「五月雨を集めてはやし最上川」は有名な芭蕉の句です。この俳句に誘われて私は2度の最上川を見に行きました。最上川は水量が多く滔々と流れていました。水量が多い急流です。・・・はやし最上川・・・ということを実感しました。最上川の写真をお送り致します。「五月雨を集めてはやし最上川」
山梨県の甲府盆地には緑豊かなぶどうの里と日本一古いワイナリーがあります。葡萄酒を醸造している洒落たワイナリーが点在しています。子供が小さい頃に何度もブドウ狩りに行きました。フランス風の美しい建物のワイナリーの工場見学をし、出来立てのワインの試飲もしました。勝沼にはブドウ畑に覆われた「ぶどうの丘」もあります。頂上にホテルやレストランがあり楽しい所です。以前に撮って来た写真をお送りします。1番目の写真はブドウ畑の近影です。季節が早いのでまだ育っていない小粒のブドウの房です。2番目の写真はJR勝沼駅のそばにあるブドウ畑に覆われた「ぶどうの丘」の遠景です。3番目の写真は「ぶどうの丘」の頂上から見た甲府盆地の風景です。4番目の写真は「シャトー勝沼」というワイナリーの工場です。1階が大きな売店で、昨日は晩秋に仕込んだ...「山梨県の『ぶどうの丘』と日本のワインの歴史」
このブログでは北海道や鹿児島のような地方の文化をご紹介しています。今日は葡萄や桃で有名な山梨県ご紹介してしたいと思います。「甲州ワイン」は近代国産ワインの先駆けでした。さて第一回目にはミレーの『種まく人』で有名な山梨県立美術館をご紹介いたします。山梨県立美術館は1978年の開館以来「ミレーの美術館」として有名です。70点ものミレー作品を所蔵する美術館は世界でも他に無く、『種をまく人』をはじめ、『落ち穂拾い、夏』や『角笛を吹く牛飼い』などの名画を見ることができます。そしてミレーだけでなく、バルビゾン派の画家たちの作品や、山梨県ゆかりの作品も展示されています。総点数は現在約1万点もありコレクション展は年4回展示替えを行っています。それでは展示作品の写真を示します。1番目の写真はミレーの『種まく人』です。この絵...「ミレーの『種まく人』など名画がある山梨県」
日本にプロ野球が誕生したいきさつです。仙台では八木山の吊り橋とベーブルースが自慢だった頃のことです。昭和のはじめの頃の話です。1934年にアメリカ選抜チームが日本にやって来て、ベーブ・ルースらがホームランを打ったのです。そして日米試合がきっかけになり1934年の12月に現在のジャイアンツの前身の大日本東京野球倶楽部が発足したのです。それが日本のプロ野球の歴史の始まりです。今年が90年目になるのです。この1934年にはアメリカ選抜チームが日本の各地でも試合をし、野球というものを広く日本人に見せてくれたのです。私の生まれ故郷の仙台にも来て、八木山球場でベーブ・ルースが2本のホームランを打ったのです。私は1936年生まれなので見てはいません。しかし八木山球場の近くに住んでいたのでこの八木山球場は勝手に走り回れる...「日本にプロ野球が誕生したいきさつ」
「今日は年間第18日のミサをイグナチオ教会であずかりました」
今日は年間第18の主日です。ミサをインターネットを通うしてイグナチオ教会であずかりました。ミサの写真をお送り致します。https://www.ignatius.gr.jp/news/streaming.html「今日は年間第18日のミサをイグナチオ教会であずかりました」
善光寺は3つあります。飯田市と長野市と甲府市の善光寺です。私はこの3つを参拝しました。何故か幸福感につつめる良い雰囲気のお寺です。そんな訳なので善光寺を建てた善光さんのことを書きたいと思います。今から1400年ほど前、現在の飯田市郊外(信州麻績の里)に本多善光(よしみつ)さんという人が住んでいた。ある時、善光さんが都へ帰る国司について行った。ところが難波の堀の中から一光三尊の像を見つけて、それを拾い上げ、持ち帰った。自宅の臼の上に像を祀り、拝んでいたところ、台座の臼が光り輝いた。それで座光寺(善光寺)を作ったという(推古天皇10年)。それから41年ほどして皇極天皇元年に勅命によりご本尊を長野へ移し、現在の長野、善光寺が出来た。移転した善光寺のあとには以前のご本尊と同じ形の木像をつくり、座光寺を存続させた。...「長野県出身の善光さんと飯田市と長野市と甲府市の善光寺」
「長野県の上高地の絶景風景」何度も訪れた上高地です。上高地は神々しい別世界です。険しい山々をバスで根気よく登り、最後の長いトンネルを抜けると、いきなり眼前に穂高の連峰が広がり、大正池と梓川が夢幻のように美し盆地を作っているのです。撮った写真で上高地をご紹介しましょう。1番目の写真は上高地の梓川と河童橋から見た穂高岳です。この河童橋は上高地の中心付近にあります。2番目の写真は上高地の入り口にある大正池です。奥に見えるのは穂高岳です。この写真の左側には焼岳があります。学生の頃の1959年に行ったときは立ち枯れの木が林立していましたがその木々も朽ち果てて、ほんの数本が残っている状態になりました。風景も年を取って変わって行くのです。3番目の写真は田代橋から河童橋の中間にある中の瀬から見た穂高と明神岳です。明神岳は...「長野県の上高地の絶景風景」
ハインリッヒ・エドモンド・ナウマン博士は1875年、明治8年から10年間も日本人を指導した地質学者です。彼は全国の現地調査をして日本の地質地図を始めて作り、日本人へ地質学の重要性を教えてくれたのです。そして地質調査の結果、日本には昔、象が棲んでいたことを発見しました。そして糸魚川から静岡にいたるフォッサマグマを発見し、その東西では地質が異なることを指摘したのです。ナウマン博士が日本に象が棲んでいたことを発見したのです。このアジア象はナウマン象と呼ばれています。私は日本に象が棲んでいたことに衝撃を受けました。そこで今日は日本に棲んでいたナウマン象の話を致したいと思います。さて日本で縄文時代が始まったのは12000年前です。その以前は無土器の旧石器時代でした。その旧石器時代は約40000年前から12000年前...「長野県に棲んでいた象とナウマン博士」
長野県域では旧石器時代の遺跡がいくつか発掘調査されています。以下は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8Cからの抜粋です。・・・野尻湖遺跡群(立ヶ鼻遺跡)から人類が活躍していたことを示す槍状木器・骨器・剥片石器などの遺物が発見されている。この遺跡はナウマンゾウやオオツノシカなどの大型哺乳動物を解体したキルサイトと推定されている。時期は約2万5000年前から3万年前のものである。全国で発見されている斧形石器の約4分の1にあたる239点を出土し、刃の部分を砥石で研磨したものが多く、世界でももっとも古い磨製石器と言われている。そのほか、この時代の遺跡としては仲町(信濃町)・日向林B(信濃町)・石子原(飯田市)遺跡が発見されている。200...「旧石器時代の遺跡がある長野県」
数年前に信州への旅をしました。安曇野を中心にして碌山美術館、大王山葵園、大町山岳博物館、仁科3湖、白馬村などを丁寧にめぐりました。大町温泉の黒部ビューホテルに泊まりました。帰りに松本城に寄り、さらに八ヶ岳の清里の清泉寮の広い牧場の前で車を停め、富士山や甲斐駒岳の遠景をしばし眺めて帰ってきました。走行650Kmの家内と2人だけののんびりした旅でした。旅の間、この地方の歴史や30歳で夭折した彫刻家の碌山のことや明治時代のことをいろいろと考えました。今日は以前の旅で撮った風景写真をお送りします。1番目の写真は大町山岳博物館の前から撮った大町市と北アルプスの山並みです。数多くの登山家達が大町から穂高、槍、大天井、燕岳、そして白馬、唐松、五竜、立山へと登ったのです。そして何人もの若者が帰らぬ人になったのです。2番目...「安曇野、大町、仁科3湖、松本城をめぐる旅」
鹿児島県の出身の有名人は以下の通りです。◎西郷隆盛(陸軍大将、教育者)大西郷、南洲翁、西郷どんとして親しまれる鹿児島県出身のシンボル的な存在。薩摩国鹿児島城下加治屋町(現在の鹿児島県鹿児島市加治屋町)出身。◎大久保利通(初代内務卿)明治維新の三傑の1人。鹿児島市出身。◎海音寺潮五郎(小説家)鹿児島県伊佐郡大口村(現・伊佐市)生まれ。◎坂井宏行(料理人)人気テレビ番組『料理の鉄人』のフレンチの鉄人としても活躍。出水市出身。◎稲盛和夫(経営者)京セラ創業者・名誉会長、KDDI最高顧問、日本航空名誉会長。鹿児島市出身。◎フランキー堺(俳優・コメディアン)鹿児島市出身。◎榎木孝明(俳優)伊佐市(旧:菱刈町)出身。◎沢村一樹(俳優)鹿児島市出身。◎山田孝之(俳優)薩摩川内市出身。◎綾小路きみまろ(漫談家)志布志市(...「鹿児島県の出身の有名人」
「史上で最大の噴火は200年前のインドネシアのタンボラ山の大噴火」
今から200年前の1815年4月10日、インドネシアのタンボラ山が大噴火を起こした。それによって村ひとつが丸ごと消滅し、地球全体の気温は数度低下し、世界中で飢饉と疫病が蔓延した。これは歴史上最大規模の噴火として、今もその記録は塗り替えられていない。これは歴史上最大規模の噴火として、今もその記録は塗り替えられていない。イタリアの古代都市ポンペイを地図上から消し去ってしまったベスビオ山の噴火と比べると、実に20倍の規模である。詳しくは、https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/041500050/をご覧ください。写真はインドネシアのタンボラ山です。「史上で最大の噴火は200年前のインドネシアのタンボラ山の大噴火」
日本は火山列島です。日本にある火山の一覧表葉、日本にある火山の一覧表は、https://ja.wikipedia.org/.../%E7%81%AB%E5%B1%B1%E3%81%AE...に出ています。それによって少し情報を以下に示します。ランクAの火山(13山)8十勝岳北海道10樽前山北海道13有珠山北海道16北海道駒ヶ岳北海道43浅間山群馬県・長野県56伊豆大島東京都60三宅島東京都66伊豆鳥島東京都82阿蘇山熊本県83雲仙岳長崎県88桜島鹿児島県91硫黄島鹿児島県95諏訪之瀬島鹿児島県北海道だけ詳しく示します。知床岳知床硫黄山(B)知床半島にある高純度の融解硫黄を噴出させた活火山。羅臼岳(B)知床半島にある溶岩円頂丘を持つ活火山。天頂山知西別岳遠音別岳海別岳斜里岳武佐岳サマッケヌプリ山摩周湖(B)...「日本にある火山の一覧表と北海道のサマッケヌプリ山の写真」
巨大な火山の直下に鹿児島市という大きな街が在ります。人々が平和に暮らしています。そんな写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.kagoshima-kankou.com/houjin/photo?st=acs&page=3です。「巨大火山直下にある鹿児島市の写真」
約29,000年前、今の桜島の噴火の100万倍くらいの巨大噴火が起こりました。噴出したマグマの量は鹿児島県全土を60mの厚さで埋め尽くすほどでした。マグマが出た後の地面はへこんで、錦江湾奥部にあたる姶良カルデラになります。鹿児島の地には、軽石、火山灰、火山ガスが600℃以上の高温で混ざりあった火砕流がなだれ込み、たった1週間で山も谷も埋め尽くして、平らな地形となりました。その後、川にけずられて残った地形が現在の鹿児島のシラス台地です。約26,000年前には、姶良カルデラの南端で噴火が始まり、桜島(現在の北岳)ができました。現在の鹿児島のシラス台地も、眼前に広がる桜島や錦江湾も、大昔の巨大噴火とつながっているのです。桜島の写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.kagoshima-kan...「鹿児島の桜島の写真」
太平洋戦争において、日米の最大規模で最後の戦闘となったのが沖縄戦でした。1945年3月26日から始まり、6月23日に終わりました。沖縄の日本側犠牲者は約19万人でアメリカ側犠牲者は14000人で他に何万人もの負傷者がでました。沖縄戦に関する多数の本を読むといかに悲惨な戦争だったかがよく分かります。沖縄本島は勿論、石垣島や周辺の島々でも熾烈な戦いがあったのです。沖縄諸島には悲しみの声が埋まっているのです。白いサンゴ礁に砕ける美しい波は悲しみの歌を唄っているのです。最後の激戦地となった糸満市では遺族などが参列して、毎年、戦没者追悼式が開かれます。沖縄戦の数々の悲しい戦争のようすは、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6に詳しく掲載され...「ざわわざわわ、この悲しみは消えない、沖縄戦の悲しみ」
日本の最南端、与那国島の家の写真をお送り致します。与那国島の多くの人はエアコンつきの近代的な家に住んでいます。これらの写真は与那国島の伝統的な家の写真です。写真はインターネットからお借りしました。 「日本の最西端、与那国島の家の写真」
沖縄ぼ周辺には実に数多くの離島が散在しています。ある離島愛好家それらの沖縄の離島を訪問した旅日記の抜粋をご紹介致します。詳しくは、https://okinawa-labo.com/ishigakiisland-isolatedisland-12561をご覧下さい。===========================「石垣島からゆく離島めぐり!9島紹介&体験レポ」沖縄をとことん満喫したいなら、離島トリップが最適です。「これぞ沖縄!琉球!」という町並みや、(ありきたりな表現ですが)夢のような美しさの海・緑・星空が楽しめます。石垣島離島ターミナルからは毎日何便もの離島往復船がでていて、とっても手軽に離島めぐりが楽しめるんです。行けるのは八重山諸島の9島。石垣島は、美しい島々からなる「八重山諸島」の中心的な島。...「沖縄周辺に散在する離島への旅」
現在の日本の領土は北海道から沖縄までの長い列島にまたがっています。従ってその地方や地域の歴史は随分と異なっています。北海道の歴史は最近の数編の記事でご紹介しました。さてそれでは南の沖縄の歴史はどんなものだったのでしょうか?簡略に書けば本州、九州、四国にあった縄文時代、弥生時代、古墳時代は沖縄には存在していません。石器時代に続き貝塚時代が鎌倉時代の頃まで続きます。そして12世紀に農耕が普及し豪族たちが石垣で館を囲った「グスク時代」が始まります。3人の豪族が沖縄本島を3分割するようになると、その時代を三山時代といいます。その後1429年に尚巴志(しょうはし)が三山を統一し「琉球王国」が誕生することになるのです。この第一尚氏王国は第二尚氏王国へと発展し「琉球王国」は合計約450年続きます。この450年の琉球王国...「日本とは非常に違う琉球、沖縄の歴史」
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「五月雨を集めてはやし最上川」は有名な芭蕉の句です。この俳句に誘われて私は2度の最上川を見に行きました。最上川は水量が多く滔々と流れていました。水量が多い急流です。・・・はやし最上川・・・ということを実感しました。最上川の写真をお送り致します。「五月雨を集めてはやし最上川」
今日はインターネットを通うしてカトリック高円寺教会のミサにあずかりました。そのミサの風景をお送り致します。「カトリック高円寺教会の今日のミサの風景」
梅雨の時期は長雨が続いて、晴れた青空と太陽がなかなか見られません。憂鬱な季節になりました。そこで少しでも明るい気持ちになるように美しい詩を5つほどお送り致します。気持ちをさっぱりとさせ、心にしっとりと寄り添うような作品です。以下は、https://mahoblog.com/tsuyu/から引用致しました。茨木のり子「六月」どこかに美しい街はないか食べられる実をつけた街路樹がどこまでも続きすみれいろした夕暮は若者のやさしいさざめきで満ち満ちる中原中也「六月の雨」またひとしきり午前の雨が菖蒲のいろのみどりいろ眼うるめる面長き女たちあらはれて消えてゆく谷川俊太郎「生きる」生かす六月の百合の花が私を生かす死んだ魚が生かす雨に濡れた仔犬がその日の夕焼が私を生かす萩原朔太郎「こころ」こころをばなににたとへんこころはあ...「梅雨の季節の詩、5編」
今日は印象派の油彩画を見ております。印象派の画家は何人かいますがクロード・モネから始めたいと思います。何度見ても感動するクロード・モネの油絵から始めたいと思います。ClaudeMonet,は1840年11月14日に生まれ、1926年12月5日に亡くなりました。彼の絵を見ると私はしみじみと旧懐の情が湧いてきます。100年前のフランスの風景に強く魅了されるのです。昔の風景に魅了されるのです。そんな7枚の風景画をお送りいたします。出典は、https://ja.wikipedia.org/.../%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC...です。1番目の写真は『サン=ラザール駅』1877年です。(油彩、キャンバス、75×104)2番目の写真は『かささぎ(英語版)』1868-69年です。(油彩、キャ...「何度見ても感動するクロード・モネの油絵」
今日は印象派の油彩画を見ております。印象派の画家は何人かいますがクロード・モネから始めたいと思います。何度見ても感動するクロード・モネの油絵から始めたいと思います。ClaudeMonet,は1840年11月14日に生まれ、1926年12月5日に亡くなりました。彼の絵を見ると私はしみじみと旧懐の情が湧いてきます。100年前のフランスの風景に強く魅了されるのです。昔の風景に魅了されるのです。そんな7枚の風景画をお送りいたします。出典は、https://ja.wikipedia.org/.../%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC...です。1番目の写真は『サン=ラザール駅』1877年です。(油彩、キャンバス、75×104)2番目の写真は『かささぎ(英語版)』1868-69年です。(油彩、キャ...「何度見ても感動するクロード・モネの油絵」
岡鹿之助の『雪の発電所』は私の好きな絵なのでお送り致します。堅固な建造物が纏うはだら雪の柔らかさが静謐な雰囲気を醸し出しています。またパンジーの思索深い表情は画家の精神性の高さや穏やかな人柄を表しているように思えるのです。岡鹿之助は1898年(明治31年)に生まれ1978年(昭和53年)に没しました。昭和時代に活躍した洋画家で文化勲章受章者です。1956年には『雪の発電所』が現代美術日本展最優秀賞を受けます。また1957年には毎日美術賞も受けました。なお小松裕文さんの感想文を読むとこの絵が描かれた場所が分かります。https://www.danube4seasons.com/search/013/01.htmlそれにパンジーの絵を3枚つけます。「岡鹿之助の『雪の発電所』と『パンジーの花』の絵」
大原美術館は、倉敷で幅広く活躍した事業家大原孫三郎が画家児島虎次郎を記念して1930(昭和5)年に設立しました。日本で最初の西洋美術の私立美術館です。孫三郎は、友人の児島虎次郎の才能を高く評価し、三度にわたる渡欧を支援しました。そこで児島虎次郎はヨーロッパの美術作品を選び取るという作業をしました。彼は、エル・グレコ、ゴーギャン、モネ、マティス等、今も大原美術館の中核をなす作品を丁寧に選び、倉敷にもたらします。大原美術館は、その後も、倉敷の地にあって活発な活動を続け、西洋の近代から現代の美術作家たちの仕事等にコレクションを広げ民間総合美術館として大原美術館を作ったのです。私どもも大原美術館を訪れ、その絵画の数の多さと美しさに感動しました。はるばる倉敷まで行ったかいがありました。それでは写真で大原美術館をご紹...「日本で最初の西洋美術館の大原美術館」
エミール・ガレ(1846-1904)やドーム兄弟の独創的なガラス器の作品を700点も収蔵、展示してあるのが諏訪湖のほとりにある北澤美術館です。その展示品はフランスのアール・ヌーヴォー期のガラス工芸品です。芸術的な工芸品です。バルブ製造会社で財をなした北澤利男氏が設立し、1983年に開館したのです。隣にはやはり北澤利男氏が設立したサンリツ服部美術館があります。エミール・ガレやドーム兄弟はガラス工芸の新しい技法を次々と創作していったことが素晴らしいと思うのです。深い芸術性を感じるのです。今日は北澤美術館に展示してあるエミール・ガレやドーム兄弟の作品をご紹介いたします。1番目の写真は一夜茸というキノコを模した作品です。高さ83cmの大きなものです。北澤美術館で非常に大切にしていて、貸し出し厳禁の展示品です。北澤...「諏訪湖の湖畔の北澤美術館とエミール・ガレの作品」
この美術館は伊豆半島の山の中、美しい一碧湖の畔にあります。車で行くと道中が風光明媚で楽しいのです。さて池田20世紀美術館をご紹介したいと存じます。この美術館は本格的現代美術館です。1975年5月伊豆の一碧湖の岸辺にできました。この美術館の土地、建物と約1400点の所蔵作品の大半は、ニチレキ(株)の創立者池田英一氏が寄付したものです。建物は彫刻家井上武吉氏の設計で、展示館外壁は日本ではじめてのステンレススチール張りです。入口から出口まで連なる展示作品が大へん観賞しやすい美術館です。所蔵作品は20世紀に制作された絵画・彫刻で《人間》をテーマとするものを中心に約1400点収蔵しています。館内には、ルノワールをはじめ、ボナール、ピカソ、マティス、レジェ、シャガール、アンディ・ウォーホール、ミロ、ダリ、デ・クーニン...「伊豆半島の一碧湖の畔にある池田20世紀美術館」
鬱蒼とした樹々の写真を撮ってきました。近所の学芸大学の構内です。撮ってきた写真をお送り致します。「鬱蒼と生えている樹木の写真」
日本4大アヤメ園とは、広大な敷地に多数の品種が植えられ、特に大規模なあやめ園として知られる4つの場所を指します。具体的には、山形県長井あやめ公園、茨城県水郷潮来あやめ園、千葉県水郷佐原あやめパーク、そして新潟県新発田市五十公野公園あやめ園です。1,長井あやめ公園(山形県長井市):120種以上のあやめが植えられ、毎年6月には「長井あやめまつり」が開催されます。2,水郷潮来あやめ園(茨城県潮来市):150種類以上のあやめが咲き誇り、6月には「水郷潮来あやめまつり」が開催され、花菖蒲にちなんだイベントも行われます。3,水郷佐原あやめパーク(千葉県香取市):300品種以上のあやめが植えられ、見頃には一面の花菖蒲が広がります。4,五十公野公園あやめ園(新潟県新発田市):300品種、60万本のあやめが咲き競う...「日本の4大アヤメ園」
一面にアヤメが咲いている場所はもう一つ東村山市にもあります。北山公園のアヤメです。撮ってきた写真をお送り致します。撮影は2013年6月6日でした。「東村山市北山公園のアヤメの花々」
毎年、茨城県の潮来では『潮来あやめ祭り』を開催しています。それは色とりどりのアヤメが一面に咲く華やかな花まつりです。今年も潮来のあやめ祭りの季節になりました。この『潮来あやめ祭り』は以前から関東地方では有名でした。そして昭和30年に美空ひばりさんの「娘船頭さん」のロケが水郷潮来で行われたのがきっかけとなり、その名は全国的にも知られるようになったのです。美しい娘さんが船頭になった小さな船に観光客が乗り、水郷を巡りながらアヤメの花を楽しむのです。何かロマンチックで美しい風景です。私も長い間、潮来につながる霞ヶ浦でヨットをしていたので一度行って見たいと思っていました。そこでついに2008年の6月17日に行ったのです。それでは写真に従ってお話を進めて行きたいと思います。1番目の写真は妻をヨットに乗せ、霞ヶ浦の沖に...「今年も潮来のあやめ祭りの季節になりました」
庭の花の写真です。10年以上前に潮来から買って来たアヤメが今年も咲きました。他の花の写真も含めてお送り致します。「庭の花の写真」
今日の小金井公園の風景です。小金井公園は東西に2kmあります。今日行った場所は西の端の部分です。撮ってきた写真をお送り致します。「今日の小金井公園の風景」
毎年、お盆のころになると日本のあちこちで灯篭流しや精霊流しがあります。この世を去ってしまった家族や友人の魂を弔うのです。あの世で平安に暮らしていることを祈るのです。そして故人があの世から暗い水面をゆらゆら揺れて流れてていく灯を見て慰められるのです。それは日本の夏の美しい風物詩です。そんな光景を下の写真で示します。真は灯篭流しと精霊流しの画像検索によって転載させて頂きました。1番目の写真は長崎と佐賀県の一部で作られる精霊船を町中を引いて海辺に運んでいる様子です。2番目の写真は佐世保市の灯篭流しです。3番目の写真は曹洞宗本山、永平寺の灯篭流しです。4番目の写真は灯篭流しと精霊流しの画像検索によって転載させて頂きました。それはそれとして、毎年、実際に灯篭流しをしている人はそんなに多くありません。テレビや新聞で灯...「灯篭流し、精霊流しは夏の美しい風物詩」
我が故郷、仙台の広瀬川の灯篭流しは江戸時代から引き続き灯ろう流しは行われ、昭和に入ると花火大会も同時に開催されるなど、「夏の終わりを告げるの風物詩」として親しまれるようになりました。仙台市内有数の夏祭りです。その風景写真をお送り致します。「我が故郷、仙台の広瀬川の灯篭流し」
今年も7月になるとお盆が来て各地で精霊流しをします。お盆の期間は、8月13日~16日の4日間(8月盆)が一般的ですが、東京をはじめとする一部地域では、7月13日~16日の4日間(7月盆)で行われます。また、東京の多摩地区では7月31日〜8月2日に行う場合もあります。お盆には、お盆提灯やキュウリ・ナスで作った牛馬など、お盆独自のお飾りをして故人様をおもてなしする風習があります。ご自宅の玄関先・庭先やお墓などの場所で「迎え火」を焚き、ご先祖様の霊をお迎えします。迎え火と同様にお盆が終わると、玄関先・庭先やお墓などの場所で「送り火」を焚き、ご先祖様の霊をお見送りします。そしてお盆の風物詩は「精霊流し」です。有名なのは長崎の江迎千灯籠祭りです。毎年8月23日と24日に行われる祭りです。3000個以上の灯籠で飾られ...「今年もお盆が来て精霊流しをします」
家内の夏の思い出と言えばまず由比ヶ浜での海水浴、親類の若者が大勢泊りに来て砂浜にビーチパラソルを立てて、水浴びしたり海の家で食事やかき氷を食べたり小屋掛けの射的・ボットル落としや楽焼をした楽しい思い出をよく話しています。戦争末期に群馬県の下仁田町に疎開したのですがそこでも楽しい思い出が沢山あるようです。本来楽天的というか人懐こく物おじしない性格なので山あいの生活や小学校にすぐ慣れて、友達とカブラ川へ水浴びに行き、帰りに河原の桑の実を食べるのがとても楽しかったそうです。ママのお土産にしようとポケット一杯摘んで帰ったら白いワンピースのポケットが真っ赤に染まってしまったそうです。川の上流の浅瀬でバチャバチャしていたら流されて大渕という深みまで行って溺れていたら、大岩の上にいた3歳上の姉が飛び込んで救ってくれた。...「家内の夏の思い出」
1945年の7月10日にB29の空襲があり仙台はすっかり焼け野原になってしまいました。そしてB29の焼夷弾空襲によってし全国の200市町村が焼け野原になってしまったのです。まず東京大空襲の写真をお送りいたします。東京大空襲は1945年(昭和20年)3月10日のアメリカ空軍による夜間空襲でした。その7枚の写真をお送り致します。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2です。1番目の写真は東京を空襲しているB-29爆撃機です。多量の焼夷弾を落としています。2番目の写真は1945年1月27日の空襲で数寄屋橋上を逃げ惑う親子です。この日の爆撃の主目標は郊外にあった中島飛行機武蔵製作所でしたが、...「夏の思い出はB29の空襲と焼け野原の光景」
何故かこんな風景が美しく見えます。写真はインターネットからお借りしました。「托鉢僧の写真です」
平成29年3月10日、国の文化審議会が文部科学大臣の諮問に対し、深大寺の銅造釈迦如来倚像(飛鳥時代)を国宝に指定することを答申しました。深大寺釈迦如来倚像は博物館や美術館を除いて、関東の寺院所蔵の国宝仏では、鎌倉大仏に次ぐ二例目、制作年数は鎌倉大仏より約500年古く、東日本最古の国宝仏となります。深大寺開創の天保5年(733)より前に文化の中心であった畿内地域において、作られたと考えられます。白鳳時代(飛鳥後期645-710)同時期の傑作である奈良県新薬師寺薬師如来立像(香薬師)、奈良県法隆寺観音菩薩立像(夢違観音)と深大寺釈迦如来倚像は銅の成分が極めて近似するなど共通する部分が多く認められ、同一の工房又は同系統の工人によって作られたと考えられます。「深大寺の銅造、釈迦如来倚像(飛鳥時代)は国宝」
今日は少し有名な深大寺をご紹介します。国宝の飛鳥時代の銅造釈迦如来像(白鳳仏)もあります。深大寺は733年に創建され、浅草寺と並んで東京では最も古いお寺の一つです。天台宗別格本山の寺です。武蔵国の国分寺は760年代始め頃に完成していますので、それより20年も古いお寺です。以前に撮った門前の店と山門などの写真をお送りします。1番目の写真は山門の左にある店です。門前には名物の「深大寺ソバ」の蕎麦屋や土産物屋が沢山並んでいます。深大寺ソバは家内と何度も食べました。この土産物屋だけ特に示した理由は店の右に坂道があり、そこを登ると神代植物公園の東口があるからです。2番目の写真は深大寺の山門です。3番目の写真は本堂です。阿弥陀如来が本尊の本堂です。4番目の写真は本堂の左にある元三大師堂です。天台座主、元三慈恵大師の像...「東京で最古の寺、深大寺の写真」
私は1936年に仙台で生まれ24歳まで仙台に住んでいました。その間に何度も蔵王山に登りました。蔵王山は故郷の山なのです。その蔵王山に咲く花をインターネットで調べ幾つかみつけました。その写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1493です。1番目の写真はハクサンイチゲです。2番目の写真はシラネアオイです。3番目の写真はユキワリコザクラです。4番目の写真はミヤマオダマキです。「我が故郷、懐かしい蔵王山に咲く花の写真をお楽しみ下さい」
松島は故郷の仙台から仙石線の電車で1時間くらいです。仙台に住んでいた頃はよく行った曾遊の地です。そこで四季折々の美しい松島の写真をお送り致します。写真は、「松島の景色の写真」を検索して、出て来た多くの写真から美しいものを選びました。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。1番目の写真は松島湾を一望出来る大仰寺の庭からの眺めです。大仰寺は標高116メートルの山頂にあります。山を背に東、南、西の三方向が開けていて、島々が湾内に連なる様子が見えます。2番目の写真は松島湾の東側、宮戸島の大高森の山頂からの風景です。何度も登った山頂です。松島湾の向こうには遠く奥羽山脈の山々も望めます。3番目の写真は寒い冬が終わり桜が満開になっている松島の夕暮れ風景です。「西行戻しの松公園」という公園からの風景です。写真は、https://...「我が故郷、松島の四季折々の写真をお楽しみ下さい」
今日の散歩は小金井公園まででした.今日は曇りですが乾燥した軽やかな風が吹いていました。気分爽快に小金井公園まで行って来ました。「今日の散歩は小金井公園まで」
郷愁を誘う昔の町の面影をお送り致します。郷愁を誘う昔の町の写真が沢山掲載されているブログを見つけました。https://4travel.jp/travelogue/11815459です。そこから4枚の写真をお借りして示します。「郷愁を誘う昔の町の面影」
安曇野の奥、木崎湖や青木湖のさらに奥の白馬東急ホテルに泊ったことがありました。そのホテルはスイスの山岳ホテルのような三角屋根の木造でした。部屋は屋根裏部屋の感じのような内装で、小さな縦型の窓がついていました。バルコニーの椅子に座って眺めると、芝生に覆われた広い庭の向こうは森になっています。ヨーロッパの古いホテルの雰囲気でした。写真をお送り致します。1番目の写真は白馬東急ホテルの玄関です。写真はインターネットからお借りしました。2番目の写真は私どもが泊まった部屋と同じような部屋の写真です。写真はインターネットからお借りしました。ここのホテルを出て、暗い森の中を歩き、崖の道を下るとゴンドラの駅があり八方池まで登れたのです。そ八方池まで登る道からは、八方尾根の向うに広がる白馬鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳、小蓮華岳など...「安曇野の奥の白馬東急ホテルの寫眞」
大糸線の大町駅から白馬駅の間に車窓から3つの湖が見えます。その周囲には何も無い静かな湖沼群で標高が一番高い西端の青木湖から中綱湖、そして木崎湖と農具川でつながっていて、木崎湖から流れ出ているのも農具川といい、それは高瀬川に合流し、信濃川になります。この仁科三湖は透明度の高い水で、遥か遠方には残雪の白馬連山が横たわっています。そんな美しい水をたたえた風景写真をお楽しみ下さい。大糸線の車窓から撮った写真です。そして下の写真はこの仁科三湖と北アルプスの山々ととの位置関係を示しています。この写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E6%B9%96です。「安曇野の仁科三湖、木崎湖、中綱湖、青木湖の寫眞」
思い出ばかり書いているのは老人の悪い傾向です。と知りながら今日も書きます。安曇野の風景と大きな水車の思い出です。思い出すたびにすがすがしい気分になります。元気が出ます。そして老境を格調高く生きることが出来るのです。1番目の写真は残雪が輝く北アルプス連峰です。写真の出典は、https://www.kabegamikan.com/p/i.php?url=www.kabegamikan.com%2Fimg%2Fna14%2F169619.jpgです。2番目の写真は北アルプスの麓に広がる水田の風景です。写真はインターンットからお借りしました。続いて自分が2017年6月に撮った安曇野の清流と水車の写真をお送りいたします。3番目の写真は訪れた安曇野の山葵園の脇にある美しい流れの光景です。川底の藻がゆらゆら揺れていて、...「安曇野の風景と大きな水車の思い出」
武蔵野公園までの道すがら撮った写真です。順に真蔵院、小金井市立美術館、昔風の農家の写真です。「今日の散歩道の風景」
初夏の陽に輝く草原の風景です。今日は初夏の碧い空が広がっています。先程、その写真を撮って来ました。「初夏の陽に輝く草原の風景」
牡丹は花びらを何枚も重ね大輪の花を咲かせます。牡丹の花言葉は「王者の風格」「富貴」「恥じらい」です。原産国の中国では、観賞用の花として牡丹が大人気です。唐代の詩人・白居易は牡丹の人気を「街中の人が狂ったようだ」と記しています。その大きく鮮やかな花姿から、牡丹は「花王」「花神」とも呼ばれ、中国でもっとも格式の高い花とされました。その牡丹の花の写真をお送り致します。写真の出典は、https://news.biglobe.ne.jp/trend/0222/mwk_230222_4045486843.htmlです。「中国人が大好きな牡丹の花」
皆様ご存知のように中国は共産党独裁の国です。ですから民主主義の日本の仮想敵国でしょうか?しかし私はその中国の数人の人と親しく付き合っていました。今日は中国の周恩来、鄧小平、胡耀邦、温家宝などの思い出を書いてみたいと思います。私は1981年に北京と瀋陽に行きました。私を紫禁城(故宮)、頤和園、明の13陵、万里の長城、天壇、北京原人の周口店、瀋陽の清朝の発祥の宮殿、そして文化大革命で荒らされたキリスト教の教会(天主堂)などなどに行きました。西安の大雁塔や玄奘法師の墓のある慈恩寺も行ました。1番目の写真は紫禁城、故宮です。この故宮は多くの日本人も観覧していますので説明は省略します。そして頤和園のいかにも離宮らしいロマンチックな雰囲気に圧倒されました。湖も山上の楼閣も素晴らしいのですが、特に美しい左右の風景を見な...「周恩来、鄧小平、胡耀邦、温家宝などの思い出」
昔の武蔵野にあった農家はそれぞれ屋敷森に囲まれていました。そんな屋敷森に囲れている家が現在の小金井市に数軒あります。今日は北はずれにある屋敷森の写真を撮ってきました。家は森に隠れて写真には写っていません。「昔の武蔵野の屋敷森の写真を撮って来た」
ある時代に繫栄していたが現在はすっかり忘れられている町が沢山あります。時代の変化についていけず寂れてしまうのです。私はそんな町を訪れて繁栄していた頃の様子を偲ぶのが好きです。現在住んでいる人の静かな息づかいが感じられ、しみじみと旅愁を憶えます。そんな町の一例に北海道の松前藩の松前町があります。北海道の南端にあります。以前に独りで旅をした曾遊の地です。今日はこの松前藩の歴史と独り旅の思い出を書いてみたいと思います。松前藩は徳川幕府に正式に認められた北海道唯一の藩でした。慶長九年(1604年)に徳川家康から安堵状が与えられ、蝦夷地の領地権、蝦夷地の交易の独占権を得ます。こうして日本最北の藩、松前藩が成立しました。(town.matsumae.hokkaido.jp)しかし領内に米の生産がないので、幕府の『武鑑...「北海道の魅力(2)松前藩の盛衰と現在の寂しい町の風景」
北海道は魅力溢れる旅先です。特に夏の北海道は暑くなく旅行が快適です。私も何度も旅を楽しみました。北海道には美しい湖や原野が広がっています。今日は美しい洞爺湖と隣接する新しい昭和新山をご紹介します。そして洞爺湖を見下ろすザ・ウインザー・ホテル洞爺をご紹介します。この地は千歳空港から近いので何度も訪れました。さて洞爺湖ですが、この湖は北海道の虻田郡の洞爺湖町にあります。周辺は支笏洞爺国立公園に指定されています。また、「日本百景」や「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選ばれている美しい湖です。1番目の写真は洞爺湖の全景です。湖の中心に島のある大きなカルデラ湖です。2番目の写真は湖の中心の中島の近景です。島にはエゾシカが棲んでいます。洞爺湖には在来種のアメマス、ウグイ、ヨシノボリ、ハナカジカ等が棲んでいま...「北海道の魅力(1)洞爺湖、昭和新山、ザ・ウインザー・ホテル」
近所の道沿いに咲いているムクゲの花です。道沿いに沢山咲いています。素晴らしい7眺めです。「近所の道沿いに咲いているムクゲの花」
狭い庭にも花々が今年も綺麗に咲きました。家内が世話をしている花々です。「庭に綺麗に咲いた花々」
カトリック松原教会の今日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/watch?v=NQfCUMTgGW8にあります。「カトリック松原教会の今日のミサの動画配信」