山形県・山形市
山形市日本の城下町2東北(二)1981年3月ぎょうせい発行より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx山形市の築城と城下町づくりは最上義光によって行われた。最上改易後の山形城主には鳥居、次いで保科と変わり、幕末まで十二氏が変わった。あわただしい交代劇は,藩風、藩学や、芸能文化も移入しなかった。義光は最上川の三難所を削岩させ船便をひらいた。山形を玄関として、幕府天領米・藩米は最上川を下って酒田から海路・江戸に送られ、西回り航路がひらけると最上産の紅花・青そなどが京都・大坂・奈良へとおくられるようになる。返り荷には、塩・砂糖をはじめ瀬戸物・太物・古手物・操綿・木綿などが送られてきた。最上川水運がととのったのは寛文(1596~1673)にかけてである。京都や奈良へ紅花・青その交易に先鞭をつけたは...山形県・山形市
2019/06/27 19:55