「アゲにおとーふ」と言いながら、豆腐売りが茂平の家々をまわっていた。豆腐を買う家は、笊を持って道べりまで出て買う。お金か、または大豆と交換していた。すぐ近所に何故か「豆腐屋」と呼ばれる家があった。父に聞くと、昔は豆腐を作っていたので「豆腐屋」と呼んでいる、と話していた。農家にとって、豆腐汁とか、豆腐の入った料理はご馳走だった。「岡山県史第15巻民俗Ⅰ」岡山県昭和58年発行豆腐煮た大豆を碾臼で挽き、それを豆腐袋にいれて絞ると、豆乳とオカラに分かれる。豆乳を豆腐箱・豆腐袋に入れて汁で固めると豆腐ができる。苦汁も自家製で、塩を甕の上において、塩からたれ落ち苦汁を使った。豆腐は大豆を収穫して、晩秋から節季にかけてたびたび作った。秋祭り・八日待ち・正月・旧二月一日や三月節供、あるいは葬式などでは必ずといっていいほど...豆腐を食べる