ビレッジのサロンに一台のピアノがある。入居者の中で弾けるものは、私一人のようななので、私のピアノになっている。弾けるといってもタンゴの「ラ・クンパルシータ」と「エルチョクロ」だけ。一応は両手をつかっているので、さまにはなっている。しかし、入居者にはなじみが薄い曲なので、人気はほとんどない。これでも、弾けるうちに入るんかねー。一台のピアノ
ビレッジの隣人とすれ違って。「車は便利かね」私の使っている押し車を見ながら隣人は話しかけてきた。「便利ですよ」「いくらした?」「おさがりで、もらったから、分からない」「もらった?」「よっぽど、あんたは好かれているんだ」「え?」、「ここはよほどでなければ、好きでなければ人にただで、出せばかなりするものをくれないよ」「大事にしなよ」今日の一言から。会話
新聞社を定年退職した後、神戸の女子大に務めた。その折に大学で知り合った中堀浩和先生が亡くなったという知らを遺族ら頂いた。当時私は大学から頼まれて大学新聞を作っていた。中堀先生は大学ではフランス文学を教えておられた。先生とは一杯飲み屋で知り合い、仲良くなった。先生は以前は、私が住んでマンション近くの龍谷大学でも在任されていたそうで話が広がった。先生とは、飲み屋だけのお付き合いだったが、大きな声で話される豪快な人柄を覚えている。そして「ボードレール」という著作をくださった。ボードレールは有名なフランスの詩人であることは知っていたが、それだけのことで、なぜ仲良く酒を飲んでいたか分からない。多分人柄だろうね。先生とはその後、年賀状だけのお付き合いとなったが、酒を飲みながらいろいろなことを教えてもらったと思っている...中堀先生さようなら
手を伸ばせば延ばせば手が届くような距離に武道館がある。そこへ私は自転車を漕いでゆく。歩道は道幅が広いが、人も自転車もお目にかからない。途中2か所の交差点があり、所要20分かかる。武道館のスポーツ施設に通ってもう3年か。よたすら体のため。ペダルを踏む
時間は1日24時間平等にあるけれど、無駄遣いすると、おくらあっても足りないぞ。そんなことに今頃気がついた。時間の使い方
庭のアヤメが全開。黄色の花びらを広げている。もっとも、未だにわからないのがアヤメかカキツバタか。おぬしなにものか。このところ、天気は絶好調。好天気続きだが、今日は曇り。面白いもので、曇りの日は気持ちが妙に落ち着く。アヤメ全開
今年は正月に襲った能登半島地震のお蔭で、郷里の石川県や金沢市話題がでてきます。先日もNHKテレビをみていたら、郷里の金沢市金石(かないわ)が流れていました。これ見たことがある。全盲の夫婦が5歳の娘を育てていく。あの話や。ナレーションによると、38年の記録といいます。兄弟は知ってるやろか。順々に電話した。兄弟たちは今富山など3か所ばらばらに生活しています。「なつかしかった」というよりも、マッサージしながら子育てをする夫婦の苦労の姿に兄弟たちの感動を集めていました。娘は両親の「目」となって親の道案内をつとめていたことも、記録されていました。それを全部支えていたのが、周りの手でありました。「金石」と「皆月」
「ブログリーダー」を活用して、人生アラカルトさんをフォローしませんか?
ビレッジのサロンに一台のピアノがある。入居者の中で弾けるものは、私一人のようななので、私のピアノになっている。弾けるといってもタンゴの「ラ・クンパルシータ」と「エルチョクロ」だけ。一応は両手をつかっているので、さまにはなっている。しかし、入居者にはなじみが薄い曲なので、人気はほとんどない。これでも、弾けるうちに入るんかねー。一台のピアノ
サスペンダー。熱が出ていた時もそうだったが、ズボン吊りの付け心地が悪かった。試しにパンツを吊り上げる。下着の吊り上げは成功した。しっくりこなかった下着が落ち着いた。ズボン吊りだからズボンを吊り上げることばっかりを考えていた。下着の引き上げる。うまくいった。最後の知恵熱か。下着つり
この間夜に熱が出た。それも38度。こんな時はどうしたらいいか。体温計で体温を何度も測りなおす。頭を冷蔵庫の氷で冷やす。なんとか夜を過ごす。明けると、熱が下がっているではないか。そのまま時間が過ぎても熱は上がらない。夜の高熱はなんだったんだろう。続きは知恵熱?へと発展する。知恵熱
昔、記者やってたころ、京都のお坊さんに聞いたことがある。「人は何が悩みですか」お坊さん曰く「多くの人がお金や」今は違うと思う。仰山な金を仰山持っている人が多いというから。仰山はいらん。めし代があればよい。わしも小さくなった。欲までも。雪は他人事
安否の電話を金沢の友にをかけtが、かれは脳梗塞で津病中だった。一方で、京都のテニス仲間の一人は、「ほぼ元気やで」、ということであった。亡くなった友を悼み、元気な友人にはエールを送った。年も年やし。それで、お前はどうなんあちこちの痛みを治したい。それだけや。相変わらず人間が小さいのう。「痛みとれたら、考えるわ」。人生の友
新聞の読者欄で家計簿をつけているか、を尋ねていた。「はい」は46%、「いいえ」は54%だった。「はい」のトップは「市「市販の家計簿に手書き番多く、「いいえ」のトップは「めんどうくさい」だった。私のようにソフトを使うのは少数派。忘れっぽい人間には家計簿がブレーキをかけてくれる。几帳面とはちょっと違う。習慣だね。家計簿つけてる?
うまくいった話。いずれもpcがらみ。一つは、新しく買ったプリンターがうまく作動し始めた。もう一つも家計簿のソフトの古いメールアドレスがばっちり合ったこと。最近、病気のことで区分が乗らないことが多かっただけにいいぞ。「ついてる」と思った。ついている
ついている”つき”の神様のプレゼントかいたずらか知らんけれどうまくいった話2件。いずれもpcがまみ。長く使っている家計簿ソフおかしくなった。新しいソフトのパスワードが合わない。長い時間を使って合った時「ついている壊れたプリンターが直った時、思わずで出た時の言葉が「ついている」こういった「つき」を大事にしたい。「おおきに」と。「ついているぜ」
80歳ももうじき終了。90歳が目の前に迫ってきた。えらいこっちゃ。あちこちに不具合を抱えての昇段だ。でもエンジンの心臓は故障もなく、動いている。よし。90歳に頑張ってぶら下がろう。90歳が目の前
阪神淡路大震災から30年。「30年ね」なんども念を押すでなく、娘も30年、年を増やした。今日、彼女の誕生日である。なんとも勘定しやすい。大震災の時私は京都にいた。ゆさゆさ揺れるマンションの中で、これは大きいと感じた。しかし、時間を短縮すれば、大阪や神戸はあっという間に復興を遂げた。娘にはこの2月に孫が生まれる。ということは私にとっては3人目のひ孫。どうか、元気で育ってくれ。大震災から30年
全国女子駅伝が12日、京都で行われ、京都が圧勝。懐かしい京都の街並みをテレビで眺めた。京都はわたしにとってふるさと。毎年、カメラを手に選手たちの姿を追ったものだ。いまや、女子駅伝は春の葵祭、夏の祇園祭り、秋の時代祭りと並ぶ行事に思っている。。駅伝の好きなところは京都や強いチームだけでなく北陸、沖縄などの頑張る姿に市民たちが応援する風景。今年も地震で被害を受けた「石川」に声援が飛んだそうだ。今年は京都が優勝、石川は45位だった。「石川がんばれ」女子駅伝
介護3の認定を受けて身の回りに介護用品がぐっと増えた。3食をビレッジからっているの初め、身の回りにもこれまでもない贅沢感漂っている。こういう時にこそそ金を使うべし。か?体への投資かな。先日は電気毛布を買った、お蔭で夜、尿意に悩まされることがなくなった。貧乏性なんだ、へるぱーさんが昼間の電灯を消しているのを見て、投資は投資、無駄には無駄の意識が再びよみがえってきた。えって来た。介護の身になって
新年あけましておめでとうございます。良い年でありますように。戦争のない年になればいいのになあ。最近、日本に殺人が多いと思いませんか。貧乏もはびこっているか。いいことないか。あります。1人1人が健全を目指すことです。そうです。一人一人です。そうすれば、神が宿ります。仏も。お宅に立ち寄るかもね。謹賀新年
今年は思いがけない足の骨折に見舞われ、ブログも途絶えました。来年もどうなりますか・90の坂は上れるか。無理はしません。あるがままで行こうと思います。では、来年もよろしく。来年もよろしくお願いします。
我が家にはヘルパーさんが週2回来て風呂の介助と部屋の清掃をする、足を折ってから、まだ2か月なので、風呂は監視付きだ。それでも、人に背中を洗ってもらううのは病院に続く体験なので、お殿様気分を味わっている。ただし、料金が後からどかんと追っかけてくる。掃除の専門家なので、浴槽などはぴかぴか。ヘルパーさん
介護判定見直しがあり、私は要支援2から要介護3に引き上げられた。足の骨折で一段と介護が必要との判定であろう。介護には、要支援1,2、介護1、2,3,4,5の段階あり、介護3は中程度の介護が必要ということ。具体的には部屋の掃除など身の回りの世話は自分だけではできないほか、片足立ちや立位など1人ではできないなどの症例がある。それで、ヘルパーによる訪問介護などが受けられる。私も本格的な介護される仲間に入っている。介護3の判定
12月も半ばへ。相変わらず足へのリハビリに地味に動いています。11日、新聞はピントの合わない眼鏡越しに読んでいます。「ああ、小倉さん亡くなったなあ」膀胱がんで亡くなったテレビの名キャスターに哀悼の心を捧げる。被団協にノーベル平和賞授与の新聞の見出しに「人類が核で自滅しないよう」とあった。ほんま、そうやで。一発の核で地球は破滅への道へ進みそう。「おりおりのことば」に地味に日を重ねるのが人生に重み、と激励する。輝くやく人たち
リハビリ病院の一日は窮屈と忍耐で過ごす。患者とナースステーションの連絡はナースコールでつながっている。トイレの要望から、べっどからティッシュが落ちたなどいちいち連絡する。するとナースステーションからだれかが飛んでくる。万一手術した患者が倒れると大変だからだから。ステーションも大変だが、患者も窮屈。でも、おしっこは待ってくれない。窮屈
骨折で入院しても、医療看護はぼ万全だ。私の場合、高血圧、体温異状、便秘のほかに尿管がんの病餅だ。癌のほかの病はほぼ治してくれる。骨折の治療はもちろんのこと、ちょっとした病は治してくれる。きちんとしとした食事と運動(リハビリ)薬と十分な睡眠により数日もたたないうちに体は正常になる。おまけが大きい。と、思う。便秘も治る
禅宗の修業のひとつにご飯食べることにある。厳しさの頂点か。別に様式があるわけではないが、運動部の合宿もそうだろうが、病院の食事は、のんべんだらり、好き勝手はだめである。最後は歯を磨くまで、かなりのスピードで終えなければかっこ悪いのだ。めしを食うのもリハビリのうちなり。ご飯食べるのもリハビリ
新聞社を定年退職した後、神戸の女子大に務めた。その折に大学で知り合った中堀浩和先生が亡くなったという知らを遺族ら頂いた。当時私は大学から頼まれて大学新聞を作っていた。中堀先生は大学ではフランス文学を教えておられた。先生とは一杯飲み屋で知り合い、仲良くなった。先生は以前は、私が住んでマンション近くの龍谷大学でも在任されていたそうで話が広がった。先生とは、飲み屋だけのお付き合いだったが、大きな声で話される豪快な人柄を覚えている。そして「ボードレール」という著作をくださった。ボードレールは有名なフランスの詩人であることは知っていたが、それだけのことで、なぜ仲良く酒を飲んでいたか分からない。多分人柄だろうね。先生とはその後、年賀状だけのお付き合いとなったが、酒を飲みながらいろいろなことを教えてもらったと思っている...中堀先生さようなら
手を伸ばせば延ばせば手が届くような距離に武道館がある。そこへ私は自転車を漕いでゆく。歩道は道幅が広いが、人も自転車もお目にかからない。途中2か所の交差点があり、所要20分かかる。武道館のスポーツ施設に通ってもう3年か。よたすら体のため。ペダルを踏む
時間は1日24時間平等にあるけれど、無駄遣いすると、おくらあっても足りないぞ。そんなことに今頃気がついた。時間の使い方
庭のアヤメが全開。黄色の花びらを広げている。もっとも、未だにわからないのがアヤメかカキツバタか。おぬしなにものか。このところ、天気は絶好調。好天気続きだが、今日は曇り。面白いもので、曇りの日は気持ちが妙に落ち着く。アヤメ全開
今年は正月に襲った能登半島地震のお蔭で、郷里の石川県や金沢市話題がでてきます。先日もNHKテレビをみていたら、郷里の金沢市金石(かないわ)が流れていました。これ見たことがある。全盲の夫婦が5歳の娘を育てていく。あの話や。ナレーションによると、38年の記録といいます。兄弟は知ってるやろか。順々に電話した。兄弟たちは今富山など3か所ばらばらに生活しています。「なつかしかった」というよりも、マッサージしながら子育てをする夫婦の苦労の姿に兄弟たちの感動を集めていました。娘は両親の「目」となって親の道案内をつとめていたことも、記録されていました。それを全部支えていたのが、周りの手でありました。「金石」と「皆月」
久しぶりに一眼レフのカメラを出してブログに使った。え?こんなに重たかった?肩に食い込む重量感溢れるカメラにコイが3尾。pcに画像を入れ込む段で、手順に迷う。え?忘れたの>いやいや。忘れるわけがない。でもドキリ。だから、これからは使わないと。久しぶり一眼レフ
季節は春から初夏?長袖を着たり半袖はまだか。迷ってるうちに、やはゴールデンウィーク。昨日から向かいの保育園に鯉のぼりが大空を泳ぎだした。庭の畑にもチューリップが彩を添える。大空に雲雀がすんだ歌声を奏でる・ここは、平和です。一気に初夏
新聞に100年後の日本の人口は、3000万人になるだろうという予測記事が出ていた。経済学者のM京大教授らのシミュレーション記事だ。え?そんなに少なくなるの?まさか。江戸時代レベルへ。江戸はもっといたんじゃない?近い将来多くの都市が消滅。人は東京と福岡に集中するとか。戦争さえなけば少々はなんでもええ。100年後、3千万人?
古賀メロディ(人生の並木路悲しい酒酒は涙か溜息か影を慕いて)いま、フルートで古賀メロディーに夢中だ。特に「悲しい酒」は得意の中心になりつつある。いつの日か近所の人に聞いてもらえたらと思っている。半年前にも小さなコンサートを心掛けた。ところが歯科にかかり、楽器の音がおかしくなって中断したままになっている。古賀メロディ(人生の並木路悲しい酒酒は涙か溜息か影を慕いて)
ぴい、ぴいぴい雲雀の鳴く声が聞こえる。「おはよう」隣の90歳のMさんは鍬で土を掘り起こしている。畑にするらしい。この間から、私は美木良介さんの「「無敵の100歳」を続けている。昼から武道館へ行く。健康教室で足腰を鍛える。お蔭で体の調子はいい、「雲雀が鳴き出した
毎週、ビレッジでは大型スクリーンによる映画がある。夕べも上映されたのだが、映画に登場する人物のセリフがなまりの強い東北弁で、しかも早口だったので最後までついていけなかった。映画の題名を知らずに飛び込んだものだから、まるで外国語を聞いているような。気が付いたことだが、耳の遠い人でも同じ現象が日常生活でも起きているのではないか。結果、同じことを聞くのがいやで分からずじまいで終わらすことになりはしないか。昔、記者時代に電話取材で泣かされた記者がいたことを思いだした。標準語
人気のない夜の交差点。だれも見てないから渡ればいいのに、赤信号だからじっと待つ。ここまで「おりおりの言葉」出だし。落ちているごみを拾うか。拾ってみんなが見てたから絶賛を浴びたO選手。でも見られているような・・・そして、何事もなく時は過ぎて行く。本文は何事もなく人は死んでゆくとなる。下の記事をみると、「刮目相待」とあった。記事に頭の体操がよく目につく。見られているような
美木良介氏の「無敵の100歳」を購入した。本の宣伝には「長生きには長い息!」とある。ロングブレスで売って290万部とか。すごい売れ行きだ。呼吸法では、フルート、スポーツ吹矢でいろいろ実行積みの私。新聞の広告で見て、アマゾンで注文。翌日着。アマゾンは翌日に品物を持ってくる。その代わり定額月600円必要だ。でも、本屋の少ない田舎暮らしには、交通のことを考えても便利このうえない。本といってもCDがついているか字は追わなくてよい。エクササイズはすべてに息継ぎがある。せわしないが、なれればすぐできる。やってきるか。「長息で長生き」
コンビニで足が動かなくなったとブログに書いたら送った餅を食べるなと、餅の送り主の妹が言ってきた。餅が好物を知っている妹は時どき餅を送ってくれる。私はその都度餅を賞味する。フルートとスポーツ吹き矢で喉を鍛えているから、喉は大丈夫と妹に言っておいた。従って送ってもらった餅はおいしくいただいている。もっとも、吹き矢の飛ばす距離部屋の構造で5,6メートルと縮んではいるが...スポーツ吹き矢は毎朝のルーティンで毎朝のように矢を飛ばしている。フルートも吹いている。お蔭で風邪はひかない。花粉症とは縁がない。目はしょぼつかない。餅は安全に食っていける。餅は大丈夫だよ
平和だ!こんな平和で落ち着いたところにい続けると、ぼけるぜ。朝のラジオ体操がすむとあとは何をしてもいい。全くの天国。家は48平方メートルと都会のサ高住と比べて広々しているし、庭付きだ。畑にしても良いが、私も豆、サツマイモなど作ってみたけれど、あんな面倒な作業がついて回るとはな。私には農作業にはむりだ、ということがよく分かった。bokeruna
先日、ビレッジの敷地内にあるコンビニで、足への不安に襲われた。くるぞ、くるぞの予感の末に足が硬直していった。異変に気付いた店員が「どうかしましたか」と尋ねてくる。「すみません、椅子に座りたいのですが」しばらく休んでから会計をすまし、外へ出るとまた足が動かなってきた。押し車につかまり、へたりこんでいると、駐車場にいた青年が走ってきて、「どうかしましたか」「すぐ近くの家に帰ろうとしているんですが」というと「送りましょう」と言って押し車に私を座らせ、ぐいぐい運んでくれた。青年の名前を聞き、深く感謝の言葉を述べたのち、「助かった」と思った。すぐにラインで弟に一件の出来事を報告し、7月のは母の33回忌の金沢行きは、多分無理だろうと、キーを打った。かけつけくれた皆さんの行為に感謝すると同時に、体調の異変に愕然としてい...足が硬直
私が住む「ビレッジ」敷地には主に外部の人たち用向けの食堂やパン工場の売り場、それにコンビニなどもあって終日賑わっている。なかで私が毎日利用するのはパンの店で、よく買うのは塩味の「ちぎりぱん」で、早くに売り切れる。今日もないだろうな、と思っていたら、最後の一つが残っていた。私が来るのを待っていたように。今日もついている。実は昨日、19日はビレッジから車を出す恒例の買い物の日だった。いつもの野菜などを買わず、本屋で買ったのは日付のついたダイアリーだ。いつもは年末に最後の買い物でダイアリーを買う。ところがこの頃の手帳やダイアリーの類は年がら年中店先に並んでいる。日付けも4月でも10月でもスタートする。19日に買ったのは、ランダムに選びページを開いてびっくり。ずばり2月19日スタートのダイアリーであった。ついてい...今日もついてる
このところ、天気が良くてありがたい。気分もよい。昨日、一か月ぶりに武道館へ行ったら、トレーニングルームにIさんがいた。Iさんはルームの係を務めていた。Iさんは理学療法士の資格をもっていて、武道館では健康教室の講師をつとめている。私も週1の教室に参加している。言い遅れたが、Iさんは若くて気さくな奥さんだ。この日は3連休最後の日でトレーニングは込んでいた。Iさんとゆっくり話ができなかった。また、次だ。今日も天気武道館へ
89歳になった。えらいこっちゃです。90目の前。でも、尿管がんの疑いを持たされている。いま、体に不調は見られない。こんな病人いるかね。前に胃を患って胃がんを内視鏡で手術。無事がんを取り去った時のことだ。次に外科の医師団から胃の撤去を勧められた。胃手術は内視鏡で済んだではないのか。医師たちはいう。胃は将来4%の確率でがんが再発するであろうと。迷った挙句、胃の全摘を承認した。お蔭かどうかは知らんが、今でも胃にがんの再発なく、15年過ぎている。医術は将来を見据え、ある決断を患者に提示することがある。生きるも死ぬも
検査を受けた。病名は腎臓の「腎盂からつながる尿管のがん」の疑いである。腎臓から膀胱につながる右の尿管にどうやらがんの疑いがあるらしい。受けた検査は「逆行性腎盂造影」という。この検査は失敗に終わった。検査は2度しない。検査のあとで、娘夫婦と交えた検査結果の説明で、医師は「尿管にがんがあることは間違いがない」それで、手術は患者の体がもつか、もたないかだが、高齢だし多分手術ができても、術後立ち上がれない結果になるとなんにもならない」だから手術は無理という。抗がん剤による治療はない。放射線も他への影響があるし、しない方がよい。「残る手段はなんにもしない」放置する、しかないのだ。放置するとがんであれば、段々大きくなる。どうなるかは、運の問題らしい。追い詰められた。検査不調