両墓制岡山県や広島県では、(おそらく他県も)墓地の墓石は、よくみると江戸時代の享保以前のものはほとんどない。庶民の墓は江戸後期から建てるようになったのだろう。それ以前は風葬・鳥葬のように、奥山に棄てられたのだと思える。棄てるから埋めるに変ったのがお墓で、人は土葬された。笠岡市近辺では昭和60年頃まで土葬がつづいた。(伝染病以外)火葬が普及しなかった最大の理由は多大な労力が必要だったから。火葬場の登場と共に火葬になった。笠岡市から土葬が無くなったのは昭和62年に「井笠広域斎場」が完成してから。土葬が無くなってから家族(一族)墓に変っていった。今は墓石を建てない人もいたり、犬猫に墓石を建てたり、人さまざま。(香川県志々島)日本のところどころに「両墓制」というのが残っている。近くでは塩飽諸島の佐柳島や高見島や志...志々島の埋め墓