気代
雨が降っている。妙に落ち着く。なぜだ。なんにもしなくてもいいからだ。雨に落ち着くわけ
今朝起きてからひと騒動。そこに置いたスマホが見当たらなくなった。目が覚めてスマホにスイッチをいれると、電池切れ。その辺にひょいおいたのだが、時絶たずに探すも見当たらない。ベッド付近を探す。みあたらない。あれれ、ぼけてる。こんな時、もう一人の自分を呼び出し、「どこへ置いた」「この辺にちょい置いたのだが」ちょうど、娘が朝の定例訪問。「おれのスマホを呼びだしてくれ」不通。電気が切れていたんだっけ。スマホは目の前で消えた。娘は「ゆっくり探しや」と仕事場へ急ぐ。このあとビレッジのsさんにもスマホ鳴らしてもらった。結果は同じ。こうなると、ミステリー。スマホは「へー」というところから見つかった。なんであんなところにスマホ置いた。「わからへん」ほんまにぼけたんとちゃうか。自分同士が???お騒がわせしました。失せものはどこだ
フルート、テニス、ピアノ、吹矢・・・おっとブログ。もうすぐ90になる。段々友人が次々いなくなった。いま付き添ってくれているのが人でなく趣味たちだ。フルートたちなどだが、テニスはとうに引退。体から消えた。フルートは私にとって名器の「村松君」が付き添ってくれている。音は段々かすれてきたが、村松君がいる。村松君はメーカーの名前だが、これはもう友人だ。一向に上達しない技術にあきずに付き合ってくれている。だから友人なのだ。フルートから出てくる音楽は全部私なのだ。趣味が私の友人
ビレッジの隣人とすれ違って。「車は便利かね」私の使っている押し車を見ながら隣人は話しかけてきた。「便利ですよ」「いくらした?」「おさがりで、もらったから、分からない」「もらった?」「よっぽど、あんたは好かれているんだ」「え?」、「ここはよほどでなければ、好きでなければ人にただで、出せばかなりするものをくれないよ」「大事にしなよ」今日の一言から。会話
新聞社を定年退職した後、神戸の女子大に務めた。その折に大学で知り合った中堀浩和先生が亡くなったという知らを遺族ら頂いた。当時私は大学から頼まれて大学新聞を作っていた。中堀先生は大学ではフランス文学を教えておられた。先生とは一杯飲み屋で知り合い、仲良くなった。先生は以前は、私が住んでマンション近くの龍谷大学でも在任されていたそうで話が広がった。先生とは、飲み屋だけのお付き合いだったが、大きな声で話される豪快な人柄を覚えている。そして「ボードレール」という著作をくださった。ボードレールは有名なフランスの詩人であることは知っていたが、それだけのことで、なぜ仲良く酒を飲んでいたか分からない。多分人柄だろうね。先生とはその後、年賀状だけのお付き合いとなったが、酒を飲みながらいろいろなことを教えてもらったと思っている...中堀先生さようなら
手を伸ばせば延ばせば手が届くような距離に武道館がある。そこへ私は自転車を漕いでゆく。歩道は道幅が広いが、人も自転車もお目にかからない。途中2か所の交差点があり、所要20分かかる。武道館のスポーツ施設に通ってもう3年か。よたすら体のため。ペダルを踏む
時間は1日24時間平等にあるけれど、無駄遣いすると、おくらあっても足りないぞ。そんなことに今頃気がついた。時間の使い方
庭のアヤメが全開。黄色の花びらを広げている。もっとも、未だにわからないのがアヤメかカキツバタか。おぬしなにものか。このところ、天気は絶好調。好天気続きだが、今日は曇り。面白いもので、曇りの日は気持ちが妙に落ち着く。アヤメ全開
今年は正月に襲った能登半島地震のお蔭で、郷里の石川県や金沢市話題がでてきます。先日もNHKテレビをみていたら、郷里の金沢市金石(かないわ)が流れていました。これ見たことがある。全盲の夫婦が5歳の娘を育てていく。あの話や。ナレーションによると、38年の記録といいます。兄弟は知ってるやろか。順々に電話した。兄弟たちは今富山など3か所ばらばらに生活しています。「なつかしかった」というよりも、マッサージしながら子育てをする夫婦の苦労の姿に兄弟たちの感動を集めていました。娘は両親の「目」となって親の道案内をつとめていたことも、記録されていました。それを全部支えていたのが、周りの手でありました。「金石」と「皆月」
久しぶりに一眼レフのカメラを出してブログに使った。え?こんなに重たかった?肩に食い込む重量感溢れるカメラにコイが3尾。pcに画像を入れ込む段で、手順に迷う。え?忘れたの>いやいや。忘れるわけがない。でもドキリ。だから、これからは使わないと。久しぶり一眼レフ
季節は春から初夏?長袖を着たり半袖はまだか。迷ってるうちに、やはゴールデンウィーク。昨日から向かいの保育園に鯉のぼりが大空を泳ぎだした。庭の畑にもチューリップが彩を添える。大空に雲雀がすんだ歌声を奏でる・ここは、平和です。一気に初夏
新聞に100年後の日本の人口は、3000万人になるだろうという予測記事が出ていた。経済学者のM京大教授らのシミュレーション記事だ。え?そんなに少なくなるの?まさか。江戸時代レベルへ。江戸はもっといたんじゃない?近い将来多くの都市が消滅。人は東京と福岡に集中するとか。戦争さえなけば少々はなんでもええ。100年後、3千万人?
古賀メロディ (人生の並木路 悲しい酒 酒は涙か溜息か 影を慕いて)
古賀メロディ(人生の並木路悲しい酒酒は涙か溜息か影を慕いて)いま、フルートで古賀メロディーに夢中だ。特に「悲しい酒」は得意の中心になりつつある。いつの日か近所の人に聞いてもらえたらと思っている。半年前にも小さなコンサートを心掛けた。ところが歯科にかかり、楽器の音がおかしくなって中断したままになっている。古賀メロディ(人生の並木路悲しい酒酒は涙か溜息か影を慕いて)
ぴい、ぴいぴい雲雀の鳴く声が聞こえる。「おはよう」隣の90歳のMさんは鍬で土を掘り起こしている。畑にするらしい。この間から、私は美木良介さんの「「無敵の100歳」を続けている。昼から武道館へ行く。健康教室で足腰を鍛える。お蔭で体の調子はいい、「雲雀が鳴き出した
毎週、ビレッジでは大型スクリーンによる映画がある。夕べも上映されたのだが、映画に登場する人物のセリフがなまりの強い東北弁で、しかも早口だったので最後までついていけなかった。映画の題名を知らずに飛び込んだものだから、まるで外国語を聞いているような。気が付いたことだが、耳の遠い人でも同じ現象が日常生活でも起きているのではないか。結果、同じことを聞くのがいやで分からずじまいで終わらすことになりはしないか。昔、記者時代に電話取材で泣かされた記者がいたことを思いだした。標準語
人気のない夜の交差点。だれも見てないから渡ればいいのに、赤信号だからじっと待つ。ここまで「おりおりの言葉」出だし。落ちているごみを拾うか。拾ってみんなが見てたから絶賛を浴びたO選手。でも見られているような・・・そして、何事もなく時は過ぎて行く。本文は何事もなく人は死んでゆくとなる。下の記事をみると、「刮目相待」とあった。記事に頭の体操がよく目につく。見られているような
美木良介氏の「無敵の100歳」を購入した。本の宣伝には「長生きには長い息!」とある。ロングブレスで売って290万部とか。すごい売れ行きだ。呼吸法では、フルート、スポーツ吹矢でいろいろ実行積みの私。新聞の広告で見て、アマゾンで注文。翌日着。アマゾンは翌日に品物を持ってくる。その代わり定額月600円必要だ。でも、本屋の少ない田舎暮らしには、交通のことを考えても便利このうえない。本といってもCDがついているか字は追わなくてよい。エクササイズはすべてに息継ぎがある。せわしないが、なれればすぐできる。やってきるか。「長息で長生き」
コンビニで足が動かなくなったとブログに書いたら送った餅を食べるなと、餅の送り主の妹が言ってきた。餅が好物を知っている妹は時どき餅を送ってくれる。私はその都度餅を賞味する。フルートとスポーツ吹き矢で喉を鍛えているから、喉は大丈夫と妹に言っておいた。従って送ってもらった餅はおいしくいただいている。もっとも、吹き矢の飛ばす距離部屋の構造で5,6メートルと縮んではいるが...スポーツ吹き矢は毎朝のルーティンで毎朝のように矢を飛ばしている。フルートも吹いている。お蔭で風邪はひかない。花粉症とは縁がない。目はしょぼつかない。餅は安全に食っていける。餅は大丈夫だよ
平和だ!こんな平和で落ち着いたところにい続けると、ぼけるぜ。朝のラジオ体操がすむとあとは何をしてもいい。全くの天国。家は48平方メートルと都会のサ高住と比べて広々しているし、庭付きだ。畑にしても良いが、私も豆、サツマイモなど作ってみたけれど、あんな面倒な作業がついて回るとはな。私には農作業にはむりだ、ということがよく分かった。bokeruna
先日、ビレッジの敷地内にあるコンビニで、足への不安に襲われた。くるぞ、くるぞの予感の末に足が硬直していった。異変に気付いた店員が「どうかしましたか」と尋ねてくる。「すみません、椅子に座りたいのですが」しばらく休んでから会計をすまし、外へ出るとまた足が動かなってきた。押し車につかまり、へたりこんでいると、駐車場にいた青年が走ってきて、「どうかしましたか」「すぐ近くの家に帰ろうとしているんですが」というと「送りましょう」と言って押し車に私を座らせ、ぐいぐい運んでくれた。青年の名前を聞き、深く感謝の言葉を述べたのち、「助かった」と思った。すぐにラインで弟に一件の出来事を報告し、7月のは母の33回忌の金沢行きは、多分無理だろうと、キーを打った。かけつけくれた皆さんの行為に感謝すると同時に、体調の異変に愕然としてい...足が硬直
私が住む「ビレッジ」敷地には主に外部の人たち用向けの食堂やパン工場の売り場、それにコンビニなどもあって終日賑わっている。なかで私が毎日利用するのはパンの店で、よく買うのは塩味の「ちぎりぱん」で、早くに売り切れる。今日もないだろうな、と思っていたら、最後の一つが残っていた。私が来るのを待っていたように。今日もついている。実は昨日、19日はビレッジから車を出す恒例の買い物の日だった。いつもの野菜などを買わず、本屋で買ったのは日付のついたダイアリーだ。いつもは年末に最後の買い物でダイアリーを買う。ところがこの頃の手帳やダイアリーの類は年がら年中店先に並んでいる。日付けも4月でも10月でもスタートする。19日に買ったのは、ランダムに選びページを開いてびっくり。ずばり2月19日スタートのダイアリーであった。ついてい...今日もついてる
このところ、天気が良くてありがたい。気分もよい。昨日、一か月ぶりに武道館へ行ったら、トレーニングルームにIさんがいた。Iさんはルームの係を務めていた。Iさんは理学療法士の資格をもっていて、武道館では健康教室の講師をつとめている。私も週1の教室に参加している。言い遅れたが、Iさんは若くて気さくな奥さんだ。この日は3連休最後の日でトレーニングは込んでいた。Iさんとゆっくり話ができなかった。また、次だ。今日も天気武道館へ
89歳になった。えらいこっちゃです。90目の前。でも、尿管がんの疑いを持たされている。いま、体に不調は見られない。こんな病人いるかね。前に胃を患って胃がんを内視鏡で手術。無事がんを取り去った時のことだ。次に外科の医師団から胃の撤去を勧められた。胃手術は内視鏡で済んだではないのか。医師たちはいう。胃は将来4%の確率でがんが再発するであろうと。迷った挙句、胃の全摘を承認した。お蔭かどうかは知らんが、今でも胃にがんの再発なく、15年過ぎている。医術は将来を見据え、ある決断を患者に提示することがある。生きるも死ぬも
検査を受けた。病名は腎臓の「腎盂からつながる尿管のがん」の疑いである。腎臓から膀胱につながる右の尿管にどうやらがんの疑いがあるらしい。受けた検査は「逆行性腎盂造影」という。この検査は失敗に終わった。検査は2度しない。検査のあとで、娘夫婦と交えた検査結果の説明で、医師は「尿管にがんがあることは間違いがない」それで、手術は患者の体がもつか、もたないかだが、高齢だし多分手術ができても、術後立ち上がれない結果になるとなんにもならない」だから手術は無理という。抗がん剤による治療はない。放射線も他への影響があるし、しない方がよい。「残る手段はなんにもしない」放置する、しかないのだ。放置するとがんであれば、段々大きくなる。どうなるかは、運の問題らしい。追い詰められた。検査不調
がんとガン、癌。かなと漢字。同じがんでも内容はちがうらしい。食道がんから逃げて10数年たつが、今度は腎臓にがんの疑いが出てきた。場所は腎臓の尿管だ。30日に検査があり、そこでがんの有無がはっきりする。がんとの付き合いは職場定年前の胃がんから始まり、2回目で胃を全部取った。その後、食堂がんにかかり、毎年定期検査を続けたが、1昨年からもう年だからと検査は中止となった。もし、がんならばどう治療するか医師から問われている。一つは手術、2に放射線や、薬。3に、なにもしない。なにもしないとは超高齢への処遇だ。どの治療にも体力との勝負になる。なにもしないで、逃げ切れるかというと、簡単ではない。がんならばいずれ大きくなって死にいたる。年寄りはがんが大きくなるスピードが遅いからといって、ほったらかしにする人も多いらしい。い...がんの疑い
15日、京都の都大路は「女子駅伝」が行われ、地震の被害を受けている石川チームが健闘、1区の区間賞をとった。この駅伝は京都市民に愛されており、登場する都道府県の選手たちを最後までも応援するするのがいつもの風景だ。この日一斉にスタートした各選手のトップをとったのが石川だった。「やるやん」多分市民たちはそう言ったと思う。北陸勢が先頭集団を走るのは珍しいからだ。(失礼)でも後続が続かず、「石川」は息切れ43位に終わった。石川への声援は多分大きかったと思うよ。「いしかわがんばれ」
今年も越前海岸自生の水仙が送られてきました。送り主は友人kitaさん。水仙は越前海岸で日本海の寒風に立ち向かって育っています。越前海岸は今頃、カニ料理で賑わっているだろうと、思います。かつて記者をしていたころ、福井県の武生に駐在していました。武生は越前海岸も取材範囲ですから時々バスに乗って行ったものでした。その時は亡妻も伴っていました。そして、カニの漁期には旅館に1泊し、カニ料理を堪能したものでした。その時も水仙が咲いていました。kitaさんも水仙に深い思いがあり、毎年送ってくれます。水仙は部屋いっぱいに香りを振りまきました。数株づつ近所に配り大変喜ばれました。越前水仙の香り
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ビレッジのサロンに一台のピアノがある。入居者の中で弾けるものは、私一人のようななので、私のピアノになっている。弾けるといってもタンゴの「ラ・クンパルシータ」と「エルチョクロ」だけ。一応は両手をつかっているので、さまにはなっている。しかし、入居者にはなじみが薄い曲なので、人気はほとんどない。これでも、弾けるうちに入るんかねー。一台のピアノ
サスペンダー。熱が出ていた時もそうだったが、ズボン吊りの付け心地が悪かった。試しにパンツを吊り上げる。下着の吊り上げは成功した。しっくりこなかった下着が落ち着いた。ズボン吊りだからズボンを吊り上げることばっかりを考えていた。下着の引き上げる。うまくいった。最後の知恵熱か。下着つり
この間夜に熱が出た。それも38度。こんな時はどうしたらいいか。体温計で体温を何度も測りなおす。頭を冷蔵庫の氷で冷やす。なんとか夜を過ごす。明けると、熱が下がっているではないか。そのまま時間が過ぎても熱は上がらない。夜の高熱はなんだったんだろう。続きは知恵熱?へと発展する。知恵熱
昔、記者やってたころ、京都のお坊さんに聞いたことがある。「人は何が悩みですか」お坊さん曰く「多くの人がお金や」今は違うと思う。仰山な金を仰山持っている人が多いというから。仰山はいらん。めし代があればよい。わしも小さくなった。欲までも。雪は他人事
安否の電話を金沢の友にをかけtが、かれは脳梗塞で津病中だった。一方で、京都のテニス仲間の一人は、「ほぼ元気やで」、ということであった。亡くなった友を悼み、元気な友人にはエールを送った。年も年やし。それで、お前はどうなんあちこちの痛みを治したい。それだけや。相変わらず人間が小さいのう。「痛みとれたら、考えるわ」。人生の友
新聞の読者欄で家計簿をつけているか、を尋ねていた。「はい」は46%、「いいえ」は54%だった。「はい」のトップは「市「市販の家計簿に手書き番多く、「いいえ」のトップは「めんどうくさい」だった。私のようにソフトを使うのは少数派。忘れっぽい人間には家計簿がブレーキをかけてくれる。几帳面とはちょっと違う。習慣だね。家計簿つけてる?
うまくいった話。いずれもpcがらみ。一つは、新しく買ったプリンターがうまく作動し始めた。もう一つも家計簿のソフトの古いメールアドレスがばっちり合ったこと。最近、病気のことで区分が乗らないことが多かっただけにいいぞ。「ついてる」と思った。ついている
ついている”つき”の神様のプレゼントかいたずらか知らんけれどうまくいった話2件。いずれもpcがまみ。長く使っている家計簿ソフおかしくなった。新しいソフトのパスワードが合わない。長い時間を使って合った時「ついている壊れたプリンターが直った時、思わずで出た時の言葉が「ついている」こういった「つき」を大事にしたい。「おおきに」と。「ついているぜ」
80歳ももうじき終了。90歳が目の前に迫ってきた。えらいこっちゃ。あちこちに不具合を抱えての昇段だ。でもエンジンの心臓は故障もなく、動いている。よし。90歳に頑張ってぶら下がろう。90歳が目の前
阪神淡路大震災から30年。「30年ね」なんども念を押すでなく、娘も30年、年を増やした。今日、彼女の誕生日である。なんとも勘定しやすい。大震災の時私は京都にいた。ゆさゆさ揺れるマンションの中で、これは大きいと感じた。しかし、時間を短縮すれば、大阪や神戸はあっという間に復興を遂げた。娘にはこの2月に孫が生まれる。ということは私にとっては3人目のひ孫。どうか、元気で育ってくれ。大震災から30年
全国女子駅伝が12日、京都で行われ、京都が圧勝。懐かしい京都の街並みをテレビで眺めた。京都はわたしにとってふるさと。毎年、カメラを手に選手たちの姿を追ったものだ。いまや、女子駅伝は春の葵祭、夏の祇園祭り、秋の時代祭りと並ぶ行事に思っている。。駅伝の好きなところは京都や強いチームだけでなく北陸、沖縄などの頑張る姿に市民たちが応援する風景。今年も地震で被害を受けた「石川」に声援が飛んだそうだ。今年は京都が優勝、石川は45位だった。「石川がんばれ」女子駅伝
介護3の認定を受けて身の回りに介護用品がぐっと増えた。3食をビレッジからっているの初め、身の回りにもこれまでもない贅沢感漂っている。こういう時にこそそ金を使うべし。か?体への投資かな。先日は電気毛布を買った、お蔭で夜、尿意に悩まされることがなくなった。貧乏性なんだ、へるぱーさんが昼間の電灯を消しているのを見て、投資は投資、無駄には無駄の意識が再びよみがえってきた。えって来た。介護の身になって
新年あけましておめでとうございます。良い年でありますように。戦争のない年になればいいのになあ。最近、日本に殺人が多いと思いませんか。貧乏もはびこっているか。いいことないか。あります。1人1人が健全を目指すことです。そうです。一人一人です。そうすれば、神が宿ります。仏も。お宅に立ち寄るかもね。謹賀新年
今年は思いがけない足の骨折に見舞われ、ブログも途絶えました。来年もどうなりますか・90の坂は上れるか。無理はしません。あるがままで行こうと思います。では、来年もよろしく。来年もよろしくお願いします。
我が家にはヘルパーさんが週2回来て風呂の介助と部屋の清掃をする、足を折ってから、まだ2か月なので、風呂は監視付きだ。それでも、人に背中を洗ってもらううのは病院に続く体験なので、お殿様気分を味わっている。ただし、料金が後からどかんと追っかけてくる。掃除の専門家なので、浴槽などはぴかぴか。ヘルパーさん
介護判定見直しがあり、私は要支援2から要介護3に引き上げられた。足の骨折で一段と介護が必要との判定であろう。介護には、要支援1,2、介護1、2,3,4,5の段階あり、介護3は中程度の介護が必要ということ。具体的には部屋の掃除など身の回りの世話は自分だけではできないほか、片足立ちや立位など1人ではできないなどの症例がある。それで、ヘルパーによる訪問介護などが受けられる。私も本格的な介護される仲間に入っている。介護3の判定
12月も半ばへ。相変わらず足へのリハビリに地味に動いています。11日、新聞はピントの合わない眼鏡越しに読んでいます。「ああ、小倉さん亡くなったなあ」膀胱がんで亡くなったテレビの名キャスターに哀悼の心を捧げる。被団協にノーベル平和賞授与の新聞の見出しに「人類が核で自滅しないよう」とあった。ほんま、そうやで。一発の核で地球は破滅への道へ進みそう。「おりおりのことば」に地味に日を重ねるのが人生に重み、と激励する。輝くやく人たち
リハビリ病院の一日は窮屈と忍耐で過ごす。患者とナースステーションの連絡はナースコールでつながっている。トイレの要望から、べっどからティッシュが落ちたなどいちいち連絡する。するとナースステーションからだれかが飛んでくる。万一手術した患者が倒れると大変だからだから。ステーションも大変だが、患者も窮屈。でも、おしっこは待ってくれない。窮屈
骨折で入院しても、医療看護はぼ万全だ。私の場合、高血圧、体温異状、便秘のほかに尿管がんの病餅だ。癌のほかの病はほぼ治してくれる。骨折の治療はもちろんのこと、ちょっとした病は治してくれる。きちんとしとした食事と運動(リハビリ)薬と十分な睡眠により数日もたたないうちに体は正常になる。おまけが大きい。と、思う。便秘も治る
禅宗の修業のひとつにご飯食べることにある。厳しさの頂点か。別に様式があるわけではないが、運動部の合宿もそうだろうが、病院の食事は、のんべんだらり、好き勝手はだめである。最後は歯を磨くまで、かなりのスピードで終えなければかっこ悪いのだ。めしを食うのもリハビリのうちなり。ご飯食べるのもリハビリ
新聞社を定年退職した後、神戸の女子大に務めた。その折に大学で知り合った中堀浩和先生が亡くなったという知らを遺族ら頂いた。当時私は大学から頼まれて大学新聞を作っていた。中堀先生は大学ではフランス文学を教えておられた。先生とは一杯飲み屋で知り合い、仲良くなった。先生は以前は、私が住んでマンション近くの龍谷大学でも在任されていたそうで話が広がった。先生とは、飲み屋だけのお付き合いだったが、大きな声で話される豪快な人柄を覚えている。そして「ボードレール」という著作をくださった。ボードレールは有名なフランスの詩人であることは知っていたが、それだけのことで、なぜ仲良く酒を飲んでいたか分からない。多分人柄だろうね。先生とはその後、年賀状だけのお付き合いとなったが、酒を飲みながらいろいろなことを教えてもらったと思っている...中堀先生さようなら
手を伸ばせば延ばせば手が届くような距離に武道館がある。そこへ私は自転車を漕いでゆく。歩道は道幅が広いが、人も自転車もお目にかからない。途中2か所の交差点があり、所要20分かかる。武道館のスポーツ施設に通ってもう3年か。よたすら体のため。ペダルを踏む
時間は1日24時間平等にあるけれど、無駄遣いすると、おくらあっても足りないぞ。そんなことに今頃気がついた。時間の使い方
庭のアヤメが全開。黄色の花びらを広げている。もっとも、未だにわからないのがアヤメかカキツバタか。おぬしなにものか。このところ、天気は絶好調。好天気続きだが、今日は曇り。面白いもので、曇りの日は気持ちが妙に落ち着く。アヤメ全開
今年は正月に襲った能登半島地震のお蔭で、郷里の石川県や金沢市話題がでてきます。先日もNHKテレビをみていたら、郷里の金沢市金石(かないわ)が流れていました。これ見たことがある。全盲の夫婦が5歳の娘を育てていく。あの話や。ナレーションによると、38年の記録といいます。兄弟は知ってるやろか。順々に電話した。兄弟たちは今富山など3か所ばらばらに生活しています。「なつかしかった」というよりも、マッサージしながら子育てをする夫婦の苦労の姿に兄弟たちの感動を集めていました。娘は両親の「目」となって親の道案内をつとめていたことも、記録されていました。それを全部支えていたのが、周りの手でありました。「金石」と「皆月」
久しぶりに一眼レフのカメラを出してブログに使った。え?こんなに重たかった?肩に食い込む重量感溢れるカメラにコイが3尾。pcに画像を入れ込む段で、手順に迷う。え?忘れたの>いやいや。忘れるわけがない。でもドキリ。だから、これからは使わないと。久しぶり一眼レフ
季節は春から初夏?長袖を着たり半袖はまだか。迷ってるうちに、やはゴールデンウィーク。昨日から向かいの保育園に鯉のぼりが大空を泳ぎだした。庭の畑にもチューリップが彩を添える。大空に雲雀がすんだ歌声を奏でる・ここは、平和です。一気に初夏
新聞に100年後の日本の人口は、3000万人になるだろうという予測記事が出ていた。経済学者のM京大教授らのシミュレーション記事だ。え?そんなに少なくなるの?まさか。江戸時代レベルへ。江戸はもっといたんじゃない?近い将来多くの都市が消滅。人は東京と福岡に集中するとか。戦争さえなけば少々はなんでもええ。100年後、3千万人?
古賀メロディ(人生の並木路悲しい酒酒は涙か溜息か影を慕いて)いま、フルートで古賀メロディーに夢中だ。特に「悲しい酒」は得意の中心になりつつある。いつの日か近所の人に聞いてもらえたらと思っている。半年前にも小さなコンサートを心掛けた。ところが歯科にかかり、楽器の音がおかしくなって中断したままになっている。古賀メロディ(人生の並木路悲しい酒酒は涙か溜息か影を慕いて)
ぴい、ぴいぴい雲雀の鳴く声が聞こえる。「おはよう」隣の90歳のMさんは鍬で土を掘り起こしている。畑にするらしい。この間から、私は美木良介さんの「「無敵の100歳」を続けている。昼から武道館へ行く。健康教室で足腰を鍛える。お蔭で体の調子はいい、「雲雀が鳴き出した
毎週、ビレッジでは大型スクリーンによる映画がある。夕べも上映されたのだが、映画に登場する人物のセリフがなまりの強い東北弁で、しかも早口だったので最後までついていけなかった。映画の題名を知らずに飛び込んだものだから、まるで外国語を聞いているような。気が付いたことだが、耳の遠い人でも同じ現象が日常生活でも起きているのではないか。結果、同じことを聞くのがいやで分からずじまいで終わらすことになりはしないか。昔、記者時代に電話取材で泣かされた記者がいたことを思いだした。標準語
人気のない夜の交差点。だれも見てないから渡ればいいのに、赤信号だからじっと待つ。ここまで「おりおりの言葉」出だし。落ちているごみを拾うか。拾ってみんなが見てたから絶賛を浴びたO選手。でも見られているような・・・そして、何事もなく時は過ぎて行く。本文は何事もなく人は死んでゆくとなる。下の記事をみると、「刮目相待」とあった。記事に頭の体操がよく目につく。見られているような
美木良介氏の「無敵の100歳」を購入した。本の宣伝には「長生きには長い息!」とある。ロングブレスで売って290万部とか。すごい売れ行きだ。呼吸法では、フルート、スポーツ吹矢でいろいろ実行積みの私。新聞の広告で見て、アマゾンで注文。翌日着。アマゾンは翌日に品物を持ってくる。その代わり定額月600円必要だ。でも、本屋の少ない田舎暮らしには、交通のことを考えても便利このうえない。本といってもCDがついているか字は追わなくてよい。エクササイズはすべてに息継ぎがある。せわしないが、なれればすぐできる。やってきるか。「長息で長生き」
コンビニで足が動かなくなったとブログに書いたら送った餅を食べるなと、餅の送り主の妹が言ってきた。餅が好物を知っている妹は時どき餅を送ってくれる。私はその都度餅を賞味する。フルートとスポーツ吹き矢で喉を鍛えているから、喉は大丈夫と妹に言っておいた。従って送ってもらった餅はおいしくいただいている。もっとも、吹き矢の飛ばす距離部屋の構造で5,6メートルと縮んではいるが...スポーツ吹き矢は毎朝のルーティンで毎朝のように矢を飛ばしている。フルートも吹いている。お蔭で風邪はひかない。花粉症とは縁がない。目はしょぼつかない。餅は安全に食っていける。餅は大丈夫だよ
平和だ!こんな平和で落ち着いたところにい続けると、ぼけるぜ。朝のラジオ体操がすむとあとは何をしてもいい。全くの天国。家は48平方メートルと都会のサ高住と比べて広々しているし、庭付きだ。畑にしても良いが、私も豆、サツマイモなど作ってみたけれど、あんな面倒な作業がついて回るとはな。私には農作業にはむりだ、ということがよく分かった。bokeruna
先日、ビレッジの敷地内にあるコンビニで、足への不安に襲われた。くるぞ、くるぞの予感の末に足が硬直していった。異変に気付いた店員が「どうかしましたか」と尋ねてくる。「すみません、椅子に座りたいのですが」しばらく休んでから会計をすまし、外へ出るとまた足が動かなってきた。押し車につかまり、へたりこんでいると、駐車場にいた青年が走ってきて、「どうかしましたか」「すぐ近くの家に帰ろうとしているんですが」というと「送りましょう」と言って押し車に私を座らせ、ぐいぐい運んでくれた。青年の名前を聞き、深く感謝の言葉を述べたのち、「助かった」と思った。すぐにラインで弟に一件の出来事を報告し、7月のは母の33回忌の金沢行きは、多分無理だろうと、キーを打った。かけつけくれた皆さんの行為に感謝すると同時に、体調の異変に愕然としてい...足が硬直
私が住む「ビレッジ」敷地には主に外部の人たち用向けの食堂やパン工場の売り場、それにコンビニなどもあって終日賑わっている。なかで私が毎日利用するのはパンの店で、よく買うのは塩味の「ちぎりぱん」で、早くに売り切れる。今日もないだろうな、と思っていたら、最後の一つが残っていた。私が来るのを待っていたように。今日もついている。実は昨日、19日はビレッジから車を出す恒例の買い物の日だった。いつもの野菜などを買わず、本屋で買ったのは日付のついたダイアリーだ。いつもは年末に最後の買い物でダイアリーを買う。ところがこの頃の手帳やダイアリーの類は年がら年中店先に並んでいる。日付けも4月でも10月でもスタートする。19日に買ったのは、ランダムに選びページを開いてびっくり。ずばり2月19日スタートのダイアリーであった。ついてい...今日もついてる
このところ、天気が良くてありがたい。気分もよい。昨日、一か月ぶりに武道館へ行ったら、トレーニングルームにIさんがいた。Iさんはルームの係を務めていた。Iさんは理学療法士の資格をもっていて、武道館では健康教室の講師をつとめている。私も週1の教室に参加している。言い遅れたが、Iさんは若くて気さくな奥さんだ。この日は3連休最後の日でトレーニングは込んでいた。Iさんとゆっくり話ができなかった。また、次だ。今日も天気武道館へ
89歳になった。えらいこっちゃです。90目の前。でも、尿管がんの疑いを持たされている。いま、体に不調は見られない。こんな病人いるかね。前に胃を患って胃がんを内視鏡で手術。無事がんを取り去った時のことだ。次に外科の医師団から胃の撤去を勧められた。胃手術は内視鏡で済んだではないのか。医師たちはいう。胃は将来4%の確率でがんが再発するであろうと。迷った挙句、胃の全摘を承認した。お蔭かどうかは知らんが、今でも胃にがんの再発なく、15年過ぎている。医術は将来を見据え、ある決断を患者に提示することがある。生きるも死ぬも
検査を受けた。病名は腎臓の「腎盂からつながる尿管のがん」の疑いである。腎臓から膀胱につながる右の尿管にどうやらがんの疑いがあるらしい。受けた検査は「逆行性腎盂造影」という。この検査は失敗に終わった。検査は2度しない。検査のあとで、娘夫婦と交えた検査結果の説明で、医師は「尿管にがんがあることは間違いがない」それで、手術は患者の体がもつか、もたないかだが、高齢だし多分手術ができても、術後立ち上がれない結果になるとなんにもならない」だから手術は無理という。抗がん剤による治療はない。放射線も他への影響があるし、しない方がよい。「残る手段はなんにもしない」放置する、しかないのだ。放置するとがんであれば、段々大きくなる。どうなるかは、運の問題らしい。追い詰められた。検査不調