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昼のガスパール・オカブ日記 https://blog.goo.ne.jp/sarastro1957

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

オカブ
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2014/10/15

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  • 寒雀

    季節に春の香りがしてくるとどこか旅に出たいが、かーたんが病身なのでそうもいかぬ。ごくごく自宅の近辺の花鳥風月を愛でるのみである。こういうのを、プチ引きこもりとでも言うのであろうか?都内から出たのは、月初にコンサートに川崎まで行ったのが唯一である。ドイツの哲学者、イマヌエル・カントは生地を出なかった。一生の間、生地のケーニヒスベルグで暮らし、そこから一歩も出なかった。しかし彼はそこで宇宙を観、宇宙を考察し、宇宙を語った。偉大である。オカブはカントと比較のしようもないどーしようもない爺である。カントを引き合いに出すのもおこがましい。しかし今の引きこもり状態はなにか似ている。寒すずめひもじうてなら手こそこよ素閑寒すずめ弓の月こそ愛でにけれ素閑寒すずめ筆を持つ手を止めにけり素閑黄泉の世は昏き限りや寒すずめ素閑寒雀けふよ...寒雀

  • 冬菫

    大学の時、山岳サークルに入っていた。年に何回か合宿があった。冬山には何回か行った。しかし春山には一回も行ったことがない。春山と言っても、入試時期に入って学校が休みになる2月の半ばだ。なぜ行かなかったというと、冬山で酷い凍傷になって、冬から春は脚を引きづって歩いているのが常だったからだ。なぜ、凍傷になりやすいのかは分からない。他のパーティーのメンバーは凍傷など全くならない。靴が悪いのかと、ヒマラヤで履くような特別製の靴を買ったが駄目だった。3度と言う足指の切断を要する凍傷の治療には、開腹手術をして交感神経を切除することが行われるという。これには思い当たる節がある。自分は交感神経が実に興奮しやすい体質なのではと思っている。だから、すぐに腹を立てたり、眠りに入るのに時間がかかったりなどの症状があらわれてくるのではない...冬菫

  • 湯豆腐

    馴染みになっていた洋食屋が閉店する。主人のご両親の相続の問題と店の権利も含めていろいろ複雑な問題があったようだが、詳しいことは分からない。ただ、この近辺で昼食、夕食ともに手頃な値段で質の高い料理が食べられる店として、かーたんともども愛してきたの店なので寂しいとともに、残念だ。また食うだけではなく、ご主人夫妻や店のスタッフとも懇意にさせていただいていたので、寂しさは募るばかりだ。オカブの住む東京の郊外(23区内だが)では個人経営の飲食店の経営が非常に難しくなっている。それでも新規に開店する店は多いので、競争は激しくなるばかりだ。そうした中で、客としてこの店は大切にしたいという所に出会えたのは幸いだった。もう十数年以上の付き合いになる。今後の店の諸士の壮健を祈るばかりだ。おの子らは湯豆腐さてもきらひけり素閑湯豆腐や...湯豆腐

  • あかぎれ

    蕎麦を食ってきた。代沢の『七つ海堂』である。今風の女将さんがホール(といってもごく小さいが)を切り盛りしている。大将はキッチンであろう。酒を飲み蕎麦を食った。蕎麦は色が白くきめの細かい更科風。汁はやや酸味が勝ったピリッとした感じ。美味かった。蒸篭を二枚食った。家から近いので気になっていた店だが、縁が合わずなかなか行けなかった。この蕎麦と料理と酒でこの値段はお値打ちもの。また来よう。あかぎれをさらし風吹くうまのりか素閑あかぎれや破墨山水瀬田の景素閑あかぎれや屋敷の林や野の小川素閑あけの空地にわき出でてあかぎれや素閑とに出るもためらうたるにあかぎれや素閑素読せる五書五経なれあかぎれや素閑朝臣らもあかぎれ作る須磨の海素閑あかぎれの手を振り告ぐるエールかな素閑あかぎれや大理の柱美の館素閑夜は明けぬあかぎれの手の添え乳か...あかぎれ

  • 無相忌

    芹澤佳通氏のコンサートにかーたんと行ってきた。ランチ・コンサートである。原宿の『ジャルダン・ド・ルセーヌ』という大変、結構なレストランで食事をいただいた。今日の演目は『椿姫』のハイライト。ソプラノのヴィオレッタとのデュオ。アルフレード役の芹ちゃん(敢えて芹ちゃんと呼ばせていただく)は堂々の熱演。名テノール振りを存分に聞かせていただいた。無相忌や路の玉砂利重きかな素閑無相忌に葉無き小枝の夕鴉素閑法を説き無相の忌にてまた老ゆか素閑無相忌や大師も名利にほかならず素閑枯れた葉も無相の忌にはおほからず素閑煎餅をもとめ無相忌覚えたり素閑中大路乱れ降る雪無相の忌素閑無相の忌板東太郎たゆたふや素閑京表鄙よりいずる無相の忌素閑落款を無相の忌の間にととのへり素閑無相の忌狗のつくべに問ひかけむ素閑俳句・短歌ランキング無相忌

  • 菜洗う

    フェルメール展をやっているという。安倍首相が鑑賞に行ったという。どちらも興味がない。そもそもフェルメールはフランドルの画家だが、いわゆるフランドル派と言うには洗練しすぎている。オスターデ、ヤン・ステーン、ホッベマらの粗削りな、しかし古典を踏まえながら近代に向けての夥しいエネルギーを秘めた画家らとは違う。フランドル派は『昼のガスパール』の原題となったアロイジウス・ベルトランの『夜のガスパール』詩集の第一巻である。この埋もれた天才詩人は、『フランドル』の中に無限の神秘性と俗世の享楽、矛盾を見出した。週末のひと時『夜のガスパール・レンブラント・カロー風の幻想詩』を読んでみようと思う。菜洗ひや小川の台もひとしきり素閑ざりがにも菜洗ふみづに魂消けり素閑一人二人みたりとなりて菜をあらふ素閑儒者となり菜あらふこころ川のヘリ素...菜洗う

  • 冬ざれ

    享保の改革と言うのがあった。老中水野忠邦が主導したものである。寛政の改革と言うのがあった。白川藩主松平定信が主導したものである。どちらも失敗に終わった。いずれも、経済改革と言うよりも、奢多を慎み幕政に寄与すべしとの、非常にイデオロギッシュな活動であったため、経済を活性化し、幕府の財政を豊かにするための細目の検討がまったくできていなかったためである。水清ければ魚棲まずというやつである。というよりも改革の重点政策が全くずれていて、ただの清貧運動になっていたかのような様相を呈していた。何事も、一度価値観を離れ、目的合理性を追求しないと成功しない典型であろう。だから、掛け声の勝った、なんとか運動やなんちゃら活動は信用ならない。冬ざれや脚にまとはる古ズボン素閑冬ざれの念仏僧の初七日か素閑果ての無き冬ざれし野の入日かな素閑...冬ざれ

  • 寒月

    今はエアコンが発達して、寒暖を屋内で身に染みて感じることが少ないから、寒さも家にいる限りはそんなに深刻なものではない。そして、それを防ぐものとして、昔は炬燵、行火、火鉢、湯たんぽなど多くのものがあったが、現代ではエアコン以外には電気毛布くらいであろう。便利になったと言えば便利になったが、旧態依然の暖房器具がなくなったのはちと寂しい。人間は生理的に暑さにはストレスを感じないが、寒さにはストレスを感じるという。オカブにしてみれば糞暑いほうがよほど鬱陶しいが、人類が原始生活をしている頃、生存の脅威の一つが凍死だったことを想像すると、人間の細胞のDNAに寒さへのストレスが刻まれているのであろう。しかし、今年は寒い。去年ほどではないにしても・・・思わずブルルである。寒月も昇りて孫を寝かしつけ素閑橋畔に茶屋の一軒寒の月素閑...寒月

  • 冬の風

    狂乱物価と言われた時代があった。石油ショックと言われた時代があった。ともに物価が高騰することを嘆いたことによって名付けられた。しかし、今は物価が上がらないと言って、野党が政府を攻撃する時代である。隔世の感がある。しかし、感覚的には、確実に物価は上がっている。外食費も高くなった。人件費の高騰の結果であろう。これが、あらゆる分野に波及する。宅配業界だけではない。悪性インフレはある日突然やってくる。オカブなど、もういつ死んでもあとくされの無い年齢だが、若い人は覚えておいてほしい。これは決して既得権者の戯言ではない。実際に、2年前と今とではどちらが金銭的に暮らし良かったか比べてみるとよい。アベノミクスは評価するが、負の側面があるのもゆめゆめ忘れてはならない。寒風やわけても背筋吹き通り素閑冬の風心やどりし服の中素閑寒風を...冬の風

  • 寒烏賊

    去年の今頃はパリに行っていた。自分でも何をしに行ったのかわからない。別に観光をしに行ったわけでもない。まぁ、パリにいれば日本人としてはそれだけで観光になるのだろうが?2人の人と会っただけである。街歩きと言っても、寒くて寒くてとてもそれどころではない。カフェのサルで暖かい飲み物を飲んで縮こまっていた。あとは何の変哲もない安飯屋で安飯を食っただけである。財布の中身を見ると、それだけで二週間の滞在には心もとないので、後の方は安飯屋にもいかずスーパーでパンやハムやビールやワインを買ってホテルで食った。ホテルは2つ星の隙間風がヒューヒュー吹き込んでくる暖房の利かないホテルだった。観光地はルーヴル美術館だけ行った。ここも行き飽きた。というかここは何十回通っても新しい発見があるので、これでいいという所がない。そこでかえって飽...寒烏賊

  • 悴む

    寒さが募っているが、つい昨日、正月だと思っていたら、もうすぐ二月だ。冬来たりなば春遠からじ、とはよく言ったものだ。尤も、冬・春の間だけではなく、歳をとると時間があっという間に過ぎるのは春夏秋冬を問わずでだ。しかし、春になればあれもしたい、これもしたいという思いはある。春を喜ぶ気持ちはこの歳でもある。昨日、大寒が過ぎたばかりなのに、もう春の望みを語っている。気が早いというかなんというか?結局、だらだらと時を過ごすのに変わりはないというのに・・・荒れ寺のいらくさ分けて悴める素閑薬缶の湯はやさめざめと悴める素閑悴みてたださきざきの不安めく素閑ここのみか日の当たる場も悴みて素閑悴める子に砂糖湯を振舞いて素閑田の畔の残り泥水悴める素閑老残の掌の皺悴めり素閑がま口の百円探し悴めり素閑風もなく天突く青空悴めり素閑京の子もつひ...悴む

  • 炭焼き

    歯が痛い。葉が痛いというより歯茎が痛い。歯周病などと言った甘いものではない。歯を削った後の歯根治療が不完全だったので、化膿しているようだ。しかし「ようだ」はないだろう。もう10年以上放置している。歯医者は大っ嫌いだ。死ぬようなことがなければ、絶対行かない。日本で行う歯根治療は極めてお粗末なものだと聞いた。病菌の遮断ができていないので、ほぼ全ての例で失敗するそうだ。アメリカの歯科医の治療では、完全に病菌が患部に触れないように施術をして、歯根治療するそうだ。だから米国では歯根治療の失敗例はないという。まぁ、歯の一本で数十万円が飛んでいく米国の医療制度と比べて、どちらがいいか分からない。ただ歯茎がづきづき痛むのだけは確かだ。炭焼きやはや日は西にかたぶけり素閑炭焼きや一人釜にて辛き顔素閑炭焼きの子は煤の顔ふと見上げ素閑...炭焼き

  • 大寒

    腹が立つことが多い。対象は家の中の些細なことから、世相・社会、国際情勢等ありとあらゆることに腹を立てる。自分でも余程アドレナリンが出やすいものだと思う。腹の立て方もいろいろだ。無暗矢鱈と当たり散らしたり、相手のいる場合、時には腹を立てているとはいえ、論理的に諄々と意見したり腹の立て方も定まらない。しかし周りは多少、迷惑である。特に家族は被害を被っている。申し訳の無い事だ。行きつけの蕎麦屋が家の近くにある。なんの変哲もない街の蕎麦屋だ。その店の壁に色紙が飾ってある。それに「腹」という字が横に寝せて書いてある。一種の人生訓だ。この蕎麦屋に行くにつけて反省してくる。しかし腹の立つときには腹が立つ。自分でも気持ちの良いものではない。つくずく損な性分だと思う。大寒や出がけに選ぶ靴の色素閑大寒や日向に座る猫二匹素閑大寒や無...大寒

  • 牡蠣

    今年は消費税が上がるのだろうか?政府は上げると言っている。リーマン級の恐慌がない限り。年末年始の東証の株価の下げには正直期待した。消費税が上がらないのなら恐慌もまた有難いと思った。そもそも日本の財政赤字のカラクリは財務省が意図的に捻じ曲げて作った物ともいわれている。税金を払いたくないわけではないが、意味不明なものに対してはご免こうむりたい。苛政は虎よりも猛なり、とはよく言ったものだ。将来の保障はない、税金だけは取られるでは、本当にお上を恨むしかない。牡蠣の口たわけたけふの雪の空素閑浦浪や牡蠣に託するこひのふみ素閑冷たさや曝しの牡蠣剥き北の浜素閑思わずも牡蠣売る酒肆のコップ酒素閑近郷の牡蠣あきなへる老婆かな素閑老樵に牡蠣食わせむと初の旅素閑牡蠣剥ひて箒で殻を掬わむと素閑旅の宿牡蠣を供する六畳間素閑菰に積む牡蠣のや...牡蠣

  • 雪晴れ

    構造主義と言うのが流行ったことがあった。ポスト・モダンと言う言葉も流行った。みな、浅田彰センセのなせる業なのだが、今はきれいさっぱり忘れ去られている。浅田彰センセもすっかり過去の文化闘士の鋭さを失って関西のどこかの大学の学長におさまっている。しかし、その影響はことのほか大きいもので、現代のサブ・カル・ブームなどはポスト・モダンの流行がなかったらあり得なかったであろう。そして今どきの文化人、アズマンや哲ちゃんも皆、浅田センセの影響を受けている。きわめて純粋な学術的論考だったのがブームを呼び、思わぬ方向で現代に影響を与えている。その一方で、ド・ソシュール、ロラン・バルト、ミシェル・フーコー、ドゥールーズ・ガタリ、レヴィ・ストロース、ジャック・ラカンなどはきれいさっぱり忘れ去られた。恐るべし、メディアの力。恐るべし、...雪晴れ

  • 桜鍋

    いつもいつも申し上げているのだが、近年、きわめて体調が悪い。だるいような疲れたような・・・きわめて不快な状態が続いている。そういった中で食欲だけは一向に衰えない。もともと食に関してはもっぱら無頓着である。何を食っても美味いと感じる。だからよく食う。従って、ぶくぶくぶくぶく肥る。美味いものは美味いと感じるが、不味いと思うものはあまりない。金のある時は美食もするが、極端な話、冷や飯に醤油をかけただけでも立派な食事として美味しく頂ける。まぁ、よくぞ生存には合理的と言うかうまくできている。しかし、これで生活習慣病などになったら、全く逆の結果になるという落ちだが。それにつけても、これからは腹八分目を心掛けることとしよう。下の写真は去年の暮れに食べた馬刺しで、今日の季題は「桜鍋」(馬肉の鍋)だが同じ馬つながりということでお...桜鍋

  • 冬の川

    エッセイともコラムともつかぬ駄文と、駄句を並べて書いている。しかし散文と韻文を同時に書くというのは頭の切り替えが難しい。ちょっと、この二つは異なる思考回路を必要とする。ただ、共通するのはオカブの書くエッセイと俳句はどちらも取るに足らぬ詰まらんものと言うだけである。せめて俳句は歴代の名匠の足下くらいには及びたいものだが、これもままならぬ。フランスの貧乏詩人のように、ただ悶々とシラブルを数えているのみである。冬の闇もちづきうつす芥川素閑冬川やあしたに雀飛びわたる素閑冬川やよどめる工場街なりき素閑労働旗冬川わたる人の群れ素閑冬川や八百八橋水たいら素閑冬川やもやえる舟の底浅し素閑柴焼ける堤の広き冬の川素閑山路来て水のほそまる冬の川素閑冬川や遊ぶ子もなくただよどみ素閑けふは冬かわのみづものしづけさや素閑俳句・短歌ランキン...冬の川

  • 世田谷ぼろ市

    鉛筆やその他筆記具メーカーには受難の時代であろう。紙に出す文書がすべてデジタル化されたデバイスで作成され、出力はプリンタからされる。筆記具の需要は純粋には学校生徒と、サインをする際に必要なくらいではないか?ところがお役所に提出する文書はみな手書きである。時代錯誤も甚だしい。税務関係はe-taxというのをお役所が推し進めているが、認証に必要な電子印章が十数万円もコストがかかるので全く現実的ではない。すべて格安で電子化してほしい。しかし、こうした時代にも、根強い手書き派というのはいるもので、高級万年筆などは筆記具だが、結構売れているらしい。昔はなんでも活字で打ち出されたものを有難がって、社長さんなどが手書きで書いた文書をわざわざ秘書にワープロで打ち直させて、紙に出力していた時代があったが。今は高級万年筆で書いた手書...世田谷ぼろ市

  • 蒲団

    『ボヘミアン・ラプソディー』という映画が流行っているらしい。クイーンというロックバンドをモデルにした映画だそうな。泣けるらしい。尤もオカブは映画を見て泣いたことはないが・・・この映画も結局見ることはないだろう。そもそもクイーンと言うバンドはもちろん名前は聞いたことがあるが、音楽は一つも聴いたことがないし楽曲も知らない。オカブたちが麻疹のようにロックに染まった、一世代後のスターだからだ。オカブたちの時代はニューロックが去り、ロックン・ロールやクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルなどのノスタルジー系や、グランドファンク・レイルロード、ディープ・パープルなどの本格的ハードロックが世の中を席巻した時代だ。オカブもバンドを作りドラムを叩いた。それは本当に麻疹のようなものだった。遠い昔の話である。本当に遠い・・・寒布...蒲団

  • 雑炊

    かねてよりSNSで交流のあった人が出演するコンサートに誘われて行ってくる。面識はない。しかし、面識はなくとも、こうした人脈のネットワークが広がっていくのがネットのいいところである。チャイコとショスタコービッチのロシア・オンリーのシンフォニーである。もとより、オカブはあまりシンフォニーを聴かないのだが、これを機会に親しんで来ようと思う。しかしシンフォニーの入門がチャイコとショスタコービッチとは凄いカリキュラムである。かなり重そうだ。まぁ、これも良いブレークスルーだろう。演じるほうはアマオケだがなかなかレベルが高いらしい。楽しみである。雑炊に光鋭き夜半の月素閑雑炊の湯気すさまじく風すさぶ素閑冷や飯にたまご二つの雑炊や素閑雑炊やこころにもなき気慰み素閑雑炊や金の足りぬは家のつね素閑言葉なく二人掻き込む雑炊や素閑老ゆる...雑炊

  • 冬の雨

    シャネルは香水も服も作っている。創業者、ココ・シャネルが住んだパリの『ホテル・リッツ』は超高級ホテルの老舗として4年前に改装を終えヴァンドーム広場の近くに聳えている。フランスは一つの資本が複数のブランドを持つケースが多い。目立つのは強い資本が企業買収を重ねてきたからだ。ルイ・ヴィトン、ヘネシー、モエ・エ・シャンドン、ドン・ペリニヨンなどは同一の資本下にあるし製造・販売会社も一つだ。ルイ・ヴィトンだけでも大変なブランドだが、これはシャンゼリゼ通りにモノグラムのバッグを模したビルディングが建ち、本店が入っている。それに対して、海外勢のフランス進出はサムソンがマーケティング的に非常にうまい。シャルル・ドゴール・ロワッシーからパリ市内に向かう高速の右手にサムソンの社屋のビルが建っているが、建物はうらぶれた見すぼらしいも...冬の雨

  • 寒鴉

    禅には曹洞宗と臨済宗と大きく分けて二つの宗派があるのはご存知だろう。道元が日本の法主の曹洞宗は別として臨済禅はそこから細かく枝分かれする。鎌倉禅には建長寺派と円覚寺派に分かれる。それぞれ蘭渓道隆と無学祖元の法統を継いでいるからだ。そして南北朝を経て京都に禅の中心が移ると、南浦紹明、宗峰妙超(大徳寺開山・大徳寺派)、関山慧玄(妙心寺開山)と続く法統と、足利尊氏の寵愛を受けた無双疎石の天龍寺派が相対する。しかし、江戸時代に降って白隠慧鶴らの輩出もあり、現代の臨済禅の系統は何派というのとは別に、応(大応国師・南浦紹明)、燈(大燈国師・宗峰妙超)、関(関山慧玄)の法統に続く者が司っている。特にこの妙心寺派の系統をひく臨済禅は禅風峻烈、寒中の氷のような修行姿勢であるという。オカブは禅とはなんの縁もないのだが、一つの自力の...寒鴉

  • 鰭酒

    こう毎日、俳句を詠んでいると、俳句とは何か?と真剣に考えてしまう。しかし結論は、何のことはない、曰く俳句とは大したものではないということである。いい歳をした大人が茶柱が立った立たないで喜んでいるに等しい。五・七・五の中に遠大な思想や微細な美意識を収めることは不可能である。であるから日常の細々したものの中の面白みをただ詠んでいるだけである。俳句の面白みは二つ。日常の中にこんなことがあったか、という新たな発見。もう一つは、そういえばそんなこともあるなあ、という共感。およそ伝統俳句の世界はこんなものである。前衛俳句に関しては分からないが、「日常」が「言葉」の組み合わせに替わって、そこで新たな発見と共感を見出すことで、伝統俳句と本質的に違わないのではないか?まことに「卑近」な「芸術」である。しかし、その日常の「卑近」さ...鰭酒

  • 冴ゆ

    薬屋と古着屋に満ち溢れた町に住んでいる。薬屋は、それができる前は医療費はもっと安かったのではないか?昔は普通の診療だったら薬代含めて1,000円以内で収まった。それが今では初診なら、5,000円は握って出かけないと不安である。どうも政府の行政のやることはおかしい。一方、古着屋だが、これがちっとも安くない。バリ島で民芸品を買うようなレベルである。新品でユニクロの製品を買うほうがよほど安い。いや、ユニクロならずとも、一般の通販で新品を買ったほうがよほど安い。こうした町は廃れていくだろう。我が町なので残念だが、商行為に合理性のない商店街なのだから仕方がない。一念奮起する大志を持った町の起業家は現れないものか?尤も、誰かを?を待っているだけの老害も邪魔なだけであるが・・・疎林抜け冴ゆるいただき日のわずか素閑面白き寄席も...冴ゆ

  • 実南天

    年末年始は『こうもり』尽くしだった。3本は観た。しかし、どれもオットー・シェンク演出のもの。どうも『こうもり』はオットー・シェンク演出でないと面白くない。『こうもり』のプロットには諸説があって、一定しないが、シェンクの物語が最も納得するし劇としての完成度も高い。これに挑戦する冒険的な演出もあるが全敗である。劇の進行の一場面一場面が定番になっていて、これ以外の『こうもり』を観ても違和感があるばかりだ。まぁ「12月32日」のカレンダーがないと年が明けた気がしないというものだ。これほどオットー・シェンクは親しまれている。さて、大晦日にウィーンの国立歌劇場で『こうもり』を観られるのはいつになることやら・・・実南天千畳敷の庭先や素閑南天の夜星に替へるあけのゐろ素閑南天や行くさきざきでうたげなり素閑古垣に臥竜老松実南天素閑...実南天

  • 七種

    亀の甲より年の功というが年の功など何もない。あるとすれば毎年少しばかり積み重ねてきた知識で、世の中を多面的に見られるようになったことぐらいか?これも年の功と言うか自分の成果というよりも、世の中がそれだけ進んできたことの結果のほうが大きい。しかも多面的に見るというのは、自分の中に複数の多様な価値観や認識が混在していることになるので、なにか物事を決めるとき、懐疑的で優柔不断になりがちだ。何もいいことはない。こうした在り方よりも単一の価値観、単一の方向性を堅持して突き進む人のほうが人生、多くの実績を残せるし、本人も幸せだ。なんで自分がこんなに捻くれてしまったのか、良くわからない。しかし赤子の頃より精神的に何も成長していない、ということだけは言える。七種や不寝の仕事おわりけり素閑興もなくけふの七種むかへけり素閑七種よ腰...七種

  • 小寒

    大学の第二外国語はロシア語だった。べつに選ぶのに何の考えもなかった。ただ今は米ソ二大国の時代だからロシア語をやっておけばなんかの役に立つのでは?と思ったくらいである。まったくものにならなかった。成績はどん尻。今となっては、なんの役にも立たない。ただロシア語のアルファベットが読めるくらいである。その後、独学で学んだフランス語のほうがよほど実用的だ。フランス企業相手の仕事もちらほら手掛けたので、少しは役に立っている。語学というものは、もちろん学ぶ本人の意志と努力も重要だが、環境というものが大きい。その点、日本は不利である。ネイティブの日本語に訳せないものはそのまま表現してしまうカタカナという魔法の文字を持っているからだ。これで、外国語を学ばなくても、外国の事象はほぼ分かってしまう。海外ではそうは行かない。だからちょ...小寒

  • 五日戎

    正月も終わりである。昨年、もう年が明けるのか!?と思っていたらあっという間である。去年、歳を取るとなぜ時が経つのが速いのか、という理由について友達から面白い説を聞いた。曰く、10歳であれば1年は生涯の十分の一であるが、60歳だと六十分の一である。時を速く感じるのは当然とのこと。なるほど、と思った。とにかく去年、バタバタとした正月を過ごしたのが今年のように思えてくる。歳は取りたくないものである。ところで晩成の戦国大名の一は北条早雲。五十歳になって初めて城主と言う地位を得た。それからも彼の経営策は慎重そのもの。隣国を侵略するにも、勝算が100%でないとその腰を上げない。しかしひとたび動いたとなると一気呵成である。その日々の戒めは『早雲寺殿壁書』につぶさに現れている。彼は現代にあってもなお、合理的為政者、ないしは経営...五日戎

  • 恵方詣り

    島原の乱の話である。幕府方の総大将、板倉重昌は寛永十五年一月一日に一揆方の籠る原城に総攻撃をかけ、失敗して戦死した。なぜ一月一日に総攻撃かと言うと、元旦であれば、一揆方も油断しているだろうという企みである。しかし、一揆方は耶蘇教徒なので元旦を祝する習慣がなかったため、重昌の思惑は外れたというのが松本清張の解説。しかし、これはちと可笑しい。一揆方は旧教のカトリックであったが、カトリックでは新年の初日を神に捧げるという意味で、元旦に特別なミサを行う。ちなみにプロテスタントは元旦を祝せよと聖書にないので元旦には特別なことをしない(日本の一部の教会では信徒が初詣に行くのを妨げるため元旦礼拝なるものを行う場合もある)まあ、この総攻撃失敗は、一揆方が元旦で油断しているであろう思惑が外れたというよりも、重昌が総大将松平伊豆守...恵方詣り

  • 三日

    三日となってしまった。なんとなくものわびしい。宴の終わり、祭りの終わりでありそんな気分だ。ニューイヤー・オペラもそんな気分で観ている。そんな憂い気な心の中でぼんやりテレビを観ていたら、出たー!真打登場。デブの音楽家の中の音楽家のデブ、河原君登場!はっきり言って今回の公演の中の一番のスターであろう。ご登場の歌手の皆さんも一度は河原君のお世話になったことと思う。今年は河原君のお陰で、明るい気分でスタートを切れそうだ。はや三日地の裏側に陽の落ちる素閑凛冽の陽もやわらかし三日かな素閑姥爺の三日の宴のおわりかな素閑三日の夕家路につく人ゆるやけし素閑初孫の想ひの母の三日かな素閑明日のため靴磨きけりはや三日素閑三宝を収める間なし三日かな素閑寝続けて三日の世相疎きかな素閑懐かしき三日の裏山しづまりて素閑落魄し都住まいの三日かな...三日

  • 二日

    元旦も過ぎた。あっという間である。一年の中でも時の経つのを最も早く感じるのはこの時期ではないだろうか?なにもすることがない。どこへも行く当てがない。向島の七福神巡りでもしてこようか?とかーたんに水を向けたがいい返事が得られない。もう数十年も前に、この七福神巡りに行ったが、大方の記憶を失ってしまった。確か、福の七草を土産に買ってきたような・・・言問橋を越えたのは覚えている。夕暮れの寒風が隅田川を渡っていた。どこかで鰻を食ったような気もする。しかし鰻は南千住の『尾花』に如かず、である。鰻の美味はここに限る。料理が鯉の洗いを除いては、鰻に限られているのもこの店の自信を表している。春夏秋冬いつ行っても長い行列が前庭にできている。まぁ、下町巡りは流れたが、それなりに何とかやっている。とにかく今年は良い年になってもらいたい...二日

  • 屠蘇

    昨晩から年が変わってからも遅くまで起きていた。家族ともども三々五々、寝床を出て、元朝の膳につく。御節など有らばこそ、スーパーのテイクアウトである。まぁ、酒にありつければよい。年始の挨拶にも疎く、ただ、だらだら時を過ごすのみ。普段暇なのだから、新春ぐらいは引き締めていけばいいものをそうは行かない。物臭と言うのも因果な性である。日の暮れないうちに書き溜めた年賀状を出してきて、元旦が過ぎていく。今年の抱負とてない。ぐうたらも極まれりである。一年の愚痴を聞かされ屠蘇酌めり素閑寝間にては埃だらけも屠蘇酌めり素閑細々と生きるもよしか屠蘇の朝素閑老妻も健やかなれと屠蘇酌めり素閑養老の屠蘇もこれより何年か素閑楽ありて苦もあり屠蘇のとしはじめ素閑屠蘇の酒酔うて腿膝濡らしけり素閑相模灘望みて旅の屠蘇に酔ひ素閑俳句・短歌ランキング屠蘇

  • 初春

    かーたんと大晦日の晩をテレビを観て過ごしている。テレビなど観たのは何か月ぶりだろう。『こうもり』のDVDを観て、第九を聴いて、東急ジルベスターコンサートを聴いて・・・なにか音楽尽くしの年越しだ。さて、今年のカウントダウンはアンドレア・バッティストーニ指揮、東フィルでヴェルディ、アイーダの『凱旋行進曲』。曲の終わりが2019年1月1日0:00にはかなり早かった!!!引き延ばして苦しかったところは今年の初笑いか?明けましておめでとうございます!迎春世に出でてすることもなくけふの春素閑愉しかり日々の去来す玉の春素閑おともなくただ日の落ちる春のけふ素閑諦めり抱負きかれて初春や素閑朗々とひびく謡やあさの春素閑心づきとなりにすそ分け花の春素閑校庭に人影なしや明けの春素閑電車待つ列も乱れむけふの春素閑和装する子のまぶしさや春...初春

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