平和記念碑は、敗戦と世相の混乱が少し落ち着いた昭和25~26年頃建立された。茂平の出兵者全員の名を刻んで、当時流行っていた言葉”平和”を祈願した。戦前、茂平の若者は徴兵検査後、大半は陸軍に所属し、第10師団(姫路)歩兵10聯隊(岡山)や歩兵110聯隊に所属した。歩兵10聯隊は中支の徐州~漢口や北満州の作戦、昭和19年からサイパン、昭和20年ルソン島で米軍と激戦した。歩兵110連隊は満州から中支で作戦従事。茂平に戦争遺跡はないが、苫無から高丸への道に大津野飛行場の航空機を隠した。神社参道前では「松脂」の採取をしていた。各家庭には家に一つ、防空壕が義務付けられた。大津野飛行場は周辺を米軍の機銃掃射され、その銃弾跡が阿浜(皿山)に残っている。・・・・・・(父の話)2002年航空機の燃料ゆうことで松根油を採った。...茂平八幡様の平和記念碑